花月の辛壺

 大人になったらラーメン屋の一つも知っておかなくてはいけないのでしょうか。嗜み、大人の嗜みとでもいうのか。でも私は知りません。大好きな雑司ヶ谷霊園に向かう池袋の東通りの始まり、南池袋一丁目の交差点に無敵家というラーメン屋さんがあります。入った事はありません。でも、あります。雑司ヶ谷霊園に行く時に必ずその前を通るので見かけるんです。行列が出来てたりします。うわーにんきなんだなーって思います。おいしいんだろうなー。って思います。そう思ってから、そう思いながら信号を渡って東通りに入ります。そして雑司ヶ谷霊園を堪能して、帰り、東通りから出る時、池袋駅に向かう時も、無敵屋さんが視界に入ります。
 だからごく稀に、本当に稀なんですけども、人と会話していると、マジで稀に、
「おいしいラーメン屋さんとかどこ」
 って話になるんです。そういう会話が発生する時があります。はぐれメタルに遭遇するみたいな感じで。はぐれメタルの群れに遭遇して、しかもはぐれメタルが動揺してるみたいな。こっちに先制攻撃のチャンスがあるみたいなレベルで。
 そういう時、私は無敵屋さんの名前を出します。他人には雑司ヶ谷霊園に行ってるとかそういう事は言わないので、雑司ヶ谷霊園の事は端折って。明治通りがいいんだよ。すごく楽しいよ。明治通りって。池袋から明治通りを歩いて新目白通りの辺りまで行くのって本当に楽しくてっていう事にして無敵屋さんの名前を出します。そうなると当然のことながら、
「行ったことあるの」
 って聞かれたりします。だから、
「いや行ったことないよ」
 って言います。すると大抵の場合、こいつとはもう話しても仕方ない。という空気になります。それ以降ラーメン屋についての会話は無くなります。そういう意味で言えば、本当に私は無敵屋さんに感謝しなくてはいけないんだろうなと思います。だから一回くらい行った方がいいんだろうなって思ったりもしますが、ただ行くとですね。嘘になってしまうので。
「行ったことないですよ」
 って言うのが。嘘になっちゃうから。だから、そういう会話になる度に、すいませんという気持ちと、でも名前は出してますから。というのが二つ同時に私の中に生まれます。そしてそれらが相殺し合って、私は平静を保ちます。
 そんなラーメン屋に疎い私ですが、ただ一店だけ、らあめん花月にはたまに行きます。らあめん花月にしか行かないと言ってもいいかもしれません。あ、あと日高屋。日高屋の野菜たっぷりラーメン。でも、とりあえず日高屋は置いておいて、今回はらあめん花月の話をします。
 らあめん花月、現在はらあめん花月嵐って名前になってるっぽいんですけども、そこにはたまに、本当にたまにですけども行きます。
 行くと必ず、バリ辛らあめんを頼みます。嵐げんこつバリ辛らあめんです。辛いラーメンです。私はこれしか頼みません。私がらあめん花月に求めているのはこの辛いラーメンです。日高屋に行ったら野菜たっぷりラーメンしか頼まないのと同じです。
 なんていうかな、
 これが食べたい時って言うのがあるんです。
 お腹壊したい時です。
 辛いラーメンです。とても辛いんです。あんなの全然だよ。あれで辛いって言ってるの? とか言う奴は輩です。マウント厨です。死ね。くんな。
 私にとってらあめん花月嵐のバリ辛ラーメンは、ちょうど、ちょうど、お腹壊す一歩手前の辛さなんです。ちょうど。ギリギリ。お腹壊さない。
 しかし、これだと、お腹壊したい時に食べるという条件と合致しません。
 らあめん花月嵐には辛壺というものがあります。
 辛壺。正式名称、かどうかはわかりませんが、激辛壺ニラと言います。
 これを入れるとお腹壊します。ただでさえ辛いラーメンに、これを入れると更に一歩、いや、半歩かな、辛くなります。
 これで私のお腹が壊れます。
 たまに、
 たまーに、
 お腹が壊したくなります。
 そういう時、私はらあめん花月に行きます。
 お腹壊したくて。
 何でお腹壊したいのか。健康に良くない、体に良くない。そういう風にも思います。でも、一方で、健康に気遣ってばかりいてもそれが長生きには直結しないだろうとも思います。
 そもそもそんなに長生きしたいわけでも。どうなんだろうな。分からないけど。いざ死ぬ段になったら、動揺しまくって死にたくねえ。って震えて、おしっことかうんこもらしたりするかもしれないからね。分かりませんけど。
 でも、とにかくお腹壊したくなる時があります。暑気払いとして熱いものを食べるのと似たような感覚で。
 そういう時、らあめん花月嵐に行ってバリ辛らあめんを食べます。
 まず辛壺を入れない状態で汁をれんげで飲みます。辛いラーメンが一番辛いのはれんげで汁を啜る時だと思います。
 その後に麺を幾らか食べます。
 そして、辛壺を入れます。店によって、最初から手前の所に辛壺がある店と、頼んで持ってきてもらう店があるみたいです。今はどの店舗も頼んで持ってきてもらうシステムなのかもしれません。一時ほら、迷惑系が流行ったから。あれ以降は大抵持ってきてもらう感じになったかな。
 辛壺を適量入れて、最初はかき混ぜず、まず汁を一口。その後麺を一口、その後かき混ぜて、後はもう一気呵成に攻めます。攻めるって言うのもおかしいですけど。ただでさえ攻め込まれているわけですから。バリ辛に。そこに辛壺入れて、更に攻め込まれるわけですから。私は。
 攻めているけど、攻められてもいる。
 そういう体験をして、そして、その夜、お腹を壊します。
 お腹壊してトイレで、私は天に祈るのです。
「明日からはちゃんとします。お願いします。どうか。神様、仏様。どうか、どうかお願いします。どうか」
 そういう時、本当に心から、私は天に祈ることが出来る。出来てる気がします。その時トイレが告解室になるのです。そこで、心から、本当に心から、心の底から、

 実るほど頭を垂れる稲穂かな

 となって私は祈るのです。その時の祈りほど、真に迫った祈りは無いと我が事ながら思います。救いを求める祈りは無いと思います。その時ほど敬虔な、神聖な、自らの魂の穢れを受け入れ、浄化、浄罪を願う祈りは無いと私は思うのです。
 体を折り曲げ、脂汗をだらだら垂らして、目を閉じて。一心に、ただ一心に。

花月の辛壺

花月の辛壺

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-09-16

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