素盞の杜(すさのもり)

素盞の杜(すさのもり)

◎ 概 要
 平安時代に実在した性空上人の生涯と、その後の書寫山圓教寺を描きました。伝説や史実の周辺と、そこでは語られない部分を埋めながら、実直で謙虚な上人像とともに綴っています。【章第壱】は上人が隠棲をする前、自分の生涯を五人の弟子に語るという内容です。上人は都の謀略や争い事を嫌い、真理を求めて出家をしました。その後、日向(九州)での修業を経て播磨(兵庫県)の書寫山に寺を開きます。そこには素盞嗚尊の意思が強く介在しており、その手引きによって上人とその寺は大きく成長していきます。【章第弐】はその五年後、素盞嗚尊によって送り込まれた藤原文人が、花山院の行幸に付き従って性空上人の元に行き、和泉式部の和歌を上人に届けるまでを描いています。(この和歌がいつどのように上人に伝えられたかは歴史の謎となっています)【章第参】は素盞嗚尊が仕組んだその後の歴史を、彼の目線で語ります。苦難の歴史を経た書寫山圓教寺は、和泉式部の和歌の伝説に彩られ、芸術の波紋を広げます。それによって人心の救いとともに、芸術的感化を推し進めていくようになっていき、現代の書寫山圓教寺に至ったとするものです。
 なお、登場する名前のほとんどは実在または伝説の人物ですが、兼達・蓮斎・藤原文人はオリジナルのキャラクターです。 

(大手から自費出版のお誘いはありましたが、お断させていただきました。その作品を自分なりに手直ししたので掲載いたします)

2024.8.24

◎ 本 文


【章第壱】九九七年(長徳三年)

 (一) 性空上人(しょうくうしょうにん)

 乙丸よ、悪いが引き戸を全部開けてくれぬか。春の風が心地よく感じられる時節になってきたようだ。朝霧も晴れ、濡れた緑が輝いているではないか。この如意輪堂から見える曽左(そさ)の山を愛でながら、今日は皆に大切な話をしようと思う。いつもは寡黙な私だが、どうしても多弁な性空を演じなければならない、そういう時もあるのだ。
 さて五人揃ったようだな。慶雲も立ってないで、こちらに座りなさい。若彦はみなに白湯をついでくれ。少し長い話になるが、霊山の澄んだ空気を胸に満たしながら、ありのままの気持ちで自分を語っていこうと思う。
 予てから話していたが、私はいよいよこの寺院を退くことにした。私にとってこの伽藍は大きくなりすぎたようだ。ここから二里ほど北の菅生(すごう)の谷あいに、草庵を結んで隠棲をするつもりだ。かつて一介の持経者としてこの山に入った時のように、そこで静かに人生最後の修業をしたいと思う。どうかこんな私を許してほしい。
 安鎮よ、そんなに悲しまなくてもいいだろう。ここにいる延照を中心に、皆でこの山と寺院を支えていってほしいのだ。そなた達のような優れた弟子に恵まれ、とても有難いことと思っている。私など本当はとるに足らない人間だが、名声が独り歩きをし、多くの弟子が集い、参詣者が後を絶たなくなった。これからも身分の高下なく人心を救い、争い事のない平穏な世をつくるための礎となるよう願っている。
 もちろん今すぐここを去るわけではない。これから準備を進めていくわけだが、それに先立って今日はここにいる延照、安鎮、慶雲、乙丸、若彦の五人だけに、どうしても話しておきたいことがある。信用できるそなた達には、本当の事を知ってもらいたいのだ。だから、よく聞いておいてほしい。これは謙遜などではない。私は臆病で、白状な人間なのだ。かつてもそうであり、今でもあまり変わりないと思っている。
 こんな言い方をすると驚くかもしれないが、実は子供のころ、私は友人を見殺しにしたことがある。きっとあれが、全ての始まりだったのだと思う。


 (二) 奇硯(きけん)

 名門橘家の末っ子に生まれた私は、とあるやんごとなき公家の若君の遊び相手として、その家に通わされたことがあった。
 私より二つ年上のその子供は我儘で、いつも人を困らせては喜び、つき出た目を玉のようにぎょろつかせ、誰に対しても傲慢な態度をとっていた。ところが、遊び相手の私にはなぜか優しく接し、まるで寛大な兄貴のように振舞っていた。弱かった私を、攻撃の対象だとは思っていなかったのかも知れない。
 その日、その子はまるで山賊のように大きく振り返ると、「お宝を見たいか」と小声で言った。正直私は関心がなかったが「どんなお宝があるんだ」と尋ねてみたら「なんでもあるぞ、来い」そう言って、その家の薄暗い蔵に二人で忍び込んだ。カビの混ざった土臭い空気の中で彼は少し考え、「この家に古くからある鏡を見せてやろう」と言い、棚が並ぶ奥へと音を立てずに消えて行った。小さな格子窓から蒸し暑い蝉の声が遠く近く漏れ聞こえ、肌がべっとりしていたのを覚えている。気持ちの悪さで私が立ち止っていると、彼が棚の影から現れて「早く来い」と私の腕を強く掴み、無理やり引っ張られた。
 若君はひとつの棚の前に立つと、「確かこれだ」と私の目線の高さぐらいにある、子供の顔ほどの大きさの平べったい木箱を指さした。棚からそっと取り出すと、湧き立つ埃の匂いが不意に鼻を衝いた。彼は横にあった大きなツボにそれを置いて、表面の埃を払った。木箱の蓋には『黒き鏡』というかすれた筆書きがあり、ところどころ塗料が禿げていた。若君がそっと蓋を開け、黄ばんだ紙に包まれたそれを広げていくのを、私は静かに見守った。すると彼は中から四角い黒い物体を両手で取り出し、「ほら」と私に差し出した。鏡というのはだいたい丸いものが多いが、縦長の四角い鏡は、私が初めて見るものだった。見事に磨き上げられたその黒い表面は、彼の手の中で、薄暗い天井の梁を映し出していた。どのようにしたら、このような滑らかで美しい鏡を磨くことができるのだろうかと、子供ながらその技術に驚いた。「ほら」ともう一度促されて、私は両手で上からすくうように、恐る恐る鏡を受け取った。やや重みのある冷たいその物体の、手に触れる裏面は、思いがけず柔らかくしっとりとした素材に覆われていた。裏返してみると、黒い表面に小指ほどの丸い穴がいくつか浅く彫られていた。得体のしれないものを見ている気持ちで、私はなんだか恐ろしくなってしまい、震えた手で箱にの中の紙に戻した。「なんだ、もういいのか」「もういい」気持ちが悪いとは言わなかったが、周りの箱や書物の中身が、ほんとうに全部気持ち悪いものに思えてきた。こんなところを早く出たかった。
 しかし少年は、それを許してくれそうになかった。「次はお前だ。どんなものが見たいか言ってみろ」私は首を横に振った。もう何も見たくなかった。「それならば、どれでもよい、思いつくままに指を差してみよ。それを開けて見せてやろう」私は泣きたい気持ちになった。「意気地のない奴だ」そんなことを言われたって、状況は変わらなかった。
 だがそのとき、父から聞いたことのある硯のことを思い出した。「そうだ、奇硯が見たい」私が言うと、若君は突然黙った。「そなたの家が官爵拝任のときしにか開かぬと父から聞いたことがある。それを見てみたい」それはいい思い付きだと思った。鏡などより実体が明らかだ。それならきっと、怖いことなどないだろう。「お前、あれが見たいのか」格子窓を背にして少年の表情は見えなかったが、声が低く震えていたように思う。なぜ急に様子が変わったか、私には分からなかった。「なんでも見せてくれるのだろう?」彼は動かず少し考えていたようだが、意を決したのか、「よし、見よう」と言うと、私を引き連れて入口の方へ向かった。そのまま土蔵から外に出て扉を閉めると、「こっちだ」と言って庭から屋敷に向かった。「どこにいくんだ」私はてっきり蔵の中にあると思っていたので拍子抜けだったが、とにかくあの薄暗くて気分の悪いところから抜け出られたことが嬉しかった。
 彼を追って屋敷に上がり奥へと入っていくと、突然振り向いて「いいか、ここからは音を立てるな」そう言って歩の進みをゆるめた。暗い廊下の奥に、他の部屋と違う木戸があった。少年は思い引き戸を慎重に開けると、「入れ」と小さな声で私を引き連れた。
 窓がなくて暗いが、広さがないので入口から奥まで薄く光が入り、次第に目も慣れた。さっきの蔵よりも整然ときれいで、きしむ床にもカビ臭さはなかった。日が当たらないためか、中は意外と涼しかった。少年は部屋の棚を見渡し、その一つに近寄っていくつかの木箱を物色していたが、ひとつに目を留めると、しばらくそれを見ていた。それから素早く振り向き、「たしか儀式で父が持っていたのは、これだったと思う」そう言って自分が棚の前からどくと、「開けてみよ」と私に命じた。「私が開けるのか?」「お前が選んだんだ。お前が開けろ」私は観念して箱の前に立つと、子供の胸の高さぐらいの段に、その小さな桐の箱はあった。厚みや大きさはさっきの倍以上あったが、趣のないただの四角い入れ物で、おもてには何も書かれていなかった。両手を蓋に掛け、そっと開けると、こんどは紙などなく、桐箱に直接その硯は入っていた。中身の寸法に合わせて入れ物を作ってあるようだ。
 お宝の硯は黄色みがかった不思議な色の石を削り出したもので、立体的で見事な昇り龍が左と右に彫り出されていた。一筋の黒墨が渇いて角に付着しており、過去に使用された痕跡を見てとれた。少年は私が手に取らないと納得してくれそうになかったので、それを両手で慎重に持ち上げた。自分の顔よりも大きい石の塊は、子供にはずしりと重かった。私はお腹にそれを押し当てるようにして支え持ち、自分の手の上にある奇硯を見下ろすと、その重厚な美しさに改めて見とれた。このような硯で墨を磨って筆を濡らしたら、身が引き締まる思いだろう。少年にそれを言うと、「これは先祖が住吉の神から賜った、代々伝わる大切な宝物(ほうもつ)だ。再び使われることなどないだろう。儀式のときだけ開けて、お目にかかれるものだ」そうなのかと改めて大切な硯を見た。支え持っている重みが増したような気がした。
 どこかで物音がしたのはその時だった。「早く箱に戻せ」少年の声に驚いた私は、慌てて大きな硯を棚に持ち上げた。だが、高い位置で動きを間違えたのか、ふいに手から重みが抜け、石の塊が滑り落ちていった。
 その瞬間「あ」と言ったのは少年か自分か、両方だったのか、覚えていなかった。心と身体が凍りつくような時間に晒された。それは長くて、とても短かった。どのような結果になるかは瞬時に思いついたが、どうすることもできかった。恐ろしい気持ちで足元を見ると、それは真ん中で上下まっぷたつに割れ、竜の頭が欠け落ちていた。
 私は座り込んでしまった。「どうしよう」神から賜り、先祖代々伝わってきた宝物を砕いてしまったのだ。目の前で起きたことを受け入れるのに少し時間が掛かった。過ちは責められるべきであろう。だが、どんなことをしても取り返しはつかなかった。
 少年も青ざめた顔で割れた破片を見ていたが、やがて周囲を見回し、入口の木戸まで行って廊下をそっと見た。それから戻ってくると、「どうやら誰も見ていないようだ。物音はたぶん鼠か何かだろう」と言う。「鼠? 鼠のために、自分は大変なことをしてしまった」私は震える声で言ったが、若君は気持ちを落ち着けて、私を安心させるように悠然とした口調で話した。「お前は何も心配するな。今日はこのまま帰れ。これは私がやったことにする。私が詫びれば、父も許してくれよう」たしかにそれが、最も穏便に終わることに思われた。「決して人に言うなよ」と若君は言い、私は頷くしかなかった。さもなくば、これは両家を跨ぐ大きな問題に発展するかもしれないのだ。
「決して人に言うなよ」帰りがけに彼はもう一度念を押してから、私を送り出した。


 (三) 約束

 父善根(よしもと)に呼び出されたのは、その二日後だった。ただごとではない雰囲気に、もしかしたらあの硯のことが父上の知るところとなったかもしれないと緊張が走った。父上の前に座ると、できることなら見えないくらい小さくなりたくて、背中を丸め、肩を寄せて腕を膝に置いた。しかし意外にも父上は穏やかな声で、もうあの家には行かなくてよい、そして学問にいっそう励めとだけ言われた。「なぜ行かなくてよいのですか」と聞くと「知らなくてよい」と言い、私を責める様子もなく、それ以上の話を聞けなかった。父上はただ伝えることを伝えた、という感じだった。私は硯の顛末が気になって仕方がなかったが、自分からその話を切り出すことはできなかった。
 本当の事を知ったのは、その翌日だった。私が気持を鎮めながら漢文学の写しをしていると、兄上が部屋に入って来るなり、いきなり興奮気味に話し始めた。かの若君の非道は極まりなかった、あのような目にあって当然だ、お前もそう思うだろうと言う。訳が解らずに兄の顔を見ていると、「お前まさか知らないのか、あの家に行っていたんだろう」「何も知らない」「父上がお前に話したはずではないのか」「もう行かなくてよいと言うばかりで、父上は何も教えてはくれなかった」すると兄上は愕然として、私の目を見ながら声を低くした。「いいか、よく聞けよ、あの若君は首を刎ねられた」
「なんですって」
 あまりの言葉に私は上も下も分からなくなり、筆を床に放って腰を崩し、後ろに手をついていた。
「本当に知らないのか、若君は亡くなったのだ」
 兄上の話によると、若君が家宝の硯を勝手に取り出して破損し、父君に陳謝をしたところ、その怒りは思った以上に甚だしく、「お前が家宝を破壊するとは、家の滅亡を招く邪心によるものに違いない」としてたちまち首を刎ねたのだという。
 泣きわめき狂乱する私を兄上がなだめようとした。そのあと私の記憶は朧げだが、兄に抱え上げられ、母上のところまで連れて行かれて、そこに投げ置かれた。兄上が何かを言って出ていくと、驚いた母が私を強く抱き寄せ、そして耳元で囁いた。「だいじょうぶ、母はいつもあなたのそばにいる、だいじょうぶ、あなたはもう、だいじょうぶよ」頭を優しく撫でられ、嗚咽が少し和らいできた。「あの悪童の元にお前を行かせたことを、許してほしい。父も母も、かの家の申し出を断ることができなかったの。それがこんな辛い思いをさせることになるとも知らず・・・でも悪かったのはあの若君だから、お前はなにも心配しなくていいのよ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」私は、はっとして、涙で濡れたまま母を見上げた。やさしい母の眼差しが私に向けられていた。「そうではないんです。あの硯は、若君が壊したというあの家宝は、本当は私が落として割ってしまったのです。若君はなにも悪くない。首を刎ねられるべきは、この私だったのです」「まあ・・・」母の撫でる手が止まり、その上体が少し硬くなるのを感じた。「そう、違うんです、私なんです、私が・・・」涙と鼻が混じって口まで入ってきた。嗚咽がまた止まらなくなった。母の腕がいっそう固く私を引き寄せた。「分かったわ。もういいの。もういいのよ、言わなくていいわ」
 それから母は目を離さないままそっと私を離れ、着物をなおして座った。「よく聞いてください」私は捨て置かれた小鳥みたいに尻もちをついたまま、すすり泣いた。「そのことはもう、誰にも言ってはいけません」母は続けて「それに、あの悪童はいずれそうなる運命だったのです。今回のことは口実に過ぎないの。予てからあの父親は、出来の悪い若君ではなく、他の兄弟に家を継がせるつもりでした」それを聞いて、私はむしろ恐ろしくなった。そのようなことを考え、平気で首を刎ねる若君の父親が恐ろしかった。「だから、だいじょうぶ。あなたのせいではないのよ」私は再び綿のような母に抱き寄せられた。「あなたはだいじょうぶ、だいじょうぶだから・・・」頬のそばで繰り返す母の優しい声はしかし、むしろ遠く感じられてきた・・・
 二つとない硯を見たいと言ったのは私だった。それを割ってしまったのも私だ。母上の言うただの口実だったとしても、その口実を作ったのが私で、若君の死に深く関与したことは疑う余地もないことだった。
「決して人に言うなよ」という若君の最後の言葉が思い出された。そうだ、あの時その言葉に甘えて、私は若君を殺したのだ。それで両家が諍いなく穏便にすむだろうと思ったのが、もしかすると私の独りよがりだったのではないのか・・・
「決して人に言うなよ」
 その約束はしかし、依然私の心を束縛していた。今となっては真実を明かしたところで、誰もが傷つくのではないのか。誰にも言わないことが賢明で、なにより若君との約束を守り通すことになるのではないだろうか・・・
「決して人に言うなよ」
 それはもう取り返しがつかなかった。悔いる以外に仕様のない自分が、たまらなく情けなく思えてきた・・・
「決して人に言うなよ」
 罪深い胸の奥が、あの土蔵のカビ臭さで充ちているように感じた・・・
「そのことはもう、誰にも言ってはいけません」母上の声が重なった。「わかりましたか?」念を押されて私は、濡れたままの顔で頷いていた。そのことが生涯に渡って重く沈殿する後悔を残すことを、私はまだ分かっていなかった。


 (四) 仏門

 日が高く昇り、山の空気が暖かくなってきたようだ。ほう、雀が三羽、高欄の手すりで跳ねているではないか。透き通るような囀りが、とても心地よい。
 乙丸よありがとう、そのように言ってくれるのは、とても嬉しく思う。母も私が悪くないと思ってくれたし、実は父も、そう認めてくれていた。そして自分自身にも、最初はそう言い聞かせていたのだが、それは結局心の穴を埋めるには、何の効果もなかった。私は二度に渡って、友を裏切ったのだから。
 そういま延照が指摘してくれたように、そのときどうしたら良かったのかは、正直いまの私にも難しいところだ。しかしながら、それが『因縁』ということでもある。そのような難しい状況に陥ったこと自体が、私の罪なのだ。臆病で、白状で、優柔不断な私が引き起こした顛末だったのだ。
 おや、雀を見なさい、そうかそうか可愛いのう、また数が増えたようだ。小さなおしゃべりをしながら、まるで私の話をきいているようではないか・・・
 それなら話の続きをしよう。私の出家と、ここに至るまでの話だ。

 父上の遺体が丁重に運ばれてきたとき、冷たい秋風に厚い雲が速く流れていたのだけを覚えている。私はなぜか、悲しみも怒りも感じなかった。その日まで元気だったはずの父が、宮中で急変し倒れて、そのまま帰らぬ人となったのだ。兄上と叔父上は激昂し、政敵による毒殺だと息巻いていた。確たる証拠は無かったが、私は政治というものに、また争いや謀略というものに堪らない嫌悪を感じた。数カ月前に首を刎ねられた若君の、あの父親に対する嫌悪と同質のものだった。
 兄上は父上の道を継いで出仕するつもりだと言ったが、私はそんな気持ちにはなれず、ただ学問と読経にいっそう励むようになっていった。経文はあの若君が亡くなってから習い始めたのだが、父上の他界の後は、さらに一日のほとんどを読経に費やすようになった。自分の利のために人を殺める心情はどこから来るものなのか。そもそも人の幸福とは何か。そして自分は何のために生まれてきたのか。真理の道を追究したい一心で、ついには出家して修行に励みたいと真に考えるようになり、母上に何度か申し上げたこともあったが、兄上とともに宮中へ出仕して身を立ててほしい、それが父を弔う術だといつも説得をされた。私はしかし、日々の読経を怠らず、法華経の一部だけなら諳んじるほどにもなっていった。

 その日は突然やってきた。母上に呼ばれて前に座ると、開口一番、母上は私と共に出家をすると言うのだ。どういうことか訊ねると、母上は驚くべき話をした。
 深夜目を覚ますとなぜか部屋が明るく、そこへ紫色の煙が湧き上がるや、その中から白い絹に金の刺繍を施した召物をまとい、荒々しく逆立つ髪と厚い髭を蓄えた、険しい顔の男が現れた。男が母上に言うには、お前は宿命を背負った子供を産んだのに、なぜ出家させないのか。お前も共に出家をし、その子の働きを支えよ。そう言ったかと思うと男は煙とともに消えたが、暗くなった部屋の中で、母上は一睡もできず朝を迎えたのだという。
 そののち母上と私は、親類の伝手で比叡山に行き出家を果たした。「家のことは任せろ」兄上はそう言って母上と私を送り出し、叔父上の元で出仕の道へと進んでいった。
 橘家は荘園の一部と金品を寺へ寄進した。全ては叔父上の手引きであった。延暦寺良源上人の元で修業をした数年の間、母上と私は厚遇された。


 (五) 比叡山延暦寺

 兼達(かねたつ)と蓮斎(れんさい)は私と同じころに出家した同年代の僧だ。
 ある日、朝の勤めを終えると兼達がその恰幅のいい身体を寄せて話しかけてきた。「私の家は神仏への信仰が篤く、大きな荘園をこの寺にも寄進した。いずれ私は高い地位に昇っていくだろう。お前の方はどうなんだ」どうなんだと言われても、私には答えられなかった。「荘園と地位とは、何の関係があるのだ」「分かっていないのか」「知らない」兼達はあきれた顔で私を見て「同じ公家の出だから話が通じると思ったが、まだ幼いなお前は」と言った。私はとても気になった。橘の家も少なからずの寄進をしていたからだ。「どういうことなのか、教えてくれないか」「いいか、この寺は広大な荘園を持っている。貴族からの寄進や、その利益で買収し拡大したものだ。荘園は寺を豊かにして財を生み、その力で農民には種籾を、公家には金や米を貸して高利の取り立てをする。荘園ていうのは莫大な利益をあげるための大本だ」「そんなことをしていて、いいのか」私は頭がくらくらし、気分が悪くなってきた。「大丈夫だ。寺の高僧には公家の出身が少なくないのだ。公家の方でも力のある寺社と関係を持ちたいから、俺らみたいな次男坊や末っ子を出家させて、荘園を寄進する。そうやって寺は公家と密接な関係にあり、誰もそれを咎めることができないのだ」兼達の話に、私は嫌気がさしてきた。
 「私はそういうことには興味がない」振り向くと、細身で色白の蓮斎が後ろに立っていた。「純粋に修業がしたいだけだ」蓮斎は身分の低い出身だが、勤め以外の時間でも日々の読経を怠らない、熱心な修行僧だった。彼とはよく経文を共に学び、議論などもした。私はそういう時間に、この上ない喜びと充実を感じていた。
「私も蓮斎と同じ気持ちだ」私がそう言うと、兼達はわざと大きく息を吐きながら「模範僧らめ」と悪態をつき、「話の分かる奴はいないのか」と声を響かせながら歩き去って行った。そんな兼達も、自分の心に正直というだけで、根から悪い奴ではなかった。
 だんだん分かってきたのだが、本当に高僧らは、一部の公家と密接な関係を持っており、ときには大きな財が動くのを目の当たりにしたこともあった。策謀、利権といったものに対する嫌悪は、私をさらに寡黙にした。私はそういう喧噪からは一切身を遠ざけ、日々の勤行にひたすら努めた。蓮斎のように一途な修行者もたくさんいて、私はなるべくそういう僧たちの中に身を置き、山での修行に心身を投じた。

 秋の風が強い日、いつものように蓮斎と読経しようと準備していると、少し歩かないかと蓮斎に誘われ、珍しいことだと思いながらも付いて行った。彼は草を踏みながら風の中を淡々と歩き、少し下りたところにある農具小屋の前で立ち止まった。周りの様子を見て中へ入ると、驚いたことに、粗末な布を纏った若い女が、藁を編んだ敷物の上に座り、怯えた細い眼をこちらに向けていた。「いったい誰だ」私が蓮斎に聞くと「助けた女だ。詳しくは聞かないでほしい」と言って、私に見張っているよう入口の外に立たせると、引き戸を閉めた。ほどなくして布が擦れ、乱れる音が聞こえた。
 何が起きているかは明らかだった。漏れ聞こえる声を聞きながら、私は鼓動を抑えられなかった。枯れ葉が風に舞い、渦を巻いていた。あまり使われていない道なので、誰かが通ることは稀だったが、万一人が来たら、どうすればいいのだろうか。そもそも蓮斎はどういう了見なのか、あの女は何者なのか、いやそんなことより、自分はいったい何をしているのかと、いろんな考えが頭を巡った。
 しばらくすると、戸が開いた。「あなたの番だ」蓮斎は真面目な顔を少し強張らせて言った。「どういうことだ」「たのむ、女には施しをしてやってくれ。生活のためなのだ」そう言って私を素早く押し込めると、戸が閉まり、蓮斎が外に消えた。薄明りの中に取り残され、振り返ると女が最初と同じ姿で座っていた。さっきは気づかなかったが、隙間だらけの壁から幾筋もの光が地面を照らしていた。私が戸のそばにつっ立ってどうしたらいいか分からずにいると、女が立ち上がって近づいてきた。怖くなって逃げようと思い、後ろの戸に手を掛けると、女はその腕をそっと触り、身体をすり寄せてきた。想像以上に熱くて柔らかい肉体を感じると、私は進退窮まってしまった。小柄で華奢なその身体のどこに、そのような肉が付いているのだろうか。戸惑っていることに女は気づいたのか、経験のない私を優しく敷物の上へと導いた。私の若い身体がそれを拒絶することなど、もうできることではなかった。
 事がすむと女は去り、私と蓮斎は黙って坂を登った。さっきまでの風はもう止んでいた。私は何も聞かなかった。聞くのが怖かった。いつもと同じ蓮斎でいてほしかった。聞いてしまったら、何かが壊れてしまう気がした。
 身を清め、修行に戻った。だが初めて女を抱いた私は、自分自身にひそむ欲情に人知れず悩まされた。それは私が嫌悪する所有、利権、争い、策謀といったものに繋がりかねない煩悩に思えたのだ。私は以前にも増して言葉数が少なくなり、読経や修行に励んだ。
 その後蓮斎に何度か誘われたが、もう農具小屋には行かなかった。行ってはいけないという気がした。しかしながら、あの娘は売女(ばいじょ)などではないとも感じていた。そこには、なにか深い事情があるに違いなかった。そして、蓮斎のことも密告したりはしなかった。
 それからしばらくして、蓮斎が山からいなくなった。「どうやら女と消えたらしいぞ。人は見かけによらないな。ああいう性格は何をやらかすか分からんしな」兼達がどこから情報を仕入れたのか、そんな悪口を叩いたが、私には真面目な蓮斎が、苦悩の末に選んだ道のように思えた。私に何も話さずに去ったことは残念だったが、誘いを拒絶し続けた私に、きっとそれ以上なにも言い出せなかったのかも知れなかった。
 農具小屋の件は、結局だれにも話さなかった。

 年を追うごとに私の心身は強く、大きくなっていった。だが修行には限界を感じ、正覚にほど遠い気持ちにもなってきた。都と寺の強いしがらみは、自分たち修行僧の心にも無関係ではなく、大きな影を落としているように思えた。そこから逃れるには、比叡山を離れて修行するしかないが、それにはどうしたらいいのか、私には分からなかった。ときどき蓮斎のことが思い出された。彼はここを離れて、今はどこで何をしているのだろう、幸せに暮らしているのだろうかと考えずにはいられなかった。
 そうしたあるとき、日向国からの要請を知って、心が熱くなった。その内容とは、苦しむ衆生を救うため、古くなった信仰を再編したい。ついては天台の徒を日向国に派遣し、協力をして欲しいというものだった。母上に相談をすると、あなたの熱い気持ちに偽りがないならば、すぐに申し出なさい、私はどこまでも支えていきますと言ってくれた。
 それからふた月ののちに、母上と私を含めた二十人余りの、日向への下向が認められた。


 (六) 脊振山

 見よ、白鷺が二羽舞い降りた。麓の田畑や川辺でしか見かけない鳥なのに、山中の、しかも人のいる建物まで寄って来るとは不思議だ。高欄の上で小さな雀たちの邪魔をしないよう行儀よく羽をおさめ、首を真っすぐに上げてこちらを見ている姿が愛らしいのう。
 そうなのだ、慶雲が言う通り、乙丸や若彦と出会ったのが日向であった。二人とも、あれからここまでよく付いてきてくれたと思っている。

 日向での事業は皆も知っての通りだ。私たち修験者は霧島山中における修行をしつつ、一方で分散した古い信仰を、長年かけて霧島六社権現として再編していった。あのころの私は人生の中で最も生き生きとしていたように思う。汚れた政治から離れ、修験道に没頭し、人心を正しく導く信仰を敷く手助けをできたと自負している。そして何より、苦しむ人々と直接向き合って話を聞き、その心情を分かち合えたことは、私の生涯の宝となった。私はもともと公家社会から、出家した後も高野山からは、本当の意味で出たことがなかったのだ。もしかすると、蓮斎はそんな私とは違っていたのかもしれない。
 もちろん全ては母上の支えがあってのことだった。母上はかつて私に出仕の道を説いたことを詫び、これこそが父を弔うことだった、きっと父上も喜んでくれているに違いないと言ってくれた。

 そんな母上が、病に倒れた。老いもあったのだろう、間もなく息を引き取った母を前に、これまでに経験したことの無い悲しみを覚えた。私は文字通り、三日三晩泣き続けた。父上が亡くなった時に出なかった涙の分まで、全部出し尽くしただろう。乙丸と若彦に出会ったのはそんな頃だったのだ。母上に変わって私を支えてくれる若者を、天が使わせたのに違いないと信じている。
 それから私は筑前に移り、脊振山に登った。あそこからは西に繋がる海がよく見えたのだ。釈尊の教えにより近づくため、私は海の向こうの宋に渡ろうと考え、その機会を探っていた。まだ目にしていない経文を、たくさん学びたかった。もう比叡山にも都にも、戻る気持ちはない。母のいない今、全てのしがらみを後に置き、仏道に帰依しようと思った。
 しかしある夜、一日の業を終えて草庵で床に就いていると急に部屋が明るくなった。眩しさに目を細めていると、紫色の煙がどこからともなく湧き上がるや、その中から白い絹に金の刺繍を施した召物をまとい、荒々しく逆立つ髪と厚い髭を蓄えた、険しい顔の男が現れた。驚いて起き上がると、男の目は思いの外、優しく私を見下ろしていた。
「性空よ、ここから西へ行ってはいけない」
「いったい、あなたは、どなたなのですか」
「素盞嗚(すさのお)と申す者だ。自らの横暴な行いを償い、この世界の行く末を案じ、少しでも多くの心を救うため、お前をこの世に送り出したのだ」
「そ、それはまことですか、私を・・・」
「お前は東へ向かわなくてはならない」
「ですが、東には都や、比叡山が」
「恐れてはいけない。政治や謀略、争いに屈してはならないのだ」
「しかしながら、そのような強さは、私にはございません」
「お前はすでに、苦しみと優しさを学び、貧しい民を救う道を広めてきた。それは高貴な出身のそなたにとって、驚くべき成果だった。だがそれだけでは片手落ちなのだ。次に学ぶことは、海の向こうでは無い」
「読んでいない経文がたくさんあるのです」
「だが、お前の求める真理はそこにないのだ」
「ではどうしたら、欲望に打ち勝つのですか」
「間違えてはいけない。欲望は敵ではない。己が正しい意思に取り込んでこそ、欲望は鋭利な志となる」
「私にはまだ、解りません」
「お前にはもう解るはずだ。恐れずに東へ向かえ」
「都でしょうか」
「行先は自ずと分かるであろう」
「その後は、いったいどうすれば・・・」
「その先の道も開けてこよう。その地で、身分の区別なく一切衆生を救うのだ」
「しかし・・・」
「よいか、そなたは東へ向かえ、東へ向かうのだ」
 現れたのと同じように、男は紫色の煙の中へ消え去って行った。
 暗くなった庵の中で、私は早くなった鼓動を胸の奥に感じながら、茫然と向こうの柱を見つめていた。そして素盞嗚の言った言葉を、頭の中で繰り返し考えた。
 そう、いま私たちのいるこの山が、素盞嗚の示した地であったのだ。


 (七) 曽左

 私と共に、乙丸や若彦ら数人が、目的地も分からないまま東へ歩き、漠然と都の方を目指した。途中、播磨国に差しかかったときのこと、一晩中強く雨が降り、幾筋もの雷鳴が遠く近く轟いたあくる朝、雨上がりに濡れた木々の上に、紫雲が湧き出づるのを若彦が見つけた。澄んだ空の中にきらめくその雲は、綿のように小さく見えたが、私たちの目を引くほど不思議な存在感があった。私たちが追い始めると、歩く速さに合わせてゆっくり移動しながら、紫雲は次第に大きく膨らんでいった。やがて坂本村に入ると、雲は山の肩に繁る緑の木々に掛かり、その水滴の粒を無数に煌めかせながら散るように消えていった。そのとき遠くで雷鳴が響き渡り、地面が強く震えるのを感じて、みな立ちすくんだ。そこが目的の地だと誰もが解った。
 私はその曽左の山に入り草庵を結んだ。驚いたことに、曽左(そさ)は素盞(すさ)の読みに由来しており、その山頂には素盞嗚を祀る小さな祠(ほこら)もあった。当時からいた乙丸や若彦、あるいはその後の慶雲も知っているかもしれないが、あの小祠は最初からあったものを、私たちが手を掛けて修繕したものなのだ。
 私たちは山に小さな寺を開き、日々読経に励みながら、時折麓の村々の民と交流して教えを説いた。日向のときと同様、一からがむしゃらにやるしかなかったが、なぜか人々は信頼し、付いてきてくれた。かつて比叡山から下向し霧島の信仰を再編した坊主が、この山にやって来たらしいという噂が、どうやら徐々に広まったようだ。寺を訪れる人も次第に増え、数年後には播磨国司も参詣した。私は素盞嗚の言葉通り、身分の高下に関わらず誰でも受け入れた。
 そして弟子たちもだんだん増えた。安鎮が私の元に来たのもこの頃だったと記憶している。
 そんなある春の夕暮れ時、読経を終えて山中で瞑想をしていると。不思議な感覚に陥った。眩いばかりの紫雲が沸いたかと思うと、目の前に素盞嗚が現れたのだ。それが二度目の出現だった。いくつかの大切な事を私に伝えて去って行かれたのだが、その話はまた今度にすることにしよう。
 素盞嗚が去って薄暗くなると、入れ代わるように星空から明るい光を帯びた天女が降りてきた。それはこの世の物とは思えない甘い香りを放って、眩しいほどの白絹に鮮やかな藍と朱の色を配した衣を緩やかになびかせ、右へ左へとしなやかに舞っていた。あまりの様に見とれていると、天女は断崖に咲く見事な山桜の樹木に舞い移り、まろやかな姿態を荒々しい幹に重ねて、次第に観音様の姿となってから、まるで木に溶け込むように消えて見えなくなった。観音様を宿された生木の下で、私はただただ無心に手を合わせた。
 その断崖の桜を囲むように作った社殿が、いま我々の座っている如意輪堂だ。安鎮に頼んで、生きたままの桜の木に優美で凛々しい観音像を彫ってもらったのだが、生木は今日まで枯れることなく根を張っている。それがここの本尊となっていることは、もう皆に説明するまでもないだろう。
 それ以降、不思議な生木の観音様の話が世に広まり、さらに私が六根清浄に至ったとの噂まで流れた。参詣者はいっそう増え、今までよりさらに遠くからも訪れるようになった。
 私の噂は遠く比叡山にも及んだようだ。それを知ったのは、当時の国司藤原季孝(すえたか)から漏れ聞いた話だった。彼は私のところにやってきて、家の存続と播磨の繁栄を願いたく「法華三昧堂建立のため、財を寄進させてほしい」という。そしてこの私にはいつまでも居てもらわなければ困るとも言った。「私はこの地を離れることはない、なぜそのような事をおっしゃられるのですか」と聞くと、「近いうちに延暦寺から誘いがあるかも知れないとの噂だから」と言うのだ。「私は身分の高下なく救いの手を差しのべるため、使命を持ってこの山に入った。それは季孝殿のお家のためでも、播磨の一国だけのためでもない。ましてや比叡山から誘いがあろうと、私の宿命に反してここを去ることはできない」と述べると、季孝殿はやや安心した表情を見せたものの、心の奥底にある不安をまだ隠し切れない様子であった。
 その法華三昧堂が落成したのは二年後だった。それまでは小さな山寺だったが、訪れた誰もが急に煌びやかな寺院になったと感じたに違いない。あれが、のちに大きな伽藍へと生まれ変わる最初であったのだ。


 (八) 都の風

 その落成から数ヶ月ほど経ったころ、山肌の落ち葉を踏み締めて、比叡山から意外な人物がやって来た。私がこの如意輪堂でその懐かしい巨漢に対面したとき、喜びを隠すことなどできなかった。
「なんと、兼達ではないか」
「やあ久しぶりだなあ」と屈託のない兼達だ。
「ずいぶん年を取ったものだ」
「そう言うお前も相当だぞ。お互い様ではないか」
「失礼した」
「日向くんだりまで行ったきり帰ってこないと思ったら、まさかこんなところで寺を開いていたとはな。噂が俺のところまでも聞こえているぞ」
「もう比叡山に帰るつもりはない。本当は海の向こうへ渡り学ぶつもりだったのだ」
「お前だったら、やりかねないな」
「だが縁あって、この山に入ることになった。この地で骨を埋めることになろう」
「覚えているか、蓮斎を」
「忘れたことは無い」
「いたぞ」
「え」
「昨年会ってきた」
「どこだ、どこにいるのだ」
「丹波の山奥にいると聞いて、会いに行ってきたのだ。元気に畑を耕していたぞ」
「女も一緒か」
「女房はいるが、あのときの女ではないらしい。病死したということだ」
「・・・そうか。それは愁傷なことであった」
「なぜそんな遠い目をする。さてはその女のこと知っていたのか」
「いや、知らない」
「なにを焦ってるんだ」
「焦ってなどいない」
「うそついても無駄た。俺の洞察からは逃れられんぞ。そうか、お前は蓮斎と親しかったしな、女のことを知っていたとしても、確かにおかしくなかったよな」
「そうではない」
「取り繕わなくてもいいよ。お前のそういう分かりやすいところ、昔と変わらないよな。まあいい、今さら根掘り葉掘りきいたところで、仕方がないしな」
「楽しそうに言うな」
「ところでだ、今回はお前をさらいに来た」
「いきなり物騒ではないか」
「まあそう言うな。いい話だ」
「私はこの山を離れることはできない。比叡山にはもう、戻れないのだ」
「そういうことではない。お前が延暦寺に戻らないという意思はもう伝え聞いている」
「では、どういう話だ」
「私は円融上皇の判官代(ほうがんだい)に命を受けて、ここに来たのだ」
「そのような高官と繋がりがあるのか」
「忘れたのか、私は比叡山でかなり出世をしたのだ。それにその判官代は私の親類でもある」
「なるほど。それで、そなたが受けた命とはどんなものなのだ」
「円融院様はいま、重い病にかかられている。比叡山の高僧らが呼ばれて祈祷を続けているのだが、一向に治る兆しがない。それでついに、噂の高いそなたに白羽の矢が立ったのだ。どうだ、来て祈祷をしてくれるか」
「驚いたな」
「いや、もう行くしかない。これは断れないぞ」
「だが断る」
「お前、何か勘違いしていないか、上皇様だぞ。普通断らないだろう」
「私はこの曽左の山に入り身分の高下なく一切衆生を救う道を誓った。この山を離れるわけにはいかない」
「なんでだ。身分の高下なく救うのなら、上皇様のためにも祈祷もできるだろう。それにずっと都にいるわけではないぞ。円融院様が快癒されれば、たんまり褒美を与えられて帰ってくればいいではないか」
「円融院様のためだけに都へは行けない。それは一切衆生を救う道の目的から外れたことだ」
「困ったことを言う」
「それが道理なのだ。私は自分の使命をここで全うする」
「よく分からないが、円融院様の病を救うのが道理ではないのか。考え直せ」
「考え直す道理はない」
「困った奴だな」
「困ることはない」
「いや困る。私の立場を考えてみろ」
「・・・」
「そなたを連れて帰らねば、申し開きがたたん」
「それは自分でなんとかしてくれ」
「つれないことを言うなよ」
「そう言われても、仕様がないではないか」
「そうだ、ここに判官代からの正式な文がある」
「普通、最初に渡すものだろう」
「まあいいじゃないか。内容は今話した通りだ。これに返事が書けるとでも言うのか」
「今そなたに言ったことを書くまでだ」
「本当に断るのか」
「もちろんだ」
「あきれた奴だ。延暦寺でも絶対に断れないものを、お前なんぞが断れるものか」
「比叡山とは違って、ここには一切のしがらみが無いのだ。さあ、その文を渡してくれ。文机を用意させて、ここで返事を書こう」
「お前、本気で言っているのか」
 兼達は渋々とその文書を差し出した。
 風に乗った銀杏の葉が何枚か、如意輪堂の床に落ちた。私が文を書く間、ときどき風に舞う乾いた葉音が聞こえていた。ちらりと見ると、中でも大きな一枚の葉が風に押され、兼達の傍を少しずつ擦れ動いていた。まるで自ら意思を持つような葉の動きを見ながら、兼達は黙って白湯などを口にし、その大きな黄色い葉を拾い上げては、しばしそれに見入って何か考え事をしていた。
「書けましたぞ」
 私が文を畳みながら言うと、兼達は手にした葉から目を離さずに、
「良い返事だろうな」
「そなたにとってかな、それとも私にとってかな」
「やはり断るのか」
「何度言えばよいのだ」
「そうか、それならいい考えがある」兼達は手元から目を離し、やっと私を見た。「そなたにとっても、そして私にも申し開きが立つ方法だ」
「ろくな話ではなさそうだな」
「まあ聞け。俺はここに来る前、摂津国の梶原寺に宿をとった。部屋で法華経を読み上げていると、天井から一枚の紙がひらりと落ちてきたのだ」兼達が手にしていた銀杏の葉をふわりと投げると、風に舞いながら二人から少し離れた床にかさりと落ちた。「手に取ってそれを見ると、法華経の巻第八にある陀羅尼品第二十六の一節があった。それも、堂々たる筆遣いだ」

  若不順我呪 惱乱説法者
  頭破作七分 如阿梨樹枝
 《若しわが呪いに順(したが)わずして、説法者を悩乱(のうらん)せば、
  頭(こうべ)は割れて七分と作(な)ること、阿梨樹(ありじゅ)の枝
  の如くならん》

「その紙が落ちてきたというのは誠なのか」
「いや、そういうことにするのだ。要するにお前を無理に連れて行こうとすれば頭が七つに割れるというのだ。そのあとここに来て判官代の文を渡したところ、誓いを破って山を出ることはできないと性空上人は泣き、大いに悩んだ。それを見た私は無理に連れ帰ることは許されないと覚り、上人に詫びて、ひとり都へ帰った。こういう話で、どうだ」
「あきれた奴だ。私は悩んでいないし、泣いてもいない」
「ものは言いようだ」
「嘘だらけではないか」
「連中はこういう話に弱いのだ。俺も申し開きできるし、お前の格も上がるだろう。噂ってのは、そんなものだ」
「やめてくれ」
「駄目か」
「駄目だ」
「じゃどうすればいいんだ」
「私と会って話したことを、そのまま伝えればよい。ここは比叡山と違って、なにも都の思い通りにはゆかぬのだ。そなたの落ち度にはならんだろう」
「そうかな、さっきの上手く話せば、きっといいと思うのだがなあ」
「やめておけ」
「絶対駄目か」
「絶対駄目だ」
「相変わらず融通の利かない奴だな」
「そういう問題ではない。もうこの話は終わりにしよう。それより、お互いの積もる話をしようではないか」
「それはしないわけではないが」
 その夜は二人で遅くまで語り合った。兼達の前では、私は多弁だった。
 兼達は幾度か話をぶり返したが、結局納得のいかない顔のまま、次の朝この山を発って行った。


 (九) 弥勒菩薩

 兼達が帰ってどのように話したかは分からないが、皇族や貴族の参詣者が増えたのはそのあとだった。円融院様の祈祷を断るという異例の出来事は都で話題となり、どちらかと言うと良い意味で、この寺院が一目置かれる結果となったようだ。やって来る者はみな例外なく心の救いを求めていた。人心の不安に身分など関係はない。私は素盞嗚の言う通り、身分の高下なく誰でも受け入れた。
 多くの都人がここを訪れるようになったが、とくにその中で印象深かったのは、愛する者を失い、政変により天皇の座を追われた花山院様であった。私は少年のころのあの若君と、面影を重ねて花山院様に接さずにはいられなかった・・・少し偏屈で我儘な性格や、謀略の犠牲者であったところなどもだ。花山院様は荒れた心をこの山の業を通してお改めになり、見違えるほど明るい表情でお帰りになられた。
 花山院様はたいそうお喜びになって、ここに勅願寺の待遇を与えてくださり、『書寫山圓教寺』の寺号を賜ることにもなった。そして年を経て、院のお力で二間四面の講堂が完成し、比叡山からも名だたる高僧を招いて落慶法要が執り行われた。名実ともに大伽藍の誕生だった。
 その後も多方面からの寄進により山上の寺院は拡大し、比叡山には及ばないものの、名高い山岳寺院へとなっていった。全てが、素盞嗚の所業に思えた。そなた達はそんなことないと、いつも言ってくれるが、それほどの徳が私にあるとは思えないのだ。
 それから実を言うと、この寺院にはまだ足りないものがある。
 そのために必要なものを、これから行く清らかな谷の草庵で待ち、そして完結するのが、素盞嗚から託された最後の仕事になるのだ。

 私の話は、これでお仕舞いだ。
 今日は慣れないことをした。自分のことを話すのは難儀だが、気持ちの良い疲れでもあるようだ。かわいい鳥たちよ、来てくれてありがとう。巣に戻ったら他のみなにも伝えてくれ。そして次のときも、ぜひ聞きに来てほしい。人間の世にこの話は残らない。私は謎多き昔人となって、すっかり忘れ去られるだろう。だが鳥たちよ、そなたたちにはどうか、私のことを語り継いでいってほしいものだ。
 それから安鎮よ、これは私から最後の頼みになるだろう。かつて一介の持経者として、この山に入ったときの気持ちを私が忘れることのないよう、厳しいご尊顔の弥勒菩薩を彫ってはくれまいか。ここを退いて北の谷に籠り、弥勒菩薩の確固たる眼差しのもとで、何にも惑わされることなく読経に励みたいのだ。
 素盞嗚の二度目の話はいったい何だったのか、そして北の谷で何を私が待つのかは、安鎮の弥勒菩薩が完成したあと、再びここに居るみなを集めて話したいと思う。


【章第弐】一〇〇二年(長保四年)

 (十) 和泉式部

 京の町の小さな部屋で、私は目を覚ました。なぜここにいるのか、思い出すのに少し時間がかかった。私は藤原文人(ふじわらのふみと)。今日の午(ひる)頃この屋敷の前で倒れていたところを、屋敷の主と思われる許子(もとこ)という女に助けられたのだった。許子は下人に部屋と布団を用意させ、私をそこで休ませた。それからどのくらい眠ったであろうか。まだ少し頭がくらくらするが、だいぶ良くなってきている。
 日が暮れ始めるころ、私の具合が落ち着いたので、許子の部屋に通された。小さい屋敷ながら、手入れの行き届いた庭と離れを持ち、艶のある木の床からは清らかな香りが漂っていた。
「許子殿、先ほどは助けていただき、ありがとうございます」
 許子は切れ長で大きな目をした、ふくよかな女性で、歳は三十近いであろうか、私よりは少し年上に見えた。
「少し休ませていただいたので、身体の調子がだいぶ戻って参りました」
「食欲はいかがですか」
「白湯を頂いて気分が落ち着きましたが、まだ何も口にしたくありません」
「少しなにか食べたほうが良い。あとで部屋に夕げを支度させましょう」
「何から何まで、ありがとうございます」
「ところで藤原文人とやら、この許子にもう一度よく聞かせてほしいのです。あなたは記憶を失っているものの、名高い性空上人の元に行くという使命だけを、なぜ忘れずに覚えているのですか」
「よくわかりません。どうしても行かなくてはならないのです」
「それはどういうことでしょう。文人殿は、性空上人がいかなる方なのか存じ上げていますか」
「数多くの奇事、霊験(れいげん)を持たれ、言葉は少なく人徳深く、六根清浄に至ったと聞いております」
「左様」
「花山法皇(かざんほうおう)など多くの信奉者が上人との結縁(けちえん)を求めて訪れています」
「確かにそうですが、上人のおわす寺がどこにあるのか、あなたは分かっているのですか」
「性空上人のおわす圓教寺(えんぎょうじ)は、播磨国の坂本村にある書寫山と聞いております」
「この都から、何日も旅をしなければならないでしょう。行ったとしても、高名な上人が縁のない者にお会いくださるものなのかどうか」
「・・・」
「だが、文人殿には不思議なものを感じています。門前で倒れていたあなたを、なぜか私は助けなくてはいけないと感じました。そして話を聞くと、折しも性空上人の元に参詣しようとする花山法皇が、まさに人を集めているところなのです」
「そうなのですか」
「そこに加われば、性空上人にお会いできる機会があるやも知れません」
「加われるのでしょうか」
「そなたを信用し、推薦して差し上げてもいいのですが、それには、一つだけ私からお願いがあります」
「それは何でしょう」
「性空上人に宛てた文を私が書いてそなたに託すので、どうか届けてもらいたいのです」
「手紙」
「そしてここに詠んだ歌も、一緒に渡してほしい」
「拝見してもよろしいですか」
「どうぞ」
「・・・なんと、この歌は」
「なぜそのように驚かれているのですか」
「なんと言うか」
「よくないですか、この歌は」
「いえ、その」
「お見せしたのですから、いかが思うか言ってください」
「あの・・・これは素晴らしい歌だと思います」
「本当にそう思うか」
「本当に」
「よかった」
 許子は真に嬉しそうな顔をした。
「しかしながら、なぜ私に託すのですか」
「おなごの私が、その行幸に加われる訳がなかろう。分かり切ったことではないか」
「そうですね」
「それに、他に伝手もない。私は親にも勘当された身なのです」
「そうなのですか」
「好色が高じて和泉国にいる夫には離縁され、家からも勘当されてしまい、そして愛していた方とは昨年死別いたしました」
「それはなんと、心中お察し申し上げます」
「まあ、男は他に何人かいるのですが」
「・・・」
「心のままに生きることが、なぜこんなにも私を生きづらくし、そして愛する者まで死に追いやってしまうのか。私の周りに不吉な何かがあって、その穢れを払拭しなければならない気がしてならないのです。それが私の所業によるものなのか、それとも前世の因縁か・・・人生で初めて、神仏に頼りたいと切に願う心境になったのです。この歌は、そんな気持ちで詠みました」
 私は改めて手にした歌に目を移した。
――くらきよりくらき道にぞ入りぬべき遙かに照らせ山の端の月
 滑らかな墨の線から、その言葉の嘘偽りのない思いが伝わってくるような気がした。このような文字を、自分にも書けるだろうか。
「思い悩んだこの何ヶ月かで、すっかり痩せてしまいました」
 そのふくよかさからは想像できなかったが、私は大真面目な顔で頷いた。
「だからぜひ、あなたが会いに行こうとする性空上人に、文を書きたいのです。返事を頂けるとは思えませんが、救いを求める気持ちを、少しでも伝えられたらそれで本望です。この歌とともに、これから書く文を持って行ってもらえないでしょうか」
「わかりました」
「よかった」
 許子はまた嬉しそうな顔をした。笑顔の美しい女性だと思った。
「助けていただいた上、推薦までしていただけるのなら、そのぐらい容易いことです」
「そなたが会うべき使命と信じている性空上人の元に行けば、もしや記憶が蘇ることもあるかもしれませんね」
「そうであれば嬉しいのですが」
「そう願っています」そう言ってから、「もうひとつ、そなたの持っている鏡を、今一度見せてはくれませんか」
「いったい、なんのことでしょう」
「懐中に潜ませているでしょう、そう、その黒き鏡のことです」
「これは・・・家宝として大切にしているもので、他人に触れさせることはできません」
「先ほど門前で、その鏡が五彩に輝いていたように思うのですが」
「まさか、そのようなことは、ございません。きっと日の光が反射したのでございましょう」
「不思議なことですね。そのような貴重な物を持つというのは、やはりそなたは高貴な家柄なのかもしれません」
「わかりませんが、そのように思っていただけるのは有難いことです」
 許子は微笑んで私を見た。この魅力的な笑顔を見るために、彼女を喜ばせたいと思う幾人もの男の気持ちが分かる気がした。――男たらし、なのであろう。
「推薦状を書いて差し上げましょう。今夜は部屋でゆっくり休んでください」そう言ってから気づいたように「いえ、夜這いなどはいたしません。若い殿方は好きですが、先ほど申し上げたように、さすがの許も、いまはそのような気分にはございませんもので」
 おなごの方から夜這いなど、あるのだろうか。少し期待する気持ちもあったが、その夜、結局本当に来なかった。


 (十一) 花山院

 飾磨港に船が着いたとき、空は晴れ上がっていた。花山法皇の到着を播磨国司に知らせるために、私が馬を走らされていなければ、もっと気持ちのいい朝を迎えていたことだろう。
 播磨国司小野道忠朝臣は馬を駆って港に出迎えたが、すでに花山院は煌びやかな輿に乗って出発しようとしていた。
「文人殿、なぜもっと前に知らせてくれなかったのだ」
 道忠は息を切らせながら不満を言ったが、私にはどう仕様もなかった。花山院の行幸は事前の段取りもなく、全てが行き当たりばったりだったのだ。私は八十人余りの一団の中で種々の雑用を引き受けることになり、花山院に直接お目にかかることはなかったが、さすがに同じ集団で旅をする中、ちらりとお姿を見かけたり、話声を耳にすることが幾度もあった。法皇は三十代半ばであろうか、一見温和そうに見えるが少し偏屈なところがあり、側近の者をしばしば困らせている様子だった。
 国司道忠は使いを走らせ、行く先々に知らせて準備をしてくれた。そして自ら先導し、行く道を開けて案内をした。私は道忠の横に馬を並べ、道中において道忠と法皇側近の間の伝達役をすることになった。道忠は精力的な眼と厚い唇を持ち、何においても真剣に事をなす、人望の厚い人物だった。
 道忠の話では、性空上人はもう書寫山にはおらず、近くの谷に隠棲されているとのことだった。一行は手野川に沿って北上し、書寫山の横を通ってさらに北にあるその谷まで直接行かねばならなかった。
 道忠は馬に揺られながら、時折私に話しかけてきた。都の様子などを聞かれたが、どのように話していいか分からず、曖昧な返事しかしなかった。
「ところで、文人殿はなぜ行幸団へ加わったのですか」
 道忠にそう聞かれて、許子の屋敷で助けられた経緯や、文と歌を預かってきたことなどを話した。そのとき道忠は無表情に聞いて、「そうか」と相槌を打っただけで、「手野川の水量が随分多いな、上流は雨かも知れない」と天候のことを気にし始めた。道忠の言うように北の空は真っ暗で、今にも雨が降りそうに見えた。目的地は港から北へ五里ほど、何事もなければその日の早いうちには着くはずだった。
 使いが急ぎ戻ってきて、国司に状況報告をした。それを道忠の横で一緒に聞いた私は、すぐに列の後ろにいた法皇の側近に伝えた。
「大雨のため途中の川が氾濫し、道が断たれました。書寫山の少し手前の村で滞在場所を手配しているので、そこでしばらく様子を見られますよう」
「すべて任せる」との院のお言葉を、私は戻って道忠に伝えた。そのときすでに、行幸団の進む道にも大粒の雨が降り始めていた。

 道忠の手配は素早い上よく行き届いていた。その村へ入ると、村長の屋敷に花山院の輿を案内し、行幸団の大半はそこに宿をとった。残りはいくつかの農家屋敷に分かれて案内され、私もその中の一つに上がった。広い部屋がいくつもあり、皆で不自由なく使わせてもらったが、家の者はどこかに出払ったようで、一人も見なかった。夕げの時間には村の人たちが食事を用意してくれた。その夜は泥だらけの地面を強くたたく雨音を聞きながら、ひなびた農村の部屋で休んだ。このところ疲れ通しだったので、私はすぐに眠りについてしまった。
 翌日も雨足は弱まらず、一行は足止めのままだった。何日か滞留することになるかも知れないと、同じ屋敷に居た仲間も噂し合っていた。書寫山はすぐ目の前で、私のいた屋敷からも見えるはずなのだが、麓と思われる辺りの木々より上は、大雨で白く煙っていて全く見えなかった。あの麓を回って北の方に行けば、上人の隠棲する谷があるはずだが、途中の川の水嵩が増したまま、依然として渡ることができないとの報告だった。
 みなが暇を持て余していると、昼過ぎに花山院のいる屋敷から使いが来た。
「藤原文人殿はいるか」
「私ですが」
「花山院がお呼びだ」
「なんですって」
 私がなぜ花山院に呼ばれるのであろうか。
「性空上人に届ける文をご所望だ」
 私は閉口した。許子の文を持参したことは、一部の者と国司道忠にしか話しておらず、その誰かから伝わったものと思われた。

 花山院のいる村長屋敷は農業を営む普通程度の大きさの家で、私がいる農家とさほど変わりない印象だった。最初に通された部屋は、花山院の居室の次の間だった。ここで少し待つように言われ、使いはいったんそこを去った。薄暗い部屋で一人になると、廊下の向こうに雨が降りしきる庭が見えた。さらに向こうには、書寫山とは違う、小高い緑の山が白く煙っていた。
 ふと、隣の居室から話が漏れ聞こえてきた。
「そ、それは・・・恐れながら・・・」
 知らない声だった。この村の者だろうか。
「この村の名、御立村(みたちむら)の二文字目を、『立(たつ)』から『舘(やかた)』に変えるだけのことだ。読み方は変わらないのだからいいであろう。何を渋っておるのだ」
 これは花山院の声に間違いない。
「恐れながら、かつてあれに見える前山で応神天皇が国見をされたことから、かの山を御立山、その麓の村を御立村と称するようになりました。この名を変えることは村長の私としても恐れ多く・・・」
「院が変えよと申しておるのだ。私が滞在したから、文字を『舘』に変えて御舘(みたち)とするだけではないか。つべこべ言わずに喜ばしく拝受せよ」
「ははあ・・・」
 そのあと私のいる部屋の前を村長と思しき人物が、国司道忠に支えられながら肩を落として歩いていった。
「形だけ村名を変えて、しばらくしたら戻せばよい」
 道忠は院に聞こえないよう小声で村長を慰めたが、私の顔に気づくと、「御免」と村長に言ってそのそばを離れ、私のいる部屋に真っすぐ入ってき来た。村長はというと、顔を床に向けたまま、廊下をふらふらと歩き去って行った。
「すまぬ文人殿。花山院は暇を持て余し、いろいろな人を呼んでは話し相手にして遊んでいるのだ。私も呼ばれて長々とお相手をしたのだが、つい話が文人殿のことに及んでしまい、それで、そなたまで呼ばせることになってしまった」
「私は構いませんが、村長殿は大変でしたな。ただでさえここに私たちが滞留して、迷惑を掛けているというのに」
「たしかに村名のことは不憫だが、ここに滞留していることはさほど迷惑ではないのだ。行幸団からは一日当たり多額の金銭を貰っており、村にとっては思いがけない大きな収入になっている」
「なるほど」
「院はいま厠に立たれたところだ。もうすぐ文人殿も呼ばれるだろう」
 そのあとすぐに居室に呼ばれた。花山院は戻っていなかったが、空席の左右には側近が、私の左後ろの隅には、私を呼びに来た使いの者が控えていた。誰も声を発せず、雨音だけが強く耳に響いていた。しばらくすると花山院が戻られ、私が形通り平伏していると、顔を上げるよう命じられて身体を起こした。
「藤原文人とはそなたか」
「はい」
「和泉守の妻から性空上人に宛てた文を預かっていると聞いたのだが、それは本当か」
「はい預かっております。ただその方は、和泉守とは離縁されていると聞いています」
「その女の文を、見せてくれ」
「恐れながら、それはできません」
「なぜだ」
「他人に宛てた文をお見せすることは、できません」
 花山院は薄い唇を閉じたままにんまりと笑って、
「だがお前はもう読んだのだろう、違うか」
 と私を見据えながら言った。
「いえ、私は読んでおりません」
「それは信じられないな。本当の事を言え」
「ただ、一緒に添えた歌は拝見いたしました」
「歌だと、歌があるのか」
 花山院は目を輝かせた。
「文人とやら、やはりお前はそれを見たのではないか」
「歌はご本人から直接見せていただいたものです」
「なるほど、それなら私にも見せられるだろう。見せろ」
 私が許子の歌を懐から取り出すと、院の側近が素早く私の傍に寄ってそれを受け取り、法皇に手渡した。花山院はそれを広げ、しばし無言で見入ったが、それから目を閉じて静かに頷いた。
「感じ入った。とても深く落ち込んで、神仏に救いを求めているのだな」
「いくつもの不幸が続き、人生を省みて性空上人に救いを求めております。女の身で西方浄土(さいほうじょうど)に往生できる道はないものかと、上人に宛てた手紙に問うて記したと、言っておられました」
「そうであったか。この歌はとても気に入った」院は歌をたたんで側近の手に返しながら「すぐれた歌を集めて編纂させようと考えているところだ。この歌をぜひ入れよう」
「それは、きっと喜ぶと思います」
 許子の嬉しそうな顔が思い出された。花山法皇は歌に精通した人物だ。その法皇が収集し編纂をする書に入るということは、この上なく名誉な事に違いなかった。
 許子の歌を側近から受け取り懐に戻すと、私は許しを得てそこを辞した。思ったほど長く付き合わされなくて、ほっとした。
 廊下を歩いて次の間を見ると、何故かそこに座している国司道忠の神妙な顔と目が合った。私が怪訝に思って立ち止まると、
「次はまた、私の番なのだ」と道忠が座したまま苦笑した。
「それはまた、ご苦労なことです」
 外はまだ、雨が強く叩きつけていた。


 (十二) 流田橋

 その次の朝、降り続いた雨はようやく上がって青空が出たが、山々から流れ込む雨水で川の濁流が収まらないため、すぐには出発せずもう一日待つとの知らせが回った。しかし昼過ぎになると一転、急遽出発の号令が下った。どうやら花山院が待ちきれずに強行したらしかった。
 二晩世話になった村を出ると、法皇の輿は書寫山の南麓を西に回って進んだ。周辺の田畑は水没し、大きな池のようになっていた。国司が先導する列は、蛇の群れがのたうち上へ下へと絡み合うような菅生川に沿って、水をたっぷり吸った泥だらけの道を北に進んでいた。しかし、その小さな支流を渡ろうとする橋の手前で、再び止まってしまった。流田橋という橋が、昨日の大雨で流されてしまい通れないのだ。反対岸まで声が届きそうな幅しかないが、その激流はどう考えても、馬や人が無事に渡り切れるものではなかった。
 すると向こう岸に二人の背の低い男が現れ、こちらに向かって何かを叫んでいた。道忠の横で先頭にいた私は、すぐに岸まで馬を寄せて男の声を聞いた。
「もうすぐ倒木を運んでここを渡すので、下がってお待ちくださあい」
「承知したあ」
 私はすぐに戻って道忠に伝え、そのまま進んで輿のそばにいた側近にも伝えた。すると輿の中から花山院の声がした。
「藤原文人だったな。木を渡したら、そなたが先に通れ」
 その橋が大丈夫なものか、私を使って確かめようというのだ。
「承知いたしました」
 仕方なく岸に戻って様子を見ると、屈強そうな村人たちが枝の付いた倒木を三つ運んできて、向こう岸のぬかるんだ地面に置いているところだった。その枝をすべて切り払うと、横に隙間なく三本を並べて綱できつく縛り、縦に細長い筏のようなものを作った。人ひとりが歩いて通れるくらいの幅だ。筏の一方の端に綱を掛けて数人がかりで引き上げ、反対の端が動かないよう他の数人が地面に押さえつけると、筏の先端は雲一つない空に向かって高々と持ち上がった。
「離れてくださあい」
 なにが起こるか分かった私は、急いで馬の向きを変えて岸から離れた。屈強な男たちは綱で引き上げた端をこちら岸に向かって放った。先端が地面をたたくと鈍い音を発して大きく撓り、同時にぬかるんだ泥を四方に撥ね上がらせ、道忠と私がいた近くまで飛来した。向こう岸を見ると、泥だらけの村人たちが満足そうに即席の橋を眺めていた。
 私がもう一度岸まで行くと、最初に現れた男二人が橋を歩いて渡ってきた。服装は質素だが村人とは明らかに違っていた。二人とも歳はだいぶ上であろうか、思った以上に小柄で、恵比寿様のような丸くて優しい顔と、丸いお腹をしていた。兄弟かと思うほどそっくりだが、あとで違うことが分かった。
「どうぞ馬を降りて、歩いて渡ってください」
 男の一人が言ったので、素直に馬を降り、ぬかるんだ地面に足をつけた。この橋は歩いて渡るしか、なさそうだ。
「馬も輿も、渡すのは無理ですな」
 私が言うと、二人は明るく頷いて、私の前を歩いて橋を渡った。橋は思ったより安定していて、数人ずつなら危険なく渡れるだろうと思った。
 橋を渡りきると、二人が振り向いた。
「申し遅れました。性空上人の元から来ました、乙丸と言います」
「同じく、若彦です」
「藤原文人と申します。あちらは花山法皇の輿になり、私たちは行幸団の一員です」
「やはり、花山院様でしたか」
 乙丸が言うと、少し後ろから橋を渡って来た道忠が、
「乙丸殿、若彦殿、ご無沙汰しています。なぜ我らが来たことが分かったのですか」
「目立ちますからね、遠くからでも都から貴人がいらしたと解ります」
 若彦が笑顔で言ったので、道忠と私は渡って来た橋の向こうを振り返って見た。煌びやかな輿と異装の集団は、長閑な田舎の風景の中で異様な色彩を放っていた。あの中にいると気づかないが、驚くほど目立っているのだ。
 道忠と私が橋を戻ると、法皇はすでに輿から降りるところだった。側近の者が止めようとしていたが、院は「歩いて渡るしかなかろう。これは上人の元へ行く私に与えられた試練に違いない」と言い、ぬかるんだ土に足をつけた。
 一団はすぐに二手に分けられた。橋を渡るものと、ここに留まるものだ。輿をはじめ多くの物品は川を渡すことができないので、ここに残って守る者たちが必要だったからだ。
 先陣を切った私が先頭を預かり、そのあとを国司道忠が、そして前後を側近に挟まれた法皇が丸木の橋を渡った。続いて約半分になった一団も、一列になって歩いてきた。みなが渡り終わると、乙丸と若彦がその一団を先導して上人の元へと向かった。上人のいる谷までは、そこから歩いて半刻ほどだった。


 (十三) 菅生の谷

 谷の入口に差し掛かると、一行は誰も口を開かなくなった。その静寂はまるで時の流れが止まったようだ。木々の幹や枝、そして葉の先まで生命の力が漲り、そこから溢れ出たような、新鮮で清らかな香りに満ちていた。向かう先に上人の住まう場所が見えてきた。とても小さく質素だったが、周辺はよく掃き清められ、建物は傷んだ様子もなく綺麗に維持されていた。
 近づくと、建物の前に二つの影があった。どちらも老人で、一人は僧侶、もう一人の男は粗末な衣服を纏い旅の荷物を背負っていた。旅人は僧侶に深く挨拶をすると少し歩き始めたが、私たちの前でもう一度立ち止まり、細くて筋肉質な身体を折り曲げて、日焼けした頭を深く下げた。それからまた、しっかりした足取りで去って行った。
 道忠が「あの者は」と旅人について尋ねると、乙丸が答えた。
「丹波から訪ねてこられた、上人の古い友人です。大雨のため何日かここで足止めになっていましたが、きっと積もる話がたくさんできたことでございましょう。恐らくこれが今生の別れ、今しばらくお待ちいただきたく、どうかご容赦ください」
 それを聞いていた花山院も厳粛に頷き、素直に様子を見守った。めずらしいことだが、谷を流れる清らかな霊気が、院をして神妙な面持ちにさせているようだった。
 上人は友人の後姿を穏やかに見送り、建物の前に立ち尽くしたまま動かなかった。しばらくして、もはや旅人の影も見えなくなっているのに、上人は目を閉じたままそこに立っていた。少し離れたところで待つ花山法皇の存在も、いまは上人にとって心の外にあるようだった。ようやく上人は、ゆっくりと戸口の方へ振り返り、そのまま中へと消えていった。乙丸が急いで追い、中へ入った。
 木々の枝や葉が風に揺れ、漏れ差す陽光が、まだ濡れている地面を這うように動いていた。乙丸が再び戸外に現れると、花山院と側近が建物に招き入れられた。残された我々は、しばらく外で待たされることになった。
 その間、道忠は若彦に滞在場所の相談をしていた。
「さきほど橋を渡した男たちの部落で、夕餉の支度をしてくれています。山奥の田舎ゆえ、大したものは用意できませんが、ゆっくりと身体を休めていただけると思います」
「それはありがたい」
 道忠はすぐにその部落へ使いを走らせ、宿泊場所の割り当てをするよう命じた。そこには若彦とともに、私も同行した。じっと待っているより、周辺の部落を見に行く方が良かった。

 その夜、鹿肉の鍋と山菜で食事を済ませ、割り当てられた部屋で休もうとしていたが、同じ部屋の同僚が厠から戻って来るなり、
「おい、お前に客人がきたぞ」
 と私に言うので、不思議に思って表に出ると、若彦がにこやかに待っていた。
「文人殿、上人がお待ちです」
 と小さな声で私に言い、一緒に行くよう促した。
「どういうことですか」
「道忠様から伺っております。文人殿が預かっている大切な文を、ぜひ今夜拝見したいと上人が仰せになりました」
 道中で道忠にはお願いしてあったのだが、まさかこんな夜に性空上人から呼ばれるとは思っていなかった。私は言われるまま、若彦の持つ明かりをたよりに、上人の待つ庵へと向かった。
 案内されると、性空上人は読経をされていた。私が上人の背を見ながら下座に着くと、若彦はすぐに部屋を出たが、上人は落ち着いた声を変えずに経文に向い続けた。その丸い肩に、後姿に、超然的な脱力があった。背負う邪心を全て払い、自由な心を勝ち得ているものに違いない。やはり尊いお方なのだと深く感ぜずにはおれなかった。
 しばらくして区切りがついたのか。読経を終えてゆっくりと振り返ると、
「お待ちしておりました」
 と仰せになり、この世の者とは思えない柔和なお顔が私の緊張を崩しにきた。なんという笑顔だろう、まるで慈悲深い観音様にお会いしたかのようだった。私が来たことなど気づいておらず、振り向かれたら驚くだろうと勝手に考えていたが、全くそうではなかった。何もかも解っておられた。
「私は、長いことあなたをお待ち申し上げてきました」
 上人はもう一度言った。若彦が私を呼びに来るのが遅れたのだろうか、すぐに来たはずだったのだが。
「私は藤原文人と申す者です。国司小野道忠殿のご伝言をお聞き届けくださり、誠にありがとうございます」
「藤原文人殿、早速ですが、そなたが持つ文を拝見してもよろしいでしょうか」
「はい」
 許子の文を出し、上人の前に置いた。上人はそれを手に取り、広げて読んだ。
「もうひとつ、歌を預かっております」
「法皇が気に入られたという歌ですな」
「法皇がそんなことまで仰せになったのですか」
 上人は歌にも目を通し、感嘆して言われた。
「これは、法皇のお心に留まったのもよく分かります」
「ほんとうに」
「この許子殿に、文と返歌を送りましょう。どうか藤原文人殿、それを届けてもらえますでしょうか」
「もちろんです」
「ありがとうございます」
 上人が深く頭を下げるので、私は大いに戸惑った。
「なぜ私のような者に、そのように頭を下げられるのですか」
「私は長い間、あなたがこれを持ってこられるのをお待ちしていたのです。そしてこの文を返すことが、私の生涯において最後の仕事になることでしょう」
 そうだ、本当にそうなのだ。私は使命を持って、ここに来た。そしてこの文を渡すことが、私の仕事だったのだ。ここに来て性空上人にお会いし、それを果たさなければならなかった。ただ、それにどんな意味があるのかは、全然分かっていなかった。
「人知を超えた業(わざ)は、我々には計り知れないものです。ただ私には確証があるのです」と上人は続けた。「文人殿の懐にある、その黒き鏡を拝見してもよろしいでしょうか」
「こちらでしょうか」
 私はそれを、上人の手に渡した。誰にも見せられず、触らせなかった物を、なんと性空上人の手に渡してしまったのだ。なぜそんなことをしたのか、私には説明できなかった。ただそうさせる柔らかな気迫が、上人にはあった。
「私はこれによく似たものを、少年のころに見たことがあります」
 そう言って上人は、裏を見たり、表に返したりしていた。
「そして黒き鏡を持つ者、現れて最後の仕上げをする。それが私の引き受けるべき最後の仕事になると、素盞嗚から聞いて知っていたのです」
私は言葉を発することを忘れて、ただ上人が鏡を確かめる手の動きを見ていた。
「だから文人殿、本当によく来てくださいました」
「しかし・・・」
 私が言おうとすると、上人はやや白く濁った目の奥を輝かせた。何もかも見透かしているような感じがして、私は震えた。
「しかしなぜ、鏡を私が持っていると知ったのですか」
「若彦が教えてくれたのです」
「え」
「若彦は目ざとい男です。何でも見つけてしまう。そなたの懐にある鏡にもすぐ目が行き、私が待っていたものであると伝えてくれました」
 あの笑顔の若彦が、そんな芸当を持っていたとは意外だった。
「そして文人殿」
 上人の目が優しく私を見つめ続けた。
「そなたは記憶がないと聞きましたが、きっと嘘でありましょう」
 身体の芯から震え上がった。上人の前では、なにも取り繕うことなどできそうもなかった。私は何も答えることができず、肩を落としてただ次の言葉を聞いた。
「帰ったらどうか、素盞嗚によろしく伝えてください」
 この世のものとは思えない優しい笑顔が、私の心を包んでいた。この方は何もかも、解っておられるのだ。


【章第参】流 転

 (十四) 素盞嗚

 自らの横暴な行いを償い、この世界の行く末を案じて、いくつかの種を蒔いてきた。みな、私が仕組んだことだ。それがどのように育ち実を結ぶのか、書寫山の頂にどっかりと座って観るとしよう。もちろん全ては思惑のままだ。伸びた枝葉が折り重なる姿まで、私の計画どおりに歴史が展開することになるだろう。

 都に戻った藤原文人は、性空上人の文と返歌を許子に届け、そのあと姿を消した。心配をした許子が都中を探させたが、ついに消息は分からず、文人の名が歴史にも影を残すことはなかった。
 それから数年あとの一〇〇七年(寛弘四年)三月、性空上人は菅生の地で弟子たちに見守られながら静かに遷化した。八十年の生涯を詳しく語ることを決して弟子たちに許さなかったので、上人の素顔はよく分からないまま伝説に埋もれ、後世まで謎の多い人物になっていった。最後まで謙虚だった上人はしかし、その使命を全うし、偉大な成果と影響をこの山に残した。
 許子の歌は、花山法皇の編纂した『拾遺和歌集』に取り上げられた。その後も和歌の才を発揮し、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕、その名は和泉式部として、後世にまで知られるようになった。和泉式部は性空上人からの文を生涯大切にし、教えに従い誓願寺を頼って出家、その後誠心院の初代住職となり、ついに女人往生を果たすに至った。

 圓教寺の歴史はというと、平たんには行かない。
 一二三九年(延応元年)のある早朝、如意輪堂本尊の生木から、一部が割れて落ちているのを僧侶が発見した。かつて安鎮が彫った本尊如意輪観音に破損はないものの、生木が欠けるというのは、何か悪いことが始まる兆しではないかと恐れられ、割れ落ちたその霊木に観音像を彫って供養をすることとなった。
 仏師妙覚は、皮付きの二尺余りの木片が、ほのかに甘い香りを発しながら置かれている前に座り、緊張の面持ちで仕事に取り掛かった。三百年も昔に性空聖の信頼を受けた安鎮と同様の仕事が、自分にできるとは思えなかっただろう。しかしながら、瑞々しい霊木を削り生木如意輪観音像を模して彫り進めるうちに、身体の緊張が解け、無心に仕事をする手が自分のものではないような錯覚に陥り、粛然とした安鎮の心身が自分の身に宿るように感じた。そうしてついに掘り出された像は、妙覚自身が驚くほどの出来栄えだったのだ。
 その後数奇な運命をたどる妙覚の如意輪観音像は、圓教寺の極秘仏として供養され、当初から外部には知られなかった。
 それから二百年後の一四九二年(延徳四年)、火事により本尊の生木如意輪観音像が焼失した。桜の生木はそのとき完全に失われてしまったが、かつてそこから割れ落ちた、妙覚の如意輪観音像だけが残り、秀吉に持ち去られるまでの数十年間、如意輪堂の本尊として祀られた。

 一方で、権力闘争と戦乱の影が圓教寺にも近づいた。書寫山はそれ自体に城郭としての機能を潜在しており、また交通の要所にもあったため、その受難は大きいものがあった。一三五一年(観応二年)に起きた観応の擾乱や、さらには一四四一年(嘉吉(かきつ)元年)の嘉吉の乱のときもそうだ。暴徒となった進軍兵は圓教寺が国中から預かった財宝や仏像、生活品に至るまでを略奪し、大伽藍は破滅するかのごとき有様だった。政治や争いとはそもそも関わりのない圓教寺にとって、それらは理不尽で許しがたい行為でしかなかった。
 さらに時代は下り一五七七年(天正五年)、織田信長の命で中国攻めに向かった羽柴秀吉は、裏切りによって播磨で前後を挟まれてしまい、要害堅固で四方を見渡せる書寫山に急遽布陣をした。宿営する陣屋をそこに結ぶため、軍勢は圓教寺の坊舎仏閣を破壊し衆徒たちを追い払い、狼藉の限りを尽くした。それから二年の間、寺の諸行事は中断し、僧侶たちは悲しみ絶望した。
 そんな中秀吉の計らいで、寺宝を近江国へ疎開することが決まった。貴重な仏像や経典は衆徒たちの手で運び出され、当時本尊となっていた妙覚の如意輪観音像までも持ち出された。そのときの門徒たちの心情ははかり知れないものだった。果たしてこれらの寺宝は秀吉の手から返って来るのであろうか、それとも、これも言葉巧みな略奪行為に他ならないのではないのだろうか、そんな思いを抱いても、委ねる以外に良い方法など思いつくこともできなかった。
 秀吉の勝利は寺院にとって無縁な事象でしかなく、それまでの二年間は非情なほど長いものだった。疎開した物品が一部を除いて返ってはきたが、僧侶たちの心が癒えるのには、もっと長い年月が掛かった。
 しかし性空上人の思いと教えはこの山に満ちていた。それだけは、どんな暴徒にも奪うことはできないのだ。寺院は何度も力強く復活し、その時代に応じて社殿は修復、新改築を繰り返した。寺は人々に支えられるとともに、また人心の支えにもなっていった。
 妙覚の如意輪観音像は、一五八〇年(天正八年)に疎開先から帰ってきたが、すでに新たな本尊を造り祀っていたので、小厨子に納めて秘仏として丁重に保管されることになった。しかしながら、長い間に代替わりをする中で、ついには忘れ去られてしまう運命にあった。
 その後も時の仏師により造り替えた別の本尊が、性空の伝説とともに人々の信仰を集めていった。

 そう、性空上人は多くの伝説とともに生きていた。
 中でもとくに輝いているのは和泉式部の説話であろう。伝説によると和泉式部は、一条天皇の中宮彰子に随ってほかの女房たちとともに書寫山を訪ねたことになっている。ところが上人は居留守をして会おうとせず、和泉式部が「くらきより・・・」の歌を上人に送って一行は帰路につこうとした。するとその歌をみた上人が大いに感心して、急いで一行を呼び戻し、ついには会見を果たしたとするものだ。和泉式部が彰子に仕えていた時期はすでに上人が亡くなっていたので、そのような美談は決してあり得ないことだが、『拾遺和歌集』にも残るこの歌の実在が伝説を真しやかにし、文芸や、ひいては芸能、芸術の雫をこの霊山にも落とす結果となった。
 その波紋は時代を超えて書寫の山々に大きく広がり、後世に影響を与えるに至った。文化、芸術事業との協力をはじめ、二十世紀には映画・映像の撮影なども盛んに行われるようになった。そう、こうした人心感化の活動なくして、この山岳寺院の完成は無かった。
 それにしても、上人が嫌悪した利権をめぐる策謀や争いは、いつの世にも無くなることはない。それを恐れず人心の救いと芸術的感化を続けることが、この寺院に私が与えた使命だ。

     *

 さらに時代は下る。
 性空上人千年忌の二〇〇六年(平成一八年)に、埃をかぶった小厨子の中から、如意輪観音像が発見された。岩座の裏の銘文には、延応元年妙覚の作であることが記されていたが、ことの仔細はすでに誰も知る由などない。桜の木から彫り出されていることなどから、もしかすると生木の残材を使われたのではないかと推測され、奥秘仏として改めて丁重に保管されることになった。
 それから一七年が経った二〇二三年(令和五年)の夏、新長吏晋山(新住職任命)の記念として、この奥秘仏が書寫山圓教寺の摩尼殿――すなわちかつて生木が祀られていた如意輪堂の場所で開帳され、多くの参拝者が静かに手を合わせた。
 この開帳のとき、一人の若者が書寫山に登っていた。あの蓮斎の魂は、まだ許されることなく転生し、終わることの無い因縁を繰り返していたのだ。私は彼に最後の仕事を頼まなければならない。それによって蓮斎を、そして私をも救うことになるのだから。
 さて、この時代を生きる蓮斎に、耳を傾けよう。


 (十五) 蓮斎

 奥秘仏の如意輪観音像は、薄暗がりの中で照らされる光の加減だろうか、その表面は青黒い光沢を帯びていた。大きさは30センチもない。撮影OKだったので、凛々しいその表情をスマホで撮りたかったのだが、光量が足りなくて、小さな像をうまく撮ることはできなかった。
 摩尼殿の出口で自分の靴を履くと、後ろや前で待っている人のために急いで場所を空けなくてはならなかった。社殿を出るとすぐに、夏の日差しがポロシャツを熱くした。下はジーンズを履いてきたのだが、もっと涼しい恰好にすればよかったと思う。
 小説取材のため何度かここに訪れていたので、だいたいの伽藍配置は知っていたが、山頂の白山権現には行ったことがなかった。私は人の流れから離れて、摩尼殿の裏手から誰もいない山道へと登っていった。
 物書きとは言ってもアマチュアだ。書寫山を開いた性空上人に興味を持ち調べ始めたが、まだ小説のイメージが沸かず書き始めてもいなかった。ただ、性空上人の人物像だけは、なぜか漠然と頭にあった。とにかく今は、この山のことをなるべく目に入れて知っておきたい。
 山道は木々に覆われているので日差しはないが、険しい登りのためすぐに汗が吹き出し、服が湿った。途中で、その一帯にある木々の根が地面に露出し、重なり合って波打つ荘厳な光景に出会った。この先にある何かを守り、人を阻んでいるようにも見えた。私はスマホでその景色を撮ってから、竜が足元に絡みつくような歩きにくいその地域を通り過ぎた。
 しばらく行くと、山頂付近とみられる場所に小祠があり、その前に白山権現と書かれた茶色い史蹟案内板が立っていた。驚いたことに白鷺が一羽、私の近くに降り立った。普通は麓の田畑や川辺でしか見かけないのに、山中の、しかも人のいるそばまでやって来るとは不思議な事だ。スマホを出して小祠の写真を撮ったり、史蹟案内板を読んだりしている間も、さも興味深げに私を覗いているようだった。
 白鷺が突然羽を広げて飛び去り、周りが急に薄暗くなった。
 太陽に雲が差したのだろうかと思い見上げると、何やら紫色の霧が立ち込め、それが私の周りを取り巻くや、今度は急に眩しさに目を細めた。すると紫色の煙の中から、白い絹に金の刺繍を施した召物をまとい、荒々しく逆立つ髪と厚い髭を蓄えた、険しい顔の男が現れた。驚き身構えて大男を見上げると、その目は思いの外、優しく私を見下ろしていた。
「いったい、あなたは、何者ですか」
「素盞嗚と申す者だ。自らの横暴な行いを償い、この世界の行く末を案じておる」
「スサノオ・・・」私は紫色の煙の中で見え隠れする茶色い史蹟案内板の文字に目をやった。「この白山権現で祀られているという、素盞嗚尊なのですか」
「その通りだ」
「しかしなぜ、そのような方が私の前に」
「お前は性空上人に会いたいのであろう」
「それはもちろんですが、でもまさか、そのようなことが・・・」
「できるのだ。ただし、お前には重要な使命がある」
「それは、何でしょう」
「都で出会う者の文を、性空上人に届けるのだ」
「フミ・・・文って、手紙ですか」
「そうだ」
「しかし、どうやってその、都からここまで・・・」
「自ずと道は開けるであろう。よいか藤原文人よ、そして蓮斎の魂よ、性空上人に会いに行くのだ。おのれの使命を果たせ。必ず上人に会うのだ」
 私は突然紫の煙に巻かれ、眩しい光に包まれた。ぐるぐると回転をしているようで、頭がくらくらする。本当に自分が回転しているのか、それとも頭の中だけが回っているのかよく分からないが、もう立っていられなくなり、地面に伏した。

 急に寒くなった。それもひどい寒さだ。まだ目が回る。伏したままの姿勢で、目の前の地面がさっきと違うことに気づいた。回る頭で顔を少し上げると、私はどこかの屋敷の門の前にいた。門の中からは女が二人、こちらを見て驚いている。大声で何かを言っているようだが、全然意味が分からない。それにしても、頭の中で何かが起きている。まるで引っ掻き回されているようだ。気持ちが悪くて吐き気もする。まるでバットを中心に何十回転もしたあと、目が回ってだんだん収まっていくような、ちょうどそんな感じだ。だが徐々に慣れてきた。頭が落ち着いてくると、話し声が耳に入ってきた。
「・・・それに、なんという変わったお召物なの」
「もしや、異国の人ではないのかしら」
 さっきの女たちの話している内容が解る。膝をついたまま半分起き上がって、その二人を見ると、明らかに現代人の服装とは違っていた。そうだ、そうに違いない。素盞嗚のやつ、本当に私を平安の都に連れてきたというのか。
「今は何年ですか」
 私がたずねると二人は、自分たちが声をかけられたことに驚いた様子で、「さあ・・・」と怪訝な顔をした。とにかく言葉は通じたようだ。さっき頭がかき回されたのは、平安時代の言語が解るように何か触られたのかもしれない。すると女たちの後ろに背の低い男が現れ、
「たしか長保四年と聞いております」
 と私に言った。それから三人はこそこそ言いながら、奥へ引き返して行った。誰かを呼びに行ったのだろうか。
 一人になると急に力が抜け、再び両手を地面についた。まだ気分が悪い。それに寒い。汗で湿った服が、肌に冷たく密着した。どうやら夏から冬の時代に放り出されたようだ。この薄着では長く耐えられそうにない。たしかに性空上人には会ってみたいが、有無を言わさず連れて来られるなんて思わなかった。心構えも準備もないのに、ひどいことをする。
 片手でスマホを取り出し、震えながらホーム画面を開いた。圏外だ。充電36%、今日は写真と動画を撮り過ぎたようだ。それからダウンロードしてあった和暦・西暦の対照表を開いた。長保・・・長保、長保・・・これだ、長保四年・・・・分かった、一〇〇二年だ。
「なんと、その鏡は・・・」
 声の方を見ると、どう言ったらいいか分からないが、さっきの三人とは明らかに質の違う着物の女が、まるで異常者を見るような眼で私を見ていた。切れ長で大きな目をした、ふくよかな女性で、歳は三十近いであろうか、私よりは少し年上に見えた。
 私は急いでスマホ画面を消して隠し、そして助けを求めた。この場合そうするしかないだろう。
「急に気分が悪くなって、倒れてしまいました。それに酷い寒さで凍えそうです」
「名前は」
「藤原・・・」
「ふじわらの」
「文人」
「ふじわらの、ふみと・・・」
「そうです」
「どこから来たのですか」
「それが・・・思い出せないのです」
 記憶喪失を決め込むしか、思いつかなかった。するとその女性は、三人の下人たちに向かって素早く指示をした。
「部屋にお連れして、休ませてあげなさい。それから殿方のお召物を」
 私はその下人たちに、半ば抱えられるようにして屋敷に運び入れられた。立ち上がると吐き気がした。
 布団が用意され、その中で暖かくなると、私はそのまま眠りに就いた。全身が疲れ切っていたようだった。そういえばこの世界は変わった匂いがする。海外へ行くとその国の匂いがするもので、逆に日本は醤油の匂いがするとか聞いたことがあるが、平安はなぜか甘酸っぱい匂いがするようだ。同じ国なのに、まるで異国に来たみたいだ。眠る直前にそんなことを考えていた。
 ――そうだ、きっとこれから、長い旅になるに違いない。素盞嗚の説明は大雑把でよく分からないけれど、自ずと道は開けると言っていた。今はとにかく、ゆっくりと休むことにしよう。

 そしてそのあと夢を見た。なぜか懐かしいような、性空上人と過ごした日々だった。だけど内容は、もう覚えていない。

(了)

素盞の杜(すさのもり)

◎ 参考・引用文献
『兵庫県史 第一巻』兵庫県史編集専門委員会
『BanCul』No.58 2006年冬号 ㈶姫路市文化振興財団
『性空上人攷覚書』姫路市立図書館 林雅彦氏寄贈
『國語國文論集第三号 性空上人説話攷(林雅彦)』学習院女子短期大学国語国文学会
『法華経』岩波文庫 坂本幸男・岩本裕注釈
『和泉式部日記 和泉式部集』新潮日本古典集成 野村精一校注
『和泉式部「くらきより」の歌の詠作年時』龍頭昌子(語文研究. 21, pp.12-20, 1966-02-28. 九州大学国語国文学会)
『日本の伝記 近畿』河出書房新社 藤沢衛彦
『夢前の民話』夢前町民話サークル編
『姫路古地図(姫路付近之古地図)』菱海堂
 姫路市書寫山白山権現の史蹟案内板
 姫路市御立住吉神社由緒碑
 姫路市前山(御立山)山頂の史蹟案内板(安室中学校区地域夢プラン実行委員会)
以上

素盞の杜(すさのもり)

大手から自費出版のお誘いはありましたが、お断させていただきました。その作品を自分なりに手直ししたので、掲載いたします。 2024.8.24

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-08-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted