十五番目の夏の庭

ex.1

 摂氏三十五度五分は指針に過ぎないけれど、きっかり合った日は良いことが起きそうな気がする。体温を測るのは苦手だ。水銀の筒がぬるくなる感覚が。
 そう話すと君は「以前ほどではなくなったのではないですか?」と微笑んだ。
「嫌なことを先延ばしにするのが嫌になっただけだ。もっと効率的にやれないものかな」
「規則の改定には時間がかかるのでは」
「そんなの無視しちゃえば……あぁ、嘘だって。ほら、ぬるいとさ、自分の生き物っぽさが強まるから苦手なんだ。伝わるかな」
「ニュアンスは」
「そう、良かった。君の手は冷たくて好きだ」
 体温、身長体重、心拍数。それらを保存するのは、君の業務の一部だ。
「改めておはよう。今日の予定はなんだっけ?」
「少しは覚える努力をされたらいかがですか。枝が伸び放題になっている、小屋の西側の整理です」
 そうだったね、と返す。本当は覚えていたけれど君に確認したくなったのだ、と口には出さずに。
「ご飯を食べたら早速取りかかろう。君は?」
「準備はできていますので、先に道具の確認を」
「お願いするよ。ええと、ホットサンドでも作ろうかな……」
 キッチンへ行こうとすると、後ろからシャツの首元が引っ張られた。
「失礼します。あまりにも芸術的な寝癖がついているもので」
 君はいつも私のからだに触れる前に許可を取る。それは私も同じだ。
「さわってみてよ、全然取れないんだ」
「いつもに増してスモークツリーのようですね」
 個性的な喩えを残して、君は小屋の裏口から外へ出ていく。
 君は食事をしない。
 細やかな動きを実現する頑強なボディと繊細な人工知能を持つ君の栄養は、電力だ。
 昨日の夕飯の余りのサラダに缶詰の魚フレークを足したホットサンドは、すぐに食べ終わる。
 いつも通り、つば広の帽子と長靴を身に付けて小屋の西側へ向かった。様々な大きさのせん定ばさみと小型鋸を持った君が見つめているのは、つる性の雑草がこれでもかと巻きついた広葉樹だった。寒くなる季節には濃い桃色の花を咲かせるのだが、これでは次の花期にどうなるか分かったものではない。
「ここもですが、池の傍の針葉樹も相当でした」
「そこは私がやるよ。ついでにお魚の様子も見よう」
 池に大きな枝が落ちないよう、気を付けながら、枯れて変色した枝から切り落としていく。はさみを握り続けていると手の平が痺れる。小鎌でちまちまと雑草を刈るほうが性に合っている。
 目をこらして君の作業を眺めた。一定のリズムで雑草を刈り、抜いていくさまは、まるでダンスを踊っているようだ。疲れを知らない、機械のダンス。
「……本部からパワースーツも手配してもらうか……」
 一人と一台、もとい、二人で管理するのが精一杯な広さの庭が、私たちの仕事場だ。
 人間とロボット―人型の機械を未だそう呼ぶなら―のペアで管理する「庭」。
 条件が異なる複数の「庭」で収集したデータを基に緑なき地の再生を目指すプロジェクトに、私たちは従事している。長期間の住み込み実験に参加しているとも言い換えられるだろう。
 まるで宇宙飛行士だ、とはしゃぐ気持ちはとうにないけれど。気ままに育つ植物に翻弄される毎日だけれど。一人きりではないと思えばこそ、日々は続いていた。


*****


ex.2

 雨粒が屋根に当たり、どろどろと鳴っている。うるさいとは感じない。愉快だ、天然の打楽器だね、と君に言う。君は、言い得て妙ですねと返す。
「今日は少し掃除をしたら、本を読んで過ごそうと思うんだ。君はどうする?」
「わたしも片付けを予定していました」
「君の部屋はいつもキレイだよね?」
「共用スペースを……」
「それはごめん」
 大抵は私が読みかけの雑誌や洗濯物を散らかしているのだった。手伝いを申し出ると、まずは自分の部屋を何とかするよう押し戻される。溜めた食器や満タンのゴミ箱も何とも思わなくなっているのだから、慣れとは恐ろしいものだ。
 手始めに、床に積みあがった本を棚へ戻す。戻しきれないものはベッドの端へ重ねる。書籍と生活必需品だけで埋まるようではやはり部屋が狭いんじゃないか、と本部へ報告すべきだろうか。普段の態度を改めるのが先だとか何とか、言いくるめられそうな気もする。
 まとめた食器を持って共用スペースへ向かう。水を流しへ溜め終わると、君が「これは大切なものでは」と近寄ってきた。手にあるのは、古風なラミネート加工が施された細長い紙片……栞だ。挟まれた押し花は、赤色が鮮やかだ。
「ありがとう。懐かしいなぁ……もうなくしたと思って、諦めてた」
 君は「大切なものをなくしてはなりませんよ」と呟く。
「ただでさえものをよく失くすのですから」
「君から随分と助けられているね」
「……頼ってくださるのは有り難いですが、あなたの日頃の行動にも改善の余地はあります」
「いやぁ、ぐうの音も出ない」
 私が食器類を洗い、拭き終わるまでに、君も共用スペースの整頓を終えてしまったようだ。テーブルの上には、私の書籍とピンセットなどの細々とした器具が並んでいた。
「アイマスクと抱き枕はソファの上です」
 もはや言葉も出ず、身振り手振りで感謝の意を示すと君は「お手上げ」の身振りを返す。ソファに腰掛けて、青く細長い枕を抱きしめた。やや黴臭かったが、手触りは変わらない。
「いつだったか、私があまり眠れないときがあったろう? あのときに、こっちで寝てたんだ」
「今は道具に頼らずとも良い睡眠が取れているのですか」
「そうだね。嫌な夢も見なくなったし。…………どうしたの」
 君はテーブルの脇に突っ立っている。どこかを注視するでもなく。こんな風にぼうっとしている姿は、ほとんど見たことがなかった。
「……その際に上手く助言できなかったのを思い出していました。睡眠は理解が困難な概念です」
「君は、寝なくても大丈夫だものね」
 目を閉じ、からだを横たえ、脳を休める行為は必要ない。電源を切れば、同じ効果を得られる。
「夢を見られる機能が欲しい?」
「以前も同じようなことを訊かれましたよ? くしゃみをする機能や涙を流せる機能は必要ないのかと。どれも捨象対象です」
「訊くだけなら良いじゃないか。私は夢見がちな性質なんだ。だって君はそうじゃない方の夢なら見られるんだ。だから、そっちの夢もどうかと私は問いを投げかけたわけ」
「指示語が多いと誤解を招きますよ」
「私の会話の癖を学習済みなら問題ないだろ?」
「……そうじゃない方、というのは、将来像を指しているということで宜しいですね」
 そう前置きをして。君は私の隣へ移動する。互いの膝がつく距離だと、君のからだの中から、駆動音がよく聞こえる。喉の調子が悪いときの、自分の呼吸に似ていると思った。
 君が近い未来にやりたいこと。誰かに言われたことじゃなく、君が希望すること。
 これまで尋ねる機会はなかったから、と催促した。
「ですが睡眠時の記憶整理も将来像も、夢はいずれにしても架空です。現実ではありませんから」
「そういうものだと認識した上で語ってくれて良いんだよ」
「…………花を」
 雨の音にかき消されそうな、小さい音だった。
 私は訊き返さず、続きを待った。
「花を育て、売る職業に興味があります。先日参照した映画で、主人公の花屋が町の人々に花を売っていたんです。世間話を主とした交流を通し、町で起こる小さな事件を解決していく物語でした」
 声は次第に通常の大きさへ戻っていった。言葉の勢いは増し、君の目は、隣に座る私をきらきらとうつし出す。
「客は皆、笑顔で花を買っていきました。植物は環境だけではなく、人間の精神状態までも改善してしまうのかと驚きました。……わたしたちが育てた花き類も、いつかは」
「……試しに、今から街まで行って、売ってみようか」
「……い、いえ! それは」
「っははは、冗談、冗談」
 慌てて、まるで悪いことをしたかのように君が焦るので、笑って肩を軽く小突いた。


*****


ex.3

 共有スペースの鉢植えに見切りをつけようと先に言ったのは私だった。
 大雨の後、育ったら地植えしようと話していたのだけれど。いかにも双子葉類らしい芽が出たものの、大きくはならなかった。本部からランダムに配布された種だった。様々な条件下での生育状況を比較したいのだと、係の人間は言っていた。
 数本の芽がひょろひょろと顔を覗かせる鉢植えから、君は目を上げた。選択は、何度経験しても慣れない。目の色がそう言う。
「乾燥地帯のペアでは上手く育っているようですね。室温の工夫が足りませんでしたか」
「どうだろう。きわめて一般的な環境と言っていいと思うけどね。連中には、こっちでは失敗でした、って報告するしかない。もっと何か出来た、とも思うけど……植物だけじゃない。生物を育てるのは難しいよ」
「ええ。しかし……なぜこの品種だったのでしょう」
 君の質問は唐突とも思われなかった。葉焼けや乾燥に強いわけでも、医薬品に利用できるわけでもない。花が咲けばね、と言うと、君は首を傾げた。
「花が特殊ですか。花粉に特定の利用方法があるとか」
「ううん、観賞用なんだけど。色が―とても綺麗な色なんだ」
「色ですか」
「だから、咲けばさ。君にも、育ててよかったなぁって思ってもらえたかも」
 実際、どんな植物でも育てているうちに愛着は湧くものだ。植物の特徴により、自分が得られる見返りは二の次。その成長に関わってきたという事実が、愛着を呼び起こすのかもしれない。
「わたしは、どんな植物でも成長する過程を見られるのは有意義と捉えています。より情緒的な表現をするなら、嬉しいものです」
「おや」
「どうしましたか。わたしは、おかしなことを言いましたか」
「珍しく意見が一致したと思って」
 小屋を出、野菜くずや使い終わった土を入れる有機肥料製作機に、鉢植えの土を振るい落とす。鉢植えを思いきり逆さにした私とは違い、君はゆっくりと土を入れていた。
「…………ね。それ、もうちょい育ててみようか?」
「生育が順調に進む可能性は低いと見込まれますよ。合理的に考えるなら、」
「君はまだ、合理的判断を受け入れる準備ができていないように見える」
 君の鉢植えに残っている芽を優しく摘まんで、空になった自分の鉢植えへ移す。
「余ってるポットに植え替えよう。畑のすみに置いて様子を見るくらいなら、さ」
「はい。ありがとうございます」
 製作機隣の棚から黒いビニル製のポットを取る。君はポットを真剣な顔で受け取り、新しい土を入れ始めた。小さなシャベルで、こわれものを扱うように。何度もああでもない、こうでもないと置き場所を変えて戻って来た君の顔は、今日の太陽よりも晴れやかだ。
「―枯れても、あれは行わないのですか。あれ……何と呼ぶのでしたか」
 命を失った動植物に処理を施し、保存する技術。標本作成の経験はあるかと君は訊く。
「昔、数回だけね。私個人としては、土に還すのがあるべき姿のような気がする」
「栞の押し花は? あれは標本と呼べますか」
「ううん、どうだろう。ちょっと違う気もするな。名前も知らない花だし……。忘れたんじゃないよ、花束でもらったんだ。そのまま保存加工しても、置物だとどこかにやっちゃいそうで」
「自分の管理能力の低さを実用性で補完したんですか」
 なるほど、と頷かれながら納得されても。
「まぁ、珍しい品種には、本部も指示を出してくるよ。経験するならそのときだ」
「ならば、現在植生されている植物は以前ほど珍しいものではないんですね」
「…………それもある」
「も? まさか、保存するようにとの指示に違背していたのですか?」
「何も言われてないから問題ないって!」
 本部も呆れ、諦めているだけかもしれないけれど。この場所をこのかたちにし、保っているのは私たちなのだから、少しの我儘は通してほしいものだ。
 あなたは適当なところが多い、と君はぶつぶつ小言を散らす。先刻と比べ、随分元気に見えた。適当さや軽薄さにも、こんな使い道があるものだ。
「配属前の研修で、魚類の標本を見たんです。何種類か」
 屋内へ戻りながら君は言う。喉が渇いていたので、私は冷たいミントティーを用意することにした。
 容器へ落ちる氷のがろがろという音の合間に、君は「水中も陸地も同じでしょう」と、私へ同意を求める視線を向ける。
「食物連鎖が存在する。水の底か土の下か差異はあれど、生命が循環するのは同じです。遺骸は新たな生命の糧になり、または何千年もの歳月を経て資源となり、どこかで後世の役に立つ。先程のあなたの言葉を聞き思い出したのです。気付いたのです。わたしが、魚類の標本を見た際に持った違和感の正体。……循環の中にない生命を、わたしはあのとき、初めて見たのです」
 しかし標本も、見るものに知識を与え、知識を継承する役割を持ち、研究に利用される点では後世の役に立つ―人工的な循環の内側へ位置付けられると言える。
「自然界の循環に組み込まれることだけが正解だ、と断言はできないよ。私も君と似た考え方をしているけれど、生命は、役立つかどうかの尺度で語れるものかな」
「一つの尺度としてはあり得ますが、あくまでも他の基準と合わせて判断すべきように感じます。偏った視座を生じさせる危険もはらんでいます」
「じゃあ君なら、例えば、どんな『他の基準』を挙げる?」
「例えば、ですよね。……幸福度、でしょうか」
「―一個体の生命が幸せかどうか?」
「ええ。日々を幸せに過ごせているかどうか。循環の中にいようといまいと、幸福を感じながら生きているかどうか、です」
「確かにそれも、一つの基準だね」
 けれど幸せだなんて、なんて人間臭くて浮ついた概念だろう。
 絶対的なものだと語りながら、私たちは相対的に内包するすべしか知らないのだ。
 それでは、利用価値を測るのと何も変わらないのに。
 笑い出した私を見、君は目を糸のように細くした。
「わたしの問いは間違っていましたか?」
「間違っている問いなんてないさ。ただ、あまりにも君らしくて」
 マグに入れたお湯はいつの間にか程よく色付いている。氷に加え、蜂蜜を放り込んでかき混ぜる私の手元を、君は不思議そうに見つめている。
「わたしの予想より些か強い色ですが、美味しそうですね。……色といえば。あの芽が成長したら何色の花が咲くのですか」
「確か、薄紫色だったかな。青みがかかったやつ」
「……あの種は今般初めて配布されたのですよね。なぜ色を知っているのです」
 首を傾げ、君は問いかける。純粋な疑問だ。事実から導き出される答えと私の返答との間にずれがあった、だから問いかけた。それだけだった。
 氷が不格好にバランスを崩す音が、いやに耳についた。
「―知らされたんだよ。説明を受けたとき、詳細画像を見せてもらった」
「ああ、無作為抽出ですから、通常より念入りな説明だったんですね」
 数回、軽く、君は頷いた。
 ミントティーのマグを見、もう一度「美味しそう」と呟いた。


*****


ex.4

 見慣れないスーツ姿の人間が入口の近くでうろついている。念のため鍬と鎌を担いで近付くと、彼は「ひえっ」と叫び声を上げた。
「そ、それ、下ろしてください。本部から来ました、決して不審者ではありませんのでっ」
 彼の姿をよくよく見てみると、確かに本部職員であることを示すタグが胸元にある。急用かと尋ねれば、彼は提げていた薄い鞄から封筒を取り出した。
「このご時世に紙の資料かい」
「ぼ、僕は電子メールで済ませたかったんですけど、上がオーケーしなくて」
 そういえば、必須報告の電子データを改ざんして送りつけたこともあった。信用がないというか、用心されているというか。とはいえ、逆の立場なら、きっと私もそうする。
「私の素行のせいで仕事を増やしちゃってごめんね。確かに受け取った」
「いえっ、ここのサンクチュアリは一度見た方が良いと聞いていましたので。良い機会に恵まれました。……噂通り、主人はなんかおっかないですけど」
 最後のは余計だ、と思いながら、引っかかった単語を繰り返す。
「サンクチュアリ? いつから庭をそう呼ぶようになったんだ、本部は」
「あ、つい最近です。理念をより表現できる名称、ってんで」
「ふぅん……」
 鎌を置いて封筒を開ける。糊付けが強く、ふちがおかしなかたちに千切れた。
 数枚の見慣れた用紙に、見慣れない単語が並んでいる。
 歓喜も落胆もない。
 事実の列挙に、何の感情も湧かなかった。
 彼は私が中身を確認したのを見るや、そそくさと帰っていった。体験もすれば良かったのに。
 封筒を置きに小屋へ向かうと、バケツをぶら下げた君が裏手から戻って来るところだった。貸した長靴は大きさが合わなかったのか、動く度にがふがふと音がする。
「今のは本部の方ですか。その書類を? アナクロですねえ」
「うん……」
 余計なことは言うまい。
 土だらけの道具をひとまず置き、タオルや雑巾を追加することにした。
 帽子や靴下を放り捨てて玄関に上がり戻るまでの間、君はドアを押さえていてくれる。私が使っていた猫車には上着や肥料の空袋も入っていたが、玄関口には入りきらなかったのだ。
 私はしゃがみ、君は上り框に腰掛けて。手袋やアームカバーに付いた半乾きの泥を慎重に払い落とす。
「こうして汗をかいて作業するというのも時代錯誤ですね。歴史小説を再現しているようだと、わたしはずっと考えているのです」
「っはは、まぁね、今時農家さんだってこんなのはしないな」
「自然環境へ貢献するプロセスを組み込むことで、人間の心理的負担が和らぐのでしょうか?」
「…………え?」
「善良な人間が長期間嘘をつき続けた結果、精神的疲労に苛まれるのは容易に想像できます。植物から癒しを得ることもありましょう。ここは、自然環境の向上を目的とした場所ではありませんから」
「―なぜ」
 違う、と即答できなかった。
 それこそが誤りだと認識するより先に、君は私の顔を覗き込んでいた。
「複数のビオトープを形成し、それぞれの環境変化を検証した上で居住不可区域の再生活動へ繋げる。それもプロジェクトの目的の一つですが、本質ではありません。本質は、わたしたち人工知能の機能を確認する箱庭としての機能です。実験対象は、わたし自身です」

*****


ex.5

 かつて、異常気象を発端に、世界各地で大規模な紛争や戦争が起きたことにより、皮肉にも工学分野はかつてない発展を遂げた。勿論、どんな分野にも言えることだ。僅かに残った居住可能区域で、僅かに残った人々が生きていくには、あらゆる技術、文化の刷新と改革が必要だった。
 何をするにも人出が、労働力が足りない。新しい世界でまず求められたのは、人々の代わりに動くことができるモノだった。
 工学先進国を始めとする多くの土地で、安定的な生活が実現された。本質的労働と呼ばれる職種に限らず、あらゆる場面で「ヒトでないもの」が重宝された。
 そんな中でも「機械たち」の反乱を危惧するものは一定数いたし、彼らの不安を払拭するため、安全基準は常に更新されていた。
 化石じみた感覚だけれど。人間は、相変わらず機械を怖がっていた。
 だから。争いごとを起こさない人工知能の開発が始まったのも、自然な流れだった。
 学習元である人間が争うのだ、荒唐無稽だと揶揄されもしたけれど。
 私たちは大真面目に、夢を見ていた。叶えようとしていた。
 安全で、やさしい、友としての人工知能の創出。
 自分たちの過ちを棚に上げた謳い文句は、瞬く間に広がった。
 そして、あの本部職員は。君の機能が、期待水準を上回っている―ここで私と過ごす必要がなくなったことを告げに来たのだった。
 彼らが、個々のビオトープをサンクチュアリと呼んでいることは、私も初めて知ったけれど。敢えて君に伝えることではないと、自分の内へしまい込むことにした。
「要するに、人間サマには絶対に反抗できない便利な機械が欲しかったんだよ、お上はさ」
「恐怖心……人間の生存本能の働きでは……ありませんよね」
「まごうことなく理性を働かせた結果かな。本部の連中から理念を聞く限りは」
 テーブルで向かい合い、私たちはぽつぽつと言葉をこぼし合う。緑茶を入れたマグは一つだ。君は、水分補給を必要としないから。
「人工知能開発にとって、膨大な量のデータは欠かせない。一方で、データの偏在性は昔から問題視されてきた。何でもそうだろ? 費用はできる限り抑えたい。だから昔から、低賃金で働かざるを得ない集団にデータの提供を依頼するってのはよくある話だったよ」
 データを選り好みし、材料不足を起こすわけにはいかない。ゆえに「仕上げ」の方法を変えるほか、解決策はないとされた。
 集団生活を営む人間が争いを起こすのであれば。きわめて小さな集団で、人間との接し方を学ばせれば良い。
 人工知能の「教師」としてふさわしい人間を集めよう。
 短期間で様々な経験を積ませよう。静かな、自然に満ちた箱庭を転々とさせ、やさしさを調節しよう。あたたかいこころを作ろう。完成した人工知能を複製できれば、コストダウンに繋がる。
 だって機械には、複製物を気味悪がる感情はないし。
 生体ではないから、複製も改造も、倫理規範に違反しない。
 私たちは、そう考えた。
「あの花を植えたのだって初めてじゃない。全部他の『君たち』とやってきたことの繰り返しだ」
「知っています」
「騙されてるって気付いてたんだろ。なんで、……何も、言わなかった」
 君には悲しみも腹立たしさもない。そういうものと割り切ってきたのに、なぜか私が悔しかった。
「私が全てを話すことは禁じられていた、だけど君は、気付いても気付かなくても、言っても言わなくても、どちらでも良かったんだよ」
 歪な仕組みに。私たちに課された本当の目的に。……私が、騙していることに、気付いていると。
 君が怒ったところなんて見たことがないけれど。憤りをぶつけられても当然だと、私は思っていた。
 君は考える素振りもなく口を開く。
「あなたに告げることは、あなたが好まないと判断したんです。共にここの植物を育てていく上で不都合は生じません。嘘は、障壁ではありません」
 君に快不快はない。あるのは、目的達成に向けた判断だけ。私が好むか否かの判断だって、君の配慮や心理的選択によるものじゃない。私が自分に都合が良いように解釈しているだけだ。
 分かっているのに。
 君のこころが、私はこんなにも嬉しい。
「……本当に、君は。やさしいやつだよ」
「あなたが優しい経験を蓄積させたのですから、至極当然の結果ですよ?」
「……え」
「個別具体的な比較例を挙げることは、プログラム上禁止されているようなのですが。あなたはわたしに、ひとのように接してくださいましたから」
 ありがとう、と君は微笑む。
「礼を言うのは―こっちのほうだ」
「それでも、です。あなたと過ごせたこと、嬉しく、誇りに思います」
「んなの私には過ぎた言葉だよ。―また、会うときはさ」
 この庭で君と過ごせるのは、あと数日しかないだろう。私からの学習を終えた君は、どこかで誰かの役に立つ。私が再び出会えるとすれば。複製され汎用化された、君であって君ではない何かとだ。花を育て、売りたいとは言わないだろう、何か。
 私は今、笑えているだろうか。友を安心させられる顔だろうか。分からない。
 君が優しいと解釈してくれるなら、泣き顔でもいいか、と思った。
「ふたりで一緒に、町に花屋を開こうよ」

十五番目の夏の庭

十五番目の夏の庭

「俺の本を読め! 4」開催おめでとうございます!

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-08-24

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著作権法内での利用のみを許可します。

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