成功の墓場と産声

成功の墓場と産声

 物質的、唯物的な成功を欲する心は、満たされる事を知らなかった。
 一時的な充足感や悦楽の、虚しさばかりが、静かな影となり追いかけてきた。
 本心は、いつも違う事を叫んでいる。
「助けてくれ、俺を、生まれ変わらせてくれ」
 それは、良心からの逃避であり、善心からの渇望であった。
 詰まる所、社会的な名声や豊かさが、一切、私自身に報いなかった事を表している。

 気が狂いそうな暮れ方の都会を、当てもなく歩いていた。いつもの様に、財布には紙幣ばかりを詰め込んで。
 せめて、ジンを一杯飲んで、何か軽く食事を済ませようと思った。私は見知らぬ飲食店へと入り、ご老人との相席に案内された。
 相手の格好は、お世辞にも綺麗とは言い切れなかった。解れたコート、長いこと整えていない髭、伸ばしっぱなしの髪。けれど、その容姿に、何故か嫌悪できなかったのだ。
 私の様に金ばかりを得て、物や人に囲まれて、欲を満たし続けた生涯は虚構であり、逃避行の成れの果てであり、何らかの罪であったから。
 彼の様に、貧しい暮らしで、おそらく住む家も無い中で、自身の手を汚して鉄屑を漁り、頭を下げて施しを受け取り、久々の食事で飲食店の扉を開く。
 その在り方は、金も、物も人も、一切が無く、同時に逃れられない現実との普遍な生活の中で、誰よりも何よりも、自身と向き合わざるを得ない。
 私にはそれが、眩しかった。
 そうだ、今夜の酒はやめて、このご老人に何かご馳走しよう。この心は、私自身の罪償いの積もりの、逃避だとしても。善行ならば、それほどの報いを受ける事も無いだろう。

「どうぞ、召し上がってください」
 テーブルに出されたばかりの、ミートパイの半分を相手に差しだした。
「しかし、それでは貴方の食事が」
 ご老人は、申し訳ないと言わんばかりに、軽く眉をひそめて呟いた。
「私は、苦しくて街を歩いていました。それほど食欲はありませんし、この食事を一人で終わらせる事こそ、私の独占的な欲望を象徴していて、苦しみは増すのです」
 相手は持たざる身として、だからこそか、持つ者としての私の辛苦を、汲み取ってくれた。感謝の言葉を述べて、パイのひとつを食べてくれた。
 肩が軽くなる気がした、何故だろうか。富める者として、貧者に施しをしたという自己満足が、罪の意識から遠ざけてくれたのだろうか。
 私もひとつ手に取って食べると、いつもよりも味覚が鮮明であった。
「貴方は、苦しみを抱えていると、仰っていましたが」
 一口の水を飲み込んで、応じた。
「そうです、この生涯が、如何に成功や名声、物や人に恵まれても、自身の心は貧しいまま、いいえ、生まれた時よりも一層に、乏しくなったのだと、確信しています」
「つまり、貴方は生まれ変わりたいと」
 その通りだった。ご老人に、日頃からの胸中の叫びを言い当てられて、息が詰まる気持ちだった。
 すると、彼は続けて話した。
「貧しい老いぼれの私が、この様な事を語ると、貴方を怒らせるかもしれませんが、私自身も同じ事を、思っていました。生まれ変わりたいのです。今よりもっと、貧しい自分に」
 ご老人の、虚勢ではなく本願であろうその一言に、私は言葉を失った。私は、どれほど自分が自惚れているかが、解ったのだ。
 あらゆる欲望を満たして、万物に囲まれて、大勢の上辺だけの人に愛されて、私はこんな自分を、心を持たない亡者であると非難し続けていた。虚しいばかりの生き方に、苦しくなってきた在り方に、文句ばかりを続けてきた。その原因は、自らが社会的成功者であり、裕福な暮らしをしているからだ、と言い訳をしながら。
 しかし、現実はどうだ、ホームレスのご老人でさえもが「今よりもっと貧しい自分に生まれ変わりたい」と願っている。途端に、自身が恥ずかしくなったのだ、私は。
 苦しい、嫌だ、悩みだ、哀しみだ、と嘆きながら、実はその渦中に於いて、私は幸せだったのだ。本気で、悩んでいる訳じゃなかった。本心から、何かをしようと、変えようと、動いている訳でもなかった。
 恵まれた環境に甘んじたまま、文句を続けた罪人だった。

 飲食店を後にして、いざ大通りに戻ると、街路灯と窓の光だけが都市の灯りになっていた。若かった頃はこの光に酔いしれていたが、今では、眼が痛いだけで感動など微塵も無い。それに、この灯の下では、誰もが亡霊の様に思えてしまう。
 豊かさを追い、傷を負い、命も老いてゆく。何ひとつとして、そのままで在るものなどないのに、永遠に自らが生きられるかの様に、無限に欲する暮らしに殉じている。
 風が冷たくて、ただ、身を切る寒さが胸の内に新鮮であった。私は、教会へと足を運んだ。
 普段から通う習慣も無かった教会を、この都会から歩いて求めるのには苦労したが、食後には丁度良い疲労感であった。
 金曜日の夜、教会の中に人は少なかった。
 そうか、私だけの苦しみじゃなかったんだ。
 皆、心が貧しくなる、この時を生きている。
 祈る人がいない様に、自らを改められる人もまた、僅かなのだろう。
 救われた訳じゃない、救われたかった訳でもない。
 ただ、気づかせてもらえたから、小さな神様がいるのだろう。或いは、小さな私自身が気付ける分の光が、まだ乏しいだけかも知れない。

成功の墓場と産声

成功の墓場と産声

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-08-10

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