詩のアルバム1『水彩』
目次
1 オレンジアンコウ
2 月と金星
3 そらのかもめ
4 希釈
5 水彩
6 冬服、見れなかった
7 プラナリア ―透明月間―
8 初夏の窓
9 ウォーターカラー
10 0になって
オレンジアンコウ
キャスター付きの心で駆ける。
どうしてもあそこの麺が食べたいと言って。
「へそからつゆが出そう」
オレンジ色をしたアンコウが、遥か2500年先の夜の闇へと泳ぎ出す。
何もないけどなんだかきらきらしていたよ。
渋い茶色の革靴が、まるでカナブンみたいに綺麗でさ。
君の靄だけを引き連れて歩く夜は、とりあえずまぁきらきらしているよ。
ひがりがい。星が輝くことはない。
憂さ晴らし。彷徨うだけで進みはしない。
なんとなく手を出した期間限定品に、なんか違うと思わされるね。
「お先にオレンジアンコウとともに…」
今頃、そうなんでしょ?
月と金星
暗い空に紫煙を送って、助けてくださいと言った。俺は月と金星のハーフ。休憩が終わり、交信は途切れる。
なんでいつもそんななの。
言われてもねぇ。こうなる前のことは自分でも思い出せない。何考えてたのか。どうやって生きてきたのか。
忘れたよ。帰路も前世もママの顔も。
「ここ行こうや」
送られてきたそば屋の住所。天ぷらが絶品とのこと。
「なんでこんなおいしいんやろ」
「全然重くない」
「きっと油がいんやろね」
こうなる前のことは自分でも思い出せない。どう出会ったのか。その時何を話したのか。
かぼちゃはお前が食べるといい。俺の一番大切なものだから。
「長野行ったときもくれたよなぁ」
「そうだっけ?」
自転車飛ばして帰る時も、風の中から聞こえてくる。
なんでこうなったの?――月に聞いて。
いつまでこうなの?――金星に聞いて。
本当は自分が一番よく分かっているはずなのに。
曇天にテレパシーを送って、白い息を吐いた。――ここにいてもいいのでしょうか。
受信する。
「長野じゃなくて伊勢やったかもしれん」
そらのかもめ
夏だから、と例のバンドを聞きまくったあれがもう去年のこと。
「なんかマーガリンすくうみたいにHPが削られてくねえ」
時間を無駄にしすぎたよ。
「逃げられるとこまで」
いつか空野が言ったこと。
「今週末、まるごとあげてもいいよ、かもめ」
どういう関係?言わない僕もどうかしている。
希釈
今日も真っ赤なシャツを着る。
少しの怯えを抱えて歩き出す。
人目、気になる?そうめんが、食べたい。
「お昼ごはんは?」
「資格があるのかどうか」
笑ってくれたのでおなかがすく。
コンビニへ行ける。
悲しみに溶ける。450キロカロリー。
日々、小さな、薄めたマグマを遊泳。
夢の、中で、薄めたマグマを遊泳。
「余裕があったら遊びに来てよ」
あなたの、言葉で、薄めたマグマ。
(大丈夫、このそうめんつゆ希釈いらない)
(大丈夫、このそうめんつゆ希釈いらない)
水彩
ばかで律儀でかっこうが鳴く
誰も通りはしない横断歩道で
今朝も君は微笑んでいたね
町中に散らばる、僕らのちぎれた魂を
集める夢はようやく醒めて
それでも
バス停に続く道を歩く僕は
未だにじんじんとした足の痛みに囚われている
砕けた空から水色の硝子が降ってきて
僕の頭上でしゃらしゃらと綺麗な音を立てた
なにもかもゆるせなくなってしまうのかな
駐車場も、アパートも、洗濯物も
いつも夜を浮き彫りにする、そこの自動販売機も
この町にあるすべてが
君のおかげみたいにそこにいるから
水彩のように淡くなってしまった君が
まだこの町にいるような気がした
雨と緑の匂いが立ち込めるバス停で
車も人も通らない一瞬の間
僕は君と歩いたあの頃の町にいた
涙で滲んでしまうのも怖くて
何度も目をこする
それでも
今日も普通にバスは来て
僕をこの町から連れ去ってしまう
冬服、見れなかった
地縛霊になってもうすぐ一年が経つ。あの人を見るようになってから、席はだいたい、一番後ろの一番右。日光がもろに当たる。
なんとなく安心できるというぐらいのもの。
何もかも変えてしまうほどではない。
刷りたてのコピー用紙みたいなもの。
同じとこで降りてみるなんてしないよ。
地縛霊だから。
一本早いのに乗ってみるなんてしないよ。
地縛霊だから。
まだシャツの袖を捲っていたあの人。それが最後。しばらくしても全然暑かった。日本の気候はやはりおかしいのだ。
これから先、どうなるかは分からないが
そろそろ成仏できるそうだし。
このバスともお別れになるし。
きっと今日もあの人はいないのだろうが
ピーナツクリームはおいしい。
これなら何枚でも食べられる。
ああ。結局、冬服、見れなかった。
プラナリア ―透明月間―
一ヶ月の間だけうちにいた。
一緒にいると飲み過ぎるから、俺のだけとられていくみたい。
「あんた死神ですか」
風が心をすり抜けて、また色のない蜜に覆われた、街。
そう、一ヶ月の間だけうちにいた。
31日分重ねてみても、向こう側が透けて見えた。
世界は太陽を中心に回っているから、俺の生活もその通りに進む。
「あいつもういないんだよね」
「そうなの」
――さん。知らない名前で呼ばれる。何の意味があるのだろう。
手を伸ばす。Makotoちゃん、今でも僕は君の名前を知らないよ。
アパート、マンションの略だ。謎がひとつ解けた。
あの涙、笑顔は本物だ。謎はすべて解けた。
お降りの方は、このボタンを押してください。
あいつの場合はここだった。それだけだ。
はじめから生きてなどいないから、死なないのかもしれない。
もしくは大昔に一度死んだから、死なないのかもしれない。
悲しむことと傷つくこと。意味を求めてもやり切れないこと。
糸は切られ、動けないまま。
長い時の中で色褪せた。太陽に青く染められた。
失われし赤と黄色のファミレスで落ち合おう。なんだか悲しくてしょうがないから。
意味も解らず楽しんで、また、透明。
しかし皆、今日も、忙しなく……
初夏の窓
連休最後の、人がごった返す日に
わざわざ出掛けることないと思ったけど
どうしても気になって行ってみたんだ。
向かいのペンキ屋が塗ったみたいな
見事な青空だったけど
いつもの黒い服を着た。
バスに揺られる間中、初夏に染まりだす街を窓から眺めていた。
まだ、売れてないといいな――。
店から出た瞬間、あたたかい陽が僕に降り注いだ。
僕のシャツは、目一杯その光を吸った。
シングルが入った袋握りしめて、これからやってくるリリーの季節を想う。
次は、プラネタリウムがみたいと思ってるんだ。
人が少ないとき、また行こう。
よかったら家まで迎えにいくよ。
袖をまくる。
微かにリリーの気配が触れた。
ウォーターカラー
ただの挨拶と、ただの返事。
木洩れ日のステンドグラス。
「もう中旬かよ」
毎月そう言っている。
誰かに捨てられた二枚の紙切れが
風に吹かれて宙に舞った。
白い鴎が飛び立つように見えたので
僕はしばし自由というものについて思考した。
すべて。そんな言葉が似合う今が
すべて。そんな言葉が似合う眼が
時折僕を苦しめるけど
ただの挨拶と、ただの返事。
三十日になればまた
「もう今月終わんのかよ」と
君は言うのだろう。
0になって
ありふれた感情から象る、ありふれた欲望
ありふれた風景から象る、未だ名前のない感傷
僕らだけの銀色の暗号が
暴力のような日差しを反射する
そんなイメージに囚われた
なぜか優しくない季節
向日葵も影見て歩いてる
喪失って、失速っても、速乾く
「涙流す暇もないよな」
罫線に沿って描いた、これまでの僕ら
罫線に沿って描く、これからの僕ら
ページめくったらまた始まるよ
0になってまた始めるよ
僕の中にあった
この上なく透き通った立方体
特別な意味も持たないまま
痛めつけられるような日差しに溶かされた
喪失って、失速っても、速乾く
「かわりのものは見つかったのか?」
ひとつひとつ、冷凍したはずの言葉
気付いた時には遅かった
手放したもので溢れ返った
水たまりは僕を映さなかった
僕らだけの紫色の暗号は
いつか夢見た街へと辿り着き
空の上でひとつに溶け合い
君の頬をかすめて消える
罫線に沿って描いた、これまでの僕ら
破り捨てては描いた、これからの僕ら
百円均一の大学ノート
終わってしまってもまた始まるよ
0になってまた始めるよ
たった今生まれ落ちた、言葉の脈動に耳を澄まして
藍色の空を通り過ぎる雲の群れから
君の姿見つけ出すまで
詩のアルバム1『水彩』