血とガラス、林檎と青星

 無機質な部屋も紅茶の香りに満たされるひととき。真ん中の丸テーブルで、ふたりが向かい合っている。その片割れ――サンは、テーブルに顔を半分くらいうずめて、立方体型の砂糖を積み上げていた。やがてシュガーポットを空にしてしまうと、今度は一番下の段から、砂糖を指で弾き始めた。器用な指はテーブルの上に砂糖をまばらに滑らせていく。だが、ある一粒が勢い余って向かい側のもう一人の腕の中へ飛び込んだ。さらに慌てて立ち上がったせいで、砂糖の塔はサンの反対側へ、倒れるように真っ直ぐ崩れていった。
 向かい側の君は頑なに目を瞑っていたが、砂糖を大量に浴びて、やっと瞳を開いた。サンがずっと待ち侘びていた瞬間だった。半ば興奮気味に着席すると、サンは相手を観察し始める。――髪には、柔らかいウェーブがかかっている。僕と同じだ。嬉しいな。服は、何だか不思議。元々かっちりきっちりした服なんだろうけれど、所々濡れているのはなぜだろう。そして、一番素晴らしいのは、なんといっても君の両の瞳!初めて見た時から素敵だったけれど、本物を真近で見るとほんとうに綺麗だ。この瞳、実は片方ずつ色が違う。一つは赤で、もう一つは青。遠くから見るとそれぞれ血のように、ガラスのように冷たく見えたけれど、今は林檎のような赤と……あの星、君をその延長線上に見た美しい星が纏う、美しい青。両目とも、前と違って少しだけ暖かく見えるのは、寒い空間からこの室に入って、よく眠ることができたからかな。それならいいのだけれど――
 瞳の中へ完全に吸い寄せられていたサンは、ふと相手と視線が合ったのに気がついて、やっと我に帰った。自分の方がずっと見ていたのに、相手が無表情で見つめてくるのには耐えきれなくて、誤魔化すようにして床に落ちた砂糖を拾い上げる。相手はしゃがむサンを横目でちらとだけ見ると、目の前に置かれたティーカップに焦点を定めた。再び沈黙が訪れるのを予感したサンは、床に集めた砂糖をそのままにしつつ、いくつか質問を投げかけた。
「君、名前は?」
「名前はない」
「そうなんだ……好きなものは?」
「さあ、何だろうな」
「えっと……あっ、クッキー食べる?」
「ああ、食べよう」
 相手はサンが差し出したボウルに手を伸ばしてクッキーを一枚取ると、ほとんど音も立てずに食べ始めた。サンはその仕草をまたじっくりと見始めた。
 そうして、ふたりは部屋の中に再び静けさが満ちてしまったのにはまるで気が付かなかった。

 また、しばらくの時が過ぎる。すると、相手の方からほんの一瞬だけ、サンと目を合わせてきた。それを見計らったかのように、サンはまた口を開いた。
「君の瞳って、とっても綺麗だよね」
 ティーカップを口に近づけていた向かい側の君の動作が、ぴたっと止まる。視線はサンの方に向いたままだ。サンが視線を逸らしたり、わざとらしく動いたりしても、微動だにしない。まるで、相手の周りの時間だけが凍りついてしまったようだ。サンは少し心配になって、どうしたの、と呟くような声をかけた。それでも相手は動かない。恐る恐る近づいて、そっと肩に触れたとき、相手の右手からカップが落ちた。カップはテーブルの角にぶつかると粉々に割れ、中身の紅茶は相手の服に広がってしみをつくる。サンはひやりとしたが、紅茶が冷めていたのが唯一の救いだった。大丈夫?と聞きながら棚からタオルを取り出す。すると、濡れたことなど今更、歯牙にも掛けないというふうに、相手の方からサンに話しかけてきた。
「おまえは、おれの目が綺麗だと言ったな」
「うん。ずっと、思っていたことなんだ」
「そのようなことを言われたのは、おそらく、初めてだった」
「ほんとうに?君の瞳は、美しくて珍しいと思うよ。右と左で、色が違うんだ」
 左右で色が違う?相手は怪訝そうな顔を浮かべる。そして独りでに、壁一面のガラス窓の方へと歩んでいった。サンがそっと近づいていくと、君は星が一面に広がる空間をじっと見つめていた。――いや、違う。よく見ると、君は自分自身の瞳を見ていたのだ。細い指がガラスに映る左右二色の瞳を撫で付け、瞳の鏡像はその目の持ち主を小さく映し取って微かに揺れる。だが、それもすぐに見えなくなった。君が瞼を伏せてしまったのだ。そのまま身を翻して、窓から離れていく。その刹那に見えた顔が、なぜだかとても淋しく見えて、サンは思わず相手の腕を取った。反射的に振り向いた顔は、やはり何かを憂いているような、困惑しているような色を浮かべていた。
「……何もわからない。おれはなぜここにいる?おれはなんだ?」
 震える声にしがみつくように、サンは相手の手を引き寄せて言った。
「君は僕が見つけた、星なんだ」
 出し抜けに声に出してしまったから、自分でも何を言ったのかわからなかった。けれども、君に伝えたいことが、次から次へと心から湧き出してくる。視点の定まらない愛おしい瞳をなんとか捉えると、今度は言葉を一つ一つ、大切に発した。
「僕は君を見つけた。君は僕に手を伸ばした。その手をどうしても掴みたかったんだ」
 白く、冷たい手を握る腕に力を込める。君の目が赤く、青く瞬いて、暖かく落ち着いていく。サンは幸せを噛み締めた。君を初めて見つけた時のことを思い出したのだ。初めて見つけて、感動を覚えて、強くねだったことがこうして叶っている――。
「……星くん。僕が最初に発見した星だから。ねぇ、君のこと、星くんって呼んでもいい?」
 また、突拍子もないことを言ってしまった。サンは口をつぐんで、相手の様子をしげしげと見る。いつの間にか微睡を顔いっぱいに浮かべていた相手は、ああ、とだけ答えた。何だか難解な表情だったけれど、悲しくも苦しくもなさそうだ。サンは安心してソファーに率いると、横にして寝かせてあげた。それから、ずっと口に出したかった憧れ――大切なひとの名前を、声にして発した。
「おやすみ……星くん」

血とガラス、林檎と青星

✳︎本作品は、以前投稿していた『二重連星掌編集』のエピソード(チャプター)を加筆修正し、投稿したものです。

血とガラス、林檎と青星

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-26

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