四人の死んだ少女達 試し読み版

午後の、白い日の当たるグラウンドでの出来事だった。

 午後の、白い日の当たるグラウンドでの出来事だった。井蕾座(イライザ)はブランコに乗っている同級生の靴が、ぽぉんと空中を飛んでいくところを見た。それは一瞬、二つの足首が宙を舞っているかのように見え、井蕾座は目を瞬かせた。
「あ、ごめぇん」
 同級生はゆっくりとブランコを減速させると、素足のままグラウンドの土に触れた。真っ白いセーラー服のプリーツをはためかせながら、靴を片方拾い、こんこんと履いている。
 井蕾座は自分の近くに落ちていた靴を拾い、同級生の方へと駆けていった。
「落ちたわよ」
「ありがとう、井蕾座」
「どういたしまして」
 井蕾座の手から、同級生の靴が手渡されていく。井蕾座は自分の手のひらを眺めた。靴を渡してしまった自分の手のひらには、当然ながら何もない。
 午後のチャイムが、風に乗って運ばれてくる。井蕾座は菫色の短髪を風にそよがせながら、空を仰ぎ見た。

 少女、絵梨洲(エリス)がこの聖マンダリアン女学校に入学してきたのは、鉛色の空から啜り泣くようにして雨が降ってくる、六月の、少し肌寒い季節だった。朝のクラスメイトたちの話題は、どこから仕入れたのかその転校生の話題でもちきりで、朝の海のさざ波のように噂が広がっていた。そんな同級生の囁き声を聞きながら、井蕾座は読みかけの本を開き、窓の外をいつものように眺めていた。学校を閉じ込めるようにして聳える白い塀の――本来は少女たちを守るためのものだが、井蕾座にはそう見える――その向こうに、ミニチュアのように広がる家々の屋根。さらにその向こうの、手が届きそうにないほど遥か彼方にある海は、今日は空と同化してしまいそうなほどの薄灰色をして、茫漠として広がっている。波が高いのだろう、船舶の類は見当たらない。井蕾座はじいっと海に見入った。昨日は久しぶりに晴れ間があり、コバルトブルーの美しい色をしていたのに、海は、一日たりとも同じ色の日はない。すうっと神様が利き手で線を引いたような水平線の向こうには、私がここを出るのを待ってくれているダダとママがいるはず――そんな風に井蕾座が物思いに耽っていると、教室のドアが開かれた。途端に教室はしんと静まり、生徒たちが席につく。
 先生であるマダムが教壇に立って、真っ白いセーラー服を着ている真っ白い私たちを見渡した。そして声を発した。
「みなさん、今日は転校生を紹介します。絵梨洲さんです」
 マダムがいらっしゃい、と扉の向こう側へ手招きをする。こつん、と靴音だけが教室に異様に響いた。
「絵梨洲です。みなさんよろしくお願いします」
 きっと旧世代なら見目麗しい美少女だったのだろう。しかし、ここにいる少女たちは遺伝子操作によって、容姿を創られている。よって全員が全員「見目麗しい」と呼ばれる存在なので、特段彼女が目立つというわけではない。とはいえ絵梨洲の黒髪に黒い瞳は、菫色だの桜色だのの髪色や瞳の色の中では、ある意味で珍しいとは言えた。
 けれど問題は、それからであった。
「絵梨洲さん、あそこの席に座って頂戴」
 マダムがぽつんとひとつ空いている席を指し示した。教室中に、密かなざわめきが広がる。そこはつい先月まで、紗羅(サラ)が座っていた席だったからだ。
 どこかからか「やっぱり……」という呟き声が聞こえ、生徒たちが顔を見合わせた。
 マダムが、騒めきを振り払うように小さく、咳ばらいをした。
 絵梨洲が、ゆっくりと紗羅の席に座る。絵梨洲の着席を確認したマダムが「では……」と口を開きかけた時だった。
 絵梨洲の席の後ろに座っていた月(ルナ)が、突如、椅子をひっくり返しながら立ち上がった。
「……嘘よ」
「月さん、一体……」
「嘘よ!!」
 月はそう叫ぶと、一目散に教室を飛び出していった。ばたばたと廊下をかけていく音が、教室から遠ざかっていく。
「月さん!!」
 マダムが月を追いかけ、教室を出て行く。クラスは一瞬の静寂の間があってから、騒然とした。
「……紗羅、やっぱり、結晶病だったのかなあ」
 井蕾座の前の席の灰音(ハイネ)が、ぽつりとそう零したのを井蕾座は聞き逃さなかった。井蕾座は横目で、何が起こっているのか戸惑う絵梨洲の顔を見た。

 聖マンダリアン女学校は、結晶病により滅びゆく世界の中日本政府が定めた、れっきとした女性学校であった。結晶病を発症する可能性のある思春期までの少年少女たちを、三歳を過ぎたころから隔離・管理し、卒業後は国が選定した結婚相手と確実に生殖行為で子を成すことができる人間を育成するための、育成機関のひとつだ。
 結晶病。それは、今もなお人類に蔓延する、奇病であった。主に思春期の少年少女が発症し、治療法・特効薬はまだない。発症原因はいまだに不明で、しかし発症した人間すべてに共通するものがあった。
 それは「片思い」だった。
 叶わぬ恋をしている思春期の少年少女は、その思いを通じ合わせることができなければ、四肢の末端から徐々に結晶化(クリスタル化)が進む。やがてその結晶化は心臓に至り、致死率は百パーセント。不治の病と言うにふさわしい、奇病であった。
 人類は、恋によって滅びつつあったのだ。
 全世界はその事実に恐れおののいた。そのときすでに人類の人口は、三十パーセントも減少していた。
 各国の反応は様々であったけれど、根本的な対策は同じだった。それが日本で言う「女性学校」「男性学校」の始まりであった。
 放課後、井蕾座は校舎裏にある裏庭に足を運んだ。裏庭には一年中、遺伝子組み換えを施された白百合が咲き誇っている。
 月は、白百合の生い茂る裏庭の真ん中で、顔を覆って泣いていた。
「……月」
「井蕾座……」
 井蕾座が声をかけると、月が顔を上げて井蕾座を見る。井蕾座は、そっとそばにしゃがみこんだ。
 月が、嗚咽を零しながら呟いた。
「……まさか紗羅が、同性愛者だったなんて」
 井蕾座はそっと月の肩を抱いた。何も言わないまま、寄り添う。
 思春期の少年少女を隔離したとしても、すべての結晶病を未然に防ぐことはできなかった。ときおり教室からはこうして、少女が消える。先生達マダムは、消えた少女達について頑なに口を開こうとはしなかった。
「紗羅、私のこと、好きだったの……? だから死んでしまうの……?」
「……月」
「私はとてもいい親友だと思っていたのに、紗羅は、私が殺してしまった」
「そんなことないわ……。すべて結晶病が悪いの」
「紗羅、どうして私なんか好きになったの、どうして……」
 月の涙がぽたぽたと地面に模様を描いていく。親友を失い、自責の念に泣き続けている月を、井蕾座は愛おしいと思った。
「……泣かないで、月」
 井蕾座は月の頬を手のひらで挟んだ。親指で涙を拭いてやり、月の、月光のような銀の瞳を覗き込む。
「井蕾座……」
 月が瞼を閉じた。その拍子に、また幾筋か涙が零れ落ちた。井蕾座はそっと、月の唇に唇を寄せた。涙の味がする月の唇を、井蕾座は優しく食む。舌と舌を絡め合い、月の微かな吐息が、井蕾座の頬にかかった。
「井蕾座。お願いすれば、友達じゃなくても誰とでもセックスするって、本当……?」
「本当よ」
 月が視線を伏せる。やや迷いがあったあと、月が「抱いて……」と井蕾座に囁いた。
「……いいわよ」
 井蕾座は再び月に口付けた。月の体が、徐々に地面へと傾いてゆく。やがて百合の合間に月の体は押し倒され、井蕾座は月を見下ろした。
「紗羅とは、セックスしたの?」
「してないわ。一度も。紗羅が恥ずかしがったから。今思えば、そういうことだったのね……」
「そう……」
 今思えばしておけばよかった、と月が涙を溢れさせる。井蕾座はもう一度月に口付け、月は井蕾座を受け入れるように、井蕾座の腕に手を回した。

 その日の夜は、満月だった。頭上には、両腕で抱えられそうにないほど大きな満月が、地球に接近していた。月と地球がこれほど近くなったのは、人類の歴史の中でも最近のことだった。
 月は支給品のパンティを履くと、立ち上がって井蕾座に手を差し伸べた。
「ありがとう、井蕾座。少しだけ元気が出たわ」
「それならよかった。また、寂しくなったら言って頂戴」
 いつでも部屋に行くわ、と井蕾座は立ち上がって月の頬に唇を寄せた。お互い抱きしめ合い、それじゃあまた明日、と手を振る。
 井蕾座は月の背中を、見えなくなるまで見送った。月が見えなくなると振り返り、校舎の方へ声をかけた。
「誰かいるの?」
 さっきから、校舎の陰に隠れて誰かいることは分かっていた。下級生だろうか。
「下級生かしら。怖いことなんてないのよ、いらっしゃい。あなたも抱きしめてほしいの?」
「――井蕾座さん」
 けれど校舎の影からおずおずと現れたのは、絵梨洲だった。意外な人物に、井蕾座は僅かに驚いた。
「絵梨洲さん、ずっと見ていたの?」
「いえ、ちょっと前から。ごめんなさい、お邪魔して」
「いいのよ」
「……ここ、百合が咲いているのね」
 絵梨洲は身を屈めた。百合に手を伸ばし、花びらに触れる。
「一年中咲いているの。いい匂いでしょう。誰も近寄らない裏庭で、誰も世話をしていないのに」
「ええ、とても……」
 絵梨洲は俯いた。どこか物憂げに、百合の花を見つめる。
「さっきの子は――私の席に座っていた親友を、結晶病で亡くしたのね」
「……ええ、そうなの」
「なんだか私、悪いことをしてしまったみたいで」
「絵梨洲さんが気にすることではないわ。偶然が重なってしまっただけ」
井蕾座は絵梨洲に近寄った。絵梨洲の隣に腰掛け、尋ねる。
「――見ていたんでしょう?」
 絵梨洲は目を見開いた。井蕾座は、そんな絵梨洲に微笑んで見せた。
「いいの、こんなところでしていたんだから。この学校では、生徒同士でセックスしたりするのは、結構普通のことなの」
「絵梨洲さん、その、私」
「恋人同士でもないのにするだなんて、ふしだらだと思う?」
 井蕾座は小首をかしげた。けれど絵梨洲の反応は、井蕾座の想像していたものではなかった。
「前の学校でも、そういう風習はあったわ。それよりもね、井蕾座さん、私……。あなたに会いに来たの」
「……え」
 それはどういうことだろう。そんなことを言われると思っていなかった井蕾座は、どういうこと、と絵梨洲に尋ね返した。
「ねえ、覚えていない? 私達、幼馴染だったのよ」
 覚えているも何も、井蕾座達は三歳の頃に両親のもとを引き離されている。三歳の頃の記憶など、全くとは言えなくても、ほとんどの人が覚えていないものだろう。
「私達、家が近所で、ダダとママも知り合い同士で――よく、遊んでいて――」
「あなた、ダダとママのことを覚えているの?」
「ええ。あなたのダダとママのことも――それがどうしたの?」
 その途端、不意に井蕾座は醜い嫉妬の念に囚われた。私でさえ焦がれているダダとママのことを覚えていないのに、他人である絵梨洲が覚えているなんて――。
絵梨洲には関係ないことだと分かっていても、井蕾座は衝動を止められなかった。
「ダダとママの顔も知らないのに、あなたのことなんか覚えているわけないでしょう」
 井蕾座は勢いよく立ち上がった。絵梨洲が、さきほどとは違う種類の驚きで、目を見開く。
「ごめんなさい、私、なにか気に障るようなこと――」
「……用事があるの、これで失礼するわ」
 井蕾座さん、と絵梨洲が井蕾座を呼び止める。けれど井蕾座は振り返ることなく、裏庭を後にした。

四人の死んだ少女達 試し読み版

四人の死んだ少女達 試し読み版

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-26

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