日常系
「俺達は日常系バンドを目指す! 俺達の曲を聴いた人が、デジャブを感じたり、共感したりしてくれるのが目標だ」
ベースボーカルの鈴木が、オレンジジュースのグラスを片手に、声高々と宣った。その大声は周囲の客にも聞こえたようで、鈴木と同じテーブルの4人は、一分ほど全方位からの視線を感じる羽目になった。鈴木はそれを気にも留めず、というより酔ったように鈍感で気付かずなのか、構うことなくバンドメンバーに演説をしていた。
学園の音楽サークルの見学で、たまたま居合わせたという理由だけで鈴木が結成したのが、バンドグループ『Life Rock』のはじまりである。鈴木の他にはエレキギターの諏訪、アコースティックギターの長嶋、キーボードの平間、そしてパソコン専門の美濃が参加した。『Life Rock』のメンバーは、サークル見学の日以来、顔を合わすことが全くというほどなく、この日の部会で、正式な発足を遂げたのだった。鈴木が景気祝に、とメンバーを誘った結果、彼らは今、仕事終わりのサラリーマンで蒸せる居酒屋に居る。
「美濃はさ、サークル見学で初めて会ったときに、パソコンをやりたいって言ってたけど、僕、いまいちよくわかってないんだよな。パソコンって楽器じゃないだろう? パソコンでなにをやるんだ?」
長嶋が、鈴木の演説をよそに美濃に話しかけた。
「おい、俺の話聞けよー。俺らの『Life Rock』の未来に関わる、大切なことなんだからさあ」
「でも、鈴木さん、まずは順番に自己紹介からしたほうが良いんじゃないですか? 何気にほぼお互い初対面と同じような状態ですし。俺だって、誰がなんの楽器を担当するのかうろ覚えなんです」
諏訪が鈴木の肩に手を添え、ひとまず座らせた。
「さて、美濃さんの話になっていたし、美濃さんから自己紹介してもらえますか。名前と担当だけだと味気ないし、好きな食べ物を言っていきましょうか」
鈴木が「音楽関係ねえじゃん」と愚痴った。美濃は照れるように身をよじりながら「わかりました」と答えた。
「美濃です。見学の際にはパソコンをやるって言いましたけど、私、小学生の頃からDTMをしているんです。DTMはDAWっていうソフトを使うんですけど、いろんな楽器の音色を網羅できるっていう点で、汎用性があると思います。主には、このバンド、ドラムが居ないので、リズム帯を担当できるかなって思います。好きな食べ物はカレーです。宜しくお願いします」
彼女は長い茶髪を垂らして、深く会釈した。そして横に座る平間を手の平で示した。平間は口角を上げて、美濃と顔を合わせると2人でケラケラ笑った。
「キーボードを弾きます、平間です。私はそんなに上手くないんですけど、バンドの皆さんの足を引っ張らないよう、練習します。好きな食べ物は、果物全般です。好き嫌いはあまりありません。宜しくお願いします」
平間が失笑を含んで言った。自然に紹介の順番が確立されていたので、平間の向かいの諏訪に移った。
「エレキギターを弾きます、諏訪です。本場イタリアのパスタが好きです。俺は音楽理論は一通り頭に入れているから、譜読みとかで困ったら、聞いて下さい。メンバー一丸で人気バンドをつくりあげましょう。宜しくお願いします」
諏訪は4人に目を配りながら話していた。長嶋はそんな彼に億劫らしい視線を飛ばしていた。
「アコギの長嶋っす。音楽教室に5年間通い詰めていたんで、下手ではないはずです。お願いします」
長嶋は口早に言った。直後、思い出したのか「ラーメンをよく食べます」と付け加えた。
最後の鈴木だが、美濃が話しはじめてから今まで終始、体を揺らしたり貧乏ゆすりをしたりで、目線をコロコロ変えて空返事を繰り返していた。
「鈴木だ。ベースが弾けるのと、歌も上手いと思ってる。他にボーカルをやりたいやつが居なかったら、俺が担当しようと思うけど、どうだ?」
4人は互いに見回して、結局何も言わなかった。
「じゃあ、俺がやるってので、決定だな」
すると美濃が憚るように手を挙げた。
「あの、一応好きな食べ物教えてくれますか?」
「好きな食べ物か…別にないわ」
鈴木は陽気に笑った。4人だけは、鈴木が演説をしてから今まで、ずっと周囲の注目が鈴木に向いていることを気にしていた。
『Life Rock』のメンバー5人が集結するのは、サークルで防音室が割り振られた日に限られた。多くても月2回である。ただ、集まったところで同じ曲を練習するわけでもなく、ひたすらに鈴木が理想を演説する時間になっていた。美濃が部屋の隅でタイピングをし、平間はそんな彼女にしきりに話しかけていた。諏訪は鈴木の話に相槌を打ちつつ、雑にあしらっていた。長嶋はその光景を軽蔑するように、壁に向かってアコースティックギターを奏でていた。定位置としてなり、あれこれと誰も不平を言うことなく、前期が終わった。
乾いた夏日であった。5人は文化祭のステージ発表を観覧していた。もちろん音楽サークルも参加して、バンド演奏を行っているのだが、『Life Rock』は時期尚早というところで、出場は見送った。
「俺たちもそろそろ、ライブを想定して練習したほうがいいですね。オリジナル曲とまでいかなくても、有名曲から入って、秋の文化発表会で出場っていうのが自然ですかね」
「日常系の有名曲か…」
「別に、日常系にこだわらなくても、ほら、今放送されてる人気アニメの主題歌とかは? 盛り上がる曲だと、聴いてる側もテンション上がるでしょう。ちょうどステージに出てるバンドが、アニメ主題歌常連の音楽グループのコピバンだね」
平間の言葉に、鈴木は目を細めた。
「日常系を曲げたら、そこらの有象無象と同じになっちまうだろう。いや、もう既存のアーティストのコピーじゃなくて、オリジナル曲のみで勝負しようぜ」
「いや、鈴木、そんな簡単に言って、誰が作詞作曲すんだよ」
「――おまえはアコギ、あと平間のピアノ。この2つは日常系にぴったりだと思ってる。諏訪は音楽理論がなんだ言ってたから、作曲で。美濃はDTMをやってるから、アレンジ。俺はあと、作詞をやる。俺が書いた歌詞に、鈴木がメロディーをつける。美濃がそれをアレンジして、長嶋と平間が、日常系の楽曲になっているかチェックする」
「いや、日常系のチェックってなんだよ」
「そこは、長嶋の裁量で」
鈴木の突拍子もない決め事だったが、妥当といえば妥当である。そういうことで、オリジナル曲の制作がはじまった。
一面枯れ草が野垂れ、鰯雲が浮かぶ、秋の日だった。
『Life Rock』として動画投稿サイトに上げたオリジナル曲の幾つかは十万回再生を遂げ、それにつれライブにも今までに四回出場していた。
ただ、鈴木と諏訪は浮かない気でいた。なにかというと、バンドの人気は、半ば美濃のお陰であったのだ。美濃はDTMを用いたソロ活動をはじめたのだが、彼女の楽曲は飛ぶように聴かれ、その余波が『Life Rock』に及んでいるに過ぎないことは明確だった。
美濃はメタル的曲調で楽曲を発表していた。棘さすような、センチメンタリズムな歌詞に、ハイテンポでメロディーを重ねる。次第に、バンドでも彼女の楽曲をカバーせざるを得ない周囲の雰囲気が生まれていた。
この日のバンド練習で、鈴木は珍しく口を開いた。
「俺、次の曲でミリオン行かなかったら、バンド辞めるわ」
思わず、4人みんな、手が止まった。諏訪はギターを肩から掛けたまま鈴木に歩み寄った。平間はあっけらかんとその様を眺めている。長嶋は鈴木と美濃をそれぞれ一瞥して、またアコースティックギターから音を出した。美濃は――俯いたまま、固まっている。海底のように凍てつく空間で、長嶋の溜息が漏れた。というより、そのように見せた、わざとらしいものであった。
「好きにしたら良いんじゃねえの。僕は少なくとも、美濃を抱えている限りはこのバンドで食っていけそうだから残るけどな。どうせ、鈴木、美濃より劣っている自分が悔しいとかいうコンプレックスだろう?」
「長嶋さん、その物言いはどうなんです? 彼はきっと何かを深く思い悩んでいるんです。俺達は一緒に音楽を共にした仲間じゃないですか。こういうところで手を差し伸べてあげるのが仲間ってやつじゃないんですか。好きにしたらいいって、なんて薄情な」
「諏訪、いい。長嶋が言ってるので合ってる。俺は、日常系バンドを目指したんだ。人が、俺達の曲を聞いて、昔の記憶とかを呼び起こすような、そういうバンドを。だから、だからな、テンションを上げるとか、思想をぶつけるとか、そんなんじゃないんだよ。俺が俺を残せるように、次が無理なら、バンドを辞める。諏訪の作曲は、俺、気に入ってんだ。だから、これまでのように、美濃と諏訪で曲を作ったらいいんじゃないかな。俺がそこに介入しなくなるだけだ」
諏訪は諦めたように、元のパイプ椅子に戻っていった。
「鈴木、だれもはじめからあんたのことなんて期待してねえんだ」
「長嶋、いいすぎでしょ。美濃さんのお陰もあるけど、私達の曲があれだけ聴いてもらえてるのは、鈴木の歌詞があってのことだと思ってる」
「嘘つけ、綺麗事吐くなよ。あの居酒屋で打ち上げをしたときからだ。出しゃばっているばっかじゃんって、内心では思ってただろ」
美濃は、もの一つさえ言わず震えている。鈴木も、バツが悪くて、微動すらできない。時間だけが流れていった。
新曲投稿の日の夜、鈴木が部屋に『遺書』と書いた封筒を残して失踪した。翌日の朝、川で死んでいるのが見つかった。
『Life Rock』はSNSで「ベースボーカルの鈴木が永眠いたしました」と投稿した。その日の内に、投稿は拡散され、鈴木の最終作は、その日中にミリオンを突破した。
追悼、追悼、追悼、追悼――。
『遺書』を読んだ4人は、誰一人として泣かなかった。
雪の降る灰の空。『Life Rock』のライブがはじまった。
中ぐらいのライブハウスで開催されたが、空間は客で満たされた。ボーカルは諏訪、ベースは打ち込み。
一曲目は「日常系」。鈴木がバンドを立ち上げる前に作詞していた楽曲だ。アコースティックな曲調で、滑らかである。
ラストは「日常系」。鈴木の最後の作詞となった楽曲だ。堕落していく人物を描き、ピアノを中心に儚くメロディーがつくられている。
十年たっても、『Life Rock』はライブの度に「日常系」を演奏した。このバンドの代表曲といえば、やはりこの楽曲である。特に、後に出された方である。
私は鈴木の親友だった。だから、前バージョンの「日常系」については、彼が嬉々として歌詞を自慢しに来たのを鮮明に憶えている。追慕をするなら、彼は直前までは意志を貫いた。色眼鏡かもしれないが、一曲を除いてどの曲もユニークで、まさに日常系といった雰囲気を感じさせた。私はどれも大好きだ。しかし、一曲を除く、とした。それが後バージョンの「日常系」である。これだけは、彼が信念を棄てた曲だと、一度聴いただけでわかった。どうでもいい、意味のない言葉の羅列。彼らしくなかった。
答え合わせのようで、諏訪に頼んで彼の『遺書』を読ませてもらった。文字は丁寧であり、ああ、やはり彼は意志を持ってああいう結末にいたったのだと、改めて分からされた気がした。
色々書き詰めてあったが、私の探していたものは、最後の方に書かれてあった。そこを要約する。
歌詞に注力したところで、美濃と比べられるのは目に見えている。それでは結局彼女の二の次になってしまう。それをどうにかしようと考えを巡らせた末、社会の共感を得ることにした。作者の死が芸術の価値を高めるのは、過去より自明である。それを実行することにした。
実際、彼の目的の通り、最後の楽曲はミリオンを達成した。さらに彼を美化するようだが、「日常系」は社会空間の日常性を巧みにキャッチした。とでも言って、私は足掻いておく。
反復するが、私は彼の最後の歌詞を、人並みだと思っている。何も知らない有象無象は、これからも空虚な追慕に耽るのだろう。
それが日常系である。
日常系