真緒とワラワ

「きゅぴ」
「おお」
 それを。前にして。
「丸いな」
「ええ」
 うなずく。事実、その通りなので。
「ですが」
 ためらいをにじませ。
「よろしいのかと」
「む?」
 こちらを見上げ。
「何がだ」
「いえ」
 言葉を探す。ということに加え。
「どうした」
「えっ」
「緊張しているのか」
「そ、それは」
 普通なら。
 十も年下の相手にこんなことはない。
 はずで。
(むむむ)
 知らない相手ではない。
 だが、ほとんど話をしたことがないのも事実だ。
「あっ」
 そこで。大事なことを思い出す。
「お嬢様がいつもお世話に」
 軽く。首を。
「お嬢様?」
 きょとんとして。
 が、すぐ。
「ああ、アリスのことか」
「はい!」
 力が。
「何を言う」
「えっ」
 深々。頭を。
「世話になっているのはこちらのほうだ」
「あ、いや」
「とてもがんばってくれているぞ、アリスは」
 にっこり。
「お嬢様が」
 こちらも。笑みを。
「本当に」
 よかった。
 ずっと行方が知れなかった。
 いや、ある意味では〝わかって〟いた。
 卵土(ランド)。
 そう呼ばれる『世界』にいると。
「団長だからな」
 笑顔のまま。
「は、はあ」
 向こうでの事情も大まかながら聞いていた。
(しかし)
 団長とは。
 輝閃(ひかり)の騎士団。
 過酷な世界で力なき人々を守るため、志を同じくする者たちと結成した集団。そのリーダーにまさか自分の知る〝お嬢様〟が。
「がんばっている」
 こちらの思いを察したのだろう。くり返して。
「なあ、微兎(ビット)」
「チュイッ」
 小型のモーター。あるいはドリルが回転するような短い駆動音。
 どうやら、肯定の返事らしい。
(し、しかし)
 その〝同行者〟は。
(丸い)
 こちらに。負けず劣らず。
 ただ、素材感はまったく違う。
 金属製。明らかにそう思わせる光沢を放っている。
「アリスをつれてこられなくてすまなかったな」
「あ、いや」
 正直。
 その消息を伝え聞いたとき、すぐさま飛び出したい衝動に駆られた。後を追う方法を求めて世界中を回りさえしたのだ。
 その途上で。
「ワラワは」
 表情が。硬く。
「危険です」
 はっきり。
「むぅ」
 への字に。
「しかし」
 言う。
「必要なのだ」
「……はい」
 聞いている。
「海印(カイン)は」
 その国は。
「いま、とても大変なことになっている。何があってもおかしくない」
「………………」
 やはり。
 十歳も年下と思えない重みを。
「ヒメサマ」
 そこに。
「……ダメ」
「微兎」
 浮遊する球体をなで。
「ここまで来て、何を言っている」
「チュイ……」
 それでも、という気配が伝わってくる。
 そして感じる。
 大切な〝姫〟を案じるその思いが。
「必要なのだ」
 くり返す。
「水騎士(すいきし)たち、それに海印の多くの者が王の帰りを待っている」
(王……)
 こちらの〝球体〟に視線を落とす。
「きゅぴ?」
 見上げられる。
(これが)
 王と呼ばれる存在であることを。
 自分は。
 知っている。
 その力の一端も垣間見ている。
 海。
 向こうの世界におけるそれそのものと言っていい存在。
 己の力を増すため、より豊かな海が存在するこちら側へとやってきた。
 そして、いまはこのような姿になってしまっている。
(無力)
 のはずだ。
 なつかれてしまったような形で自分と共にいるが、事実、かつての強大な力のひと欠片さえも今日まで見ることはなかった。
 だが、それならそれで。
「本当に」
 疑問はある。
「役に立つのか」
「む?」
「ワラワが」
 水滴のような。いまの姿となったこの。
「向こうで力になれるとは」
 きょとんと。
 が、すぐ。
「そうか」
 うなずき。
「心配なのだな」
「えっ」
 これを? いや、そういう感情からでは。
「仲良しなのだな」
「ええっ!」
 そういうことでは。
「よし」
 笑みを。
「あっ」
 奪い去られる。
「ちょ、待っ」
 そんな無造作に。
「ワラワ」
 話しかける。
「私とも仲良くしてくれ」
(ち、ちょっ)
 あせりが。止まらなく。
「きゅぴ?」
 首をかしげるような仕草。
「ふふっ」
 頭(?)を。なでる。
「かわいいな」
(か……)
 そんなことを言っていられるような存在では。いや、見た目にそうであることは間違いないのだが。
「鬼堂院真緒(きどういん・まきお)だ」
 目を。合わせ。
「よろしくな、ワラワ」
 屈託のない。
「きゅぴっ」
 跳ねた。ぽよんとボディがゆれる。
(こいつ)
 どういうつもりなのだ。
(そもそも)
 知っているはずだ。
 お互い。
 どういう存在であるか。
(なのに)
 あまりにも無邪気。どちらもそう見えて。
「よく跳ねるな、ワラワは」
 ポンッ、ポンッ。
「わーっ!」
 毬のようにつき出したのを見てさすがに。
「ほら、微兎も」
「チュイーッ❤」
 ポンッ、ポンッ、ポンッ。
「や……あ……」
 両方の手でそれぞれを。
 楽しそうにたわむれる姿に、何をどう言えばいいのかもうまったくわからなかった。

 放っておくことも。
 できず。
「いいのか?」
 逆に。
「いそがしいのではないか?」
「あ、いや」
 むろん、皮肉などではない。
 心からこちらを。
「ワラワは」
 自分にとって。
「………………」
 何だ?
 敵だったものが、いつの間にかその責任者のような立場に。
「アリスお嬢様が」
 言葉に詰まり、そして。
「必要とされていると」
「うむ」
 うなずく。
「アリスはがんばっているのだ」
 我がことのように。胸を張り。
「がんばって、海印を守ろうとしている」
 はっと。
「ワラワの国は」
 笑顔が消える。
「やはり、大変で」
「うむ」
 うなずく。
「なら!」
 身を乗り出す。
「わたしが!」
「うむ……」
 すこし。難しそうに。
「絆だ」
「っ……」
 絆。
「それで導かれることが多いと聞く」
「………………」
「まだ〝門〟は確かなものではない」
 こちらを。気遣う様子を見せつつ。
「大丈夫だ」
 微笑む。
「シャーリィのことは、ちゃんとアリスに伝えておくぞ」
「………………」
 なぐさめに。それでも。
「ええ」
 うなずく。笑みも。
 年上として。
 せめて、情けない姿は見せられなかった。
「強いな」
「っ」
「さすがは騎士だ」
(く……)
 どうしようもなく。心がゆれる。
 下手なつくろいが、むしろ自分をより情けなくしている。
「ほら」
 かかげる。
「絆だ」
「えっ」
「ワラワとの」
 それは。しかし。
「そんな」
 素直には受け入れがたい。
「ほらっ」
 跳ねる。
「きゅぴっ」
「わ……」
 再び。こちらの腕の中に。
「仲良しだ」
「う……」
「私と微兎と一緒だな」
「チュイッ」
 当然と。言いたげな音を。
「………………」
 何も言えず。
「……おい」
 思わず。
「おまえは」
 手もとに。
「わたしと」
 その次が。うまく言葉にならない。
「と、とにかく!」
 無理やり。
「お嬢様はおまえの国のために戦っている! わかっているのか!」
「きゅぴ?」
「だから!」
 押し戻す。小さな手の中へ。
「お嬢様の」
 感情が。
 様々に混じり合ったそれが止めようもなく。
「力……に」
 あふれる。こぼれたそれが、二人の手の間に落ちる。
 大きな滴に。小さな滴が重なる。
「………………」
 あぜんと。していたものの。
「すまない」
 頭を。
「私の力が足りないばかりに」
「っっ……」
 何ということを。言わせてしまっている。
「こちら……こそ」
 詰まりつつ。それでも必死に無様な姿を見せまいと。
「情けない……」
「何を言う!」
 言われる。滴をはさみ。
「私こそ!」
 涙。こちらも。
「だめだな」
 気丈にぬぐって。
「笑うのだ」
「っ」
「できることをしよう」
 笑顔で。
「私はみんなを助けたい」
「!」
 胸を。
「みんなが笑顔でいられる世界を見たい」
「それ……は」
 同じだ。自分も。
 あの〝大戦〟を経たいまでは、よりいっそう。
「笑うのだ」
 力強く。
「必ずできる」
「っ……」
 なんて。
「わかり合える」
 手を。
 小さな。けれど。
「いまここを生きる者として」
 真剣な。
「わかり合わなくてはだめなのだ」
「………………」
 ふるえが。
 それは手もとにも伝わり、滴を波立たせる。
「まだ〝門〟が開くまで間がある」
 優しく。
「私はシャーリィとも語り合いたいぞ」
「ハッ!」
 反射的に。膝をつこうとしたした自分に気づき、あぜんと。
(これが)
 姫。
 そう呼ばれる人なのか。
「ん?」
 あどけなく。首を。
 そんな仕草にも、静かながら確かな威厳を感じる。
「鬼堂院真緒」
 わずかに。ためらいつつも、そのまま名前を口にして。
「ワラワは」
 共に。抱えていたのを。
「やはり、わたしが管理する」
 引き寄せる。
 かすかに目を丸くしたが。
「わかった」
 何も聞かず。こちらの意志を尊重するというように笑みを見せる。
 またも。
 膝をつきたくなる自分を意識しながら。
「まかせてほしい」
 口にした。

 現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)オセアニア区館。
 与えられた自室で。
「ワラワ」
 寝台に。あおむけに寝ころび。
「おまえは」
 両手でかかげているところへ。
「きゅぴ?」
「く……」
 わからない。
 力を失い、このような姿になり。
 いま。何を思っているのか。
「何か言え」
「きゅぴきゅぴ」
「おい」
 確かに「何か」とは言ったが。
「どうなんだ」
 一方的に。
「向こうに戻りたいのか、おまえは」
 普通ならそうだ。
 加えて。
「おまえの国のためにお嬢様が戦っているのだぞ」
 語気が。
「どう思っているのだ!」
 ぎゅうっ!
「き……きゅぴ……」
「あっ」
 我に返るも。
(なぜ)
 こいつのために。自分が。
「ふぅ」
 身体を起こし、軽く頭をふる。
(どうかしている)
 目を伏せる。
「きゅぴぃ?」
 心配するように。
「おい」
 あらためて。
「おまえは」
 見つめる。その真意をすこしでもつかもうと。
「きゅぴぃ~」
「う……」
 つぶらな。
「や、やめろ」
 そらしてしまう。
「と、とにかく、お嬢様の力になるんだぞ! いいな!」
「いいわよ」
「!」
 驚いて。
「きゅぴぃ?」
「……っ」
 何も変わらない。ように。
「ワラワ、おまえ」
「きゅぴきゅぴ」
「………………」
 どう。判断すれば。
(空耳……)
 しかし、確かに聞いたと。
「おい」
 再び。
「おまえ、本当は」
「きゅぴ?」
「おい!」
 しかし。
「くっ」
 無駄。そう感じ。
「いいか」
 それでも。
「わたしをだますようなことがあったら、決して許さないからな」
「きゅぴぃ~」
「聞いているのか!」
 それさえ、本当のところはわからないのだ。
(管理するなどと)
 とても言えたような立場ではない。
(だが)
 宣言を。違えるようなことはできない。
 騎士として。

「きゅい~っ」
 青空の下。波しぶきと共に流線形のシルエットが跳ねる。
「おおー!」
 目を。輝かせ。
「すごい、すごい!」
 大はしゃぎの。
「すごいな、微兎!」
「チュイッ」
 はずむ機械音。何よりまず、隣でよろこぶその笑顔がうれしいという。
「あっ、あまり身を乗り出しては」
 あわてて。
「何を言う」
 笑顔のまま。
「近づかなくてはさわれないではないか」
「しかし」
 ここはプールではない。海に向かってせり出した岩場の上だ。
「きゅいー」
「きゅいきゅい」
 次々。鼻先をつき出してくる。
「あははっ」
 笑って。小さな手を伸ばす。
「あ……」
 本当に止めようとしたところで。
「きゅぴっ」
「えっ?」
 肩の上で。
「どうした」
「きゅぴぃ?」
 逆に。
「い、いや」
 そちらが先に。
「うわぁ」
「!」
 はっと。見たときにはすでに。
「ああっ!」
 小さな身体が。海に向かって。
「チュイッ!」
 飛び出す。
 さらに小さな球体。
 それでも、海に落ちるところを必死に押し戻そうと。
「わっ」
 かろうじて。
 一瞬遅れ、後ろに倒れかけたところを抱きとめる。
「微兎!」
 反動で。逆に自分が海へと。
「きゅいーーっ」
 ポーン!
 跳ね上げられた。
「え……」
 海中から。
「きゅいーっ」
「きゅぅいーっ」
 ポーン、ポーン!
「おお」
 落ちそうになったことも忘れ。
「いいぞーっ、微兎! みんなーっ!」
 くり広げられるあざやかなやり取りに。惜しみない歓声が送られる。
「い、いや」
 これは。どういう状況なのだと。
 それでも。
「ち、ちょっと」
 注意だけは。本当に危ないところだったのだから。
「っ」
 危ないと。言うのなら。
(すでに)
 そういう状況に。
 まだ年端もいかない身で。
(なのに)
 泣き言一つなく。
 胸を張って。
「くっ」
 これは。本当につかの間の『休息』と言ってもいい時間なのだ。
「申しわけない」
「む?」
 こちらのつぶやきを聞きとめたのか。
「なぜ、あやまる」
「いや」
「こちらが悪かったのだ」
 屈託なく。
「シャーリィはちゃんと注意をした。何も悪くないぞ」
「………………」
「微兎もありがとう」
「チュイィ~」
 さんざん跳ね上げられて。目を回したかのようにふらふらと。
「ほら、こっちだぞ、こっち」
 キャッチを。
「みんなも遊んでくれてありがとう!」
「きゅいー」
「きゅいきゅい」
 どういたしまして。鳴き声が。
「行こうか、シャーリィ」
「あ……ああ」
 まだ気持ちが乱れたまま。うなずく。
「あっ」
 しまったと。
「私ばかり楽しんでいてはだめだな」
「えっ」
「ワラワと仲良くしなくては」
 言って。
「ワラワ」
 こちらに。手を。
「きゅぴっ」
 飛び乗る。
「あっ、おい」
 あまりの気安さに。
「今日は何をして遊ぼうか、ワラワ」
「きゅぴきゅぴ」
「そうか」
 仲良さそうに会話(?)しながら歩いていく。
(あっ)
 そのとき。
(あいつ)
 あのタイミング。
 不意にこちらに呼びかけた。その直後、事故が起こりそうになった。
(まさか)
 わざと。こちらの注意をそらしたのか。
(馬鹿な)
 そんなことをして何の意味が。故国を救うためにと来た相手に。
(その気が)
 ない。最初から。
(しかし)
 見ている限りでは、決して非友好的には。
(いや)
 これも芝居? 何かたくらみが。
「どうしたのだ」
「っ」
 不思議そうに。こちらを見ている。
 その腕の中で。
「!」
 笑ったように。
 見えた。

「許可できない」
 即座に。
「そうなのか」
 しょんぼり。
「あ、いや」
 優しい言葉をかけそうになり。
(いやいやっ!)
 ここは厳しくしなければ。
「だめだ!」
 あらためて。声を強め。
「危険すぎる!」
「む?」
 不思議そうに。
「危険なのか」
 問いかける。
「きゅぴきゅぴ」
(おい)
 肯定したのかと。
「ワラワはかわいいな」
「きゅぴぃ~」
(どっちなんだ!)
 やはり、わからない。
「とにかく」
 軽く。せき払い。
「遊び半分の気持ちでは」
「遊びではない」
 息をのむほど。まっすぐ。
「真剣だ」
「あ……し、しかし」
「真剣に」
 ゆるがない。
「ワラワと仲良くしたいのだ」
「………………」
 反対する言葉が。
「そ、それでも」
 なんとか。
「そのことは」
「わかった」
 あっさり。
「手放したくないのだな」
「えっ」
「ワラワのことを」
 にこっ。
「かわいいものな」
「………………」
 何と言えば。
「わかるぞ」
 わかられても。
「わかった」
 今度は何を。
「一緒がいいな」
「だから」
 それは。
「みんな一緒だ」
「えっ」
 思いも。
「シャーリィも一緒に寝よう!」


(どうして)
 こんなことに。
「こら」
 怒られる。
「なぜ、そのようなところにいる」
「は?」
「こちらに来るのだ」
「え、いや」
 休む前に話すことでも。
「一緒と言っただろう」
「はあ」
 言われた。
「一緒だ」
 言われる。
(だから)
 こうして一緒の部屋に簡易のベッドを用意してもらって。
「こら」
 聞きわけがない。言いたそうに。
「何を照れている」
「照れては」
 いる。正直。
 戸惑っているというほうが近いが。
「ほら」
 ぽんぽん。寝台の脇を叩く。
「来い」
「………………」
 これは。
「え……あ……」
 一緒に。それは文字通り。
(いやいやいや)
 いい歳をして、そんな!
 が、考えてみれば、相手はそれがおかしくない年齢で。
「嫌なのか」
「っ」
 こんな顔を。前に。
「ご……」
 自分は。
「ご一緒させていただく」
 言っていた。


「あったかいな」
「………………」
 あったかい。
(こんなことに)
 なるとは。
「申しわけない」
?」
「わたしのせいでベッドがせまく」
「そうか」
 あっさり。
「うわっ」
 驚きの。
「こうすればせまくないぞ」
「あ、い、いや」
「だめか」
「う……」
 言えない。
「ふふっ」
 うれしそうに。
「あたたかいな」
「………………」
「大きいな」
「えっ」
 あたふたと。
「いや、わたしなどたいしたものでは」
「?」
「錦のほうがずっと」
 友の名を。
 少年のようなその見た目に反し。
 女性的な部位は。
「確かに、錦は大きいな」
「う……」
 はっきり言われるのも。
「私も錦のように大きくなってみたいぞ」
「ええっ!」
 そんな望みが。こんな幼いときから。
「気持ちいいだろうな」
「き……!」
 なんてことを。
「高いところから見る眺めは」
「た……」
 高い?
「あ」
 気がつく。
「背が」
「む?」
「い、いや!」
 言えない。
「おかしなシャーリィだな」
「う……」
 弁解しようもない。
「いい子、いい子」
「!」
 なんと。
「な、何を!」
「嫌だったか」
 すまなそうに。
「よろこんでくれると思ったのだが」
(何を)
 だから、こちらのほうがずっと年上で。
「ユイフォンはこうするととてもよろこぶのだ」
「えっ」
 思い浮かべる。これまたあまり交流はなかったが。
「娘だからな」
「………………」
 年上。だったはずだ。
「わたしは」
 さすがによろこぶというようなことは。
「その」
 言えない。
 まま。
「………………」
 思い出す。
(お嬢様)
 ずっと昔。
 一緒に寝てほしい。忍んできたことがあった。
(同じ)
 とは微妙に言えないが。
 愛おしさを。
 あのときのように。
「おやすみなさい」
 優しく。
「うむ」
 うなずく。そのまま。
 寄り添い共に眠りに落ちていった。


「チュイィィィーーーッ!!!」
「うわっ」
 悲鳴。のような機械音に。
「お、おいっ」
 まだ頭が半分眠っている状態で。それでも、部屋の中を猛スピードで飛び回っている球体を視認する。
「どうした一体」
「チュイッ! チュイチュイーッ!」
 わからない。
「落ちつけ」
「チュイチュイッ!」
「落ちつけと」
 見た。
「………………」
 言葉が。
「い……や……」
 目を。閉じたりこすったり。
「………………」
 変わらない。
「チュイッ! チュイィッ!」
 こちらも。一緒に驚きたい思いで。
「な……」
 なぜ。
「二人いるんだーーーーっ!」
 絶叫していた。

(このようなことになるのではと)
 思っていた。はずもなく。
 思えるはずもなく。
「すまない」
 あやまられる。
「い、いや」
 あやまられても。
「っ」
 いや。堂々としながらもこのように素直な態度を取れるのがやはり。
「おい!」
 もう一方に。
「う……」
 不安げに。瞳が。
(こ、これは)
 確信が。
(落ち着け)
 早急に決めつけられることではない。
「コホン」
 せき払い。完全にただとりつくろいの。
「………………」
 あらためて。
(わ……)
 わからない。二つの意味で。
(どちらが)
 本物か。
 そして、なぜこんなことになってしまったのか。
「あー」
 まずは。とにもかくにも。
「どちらが」
 本者だ。聞きかけて。
「う……」
 こんな間抜けな質問もない。
 と、向こうでも察したのか。
「すまない」
 あらためて。頭を下げ。
「私が」
 言いかけて。
「……むぅ」
 隣を。
(どうした?)
 本物なら、本物と。
(あ……)
 気を。
 自分が本物だと言えば、当然もう一方は偽者ということになる。
(そんなことを)
 優しいのだ。
 近くで接した時間は短いものの、それは十分に感じていた。
「おい」
 なら、ここは自分が。
(く……)
 つぶらな瞳が。
(偽者なんだ、偽者!)
 言い聞かせるも。
(……本当に)
 偽者なのか。
(そんなこと)
 決まっている。一方が本物であるなら。
 そのはずなのだ。
「く……」
 決めつけきれない。万が一という思いが消えない。
「だ、大体!」
 苦しまぎれに。
「なぜ、偽者が現れる!? 誰がそんなことを」
 言って。
「あ……」
 気がつく。
「ワラワ!」
 部屋を見回す。
「おい! 隠れていないでさっさと」
 姿が。
 気配が。まったく。
「まさか」
 おそるおそる。
「おい」
 どちらに。焦点が迷う。
「ワラワなのか」
 決められないまま。
「どうなんだ!」
 びくっ。共に小さな肩がふるえる。
(あ……)
 しまった。本物までおびえさせるつもりは。
「チュイーッ」
 カーーーン!
「痛っ」
 何を。言う前に。
「チュイチュイ! チュイッ!」
「う……」
 怒るのも当然か。
「すまない」
 謝罪し。
「そうだ!」
 気がつく。
「微兎!」
「チュイ?」
「といったな」
「チュイ」
「おまえなら」
 見る。二人の。
「わかるのではないか」
「チュイッ!」
 はっと。
「チュイィ~……」
 見つめる。センサーを向けるといったところか。
「どうだ?」
 機械の〝目〟を通してみれば。
「おい、どうだと」
「チュイッ!」
 不意の。
「チュイィィィ~~!」
 パニック状態。部屋をぐるぐると。
「……おい」
 わからないというのか。人以上の感覚をもってしても。
「チュィィ……」
 すまなそうにうなだれる。
「微兎」
 そこへ。優しく。
「よいのだ」
「チュイ?」
 本当に? 言いたそうに。
「微兎がいつもがんばっていることを、私はよく知っているぞ」
 だからいいのだと。結果にこだわるのでなく。
(しかし)
 このままというわけにはいかない。
「わたしが」
 前に出る。
(く……)
 何とかする。言いたい。この中で、まがりなりにも一番〝敵〟のことを知っているのは自分なのだ。
(それでも)
 何が。どうなっているのか。
 それが把握できないままに無責任なことは。
「無理をするな」
「っ」
 言われてしまう。なおさら。
「仲良くすればいいのだ」
「えっ」
 何を。
「最初からそのつもりだった」
 手を。取って。
「仲良くしよう」
 微笑む。
 自分と瓜二つの相手に。
「………………」
 おずおずと。それでも。
「あっ」
 相手も。
 その手を握り返した。

(どういうことだ)
 ますますの。
 二人の〝姫〟。
(こちらをだまそうと)
 しかし、その『意味』がわからない。
 明らかに。
 違う。
「なあ」
 一方が。一方に。
「不思議だな」
 こくり。何も言わず。
(これだ)
 不自然だ。
 何も。
 いまのところしゃべろうとしない。
 おどおどと。
 不安そうに瞳を泳がせるばかり。
(これでは)
 違う。
 姿を真似た相手にだけでなく、自分が知っているはずのその正体とも。
(ワラワ……)
 なのだろうか。本当に。
 尽きることなく疑問は湧いてくる。
「おい」
 詰め寄る。
「ワラワなんだろう」
 目を。見て。
(う……)
 だめだ。
 本物とまったく変わらないつぶらな眼差しは、はかなさをたたえてよりいっそうの愛おしさを。
(だから、だめだと!)
 無理やり。そらして。
「どうした」
 心配そうに。
「い、いや」
 言えるはずもない。
「すまない」
 またも。素直な。
「私が迷惑をかけて」
「いや……」
 どう応じろと。
「く……」
 こちらの。目も。
「と、とにかく」
 やはり、直視できず。
「このままというわけには」
「そうなのか」
 おい! ツッコみそうに。
「このままでも」
 にっこり。
「私は仲良くできるぞ」
(う……)
 仲良くしてもらっても。何を考えているかわからないというのに。
「はっきりさせておく」
 ここは。年上として。
「そのような相手ではない」
 言う。
「ワラワは」
 あらためて。これまでのことを思い出し。
「力を求めてこちらの世界に来た」
「それは私も同じだ」
「えっ」
「だろう」
「や……」
 同意を求められても。
 確かに、その通りと言えないことはないのだが。
「なあ」
 再び。優しく。
「私と仲良くするのは嫌か」
 戸惑い。瞳が泳ぐ。
(あっ)
 ふるふると。
「そうか」
 うれしそうに。
「では、行こう」
「えっ」
 どこへ。
「行きたいところはあるか」
 答えは。なく。
「では、私にまかせるのだ」
 気を悪くした風もなく。
「あっ、ちょっ」
 手をつなぎ。潮風の吹きぬける石畳の上を。
「そ、それより先に」
 止めようとする声も流され。
 風の中。二つの影は。
「おい!」
 踊った。

「きゅいきゅい」
「きゅい~」
 今日も。楽しそうな鳴き声が響く中。
「困ったわねぇ」
 本当に。困っているのかと。
 言いたくなるくらいに向けられているその視線はなごやかで。
「レイナ館長」
 反対に。こちらの声は厳しく。
「そんな生易しい状況ではないと」
「生易しくはない」
 肯定される。
「姫だもの」
 付け加えられる。
「そ……」
 そう言われてしまうと。
「その通りです」
 うなずくしか。
「かわいいわね」
 やはりの。なごみ目で。
「それが二倍だもの」
 イルカたちとたわむれる二人を。
「だから」
 そういうことを言っている場合ではないのだと。
「このまま行かせるの?」
「えっ」
 聞かれるか。
「そんなわけには」
「どうして?」
「どうしてと」
 言われても。
「………………」
 そこでの。
(いいのか)
 いやいやいや。
「いいわけが」
 ない。
「どう思います?」
 向こうで戦っている者たちは。そこには自分の〝お嬢様〟もいる。
「混乱するでしょう」
 自分たちのように。
「そうねぇ」
 それでも。
「いいのかもしれない」
「ええっ!」
「そういうものなのよ」
 どこか。遠い目で。
「姫というものは」
「え……あの」
 どういうことだ。
 何か。知っているのか。
 自分もよく把握はしていない。
〝姫〟と呼ばれる存在を。
「あっ」
 問いかける間もなく。
「か、館長」
 行ってしまう。
「………………」
 ぼう然と。
「シャーリィ」
「わっ」
 飛び上がる。
「話は終わったか」
「あ、いや」
 一方的に終わらされてしまった感は。
「さびしがっているのだ」
「えっ」
 それは。
「みんなが」
 届く。
「きゅい~」
「きゅいきゅい~」
「あ……」
 つまり。
「人気者だな」
「い、いや」
 どう答えれば。
「ほら」
 手を。
「あっ」
 引かれるまま。
「きゅい~」
「きゅきゅい~」
 ばしゃばしゃ。水面に顔を出したり引っこめたりと大はしゃぎだ。
「人気者だ」
 あらためて。言われてしまう。
「う……」
 どうしろと。
「きゅーい」
「きゅいきゅい」
「呼んでいるぞ」
「えっ」
 呼ばれても。
「行かないのか」
 行く!?
「この格好で」
「む?」
「い、いや」
 無理だ。
「よし」
 うなずくなり。ためらいなく。
「わ……!」
 手で目を覆いそうになり。
 逆に。
(こ、子どもだぞ、相手は!)
 どういう目で見ているのだと。かといって堂々と見るのも。
「たーっ」
 勇ましいかけ声が。
「あっ」
 我に返ったときには。
「危な……」
 ポーーン! 飛びこんでいた。
「きゅいーっ」
「きゅきゅいーっ」
 大はしゃぎ。拍車がかかる。
「あははっ」
 大丈夫かと。岸近くとはいえ、ここは子どもでは足のつかないような。
「すごい! すごいぞ!」
「きゅい~」
(あ……)
 さすが。と言うべきか。
 小さな身体をその背に乗せ、まったく危なげがない。
 見事な〝騎士のイルカ〟ぶりだった。
「ほら!」
 こちらに。
「来るのだ!」
「え……」
 脱げと。
(いやいやいや)
 しかし、衣服をつけたままでは。
(水着を)
 あるいは、オセアニア区館の標準装備のようなボディスーツを。
「っ」
 小さな影が。
「あっ」
 跳んだ。
「お、おい」
 まさかの。
「おい!」
 手を。伸ばすも。
「っ」
 パーーン! 水しぶきがあがる。
「きゅいっ」
 すかさず。
「きゅーい」
「きゅいーっ」
 すくい上げられる。
「ふぅ」
 安堵の。
(いや)
 あれが。あれであるならば。
 水の中は、むしろ自分そのものとも言える場所で。
「くっ」
 わからないのだ。
「おい!」
 せめてもの。岸から。
「大丈夫か!」
 答えない。
「おい!」
 それでも。
「だめではないか」
 そこへ。
「服を着たまま飛びこんだりしては」
 すーっと。背に乗ったまま。
(いやいや)
 それでも、一糸まとわぬというのはいかがなものか。
「おーい」
 こちらに。
「シャーリィはわかっているなー」
(ええっ!)
 こちらに振られるとは。
「わ……」
 わかっている。とは。
「おーい」
 呼ばれている。
「来ないのか」
 さびしそうな。
「きゅいー」
「きゅぅいー」
 重なる。
「わ……」
 追いつめられた。思いで。
「わかった!」
 ヤケで。
「わーーーーーーっ!」
 跳んでいた。

「だめだぞ、シャーリーまで」
 叱られた。
「びしょぬれではないか」
 言われるまでも。なく。
「服が乾くまでひなたぼっこだな」
(えっ!)
 この状態で!? しゃがんでタオルを身体に巻きつけただけという。
「そ、それは」
 誰か来られたりしたら。
「最初から脱いでいれば、服を濡らすこともなかったのだ」
「それは」
 その通りなのだが。
 いまでは立場が逆になり、向こうはとっくに服を着てしまっている。
「大丈夫だ」
「えっ」
 何が。
「あたたかいだろう」
「………………」
 正直。海につかっていた身体はまだひんやりしているというか。
 それでも、その奥に熱のようなものは確かに感じる。
(なぜ)
 このような。一枚のタオルを二人で共有するようなことになっているのか。しかも、大きさが十分でないため、小さな身体をこちらが抱えこむような体勢だ。
(なぜ……)
 羞恥で頭がうまく回らない。
(これは)
 腕の中のひんやりとしたぬくもり。
(ワラワなのか)
 ゆらぐ。
(まったく)
 変わらない。人体と。
 触れてみてあらためて。
(しかし)
 知らない。
 かつても人のような姿をとったときはあったが、その感触までは。
(な、なにが『感触』だ)
 ますます羞恥が募る。
「はぁ」
 落ちるため息。
「ん?」
 身じろぐ。腕の中で。
「ど、どうした」
 あわてる。あまり動かれてはタオルが。
「う……」
 こちらを向く。
 至近距離で見つめ合う状態に。
「な、何を」
 ぺたぺた。
「えっ」
 触れてくる。
「おい……」
 どういうことだ。
「優しいな」
 脇から。
「なぐさめたいのだ」
「えっ」
「ため息などつくからだぞ」
 またも。叱るように。
「それは」
 そう言われてしまうと。
(情けない)
 ますますの。
「う……」
 ぺたぺた。触れられる。
「こら」
 叱られる。
(ううう……)
 もうどんな顔をすればいいのか。
 わからないまま、うずくまることしかできなかった。

「わかった」
 不意の。
(え……?)
 どこからともなくの。その声に応えたように見えた。
「明日だ」
 唐突な。
「何が」
 問い返すも、すぐに気づく。
「向こうへ」
「そうだ」
 うなずいて。
「白楽(はくらく)が教えてくれたのだ」
「はあ」
 いまのやりとりのことだろう。
(魔法だな)
 いまさらながらの。
 と。そんなことより。
「どうする」
「む?」
「この」
 視線を。
「ああ」
 隣の。寄り添い眠りについているその髪をなでる。
「かわいいな」
「い、いや」
「かわいくないのか?」
「いや」
 そういう問題ではなく。
「おかしいな」
「えっ」
「自分を見て、自分をほめるようなものだ」
「………………」
 そう。もはや言えるのか。
 確かに。
 いまも外見は双子のようにそっくりだ。
 双子のよう。
 それは、そっくりであっても同一ではない。
 明らかに。
 違うのだ。
「ふふふ」
 妹をかわいがる姉のように。
(……いや)
 そこに若干の複雑さを感じ取る。
 それも当然だとは。
(いまだに)
 わからないのだ。目論見が。
(明日)
 向こうの世界に戻る。
 おそらくは、自分そっくりのこの存在もつれて。
(わたしが)
 ついて行けない。
 なら、もはや為すべきことを為すための時間は。
「シャーリィ?」
 前に出た。こちらをけげんそうに見る。
「はっきりさせなくては」
「むぅ?」
 首を。
「わたしに」
 まかせろ。胸を張って言えなくとも。
「わたしと」
 精いっぱいの。
「二人きりにさせてほしい」


 わかった。
 あっさりと。
「………………」
 こうして。二人になり。
(わ……)
 弱音が。
(わからない)
 目の前の。その目的も正体すらも。
「おい」
 それでも。
「わかっているな」
 きょとんと。
「わたしが何を知りたいか」
 首を。かしげる。
「く……」
 ごまかすつもりか。
 いや。
(芝居には)
 やはり。どうしても見えない。
 もちろん、自分は尋問のプロでも何でもないのだが。
(わたしは)
 手を。
「騎士だ」
 槍に。
「忘れていないだろうな」
 突きつける。
「これで」
 ぴくっ。ふるえる。
「何をされたか」
 脅迫。とても小さな子ども相手にすることではない。
(しかし)
 違うのだ。
「おまえは」
 ひるみそうになる己に。喝を入れ。
「そうだろう!」
 声を。
「っ……」
 びくびくっ。
(やはり)
 それとも。ただおびえているだけなのか。
(それは)
 考えれば当然だ。
 自分より長身の者に、しかも武器を向けられているのだから。
(し、しかし)
 自分には。他には。
「この〝針舞(しんぶ)の槍〟で」
 言葉を。
「おまえを」
 詰め寄る。
「もう一度」
 ゆらぐ。
「!」
 それは。
「あ……う……」
 水面。
「やはり!」
 確信を。その高ぶりのまま。
「貴様!」
 手を。前に。
「っ!?」
 のみこまれる。
「しまっ……」
 とっさに引き抜こうと。
「!」
 あっさり。
「うわっ」
 不様に。尻もちを。
「く……」
 痛みより情けなさに顔をしかめる。
「あっ」
 そんなことより。
「!?」
 そこに。
「なっ……」
 いない。
「………………」
 いた。
「お」
 おそるおそる。
「おい」
 手を。
「っ」
 ふれた。
 同じように手を伸ばしてきた向こうの手と。
(鏡……)
 感じた。
(い、いや)
 なぜ、こんなところに。
(っ)
 と。
(ワラワが)
 鏡。
 空の月を映し出す水面のごとく。
 海の。
 水の王として。
(それで)
 そっくりの姿に。
 そして、今度はこの自分に。
「な……」
 なめるな。言おうとして。
「う!」
 つかまれた。
「やらせはしない」
 怒りの。眼差しで。
 言われた。
「ワラワ」

「……え」
 何と。
「わ」
 ワラワ? こちらに向かって。
「ば……」
 馬鹿な。違うだろう。
「おまえが」
「何を言う」
 目を。剥き。
「よくもいままで」
(え? え?)
 何をしたと。
「ち……」
 違う。
 押されるまま。そう言いかけている自分に気づき。
(……な)
 何を。
「わたしは!」
 逆に声を。張られ。
「わたしだ!」
「………………」
 答えようが。
「わ」
 わたしだって。言いたい。
(あ……)
 あり得ない。
 二人の自分。その時点で。
(どちらかが)
 はっと。
(そうでは)
 どちらも何もない。
 自分だ!
 自分こそが。
(自分)
 その自分とは。
(ど……)
 どの自分を。
(これが)
 手を。
(自分)
 と。言い切れるのか。
(わたしは)
 シャーリィ・モイ。騎士。
〝現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)〟の〝大騎士(アークナイト)〟。
(いや)
 肩書きではない。
(本当の)
 これまで。自分は。
(わたしは)
 生まれた。
 英国名門貴族の、その使用人の家系に。
(お嬢様)
 出会った。
 愛らしいレディ。
 姉のようになつかれ、こちらもまた慈しんだ。
 そんな少女の憧れ。
 騎士に。
 自分は。
(その程度の)
 がく然と。
(わたしは)
 想いで。これまで。
(なんて)
 情けない。
 痛切に。身を裂かれるように。
「シャーリィ」
「!」
 そこに。
「あ……」
 崩れ落ち。そうに。
「お嬢……」
「いいの」
 微笑まれる。
「シャーリィは」
 とてとてと。記憶とかわらないあどけなさで。
 抱きつく。
「シャーリィだから」
「ああ……」
 胸が。
「お嬢様」
 張り裂けそうな。想いで。
 抱きしめる。
(ああ!)
 ここに。ある。
 感じる。
 確かに。
(どこにも)
 行かない。行かせない。
 このまま。
 レディの騎士として。
(生きる)
 ためらいのない。
(ここに)
 あったのだ。
「シャーリィ」
 はっと。
「あ……」
 腕の中に。
「お、お嬢様?」
「私は」
 顔を上げ。
「おまえのお嬢様ではないぞ」
「あ……!」
 そうだ。
「わ、わた、わたしは」
 困惑の。極み。
(な……)
 何ということを。
(お嬢様と)
 間違えるなどと。
 いくら年格好が同じだからと言って、何より大切な。
(……え?)
 同じ。
(い、いや)
 違う。違う、違う。
(お嬢様は)
 いまの。それは。
(わたしの)
 慈しんだ。愛おしんだ。
 守るべきレディ。
 では。
「ああ……」
 後ろに。
(では……では……)
 何のために。
(わたしは)
 何なのだ。
「仕方のない」
 やれやれと。
「私が」
 こちらに。
「あ……」
 思わず。逃げそうに。
「情けない」
「……!」
 それは。ずっと。
「違うだろう」
「えっ」
 たまらず。
「そ……」
 すがるように。
「そうだろうか」
「そうだ」
 頼もしく。
「ああ……」
 うれしい。
(そうか)
 ここに。
 ある。
(わたしは)
 いられる。
 ここに。

「仕方ないな」
 ため息を。
 それは半ば自分にも向けられたものだった。
「チュイ?」
 どういうこと。聞きたそうに。
「私なのだ」
「チュ?」
「私が」
 遠くを。
「望んでいたのだ」
「チューイ?」
 何を。
「私はな」
 微笑む。
「がんばっているのだ」
「チュイ」
 うなずく。本人の言葉ながら間違いなくその通りだ。
「それはな」
 目を。
「あまり、よくないことなのかもしれない」
「チュイッ」
 驚きの。
「だから」
 心配するな。笑みを見せつつ。
「私なのだ」
「チュ……」
 またそこに戻った。言いたげに。
「難しかったか」
「チュイチュイ」
 こくこく。
「ふふっ」
 なでる。頭――というか全体を。
「責任だ」
「チュイ?」
「私には」
 凛々しく。ゆるがない。
「私に期待を寄せてくれるおまえたちに対して責任がある」
「チュ……」
 重々しく。
 こちらの機械音もかすかに緊張する。
「わかっているのだ」
 はかなく。瞳が。
「知らないふりをしていたのだな」
「チューイ?」
「姫と呼ばれても」
 落ち着きを。
「そうでない私もいるのだ」
「チ、チュ……!」
 あわあわ。
「ヒメサマ、『ヒメサマ』イヤ?」
「そうではない」
 笑う。
「私は私なのだ」
「チュ?」
「姫の私がいて、そうでない私もいる」
「ソウデナイ?」
「そうだ」
 なでる。
「微兎は私が好きか」
「チュイッ」
「けど、好きでない私もいるだろう」
「チュイイッ」
 そんなのない! 激しく左右に首というか全身をふる。
「いいのだ」
 言葉通り。構わないという笑み。
「それも私なのだ」
「チュゥゥ……」
 納得いかないという。
「いいのだ」
 くり返し。おだやかに。
 ただ〝弟〟のことをなで続けた。

ⅩⅢ

「ハッ!」
 起こす。身体を。
「あ……あ……」
 手を。
 見つめる。
「………………」
 これは。自分の手か。
 ここにいるのは、本当の自分か。
 別の何かではなく。
「気分はどう?」
「!」
 ベッドの。脇に。
「レイナ館長……」
「おはよう」
 笑みで。
「………………」
 どう。返すべきか。
「行ったわよ」
「っ」
 それは。
「わ、わたしも!」
 ベッドを飛び出しかけ。
「っ……」
 止まる。
(行って)
 どうなると。
「よろしくって言ってたわ」
 諭すように。
「………………」
 悔しさだけが。じくじくと胸の内を苛む。
「わたしは」
 こらえきれず。
「何も」
「そうね」
 あっさり。
「未熟」
 重ねて。さらに。
「………………」
 言葉もない。
「けど」
 声に。優しさが。
「わたしだって、どれだけ熟してるっていうのかしら」
「熟……」
 言い方が。
「歳のことじゃないわよ」
「は、はあ」
 そんなことは。
「実際、未熟よ」
 胸に手を当て。
「どうして館長なんてやれてるのか、ぜんぜんわからない」
「それは」
 同意できない。
〝騎士団〟における七人の〝智騎士(ケルブ)〟、すなわち各区館のトップである館長の中でも、その信頼感とカリスマにおいて一頭地を抜く人なだけに。
「姫と同じね」
「えっ」
 思わぬ。
「言われたことがあるの」
 何を。
「『おばあちゃんだけど姫だったのよ』って」
「………………」
 理解が。
「あー」
 それもそうかと。舌を。
「アンナマリア様よ」
「えっ」
 知らないはずもない。〝騎士団〟に四人しかいない最高位〝熾騎士(セラフ)〟の一人で、最高齢の騎士でもある。
「〝騎士姫〟」
「え……」
 耳慣れない。
「そう呼ばれてたんですって」
「それって」
「ええ」
 うなずく。
「姫……」
 同じだ。
「違うわよ」
「えっ」
 あっさり。こちらの思ったことなど見抜かれ。
「特別な意味合いはない」
「はあ」
「んじゃないかな」
 どっちだ。
「そう呼ばれてもおかしくない方だってことはわかるけど」
 それはその通りなのだろう。
 はるか雲上の存在ではあるが〝騎士の学園〟と呼ばれるサン・ジェラールの学園長を務めていたこともあり、間近に接したことがないでもない。
 とにかく、誰にでも優しく気さくな人だ。
 位階を誇るようなところはまったくなく、まさに〝聖母〟と呼ばれるにふさわしい慈愛をたたえている。
(姫……)
 思い浮かぶ。
 いまと変わらない心持ちのまま、若く可憐であったころ。それは確かに、姫と称えられてもおかしくなかったであろうと。
(しかし)
 タイプは違う。かもしれない。
 けど、どちらも姫と。
 そうためらいなく呼べるものは確かに。
(……あ)
 そうか。
 違う。
 なのに、同じ。
(どちらも)
 心からの。敬服。
 人として。
 それは、言葉になるより前のもっと根源的なところでの。
(わたしは)
 何を。
 上っ面の言葉にとらわれていたのだろう。
(この)
 奥に。
 胸に拳を当て。
(あるもの)
 ごまかしの効かない。
 それが。
(わたしだ)
 何の決めつけもいらない。自分がどうこう思う自分など。
(いらない)
 心に。確かな。
「それで」
 顔を。
「どうするの」
「………………」
 答える。
「わたしは」
 何の気負いもなく。
「騎士です」
 言えた。
「そう」
 それで。
「じゃあ」
 肩に。手を。
「はい」
 うなずく。
(もう)
 ためらいは。
(このままを)
 生きる。だけ。
(お嬢様)
 心で。
(いや)
 それは。
(アリス)
 お互いの。道は。
(それぞれ)
 歩いていく。
 そうなのだ。
「館長」
 頭を。
「未熟の身であることを承知で」
「いいわよ」
 あっさり。
「うちの子たちもよろこぶから」
 応じるように。
「きゅいー」
「きゅいきゅいー」
 外から。
 潮騒と共に鳴き声が届いた。

真緒とワラワ

真緒とワラワ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-22

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. ⅩⅢ