星から来た男

ほんのりBLですので苦手な方は避けて下さい。

「俺は本当はあの星からやって来たんだよ」
 
 久木桐吾がいきなりそんなことを言い出すものだから、俺は今いる時空が歪んでしまったのかと思った。
 桐吾はおよそそういうスピリチュアル的な言動をする男ではなかった。ロマンチックな性格な男でもなかった。突然ふざける人間でもなかった。どちらかといえば堅物。合理主義者。淡々としたリアリスト。それからちょっと変な奴。物事を理詰めで考えすぎる傾向がある。とにかく「星からやって来た」なんて発言を冗談でもしない人間だったのだ。
 それはもちろん、俺の知る限りにおいてだ。
 学生時代のサークル繋がりで今もたまに遊ぶ。俺と桐吾の関係はそういう薄っぺらいものだ。だから、ひょっとしたら裏の顔が隠れている可能性もあるかも……。
 いや、ねえよなあ――俺は即座に、否定する。

 
 久しぶりの連休になった週末、俺は町の体育館でバドミントンをする為にコートを借りた。
 声を掛けたメンバーは元サークル仲間のコテツとよっちんとイセ、そして桐吾だ。2時間、ラケットを振り回し走りまくった。夏の陽射しが容赦なく窓から入って来る。申し訳程度に稼働している空調の中で、汗が滴り落ちた。古い床材が苦しそうにキュウキュウと鳴る。「足に負担がはんぱねえ」と社会人になって10キロ太ったというよっちんが弱音を吐く。
「まだギリ20代だろ。そんなで中年になったらもっとえぐいぞ」
「ほら、走れ。現役時代を思い出せ」
 コテツと俺は声を合わせて煽った。
 イセはニヤニヤしながらよっちんに水の入ったペットボトルを渡す。
 桐吾は何をしていたのかな。
 たぶん普通に俺たちのやり取りを眺めていたような気がする。馬鹿にするでもなく、嫌な顔をするでもなく。淡々とその場に収まる。学生の頃から桐吾の立ち位置はそこだったからだ。それが奴に取ってとても居心地が良い様子だったので、誰も『もっと絡もうぜ』なんて野暮なことは言わなかった。
 存分に運動した後、ロッカールームに併設されている温水と冷水が交互に出てくる謎のシャワーを浴び、ファミレスで飯を食った。それからコテツとよっちんは用事があるからと帰って行った。イセはもっと具体的で、今度彼女と同棲するマンションの下見に行くという。
 結果、俺と桐吾だけが残された。
「どうする? カラオケでも行くか?」
 俺は、まだアパートの部屋に帰りたくなかった。懐かしい学生時代の余韻に浸っていたかった。
「カラオケか……」
 気乗りしない風に桐吾が答える。
「俺、最近の歌、なんも知らないんだよな」
「別に歌わなくてもいいよ。もうちょっとだらだら喋ろうぜ」
「それならスタバでも行けばいいんじゃないの」
「うーん。なんか、違うんだよなあ」
 とにかく立ち止まっているのもおかしいから、俺たちは当てもなくぶらぶらと歩き出す。
「もっと静かなところで話がしたい……かも」
「カラオケが静かか?」
 桐吾が不思議そうに返してきた。
「いや、間違えた。囲いに守られた空間でゆっくりしたいのかも」
「お前、大分疲れてんなア」
 まっすぐに前を向いている桐吾の真面目な顔は崩れない。その顔でこう続けた。
「お前さ、さっき仕事のことで悩んでるって言ってたよな」
 ああ、言ってた。実は転職を考えてる。今の会社と自分とのミスマッチングに辟易としているのだ。近々転職エージェントに連絡してみようかとまで思っている。それを今日も休憩の合間にこぼしていた。いろいろアドバイスをしてくれるコテツ達とは違って桐吾は黙っていた。こういう話に興味がないのかと思っていたが、そうでもなかったのか。
「仕事のどういうところが嫌になったんだ」
「どういうところって……。まあ、そりゃあいろいろ」
 詳しくは社外秘だと言うと、桐吾は眉をひそめた。
「順風満帆でお仕事してる奴にはわからないよ」
 俺が嫌味ではなく本気でそう付け加えると、急に自販機の前に立ち止まった。スマホで操作を始める。ガコンと音がして、落ちて来たのは熱々のポタージュスープ缶だった。それを屈んで取り出し、俺に突き出した。
「奢ってやるよ」
「え?」
「お前、学祭の打ち上げで、これが好きだって言ってただろ。だからこれ飲んで元気出せよ」
 俺は目を丸くして桐吾を見た。何となく手を出して受け取るが、すぐにポタージュ缶の温度に我慢できなくなった。
「あっち!!」
 奢ってくれるのは嬉しいが、こんなクソ暑い夏の日にどうしてホットなポタージュ缶なんだよ。打ち上げでそんなことを俺は言ったか。もう遠い遠い昔の記憶だ。どうしてそんなつまらないことを桐吾は覚えているんだろう。
「お前さあ、やっぱりどこか変な奴だよなあ」
 サークル仲間の中でひとりだけ院試に受かった。それも前期推薦枠でだ。修士まで進んで今度は教授推薦で一流企業にすんなり入った。俺が中小企業の販売部にくっ付いてるちっぽけな開発部所属なのに対して、御立派な研究開発部の優秀な研究員として活躍している。
「この前、お前んとこの会社のホームページ見たぜ。『未来を託す我が社の研究員達』のページ」
 たぶん研究所の中庭だろう。写っている立派なレンガの壁は、会社というよりどこかのお城みたいな造りだったな。濃い緑をバックに白衣を着て腕組みなんかしちゃってさ。痩せ型の長身の身体を少し斜めにしてこちらに視線を向けている。カメラマンがいいのか、それなりに有能に見えたぜと言うと桐吾は苦笑いだけをした。
「そこはモデルがいいって言い返せよ」
「いや、さすがにそれはない。デジタル修正一杯入れたんだろ」
「だとしたら大した腕だ。本当にそれなりに自信たっぷりなイケメンに見えたもんな」
「……それなりに、ねえ」
 自分はポタージュではなく冷たい缶コーヒーを選んでいる。俺も本当はそっちの方がいいと思ったが、奢られた以上贅沢は言えない。羨まし気に見ている中、ステイオンタブを指に引っ掛けた。
「俺はそういうのがうまいんだよ。いつも、それなりに見せるのがさ」
 そうして桐吾は言ったのだ。
「だから俺は異星人なんだよ、たぶん」

 
 「え?」
 俺はずっと固まっていた。
 桐吾の言葉の意味が分からなくて、ずいぶん長い間、その場に突っ立っていた。いろんな仮定を繰り返し、それでも分からなくて、遂に怖々訊いてみた。
「ごめん……俺はお前より頭が悪いからよく分からないけど、それは何? 何かのたとえ?」
「いや、そのままだ。俺は星から来たんだ」
 クソ真面目くさった桐吾の顔。
 たまらず俺は頭上を指さした。さっきまではまだ明るさが残っていたのに、いつのまにか墨色の空になっていた。そこに星がひとつ強く瞬いている。夏の夜空。宵の頃。今見えるあの星の名前は何だったか。理科のテストで出たよなあ。いや、そういうことじゃない。
「星ってあれか? まさか」
「そのまさかだ」
「……あのな」
 勘弁してくれよ、俺は思わず情けない声を出してしまった。
 そんなにカラオケ行きたくないのなら、もういいから。俺と別れてもう家に帰りたいのなら、別に止めやしないから。頼む。そういう回りくどい拒絶は本当に分かりにくいんだって。
「そういうことじゃないんだ」
 桐吾の口調は至極冷静だった。かつての学会でのポスター発表の時と同じ口調だった。明確な信念を持って正しい知識を他人に伝えなければ――ただそれだけの為に一生懸命になっている。だからこそ謎が深まる。
「だったらどういうことだよ」
「俺は星から来たから、この地球の様々な人の姿に擬態するのが上手いんだ」
「意味わからん」
「さっきお前が言っただろう。それなりに見えるって」
「いや、あれはただからかっただけだぞ。深い意味なんかないって」
「ああ、分からないだろうなあ。地球人には」
 「見ろよ」と、桐吾もまた夜の空のひとつの星を指さした。俺がさっき見つけたものとは違う。気が付けば星はいくつも散らばって輝いている。あ、こいつ適当に指さしてるなと思った。星から来たなんてやっぱり嘘だ。もちろん嘘に決まっているが。
「自分が異星人……そう考えればいろんなことが腑に落ちる。そうなれば以前から感じていた違和感も全部納得できるんだ」
「た、例えば」
「何となく単位が取れて院試も受かって、就職もできた」
「凡人に喧嘩売ってるのかよ」
「本当に実感が持てなくてさ。皆がワイワイ盛り上がっていても、うまく気持ちが添えないんだ。だから擬態してやり過ごしてきた」
「それで星から来たっていうのは、かなり短絡的過ぎないか」
 確かに、と桐吾は手を降ろした。
「でもそれだけじゃなかった。だからそういう結論に及んだんだ」
 再び手を上げ、今度は俺のポタージュ缶を指さす。
「俺がいつまでもお前の好きなものをしつこく覚えていることとか」
 あと、今日、一緒にバドするのがずっと前からとても楽しみだったこととか。お前が声を掛けてくれたことがすごく嬉しかったこととか、お前の仕事の悩みが妙に気になることとか……それから何があるかな、と桐吾は真剣な顔で指を折っている。
「つまりそういうの全部が、ただ仲良しな友達ってのを擬態してる結果だと思うんだ」
「本当にそう思ってるのか」
「たぶん」
 桐吾は自信なげにうなづく。
「さもないと自分で納得できないからな」
「なあ、おい。頼むから平凡な地球人にもわかるように、もっと噛み砕いて説明してくれよ」
 俺の困り果てた顔に対して、桐吾もまた困り果てた顔で返した。
「ちゃんと説明できないから異星人なんだ」



 俺達はもうカラオケに行くのは止めにした。
 かと言ってスタバに行くわけでもなかった。
 そのまま黙り込んでどんどん道を辿り、町の真ん中を分断する大きな川の河川敷まで来た。川面は真っ黒で泥を流したようだった。雑草の生い茂る草地は避け、護岸ブロックのコンクリートの上にふたりしゃがんで座った。互いにまだ右手に飲み残した飲料を握っていた。俺はポタージュスープ缶。桐吾は缶コーヒーだ。少し視線を上げると広々とした空に夥しい星が見えた。
 もうその頃になると、俺は異星人を擬態し続けるこいつにとことんつき合ってやろうと決めていた。
「……ここまでの話を総括すると、それじゃ桐吾はいつかは星に帰ってしまうのか」 
「まあ、そういうことになるな」
「いつだよ」
「未定」
「じゃ、どうやって?」
「さあな」
「宇宙船が迎えに来るのか。それとも自力で飛んでいくのか」
「わからない。今、研究中だ」
 ヤケクソのように言い放つと、桐吾は缶コーヒーの残りをがぶがぶと飲み始める。ほのかに甘いコーヒーの香りが辺りに漂う。場にも今の話題にも似合わない日常の匂いだ。何だか心細い思いがした。いつか本当にこいつが星に帰ったらどうしようかとふと考えた。寂しくなるかな。ひとりだけ大学に残ると言い出した時の、覚束ない感情が甦る気がした。
「いいなあ、俺も星に行ってみたい」
「地球人には向いてない。酸素もないしな」
「今の仕事辞めたらしばらくゆっくりしたい。桐吾と星に行ってみたい」
 三角座りの膝に顔を擦り付けて、俺は呻いた。退職したら間を置かず、次の職場で働くつもりだった。その為にエージェントを頼ろうとしていた。でもそんなのもう急にどうでもよくなった。本当に星に行ってみたくなった。それも桐吾と一緒に。どうしてくれるんだ。酸素もないのに。
 最後の一口を飲み干してしまうと、擬態異星人は完全に黙ってしまった。
 ずっと深く考えている。
「……つまり……つまり」
 そうして賢い頭で熟慮した末の言葉が、これだった。
「お前も星から来たってことでいいか?」
 俺は思わずポタージュ缶を握りしめていた。どういうわけか飲み口が傾き、残っていた黄色い液体が足元に零れ落ちた。
 とろりとしたそれは、地面にぶつかったとたん、無数の黄金色に輝く星屑となって飛び散って行った。


end

星から来た男

星から来た男

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-21

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