『空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン』

一部、加筆修正しました(2024年7月18日現在)。



 画家にとってドローイングとは描こうとする対象のフォルムや配置を整える作業である、と同時に思い付いたアイデアを自由に試せる機会にもなる。
 こう記すと楽しいだけの工程のように思えるが、実際にはそこでの成果が完成後の絵のクオリティを決定的に左右するのだろうから相当な重圧を伴う。行使できる自由なんてたかだ知れてる、と鉛筆を持つ誰もが口にされるかもしれない。
 それでも、ふとした拍子で思惑を外れた一本の線からするすると進んで形になっていく予想外の事態にワクワクする特権を画家は享受できるし、商品としての価値を見極める為に維持していたはずの他人の目が一気に様変わりする革命を先験的に得られるのも、ドローイングに励む画家ならではの喜びだ。
 そういう数少ない(かもしれない)幸せを、筆を置く最後の最後まで手放さずにいられた画家の一人としてジャン=ミッシェル・フォロン(以下、単に「フォロン」と略す)の名前を挙げるのはきっと間違いではない。自らの名刺にフランス語で「空想旅行案内人」と記した画家は脇腹をくすぐるような発想を、実に柔らかいタッチで伝える才覚に優れていた。
 例えば男性が座るソファーの座面の沈み具合を、魚が住まう海に喩えて見せる軽やかさ。尋常じゃない数のキーボードを備えたタイプライターを駆け上がる人物が、天井に広がる宇宙に向けてメッセージを打つ姿に認められる詩情性。あるいは全体が藍色に染まり、入り組んだ様を見せる地下の迷宮の如き世界においてたった一つ、真っ白に存在する扉を象徴的に語り切る「声」の強さ等々、センスという言葉に収めるには勿体無い良さがフォロンにはある。
 他方でどこまでも底意地の悪い凶悪なメッセージを見る側に届けられるのもまた、かの画家の特徴であると言わずにはいられない。
 冷戦の時代、人々を脅かした核保有の脅威に対して水中を優雅に泳ぐロケット群を実にソフトに描いて見せた作品は一発、一発に施した絵本のような色彩をもって鑑賞者の心を深々と抉る。とある国々の国旗を躊躇いなく用いて反戦に向けたメッセージを表現するにあたっても、色に対する鋭い感覚で構図に宿る刺々しい意思を全面的に伝えた。自身のキャリアの転機となったニューヨーカーの雑誌の表紙にも、拡大する資本主義経済と足並みを合わせて高層化する都市風景を彼は不気味に描いている。そのキャリアにおいて世界人権宣言の挿絵も手掛けたが、ピックアップした条文が規定される理由を暴かんとばかりにその絵筆を動かし、一人の画家として世界の酷さに目を瞑ろうとはしなかった。
 空想に羽ばたく力強さの裏に、現実に対する途方もない怒りがフォロンの内側に渦巻いている。そういう妄想を鑑賞者に抱かせるのに十分なこれらの作品群は、けれど「人間」自体を否定する事だけは避けている。
 彼の作品を鑑賞した者として把握できるこの直観を喩えるなら人の駄目な所、どうしようもない一面をとことん愛し、人情噺に花を咲かせてお客さんを楽しませる落語が一番適しているかもしれない。
 落語に欠かせない人間の両儀性は、例えば映画鑑賞が趣味である筆者の中でスターウォーズシリーズのアナキン・スカイウォーカーといったキャラクターとなり、思考と感性の交流の場を提供してくれるが、フォロンという画家の根底にあるのもこれに似た感覚なのだと思う。その関心が描くポイントは人間の身の内に渦巻くあらゆるものに一石を投じて波紋を生む。その影響力は決して軽くない。目も当てられない現実を具に知り、それを描いた後でも、フォロンという画家がとびきり豊かな夢を見るからだ。それは情報としての伝達力により一層の磨きをかける。SNS時代にあって非常に厄介な一面を獲得している大衆性も、だから単に牙を剥くだけでないその「ことば」を聴かずにはいられない。
 油断と驚嘆の狭間にあって、画家が見せる興味深い頭の中は今も人の心を鷲掴みにする。時代の波に洗われてよりなお輝く表現ぶり。「空想旅行案内人」は今も通用する肩書きとなって、私たちをさらに先に導いていく。
 そんなジャン=ミッシェル・フォロンの大回顧展が東京ステーションギャラリーで現在、開催中である。上記したドローイングの他にも数多くのポスターや彫刻、アニメーションといった様々な作品、約230点が鑑賞できる。非常に興味深い展示構成になっていて老若男女、楽しめるものとなっている。興味がある方は是非。胸を張ってお勧めしたい。

『空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン』

『空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-18

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