模様売りのライカ 1

私は模様売りのライカ すこしばかり、私の昔話を聞いてくれるかい?

 ラクダの上で揺られ続けた体は、少し動かすだけでぎしりと軋んだ。眩しい夕日に目を細めながら、降り立った久しぶりの地面の感触に、ライカは深く息を吐いた。
 前の村を出発してもう4週間、彼はラクダに揺られ、来る日も来る日も激しく降り注ぐ陽の光と凍てつく夜の寒さに耐えた。そして、次の目的地であるカラクサを目の前にして彼が道を共にしてきたキャラバンは最後の休息をとることにしたのだ。
このキャラバンは、薬や香辛料を中心に取り扱う商人の集まりで、博識な者が多くライカは道中彼らとの会話を存分に楽しんだ。ライカの他にもこのキャラバンと道を共にしている者はちらほらといるが、故郷へ帰るためだったり、単独で行動している商人だったりとその目的は様々だ。
 ライカも単独で行動している商人という扱いになるが、彼の珍しい商売に誰もが興味をもった。ライカは≪模様売り≫である。模様売りとは、村と村を渡り歩き、そこで生み出された模様を習得し、他の村でそれを教え金銭を得るという商売である。模様は単に美しいだけでなく、魔除けや祈願の役割ももっている。模様売りは客の求める効果がある模様を、幾千幾万と頭に叩き込んだ模様から選び抜き、一時的に村に滞在して伝えるのだ。正直、あまり儲かる商売ではないが色々な場所を渡り歩く生活をライカは気に入っていた。
 前の村では婚姻を控えた女性のために、健康で豊かな生活を送れるようにいくつかの模様を伝えた。その村では絨毯に使われる非常に特徴的な模様がいくつかあり、それらは滞在中にもうライカの頭にしっかりと刻まれていた。彼の頭には数え切れない膨大な模様が詰まっている。その意味も成り立ちも彼は知っているし、それが彼の財産だった。
 厳しい砂漠の旅の途中、束の間の休憩に彼が砂に模様を描けば、誰かが自分の故郷の模様だと嬉しそうに笑った。道中をキャラバンと連れ立って進むのは、何よりも身の安全のためであるが、彼は自分の知っている模様と話で人を喜ばせるのが好きだった。
 そんな旅ももう少しで一区切りがつく。明日の朝出発すれば昼頃には次の村に到着するだろう。キャラバンの者たちが身を寄せ合う毛皮のテントの片隅を借りて寝ころべば、テントの外すぐ近くでラクダが鼻を鳴らしたのが聴こえた。
 何人もの人間が入れる毛皮のテントをライカが目にしたのはこのキャラバンが初めてだった。扱っている品から商人たちがそれなりに裕福であることは想像していたが、実際に行動を共にしているとその豊かさに度々驚かされた。ここまでの道中、ライカもその豊かさのおこぼれにあずかっていたが、素朴な旅に慣れていたせいか少しばかり気疲れしていた。寝ころんだまま乾燥したナツメヤシを口に放り込んで次の村のことを考える。カラクサはシシリ川に近く、肥沃な土地ではあるが、その反面、多くの水害に見舞われてきた。そのため、水の神、川の神に捧げる模様が代々伝えられているという噂をライカは聞いたことがあった。噛むごとにナツメヤシのじんわりとした甘さが口に広がる。彼が思考の沼に沈んでいる間にいつの間にか周りの話し声は途絶え、テントには寝息だけが響いていた。
 カラクサに着いたら、まずお湯を浴びたい。少し伸びすぎた前髪も切ってさっぱりしたら、どの村でもしてきたようにこれまでの旅の話をするのだ。
 模様売りがやってきたと知ると、村の人、特に女性や子どもたちが話をしてくれと集まってくる。絨毯を織ったり、刺繍をするのは主に女性の仕事であり、模様はそれらに欠かせないものだ。模様のバリエーションの豊富さはその家がいかに伝統があるかを示すひとつの要素でもある。自分の妻、娘が一つでも多く模様を覚えることを男たちは望んでいるのだ。
しかし、ライカはよく知っていた。模様売りに話を聞きに行く、模様売りから模様を習うということは、自由に遊びに行くことが難しい女性たちにとっては模様を習うためだけではない楽しみな時間の一つなのだ。
 お茶を飲みながら家の話や夫の愚痴、日々のとりとめもない話で盛り上がる彼女たちを見るのがライカは好きだ。よそ者の彼にだからこそ持ち掛けられる相談にも丁寧に答えた。模様を覚え、伝えていくことは代々受け継がれている重要な仕事であると幼少の時から口酸っぱく言われている彼女たちは、口が動いていても、針を操り、模様を描きとるしなやかな指の動きが止まることはない。
 母親に連れられてきた子どもたちも、ライカに旅の話を聞かせてとせがむ。期待に輝く瞳に囲まれて、ライカはアラビアオオカミに襲われた話やシュマイラの美しいお姫様の話、やっと見つけたオアシスが陽炎だった話などを持ち前の良く通る声で聞かせた。子どもたちはもちろん、そばで談笑していた母親たちも話が終わるころにはすっかりライカの語りに夢中になり、日を追うごとにライカを囲む人々は増えていった。
 カラクサは商人がよく出入りする豊かな村だから、自分の語りもあまり珍しがられないかもしれないが、この前、北の商人から聞いた赤い湖の話は絶対に聴く人みんなが驚くだろう。
 楽しい想像に無意識に緩んでいた口元から欠伸が漏れる。明日もきっと早い。ライカは懐にしまってある小さなノートの存在を服の上から確認して、眠りについた。

 突然の爆音と衝撃で跳ね起きる。テント内は混乱を極めていた。他の者に続いてライカもテントを飛び出せば、遠くに見えるカラクサの街が炎に包まれていた。真っ暗闇の中、赤い炎が咆哮を上げながら街を飲み込んでいく様子は、まるで魔人の見せる悪い夢のようで、とても信じられる光景ではなかった。黒い煙が夜の闇をなお深いものとする。カラクサは肥沃な土壌がゆえにここらでは珍しく、木造の建物もあると聞く。この炎ではひとたまりもないはずだ。キャラバンが半ば叫ぶように話し合いを始める中、ライカは自分のラクダに跨りカラクサへと駆けだした。

 ライカがカラクサの街の入り口に着くころには、火はほとんど消えていた。ラクダをその場で待たせ、彼は口元を布で覆い、まだ黒い煙が立ち上る街へと足を踏み入れた。昇り始めた日が焼けた街をうっすらと照らす。美しかったであろう町並みは無残な姿になっていたが、ライカの予想よりは木造の建物が少なかったようで、ほとんどの建物はなんとかその形を保っていた。つながれたまま死んだ馬の死骸を横目に、ライカは目についた一軒の家に入った。周囲の家に比べて大きなその家は、一目で特別裕福な家庭であることがわかる。半開きになった扉をくぐれば、家の中は荒らされていた。この大規模な火災はおそらく、夜盗の仕業だろう。
 ここ最近、同じような火災の噂をライカはキャラバンにいた一人から聞いていた。街に火を放ち、集団で夜盗を働くというそいつらは南方から北西へ向かって進んでいるとのことだった。おそらく南方の国で起きていた戦争が原因で貧困にあえいだ末の行動であろうが、このカラクサの被害は前に聞いた同様の火災よりも規模が大きい。足を進めると、床に飛び散った色ガラスがぴきりと高い音を立てた。たしかこの辺に…… ライカは上等な絨毯をめくり、床を叩いた。数か所叩くうちに、一か所だけ音が響く箇所を見つけた。

つづく

模様売りのライカ 1

模様売りのライカ 1

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-13

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