春に逝く 番外編 ちいさなちかい

 覚えたことがあるから、聞かせたい。と審神者は加州清光を部屋に呼び出した。審神者の部屋には何もない。錯乱した時に自分を傷つけないための鋭利なものも。……精神や肉体のための薬も近侍である加州清光が管理している。ここには、危険なものは何もない。真昼の外には梅雨のしっとりとした雨が降っている。どこもかしこも静かな空間であった。加州清光が部屋に入れば、審神者はいつもの緋袴の巫女装束で、布団の上に正座をしていた。
「加州」
「主。どうしたの」
「ん、ん」
 審神者は自身の正面の、敷き布団に包まれた畳をぽんぽんと叩いた。座れという命令。加州清光は審神者の前に座る。自然と、審神者に合わせて正座をした。
「何を覚えたの?」
「ん……加州、もっと、ちかく」
「こう?」
「うん」
 膝と膝が触れ合うほどに近づく。すると、審神者は膝立ちをし、ばさりと加州清光の頭に布をかけた。何かと加州清光が触ってみれば、それはふわふわの白色のバスタオルだった。今日は外に出ていないから髪は濡れていない、髪を拭く理由もないと審神者を見つめれば、審神者も膝立ちのまま、加州清光を見下ろしていた。正座になった加州清光に、彼女は膝立ちになってようやく彼を見下ろすことができるのである。
「? 主」
「加州、わたし、おほえた。……ちかいの、ことば。だいすきに、おくる、ことば」
「ちかいのことば」
「うん。きいて」
 審神者はすうと息を吸った。

「ちかいのことば。すこやかなるときも、やめるときも」
 白い髪が揺れる
「よろこびのときも、かなしみのときも」
 すっとその目が細まる。
「とめるときも、まずしいときも」
 幼い唇が辿々しく言葉を紡ぐ。
「あいし、うやまい、なぐさめあい、ともにたすけあい」
 バスタオル越しに、彼の髪を撫でる。
「そのいのちあるかぎり、わたしは加州を、だいすきなことを、ちかいます」

 そうして、ふわりと加州清光の額に口付けた。音も立てない、静かな口付け。唇を離すと、審神者はすとんと正座をし直した。ふーと満足げに息を吐いている。
 加州清光は、正直面食らっていた。何故なら、そんなことは今さら言わなくてもわかっていることだったからだ。きっと異国の言葉なのだろう、聞き覚えのない愛の言葉。それを覚えたからと言ってくる幼い審神者のいじらしさ。加州清光には審神者が淡い光のように感じていた。真昼の空では見えない夜の光、本来は触れられないもの。そんな光が今、自分に愛の言葉を言い、口付けをした。ああ、触れてくれるんだ。この光は、けして触れられないものなどではない。手の中に降りてきてすっぽりと収まってしまうのだ。審神者は手を伸ばし、またバスタオル越しに加州清光の髪を撫でた。
「加州、わたししった。だいすきはね、しろいぬの、かぶるの」
「……そうなんだ」
「だから加州がかぶるの」
「じゃああんたも被らないと。俺の大好き、主」
「……わっ」
 加州清光は審神者を抱き寄せ、掛け布団を引っ張った。頭に被っていたバスタオルがぱさりと落ちる。布団の色は、いつだって白であった。頭までふたりで潜り込み、屈んだ鼻と鼻が触れ合う。布団に遮られ、外の雨の音が遠のいた。薄暗い布団の中で、ふたりは再び見つめ合う。そして愛しげに目を閉じ、どちらともなく唇を合わせた。触れ合うだけの口付け。だが味わうような、お互いの輪郭をなぞるような口付け。しばらくしてすっと離れ、加州清光は審神者の頬を手の甲で撫でた。
「命ある限り……か」
「加州?」
「ん。俺も、命ある限り……ううん、命が尽きても、あんたのことが大好きだよ」
「……ん」
 審神者は加州清光の手の甲に頬を擦り寄せる。世界一愛しいものを見つけたかのように。加州清光は片手で審神者を抱きしめ、片手で審神者の頬を撫で続けた。宝物を、閉じ込めるように。
 馴染みのない誓いの言葉、外の世界から持って帰ってきた知識。そんなものは、加州清光にとってはもうどうでもよかったのだ。たった今、幸せならば。

 雨はまだ降っている。

春に逝く 番外編 ちいさなちかい

春に逝く 番外編 ちいさなちかい

加州清光×幼女審神者。数年前、まだ審神者だった頃。六月の、花嫁

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-13

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