郷愁
submerge
自転車の後ろに乗せられた小さな女の子の金魚帯が揺れる。暑くて湿っぽい夏の夕風に押さえ付けられることもなく、すいすいふわふわと、水に揺れる透き通った尾ひれのようだった。私は涼し気な金魚とは正反対の重い足取りで、熱気が立ち上るアスファルトをなんとか進んでいく。
蝉の死骸、はずれと印刷されたアイスの棒、他のに比べて直径が大きくて平べったいペットボトルの蓋。これは昔、飼っていたトカゲの水入れにしていた。下を向いて歩いていると目に入ってくるのは郷愁の皮を被ったゴミたちで、必死にどこかの誰かを引き留めようとしていた。
スマホが小さく震えた。続けて2回、ブブ、ブブ。赤信号の横断歩道に着いてからスマホを確認した。新着メッセージが2件、どちらも先生からだった。通知からメッセージを開こうとした時、前からがやがやと賑やかな声が近づいてきて顔をあげる。いつの間にか青になっていた信号はもう点滅を始めていた。野球部の集団と速足ですれ違い、横断歩道を渡り切った後も結局メッセージは開かなかった。
「ただいま」
鍵を開けて入った部屋は外よりか少しだけ涼しかった。冷蔵庫に買ってきた飲み物を入れていると、洗面所から布のすれるような小さな音が聞こえた。
「先生ー、いるの?」
半開きになった扉から中を覗けば、先生がいた。水を張った洗面器を床において、両手両足を突っ込んで座り込んだままじっとしている。なんだか蛙みたいな姿勢だ。
「いいねそれ、涼しそう」
狭い洗面所に入りながらそう言った私に、先生はにっこり笑ってどこの言葉かもわからない単語を口にした。
先生はアンドロイドである。先生というのは私がつけたあだ名で、彼は小中学生の学習サポート用に開発された、「小中学生向け学習サポートアンドロイドつばさ」である。中学2年生ほどの少年の姿をした彼は、同機種の女子バージョンである「小中学生向け学習サポートアンドロイドひかり」と一緒に、三年ほど前から全国の公立小中学校に配備されている。
彼らのメイン機能は英語学習とプログラミング学習のサポートであり、彼らの存在は人手不足、専門的な知識を持った教師の配備が行き届かないなど多くの問題を抱えた教育現場を助けている。導入当初は、アンドロイドを学校に配備することに反対する意見も多くあったが、絶えずアップロードを続け、いつでも最新の知識を子どもたちに与えることのできる彼らは、今ではなくてはならない存在となっている。
アンドロイドが一般家庭に普及しはじめたのは今から五年ほど前のことだ。スマートフォンと同じように、普及し始めてからの流れは凄まじく、瞬く間にアンドロイドの性能は向上し、掃除、送迎、学習サポート、料理、洗濯、家事の大部分をアンドロイドが行うようになった。彼らはたった数年で生活から切り離せない存在になったのだ。
そんなアンドロイドの一体である先生は「小中学生向け学習サポートアンドロイドつばさ」の試作機である。なぜ試作機である先生がこの家にいるのか、それは、私の父が長年アンドロイドの開発に従事しており、「小中学生向け学習サポートアンドロイドつばさ」の開発チームの一員だったからだ。もちろん、先生の他にも商品化されるまでに生み出された試作機は何体も存在しただろう。その中でなぜ父が先生を譲り受けたのかはわからない。そもそもなぜ父は試作機を家に置こうと思ったのだろうか。自分が開発したアンドロイドが可愛かったから?廃棄されるのが可愛そうだったから?こんな理由を考えるのが一般的だとは思うが、私にはどうも腑に落ちない。なぜなら父がそれほどまでに情に深い人物だとは思えないからだ。
父は仕事一筋で、私には幼少期から父との思い出はほとんどない。母が家を出て行ったのも父が家庭を顧みなかったからだろう。私が小学校3年生の時に両親は離婚した。両親の離婚はやっぱり寂しかったが、正直助かったという思いの方が強かった。
離婚する前、母は家にいると父に対する不満を私にぶつけた。暴力を振るわれることはなかったが、いつもイライラしていて、些細なことでも怒鳴られた。中でも一番辛かったのは、母が夜中に癇癪を起して泣き叫ぶことだった。多い時は週に四回はあって、私はその度に母の実家に電話をかけて、玄関に座り込んで、じっと母の両親が到着するのを待った。母の泣き叫ぶ声を聞きながら、玄関に飾られた父と母の新婚旅行の写真や、私が赤ん坊の時の写真をぼんやりと眺めて過ごした。母の両親は到着すると、必ず私にペットボトルのジュースやお茶を手渡して、エンジンのかかっている車内で待つように言った。エアコンの効いている車内は気持ちがよくて、静かで、寝不足の私は飲み物を二口飲んだあたりで毎回眠ってしまった。
母はたった一人で私が生まれてからずっと家事と育児に追われていた。そんな生活で心身ともに疲れ果てるのは当然だ。母は私が中学校に上がった年に入院し、そのまま家に帰ってくることはなかった。私は社会人になって働く今も母が出て行ったこの家で暮らしている。父は半年前に亡くなった。生前も一年に一回帰るか帰らないかという感じだったから、正直寂しさや悲しみはあまり私の中にはない。そんな薄情さは父に似たのだろうか。それとも父の葬式にも来なかった母に似たのかもしれない。
私は先生との今の暮らしを気に入っている。私はアンドロイドにこれっぽっちも造詣のない人間であるから、父から先生のもつ欠陥についてプログラムがどうとか、信号がどうとか、一応説明は受けたが理解することはできなかった。とにかく、先生は試作機であり、「小中学生向け学習サポートアンドロイドつばさ」としての役割はこなせない。家事や仕事のサポートもできない。ただ、私とこの家で暮らすアンドロイド、それが彼の役割である。
リビングのソファに寝ころびながら、帰り道に先生から送られていたメッセージを確認した。一件目は、目を隠した猫、団子、ワニ。二件目は、目を輝かせた顔、救急車、踊る人。先生から送られるメッセージはすべて3つの絵文字だけで、文字が送られてくることはない。3つの絵文字の関連性も不明で、そこから読み取れるメッセージもない。何か暗号のようなものなのかもしれないが、残念ながら私にそれを解く脳みそはなく、メッセージを眺めて、あ~団子食べたいかも、と思うくらいである。
洗面所から足を濡らしたまま出てきた先生が、ソファに寝ころぶ私を見下ろす。スマートフォンの画面を見せて、どういう意味?と聞けばまた単語がひとつ降ってきた。
「ekmek」
先生と会話をすることはできない。いや、本当は成立しているのかもしれないけれど、私にはそれはわからない。
言葉を掛ければ、言葉を返してくれる。手を振ったり、笑いかけたり、そこにどんな意味が込められているのかは一切わからないが、先生との会話のようなそれは平和的で面白い。通じ合うことのないやりとりなんてコミュニケーションには入らないと言われるかもしれない。でも、たとえ意味が分かっても、対応する言葉や仕草が返ってきたとしても、罵声、叫び声、物を叩く音、舌打ちなんかが含まれるのならば、私はそのコミュニケーションを放棄したい、と思う。
「先生、アンドロイドも夏は暑いの?」
「Parrot」
「父さんは大丈夫って言ってたけど、さっきみたいに水に浸かって本当に錆びないの?」
「道玄坂」
「道玄坂……あ、渋谷か」
「晚报」
先生の手が私の腹に伸び、めくれたTシャツの裾を直してくれた。腹を掠めた先生の手は、さっきまで水に浸かっていたからか、それとも先生がアンドロイドだからか、ひやりと冷たくて気持ちがよかった。
「ありがとう」
「Bouteille d'eau」
私は言葉の不必要性とか、愛があれば言葉がなくても通じ合えるとか、人間とアンドロイドはわかり合えるとか、そんなことは考えたこともない。どうだっていい。ただ、先生が私に危害を加えたことは今までにないし、愛を与えてくれる、と私は思っている。
アンドロイドである先生に感情はない。すべてはプログラムに沿っての行動である。だから先生が与えてくれる愛は、愛ではないのかもしれない。でもそんなことを言ったら、父や母が私に与えてくれたものは愛なのだろうか。先生が与えてくれるこれは一体なんと呼んだらいいのだろう。Tシャツの裾を直してくれたのは?声を掛ければ穏やかに笑いかけてくれるのは?寝ているときに静かにしていてくれるのは?私が幼少期に両親からの愛を十分に受け取ることができなかったから、本当の愛がわからないのだろうか。愛に飢えているから、愛に似たものに縋っているだけなのだろうか。先生との関係を疑似家族的なものと思い込み、先生に親の幻影をみているのだろうか。きっと全部その通りで、全部大外れだ、と私は思う。
ピピッというエアコンの音で眠りと思考の間を彷徨っていた意識が浮上した。どうやら先生がエアコンの風量をあげたらしい。冷たい風が汗をぐっしょりかいた肌をすべって気持ちがいい。寝ている間に脱水症状を起こすことはよくあると聞くが、きっとこんな時になるのだろう。
先生がリモコンを置いてゆっくり瞬きをする。汗をかくことのない乾いた横顔が白い。
私は先生の役割を本当は理解している。だからこそ、そこにあるはずの愛を、現在進行形で生み出されているものにしたいのだ。だってそうしないと、愛は二度と与えられなくなってしまうから。
「ありがとう、暑いのに気づかなかった」
「<VAR>」
泡だけが吐き出される、水中での会話みたいなこのやり取りをきっとこの先ずっと、先生が壊れるか私が死ぬまで続けていくのだろう。閉め切った部屋にぼやけた蝉の鳴き声が遠く響く。先生はまたよくわからないことを言って、にっこりと笑った。
郷愁