春に逝く 一話 白い鳥

 加州清光の背中は、あたたかかった。
 必要最低限とはいえかばんに詰め込んだ荷物を持って、さらにわたしをおんぶしている加州清光は、軽々とさくさく音を立ててこの雪道を歩いていて、やっぱり刀剣男士って力持ちだなあとわたしは思うのでした。
「加州」
 私は一言だけ呟いて、足をぶらぶらとさせます。すると、加州清光は少し困ったように「暴れないの」と言いました。
「あばれてないよ」
「もう、落ちても知らないよ?」
「じゃあわたしも歩く」
「寒いよ?」
「手、つないでいて。加州」
「それなら、良いよ」
 わたしは加州清光の背からすとんと降りると、加州清光のかばんを持ってない方の手に手を這わせました。こんなに寒いのにお互い手袋を着けていなかったものだから、お互いの体温がよく伝わりました。本丸にいた頃は冬でもここまで冷え込むことはなかったから、身に沁みるようなあたたかさでした。ああ、でももうすぐ、暦の上では春になるんだっけ。加州清光の手はいつだってあたたかくて、まるで生きている人間みたいです。でも加州清光は人間ではありません。わたしの霊力が無いと姿を保てない、つくもがみ。刀剣男士。でも、人間ではないから、わたしという人間とずっとそばにいてくれるのでしょう。
「くしゅん」
「ほら、だから寒いって言ったじゃん」
「そうだね、さむいね」
「また乗る?」
「ううん、あるく」
「そっか」
 鼻をすするわたしを見て、加州清光はふふっと微笑みました。歩いていると、ふと気づいたことがあります。向こうの木に白い鳥がたくさんとまっているのです。雪を被った、小鳥たち。わたしはそれが気になって、加州清光の手を引っ張りました。
「加州、鳥。鳥がいる」
「鳥?」
「うん、あそこにいっぱい。まっしろな鳥。あれはなんて鳥?」
「鳥なんていないよ」
「いるもん」
「あれは白木蓮の花」
「はくもくれん」
「そ。春の花」
 言われてみれば、鳥たちは冷たい風に揺られているだけで飛び立って逃げようとしていませんでした。だから花なのでしょう。鳥に見間違えてしまう形の花なんて、初めて見ました。白い花。綺麗な花。わたしは花を見ると頬に寄せ、唇で触れたくなってしまう。でもわたしも加州清光も歩みを止めず、進んでいきます。はくもくれんの木が遠ざかっていきます。
「もっと先?」
「うん、もっと」
 何故わたしたちがこんなにも歩いているかというと、わたしが望んだからです。わたしはわたしが今よりもっと幼い頃に住んでいた家に行ってみたかった。そこにはきっと、あたたかさがあるから。だって、そんな夢を見たから。
 そう、夢。わたしは夢を見ました。わたしは大人の女性……きっと母親なのでしょう、優しげな人に撫でられ、隣にはわたしと同じ顔の女の子がいる。きっとわたしの姉妹なのでしょう。わたしの家族がそこにいました。だからわたしは、一度帰ってみたかった。でも審神者であるわたしに、帰ることなんて許されませんでした。だから逃げ出しました。加州清光はわたしのわがままについてきてくれたのです。わたしがそう望んだから。わたしが、加州清光と逃げたかったから。加州清光はわたしに応えてくれたのです。わたしはもう刀剣男士を率いて歴史を守る審神者ではないのに。帰りたいという気持ちに取りつかれた、ただの子どもなのに。加州清光は、優しい。
 わたしは加州清光が大好きです。愛している、恋していると言ってもいいくらい、大好きです。ずっとそばにいてくれた、わたしのはじまりの一振り。はじめてのひと。ほんの少しの期間、加州清光の望みで離れていたこともあったけれど、それも今では大切な思い出。そう、加州清光も一度故郷へ帰りました。そしてわたしの元に戻ってきてくれました。わたしに愛されるために、強くなって帰ってきてくれました。その気持ちをわたしは蔑ろにしています。もう時間遡行軍と戦わなくて良いから、わたしのそばにいて、と。戦うための加州清光に、わたしはそう言ったのです。
 戦うことをやめた審神者なんて、いらないもの。わたしは逃げる途中で、何度か加州清光に時間遡行軍以外を斬らせてしまいました。それはわたしを捕まえて処分しようとする政府の追っ手であったり、その日暮らしのわたしたちの宿のために選ばれた何の変哲もない家の家族だったり。刀剣男士と、悪いことをしていない人間を斬らせてしまいました。初めはその度に色々な気持ちが溢れていましたが、追っ手も何も来なくなった今は、何も感じていません。わたしたちを止めるものは、もういません。それに加州清光は、わたしにこう言うのです。俺はあんたを愛してるから、と。俺だけがあんたを愛してるから、と。わたしはその言葉に、どれほど救われたでしょうか。加州清光に愛してると言われると、胸が熱くなりお腹がきゅうとなります。だからわたしも加州清光にこう返すのです。愛してると。わたしたちは愛し合っています。わたしが審神者の使命を放り投げて加州清光と一緒に逃げたのは、止まらない望郷の念だけではありません。ただふたりでいたかった。ふたりでどこか遠くへ行きたかった。その気持ちが、私を駆り立てたのです。
「うさぎはいないかな」
「うさぎ? いないよ。こんなところ」
「山の上に行けばいる?」
「いるんじゃない? うさぎってさ、雪の上を歩くと跡が三角形にできるんだよ」
「加州は、なんでもしってるね」
「見たことあるからね」
 遠征で。そう加州清光が言うと、わたしたちはまた黙って歩みを進めました。繋いでいない方の手がかじかんできたので、自分の上着のポケットに入れました。ポケットの中も冷え切っていましたが、冷たい風に吹かれるよりマシです。加州清光は手袋を持っているのに、戦う時はいつも着けているのに、わたしと手を繋ぐ時は外してくれます。整えられた真っ赤な爪が乗った手は、わたしの手よりもずっと大きくて、でも指は細くて、白くて、綺麗でした。わたしはその手が血まみれになっている幻を見ます。そういう時はわたしの手も血まみれになっているから、わたしたちはやっぱり同じです。
「加州。母さま、いるとおもう?」
「いないと思う」
「いなかったら、どうしよう」
「どこかまた遠くへ行く?」
「うんと遠くへ行きたい」
「そっか」
「すぐそこでも、良いよ」
「そっか」
 わたしたちはきっと、ふたりならどこへだって行けるし、ふたりじゃないとどこへも行けないのです。

 さく、さく、さく。雪道をふたりでずっとずっと歩いていると、遠くに石造りの小さな塀のようなものが見えてきました。わたしは「あっ」と声を上げてしまいました。慌てて駆け出そうとしましたが、加州清光が手をぐっと握るものだから、わたしは立ち止まるしかありませんでした。
「どうしてとめるの」
「あんたはひとりじゃ何処にも行けないよ」
「……そうだけど。加州、母さまが」
「母さまなんていないよ」
「姉さまはいるかもしれない」
「姉さまもいない」
「どうしてそんなこと、いうの」
「いなかったらまたどこかへ行きたいって言ったのは、あんた。あんただって本当はいないって思ってるんじゃないの」
「じゃあどうして加州、一緒にきてくれたの」
「愛してるから」
「どうして一緒にあるいてくれたの」
「あんたを愛してるから」
「愛してるなら、一緒にきて」
 ずるいことを言ったと、思いました。わたしは加州清光の『愛してる』に胡座をかくようなことをしてしまっている。けれど加州清光は、雪道の中かばんを置いてそっと膝をつくと、わたしをぎゅうと抱きしめるのでした。背中に回されるその腕が、あたたかくてあたたかくて、わたしはまだ塀の向こうに着いてもいないのにわあわあと泣きたくなるような気持ちでいっぱいになりました。気持ちが胸を満たしただけ。まだ涙は流れません。
「良いよ、一緒に行ってあげる」
「加州、ごめんね」
「ごめんねはいらない」
「……大好き。あいしてる」
「ん、俺も大好き」
 わたしはわたしを抱きしめる加州清光の耳に唇をつけました。しゃらり、と金色の耳飾りが揺れます。耳にかかる細い赤みがかった黒髪もくすくすと揺れます。加州清光の耳はすっかり冷えていたけれど、わたしが何度も何度も口付けをしたら次第にあたたかくなってきました。加州清光もわたしの耳に口付けをします。わたしと違って、ふうと息を添えて。それがどうにもくすぐったくて、わたしはふふ、ふふ、と笑いました。雪の中で、わたしたちは笑い合っていました。
 でも、塀の向こうに何があるのか、考えてみると怖くなってきました。本当に何もないかもしれないし、そこには母さまと姉さまがいておかえりとわたしの名を呼んでくれるかもしれない。どちらにしても、何かが終わってしまうようで、何かが崩れてしまうようで、急に怖くなって、やっぱり声を上げて泣いてしまいそうになりました。泣かないために、わたしは加州清光の背に腕を回しました。怖くない、怖くない。加州清光がいるから、何も怖くない。多分、きっと、そう願う。
「行く?」
「うん、いく」
 わたしたちは立ち上がり、歩くのを再開しました。塀が近づいてきます。近づいていくと、当たり前だけれどそこには雪が積もっていて、きっと当たり前ではないのはところどころ崩れかけているところでした。木でできた門は開け放たれていて、表札も雪の中に落ちてぐしゃぐしゃに腐っていました。うう、と声が出そうになるのをどうにか抑えて、わたしは加州清光と門を潜りました。
 そこにあったのは、廃墟でした。人っこひとりいない、生き物の気配もない、廃墟。屋敷の姿を保ってはいるけれど、命の気配も何もない場所。わたしは今度こそ、ううと声を出してしまいました。
「……母さま! 姉さま!」
 わたしは叫びました。いないということはわかっています。わかっているのです。こんな場所に、あの夢で見た優しいひとたちがいるわけがない。けれど、ここの縁側は、あの優しい夢と同じ色をしているのです。こんなにも寂しい場所なのに、確かにあのひとたちはいたのです。
 ひとしきり叫んだ後、わたしはくらくらと加州清光にもたれかかってしまいました。大きな声を出すことにすら慣れていないわたしの体、こんな寒い場所をずっと歩いていられないわたしの体。そんなわたしの体は、今はもう立っていられないほど疲れ切っていて、加州清光にもたれかかったままずりずりと倒れ込みそうになってしまいます。ぱっとその前に加州清光が受け止めてくれたおかげで、わたしは雪の中に倒れずに済みました。
「加州……」
「少し休もうか。ここまで歩いて疲れたでしょ」
「うん……」
「やっぱり、おんぶしてた方が良かったね」
「ううん、あるいて、良かった」
「そう? ……抱っこしてあげる。中に入ろう」
「うん、だっこ」
 加州清光はわたしをひょいと抱き上げると、雪を踏み締め屋敷の縁側へ近づいていきます。誰もいない縁側に、靴も脱がずに入り込んで襖を開ける加州清光を見て、ああ、このひとは最初からわかっていたんだなあと、わたしはとろとろとする意識の中思いました。門を通ったらあの夢の続きが見られると、どこかで期待していたわたしがなんだかとっても馬鹿みたいで、それでも、夢の中で母さまに名前を呼ばれたわたしは、幸せだったのです。

 毛羽立った畳の上で、わたしは目覚めました。わたしたちはあの屋敷の奥、風がかろうじて通らない場所で抱き合って横たわっていました。小さく身じろぎをすると、加州清光は気がついたのかわたしを強く抱きしめました。足を絡ませて、わたしたちは息を潜めていました。もう一度目を閉じて加州清光の胸に顔を埋めていると、まぶたの内側で白い鳥の花……白木蓮の花がぱっ、ぱっ、と、本当に鳥だったかのように飛び立っていきました。風が無いだけでこんなにも体が楽だなんて。私はまた意識がとろけていくことに抗わず、加州清光に身をこすりつけました。また白い花が咲いて飛び立ちます。春の花だと加州清光は言っていたけれど、こんなに雪が降っているのに咲くなんて、ひとが作った暦通り世界はもう春なのか、それともあたたかい春と勘違いして寒いのに咲いてしまったのか。後者ならまるで叫んで倒れたさっきのわたしのようです。母さま、姉さま。ふたりともここにはいなかった。いるのはわたしと加州清光だけ。しんと静まり返った部屋で、わたしたちの息の音だけがわたしたちだけに伝わっています。加州清光は何も言わずわたしを抱きしめてくれています。わたしも加州清光を抱きしめます。もう少しだけ、もう少しだけ眠ろう。いつのまにか白い花はいなくなっていました。
 もう夢は見ませんでした。見たけれど忘れてしまっただけかもしれません。けれど真っ暗な眠りの中から抜け出して目を開けると、辺りは薄暗くなっていました。どうやらわたしは夕方まで眠っていたみたいです。
「加州」
 わたしが起き上がり名を呼ぶと、加州清光はぱちりと目を開け、わたしと同じように起き上がり微笑んでくれました。
「おはよう。おはようって時間じゃないけれど」
「おはよう。加州、わたし、どのくらいねてた?」
「大丈夫、まだ明日が今日にはなってないよ」
「よかった」
「お腹すいたでしょ。食べな」
 加州清光はそう言うと、カバンの中からおにぎりをひとつ取り出しました。ここにくる途中、道の駅の売店で買ったものでした。炊き込みご飯のおにぎり。もうすっかり冷めきっていたけれど、固くはなっていませんでした。受け取れば、ラップ越しのそれは柔らかかったです。
「加州は?」
「俺はいいよ。あんたが食べて」
「加州もいっしょに食べてくれなきゃやだ。はんぶんこ」
「半分で足りる? 俺、食べなくても平気だよ」
「足りる。はんぶんこじゃないとやだ」
「わがままなんだから」
「わがままいうの。加州にだけ」
「はいはい。じゃあ半分もらおうかな」
 本当は元は刀である刀剣男士が食事も眠りも特に必要ではないことはわかっていました。今まで本丸で加州清光や皆がわたしと生活を営んでくれていたのは、わたしという人間に合わせてくれていたからです。
 皆、皆、本丸の皆。もういない皆。私が鋼の塊に戻した皆。後悔はしていません。皆わたしの背を押してくれたし、わたしには加州清光がいます。
 そんな加州清光に、わたしはおにぎりを半分に割って渡しました。加州清光は「すっかり冷めちゃって」と笑いました。誰かが握ったおにぎりを、わたしたちはいただきますと言って口にしました。ほろりとお醤油の味がして、具は鶏肉とたけのこ。しんなりとした海苔に包まれたそれは冷たいけれどとても美味しいものでした。
「おいし」
「ん。そーね。……本当に美味しい?」
「おいしいよ」
「……うん。よかった」
 わたしにまだ味覚が残っていることに、わたし自身が驚いていました。わたしには色々と足りていません。審神者になる過程で、失ってしまったのだと気づいたのは、審神者になってからでした。体力も、暑さ寒さを強く感じることも、味覚も。全てが朧げでした。でも今は、体力こそ戻りませんでしたが、さっきみたいに寒さを感じることも、今のように味をちゃんと感じることもできます。何故だかはわかりませんが、それはとても喜ばしいことのように思えました。加州清光と一緒に、美味しいと言えるのだから、それは喜ばしいことなのです。
「あ……加州」
「ん」
「ついてる。とってあげる」
「ん……」
 わたしは加州清光の唇の端に唇を付けて、米粒を取ってあげました。加州清光は少しぼーっと、していたようです、珍しいです。けれど、わたしにはそれが嬉しかった。加州清光は、わたしを守るためにいつも気を張ってくれていたから、この久々に流れるゆっくりとした時間が、嬉しい。
「なんか恥ずかしいな」
「加州かわいい、よ」
「まあ……あんたがそう言ってくれるなら」
「うん。加州、明日まで、ここでゆっくりしよ」
「……明日は?」
「遠くにいこ」
「言うと思った。うん、いいよ。遠く、ずっと遠く、ね」
 そうやり取りをして、わたしははんぶんこのおにぎりの残りを口の中に放り込んでしまいました。わたしがもぐもぐと口を動かすのを見て、加州清光も同じように残りのおにぎりを口に入れました。お腹は満たされましたが、まだ寒いです。これから夜になったら、さらに冷え込むのでしょう。ここには風が通らないとはいえ、それは少しつらいかもしれません。なのでわたしは、加州清光にぎゅっと寄り添いました。眠っていた時のように。
「さむいね、加州」
「……うん、寒いね」
 本当は、加州清光はそんなに寒くは感じていないこともわかっていました。加州清光は戦うための刀剣男士だから、暑さ寒さで参っていたら戦えないでしょう。加州清光は、やっぱり人間ではないのです。けれど、やっぱりわたしに合わせてくれています。やさしいひと。大好きです。
「遠く。どこに行く?」
「……どうしよう」
「ゆっくりでいいよ。俺はあんたについていくから」
「じゃあ……海、見たい、な」
「海? いいよ」
「海、見られるかな。海の、こおり」
「流氷? どうかな。もう春だし」
「暦のうえでは、でしょ。まだ、さむいよ」
「白木蓮は花を咲かせていたよ」
「あれは、きっとわたしと同じなの。かんちがい、していたの」
「……じゃあ見られるかもしれないね」
「うん」
「流氷なんてどこで覚えたの」
「本丸にいたころ」
「……そっか」
 ごろりと加州清光は横になります。わたしも同じように横たわり、加州清光の括った髪に触れました。食べてすぐ横になるなんて、本丸にいたら叱られていたかもしれません。でもわたしたちにはもう無いものだから、それが許されるのです。
「ねえ、ねえ。加州」
「ん?」
「……呼んで、わたしの、なまえ」
「名前」
「そう。呼んで、ほしいの」
 わたしの本当の名前を、加州清光に呼んでほしかった。夢であの優しい人に、母さまに呼ばれたから、わたしの名前だと思っている名前。もうわたしは審神者ではないから、隠す必要も無い名前。わたしは、もうどうなってもいいのです。だから、逃げ出す時に加州清光にだけ教えました。加州清光はいつもわたしを『あんた』と呼ぶけれど、名前を呼んでくれるのが嬉しくて、ついお願いしてしまいます。
「すず」
「うん」
「すず、すず」
「うん……うん」
「やっぱり、綺麗な名前だ」
「うれしい。加州によんでもらうから、すずは綺麗ななまえ」
「あはは、そうかもね。すず」
 加州清光の長い髪に触れ、のぼって頭に触れ、さがって耳に触れ、頬に触れます。わたしは、すずはしあわせものです。ぽろぽろと、涙があふれてきました。今まで我慢していた分でしょうか、けれど、悲しいから出る涙とは少し違いました。わたしはわあわあと声を上げて泣いてしまいました。わあん、わあん。横たわっているものだから、荒れた畳に涙が染み込んで、わたしの頬を湿らせました。
 加州清光はいきなりわあわあと泣き出したわたしを見ると、わたしの涙が伝う鼻筋と目尻を舐めてきました。真っ赤な舌で、つ、つ、と。熱い舌と唾液のにおいにゆっくりと慰められて、わたしは声を上げるのをやめました。ぽろぽろと止まらない涙を、加州清光の舌が拭っていく。わたしはひっくひっくとしゃくり上げながら、大人しく加州清光に顔を舐められていました。加州清光の舌がわたしの口元に這ってきた瞬間、わたしはその舌をべろりと舐めました。そのまま吸いつき、絡ませると、加州清光の舌はわたしの涙で少し塩辛くなっていて、それでも甘くて優しくて、わたしはまた涙をこぼしました。ぴちゃぴちゃと音を立てながら、舌だけを絡ませるわたしたち。加州清光とこうしていると、頭の中がぼんやりとして、気持ちよくて、わたしという人間が溶けていくような気持ちになります。動物がするように、ひたすらに舐めるだけ。それがとても気持ちいいのです。すると加州清光の舌がすっとわたしの舌から離れていきます。わたしはそれがどうしようもなく寂しくて、加州、加州と名を呼ぶのでした。
「すず」
「加州、ちゅうして。いっぱいして」
「すず、もう泣かない?」
「なかない。でもさむいの。ちゅうして」
「ちゅうだけで良いの?」
「いいの」
 加州清光はわたしに覆い被さると、じっと見つめて、顔を近づけてきました。真っ赤な赤い瞳、本丸にいた頃食べた柘榴のような色。薄い唇。口の端のほくろ。白い肌。加州清光は、綺麗です。加州清光はわたしの頬を両手で挟むと、ゆっくりと唇を押し付けてきました。やわらかくて、いい気持ち。どちらともなく口を開けて、今度は舌が歯の列をなぞってきました。口の中で触れ合っていると、内臓を絡ませあったらこんな気持ちになるのでしょうか、なんて考えながら、上顎を舐めてくる加州清光の舌があまりにくすぐったいものだから、わたしはその舌の裏を舌で舐めました。くすぐったい気持ちのまま、くく、と声が漏れたまま、そのままゆっくりと口の中で舌が混ざり合います。お互いの鼻の息がふうふうと顔をくすぐります。くすぐったい、くすぐったい。気持ちいい。
 口の端から唾液が漏れるのも構わずに、わたしたちは口付けをしていました。だんだん舌が疲れてきて、わたしの頬に触れている加州清光の手をぽんぽんと軽く叩くと、加州清光はわたしの口の中から出ていきました。名残惜しげに舌と舌を繋ぐ透明な糸が切れるのを、わたしはぼんやりと眺めていました。……やっぱり、まだ足りないです。まだ寒いです。
「加州、まださむいよ」
「続き、する?」
「……する。でも全部ぬぐのはいや」
「すずのわがまま。いいよ」
 加州清光はわたしのスカートの中にゆっくりと手を入れると、着込んでいたタイツと下着をずりずりとおろそうとします。わたしは邪魔にならないよう腰を浮かせて、それを受け入れました。やがて加州清光はわたしの両脚を開かせるとスカートを捲り上げてそこに顔をうずめました。わたしのそこは、自分でもわかるほど濡れていました。涙を拭ったように、加州清光の舌がわたしから出たものを拭い取ります。水音を立ててわたしの一番弱い部分を舌で押すものだから、わたしは「ああ」と声を上げてあっという間に果ててしまいました。ひくひくと震えることしかできないわたしのお腹に、加州清光は顔をすり寄せて、「母さま」と確かに言いました。
「加州」
「……ん?」
「いま、呼んだでしょ。わたしのこと」
「呼んだっけ」
「なんでもない。覚えてないなら、いいよ」
「覚えてない……無意識だったかも」
「いいよ」
「すず、疲れた?」
「うん。もうあったかい」
「じゃあまた寝ようか」
「うん」
 わたしは脱がされた下着とタイツを穿き直すと、わたしの横に寝転がりながら腕を差し出す加州清光にぴったりとくっつきました。腕の上に頭を乗せて。加州清光はもう一つの腕をわたしの体の上に乗せると、ぽんぽんと背中を優しく撫でてくれました。もうすっかりあたたかくなったわたしの体は、加州清光に包まれて、夢見心地でした。またふわふわとろとろと意識が落ちていきます。
「おやすみ、すず」
「おやすみ、加州」
 加州清光がわたしの髪をそっと撫でました。わたしは加州清光の腕枕に頭を預けて、目を閉じました。本当はずっと起きていたいけれど、もっと加州清光と話していたいけれど、今触れ合っていることが嬉しくて。どうか夢すら見ないほど深く眠ってしまいますようにと願いました。その方が、眠ってから起きた時、すぐ加州清光に会えるような気がして。わたしは、今は加州清光以外に会いたくなかったのです。

 まぶたの内側が柔らかく白く光っていって、わたしは目が覚めました。ちゅんちゅんと鳥の声が聞こえます。薄暗さは消え、朝になっていました。畳の上で布団も敷かずに眠っていたものですから、体が少し痛いです。けれど、夢は見ませんでした。深く深く眠っていました。私が目を開けてほうと息を吐いたことに気づいたのか、加州清光は目を開けて私を見ました。
「おはよ」
「おはよう、加州」
 目をこすりながら起き上がると、わたしの首には赤い襟巻きがゆるく巻かれていました。加州清光のものです。これ、とつまむと、加州清光は「首を温めれば寒くなくなるって、人間は」と微笑みました。腕枕もあたたかくて気持ちよかったのに、襟巻きまでなんて。首をすくめてにおいを嗅ぎましたが、特にそういったものはせず、ただわたしの体温が移っていただけでした。わたしは襟巻きを外すと、加州清光の首にかけようとしました。
「加州、かえす」
「ずっと着けてて良いよ」
「……本当?」
「うん、良いよ。今日も冷えるし」
「ありがとう」
 そっと、加州清光は襟巻きを持つと、わたしの首に巻き直しました。今度はただ巻いただけではなく、何かしているようで、わたしがもぞもぞと動くと、「動かないの」とたしなめてきました。
「よし、できた」
「なあに?」
「後ろ、リボン結びにしてみた。可愛いよ」
「うしろじゃ見えないよ」
「ふふ、そうだね」
 加州清光は満足げに笑うと、かばんの中からパンを取り出しました。包装されたメロンパン。昨日おにぎりと一緒に買ったものでした。メロンパンは好きです。甘くてさくさくの上とふかふかの下も、バターの香りも、幸せの味がするから、毎日だって食べたいくらい。わたしはまた半分に割ろうと思いましたが、加州清光は首を横に振ります。
「加州もたべて」
「一人で食べなよ。メロンパン、好きでしょ」
「すきだけど……」
「今日は海に行くんだから、ちゃんと食べておかないと疲れちゃうよ」
「……加州におんぶしてもらう」
「あー、そうすれば疲れないね」
「そう。だからはんぶんこ」
「仕方ないな。じゃあもらいます」
 メロンパンを半分に割ると、ふわりと甘くて良い香りがしました。大きい方を加州清光に渡します。わたしは小さいから、小さい方でじゅうぶんです。おにぎりの時と同じようにお互いにいただきますと言って、一口かじりました。果物のメロンを食べたことのないわたしにとっては、メロンパンがメロンです。お砂糖の味が口いっぱいに広がって、思わず頬が緩みました。加州清光の方を見ると、加州清光も口を動かしていました。わたしは加州清光が物を食べているのを見るのが好きです。わたしと同じものを食べているのを見るのはもっと好きです。
「なに?」
「なんにも」
「そ?」
 首を傾げてまたメロンパンをかじる加州清光が愛しくて、わたしも一口、また一口と食べ進めました。口の中が甘くて幸せなのは、きっとメロンパンを食べているからというだけではないでしょう。加州清光と一緒にいるから、幸せなのです。
 このまま時間が止まってしまえばいいのに。わたしはそう思いました。わたしと加州清光がずっと一緒なのはわかっています。お互いに離れられないことも、愛し合っていることもわかっています。だからこそ、その『ずっと』が永遠に続けばいいのに。そう思ってしまいました。永遠って何でしょう。気がつけばメロンパンは無くなっていました。
「加州」
「うん?」
「わたし、今とてもしあわせ」
「メロンパン、食べたから?」
「それもあるけど。加州といっしょにいられるのがしあわせ。ねえ加州」
「なに、すず」
「わたし、このままじかんを止めちゃいたい。加州としあわせなまま終わりたい。海にも行きたい。ずっと遠くに行きたい。そこで終わりたい。どうすれば、じかんは止まる?」
「……」
 ぴくりと指を動かし、黙り込んだ加州清光の顔を、わたしは覗き込みました。加州清光は爪紅を塗ったその綺麗な指を唇に当てて、視線をわたしたちが入ってきた方……屋敷の外に向けていました。考えているのか、ぼーっとしているのか、わたしにはわかりませんでした。ただ、ぼーっとしている加州清光も好きだけれど、今だけは一緒に考えてほしいです。わたしには、どうしていいかわからないから。
 いいえ、どうしたらいいかなんて、なんとなくわかっていました。ただ、わたしの考えはわたしには少し怖かったから、代わりに加州清光に言ってほしかったのです。ずっとずっと、加州清光と一緒にいました。審神者になった時から、審神者をやめてもずっと。わたしがただのすずになってから、いろいろなところに行きました。いろいろなことをしました。でも、ここに母さまと姉さまがいなかったように、本当のずっとなんて、きっとないのでしょう。
「……やっぱり海に行こう、すず」
「加州?」
「そこに、時間を止める方法……あるから。ずっと幸せになれる方法、あるからさ」
「……うん。加州、おんぶして」
「ん。どうぞ」
 加州清光は答えを言いませんでした。でも、これから行く場所に、海に答えがあるのでしょう。わたしは加州清光の背中にくっつくと、ふっと持ち上げられました。わたしと加州清光は、部屋を出ていきます。かばんを置いて。きっともう、必要のないものだから。

 昨日、わたしが鳥だと勘違いした白木蓮の木が近づいてきました。昨日よりも花が開いていて、まるで今にも飛び立とうとしている鳥のようでした。昨日は遠目から見ただけですが、今日は木の横を通り過ぎました。わたしは白木蓮の花をもう少しだけ見ていたくて後ろを見ましたが、加州清光はそんなわたしに構わずにすたすたと歩いていきます。おんぶしているから仕方がありません。見えないのですから。昨日手を繋いで歩いていた時よりもずっと速く歩いています。この先に海があるのでしょうか。白木蓮の木から目をそらして目の前を見ていると、地面が朝日に照らされてきらきらと輝いていることに気づきました。
「加州、あれなに? きらきらしてる。宝石?」
「あれは霜柱」
「しもばしら」
「踏むとサクサクするんだよ。やってみる?」
「うん」
 加州清光の背中から降りて、霜柱と呼ばれたきらきらに近寄ると、それは薄い氷が柱のようになって土を小さく持ち上げていました。雪ともまた違うそれは、踏んでしまったらもったいないような気がして、でもせっかくだから踏んでしまい気もして、わたしはえいと靴で踏んでみました。さくっ、さくっ、とお菓子のような感触がするのが面白くて、近くにあるだけを踏み潰してしまいました。なんだか怪獣になった気分です。振り返って加州清光を見ると、加州清光は微笑んで、わたしに手招きをしました。なんだろうと近づくと、加州清光の頭の上、木の枝につららが成っています。加州清光は鞘に入れたままの刀でつららをつんつんとつつきました。ぽきんとつららが折れてしまいます。すると、加州清光は、何をしたのでしょう? 刀を抜いたのはわかりましたが、霜柱と同じくらいきらきらしてよくわかりませんでした。
「加州、今、なにしたの?」
「つらら、斬ってみた。ほら」
 ほら、と差し出された手には半分に割れたつらら。落ちてきた瞬間に斬って手に取ったのでしょうか。速すぎてわたしには全然わかりませんでした。半分のうちの一つを、ひょいと加州清光が口に入れたのを見て、わたしももう半分を受け取って舐めてみました。なんの変哲もない、冷たい朝の味がしました。
「すず、すず」
「なに、加州」
「すずってさ、霜柱だし、つららなんだよ」
「加州?」
「簡単に踏み潰せるし、簡単に斬れるってこと」
「……うん」
「俺がそうしようと思えば、すずのこと……きっと殺せる」
「加州……ここで、ころす?」
「ううん、しない。しないからさ、俺のわがままに付き合って」
「それが……海?」
「うん」
「いいよ。加州、ずっとわたしのわがまま、きいてくれたもん」
「……乗って」
「うん」
 わたしは屈んだ加州清光の背に勢いよく飛びつきました。抱きしめるように腕を回せば、加州清光は軽々とわたしを持ち上げます。わたしが死ねば、わたしから伝わる霊力が無くなって、加州清光もひとのかたちを保っていられないでしょう。わたしが死ねば、全て終わりです。でもそれは、今ではないのでしょう。
 わたしは、加州清光の願いや、したいことは、わたしにできることなら全て叶えてあげたいと思います。ずっとずっと、加州清光はわたしのそばにいてくれたのですから。……もうすぐ、終わりなのですから。加州清光がしあわせになれる方法ならなんでもしたいと思いました。そう思えることが、嬉しいのです。加州清光のしあわせの中に、わたしがいるということなのですから。ふと、何かの本に書いてあった内容を思い出しました。人間は本当はまん丸の生き物なのだと。完全なまん丸であったと。かみさまがそれを半分に斬ってしまったのが今のわたしたちなのだと。だからひとは斬られた半分を探し求めていると。もしそれが本当なら、わたしの半分は加州清光です。加州清光は人間ではないけれど、わたしにとってはまん丸の半分です。もし、わたしに人間の半分がいたとしても、わたしは加州清光を選びます。わたしは、加州清光とひとつになりたい。きっと加州清光も、そう思ってくれている。
 夜のうちにまた降ったのか、雪は昨日よりふかふかしていて、加州清光のブーツが少しずつ沈んだ足跡を残していくのを、わたしはまた振り返って見ていました。加州清光はうさぎではないから、足跡は三角形ではありませんでした。ぽつぽつとしたそれは、何に例えられるかといえば、糸の縫い目のようでした。
 縫い目、縫い目。わたしと加州清光が歩んだ時間で、どれだけのものが縫えるでしょうか。わたしにとっては豪華なお着物ができるほどの時間でも、誰かにとっては大したものも作れない時間かもしれません。でも、それでも別にいいのです。わたしの時間はわたしだけのもので、加州清光はわたしだけのひとなのだから。わたしは前を向きます。加州清光の肩越しに、灰色が見えてきました。海だとすぐにわかりました。ついに着いてしまったと思いました。けれど加州清光が足を止めた先には、海はありませんでした。わたしたちは、いつの間にやら高いところにいたのです。

 そこは崖でした。壊れかけの『高所注意』の看板と、なけなしのガードレール。先には見渡す限り灰色の海。海は空の色を映しているのでしょうか、ふと見上げた空も、灰色でした。またちらほらと雪が降っています。加州清光は地面に膝をついてわたしを降ろすと、そのまま立った私に目線を合わせて、こう言いました。ズボンが汚れることも厭わずに。
「ここから一緒に飛ぼう。そうすれば、俺たちずっと幸せになれる」
 わたしは、その言葉になんとなく予想はついていたはずなのに、お腹がきゅっとなって胸がどくんどくんとしてきました。こんな高いところから飛んで海に落ちたりなんてしたら、死んでしまいます。そんなこと、わたしにもわかります。……わたしは死ぬのが怖いのでしょうか? いいえ、そんな気持ちは少しもありませんでした。加州清光が、わたしに、そう言ってくれたことが、たまらなく嬉しいのです。今までずっと一緒に生きてくれた加州清光が、一緒に死のうと言ってくれたことが、嬉しいのです。だからわたしは、知らないふりをしてこう返しました。
「ほんとう?」
 すると加州清光は何もかも見透かしたように目を細め、ふっと笑うのです。
「本当。俺たち、もう何かに追われることもない。俺たちだけの世界に行けるんだよ」
「わたしたちだけの世界」
「そう」
「それって、どんなところ?」
 ぎゅっと、加州清光がわたしを抱きしめます。加州清光とわたしだけの世界。死んだ後の世界。そんなものが本当にあるのでしょうか。いいえ、加州清光が言うならあるのです。死ぬ瞬間が痛かったら少し困ってしまうけれど、死んだ先にそんな世界があるとするならば、これ以上の幸せはありません。
「どんなところ? わたしきっと、そこには誰もいないとおもう。加州とわたしだけ。そしてちょっとだけくらいの」
「うん。誰もいないよ。すずを暑さでいじめる太陽もない。ほんの少しだけ寒いんだ。だから俺たち、ずっとくっついていられる」
「さむくても、花は咲く?」
「咲くよ。桜も咲くし、白木蓮だってある。ずっとずっと散らないよ」
「きっときれいだね。ねえ、お布団はある? 縁側は? わたし、加州といっしょにねるのも、縁側でお菓子をたべるのも、だいすきだった」
「あるよ。あんたの欲しいものが何でもあるんだ、すず」
「そういうの、天国って言うの?」
「どうかな。俺とすずの世界だから、人が死んだら行くところとはちょっと違うかも」
「なんだか、しあわせなところ」
「幸せだよ。今よりもっと幸せになるために行くんだから」
 加州清光は私に頬擦りをしました。加州清光のすべすべの綺麗な頬が、私のすっかり冷えた頬をあたためてくれました。加州清光は本丸にいた時から時折わたしに頬擦りをします。その時の加州清光の表情は見られないのでわかりませんが、きっとわたしと同じ顔をしているのでしょう。目を閉じて、幸せそうに笑っているのでしょう。そう、信じていたいです。
「ひとつになれるんだ、母さま」
 うっとりとしたような声で、加州清光は言います。甘えるように頬を寄せ、わたしの髪を撫でて、そう言います。わたしも加州清光の頭を撫でて、耳元でささやきます。「そうだよ」と。
「そうだよ、加州。ずっといっしょ」
「母さま、すず、母さま……」
「うん、うん。わたし、うれしい」
「俺も、嬉しい」
 膝をついていた加州清光はそっとわたしに回していた腕の位置を変えると、私を抱っこして立ち上がりました。そして、ゆっくり、ゆっくりと崖の先へ向かって歩いていきます。わたしはその先の灰色の海なんて見ずに、加州清光に抱きついていました。ぴったりと、離れないように。わたしは、加州清光の好きなひとで、加州清光の母さまなのですから、どんなになっても離れないように、くっついているべきなのです。きっと、わたしが先に死ぬでしょう、そしてわたしから流れる霊力を失った加州清光もひとの姿を保てず消えるでしょう。一緒の瞬間に死ぬことはできないのだから、せめてさいごまで離れないようにしていたいのでした。最後まで、最期まで。
「加州」
「ん」
「ちゅう、して」
「うん」
 わたしたちは触れ合うだけの口付けを交わしました。これでさいご。これがさいご。そして唇が離れると、加州清光はガードレールを跨いで、ぴょんと呆気なく崖を飛び降りました。灰色が上になって下になっていきます。全ての色が混ざっていきます。それでもわたしたちは、抱き合って離れませんでした。ばちんと軽い音がして、わたしの視界は真っ暗になりました。
 わたしたちの旅は、ここで終わりです。ああ、しあわせでした。

春に逝く 一話 白い鳥

春に逝く 一話 白い鳥

加州清光×幼女審神者の駆け落ち心中物。終わりから始まる話

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2024-07-13

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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