ナイト・ミーツ・ガール

「なあ、葉太郎(ようたろう)」
 彼女は。
「どうだ」
「えっ」
 思いがけない。
「どうって」
「むう」
 気に入らないと。
「わからないのか」
「うん」
「仕方ない」
 やれやれと。大人びた仕草で。
「行くぞ」
「えっ」
 またもの。
「来ないのか」
「えーと」
 戸惑っていると。
「ほら」
 手を。
「行くぞ」
 あらためての。
「……うん」
 苦笑しつつ。
「わかったよ」
 その名を。口に。
「真緒(まきお)」

「葉太郎は情けない」
 容赦のない。
「だからだ」
「……えーと」
 まだどういうことなのか。
「何が、『だから』なの」
「なんとかしたいだろう」
「それは」
 はっきりとは。
「情けない」
 そんなところも。
「はっきりするのだ」
「うん」
 うなずくも。
「えーと」
「変わらないではないか!」
 まなじりが。
「情けない」
「ごめん」
「まあいい」
(いいんだ)
「いい!」
 またも。つり上がり。
「というわけではない!」
(ないんだ)
「ほら!」
 差し出された。
「え」
 黒い。丸い。
「おにぎりだ」
「うん」
 それは。見れば。
「ほら」
「えーと」
 受け取れと。
 受け取って食べろと。
「あーん」
 確かめるより早く。
「はむっ」
 かぶりつく。自分のほうに。
「んむんむんむ」
 もぐもぐ。元気に口を動かす。
「えー……と」
 手もとに。
「えー」
 やはり。戸惑いながら。
「いただきます」
「あっ」
 しまったと。
「忘れていた。私も『いただきます』をしなくては」
「う、うん」
 それは、まあ。
「むぅ」
 困ったと。
「できない」
「え?」
「あるではないか」
 おにぎりが。
「あー」
 手を合わせられないと。
 基本は、とても礼儀の正しい子なのだ。
「真緒」
 当然のように。
「ありがとう」
 渡される。
 ちょっとした砲丸のような。確かに小さな手にはあまるだろう。
「いただきます」
 ちょこんと。手を合わせる。
「はい」
 返してあげる。
「ありがとう」
 再び。両手でつかみ。
「あーん」
 かぶりつく。
「ふふっ」
 元気いっぱいの。その食欲に自然と笑みがこぼれる。
 いつまでも見ていたい。
 そんな。
「何を見ている」
「あっ」
 ちょっぴりあわて。
「ごめんね」
「何をあやまる」
「えーと」
「あやまるようなことをしたのか」
「それは」
 していない。とは思うが。
「ごめん」
「だから!」
 もどかしそうに。
「あーん!」
 ばくばくばくっ!
「ま、真緒」
 そんなに急いで食べては。
「んっ!」
 やっぱり。
「ほら」
 お茶の入っているらしい水筒を。差し出す。
「んくっ、んくっ」
 こちらが持っているところへ直接。
「ぷはっ」
 ようやくの。
「ふー」
 助かったと。
「だめだな」
 うんうん。うなずき。
「ゆっくりよく噛んで食べなくては」
「そうだね」
 苦笑するしかない。
「あっ」
 思い出したと。
「そうではない!」
「そうなの?」
「そうではあるが」
 うんうん。
「だが、そのことではないのだ!」
 いきり立つ。
「葉太郎!」
「は、はい」
「だめではないか!」
「えーと」
 何が。
「だめであっては!」
「………………」
 何を。
「だめなのだ!」
「うん……」
 こうなると、もう。
「まったく」
 仕方ないと。腕を。
「わかっていないのか、おまえは」
「ごめんね」
「それだ!」
 指を。
「あやまっては、だめだ!」
「え、でも」
「だめだ!」
 強硬に。
「だめなのだ!」
「……うん」
 うなずくしか。
「これから、あやまってはだめだぞ」
「それは」
 難しい。と言うより先に。
「あやまらない葉太郎になるのだ」
 重ねて。
「あやまらなくていい情けなくない葉太郎になるのだ」
 言われる。
「そのための修行だ」
「えっ」
 修行?
「ちょ、あの、それって」
「食べるのだ」
「いや」
「嫌なのか」
「そうじゃなくて」
「食べないと修行が始められないだろう」
「………………」
 始めるのか。
「ほら」
 うながされ。
「……うん」
 逃げられないという。思いで。
「いただきます」
 あらためて。
 言って、口に運んだ。

「いい天気だな」
「うん」
 うなずく。
「………………」
 何が始まるのかと。
「はー」
 見晴らしのいい丘の上。
 並んで座って。あたたかな日差しを浴びて。
 心地よさそうな息を。
「はっ!」
 立ち上がり。
「違うではないか!」
「う……うん?」
 違うのか。
「修行だ!」
 やっぱり。
「あのね、真緒」
 おだやかさを。心がけつつ。
「いいんじゃないかな」
「む?」
「その……修行とか」
「こら!」
 叱られる。
「誰のためだと思っているのだ!」
「えーと」
 こちらのため。
 なのだろうか。
「僕は」
 言う。
「大丈夫だから」
「大丈夫ではない!」
 すかさず。
「ぜんぜん、大丈夫ではないではないか!」
「そ、そう」
 言われても。
「そういうところなのだ!」
「う、うん」
「何が『うん』なのだ!」
「えっ」
 だから『何が』と聞かれても。
「僕は」
 それでも。
「いまのままでも」
「だめだ!」
 あっさり。
「『も』とは何だ、『も』とは!」
「ええ~……」
 そんなところにまで。
「『いまのままでもいい』と言いたいのか!」
「それは」
 そういうことに。
「満足していないのではないか!」
「えっ」
 満足。
「していないのだろう!」
「………………」
 とっさに。
「ほら」
 やはりと。うなずき。
「修行だ」
「う、うん」
 押し切られてしまう。
「でも、何を」
「うむ」
 うなずき。
「葉太郎を情けなくする」
「それは」
 わかっている。いや、正確にはよくわかっていないのだが。
「葉太郎は情けない!」
 あらためて。指をつきつけられての。
「だから」
 その後の。
「うーむ」
 言葉は。
「何をすればいいのだろう」
 がくっ。
「あのさ」
 気を持ち直しつつ。
「ここへは何をしに」
「あっ!」
 思い出したと。
「修行だ!」
「うん」
 それはもう。
「鍛えるのだ!」
「鍛える?」
 何を。
「葉太郎を!」
「うん……」
 具体的には。
「あれだ!」
「えっ」
 それは。
「えーと」
 崖。としか。
「登るのだ」
「えっ」
「修行だ。だから登るのだ」
「修行……」
 そういう。
「うん」
 登れと言われれば。
「わかった」
 笑顔で。うなずく。
「なめているな」
 むっと。
「やればわかる。これを登り切るには、最後まであきらめない強い心が」
 言い終わる。
 間もなく。
「真緒ー」
 声が。遠くから。
「おお!」
 目を見張る。
 すでに。
「これでいいかなー」
 崖の上に。
「ち、調子に乗るな!」
 悔しまぎれな。
「そのようなことで簡単に情けなくなくなれると思うな!」
「えーと」
 一人。途方に暮れつつ。
「うん……がんばるよ」
 つぶやき。
「そっちに戻っていいかなー」
 声を。張った。

「修行だ」
 続けての。
「えーと」
 畳敷きの静かな一室。
「僕、あまりこういうの詳しくなくて」
「逃げるのか」
(う……)
 そういうわけでは。
「座るのだ」
 有無を言わさず。
「心を静かにして」
「う、うん」
「座ったか」
 それは。見れば。
「たぶん」
 ちゃんとかと言われれば自信はない。
 初めてなのだ。
「よし」
 とりあえずは合格らしい。
「座るのだ」
「………………」
 だから、もう。
「そのまま」
「う、うん」
「こらっ」
 パシンッ!
「うわっ」
「だめではないか、動いては!」
「うん」
「だから!」
 パシィンッ!
「動いてはだめだ!」
(うう……)
 確かに。
 何かでこういうのは見たことはある。
 座っている姿勢が乱れると、後ろからお坊さんが板のようなもので叩くという。
(真緒……)
 なんだか、やる気がおかしな方向に。
「動くな!」
(う……)
 真剣だ。
「………………」
 気持ちは。伝わる。
(ふぅ)
 真剣に。
「む」
 心を。鎮める。
「むぅ」
 不満そうな息。
 うろうろ。後ろを行き来する気配を感じる。
「むぅー」
 止まる。
「うぬぬぬぬ」
 がまんできないと。
「こら!」
(えっ)
 動いてはいないはずだが。
「なぜ、動かないのだ!」
「ええっ」
 さすがに。
「なぜ、乱れないのだ! 葉太郎のくせに!」
「えーと」
 何と言えば。
「これでは、叩き直せないではないか!」
「ええ……?」
 叩き直すことが前提なのか。
「直されるのだ!」
「い、いや」
 前提らしい。
「嫌なのか! そんなことだからだめなのだ!」
「ええぇ~……」
 もうどうすれば。
「ごめんね」
「あやまってはだめだーーーっ!」
 パシィーーーーン!

「なあ、白姫(しろひめ)」
「ぷりゅ?」
「おいしいか」
「ぷりゅ」
 うなずき。
「ぷりゅー」
 すりすり。飼い葉桶から顔を上げ、鼻先をすり寄せる。
「ふふっ」
 こちらからも。
「白姫は本当にかわいいな」
「ぷりゅっ」
 うなずく。
「そうだ、かわいいのだ」
「ぷりゅー」
 得意げに。胸をそらす。
「迷いがない」
 感心の眼差しで。
「そこが葉太郎にはないのだ」
「ぷりゅりゅ?」
 どういうこと? 言いたげに。
「葉太郎のことだ」
 真面目な顔で。
「どう思う」
「ぷりゅぅー?」
 ますます。首をひねる。
「私は」
 瞳が落ちる。
「葉太郎のことが嫌いなのだろうか」
「ぷりゅ!」
 ぴんと。耳が。
「ぷりゅっ! ぷりゅぷりゅっ!」
「あ……」
 興奮するのを見て。
「違うのだ。悪く言ったつもりでは」
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 信じられない。そんな目で身体をふるわせ。
「ぷりゅーっ!」
「あっ!」
 弾けるように。
 駆け出した馬体はあっという間に見えなくなった。

「真緒ちゃんが」
 話を聞いて。
「はー」
 言葉を。探すように。
「その……真緒ちゃんらしいと言いますか」
「だね」
 微笑する。
「でも」
 笑みが消え。
「あんまり心配かけちゃうのも、どうかなって思って」
「葉太郎様」
 あたふたと。
「だ、大丈夫ですよ」
「そうかな」
「そうですっ」
 うなずく。力いっぱい。
「そう」
 逆に。不安が増したという顔に。
(はわわわわ)
 何とかしなくては。
 自分は従騎士(エスクワイア)なのだ。そして、目の前にいるのは、仕えるべき騎士その人である。
「葉太郎様!」
 今度こそ。力づけようと気合を入れたところに。
「ぷりゅーっ」
 パカーーン!
「きゃあっ」
 蹴り飛ばされた。
「白姫!?」
「ぷりゅふー」
 鼻息荒く。
「ど、どうしたの」
「ぷりゅっ」
 にらまれる。
「ぷりゅっ。ぷりゅぷりゅっ」
「えっ」
 思いがけない。
「真緒が」
「ぷりゅ」
 うなずく。厳しい目のまま。
「………………」
 言葉もない。
 そこへ。
「いきなり何をするんですか!」
 顔にヒヅメ跡をつけて。
「ぷ」
 いま気づいたと。
「いたんだし?」
「いました!」
「別に、アリスなんて、いてもいなくても関係ねーし」
「なんてことを言うんですか!」
 いきり立つ。
「ア、アリス」
 落ちついてと。
「僕が悪いんだから」
「えっ」
「そーだし!」
 いきり立つ。
「ヨウタロー!」
 鼻息荒く。
「とんでもねーんだし!」
「ええっ!?」
 それを聞いて脇で驚く。
「なんてことを言ってるんですか、葉太郎様に!」
「言うんだし」
 ぷりゅー。やはり荒く。
「ヨウタロー」
「う、うん」
「マキオのことをどう思ってんだし」
「えっ」
 それは。
「どうって」
 詰まる。
「ぷりゅー」
「う……」
 逃げられない。
「僕は」
 なんとか。
「えーと……あの」
 言葉を。口に。
「なんて、情けねーんだし!」
 ぷりゅぷん!
「かわいそうなんだし!」
「……っ」
「ヨウタローがしっかりしないから!」
 目に。涙が。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 またもの。
「ぐ……ぐふっ」
「ア、アリス」
 助け起こしている間に。
「あっ」
 駆け去っていく。
 後ろ姿を、やはりただ見送ることしかできなかった。

(しっかり)
 つぶやく。心の中で。
「あの――」
 口を開きながら。扉を。
「あっ」
 先に。
「………………」
「………………」
 言葉もなく見つめ合う。
「あ、あの」
 ようやく。
「どこかに行くところだった? ちょっと話がしたいなって」
 と。気がつく。
「あ……」
 開いた扉の向こう。部屋の中から。
「うー」
 見つめられていた。決して好意的とは言えない目で。
「あ」
 こちらも気づき。
「ユイフォン」
 軽く。たしなめるように言い、部屋を出て後ろ手に扉を閉める。
「あの」
 本人を前にして。あらためて。
「白姫のことなんだけど」
 はっと。顔を。
「何か」
 瞳がゆれる。
「言ったのか」
「………………」
 何と。言えば。
 ここまで来ておきながら。
「……うん」
 あいまいに。
「そうか」
 こちらも。
「………………」
「………………」
 再びの沈黙。
「あっ」
「?」
 ふり返る。
「あっ!」
 薄く。扉が開き。
「うー」
 見ていた。
「こら!」
 叱りつける。
「そんなところで何をしているのだ!」
「見てる」
「見ているのはわかっている!」
 いきり立つ。
「ま、真緒」
 なだめよとうとするも。
「ユイフォン!」
 ますます。
「そんな娘に育てたおぼえはないぞ!」
(それは)
 確かにないだろう。こちらは六歳で、相手は十三歳だ。
「う……」
 涙。
「なんで」
 じわりじわり。
「なんで、ユイフォンが怒られるの」
「あ……」
 しまった。そんな声を。
「ユイフォン」
 扉の向こうへ。
「すまない」
 抱き寄せる。小さな身体で。
「うー」
 ゆだねる。すすり泣きつつ。
 そんな光景に。
「また後で来るね」
 言って。
 静かにその場を去るのだった。

「葉太郎様!」
 あわあわと。
「白姫が」
「えっ」
 思いがけない。
「どうしたの」
「実は」
 帰ってきていない。昼間、駆け去っていったあのときから。
「そんな」
 きっと、何でもない。思おうとしても。
「どうしましょう」
「探しに」
 行こう。とっさに言おうとした矢先。
「私も行く!」
「……っ」
 大きな声。
 小さな身体からの。
「私が」
 その目が。はかなく落ち。
「白姫を傷つけてしまったのだ」
「そんな」
 違う。言いかけるも。
「私が行く!」
「あっ」
 駆け出す。
 と、その前に。
「う」
「わっ」
 立ちはだかられる。
「こ、こら、ユイフォン」
「うー」
 どかない。
「ふざけている場合では」
「ふざけてない」
「なら」
「うー」
 どかない。
「ユイフォン!」
 それでも。
「どかない」
 声に出して。
「もう暗い」
「だが、白姫が」
「危ない」
 その通りだ。
「娘だから」
 目に。あらたな涙。
「媽媽(マーマ)のこと心配する」
「う……」
 またも。
「しかし、白姫が」
「僕たちが行くから」
 あらためて。
「真緒はユイフォンとここにいて」
「しかし」
「うー」
「う……」
 やはり。涙目には。
「わかった」
 うなずく。
「大丈夫です、真緒ちゃん!」
 力いっぱい。
「自分も行くんですから! きっとすぐに」
「だめ」
「ユイフォン?」
「アリス、ダメダメ。期待できない」
「なんてことを言うんですか!」
 悲痛な。
 そんな抗議を無視し。
「葉太郎」
 視線を。
「しっかりして」
「……っ」
 詰まるも。
「うん」
 見つめ返し。うなずいた。

「ぷっ、ぷっ、ぷーりゅーりゅ♪ ぷーりゅりゅなにわは~♪」
 歌っていた。
「ぷっ、ぷっ、ぷりゅりゅだ♪ みーんなでーてーぷりゅぷりゅぷりゅ♪」
 月夜の。丘の上。
「白姫……」
 脱力する。
「な……」
 こちらも。あぜんと。
「し、白姫!」
 一転、怒り顔で。
「なんで歌ってるんですか! みんな、心配して」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 蹴り飛ばされる。
「リサイタルの邪魔すんなだし」
「リサイタル!?」
 よろめきつつ。
「白姫しかいないじゃ」
「丘の友だちが聞いてくれてんだし」
 ぷりゅ。当然と。
 さわさわさわ。確かに草むらから気配がする。
「ぷりゅらのともだちゃ、ぷんぷりゅりゅんのぷんぷりゅりん♪」
「『ぷんぷりゅりん』って何ですか」
 わけが。
「アリスと違うんだし」
「えっ」
「アリスがやったらアリサイタルになってしまうし。誰も聞いてくれないし」
「なんで、そういうことを言うんですか」
 加えて意味が。
「アホサイタルになってしまうし」
「なんてことを言うんですか!」
 ただただひどい。
「白姫」
 そこに。
「どうしてなの」
 それだけで。
「みんなが心配するでしょ」
「ぷりゅふんっ」
 そっぽを。
「ストレスだし」
「えっ」
「ヨウタローが悪いし」
「白姫!」
 あわてて。
「なんてことを言うんですか、葉太郎様に!」
「事実だし」
 引かない。
「ヨウタローが情けないから悪いし。それで月に歌ってストレスかいしょーしてたんだし」
「そんな」
 言葉が。
「………………」
 こちらも。
「白姫」
 ようやく。
「真緒も心配してるんだよ」
「ぷりゅ!」
 耳が。
「しまったんだし……」
 ぷりゅりゅりゅりゅ。ふるえて。
「マキオは優しいんだし」
「うん」
「心配してとーぜんなんだし。シロヒメ、かわいいから」
「いや、かわいいとか関係なく真緒ちゃんは」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「どーゆーことだし。シロヒメがかわいくないって言うんだし?」
「言ってませんよ、そんなこと!」
 いつも通りなやりとりに。しかし。
「………………」
 表情は沈んだままだ。
「帰るんだし」
 あっさり。
「ストレスはアリス蹴って解消できたんだし」
「やめてください、そんな解消!」
「うるせーし! もっと解消されたいしーっ!」
「きゃーっ」
 悲鳴をあげて。
「あっ、足もとが暗いから気をつけて」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「あ……」
 遅かった。というより転ぶも転ばないも関係なかったが。
「き、気をつけて」
 意味なく。言うしか。
「はぁ」
 情けない。痛感していた。

「ぷりゅんなさい」
 頭を。
「マキオに心配をかけてしまって」
「ふふっ」
 微笑む。
「白姫はいい子だな」
 なでる。
「ぷりゅー」
 心地よく。
「ユイフォン」
 ふり返り。
「もう寝よう」
「う」
 うなずく。
 共に去った後で。
「アリス」
 言う。
「ちょっと」
「えっ」
「出かけるね」
「え……!」
 今度は。
「よ、葉太郎様」
 あわてるも。
「大丈夫だから」
 言って。それ以上は何もなく。
「あ……」
 行ってしまう。
「………………」
 こちらも何も言えないまま。立ち尽くすのだった。


「なるほどな」
 夜分の来訪に。嫌な顔一つ見せず。
「大変だぞ」
 あたたかな笑みで。
「家族は」
 言った。

「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 朝からの。
「何をするんですか!」
「こっちが言いたいんだし! 何してんだし!」
 ぷふぅー。鼻息荒く。
「ヨウタローはどーしたんだし!」
「それは」
 答えられない。
「仕える騎士の行き先知らないとか、従騎士失格なんだし!」
「そ、そんな」
「まー、もともと失格ではあるんだけど。ダメダメだから」
「なんてことを言うんですか!」
 涙目に。
(でも)
 否定できない。
(葉太郎様)
 どこへ。昨夜から。
「アリス」
「きゃあっ」
 飛び上がる。
「真緒ちゃん」
 じっと。
「どうしたのだ」
「え、えーと」
「ぷ、ぷりゅー」
 そろって。
「………………」
 不安そうに。
 そこへ。
「答えて」
「きゃあっ」
 突きつけられる。
「あ、危ないですよ、ユイフォン!」
「うー」
 刀を引く気はない。そんな目で。
「こら」
 たしなめられる。
「友だちにそういうことをしてはだめだ」
「だって」
 うー。不満そうに。
「アリス」
 まっすぐ。
「葉太郎はどうしたのだ」
 聞かれた!
「あー、いえー」
 あせあせと。
「だ、大丈夫ですよ」
 とっさの。
「だって」
 ふと。そこに。
「おっしゃってましたから」
 確信を。
「だから、大丈夫なんです」
「……そうか」
 こちらも。弱々しいながら。
「信じているのだな」
「えっ」
「………………」
 再び。目を伏せる。
「あ、あの」
 何かおかしなことを。
「う」
 かばうように。
「ユイフォン……」
 途方に。
「媽媽」
 そんなこちらに。背を向け。
「いいの?」
 静かに。微笑み。
「何がだ」
「う……」
 言葉に。
「で、でも」
 うつる。あたふたが。
「行くぞ」
「ま、待って」
 戸惑うも、その後ろについていく。
「真緒ちゃん……」
 小さな背を。見送るしか。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「なに、マキオを悲しませてんだし!」
「自分のせいですか!?」
「じゃあ、ヨウタローが悪いって言うし?」
「それは」
 言えない。
 あり得ない。
 騎士がレディを悲しませるなどあってはならない。
(だから)
 きっと。いまそのために。
「アリスー」
「きゃっ」
 またもの。
「あっ」
 それは。
「どうしたんですか」
 めずらしい。
「ユイファさんにご用事ですか? それともシルビアさんに」
「うん……」
 すこし。考えるそぶりを見せ。
「まー、アリスでいいや」
「へ?」
「いいよね」
 聞かれても。
「はあ」
 うなずくしかなかった。

 引っ張ってこられた。
 そこに。
「葉太郎様!」
 働いていた。
「あ、あの」
 何を。聞く間もなく。
「お皿足りなーい」
「そっちじゃなくてこっちー」
「もー、早くしてよー」
 働いていた。
「えー……と」
 理解が。追いつかない。
「葉太郎様」
 おそるおそる。
「だから、遅いってー」
「それじゃなくて、このビンでしょー」
「グズグスしないでよー、まったくー」
(う……)
 まったく気づかれていない。
 戦場のようだ。大家族の朝の食卓は。
(それにしたって)
 なぜ。
「メイド服なんですかぁ~」
 情けなく。
「あっ」
 ようやく。
「ア、アリス」
 衣装を隠そうと。
「ねーねー、どう、アリスー」
「うわぁ!」
 邪魔される。
「ど、どうって」
 どう答えれば。
(に……)
 似合っている。のだが。
(それを)
 言ってしまっていいものかと。
「えー」
「だめだったー?」
 次々と。残念そうな。
「徹夜で仕上げたのにー」
「ねー」
(て、徹夜?)
 そこで、はっと。
「葉太郎様!」
 信じられない。
「その格好をするために夜中わざわざ」
「ええっ!?」
 とんでもない。誤解をされたという。
「えー」
「そうだったんだー」
「ち、ちょっと!」
 あわてふためき。
「みんなが」
 あわあわと。
「僕にこんな格好」
 もじもじ。うつむく。
(な、情けない……)
 従騎士ながら。思ってしまう。
「ハッ!」
 あきれている場合ではなく。
「だめですよ、葉太郎様で遊んでは!」
「えー」
 にやにや。
「遊びじゃないのにねー」
「うちで働くんだから、ちゃんとした格好じゃないとー」
「ちゃんとした格好って」
 と、はっと。
「働く?」
「実は」
 前に。
「しばらく、金剛寺さんの家のお手伝いをすることになって」
「えーーーっ!」
 聞いていない。当然だが。
「なんでですか!」
「……うん」
 言葉を濁す。
「葉太郎様ぁ」
 わけがわからない。
「ねーねー、そんなことよりー」
 見上げられ。
「どう?」
「えっ」
「だからー」
 もどかしそうに。
「この服ー」
「徹夜したって言ったでしょー」
「はあ」
 ひょっとして。
「これを見てもらいたいために」
「そうだよ」
 あっさり。
「だって、かわいくできたんだもんねー」
「ねー」
(『ねー』じゃありませんよ)
 脱力する。
 けど。
 こういう子どもたちだということは知っている。
 したたかな。こちらの思いもかけないことで翻弄してくる。そこに悪意はなく、子どもらしい無邪気さからだというのはわかっているが。
(でも)
 一方で。
 下手な大人たちよりずっとしっかりしていて、家のことは当たり前のように自分たちでこなす。
 すくなくとも、こちらの知る限りではそうだったはずだ。
 事実、一晩で服を一着仕立てあげられるほどに。
(それがどうして)
 お手伝いなのだ。
「ほら、もっとちゃんとポーズとって」
「ええっ!?」
「じゃないと、かわいく見えないでしょー」
「僕はかわいくなくても」
「わたしたちがヤなの!」
「自信作なんだから!」
「ねー」
(葉太郎様……)
 完全に押されっ放しだ。
「ほら!」
「ポーズ!」
「う……」
 あらがえないまま。
「こ、こう?」
 ポーズを。
「ぜんぜん違ーう!」
「かわいくなーい!」
「ええっ?」
 情けなく。
「どうすれば」
(葉太郎様~っ!)
 聞かなくても。
「もっと腰をくっと上げてー」
「こ、こう?」
「指は目の横! アピールして!」
「こ、こう?」
(だから、葉太郎様~っ!)
 素直すぎる。
「待ってください!」
 見ていられない。
「自分が!」
 前に。
「自分にやらせてください!」
 とたんに。あがる歓声。
「きゃーっ、アリスちゃーん!」
「アリス、かわいいもんねー」
「え?」
 照れっと。思わず。
(ハッ!)
 自分までのせられてどうするのだ。
「か、かわいいとか関係ありません!」
「かわいくないのー?」
「そんな」
 どこかで聞いたような。
「そんなことないよ」
 そこへの。
「アリスはかわいいよ」
「葉太郎様……」
 頬が。熱くなるも。
「って、そういうことじゃないんです!」
 頭を振る。
「かわいくないの?」
「って、葉太郎様まで!」
 もう何がなんだか。
「ぷりゅーっ」
 はっと。そのいななきはログハウスの外から。
「いまのって」
 さすがは主人。すぐに気がつき。
「白姫!?」
 飛び出していった。

ⅩⅢ

「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「ぷ!?」
 止められる。
 逆に。お返しとばかり。
「ぷぅ!?」
 パカーーーン!
「ぷりゅーーっ」
 吹き飛ばされる。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 目を回して。
 へたりこんだところへ。
「白姫!」
 駆け寄る。
「大丈夫?」
「ヨウタロー……」
 ふらふら。首をもたげ。
「ぷりゅーっ」
 すがりつく。
「シロヒメ、いじめられたんだし! 怒って、ヨウタロー!」
「う、うん」
 そこへ。
「白姫ーっ」
 遅れて。
「どうしたんですか、一体」
「それが」
 視線を向けた。そこに。
「ぷりゅ」
 鼻息。凛々しく。
「麓華(ろっか)」
 その名を。口にしてすぐ状況を悟る。
「またケンカしたんですね」
「アリス様」
 不本意だと。
「わたしにはそのようなつもりは」
「いや、だって」
 思いっ切りしているでは。
「当然のこと」
 悪びれず。
「からんできたので応じたまで。そちらの駄馬が」
「誰がダバだしーーっ!」
 ぷりゅーーっ! まだまだ元気いっぱいにいきり立つ。
「し、白姫」
 そんな愛馬をなだめつつ。
「麓華もあんまりひどいことを言ったらだめだよ」
「失礼しました、葉太郎様」
「って、シロヒメにもあやまんだしーーっ!」
 ますますの。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 吹き飛ぶ。
「なんで、こっちを蹴るんですか!」
「そこにアリスがあるからだし」
「登山家ですか!」
 こんどはこちらで。
「あ、あの、ケンカは」
「駄馬が」
「ぷりゅーーっ!」
「麓華も」
 おろおろと。もうどこを止めればいいのか。
「情けなーい」
「ううっ」
 そこへ。容赦なく。
「ちょっと、何してるのー」
「こっちの仕事はー」
「あっ、ご、ごめんね」
「『ごめんね』じゃなくてー」
「さっさとしてよー」
「ううっ……」
「みんな! 葉太郎様をいじめるようなことは」
「ア、アリス」
 情けない。ますます。
「じゃあ、アリスも来てよー」
「えっ」
「こっちが使えないんだからー」
「ねー」
「だ、だから、葉太郎様をひどく言うようなことは」
「ほら、早くー」
「ええっ!?」
 引っ張られる。
「だ、だめですよ、そんな」
 心の準備が。
「大丈夫ー」
「準備バッチリだからー」
「え」
 どういう。
「アリスのメイド服もちゃんと用意してあってー」
「なんで、ちゃんと用意してあるんですか!」
「こんなこともあろうかとー」
「どんなことがあろうと思ったんですかーーーっ!」
 意味なく。絶叫。
 するしかなかった。

ⅩⅣ

「静かだな」
「う」
「ふぅ」
 ため息。
「媽媽」
 わたわた。
「だ、だめ」
「む?」
「楽しませる」
 立ち上がり。
「ユイフォンが」
 きょとんと。
「う……」
 見つめられ。あせりながらも。
「う」
 刀を抜く。
「うー」
 ちょっぴり。迷って。
「釣り」
「………………」
 きょとんと。したまま。
「ぷっ」
 噴く。
「それは釣り竿ではなく刀だぞ、ユイフォン」
「う……うー」
「おかしなユイフォンだな」
 苦笑する。
「うぅー」
 それでも。笑みが現れたことに胸をなでおろす。
「よし」
 立ち上がる。
「行くぞ」
「う?」
 どこに。
「決まっているだろう」
 やれやれと。腰に手を当て。
「葉太郎たちのところだ」

ⅩⅤ

「あっ」
 途上。
「ぷりゅーっ」
「おお」
 すりすりすりっ。
「どうしたのだ、白姫」
「ぷりゅっ。ぷりゅぷりゅっ」
「落ちつくのだ。ほら」
 ゆっくり。優しい手つきでたてがみをなでる。
「ぷりゅー」
 心地よさそうないななきが。
「ぷ」
 が、すぐはっと。
「ぷりゅぷりゅっ。ぷりゅっ」
「本当にどうしたのだ」
「ぷりゅー」
 鼻息荒く。
「怒っているのか」
「ぷりゅ」
 うなずく。
「葉太郎が」
 たてがみをなでつつ。
「何かしたのか」
「ぷ」
 すこし。戸惑うように目を泳がせ。
「ぷー……ぷ?」
 どちらともつかないという。
「よし」
 こうなると決断は早い。
「行こう」
「う」
 横でうなずく。
「媽媽、やっぱり頼もしい」
 満足げに。
「ぷりゅ」
 こちらもうなずく。
「頼もしくなど」
「う?」
「ぷ?」
「ううん」
 頭をふり。
「何でもない」
 笑顔を。見せ。
「行こう」
 やはり。それは頼もしく思える姿だった。

ⅩⅥ

「葉太郎様ー。こっちの掃除、終わりましたー」
「ありがとう、アリス」
 快晴の下。大量の洗濯物を干しながら。
「助かるよ、アリスがいてくれて」
「そんな」
 照れつつも、うれしさがにじむ。
(なんだか)
 不謹慎な。そう思いつつ。
「新婚みたい」
「え」
「はわわっ」
 口をふさごうとし、落ちた掃除道具が盛大な音を立てる。
「はわわわっ」
「大丈夫?」
 にこやかに。これっぽっちも責めようとはせず、拾うのを手伝う。
「気をつけてね」
「は、はい」
 恥じ入るばかりだ。
「次はどこを掃除しましょうか!」
 照れ隠しとばかり。元気いっぱい。
「あ、うん」
 すこし困った顔で。
「もう、大丈夫かな」
「えっ」
 表情が。曇る。
「よ、葉太郎様」
 あわあわ。
「自分、何か失敗を」
「そうじゃなくて」
 こちらもあわて。
「僕がやらなくちゃならないことだし」
「でも」
 どうして。その理由がまだ。
「アリス」
 肩に手を。
「ありがとう」
「葉太郎様……」
 静かながら。ゆるがないものを感じ、目を伏せる。
「なに、見つめられて赤くなってるしーーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 飛びこびざまのヒヅメに吹き飛ばされ。
「ぐふっ」
 落下。
「し、白姫」
 目を丸くし。そして、すぐ。
「ごめんね。やっぱり、怒ってたよね」
「ぷりゅー」
 返事とばかり。鼻息。
「ごめん」
 言って。うつむく。
「情けない!」
 さらにの。
「真緒!」
 驚いて。
「ああっ!」
 いまの自分の格好に気づき、とっさに。
「こら!」
「!」
「何を隠そうとしている! 情けない!」
「ええっ!?」
 どうすれば。意味なく手を上げ下げする。
「情けない」
 ため息まじり。
「ご、ごめん」
 あやまるしか。
「簡単にあやまってはだめだ!」
「う……」
 そうだった。
「どんなときでも堂々としていなくてはだめではないか!」
 胸を張って。言う。
 ものすごく説得力がある。
(堂々と)
 この格好では、ある意味でどうなのかと。
「ま、真緒ちゃん」
 そこへ。
「違うんですよ、これは」
「違う?」
 首を。
「何が違うのだ」
「えっ」
 聞かれてしまうと。
「えーと」
 説明が。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「なに、わけのわかんないこと言ってるし。マキオ、困らせんじゃねーし」
「困らせてなんて」
 パカーーーン!
「ぷりゅっ」
「あなたこそ」
 そこへの。
「アリス様に幾度も暴力を」
「ろ、麓華」
「何すんだしーっ!」
 パカパカパカパカーーーーン!
「ぷりゅーっ」
「ぷりゅっ」
 ヒヅメとヒヅメの応酬。
「やめるのだ!」
 そこに。小さな身体で。
「ぷりゅ!?」
「ぷ……!」
 止まる。万が一にも巻きこんではと。
「ケンカをしてはだめだ」
 にらまれる。
「ぷりゅんなさい、マキオ」
「お恥ずかしいところを」
「そうか」
 納得したように。
「だから、白姫は離れたところにいたのだな」
「ぷりゅ」
 うなずく。
「僕は」
 おずおずと。
「麓華と仲良くしてほしいって言ったんだけど」
「ぷりゅふんっ」
 そっぽを向く。その気はまったくないらしい。
「そうか」
 仕方ない。笑みをこぼし。
「行くぞ、白姫」
「ぷりゅ?」
「私が遊んでやろう。それならいいだろう」
「ぷりゅぅー」
 その優しい気持ちがうれしいと。鼻先をすり寄せる。
「ははっ、くすぐったいぞ」
 こちらもうれしそうに。
「では、行くぞ」
 言って。
「あ」
 あっさり。
「ちょっ」
 手を。伸ばしかけ。
「………………」
 そのまま。
「あ、あの」
 おそるおそる。
「いいんですか、葉太郎様」
「……うん」
 うなずく。
「さっ、洗濯物干しちゃわないと」
(ええぇ~?)
 本当にいいのかと。
 結局、その言葉が口にされることはなかった。

ⅩⅦ

「よかった」
 戻ってきた。屋敷の庭で。
「媽媽、元気になった」
「そうか?」
 草むらの上。たわむれながら。
「媽媽、葉太郎がいると元気になる」
 うんうん。うなずいて。
「………………」
「媽媽?」
 はっと。
「どうした」
「う……」
 こっちが聞きたい。
「……なのだ」
「う?」
「だめなのだ」
「う? う?」
 何が。
「何でもない」
 先んじるように。
「もっと広いところで遊ぼうか、白姫」
「ぷりゅ!」
「あっ」
 さっさと歩き出す。
「ま、待って」
 あわてての。
「うー」
 やはり、おかしい。元気が出たと思ったばかりなのに。
「葉太郎……」
 誰が悪いのか。
 一人しか。
「う」
 刀をつかむ手に。力がこもった。

ⅩⅧ

「起きて」
 慣れない家事労働で。ぐっすり眠っていたところに。
「うわぁ!」
 夜目にもはっきり。刃のきらめき。
「ユイフォン!?」
「うー」
「なんで」
「答えて」
 闇の中。
「どう思ってるの」
「えっ」
「媽媽のこと」
「……!」
 急に。そんなこと。
「ま、真緒は」
「う」
「僕に情けなくなくなってほしいって」
「う」
「だから」
 その後の。
「だから……」
 言葉が。
「情けない」
 言われてしまう。
「はっきりして」
「は、はっきり?」
「う」
 闇の中。うなずき。
「媽媽のこと」
 言う。
「嫌いなの」
「えっ」
 思いもかけない。
「そんなこと」
「だったら」
 刃が。
「なんで、一緒にいないの」
「それは」
 いまのままでは。
「………………」
 しかし。何も言えないまま。
「ごめん」
「情けない」
 言われる。
「うん」
 否定しない。
「うー」
 もどかしげに。
「知らない」
 ぷい、と。
 その姿が闇に消える。
「ユイフォン?」
 気配が。完全に消えたことに気づき。
「ふー」
 長いため息。
「あ」
 いまさらながら。
(みんな)
 寝室は別だ。
 すでに部屋はいっぱいで、居候の身として台所に布団を敷かせてもらっている。
 それでも。
(気づいて)
 いる。はずだ。
 そういう子どもたちである。
 それでいながら。
(気を)
 つかって。こちらに干渉しないでくれている。
「………………」
 夜気に包まれ。
「ふぅ」
 ため息が。落ちた。

ⅩⅨ

「媽媽!」
 気合を。入れての。
「う、うむ」
 ちょっぴり。驚き。
「元気だな、ユイフォン」
「元気!」
 ふん、と。
「だから、媽媽も元気!」
「え」
 目を丸く。
 と、すぐわかったという顔になり。
「ユイフォンは優しいな」
 手を伸ばす。
「う」
 あうんの呼吸で。頭を。
「うー」
 心地よく。
「よし。では、今日はユイフォンと修行を」
 言いかけ。
「………………」
「う?」
「やはり、いい」
「う!」
 驚き。あわて。
「な、なんで」
「すまない」
 一言。
「媽媽……」
 途方に。暮れて。
「今日は」
 そして。
「ユイフォンが白姫と遊んでやってくれ」
 言って。背を向ける。
「う……」
 追えない。
 何をすればいいのかまったくわからないまま。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「あうっ」
 蹴り飛ばされる。
「な、なんで」
「決まってんだし。キャラにないことすんじゃねーし」
「う?」
「無駄に元気とか出してんじゃねーって言ってんだし! ユイフォンのくせに!」
「だ、だって」
「変なことするから、マキオがびっくりしたんだし。ユイフォンが悪いんだし」
「う!」
 ショック。
「ユイフォンが悪いの?」
 涙目に。
「悪いんだし」
 容赦なく。
「だったら」
 どうすれば。
「ぷりゅー」
 こちらも困ったと。
「とにかく、問題なんだし」
「問題」
 うなずく。
「ぷりゅー」
「うー」
 顔を見合わせて。
「よしよし」
「ぷ!」
「う!」
 そこにの。
「仲良くしているな」
「マキオ!」
「媽媽!」
 共に。あわてて。
「う!?」
 さらに。
「媽媽、どこに」
「む?」
 小首をかしげ。
「この格好を見てわからないか」
「う……」
 わかる。
 けど、それはあまりにも予想外で。
「……釣り?」
「そうだ」
 あっさり。言った。

ⅩⅩ

「釣れないな」
 あっさり。
「媽媽……」
 おそるおそる。
「餌、ついてない」
「おお」
 忘れていたと。
 が。
「やめよう」
「う?」
「万が一釣ってしまったら、魚がかわいそうだ」
「う……」
 何と。言えば。
「ぷりゅー」
 うんざりという。
「退屈だしー」
「ふふっ。だから、ユイフォンと遊んでいろと言っただろう」
 気を悪くした様子もなく。
「なんで、こんなジジくさいことしてんだし。マキオ、若いのに」
 六歳。確かに若い。
「シロヒメと同じでヤングなんだから。もっと、なんかたのしーことすんだし」
 こちらも確かに。三歳ではある。
「すこしな」
 つぶやく。
「落ちつきたいのだ」
「ぷ!」
「う!」
 共に驚き。
「なに言ってんだし! ナウでヤングなマキオが!」
「媽媽……変」
 あり得ないと。
「おかしいか」
 うなずく。共に。
「それでいい」
 何がいいのか。
「白姫」
「ぷりゅ!」
 不意の。
「白姫は葉太郎にずっとかわいがられてきたのだな」
「ぷりゅっ」
 うなずく。それはその通りだと。
「ふむ」
 すこし。考える。
「なら」
 口にする。
「白姫を見習えば」
「ぷりゅ?」
「あっ」
 口に手を。
「な、何でもないぞ」
「ぷりゅぅ?」
「こらっ」
 とりつくろうように。
「だめではないか、このようなところで」
「ぷりゅりゅ?」
「葉太郎と仲良く」
 口にして。
「………………」
 沈黙。
「と……」
 動揺を抑えられない。まま。
「とにかく、だめなのだ!」
 釣りざおを放り出す。
「あっ、媽媽」
 足早に去る。その後を追う。
「ぷりゅりゅぅ?」
 ますます。首をひねるのだった。

ⅩⅩⅠ

「しょうこりもなく、また」
 向けられる。険悪な視線。
「ぷりゅー」
 めらめら。怒りの火が立ち昇るも。
「ぷりゅふんっ」
 無視。スルー。
「ぷ?」
 けげんな。
 構わず。前を通り過ぎる。
「ぷりゅー」
 理由もないのにこちらから仕かけることはできない。
 ただ警戒の眼差しを向け続ける。
 そこへ。
「白姫」
 たまたま通りかかり。驚いて。
「どうしたんですか。また麓華とケンカしに」
「なに、シロヒメのことを荒くれものみたいに言ってんだしーーっ!」
「きゃあっ」
 いきり立つも。
「ぷりゅ」
 すぐさま。治まり。
「いまはアリスをいじめてる場合じゃねんだし」
「いまじゃなくてもやめてください、いじめは」
「そんなことより!」
 強引に。
「葉太郎だし」
「えっ」
 はっとなり、すぐ。
「いや、葉太郎様はこちらにお世話に」
「知ってんだし」
 うなずき。
「なんで、お世話になってんだし」
「なんでって」
 それはこちらも。
「あ、正確にはお世話をするという」
「どっちでもいんだし!」
 激昂する。
「ぷりゅー」
 またも。静まる。
「ぷりゅふんっ。いまはパカーンしないであげるし」
「だから『いまは』って」
 後もやめてほしい。
「とにかく、ヨウタローだし!」
「は、はいっ」
 気が変わられてもたまらない。逃げるように駆け出す。
 そこへ。
「どういうつもりです」
 険しい視線のまま。
「お二人の邪魔をするようなことは」
「カンケーないんだし。シロヒメ、ヨウタローの馬だし」
「であっても、自分のことで主をふり回したり」
「シロヒメのよーじじゃないんだし!」
 いななく。
 と、あわてた足取りで。
「白姫」
 相変わらずメイド姿の。
「ごめんね、さびしい思いさせちゃって」
「って、いきなりあやまってんじゃないんだし!」
 憤る。
「ぷりゅー」
「し、白姫?」
 あやまるなと言われつつ怒りを向けられ、困惑を隠せない。
「マキオのことだし」
 はっと。
「なんで、一緒にいてあげないんだし!」
「そ、それは」
 言葉に詰まりつつ。
「僕が情けないから」
「カンケーないし!」
 いななき切る。
「マキオがかわいそーだし!」
「うん、だから」
「そーじゃないんだし!」
 激しく。
「ぷりゅーっ」
 じたばた。もどかしさにヒヅメ踏みする。
「し、白姫」
 暴れ出す一歩手前な状態に。
「ぷりゅっ」
 パカーーーン!
「ぷりゅーっ」
 横合いからのするどい一蹴り。
「ろ、麓華」
 驚いて。
「あの、ケンカは」
「すこし目を覚まさせただけ」
 凛々しく。
「落ちつきなさい」
「ぷりゅーっ」
 反対に。荒ぶる一方のところへ。
「どうしてもらいたいのです」
「ぷりゅぅ?」
「葉太郎様に」
 ぴたり。動きが。
「そんなの」
 いななきに。詰まり。
「そんな……の」
 目に。
「白姫」
 首すじを抱き寄せ。
「ごめんね」
「あやまんなくていいんだし」
「でも」
「情けないんだし」
「………………」
 かすかに。うつむき。
「……ごめん」
「情けないし」
 くり返す。
「自分を情けないって思っちゃってるヨウタローが情けないんだし」
 はっと。
「僕は」
 口を開くも。やはり言葉にならない。
「ご主人様なんだし」
 あらたな。涙。
「シロヒメが大好きなヨウタローなんだし」
「………………」
 伝わる。
 痛いほど。
「僕は」
 まっすぐに。目を。
「白姫が誇れる僕でありたい」
「ぷりゅ」
「だから」
 その先が。
「………………」
 悔しそうに。つらそうに。
 視線を。
「ぷりゅぅ」
 そこに。
「なればいいじゃん」
 はっと。
「みんな」
 並んでいたのは。
「一人じゃ無理でも」
 言って。血縁以上に固い絆で結ばれた〝家族〟同士、目を合わせる。
「一人じゃ……」
 つぶやき。
「うん」
 表情に。力が戻っていた。

ⅩⅩⅡ

「やあっ」
 気合を。こめて。
「ふんっ」
 つかむ。
「媽媽、がんばってー」
 応援が。
 それに応えている余裕は。
 ない。
「ふぬぅ」
 遠い。頂上が。
(私は)
 小さい。弱い。
(何を偉そうに)
 叱り飛ばしたりしていたのだろう。
(葉太郎)
 あっさりと。登ってみせたではないか。
(それを)
 もっと情けない。
 自分が。
 だから。
「ふぬっ」
 登る。同じように。
「はぁっ、はぁっ」
 息が。
「媽媽……」
 不安そうな思いが伝わってくる。
 それでも。
「私は」
 やめない。
 やめてはいけない。
 届けば。
 頂に。
「そうすれば」
 通じる。
 胸を張って。
 もう一度。

『レディ』

「――!」
 聞こえた。気が。
「あっ」
 手がすべる。
「くっ!」
 つかむ。力をこめて。
「媽媽!」
 悲鳴が。
「く……」
 ぎりぎりの。しかし、もう力が。
「たあっ!」
 最後の。
 雄叫びと共にそれを。
「はっ!」
 たどり。
「ついっ……」
 た。
「おめでとうございます」
 そこへの。
「あ……」
 顔を上げる。
「レディ」
 陽光にきらめく。白い。
 仮面。
「ナイトランサー」
 いてくれた。
「私が」
 ここまで来ると。最後まで昇り切ると。
 信じてくれていたから。
「さあ」
 差し出される。白い手袋に包まれた手。
「うむ」
 ためらうことなく。
「はっ!」
 舞い上がる。
「きゃっ」
 かすかな悲鳴。しかし、不安はまったくなく。
「わっ」
 着地した。いや、正確には。
「行くぞ!」
 応える力強いいななき。
「わはっ」
 どこへつれていってくれるのだろう。
 このまま。
 風となって。

ⅩⅩⅢ

 駆ける。
 馬の背の上で。
 白いマントにそっと包まれ。
「すごい、すごい!」
 こうして馬に乗せてもらうのは初めてではない。
 それでも。
(なんだろう)
 新鮮な。感動があった。
(あ……)
 気づいた。
(そうか)
 これは。
 奇跡なのだ。
(私は)
 一人では。
 たいしたことのない高さの崖でさえ登るのに苦労する。
 当然、このように駆けることなどできない。
(それが)
 できている。
 この速さを自分のことして感じている。
(これこそが)
 奇跡。
 命の重なり合い。
「ははっ」
 簡単な。
 ことだったのだ。
「情けない」
「えっ」
 かすかな。驚きの。
「自分のため」
 口に。
「いてほしかったから」
「………………」
 静かに。耳を。
「情けなくなくなって」
 心からの。
「よかったと思ってほしかった」
「っ……」
 かすかに。
「ふぅ」
 ためらいの。息。
「………………」
 無言のまま。速さを落とす。
「ありがとう」
 気持ちを察してくれたことに。
「いえ」
 先に。
 鞍から降り、手を差し出す。
 素直にそれを取って降ろしてもらう。
「はぁっ」
 楽しかった。本当に。
「いい天気だな」
 こちらの心を表すような。その青空に負けない大きな声で。
「いまのままでもいい!」
 はっと。仮面の向こうで。
「そうではなく」
 息を吸って。
「いまがいい!」
 晴れ晴れとした。
「そう言わせたかったのだ」
 ありったけの。
「ふふっ」
 隣を見て。はにかむ。
「………………」
 かすかに。あぜんと。
 が、すぐ。
「いま」
 膝をつく。
「レディと共にいられることを」
 手を取り。
「……っ」
 キス。
「感謝します」
「そうか」

 ――笑った。

ナイト・ミーツ・ガール

ナイト・ミーツ・ガール

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-04

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. ⅩⅢ
  2. ⅩⅣ
  3. ⅩⅤ
  4. ⅩⅥ
  5. ⅩⅦ
  6. ⅩⅧ
  7. ⅩⅨ
  8. ⅩⅩ
  9. ⅩⅩⅠ
  10. ⅩⅩⅡ
  11. ⅩⅩⅢ