チャイルド・エンド

「そんなの知らないし」
 つんと。
「そんなこと言わんと」
 手を合わせる。
「お姉ちゃんの頼みやん」
「知らないし」
 くり返す。
「オイラ、やらないよ」
 念を押す。
「わかった」
 あきらめた。
「さすが家族やな」
「は?」
 何を。
「やってくれるんやろ」
「はあ!?」
 なんで、そうなる!
「もー、照れ屋なんやからー」
 つんつん。
「やめてよ!」
 あわてて。
「ないから! そういう、なし崩しにやらせようみたいなの!」
「またまたー」
「何が『またまた』なのさ!」
 まずい。
 向こうのペースだ。
「行くから」
 席を立つ。
「待ちぃ」
 肩を。
「ここの支払いはウチやで」
「は?」
 何を言っているのかと。
「当然でしょ。そっちがつれてきたんだから」
「うれしいやろー」
 すずしい顔で。
 高層ビルの建ち並ぶ光景をを指し。
「最上階一流カフェの窓際席やん。摩天楼の景色、独り占めやん」
「今時そういうの流行んない」
 冷たく。
「どこで食べたって、ケーキの味が変わるわけじゃないし」
「夢ないなー」
「なくていいし」
 あくまで。
「行くから」
「そんなこと言わんとー」
「あのねえ!」
 我慢の限界。
「拉致されたんだけど!」
 驚きの顔が。こちらに。
「もー、この子はー」
 さすがに焦って。
「なに、おかしなこと言うてんのー。本当やと思われたら困るやーん」
「本当だし」
 ゆずらない。
 事実。
「拉致されたし」
「あんたなー」
 声を潜め。
「マジ、シャレにならんて。小さい子をなんて、この国じゃ特別ヤバいんやから」
「小さい子、言うな!」
 眉が逆立つ。
「とにかく、行くから!」
「せやから、小さい子が独り歩きできる街じゃ」
「何度も小さい子言うな!」
 爆発。もう止まれない。
「あっ」
 先回り。
「ふっふっふー」
 不敵に。
「ウチから逃げられると思うてん? あんたがいくらすばしこくても」
「チッ」
 敏捷さは互角。あるいは上回る。
「お?」
 すっと。力が抜ける。
「あきらめが早うて助かるわー。ええ子、ええ子」
「叫ぶから」
「へ?」
「大声あげるから」
 すっと。血の気が。
「いやいやいやいや」
 形成逆転。
「それはほんっまにマジでシャレに」
 すうっ。息を吸う。
「あかんあかんあかん!」
 身を乗り出す。
「へへっ」
 飛び越えた。
「な!?」
 跳び箱にされ、さすがに体勢が崩れる。
「バイバーイ」
「ちょ、待ちぃ!」
 ふり返る分だけ反応が遅れた。
 タワービル最上階のカフェでこれ以上騒ぐのはという思いも動きをにぶらせる。すでに十分注目はされてしまっている。
「あー、なんでもないんですよ、なんでも。ちょっとうちの子がワンパクなもんでー」
 愛想笑いの間に、その『うちの子』はとっくに姿を消していた。


「へへーん」
 得意げに。
 笑ってみせるも。
「ぜんっぜんわかんない」
 あてもなく。大都会の喧騒を行く。
「はぁ」
 さすがに気が重い。
「シルビアのやつ」
 唇をへの字に。
「いきなり、こんなとこつれてきて」
 わけがわからない。
 何も聞かされないままの。
 拉致。
 まさに拉致だ。
 家族であっても怒るのは当然だろう。
「はぁーあ」
 腹が立つ一方。
「ふぅ」
 ぐぅ~~。減りもする。
 せめて、何か食べてから逃げるんだった。
 後悔しても遅いが。
「あっ」
 絶好のタイミングでの。
 かぐわしい。
 見れば、ホットドッグなどを売っている軽食のスタンドが。
「う……」
 ない。
 金銭。
 ここで使えるような類いの何をも持っていないことに気づかされる。
 かえって空腹感が増す中。
(だめだ)
 ぐっ。拳を。
 代金を支払うことなく食べ物を手に入れる。
 それは。
(オヤビンとの)
 悪いことをしない。この世で最も信頼する大人との約束を破ることになる。
(だったら)
 どうすればいいのか。妙案は浮かばず。
「ちょっと、キミ」
「!」
 声を。
「やばっ」
 とっさに背を。
「あっ」
 いきなりこんな態度を。確実に不審だ。
 それでも。
(やっちゃった)
 制服。
 細かな違いはあれ、万国共通で『それ』とわかる。
 どうしても身体が反応してしまう。
(なまったなー、オイラ)
 舌打ち。昔なら平然と猫を被ることもできたのに。
「おい」
 近づいてくる気配。
 言いわけを。
 いまさらながらにしようとも思ったが。
(めんどい)
 となれば。
「あっ」
 またもの。
 跳ねるような踏みこみからの全力疾走。
 予測はしていたとしても、その俊敏さまでは予想できなかったのだろう。後ろ姿がまともに目で追われることもなかった。


「へへーん」
 またもの逃走。
 しかし、得意になっている間もなく。
「おい」
 薄暗い。
 路地の向こうから。
「誰に断って」
(あー)
 こういう脅し文句はどこに行っても変わらない。
「うちらのシマに入ってんだよ」
(ははっ)
 不敵に。心の中で。
 慣れている。
 むしろ、ワル相手のほうがやりやすい。
「えっ」
 はずだった。
「お、おい」
 間の抜けた声。
「あン?」
 馬鹿にされたと思ったのか。
「なに、ガンつけてんだよ」
「いや」
 むしろ、そちらが。
 ガン。
 というか、眼鏡。
(いやいや)
 それを『ガンをつける』という言い方はしないが。
「だから、なに見てんだよ!」
 似合わない。場の空気と口にするセリフにあまりに。
 眼鏡。
 それをかけていたのは、こちらとさほど変わらない歳と背丈の少女だった。

 こちらが。
 思うことではないのかもしれないが。
(なんで、こんな所に)
 しかも一人で。
「ああン?」
 オラオラ系の姿勢を崩そうとしない。
 ぜんぜん似合っていないのに。
 眼鏡の縁がかかった白い頬にはそばかすが浮かび、ぼさぼさの赤毛はセンスなく左右で結われている。
 田舎の冴えない子ども。そのものといった見た目だ。
「メグだ」
「は?」
「名前に決まってんだろ、オラぁ!」
 決まっていたのか。
「メグ・ビヴァリーだぞ、コラぁ!」
 知らないし。
(何だよ……)
 どうすればいいか。さすがに戸惑う。
 すると。
「あれ?」
 向こうが。きょとんと。
「違う?」
「は?」
 共に。
「………………」
 沈黙。
「え、えーと」
 あたふたして抱えていた大きな本を開く。
(似合ってないし)
 これがまた。場所と言動に。
「あった! これ!」
 快哉をあげる。目当てのページを見つけたらしい。
 閉じる。
 軽くせき払い。
「卑劣なる者よ!」
 バッ。凛々しく右手をつき出し。
「下がるがいい!」
 目が点に。
「は?」
 何なのだ、これは。
「どうした! 我の言うことが聞こえぬか!」
 いや、聞こえているから。
「引かぬというなら」
 まだ何も。
「我のこの」
 この?
「………………」
 止まる。
「この……」
 きょろきょろ。
「あっ」
 小走り。
「この!」
 あらためての。
「槍にかけて!」
 ………………。
 絶句。
「……や……」
 槍?
 ただの古びたデッキブラシだというそんなツッコミさえ口にするのがどうかという。
(おいおい……)
 何が起こっているのだ。
「引かないの?」
 じわり。
(えっ)
 ぎょっと。
「引かないんだ」
 またもの。変貌。
 しかし、眼鏡の向こうで涙をにじませているそれは、一番素顔に近いと感じられた。
「なんでよぉ」
 なんでって。
「あー」
 けれどようやく。まともに話ができそうだ。
「あのさー」
 しかし。
「う……っく……」
「あ」
 まずい。
「ああ……うあああ……」
 ぼろぼろと。涙をこぼしつつの弱々しい泣き声。
(うわー)
 参った。
 嘘泣きは得意だ。たびたび役に立つこともよく知っている。
 だが、それを先にやられてしまうと。
(しかも、マジ泣きだし)
 頭をかかえる。
(また)
 逃げようか。よぎった直後。
「ハーーーハッハッハ!」
「!?」
 頭上から。唐突なる高笑い。
「あっ」
 舞い降りてくる。
「ハァッ!」
 たんっ。壁を蹴り空中回転。
 ビルの間を跳び渡りながら落下の勢いを殺し。
「ハッ!」
 着地。
「うぉ……」
 息をのむ。隣からも驚愕の気配が伝わる。
「レディ、こちらへ」
「えっ」
 突然の。それでもすぐ。
「は、はいっ」
 あたふたとその後ろに回る。
「いや、あの」
 ようやく。まともに言葉が。
「どういうつもり?」
「フッ」
 語るまでもないと。口元に笑みを見せ。
「レディを守るのは騎士の務め」
 とたん。
「騎士!?」
 大喜びの。
「すごい、すごい! こんなの初めて!」
「フッ」
 得意げに。またも。
「あのさぁ」
 うんざりして。
「だから、どういうつもり?」
「レディを守るのは」
「それ、もうよくて!」
 声を張る。
「騎士様!」
 負けない声で。
「あなた、素敵ね! 何の騎士?」
「よくぞ聞いてくれました!」
(何が『よくぞ』だよ)
 うんざり。
「愛と正義の美少女騎士!」
(わかんないだろ、『美』かどうかは)
 なぜなら。
「仮面の騎士シルバーランサー!」
(『騎士』重なってるよ!)
 ツッコみたくない、付き合いたくない。思っても心の中でどうしても。
「シルバーランサー!」
 歓声。
「知らないわ」
 かくっ。
(いやいやいや)
 ショックの反応を見せているが、知らなくてむしろ当然だろう。
「だって、お父様の本に乗ってないもの」
(お父様の?)
 手にしている分厚い本のことか。
「それで、どの騎士団なの」
 どの?
「現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)!」
「知ってるわ! 九百年前にあった騎士団よね!」
 あった?
「有名な騎士団だわ! でも、その中にシルバーランサーなんていたかしら」
「フッ。仮面のヒーローは秘密と決まっています」
「そっか!」
 納得している。
(って、所属ばらしてるけど)
「東アジア区館で活躍しています」
(もっとばらしてるし!)
「東アジア区館?」
 首をかしげる。
「知らない」
「そうですか」
「それは、アジアの東にあるからそう呼ばれてるのかしら」
「その通り」
「だったら、おかしいわ」
(えっ)
 何が。
「そんなのないもの」
 きっぱり。あこがれるヒーローを前に。
「だって、そうでしょ」
「あー」
 納得という。
「現世騎士団は」
 手にした本を広げ、講義するように。
「ヨーロッパで生まれた騎士団です」
 知っている。
「巡礼の旅人たちを守る目的で結成された有志の集まりです」
 それも聞いたことがある。
「なので、いまはありません」
(ん?)
「東アジアに伝わったなんてことも」
「いやいやいや」
 思わずの。
「あるし」
「えっ」
「オイラは関係ないけど。あっ、でも、オヤビンが」
「お姉ちゃんもやろ」
 見ると。
「あっ」
 仮面が。
「きゃっ」
 驚きの。
「あ、あれ? シルバーランサ―は?」
(いやいやいや)
 仮面を取っただけでわからなくなるかという。
「天然か」
「えっ」
「なんでも」
 また相手をさせられては。
「お姉さんは?」
「シルビア・マーロウ」
(名乗るのかよ)
「シルビア・マーロウ!」
 驚いて。
「知ってるわ!」
(えっ)
 知り合いなのか。
「あのシルビアよね!」
(どのだよ)
 すくなくとも俳優や歌手ではないのだが。
「そのシルビアや」
(おい)
 どのだという。
「やっぱり!」
 完全に置いてきぼりだ。
「すまんなー」
 手を合わせる。
「あんたの傑作、わやにしてもうて」
(ん?)
 何の話だ。
「ううん、あの子、すごいよろこんでた。また乗ってほしいって」
(乗る?)
「けど、もう」
「大丈夫よ。ちゃんと直しておいたから」
(えっ)
 直した? 乗り物?
(あっ)
 ピンとくる。
(えっ、でも)
 目の前にいるのは自分と変わらないくらいの。
「ホンマか!?」
 目を輝かせ。
「やるやーん。さすがやーん」
「えへへー」
 うれしそうに。頭をなでられる。
(子どもじゃん)
 どう見ても。
(それが)
 こちらでの〝乗騎〟を用意したり、修理したり。
(あり得ない)
 思っていると。
「紹介するわ」
 あらためての。
「っ」
 警戒するように。背の後ろに回られる。
(なんだよ)
 むっと。
 何をしたわけでもないのに。
「もー、仲良くせんとー」
 言われても。
「そのためにつれてきたんやから」
「は!?」
 驚いていると。
「べー」
 舌を出される。
(子どもか!)
 まるっきり。
(無理無理、仲良くとか!)
 頭をふる。
「ほら」
 優しく。うながす。
「むー」
 不服そうながら。
「メグ・ビヴァリー」
 再び。名乗る。
「天才だから」
「は?」
「この子」
 肩に手を。
「モーターメカニックの天才。神童や」
「……やっぱり」
 信じたくはないのだが。

「ねー、ユイエン」
 お互いの紹介が終わり。早くもなれなれしげの。
「ユイエンは何の天才?」
「ぶっ!」
 突然な。
「ふ、普通だよ!」
「普通の天才?」
 なんだ、それは!
「普通に」
 普通に――
「………………」
「普通に?」
「ふ、普通にオイラなんだよ!」
 何の答えにもなってない。
「へー、普通の『オイラ』なんだ」
(おい!)
 天然か!
(疲れる……)
「よかったわー、さっそく仲良うなってくれて」
(どこがだよ!)
 大声で。言ってやりたい。
「シルビア!」
 ごまかされるようなことはもう。
「どういうことなの! ちゃんと説明して!」
「せやから、大声出さんとー」
 戻ってきた。タワービル最上階の店の中を見回し。
「変に思われるやん」
「変だよ!」
 十分に。この状況が。
「って、また逃げるんやないて!」
 早々に。首根っこをつかまれる。
「……大声出すから」
「それもやめいて」
「ねえ」
 不安そうに。
「シルビアとユイエンは仲が悪いの?」
「まっさかー」
 ぽんぽん。わざとらしすぎるくらいわざとらしくこちらの頭を叩く。
「出すから」
「やめいて!」
「じゃあ!」
 身を乗り出す。
「仲良しなの!?」
(おい……)
 何なんだ、このテンションは。
「仲良しなのよね!」
「せや」
「ち、ちょっと」
「やっぱり!」
 目を輝かせ。
「いいよね!」
「う……」
 こちらに来るなと。思い切り顔を近づけられて逃げることもできず。
「ユイエンはいい子」
「は!?」
「かわいい弟」
「はあ!?」
 何を。
「じゃあ、妹?」
 そういう問題でなく。
「それで、ワタシはお姉ちゃん」
 なんでだ!
「よかったなー、新しいお姉ちゃんができて」
「おい!」
「実際、そうなるかもしれんねや」
 真剣な顔。
「え……」
 どういう。
「あー、話よりまずはお食べお食べ」
「うん!」
 元気よくうなずき。フルーツのたっぷり盛られたケーキに食らいつく。
(うわ……)
 まさに『食らいつく』な勢いで。
 むしろ、顔面から『突っこむ』な勢いで。
「ふふふ」
 あたたかな眼差しが。
「はーあ」
 頭が痛い。
 こんな〝妹〟はたくさんだ。まして〝姉〟なんてあり得ない。
「天才」
 ぽつり。
「言ったよね」
 見る。
「せや」
 うなずく。
「だからなの?」
 真面目に。
「そうなるかもしれないって」
「んー」
 視線を。さ迷わせ。
「ちょいちょい」
 手招く。
「何?」
 顔を寄せる。
「ええか?」
 耳元で。真剣に。
「ウチらのパパとこの子のパパは親友や」
「えっ」
 そうなのか。
 そして、語る。
 メグの父は『冒険家』なのだと。
「ぼーけんか」
 目を。丸く。
「せや」
 うなずく。
「マジ?」
「マジやて。えーやん、冒険したって」
 そういう問題ではないのだが。
「で?」
 夢中でケーキと格闘しているほうを見やり。
「この子は?」
「娘やて」
「じゃなくて」
 イラッとしながら。
「オヤビンの友だちの娘だからって、オイラたちとカンケーないでしょ」
「ほー」
 そんなことを言うのかと。
「パパ、悲しむやろうなー」
「えっ」
「ユイエンがそんな冷たいこと言う子やったなんてなー」
「あ……や……」
 だめだ。
(くそっ)
 手のひらの上とわかりつつ。
「どうしたいわけ?」
「それでこそ、金剛寺ファミリーの子やーん」
 憎らしいほどの笑顔で。
「騎士や」
「へ?」
 何を。
「この子の」
 まだ格闘中の。
「騎士になるんや」
「………………」
 それは。
「誰が」
 じーっと。
「……え?」
 まさか。
「いやいやいやいや」
 頭を振る。
「わけわかんないし」
「わかってるくせにー」
「わからないよ!」
「ねえ」
 じーっと。口の周りをクリームでべたべたにして。
「何がわからないの」
「何がって」
「教えてあげる」
 にっこり。
「お姉ちゃんだから」
「おい!」
「わー、メグは偉いなー」
 なでなで。
「さすが、ウチの妹や」
「へへー」
(姉妹になっちゃってるよ!)
 もう勝手にしてくれと。
「けど、あかんで」
 ちょっぴり。厳しく。
「一人で出歩いたりしたら。どんな危ない目に合うかわからんし」
 まったくだ。そもそもがそういう街なのだから。
「平気よ」
 しれっと。
「ワタシにはこれがあるもの」
 あの分厚い本を。
「おー、それがメグパパの本かー」
(えっ)
 そういえば、そんなことを言っていたような。
「これを読めば、ワタシは何にでもなれるの」
(は?)
 何を言っているのだ。
「だよな、ユイエン! オラァァッ!」
(う……)
 これは。
「なにポカンとしてんだ、オラァッ!」
(いやいやいや)
 するだろう。
「わかっていないようだな、ユイエンは」
 今度は。気取った口調。
「ワタシは何にでもなれる」
「………………」
 そう言うのか、これは。
 確かに、路地裏でもこうだったが。
「あー、そういうことかー」
(どういうことだよ!)
「ウチらのパパに会う前やな」
 またもの。訳知り顔。
(あのさー)
 いいかげん。置いてきぼりはごめんだ。
「いまのは『やんきー』よ」
 こちらに構わず。
「わかんだろ、オラァッ!」
「………………」
 つまり。
「冒険家や」
 指を立て。
「世界中を冒険してな、そこで出会った物や人のことを本にまとめてるんやな」
「そうなの!」
(はーん)
 なんとなくだが。
「で」
 ジト目で。
「それを真似してると」
「なってるの!」
 言い張る。
「パパの出会ったものに! ワタシはなってる! だから、無敵なの!」
 言うなり。椅子を離れ、その場にしゃがみこむ。
 頭の上で手のひらを耳のように立て。
「タヌキ!」
「………………」
「ポンポン! ポコポンポン!」
(……い……)
 痛い。店内の視線が。
「や……」
 やめろと。手を伸ばしかけたところを。
「知ってる!?」
「っ」
「タヌキ! 東アジアにしかいない珍獣なの!」
「そ……」
 そうだったのか。
 と、感心しかけた自分に、あわてて頭を振るも。
「料理もあるのよ! タヌキそばって!」
 たたみかけられる。
(いや……)
 それはタヌキそのものが入ってるわけでは。
「そんな珍しい動物だもの。きっと大切に保護されてるのよ」
(おい)
 料理になると言ったばかりだろう。
「賢いなー、メグは」
「へへー」
(おい!)
 調子に乗らせるな。
「こんな風に、ウチらと同じでパパ想いやねん」
 そうなるのか!?
「せやからこそ」
 我がことのように。得意げに。
「メカニックの天才になったわけやな」
「えっ」
 なんでそういう。
「パパが旅するために使う乗り物は、みーんなメグが整備するんや」
「え……」
 そうなのか。
「お父様がするのをずっと見てたから。一緒にやってたら、できるようになったの」
「いまではとっくにパパの腕、超えてるらしいで」
 耳元で。
(それは)
 天才だ。確かに。
(アホのくせに)
 思ってしまう。
「けどなー、メグ」
 あらためての。
「やっぱ、一人歩きはいかんでー」
「ワタシにはこれが」
「それもあるけど」
 優しく。諭す。
「聞いてるはずやん」
「えっ」
「うちのユイファから連絡が行ってるやろ?」
「うん」
 うなずき。
「だから、来たの」
「へ?」
「ごめんなさい」
 あやまる。
「寄り道しちゃって」
「あ、いや」
「レアパーツがあったの。そう見えたの。だから探してたの」
「あー……」
 さすがにというか。つなげる言葉をなくす。
「そこにユイエンが来たの」
(あっ)
 あの路地裏でのことを言っているのか。
「いやな」
 ようやく。
「せやなくて、ウチが言ってるのは」
「ごめんなさい」
 またも。先んじられる。
「やー……」
 こちらも。
「あのさー」
 黙っていられても、どうにもならない。
「姐々から連絡って?」
「いやなあ」
 まだ腑に落ちないという顔で。
「ウチらが行くから、家で待っててほしいて」
「ここで待ち合わせじゃなくて?」
 沈黙。不意の。
「ん?」
 どうしたのかと。
「ここは」
 そこまで言って。
「……あり得んやろ」
 口もとを。手で覆う。
「シルビア?」
「立ちぃ!」
 すかさずの。
「きゃっ」
 横脇に。抱えこむ。
「シ、シルビア?」
「あんたも早ぅ!」
 言い終わる間もなく。
「!」
 閃光が。炸裂した。

「不覚や」
 悔しさを。
「あり得へんな」
「あり得ないよ」
 こちらも。
「なんで、襲われることになるわけ」
「襲われるなんて大げさな」
「襲われたんだよ!」
 どう考えても。
「しかも」
 ジト目で。
「何なの、ここ」
「部屋や」
「大ざっぱすぎるし!」
 声が響く。
 当然だ。
 まともに立つこともできない屋根裏なのだから。
「だめよ、ユイエン」
(おい)
「お姉ちゃんとケンカしたりしたら」
(あー、もう!)
 うっとうしい。
「行くから」
「どこへ?」
「どこって」
 とっさには。
「そ、そんなの」
 それでも。
「関係ないし」
「関係あるし」
 言われる。
「お姉ちゃんだから」
「く……」
 うっとうしい。
「メグ」
 そこへ。
「ウチらのことは信じていい」
 真剣な顔で。
「こんなユイエンやけど」
「おい」
 悪いのはこちらかと。
「うん」
 うなずく。素直に。
「ただな」
 厳しめに。
「何でもかんでもはあかん」
「えっ」
「まあ」
 目を伏せ。
「敵さんのほうが上手やったってハナシやけど」
(………………)
 敵。
「あのさあ」
 それだけは。確かめておかなければ。
「何なの?」
「………………」
 ためらう。気配。
「歳が近いから、ええと思ったんや」
 小さくため息。
 珍しい。
 強引で無茶苦茶な〝姉〟のこんな姿は。
「何なの?」
 ますます。
「うん、まあ、それは後で」
「後回しにしていい問題じゃ」
「いまは」
 強引に。
「メグの安全を確保することが先や」
「それは」
 そうだけど。と言いかけ。
「い、いや」
 自分には関係ない。あらためて主張しようと。
「う」
 ぴたり。寄り添ってくる。
 せまい屋根裏で、ただでさえ密着していたところへの。
「………………」
 何も言わない。
(うー)
 こういうのが一番。
(オイラは)
 関係ない。あらためて自分に。
『ユイエン』
(あ……)
 よぎる。
 それは〝父〟の。
『俺はな』
 あたたかな。その。
『おまえたちの父親でありたいと思っている』
 頭を。
『だからな』
 限りなく。優しく。
『おまえたちも』
 大きな手から。
 言葉にしなくとも。
(オヤビン)
 その想いに。気持ちに。
「おい」
 同じように。
「あっ」
 驚きの。
「ユイエン」
 こちらを見る。
「っ」
 目をそらす。
 それでも。頭に乗せた手を離すことはなかった。
「……えへへ」
 ふわり。笑顔。
「へへー」
「な、なんだよ」
 照れくさくてたまらない。
「やるやーん」
 こちらまで。
「ウチの教育のたまものやな」
(何がだよ)
「立派なナンパ師に」
「おい!」
 と、唐突に。
「知ってるわ」
「う……」
 まさか。
「お嬢さん」
 髪を。かきあげ。
「おわっ」
 くいっと。こちらのあごを。
「お、おい」
「ふふっ」
 無駄に。上から目線で。
「照れているのかい」
「誰がだ!」
 さすがにの。
「騎士って、こういうことをするんだろう」
(いやいやいや)
 片寄っている。
 いや、一部そういう者がいるのは確かだが。
 騎士道体質というのが。
「レディには常に紳士である」
(誰が『レディ』だ!)
「完璧だろう」
 ドヤ顔をされても。
「しかし」
 薄暗い屋根裏を見回し。
「場所がそぐわないな。騎士に」
(おいおい)
 この状況で、そんなことを言えるか。
 何より〝本物の〟騎士がここにいるというのに。
(アホだ……)
 いろいろな意味で。思ってしまう。
 紙一重とはよく言うが。
「まー、確かになー」
(おい!)
 同意するなと。
「いつまでもここに隠れてられへんやろ」
「それは」
 そうに決まっている。
 天井裏。
 しかも、誰ともわからない他人の家のなのだから。
「無茶苦茶だよ」
 こぼさずには。
「無茶苦茶でも」
 声に。苦々しさが。
「何でもせえへんと、こっちがやられる」
「えっ」
 何度目かの。弱気な言葉。
「シルビア」
「………………」
 ぽつり。
「遊ばれとるんや」
「え……!」
「本気だったら、あんなもんや」
 ない。そう聞く前に。
「っ」
 下からの。人の気配。
 複数の。
「あかんやん」
「え、でも」
 気づかれては。
 いない。
 いれば、もっとそれらしいものを感じるというか。
「ここの住人やったとする」
 冷静に。
「せやったら、何かはおかしいと思うはずやん」
「あ」
 そうだ。
 自分たちはともかく。
 素人が。いる。
 住み慣れた環境の変化は、ささいなことでも敏感になるものだ。
 なのに、不審や警戒がないということは。
 逆に。
「どっちにしろや!」
 脱兎。
「きゃっ」
 抱えこむ。
「ユイエンも早ぅ!」
 行かないわけにはいかない。
「はぁっ!」
 こちらからの。カウンターのような降下。
 ちょうど上がろうとしていた向こうの不意を突く形となり、動揺するその間をすり抜けるようにして。
「逃げんでーーーっ!」
 ふり返る余裕などない。脱出劇だった。


 煙と閃光。
 が。
 突如としてフロアにあふれた。
 直後、雪崩れこんできた複数の人影。
 敵意。
 そう呼ばれるものを感じさせないすみやかな侵入。
 プロの。
 明らかに力任せの素人の行動ではない。
「……あのさぁ」
 タワービルでのことを思い返し。
「同じだったよね」
「はむ?」
 ホットドッグをほおばりながら。
(き……)
 緊張感が。
「そんなの食べてる場合じゃ!」
「腹が減っては」
「はいはい!」
 そんな陳腐な文句、聞きたくは。
(……戦?)
 はっと。
「あのさぁ」
 心持ち。重い口調で。
「戦いになっちゃってるの、これ」
「生きることは戦うことや」
「そうじゃなくて」
「そうよ、ユイエン」
(また)
 うんざり。
「生きることは食べることだから」
(違うだろ)
 言っていることが。
 合ってはいるのだが。
「あーん」
「おい!」
 食べさせるな。
「平和やなー」
 広い公園のベンチ。青空を見上げて。
(違うだろ)
 うんざりしてくる。
「いいの?」
 それでも。
「こんな見晴らしのいいところで」
 狭苦しい屋根裏から、街の中央にある自然の宝庫。
 極端すぎる。
「探ってるんや」
 ぺろり。指についたケチャップをなめて。
「探ってる?」
「お互いにな」
 うなずく。
「……あのさぁ」
 いいかげんにと。
「言ってよ」
 もう。
「せやな」
 心を。決めたと。
「ユイエン」
 まっすぐな目。
「〝幇(バン)〟や」
「!」
 それは。
「え……ちょっと」
 さすがに。
「………………」
 重ねない。言葉を。
 ただ静かにこちらを見続ける。
「ち、ちょっと」
 あせりが。
「……ごめん」
 目を。
「………………」
 言葉が。お互いに。
「バンってなーに」
「っ」
 たまらず。
「きゃっ」
「ユイエン!」
 突き飛ばした直後。すでに背を。
「どういうことだよ」
 誰へのものでもない。
「くっ」
 歩き出す。
「っ……」
 ためらいの。しかし。
「待ちぃ」
「………………」
 ふり返らない。
 それでも、足は止まる。
「言ってよ」
 再びの。
 一息入れて。
「ウチのことは怒ってええ」
「………………」
「けどな」
 真摯に。
「あんたの力が必要なんよ」
(オイラの)
 何が。何を。
 ただ子どもの相手をさせるためでは。
「うあーーん」
「っ」
 ふり向く。思わず。
「よーしよし。メグはええ子やでー」
(く……)
 たまらず。
「行くから!」
 意地が。
「そればっかりやな」
「はぁ!?」
「女の子を泣かして」
 詰め寄られる。
「それで、あんた、ええと思ってんの」
「なっ……」
 なんで、こちらが責められる側に。
「あり得ない」
「そう、あり得へん」
 うなずかれる。
「そんなのばっかじゃん」
 しかも。
(〝幇〟が……)
 忌まわしき。それが。
「なんでさ」
「それをこれから」
「なんでなのさ!」
 声が跳ね上がる。声が。
「あり得ないだろ! あいつら、オヤビンが」
 そうだ。あり得ない。
 ない。
 なぜなら。
「オヤビンが」
〝父〟が。壊滅させた。
 だからこそ、自分たちは〝家族〟になれた。
 まるで、それが否定されたような。
「ユイエン」
 肩に。
「落ちつきぃ」
「オ、オイラ」
 落ちついて。
「く……う……」
 いないと。
「っ」
 抱きしめられる。
「ユイエン」
 耳元で。
「かんにんな」
 あやまられたって。そんな言葉なんかで自分は。
「つらいかもとは思っとった」
 は? 『かも』?
「ふ……」
 ふざけるな。そう口をついて出るより先に。
「ウチに何かあったとき」
(えっ)
 何を。
「あんたが頼りなんや」
(それって)
「メグのこと」
 と。
「………………」
「?」
 腕が。
「シルビア!」
 落ちた両腕に引きずられるように。身体がかたむく。
「ちょっと! 何なのさ!」
 答えは。なく。
「やめてよ! こんなシャレにならない」
 シャレに。
「……!」
 ならない。
 すかさずの。
 この状況で停滞は許されない。
 本能とも呼べる覚醒。
「おい!」
 はっと。小さな影が。
「来い!」
 考えている余裕などない。
 返事を待たず、うずくまる〝姉〟の身体を背負う。
「く……」
 力には自身がない。どこかの『騎士道体質』のようにお姫様だっこなど、まして。
 それでも。
(オイラが)
 頼まれた。託されたのだ。
〝家族〟に。
 それは強引にこんな状況に巻きこまれた憤りより何より優先されることだった。
「離れるなよ」
 うなずく。気配が伝わる。
 敵の正体はいまだ不明のまま。
(……いや)
 確かに聞いた。
〝幇〟と。
(くそっ)
 胸のざわめきに顔をしかめつつ。
「行くぞ」
 やはり返事を待たず。
 足早に。
 歩き出す。

『おまえは強いな』
 言ってくれた。
『よくがんばった』
 言って。
 抱きしめられた。
 こちらをすっぽりくるみこむ大きな身体。
 それが細かくふるえていたことを、いまもおぼえている。
『なんで』
 聞いた。
『情けないからだ』
 何が。
『おまえたちを』
 言葉にならないと。ふるえが。
『………………』
 抱きしめられながら。それを感じながら。
 こちらからも。
 すがりつくように。
『すまない』
 力がこもる。
 負担をかけないよう意識しながら。
 そのことに気づいて。
『情けなくない』
 はっきり。
『だって』
 うまくは言えない。それでも。
『情けなくないから』
 確かな。
 想いを。
『お……』
 お父さん。言いかけて。
『……オヤビン』
 照れくささに。
 それでも、胸にはたとえようもなくあたたかなものが広がっていた。


「車だよ」
 唐突な。
「あ?」
 いらだたしげに。ふり返る。
「ほら」
 指をさす。
「だから?」
 いらいらと。
「自慢したいの? 並んで停まってるあれが『クルマ』だって。知ってるって、そんなの赤ん坊以外、誰でも」
 近づいていく。
「あ、おい」
 何なんだ! 頭をかきむしりたい。
 勝手に動くな!
 こっちはただでさえいつものように動けないというのに。
「来てー」
 だから、何を。
「乗って」
「え?」
 目を。
「あっ」
 開いた。
「いや、ちょっ」
 おまえの車? そんな間抜けな問いかけは即座に消え。
「やったのかよ!」
「やった」
 うなずかれる。
「おいおい」
 自分にも覚えがないわけではない。が、それにしても手際が良すぎる。
「天才かよ」
「ん?」
「何でもない」
 とにかく。足が確保できたのは間違いなくプラスだ。
「って、おい!」
 ためらいなく運転席に乗りこんだのを見て。
「おまえかよ!」
「?」
「だから」
 もう何と言っていいか。
「くっ」
 かと言って。こちらに自信があるわけでもない。
「マジかよ」
 ぼやきつつも。
 ボックスタイプの車の後部席に〝姉〟を乗せる。
(シルビア……)
 あの場を離れることで頭がいっぱいで、何が起きたかを確認する間もなかった。
 あらためて。
 怪我の有無等を大まかに調べる。
(何も)
 ない。すくなくとも目立つような外傷は。
 なら、どうして突然意識を失うようなことになったのか。
「シートベルト締めたー?」
 そこへの。
(あのなぁ)
「後ろでもベルト締めないと危ないんだよー」
 知っている。
 が、それ以前に、子どもが運転をしているという状況がすでに。
「うわぁ!」
 急発進。
「ゆ、ゆっくり」
 発進しろ! 怒鳴りそうになったのを飲みこむ。
 ふり回されているのを認めるようで、なんだか悔しくて。
「くそっ」
 せめて〝姉〟に負担がかからないようにと、抱きかかえる腕に力を籠める。
「あっ」
 気がつく。
「お、おい」
 どこへ。あわてて訪ねようとしたところへ。
「っ」
 着信。
 こんなときに誰が。
 もちろん、向こうにこちらの状況がわかるはずはない。
 無視しようとも思ったが、周囲への警戒を崩さないよう意識しつつ受信ボタンを押す。
『ハロー』
 ふざけたような。
 英語であって英語でないようなイントネーション。
 知らない相手だ。
 緊張が走る。
「おい」
 精いっぱい。声を低めて。
「どこのどいつだ」
『ここの』
 ここ?
『キングだ』
「は?」
 何を。
「ふざけてるの」
『楽しんでるよ』
 さらり。
『子どもだけでどれだけがんばれるかって』
「はあ!?」
 馬鹿にされている。馬鹿でもわかる。
『大人は邪魔なんだよ』
「!」
 それは、つまり。
「おまえが」
 確かめるまでもなく。
「何したんだよ! 姐々(ジェジェ)に!」
『何とかしてほしかったら』
 静かな口調で。
『してみせるしかない』
「は!?」
『見せてほしい』
 その直後。
「はゃっ」
「……!?」
 運転席を見る。
「どうした、おい!」
 つい、声がきつくなるも。
「ない」
「は?」
「効かない」
 何が。
「ハンドル」
「!」
 とんでもないことを。
「お、おい!」
 やっぱり、運転なんて無理で。
「違う」
 おろおろと。頭をふり。
「効かないの」
 だから、それはもう。
「……!」
 はっと。
(まさか)
 外部から操作を。
(けど)
 どうやって、そんなことが。
 路上に止められていた古い型の車だ。すべて電子で動かせるような車両では、ましてあり得ない。
 魔法。そんな単語が浮かぶ。
(何それ)
 あり得ない。
 近いと言えるものは知っている。
 一般人をはるかに超えた騎士の身体能力。
 そこから繰り出される槍技。
 自分の〝姉〟も含め、それは魔法と呼んでもいい粋に達している。
 しかし、それはあくまで現実と地続きのもののはずだ。
(現実……)
 それが。
(くそっ)
 どんどんわからなくなる。
 自分たちが何を相手しているのか。
 唯一。
(〝幇〟……)
 不吉な。その名前だけが確かに。
「……なのか」
 腹から。力をふりしぼり。
「〝幇〟なのか」
 返事は。
「くっ」
 なかった。
 すでに通話は切れていた。
「どうしよう、ユイエン」
 まったくスピードが落ちない中、運転席からSOSが。
「代われ!」
 言うなり。
「のひゃっ」
 小さな身体を押しのけ、ハンドル前に飛びこむ。
「痛ーい」
 文句など聞いていられない。
 ハンドルを握り、にらむようにして前を見る。
 決して広いとは言えない通り。対向車も通行人もある中、縫うようになめらかに進む。制限速度ギリギリと思えるスピードでだ。
 確かにハンドルは効かない。
 それどころか、アクセルさえ踏んでいないというのに。
「マジかよ」
 マジだ。無意味なつぶやき。
「くそっ」
 ハンドルをたたく。これまた無意味。
 このままでは、代わったということ自体にも意味がなくなる。
「ユイエン……」
 不安そうな。
「わかってるよ!」
 八つ当たり気味の。けど、状況は変わらない。
「おい」
「何?」
「おまえ、天才だろ」
 ここは認めてしまう。
「何かないのか。何とかする方法」
「だって」
 弱々しく。
「ない」
 断言するなと。
「だったら」
 真っ先に運転席に座ったのは何だったのだ。
「だって」
 唇をとがらせ。
「来たもん」
「は?」
「自分で運転して。ここまで来たから」
「えっ」
 そうだったのか。
「ちゃんと鍵も外して」
「おい」
 それも盗難車でだったのかと。
「だって、だって」
 駄々っ子のように。
「シルビアみたいにうまく運転できないもん。整備とか修理とか製作とか発明とかは得意だけど」
(どこまでだよ)
 はっと。
(シルビア『みたい』)
 すぐさま。
「おい!」
「ひぉっ」
「やれ!」
「ひゃえ?」
 じゃなかった。
「なれ!」
「なる?」
「ほら」
 もどかしげに。
「得意なんだろ。別の誰かになるのが」
「あ」
 それがあったと。
 が、すぐ。
「だめだよー」
 おろおろ。
「なったことないし」
「はあ!?」
「ワタシ、父さまの本のものにしか」
「なれよ」
 取り合わない。
「なんでもいいから」
「何でもいいの?」
「じゃなくて!」
 はずむ声の調子にあわてて。
「シルビアにだ、シルビアに!」
「わ、わかった」
 聞きわけがいい。
 というか、迷っていられる状況ではないのだ。
「オッス、ユイエン」
 どういうシルビアだ!
「ほら、アタイに貸しな」
 キャラの違いにはひとまず目をつぶるしか。
「………………」
「おい」
「……うー」
 あっさり。
「むずーい」
 がくっ。
「だって、むずいもーん」
 またも唇を。
(『もーん』じゃないって)
 頭が痛い。
「シルビア、後ろにいるしー」
 いるにはいるが。
「えっ」
 そのとき。
(あれ?)
 思わず後部座席を見た。そこで。
(な、何?)
 意識のない。
 はずの。
 その手が動いている。
 しかも。
「わー、シルビア」
 同じように後ろを見て。
「運転じょうずー」
「はあぁ!?」
 何を言って。
「あっ」
 確かに。
 その動きはまるでハンドルを握っているような。
(って、おいおいおい)
 意味が。
(何なんだよ)
 あらためての。
 車が謎の自動走行を続け、それに連動するように意識のない者が。
「シルビア」
 呼びかける。
「シルビア!」
 強めに。
 やはり。目は覚まさないものの、謎の動きは続けられる。
(これって)
 どういうことだ。
 前方に。視線を戻す。
「………………」
 暴走。
 まさにその状況であるはずなのだが、運転自体は思いのほかスムーズだ。他の車にぶつかることもないし、車線も、さらに信号まで守っている。
「あっ」
 そうだ。
 赤信号で停止している間に降りてしまえば。
「………………」
 しかし。
「……行くぞ」
「ひえ?」
 目を丸くするも、すぐ。
「わかった!」
 ドアノブに手を。
「違う!」
「ふひぇ?」
 完全に。
「このまま」
 不安に。苛まれながらも。
「行けるところまで行く」
 青になり。
 走り出す。再び。

 止まった。
「……!」
 信号ではない。
 都市から離れた荒野。そんなものはとっくに見なくなって久しい。
「ここ――」
 これまた久しぶりに目にした建築物と呼べるようなもの。
 と言っても。
(う……)
 古い。ぼろい。
 営業して何年目かという。それ以前に築何十年かという。
「――か?」
 確かめるように。
 と言っても、誰にかは謎だが。
「おなか、すいたー」
 相変わらずの。
「あっ」
 止める間もなく。
「お、おい!」
 あわてる。
「く……」
 後部座席を。そこには変わらずの。
 車が停まると同時に、謎の動きも止まっていた。
「くそっ」
 迷っている時間はない。
 追いかけて飛び出すのと、その『店』に入られたのと同時だった。
 やけに古めかしいドアベル。
 過去へタイムスリップしてしまったかのような。
(ないだろ)
 もはや十分『ない』事態ばかり起こってしまってはいるが。
(おいおい)
 これまた。
 いつの時代かという内装。
 しかし〝相棒〟はまったく物おじせず。
「おなか、すいたー」
「おい!」
 さすがに。
「バカ! ここが何なのか、まだ」
「メシ屋だよ」
 不愛想に。
「泊まることもできるがね」
「わはーい」
 何が『わはーい』なのだ。
「あのさぁ」
 とにかくも。
「ここってどこなわけ」
「………………」
 答えない。
(くそっ)
 どういうことだ。
 手もとを確認する。
 やはり、電波は通じていない。
 街を出たあたりから、ずっとこの調子だ。
 こうなると、土地勘のない異国で手も足も出ない。
「あのさぁ、なんか」
 通信機器はないか。
 聞こうとして。
(くそっ)
 無駄だ。直感的にわかった。
 となれば。
「おなか、すいたー」
 じれるような声色に。
「なんかさぁ!」
 乱暴に。カウンターのスツールに座る。
 子ども用などないので、飛び乗るような形にはなったが。
「食いもの!」
「あいよ」
 そっけない。
「わははー」
 隣に座る。這い登るようにして。
「ワタシはねー」
 メニューを探して店内を見回す。
「ユイエンは何がいい?」
「適当に決めてよ」
 言って。
 外に出る。
 ひとまず危険がなさそうなことは確認した。〝姉〟の状態を確認した上で、善後策を立てようと。
「!」
 なかった。
「な……あ……」
 とっさに。反応が。
「っ!」
 広い車道に飛び出す。
 前後を。
 ない、ない。どこにも。
「嘘だろ……」
 事実だ。
 車が。
 建物の前に停めた(正確には停まった)はずのそれがどこにも。
「………………」
 あぜんと。
 しつつも、これまでの記憶をかき集める。
(いや)
 そこまでの時間は経っていない。
 車を出て、建物に入って。
 五分もかかっていないはずだ。
 だというのに。
(何も)
 聞かなかった。そんな気配にまったく気づかなかった。
「何なんだよ!」
 叫ぶ。いら立ちをそのまま。
「ユイエンー?」
「っ」
 おずおずと。扉から顔を。
(聞こえて……)
 だったら、発車する音だって聞こえていいはず。
「何なんだよ……」
 力なく。
「ユイエン」
 てとてと。近寄ってくる。
「おなか、痛いの?」
「おい」
 なんで、そうなる。
「だったら、ごはんー」
 引っ張られる。
「おい!」
 それどころでは。
「おおっ!?」
 できていた。しかも。
「な……」
 なんで、ケーキなんだ! しかも、ホールの!
「わはーい」
「おい……」
 何を。頼んでくれたのだと。
 そして、なぜこんな店でこんなものが出てくるのだと。
「熱いうちに食え」
「作りたてかよ!」
 ますますあり得ない。
「わはーい」
 歓声を上げて。
「って、ちょっと待て!」
 だから、食事なんてしてる場合じゃない。
「オッサン!」
 スツールを蹴って身を乗り出し。
「店の前に車があったろ!」
「ちゃんと座って食え」
 かみ合ってない。
「じゃなくてさぁ!」
 あせっている。
「くっ」
 気がつく。そんな自分に。
 意味のない。
 店の中にいた者に、外にあった車がなんて。
「ユイエーン」
 そこに。
「食べよ」
「おい」
「?」
「く……」
 言ったところで。
「行くぞ」
「ふぇ?」
「いいから!」
 乱暴に手を取る。
「やーん」
 だから『やーん』じゃない!
「ガキ」
「ああン!?」
 にらむ。反射的に。
「座れ」
 無視する。
「座る」
「おい!」
 従うなと。
「何があったにしろ」
 カウンターに両ひじを突き。
「ケーキは逃げねえぞ」
「な……」
 だから何を言っているのだ、このオヤジは。
「逃げないよ」
「おい!」
 おまえまでと。
「へーき」
「っ?」
「ケーキと平気は似てる」
「………………」
 言葉もない。
「ほら」
 渡される。フォークとナイフ。
(これで)
 食べろと。
「食え」
「食う」
 もう。
「……はぁっ」
 何かを言う気力が。
 あせりは。ある。
 当然だ。
(けど)
 何をすれば。それがまったく。
(やっぱり)
 助けを求めるしか。
「オッサン!」
「食え」
「じゃなくて!」
「それからだ」
「く……」
 逆らえない。
「わかったよ!」
 ヤケになって。座りこむ。
「ユイエン、お行儀わるーい」
「うるさい!」
 どんな座り方をしようと勝手だと。
「いただきます!」
 ヤケのまま。
「!」
 うまかった。


「あー」
 食後の。
 けだるい感に包まれ。
(……こんなことしてる場合じゃ)
 やはり。あせりは消えない。
「あのさー」
 奥で皿を洗っているところへ。
「うまかっただろう」
(うまかったけど)
 夢中で食べていた。何ケーキだったかの記憶もあいまいだ。
 美味だったとだけ。
 それでも十分なほどに。
 満たされていた。
「はぁー」
 ため息が。
 もう情けないところを見られてもいいと。
 ヤケ気分は継続中だった。
「くー」
(寝てるし)
 あきれも通り越している。
「寝たな」
(言われなくても)
 わかっていると。
「よっ」
「あ」
 ためらいなく。太い腕で小さな身体を抱え上げたのを見て。
「お、おい」
 さすがに。
「こんなところで寝かせる気か」
「え……」
 何も言えないでいると。
「あっ」
 奥の扉を開けて出ていってしまう。
「おい!」
 あわてて。後を。
 そこは店の外に通じており、すぐそばに二階建ての横長の建物があった。長距離ドライバー向けの宿泊施設と見当をつける。
 大きな背中が、その一室に消えていく。
 こちらもそれに続く。
「お……」
 思いがけず。
 手狭なものの、そこは清掃の行き届いた部屋だった。
 壁にはちょっとしたリーフも飾られている。
(なんで)
 食堂のほうもこれくらい綺麗にしていればいいのに。どちらの経営も担っているのだろうから。
 そんなことを思っている間に。
「すー」
 寝息が。ツインのベッドの一方から。
「よし」
 ぽんぽん。かけ布団の上から大きな手で叩く。
「あっ」
 あっさりと出ていこうとするその背に。
「もう暗い」
 それだけを。
「あ……」
 行かれてしまう。
「………………」
 つまり。
「いいのかよ」
 ここに泊まっても。
(って)
 それより、消えた車の手がかりを何でもいいから。
「……っ……」
 くらりと。
(おいおい)
 だめだ。一緒になって眠ってしまったり。
(あのケーキ)
 まさか、薬でも。
(いやいや)
 考え方までおかしくなっている。
 限界だ。脳も。
「っ」
 着信音。
 電波が通じていなかったことも忘れ、機器を手に取る。
『おやすみなさい』
 瞬間。
「っ……」
 飲みこまれるように。意識が途切れた。

「電話は?」
「ない」
 あっさり。
「………………」
 信じられない。仮にも客商売だろう。
「今時、誰でも持っているからな」
 それはそうなのだが。
「あんたは」
「ない」
 ないのかよ! 怒鳴りつけたくなる。
「くそっ」
 スツールに乱暴に座る。
(おい……)
 どうすれば。
 朝までぐっすり眠った後で、いまさらあせってもなのだが。
「食え」
「ケーキかよ!」
「パンケーキだ」
「く……」
 それなら朝食とは言える。
「いただきます!」
 またもヤケでの。
「む!」
 うまい。やはり。
(くー)
 悔しい。
「ユーイエーン」
 そこへの。
「ずーるーいー」
 無視。というか、ナイフとフォークを手放せない。
(実際)
 ナイフは便利だった。
 昨日も。ホールケーキ相手にフォークだけでは厳しかった。
(何を)
 そんなことはどうでもいい。
 いまは。
「おい」
 大口であくびしているところへ。
「シルビアがいなくなった」
「ふぇ?」
(気づけよ!)
 怒鳴りつけたくなる。
「車ごといなくなった」
「あー」
 納得と。
「自分で運転してったんだね」
 なんで、そうなる!
「運転うまいからー」
 うまくとも、昨日からずっと意識がなかっただろう。
「昨日もそうだったしー」
「はぁ!?」
 だから、昨日は。
「……!」
 昨日の運転。というか自動走行。
 あれは確かに。
(いやいやいや)
 頭をふる。
「せんぷーき?」
「何でだよ!」
 首ふり扇風機か。なんでそんなレトロなものを知っている。
「てゆーか」
 ぐっと。顔を近づけ。
「どこまでだ」
「どこまで?」
「姐々の」
 こちらの知らないようなことも知っているのかと。
 いまの謎の発言からも。
「じぇじぇ?」
「シルビア・マーロウだよ!」
 荒くなる。どうしても。
「シルビアはねー」
 言って。
 止まる。
「じー」
 注がれる。こちらの手元に。
「チッ」
 舌打ち。
「やる!」
「わはーい」
「ある」
 差し出される。
「ほら」
「オイラはいいって!」
 追加のパンケーキに悲鳴を。もともと食は細いほうだ。
「いらないってのに」
 ぐちりつつも。
「……むぅ」
 うまい。
 古ぼけた店と無骨な主人。それらのイメージと真逆の繊細な味わいなのだ。
 めずらしく。
 三枚ものパンケーキをたいらげて。
「おい」
 あらためて。
「はもむ?」
 パンケーキをくわえたまま。
「………………」
 何枚目だ、一体。
「はぁっ」
 ため息からの脱力感。
(どうするんだよ)
 車もない。連絡手段もない。
(ていうか)
 何よりもまず〝姉〟の行方を突きとめないと。
「食いながらでいい」
 辛抱と。心の中で言い聞かせ。
「シルビアとはどういう知り合いだ」
「シルビアはねー」
 言われた通り。食べながら。
「昨日、初めて会った」
「はぁ!?」
 なんだ、それは。
「だって、姐々にバイク用意したって」
「したよー」
 口にものを入れたままなので「ひはほー」ではあるが。
「行ってもらったよー」
「は?」
「シルビアのところに」
 つながらない。
「……まあ」
 なんとか。
「誰かに運んでもらったのか」
「?」
「それなら、直接会ってなくても」
 おかしいことはない。
「おかしい?」
(う……)
 そう言われると、そうなのだが。
(いやいや)
 元々、まともとは言い難い。こちらも自分の〝姉〟のほうも。
「いいんだよ、そこは、まあ」
 やや強引に。
「親父は何してる」
「旅してる」
 言っていた。それは。
「ほらー」
 本も掲げてみせる。
「いいんだよ、それは」
「いいの?」
「いや」
 どう言えばと。ひとまず。
「オヤビンとはどうやって」
「オヤビン?」
「爸爸(パーパ)だよ」
「ぱーぱ?」
「オイラたちの親父だよ!」
 軽く赤面しつつ。
「変なの」
「いいだろ!」
 またも強引に。
「昔からの友だちだって」
「ふーん」
「助けてあげたって」
「えっ」
 あげた? もらったではなく。
「シルビアをホゴ? しようとしてたときに力になったって」
「え……」
 思いがけない。
(あ)
 そう言えば。
(あいつの)
 生まれ故郷なのだ。この国は。
(保護……)
 詳しい話を聞いたことはない。
 話したがらない。その気持ちは痛いほどわかる。
 傷なのだ。
 過去のことは。
(つまり)
 親がそうしたように。
 子どももまた助けてくれたと。
(それで)
 今回はこちらが。
「あのさぁ」
 表情を引き締め。
「おまえって」
「『おまえ』じゃなーいー」
「いいから」
「よくなーい」
「とにかくさ!」
 やはり強引に。
「どういう状況なんだよ!」
 いまさらながら。何も知らされてないことを思い出しつつ。
「じょーきょー?」
「どうなってるんだってハナシだよ」
「いまは」
 かすかに。瞳が泳ぎ。
「元気でやってる」
「そーかよ」
 どうでもいい。
「ユイエンもいる」
「あのなぁ」
 聞いていない。
「なんで、シルビアがまた来ることになったんだ」
「それは」
 首を。
「なんで?」
 がくっ。
「こっちが聞いてるんだろ!」
 危機感がまったくない。
「……はぁっ」
 脱力。
(いや)
 本当に何も知らないということも。
(あり得る)
 事実、無防備に一人で出てきたりしているのだ。
「おい」
 とにかく。
「何でもいいんだよ」
 ヒントだけでもと。
「シルビアがいなくなったことと関係あるかもしれないだろ」
 きょとんと。
「シルビアだったら」
 指を。
「そこ」
「えっ」
 ふり返る。
「!」
 シルビア。ではない。
 カウンターの向こうにいたのは。
「……だ……」
 誰だ!?
「こんにちは」
 すずしい。というか、あまりに屈託のない。
「王だよ」
「は!?」
 耳を。
「何て」
 微笑む。それだけ。
「あ……う……」
 追いつかない。
「っ」
 気がつく。
「オ、オヤジは」
「お父さん?」
「じゃない!」
 声を張る。
「あ……!」
 さらに。とんでもないことに。
「その服」
 サイズは違う。そもそも体格がまったく。
 それでも。
(おいおいおい)
 見覚えが。
 よれよれの古びたシャツに、ダメージというかただぼろいジーンズ。
「本当?」
「えっ」
 唐突な。
「キミの」
 指を。
「見ているものは」
「………………」
 何を。
「オ、オイラの」
 見ているものは。
「劉羽炎(リュウ・ユイエン)」
「!」
 なぜ。
「知ってる」
 くるり。指先が円を描く。
「パンケーキ」
「は?」
「じゃあ、何ケーキ?」
「………………」
 ぞくっと。
(な、なんだ?)
 得体の知れない。
 会話だけでなく。
 何か。
 致命的に危ういものが。
「座りなよ」
 おだやかながら。
「座りな」
「いや……」
 座っている。すでに。
「うわっ」
 後ろに。
「わ……わわっ」
 動揺で。バランスを。
「きゃふっ」
「!」
 転げ落ちた。そこに。
「お、おい!」
 あわてる。
「へいき~」
 目を回しつつも。
「ユイエン、ちっちゃいからー」
 おまえが言うなと。
「ふふふっ」
 おかしくて。たまらないというように。
「いいなぁ」
「あぁ!?」
 目を剥く。どんな相手だろうと、なめられるのは許せない。
「いいんだよ」
「……!」
「王がいいと言ったら」
「あ……く……」
 どうしても。強そうにも荒々しそうにも見えない相手に。
「っ」
 こちらに。
「だめ」
 立ちはだかる。小さな手を広げ。
「おまえ」
 驚きの。
「レディを脅かすようなことは許さない!」
「だ……」
 誰がレディだ、だから!
「騎士たるこの身! 決して非道は見過ごさない!」
(また……)
 アレだ。こんなときに。
「失礼をいたしました、騎士様」
(乗った!)
「失礼を、レディ」
(おい!)
 それは乗るなと。
「では、失礼」
「えっ」
 そっちの? 去るのかと。
「伊能艫(いのう・とも)」
「!」
 またも唐突な。
 名前か。聞くより早く。
「あ……」
 背を。
「くっ」
 動けない。
 得体の知れない。その恐怖が消えない。
「レディ」
 手を。
「おまえ」
 なぐさめようとでも。
「ちゅっ」
「!?」
 さすがにの。
「するなぁっ!」
「照れずとも」
「ない!」
 ぜんぜんない!
「ハァ……ハァ……」
「興奮せずとも」
「違う!」
 ふり払った。遅ればせながら。
「おやおや」
 無駄に。余裕の。
「まだまだ、おてんばですな」
「おい!」
 言うか、いまどき。
「おしゃまですな」
 それも言わない。
「レディとして、まだまだ教育が」
「あのなぁ」
 いいかげんに。
「あははっ」
(うお……!)
 だから、唐突だと。
「元気出たー」
「は?」
 何を。
「げーんーき」
「………………」
 ようやく。
「……おい」
 どういう顔を。
「いい子、いい子ー」
「おぉいっ!」
 さすがに。さすがにの。
「何なんだよ!」
 いろいろなものに。
「一体」
 わけが。頭をかきむしる。
「もー」
 仕方ないと。
「やめろって」
 伸びてきた手を払う。
「はぁっ」
 息を一つ。
「わかったよ」
 何がというわけではないが。
 何もなのだが。
 すくなくとも脱力している場合ではない。
 励まされているような場合では。
「イノウ・トモ」
 口にして。
「………………」
 聞き覚えのない。
 はずの。
(何か)
 ひっかかる。記憶に。
 それが何かを思い出す間もなく。
「おい」
「うわっ!」
 またものけぞる。
「食い終わったか」
「………………」
 まじまじと。
「食い終わったか」
 くり返される。
「お……」
 こくこく。なんとかうなずく。
「そうか」
 皿を。
 手際よく下げられる。
(おいおい……)
 奥へ戻るその背中から。目が離せなかった。
 皿を洗う音。
 汗が。どっと。
「いい子、いい子ー」
「おいっ!」
 我に返り。
「い、いまの」
 いや。
 そもそも前提があり得ない。
「あー」
 慎重に。
「うー」
 慎重を。
(って、どう聞けばいいんだよ!)
「いい子ー」
「いいよ、それは!」
「足りなかったか?」
「違う!」
「足りなーい」
(こ……)
 こいつらは。
(大体)
 何者なんだ。
〝父〟の友人の娘といっても、それ以外ほとんど何も知らないに等しい。
 住んでいる場所にしてもだ。
「おい」
「?」
「いいのかよ」
「何が」
「こんな、知らない店でのんきに」
「知ってるよ」
「!」
 止まる。
「知ってるって」
 のんきにしていられる状況じゃないことはわかっていると。
「うちの近所ー」
「ええっ!」
 とんでもない。
「そういうことは、早く言えよ!」
「いま言った」
 遅い!
「できたぞー」
 早い!
「いただきまーす」
(おまえも!)
 こんなときでも食欲かと。
(こんなとき)
 どんなときだと。もはや、その把握すら困難に。
「食べる?」
「いい!」
 横を向く。
(何なんだよ)
 何なのだ、この状況は。
 もう何度目かの。
「ふひへん」
 応えない。
「ふひほぇーーん」
 せめて、食べながらでなく呼べと。
「……何だよ」
 渋々。
「あーん」
「いるか!」
 爆発。あっさり。
「何なんだよ!」
「ケーキだよ」
「じゃない!」
「えっ」
 驚き。
「ケーキじゃなかったの」
「そういうことじゃ」
「何を食べてたの」
「だから」
「ケーキにしてケーキにあらず」
「おい」
 もう、いいかげんに。
「あーん」
「だから!」
 ドン! テーブルを。
「言っただろ!」
「言った」
(って)
 どのことを指しているのやら。
「近所って」
「言った」
「だったら!」
 勢いよく。
「えーと……」
 切り出したものの。
「うん」
 向こうから。
「いいよ」
(な……)
 今度は何を。
「わかった」
 だから、何が。
「っく」
 飲みこむ。
「はむっ」
 残りを口に。
「はむむ」
 ほおばったまま。
「お、おい」
 手を。
(どこに)
 確かめる間もなく。
「またねー」
 奥に向かって。
(やっぱり)
 知り合いだったのだ。
 だから、あわてることなく我が物顔でふるまえた。
「ここー」
「えっ」
 道路の向かい。
「………………」
 あぜんと。
 なぜ、気づかなかったのかという。
 周りを確認するような余裕がなかったのは確かでも。
「ご……」
 思いもかけない。
「豪邸じゃん!」


「ごーてー」
 意味なく。言って。
 扉を開ける。
(鍵かかってないのかよ!)
 いくら人気のない荒野とはいえ。
「ただいまー」
 入っていく。
 わずかに迷ったが。
「チッ」
 気後れした自分に舌打ちし、後に続く。
「えっ」
 中は。
(豪邸……)
 のイメージとは、ずいぶん違う。
 広い。
 それは外観通りなのだが。
(ない……)
何も。
 は大げさだが、それにしても空いたスペースが目につく。
 そして、いたるところに。
「くつろいでー」
(くつろげって)
 ある意味ではくつろげる。
 肩ひじ張らずに済むという点では。
「じゃあ」
 適当に。
 廃材と思しき鉄クズの上に座る。
「えー、そこー」
「?」
「お尻、冷たいよー」
(どうだっていいよ!)
 むすっと。
「レディは冷やしたらだめなんだよー」
(レディじゃない!)
「ふふっ、レディ」
(やめろって!)
 また『入り』そうになっているのを察し、機先を制して。
「これが家かよ!」
「?」
「こんな」
 見渡す。
 一言で例えるなら廃工場。あるいは舞台のセット裏。
 機械や工具や金属塊が無秩序に散乱し、そのほとんどがガラクタにしか見えない。
「あり得ないし」
「あるよ」
 あるけれども。
「ハッ」
 不意の。
「失礼いたしました」
 しまった。入られた。
「レディにこのようなむさ苦しいところはふさわしくないと」
「あのさぁ!」
 もういいかげんに。
「やめろよ、その騎士ごっこ!」
「……!」
 目を。見張って。
「違うもん!」
 盛り上がる。
「騎士はいたんだもん! お父さんの本にあるもん!」
(泣くなよ)
 面倒くさい。
「『いた』じゃなくて『いる』だろ」
「えっ」
 丸く。
「どこに」
「どこにって」
 それこそ、世界中にだ。
「知らないのかよ」
「?」
「え……」
 ズレの。その一つが形を取り出す。
「おまえ」
 と。
「その本」
「えっ」
 いまも。
 というか、ずっと持ち続けているそれを。
「貸せ」
「ヤだ!」
 抱きかかえる。
「書いてあるんだろ」
「ある」
「騎士のこととか」
「ある」
「だったら」
 知っているだろう。言うより早く。
「伝説」
「は?」
「伝説の」
 言う。
「昔いたんだよね、騎士って」
「………………」
 戸惑いながらも。
「いるし」
「?」
「シルビアが」
 行方不明の。〝姉〟のことに胸を痛めつつ。
「大体、騎士だし」
「大ざっぱに?」
「じゃなくて」
 説明するのも。
「騎士なんだよ。現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)」
「ないつ・おぶ・ざ……」
 はっと。
「知ってる!」
(知ってるのかよ)
「九百年前にあった騎士団! 旅する人たちを守ってたって!」
「いやいやいや」
 手を。
「守ってたよ!」
「そこじゃなくて」
「レディ」
「やらなくていいんだよ、真似は!」
 進まない。
「貴女をお守りします」
「あのなぁ」
「ってことをやってたの! 昔!」
「いや、いまも」
 そこなのだ。
「だったら」
 再び。目に。
「なんで、ワタシの周りに騎士はいないの」
「えっ」
「なんで。ワタシのところに来てくれないの」
 それは。
「来ただろ」
「?」
「だから」
 シルビアが。
「あっ」
 気づいたと。
「そっか」
「そうだよ」
「来た!」
 笑顔に。
「ユイエンが!」
 手を。
「は?」
「ユイエンだ、ユイエンだ!」
 はじける。笑顔で。
「ユイエンが騎士だったんだ!」
「はぁ!?」
 なぜ、そうなる!
「失礼いたしました」
「って、キャラ同じかよ!」
「同じではありません」
 言って。
「師匠」
「はぁぁ!?」
「あれ?」
 首をひねり。
「こういうのって何て言うの? 師匠? 先生?」
「『こういうの』がそもそも何だよ!」
 これでもかと。悪い予感しか。
「騎士様」
「おい」
 レディ呼ばわりも大概だったが。
「やめろって」
 そんな目で。
「フッ、照れずとも」
「結局それかよ!」
「騎士様!」
 ガバッ。膝を。
「どうぞ、ご指導ください!」
(いや……)
 指導することもできることも何も。
「従騎士(エスクワイア)であるこのわたしに」
(そういうことは知ってるのな!)
 まだ一人前でない見習い騎士のことだ。
「ないから」
 なるたけ。自分を落ち着かせ。
「こういうのとか、ぜんぜん」
「わかりました」
 しまった。
 あいまいな言い方では、またとんでもない返しが。
「ユイエンが従騎士」
「は!?」
「ということで」
 傲然と。胸をそらし。
「ひざまずけ」
「はぁ!?」
「なんだ、その態度は」
 こっちが言いたい。
「従騎士の分際で」
(そ……)
 そこまで言われるのは、実際でも聞いたことがないのだが。
「やってらんない」
 一言。
「あっ」
 背を向ける。
「もー、やらないとだめー」
(知らないって!)
 舌打ちを。
「あのさぁ!」
 ふり返り。
「何なのさ!」
「従騎士なのさ」
「じゃなくて!」
 進まない。
「ここで!」
 バンバン! 座っている廃材を叩き。
「何するつもりだったのさ!」
「何?」
「だって」
 そのために。
「シルビアが来たんだろ!」
「来てないよ」
「それは」
 結果、そういうことには。
「来る――」
 悔しさを。覚えつつ。
「つもりだったんだろ」
「?」
 首を。
「違うよ」
「っ」
 とっさに何か言い返そうとするも。
(……そうだ)
 その齟齬。
「おまえのとこに」
 あらためて。
「連絡があったんだよな」
「うん」
 うなずく。
「来てほしいって」
 そうだ。そこなのだ。
「誰が」
「誰?」
 きょとんと。
「シルビアだよ」
(いや……)
 違う。それはおそらく。
(けど)
 詳しくは聞いていないものの。
 自分たち〝家族〟の通信に関しては、それを一手に担っている〝姉〟がいる。その手腕は達人級で、安易な相手に介入を許すとは思えない。
(安易な)
 そうではないということ。つまりは。
(チッ)
 ここに来ての。
(〝幇〟かよ)
 聞かされていたことの。その重みが。
(く……)
 目を。そむけることはできない。
「おまえ」
 とにかく情報だ。すこしでも手がかりを。
「!」
 いない。
「お、おい」
 ここに来て、またも。
 と、あわてたのもつかの間。
「ユイエーン」
 間の抜けた。
「おわぁっ!?」
 そこに。
「じゃーん」
 マッシヴな駆動音。いかにもこの国らしい。
「ごほっ、ごほっ」
 いくら広くてガランドウとはいえ、屋内でこの大排気量は厳しい。
「と、止めろ」
 咳きこみながら。言うもエンジンにかき消される。
「止めろって!」
 身ぶり手ぶりで。
「チィッ!」
 らちが明かない。排煙をかきわけるようにして近づく。
「おい!」
 耳元で。
「わ」
 ようやくの。
 と、すぐさま笑顔で。
「すごいでしょー」
 すごくは。ある。
 車両にはあまり詳しくないが、排気量どれだけだという大型の単車。エンジン音も盛大で噴き出す煙もとにかくパワフルだ。
「それより止めろって!」
 このままでは話にならない。
「ヤだって!」
 こちらも大声で。
「止まってられない! そう言ってる!」
「はあぁ!?」
 誰がだ。その言い方ではまるで。
「うわっ!」
 ブォン、ブォン、ブォン!
 うなるように、一際エンジンの音が大きくなる。
「ほら、待ってられないって!」
(おいおい)
 何なんだ、このバイクは。
「乗って!」
「は!?」
 聞き間違いかと。
「乗る!?」
 こくっ。
「オイラが!?」
 こくっ。
「………………」
 乗る。
(おいおいおい)
 無理だ。不可能だ。この大きさの二輪車に、年相応の背格好の自分が。
 シルビアならともかく。
「シルビアの!」
「っ」
「ところに! 行きたいって!」
(な……)
 なんだ、それは。
(バイクが)
 はっと。
(あ……)
 そうだ。言っていた。
 こちらで〝姉〟のために乗り物を用意したと。
 それが。
「ロックだよ!」
(ロック?)
「乗って!」
 どうやら、こいつの名前らしい。
(ロックって)
 すぐさま浮かんだのは。
 自分の〝父〟と〝姉〟の愛馬である『麓(ろく)』の名を継ぐ者たち。
(だからって『ロック』は)
「乗って!」
 問答無用の。
「おわっ」
 プロン、ブロロロン! せかすようにエンジンもうなる。
「わかったよ!」
 ヤケだった。
 他に手がかりもない、できることもない。
 なら、無茶でも何もしないよりは。
「ハッ!」
 飛び乗る。多少高いところにあろうと身は軽い。
「う……」
 足はまったく地面に届かない。
(こんなんで、本当に)
 動いた。
「え?」
 あわてて。
「お、おい」
 ハンドルにしがみつく。
「ユイエーン!」
 パタパタと。手を振りながら、ぴょんぴょん跳ねる。
「くっ」
 手を。延ばす。
「くおっ!」
 かろうじて。自分とさほど変わらない大きさの身体を引き上げる。
「よいしょっ」
 こちらも器用に後ろにまたがる。
「行けー!」
「『行け』って」
「ユイエンに言ったんじゃなーい!」
 ということは。
「うおわぁっ!」
 ウイリー。その勢いのまま。
「ぎゃああああああっ!」
 突っこむ。玄関に。
「ちょ待っ、止まっ!」
 問答無用。
「!」
 ぶち破った。
 と思えるほどの勢いで。
「ヤッホぉぉぉぉーーーーーーーっ!」
「おぅわぁぁぁぁーーーーーーーっ!」
 歓声と悲鳴と。
 エンジンの爆音に乗って。

「信じらんない」
 気がつけば。
「あー、だめー」
 背中越し。
「手放し運転ー」
「関係ないし」
 関係ないのだ。
(いや)
 あるだろうと。普通は。
(こいつ)
 もう普通に。
〝相手〟として認識してしまっている。
「おい」
 語りかける。
「本当にシルビアのところに行くんだろうな」
 ブルン、ブルン! 返事するように。
「チッ」
 腕を組み。そっくり返る。
「危なーい」
(大丈夫だって)
 事実。
 まったく運転に関わっていないのに、車体は完璧なバランスを保っていた。ちょっと姿勢を変えたくらいではびくともしない。もっとも質量の差というのも大きいのだろうが。重厚な鋼鉄の躯体に対し、こちらは二人とは言えどちらも小柄なのだから。
「めっ」
「痛っ」
 後ろから。
「良くないよー、真面目じゃないと」
(真面目って)
 この状況で何をどうすることがそうなのだ。
「もー」
 ますます不満げに。
「ご主人様なんだからー」
「は?」
「この子のー」
 言って。
 ポンポン。肩を。
「しっかり」
(おい……)
「騎士様」
(おい!)
 まだ続いていたのか、それは。
「なんでだ!」
 たまらずの。
「うわっ!」
 不意の。横ゆれ。
「お、おい!」
 何の前ぶれもなくドリフトするなと。
「ほらー」
 見たことかと。
「ちゃんと、ご主人様しないからー」
 何なんだ『ちゃんと』とは。
「おわぁっ!」
 またもの。
「ほらー」
「わ、わかっ」
 荒野の道路を疾駆しているその上では、明らかにこちらに分が悪い。おとなしくハンドルを握ろうと。
「うわはぁっ!」
「ひゃあっ」
 悲鳴が重なる。
「なんでだ!」
 絶叫。
「あっ」
 気づいたと。
「だめだよ、ユイエーン」
「は?」
「もー、しょうがないんだからー」
 なぜだ。どうして、こちらが一方的に責められる感じに。
「ユイエンのくせにー」
「はあぁ!?」
 どういうことだ!
「シルビアのー」
「は?」
「シルビアなんだからー、ご主人様はー」
「あっ」
 そうだ。そうなのだ、この乗機は。
(だからって)
 こちらも好きで乗っているわけではない。〝姉〟のもとへつれていってくれるからと。
(って)
 完全にいまさらながら。
「本当なのか!」
「んー?」
「本当に! こいつ、シルビアのいるところへ」
 ブォルルゥゥン!!!
「うおわぁっ!」
 一回転。
 唐突な三六〇度ターンを決められ、一瞬で血の気が引く。
 それでも止まることなく。
 何事もなかったように走り続けている。
(こ、こいつ)
 わざとだ。
(くそっ)
 下手なことも言えない。
「平気だよー」
 相変わらずのほほんと。
「ロック、シルビアのこと大好きだからー」
(それと)
 いまこれとはまったく関係が。
「ユイエンもシルビアのこと好きだよねー」
「は!?」
「どっちのほうがたくさん好きなのかなー」
(……おい)
 挑発するようなことを。
「!」
 てきめん。
「ちょっ、落ち――」
 バイクにこんなことを。なんて余裕も。
「っっ!」
 グン! スピードが上がる。
「――っっっ!」
 声もなく。しがみつき続けるしかなかった。


「うおっ」
 着地失敗。
「くっ」
 脚が。まだふるえている。
「ユイエーン」
 降ろしてくれと。パタパタ手足をふる。
「ほら」
 不承不承。手を。
「えいっ」
「バッ……」
 ドン!
「ぐほっ!」
「せいこーう」
「く……」
 なぜ、こちらに向かってダイブする。思いっきり下敷きになり。
「降りろ!」
 怒声と共にはね飛ばす。
「やーん」
(何が『やーん』だ!)
 もう怒りも憤りも通り越して何がなんだかという。
「ついたー」
「えっ」
 見開く。
「っ」
 までもなく。
「お、おい」
 目にあざやかな。というか、まぶしすぎる。
「なんだよ、これ」
 知ってはいる。裏社会ではおなじみの――いや合法な国では合法な。
「カジノかよ」
 はっきりそうと決まったわけではないが、このけばけばしいまでにド派手なネオンは世界共通だと。
「わーい」
「あっ、おい!」
 あまりの警戒感のなさに。
(遊びに来たんじゃないんだぞ!)
 それでも、追わないわけにはいかない。
(ったく!)
 ふり回されっ放しだ。路地裏での遭遇からずっと。
(オイラはシルビアを)
 だが、その彼女の目的がこのトラブルメーカーの保護(?)だったわけで。
(いくら、オヤビンの知り合いだからって)
 この国にだって騎士はいるだろうと。
(………………)
 いる。のか?
(いやいや、世界中に)
 いる。それは間違いなくて。
(あっ)
 いや、違う。
 知っている。〝父〟の生まれた国。そして、共に生活もした。
(あそこと)
 同じなのか。
 騎士を知らない――過去の伝説としてしか。
 主権実体。騎士たちをまとめる〝騎士団〟は現在そのように呼称されている。国家に順ずる権利を認められた団体。ゆえに、時に対等な立場として、その正義を主張することも可能となる。
 しかし。
 それを承認しない国家も、ごく限られた数ながら存在するのだ。
(ここも)
 そうなのだ。おそらく。
 うかつだった。
 騎士に対する反応で、もっと早く気づいてよかった。〝父〟や〝姉〟の知り合いということもあって、こちらの事情を承知しているとの思いこみがあった。
 知らないのだ。
 承認のない国において、現在も騎士が存在するということはまったく周知されていない。
 さらに現実的問題として、その活動にも制約がかかる。
 権利が認められていないのだから当然だ。
 事実〝父〟は財閥総帥のボディガード、〝姉〟は普通の女子高生としてふるまっていた。
 表の顔。
 と言うのは大げさかもしれないが、大手をふっての行動もはばかられる。
 仮面をつける者もいたほどだ。
(いや、あれは)
 本人の趣味? というより習性か。
 あそこまでしなくても。
 むしろ、素顔をさらすよりよほど恥ずかしいと。
「はい」
「?」
 反射的に。差し出されたそれを受け取る。
「って、おい!」
 仮面!?
「つけろって」
「だ……」
 誰がこんなものをつけるか!
 加えて、誰がこんなことをしろと!
「っていうか」
 それより何より。
「何も考えないで先行くなよ、いつもいつも!」
「ほらー」
 装着。さっそくの。
「どう?」
「知るか!」
 顔をそむける。
「じー」
 視線を。
「や、やらないからな」
 当たり前だ。
 ヘンタイではないのだ、自分は。
「じー」
「おい……」
 見られる。
「やらないって」
「じー」
「だから、見てても!」
 怒鳴りつけようとした。絶妙のタイミングで。
「!」
 当てられた。
「お……」
 仮面。
「おい!」
 とっさに外そうとして。
「だめ!」
 思いがけず。強い。
「危ないから」
「えっ」
 何を。
「危ないよ」
 真剣に。
「あ……」
 アブないのはこの格好だろう。言いかけるも。
「言ってた」
 だから、誰が。
「だめ」
 問答無用な。
「わ……」
 うなずきかけ。こみあげる抵抗感。
「お、おかしいだろ」
 本当にいまさらながらながらの。
「こんなもんつけなくったって」
 つけなくとも? 自分はここで。
(シルビアを)
 自分の〝姉〟を。見つけ出さなくてはならない。
「だめー」
 それでも。食い下がる。
「チッ」
 無駄な押し問答をしている時間が惜しい。
(こんなもの)
 他の誰にも見られなければ。
「やあ」
「!」
 扉を抜けた。すぐそこに。
「おま……っ」
 こいつだったのか。
 忘れない。
 その容貌。というより存在感。
 大体、その顔は。
(こいつまで)
 仮面。
(いや、こいつが)
 つけさせたのだ。確信を。
「いらっしゃい」
 にこやかに。
 いかにもカジノの従業員らしい姿。頭にはバニーの耳まで。
「ふざけてるのか」
「ん?」
「伊能――」
「シッ」
 指を。
「だめだよ」
「っ……」
 こいつにまで。
「ここでは」
 背後を見渡す。
 つられて。
 玄関を通るなり、いかにもカジノ然とした。
 だが。
(何だ)
 違和感。
 違う。
 自分の知っているそれとは明らかに。
(あっ)
 人が。いない。
 これだけきらびやかに調度や遊技台がライトで照らされているというのに。
 その華やかさと裏腹の静けさが。
「わー」
「あ、おいっ!」
 またしてもの。
「だから、勝手に」
 止める間もなく。
「えいっ」
 ガチャ、ガチャ、ガチャッ。
「出たー」
「えっ」
 ジャララララララー。
「……出た」
 あぜんと。
「すごいねー」
 拍手が。
「えへへー」
(いやいやいや)
 何を乗せられているのだ。
(オイラたちは)
 ここへ何を。
「やらないの?」
「!」
 耳元で。
「はぁ!?」
 あわてて。仮面越しににらみつけ。
「ふざけてるの!」
「大真面目だよ」
 目をそらさず。
「助けたいんだろ」
「……っ」
 こいつ。やはり。
「だったら」
 愉悦。
「勝たないと」
(く……)
 遊びのつもりか。
 しかし、建物内にいるとして、どこにどのような状態でいるのか、何の手がかりもないのも確かだ。
(乗るしかないってのか)
「乗るしかない」
「!」
「だろ」
 にこやかな。まま。
「乗りこなしてみせるんだよ」
「っっ……」
 のまれる。
 そんな自分を。
「っ」
 逆に。こちらからのみこむように。
「馬鹿にするな」
 力をこめる。
「それでいい」
 満足げに。
(くそっ!)
 乗せられている。わかっている。
(乗り返すしか)
 ない。
「だいじょーぶ」
 重ねられる。
「ワタシがいるから」
(……おい)
 むしろ、そのことがいま一番の。
「いよーし、次はあれー」
「おい!」
(楽しんでるんじゃないか、やっぱ!)
 声に出せない憤りを伴い。
「やってやるからな!」
 意味なく。吼えるしかなかった。


「よわーい」
 言い返せなかった。
(こんな)
 すでに元金はゼロ。
 最初のチップ――と言っていいのかだが、なぜか賭け金もなしにスロットマシーンから出たコインを山分けし、それぞれ勝負を始めた。
 三十分もかからなかった。
「あげよーか」
「い……」
 いらない! とっさに言いそうになるも。
「くっ!」
 わしづかんで。
 すぐさま機体に投入を。
「やめたほうがいーよ」
「あぁ!?」
「弱いからー」
「ぐぐ……」
 言い返せない。
(オイラは弱くない! 悪いのは)
 機械だ!
 このカジノに置いてあるスロットを始めとした機体のほとんどで、なぜか当たりが出ない。台を変えてみても、裏目にばかり出る。
(イカサマなんじゃ)
 当然、考えられることだ。
(だったら)
 見る。
「なんでしょう、お客さま」
 微笑みの。
(見てろよ)
 燃え立つ炎を抑え。
「勝負してよ」
「どうぞ」
「じゃなくてさぁ!」
 機械ではない。
「人間相手で」
 勝負を。
「承知しました」
 あっさり。
(よし!)
 快哉。心の中で。
 対人だったら負けはしない。自信があった。イカサマを仕かけられようとも、見抜けるだけの〝目〟は持っている。
(見てろよ)
 今度こそ勝って、そして聞き出してみせる。
〝姉〟がいまどうなっているのか。加えて、これまでに仕かけてきたことのその目的とは何なのかを。
「こちらへ」
 あくまで丁重に。
(どこだって)
 人との勝負なら、負けはしない。
 思えたのは、奥に続く扉をくぐるまでだった。

 絶句。
「な……」
 暗闇の中。照らし出された。
「シルビア!」
 見間違うはずも。
 ずっと心配し続けていた。
 それが。
「おい!」
 血相を変え。
「シルビアに何を!」
「ゲームだよ」
 あっさり。
「言っただろう」
 怒りが。
「何が」
 飛びかかる。
「何言って!」
 突きつけられた。
「……!」
 止まった。
 目が。
 どんなイカサマも見抜くその眼力が知らせた。
「おい……」
 抜き身だった。
「ルールは」
 切先を。向けたまま。
「守らないと」
 言う。
「おもしろくない」
 素早く。出現させたときと同様のあざやかさで刃がしまわれる。
「よね」
「………………」
 ない。言葉が。
(な……)
 何なのだ。
 なぜ、刀を。
 おだやかな物腰にも、カジノ従業員の服装にもまったく合わない。
「始めよう」
「!」
 唐突な。
「お、おい!」
 あせりを隠せず。
「何をだよ!」
「ゲームだよ」
 すこし。あきれたように。
「ほら」
「あ……!」
 気づく。
「何だよ……」
 数字。複数の。
〝姉〟が――磔にされたその壁に。
「言ったよねぇ」
 耳元で。
「人間相手に勝負したいって」
「こ……」
 こういうことでは。断じて。
「はい」
 手渡される。
「っ」
 血の気が引いていく。
 刃物。
 重さでわかる。模造品などではない。
「さ」
 うながされる。
「い……いや」
 ふるえる。
 悔しい。止まらない。
(オイラが)
 ウィリアム・テル。あれもこんな話だっただろうか。
「シ――」
 大声で。
「だめだって」
「っ!」
 のどに。
「ルール違反は」
 すっと。刃が離れ。
「ね」
 指で。
「………………」
 恐い。
 認めたくない。
 けれども。
「オ……」
 自分が。
 見た目通りのただの子どもだと。
 そんな。無力感が。
「オイラ……は」
 じわり。ひたりひたりと。
(嘘だ)
 あり得ない。
 こんな。
 誰よりも。
 強く。したたかに。
 生きるしかなかった。
 そうできないものはいなくなっていった。
 だから。
(オイラは)
 なのに。
「うぅ……」
 どうしても。
 力が。
(オイラは)
 一人。
 いまここで。
(こんな)
 当たり前だった。
 いや。
(当たり前じゃ)
 なかった。
 いた。
(姐々)
 共に苦しい時間を過ごした者たち。
 共に〝家族〟となった。
(オヤビン)
 それが。自分をこんなにも。
(助けて)
 弱音が。
 たった一人でいることの。
(オイラだけじゃ)
 本音が。
「オイラ……」
 口に。

「ユイエン」

 目を。
「お……」
 いた。
「お、おい!」
 的に。重なるように。
「だいじょーぶ」
 またもの。何の根拠もないとしか思えない。
 なのに。
(一人……)
 そうではなかった。
「!」
 タンッ。
「だめだよ」
「な……」
 何を。言いかけるも口にできない。
 ナイフが。
 あとすこし横にずれていたら、後ろの的でなく。
「名前」
 冷厳に。
「誰でもない」
 仮面の奥から。
「でしょう」
「………………」
 ゆるぎなく。
 両手を広げて的の前に立ち続ける。
 それでも。一筋伝う汗。
(そうだ)
 触れる。自分のそれに。
(いまは)
 誰でもない。
 誰でもいい。
 ただ。
(やることが)
 やるべきことが。
 あるだけだ。
「……ふぅ」
 息をする。
(オイラの……仮面)
 それは。
(オイラが)
 意識して。決めつけて。
 自分をこうだと思いこんでいたもの。
「ふー」
 呼吸を。静かに。
 軽くなる。
「貸して」
 ナイフを。
 ほとんど無意識に。
 構える。
(オイラは)
 いや。
 それもいらない。
(………………)
 任せる。
 ゆだねる。明け渡す。
 馬に。
 自分が。
(オイラの)
 この身体に。
 刻まれたもの。注ぎこまれたもの。
 それを。
 そのままに駆る。
 駆らせる。
「フッ」
 一息。
 流れを。感じる。
「へぇ」
 感心の声。
 それも耳に入らない。
「っ」
 投げられる。
 投げたという感覚もない。
 それは自然の。
 トスッ。
 ぎりぎりの。身体の線をかすめるような位置に。
「次」
 流れと一つであるように。
 渡されたそれを。
「フッ」
 小さな吐息。力みなく。
 放たれる。
 次々。
 狙うまでもなく。
 それらは。
「御見事」
 拍手。
 闇の支配する空間に。
 浮かび上がる。
 二人の身体のラインをきれいに縫うように。
「当たり前だろ」
 それだけを。誇るでもなく。
 自然なのだ。
 当たらない。当たるはずがない。
 身体に。
 心に。
 それは。
 至極、当然のこと。
 当然に為されるべきこと。
「放せ」
 一言。
「ああ」
 笑みで。
「キミの勝ちだ」
 直後。
「シルビア!」
 駆け寄る。
 拘束をとかれ、身体のくずおれたそこへ。
「おい! しっかりしろよ!」
 月並みな。しかし、心からの。
「だいじょうぶー?」
 脇からも。
「おまえ……」
 そこで。あらためての。
「なんであんなこと」
「んー?」
 首をかしげ。
「するよ」
(しないだろ)
 心の中で。
「勇者さま」
 また。不自然にうるむ目で。
「信じておりました」
「おい……」
 誰が『勇者さま』だ。
「あなたならばわたしを救ってくださるものと」
 いや、そもそも救う予定に入ってなくて、勝手によけいな手間を増やしてくれただけなのだと。
「はぁー」
 それでも。
「なんか」
 素直に。感謝を口にするようなことはなかったが。
(いてくれて)
 それで。
 いや、ここに来るまでも。
 一人だったらと思うと。
(オイラは)
 弱い。弱くなった。
 実感する。
 けど、それは悪い心地ではなかった。
「さあ、次の勝負だ」
 そこへの。
「はぁ!?」
 あり得ないと。
「ふざけないでよ!」
「むしろ」
 その手に。
「!?」
 あり得なかった。これまで起こった数々のことにも増して。
「それは」
 続く言葉が。のどにつかえる。
「〝銀火(ぎんか)の……」
 槍。
 間違いがない。
 しかも、それは。
「なんで」
 ほとばしる。
「シルビアの槍をあんたが!」
「乗ったから」
 あっけない。
「!」
 構えた。
「嘘だ」
 言わずには。
 騎士槍は。騎士の槍は。
「使えるはずない!」
「乗ったから」
 くり返される。
(乗る?)
 何なのだ、それは。
「ほら」
 ズダァァァァン!
「!?」
 顔の真横。すれすれを。
「っ!」
 ダン、ダン、ダン、ダン、ダァァァァァン!
 続けざま。
「………………」
 立ち尽くす。
「ふっ」
 硝煙を吹き払う。
「どう?」
 どうも何も。戦慄を抑えられない。
 銃の機能を持った騎士槍。
 手にすることだけは仮にできたとしても、騎士のようにふり回したり、ましてその特異な機構を使いこなすなど。
「本当のこと」
「っ」
「嘘のこと」
 何を。
「仮面の世界では」
 両手を広げ。
「自在だ」
 馬鹿な。
 けれども。
(く……)
 言い返す言葉を。自分は。
「チィッ!」
 いや、そんなことよりいまは。
「おい!」
「ひぁっ」
「そっち持て!」
 何を。言わずとも伝わる。
「んしょっ」
「行くよ!」
 ぐったりとした身体を左右から抱え。
「走れ!」
 無理がある。
 それでも懸命に暗闇を行く。
 撃っては。
 こなかった。

 賭けだった。
 だが、勝算はあった。
 ゲームだと。
 なら、一方的な暴力で終わらせることもないはずだ。
「おーもーいー」
(あのなぁ)
 ここでも緊張感がない。
(重いって)
 ぷっ。思わず噴き出してしまう。
(シルビアが聞いてたら)
「あっ」
 うれしそうな声で。
「笑ったー」
「あ、いや」
 頬が熱く。
「違うからな」
「違うの」
「違うし」
 答えになってない。
「あははー」
「笑うなよ」
 かえって。
「はーあ」
 緊張感がない。
「あー、ため息ー」
「あのなぁ」
 この状況をわかっているのか。
「おまえ」
「『おまえ』じゃなーいー」
「いいから」
 真剣に聞けと。
「わかってるよな」
「ん?」
「何かあったら」
 ある。あることは確実にわかっている。
「行けるよな」
「んー?」
「一人でも」
 つまり。
 自分たちを置いて逃げろと。
「………………」
「おい」
 聞いているのかと。
「……馬鹿」
「えっ」
 それっきり。
「お、おい」
 何も。応えない。
「………………」
 こちらも。
(まあ)
 静かにやってくれるなら、それはそれで助かるが。
「………………」
「………………」
 落ちつかない。かえって。
「おい」
 何か。
「……っく」
「?」
 何だ。
「あっ」
 気がつく。
 唇を。噛んで。
(なんだよ)
 いまさらの。
(まあ)
 当然だ。
 こんな非常事態。加えて、どんなに変わったところがあっても、子どもであることに変わりはない。
「あのさ」
 口を開きかけて。
「………………」
 何て。言えばいいのだと。
「あー……」
 結局。
 沈黙は続いた。
「馬鹿」
「おい」
 さすがに。
「何が言いたいんだよ」
 答えない。
「嫌なのかよ」
「………………」
「オイラが」
「違う!」
 すぐさまの。
「っく」
 嗚咽をこらえる。
「おまえ」
 本当に。何が言いたいのだ。
「『おまえ』じゃないもん」
「じゃあ」
「『じゃあ』じゃないもん!」
 何なんだ。
「ふんっ」
 仮面を。
「あ、おい」
 いいのか。言いかけたところに。
「見て!」
 こちらを。
「アタシは」
 叫ぶ。
「もうアタシ一人でいい!」
「っ……」
 虚を。
(何だ)
 意味が。
「そうかよ」
 それでも。
「だったら、好きに」
「違う、違う!」
 頭を。
「違うったら!」
「おい……」
 完全に駄々っ子だ。
(こんなときだってのに)
 面倒ながら。
「じゃあ、何なのさ」
「一人でいい!」
 くり返される。
「はぁ」
 ため息で。
「いればいいし」
「ヤだ!」
(どっちなんだよ)
「いた!」
「えっ」
「いたの!」
 ますます。激しく。
「だから、ヤなの!」
「………………」
 完全に。
「嫌ならさ」
 それでも。
「いればいいし」
「っ」
「ここに」
 たまらなくなりつつ。
「一人が嫌なら」
 きょとんと。
「いいの?」
「あー」
 そうか。
 一人でも行けるかと。
 そう聞いたから。
「そういう意味じゃ」
「?」
「あー、もう」
 面倒くさい。やはり。
「いていいし」
「いいの?」
「いいって」
 頬が。
「てゆーか!」
 ほてるままに。
「一人じゃないだろ!」
 声を。
「シルビアがいるし、オイラだって」
「………………」
「いや、いまここにってことでさ」
 言いわけじみた。
「うん」
 はにかむ。
「一人でいい」
「は?」
「だから」
「………………」
 またも。つながらない。
「一人だった」
 続ける。
「嫌だった」
(それで……)
 口を開きかけるも。
「いっぱいいた」
(ん?)
「だから」
 つながらない。
「はぁー」
 はっと。
「あかんなぁ」
 それは。
「あかんやん」
 こちらを。
「え……」
 あぜん。
「あかんやろ」
 力ないながら。微笑み。
「妹を泣かしたら」
「………………」
 声が。
「あー」
 のんきな。
「起きたー」
 起きた。確かに。
「おい……」
 じわり。
「何だよ」
 止まらない。
「あー」
 仕方ないと。そんな息。
「あかんなー」
 苦笑する。
「ウチまであんたを泣かせて」
「泣いてなんて」
 いる。
「何だよ」
 意味のない。
「起きてるなら起きてるって」
「やー」
 困ったように。
「起きてはいてん」
「えっ」
 どういう。
「ウソっ子寝?」
「ちゃうちゃう」
 横からの指摘に。
「わからんねん」
 真剣に。
「わからないって」
 それこそ、冗談ではない。
「やめてよ」
「………………」
 わずかに。ためらい。
「見ててん」
「何を」
「あんたらが」
 頭をふり。
「や、『見てた』ってのともちゃうくて」
「何なのさ」
 イラッと。
(ずっと心配させて)
「走っとった」
 不意の。
「は?」
「せやから」
 もどかしそうに。
「あんたらとや」
「……どこを」
 当然の。
「道」
 当然だ。
「あのねぇ」
「ふざけてんちゃうて」
 あわてて。
「あの車」
「えっ」
 ひょっとして。
「シルビア、上手だったねー」
「おい!」
 何を。まさか。
「だって、あのとき」
 すでに意識はなかったはず。
「嘘寝……」
 いやいや、そんなことに気づけないような素人ではない。そもそも、ハンドルに触れてさえいなかったでは。
「どういうことなんだよ」
「せやから、ウチにも」
 言って。
「!」
 かくっと。
「ち、ちょっと」
 突然の。
「シルビア! ねえ!」
「寝ちゃったー」
 違う。そうではない。
(これって)
 やはり、何かをされているとしか。
(それは)
 あいつが。
「だめじゃないか」
 そこへ。
「……来たかよ」
 驚きはない。
 慣れない建物での右往左往。しかも、人一人を二人でようやく引きずるようにしての。追いつかれないほうが不自然だ。
「どうして、まっすぐ逃げなかったの」
「………………」
 逃げきれない。そう判断したから。
 どこか身を隠せるような、せめて〝姉〟の安全だけでも確保できるような場所をと。
「良くないね」
 指摘されずとも、場当たり的なことはわかっていて。
「馬が乗り手を置いて勝手に行ったりしたら」
(えっ)
 馬?
「弓馬は武士のたしなみ」
 言って。
「!」
 右手に刀。
 そして、左手に〝銀火の槍〟。
(二刀流!?)
 馬鹿な。の。
「おとなしく」
 悠然と。
「乗られていればいい」
 何を。さっきから。
「ふざけるなよ」
 馬鹿に。
「真剣さ」
 さらり。
「ほら」
「!」
 向けられる。
「真剣だろ」
(う……)
 それは抜き身という意味での。
「こっちも」
「っ!」
 槍を。
「真剣さ」
(いや……)
 槍だろうと。
(――!)
 槍。
(やっぱり)
 あり得なさを。裏付ける。
「あんたが」
 にらむ。
「シルビアに何かしたんだな」
「何を」
 余裕の。
「だと思う?」
「っ……」
 ここに来ても。
「その答えを」
 構える。
「キミは持っている」
「え……?」
 何を。
「オイラが」
 つぶやき。即、はっと。
(乗せられるな)
 ハッタリだ。どちらにしろ真偽の明らかでない言葉に踊らされるなど。
(!)
 乗る――
「お……おい」
 槍に。目が。
「騎力(きりょく)」
「っ!」
 まさかの。
 それは。騎士が騎士たれることが可能となるその〝力〟。
「おまえ」
 騎士なのか。問いかけより早く。
「造られたんだよ」
「!?」
「人造騎士」
 がく然と。
「そ……そうなのか」
 知っている。忘れられるはずもない。
 最悪の。
〝大戦〟と呼ばれる戦場で。
(あ……)
 しかし、すぐに。
(違う)
 そうだ。
 人造騎士は異形の戦士。乗騎を駆るその力を我が身に同化させた存在。人と獣の特性を合わせ持つ。
 だが、目の前の相手は。
「知ってるだろう」
 両手を広げ。
「実験だったって」
「っ」
 それは。
「ここも実験場」
「………………」
 そうだったのか。
 聞いては――いた。
(〝幇〟は)
 年端も行かない子どもたちを犯罪の道具としていたその集団は。〝大戦〟を仕かけてきた来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)の下部組織であったと。
 目的は、あらたな素質の発掘。
 自分たちの手駒として利用するための。
「いいのかよ」
「ん?」
「あんたも」
 こちらと。同じ。
「もう〝ヘヴン〟は!」
「崩壊した」
「っ」
「と思われている」
 衝撃の。
(な……)
 馬鹿な。
「嘘だ」
 たまらず。
「本当だ」
 返される。
「僕がいる」
「!」
「だろう」
 同意を。求められても。
「あんたは」
 あらためての。
「何なんだ」
「伊能艫」
 その名は。
「造られたのさ」
「!」
 それは。
「人造騎士……」
 でなく。
(そうか)
 造られた。
 それは彼らだけではない。
「いたらしいよ」
 平然と。表向きは。
「凄腕の剣士が」
「っ……」
 記憶が。
(オヤビンと)
 互角の腕を持っていた。と。
(その)
 力を利用するため。
 造られた。
「あんた」
 声が。
「いいのかよ」
「うん?」
「だって」
 後が。
「良いも悪いも」
 皮肉げに。
「造られたんだから」
「………………」
 何も。
「都合がいいんだ」
「えっ」
 唐突の。
「この国は」
 肩をすくめ。
「認めてないから」
 とっさに。意味が。
「あっ」
 気がつく。
(騎士を)
 だから。
「知らなかった?」
(く……)
 知らなくは、あった。
「だからさ」
 肩を。
「!」
 近い。
「だろう」
「な……」
 何の。同意を。
「都合がいい」
「っ」
 確かに。
 騎士のいない。
 敵対する組織が活動するのに、これほど好都合な拠点はない。
(ていうか)
 国そのものを動かした可能性もある。創設九百年以上を誇る〝騎士団〟に劣らぬ長きにわたり暗躍してきたと言われる者たちなのだ。
 そして、体制側もまた。
〝ヘヴン〟の技術をひそかに取り入れていたということも。
(そんな中で)
〝騎士団〟の関係者とも言える存在が。
(いや)
 だからだ。
 保護の必要が生じたこと。
 それで自分たちが。
「………………」
 自然と。かばう位置に。
 もちろん、再び意識をなくしてしまった〝姉〟も含め。
(あ……!)
 そうだ。
「おい」
 油断なく。
「シルビアもかよ」
「ん?」
「あんたが」
 言葉に。
「何かしたのは」
 何を。それがまだ具体的には。
「ふーん」
 眼差しが。
「どこから?」
「えっ」
 どこから――
「そんなの」
 それもまた。
「キミさ」
 あきれたように。
「考えなよ」
「っ……!」
 上から目線で。
(考えろって)
 どう。この異常な状況をまずとらえればと。
(あっ)
 それは。
(来たときから)
 始まっていた。
 いや、その前から。
(姐々の)
 連絡。それが。
「あんたが」
 にらむ。
「やらせたのかよ」
「違う」
 あっさり。
「やったんだ」
「は?」
「僕が」
 にっこり。
「騎力で」
「はぁ!?」
 馬鹿な。
「おまえ、そんな」
 魔法のような。
 ない。
(騎士の力)
 それは。
「まだ」
 槍が。
「わかってないんだね」
 刀が。
(まずい)
 時間を稼ぎ、隙を見つけられたらとも思っていたが。
「んしょ」
「っ」
 かつぎあげようとする。気配。
「ほら、ユイエン」
「……いや」
 無理だ。
 遊びのつもりもあったのだろう。しかし、同じように見逃してくれる保証は。
(どっちにしろ)
 どうにかする手がかりは。
「やってやるよ」
 過去の。
 不敵な悪堂に戻った気分で。
(……いや)
 自分は。
 騎士ではない。
 が。
 騎士の。
 偉大なる〝父〟のその子どもだ!
「オイラは!」
 胸に。
 誇りと勇気が満ちる。
「オイラは」
 静かな。それを感じつつ。
「ユイエン! 金剛寺ファミリーの劉羽炎だ!」

「金剛寺」
 つぶやかれる。
「そうだ!」
 胸を。張って。
 参ったかと言いたいくらいに。
「ははっ」
(う……)
 正面切って笑われると。
「馬鹿にするな!」
 されるようなことをしてしまったのだが。
「あははっ」
 いっそう。愉快そうに。
「そうだよ」
「えっ」
「だから」
 武器を手にしたまま。両手を広げる。
 こちらを迎え入れるように。
「な……」
 気持ちが。
「いいんだ」
 よりいっそう。
「見せてくれ」
 何を。
「馬鹿に」
 意味がない。それより。
(これって)
 チャンス。
「……っ」
 とっさに。懐を探るも。
(チッ!)
 銃は。
 この国へ来る際、取り上げられていた。
『あかんやん、お出かけにこんなもん持っとったら』
(いけないも何もないだろ!)
 一方的に引っ張ってきておいて。
(丸腰かよ)
 万事休す。と。
(あ……!)
 手に触れる感触。
 それは。
「へへっ」
 戻る。不敵な。
「ハァッ!」
 投げる。と思いきや。
 身体をひねった勢いで頭を大きく振る。
 おさげに結い上げられた後ろ髪が勢いよくなびく。
「ハッ」
 つかむ。
 ためらいなく。
「ふんっ」
 一息に。切り落としたそれを。
「ハッ!」
 投げ放つ。
(うまくいくか)
 散らばる。
(いや)
 不安を。ねじ伏せる。
(オヤビンが)
〝父〟が。教えてくれた。
『俺も館長から教わってな』
 それは〝父〟以上の巨体を誇る恐るべき女性。
『体格に自信のある者ほど、むしろ習得しておくべきだと』
 簡易な教え。
 しかし、それゆえに本質は玄妙で。
『流れを』
 感じること。
『内の』
 ゆえに。
『なぁに』
 あたたかな。
『できるさ』
 乗せられる。大きな手。
『おまえなら』
 伝わる。
「ふっ」
 小さく。
 瞬間。
 宙を舞っていた髪の毛たち。
 回る。
 渦を。
「ふぅ……ん?」
 けげんそうに。目が。
 薄い膜のように。
 それは向こうの身体を覆い隠す。
「知らなかったな」
 崩さず。
「ただすばしこいだけの子どもだと」
 直後。
「はぁっ!」
 弾ける。
「!?」
 流れが。
 静から、動へ。
 爆発的に。
「くっ!」
 反応する。両手を前に。
「くぅぅっ!」
 防ぎ切れない。
 頭髪。
 針のように撃ち出された無数のそれは、皮膚に突き刺さり、さらに防御をすり抜けて繊細な部位をも襲う。
「くっ」
 膝を。
「はぁっ……ははっ」
 笑いと。苦鳴とが混ざり合う。
「………………」
 そらさない。
 致命傷にはならない。肉にまでは届かない。
(それでも)
 行ったはず。
「やられたね」
 軽い口調。ながら苦々しく。
 目を閉じたまま。
「くっ」
 カラン。槍が落ちる。
 手のひらで目もとを覆う。
(無駄だよ)
 本当の針なら容易につまめるだろうが、元に戻った髪を完全に取り去るのは難しい。長さがあるからつかむのは可能だが、短いものもありすぐにはどうしようもない。
「やられたよ」
 くり返す。
 目は開かない。
(行った)
 確信を。
 どんな達人であっても、眼球そのものの防御力を上げるようなことはできない。刺激を受けただけでも、自然と周りの筋肉は収縮する。
(よし)
 これで。流れはぐっと有利に。
「あっ!」
 そこでの。
「お、おい!」
 飛び出した。
 意表を突かれた行動に、それを止めようもない。
「っしょ」
 拾い上げた。
 いや、しがみつき上げたというほうが。
「何を」
 馬鹿な。合わせて口にしそうに。
 騎士槍はただの武器ではない。
 異常な武器だ。
 長さは人の背丈を超え、しかも、その握り手から突先に至るまでが金属。どれほど細身に見えても、子どもが持てるような代物ではない。
 大人でもどうかという。
 それを片手で扱う。
 ゆえに、騎士は尋常ではない存在と見なされるのだ。
「あっ」
 当然のように。
「とととっ」
 バランスを崩し。
「とっ」
 構えた。
「……へ?」
 片手で。
「ば……」
 馬鹿な。言えない。
 声が出ない。
 あり得ない。
 それは。
「ようやったな」
「!」
 声。
(や……いや)
 意識は。まだ。
 なのに。
(おいおい)
 信じられないと。見る。
 構えていた。
(う……)
 あらためて。あぜんと。
(嘘だ)
 まともな思考が。
 槍を持ち。その上、あろうことか。
「でかしたで、ユイエン」
「!」
 あまりに。自然な。
 それは、まるで乗り移ったかのような。
「乗ったか」
「……!」
 乗る。
 それは、つまり。
(ど……)
 どういうことだ!?
「なに、間の抜けた顔しとるん」
 誰がさせているのだと。
(だ……)
 誰が?
「おい」
 誰なんだ。おまえは。
「『おい』て」
 苦笑される。その笑い方もよく見知っている。
「姐々」
 口にして。はっと。
(あ……)
 あり得ないだろう!
 これまでやってみせてきたのは、ただの真似というか、素人以下のごっこ遊びというか。
 それが、まるで。
「どうして」
「っ」
 こちらで。
「人は馬に乗ることをおぼえたのか」
 語り出す。
「え……?」
 唐突すぎるも。
「それは命の力を借りること」
 静かに。続け。
「初めは犬だったらしい」
 何を。
「真似たんだね、彼らの生き方を」
 生き方?
「それまで、人は集団で動くということが得意ではなかった」
 滔々と。
「犬の組織力を真似た……学んだ者たちは人型生物の覇者となった。そう、僕たちの祖だ」
 苦笑いし。
「まあ、僕が子孫にふくまれるかは疑問だけど」
 笑えない。
「次が馬だった」
 はっと。
「その機動力を彼らは求めた。そして、実際、手中にした」
(それって)
 騎士。まさに。
 もちろん、それ以前に馬車や農耕馬としての歴史はある。
 それらの集大成と呼べるのか。
「ここまで徹底して他種の力を取りこんできた生物はあまり例がない」
 それは。その通りだろう。
「すべてを可能としたのが騎力だ」
(え……)
 ここでの。
「騎力って」
 ただ騎士の力の源というだけでは。
「……!」
 源。つまり、それはもっと根源的なところから。
「わかってきたかな」
 教師めいて。
「どちらが先かはわからない」
「えっ」
「求めることで力が目覚めたのか、そもそもその力があったのか」
「………………」
「どちらでもいい」
 断じる。
「あること」
 刀を。
「っ……」
 槍が。
「お、おい」
 対峙する。
「見ているといい」
 どこか。冷めた言い方で。
 まだ完全に視力は回復していないはずなのに。
「!」
 始まる。

 戦いは。
「あ……」
 始まらなかった。
 いや、素人目にはそう映っただけ。
(戦ってる)
 感じた。
 微塵も動かないまま。
(マジかよ……)
 完全に。達人の世界だ。
 一方はまだわかる。
 実際にその凄みを体験させられてもいる。
 しかし、もう一方は。
(おい……)
 いまでも。
 いや、理解するにはぜんぜん足りない。
 あり得ない。
 見えているものが。現実として受け入れられることが拒否される。
 あの。
 ただのおかしな子どもが。
 初めて会ったときから、わけのわからない物まねばかりしていた。
(真似る)
 それは力だと。言った。
(じゃあ)
 いまのこの。
 自分の〝姉〟と見まごう構えを見せているのも。
(いやいや)
 とても。これまで見てきたのは、そんなレベルのものではなかった。
(オイラが)
 知っているのは。
 奇妙な言動をくり返し、車両の組み立てが得意だという。
 それだけの。
「っ!」
 動いた。
 何がきっかけになったのか。それこそ素人目ではわからず。
(あ……!)
 舞う。
 ように。
 槍と刀とが交わされる。
(マジか)
 何度目かという。
 その無駄のなさ、洗練さ。
 真似では。
 すくなくともただ見ただけで模倣できるはずもない。
(乗る……!)
 とっさに。浮かぶ。
 見る。
 いまもまだ意識のない〝姉〟を。
(これって)
 乗られている。そういうことなのか。
(それが)
 あの車の自動運転を可能とし、騎士槍を扱うことも可能にしたと。
(いやいや)
 突拍子もない。
 しかし。
(オイラは)
 知らない。
 騎力が本当はどういうものなのか。それが何をどこまで可能とするのか。
 目の前でくり広げられていることの本質が何なのかも。
「これだ!」
 歓喜の。
「この瞬間こそ!」
 雄叫びに乗せ。振るわれる。
(あっ!)
 細身の外観に似合わぬ痛烈な斬撃。
(!)
 止める。
 いなし、身を返し、はるかに長柄の得物を振るい返す。
(あ……)
 あり得ない。何度でも。
 同じ動き。
 身体の大きさはまったく違うというのに。運動能力も当然それに比例するはずで。
(これが)
 乗る、ということか。
 確かに、馬に乗ることで、人は人を超えた〝動き〟を可能とする。
 同じことだというのか。
(そんなの)
 目の前で見ていても。
(ていうか)
 我に返る。
「おい!」
 たまらず。
「いいのかよ!」
 意識のない。ように見える。
〝姉〟に。
「こんな」
 好き勝手に。されていて。
(いや)
 許せない。何より自分が。
「おまえら!」
 向き直る。
「いいかげんにしろよ! オイラの家族を何だと」
 斬り突き結んでいることも忘れ。
 前に。
「っ!」
 とっさの。
「きゃっ」
 思いがけない。悲鳴。
「あっ」
 馬が棹立ちになった。
 そのイメージ。
「あ……」
 倒れた。
「………………」
 あぜん。が、すぐ血の気が引く。
(お、おい)
 戦いの最中。
 こんな無防備な姿を。
「馬鹿っ!」
 またも考える間などなく。
「くっ!」
 覆いかぶさる。
 そこへの。
(……?)
 何も。
「あっ」
 立ち尽くしている。
 刀を。
 だらりと脇に垂らしたまま。
(……え?)
 何が。
「違うだろ」
 不意の。
「これじゃ」
 顔を押さえる。
「違うんだ」
「………………」
 何を。言えというのか。
「う……」
「っ」
 そこに。
「おい!」
 再びの。
「シルビア!」
 駆け寄る。
「あーん」
 と、後ろで。
「シルビア、ひどーい」
「………………」
 泣いている。
「何なんだ」
 脱力。
(って)
 まだ油断はできない。
 視線を。
「?」
 動かない。
「おい」
 おそるおそる。
「何してんの」
「何を」
 さらり。
「しているんだろうなあ」
「おい」
 馬鹿にしているのかと。
「!」
 動いた。
「くっ!」
 すかさず後ろに跳ぶ。しかし。
「え……」
 来ない。
「ふふっ」
 笑いを。
「ふふ……は……あははははは」
(壊れた)
 あぜんと。
 何が。あったというのか。
「違う!」
「!?」
 激しい。不意の。
「こうじゃないだろう! 」
 誰に。
「わかった」
 何を。
「でも、やだ!」
(は!?)
 そのまま。
「やだやだやだやだ!」
 じたばたと。
「………………」
 がくぜん。声も。
「ふ……」
 しぼり出すように。
「ふざけてんのか」
 じたばたが続く。まるで。
(子ども……)
 はっと。
「あっ!」
 意識を。
「お、おい」
 今度はこちらが。
「どきぃ」
 そこへ。
「シルビア?」
 何を。
「よーしよし」
 抱き上げる。
「よぅも、ウチを乗りこなしてくれたなぁ」
(えっ)
 やはり。そういうことなのかと。
「シルビア」
 あらためての。
「どういうこと」
「んー」
 あごに指を当て。
「わからん」
(おい)
「けど、はっきりとはしとった」
 何が。
「この子と」
 抱え上げたそこへ。愛しげに。
「一緒やった」
「………………」
 すこしためらった後。
「それって」
「せや」
 肯定される。
(けど……)
 簡単に。納得は。
「同じや」
「えっ」
「騎士と馬ってのはな」
 語る。
「どっちが主人とか使われる側とかやない」
 指を。
「一つ」
「……!」
「せやろ」
 うながされても。
「オイラ」
 ちょっぴり。悔しさを感じつつ。
「騎士じゃないし」
「騎士でなくてもや」
 顔を寄せ。
「家族やろ」
「それは」
 そこは。
「そうだけど」
 否定するわけには。
「せやろー」
(く……)
 調子に乗られるのは。
「この子にも」
「え……」
「必要やったんや」
 すると。
「あっ」
 目を。
「うー……」
 うつろな。
「シルビア?」
「せや」
 頬を。寄せ。
「お姉ちゃんやで」
「うわぁ」
 笑みが。
「お姉ちゃん」
 寄せ返す。
「一人やったんや」
 再び。こちらに。
「どう思う?」
 聞かれる。
「嫌や」
「っ」
「せやろ」
「………………」
 それは。
「うん」
 素直に。うなずく。
「せや」
 こちらも。
「嫌なんや」
 抱きしめる。
 その腕に力がこもる。
「一人やった」
 それは。
「こいつが」
「………………」
「にしたって」
 憤りが。
「冒険家だかなんだか知らないけど、こんなときまで何やって」
「何も」
「え?」
「………………」
 眉根を。
「これが、この子の〝力〟なんやなあ」
「ち、ちょっと」
 意味が。
「!」
 まさか。
「パパもなあ」
 嘆息。
「気づかんかったんやて」
 馬鹿な。
「友だちって」
 そう聞かされていたはず。
「架空」
「!」
 つまり、最初から。
「そんな」
 それこそあり得ない。
「面と向かって会えば」
「あらへんねん」
 がく然。
「そんなのって」
 友だちだと。
「ウチかてせやった」
(あ……)
 確かに。
 直接会うのは初めてと聞いた覚えが。
「それでも」
 信じられない。
「乗る力の究極」
「!」
 立っていた。
「参った」
 顔を。押さえ。
「ここまでだったなんてね」
「くっ……」
 身構える。
「乗り移らせる」
 語る。
「それが実在しなくても」
「……!?」
 あらためての。驚き。
 そこへ。
「あんた」
 小さな身体を下ろし。前に出る。
「伊能言うたな」
「そう」
 うなずき。対峙する。
 後ろから。
「知ってるの」
「ああ」
 うなずく。
「パパに聞いたことがある」
 落ちていた槍を。手に取り。
「強かったんやて」
 やはり。こちらの聞き覚えの記憶にも。
「戦ったの?」
 槍を構える。
 それが答えだというように。
「そうだよ」
 代わっての。
「そう聞いてる」
 こちらも。刀を。
「あんた」
 じわじわと。
「これが目的か」
「そう」
 静かな。距離の取り合い。
「まだるっこしいなあ」
「不器用なんで」
 言葉をかわしつつ。目は。
「もう乗らせへんで」
「取り返される」
「?」
「じゃなくて、乗り返される」
「せやな」
 後は。
「お互いの」
 刀と槍。
「のみ」
 疾る。
「!」
 キィィィィィィン!
 澄んだ。
「あっ」
 浅い。
 共に体勢を崩したものの。
「っ!?」
 すかさずの。
「はっ!」
「はぁぁっ!」
 キンキンキンキンキィィィィィィィィィィィン!
(す……)
 剣戟。
(すごい)
 離せない。目が。
「こうやってさぁ!」
 途切れることのない斬撃を見まいながら。
「戦ったんだよねぇ!」
 それは。
「かもな!」
 こちらも。絶えることのない槍撃。
「ウチはパパの足元にも及ばんけど!」
「僕だって!」
 声を張る。
「近づけない!」
 悲痛な。
「ていうか、僕って何だ!?」
 響き。
「刀の達人なら成功なのか!? それだけが僕の意味なのか!」
 激情に押されるように。
「どうなんだよ!」
 誰に向けてか。
「………………」
 対照的に。静かに。
「アホ」
 一言。
「!」
 まるで。刀を腰の鞘に収めたかのように。
(バ……)
 どういうことだ。
 槍を。
 その突先を相手とは真逆に。
「何の真似だぁ!」
 止まらない。
(何を)
 わからない。
 刀のような居合い抜き?
 不可能だ。
 長さがまるで違う。同じ速度が出せるはずもない。
 そもそも突きが主体の武器で、居合いのような動きをすることにまったく意味が。
「!」
 迫る。刃が。
「アホやな」
 ゆるがない。
「!?」
 ダァァン! 一声。
(な……)
 飛んだ。
 跳ねた。
 そう見えたほど。
「っ!?」
 斬りかかったところへ。カウンターのように。
「ぐほっ」
 入った。
 ほんのわずかな。
 瞬動。
 しかし、意表を突くには十分すぎた。
 突先でなく。
 持ち手側。
 銃撃の反動で加速された柄が、綺麗にあごを打ち抜く。
「終わりや」
 宣言通り。
「ぐっ」
 崩れた。そのまま立ち上がれない。
「最低やな」
 見下ろし。
「言うたやろ。ウチはパパに及ばん。そのウチにも勝てんあんたは何や」
 容赦ない。
「何や。ほら、言うてみい」
「ぼ、僕は」
 思いがけない。日ごろ見せない厳しすぎると言ってもいい態度に。
(怒ってる?)
「あんなあ」
 やはり。険のある声で。
「言えへんの」
「………………」
「言えへんわな」
 明らかな。侮蔑の。
「失格やわ」
「!」
 ふるえる。
「戦ってる最中になぁ」
 そこに。憤りも。
「よけいなもん混じるほど最悪なことはないわ」
 それは。
「屈辱やわ」
 涙が。悔しさの。
「ウチはその程度って思われたんやなあ」
 止まらない。
「確かに、ここまでええようにされっ放しやったわ。ユイエンたちにも苦労かけて。年上失格って思いはある」
 くっ。涙をぬぐい。
「けどなあ!」
 声を。
「戦ってるときにそないなこと関係あらへんねん! 自分がどうこう、意味がどうこう! 全部邪魔やねん!」
 はっと。
「僕は」
「それや!」
 すぐさま。
「いらんねん!」
「っ」
「あんたのそれは、戦いを馬鹿にしてるんや!」
(シルビア……)
 それは。
 プライド。
 ずっと〝父〟の背中を見てきたことの。
「あかんやん」
 静かに。
「あんた、パパがライバルて認めた人の」
 瞬時。言葉に詰まるも。
「息子やろ!」
「えっ」
 思いがけないと。
「せやん! 技と魂! 受け継いでたらそうなるやん!」
「息子……」
 視線が。
「ウチかて」
 また泣きそうな。
「同じや」
「………………」
「せやったら」
 真っすぐに。目を。
「あんたとは正面から混じり気なしにやりたかった」
 指さし。
「あんたも」
 言う。
「そのつもりやったんやろ」
 言葉が。
「………………」
 ない。
(そうか)
 腑に落ちる。
 父親たちのように。
 自分も。
 それはきっといつの頃からか夢になっていた。
 それを。
(悔しかったんだ)
 すっと。
「負けだ」
 一言。
「強くなりぃ」
 こちらも。
「ほら」
 手を。
 ためらいなく。
(なんか)
 近づけたのでは。そんな。
 光景だった。
「うー」
 隣で。
「すごいね」
 しんと。静かな表情。
「本物は」
「っ」
 それは。
「やっぱり」
 ぎゅっ。本を持つ手に。
「いい」
「………………」
 自然と。
「ひゃっ」
 すこし。驚き。
「えへへへー」
 ゆだねる。手のひらの感触に。
「ち、違うからな」
 我に返り。
「おまえが、その、えーと」
 言葉が。
「いいよ」
 うれしそうに。
「いいから」
「う……」
 言われてしまうと。
「ほほー」
 そこへの。
「すっかり仲良しやなー」
「うう……」
 ますます気まずい。
「違うし」
 一応は。しかし。
「本物だから」
「本物やなー」
 構わず。にこにこして。
(ううう)
 もう完全に。
「それよりさ!」
 強引に。
「こいつはもう」
 視線を。
「あ」
 いなかった。
「シルビア!」
「ええんや」
「いいって」
「目的は」
 小さな身体を。抱え上げ。
「果たしたし」
「果たしたー」
 言って。
「あははー」
 無邪気に。
「はぁ」
 もう。ため息しか。
「じー」
「うっ」
 見つめられる。嫌な予感しか。
「ユイエン……」
 つぶやく。何かを確かめるように。
「うん」
 うなずく。
「ユイちゃん」
「ぶっ!」
 たまらず。
「あー、それええなー」
「おい!」
 何がだ。
「ほら、どっちでも」
「えっ」
「姉でも妹でも」
 言う。
「ええことになるやん、『ちゃん』呼び」
 そんなこと。
「知るかーーーーーっ!」
 広い部屋をふるわして。
 そこに、二人の笑い声が続いた。

ⅩⅢ

「ユイファお姉ちゃん」
 屈託なく。
(なんでだよ)
 納得いかない。
 名前の字だって同じ『羽』なのに。
「ユイちゃん」
(だから)
 やめろと。
「わー、かわいい、『ユイちゃん』」
「姐々!」
 最悪だ。
「もちろん、メグちゃんもかわわいわよー」
「えへへー」
 すっかり。仲良し姉妹で。
 まあ、もともと。
(甘いし)
 年下には。
「ほーら、ユイちゃんも」
「だから、やめろって!」
 帰ってこれたというのに、まったく安らがない。
「まったく」
 家族ということには、渋々ながらも納得している。
(こいつも)
 忌まわしき〝幇〟の。〝ヘヴン〟の手による。
「ああっ」
 髪を。
(そんなの)
 もう。
(オヤビンなら)
 そうだ。
「おい」
 近づく。
「はっきりさせとくからな」
「何?」
 首をかしげ。
「ユイちゃん」
(く……)
 早くもくじけそうに。
(いやいやっ)
 ここはちゃんと。
「家族だ」
 大事なこと。
「家族だからな」
 くり返す。
「うん」
 うなずいた。ところへ。
「だから!」
 強めに。
「助ける!」
 瞳が。
「家族だから!」
 それだけで。もう限界と背を向ける。
(うー)
 顔が熱くて仕方ない。
「………………」
 あぜんと。気配が伝わる。
 そこへ、しんみり。
「ユイエンも大人になったのね」
「おい!」
 あっさり。
「大げさに言うな! オイラは!」
「うん」
 うなずかれる。
「家族だもんね」
「ああ」
「一人じゃ」
 しんみり。
「ないんだもんね」
 にっこり。
「本当に」
 その笑顔に。
(くっ)
 やはり。背を向けてしまう。
「うふふっ」
 嫌な予感しか。
「そっかー」
 何が。
「照れてるんだー」
 ずばりの。
「メグちゃんがかわいいからー」
「おい!」
「ユイちゃんはー」
「それ、やめろって!」
 怒鳴ってみせるも効果はなく。
(くそー、シルビアぁー)
 恨めしい。
 勝手に連れていかれて。結果こんなことになっている。
 だというのに。
(今度は)
 またも飛び出していった。
(なんで)
 自分を。
「連れてかなかったんだよ、シルビアぁぁぁぁーーーーっ!!!」
 絶叫が。
 笑い声と共にこだまするのだった。

チャイルド・エンド

チャイルド・エンド

  • 小説
  • 中編
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-04

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. ⅩⅢ