百合の君(8)

百合の君(8)

 出海浪親(いずみなみちか)は途方に暮れていた。というのはさらってきた女のことで、ふさぎ込むのはやめて女達と仲良くするようになったのはいいが、年が明けても浪親を見ると嫌悪と侮蔑の視線を一瞬送り、後は無視を決め込んでしまう。今までたくさんの女をこの村に連れてきたが、こんなことは初めてだった。しかしそれもそのはずで、今まで連れて来た女は(いくさ)で家族をなくしたり、貧しさから身を売ろうとしていた女ばかりなので、みな喜んでついてきた。無理やり夫と引き離したのは穂乃(ほの)が初めてだった。
 物持ちだったわけでもなし、こんなことなら見逃せば良かったと思うが、あの小屋に侵入した時には夫がすぐに襲い掛かってきたので、戦わざるを得ない。そして勝てば手ぶらで帰るわけにもいかない。自分だけならいいが、子分も命をかけて戦ったのだ。それなりの分け前が必要だ。
 村人に好かれ慣れている浪親にとって、若い女に嫌われ抜くというのはなかなか辛いものだった。そりゃあ夫と引き離されて小躍りする女もあるまいが、飯も食わせているし指一本触れていない。これは嫌な年になりそうだ、と浪親は屋敷の縁側でため息をついた。大きな(けやき)がむなしく青空に手を伸ばしている。そして胸元から御薪(おんまき)のお守りを出して眺めると、浪親はひとり笑った。たかが女子一人のことで、俺らしくもない。
 子分の並作(へいさく)が近づいてくるのが見えて、浪親はお守りをしまった。
「親分、今夜はどこを襲います?」
 並作は団子っ鼻を赤くさせて、(はな)をすすっている。浪親は少し神妙な顔をつくって、畑を眺めた。枯れてしおれた草は、作物には見えない。
「今夜は、村だな」
「村かあ、嫌だなあ」
 並作が嘆くのも(もっと)もで、百姓とて黙って盗賊に米を差し出すわけではない。ある程度の人数がいる村では、自警団のような組織がある。
「小さい所はあらかたやり尽くしたからな、仕方ないだろう」
 浪親は徹底的な略奪を禁じていた。だから彼らは、小規模な襲撃を繰り返さねばならなかった。
「そうですねえ」
 口をとがらせる並作も、浪親のその方針を支持している。というより考えることが苦手な彼は、親分の言うことなら何でも聞くのだった。
 夕暮れに並作をはじめ十人の子分を連れて村を出た浪親は、夜、圧倒的な闇の中で小さな灯りが身を寄せ合っているのを見た。そのちらちら揺れ動く様は、まるで今日一日が何事もなく終わろうとしている村人の安堵のため息のようでもあった。間もなく、その平安は破られる。
 浪親は馬のたてがみを()でた。それは馬をというより、自分を落ち着かせるためだった。盗賊団のきっかけを思い出す。並作が荒らされた田んぼの前で、膝をついて泣いていた。泥だらけで洟を垂らして、汚い男だと浪親は思った。しかしその顔にはどことなく愛嬌があって、つい近づいてしまった。目が合った。浪親は立ち去ろうと思った。このような男はどこにでもいる。いちいち面倒を見ていてはきりがない。しかし、浪親は干し芋をちぎって与えた。貧しさの底だというのに、田んぼには夕日が輝いて光が流れていた。蜻蛉(とんぼ)のつがいが知らぬ顔で産卵し、また飛んでいった。
 今まで襲った家の中には、あのような境遇になってしまった者もいるのだろう。みんなを生かすための盗賊団が誰かを苦しめるのは、矛盾だ。

 そんな迷いが彼の勘を鈍らせたのかもしれない。浪親は逃げやすいように、手前側にある家の戸を蹴破った。まずい空気が流れて来た。農具と木製の鎧で武装した男達が、ギロリと浪親を(にら)んだ。
「役人だあ!」
 いきなり(くわ)を振り下ろされ、とっさに腕をかざす。「逃げろ!」浪親は叫んだ。つまずいて襲われる子分をかばい、また一撃もらう。
 浪親達は山に入った。木の根につまづき、谷を転げてようやく村人たちの声が遠ざかった。浪親は全員生きていることを確認して、腰を下ろした。冷たい土から吸い上げでもしたように、痛みと疲労が全身に現れる。特に最初の一撃を受けた腕は、今までよく動いたものだ。
 浪親は子分の顔を見渡した。月明かりに並作の団子のような顔がボコボコに腫れているのが見える。
「親分」
 並作は泣き出した。涙が洟と混じって汚かった。浪親は懐から干し柿を出して与えた。
「親分、そりゃいけねえ、こりゃ親分のだ」
 言葉とは裏腹に並作の目は干し柿にくぎ付けになっている。涙も止まった。
「いいから食え、今日は済まなかったな」
 食べながらまた泣き始める並作を見て、浪親はもう少し真っ当な生活がしたいと心底思った。月は我ひとり尊しとばかりに輝いている

百合の君(8)

百合の君(8)

異なる時間軸のここではない日本。盗賊の出海浪親は穂乃という娘を夫の蟻螂からさらってきた。奪った男、さらわれた女、奪われた男とその周囲の人たちの運命は、一夜にして大きく変わった。 長編ロマン、本格始動。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-22

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