ニワトリと人間
あるところにニワトリがいた。何の特徴もない、平凡なニワトリだ。ニワトリは自分の近くに人間がいることに気が付いた。
「おや、お前は誰だ?」
「私はただの鵜飼いですよ」
人間がそう言うと、ニワトリは少し馬鹿にするように鳴いた。
「あのおぞましい人間か。人間の癖に人間の心がない鵜飼いの人間か、散れ散れ」
ニワトリは威嚇するようにまた鳴いた。人間は慌てた。
「落ち着いてくださいよ、ニワトリさん。私はあなたを取って食べたりはしません。ほら、武器なんてどこにもないでしょう?」
人間はポケットに手に突っ込み何も入ってないことを示し、その場で一回転した。
「ふむふむ、確かに武器は何も無い。だがしかし、その素手で私の首を絞め殺めることは可能だろう」
「そんな簡単に出来ませんよ。首を絞める前にあなたが私の腕を突っついて、きっと痛みで離してしまいますから」
「ああ、確かに。お前には私を殺める度胸が無さそうだ」
殺してやろうか。人間は思わずそう思った。しかし、せっかく得た信頼がなくなってしまう。そう考えた人間は必死に感情を抑えた。
「私はあなたと仲良くなりたいだけなんですよ。お喋りしませんか?」
「あぁ、構わない。殺めないと約束するなら」
「先程も言いましたが、殺められないですよ。もっとこちらに近づいてきてはいかがですか?」
「残念ながらそちらにはいけない。ニワトリは三歩歩いたら全て忘れてしまうからな。お前のことも忘れてまた威嚇するだろう。話したいのならそちらから近づいてきたらどうかね?」
「いえ、大丈夫ですよ。この距離が1番最適だと理解しました」
人間はニコッと笑ってその場に座った。
「ニワトリさん、あなたは何故ここにいるのですか?」
「逃げてきたんだよ。飼育されているっていう事実が嫌でね。私はこの鶏冠を見てわかるように雄だ。いつかは食用にするため、締めて殺められ頭を取られ足を縛って木に吊るして血抜きをし、毛を剥いで人間共にバクバクと食われるんだろう。ああ、恐ろしい、恐ろしい」
ニワトリは羽をパタパタと羽ばたかせた。その光景はまるで溺れているかのようでひどく滑稽だった。
「その光景なら私も見たことありますよ。途中まで見て気絶しましたが」
「ふんっ、やはりお前は度胸がないな。本当に鵜飼いの人間か?」
「ええ、そうですよ。でも、この通り度胸がないので全く仕事はさせてくれないんですけどね。困ったもんですよ、働かないと給料がなくて生きていけない。餓死しちゃいますよ」
「餓死か。普段お前は何を食っているんだ?」
「米やパンですよ。人間の主食は大体それです」
「そうか、命を食っているんだな」
それを聞いた人間はハッと息を呑んだ。
命を食べている。肉だけが命というわけではないのだ。植物も皆生きているのだ。
「なんだその顔は。今気づいたのか?お前ら人間は毎日動物やら植物やらの命を頂戴しているんだ。つまりお前ら人間は私たちの命の上で生活しているんだ。そして今日もまた、動物や植物が失いたくなかった命を残酷にも何も思わず楽しくお喋りしながら食うんだ」
「ああ、そうですね。ニワトリさん。確かに人間は残酷ですね。人間は誰にも食われない」
「そう、食われない。食われる側の気持ちになったことあるかい?」
「ないですよ。というか考えたくもありません」
「そうだ。考えたくもない。動物や植物も同じだ。自分がいつ命を落とすかなんて知りたくない。一週間後かもしれないし、明後日かもしれないし、明日かもしれない。もしかしたら今日の夜、殺される可能性だってある。分かるかい? いつでも死ぬ覚悟は出来ているんだ。人間と違ってな」
ニワトリの人間と違って、という言葉が深く心に刺さった。人間は命の価値を軽く捉えすぎている。今の世の中は平和すぎて、自ら死への道を選んでいる人もいる。動物や植物がいつでも死ぬ覚悟を持って生きている癖に人間はどうしてこうも脳味噌がすっからかんで生きているんだろうか。
「私たち動物や植物は一日を大切して生きているんだ。それなのに人間はどうだ。毎日馬鹿みたいに騒いで酒を飲むやつがいれば、性欲魔のようなやつもいる、死にたい、死にたいと言ってるやつがいればやりたいことをする勇気がない臆病者もいる。人間は明日死んだらと考えたことがないのか」
「……きっとないですよ。だって、彼らは今さえよければいいと考えているんですよ。そんな奴らに明日死んだらなんて考える脳みそなんてあるわけないじゃないですか」
「お前もその内の一人か」
いいえ、と答えようとして人間はその言葉を飲み込んだ。いいえ、とは言えない。自分だって面倒なことやりたくないことはいつだって後回しにしてきた。ここでいい人ぶっていいえ、なんて言ったら何も変わらないし、これから先、ずっと逃げ続けるだろう。
「はい、その内の1人です。でもニワトリさんの考えを聞いて思いましたよ。いつでもやらなくちゃいけない思ったことはその場でやらなくちゃダメですね。だって動物や植物が一日を、大切にして生きているのにその動物や植物の命を頂いている私たちが一日を大切にしないなんて申し訳ないじゃないですか」
「ほう、いいことを言うな、人間」
「お褒め頂き光栄です」
人間はニワトリに向かってお辞儀をし、立ち上がり伸びをした。
「ふむ、何だがお前は良い奴だな」
ニワトリが一歩こちらへ近づいた。それを見た人間は静かに一歩遠ざかった。
「お前みたいな人間が増えれば世の中はきっと良くなるだろう」
ニワトリはまた一歩こちらに近づいた。人間は一歩遠ざかった。
「いつかきっと動物や植物と、人間が分かり合える日が来ることを願おう」
ニワトリは三歩目を踏み出した。そして、首を微かに傾げてこう言った。
「おや、お前は誰だ?」
人間はひどく不器用に笑ってこう言った。
「私はただの鵜飼ですよ」
さて、このやり取り何回続くのやら。
ニワトリと人間