『朝に贈る』
一部加筆修正しました(2024年6月21日現在)
足の踏み場がないぐらいに積み上げた私の面倒くさい所を縫うようにすり抜けて、そのしなやかな生き物はあの子の元に走っていく。その動きを横目で追えば軽やかな体躯が屈託のない笑顔に抱き上げる、以前の私なら、自分に似つかわしくないものとして非日常のラベルを付け、そこら辺の床に放って置いたであろう光景が今ではいつもの椅子から慎重に立って数步、歩いただけで触れられる距離にある。
よくぞここまで変わったもんだ、と我ながら思う所を振り返れば、見える世界の質感からして一変した部屋の床の、積もりに積もった埃が信じられないくらいの舞い上がり方をするから驚く。それを吸い込めば想像の上でも酷くむせ返る自分がそこに居て、体がくの字に折れ曲がる。一人の人間の自然な行いとして、その背中を優しく摩ってあげたくなるけど多分その手は強く振り払われるから、誰よりもその近くにいる。その精一杯を一所懸命に行う。
そんな時の自分が悲しくもないのに流す涙を、あの子はきっと「なんで?なんで?」としつこく訊いてくる。だけどそこに答えなんてある訳がないし、あったとしても私には死んでも見つけられないから、くしゃくしゃに丸めた紙のように口を噤み、誤魔化す意図がバレバレな笑みを浮かべてお茶を濁す。
で、予想した通りに「あー!」っという不満を大声で叫ぶあの子の頭を乱暴に撫でれば、くしゃくしゃにさせられた髪を直そうと、大人しい格好のままの生き物を胸に抱えて、あの子が洗面所に走っていく。その後ろ姿に向けて、私はありがとうといった感謝の言葉を口にしようとした、けれど、どの音もまともに出せないぐらいにつっかえた喉は全ての言葉を内向きにして、還ってきてしまう。言葉を使った商売をする私にとってコレは本当に致命的。だから結局、全ての感情が制御不能な状態になってしまい、その姿を戻って来たあの子の目に晒すこととなった。
その時の様子、それが今でも忘れられないのは色んな感情が混ざり合い、いつも以上に複雑になっていたはずの私の様子にたじろぎもせず、お喋りな口を閉じたまま、視線も外さずに、しなやかな生き物を自由にした手で私の手をぎゅーっと握り締めてくれたから。
「ハグじゃないの?」
と思わず発した軽口にも首をぶんぶんと振り、次いでに握った手もぶんぶんと上下に振って、歌を、いつもみたいな気軽な感じじゃなく、誰かの前で披露する時のような生真面目な顔に釣り合う強い、強い気持ちが込められた声の張りを使って歌う。
聴く、という行為は人をバラバラにはしないから、その全部が溺死体みたいにぷかぷかと浮かんで、自分勝手に渦巻く何かに巻き込まれて消え失せる、そんな私の言葉よりずっと綺麗な音が鼓膜を、胸を、心をと震わせていき、首輪に付いた小さな生き物の遊び半分な鈴の音も拾って、信じられないぐらいに大きく、大きくなっていく。
誰だったかな?人は思い通りにならないぐらいに大きくなる。育てる側は、それに置いていかれる寂しさで大きく変わる。だから人の成長は終わらない。出会いも別れも、そういうものとして語らなければ勿体無いんだよ、と私に言った人がいた。それを聞いた私は、けれど育てる側の持つ暴力性に懐疑的だったから話半分に聞き流し、分かり合えない道を、その距離を等しく選んだのだ。
そんな私に訪れた、不意打ちみたいなこの、朝の歌だったから。私は避けてきたものを、語らなければいけなくなった。
そう。
朝は、いつも眩しい。
コロコロ笑ったり、
パタパタ走ったりして
迷うことを
いつまでも覚えない。
そのせいで付く傷も
付けてしまう傷も、
朝を表すものとなり
朝を嘆く色となる。
それを悲しめる人が
それを愛し、
それを喜べない人が
影を作る。
あなたはそのどちらにも在って
私はその一方に身を置いた。
それで生まれる偏りも
寄せては返す波となり、
私たちの日々を、綺麗に焼いた。
私はもうそれを離せない。
だけどあなたは自由に、すればいい。
そうして見送れるもの。
それが沢山あるから。
それを愛おしく思うから。
だから、
いつも眩しい朝でいて。
それをこうして綴るから
忘れないで。
忘れないで、
忘れないよ。だからずっと居られるんでしょ?そんな言葉に「うん、そうだね」って素直に頷ける私にはなったみたいだ。そういう報告を少し面倒くさそうに聞く大人っぽさを身に付けたあなたの側で、私はこうして生きている。生きているよ。
『朝に贈る』