(巨大な)イカのおすし

なんかの賞に出してたけれどめでたく選外だったので、公開(笑)

隆が体験したこと

隆が体験したこと
 隆は甲板でじっとりと汗をかいていた。夏休みにはまだ暫くある初夏の週末。吹き付ける海風でも体温を奪い切れないほどの湿気と熱。甲板にロープ、日に焼けた男たちの筋肉質な背中。振り向いた伯父がニッと笑いかけ、隆はその歯が白く見えるのに驚く。普段は黄ばんでいるのに。
 「たかしはゲームばっかりだから。どうせ校内作文コンクール、書くネタもないんでしょ」
 そんなことは無い。隆が反論する前に母は田舎に引っ込んだ伯父に電話していた。別に行きたくない訳ではなかったが、金曜夜の英会話のキャシー先生に今週は会えないのがつまらなかった。
 伯父はあちらで、網にかかった魚やらエビやなんかを引き上げている。隆は興味を持ちながらも、それに近寄って良いのかわからない。
 突然、まぶしい太陽の光を黒い影が遮り、次の瞬間に衝撃と共に巨大な白い塊が甲板に叩き付けられた。衝撃、怒号、そしてそれは船首の方へ太い腕を巻き付ける。激しく飛び散る水滴に、駆けまわる海の男たち。彼らは叫びを上げながらも船室外壁に固定された大きな斧や大きなナタを次々と取り外し、甲板を目まぐるしくのたうち回る白く太い触手へ振り下ろす。隆は、目の前で甲板を撫で回す大理石の柱のような腕と、その裏側に整然と並んだ円形の吸盤や鋭い爪を半ば口を開けて眺めている。額から頬を伝って流れた汗の塩気が、唇から舌の付け根まで苦いような感覚と共に染み渡る。
「馬鹿!子供は隠れてろ!」
今朝は優しかった船長が怒鳴り、隆は我に返って飛び退る。奥から斧を振り上げて駆けてくる男性の横をすり抜け、操舵室へ転がり込む。両手で勢いよく引いて閉じた扉に激しくぶつかる何かがあり、その直後に窓の向こうで振り下ろされる斧と水滴をまき散らす触手が光る。隆は自分のチノパンを見下ろして白い鋭い爪が引っかかっているのを見つける。それは3つほど一列に並び、直径は5センチから10センチほどだ。ラフなシルエットのパンツでなかったらその爪は肌へ達し引き裂いていただろう。ようやくに追いついてきた理解と、同時に全身の力が抜ける感覚で、隆は激しく揺れる床の上へ崩れ落ちる。操舵室の床から見上げると、船首の方では巨大な白い何かがパルテノン神殿の柱のような腕を船体に巻きつけているのが見える。海の男達はそれを、合図を交わしながら叩き切っている。隆は、テレビの特番で見たダイオウイカなど、これに比べればただのイカだと言う判断を自分が下しているのに驚く。夜明け前に伯父の膝を枕にして寝ていた時に耳にした言葉が、「蔵だけんね」というどこか親しみのもてる訛りではなく、クラーケンだったことに気付く。そうだ、あのオジサンもなんとなくお洒落なUターン移住者だった。「だけんね」とは言わないのだ。
 隆が激しく震える手で子供携帯を構え、窓からクラーケン戦う男たちを10分ほど撮影したあたりで、クラーケンはようやくに太い腕を解いてまた暗い海の底へと戻っていった。日に焼けた顔にごま塩頭の船長が操舵室の硝子を叩くと、隆は急いで鍵外して船長に抱き付く。隆はまだ十歳なので、その顔はクラーケンの透明な返り血でベットリと濡れた船長の胸に埋まる。船長は半ば困った顔で笑って、ベタベタした大きな手で隆の頭を掻き回すように撫でる。
「大丈夫だって、慣れてるから。」
そう言って隆を引き離して腰を折ると、狭い室内に無理やり押し込められた古い事務机の下から木箱を引き出し、焼酎の瓶を引き出す。
「これね、アルコール。」
船長はそれから、事務机の引き出しから白いビニール袋を引っ張りだす。地方都市の名前が冠された新聞の名がそのビニールには印刷されている。隆はそれが何であるか予想が付かないまま、船長の後について操舵室を出る。船長は途中でチラリと隆を振り返ったが、何も言わない。甲板の大きな箱の影に、男性が座り込んでいる。「蔵だけんね」の人だ。その肩から背中にかけて、縦に丸い白いものが並んでいる。隆は、それが先程自分のチノパンに刺さっていたのと同じ爪だと気付く。それを外した跡は、規則正しい点線になってパンツに切り取り線を作っている。これが背中に。隆は息を飲む。「クラだけんね」の人の背中に並んだ爪は直径5センチから3センチくらいで、4つくらいある。小さいからといって痛くない訳はなく、一番下の傷の下には血が流れているので正確な爪の数がわからない。
「ケンちゃん、大丈夫か。」
「痛いっすね、はは。」
ケンちゃんと呼ばれた「クラだけんね」の人は、見るからに痛々しいのに、半笑いだ。反して、船長は至って真面目に、半ばぶっきらぼうに言う。
「この爪が締め付けてっからいてえんだ。今、取るからな。」
「えー」
「ホレ、行くぞ。」
船長は焼酎瓶の蓋を開けると、他の人が差し出したペンチにかけ、それからクラダケンネさんの背中にかける。
「くぅぅぅーしみるね、は、ははは。」
クラダケンネさんはそれでもどこか半笑いだ。船長の隣で、タカシの伯父が先程の白いビニール袋を破り、隆はそれが白いタオルだと知る。新聞社の名前が入っている、広告なんだな。そう隆が推測する程度の短い間に、船長はペンチで爪をぐいと引き抜く。クラダケンネさんはいつの間にかベルトを外してそれを齧っている。それが悲鳴を押し留める為の物なのかは隆にはわからなかった。爪が抜かれた跡から流れだした血をアルコールで流すと、今度は新聞社のタオルを押し当てて暫く押しつづける。背中から抜き取られた一番大きな爪は甲板を転がり、隆のスニーカーにあたって止まる。隆はそれを、タオルハンカチでつまんで注意して持ち上げる。そこ並んだ突起はほぼ正三角形で、内側にむかって傾斜している。そして、表面は非常に滑らかで鋭い。
 「え、もう止まったの?」
先ほどベルトを噛んで苦悶していたクラダケンさんが、驚いたように言う。船長が、丸い点線状の古傷だらけの腕を見せながらこともなげに言う。
「カッターで切ったのと同じだからよ。ちゃんと消毒すりゃ、すぐくっつくよ。」
「すげえ。じゃあ、このままでも…」
「このままだと食い込んで肉ごと持ってかれるよ。ほれ、次。」
「やだなあ。」
言いながら背中を差し出し、ベルトを噛む。隆は、そこにいることを黙殺されていながら、いつか自分も彼らと共に戦い、クラーケンの爪痕を得たいと思う。
「ところで…へへ。」
伯父が、笑いながら包丁とまな板をもってくる。そして、手袋をした手で、先程操舵室のところで斧を振り下ろしていた男性から何かを受け取る。そこには、切り落された触手の先がある。切り落とされたばかりのクラーケン触手の先だ。
「これに醤油とワサビが最高なんだわ。酢飯もあるよ。」
隆は、差し出された軍手を無言で受け取り、細かい爪を取る作業を真剣な面差しで始める。

たかしの作文

たかしの作文
 「たかし、すごいの書いたわねぇ。えっと、でも、お魚とエビは?」
お母さんは、隆がノート12ページに渡って書いた壮大な冒険譚を高く評価しながらも、全く信じようとしなかった。
「すごいね、伯父さんの船とゲームのキャラでこんなお話を作っちゃうなんて。隆、僕もお話に出たいなぁ。山に一緒に行こうよ。」
お父さんは、お母さんのお兄さんにいつも負けている気がしているんだろうな、と隆は思う。伯父さんはマッチョだが、お父さんはお腹が出ている。
 先生はなんて言うだろう。担任の花田先生は自然や野生の動物が好きだ。優しくてキレイで、エコな若い先生だ。もしかしたら、海の生き物を斧でぶった切る話なんて読みたくないかもしれない。隆が原稿用紙の前で、下書きを12ページも書いてしまったノートと向き合って合っていると、ドアをノックする音がある。
「たかし、伯父さんから」
母がスマホを手渡す。
「ああ、たかし?あのさあ、ちょっとお願いがあって…あのでっかいイカの話、だれかにした?あ、してない?よかった。ちょっと保険の関係でさぁ、怪我の話だけ、言わないでくれるかなぁ。ありがとうね。」
隆がクラダケンネの人のその後に付いて尋ねると、スピーカーフォンになっていたのか、本人が元気な声で返す。
「たかしくーん!ありがとね。めっちゃ元気だよ!また来なね!」
「怪我のこと、隆には言っといたから」
「そうかー隆君、あんがとね!」
その元気な声に微笑みつつも、隆は保険って何の保険だろう、と考える。
 みんな、ダメだ。隆は思った。そもそも、クラーケンとの対決をお母さんが理解してくれるとは到底思えない。お母さんはお母さんなのであって、息子が危険な目に合うことは嫌いなのだ。お父さんも全然信じてない。それに、伯父さんや船長の方が自分よりカッコいいと思われるのが嫌なんだ。それにきっと、花田先生は、普通の作文を期待している。お風呂掃除したとか、博物館へ行ったとか、そういうやつ。犬のウンコ踏んだとか、そういう方がきっとクラーケンよりマシなんだ。なんでもいいよって言ってたけど、そういう、普通のやつがいいんだ、きっと。隆はため息をつくと、机に戻って学習漫画をしばらく読む。少し経ってから、おもむろに原稿用紙に向かう。
 「金曜日の夜から伯父さんと船に乗って、土曜日に大きめのイカをつかまえました。ウデしかつかまえられなかったけど、お寿司にして食べました。おいしかったです。また行きたいなと思いました。」
 そして隆は鉛筆を止める。課題の原稿用紙2枚には到底満たなかったが、それ以上書くべき内容を思いつかなかった。それで、隆は「ところで、イカのお寿司ですが、安全教室で習いました。」と続け、そこから100文字ほど真面目に安全について語り、作文を終えた。それから、「また行きたいな」の文字をゆっくりと指でなぞり、作文用紙をランドセルに収めた。

(巨大な)イカのおすし

とにかくクラーケンが書きたかったのです。

(巨大な)イカのおすし

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-16

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  1. 隆が体験したこと
  2. たかしの作文