つよくてやさしいひとになりたい

 労働者に必要なものは、パンではなく詩である。
       ──シモーヌ・ヴェイユ

 憧れ。けだしこれこそが、ひとの生に詩を与える。
 ひとに文学を強いるのは、ある種欠乏であるという。乾きであるという。不満足であるという。ぼくはこれをしごく当然だとみなすのだけれども、それというのは文学とはよりよき現実をもとめて読み、そして書くものであるというかんがえをもつのが青津だからであり、そのためには、なんらかの理想がとどかぬ月硝子城として天空にあり、いまだかれの腕がそれに到達しえていない現実があるのだと想っているからだ。
 こういったロマネスクな解釈はたしかに若者のかぶれやすい捉え方であり、亦文学というものが反社会的な色と似てしまう原因でもあるだろう。理想と現実のギャップに悩むというのは青年期の特権的余裕であり、成熟した人間の人生の主題ではない。成熟とは、システムと折合をつけ、他者とよく結びつき、おのずから満たされ、幸福を蒔く状態をいうかもしれない。不満足の不幸という痴態をさらすのが文学なのだというといい過ぎであるけれど、しかし、こんないいぐさはぼくのかんがえる文学を愛する人間らしい者のそれであると、恥ずかしげもなくいわせていただこう。
 しかし、現在の現実に満たされた人間が、死に物狂いで文学的主題と格闘するりゆうなどどこにあるだろうか。
 たしかに文学は玩具だけれども、ぼく等の主題は余人にはとるにたらないものにみえるかもしれないけれども、真剣なそれなんだ。
 しかればぼくの憧れというのはなんぞやと問うていただきたい、ぼくはまるで着古したデニム・ジャケットのポケットにはじめから準備していたかのような流暢さで、即こう口から昇るだろう。

 つよくてやさしいひとになりたい。

 ぼくはこの言葉の平凡きわまる響きを、大切にする。ひとの理想というのは、けっきょくはこんな素朴で平凡なものに帰するのではないかという疑いへの憐れさを、大切にする。
 つよくてやさしいひととはなにか。他者のために、自己を戦わせるひとのことである。それで報われなくても、とりわけ特殊な自尊心すら育たないまま、はらりと淋しい微笑でもって、亦うごきつづけるひとのことである。
 ぼくはこういう人間になる為に、あらゆる詩的推論を投げつけ、跳躍し、腕を振り、失墜し、敗北し、だが、そううごきつづけるという状態に「是認」を置く。ぼくは詩人だ。そういう是認である。
 つよくてやさしいひとになりたいというのは、ぼくいわく、詩である。詩とは、おのずから喉より込みあがる根源的な歌をいう。ひとびとを林立させる、人-性に共通する領域の歌をいう。言葉なぞにけがれちまった「わたし」の言葉を呼び戻す、素朴正直な歌をいう。
 そしてくりかえすが、詩とは、憧れをいうにすぎない。
 ぼくは信じる、夕陽をみつめて「O」と叫ぶ原始人のかの聲は、やはり詩であったと。言葉が剥ぎ落された結末の失意の悲願は、これに似ると。それということは、やはり人間とは信頼に値すると。
 ぼくは「いま」を生き抜くのがあやうい人間に向かって、これよりを書く。
 ぼくは、ぼくとおなじ憧れを持てという言葉を綴ったことはない。けれどもここでぼくが君に伝えたいのは、君の「こうでありたい」を圧し殺さないでもいいということだ。君の「こうでありたい」が万人に付属した平凡なものであるならば、その憧れはおそらく信頼に値するということだ。それが特殊なものであったとしても、君のほんとうの気持がそれを希むなら、腕を振りつづけてもいいということだ。その一条を現実に綾織らせるために、敢えて現実に飛びこみ、うごいて、歌ってもいいということだ。
 その憧れが、君を生かしたら、それが、君にとっての詩である。それだけの話だ。

つよくてやさしいひとになりたい

つよくてやさしいひとになりたい

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-12

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