仏師

仏師

 その男は、名を生願という。
 常日頃より気性が荒く、怒りっぽくて、また、人を赦した事が無かった。
 だが、仏の姿を彫ることに関しては、誰にも文句を言われなかった。
 彼が生み出す仏像の数々には魂が込められていた。
 破邪の念を以てして佇む御仏に、人々は感謝の心で迎え入れていたからだ。

 猛烈な暑さが去りつつあった、秋の風が時折吹くような、時期のこと。
 生願は従者を一人連れて、西の都へと徒歩で向かっていた。
 従者の青年、卵同が、胸を弾ませて言う。
「仏師様、仏師様、都が見えてきました」
 仏師こと、生願はしかめっ面のまま言い捨てる。
「何が都だ。俺は金のために、あんな窮屈な場所に呼ばれておるのだぞ。
 何をありがたそうに、嬉しそうにはしゃぐことがある」
 卵同は、しょんぼりと気を沈ませながらも、都のある方角を見つめていた。
「私にとっては、母のお墓がある場所ですから」


「おお、おお、これは生願殿。お待ちしておりましたぞ、ささ、どうぞ中へ」
 生願達を屋敷にて出迎えたのは、この都で最も富める商人の、荒賀であった。
「ふん……よくもまあ、豪華、豪華。つまらん住まいだな」
「ははは、これは手厳しいご意見ですな、生願殿。
 この屋敷を『つまらん住まい』と言い捨てるのも、貴方ぐらいでしょうな」
 卵同は、これといって、建物の豪華絢爛な輝きや、装飾には眼もくれなかった。
 むしろ、その眼差しには、まるで生気が無い。

「で、俺は何のために呼ばれたのだ。務めの内容は、此処で伝える旨が書にあったが」
「そうです、さっそく商談に入りましょう」
 すると、生願は露骨に顔をしかめた。

 彼は、金というものが嫌いであった。同時に、商売の話も嫌悪している。
 だが、東の霊山にこもって仏像を彫り続けていた彼に、西の都へ行くよう強く勧めたのは、彼の師である。断るわけにはいかなかったのだ。
 卵同が御供に選ばれた理由は、最も手先が器用であり、性格が穏やかだからだ。
 この青年を選んだ師には、生願の怒り癖を制御するために、役立つだろう、という算段もあった。

「近頃、この都には魔が現れるのです」
「魔だと」
「ええ、それはもう、恐ろしく獰猛な魔です。その存在は、人々を見つけ次第、片っ端から呪い殺してしまうのです。犠牲者の数は、既に三桁に達しておりますゆえ、早急に退散させる必要があると、商会の者達で話が纏まりました」
 生願は茶を飲み干して、激しい音を立てて湯呑を叩き割った。
「この地の坊主共は、一体何をしておるッ。何故、守銭奴の群れが魔を退けようなどと、金を出し合うのだ。納得がいかん」

 すると、荒賀は深いため息をついて、訳を語った。
「いやはや、まったく坊主は、頼りになりませんな。
 修行に励んでいると語りながら、念仏ばかりです。都を脅かしている魔には、一切効果がありませんので、ねえ。我々としてもこのような出費は痛いのですよ、分かりますか。
 生願殿、もちろん、貴方の彫る仏像は強力であるという評判は、雷鳴の如く天下に響き渡っていますぞ。もしも、これで魔を退けられなかったとなれば……いやはや、貴方の生業にも、痛手でありましょうなあ」

 すると、生願は荒賀の胸ぐらを掴んだ。
「俺が仏様を彫るのは、生業じゃない。間違えるな」
 卵同は、その会話を、何かもの言いたげな顔で静観していた。


 荒賀の屋敷を後にした生願は、卵同が腹を空かせているだろうと想い、蕎麦屋に向かう。
 卵同はまるで、心ここにあらず、といった様子で、生願に話した。
「その……都を脅かしている、魔というものに、私は、会ってみたいです」
「はぁ、お前はお人好しだな。人々を呪い殺すほどに、強力な魔なのだぞ。
 お前みたいな青すぎる若者が、生きて帰れるはずがないじゃないか」
 卵同は、それでも、折れなかった。
「その魔は、私の……」
 卵同が何かを言いかけていた所、蕎麦屋が見えてきた。
「おうい、かけそば、大盛で二人前だ、良いな、急いで用意しろよ」
 青年は、寂しそうな、悲しげな面持ちで、黙りこくった。


 その日の夜、さっそく生願は仏を彫っていた。
 卵同は、仏師のために茶を運び、手拭いを洗い、身辺の世話をした。
 しかし、青年の様子が、どうもおかしいと気づいた生願は、手を止めた。
「なあ、卵同、お前は何か言いたげだな。ずっとそうだ。この都に近づいていた時から、ずっとずっとそうだった。おい、そんな様子じゃ俺も集中できん、今、ここで言いたいことを話してみろ」
 卵同は、その死人のような顔で、しかし今一度、自ら頬を叩いて気合を取り戻した。
「分かりました、お話します。
 実は、この都に出没するという、その魔の正体に、心当たりがあるのです」
 生願は、じっと卵同を見つめた。
「その魔とやら、おそらく、私の母の、魂であるかと」


 卵同は、親の願いで「出家」した身であった。
 この食うや食わずの貧しい暮らしの中では、親が我が子を食わせるために、仏門に入れるという話は、どこにでもある、ありふれた話である。
 寺に入れば、学も得られる。技術も身につく。将来のためには、まずい話ではなかった。
 しかし、卵同の思い出に浮かぶ親の姿に、父はいなかった。
 彼の父は、卵同の幼少の頃に、多額の借金を作って、姿を消した。
 まだ若かった母は、この都には頼れる親族もおらず、卵同を一人で育て上げる事は、困難であった。
 母の稲木が、卵同を東のお寺へと送るとき、彼女は正直に話した。

「良いですか、卵同。お前の母は、畜生道に堕ちます。
 私は男達を相手に、体を売り、色欲を満たしてあげる事で、銭を受け取る仕事をします。
 これは、真に悲しいことなのですよ。けれど、お母さんには、もう他に生きる術がありません。お前のお父さんは、どこへ行ったかもわからない。もう死んでいるかも知れない。
 私の故郷に、お前を連れていくこともできない。関所を通るための、税を払うだけの貯えすら、この家にはありません。
 いいですか、卵同。お前は、仏様の道を歩むのです。
 お前の母が、邪道に、色情の世界に堕ちるからと言って、お前が恥じる事はありません。
 立派に教えを学んで、心優しいお坊さんに成って、困っている人たちを、助けてあげなさい。そして、お前は母の事を、もう忘れなさい」


 卵同の家と両親に関する話を聞き終えた生願は、泣いていた。
 鬼の眼にも涙、というものである。彼は怒りに狂う男だが、非情ではなかった。
「よおし、分かった。じゃあ、お前のおふくろさんを、二人で探そうじゃねえか」
 青年はゆっくりと首を横に振った。
「仏師様、今日、都に入る直前にお話しした通り、私の母はもう、墓に入っています」
 卵同は、中庭に出て、荒賀の屋敷のある方角を睨んだ。
「お母さんは、あの屋敷の裏にある墓地に、眠っています」

 朧月が、地上を不気味に照らしていた。
 霧は深く、墓地に至るまでの道は、まるで冥界のようであった。
「ここです、私の母、稲木の名が、ありました」
「おお、そうか。卵同、お前のおふくろさんが、ここに。
 それで、ひとつ訊いても良いか。魔に成るほどの理由があるとしたら、一体、お前の母はどのような最期を迎えたのだ。並大抵の事では、人は魔には堕ちぬ」
 卵同は、母の墓石を前に、語り始めた。
「業病です。体の至るところが腐り、爛れて、十数年かけて苦しんだと知らされました。
 そういう生業の場では、業病にかかった女は、散々虐待を受けたうえで、真っ暗な牢に閉じ込められて、息絶えるのを待ちます。死んだことが確認されると、牢ごと火をつけられて、火葬にされるのです」
 これには、生願も言葉を失った。想像を絶する苦しみである。

「ダレダ……ワタシノ、ハナシヲ、スルノハ、ダレダ……ッ」
 月を覆っていた薄い雲が晴れて、墓地を残酷なまでに鋭く、照らし出した。
 そこには、魔がいた。怨めしそうに、佇んでいた。

「卵同、お前のおふくろさんか」
「……お母さん、お母さん。間違いありません、私の母です」

「オオ、ランドウ、ランドウカ、ワタシノムスコ、タイセツナ、イトシイムスコ」
「お母さん、私です、あなたの息子、卵同です。どうぞ、こちらに来てください」
 すると、母の亡霊は、うめき声をあげた。
「ウ、ウウ、ゴメンネ、ゴメンネ、ゴメンネ、ランドウ。オカアサン、コンナ、マモノニナッテシマッテ、ゴメンネ、カナシマセテ、ゴメンネ」

 卵同は、自らゆっくりと、母に歩み寄った。
「いいえ、お母さんは何も悪くありません。
 私のために、正しい道を授けてくださった。
 自らは苦しみの道を歩む覚悟を持ち、子供には仏の道を残してくださった。
 お母さん、私こそ、ごめんなさい。
 ずっと、お母さんのことを乗り越えようと、必死になって、寺で勉強することに執着して、貴女のことを思い出さないようにしようと、逃げていました。
 けれど、もう寂しい思いはさせません。
 私が直接、お母さんのために、黄泉へと御見送りしたいと思います。
 さ、お母さん、私の手を握ってください」

「ランドウ、イマスグ、ニゲナサイ」

 墓場には、人間の気配が満ちていた。それも、殺気を漂わせている。
「お涙頂戴の、お芝居にしては、まあ、良いほうではありませんかね。
 なあ、稲木。そして、人質の卵同よ」
 生願や卵同の背後から姿を現したのは、荒賀。そして金で雇われた荒くれ者達。
「荒賀……これは一体」
 生願が訊くや否や、大商人は笑った。
「この亡霊に『商売敵』を殺すように命じていたのは、私ですよ。
 そして、亡霊が従わざるをえないよう、人質もとっていたのです。
 卵同をいつでも殺せるように、常に見張っていました。
 私の配下の者は、東にも大勢いるのでね。
 そして、仏師殿。貴方様の彫る強力な仏像が、どうしても最後には必要でしてねえ。
 私が飼いならしている亡霊が、いつ歯向かっても良い様に、私を守るための仏様が必要だったのですよ。
 ねえ、これで話はお判りいただけたでしょう。
 ……卵同を殺されたくなければ、今すぐ仏を彫りなさい、さあ」

 生願は、肌身離さず持ち歩いている彫り道具を、捨てた。
 彼はあろうことか、道具を土足で踏みにじる。
 筋骨隆々、顔は忿怒、眼は真っ赤に燃えている。
「俺は、仏師である前に、修羅だ」
 荒賀に雇われた暴漢達が、刀剣を手に襲い掛かったが、誰一人として、その刃で切り付ける事は叶わなかった。
 生願の腕力で、首の骨を折られ、腹の臓腑を殴りつぶされ、顔面を蹴り砕かれた。
 それもその筈。かつて、最北の地に、仏に帰依した修羅がいたと云う。
 元来の怒り狂う心に耐えきれず、各地の合戦場に姿を現し、四方の軍を、どちらを敵とも味方ともせず、暴れまわった、修羅がいると。
 男達とて、人を殺める腕には自信があった筈だが、かの仏師は格が違った。
 呆気に取られていた荒賀は、脂汗を浮かべて、必死な形相で亡霊に命じた。
「な、なにをしておる、稲木ッ、そいつを呪い殺せェ」

 卵同は、稲木の前に立ち、仏の大慈悲を込めた、御祈りを捧げる。
 母の亡霊の胸元から、清らかな白い光があふれ出て、稲木の善心を取り戻す。
 生前に味わった、想像を絶する生き地獄の苦しみを、全て癒し、苦悩を救いとる。
「お母さん、お母さん、ね、大丈夫です。私の手を握ってください」
「アア、オカアサンモ、ホトケサマニ、ユルシテ、モラエル、カナ」
「もちろんです、さ、このような地獄から抜け出しましょう。
 お母さんは、私の誇りです。これほど献身的に愛してくれる母は、どこにもいません。
 私は、貴女の息子として生まれる事が出来て、本当に幸せでした。
 お母さん、私もいつか往生する時が来たら、ぜひ、迎えに来てくださいね」

 稲木と卵同はその後は言葉も無しに抱きしめ合った。
 稲木の魂は、息子の慈愛に救われて、黄泉へと昇った。

「馬鹿な……そんな馬鹿な……」
 荒賀と生き残った無法者達は、恐れおののいて、足早に逃げていく。
 修羅の生願が追いかけようとしたが、卵同が制止した。
「良いんです、真の悪は、きっと天が裁いてくれます。
 私は、お母さんに成仏してもらえて、もう何も、未練はありません」
 ふう、と息をついた生願は、少しだけ優しい目で、
「やはり、お前はお人好しだなあ」
 と言った。


「良いのですか、仏師様。都巡りをしなくて」
「言ったであろう。俺はこんな窮屈な場所は嫌いだ。金の匂いも大嫌いだ。
「そうですか……しかし、意外です。仏師様は結局、無償で仏様を彫って、この都に寄贈しました。それは、一体なぜですか」

 街道の真ん中で振り返り、都の門を眺め、仏師は言う。
「あのような場所だからこそ、仏が必要だろうと、思っただけだ」

仏師

仏師

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-06-12

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