泳ぐ猫
指小説(掌編)
小川に行くとでぶった猫が泳いでいた。
頭の上がぽつっと鼠色でひしゃげた丸い頭をしている。
「どこ行くんだい」
そう尋ねると、こっちを向いて、
「川に聞いてちょうだい」
そう答えた。
そこで、せせらぎに、
「猫をどこに運ぶんだい」
こう聞いてみると
「そんなことしるかい、勝手に水の上に落ちてきたんだ」
ということだった。
猫はだいぶ先に流れている。追いかけていって、川の言ったことを伝えると、
「上流にかかっている赤い橋の欄干を歩いているとさあ、木が腐っていて、放り出されたんだ、橋っていうのは、陸地を分断している川のやつが、責任を持って、管理しなきゃいかんじゃないの、そうでしょ」
道理を並べられりゃ、確かにそうだ。とりあえずうなずいておいた。
猫は流れていく、追いかけて、
「だがな、川だって好きにできたわけじゃない、雨の奴が山にたまって、染み出して、川をつくったんだ、水、いや、雨だから、雲のやつがわるいんで、川のせいではないんじゃないか」
「すると、おまえさんは、橋の欄干が壊れていたのは川に責任がなくて、雲がわるいとおいいかい」
姉御口調になりやがった。
「そうなるじゃないか」
「雲って言うのは、地表の水が温められて、空に登りできたものよ、雲を作るのは、水を温めるお天道さま、そうなるおと、お天道様に責任があるというのかい、おまえさんは」
うなずくと、空にあったお天道様がおっこちてきて、川の表面で、じゅう、と蒸気をあげて水の中にもぐっちまった。
真っ暗じゃないか。
その間に猫が先の方に流れていってしまっている。
猫の耳が光って見えるんだ。
追いかけていくと、川の脇にできていた水たまりに流れこんでいた。
猫の奴、首だけ出して、こっちを見た。
とろんとしている。
「そんなところにはいちまったのか」
そういったところ、「あんたもおはいんなさいな」ときたもんだ。
「春っていったて、水はつめたいからやだ」
そう言うと、
「あったまるのよ」
猫は水の中のメダカを指さした。
近くに行ってみると、緋色のメダカが泳いでいる。
「ヒメダカじゃないか」
「ちがうさ、メダカだよ、あったかくて、赤くなっちまった」
「あったかいのかい」
「見ていなかったのか、お天道様が川に落ちたんだ、温泉だよ」
水に手をいれてみた。
いい湯加減だ。
「そんじゃ、ちょっとよばれるか」
ざぶんと飛び込んだ。
「乱暴なごじんだね、静かにおはいりよ」
猫の頭に水しぶきがかかった。
「すまんね」
「だけど、小さなカピバラだね、あたいと同じくらいだ」
猫の奴驚いている。
「カビバラじゃねえよ、ヌートリアだ」
「へえ、よく似てるね、ヌートリアと一緒に、露天風呂にはいるなんぞとはおもわなんだよ」
「おれだって、日本猫の姉御と入るとはおもわなかったぜ」
「日本猫じゃないわよ、マヌル猫よ」
「ひゃ、マヌル猫かい、マヌケ猫だと思ったよ、川に落ちちまうなんて」
「おいいだね、何で、ヌートリアがここにいるんだい」
「戦時中からいるんだぜ、カビバラなんて、最近じゃないか」
「戦時中とは古いね、何でここにきたんだい」
「戦時中は、俺たちもたたかっていたんだ、なんとか逃げのびて、川岸の茂みの中でくらしていたんだぜ」
「なにとたたかっていたんだい」
「おれたちゃ、毛皮にするために日本に捕虜になったんだ、それに、食えたら食おうと思っていたらしい、だがよ、おれたちゃ逃げ出したんだ、日本がまけたおかげだよ、それで、こうやって生き延びたってわけだ」
「そりゃ大変だね」
「でもなあ、マヌル猫が何で川に流れてきたんだ、貴重な動物なんだろう」
「ちゃんちゃらおかしい、あたいたちゃ、狩りの名人なのよ、動物園にネズミがうようよいるじゃない、あたいたちは、固まって長い時間動かないでいれるの、達磨さんが転んだ、ストップよ。
ストップしているとね、檻に入ってきたネズミがよってきてね、ずいぶん食べたものよ、だけど、あるときね、ぞろぞろ入ってきた奴がそばにきたんで、食べようと思ったら、
『姉さん、わたしたちネズミじゃないよ、スンクスだ』って言うじゃない、見ると、尾っぽに子供がかみついてぞろぞろついてきているのよ、『なんだネズミじゃないの』、といったら、スンクスの母さんが首横に振って、『トガリネズミ』って言うじゃん、やっぱりネズミか、じゃ食おうかと思ったら、モグラの親戚だってさ、それじゃうまくないかもねとあきらめた。
それでね、散歩中だよ」
と言うんだ、だけど、動物園の檻からどうやってでたのだろう、と思っていると、マヌル猫の姉御さん、こう言ったよ。
「床に穴が開いているじゃないか、トガリネズミは、そこから入ってきたって言うんだそれで、あたしゃ、その穴をひろげて、散歩にでたってわけなのさ」
「それで、橋をわたっていて、川に落ちたのか、やっぱりマヌケ猫だね」
「ふん、よけいなお世話だよ」
「それで、ねえさん、これから動物園にもどるのかね」
そう聞くと、首を横に振ったね、それでね、
「ヌートリアのだんな、あんたの家においてくれないかえ」
というから、いいぜ、と答えたんだ。
それで、今、同棲しているってわけだ。
なかなかいい女猫だぜ。
壊れた赤い橋に、感謝っていうことだ。
それに、マヌル猫を運んできた浅川にもな。
浅川マキって歌手がいたな、寺山修司の歌を歌ってた、不幸せな猫がいるってね、赤い橋のたもとにね、ここにゃ幸せの猫がいるぜ、ネズミと一緒にな、ヌートリアだってネズミの仲間なんだ。沼ネズミっていうんだぜ、でっかくて食えないけどな。いや食えるかも知れねえな。あ、そうだな、いつか食われるかもしれねえけどな。
泳ぐ猫