散りゆく桜の花のようにそっと14
☆
自殺か、と、わたしは車を運転しながら心のなかで呟くように思った。あのとき、福島さんの話を聞いたとき、どうして先輩は自殺なんてしてしまったのだろう、と、何も自殺なんてしなくても良かったんじゃないかと単純に思ったものだけれど、でも、今にして思うと、自殺してしまった先輩の気持ちも少しは理解できるような気がした。
わたしもそんなにいつもというわけじゃないけれど、ときとぎ、もう死んでもいいかな、と、もう何も考えたくない、と、投げやりな気持ちになってしまうことがあった。この先生きていても良いことなんて何もないんじゃないかと大袈裟に気持ちが沈みこんでしまうことがあった。
わたしはいま二十九歳で、無職だ。そしてそのうえ、恋人もいなければ、好きなひともいない。ずっと好きで続けていた音楽も止めてしまった。もうかつてほど若くもないし、今、とくにやりたいことというものものない。
このさき自分は一体どうすればいいのだろう。そうと思うと、途方に暮れてしまうことになった。からっぽだ、と、わたしは思った。いまの自分には何もない。そしその空白のなかに暗闇の塊が生まれて、それがどんどん大きく膨張していくような感覚があった。
☆
わたしは道路の片隅に車を止めると、車のドアを開けて、外に出た。
沢田からもらった手紙に書かれている住所が確かなら、今目の前に立っている二階建ての家が、沢田の実家のはすだった。
家の玄関の前まで歩いていき、恐る恐るインターホンを押す。でも、反応はなかった。もう一度インターホンを鳴らす。やはり、さっきと同じように反応はなかった。
きっと留守なのだろう。突然押しかけてきたのだから、こういう結果になっても文句は言えないのだが、でも、それにしてもな、と、わたしは困った。これからどうしよう。家のひとが戻ってくるまでどこかで時間を潰すしかないだろうか。それとも沢田を驚かすことはできなくなってしまうが、いっそ沢田のケータイに電話をかけてみるか。
わたしがそんなことを考えていると、唐突に、目の前の引き戸式のドアが開いて、なかからひとりの若い女の人が顔を覗かせた。年のころはわたしよりも、ふたつか、三つくらい年下いったところだろうか。
「はい?」
と、彼女はドアを少しだけて開けてわたしの顔を見ると、怪訝そうに言った。わたしはまさか女の人が出てくるとは思っていなかったので多少動揺したけれど、
「あの、ここって沢田透さんのお宅でしょうか?」
と、確認してみた。
すると、
「そうですが」
彼女は少し警戒心を表情に滲ませながら頷いた。
わたしは彼女に事情を話して聞かせた。わたしが沢田の友人であること。沢田とは東京のアルバイト先で知り合って仲良くなったこと。今日は沢田を驚かせてようと思って、迷惑かとは思ったが、抜き打ちで訪ねてきたこと。
「そうだったんですね」
彼女はわたしの話を聞き終えると、どこかほっとしたように表情を緩ませた。それから、彼女は改めてわたしの顔に視線を向けると、
「あの、わたし、沢田の妹で、裕子っていいます」
と、自己紹介してくれた。
「え、妹さんなんですか!?」
と、わたしはびっくりして言った。でも、言われて見ると、確かに、目元のあたりがどことなく沢田を彷彿とさせた。
「似てませんか?友達にはよく同じ顔だねってからかわれるんですけどね」
と、彼女は苦笑するように笑って言った。わたしは彼女に続いて簡単に自己紹介した。
「大塚さんですよね?兄からちょくちょく話は聞いてます」
と、彼女はわたしの自己紹介に、明るい笑顔で言った。
「聞いてるって?」
と、わたしがちょっと驚いて訊き返すと、
「確かミュージシャンをやってるひとですよね?」
と、彼女はわたしの顔を尊敬するように見つめて言った。
「何か誤解があるようだから説明しておくけど、わたしの音楽はそんな大層なものじゃないし、それにもうやめちゃってるから」
と、わたしは苦笑して言った。
でも、それを彼女はわたしの謙遜だと受け取ったようで、
「めちゃくちゃギター上手なんですよね?」
と、言って、感激した様子でわたしの顔を見つめてくるので、わたしは恥ずかしいやら照れ臭いやらで困った。
☆
「それで、沢田は今どうしてますか?」
と、わたしは尋ねてみた。
「もし、仕事中で今手が離せないようだったら、どこかで時間を潰してまたあとで来ますけど」
わたしの申し出に、裕子さんは困ったような苦しそうな強張った笑顔でわたしの顔を見た。それから、彼女は僅かに顔を俯けると、
「実はいま兄はいないんです」
と、言いにくそうに言った。
「いない?」
と、わたしが不思議に思って尋ねてみると、彼女は黙って頷いた。
「それはつまり、どこか旅行とかに出かけていて、当分のあいだは戻ってこないってことですか?」
わたしの問に、裕子さんは口元で弱々しく微笑むと、首を振った。
散りゆく桜の花のようにそっと14