断片3〜『デ・キリコ展』〜


 超越する存在へのアプローチが奇妙な筆致となって理性を機能不全に陥れる、だから目の前のキャンバスで踊り狂うイメージ群に対して鑑賞者は感性をもってアプローチせざるを得なくなる。
 その作業の内実は極めて単純で、先ずは目の前にある一枚から感じられるものを言葉にしてみるといった素朴な感想の言い合いに始まり、それだけでは満足できない消化不良な感触を世界の神秘や人間の心理といった知識、経験に基づき裁断する段階へと(きっと)移っていく。そうやって意味不明瞭なものだった絵画表現を咀嚼可能なサイズと硬さにまで落とし込み、使い慣れたナイフとフォークで美味しく頂く。それを「う〜ん」と満足そうに味合う者もいれば、貝類に残る砂を齧ったかのような難しい顔をして首を捻る者もいる。その不快感を下拵えも満足にできない料理人=画家にぶつける者もいれば、自分の舌の健康状態やそれまでに覚えてきた味覚の経験を根本的に疑う者もいる。このような細分化を勢いよく果たしながら、けれどその一つひとつが根を下ろす大地を持たない。故にパターン化の罠に嵌っては次第に飽きられていき、美術史の内側に回収されていく。そういう運命に魅入られた絵画表現。私はそれを「シュルレアリスム」と呼んできたし、それに先行して影響を与えたジョルジョ・デ・キリコ(以下、デ・キリコと略す)の表現も大して変わりはないと思い込んでいた。
 デ・キリコの表現は①形而上絵画と呼ばれるものから②古典へと回帰を果たし、そこから更に③新形而上絵画と評されるものへと変化していくところ、東京都美術館で開催中の『デ・キリコ展』で鑑賞していて最も面白くないと正直に感じたのは②の時期における作品群であった。というのもティツィアーノを始めとしてベラスケスにゴヤ、ドラクロワ、ルーベンスといった巨匠たちの作品を範として描かれるこの時期の絵はバロックや印象派といった絵画表現の特徴を余りにも見事に修得している。そのためにデ・キリコの作品を楽しむというより「ああ、これは〇〇の影響なんだなぁ」というクイズ感覚が先行し、画面上で描かれているマヌカンといった彼ならではのモチーフも先人たちの作品の二次創作に用いられただけという印象が強く残ってしまう。デ・キリコ本人は多大なる興味に突き動かされてそれらを心から楽しんで描いたのだろうけど、鑑賞者にまで届くものがない。完成度が極めて高い秀作という感じが最後まで拭えなかった。見惚れた作品は一つ、ゴッホの『ひまわり』に習った『菊の花瓶』だけであった。
 そんな古典回帰の時代を経て展開する新形而上絵画は①の形而上絵画とどう違うのか。絵画を鑑賞するのが好きなだけの素人である筆者がこの点について語れることは決して多くなく、しかもその内容が主観的な印象に止まってしまうのが申し訳ないのだが、それでも誰かの参考程度にはなればと願い記していくと①の形而上絵画は遠近法といった先行する絵画技法を踏まえ、そこを外れる見え方の面白さを人間の内面的不可解さと絡めて絵的に表現していくのに対し、③の新形而上絵画はイメージが自由に遊べる絵画空間それ自体に対する強い関心を表現する。
 それは手始めに縦横無尽に組み立てられていくキャンバスの向こうの側という形で表され、そこで生まれる由来不明のシンボル群が築き上げる分かるようで分からない関係性となって鑑賞者の目に飛び込んでくる。そのどれもが複雑怪奇の様相を呈しているのに妙な可笑しみがあるために覚えられるとっつき易さはそれこそポップアートに近しい視覚的快楽を観る側に与えるし、①の形而上絵画を鑑賞する度に覚えていたハラハラドキドキといった不穏な感覚は③の新形而上絵画として描かれるべき世界の鼓動に置き換えられる。そうして生まれる一枚の絵の中の、見えない所で蠢く生命の兆し。瓦礫と化したただの知識を踏み締める覚悟がなければその謎に触れることは叶わない、そういう意味では極めて物語的な表現。バロックの絵画表現から得た滋養がここに認められるのだが、それによって可能となっていたのは科学と神話が同居する世界像だった。ポストカードで購入した『燃え尽きた太陽のある形而上的室内』には個人的で、かつ普遍的な精神の旅立ちの仕方を感じて仕方なかった。そのコツを掴んだが最後、ホテルの一室だってこの世のどこにもない神秘に包んでお届けすることも難しくないのだ(『ヴェネツィアのホテルの一室における神秘』)。
 画家として手にしたこの「自由」。それがそのまま新形而上絵画の唯一無二の良さとして語れる。こう思った時、私の頭の中で過ったのは古典の研究の末に自らのスタイルを確立した日本画家、小林古径の絵画表現だった。画業として考えればどうしたって無視できない時流をものともせずに自身の直観を信じてしっかりと磨き、身につけて行く。古臭く聞こえるこの一文が有する確かな地金を露わにするという点でデ・キリコの歩みは筆を取り、今もキャンバスに向き合い続ける画家をこそ励ますのでないか。そう感じた時、今度は目の前にある作品から失われない「物」らしさがとても愛おしく思えた。そこには途方もない時間が保持されている。制作年代といった分かりやすいものから、画家個人でしか知り得ない研鑽と喜びの日々として。雑誌に掲載されている写真を見た時には少しも感じられなかったこのポイントを知るには、やはり現物を鑑賞しかないと素直に思う。特にデ・キリコという画家に関してはこの点を強調したい。
 『デ・キリコ展』の開催期間は8月29日まで。マヌカンの彫刻作品や、ジャン・コクトーの『神話』で用いられた挿絵の原画もあったりして中身も充実している。興味がある方は是非、会場へ足を運んで欲しい。

断片3〜『デ・キリコ展』〜

断片3〜『デ・キリコ展』〜

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-05-15

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