ハッピー☆バード
大学時代~30代まで書いていた作品です。まだ終わってません。続きを書きたいです。→実は書いてました!
当時のままで、編集はしてないのですが、とりあえず載せようと思います。
第1章 不思議な石
1,出会い
茅子(かやこ)は、今日も仕事が終わり、家に帰るところだった。
途中には、いつも立ち寄る店がある。
きれいなパワーストーンが、たくさん並ぶ店。 石を加工したアクセサリーもあって、値段もお手頃なので、時々買うのだ。
石たちにふれていると、なぜか心がホッとする。まるで石たちが力をわけてくれるみたいな気がした。
店のなかをみているうち、一つだけ、とても引きつけられるイヤリングがあった。 深い青色で、よくみると、光る粉のようなものが角度によってキラキラと反射する。
いつもよく話すお店のお姉さんがそっと教えてくれた。
「ラピスラズリですよ」
茅子には、それが自分を呼んでいるように見えた。
「よくお似合いです。この石とお客様、とても相性がいいようですね。」
お店のお姉さんというのは、どこでも、たいていお世辞を言うものだが。いまの茅子には本当のようにきこえた。
実際それを身につけているだけで、疲れが軽くなったように感じたからだ。
「決めた。これ、下さい。」
家に帰って、イヤリングの箱を電気に透かしてながめていると。 底のすき間から、はらり、とメモが落ちた。
(何かしら。お店の人はなにも言わなかったけど……?)
『邪悪なものから身を守れ。幸運の鳥が、あなたをみちびく。』
茅子が、なんとなく声をだして読んでみると。
閉めていたはずの窓が開き、とつぜん耳元に風を感じた。そして、イヤリングが輝きだした。
まぶしくても不思議と目を痛めない、やさしい光が、茅子のまわりを霧のように包む。
イヤリングの中から、なにか白いものが飛び出した。それは、霧に混じって茅子のまわりを何周もめぐった。
鏡ごしに、人の頭のようなものがチラッと見えた。 茅子は背中にぬくもりを感じて、振り返った。 柔らかな声がささやく。
「お呼びですか?」
そこには、見知らぬ男が立っていた。 しかも、ふわりと自分を抱きしめて。 肩から先には、人間の腕はなく、白い翼が生えている。
「あ、あなたはだれ?」
「ぼくはハッピー・バード。あなたを幸運へ導く者です。」
「やっぱり……こ、このイヤリングからでてきたの?」
「そうですよ。ラピスラズリがぼくの仮の宿。」
信じがたい話だけれど、あまりに非日常なことが目の前で起ってしまうとただ受け入れるしかない。 ほっぺをつねるまでもなく。
「でも、良かったなァ。こんなに早くご主人に出会えるなんて。やっぱりぼくはついてるなぁ!」
またギュッと抱き締める。あいさつがわりなのだろうか。 なんせ日本人の茅子には、ハグする習慣なんかない。たちまち顔が赤くなってしまう。
「と、とりあえず、はなしてくれる?ほら、あついしね。」
なにか不思議そうに、少し寂しそう彼は離れる。
「そ、それに!ご主人さまと呼ばれるのは、なんか、その。恥ずかしいから……茅子(かやこ)でいいわよ。」
「あなたの名前は、カヤ…コ…?」
「ええ。それが私の名前よ。」
「では、あなたは『濃紺の石』カヤナイトなのですね!」
「は…………?」
「あなたの名前にある茅(カヤ)とは、『濃紺(カヤノス)』という意味があります。 その色を持つ石『カヤナイト』は、古来より九月の誕生石であるサファイアと同類の石とされてきました。そして、僕の仮宿であるラピスラズリは、そのサファイアを守るために存在している守護石なんですよ。」
「は………ぁ。」
「つまりあなたは、サファイアと同じ輝き、同じ力を持つ者で、ぼくはあなたを守る者、ということです。 今、誕生石サファイアの席は空席なんです。心配しないで。ぼくが、あなたをもっと強く輝く、美しいサファイアにしてあげますからねっ。」
「そ、それはどうもっ…ありがとう…だから腕、はなして…ね(けっこう苦しい…)」
「うわ!?す、すみません。つい力が入ってしまって…」
ピンポ―ン。
そこへ、まるで漫画のようなタイミングで、玄関のチャイムが……。
「こんにちはー、か~やちゃん。」
「さ、沢木部長…?」
「カギ、開いてたんで、勝手に入らせてもらったよ、かやちゃん。」
「あ、不用心でどうもすみません。」
この人は、けっこうな2枚目の先輩なのだが、妙になれなれしくて気持ちが悪い。何より、この仕事&プライベートでの名前の呼び方の違いに、ギャップがあって、正直怖い存在なのだ。
「あれ、忘れたの?今日は夕方から僕らとVIPのライブを見に行く約束でしょ?迎えに来たんだけど?」
「はい?私はたしか、経理課のヒカルさんと約束したはずなんですけど…」
ヒカルさんは、長い髪が美しい、全社員の憧れの女性だ。2、3日前から、急に接近してきた人物で、確かに彼女から今夜はライブに誘われていた。 でもまさか、沢木部長も一緒だとは思わなかった。
ハッピー・バードが、耳元でささやく。
「あの人はだれ?」
「会社の先輩の沢木部長…くっつかないで、見られたら恥ずかしいわ。」
「大丈夫。他人には見えていません。それより、今夜出かけるのはかまいませんが、ぼくを連れて行って下さいよ。いいですね?」
「え?……あ、うん。」
さっきから勝手に座っていた沢木が、不思議な顔をして言う。
「かやちゃん?さっきから誰と話してるの?僕は先に車に行ってるよ?」
「あ、はい!すみません、すぐに支度します!」
シュルシュルと、羽根もつ彼は、石におさまりながら言う。
「ぼくはここに居ます。何かあれば呼んで。」
「あの、名前は?なんて呼べば……」
「お好きなように。」
「え、じゃあ…。ラピスって呼ぶわ。」 「わかりました。僕のカヤナイト。」
どこか嬉しそうな声がした。彼?もなんだかとても距離の近いが、不思議と嫌な感じはない。一気に色々言われても、半分も理解出来なかったのだが。
2,変貌する彼と彼
人気バンドVIPのライブは順調に進み、そして終わった。 帰りの車内にて。茅子は、後部座席にヒカルと二人で座っていた。 ヒカルが、サラサラの髪をかき分けながら、話す。
「最高だったね!」
「はい、すごく楽しかったです。」
「かやちゃん、敬語はやめてったら。今はプライベートなんだから、いいのよ。」
「でも…。」
「はい、どうぞ!おつかれさん。」
運転席から、沢木が缶ジュースを投げてきた。 茅子は反射的に受け取った。
「あ、ありがとうございます。」
だが何故かそのとき、缶ジュースはひとつしかなかった。 茅子は遠慮して、ヒカルに差し出す。彼女はヒラヒラと手をふり、缶を押しやる。
「いいの、私はノドかわいてないから。どうぞ飲んで。」
「そうですか?どうも、すみません……。」 「いえいえ」
ごくごくごく……。
缶ジュースを飲んで、しばらくすると、茅子は急にめまいがした。
目の前が急に暗くなり、意識が少しずつ、闇の中へ吸い込まれていく。 身体がズンと重くなり、知らないうちにヒカルのひざへ倒れた。
薄れていく意識のどこかで、茅子は沢木とヒカルが話しているのが聞こえた。
「かやちゃんは、どうしてる?」
「フフ……すっかり眠り姫よ」
「そうか。サンキュー、ヒカル。 俺は前から彼女、目をつけていたんだ」
「私こそ、ありがとう。あのライブ行きたかったからね。これくらいお安い御用よ」
車が、どこかに留まる。ヒカルは茅子を残して、降りたらしい。
「クスクス…じゃあ私は帰るわ。あとはどうぞ、お2人で楽しんで。」
「おっと、そうはいかないんだよ…」
沢木が、冷たく笑う。その手で、きつくヒカルの腕をつかんでいた。気が付くと、彼の背後には、後ろの植え込みから出てきた柄の悪い男たちが3人。
「は?これはどういうこ…と……」
ヒカルはみぞおちを打たれ、気絶した。
「高かったんだぜ~?あの限定ライブのチケット。あれくらいの手伝いで礼をしたつもりか?笑わせるなよ」
沢木は男たちに命令して、茅子とヒカルを、近くの宿に運ばせた。
「せっかくだし、2人とも楽しませてもらうぜ」
(…カヤナイト……)
夢のなかで声がして。
茅子はいつの間にか、広い草原にいた。
彼方から、白い羽根の混じった風が吹いてくる。 あのハッピーバードの声が、優しく呼んでいる。
(ここにいてはいけないよ、カヤナイト…はやく現実に戻って、僕の名前を呼んで………。)
あたたかな羽根に包まれながら、茅子は彼の名を呼んだ。
「…ラピス……ラピス……ラピス……」
夢うつつのまま、目覚めた現実で。茅子が、彼の名前をつぶやいた。耳元のイヤリングがぼうっと光りを放つ。
キラキラとする粉のようなものと一緒に、イヤリングの中にいた彼ラピスが、勢いよく現れた。
「さあて……死にたい奴はだれなんだ…?」
現れた羽根もつ彼、石の精霊ラピスの顔には、茅子に微笑むときの穏やかさはない。 瞳は冷たい黄金色に変わり、明らかに殺意を持つ、あざけるような冷たい笑みを浮かべていた。
突然現れた客に、茅子たちを脱がしかけていた沢木たちは動揺し、手をとめた。
「オレの大事な主人に、よくも触れたな。」
振り返った沢木の右の目に、鋼鉄のような硬い羽根が突き刺さった。 同時に右手にも。一瞬であたりが血で染まる。
沢木は、ギャッと短く悲鳴をあげた。羽根持つ男は笑っている。
「せっかくの美男子が、だいなしだな。片目を残してやったんだ、あとでそのザマを自分でよく見るがいい。」
「は、はやくあいつを片付けろ!」
沢木の声で我にかえった男達が、一斉に襲いかかる。
ラピスは、ふわりと飛び上がると、一人の頭上に降りて地面まで叩き落して踏み付ける。 同時に、後ろからきたナイフを持つ男をかわし、みぞおちに強烈なひざ蹴りを食らわせた。その脚を降ろさず反動で回転し、両側にいた二人に蹴りを放つ。
その男たちが、崩れ落ちる間に、両腕から飛ばした鋼鉄の羽根で、四人が頭や胸や体の急所を貫かれ、果てていた。
その一瞬の間で、八人が倒れたことになる。そして、あたりは血の海だ。男達はピストルを出す暇もなかった。
沢木をかばっていた男は、悲鳴をあげて震えあがり、錯乱して散り逃げた。
ラピスは飛び、逃げ遅れた男に上段蹴りを打って倒すと、顔のひきつる沢木へと近付いた。
「さあ、お前はどうしたいんだ?死にたいなら、一瞬だ」
「ひいいっ!」
沢木は、逃げようとしたが、腰が抜けていた。 ひきずる足は、腱を羽根が貫いていて、どうせ立てなかった。
血まみれの手で右目を覆い、赤く染まった足を動かすが、床が血液で濡れ、すべるばかりだ。
「ははは、お前を見ていると愉快だ。決めた、そのままにしといてやろう。おまえは一生、笑い者になるがいいさ。それが罰だ。」
沢木が死にそうな声をだした。
「おまえ、かやちゃんと…どんな…関係…」
ラピスの金色の瞳が、怒りを帯びて光る。
「だまれ、2度と彼女に近づくな。」
そういうと、ラピスは沢木の首にかかと落としを打った。彼は無言で泡を吹いて崩れ落ちた。
第2章 内なる輝き
初夏。緑がまぶしい。さわさわと。緑の薫る風が通り過ぎる。
あの事件から、茅子は少し気分が落ち込んでいた。
あの時のヒカルは、会社には来ているようだが、顔をみない。沢木部長は、片目を失明したらしい。あの後、茅子の家に来ることもない。最近社内で見なくなったと思ったら、アジアの支店へ転勤したそうだ。
それよりもラピスのことだ。 彼は、自分を助けるために、たくさんの人間を殺めたのかもしれない。とても、楽しそうな声色で。彼が人間でないと知っているぶん、少し恐くなった。
もしかしたら、人間を殺すのに何の感情もないのかもしれない。
あれからしばらく、茅子はラピスを呼び出さなかった。 時々、夢に彼は現れた。
何も言わずに、切なそうに茅子を見ていた。 ただイヤリングは、何故か手放せず、いつもつけていた。彼は、自分から自由に出てこれないらしい。
今、茅子のいる公園の木々は、下から見上げると、枝の間から日光がさして、葉っぱたちが明るいグリーンに輝いていた。
ふわり、ひらひらと。
そのうちの一枚が、茅子のひざの上へ静かに着地した。
それは輝いた黄緑色のまま、見るまに形を変えて。 小さな少女の姿に変化した。
「はじめまして、私のカヤナイト。」
お人形のような少女は、静かに口を開いた。
「私はペリドット。内なる輝きをあらわす石の精です。」
「内なる…輝き……?」
「はい。いまのあなたに必要なものです。」 「今の…私に…どうして?」
茅子は、そっと聞いてみた。小さな黄緑色の瞳をまっすぐに向けて、手のひらの少女は答える。
「あなたの心は、いま、たくさんの事が渦巻いてごちゃまぜです。それが、あなたの心の輝きを鈍らせています。おそらく、まだ恐怖が消えていないのでしょう。でもラピスに、本当は会いたいのでしょう?」
「それはまぁ…」
ニッコリと、黄緑色の瞳の彼女は笑いかける。
「……安心して下さい。ラピスお兄様は、絶対にあなたを傷つけたりはしません。もちろん、お兄様はあなたを守るためなら、どんなに恐ろしい事もするでしょう。でも、あなたにその刃を向けたりは絶対にしません。たとえ、あなたが望んだとしても、ね。」
「うん…なんとなく……それはわかる……けどね」
「直感を信じて、カヤナイト。あなたの善き心が決める方向へ進むのです。」
「うん、ありがとう、ペリドット……」 「ラピスお兄様は、仲間うちでも信頼できると評判です。あなたの思うような心配は、全く要りません。」
「ありがとう。ペリドットちゃん。……長いから、ペリちゃんでいい?」
「うふふ、どういたしまして。呼び名ですか? カヤナイトが決めたなら、そう呼んでくださいな」
小さな少女はふっと笑った。透けるような金色の巻き髪が、初夏の風にフワフワと揺れて。
……その風が心地よくて、茅子はしばらく目を閉じた。 再び目をあけた時には、手のひらにいた子猫のような石の精霊ペリドットは、もう跡形もなく消えていた。
2.心をひらいて
公園をでた頃には夕方になっていた。軽く買い物をして家に帰ると、もう夜だ。 茅子は思い切って、ラピスを呼ぶことにした。 ソファに座り、大事にしまっておいたあのメモを取り出すと、一気につぶやく。
「邪悪なものから身を守れ。幸運の鳥が、あなたを導く。」
薄暗かった部屋に、懐かしい青い光が満ちて。 目の前にイヤリングから、ラピスが現れた。
その羽根の腕が、ふわりと茅子を包む。 「……お呼びになりましたか。僕の大切なカヤナイト。」
「………えっと、うん、まぁ、その……はい。」 「僕のことが、恐ろしくないんですね?」
「……うん。正直言うと少し、怖かったの。 でもね、あなたの仲間に出会って気持ちが変わったのよ。 あなたに会って、ちゃんと話をしたいって気持ちを、思い出したの。」
「そうですか。誰か新しい石の精霊に出会ったんですね。あなたの周りに、そんな気配がしていました。 少し心配していたのですが…無事で良かった。」
ラピスは、軽く飛び、茅子のそばへ寄ると、その優しい羽根で、さらに強く抱き締める。
「……僕はあなたに呼び出されるのを待っていました。とてもとても、会いたいと思っていましたよ。」
「…………ラピス。怖がったりしてごめんなさい。それから命を助けてくれて、ありがとう。」
「謝らなくてもいいんです。貴女は僕の主人なんですから。僕のほうこそ、感謝しています。」
「どうして………?」
「貴女はまた、呼び出してくれたでしょう? 僕らのなかには、呼び出してもらえない仲間もいますから。 主人を救えぬままに、ただ一生を見守るしかない者もいます。 僕は…もしそうなっていたら…それこそ、気が狂っていたでしょうね。だから、今は幸せです。またあなたに会えて。」
第3章 出張先で
1、社長の一声
「茅ちゃん!私の代わりに、マレーシアに行ってきて!」
この社長の一声で、茅子の出張は決まった。
茅子の会社は、宝石の原石を取り扱っている小卸し店だ。社長は、この若くて敏腕な女性が取り仕切っている。彼女は何故か、茅子が大のお気に入りだ。
「ええっ、そんな社長、私に買い付けはまだ無理ですよ…」
「大丈夫よ!あなた良い石を見る目があるもの。なんか、こう石と会話できるみたいな?感じだし」
「(そりゃ、石の精霊と暮らしてますから)でも、言葉もわからないし…」
「もう現地にうちの社員と通訳を待たせてあるの。ホテルもとってあるわ。お金の交渉は彼にさせるから、あなたはいい石を選ぶだけでいいの」
「は、はい。わかりました……(大丈夫かな)」
「ごめんね~、私は同じ日に、急にオーストラリアへ飛ばなきゃいけなくて。すごく良質で大きなオパールがでたみたいでね。じゃ、お願いね~」
「は、はい……」
「私、あなたの見る目を信じてるからね」 女社長の勢いに押され、つい返事をしてしまった。 その日は早退させてもらい、急いで支度して、夜にはもう飛行機で現地へ飛んだ。
2、飛行機の中で
「カヤナイト、今地面を離れてますか?」 耳元のイヤリングから、羽根持つ彼の声が、茅子に呼びかける。
「ええ、飛行機で空の上だからね。これから外国へ行くのよ」
「なにか不安な感じがします。カヤナイト、気をつけて。なにかあったらすぐ呼んで下さいね」
「はいはい、わかったわ、いつもありがとう」
イヤリングのなかにいる時や、人前では、彼には声を出さなくても伝わるようだ。
3、ホテルにて
マレーシアに着いたのは夜だった。女社長の予約してくれたホテルの部屋で一晩泊まった。
次の朝、早々にロビーへ呼び出しがかかった。ラピスの予感が的中していた。
「やあ、かやちゃん。久し振りだね」 「さ、沢木さん…」
現地で待つ社員とは、ラピスに片目を奪われた、あの沢木部長だったのだ。茅子には、彼の眼帯が痛々しく映った。
彼の横には、背の高い、スレンダーな女性がいた。紅い髪が腰まで伸びている。沢木は、冷たい笑みを浮かべながら、極めて事務的に紹介した。
「彼女は秘書兼通訳のアレクシアだよ。なんでも言ってくれたまえ」
「アレクシア・ライトと申します。アレクとでもお呼び下さい。どうぞよろしく。茅子さんですね」
「は、はいどうぞ…よろしくお願いします」
紅く輝く髪に見とれていた茅子は、言われるままに握手をし、彼女の顔を見て、さらに驚いた。 彼女の目だ。右は髪と同じ紅だが、左は蛍光ペンのような黄緑色をしていた。
「ふふ、綺麗なイヤリングをお持ちですね…」
「ど、どうも……」
頭の奥がキーンと鳴った。
(カヤナイト…危険を感じます……彼女は……)
沢木は、今までのことは何もなかったように、平然と話をした。
「さすがかやちゃん、僕より後輩なのに、社長の代わりに選ばれるなんてね。それも、誰かさんのおかげかな? ……ふん、まぁ、いいさ。今回僕たちはパートナーなんだ、お互い協力していい仕事をしようじゃないか」
「は、はい……」
「マーケットは午後からだ。私とアレクが同行する。それまでゆっくりと疲れを取りたまえ」
「…わかりました」
部屋に戻ると、茅子はなんとなくイヤリングを触ってみた。
(カヤナイト、あの女から石の精霊の気を感じます、本当に気をつけて)
「そうね。でも、仕事にも集中しないと……」
(僕の名前を呼ぶひまがなさそうですね。でしたら今、呼び出して下さい。)
「え、うん、そうね…」
茅子は短く呼び出しの言葉を唱えた。羽根持つ彼が現れて、そっと抱き締める。
「見えない姿で、ついて行きますね。 出発まで、まだ時間があるのでしょう? お守りしてますから、ごゆっくりお休み下さい」 「ありがとう……」
一夜明けて。
原石のマーケットは午後からなので、茅子は朝の海岸を歩いた。
見た目には一人だが、側にラピスがついていると思えば心強い。
寄せては返す波を見ながら歩くと、急に海風が強く吹いた。髪を押さえて前を見ると。
目の前に、海に向って立つ、女がいた。 あの秘書と同じような背丈だが、印象が少し違う。髪の色は紺で、瞳も左目は紺、右目が黄緑色だった。
そして、とても悲しそうな表情でこちらを見ていた。海風に乗って声がした。
「ごめん…なさい…」
「え、私…ですか?なにが…」
茅子は聞いてみた。
ラピスが姿を現して、羽根で包み警戒する。
「もうじきあなたの大事な人が…なくなるわ…私は……私を…止められない……ごめんなさい…」
「なくなるって、言われても…謝られても困るわ。何の事だかわからないんだけど」
「私を…止めて…カヤナイト……夜の紅い私から…解放して……」
そこまで言うと彼女は、砂浜地面から数cm浮かび上がり、見えない何かに引っ張られるようにして消えていった。
大風が収まると、海岸は何事もなかったように落ち着いていた。茅子は深呼吸をして、部屋に戻った。
午後から茅子は原石のマーケットへ行った。もちろん、ラピスが姿を消して後からついていく。見えるのは茅子と他の石の精霊、その主人のみだ。
マレーシアの暑い風が吹き抜けるなか、野外でのマーケットは、世界各国から色々な石が集まり、にぎわっていた。
茅子は沢木と秘書のアレクシアと共に、てきぱきと石を見て回った。
触れれば光が波のように現れる石や、なかに七色の結晶が入っている水晶、キラキラと太陽を反射して光る柱のように大きな原石など。 珍しい石がたくさん出ていた。
日本にいる社長のために、少しでも美しい原石を持って帰りたくて。 茅子は真剣に見極めて、買いつけたい石をいくつか決めた。
途中で、ホテルの従業員が慌てて走ってきて、秘書のアレクシアに、何かを伝えたようだった。彼女はこちらをチラッと見て、ニヤリとしながら、沢木に耳打ちをしていた。 しかし、たくさんの人間の声で茅子には聞こえなかった。
あっと言う間に夕方になり、夜になり。 ホテルの部屋に戻るまえに、沢木が言った。 「かやちゃん、おつかれさん。いやぁ、君の石を見る目には驚いたよ。あの社長が跡継ぎにした理由がよく分かったよ。」
「沢木部長もおつかれ様です。………跡継ぎになんて……私聞いてません。今回はお使いを頼まれただけですから…。」
「ははは、何言ってんの茅ちゃん。社長はね……もういないんだよ…今朝の社長が乗った飛行機がね…墜落したんでね。」
「え……ええっ!?どうして……社長は…?まさか……」
「死んだよ。残念だったね?ああ、だけど、本社のビルにも爆弾テロが入ってたみたいだから、今は君しか、跡継ぎがいないんだよ~?君にとっては大出世じゃないか!」
「はあ?!そんな!まさか!」
一度に驚くべき内容を聞かされ、茅子はただ震えて立つしかなかった。 沢木の後ろで、秘書のアレクシアの瞳が妖しく光った。ラピスが姿を現して茅子のまえに立つ。
「そんな……まさか……沢木部長、アレクシアさん、あなた達が……?」
「さあね?でも、君がいつまでも僕の物にならない事に苛立ってはいたかな?この目も失ったことだし? まあ僕には死体を抱く趣味はないんでね。正直、君のそういう顔を見ると愉快だなあ!」
「ひどい…そんな…」
「カヤナイト、ぼくがあなたを守ります。落ち着いて。後ろにいて、離れないでいて下さい。」
「ラピス………」
金色の瞳が怒りで光り始める。
「貴様、2度と彼女に近づくなと言ったのに……」
「ふ、出たね化け物が。はい?化け物と約束?したつもりはないなぁ。だがね、こちらも同じような物を見つけたんでね。今度は死ぬんだな。行け、アレク!」
紅い髪の秘書が叫んだ。スーツは破れ、髪の毛は逆立ち、恐ろしい姿の石の精霊、アレキサンドライト。それが彼女の正体だった。笑う沢木の前に立つ。
二つの石の精霊たちが、お互いのオーラをぶつけてにらみ合う。
「カヤナイト、僕の後ろにいて下さいね」
にこり、と茅子に微笑んだその顔で。
前に向き直ったラピスの瞳は、冷たく冴えた金色に光り、たちまち獣の表情をうかべた。
紅い髪を逆立て、本性をあらわしたアレキサンドライトは、笑いながら浮き上がる。
彼女が手をあげると、金属音がして、周囲の空気に色がつき、ドーム状に広がった。
「結界だと?これはまた、笑わせるものだ。お前が周囲に気を使うとは」
「ふふふ、主人の命なら、仕方のないこと。さて、おしゃべりはもうおよし。いくよ坊や!」
アレクが急降下しながら間合いをつめ、襲いかかる。鋭く長い爪が、ラピスの真下の空間を裂いた。
「ははっ、どこを狙ったんだ?人間の魂を食らって、中身が腐ったか?」
「うじゃうじゃと、やかましい坊やだね!今度は逃がさないよ!」
再びせまるアレクをかわし、ラピスは彼女のあごに、強烈なひざ蹴りをあびせる。
「しゃべるのは僕の勝手だろう。お前にはもう無理だがな!」
連続して、アレクの顔を蹴り込む。ギャウ、と叫び、彼女は一度引いた。
「ははは!自分の顔を鏡でみたらどうだ? めかしこんでいた顔がめちゃくちゃだ!」 「く、そ、、、ぉ!」
アレクは更に激昂し、その体は膨れ上がった。再度すばやく近づき、恐ろしい形相でラピスの足を掴もうとする。もちろん、その足に彼女の爪は届かない。
ラピスは宙返りをしてよけた。だが。
アレクの長い髪が、突如生き物のように動き、ラピスの足を捕らえた。そのまま、ズルズルと引き寄せようとする。
「足が無理なら坊やは小鳥かい?あん?」
引きずる髪は鋼のように硬く足首を締め付け、すぐに血がにじみ出した。もがけば、もがくほど絡まるらしい。 別の髪束が、ラピスの身体を容赦なく打ちすえた。あちこちの肉が、たちまち裂けた。
「くっ……」
「…めて、やめて!」
後ろにいた茅子が叫んだ。心の内側で、あの可愛らしいペリドットの声がした。
(自分を信じて、カヤナイト。あなたなら、彼を助けられる)
「でも、どうすれば?私どうしたら?」
(強い力を。あなたは持ってる。悪を断ち切る強い力を。彼を助けたいと強く念じて!)
茅子はぎゅっと手を組み、強く思った。 すると。 彼女の周りに煌めく青い気が立ち上り、包んだ。
ポケットに入れていた、青い原石のカケラが、胸の前に浮かびあがった。先日の市場で、試しに買ってみたカヤナイトの原石の割片。羽根持つ彼がいつも自分を呼ぶ名の石だ。
それが、目の前で平たい剣の形に変わった。 すっ、と茅子の手中に収まる。
もう、何をしたらいいのかは、本能が教えてくれた。
「ラピス!」
茅子は、紅髪のアレクに向って走り寄った。 ラピスの足を縛る髪束を、一刀の元に断ち切った。
その瞬間、海辺にいた青髪の女性の姿が、アレクの顔に重なった。悲しそうな、笑顔で。
ギャウゥゥアアア!! ふいの攻撃に、アレキサンドライトはよろめき崩れた。
「ありがとう!カヤナイト!」
態勢を立て直したラピスは、茅子を片羽で抱き、反対側の羽で浮き上がる。
そして、うめくアレキサンドライトに鋼鉄の羽矢を浴びせた。 ラピスは茅子を離れた場所へ降ろす。
「あなたの気持ち、少しお借りしますよ」
カヤナイトの剣は、ラピスの声に応じて、自ら意志があるように、すっと茅子の手を離れた。剣のまとう青い気が、ラピスの羽に触れると、肩の付け根から腕が生え、その手に青い剣が収まった。
そのまま振り向くと、一直線にアレクに急降下し、頭から一気に振り下ろす。
断末魔の悲鳴とともに呆気なく、紅い魔物は塵と化した。 消えてゆく結界の霧のなかに、青い髪の女性の影が見えた。
(これで、よかった…ありがとう……)
朝露のような、儚い 笑顔で。彼女は消えた。
(くそ、やってくれるね、かやちゃん。だけど、僕ぁあきらめないよ。次はかならず………) 後に残った場所に、沢木の姿はもうなかった。
第4章 偶然の出会い
1.悲しみのあとに
宝石会社の美人女社長が、死んだ。
この出来事は、他多数の犠牲者と共に、飛行機事故として新聞の一面に書かれていた。 帰りの飛行機のなかで、茅子はその新聞をギュッとにぎりしめて下を向いていた。
本当は、事故などではない。沢木部長が、契約した石の精霊を使って、墜落させたのだ。
「私を…止めて……」
泣き嘆く朝の青いアレキサンドライトが、空に浮かぶおもちゃの様に小さな機体に、手を下した光景が目に浮かぶ。火を吹きながら高度を下げる機体を茅子は、ただ見ているしかなかった。
女社長は、なにかにつけて、茅子に目をかけてくれていた。快活で男勝りで、優しい姉のような存在だった。今回の仕事の成果を、いち早く見せ、恩返しがしたかった。
あれを起こしたのは、自分のせいなのか。自分が、さっさと沢木部長の妻にでも何にでも、なればよかったのだろうか。沢木部長のことを考えると、悔しくて腹が立つ。
ラピスが片目を奪ったための恨みもあるだろうが。元はと言えば彼が悪いのだ。
でも、今回は完全に、茅子への嫌がらせだ。ああまでして、自分の何がほしいというのだろうか。自分と同じく、社長には、恩義があったはずなのに。重要な役を任せるということは、社長もそれだけ沢木を信用していたにちがいない。
そんな人と、その他大勢の無関係な人間の命を。平気で奪ってしまうなど、正気の沙汰ではない。
そんな沢木部長にわが身を預けることは、当然だができない。はじめから、直感が彼を拒んでいた。欲しいものを手にいれた後は、きっと簡単に切り捨ててしまうのだ。彼は、すでに十分、狂ってしまっている。
沢木部長を始末することが、もはや自分の責任であるようにさえ、思える。
(始末?始末…する…?それは、つまり…殺…) そこまで考えた時。
ぽんぽん、と後ろから背中を叩かれた。
「~÷@☆★*∞∴」
褐色の肌をした美人が、外国語で、なにやらと話かけてきた。後ろには連れが一人。 そして、手に持っているペンダントを、しきりに指さす。
(天然石みたい?……さわれ、といってるのかな?)
茅子は、おそるおそる、指先で、なめらかな水色の石をチョンとつついた。
「ブラボー!おじょうちゃん。これであなたと話せるわ」
「な………日本語?話せるんですか?」
「まぁ、似たようなものね。と、こ、ろ、で……なんだけど」
バサ……っと。 その女性は茅子に抱きついた。
「お互い、怒りで魂を汚すのはやめましょ。あなたの輝きが鈍るのを見たくない。 あなたと同じ経験を、私もしたの」
「え、今なんて…」
彼女は素早く耳元で、ささやく。
「わたし…母を亡くしたのよ。あの事故でね」
その後、ぱっと茅子を離す。
「いまの話は、しばらく秘密にしといてね」
「は、はい………」
後ろに続く彼女の連れが少し口をひらいた。
「ラクス……名乗りもしないで失礼だぞ…ほら、驚かせているぞ。あまりはしたない真似はよせ」
「おっとっと。私としたことが、ぬかったわ。それもそうね……」
二人の話ぶりは、なぜだか意味はわかるのだが、その発音は、完全に異国の会話だ。 なのに、茅子と話をする時には、流暢な日本語のように聞こえる。
こんな感覚は、初めてではない気がした。 (もしかして、これは石の…精霊の力?)
「ええ、そうよ」
何も言っていないのに、褐色の肌美人は、茅子の胸中をあててしまう。長く艶めく、後ろでまとめた紫紺の髪を、かきあげる。
「私たち一族は、代々、石の精霊と生きてきた〈石の民〉なの。 だから、あんたと同じような事は、大概わかるし、できるのよ。」
「へぇ………」
「あ、自己紹介が遅れたわね。私はラクス。ラクシス………」
「ちょおっと、待て」
後ろの付き人が、二人の間を割ってくる。スラリと長身の、男性のような服装だが、顔立ちを見ると、女性のようだ。
「私の名は、カヨウ・ゼルナダ・ミルラインだ。 すまないが、彼女のことはラクスとだけ、呼んでくれないか。訳あって、今は身分を明かすことはできない故にな」 「は?はぁ……」
身分?いまどき?と思ったが、茅子は深く考えず、ただ軽く返事をかえした。
「あら、私はべつにかまわないのに。そんなことしたら、余計あやしい人みたいにみえるわよ、カヨウ」
「ラ~ク~ス……国の皆の忠告を聴いていたのか。約束は、守れ」
「はいはーい。ごめんなさいね。まぁ、そういうわけで、私のことはラクスちゃん、でいいわよ。あなたは?」
「は、あ、私は、石上茅子、というの。よ、よろしく……」
おずおずと手をさしのべる。が、ラクスはにこにこしたまま。
「あの…握手を……」
「なに?あ、手をつなぐの?面白い挨拶ね」ラクスは茅子の華奢な手を、むんずとつかんで、ぶんぶんと振った。握手という文化を知らなかったらしい。おかげで、手がちょっと痛い。
いきなりの濃い挨拶に少々戸惑いつつも、面白い二人に、茅子は少し興味を持った。 「どうして日本に?」
「夫になる人を探しに来たの。この石とペアになる石を、かならず持ってるはずだから」
「へぇ…。きれいな石ね。周りの装飾も素晴らしいわ。この石は…ラリマーかしら」 「さすがね!正解よ。私たちはラリメル、と呼ぶけど。優しい精霊よ。ま、あんたのイケ面くんの精霊も、なかなかいい線だけどね」
「そ、そうですか…ど、どうもありがとう」
ラピスの姿まで、彼女達にはわかるらしい。彼は今、石のなかにいるというのに。 ラピスのことを誉められるとは思わなかった。不意打ちで、茅子は顔がすこし火照るのを感じた。
「お客さま、危のうございますので席へ…」 添乗員が、立っているラクス達のほうへ来た。
「下がりなさい、マール。私たちよ。」
「し、失礼しました」
注意にきた添乗員を、下がらせてしまうなんて…。いったい、どこのお嬢様なんだろう。
「あ、気にしないで。あれはちょっと知り合いなの。 ほら、あんたも、私たちもこの飛行機がもし落ちても、守りがいるから、大丈夫でしょ?シートベルト、苦しければ外しなさいな」
「ま、まぁ(ラピスがいるから)そうだけど……」
「し~、ラクス!それ以上しゃべるな」 「あーもう、わかったわよ。もうすぐ日本に着くわね。じゃ、茅ちゃん。せっかく親しくなれたんだし、落ち着いたら、私あんたに手紙を書くわ。」
「そ、そう?じゃあ…これを……」
あわてて茅子は、カバンから名刺を取りだし、渡した。
「サンキュー、かわいい茅ちゃん!また会いましょうね」
「あ、ありがと……またいつか、ご縁があったら、お会いしましょうね」
(かわいい、で、茅ちゃんなんだ……ははは。ま、いいんだけど。にぎやかな人たちだったな………)
そうこうしている間に、飛行機は日本へ着いた。 降りた時、いつもより黒い服の人が多かったのは気のせいだろうか。
茅子は、疲れていたので、あまり気にしなかった。 ラクスたちは、先に出て、その人込みへ包まれ、消えてしまった。 茅子も、続いてタラップを降りた。
2.大抜擢
帰国してから後が大変だった。一息ついたのも束の間、茅子はすぐに会社へ向った。 女社長が亡くなり、柱をなくした茅子の会社は、指示が混乱し、危うい状況になっていたのだ。
とにかく、仕入れた品物をどうするかなど、女社長のやるべきだった仕事を、各担当がこなしていたらしい。
女社長の普段の言葉からも、次の社長は、茅子だと皆は認めていたらしい。
「石上さ~ん!お疲れさまっす~~~!」 「あ、浜野くん。大変だったわね、うん、ただいま」
浜野は会社の後輩だ。人懐っこいが、頭は切れる明るい人物だ。
「もう、社内はパニック寸前でやばかったんすよ。でも、石上さん帰るまではと、俺たちがんばってたっす」
「そう……心配かけたわね。それで状況は」 「いや、今は、なんとかなってる感じっす。 とりあえず、休んでもらって大丈夫っすよ。 その…石上さんだけでも…無事でよかったっすホント」
「社長も……私と同じ便で行けばよかった……のにね」
行きの飛行機を別にした、女社長のことを考えると、惜しまれて、悔やまれて涙がでる。
「石上さんが自分せめる事ないっす。こればっかりは……仕方なかったんすよ」
浜野は気を遣い、背をなでた。そこへ、別の社員が走ってきたので、慌てて手をはなす。
「かかかか、茅ちゃんせんぱーい!おかえりなさいですぅ、そして、大変ですぅ~~!」
眼鏡っ娘のかわいい後輩、寺崎だ。一枚の上等な紙質の封筒を、ヒラヒラさせている。
「こーぶん…はぁはぁ、こーぶんしょが…」 「愛ちゃん、どうしたの?落ち着いて、落ち着いて。ゆっくり話してちょうだい」 「は、はい…(す~、は~)イスキア公国からの、公文書が届いたんです!」
イスキア公国?一瞬頭が真っ白になった。 3秒後、世界地図の大陸の、真ん中当たりの小さな国を思い出す。
たしか、勇敢な騎馬民族がルーツの。 雄大な山々の下で、男たちが馬で駈けまわり、また、さざ波の揺れる海辺で、褐色の肌をした乙女たちが、カラフルな衣装で踊る…。 そんなイメージのある国だ。
「石上茅子宛て、なんですよ先輩っ、はやく、はやくなかを開けてくださいよぉ」 「ちょ、ちょっと待ってね………」
褐色の肌の……あたりで、なんとなくヒヤっとしながら、茅子は震える手をおさえ、封筒をあけてみた。
「我が国は今、国母であるエルファス・マリオン女王が逝去され、悲しみのなかにある。この度、その悲しみの空位を埋めるべく、愛娘のラクシス・マリオン第1皇女が、即位、成婚される事になった。
ついては、一ヵ月後の成婚式に、ラクシス女王と夫が頭に戴くティアラの装飾を、日本のルチル・ジュエリーの代表・石上茅子氏に、我が国として正式に依頼するものである。
また、我が国の女王は代々ご自分の守り石が決まっている。ラクシス皇女の御石はラリマー、夫の御石はターコイズである。
デザインの際には、それらを中心にすることを希望する。なお、これは全くの異例であるが、友愛を重んじる皇女の、たっての御希望により実現した。
皇女は、両国から多数の被害者を出した、この度の飛行機事故に、大変胸を痛めておられる。お忍びでの視察の際に、同じ悲しみを持つ石上茅子氏に共感され、その心ある応対に、つよく感銘を受けられたものである。
本状において、石上茅子氏に感謝の意を伝え、その仕事におおいに期待する。
なお、代金は我が国の総意として、惜しまないものとする。そちらの希望額でお支払いする。」
だいたいこのような内容であった。
「ラクシス…マリオン第1皇女!? 」
ラクシス…ラクシ……ラクス。機内で会った褐色の肌に紫紺の髪の美人。 彼女にまちがいない。 まさか、一国の姫君だったとは。 時間差で送られてきたプライベートのビデオレターを見て、さらに確信した。
「ハーイ?私のかわいい茅ちゃん!ラクスちゃんでーす☆おかたい手紙でごめんなさいね。私、公文書でしか手紙書けない身なの。 そうそう、彼がみつかったのよ!成婚式に、あなたを招くわ。イケ面くんと一緒に来てね。それでは、ティアラの出来上がりを楽しみにしてるわね。ばいばーい!」
ウィンクを残して、ぷつりと、映像が終了。
「茅ちゃん先輩、こ、こんなお姫さまと、どどど、どこで知りあったんですか?」 「どえらい仕事っすよこれは!しかも……納期まで、あと一ヵ月しかないっ!」
つぶれかけた会社には、かなり嬉しいが。 王女様の戴くティアラの、デザイン~装飾など、これまで受注したことがない。
まずは、茅子が全身全霊で、石を選び。
それから、あらゆる方面の職人たちを総出させ、全力の技術とスピードをもって作ったとして。 はたして一ヵ月で、間に合うのだろうか…。
「細工もあるから、大変だけど二週間で、お願いね。……それで、ベースになる銀細工のことなんだけど……。愛ちゃん、悪いけど、アレで、またお願いできるかしら?」
細工に関しては、以前、女社長の知り合いで、天才的な銀細工の腕を持つ細工師と出会った経緯があった。
25歳にして、世界的なブランドを確立しているカリスマ細工師なのだが。気に入った人物にしか腕を振るわない……ちょっとアレな人物なのである。
「いいですよ~あの、エロ頑固な細工師ですね。私だって…、茅ちゃん先輩のためなら、この身を捧げちゃう覚悟まで、できてるんですから~」
「いや、そ、そこまでしなくても……。でも今はあなたにしか頼めない事ね、お願いします。」
「じゃ、コスプレ代金は経費で落としときますね☆」
「え、あ、はい…許可します。これで、用意するべきことは揃いました。あとは各自の行動にかかってます。 石の用意に二週間。細工に二週間。ほんと、ぎりぎりなんだけど。みんな、よろしくね。 これはきっと、私たちの一世一代の大仕事になるわよ、がんばりましょう!」
「「「はい!」」」
それぞれが、決意を持った眼差しで、スクラムを組んだ。
3、愛の受難?
茅子や、浜野が、ラクス新女王のティアラに飾る石を血眼で探す中。
「い、いくわよ…」 銀髪に、黒のヘッドドレス、スミレ色のカラコン。黒地にガーネットのチョーカー…。
全身をゴシックロリータで決めた、寺崎愛は、古めかしい建物の前で一人、気合いを入れていた。
先輩方はみんな頑張っている。私だって、ここからが本番だ。 銀細工師、叶.セダル.英次氏の邸宅前である。
ここは広い洋館で、彼は住居兼工房として使用している。 館から一歩も出ないのが有名で、注文する時は、かならず出向かなければならない。しかも、彼は自分を、17世紀だか何だかの銀細工職人の生まれ変わりだと思っているらしい。 会うには、こうした格好を指定してくる。館内でも、彼の流儀に反する、客には作品を作らない。
一流の芸術家にはよくある変人タイプだが……。 カランコロン……。 ドアベルを鳴らし。
(今から私は名家のお嬢様で、彼の妹だ×10……)
と念じているあたりで、執事が出てきた。
「いらっしゃいませ、ルチル様。お待ちしておりました。お荷物はこちらへ。どうぞ…」
動物の頭が飾ってある長い廊下。英国調の、たくさんの部屋を抜けて。執事が止まる。
「ここからは主人の部屋になります。」
「ありがとう…。」
「ごきげんよう…セダル様………」
「やあ!よくきたね、マイスウィート!水くさいのはよしてくれ、ルチル。お兄様と呼んでおくれ。君と僕は、前世で生き別れた兄妹なのだから。さあ、中へお入り」 「(知らねーよ)は、はい、お兄様……」 「外は暑かっただろう、涼しい服にお着替えなさい。君のクローゼット、君の部屋を用意したんだよ」
「(気持ち悪いわ、あんたストーカー?)ありがとうございます、お兄様……」
でた、と愛は思った。彼の流儀の一つ、お着替えだ。とにかく何かと着替えさせる。
フリフリのピンクで統一された部屋のクローゼットには、ロリータ系の服が、ぎっしり。ディナー用の薄いピンクと白レースのワンピースに、白のオーバーニー、赤い絹リボンの室内靴を履いて、夕食へ。
仕事の話を切り出すなら、今しかない。
「お兄様、お話が…」
「やはりそのワンピース、よく似合ってるね。うんうん、わかっているよ、君の望みなら。三日前から両手がうずうずしていたところだ」
「新しいティアラがほしいの。お友達へのプレゼントに」
ディナーの食べ方も、彼の流儀に従う。
ごく自然に。最初は、野菜料理を品良くたべる。上目遣いを忘れずに。
「ほう、そのお友達とは?」
「イスキア皇女のラクシス・マリオンちゃんよ。次期女王なの。これが彼女の写真。」
執事に写真をわたす。彼はじっくりと見る。
「ほう、かわいいお姫様だね。僕も腕がなるよ。それで、石は決まっているのかい?期日は?」
ワインを飲みながら、写真を返し。その後の彼は、寺崎愛をずっと、直視している。
「(食べづらいわ)そ、それが……」
一通りの事は話した。気分よく聞いているようだが、彼はいきなり気が変わるので要注意だ。
「そろそろ…肉料理はどうだい?」
自分はワインと果実しか口にしないくせに、彼は必ずすすめる。 愛にはわかっている。 肉料理は、わざと食べづらいフリをする。 次に、ナイフを落とし、懇願するような目付き。
「お、お兄様ぁ…」
「ああ、仕方がない子だね。誰も見ていないから、手でお食べ」
むしゃむしゃと。 骨つき肉はわざと食べ散らかす。お腹は減っているので、むしろ好都合だ。 そして派手に、ベトリとソースをこぼす。 立ってスカートを、下着ぎりぎりまで、つまみあげ。 涙目で、あやまる。
「えぅ…あ…、ごめんなさい、お兄様ぁ……わたし…」
彼はいよいよ気分が良くなってきたらしい。
「いいんだよ。大丈夫かい?さあ、夕食はおしまいだ。服を着替えてお休み……」
ここまでは何とか。 シナリオどおりだ。 今日は着替えが少ないくらいだ。 だが、次の着替えは…やはりキツい。 あれほどあったクローゼットの衣裳は、すべて片付けられ、ベッドの上にあるのは。 透け透けの、フリフリの、ネグリジェ。それ以外は、ピンクのパンツしかない。
(こ、これも茅ちゃん先輩のため……。和クン、ごめんねっ)
内心彼氏に謝りつつ。はだしで廊下を歩き、そそくさとセダル氏の部屋へ。
「お兄様…わたしねむれないの……」
この銀細工師は夜に仕事をする。美の神が降りてくるそうだ。 したがって、仕事着の彼は、目が輝き、すごいオーラを放っている。
「仕方がないね、僕のプチフール。そこのベッドで寝ていなさい。かわいい寝顔を、僕にみせておくれ」
「はい…おやすみなさい」
この近距離で、襲われたら逃げ出せない。 (ええい、いざとなったら、そのときよ!)
案外紳士なセダル氏の後ろで、寺崎愛は本気で眠りにつこうとしていた。
はじめはフリをしていたのだが。食事のワインが効いたのか、絹白の感触がなんとも心地よくなり。スヤスヤと…
そのうち本当に眠ってしまったらしい。
机で何やら黙々と腕を振るっていたセダル氏が、突然仕事を止め、荒い息遣いで近づいた。
「はあはあ。いつ見てもかわいらしいね、君は。はあははあ………いけないけれど、奪いたくなる、よ…」
細長くしなやかな指が、彼女の髪に触れる。白いほほをなでる。その指が、だんだん首筋に、より下に……と。
その時である。 パアァァァ、と。 赤い閃光が彼女を包み、セダル氏の指を跳ねつけた。
「うぐぁぁぁ!?」
しかし、その光は彼を傷つけることはなく、美しく妖しく、あたたかく、彼の額や腕の毛穴から、体の中へ注ぎ込まれ、消えた。 直後に、かるいめまい。フフ、と彼は小さくほほえむ。 ゆらっと燃える妖しげなオーラが、彼の体を再び、包む。 体内にまた、豊かなアイデア・センスの血が、巡りはじめる。
「………わかりました、美の神よ。僕はあなたを失うつもりはないのでね」
その指は寺崎愛を離れ、机上のデザイン構図に伸びはじめる。セダル氏が作品の製作をする時、ルチル(寺崎愛)を呼び出すのは、このためでもあった。
彼女を何度奪おうとしたことだろう。 だが、そのたびにあの赤い光が自分を包むのである。そして直後に回帰する豊かなアイデアの海が、押し寄せるのだ。
なぜか、この力の源は、彼女を奪ってしまうと、消えてしまう気がしている。
その原因が、実は彼女がいつも身につけているアンクレットの所為だとは、彼はゆめゆめ気付かない。その赤い石のアンクレットは。茅子が入社時に誕生石だからと、愛にプレゼントしたものである。
多面カットの美しい、天然のガーネット。 キラキラと輝く、豊かさの象徴。質のいい天然石には、時折、精霊が宿るといわれている。 そして、本人も気付かぬうちに、持ち主をそっと、優しく護っているらしい。
4、浜野の奔走
「く…そろった………ぁ………」
浜野は、自分の意識がだんだん薄れていくのを感じた。 ラクス皇女と新王の結婚式で必要な、ティアラに飾る石を、いま全て捜し出し、出荷したところだ。 中心となる石(極上ラリマーと稀少ターコイズ)は、茅子が血眼で探しているのだが。
それ以外の石の調達は、浜野にすべて任されていた。 水晶にシトリン、スギライト、ラベンダー翡翠にロシアンアマゾナイト、青と黄のトパーズ、エメラルド、ロードナイト、カヤナイト。
これだけの石を、すべて特級ランクで、しかも、たった二週間のうちに揃えるなど、通常の業務であれば、考えられないスピードだ。
この二週間、彼は本気で、死ぬ気で奔走した。自分でもヤバいと思うほどの情熱を、かけて。ナポレオンにできたことを、俺にもできないはずはないという、ハイで馬鹿げた思考が、回りだすほどに。
彼は本当に、二時間の睡眠と一時間の食事以外、すべての時間を仕事に費やした。 新郎新婦のためというより、どちらかと言うと、茅子のために。 先輩である茅子は、いつ首になるか不安な派遣労働の日々から救いだしてくれた。
なよなよしていると、バカにされていた自分の性格を、「ソフトで人当たりがよくて、上品。うらやましいくらいよ。あなた、この業界にはとても向いてると思うわ」 と言ってくれた。
実は、それからずっと密かに慕っている。 べつに、伝わらなくてもいいと思っている。先輩として、尊敬もしているのだから。 ただ、茅子先輩のためだけに。自分は全力をかけようと思った。 それだけで、腹の底から熱い力が湧いた。 わずかの睡眠や食事でも、まったく苦にならなかったのである。
まずはラベンダー翡翠を入手すべく、浜野は国内でも有数の翡翠産地へ向かった。
なかでも有名な村に、いきなりアポをとる。 敷居が高く保守的な村で、普通なら断られるところだが。なぜか、村長さんに気に入られた。
「お前さんみたいな素直な人間が、嘘をいうはずはねぇ。それならこの村にとってもたいへん名誉なこった。村の名にかけて、恥ずかしい品は出せねぇ。一番いい翡翠をだしてやるよ…ほら、持っていきな」
まるで、野菜か何かみたいに。簡単に、一等の上等品を渡してくれた。 上品で美しい、薄紫のラベンダー翡翠。
一点のシミも影もない、完全な品物。 浜野は感極まって泣いてしまった。
気に入ったついでに。村長は、自分の知り合いの中から、 日本発祥の石スギライトの卸し先と、天河石として知られるロシアンアマゾナイトの卸し先に、紹介状まで書いてくれた。
偶然の出会いが、つぎつぎに、人を呼び、人を集める。 その不思議さ、ありがたさを、浜野は痛感した。
翡翠の村の、気のいい村長さんからの紹介で、浜野は優しい女性と出会った。
星野さん、というその人は、名前どおりのような、濃紺に白い小菊が星のように散る着物を身につけていた。
ふわり、と長い髪を後ろで三つ編みにして、笑顔の美しい彼女は、来年に結婚するらしい。
「外国のお姫様の結婚式に華を添えるなんて、光栄だわ。どうぞ、他もごゆっくり見ていらしてね」
「ありがとうございます……」
骨董品と天然石を置いている店のようだった。香木を焚いているのか、いい香りがする。 古めかしい木枠のショーケースの中に、群青色の敷布。その上に、星をちりばめたみたいに、美しい宝石たちが並ぶ。
そのなかに、日本発の石、スギライトと天河石、ロシアンアマゾナイトはあった。
石は、現地までいかないと最高のものはないと信じていた浜野は、その意識を覆された。
ここでは、まるで、呼吸をしているみたいに、石たちが光っている。星野さんは、毎日、ここの石たちに話かけ、クロスで磨き、可愛がっているという。
彼女は笑顔で、深紫の美しい石と、青緑に紺が交じるキラキラした石をとり。
「今度はお姫様を喜ばせてあげてね」
と、石たちに囁くと。 浜野にそっと、手渡した。
「はい、どうぞ。この子たちが、うちの最上クラス。お幸せになるお二人に。」
美しくて、優しいほほ笑み。 浜野は、ありがたく石を受け取った。
そうして、思った。自分も次に茅子先輩に会う時には、あんなほほ笑みをあげたい、と。
浜野が星野骨董店を出ようとしたとき。
「これは…」
気にも止めていなかった、出口真横の小さなガラス棚に目がとまった。
薔薇輝石(ロードナイト)のブローチ。 その名どおり、薔薇の形に彫刻されていた。
「ああ、それは、うちの自慢の薔薇なんですよ。残念ながらお売りできませんが」
「いいんです。でも…本当に、美しいですね…。なぜ最初に気がつかなかったんだろう…」
「浜野さん、スギライトと天河石に集中なさっていたからじゃないですか?」
「そうかもしれませんね。それにこれ、かなり大きいんですね。本当の花と同じくらいですか?」
「ええ。紺のビロードによく映えるでしょ」
「とっても。あの…失礼ですが、これはどちらからあなたの手に?」
「まぁ、ちょっと知り合いの同業の方から。浜野さん、モロッコの薔薇の谷をご存じかしら?」
「え、あ、はい」
「もちろん薔薇の産地ですけれど、薔薇にちなんだ工芸品もたくさんあるんですよ。プレゼントに、頂いたんです」
「はぁ……あの、いきなりで申し訳ありませんが、その方にお会いすることは、できませんか」
「え?まぁ…可能だと思いますけれど…お急ぎですか」
「はい。ちょうど薔薇輝石も探すところでした。素晴らしい石を譲って頂いた後で、これ以上は、と思っていたのですが。」 「ふふ、正直な方ね。いいわ、セイクリッドさんに、今から電話してみましょう」 「ありがとうございます!!」
穏やかなほほ笑みのまま、星野さんは奥にある黒電話から、国際電話をかけた。 相手は日本語が堪能らしく。しばらくして。
「浜野さん、セイクリッドさんが、あなたに会ってもいいと。 でも、あさってまで仕事で中国にいるから、香港まで来てもらいたいそうよ。……どうします?」
「いきます!今からチケットの準備します!今日中に、飛行機にのりますよ!お願いします」
「まあ、くすくす。 よほどなのね。わかりました、伝えます。」
今夜飛んで。香港行きの飛行機の中で、次の石、カヤナイトのことを考えよう。
浜野の頭の中は、もう次の次まで飛んでいた。 つまり、すべてが首尾よく整い、安堵する茅子がほほ笑む所まで。
第5章 空港で
1.知らぬ騒ぎ
夜の空港で。浜野は飛行機が来るまでに、晩飯を済まそうと、ロビーで空弁を食べていた。
この空港は最近できた事もあり、飲み物が無料で振る舞われている。便を待つのに長居もできる。緑茶で一息ついていると。ガヤガヤとした黒服の一団がロビーに入ってくるのが目についた。
有名人でも来ているのだろうか。しかし、マスコミ陣はいないようだ。ずいぶん、ものものしい雰囲気で。
「ああ疲れた、ちょっとそこ、早くどいてくださらない?」
知らぬ間に、金髪の少女が目の前にいた。両脇には、先程の団体のような黒服の、ゴツい男が控えている。浜野は慌てて席を譲るようにして、荷物を一人分つめた。それなのに少女は、隣りに座ろうとしない。横に控えている男にまくし立てている。
「ちょっと!どうなってるの!この人本当に日本人?日本語通じないじゃないの!」
すごい剣幕だ。浜野は、
(いや、日本語通じてます…だから席、開けましたけど…)
といいかけて止めていた。
「お言葉ですがお嬢様、彼はあれで席を一人分、開けて下さったんですよ。お座りになって下さい。」
「は?あの狭さで開けたと言えるの?!それに、このあたしに、知らない男性と同席しろと?冗談じゃないわ」
「一般の方々は皆そうされているんですよ。ですから私は、ご自分の専用機をお使いになるよう、申上げていたのです」
「お嬢様が一般の方々と同じ体験をしてみたいと、おっしゃるから…」
「ああもう!わかったわよ!わかりました!」
どこのお嬢様か知らないが。なんとなくチラッと顔を見てしまい。
「何ですの!」
「あ、いえ別に…」
そそくさと席を立つ。 ちょうどいい時間になり、発つ前に浜野は携帯をかけた。
「もしもし…、ああ、セイクリッドさんですか?浜野です。今から発ちますので…はい、香港のホテル***ですね…はい、よろしくお願いします。」
セイクリッド、香港、ホテル名…あといくつかの単語に、背後にいる少女の顔色が変わった。 彼女が控えの黒服達にしきりに耳打ちする姿に、浜野が気付くことはなかった。
2.セイクリッドさん
飛行機は順調に飛んで、翌朝。
賑やかな香港の茶店で、浜野はセイクリッド氏を待った。 すると、携帯が鳴り。
「もしもし、Mr.浜野ですか。すみません、遅くなりました…」
「あ、どうも浜野です。どこらへんですか?」
「はい…ああ、私はわかりましたよ。いま手をあげます」
浜野が見渡すと、やたらに背の高い男が手をあげた。 白いターバンに白い服の下には、褐色の肌。彫りの深い顔立ちに、青い瞳という、日本人にはかなり珍しい格好で。 正直、浜野は西洋人をイメージしていたので、少し慌ててしまう。
「どうも、浜野さん。お急ぎで、石をお探しとか。カヨコから聞いています。」
カヨコ、とは確か星野さんの下の名前(加陽子)だった。
「はい、突然のお願いですみません」
浜野はラクス皇女の話を手短に説明した。
「それで、星野さんのお店で、素晴らしい薔薇輝石を拝見しまして」
「なるほど…。ちょっと、待って下さい、カヨコは私のこと、何と紹介しましたか」 「え?ちょっとした知り合いとか、同業者と…」
はあぁぁ~…、と。 突然、セイクリッド氏は額を押さえ、ため息をついた。
「浜野さん…すみませんが、少し、電話かけてもよろしいでしょうか」
「ど、どうぞ…」
懐から紺色の、ラメ入りの携帯を取り出し。
「もしもし?ああ今、浜野さんと会っているんだが。カ~ヨ~コ~?僕らは〈ちょっとした知り合い〉だったかな?帰ってからじっくり聞くよ。」
見ている方が赤くなりそうな台詞を言い電話口にキスを残すと、彼は浜野に向き直る。
「すみません、仕事の途中に。彼女、私の仕事が長引くと、怒るんです」
「あ、いえ別に。すると…星野さんのお相手は、あなたですか」
「はい。私たちは婚約しています。あのブローチは結納品です」
「そうでしたか…」
どうりで譲ってもらえないわけだ。
「すみません。僕のせいで、帰国を遅らせてしまいましたね」
「あなたのせいではありません。待ち合わせに遅れたのは私です。」
セイクリッド氏はあたりの様子を見ながら、ある一点に気付くと、小声で言った。
「Mr.浜野。石はホテルの部屋でお渡したほうがいいでしょう」
「そ、そうですね。確かに、無防備すぎました。つい…」
「用心にこしたことはありませんからね。では参りましょう」
背後では、黒服の男たちがチッと舌耳打ちをしていた。 よく見ると、彼らは4~5人の集まりで点在していた。
浜野が予約した部屋は、茶店のすぐ近くの別館だった。 だが、セイクリッドが何かを警戒しているように見えたので、行動をあわせた。 ホテルについても、まっすぐ上階に上がらず、あちこち見て周り、やっと部屋に着いた。
「あの人たち、日本の空港にもいたような気がするんですが…僕らのほうつけてませんでしたか」
「たぶん。今後の取引は慎重にしたほうがいいですね」
セイクリッド氏は、おもむろに懐から巾着袋を取り出した。中から紺色と灰色の、ビロード布地が張ってある小箱を二つ取り出す。
「お探しの薔薇輝石、そして天河石、こちらになります」
紺色の箱のなかは、星野骨董店にあったのと同じくらい素晴らしい品質の薔薇輝石だった。濃く輝く紅色に、ふわりと細く白い線が、いくらか走り、表情を柔らかくしている。
そして灰色の箱には、 孔雀緑と青が混じり、全体にキラキラと銀粉のようなものが反射して見える、天河石。
「うわ……。どちらも素晴らしいですね。ティアラにぴったりだ。ありがとうございます!」
「お気に入り頂けて良かったです。これ以上の物をお求めなら、私どもにはお手上げでしたよ」
「キラキラしているのは何ですか?」
「はい、私どもの持っている鉱山の薔薇輝石は、稀に石英が含まれるようです。それが紅に混じって反射しています。 天河石のほうは、採掘はこの中国で、銀や亜鉛類が同時に採れる場所のようで。この度は、王室のご利用とあって、とにかく一番美しい部分を、私が厳選して切り出させて参りました」
「そうですか…。本当にありがとうございました。ずっと懐に?」
「はい。このあたりはホテルのロビーに預けるより、自分で持っているほうがまだ安心ですから」
「そうですね、僕も気をつけます。ではこれで失礼します」
「Mr.浜野、今夜は泊まっていかないのですか?」
「はい。ここで寝るのも、飛行機の中で寝るのも同じですから。時間が、少しでも惜しいんです」
「そうですか。ではお気をつけて。私もこれで失礼しますね」
お互いに礼をのべて別れたあと、少し休憩してから、ホテルを出て、浜野は空港に着いた。
飛行機を待つ間にトイレに寄った、その時。 浜野は黒くて背の低い男と入り口ですれ違った。
「ハマノリョウスケさん、ですか」
「あ、はいそうですけど………………!!」
男は次の瞬間に、掴んでいた袖を背中へまわして反対側へねじる。
「ボクはここで殺しても構わないんだけど。慈悲深いうちの主人に感謝しなよ」
声音が少年のそれに変わり。長い袖の下から硬くて冷たいものが、浜野の背にあてられて。
「ちょっと来てもらうよ……あぁもう、人間って!動かすの面倒だなァ!!」
ドスっと。 みぞおちに拳が入って、浜野の意識は闇に落ちた。
………闇のなかで。 ぼうっと、大きな白い人影が、自分を見ていた。 顔が近づいてよく見ると、鮮やかな鳥の羽をつけた、白い帽子に赤銅色の肌の、インディアンみたいな化粧をした大漢だ。
だまって額に手をおく。 すると、光が体を包みこみ、痛みや疲れ、恐怖感が消えていった。
(我の力は治癒のみ。すぐに、必要な助けを呼びにいく。しばし耐えよ、わが主人……)
その大漢は白い鹿に姿を変え、どこかに駆けて…。
「おい、おきろ人間!」
再びドスっと。 高いところから落とされたような、全身を打つ痛みで、浜野は目が覚めた。
ぼやけた視界に頭を振ると、意外にも柔らかい絨毯の上にいることに気が付いた。 質の良い家具の整った、明るい部屋の中だ。
誰もいないと思っていたのに、急に棚上の黒いカラスの剥製が動きだす。
そのまま飛び上がり、天井角の監視カメラまで移動し、人の言葉で喋りだした。
「セネカ~ァ、人間が起きたよォ!」
バタン、と後ろのドアが開き、黒服の男たちがどかどかと部屋へ入り込み、たちまちに浜野を拘束した。
最後尾から、大きな男に担がれた、フランス人形のように美しい少女が現れ、目の前の豪華なソファーに降ろされ、座る。
カラスが彼女のほうへ来て、たちまち姿を少年へ変えた。膝元に擦り寄る。
「ねぇ~セネカ、はやくこいつの魂をちょうだいよォ、僕おなかすいた~」
「まだよ!私はこの男に聞くことがあるんだから」
(この顔には、たしか見覚えが…。)
バシン、と浜野はいきなり頬を打たれた。口の奥が切れる。頭を無理やりに少女のほうへ向けさせられる。
「ふん、空港では世話になったわね。よく聞きなさいよ、一般人。私の名前は、セネカ・ヴァルジナ・オニール。イスキア皇室に名をつらねる者です」
「イスキア……の?」
「そうよ、私の家系はね、あの生意気なラクシスよりも、ずうっと高貴なんだから!」
「ラクシス皇女…?…」
バシン、とまた殴られる。
「お黙りなさい!あなた、ラクシスを皇女などと呼び、戴冠式のティアラの宝石を集めているらしいわね。今すぐおやめなさい!」
「なぜ……?……」
「は?!なぜですって?決まっているでしょ、次期イスキア女王には、この私がなるからよ!……ハアハア」
両脇から取り押さえられた浜野の襟を掴みあげ、興奮してまくしたてるセネカ。ラクシスのことを皇女(次期女王という意味で)呼んだあたりから、怒りが尋常でないらしい。
「あなたのような平民にはわからなくて当然ですけれどっ、失礼にも程がありましてよ!わ、わたくしには…」
ふら……、と。 言葉途中で突然、セネカは後ろへ揺らめいた。下につくまでに、横にいた黒い少年が抱き止める。
「もういいよー、セネカ。これ以上はダメだよ。僕に任せてねー」
そう言いながら、少年の姿がだんだんと青年様に変化していく。黒い焔のような気が彼を取り巻きはじめる。
「オニ…キス……」
「聞くけどセネカ、いいよね?彼の※フォイゾイをもらうよ?許可してよね?」
「…いい…わ………」
「フフ、ありがと。じゃあ少し眠って。」
額にキスをすると、セネカは目を閉じた。彼女は後ろの黒服たちが引き取り。
いつの間にか、部屋のなかは鎖で拘束された浜野と黒い青年だけになっていた。 明るかった室内は、彼の放つ闇様の焔気で、真っ暗になりつつある。
「お前のような虫けら一人、食らってもたしになんねーけどさ…まァ少しはうまそうだしね……」
バサリと。 一瞬で浜野に近寄り、顔を触ろうとした瞬間、白い蒸気があがった。
オニキスの手指の一部が、ケロイド状に溶けていた。 ぱりん、と鎖が崩れて周囲に散った。
「へぇ…、石の守りをつけてんじゃん、面白い。はぎ取って喰ってやるよ…」
鎖が取れても、やっと立てたほどで、浜野はどうしてよいかわからない。だが背を向けるわけにはいかない、と思った。逃げられないなら、あらがうべきだと。 ここで死ぬわけにはいかない、と。
(約注※フォイゾイ…人間の魂の一部分。魂を食べ物に例えると、旨み成分やだし、エキスのようなもの。妖精等に食されると、その人間は植物状態~死する、と言われている)
なにか武器になるものは、と反射的に探すが、すぐには見当たらない。
「フフ、歯向かうつもりなんだ、人間ふぜいがっ!」
地鳴りのような音がして、真横の空間がもぎ取られた。大理石の壁はパックリと穴が空き、黒煙があがる。
続けてきた衝撃を、浜野は椅子で受けた。
「守りがあるからって……いい気になるなよ!」
そのままオニキスは力を込めて、拳を振りきった。椅子は粉々に砕けた。浜野は半身で避けたが、相手は尋常なスピードではない。反対側から、頭を地面へ叩きつける。
「く…………っ」
「はは、わかってんの?その石、守りだけで中身は抜け殻だよ?僕に勝てると思ったんだ?ばーか!」
オニキスが顔を覗き込んだ瞬間、浜野は反撃した。 下から首をしめて蹴り上げ、体勢を入れ替えた。 そして、近くにあった花瓶を、オニキスに向かって、思い切り叩きつけた。
「なに……!?」
虚をつかれたオニキスは、一度シャンデリアまで上昇した。
「くそ、人間が!…っ!」
そのまま急降下して。 シャンデリアが、落ちる。吹き飛ぶ硝子片が、降る。 浜野はとっさに、壁ぎわの大きな燭台をひっくり返して構えた。体の痛みはすでに消えていた。腕に力を込める。
―――ガシャン。
「ぐっ…こんのっ!」
オニキスの右肩の羽根が周囲に散らばった。避けながら、浜野の背後に回ったのだ。
「くそ、は…な、せ……」
「まァ、わりと活きがいいのは認める……けどさ、もうアウトだよ」
肩を絞められ、たちまち身動きができなくなった。 宙に浮きながら前にまわり、顔に覆いかぶさる。
「あばれるなよ、疲れるとフォイゾイがまずくなるだろ……」
白い蒸気を、綿菓子でもはぎ取るようにしながら、浜野の唇に吸い寄った。
血なのか何なのかわからない黒紫の液体が、彼の右肩から腕をつたい、浜野の顔に伝い。 唇が触れる直前に。
(待たせた、我が主人)
その時、胸ポケットに入れていた、白い守り石が閃光を放った。インディアン様のあたたかい大漢の光にのまれ、黒い青年は壁に弾かれた。
ピシャッ、ピシャッと。あっという間に、紅色のダガーナイフが数十本、どこからともなく飛び、続け様にオニキスに命中していた。 黒い魔物は、あっけない程に霧散した。
「大丈夫か」
シュウシュウと。 黒い煙が霧散して。 凜と、美しい声が響いた。
浜野の目の前に、あの白いインディアン様の大男がひざまづいている。横には、すらりと長身の女性が立っていた。声の主は彼女らしい。
「はい、あ、ありがとうございました。あの…あなたは方は……?」
「我は貴殿の身につけたる石、ハウライトの精霊。貴殿はその主人なり。 我の力は癒しのみなれば、このたびは我が力足らず、こちらカヨウ殿を呼びに参った。遅れて申し訳ない」
「私はラクシス皇女の護衛をしている、カヨウ・ゼルナダ・ミルラインだ。」
「はあ…。(ハウライトさん、は夢にも出てきたし、何となくわかるな) お二人のお蔭で助かりました。でもあの、ラクシス皇女の方はいいんですか?」
用事もないので、ほこりを払いながら、この場を去るつもりで、立ち上がる。スーツは汚れ、あちこち破れているが、傷一つない。身体の異常感は、何一つない。
気分が快いくらいだ。きっと、意識のない間にこの優しい大男が治癒してくれたのだろう。 ズタズタに引き裂かれた絨毯と割れた机や椅子、シャンデリアのガラスを避けながら、部屋を出る。
歩きながら、カヨウが答えた。
「ああ、平気だ。今までは私が常に側に仕えていたが、今はヒロト様がいらっしゃるからな」
ヒロト様というのは、ラクスの夫となる人物だ。 まだ非公開だが、ラクスと結婚することで、婿養子となり、イスキア公国の新王となる人物である。カヨウは続けた。
「まぁ、ラクス自身も鍛えている故、普段そう心配はいらないのだが。それでも私は、自分以外にラクスを任せられる人物は、ヒロト様しか存在しないと確信している。彼はカラテ、とかいう武術の使い手なのだ」
玄関扉につく。 どうやらここは、空き家となっていた、古ぼけた洋館だったらしい。
洋館を出た辺りで、ハウライトの精霊は、浜野の胸ポケットの石へ帰った。
そこから後は、念のためとカヨウが護衛をしてくれた為か、何物にも襲われなかった。残りの石、つまり水晶やシトリンは、以前から取り引きをしていた、信頼のおける業者から受け取った。
カヨウは、初めからそのつもりらしく、(ラクスの配慮で)日本まで着いてきてくれるという。
………こうして。 体力と気力のギリギリを振り絞った、浜野の仕事は全うした。
荷物が日本につく頃には、茅子が微笑んで待ってくれている。(やや妄想のエフェクトが入るこの頃だが) 浜野は安堵して、体の力が一気に抜けた。
こんなに誰かのために、必死になれるというのは、自分でも不思議だった。(誰かというより、茅子先輩、の………。) 帰りの機内では、カヨウが到着時にゆり起こすまで、全く意識がなかった。
第6章 鐘を鳴らして
1.間に合った!
「茅ちゃん先輩~!浜野からの荷物、届きました!」
夜のルチル・ジュエリー社中。宅急便の到着に、受付嬢の寺崎愛が叫んだ。浜野が探し歩いた宝石の数々がひと足早く、でもやっと、茅子の手元に届いたのだ。
まずは、優しい村の村長さんが譲ってくれた、淡い色合いのラベンダー翡翠。
星野骨董店からの、息を飲むような紫紺の美しいスギライト。
キラキラ光る硝子の交じった、薔薇輝石と天河石。
あとは質のいい水晶とシトリン、濃いトパーズ。
どれも予想以上の質の良さに、茅子は驚きと感動を覚えた。自分は上質のラリマーとターコイズ、この2つを揃えるにも必死だった。
なのに、浜野は同じ時間に、これほど素晴らしい品々を集めたのだ。彼は、本当にすごい。
もとから店に蓄積していた質のいいエメラルドとカヤナイトは。すでにあのヤバめ
な銀細工師に預けてある。彼は、茅子の部下である寺崎愛がお気に入りの変態?さんだが、いわゆる天才系の銀細工師さんだ。
寺崎愛が泊りに行っていた間に銀細工は加工済みだ。 本日の夜中までにエメラルドとカヤナイトを嵌め込み、ルチル・ジュエリー社に届けに来る約束だったが…。
リリリリ…。寺崎の携帯が、絶妙なタイミングで鳴った。
「か、茅ちゃん先輩…」
「何?叶さんから?」
「はい…。約束の品が出来上がったんですが…私に迎えに来いと…私行きますね今から支度します!」
「あら、大丈夫?」
「へ、平気です!あの衣装着るのはちょっと恥ずかしいけど……時間ないですから!早くティアラ完成させないと」
「ごめんね無理させて……じゃあ…お願いね」
「いいえ、気にしないで下さい。こんなこともあろうかとっ」
スルッと。脱いだコートの下は、ゴシックロリータのメイド衣装である。案外、愛ちゃん気に入ってるのかな…?と茅子は思った。
「あ…そうなんだ…ありがとう…頑張ってね」
「いえっさー☆」
やけに凛々しい敬礼を残し、寺崎は車庫に消えた…。 というわけで。 社内は茅子だけになってしまった。
クスクス……。 人外の笑い声。 それまで身を消していた、ラピスが姿を現した。
ふわりと茅子の肩を包む。
「面白い女の子だね、カヤナイトの部下。」
「いい子なんだから、そんなふうに言わないの」
「はいはい…クスクス」
「ラ~ピ~ス~?」
「ごめんごめん、機嫌なおして。」
………チュ、と。 この精霊は簡単に、キスをする。おかげで茅子はいつも顔が熱くなって仕方ない。 他人には姿は見えなくても。茅子にはしっかり見えているのだから。
銀細工師から届いた二対のティアラの原型は、まさしく天才的な芸術品だった。
女性の方は、海の波を形作った繊細なフォルム。全体にも、さざ波やテーブル珊瑚、躍動感のある大小の魚の群れがある。ゆれる海藻のまわりには、立ち昇る細かな泡の模様が掘り込まれていた。
男性の方は、大樹の幹をイメージしたようなフォルム。風にそよぐ枝葉がたくさん茂り、その中に鳥や小動物が憩う。大地には麦の穂や花、果物がある。よく見ると小さな卵の入った鳥の巣まで掘り込まれていた。
どちらも、何時間見ていても飽きないような、ストーリー性のある仕上がりだ。
海の幸=女性=生命力や細やかさ、山の幸=男性=豊かさや見守る強さ、というイスキア公国の文化も、見事に表現されている。 茅子の注文どおり、カヤナイトとエメラルドのラインが一番下を締めくくり、重厚な雰囲気も出ている。
あとは残りの宝石がはめ込まれるを待つのみだ。 これを三日で仕上げたなんて、とても信じられない。通常なら半年、いや一年、それ以上の年月をかける代物だろう。
だが。こうして現実に目の前にある。素晴らしい才能の持ち主に出会えたこと、そして、ルチル・ジュエリーにそれをもたらした、あの可愛い受付嬢には、今後は枕をむけては眠れない、と茅子は思った。
宝石をカットし、素地にはめ込む作業は、いつも熟練の技師さんに頼んでいた。 源さんと呼ばれている、ひげの生えたお爺さん率いる技師集団が、ルチル・ジュエリーに集まってくれた。
「大変短い日数ですが、よろしくお願いします…」
「おうよ、そのために人数余分に連れてきたんだ、まかせときな。ただ…」
「はい?」
「このラリマーだけは、最後におまえさんがやりな」
「え、でも……」
「花嫁さん、友達だろ。中心の石は、おまえさんが心を込めてやるんだよ」
「は、はい!」
「ま、いつも作業を熱心に見てたから、流れはわかるだろ?わしも仕上げは手伝うよ」
「ありがとうございます」
「はは、なに……」
この小さくて白髭のお爺さんは、かつての女社長の知り合いだ。 彼女がなくなっても、仲間と一緒にルチル・ジュエリーに残って、仕事をしてくれていた。
そして時々、こうして粋な計らいをしてくれるのだ。
(そう………っと。)
銀色の下地に、青いラリマーが、吸い付くように着いた。まるで初めからそこに居たように、輝いた。
茅子は、ラクスの被るティアラを完成させた。彼女のドレス姿を思いながら、全体を優しく磨き上げた。
その時、真夜中にも関わらず、トントンと、社中後ろのドアがノックされた。
とっさにラピスが羽根で、茅子を包むようにした。 耳元でささやく。
(ん、悪い感じはしない。たぶん大丈夫だよ、茅子)
「(そう?)ど、どうぞ…………」
「今晩は。遅くに失礼します。」
チリン、と。 闇に似合わない、さわやかな鈴音がして。 薄緑色の絹を身にまとった中性的な人物がお辞儀をした。動作に金粉が舞う。
(カヤナイト、彼は高位の石の精霊だ)
ラピスが耳元でささやく。茅子は軽く頷く。
「光栄です、カヤナイト。私は、翡翠の精霊です。 たくさんの翡翠あるなかで、あの村の河に棲んでいた者です。 このたびは私を、ひとかどの人物の元へ導いて下さり、お礼を申し上げます。」
にこり、とした細い目は、あけると確かに、人ならざるラベンダー色。
「は、はい…(ラクスの旦那さまになるヒロト様のことだわ)」
「先程、わが主人に挨拶に参上しまして。最初の頼みを言付かりました。 なんでも、結婚式のティアラを一組運べと。カヤナイト様のご許可の下で。」
「そ、そうなの…、ちょ、ちょうど良かったわ。 とても大切で、高価な品物だから、どうやって海外へ持ち出そうか、困っていたところよ。 いいわ、そういう事なら。あなたにお任せします。」
「承知致しました。」
翡翠の精霊は、身につけた薄緑色の衣を、まるで生き物のようにはためかせた。 あっという間に、ティアラをいれた桐の箱を二つ、衣が飲み込み、身体のどこかに収めてしまった。
そしておもむろに、髪につけていたかんざしを外し、フッと息を吹き掛けた。かんざしが、ほうきの様に大きくなる。翡翠の精霊は慣れた仕草で横座りした。
指をパチリと鳴らすと、それはふわりと、浮かぶ。
「それでは、ごきげんよう、カヤナイト。」 「ええ、あ……、はい。あの、ありがとう。気をつけてね。」
「はい。次はイスキア国でお待ち申し上げます」
チリン、と。 鈴音とウィンクをひとつ、残して。 翡翠の精霊は出窓から先の夜空へと消えていった。
翌日。 イスキア公国に行くため、茅子はスーツケースに荷物をつめていた。明後日には、結婚式だ。茅子たちの会社の社員はもちろん招待されていた。
「え~と…これで荷物は…ぜんぶ…だったかな。」
「茅ちゃん先輩、パスポートはちゃんと持ってますかぁ?」
「はい…」
「それと、やっぱりお式に着物は外せませんよぉ?」
「だって…荷物になるじゃない…ワンピースじゃだめかしら…?」
「だぁめでっす!先輩は、わがルチル・ジュエリー社代表、いえ日本の代表として参加するんですよッ? お荷物が多かったら、私が持ちますから!」
「いや、大げさだから…しかも、そこまでしてもらわなくてもいい…から…」
肩ごしに、愛には見えないラクスが吹き出している。言葉に出さずに会話する。
(ほんと面白い後輩だね、でもその着物きれいだし。カヤナイト着ているところ、僕も見てみたいです。)
(もう、ラピスまで。着物は持ち運び大変なのよ)
(僕と飛べばすぐなのに。、またあの乗り物に?)
(愛ちゃんいるんだから、仕方ないでしょう、あなたが見えないんだし)
(ま、そうですね…)
茅子は愛の完全プッシュで、茅子は夏用の着物を買ったのだ。全体が淡いブルーで、下にいくほど、流水の模様が描かれてある。裾のあたりには、紺やロイヤルブルーの菖蒲が咲く。緑青の葉も美しい。それと、裾や袖の各所に、白い小さな鈴蘭が、星のようにあしらわれていた。 帯は、少しラメの入った紺色に、レースの帯飾りと、ガラス玉の帯留め。これは購入時にはなかったが、愛が可愛いからとくれた。襟にもレースを入れようとしたのだが、さすがに抵抗した。
ラピスのイヤリングをつけたかったので、なんとなく青い色調になった。
(僕の色と、同じ着物を身につけてくれて、嬉しいです、カヤナイト。)
軽くキスしてくるラピス。茅子は照れくさい。 こういうの、こんな関係は、今までにない。もし恋人がいたら、こんな感情に…なるのでは…ないかと。
あまりはっきりと意識すると、ラピスに読まれてしまうので、あまり深く考えないようにはしているが。
一夜明けて。
茅子達の乗る飛行機が、イスキア公国に着いた。
「うわぁ~!すごいですね茅ちゃん先輩!」
「うん、すごくきれいな青空…ね…」
「ちがいます!下を見てくださいよ!すごい歓迎モードなんですっ」
すでに空港から、お祭り騒ぎで、活気を見せていた。色鮮やかな花飾りや、水のオブジェが随所にある。 あちこちで、美味しいワインが無料でふるまわれた。
頭上には、美しい垂れ幕が幾重にもかかり、新しい女王の誕生と、結婚式を祝福していた。 一際、でかいリムジンが、茅子たちの前で止まった。窓が開くと…まさかの彼女だ。
「はーい!茅子!むかえにきたわよ!」 「ラ、ラクス…!!」
「ふぇ!ラクスって、先輩、まさかこの方がラクシス皇女さまですかっ!?」
「うん……」
「そちらの方も、ようこそイスキアへ!まぁ荷物も重いでしょう、早くお乗りなさいな」
黒服のガードを無理やり最後部の座席に詰めさせ、茅子を隣に座らせる。
「あなた、こんな所に来ていいの…式の用意は…」
「平気よ!ああ茅子、素晴らしいティアラをありがとう!あなたがこの時間の飛行機に乗ってくる、と聞いて、居ても立ってもいられなくって」
ぎゅ~、と茅子を抱き締めるラクス。
「そ、そう?こちらこそ、ご贔屓にしてくれて…ありがとう」
後部座席であまりにはしゃぎまわるラクスに、前の座席から、誰かが注意した。
「あ~、ゴホン。ラクシス様。もう少しお静かに願います。そのように騒がれては困ります。…失礼、カヤコ様。私はラクシス様のお世話係の、ジェネシスと申します」
「はい、どうも…石上茅子です。」
「あ~はいはい、わかってますって!それよりジェノ、はやく車を出しなさいよ。二人だけで出てきたの、バレるわよ。」
「は、御意に……」
途中で、別便で来た浜野&カヨウたちとも合流し、一同は新女王となるラクスの城へ向かった。
爽やかな青空の下。
そよぐ木々と、緑の大地。遠くに見える、ターコイズ・ブルーの海。
その全てに囲まれ、中央に建つ美しい城で、ラクシス新女王の戴冠式と、結婚式は盛大に行われた。
新しいティアラを頭につけたラクスが、その場にいる全ての人に、高らかに宣言した。
「みんな、私を新女王と認めてくれてありがとう。 私はここに約束する。必ず、みんなを守ると。そして母様のように、みんなが幸せに暮らせるように、精一杯の努力をすると誓う!」
おぉ、と拍手が鳴り響いた。
その時、突然周囲が暗くなり、一同は押し黙った。 茅子たちには見えていた。反射でラピスは身構えた。浜野につくハウライトも。オニキスの黒いオーラ。人魂の味を知った、恐ろしく歪んだその空気を一身にまとい、現われたのは。
「セネ……カ……」
「私はあなたを認めないわ。私のお母様はあなたの母の姉君、そして戦前では、いつも最先端で戦い、この国を守ってきたのよ!その娘たる私こそが、女王になるべきだわ!」
間合いこそ離れてはいたが、袖に隠していた短刀を、一気にラクスの喉元につきつける。
「おのれ、ラクシスには、私が触れさせない!」
ラクスの横にいたカヨウが飛びだした。近くにいた護衛隊も、すぐさま間をつめ身構えた。 ……のを手で止めて。 ラクスは、かまわずセネカの前へ自分から歩み出た。
驚いたのは、セネカのほうだ。ラクスの勢いにおされ、短刀は突き出したまま、足元が震えだした。
「あ、あんた…、バカじゃないの…自分から……」
「セネカ……」
「バカね、あんた、死にたいの!?」 「……死なないわ。ほら、刺しなさい。」
ドスッと。ラクスはセネカを短刀ごと抱き締めた。
青い、蒼い清らかなオーラが、ラクスの体から溢れて周囲を満たした。
刺さったはずの短剣が、床に転がり、乾いた音をたてた。
「セネカ。あなたのお母様は、本当にすごい方だった。母様も心から信頼していたわ。 その勇ましさ、私の剣のお手本だった。亡くなられた時は本当に、この城でも皆で泣いたのよ」
「なにを……」
「でも、その戦火の陰で、あなたに孤独な思いをさせてしまっていたのね」
「そんな…こと…!」
「あなたに許してもらうのは、難しいかもしれないけれど。 でも、今度は私があなたを守るから。 だから私に、全て任せてほしいの」
「……私は…私は……!」
背後の黒いオニキスが、青いオーラを一瞬割って入り、力を増した。
「セネカ!そんなやつに騙されるな!早く僕に力をちょうだい!そいつのフォイゾン吸い取ってやる! 君の願いを叶えてあげるのは僕だ!セネカ、セネカ……セネ…カ…!」
泣きながら、セネカの腕はカクカクと不自然に動き、指輪の黒いオニキスが歪んだ光を放ち始めた。
ただ、それが輝く前に、より強く優しいオーラが輝きを増した。
その光は、ラクスのティアラから出ていた。中央の大粒なラリマーは、茅子が苦労して探した逸品だった。その蒼い光は、大きな長い髪の女性の姿となり、ラクスと重なって、セネカとオニキス両方を包み込んだ。
姿は見えなくても、その優しい光と暖かさは、場にいる全ての人間を癒した。
セネカの頬には涙がつたい、オニキスの濁ったオーラは浄化され、ついには澄んだ夜闇の黒色に戻った。
「セネカ。これからはけして、あなたを一人にはしないわ。大切にするから」
「…もう…いい…わかった…わ…」
ラクスの背後から、美しく澄んだ声がした。
『オニキスの精よ。あなたに出来ることは、夜の闇のように優しく、彼女の孤独を癒し、弱った意志を強く支えること。 それこそがあなたの主の願いです。これからも傍に仕え、その力で主の願いを叶えなさい。』
「……はい」
ボロボロになって片方が無くなっていたオニキスの背中の羽は、両方がそろい、艶を取り戻していた。 両腕が、優しくセネカを包み。大きくはばたくと、テラスから外に、消え去っていった。
ラリマーの精霊が、ラクスのティアラに戻り、蒼い光があたりから消えると。 ラクスが明るく元気よく、啖呵をきった。
「さあ、これで反対する人はもういないわね、え?まだいるなら、出てらっしゃい!お相手するわよ?」
すると、周囲からどっと笑いが溢れた。ヒュヒュ、ヒューイー、と口笛を吹く者や、万歳を叫ぶ声も。
口笛は、昔からこの国に伝わる文化で、狩りの時に仲間を呼ぶ方法で、賛成を表す動作だ。そのうち、ふくよかな女性がラクスに話しかけた。
「ラクスちゃん、女王として勇ましいのはいいことだけど、伯母としてはあなたに女としての幸せも、味わってほしいのよ」 「ありがとうございます、伯母様。さあ、みんな! ややこしい戴冠式はここまでよ。気分をかえましょ!続きはお庭で、私たちの結婚式をお祝いしてねっ」
おお、と言う掛け声が重なり皆はドヤドヤと庭園へ移動した。
「女王陛下、ややこしい、は、不適切な発言です…」
という執事ジェノの嘆きは、さらっと無視され。
茅子たちも、あれよ、あれよという間に進んだ。 戴冠式は、ごく限られた親族と特別ゲストのみで行われたらしい。 城の外では、さらに沢山の人間で埋め尽くされ、賑わい、溢れかえっていた。
お披露目の庭園の中央には、大きなやぐらが組まれ、そこでラクスと結城寛人は、晴れて夫婦の誓いをたてた。 青い空と、新緑の大地。 色とりどりの、たくさんの花びらが風に舞うなかで。 二人の旅立ちを祝した鐘の音が厳かに、けれども明るく高らかに、鳴り響いた。
☆END☆
第7章 運命の…
1、帰国後の…
イスキア公国から帰国後、1週間が過ぎて。 茅子たちは、ルチル・ジュエリーで、通常の勤務に戻り、仕事をしていた。
海外の皇室が御用達、という看板がついて、ルチル・ジュエリーは、業界でも一般的にも、一気に有名になった。もちろん、茅子はその社長として、マスコミに出たりして。ちょっとした大忙しの秋を迎えていた。ありがたい話である。
そして移りゆく季節は、もう冬になっていた。
ただ一つ、変わったことがある。 それは、ラピスが仕事場について来なくなったことだ。もちろん、イヤリングのなかにいるのだが。
以前は、(もしものことがあるといけないから、先に呼び出しておいてほしい)とラピスが言うので、家にいる間にイヤリングから呼び出していた。 姿を茅子だけに見えるようにして、一緒に出勤していた。
だが。帰国してからすぐのこと。 いつものように、職場で茅子が書類に目を通していると、ラピスが後ろから抱きついて、耳に軽くキスしてきた。
(ちょっと!いま仕事中なんだから)
(いいじゃないか、誰も僕が見えてないんだから…)
最近は、思念だけで会話できるようになったものの。なぜかラピスはとてもくっつきたがる。以前よりもずっと。
そこへ。
「コホン!え~、茅子社長、浜野です。ちょっとお時間よろしいでしょうか」
「は、はい!何でしょう」
湯沸し器のある部屋へ、そそくさと移る。
「社長、その…ボディーガードをつけられるのは、ご自由なのですが、そのように四六時中いさせるのは、いかがかと…。」 「そ、そのようにって」
「後ろにいる彼のことです。それでは仕事に集中できないんじゃないですか」
「み、見えてたの!……………いつから?」 「はい。僕が、茅子先輩……コホン、社長から頂いた石の精霊ハウライトと出会ってから、です」
「ええ?!イスキア行く前からってこと?」
「………はい」
これは恥ずかしい。 ラピスとのやりとりは、自分たちしか見えないと思っていた。
「もしかして、愛ちゃんにも見えてるのかな…?」
「いや、彼女はたぶん見えていませんよ。見えてたら、リアクションすごいはずですから」
「……そうね」
そう言えば、浜野といる時はラピスはいない。イヤリングに戻ることは、自由に出来るらしい。
ハッピー☆バード
まだ続きを書きたいです。