盲目の鳩

 通う駅のホームには、よく点字ブロックの上を歩く鳩がいた。他の土鳩と違って白い羽が多いから、傍からみてわかりやすい鳩だった。
 駅に潜む鳩たちは、人の吐瀉物に群がったり、浮浪者の足元を付いて回るようなものだけれど、その白い小綺麗な鳩は、いつもベンチでコーヒーを飲む僕の目の前を点字ブロックに沿って、黄色い道をあてもなく突いて通りすぎて行く。
「君はあんなふうになりたくないのかな」
 気まぐれで鳩に声をかけた。疲れているときに不意に出る独り言の延長みたいなもので。
 ただ、鳩はそんな僕の問いかけに立ち止まってこちらを向くと「あんなふうって?」なんて、しっかり答えた。
 素直に驚いて暫く唖然としたけれど、自分から話しかけた手前返事をしなくちゃなんて、動物相手に変に気を遣ってしまって、僕は鳩といくつか話をした。
「……ほら、あっちで人が吐いたものに群がってるやつらみたいにさ、意地汚く生きたくないのかなって」
 鳩は暫く胸を膨らませて呼吸をすると、ポツリと言った。
「いや、私は目が見えないから」
 鳩はまた俯いて、点字ブロックの感触を確かめるように何度か足踏みをした。
「見えないの? 全く?」
「そう、全く」鳩は言った。
「だから点字ブロックの上を歩いてるんだ。人間みたいに」なんだか納得して、思った言葉がそのまま口から出た。
 鳩は喉を鳴らして、変わらず足踏みをしている。
「人の作ったものって便利だよ。こうして目が見えなくても真っ直ぐ歩いてるってちゃんとわかるから。下を向きながら歩いても壁にぶつかることもないしね」
「なんだ、てっきり鳩にもそういうプライドがあるのかなって。汚いものとか、人に対して諂わないみたいなさ。君は他の鳩と違って少し綺麗に見えたから」
 少しがっかりした。勝手に期待したこっちが悪いのだけれど。
「綺麗? 私が?」鳩は言った。「自分では見れないから」
「……綺麗だよ。まあ、その、他の鳩に比べたらだけど」
 鳩は僕のそういった小さな失望を汲み取ったのか知らないけれど、なんだか宥めるようにポツポツ話し始めた。
「ねえ、そうガッカリしないでよ。大体さ、動物ってのは人と違って生きてくのに必死なんだよ。自らの機能を万全に使ってその日を懸命に生きてるんだからさ、その、あいつらのこともそんなに悪く思わないでほしいな」それにと鳩は続けた。「私のことが綺麗に見えるのはさ、それはきっと人が欠落を好むからだと思うんだよね」
「欠落?」首を傾げて聞いてみる。
「そう、欠落。歩くことのできない人の足が白くて細くて綺麗に見えたり、モノを知らない人間が純粋で尊いものに見えたりさ、人ってのは“足りない”が好きなんだと思うな。けど私らの生きてる世界は違う。足りなかったらそれはもう死ぬしかないんだよ。私はね、人の言うところの汚い場所にいくと鼻が利かなくなるから、そんなとこにあんまり行かないんだ。だから他の鳩より小綺麗に見えるんじゃないかな。けどこの羽毛を剥いちゃえば、きっと私の身体は他の鳩と違ってみすぼらしいものだと思うよ」
 そうした鳩の言うことは、なんだか筋か通っているように聞こえて納得してしまう。
「……勝手に決めつけて悪かったよ。確かにね、君の言う通りなんだか都合の良いように捉えてた気がするな。人の目線でさ、わかった気になってた」
「良いんだよ人の目線で、だって君は人なんだから」鳩は笑って言った。
 そうして僕を気遣って笑う盲目の鳩を見ていると、なんだか少し思うところがあって、なにか鳩にやれるものがないかなんて鞄を漁ってみる。すると鞄の底にいつ入ったのかわからない粉々になったビスケットを見つけた。
「呼び止めて悪かったよ。良かったら」と僕はおもむろにその袋を破いて、殆ど粉になったビスケットをボロボロこぼしながら手のひらに出した。そうしてそのまま鳩の元へ寄ろうとすると、鳩は「お気遣いなく」と言って僕を制した。
 それから、鳩は黄色の点字ブロックから外れて僕の足元へ来ると、こぼれたビスケットを綺麗に啄んで、あっという間に全てたいらげてしまった。
 そうして僕の顔を下から覗きこんで、ニタニタと奇妙に笑うと、翼を広げて盲目の鳩は駅のホームから飛び去っていった。
 そんな飛び去る白い綺麗な羽を見送ると、あの鳩は自らの機能を万全に使ったのだと、僕は初めて理解した。

盲目の鳩

盲目の鳩

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-30

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