伝心



紙が濡れた原因より
それを乾かし、
手紙として読める状態に戻す。
それが急務でした。


記憶を呼び起こし、
水を吸わせる為に敷く
別の紙を探して、
私はパタパタと動きます。


投稿した私の短歌、
それが載っているかを
知ろうとして、
買った新聞紙はありましたから。


妙な心配はしましたよ。
変に印刷写りして、
私への大切な手紙が
例の事件と渾然一体になったりしないか、とか。


ドライヤーを手に
生温い微風を吐き続ける間、
何もできない時間に
やれる事はその程度だったんです。


帰って来て、
ろくに荷物も片付けられず
買い物をした物も床に放置して、
物思いに耽る。


静かだったんですよね。
時計の音が目立つくらいに。
生憎の天気でしたが、
その降り方に騒々しさがなかった。


電気を点けなくても
カーテンを開ければいい。
窓の分だけ、
必要な明かりが得られる。


こういう状態を
母は死ぬほど嫌っていた。
だからこんな時に、
私は彼女と背中合わせに座ります。


孤独を嫌う、
けれど馴れ合うのもごめん。
そんな難しい気質の母が、
筆を動かす事だけは続けていました。


文学的なことを知り、
著名な作品を読んでは置く。
それからノートを開き、
宙を見つめて、ペンの蓋を取るんです。


テレビのCMとか
ラジオから聴こえる音楽、
あるいは側にいる私に
今日あったことを喋らせて


騒々しさが無視される。
彼女の中のものは
そうやって初めて零れ落ちた。
排泄物より綺麗に、美しく並んで。


外からの力が働く、
それによって人の形を成す。
内と外との間の拮抗が
母の孤独であり、命だった。


私の日々は、
そんな闘いとは無縁です。
ですが、
純粋な孤独の内にあります。


それは自然なことでした。
だって、
人は感覚的に四本足じゃない。
だからペアダンスを踊れる。


この感覚からして違う、
くるくる回る日常で
私の三半規管は
無駄なお喋りを止めました。


鞄の中で震えもしません。
私の言葉で
手帳は埋まります。
さよなら、を忘れないのと一緒です。


だから、
私の孤独は
母のそれとは違う。
あって当たり前のものです。


ここで伸ばす背中と
ついでに鳴らせる関節は
私の形を作り上げて、
大人しくなります。


ここでスイッチを切って
恐る恐る、
便箋の一枚に触れてみる。
状態は少し良くなったようです。


判読出来る文字の範囲も、
内容の大意を
損なわない程度に収まりそう。
落とした涙は、無視しました。


もう一度、
風を起こして当てる。
後で並べ直せるように、
文末の繋がりを私は意識します。


「私が好きな
 母を撮った写真は、
 珍しくピースサインをする
 子供みたいな一枚です。


 怒りに囚われると
 どうしようもなくなる。
 そんな所を微塵も感じない、
 いい笑顔なんです。


 人間の複雑さを
 私は確かに母から学んだ。
 だから
 自分を単純には扱えないんです。


 均されたくもありません。
 時と場合を選んで
 均されたみたいに
 振る舞うことはあっても、です。


 シェフは名探偵ってドラマ、
 知っていますか?
 好きな台詞があって
 お気に入りなんですが


 あるお客様が、
 店の方に言うんです。
 他のお客様の風景になるから
 私は綺麗な格好をするって。


 その響きに覚えるものを
 私は今も大切にしています。
 生前の母も
 その牙を磨いて言ってましたから。


 全てが孤独と紙一重
 あなたの口癖でしたね。
 今はどうですか?
 新しい表現、生み出せましたか?


 私は、
 あなたのようには生きれません。
 死んでからもそう思うでしょう。
 一生、平行線です。


 だから興味は尽きないし、
 孤独なあなたを
 私は決して愛さない。
 それも愛、と名付けますか?


 ただただ好きでいます。
 そのために
 ナイフも心臓も要りません。
 突き立てるより、訊きたいんです。


 どんな日でも、
 晴れていようとも。」


取り戻しつつある形。
失くした声を複製する。
書かれた内容が、
私の視界で溶けていきます。


投稿しなかった短歌は
新聞紙に載らなかったものより
良かったのか、どうなのかが
よく分かりません。


ただ、お気に入りなのは
目の前の手紙に対して、
できる返信が
沢山あるということ。


床に置いたままの
冷凍食品が自然に解凍されて、
献立を考える
手間が省けたこと。


それから
鞄の中で震える端末が
逸失物の発見を
確実なものにしてくれたこと。


それが、
私がドライヤーを止める
理由になったこと。
静かな時間は進みます。


濡れた靴下は脱ぎました。
裸足のままで、
立ち止まるまでです。
ステップも複雑じゃない。


私の幸せを知りたいですか。
そう訊かれるまで、
誰かを待ってみますか。
音に合わせて


笑みを消し去って
声を発する。
機械を当てた耳の痛さも
その瞬間的な、冷たさも忘れて。



コール。
コール。


多分、同じように笑っています。

伝心

伝心

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-25

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