せい。
よくある大学生活の始まり。それが転機だった。
序章:であい。
人にはそれぞれ、適所というものがある。
今までのそう長くない人生で学んできた大切なことのうちのひとつだ。
私は目立たない。
不得意なことはない。何事もそれ相応にこなす。遅刻をしたこともなければ赤点を取ったこともないし、友人関係も良好で、特に問題なく大学に入学した。彼氏がいたこともある。至ってふつうの19歳である。
できないことがない、なんて言うと、超人のようだが、全てがそれなりであると、かえって注目のかけらもされない。
人からはわからないだろうけれど、たったひとつ私が他人より長けているとしたら、人間観察においてなのだろう。
初対面で、大体の人柄はわかる。おとなしい人でも、数日後には殻を破ってまとめ役になるんだろうな、と思ったり、かわいらしい笑顔でにこにこしている人でも、いわゆる悪役の女だろうと推測できたり。
たまにまっすぐな人がいる。
そういう人とは友達になろうと働きかける。私が友人関係で一度もトラブルを起こしたり、嫌な思いをしたことがないのはひとえにこうして深く付き合う相手を選別しているからだ。
いざ大学に入ってみると、私は混乱した。まっすぐな人などいない。
―竹内さん、
ふと名前を呼ばれて思想のループから抜け出した。
―…あ、えっと
そこには、確か同じ学科の人であろう、顔に見覚えがある、しかし名前が出てこない女性がいた。
彼女に自分から声をかけなかったのは、純真そうな見た目にそぐわない男性関係の激しさを感じたからである。
痴情のもつれほど女同士の友情にたやすく亀裂を入れるものはない。関わり合いにならない方が無難だと判断した。
―あ、突然声かけちゃって、ごめんね。宮野です、宮野ゆき。
宮野ゆきと名乗る彼女は、完全に私と友達になろうとしていた。自分から近づこうと思える相手がいず、やや孤立ぎみである私に声をかけてきてくれたのだ。無碍にはできなかった。
―宮野さん。ごめんなさい、名前覚えるの、得意じゃなくって
―気にしないで!うちの学科、人数多いもん、覚えきれないよー
人当たりが良い。ここは多少譲歩して、付き合ってみるべきか。こんなふうに付き合う相手を選ぶ自分の方がよほどたちが悪い。罪悪感に似たものを腹の中にためる。
―ははっ、確かにね。でも宮野さん、よく私の名前わかったね
―ゆきでいいよ?竹内さんはガイダンスのときに席、近かったじゃない?綺麗な子だなーって、なんか覚えてて!
―…そんなことないけど…ありがとう。私も小有里でいいよ
こういうときに女が女に向けていう綺麗だとかかわいいだとかの外見を褒めるための形容詞はたいていが意味を持たない建前だ。そんなのは女であれば中学生だってわかっている。
―竹内さんの名前、サユリって読むんだ!珍しい字だよね!
―そうかも。ふつう花の百合の字を使うサユリが多いからね
―確かに小さいに百合のサユリになら会ったことあるかも~
―ゆっきー、何話してーんの?
あ、苦手なタイプ。
すぐそう思ってしまう。昔から一番避けていたタイプ。
外見だけでないが、外見も避けたくなる要素ばかりだ。いかにも大学生然とした、ゆるくパーマのかかった肩までの茶髪。隙のない化粧に、鈍く光るピアス。聞けばコンマ数秒で○○の新作でね~と返答が来るだろうチュニックワンピース。
―あず!小有里と話してたの。小有里、紹介するね、同じ学科の、新堂有純。
―え!噂の竹内さんじゃん!やっぱまじきれい!よろしく!あずって呼んでね~
見た目通りのがさつな話し方にも眉をひそめたくなったが、それより気になる言葉があった。
噂の?
―え、噂って何?
―こらあず、人聞き悪いじゃん、噂とかって。小有里気にしないで、別に噂って言っても、うちらのいつもつるんでるやつらで、竹内さんて綺麗な子いるよねーって話してただけだから!
―そうそうっ!話してみたかった~
宮野ゆきはまだ良かった。でもこういうタイプがいる、グループでまとまるような女たちとつるむなら、孤立したままがいい…とさえ思ってしまう。しかしせっかくの大学生活なのだから、先入観を捨てて人と付き合うのも悪くないのかも…とにかく葛藤だらけで、周りで勝手に話は進む。
―小有里も一緒にサークル見に行かない?
―行こう行こう!えーちゃんたち、もう行ってるし合流しよ~
―はや!(笑)ね、小有里?
―てかさー、小有里って呼ぶのちょっと長いよ!あだ名とかないの~?てかさゆでよくない!?
―あ…うん。さゆって呼ばれてたことあるよ
―かわい~!じゃあうちもさゆって呼ぶね
―決まりっ!したらえーちゃんたちも紹介したいし、はやく行こ!
新堂有純に押し切られ、どうやら私はこの人たちのグループに所属せざるを得ないようだ。
この後サークル見学の過程で、もう二人、江住夕子、通称えーちゃんと、山崎怜奈、通称れいを紹介された。
このグループの全体が掴めてきて、よりいっそう嫌悪感が増したものの、なんとか飲み込み、ノリを合わせた。さすがに興味のないサークルの新歓に付き合う気力はなく、適当に言い訳して別れた。
この日の出来事が、私の今までそれなりだった人生が、方向転換し始めたきっかけとなる。
大学に入学して数か月も経つと、小中高ほどでないものの、女はグループ化するものだ。
私の学科では、便宜上私の所属するグループが際立って目立っていた。自分の容姿は至ってふつうなのだと自覚してきたが、どうやら少しばかり人目をひくらしいと感じ始めた。あのグループは美人ばかりだと噂される。
同じ人数くらいでつるんでいる男のグループに、幾度となく遊びを持ちかけられた。
このグループのリーダー的存在はやはり一番人目をひく新堂有純で、彼女の気分しだいで遊んだり遊ばなかったり。私はいつも適当な理由をつけて辞退したり、適度に参加したりの宙ぶらりん。
それでも段々とわかってくる、このグループの真の中核は宮野ゆきであることが。新堂有純は好き勝手やっている風に見えて、宮野ゆきの機嫌をうかがっていた。それが何故かは未だわからず、私はこの人間関係に興味が出てしまって結局グループとしてつるみ続けた。
―でさ、さゆ
新堂有純が口を開く。昼休みで次が授業のないコマなため、私たちは大学近くのお決まりのカフェに来ていた。
―ん?
―何であの人フっちゃったのー!?
最近この手の話題ばかりである。
新堂有純、宮野ゆき、江住夕子はこの数か月の間に寄って来た男や、サークルの先輩などを捕まえていた。山崎怜奈は付き合って三年以上の相手がいるという。グループ内でフリーを貫いているのは私だけということである。
―や…ちょっと、合わなくて
―さゆは好きな人いるのかなーって思ってたー。色々言い寄られても誰とも付き合わないんだもん
―それとも付き合ったことないとか?
江住、山崎の遠慮のない物言いに、少し苦笑する。困ったようにあいまいな視線を宮野に向けてみた。
―でもさゆ、彼氏いらなそうだよね
その通りなのである。
宮野ゆきは洞察力が高い。私のように人を分析して選別するようなことをしているのかはわからないが、とてもよく周りを見ている。
しかし私が最初に感じ取ったように、男性関係は派手だ。
―それがわかんなーい。あずは彼氏いないとさみしいもん
―うちも一人はさみしいなってなるー。でも今彼もうダメかも
―え、れい何があったの!?
―浮気してるっぽいから、別れよっかなって?
―なんか証拠あったのー?
―浮気とかないわー
山崎の突然の告白に皆の気が集中し、私の話題は流れた。内心ホッとしながら、「すぐ付き合い、別れる現代の若者」というテーマでひとつレポートを書き上げられそうだと思い、そんなこと微塵も思っていない様子で話の聞き手に回った。
宮野が一瞬うかがうようにこちらを見たのを感じたが、気付かないふりをしておいた。
一通り、山崎の話が済んだ。次の授業の時間が迫っていた。
―大学、戻るかー
新堂がつぶやいた。皆、けだるそうにうなずく。
―…あ、ごめん、うち戻らない
宮野の言葉に、皆が驚く。何故って次のは必修で、落とせば来年、一年生と一緒に再履修だ。私はこのグループに入って少し不安だったのだが、単位は落としたくないらしく、つるんで授業をサボろうなどという頭の悪いことには誘われなかった。
寝坊や体調不良以外の理由で、誰かが授業をサボるなんて意外にも初めてなのだ。それを言い出したのが宮野であることに、私はまた不安になる。
―えっ、ゆき、次って
―いいの。てか、うちこれからあんまり大学行かないかも。出席あるやつ、代返頼むね?
―どしたの?彼氏?
―んー…今は言えないかも。とりあえず今の彼氏じゃないよ。
新しい男だな、と皆思った。私は少し違和感を覚えた。
男性関係の派手さは周知のことだったので、皆あまり引き留めずに宮野と別れた。
宮野のいないときの新堂のテンションの高さは厄介だが、まあ放っておけばいい。気になるのは宮野だ。
新しい男ならすぐに言いそうなものだ。まだ捕まえきれてないのか?とも思った。それにしても今まではそういうのも全て言っていた。やはりおかしい、何かある。
数日後、理由は判明したのだった。
宮野ゆきは、仕事をしていた。社会人として。
せい。