断片2〜『ホー・ツーニェン エージェントのA』展〜
「引用」という言葉が雨に喩えられた箇所がすごく印象的で、見上げた先に広がる雨雲のような知性のイメージになんとも言えない興奮を覚えただけでなく、頬に当たる各一文の確かなや、瞼を閉じなければならない程の勢いを感じさせる雨足のような力強さを喚起させられて一人、心地良くなるばかりだった。
思い返せば私自身、昔から雨が降る日は外に出ても又は家の中で過ごしても一日中ワクワクしていたし、今も趣味で書いている詩を見返せば我ながら呆れるぐらいに「雨」のモチーフを取り上げている。多分、空から降ってくる時には感じられる纏まりが地面に落ちて一滴となり、再び集まって水たまりとなったりするという物理現象を巡って繰り広げられる認識上の変化が楽しくて仕方ないのだ。その雨に打たれた時の肌寒さとか、強い湿気とかの体感の違いもきっとイメージの増幅に寄与している。
そんな雨に喩えられた引用という行為は異なるテキストの内側にあって、それぞれに滋味深い効果を発揮する。東京都現代美術館で開催中の『ホー・ツーニェン エージェントのA』では二つのスクリーンが同時に視聴することが難しい位置に置かれていて、かつ異なる映像作品が同時に流れる構成が採用されていたが、そこで流れるナレーションの内容はその一部分の重複が必ず見られた。映像の面でも国内外の映画やアニメーションの「引用」が頻繁に行われ、個々それぞれに完結する多種多様なテキスト群の緩やかな繋がりを示唆していて面白く、纏まるのでもなく、バラけるのでもない映像表現全体が最終的に立体的な彫像のようにも感じられて不思議だった。
小説について言及された箇所もここで意訳混じりに紹介すれば、そこで流れたナレーションにおいて小説は、
「その構造上、開かないと読めない。だから小説の内容はどうしたって断片的にしか追えない。そのために読者は書かれている文章の意味をただ理解するのでなく、書かれているはずの物語のラストに向けて全てが繋がるように記憶し、自然発生した脳内のイメージに登場人物や自分自身の気持ちを重ねて次の頁、次の頁へと時間を重ねていく。そうやって一冊の本に綴られた物語は完結に向けて作られていく。作者が句点を打って終わりにした一冊はそれを可能とする触媒で、作者が読者に対して〈物語が最後までちゃんと書かれている〉ことを約束するものだ。そして読者がそれを信じる。この一点においてしか読書は成立しない。」
と述べられていて、その内容に読書好きの一人として感銘を覚えた。
全体像の把握を可能とする視点については再読中の『ルネサンス 経験の条件』にも岡崎乾二郎さんがブルネレスキの彫刻を巡って展開する非常に興味深い記述があって、ブルネレスキの彫刻作品に認められる各要素は一見すると容易にバラける。しかしながら、それらを物としての作品が有する外枠に縛られることなく拡張していくとそこに見事な全体性が生まれる。ブルネレスキの彫刻に認められるこの革新性が、しかし後世において見落とされていく旨の主張が論理的に説かれている。これと関連させて取り上げたいホー・ツーニェン氏の作品、『CDOSEA』はこれまで言語や宗教、政治などのあらゆる面で統一されなかった地域を〈東南アジア〉としてまとめるものは何か?というテーマの元でアルファベットの用語集を基軸にした複合的な要素(映像技術、音楽、ボーカル・パフォーマンス)から成る映像表現であるところ、知れば知るほどに雑多になっていって、収拾がつかなくなるその内実をどうにか止める器として機能していたのが結局、第二次世界大戦時に連合軍に名付けられた〈東南アジア〉という名称そのものだったという点がトートロジー的で、妙に感心してしまう説得力に満ちていた。
同じくホー・ツーニェン氏の手になる最新の映像作品、『時間(タイム)のT』において主役となる時間概念は確かに微視的に又は巨視的に語られる度に生まれては消え、生まれては消える流れを60分の上映時間内で繰り返すが、感覚的に把握できる運動としての〈時間〉と、理性的に理解する〈時間〉が私と名乗れる人間存在に及ぶと個人的に仏教の教えに近しいものを覚え、共時的に起きただけの事象に保たれる偶然性に触れた瞬間、無限にも思える広がりを感知した瞬間、思わず総毛立ってしまい、嬉しさと怖さが入り混じる複雑な気持ちになった。
恐らくここにも上記認識を可能とする何らかの一点ないしは集約ポイントを自分自身で想定していると思うが、それをうまく言葉にできない。『一頭あるいは数頭のトラ』から始まる映像作品に窺えた思想性に感じるとっつき易さとは全然違う、放り投げられたような、突き放されたような浮遊感が私の中での『時間(タイム)のT』の核心となる。視点なき認識は可能なのか?
示唆に富む文学性を有し、かつ科学的でもある当該映像作品をもって私は本展を絶賛したい。興味がある方は是非。
断片2〜『ホー・ツーニェン エージェントのA』展〜