音楽ド素人の雑談

・小学生ながらに何となく一番いいと思ったんは当時は「ゆず」やった。他の表立って流行ってる人達もええけど結構その時から然ういうの聴くと「ガチャガチャしてる」いうオッサン寄りの感想が偶にどこかから湧いて出てきたので、普段から聴いてて然ういう感覚になったことないユズを聴いてることが多かった。

・でもこれって懐古病なんか知らんけどやな、あの時ときたらそんなに興味もない人達の曲もみんな惹かれるものがあった気がする。ユズの中でいっても北川氏の曲も然うやし他のアーティストの曲も全部。ガチャガチャしてても耳に残る以上の底抜けに印象的なメロディ達が音楽番組で次々流れてくる。寧ろ聴いてるその時がそれが当り前やったから後になって有難く感じたわ。
・平成18(2006)年ごろから何か、音楽業界全体の質がガクンと落ちたような感じがした。わからん。実をいうとその年の春にヒキコモリ生活に突入したから然ういう心境と環境の変化でしかないんかも知れん、かも知れんとか思うやん。それにしても只あの感覚はそれだけやなかったんちゃうかな。
・ユズもまた同じ。何ならその前の年からもう質は下がってた。わからん。枯渇したのか。そしてあらゆる興味ないたくさんのアーティスト達が一斉にネタが尽きたような色褪せて見劣りするメロディで以前と同じような活動をしてる。何かがおかしい。みんな軽くて安っぽい作品に聴こえてくる。やっぱ心境の変化かな。然うは思いもしたけど。
・その2年後くらいには確信する。もっと薄っぺらというかネタ切れになる。もともとしょーもないアイドルが曲までしょーもなくなった。シンガーソングライターがどこかで聴いたような使い回しのメロディしか思いつかない。3年4年前が全盛期だったかも知れない人たちが軒並み消化試合で無気力な姿を見せ始めたらどうやろう。
・そこにどこからともなく突然に謎の躍進を見せるブス軍団がトドメを刺すというか油を注ぐんや。何で斯うもみんな一斉に駄目になんの。然ういえばこの頃と前後して配信の時代が色濃くなった。それが関係してるんか。わからへん。新しく出てくる世代の歌手たち自体がそもそも前の世代に比べると物足りなくてショボいのでその人達が子供やった時の90年代の音楽界がそもそも薄っぺらかった所為なんか。わからへん。
・でも確かなんはもっとみんな一世代前までは何か、良くも悪くもコシの利いた歌謡曲風味が残ってたみたいな気ぃするな。そのコシの部分だけ無くなって歌謡曲風味だけ微妙に残ってるみたいな。選りに選って引き籠って内に内に窄んでいってた時に全く気も心も休まる音楽がそこに無かった。金爆が登場した時なんて、底辺もええとこやろ。

・ほんで今の音楽はどうなんやろう。洗練されたのか。コシが復活したわけじゃない。それより歌謡曲風味がエエ感じに昇華した感じちゃうの。コシがあったらあったでもう今あらためて聴くと古いというかダサい気はするしな、今の曲は旧時代のダサい感じを排除しつつ歌謡曲風味が残ってる。言語からして歌謡曲に自然となってくのもあるやろ。
・豊かな歌詞文化とそれを乗せた日本語だけのメロディ。他の国の最近の音楽がどうとか知らなくても何となく世界の中でも豊かなものなのは分かる気がする。日本でなければならないものがある。結局はどの世代になっても然ういうものが根づいてるんは良いことや。
・ただそれを踏まえてもやけどな、もっと伴奏とか音使いとか何とかならへんの?メロディはええやん。ほんで日本語でみんなコトバ紡いでるやん。日本語でしか出せへん美しい音楽つくってるやん。それはええねん。
・その上でもっと、「ダサい音」を取り除こうとしてくれへんのかな。アニソンは特に然うやけど何か知らんけどダサいギターの音とかイントロとか歌い方とか、タルい展開とかあるやん。アニソンじゃなくてもあるやん。只々旧時代のやり方を続けてるだけ感がする。ほんで然ういうのって他の国の音楽でも昔は使われてた音やから尚更そこだけ型落ちの古びた響きに思えてダサい。折角メロディも日本語もキレイやのに魅力的やのに野暮な取り巻きの音がみんな台無しにしてくやん。
・一歩間違えたら日本語の歌って平坦なものになってまうから後ろから聴こえる音はもっと抑揚のあるものであってほしい。後ろなんか裏なんか知らんけど。英米に限らず他の国の音楽に耳を貸せば問答無用で言語を問わず色んな人をノラせる要素がある気がして然ういうのが多分ないと日本語の歌は聴くひと選んでまうわな。
・せやから最近のアーティストやと然ういう音作りの人たち居るやん。あれって難しいんかな?みんな然ういう人たちって日本語の良さを最大限に引き出そうとして引き出せてる。ダサい音作りが日本語を邪魔したりすることがない。いやホンマちょっと然ういう感じにみんなしてくれたらええんやで。

・あと、霞んだ声で水分の足りない日本語を歌に乗せてる人が居る。耳心地が良くない。言葉はもっとツヤヤカなのに。
・昭和の人とか昔のアナウンサーとか今昔のスポーツ実況の人が奏でる日本語みたいな「ニャ」とかアの音を矢鱈と強調した発音が節々に聴こえてくるのも聴きづらい。美しくない。歌に限った話ではない。

・車田さんっていうドイツ在住の声楽家?の人の声楽解説みたいな動画を観た。日本語が如何にオペラというか多くの人を魅了する歌声を育むのに不向きかを語ってはった。日本語では舌の動きが少なかったり喉に力が入り過ぎてるとかで圧倒的に魅力的な声が育まれ難い。その人は美意識とか文化の違いとか言うて優しめに言ってたけど正直、何度も何度も平べったくて浅くて硬い声やとも言ってた。

・でも日本人でも外国人でも潤える声の人も然うでない声の人もどっちも居るやん。別に国で選んでるわけじゃない。せやけど、動画でよく聴いてるのはダリムという人とダズビーという人でどっちも韓国の女性だった。
・どっちの人も声ツヤも透き通った感じも日本語の歌い方も全人類待望の感じ過ぎてツライ。歌ってほしい日本語を歌ってる。まあダズビー氏の方は日本語歴も長いので人一倍理解してるのかも知れなくてもきっと元から持ってる感性から自然と然ういう日本語になって居る。
・ダリム氏はもしかして餘り言語を学ぶのが得意じゃないのか一応勉強してるところぐらいの日本語までは喋れるが会話としては然程スラスラは出てこない。
・寧ろ然うである中でしかし、歌う時には日本語の王道の且つ今までで一番しっくり来る歌い方で日本語の声を奏でてきよる。最初の頃はもっと発音が覚束なかったのに段々それも上手くなってきたから途中からもう動画によっては韓国人かもわからなくなった。他にも韓国だけやのうて色んな国の人達が日本語のうた歌ってるけど変な訛りとか癖とかがやっぱもっとある。それを感じない。
・感性やで。色んな日本のうた聴いて歌ってる人達の歌い方とか参考にしたからって斯うはならん。もとから日本語を歌う為に生れてきたみたいな人や。知らんで。動画の中で歌うこと前提やから技術としてプロの中のプロの歌手たちに匹敵するかは分からんで。でも日本語の歌い手としてどの人にも無い魅力がある。もともと持ってる。
・やからな、ハマバル氏っていう人と解消して個人でチャンネルやるようになってから特に勿体ない思う。その相方の人がめちゃめちゃダリム氏のこと分かってる感じやったのに其の協力がないとダリム氏の歌を活かしきれない。仲違いはしゃーないけど。ほんで本人も仕事か何かで忙しいのか歌ばかりに集中して居られない。
・そしてもっと昔の日本の歌が好きでたくさん歌いたい一方で今の歌も歌った方が良いのかな的なことを名古屋のラジオ出た時に言うてはった。思うにたぶん、知りたいんやけど個人では知りきれへん部分あるんちゃう?昔の日本語の歌を。ハマバル氏の方がたぶんもっと色々知ってた。ダズビー氏はもはや専門家ぐらい恐らく知ってる。ダズビー氏はもう日本でドラマの主題歌とか歌ったりして活動してる。楽曲提供もしてもらってる。勿体ないなあ。監修してくれる人が居たら違うのになあ。
・取敢えず、「白金ディスコ」のカバー動画はツベ史上最もかわいい動画に違いない。もともと奥二重っぽい顔は好きやないのに全然そんなんどうでも良いくらい衝撃的やった。あの人は天性のものを持って居る。


・ヨアソビの人も最近は特にいい。前に挙げた2人よりも少しだけ木の質感のようなものがあってまるく収まってる感じやのにその向う側からどこまでも届く光がさし込んでくる。
・知らんで。知らんけど、世の中で人気になるものって「ワシでも勝てる」っていう要素があるんちゃうん?アイドルではよく言われるやん。親しみ易い顔の子がとびきりの美人より圧倒的に票を得るみたいな。或は有名になってるみたいな。
・近頃めっちゃ人気らしいグラビアでも正直言ってブスでも通用するような顔の人が何かカラダがめっちゃエロいからいうて絶賛されとった。そこらへんに居そうな顔な上に何か昂奮する類の顔なんやろ。それはわかる。わかるけど限度いうもんがある思うけどな。
・そこまでの親しみではないかも知れんけども、ヨアソビの人の声もそんなような節がある。ある上でしかも最近はそこに天使が舞い降りてきよったで。グラビアとか歌って踊るアイドルには興味なくてもヨアソビの人のアイドル性には気も許せてまう。どんなアイドルよりアイドルちゃうか。
・所で何か海外向けや言うてアメリカ英語で歌い直してるヴァージョンあるやん。あれ殆ど日本語にしか聴こえへんねんけど。発音が完全に日本語やねん。笑てまうわ。ほんで夜に駆けるとか語呂まで合せて頑張って英語版にしたりしてたから何か、ネタっぽく感じてまうわ。大喜利かなみたいな。オモロイけど音楽としてオモロイっていうよりネタとしてオモロイだけなんよな。


・新しい学校のその「敢てダサくしてます感」はどれだけの人に伝わってんねやろか。敢てダサくして面白くしてますいう空気を共有してる人達の中でやったら前フリとか説明いらんけど然うじゃない人たちの目に映るんは其のダサい最終形態でしかない。
・もっとカッコつけながらダサくして欲しい。それとも何や、最初からダサくてもそれでもサマになってしまうこれが日本の文化や!とでも言うんやろうか。

・米津とかアイミョンとかは何か「これは名曲だ!これは名曲だ!」って思ってもらいながら聴いてもらわないといけない感じがする。

・adoは金棒持ってる。金棒持って本当に時々あんな撫でるような声出されたら聴き入らざるを得えへんやろ、、、、。俺は金棒が怖いから聴けへんけど。

・2009年以降のイキモノガカリに才能を加えたのが緑黄色社会。

・ユーリのあの如何にもモテるオーラを前にすると只々ツラくなる。ほんであの歌い方のお陰でAメロでは渋滞しがち。曲は敢て王道やねん。モテる男や、、、。

・miletは日本語を歌わない方が良い。

・近くの小学校の運動会から聴こえてきた曲に衝撃を受けたのでそれ以来、ミセスの曲を聴こうと思う日はありません。

・カタオモイがaimerの作詞作曲じゃないのを知ってズッコケたことはある。

・バックナンバーはカバーされてこその人達なんやろうな。

・藤井風とヴァウンディを足して2で割って髭ダンで仕上げたら日本語のアーティストの完成形になるかも知れない。みんな誰もが物足りなかったりダサかったり冗長だったりするもんやから。



・カノン進行とはいうものの何のカノンなのかも知らんかったから所謂クラシックとか呼ばれる時代に然ういう元ネタの曲があったの知ってからちょっと色々聴くようになった。とはいっても本当にそんなに知らないので有名なものを聴くに過ぎない。

・モーツァルトが神の贈り物だっていう時は天を見上げるのではなく、そこらへんの小川のせせらぎに耳を澄ませたい。せせらぎに変な奇策だとか技巧など求めない。その笛の音と共に在るだけでこの日この時が何とかなるような気がする。何とかなるっていうのは何事もうまくいくとか然ういうのじゃなくてイイ気持ちのまま過ごせそうだっていう安心感。
・せせらぎに耳を貸しておいて「このせせらぎ、ずっとおんなじ感じやな」なんて思わない。そこに潤える命の糸が素直に流れ続けてるだけでもう他は何もいらない。絵具でも流して真っ赤に川を染めてしまおうというのか。杭でもぶっ刺して流れを乱してしまおうというのか。そこにそれ以上のものは何も求めない。

・そんな光景に恵まれた或る山の中に墜落してきたのが爆撃機であり、ベートーヴェンだった。あ~エエな~心が全部持ってかれるくらいの命の営みやわ~これが自然か~って爽やかになってた人が傷だらけなのにめちゃめちゃ原形とどめてるバカでかい爆撃機と遭遇したらめっちゃビビるやん。
・しかしせせらぎが其の佇まいだけでずっと絵になり続けるのと同じでそんな爆撃機もまたどうしようもなく絵になった。ぎこちない。確かにあまりにもここで出遭うには場違いも甚だしい。でもそんなものがもうそこに存在してしまってる以上はみんな何も言えない。水も葉も草木も光も。あまりにも、そこに居るっていう感じがし過ぎてる。

・ハイドンってモーツァルトに影響与えた感めちゃめちゃあるのにモーツァルトではないから何か、「美しい!」って思った時は全部スケベに聴こえてしまう。そんな積りもないのは分かってても何か下心で然も美しいかのような艶めかしい面を見せてきよんねんで。
・ほんで色んな技巧いうか細工とか施したユーモア溢れる人やとか緻密な努力家とかいう評価があるみたいやけど、明るくて頑張り屋で正確無比なスケベとか絶対イヤや。少なくとも隣には引っ越してきてほしくない。

・ショパンが矢鱈と人気なようやけど、何も知らん時の印象と比べて餘計に然う思うんかも知れん。そんなに人気なんは知らんかった。確かに、すぐ指ピロピロする人みたいに然ういう音が流れて続いてく感じじゃなくて示された道を軽快に駆け移っていくようで羽が生えてる。蝶か鳥か。ペガサスか。ちょうちょやな。只そこにもとから流れてる何気ない川よりオシャレに見える。早くお花畑に出掛けねばならない。
・ただ再生回数の思った以上の回り方とか見るに、思想が強めの擁護派がめっちゃ居そうでそこが怖そう。

・ベートーヴェンから後の交響曲っぽい人達はみんなベートーヴェンで四捨五入できると勝手に思ってたから然うでもなかった時の感動が寧ろその人達の音楽そのもの。ヴァーグナーとかブラームスとかみたいに山中の爆撃機をテーマにしたSF映画を撮る人も居るし、爆撃機から抜け出して憩いのせせらぎに辿り着いたようなチャイコフスキーみたいな人も居る。ドヴォルザークまでになると墜落現場は観光地化されとった。

・ドビュッシーとかサティとか、せせらぎを漸く自分達のモノにすることができた人達。庭師でもなく本物主義で命の営みそのもののような手触りやのに確実にそこに自分も居る。水面を眺めて居るのか。雨に耳を貸して居るのか。何にしてもそこに居る。ここまで人はやって来た。

・バッハは曲を色々聴いてみた後やと餘計に名前からして末広がりに思えてくる。バッハやわ。噛めば噛むほど系や。そこに居て有難いと思うお父さんや。ドイツ語で小川っていう単語と同じ響きだがバッハは大海だなんて爆撃機が言ったとか言わなかったとかするらしいけど、確かにな。何かすぐ指ピロピロする人の源流を感じる。そんなバッハもまた母なる太陽とか父なる地球とかに感謝してたりするんやろな。

音楽ド素人の雑談

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  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-13

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