夢かえ茸

奇妙なお話し。

昨日の夢
　夢の中で何かが成長している。眼鏡橋の袂で、猫とペンギンがパイプを吹かしていた。パイプたばこの香りは髭の先をくすぐるね、と、猫は鼻の穴から、苦い空気をふきだした。ペンギンは白い空気を吐き出して、空気が日の光に輝くのをみつめていた。髭はないが、くちばしの先に氷のかけらがまとわりつくぜ、と返事を介した。ペンギンの吐くパイプの煙は凍ったまま顔を包む。
　おたがいが、自分の世界のパイプたばこを楽しんでいると、眼鏡橋をわたりはじめたイグアナが、小石につまずいてくわえていた葉巻を落とした。葉巻は石造りの眼鏡橋の上で一度跳ね返り、空中で巻いていた芙蓉の葉っぱがむけてしまい、中のたばこが空中に舞った。鳶があわてて飛んできて、火打ち石でたばこに火をつけた。舞っていたたばこは、しゅううんと燃えると、空気の中で紫の煙になった。
　眼鏡橋から一キロ先の水道橋から見ていた鬼グモは眼鏡橋が葉巻を吸っていると、うったえた。
　ジョロウグモが、粋な眼鏡橋じゃないか、どうだいつきあわないかい、と、眼鏡橋に声をかけた。
　眼鏡橋はジョロウグモに、なんだいねえさん、おいらの背中におのりなせえ、まだ一度も蜘蛛が歩いていないんだとうったえた。眼鏡橋は嵐が来ると、しょっちゅう流されちまう。昨日できたばかりの眼鏡橋だった。
　蜘蛛が通ったからって、どうなるもんじゃなかろうに、そういいながらも、鬼グモをひっぱって、ジョロウグモは眼鏡橋をわたった。
　真ん中まで来ると、眼鏡橋が二つに割れて、ジョロウグモと鬼グモは真っ逆様に川の中に落ちていく。だが違ったね、落ちていくのは鬼グモだけだ。ジョロウグモは糸を眼鏡橋の欄干に絡ませていたから、ぶらんぶらんと、空中遊泳。するすると、眼鏡橋の上にもどった。
　鬼グモの目に、川の流れがと、目にはいる。ぎゃあ、川だと思ったら、鈴鹿サーキットのコンクリートだ。
　鬼グモはつぶれて、その上を時速３００キロの水素燃料車がひいていった。
　なむあみだぶつなむあみだぶつ。
　托鉢僧がのしイカになった鬼グモの前で経をとなえると、腰をかがめて、のし鬼グモを拾い上げ、食ってしまった。

そして今日
　レーシングカーが時速３５０キロでつっこんできて、托鉢僧の首が空高く舞い上がり、赤い血を首から噴射して地球の大気圏の外にでた。
　首は地球の方をむいて、かーっつ、といったところ、地球は真っ赤になって、血球になった。
　地球の生命は血の海の中でおぼれて死んだ。
　地球の表面では、白血球と赤血球の戦になった。形を変えることのできる白血球は、赤血球を滅ぼした。真っ赤だった地球の表面は真っ白になった。
　宇宙の果てから望遠鏡で、地球の移り変わりをみていた異星人は、ペンギンと猫が地球人だと思っていたので、どうしてあんなに地球に変えてしまったのか、理由を知りたいと思った。
　地球にやってきた、異星人は乗ってきた宇宙挺ごと地球の表面をおおっていた白血球のなかにとびこんだ。白血球は異物を取り込む習性がある。早速宇宙船を取り囲んで、ばらばらにして、自分の体に取り込んでしまった。
　操縦してきた異星人はマクロファージにとりこまれ、やがて溶かされ、マクロファージは固まって、積み重なると島になり、地球の表面に地面があらわれた。
　こうして新しい地球はまた、うまれてきた生命に汚され、こわされ、同じことが起きるわけである。
　こんな夢をみていたスフインクスは大きなあくびをして目が覚めた。
　よくある夢だ。もっときれいな、美しい夢を見たいものだ。そう思って、朝日に顔を向け、いちおう、がおーっと鳴いてみたのである。
　なんだこりゃ。
　目を覚ました夢人はベッドから降りた。
　毎日こんな夢ばかり見ている。なんとかしたいが。
　朝の５時、彼は顔を洗って、冷蔵庫から飲むヨーグルトを一本取り出すと、ぐっと飲んだ。
　朝の用事をすますと、鞄と車のキーを取り出してマンションをでた。
　外はもう明るい。
　車庫から車をだすと、大学に向かった。夢人は精神科医、今博士課程三年である。外来をやらされながら夢の研究をしている。

　彼は父親も母親も夢をよく見る家系に生まれた。静岡の富士の麓で柿の農家に生まれた彼は、正月三日の朝、家族そろって見た初夢の話をする習慣の中で育った。祖父も祖母も、必ず一富士ニ鷹三茄子といって、どれか一つが必ず入った夢を見る。もちろん両親も同じだ。二つ違いの妹は八つの頃から富士の夢しか見たことがないと言う。
　昔からあることわざで、富士（不死）は死なず、鷹は高く、茄子は成すという縁起の良いもの、特に静岡では、徳川が好んだものだと言うことで、信奉する者が多い。夢人の家族はまさに静岡の住民だった。

　去年の初夢はこうだった。
　探検する格好の夢人は、どこに行こうか地図を広げていた。東極には暑い東極大陸があり、そこは太陽が真っ先にあがって温度が９０度にもなる熱帯地獄だ。西極も暑いが、大陸はなく、熱湯が沸々永久いている。地球の真ん中には白道があって凍り付いている。東極にいくことにして、飛行機が着陸して、夢人がタラップを降りたとたん、飛行機が暑さのため溶けて鉄の塊になった。鉄の塊は大仏になって、空に飛んでいった。自分の周りにペンギンによく似た極楽鳥が歩いてきて彼をつっついた。
　どうしてこんな初夢なにになるんだ。１月３日、目を覚ました夢人は怒っていた。
　ともかく、まともな夢を見たい。

　その日、出勤した夢人は、精神科の医局に寄ると、すぐに薬理学教室の実験室に行った。今日は研究日である。予定では、夢を変えることができる物質が取れるはずである。
　とある茸の成分が正しい夢を引き起こすことに気づき、その物質を取り出す研究をやっている。その結果が今日でるのである。その茸はフジウスタケという。漢字で書くと富士臼茸である。臼を長くのばしたようなラッパ型の茸である。
　
　子供の頃からじいちゃん、ばあちゃん、両親、妹のように、楽しい夢を毎日見たい、そう思っていた。よい夢は精神活動にもよい影響を及ぼす、そんなことをどこで聞いたのか、自分で考え出したのかわからないが、医者になればそれがわかると思って勉強した。いい夢を見たくて医者になったわけである。
　親族一同、静岡で農家をやっている。医者になった夢人はみなから祝福された。地元で開業してくれと、母親の実家から病院建設費用の提供まで提案されていた。夢人が精神科に入局したといったら、がっかりして、お嫁さんは内科の医者にしろ、などといわれている。親族は内臓の医者のいる病院が建てたかったのだ。
　精神的な疾患に使う薬が、脳にどのように作用しているか、学んでいくうちに、脳にはたらいて、夢をコントロールする薬をつくってみたいと思うようになった。
　脳の夢を引き起こすには脳幹が重要であると学んだ。必ず楽しい夢が見られるという夢を変える薬をつくる。そう決心をした。
　夢は体調によっても影響を受け、体調が悪いといやな夢を見ることがあるが、それを楽しい夢に変えるわけだから誰もがほしがるに違いない。もちろん体調をよくすればいいのだが、体調が悪くても、楽しい夢をみることができれば、逆に体調も早くよくなるだろう。病気回復補助の薬としても使える。
　精神に作用する薬を、向精神薬という。向精神薬の成分は自然界の中にたくさんあり、それを薬として抽出したものだ。茸にはそういった成分がたくさんある。茸を食べると幻覚や快楽をもたらすことから、太古の時代から医事や祭事にもちいられている。現代では毒茸といわれている多くの種類は、死に至るというより、精神に異常をきたすものと考えてよいだろう。有名な毒茸である紅天狗茸は一本食べても死までにはいたることはほとんどない。しかし、幻覚、妄想をひきおこす。

　今日、いい夢を見ることのできる成分が抽出されるが、それは静岡のフジウスタケからとりだしたものだ。
　この茸に行き着いたのは、家族、特に妹のおかげである。
　夢人の家族、おじいちゃんおばあちゃんは茸が大好きで、富士山の麓で茸狩りをして、保存食にしておいて毎日食べていた。母親の両親も茸が好きだったし、母親父親たちも茸好きだった。彼は茸がすごく好きというわけではなかったが、妹のように、煮込みの中に入っている茸だけを選んで食べるようなことはしなかった。
　医者になった年の秋に静岡の富士市の実家に帰った。
　富士市の富士の袂には丸火自然公園がある。万葉の森ともよばれ富士市保険休養村のあるところだ。茸狩りの会などが開かれる。昔からそこに住んでいた人はたくさん茸を食べていたのに違いない。
　じいちゃんばあちゃんは万葉の森に行く手前の川沿いにある荒神社の近くに住んでいた。両親の代から三沢というところひっこして、彼も今の家である三沢の家で生まれた。
　最近は万葉の森途の間に、新東名高速道路が通って、柿畑だったところが分断されてしまった。両親は残った小さな柿農園で柿の栽培をしている。周りの景色が悪くなってしまったが、それでも両親は秋になると万葉の森にいって茸を採ってきて保存食にしていた。
　夕飯を食べながら家族に茸のことを聞いた。
　「食べると夢を見る茸なんてないかな」
　「夢も毎晩見てるし、いつも食べてるから、わからんな」
　おやじは茸のバター炒めでウイスキーをのんでいる。
　「たとえば、椎茸を食べた日は、特にこんな夢を見たなんてことなかったの」
　「ないよ、いつも一富士二鷹さん茄子のいい夢だよ」
　母親が茸の佃煮と柿漬けでご飯を食べている。柿園の接ぎ木をした柿の木に、渋がもどってきたのがあって、その渋柿を塩に漬けたものだ。秋田のやりかただそうだが、とてもうまい漬け物だ。
　「おにいちゃん、フジウスタケって知っている」
　妹がテーブルの上の器に入っている茸を指さした。
妹は短大をでてから両親の柿園を手伝っている。
　器のなかには、醤油で煮た茶色くなったラッパ状の茸がいくつか重なっていた。
　「しらんな、いままでたべたことあったっけ」
　「そいつさあ、そんなにとれんけど、秋には必ず雑茸と一緒くたにして食ってたよ」
　おやじがその茸を箸で摘まんだ。
　彼も一つとった。
　「ああ、茸って感じだな、だけど味には特徴がない」
　妹も一つ食べると、「これ富士山に特によくみられる茸だって、珍しいんだよ」といった。
　「わたしたちはいつも食べてたけどね」
　母親も食べた。
　「これ食べると、ふしぎと、すっきりねむれるようなきがするな」
　父親が飲んでいるウイスキーはキリンのシングルグレーンだ。富士という。
　「これうまいだろ、いい夢を毎晩見るよ、今日は鷹の夢がいい」
　おやじの機嫌がいい。
　酒と茸がいい夢をみさせるんじゃないか、彼はそうおもった。

　その会話が、フジウスタケを使って研究を始めるきっかけだった。
　フジウスタケは採れれば妹がおくってくれたが、たくさんとれない、それで他の茸も混ぜて茸酒をつくり毎日飲んだ。
　だが夢は支離滅裂のままだった。
　大学院２年目の夏の終わりだった。妹からフジウスタケがたくさん採れたから送ると連絡があった。
　彼はさっそく、フジウスタケをウイスキーにつけた。一月後にそのウイスキーを飲んでみた。
　富士山で茸採りをする夢を見た。かなりまともな夢だ。
　次の日もそのウイスキーを飲んだ。すると、マンションの窓から鷹がのぞいている夢を見た。
　これはいける。
　三日目は茄子のお新香で、ご飯を食べる夢を見た。
　まともじゃないか。そこで、次の日は飲まないで寝た。すると、富士山が山崩れを起こしてなくなってしまい、鷹の手羽先を食べて、茄子のお化けにおいかけられた。はちゃめちゃな夢だが、三日間フジウスタケの酒を飲んだ効果が残っていたので、富士と鷹と茄子が出てきたのだろうと解釈した。
　これは薬になりそうだ。い妹にアルバイト代研究費から出すから、友達に手伝ってもらってたくさん採ってくれとたのんだ。
　次のとしだった。大学院最後の年である。段ボール三箱のフジウスタケがとどいた。彼は冷凍しておいて、フジウスタケの成分を抽出し、どの成分が夢をまともに変えてくれるか自分で飲んで調べた。
　そして、とうとう、まともな夢を見ることのできる成分が、アルコール抽出することで明らかになった。
　そして、きょう、その成分が粉としてできあがるわけである。
　実験室のフリーズドライの機械にとりつけてあった瓶をはずした。フジウスタケの夢を変える成分のはいった液体を凍らせて乾燥させる。
　夢人は身長にできた粉を１０ミリグラムずつ分封し、家にもってかえると、寝る前にウイスキーに一袋入れて飲んだ。
　その夜、富士山の木の上に止まっている鷹に朝日があたって輝いているのを見ながら、ゆでた茄子に醤油をつけて食べる夢を見た。
　これはよく効くと思った次の日の夜、飲まないで寝た。きっとは茶めちゃな夢を見るに違いないと思ったわけである。ところが、やはり富士山の木の上に鷹が止まって、朝日に輝いていた。自分は茹でた茄子に醤油を垂らし食べていた。
　飲まないでも、まともな夢を見るようになった。次の日も次の日も、飲まなくても、富士山、鷹、茄子の夢を見た。
　一度飲むだけで支離滅裂な夢を見なくなり、一富士二鷹三茄子になった。これはすごい薬だ。
　早速薬理学教室の教授と相談して、製薬会社と契約を結び、臨床試験を繰り返し、一度飲むと夢が変わる薬として売り出すことになった。
　彼はそれで博士号を取得した。薬は売り出され、最初の一月よく売れた。だがその後、パタッと売れなくなり、製薬会社は薬屋から返却された薬のやまとなった。
　その時点で、彼にはその理由がよくわかっていた。
　自分の開発した夢をかえる薬は、富士山と鷹と茄子の夢しか見せてくれなかった。
　同じ夢ばかりじゃ楽しくない。あのペンギンやイグアナ、ジョロウグモや鬼蜘蛛のでてきたような、はちゃめちゃな夢が懐かしい。
　夢というのは奇想天外だからいいのだ。
　やっと夢の役割を彼は知った。
　夢は夜の遊園地だ。
　この薬はそれを壊してしまう。
　いつまで夢を変える薬の効果が続くのだろう。
　彼は富士の神社にお参りに行った。
　早くこの薬の効果が消えくれますように、そうお願いして、精神科医の夢人は、お賽銭を放り込んだ。