くるりくるり

くるりくるり

艶ぼ~いシリーズの花里ちゃん主人公の物語です。
シリーズを読み終えたかた向けです。
25/3/24に連載終了、書き終えました。
スピンオフ含め、全シリーズこれにて終幕です。
読んでいただいた全ての皆さまに感謝します。

出会い

1.彼方から来た少年

菖蒲姐さんの手伝いを終えて座敷から置屋に戻ると、今日は休みを貰って置屋に残っていた新造仲間の桃乃ちゃんに手招きで呼ばれた。

「花里、大ごとや! えっらいことが降ってわいたんよ!」

「どないしたん? 何をそんなに興奮しとるん?」

「揚屋では噂になってへんかった? 壬生浪が異人の格好の二人連れを追いかけてたっちゅう。」

「そういやお客はんから聞いたわ。」

「そのうちの一人を慶喜はんが連れて来よったんよ、藍屋に居候するんやて!」

「え~?」

慶喜はんがけったいな事を持ち込むのはいつものことやけど、異人さん……座敷でお酌をしたことは数度あるけれど言葉が解らないから話したことはない、それが居候? ほんまに?
秋斉はん断らなかったんやろうか?

「花里。居候に膳を運んでやってくれるか?」

翌朝、掃除をしていたら番頭はんに声をかけられた。

「ええ? 異人さんなんやろ? 怖いわぁ番頭はん。」

誰か替わってくれへんやろか。助けを請うように他の新造仲間を窺うとみんなぶんぶんと首と手を振る。みんなして薄情もんや。

「異人ではないようや。秋斉はんが言うてた。異人の身なりをしとって異国語が話せるが、長崎から来た医者見習いなんやて。若い男や、怖くないやろ。」

「若い男?」

「花里、怖いんやろ? うちが持っていこか?」

「今更なに言うとんの、さっき替わる言うて欲しかったんに。」

恨めしそうに軽く睨むと、てへへと笑いを返される。ほんま調子ええ娘たちや。
膳の用意をして秋斉はんの隣の部屋に尋ねていく。話し方が変った少年やった。うちと同い年やろか?
東男とも西男とも違う。雅さはないし色気もない。真面目そうで利発そうや、そらそうか、お医者様になる人なんやし。

それなのに何故か惹かれる。なんやろう? 変った少年や。今まで出会ったことがない風の人間やと思うた。

「19歳!? 見えへんなぁ。」

「幼く見える顔立ちなんやね、きっと。」

「話し方はどない? 色気はある?」

普段なら寝てる姐さんたちも起き出して、うちの部屋に集まる。みんな興味津々やった、新しい居候の若い男に。

「奏でる音って書いて、かなたって読むんやそうです。」

「名は風流やんなぁ。」

「花里には好みやった?」

「細すぎるわぁ。うちは好みやないです。」

「花里はお相撲さんが好きやしあてにならへん、この娘、歌舞伎役者に興味ない言うくらいやも。」

「けんど、なんや、変かもしれまへんが。」

「なに?」

「一目見て思うたんです、あ、友達になりたい、て。」

「なんやの、それ~。」

姐さんたちも新造仲間もクスクスと笑う。

でもきっと話したら解ると思う。

奏音はんは、そういう風なんやって。

この時は気付かへんかった。まさか奏音はんと関わることで自分の生き方がくるりと変わるなんて。
それまでの自分が、想像も出来ないような考えを持つようになったり、誰かの為に闘いたいと願うようになるなんて。

わて、時々思うんよ。

最初に会うた時にはもう、

わくわくしとったんやないかなって。

くるり、くるり。身の回りがまるで万華鏡のように彩りを変えていく。

それはなんて、綺麗なんやろう。



2.耐え偲ぶ遊女

「堪忍してください、堪忍してください、」

泣き叫ぶ桃乃ちゃんにも容赦無く鉄扇が振り下ろされた。わてを含め他の遊女仲間が悲鳴をあげると、その悲鳴をあげたことに対しての制裁が降りてくる。「客をもてなす気が感じられない」と背中を蹴られた。

嫌や、嫌やと思うてたけど、やっぱり酷い目に合った。以前も下卑た笑い方と人を馬鹿にしくさった態度に腹が立ったけど、今日はなお酷い。

菖蒲姐さんが頭を下げて身体をまさぐられることでなんとか収まったけど、悔しくて悔しくて涙が出そうでグッと歯を食い縛る。耐えなあかん、これが遊女の世界や。

何もかもを諦めて笑う、そんなのお茶の子さいさいや。毎日綺麗な着物が着れて白いおまんまが食べれてぬくい布団で眠れる。今日食べれるものすら無く、母親はやせ細り赤ん坊の弟に乳も与えられず、弟は産まれてまもなく亡くなってしまった。あの頃に比べたら、今は天国や。秋斉はんは遊女の故郷にきちんと食べ物や着物を送ってくれる優しい旦那はんやし。
そうして笑ってお酌を続けると、東男とは思えない優男風の壬生浪に声をかけられた。

「何故、我慢して笑えるのですか?」

笑顔を保ったまま首を傾げてみせる。何も考えてない、何も感じない、馬鹿な女の振りをせなあかん。

「悔しくないんですか?」

じゃかあしい男やな。悔しくないわけあらへんやろ、けど女が刀を携えた男連中に逆らえるわけあらへん、どんなに客が横暴でも耐えなければ遊郭を追い出される。それで我が身が飢え死にするだけなら、そんでもええ。わての稼ぎには故郷の兄弟と親の命がかかっとるんよ、なんも知らんで要らんこと言うな。
叫び返したい衝動を堪えて笑う。

「総司、止めなさい。」

「近藤さん、でも、」

「解っていても耐えるのがこの人たちの仕事だ、口出しするんじゃない。済まない、我々も、出来る限り抑えたいのだが、今日は悪酔いが酷い、迷惑をかけて申し訳ない。」

ごつごつとした、がたいの大きい男の人が若い剣士を窘めた。

置屋に戻ると番頭はんが泣き続ける桃乃ちゃんを宥めながら顔を手拭いで冷やし続けていた。

「酷い男や、女の顔を殴るやなんて。遊女は特に商売道具やのに。」

それを見ていたら我慢していた涙がボタボタと落ちてきた。菖蒲姐さんが抱き締めてくれる。ポンポンと優しく頭を撫でられてもっと辛くなった。

「すんまへん、すんまへん、一番辛い思いしたのは姐さんやのに、」

「なに言うてますの。あんさんらを護るのがわての役目や、そんなこと気にせんの。」

そこに出かけていた秋斉はんが血相を変えて帰ってきた。真っ直ぐに桃乃ちゃんに向かっていき顎を優しく持ち上げる。

「こら酷い。痛かったやろう。すんまへんな、わてが出かけてなかったら駆けつけたのに。護れなくて。」

商売道具に傷をつけるとは何事や、と他の店なら叱咤されることもあるだろう、ここはやっぱり良い店や、わてらは幸せなんやろう。

遅れて飛び込んで来たのは奏音はんやった。走ってきたのか息を切らせている。

「すみません、遅れました、」

息を整えることなく袋から様々な薬草を畳の上にばら撒くと桃乃ちゃんの顔を掴んだ。

「沁みて痛いだろうけど我慢してね。膿を出すから切るよ。」

青黒く腫れ上がった頬の膨らみに小刀で切り目を入れるとドロッとした白い膿が出てきて目を逸らしたくなった。
綿花で消毒をして塗り薬を乗せて包帯を巻いていく。本当にお医者様みたいやった。これでも見習いなんやろうか。わてとは大違いや。遊女見習いのわては菖蒲姐さんに護られてばかりで、今日も何にも出来へんかったんに。

「うっうっ、」

泣きじゃくる桃乃ちゃんを抱き締めて赤ん坊をあやすようにポンポンと背中を叩く。

「傷が残らないようにちゃんと治すからね。元通り綺麗な桃乃ちゃんにするから。」

怒れとも、泣くなとも、笑えとも、
奏音はんは言わへん。慰みの言葉もない。自分が護るとも言わへん。

なのに優しい。すごく、すごく優しい。

なんでやろ。

なんで、そんなことが出来るんやろ、奏音はん。いったいあんさんは何者なん?

どうやって生きてきたらそないになれるん?

あんさんは何処の彼方から来はったんやろう。



3.居候は男が好き?

朝の掃除を終えて桃乃ちゃんの部屋にお見舞に行くと他の新造仲間の子らが集まってきゃいきゃい騒いどった。

「ほんま凄いわぁ、綺麗に治っとるやないの。」

「気のせい? なんか前より肌綺麗になってへん?」

「うふふ、せやろ? 奏音はんがなぁ、せっかくやし、言うて肌が綺麗になる水をくれたんよ。あとなんや薬みたいなんも飲まされてん。ずっと飲んどったら肌が綺麗になったんや。」

「えぇぇ、ズルこいわぁ、うちも薬欲しいぃ。」

「頼んだらええやないの。」

「言えへんよ、奏音はんに診て欲しいちゅうお客はんぎょうさんおるんやから。」

「もう、すっかり居候やなくてお医者様やんな?」

「あ、花里。奏音はんと出かけたんやなかったん?」

「出がけに慶喜はんが来はって、別な用事が出来たんやて。」

医者見習いの居候扱いやった奏音はんは秋斉はんと得意先を回って診てるうちに、すっかり評判の“将来は名医”と噂される人になって随分と忙しくなった。
異国語が話せるので慶喜はんの手伝いの仕事もあるらしく、秋斉はんに頼んで薬草を採取する仕事を覚えて奏音はんを手伝いたいと申し出た。
てっきり稽古があるからあかんと反対されるかと思うたのに秋斉はんは許してくれた。今日はそれに付いていく予定やった。

「ほうか。あんな、うち、花里に聞きたいことがあんねや。」

「なん?」

「聞きたいこと、ちゅうより、言いたいこと、かもしれへんのやけど。」

桃乃ちゃんは両頬を手でおさえて言いにくそうに俯く。

「あんな、うち、奏音はんに惚れてしもうた。」

「えええ!?」

周囲の新造の子らが驚く。うちも驚いた。

「奏音はんはええ子やけど……見た目がなぁ、わらしのようやろ。惚れるて、ないわぁ。」

「桃乃、そんな趣味やったっけ? 奏音はんは子ども過ぎるやろ、大人の男の色気がひとつもないで? 背は高いかもしらんけど華奢やし、声はちぃと高いし。19歳とはとても思えへん。」

「それになぁ、」

「うん、言いにくいけどなぁ、」

「なんよ? はっきり言うてや、釣り合わへん言うんやろ、どうせ、」

「阿呆、そんな意味やないわ。」

「嘘や、奏音はんみたいな将来有望のお医者様とうちでは、」

「違うて、桃、ちゃんと聞きい!」

「惚れた旦那はんと、いつか添い遂げる。遊女の幸せや、他の誰が釣り合わへん言うたかて、わてらが言うわけないやろ、応援するて。」

涙目になる桃乃ちゃんを叱咤激励する。けれど新造仲間の露葉ちゃんは残酷に追い撃ちをかけた。

「けど、奏音はんは無理や。他の子らも遊女姐さんがたもみんな言うとる。あの子はおなごの身体に興味無い。男色や。」

「ううっ、」

「桃も気付いとったんやろ? 百戦錬磨の姐さんがたが遊びで誘惑してもひとつも顔色変えへんのやで?」

「桃乃ちゃん、うちに聞きたいことってそれやった?」

コクンと頷く桃乃ちゃんに心が痛む。堪忍、桃乃ちゃん。うちも奏音はんはそっちや思とった。ついでにこれだけの綺麗どころとずっと暮らしとって、ひとつもそういう噂が登らへん秋斉はんもそっちや思っててん。二人がくっついたらおもろいなぁなんて他の子らと噂してたんや。


4.住んどる世界が違う

憂鬱なのが半分、それでも行ってみたいのも半分。いや半分かて行かなあかんのやけど。
お使いの帰り道に壬生浪の屯所を覗いて奏音はんの様子を見てきて欲しいと秋斉はんに頼まれた。

「……旦那はんも難儀な性格どすなぁ。」

「へぇ?」

「奏音はんが心配ならちゃんと奏音はんに判るように伝えたらええのに。」

「……」

秋斉はんは表情の読めない平坦な眼差しでだんまりをきめこむ。

「わてらには優しいのに奏音はんにだけ厳しない?」

「何者か判らんからや。」

「奏音はんは悪者やないと思いますけど。」

「愛想の良い不審者ほど怖いもんはないで。わての仕事はこの藍屋を護ることや。あんさんらに何かあってからでは遅い。」

にっこりと笑って言う。なのに心配だから様子を見に行かせるて。どんだけ屈折してんねん、秋斉はん。
馴染みのお客様を診察した帰り道に奏音はんが謎の侍風情に襲われた。護身術を身に付ける為と壬生浪の夜回りで奏音はんを護らせる為に、秋斉はんが壬生浪の屯所に通わせるよう手配したらしい。
置屋は騒ぎになった。うちも不安やった。壬生浪のお座敷で酷い目にあったばかりの桃乃ちゃんは奏音はんへの想いも重なってはらはらと涙を落とした。
奏音はんは平気なんやろうか? 秋斉はんに言われなくても自分が心配で見に行きたいのが半分。壬生浪への恐怖と嫌悪感で行きたないと訴える気持ちが半分。

そんな思いで訪れた屯所の垣根からそっと庭の様子を窺った。庭には誰も居なかったけど庭に面した縁側で奏音はんが座って将棋を差してるのが見えた。
向かいに座っとるのは、あ、あの時若い剣士に注意しとったごっつい人や。
二人とも真剣な、でも無表情で基盤を見つめている。将棋のことはさっぱり判らんけど、二人を囲んで見守る壬生浪連中が一喜一憂してるのが表情から判って白熱した面白い勝負なんかなと感じた。
平気やろか、奏音はんが勝ってしまったら不興を買って殴られたりするんやないの?
ハラハラして見ていると、ごっつい人が「参りました。」と頭を下げて、ひっ! と声が出そうになる。あかんやろ、奏音はん、勝ってしまわないように手加減せんと。
けれど壬生浪連中はドッと笑いだしたのだ。
「あっはっは、弱いなぁ近藤さん。」
「剣術とは大違いですね。」
「けっこう良い勝負だったじゃないか? 相手が強すぎるんだよ、お前らもやってから言いなさい。」
「よーし、ぱみはむ殿、次は俺がお相手いたす!」
「いけ、斉藤! 貴様なら勝てる!」
「ええ? 休憩長くないすか? 俺は剣術を習いに来たのに。」
「総司が仕事から戻ってくるまで暇だろう?」
「他の人が稽古してくれたっていいのになぁ。」

あの座敷に居た連中と同じ人間とは思えへん。なんやろ? この気持ち。腹が立つような哀しいような。

あぁ。下、なんやな、わてらは。

男をもてなし、男の機嫌を伺い、町娘には商売女と見下される。
奏音はんが酷い目におうてへんか、なんて要らん心配やったんや。奏音はんがあまりにもわてらを普通に優しく扱うもんやから勘違いしとった。育ちが良さそうな風体、知識が豊富で、お医者様で、異国語が話せて通訳も出来る。
考えたら解るやんか、住んどる世界が違うて。

なんで。

なんでうち、奏音はんと友達になれるかもしらん、なんて思ってしまったんやろう?

「パミュパミュさんに御用ですか?」

若い剣士に声をかけられてはっと顔をあげる。「何故我慢して笑うんですか?」と人の立場も理解せんと言うてた男。確か沖田総司、やったっけ。
こんな時に、なんで現れるねん、あんさんみたいなのに一番会いとうないのに。

「今日は泣きそうな顔だ。」

その指摘に逃げ出したくなった。


5.越えられた垣根

惨めな気持ちに俯いていたら頬に風がザァッと走る。紺色の着物が目の前ではためいて人が跳んでいた。奏音はんや。

「花里ちゃん、どうしたの? お使い?」

着地して振り返る。ニコっと笑って無邪気な少年が話し掛けてくる、人の気もしらんと。

「パミュパミュさん、門戸を出る時に垣根を飛び越えたら駄目じゃないですか、泥棒じゃないんですから!」

「あ、すみません。つい。」

苦笑する奏音はんの後ろで壬生浪たちが集まってくる。

「総司、帰ってきちまったか。もう少し遅れてくれば良かったものを。」

「え!?」

「せっかくはむぱむ殿と将棋を差していたのになぁ、つまらん。」

「そんなの私に言われても知りませんよ! だいたい藍屋さんに礼金を頂いているんですよ、ちゃんと剣術を教えなきゃ駄目でしょう!」

「真面目過ぎるんだよ、お前は、」

「貴方たちはもう少し真面目になるべきです!」

やいのやいのと掛け合いが続くなか、奏音はんが言う。

「すぐに戻らなきゃ行けないのかな? 急ぎのお使い?」

そうやと言えばいいのに、ついいつもの癖で愛想良く答えてしまう。

「ううん、秋斉はんにな、奏音はんが心配やから様子見てきて欲しい頼まれたんよ。」

「え、嘘? 藍屋さんが? なんか珍しくてかえって怖いなぁ。」

「あはは、なんで旦那はん、奏音はんには意地悪いんやろね?」

沖田総司がこちらを見ている。言わんで。お願いやから、奏音はんの前では言わんで。無理して笑てる、て気付いていたとしても。

「なら稽古の後に置屋に一緒に帰ろ。今日はもう慶喜さんに頼まれてる仕事もないから。」

「うん。そうする。」

最初に断れなかったから、もう帰れへん。

「あの、パミュパミュさん、」

沖田総司が口を開く。ビクリと身体が震える。何を言う気やろう。そんな怯えを他所に奏音はんが先に沖田総司に話しかけた。

「剣術の成果を見てもらおうと思って。駄目ですか?」

「……もしかして、パミュパミュさんの、いい人なんですか?」

「え、そうなのか? ぱみ君?」

「そんな! 子どもみたいな顔してこんなに可愛い娘と!」

「だから見つけた途端に走って、垣根を越えて……」

「ふふ、置屋の女の子はみんな可愛くて好きですけどね。俺の一番好きな娘は花里ちゃんです。」

え。奏音はん、男色やないん?

「でも安心してください、俺は故郷に残した恋人をまだ忘れられないんで、どんなに可愛いと思っても手は出しませんから。だから俺に遠慮せずに口説いていいですよ? 沖田さん。」

「なっ、なにを! 言って、るんですか!?」

「ほら動揺した。」

「おお、本当だ。」

「沖田さんが自分から歩き寄って女の子に声をかける、ってまずないですもんね。近藤さんが怪しい怪しい言ってたんですよ。」

「フッフッフ、俺の勘は当たっただろう、奏音君。」

「当たりましたねー。ほら顔真っ赤。」

「あぁ、その娘か、この間、珍しく総司が話しかけた遊女って。」

「え。そうなのか、化粧や格好が違うから気付かなった。」

「それなのに沖田さんは気付く、と。」

「愛だなぁ、総司。」

「ち、違っ、」

「馬鹿、お前ら、総司を揶揄うのはあとでたっぷりやれ。」

「あ、そうでした!」

垣根の前にザザザっと壬生浪が隊列を組む。そして一斉に頭を下げた。

「先日はご迷惑をおかけして申し訳ない!」

「……え?」

奏音はんが耳打ちする。「芹沢さんの前で謝ると、かえって暴れるから謝りたくても謝れなかったんだ。」お腹のほうから熱いものがせりあがってくる。

堪忍、奏音はん。置屋の新造のみんな。姐さんがた。番頭はん。秋斉はん。

ほんまに堪忍してください。この人らも、奏音はんも。わてらのこと、遊女のこと、下に、なんか見てへん。

うちが勝手にいじけてただけやった。恥ずかしいわ、もう。



6.返されるカード

番頭はんに頼まれて奏音はんの部屋に膳を持っていく。

「秋斉はんに似とるなぁ。仕事に夢中になるとすぐ寝食を忘れるんや。」

秋斉はんが楼閣の旦那にしては若い分、番頭はんは秋斉はんのお母さんみたいやと思っとったけど、もう一人息子が増えたみたいやった、番頭はんがそれを気に入ってる風やのがなにやら可笑しい。

「奏音はん、ご飯食べてへんのやろ? 入るよ?」

襖を開けて中に入ると奏音はんはいつものように黒い本を読んでいる。

「今日はなにを読んどるの?」

「んー。肝臓に効く薬の調合を調べてる。」

毎日毎日学問ばかりや、うちには考えられへん。膳を置いたが食べそうにない。食べさせてあげよか思うけど桃乃ちゃんの顔がちらついた。奏音はんが男色やなくて故郷に残した子を想ってるらしいことを桃乃ちゃんにも他の子にも伝えてない。
いまいち腑に落ちないのや、奏音はんがうちを好み? そんな風には見えへんなぁ、友達として好かれとる気はすごくするのだけど、男色を隠す嘘ちゃうか。
そんなことを思いながらふと文机の上にある札を見つけた。花札……とは違うようや、異国風の絵が描いてある。

「奏音はん、これ何?」

「ん? あートランプだよ、あ、ご飯、ありがとう。」

今頃お膳に気づいたらしい。

「見てもええ?」

「うん、どーぞ。」

お膳を食べ始める奏音はんの横で、とらんぷを畳に拡げてみる。菱形、三葉? これは……何やろ銀杏の葉? もうひとつは桃? やろうか。異国の服を来た人が逆さまに繋がって描かれてる。変った絵やなぁ。
不思議な気分で眺めていると、食べ終わった奏音はんが図柄を指して説明してくれる。

「ダイヤ、クローバー、スペード、ハート、これは外国で使われている数字。ちょっと待っててね。」

文机の上に硯と筆を用意しだしたので、「うち、お膳片してまた戻ってくる」と言うと、

「ありがとう、じゃあ女の子何人か連れて来れるかな? これで遊んでみない?」

と言われる。ええのかな、奏音はん忙しそうやったのに。けどやってみたい。なんやろ、胸が変や。恋ではないはずや、うちは奏音はんは好みやないし、男色なら秋斉はんとくっついて欲しいし、そうじゃないなら桃乃ちゃんと結ばれてほしい。
なのに胸がトクトクと鳴っとる。身体が火照る。そしてそれが気持ちええのや、なんやろ、これ?
桃乃ちゃんと露葉ちゃんと牡丹ちゃんを呼んで戻ると、札が裏返して畳に拡げられていた。

「よし、やろっか、神経衰弱。」

何やら身体に悪そうなことを奏音はんは言った。遊び方を教わって、みんなでキャイキャイ騒ぎながら札をひっくり返す。
なんやのこれ、めちゃくちゃ楽しいんやけど!

くるりくるり。
札が返される、戻される、みんなで笑う。

奏音はん。

奏音はんに会うてから毎日が驚きの連続や。それはなんて楽しいんやろう。


7.持ち上がる疑い

揚屋のお座敷で偶然仲良くなった他のお店の遊女、桔梗はん。新選組の芹沢はんに贔屓にしてもろてると聞いて、心配やった、酷いことされてへんやろか、酔って殴られたりしないんやろか。
だから芹沢はんが殺されたと聞いた時は血の気が引いて倒れそうになった。

「花里、安心し。」

ふらついたところを支えてくれた秋斉はんがこっそりと耳打ちする。

「芹沢はん以外は誰も犠牲になってへん。」

新選組の粛清と聞いてたから、意外やった。今までなら討ち入りの家人もろとも密偵の可能性があるなんて滅茶苦茶なこと言うて全て斬っていたのや、だから壬生浪は嫌いやった。

「近藤はんの指示なんやて。穏健派や。今までの狼藉振りは減るかもしれまへんな。」

番頭はんにそう話してる秋斉はんに首を傾げる。旦那はん、昨日今日噂になったばかりでなんでそんなに詳しいんやろ?

秋斉はんに許しをもろて桔梗はんに会いに行く。

「無事で良かった。心配しましたえ。」

「ありがとう、花里はん。」

「芹沢はんと一緒ではなかったん?」

「それがな、ちゃうのや。新選組に助けられたんよ、二人連れで、片方は、えっらい男前の! 今から襲撃があるから逃げ、て、遊女やいう子に起こされてん。その子、新選組の間者や言うて男装してたんよ。あ、その子にそれは言うたらあかん言われてるから、これはここだけの話やで。」

遊女の“ここだけの話や”に立てられる板はない。噂はあっという間に拡まった。
新選組に女が男装して混じってるらしいとの噂で沖田はんが着物を脱がされそうになっていたのだとか。
噂の男前を一目見ようと屯所の垣根周りには女の子の人だかりが出来て、稽古に身が入らず土方はんが毎日怒鳴っとる、と奏音はんは笑ろてた。

「沖田さん、刀抜いて怒ってた、花里ちゃんにも見せたかったなぁ、スゲー面白かったんだ。」

クックッとお腹を押さえて笑う。わらしのような顔をしとるけど、奏音はんは男の子やと思う。
けれど女装なら出来そうや。遊女の格好をした新選組の間者やと名乗る子と色男の二人連れと聞いてすぐに、奏音はんと秋斉はんやないかと思うた。
それなら秋斉はんの聞き耳が早すぎる辻褄も合う。

「女装やなかったよ? 襟元から胸元見えてん。あれは間違いなく女やった。」

桔梗はんの見間違いということも無さそうや。ならわての勘違い? それとも……

奏音はんが女?

ストンと腑に落ちる。歳の割にわらしのような顔、百戦錬磨の姐さまがたが誘惑しても堕ちひん理由、男にしたら華奢な身体と少し高い声。

まさか、そんなはずあらへん。

ブンブンと首を振る。見た目はそうかもしらんけど。

「もう一回や。」

「ええ? 勝ったのにもう一回ですか?」

苦笑しながらそれでも秋斉はんのおねだりに付き合う。秋斉はんがこんな風に甘えてるところは初めて見た。
見た目はわらしのようやけど、奏音はんは大人や。周りの人に優しくて面白くて、それでいて聡明で、お医者様で、何を聞いても答えてくれる、口頭やったり図に描いたりしながら、「なんで影が出来るん?」「お月さんが欠けるのはなんで?」なんて曖昧な問にも迷わず答えていくのでみんな面白がってどんどん質問する。

「疲れへんの?」

と聞いたことがある。診察や秋斉はんのお使いや慶喜はんの手伝いや薬の調合。わてらの戯れ言に付き合う暇なんて無さそうやのに。

「嬉しいからいい。」

「嬉しい? て?」

「花里ちゃんたちの、学びたいって気持ちが。」

「学、び……」

「待ってて。俺は女の子が通える塾を必ず作るから。」

奏音はんの行く先に、うちも付いていきたい。学んで、みたい、そうしたら、わても奏音はんのようになれる?

なんて、思ってしまうやんか、もし奏音はんがほんまに女の子やったら。

ありえへん。

ありえへん、はずや。



8.結託する女たち

秋斉はんが奏音はんを部屋に連れてきて、奏音はんに女装をさせてくれと言い出した。

桃乃ちゃん露葉ちゃん牡丹ちゃん達とたわいもないおしゃべりをしていた時や。

何故? とはみんな聞かなかった。みんなも思ってたんやないかな、女装した新撰組の噂は奏音はんやないやろかって。けどそれならなんで秋斉はんが着替えさせないのやろ? まさかほんまに奏音はんは女で、秋斉はんがそれを知っとるから?

「それはええですけど、なんで旦那はんが着付けへんの?」

「奏音はんが嫌がるからや。」

「だって、なんか怖いんですよ。藍屋さんに背後取られるの。」

「まるで首でもかかれるようなこと言いますなぁ?」

「その笑顔で言う意地悪が怖いんですって!」

あ。秋斉はん、傷ついとる。この無表情に優しい笑顔を貼り付けた旦那はんは面倒くさい男なんよ、奏音はん。長年一緒に居るわてらにも弱みや哀しみを一切見せへん。けど長く傍に居たら判る。些細な表情の変化。

旦那はんを見送って奏音はんの医者服を脱がせると気付く。襟元から見える胸の小さな膨らみに。ああ、ほんまに、ほんまに女やったんや。

「奏音はん……女の子やったんやね。」

「うん。」

「隠さへんの?」

「いや、最初から特に隠してたわけじゃないんだ、誰も気付かないから面白くて黙ってただけで。」

クックッと愉しそうに笑う。ちら、と桃乃ちゃんを窺う、平気やろか?
桃乃ちゃんと目が合う。柔らかく微笑んで「あとでな」と口の形が開く。

「けど、今は藍屋さんや慶喜さんには知られたくないんだ。」

秋斉はん知らなかったんや。

「なんで? わてらにはええの?」

「うん。他のみんなにも伝えてもらえると助かる。それで藍屋さんたちには気付かれないように協力してほしいんだ。最初は面白いから黙ってようって悪戯だったんだけどさ、この時代、いやこの国では女の子はあまり夜は出歩けないんだって知ったから。」

奏音はんの住んでたところは出歩けるん? 夜に?

「みんなは得意でしょ? 知ってるのに知らないふり。」

「え……」

「藍屋さんが慶喜さんと遊郭以外に裏の、しかも、ちょっとかなり危ない仕事をしてるのに気付いてる、けど黙ってる。遊郭の仕事が無くなるからじゃない、藍屋さんのことをみんな好きで大切だから。」

旦那はんが遊郭以外の仕事もしていて、それがどうやらきな臭いことや、慶喜はんに関係しとるんやろうことは知っとった。

知っとるけど黙っとこ。

それがわてらの約束。契りを立てたわけやない、なんとなく目配せをして、みんなでそうしようと、みんなが思っとった。
男はそれに気付かへん。前しか見てへんから。走ることしか知らんから。
それをしゃあないなぁと支えるのが女や。

「俺が女だと知ったら、藍屋さんも慶喜さんも今までなら任せてくれた仕事をさせないようにすると思うんだ。俺はそれが嫌だ。俺がやらなかったら、二人の負担が増すだけだ、今だってすごく忙しいのに。」

人のことを忙しいなんて、よう言うわ、奏音はんかてあちこち飛び回っとるくせに。

「それに、二人には出来ない、俺にしか出来ないことがたくさんある。俺はどうしてもそれをやりたい。」

奏音はんは、身体は女の子や。

わてらのことも秋斉はんのこともちゃんと気付く細やかさも女の子やと思う。

けど、

「今回の作戦は大事なんだ。どの人かは言えないけど、すごく偉い人を罠にかける。遊女の幽霊の噂で誘き寄せなきゃならないんだ、だから俺はこれから毎夜遊女の格好で徘徊しなきゃならない、藍屋さんに着付けされて女だと知られるわけにはいかないんだ、協力してくれる?」

「します。」

桃乃ちゃんがすぐに言い切る。他の二人もコクコクと力強く頷く、何度も。目がうっすらと潤んで頬が上気している。

わかる。うちもおんなし顔を多分してる。

奏音はんは女の子やけど、わてらには男の子や。こんなおっとこまえ滅多に居いひん。

気付いとるのに、知らないふりをして、黙って、笑って、傍に居る。

それやって立派や、芯の強い大人の女の生き方や。

けど、

「ありがとう。これが上手くいったら、これからもっと頼みたいことがたくさん増えるけどいい? 稽古怠けたら藍屋さんに怒られるよね。」

「稽古怠けて怒られるのはいつものことやもん。」

そう言うと奏音はんがはははっと笑う。

垣根が無いのや、この人は。

男やから、女やから、遊女やから、武士やから、商人やから、なんて目で人を見いひん。

女でも混ざってええんやって。知らないふりしなくてええのやって。待たなくていいらしいんよ。

並んで、前を見て、隣を走る。

そうしようと、手を差しだす。

「んじゃ、無理な注文だけど、可能な限り、美女にしてください。」

苦笑する奏音はんに笑い返して、わてらは声を揃えた。

「わてらに任しとき。」

変革

9.大穴は秋斉はん

舞の稽古の帰り道、桃乃ちゃんと奏音はんの話をした。

「変かもしらんけどな、心が軽くなってん。」

奏音はんが女の子やと姐さんがたや他の新造の子らに伝えると、半分は「あ~、だから男色に見えたんや。」と納得し、もう半分は「そうやないかと思っとった。」と笑った。隠すことには喜んで協力してくれはる。もともと奏音はんは可愛がられとったし。心配なのは唯一奏音はんに惚れたと言ってた桃乃ちゃんやった。

「奏音はんが男で、女としては見てもらえへんのに、優しくされんのしんどかったから。女の子で良かったって、気持ち軽くなったわ。」

「ほうかぁ、無理してへん?」

「してへんよ。」

ニコニコと桃乃ちゃんが笑う。良かった、ほんまに平気そうや。

置屋に戻ると「花里、桃、はよこっち来てぇな。」と牡丹ちゃんの部屋から露葉ちゃんが顔を出して手招きしていた。

襖から覗くと姐さんがたも何人かいらはる。

「二人は誰に賭けますのん?」

「え。賭け?」

「賭けってなんどす?」

「決まっとるやないの。奏音はんが誰を選ぶか、や。」

畳の上に藍屋の女の子全員の名前が縦に書いてあるわら半紙が広げられている。
横には秋斉はん、慶喜はん、枡屋はん、土方はん、高杉はんの名前が書いてあり、置屋の女の子が賭けた人のマス目と自分の名前が交差する欄内に丸をつけている。

「あの、これどなたが書かれたんどすか?」

男連中には内密の話や。文は読めるし書くこともあるけれど、平仮名と、旦那様宛の文によく使う「お慕いする」なんて文字は覚えてるけど、藍屋の女の子全員の名前を漢字で書ける姐さんなんておったやろか? まさか、まさか?

「奏音はんが書いてくれたよ?」

やっぱし! なにしてんねん、自分が賭けの対象やというのに。

「奏音はんはな、まだ誰も好きにはなってへんのやて。好きになるかもしれへんのが、この五人の旦那はんらしいで。」

「わて、枡屋はんは知っとるけど高杉はんを知らんのや、どんな感じ?」

「んー、手が早くて女好きで、ちぃと乱暴者やな。」

「奏音はんはそういう男が好きなん?」

「惚れるかは別にして一番仲ええのが高杉はんや。」

「えー、ならなんであんさんは賭けへんの?」

「枡屋はんのが色男やろ?」

「慶喜はんは?」

「軽くて嫌や。」

「ひどい言いようやなぁ。」

「一番近くに居る秋斉はんがこんなに不人気なのはなんでやろ?」

「優しいし、お金持ってはるし、上品やし、色気あるし、顔綺麗やし、悪いとこ無さそうやけど。」

「男気が足りないんやない?」

「あー、奥手そうやなぁ。」

「いや、あれは奥手ちゅうか、」

「通り越して枯れとる!」

声を揃えて枯れ宣言が出はって、みんながドッと笑う、ビクビクと背後が気になった。障子の向こうに秋斉はんがおったらどおしよ。
そんな事を考えていたから、スっと襖が開いて肩をポンと叩かれると「ふみゃぁっ」と変な声が出た。菖蒲姐さんが立っとる。

「菖蒲姐さん、あの、これは、」

こういうの菖蒲姐さんは苦手と思とった。けど、

「わては高杉はんに賭けます。」

にっこりと微笑んで言い放つ。

「その心は?」

禅問答のように菖蒲姐さんと同い年の姐さまが訊ねると、

「奏音はんはみんなに優しくしようとしはる子やろ? 押しが強くて我が強い旦那はんにほだされるはずや。」

「あっ、ありえそうや!」

「けど優しいなら軟弱そうな枡屋はんにも堕ちそうやない? 奏音はん男らしいし。」

「あー、悩むわぁ、決められへん。」

「ところで。」

部屋に居るみんなが一斉にこっちを見る。

「奏音はんと一番仲ええ花里は誰を推すのん?」

奏音はんの事を考えてみる。自分が賭けの対象なのになにしてんねん、と頭の中で責めてみると、奏音はんが笑って「だって面白いならいいじゃないか。」と言う。

人を楽しませるのが好きなんや、奏音はんは。なら、たぶん。
一番、楽しそうにしてなくて、辛さとか我慢して、寂しさを表に出さへんくて、無理してはる人を笑わそうとするんやないやろか。

「秋斉はんに賭けます。」

「その心は?」

「奏音はんは意地悪ぅされんの好きやと思うから。」

「ありえそうや!」

声を揃えて、雇い主やのにひどいことを言って、みんなで笑った。

ほんまの理由は内緒や。賭けに勝つには、味方をうまく騙さんと。
ふとそんなことを考えて、なんかこういう考え方って奏音はんに似てきた? と笑う。

ほんまに。ただ、ただ毎日楽しかってん。奏音はんが危ない目に合うまでは。


10.本命は誰?

秋斉はんに休みをもろたと奏音はんに伝えると「じゃあ俺とデートしよう。」と笑って言われた。

「でえと? ってなん?」

「逢い引きって意味。」

番頭はんが奏音はんに「もうこっちに来てけっこう経つやろ、故郷の恋人は忘れたらどないや。うちの娘が14なんやけど……」と言い出してきたらしく、奏音はんは困っとった。姐さんがたはそれを聞いてたいそう笑とった。

「うち当て馬?」

「いや、カモフラージュ?」

「英語判らんて。」

「トランプの言葉はどんどん覚えるくせに。」

クックッと笑う奏音はんに舌を出す。それでも他に用も無かったし、奏音はんとおったら楽しそうやから行くことにしたのやけど、着いてみて驚いた。

「奏音はん、これ、これ! 相撲!?」

「うん。」

相撲場所に連れてこられたのだ。しかも土俵近くのお座敷。すんごい高価いんやないの?

「良かった。花里はんが喜んでくれて。」

奏音はんの隣に座る枡屋はんがにこにこと笑う。枡屋はん、どんだけ羽振りがええのやろ。

「奏音はんのおこぼれ頂きます。」

「いや、本命は花里はんや。」

「え?」

「奏音はんは何を贈っても喜ばへん。」

「そんなことないですよ。助かってますよ? 薬の材料。」

「ほらな、色気が無いやろ?」

「俺に色は求めないでください。」

「花里はんの喜ぶ顔を見てる奏音はんが一番嬉しそうに笑うのや、せやから楽しんでいって。」

「あの……枡屋はんはご存知なんどすか?」

「堅苦しい言葉使わんでええよ?」

「枡屋さんは最初から気づいたみたいだよ、声と匂いで判ったんだってさ、すけこましにも程があるよね。」

「なんて酷い言いようや……」

いじけた顔をしながらもどこか嬉しそうに笑う。あかん、賭け負けるかも。この二人仲ええ。

「奏音はんも相撲は初めてやろ?」

「いえ、子どもの頃によく観てました。YouTubeで栃赤城とか舞の海とか面白い決まり手の画像漁るのにハマってて。」

「奏音はんの故郷はなんでもあるんやなぁ。」

「そうですね、だいたい何でもありです。」

取り組みが始まると真剣に見入って、合間に三人でいろいろな話をした。奏音はん、藍屋に居る時よりよお喋る。本命は枡屋はんなんやろか?

「奏音はんいつもと違ゃうね。」

「ん?」

「すらすらぎょうさん喋る。」

「あー、枡屋さんは外国詳しいからね。あんまり言い直しが必要ない。この言葉は知らないだろうなとか考えなくていいし、それにリベラルだから怒らないし。」

「怒らない……」

「怒られたくないとかではないんだ。怒るのはいいと思う。信じてるもの、貫きたいもの、譲れないものがあって、その道を叶えたいと強く願うなら、ぶつかることだってあるし、違う考えの人間に怒ったりもするだろう。けど枡屋さんは、貫きたい道が調和だから。」

「ちょう、わ?」

「あらゆる考えの人が仲良く手を取り合うこと。幕府も長州も薩摩も全員。」

「そんなん、出来るん?」

「それを俺たちはやろうとしてる。だから枡屋さんには何でも話す。」

じっ、と枡屋はんを見る。柔らかく微笑んでいる。ただの羽振りの良い大御所さんやなかったんや。こんな優男のなりして革命児なんや、この人も。

「奏音はんのこと、最初から知っとったのに、仲間に誘いはったんどすか。」

「へぇ。」

頷く。

「邪魔になるとは思わへんかったん?」

「ひとつも。夜中に出会いましたんや。わての怪我の状態を見て一番警戒されない方法で話しかけてきはった。かなりの深手やったのに少しも怯まへん。男やとか女やとか奏音はんはどっちでも構へん。奏音はんとなら夢を実現出来る、そう思いました。」

「わては危ないことあんまりしてほしくないです。」

「それはわてもや。けど聞かへん。聞かへんなら傍にいて護れるほうがええ。」

「俺、沖田さんにめちゃくちゃ鍛えられてますから、強くなってますよ? 俺が枡屋さんを護ってあげます。」

ニマニマと奏音はんが笑う。

「戦うおなごどすか。奏音はんの故郷では相撲をするおなごも居そうや。」

「もちろん居ましたよ?」

「冗談やったのに……どないな国や。」

「アハハ、何でもあるって言ったでしょう。」

“女の子が通える塾を作るからね”
奏音はんが言うとったこと。頭から離れへんのや。そこにうちも通える? 学べる? もしかしたら、うちでも戦う女になれる? 奏音はんみたいに。
わぁっと周囲がどよめき、相撲の決まり手を賞賛したりいちゃもんつけたりしとる。
憧れとった力士。戦う人。強い人。
今までは憧れるだけやった。けど、けど、目指せるんやろうか?

何者かになりたい。

って、うちも思ってもええの? 奏音はん。

「花里ちゃんも相撲やってみたい?」

「え?」

「相撲は太ってないからだめか。薙刀とか槍とか剣とか覚えて戦ってみたくない?」

「やって、みたい、」

恐る恐る言葉に出してみる。奏音はんの顔に、ぱーっと笑顔が広がる。

「ほんと? 他の子も思うかな? 俺、女の子たちが戦う試合の興行をやろうかなと思ってるんだよね。」

「それは……面白そうやけど、取り締まりにあうやろ?」

「俺たちで天下取れば何を取り締まるかも自由ですよ?」

「相変わらずさらっと凄いこと言わはるなぁ。奏音はんの国ではおなごの武士も居そうや。」

「居ましたよ?」

「居るんかいな、あかん、奏音はんの国に視察に行かな。奏音はんをどうやったら堕とせるか学んでこんと。」

「なんでそっちを学ぶんですか、もっと他にあるでしょうよ、ほんと女好きだな。」

枡屋はんには何でも話す。怒らないから。

奏音はん。

うちも、うちもそう思う。奏音はんになら何でも話せる。思ってること、願ってること、やってみたいこと、全部。

怒らないからやない。奏音はんは言わへん。無理やって言わへん。

怖いのに、不安やのに、奏音はんの隣を歩いてみたい、その先に何があるか見てみたいのや。



11.曖昧な正義

朝方、階下が騒々しくて目が覚める。秋斉はんの怒気を孕んだ静かな声が聞こえる。なんやろう? 揉め事? なんかあったんやろか。
床から抜け出して着物を慌てて羽織る。他の部屋でも遊女仲間が起き出してる物音が聞こえた。
階下に降りていくと浅黄色の着物を纏った集団が土間を占拠していた、新撰組や。

秋斉はんの横顔が見える。静かな表情に薄くたたえた微笑み。けどむちゃくちゃ怒っとるのが判る。胸が苦しい、悪寒が背中を走った。

新撰組が奏音はんを差しだせと言うてる。

「突然なんやの? 奏音はんなら、昨日まであんさんらと一緒におったやないの!」

「花里、やめなはれ。」

新撰組もお得意さんや、判っとるけど声が大きくなったのを秋斉はんに止められた。

「奏音はんは慶喜はんの雇った通訳で医者見習いや、反幕の意志なんてあるはずがありまへん、なんかの間違いではおまへんか?」

「彼が、枡屋吉右衛門の店に通っているのをご存知でしょう、藍屋さん?」

「へぇ、なんや病気を治した命の恩人やと言わはって、贔屓にしてもろうとるみたいどす、薬の材料を頂いてると聞きました。」

「枡屋の番頭さんから密告がありました。大量の武器を保管しているのを発見、捕らえて屯所に連れていってます。反幕の罪をやがて吐くでしょう。パミュパミュさんも枡屋の仲間だという密告が我々にあがってきました。」

沖田総司が顔色を崩すことなく淡々と喋っとる。悔しくて、腹が立って、泣きたくなるのを、歯を食いしばって堪えた。

「沖田さんの体質を改善しなきゃならないんだ。」

薬って一回呑めば治るんやないの? 毎日毎日沖田はんの薬作っとるのはなんでなん? と奏音はんに聞いたのや、二人で山に入って薬草を探し歩いていた時に。

「まだ病気には罹ってないんだけど、すごく患いやすい体質なんだ、痩身だしね。肺が弱い。それを少しずつ体質から変えていって病気にならないようにする。」

奏音はんの笑った顔が浮かぶ。

「けど、敵やったら斬る言われたって奏音はん言うてたやろ? なんでそこまでするん?」

「俺は新撰組のみんなが好きだよ、だから助ける。京都の人にも、っていうか長州藩の人とも新撰組と仲良くさせたいんだ。」

「そんなん出来ひんやろ。」

「賭ける? 俺は必ず実現させるつもりだ。」

絶対無理や、とは何故か思わんかった。なんとなく奏音はんならやるんちゃうかとも思とった。あんなに壬生浪は嫌いやったのに、奏音はんをあいまに通して見た新撰組は何故か悪者には思えなくなった。

それやのに。

なんなん?

あんたら、何様のつもりやねん。

「この人手なし! 悪鬼! なんやの? なんやねん、その態度! おかしいやろ!?」

泣くまいと思とったのに勝手にボタボタと涙が落ちる。沖田総司はうちを見ることなく表情も変えずに秋斉はんを見ていた。

「奏音はんはなぁ、あんさんの薬の為になんぼ山に通った思ってんねん! どれだけたくさん野草を探して歩いてるんか知っとる!? 毎日、毎日、手ぇ傷だらけにして、薬つくって、あんさんに届けて、それを、それを、なんやの!」

番頭はんがうちの身体を抑える。身体が勝手に暴れ出す。適わへんのなんか知っとる、けど殴りたい、番頭はんがギリギリと歯を食い縛る音が聞こえた。それでまた涙が溢れ出す、番頭はんもほんまはおんなしや、奏音はんを思って、悔しくて、逆らいたいのを堪えてる。
桃乃ちゃんが泣きながら肩にしがみついて何度も小声で言う。「あかん、花里、ダメやって、あんたが傷ついたら奏音はんが悲しむ。」そう言われて、また奏音はんの笑顔が浮かんだ。

「奏音はんなら出かけました。置屋中を調べてもらうのは構いまへん、ただ遊女連中は起き抜けさかい、なるべく静かにお願い出来ますか。」

「旦那はん! なにこんなのの言う事聞くんや!」

「藍屋殿、彼の行き先に心当たりはありますか?」

新撰組の若い隊士が聞くのに、秋斉はんが応えた。声が震えてはる。あの秋斉はんが。

「近藤はんが風邪を引いてるそうやな? それに効く喉の痛みを和らげる薬の材料を取りに行く言うて、いつもより早う出かけましたんや、あんさんらに捕らえられると知った後でも、薬を届けに屯所に向かうかもしれへんな? 奏音はんなら。」

若い隊士が辛そうに目を伏せた。

知っとるんやないの、あんたら。奏音はんがそういう人やって知っとるんやない。

一緒に居ったら判るやろ、敵やないて。命令があったら、どんな人間でもそうやって捕まえるんか。

「なにが命令や! なにが君主や! なにが任務や! そんなもんでなぁ、そんなもんで、自分の体の為に薬を作ってくれる奏音はんをいたぶるんやったら、あんたらの大事なもんてなんやねん! なにがしたいねん! 世話になった人一人守れんで、なにが正義や! あんたらなんか正義ちゃうわ!」

誰にも言い返されることは無かった。もしかしたらそれが新撰組の精一杯の心遣いやったかもしれへん。

秋斉はんの案内で置屋があらためられて、どこにも奏音はんが匿われてないと判ると、戻ってきたら必ず知らせるようにと言い残し、隊士を何人か見張りに立てて新撰組は去っていった。

「枡屋の旦那はんが反幕やなんて……何かの間違いでっしゃろ? 旦那はん。」

番頭はんが無言で俯いたままの秋斉はんに声をかける。

「奏音はんはええ子や。そんなん荷担するわけない、そうやんな? 旦那はん。」

置屋のみんなはなんとなく察しとる。慶喜はんが幕府側のお偉いさんやということ。

だからきっと慶喜はんが何とかしてくれるはずや、と期待してて、秋斉はんが平気や、大丈夫やと言うてくれるのを待っとった。

なのに秋斉はんが俯いたまま顔をあげず、顔面蒼白で肩が小刻みに震えてるのを見て絶望がひろがっていく、女の子たちがさめざめと泣きだした。

「う、う、うわぁぁぁ、」

置屋に来た頃、故郷が恋しくて良く泣いていた。声を堪えて、こっそりと。秋斉はんが抱きしめて慰めてくれたけど、今はその秋斉はんが泣きそうや。

大声をあげてわんわんと泣いた。誰も止めへん。みんな哀しくて哀しくて、他の人を慰める余裕が無かったんや。



12.叶えたいなら願うことから

番頭はんが「今日の仕事はどないしましょか、休むんやったら揚屋に連絡せんと。」と秋斉はんに訊ねると、秋斉はんが首を振って「信用を無くしたらあかん、当日に休みなんてよう言えへん。」とつぶやき、顔をあげた。力無く微笑んで、

「あんさんら、客の前では笑えますか?」

と言う。秋斉はんがこんな風に弱ってるのをわてらの前で見せたことなんか今まで無かってん。なぁ奏音はん、今何処に居るんよ? 逃げとってな、無事で居てや、ほいではよ帰ってきて、頼むわ、ほんまに。

遊女仲間はみんな力無く項垂れ、泣きながらだったけど、秋斉はんの辛そうな表情を見て己を鼓舞する。「平気どす。」「わてら何があったって夜は笑いますえ。」「お客はんにはこっちの事情は関係あらへん。」そう応えるみんなに秋斉はんはどこか複雑そうな顔をしていたけれど「ほうか、おおきに。」と頷いた。

そこに枡屋はんの女中が走りながら土間に飛び込んできた。

「藍屋はん、奏音はん、から、の、伝言、どす、」

息を切らして言葉を切らす女中に露葉ちゃんが慌てて湯呑に入った水を持ってきて飲ませる。

「赤い、荷物を、届けて欲しいて、伝えてと言うてました、」

「奏音はんは!? 奏音はんは無事なん!?」

「それが……」

食ってかかるように問うと女中が俯く。嫌な予感に胸が張り裂けそうや。

「旦那はんに逃げておくれやす、と奏音はんに伝えてって頼まれたんです、わては。けど、奏音はん怒って言うてはった。誰が逃げるかって、必ず助けるからってわてに言うたんです。」

「無茶や! 阿呆か!」

秋斉はんが自分の髪をぐしゃりと掴んで叫ぶ。

何を考えてんねん、奏音はん。
あんたは女の子やろ。なんでやの、なんでそんなことするん?

「あんさんはこれからどうしはります? 外には新撰組の見張りが居る、置屋に匿おうか?」

「いえ、奏音はんに言われましてん、伝言内容をそのまま新撰組にも伝えればそれ以上の拘束は無いやろうから、て。伝言の意味は藍屋の旦那はんしか知らんから平気やと。」

「ほうですか、気を付けよし。」

「へぇ、わてはこれで。」

女中が立ち去ると心配するみんなに秋斉はんが言うた。

「捕まってへんのなら平気や。枡屋はんが酷い目におうてるのは、あんさんらも心が痛いやろうけども。追われてると判ってるのなら奏音はんは簡単には捕まらないやろう。」

秋斉はんに奏音はんは女やと、よっぽど伝えようかと思ったけど出来んかった。
男やと思ってようが秋斉はんは奏音はんを絶対に助けようとするはずやし、こんなに弱った秋斉はんを見るのは初めてで、これ以上の心配を増やすのは可哀想や。

「花里。おそらく揚屋に客として奏音はんが来はる。あんさんが名代にあがり。怪しい見張りは巻かなあかん、出来るか?」

「出来ます。」

きっぱりと言い切って頷く。誰にも奏音はんを捕まえさせたりしない。うちが護る。護ってみせる。

奏音はんは女の子や。なのに戦ってる。奏音はんとうちの何が違う?
最初は思とった、奏音はんが特別なんやて、うちらとは違うて、うちらには奏音はんのようには出来ひんて。
そう思とった。

けど、違うんや。

出来ひんのやない、

やろうとしてないのや。

最初から、そんなん無理やと諦めて、やろうとしてない、そら出来るはずないやろ、そんなんやったら何も出来ひん。

願うこと、思うこと、考えること、それを叶えたい、と強く思い、前に進む。
それで何でも出来るようにはならへん、急には無理や。

けど願わんかったら、何も叶わん。

うちは奏音はんを助ける。必ず助けてみせる。強く、強く、願うんや。


13.想いを届ける

「今日は藍屋はんの余興なんでっか?」

馴染みのお客はんが座敷で盃を傾けながら訊ねてくる。

「へぇ。馴染みのお客はんやったら区別つかはるやろうて遊びどす。」

菖蒲姐さんがはんなりと笑って応えた。普段はみんな違う柄、違う髪型をわざとしていく、誰かと被ることはない。藍屋はこんなに大勢の遊女にそれぞれ煌びやかな着物を用意出来ますよって、格が高いんでっせ、と解ってもらう為に。
今日は揚屋に居る藍屋の遊女全員が同じような着物を身に纏い、同じ髪結いをし、同じ髪飾りをつけ、同じ化粧を施している。出来るだけ見分けが付かないように。
そして全員が赤い荷物を持っている、巾着だったり、三味線入れだったり、お重を運ぶ風呂敷だったり様々だ。
“赤い荷物を届けてください”奏音はんから秋斉はんへの伝言。それを逆手に取って追っ手を攪乱する為や。

奏音はんは医療道具は普段から持ち歩いとる。調剤道具は枡屋はんの店に置いてあると言うてた。いつも読んでる黒い本は着物の中に仕込んで肌身離さず持っとる。
届けてほしい荷物はすごく少ない。あいなんとかれこおだぁと万能包丁? ないふ、て言うてたっけ。それだけや。それはうちの着物の袂にしまってある。
あとは秋斉はんからの逢状の知らせを待つだけやった。
番頭はんが菖蒲姐さんに逢状が届いたと持ってくる。奏音はん以外やったら牡丹ちゃんか露葉ちゃんに行ってもらうことになっていた。
逢状には字は書かれてなかった。代わりにトランプの図柄が描かれていた。ロイヤルストレートフラッシュ。うちが一番最初に覚えた英語や。ほんまに、こんな時まで、なに洒落たことしてんねん、奏音はん。泣きそうになるのを堪えてお座敷に向かった。

「奏音はん、無事で良かった!」

何処も怪我してないやろか。心配で体のあちこちを触ると「平気だよ、怪我なんてしてない。」と奏音はんが苦笑した。

「荷物持ってきたで。」

「ありがとう、助かった。」

微笑む奏音はんに掴みかかって叫んだ。

「うち、やっぱり新撰組が嫌いや! なんなん? 奏音はん、沖田はんに毎日、薬作って届けてたやない! 仲良うしとったやんか!? 急に店に来て、奏音はんを差し出せて、言うてきたんよ、隠しだてすれば容赦しないとか、何様のつもりや!」

「……利用されてるんだ。」

「利用て、なに!?」

「新撰組は会津武士なんだ。殿様に忠誠を誓う。絶対に裏切らない。だから、幕府からの命令は聞くしかないんだ、親でも兄弟でも斬れと命じられたら斬る。」

「そんなん幕府が阿呆やったら、ダメやない、正直に言うこと聞く方が馬鹿や!」

「俺はそうは思わない。」

「なんでよ!?」

「正直ものが馬鹿を見る世の中はクソだ。正直ものは悪くない、正直ものを騙す奴が悪い、騙されるほうが馬鹿なんて言ったらダメだよ、花里ちゃん。」

「ううっ、そんなん言うて、奏音はん、奏音はんはどうなるん?」

「なんとかする。」

ぽすぽすと頭を撫でられた。頬を伝う涙も拭ってくれる。奏音はんは泣いてへん。どんだけ強いんよ、あんさんは。
奏音はんも泣くことあるんやろうか? それをこんなふうに慰めてくれる人は居るん?

「そうだ、これだけ新撰組の見張りの人に渡してほしいんだ。」

「これ、なに?」

「近藤さんの風邪薬。枡屋さんの店には行けなかったから加工出来なかったけど煎じて飲めばいいからって、伝えてくれる?」

「なんで、なんでこんな時に、そんなんせなあかんの!」

「近藤さんが風邪を引いてるのは今だよ。」

「え?」

「こんなときに、とかないんだ、俺。目の前で病気になってる人が居たら助けたい。」

「奏音はん……」

「新撰組は敵じゃない。ついでに伝えといて。必ず味方にしてみせるから、またトランプやろうねってさ。」

にこりと笑って立ち上がると「もう行かないと。見つかるわけにはいかないんだ。」と奏音はんが出ていく。絶対に死んだらあかんよ? と念押しして見送る。

約束やで?
必ず帰ってきて。うちと、秋斉はんと、みんなで、また、トランプやろうや。
逢状のロイヤルストレートフラッシュを指でなぞる。「こんなの狙ったってそうそう出ないって。違う手を狙ったほうが勝てるよ? 花里ちゃん。」と苦笑する奏音はんに「せやかてこれが一番強いのやろ? なら狙ったほうが楽しいやない。」と意地になった。

どうか。出ますように。枡屋はんが助かって、奏音はんも無事で、うちは新撰組は嫌いやけど奏音はんが味方につけたいんやったら仲直りも出来たほうがええ。
無理な手は狙わない方がいいなんて、よう言うわ。自分が一番狙っとるやないの。
けど頼むわ。トランプの神様なんて居るのか知らんけど。
今だけ。
今回だけでええ。ロイヤルストレートフラッシュ出したってください。



14.慟哭

翌日は朝から雨が降り続いとった。奏音はん、平気やろうか、雨よけ出来とるん?
置屋の外に今日も新撰組の見張りが立っとった。

「はぁ、嫌やなぁ。」

思わず独りごちる。よく知らない若い隊士やったらまだ気が楽やったのに、なんでよりによって沖田総司なんやろう。
隊長なんやないの? なんであんたが自ら見張ってんねん。
奏音はんには悪いけど、伝言しないことにしようかな、明日言うとか。
“近藤さんが風邪を引いてるのは今だよ”奏音はんの声が聴こえる。仕方なく傘を持って外に出た。

「これ、さしぃ。」

目を合わせずにつっけんどんに傘を渡す。

「いえ。傘をさすと周囲の人影を見逃しますので。」

「奏音はんならここには来ぉへん。必要な道具はわてがもう渡したさかい。」

「会ったんですか。」

「傘さして。身体丈夫やないのやろ? 濡れて冷えて風邪引いたら許さへん。」

「心配してくれるんですか。」

「そうやない。奏音はんの努力が水の泡になるんが嫌なだけや。」

沖田総司が傘を受け取る。それを見上げて奏音はんからの預かりものも渡す。

「なんですか? これ。」

「近藤はんの風邪薬やって。煎じて呑めばええ言うてた。」

無表情のまま沖田総司は何も言わへん。何を考えとるんやろ、罪悪感とかないんやろか? 昨日の若い隊士には罪悪感がみてとれたんに。

「敵でも悪人やないから、奏音はんの薬は飲めるて言うたんやろ? それかて毒なんかやないよ、ちゃんと飲ましたって、でないと奏音はんが可哀想や。」

「毒だなんて思ってませんよ。」

「なら何を思てるん!?」

腹が立ってどうしようもない。なんやのこの男は。心が無いのんか?

「味方にしてみせるから、またトランプやろうねってあんたらに伝えてって言うてたんよ! あんたらに追われとるのに! 仲間の枡屋さんが拷問受けてるのに! 自分も捕らえられたらそうなるかもしれへんのに! あんたらは幕府の命令通り動いてるだけだから悪くないんやって! 武士が君主に忠実なのは悪いことやないんやって! そこまで奏音はんに思われて、心を砕かれて! あんたらが奏音はんにするのはこの仕打ちかえ!」

暖簾に腕押しとはこのことや。何を叫んでも怒っても顔色ひとつ変えへん。感情が無いんか、だから命令通り誰でも斬れるんや、この鬼は。

踵を返して置屋に戻る。部屋まで戻って床に突っ伏して泣いた。あの鬼を味方にするなんて無理なんやないの? 奏音はん。今、何してるん?

「花里、入ってもええ?」

菖蒲姐さんの声やった。涙を拭って応える。

「へぇ。どうぞ、なんぞありましたか?」

菖蒲姐さんが近くに座りはって髪の毛をふわふわと撫でてくれはる。

「あんまり沖田はんを虐めたらあかんよ。」

「虐めてなんてないです。奏音はんを虐めてるのは新撰組のほうやないですか。」

いじけたように口を尖らせると、菖蒲姐さんが廊下に出て窓枠に手をかけた。

「東男はなぁ不器用なんよ。お座敷でも洒落た言葉で口説いたりできひんやろ? 奏音はんのこと、なぁんも考えてないなんて無いのやで? 離れて上から見てみぃ、沖田はん、泣いてはる。」

そんなわけない、と思いつつ、菖蒲姐さんの近くに行ってみる。傘をさして先程から全く変わらず立ち続ける沖田総司が見えたけど、泣いてるようには見えへんかった。

「なんで若い隊士やのうて沖田はんが自ら見張りに立つんか考えてみた?」

「他の隊士が嫌がったからやないですか?」

「沖田はんかて嫌やろうなぁ。命令には逆らえへん、奏音はんをどんなに好きでも捕まえなあかん、ならせめて。」

菖蒲姐さんがにこりと微笑む。こんな時でも、どんな時でも、姐さんは綺麗や。

「わてらに責められたいのやろう、そうやって自分を虐めてはるのや。」

くるり、と札がひっくり返る。心の無い鬼の顔が、泣き顔に変わる。

「ロールシャッハって言うんだ。」

「ろぉるしゃは?」

紙に垂らされた筆の墨が模様を描いたのが人の顔に見えると露葉ちゃんが言い出して、桃乃ちゃんがうちには花に見える、牡丹ちゃんは雪に見えると言い、うちは金平糖に見えると言うと奏音はんが教えてくれた。

人はそのときの心の状態で同じものが違うものに見えるのだと言う。柳が幽霊に見えたりするように。

降り続く雨の中で立ちすくむ沖田はん。

心の無い鬼やないんやろうか?

なら味方になってよ。あんさん強いのやろ?
奏音はんを助けたってよ、その、強さで。



15.救出劇

奏音はんが置屋を出て行ってから数日経過した頃やった。長州の人らが結託して枡屋はん奪還計画をしているという噂で持ちきりになったんは。
秋斉はんは青ざめた顔で空を見上げる事が多くなった。無表情だけど泣きそうな、触れたら倒れそうなほど弱っとる。仕事だけはちゃんとこなすのがかえって痛々しい。

奏音はんが居た頃はしょっちゅう顔を出してた慶喜はんも来ない。表向き、今、奏音はんは反幕の罪で追われとるんや、仲良うしてた慶喜はんも迂闊に動けないのやろう。良い知らせは全く届かず、不安になるような噂ばかりが入ってくる。

置屋の前の見張りは居なくなった。昼間お使いをしに町中を歩いていると新撰組が奔走してるのを良く見かけて怖くなる。奏音はんが捕まったらどおしよ。

そんな日々が数日続いた夕方、秋斉はんを訊ねて長州の久坂はんという男の人が置屋に現れた。秋斉はんに気付かれへんように物陰から聞き耳をたてる。
今夜、枡屋はんの奪還に奏音はんが動くのだと言う。奏音はんの幼馴染みの結城はんや長州の人らで攪乱をする、秋斉はんにも協力してほしいと奏音はんが頼んでたという伝言やった。
奏音はんはまだ無事なんやと安堵したけど、今日、危険な目に合うんかもしれへんと思ったら身体が震えた。
嫌なことは考えないようにしながらなんとか笑顔で仕事をこなした後、自分の部屋に帰っても不安でどうしようもない。外で犬が鳴いたり、風の音が強くなったりするだけでビクっと身体が強ばった。

「花里ちゃん、起きてる?」

そこに聞こえてきた声にガタガタと勢いよく襖を開ける。

「奏音はん!」

「しっ、声大きい、」

夢やない、足もある、生きて目の前に居る。

「無事で、よかった、」

「心配かけて、ごめん。」

「帰ってきてくれたから、ええ。」

「ありがとう。急いで女装して逃げないとならないんだけど、藍屋さんが居ないんだ、花里ちゃん、着物貸してくれる?」

「それはええけど、逃げるって? 誰かに狙われとるん?」

おかしい、奏音はんは新撰組は味方やと言うてたはずや。表向き逃げる立場でも、奏音はんの口から逃げるて出るのは、らしくない。まさか新撰組やない人らに追われとるん?

「え、っと。」

「危ないことせんでよ、もう、」

はよ、置屋に帰ってきてよ、もう、奏音はんが近くに居らんの嫌や。

「ごめん。」

「今から枡屋はんを助けに行くん?」

「いや、枡屋さんならもう助けた。今は薩摩藩邸に匿ってる。高杉さんたちもみんな無事だよ。」

「ほんま? ほんまに?」

「うん。」

「すごいなぁ、奏音はん、あれ? ならもう帰って来れるんやないの?」

「いや、薩長同盟が結ばれるまで幕府側は表向き敵になる。もう少し身を隠さないといけないんだ、藍屋さんと待ち合わせて慶喜さんの家に隠れることになってる。」

「そうなんや。」

まだ帰って来れへんのや、それは残念やったけど秋斉はんが一緒に慶喜はんのもとへ奏音はんを連れて行ってくれると聞けて安心した。ギュッと奏音はんの首に抱きつく。奏音はんが背中をぽんぽんと優しく叩いてくれて涙がだんだん引いていく。

「なにしとるんや、奏音はん、」

聞いたこともないような声色で秋斉はんが言うのが聞こえた。奏音はんが立ち上がって何かを言おうとした気配がしたと思ったら

「藍屋さん、待っ、ぐっ、」

壁に背中を押しつけられてギリギリと首を絞められてる奏音はんが見えた。ちょお! 何をしてんねん、秋斉はん! せっかく無事で帰って来とるのに、めっちゃ心配してたんやなかったんかい!

「百歩譲って、花里との恋仲は許そうやないか、あんさんは無理強いなんてせんやろし、花里もあんさんを好いとるみたいや、」

誤解やって、「違ゃうよ、秋斉はん、やめ、」と何度声をかけても肘を引っ張っても気付かへん、我を失っとる。

「せやかて、こんな時に、夜這いかえ、見損なったわ、奏音はん」

あかん、奏音はん息出来てへん、死んでまう! 慌てて部屋を見渡すと牡丹ちゃんたちとお茶をしたまま台所に下げるのを忘れとったお盆が見えた。それを両手で持って思いっきり秋斉はんのどたまを叩きつける。ボコっと鈍い音がして秋斉はんがうずくまった。秋斉はんの腕が緩み奏音はんが床にどしゃりと落ちた。

「ケホッ、ゲホ、うっ、」

「大丈夫? 大丈夫? 奏音はん!」

後頭部をさすって秋斉はんが顔をしかめた。

「なにするんや、花里」

「旦那はんの阿呆っ! 鈍ちんっ!」

ほんまどんだけ鈍いねん、ええ加減にせえよ!

「奏音はんは女の子や! なに首絞めてんねん!」



16.しょうもない男ども

「は? 女って、なに言うてんのや?」

秋斉はんは混乱してた。ほんまに気付いてなかったようや、旦那はん鈍いんやなぁ。

「言い訳にしては下手やなぁ、別に2人の恋仲を反対するとは言うてへんやろ。」

嘘つき。痩せ我慢や。あんなに弱るほど奏音はんのこと好きなくせして。首締めるほど怒ったのやって妬いたからやろ。自分で自分の気持ちに気付いてへんのやろか?
秋斉はん、男色でも枯れてるのでもなく、もしかしてめちゃくちゃ鈍いだけなんちゃうか?

そんなことを考えていたら奏音はんがおもむろに着物をはだけて胸を見せた。ちょお! こっちも阿呆や、なにしてんねん!

「すみません、ほんとに女なんです。」

「簡単に肌見せたらあかんやろ! ほんに色気ないんやから、奏音はんは。」

「あ、ごめん。」

「花里はいつから知ってたん?」

「最初に女装を手伝った時に、奏音はんから言われましたんや。秋斉はんには内緒にしててって。」

「なんでや、奏音はん。」

あ。また妬いとる。ちょっと寂しそうにしとる。秋斉はん、奏音はんが来てから表情豊かになっとるなぁ。

「だって女だってわかったら、今までならさせてた仕事任せてもらえなくなるでしょう。」

「男やったとしたって無茶なくらいや。上手く行ったからいいものの一人で枡屋はん助けに行かはるとは何事や!」

「一人で全部抱え込む藍屋さんには言われたくないですね!」

なんやろう。なんや痴話喧嘩に聞こえるのは気のせいやろか?
お互いに心配しあってお互いの無茶に怒ってはる。

「秋斉はん、奏音はんと喧嘩しとる場合なん? はよ女装して逃げなあかんのやないの?」

二人ははっとなって我に返った。奏音はんに着物を貸して着付けすると簡易に女装を済ませて送り出す。

「気ぃつけてな、秋斉はんも奏音はんも。無事に帰ってきて。」

翌朝、京は枡屋はん奪還の噂で持ちきりやった。分厚い土壁に大きな丸い穴が開けてあって、まるで神さんかお釈迦さんがなさったことのようやと大騒ぎやった。
その見事な奪還の為か、新撰組が腑抜けやとは言われんかった。
長州藩が大軍を率いて、桑名藩や新撰組とぶつかって京の町中で戦が起こるんやないかと皆、震えていたから、あれだけ新撰組が町中を走り回っていたのに一人も死人を出してないことに感動してさえいた。

今までなら大量に死人を出してたのや。だから壬生浪は嫌われとった。

翌々日、慶喜はんの家から戻ってきた秋斉はんに、奏音はんは無事に慶喜はんの家に匿われていて、枡屋はんの怪我の治療をしとると聞いて安心する。
奏音はんがうちに会いたがっとるから、買出しを装って呉服屋に向かいなはれ、と秋斉はんに言われた。

「絶対、嫌や!」

「頼むよ、花里ちゃんにしか出来ないんだ。」

奏音はんが眉根を下げて懇願してくる、そりゃ奏音はんの頼みなら聞いてあげたいけども。それでもどうしても嫌やった。

「なんで、そこまでするん? いくら味方につけたいからて。」

新撰組の屯所に沖田はんの薬を毎日届けて欲しいと奏音はんがうちに頼んできた。

「様子を見てきてほしいんだよ。」

「味方になるかどうか?」

「いや……薩長同盟が出来て、外国討伐の許可が朝廷から取れたら、幕府はあっさり長州の味方になるはずだ。それは大丈夫なんだけどさ、その、」

言いにくそうに奏音はんが言葉を濁す。

「なん?」

「そうカリカリするな。奏音はあんたに弱いんだ。苛めてくれるなよ。」

「別に苛めとるつもりはないどす。」

困った顔をする奏音はんの横に座ってる高杉はんが片眉をあげて笑った。慶喜はんの家からここまで奏音はんを護衛してくれてるらしい。

「沖田総司がな、奏音の腕を切ったんだ。」

「ちょっ、高杉さん、それ言ったらダメだって!」

なんやて?

「どういう、ことやの、奏音はん、」

すぅっと心臓が冷えていく。

「奏音、女に嘘はつくもんじゃない、すぐにバレるぞ。正直に全部話したほうがいい。」

「めっちゃ経験談っぽく語りますね。」

「はっはっは、まあな。」

「あのさ、花里ちゃん、沖田さんはさ、俺の首を斬って殺すつもりだったんだと思う。悪人じゃなくても敵なら斬るだけだ、って。信念を通そうとして。」

「だが斬れなくなったんだ、ためらった、解らなくなった、迷った。己の信じた道に疑問を持ってしまったんだろうな。」

「心配なんだ。きっとすごく落ち込んで悩んでると思う。」

「わかった。うち屯所に行くわ。」

「ほんと? ありがとう、花、」

「沖田総司を殴る!」

「さ、と、ちゃ、え!?」

奏音はんから薬をひったくって呉服屋から駆け出した。

「ちょっ、待って! 花里ちゃん!」

慌てて追いかけてこようとする奏音はんを高杉はんが抑えて「行け! 応援するぞ!」と言って笑っとる。

どいつもこいつも阿呆ばっかりや!
ほんまにしょうもない男どもや!
今回は奏音はんもや! この阿呆!



17.逃げなかった理由

走りながら思い出してた。奏音はんと話したこと。桃乃ちゃん、露葉ちゃん、牡丹ちゃんとうちと奏音はんの五人でババ抜きをやってた時やった。桃乃ちゃんが聞いたのだ。

「奏音はんは新撰組怖ないの?」

「怖い? 愉快なおっさんどもだな、としか思ってないな。」

「けんど以前は土方はんに斬られそうになったんやろ?」

「指導や言うてたくさん殴られたり、規則破ったら切腹させられたり、土方はん厳しいのやろ、嫌やわぁ。」

「武士であること、に真面目だからね。」

微笑んで奏音はんが言う。

「近藤さんも土方さんも農民出身なんだ。戒律なんてない、規範も無い、ただのごろつき集団だなんて死んでも言われたくないんだと思う。武家は御法度を何より大事にするから。武家よりも武士らしく、を目指してるんだ、だから厳しい。理由がある厳しさなら、俺は怖くない。説得出来るし、懐柔出来るし、味方になってくれ、とお願いだって出来るでしょ?」

「理由のある厳しさ……」

「うん。だから俺が怖いのは意思の無い残酷さ、かな。何も考えずに殺すことだけを訓練された刺客とか。話が通じないし、感情が無いからね、怖いよ。そういう人には見つからないようにいつも気をつけてる。」

新撰組の屯所の門が見えて、走るのをやめて息を整えた。顔を造らなあかん。怒りを表に出さず綺麗に微笑むんや、でないと門前払いされてまう。門に立ってたのは見覚えのある若い隊士やった。秋斉はんに質問をしたあと辛そうに顔を伏せていたひと。
うちの姿を見ると、あ、という表情をする。

「こんにちは。」

「あ、こんにちは、どう、なさったんですか?」

「沖田はんにお届けものどす。奏音はんからの薬や。」

「え?」

「毎日、届けさせる、て約束したんやって、沖田はんと。」

「そう、ですか、あの、中にどうぞ。」

「へぇ。」

中に案内されると何人かの隊士が驚いて振り返っていた。部屋に通されて待たされる。沖田総司はあとから部屋に来るという話やった。
やがて沖田総司が襖を開けて顔を出す。その表情は浮かなかった。これで無表情やったらすぐに殴るとこや。

「これ奏音はんからの薬どす。」

奏音はんから預かった薬瓶を畳に置く。けれど沖田総司は動かない。

「飲んだってください。」

「……いえ、頂けません。」

「毒やとでも思とるの?」

「いえ。」

「なら、なんで飲まへんのどす?」

不器用で真面目な男だと思う。飲みます、と受け取ってあとで捨てるとか出来るのにせん。
不器用で真面目で純粋で。ええ人なんやろう、だから質が悪いんや。

「奏音はんな、新撰組は怖ないて言うてましたんや。」

じっと沖田総司の目を覗くけど、俯いたまま顔をあげんかった。

「信念があって、意志があるからやって。目指してるものは天下泰平だからやって。成し遂げようとしてるものが国内平和維持なら奏音はんと変わらんから、味方につけられる、そのために動く、て言うてたんよ。」

沖田総司が顔をあげる。眉根を下げて、弱っとる。泣きそうにも見えた。

「怖いのは意思の無い刺客や言うてた。意味の無い殺戮や言うてた。そんな奴等からはすぐに逃げるように気をつけてるんやって。会わないようにしてるんやって。

なぁ? おかしいと思わへん? なんで、なんで沖田はんには、そうしなかったんやろ? 敵なら斬るって言われてたんに。命令なら赤子も殺すて言われてるあんさんから、なんで奏音はんは逃げなかったんやろ?

あんたを信じてたからやないの? 鬼やないて、なんも考えてない殺戮者やないて、話せば解りあえる、説得できる、味方に出来る、て、あんさんを信じてたから、逃げなかった、逃げなかった、逃げんかったから! あんさんに斬られたんや! それ解ってますの!?」

膝の上でギュッと拳を握る。手のひらに爪が食い込んだ。

「ですから、私は、この薬を頂けないんです。」

「どういうことやの、それは」

「奏音さんからの、施しを受ける資格が、私にはありません、そうでしょう?」

「阿呆!」

頭に来て詰め寄った。襟首を掴んで怒鳴る。

「施しなんて言わんでや! 奏音はんはなぁ、そんなつもりでそれあんさんに作ってはるわけやない!」



18.鬼を攪乱

どうして新撰組を味方につけたいのか。奏音はんが言うてたこと。

「下っ端が切り捨てられる世の中にはしない。」

うちは難しいことはようわからへん。けど奏音はんが教えてくれた。薩摩藩と長州藩が手を組めば、朝廷から外国船討伐の許可は取れる、取れたら幕府も味方に出来る。けどこのまま長州と新撰組がぶつかって死者が多く出たら、長州は幕府側を絶対に許せなくなる、と。そのまま内乱にでもなったらあっちゅうまに異国に支配されるゆうことやった。
内乱を避ける為に、幕府側は新撰組の近藤はんの首でかたをつけようとするはずやと言うてた。

「そんなことはさせない、絶対に。俺はあの愉快なおっさんが好きなんだ。」

ニマリと奏音はんが笑う。

「恩を売ろうとか、味方につけようとか、施そうなんて思てないよ、奏音はんは。好きやからやって、新撰組が好きなんやって。」

沖田はんが苦笑いした。

「はは……そんなんだったら、なおさら私には資格が無いでしょう、高杉晋作さんが間に入って奏音さんを庇ってくれなかったら、私は奏音さんを殺してた。」

「笑うなや!」

どうして無理して笑うんですか? そう聞かれた時、どうしてあんなに腹が立ったのか判った。
おんなしなんや。
沖田はんもおんなしや。うちと変わらん。沖田はんも笑とる。泣きたいのに笑とる。

「斬りたくない、って思たんやろ? それでええ、てなんで思えへんの?」

「だって! いまさらでしょう!? 私は何人も何人も同じように、っ、奏音さんと同じ事を主張してた人達を、国をひとつにしようと叫んでた人を、何人も、何人も、斬ったんですよ?」

「人は変わってええのや!」

「初心貫徹が武士です!」

「あったま固いねん!」

「固いですよ、それが私ですから! 薬は飲みません、ぜったい、に、っ」

薬瓶の栓を外して口の中に含むと、沖田はんの頭を掴んで無理やりに唇を押しつけて開かせた。そのまま薬を吹き込んで、飲み込むまで口を塞ぐ。コクリと沖田はんの喉がなって薬を飲んだことが確認できると唇を離した。
沖田はんは指で唇を抑えて顔を真っ赤にしていた。

「な、なんてこと、するんですか、」

「うちはあんさんなんか大っ嫌いや、けど絶対に薬は毎日飲ませたる、無理やりに飲ませたる、」

沖田はんがぐにゃりと顔を歪ませた。

「変わってよ。うちは変わった。奏音はんに会って変わったんよ。壬生浪なんて大嫌いやった。けど今は奏音はんの味方になってほしいって願っとる。前は壬生浪は怖かった。今は怖ない。

いつもいつも、郷里に残した家族の為に食い扶持稼ぐのがうちのすべてやった。はよ仕事覚えて、菖蒲姐さんのように立派な遊女にならな、そう思てた。

奏音はんに会ってから、やってみたいことがどんどん増えるんや、考えられへん、こんなふうに刀を携えた男に怒鳴るなんて、想像もしてへんかったよ。

なぁ? 沖田はんもやろ? 迷ってるやんな? 本当は、奏音はんの味方になりたい、て思てるんやないの?

あんさんは何も考えてない刺客やない、意思の無い殺戮者やない、

変われるはずや、絶対、変われるはずや。

変わってや、味方になってよ、」

お願いや。

くるりとひっくり返って、鬼が微笑む。鬼に思ってた青年が、優しく微笑む。
そんな風になってほしい。

感極まって泣き出してしまった。ぎゅうと沖田はんの胸に顔を押しつけてわんわんと泣く。

おずおずと沖田はんがゆっくりと背中に手を回して、真綿でくるむように緩く抱きしめてきた。

くるりくるり。景色が慌ただしく動き出す。

旅立ちと闘い

19.遊女の悪戯

くるりと札を返す。

「ふふ、当たりや、またうちの番やね。」

「うーん、若い女の子には負けるよ、最近物覚えが悪くなってきてなぁ。」

「そんな年じゃねぇでしょう。武士が言い訳をするとは。」

眉間に皺を寄せて土方はんが怒る。固くてつまらん男やなぁ。見た目は精悍やけど、どこに惚れそうなんや、奏音はん?

「だいたいあんたらの商売は客には負けてみせるのが普通なんじゃねぇのか。」

「なん? うちに手加減して欲しいんどすか? 土方はん。」

「俺じゃねえ。近藤さんにだ。」

「いや、俺は本気で勝負するほうが楽しいぞ?」

「そう言ってあいつにも将棋負けまくってたでしょう、剣術以外はからきしですね。」

はは、面目ない、と近藤はんが苦笑する。確か近藤はんが新撰組で一番偉いのやなかったっけ?

あれから毎日薬を届けに屯所に通っていた。沖田はんは「貴女に嫌なことはさせたくないので仕方がありませんからいただきます。」と言って薬を飲んではる。
そのたびにちょっと泣きそうな顔をするのがだんだん可哀想に思えてもくる。しゃあないやないの、うちの好みやないんや。美男子なんやし、他に言い寄る娘ぎょうさん居るやろ、気にせんどこ、と知らんふりをしとる。

稽古や掃除の合間に屯所に寄るので沖田はんが居ないこともある。薬を渡して帰ろうとすると他の隊士が沖田はんが戻るまで居てください、と引き止める。手持ち無沙汰になるので置屋からトランプを持ってくることにした。奏音はんが教えていたと知っとったから。

若い隊士が座敷に来て近藤はんを呼んだ。

「あー、いいところだったのになぁ。」

としぶしぶ立ち上がる近藤はんに「一番負けてたくせに。」と土方はんがこぼした。

二人になったのでスピードをやることにした。土方はんはトランプが強いのや、新撰組の中では土方はんと勝負するのが一番おもろい。
そう思って、ちょっと納得する。奏音はんが男を好きかどうかって、一緒に居っておもろいかおもろくないかで決めとるような気がしたから。

「その、あー、あいつは元気か?」

「あいつって誰どすか?」

判っとったけどわざと聞き返した。

「いや、いい、なんでもねぇ。」

「枡屋はんならご飯を食べれるようにはなったて聞きましたけど。」

「そっちじゃねぇよ。」

「うちの勝ち。」

「くそ、強いな。」

新撰組に強い言われる日が来るなんて思てなかったなぁ。なんて笑ってたら「ずいぶん楽しそうにしてますね、土方さん。」と恨みがましい声が背後で聞こえた。

「そんな目で睨むんじゃねぇよ、お前の為に引き止めてやってるのに。」

「私は頼んでませんよ。」

「何言ってやがる。えー、帰っちゃったんですかぁ? って泣いてたのは何処の誰だ。」

「泣いてませんし、そんな情けない言い方してません!」

「はい、沖田はん。今日の分の薬。」

「あ、ありがとう、ございます、」

「ほな、うちはこれで。」

「えっ!?」

立ち上がって帰ろうとすると、また泣きそうな顔をしはる。

「もうちょっと居てやったらどうだ。総司とスピード勝負するか?」

「だって沖田はん弱くて勝負にならんのやもん。」

「は、ははっ! 総司が女に弱いと言われるなんてな、笑えるな。」

あ。土方はんが笑った。珍しい。うう、と唸って沖田はんが土方はんを睨んでいた。

「またトランプやろうね、て言うてました、奏音はんが。」

「……そうか。その、あんたは、辛くないのか、あいつの頼みとはいえ、あいつを傷つけようとした俺たちのとこに来るの、嫌、だろう?」

こっちを見ずに顔をそらして言いにくそうにボゾボソと喋る。奏音はんはこういうところに惹かれたんやろうか?

「あんたは、あいつに惚れてるのか?」

「へぇ。あんなおっとこまえ滅多におりまへん。置屋の女はたいがい惚れとります。」

「あいつが相手とは歩が悪いな、総司。」

「けど、奏音はんが好いとるのは男やから。」

「は!?」

「えぇっ!?」

「故郷に残した恋人も男やし。好きになりそうな人らもみんな男どす。」

目を白黒させ、口をあんぐり開ける二人に真面目な顔を保ったまま続ける。

「うっとこの旦那の秋斉はん、慶喜はん、枡屋はん、高杉はん、それと。」

だって嘘やないし。奏音はんが男を好きなんも過去の恋人が男なんも本当のことやし。

「土方はん。この五人に惹かれとって好きになるかもしれへんのやて、言うてましたんや。」

奏音はんがおっとこまえなのは、奏音はんが女の子でも変わらん、それは秋斉はんかて言うとる、あん人はどこまで男らしいんやとよくぼやいてはる。

うちは嘘はついてへん、ただ奏音はんが女やというのを黙っとるだけや。

なぁ? 奏音はん? うち悪くないやんな?

“うん、面白いからいいんじゃない?”

頭の中で奏音はんがニマリと笑った。


20.鬼ごっこ

数日後、新撰組屯所の門に近づくと「花ちゃん、ちょっとこっちに来なさい。」と近藤はんに手招きされた。正面お勝手ではなく庭のほうに連れていかれる、コソコソと大きな身を屈めて歩く後ろ姿に、あんさん偉い人やのになにしてますのん? と笑いそうになるのを「静かに気づかれないようにあの部屋に近づくんだ。」という言葉で堪えた。

一緒に盗み聞きしようゆうこと? いい大人がなにしてんねや、と思うのが半分。盗み聞きが楽しそうと思うのが半分。

半分ちゃうか。盗み聞きは藍屋十八番やもんな、秋斉はんのせいや。と心の中で勝手に秋斉はんのせいにする。

「あぁ! また!」

沖田はんが嘆く声が聞こえた。

「本当に弱いな、もう諦めたらどうだ、お前に惚れさせたいなら剣術を見せたほうがいいんじゃないのか?」

「花里さんは人斬りの技術なんて嫌いですよ、きっと。」

「だからってなんでスピードなんだ。」

「スピードをする時の花里さんが一番楽しそうなんです。」

近藤はんがニコニコと微笑んでこっちを見る。いまさらこんなの聞かされてもなぁ、いつもの沖田はんの態度と変わらんし、これで心動くことも無いのやけど、このお父さんみたいなおっさんにはうちも弱い。奏音はんの気持ち解ったような気ぃする。

「あの女が一番楽しそうなのはあいつの話をしてる時だろうが。」

「なんで恋仇の話をわざわざしなきゃいけないんですか、だいたい奏音さんの話をしたいのは土方さんでしょう。」

「あ? 何を言ってやがる。」

「様子が気になって気になってどうしようもないんでしょう? 会いたいなら会いたいと言えばいいのに。」

「別にそんなんじゃねぇ。」

「いくら立派な武士になる為とはいえ男色まで倣わなくても。」

「阿呆、違う、」

「それとももっと以前からですか? 何人にも言い寄られてたのに袖にしたのは男が好きだから……?」

「あいつは男とか女とかそういう、」

「えっ!? つまり奏音さんなら男でも構わず好きと?」

「うるせえ! にやつくのやめろ!」

ぷぷふぅ、と耐え切れずに吹き出した。近藤はんがあわあわしとる、でも止まらん、これは笑ろてまう。
スパーン! と障子戸が開かれて土方はんがお腹を押さえて屈みこんで笑ろてるうちとおろおろしてる近藤はんを交互に見た。
鬼の形相しとるけど全然怖ない、耳まで真っ赤っかや。

「近藤さん、何をやってやがるんですか、あんたは!」

「い、いや、すまん、俺は花ちゃんにな、総司のいじましさを伝えようとしてだな、」

「ほしたら奏音はんへの熱い想いが聞けてしまったんよ、」

「黙れ!」

低い声で凄みをきかされても、もうちっとも怖くない。

もう新撰組を怖いとは思わんのやひとつも。

「土方はん、うちにそんな態度とってええのん?」

「あ?」

「奏音はんに言うてもええんや?」

「……」

黙っとるけど顔はくるりくるり表情が変っとる。

「あ、でも伝えたほうがええかも。好きになりかけ、が土方はん好きやーに傾くかもしれへんよ?」

「それはいい、そうしてもらおう、土方。」

近藤はんがニコニコと賛同する。自分の右腕が男と結ばれてもええんやろうか、変ったお人や。

“近藤さんてね、笑えるほど隊士思いなんだよ”

奏音はん。

どうしよう、あんなに嫌いやったのに。

うち、新撰組のこと、好きになったかもしれへん。

「何を言ってるんですか、あんたは!」

「局長、土方さんの嫁が男でもいいんですか?」

「奏音くんならいいんじゃないか? 医者だし物知りだし将棋も教えてくれるし。」

「あんたの老後の楽しみの為に俺をだしにしないでくれ!」

「なるほど、局長が賛成なら壁はないですね、良かったですね! 土方さん!」

「てめっ、総司、殴る!」

「大変だ、逃げましょう、花里さん、」

手を繋がれて引かれて走り出す。ちゃっかりしてんなぁ沖田はん、と思たけど一緒に逃げた。鬼ごっこなんてわらしの時しかやったことない。

「待て、総司!」

顔を真っ赤にした鬼が追いかけてくる。楽しくて楽しくて笑った。



21.武士じゃなくても

薩長同盟が結ばれたという朗報が入って、うちはこれで奏音はんは置屋に戻って来れるんやと思うのと同時に、もう新選組の屯所に行く必要もないのやと、少し寂しく思った。
けれど秋斉はんが「奏音はんなら忙し過ぎて置屋には帰って来れへん」と言って引き続き屯所に薬は届けなあかんようになった。奏音はん何しとるんやろう?

ちょっと心配やったけど秋斉はんの表情が穏やかになって安心する。ただ時折考え込んで独りごちてることが多なった。なにやらにまついてるようやけど、もしかして秋斉はんと奏音はんの恋仲が進展した? という考えはあっさりと「いやまだ誰も特別好きにはなってないよ。」と奏音はんに否定される。
もう追われる身ではなくなった奏音はんとは茶屋で落ちあって団子をご馳走になって薬を受け取る。
すこしだけ話すと「ごめん、もう行かないと。」と慌ただしくどこかへ去っていくのや。うちが手伝えることないんかなぁ。

屯所の縁側に座って出されたお茶を沖田はんとすすりながらそのことを話す。

「うち、遊女の仕事以外はなんも出来へんのやなぁ。」

「私も剣術以外はさっぱりですよ。」

「戦えるならええやないの。強いんやし。奏音はんたちと一緒に外国と戦うのやろ? ええなぁ沖田はんは強くて。」

「私が役立てるといいのですけどね。外国と交えるのなら西洋式戦術に秀でてなければなりません。土方さんなら詳しいですが、私は苦手なんです、兵法は。」

道場のほうから隊士たちがざわつく声が聞こえた。

「何かあったんでしょうか?」

立ち上がる沖田はんに付いて行くと道場のなかに見慣れた顔があった。

「慶喜はん?」

「やぁ、花里。久しぶりだねぇ。」

「なにしてますのん?」

「報告と、お願いに? かな。」

にこりと微笑む慶喜はんに新選組の隊士たちがビクビクと肩をすくめる。

「趣味悪いわ、慶喜はん。命令って言うたり。慶喜はんにお願いなんかされたらここの人ら困ってまうやないですか。」

「おや? もしかして事情筒抜け?」

「新選組からやないです、奏音はんから聞いとります。」

まだ他の遊女仲間には言うてない。慶喜はんがほんまに幕府のお偉いさんや言う事。
なんとなく予想しとったからそんなには驚かへんかった。むしろみんなに教えたら笑われてしまいそうや「えー? 似合わへーん」と。

慶喜はんは「まぁみんな座ってよ。」と自分も道場の床に胡座をかいた。
慶喜はんより頭を高くするわけにもいかない隊士たちが慌てて一斉に正座する。「足崩していいよ?」と言う慶喜はんに「滅相もありません!」と全員首を振るので慶喜はんは呆れたように半分は寂しそうに笑った。

「幕府から薩長提案の外国船撤退作戦に乗るという答えがもうすぐ聞けそうだ。」

皆が固唾を飲んで慶喜はんを注視した。

「薩長は俺に指揮権を委ねるなら幕府の傘下で戦うことに合意すると条件提示する。近々、全員を萩に出兵させる。各自準備しておいて。」

「はいっ!!」

目の前でくるりと敵味方がひっくりかえった。これで完全に。新選組は味方や。奏音はんの味方や。

「あの、慶喜様。」

「うん?」

「出兵準備以外に、我々には何も手伝えることはないんでしょうか? 奏音君はすごく忙しいと聞いています。人手が足りてないのでは?」

「うーん。人手は欲しいみたいだけど。」

「なんでも! なんでも手伝います!」

「要るのは職人らしいんだよね。」

「職人?」

「そう。鍛冶屋か大工がたくさん要るんだってさ。」

武士は今は不要。そういう意味やった。けど。

「俺、大工できます!」

「自分も! 親父が鍛冶屋でした!」

「ふふ、奏音くんなら港の造船所に居るから行ってみたらいいんじゃない?」

隊士の何人かが頬を上気させて嬉しそうに駆け出していった。それを止める人や諫める人は居ぃひん。
近藤はんと土方はんは農民出身や言うてた。新選組は武家出身の人は少なくて、武家の武士より“武士らしく”あるために戒律を厳しくしとるのやと奏音はんが言うてた。

なのに。
“鍛冶屋でよかった”
“大工でよかった”
て。

嬉しそうな顔して駆け出して。それを他の隊士が羨ましそうに見送る。
知らずか目尻が熱くなる。

“目指す場所が同じならみんな仲間になれる”

そんなん夢物語ちゃうの、と思てたんよ、奏音はん。
奏音はんが誰に堕ちるのかの賭けはまだ判らんけど。

「賭ける? 俺は必ず実現させるつもりだ。」

奏音はんとの賭けはうちの完敗や。

なぁ奏音はん。これもしかしてロイヤルストレートフラッシュ出るんちゃう?



22.大空の彼方

丘の上の草を滑るように落ちていくその物体を見て両手で顔を覆った。
秋斉はんが死んでまう!
きっと他のみんなも同じように目を瞑ったのだと思う。それに気づくのは随分と遅れた。

「嘘やろ? ほんまに飛んではるで!」

露葉ちゃんの叫びに顔をあげて空を見上げた。あんなん飛ぶわけないやんと思てた大きな羽が付いた、じてんしゃ? いう南蛮のからくり。
それに秋斉はんが乗ってる。秋斉はんが天高く飛んどる。

昨日突然「今日からは全員休みにしますさかい。」と秋斉はんが言うて、わてらは戸惑った。菖蒲姐さんが

「秋斉はんは奏音はんに付いて下関に行くんやろうけど、留守のあいまはわてらと番頭はんで藍屋を守ります、もう店仕舞いみたいなこと言わんでくれよし。」

と眉根をさげて言うたけれど秋斉はんは楽しそうにクスクスと笑ろて首を振る。

「番頭はんも男衆もあんたら遊女も、全員下関に連れていく気や、奏音はんは。」

「わてらも? 下関へ?」

皆、それぞれの故郷から藍屋に来て、京の町から出たことなど一度も無い。それを海を越えて下関へ? わてらはお互いに顔を見合った。

「新しい商売を始めますのや。藍屋百貨店いいます。下関には研修に行くんや、わてらは。」

「けん、しゅう?」

「異人と話して交渉する奏音はんを見に行くのや。」

あまりのことに頭が付いていけへん。藍屋百貨店? けんしゅう? 異人と交渉?
胸が変や。ドクドクと音が聴こえる。怖いような待ち遠しくて仕方ないような祭りの前夜のような、なんやろ、これ、なんやろう? この気持ち。

「藍屋百貨店は異国のものを異人から仕入れて売ります。江戸のほうの横浜みたいなものやな。せやからあんさんらには異国のものや異人を知ってもらわなあきまへん。明日は飛行機を見せるさかい、今日ははよ寝て朝早く起きるように。」

そして朝早く起きて禿も含めた藍屋全員で小高い丘に集められたのや。丘の上には奏音はんと慶喜はんと他には知らない人がたくさんおった。
秋斉はんは何処やろ? と思っとったら、ひこうき、いう羽のついた、えらいごっつい木組みのからくりに秋斉はんが乗り込んで丘の上からわてらのほうに向かって滑り降りて来たのや。

秋斉はんの乗ったからくりはまだ空に浮いてはる。ゆっくりと、とんびのように、くるり、くるり。
見上げていたら涙が出てきた。お天道さまが目にしみたんやろか?

積み上げられた藁の上にからくりが落ちる。髪も顔も藁だらけになった秋斉はんがニマニマしながら出てきて、丘の上から走ってきた奏音はんに

「言うたやろ? 慶喜はんよりわてのが長く飛べます、て。」

と自慢げに言うた。秋斉はん、まるで15,6の男の子みたいや。

「本番は慶喜さんですよ? 藍屋さんには他にやってほしいことがあるんですからね?」

「わかっとる、わかっとる、けんどあと一回だけ飛んでもええ?」

「また藍屋さんのもう一回が始まった!」

奏音はんは呆れて髪をくしゃとかきあげたあと、わてらを振り返った。

「みんなも乗ってみない?」

「無理や!」
「怖い!」
「阿呆!」

全員から拒否の声を受けて、ちょっとびっくりした顔をした奏音はんは腹を抱えて笑いだす。
そのあとも青空に歓声が届いた。何度も。



23.忙しない日々

思わずあっけにとられた。船首が波をかきわけて白波が立つ。その波が後ろに流れていって海に線をつくる。ざっぱん、ざっぱんて、なんや痛そうな音を立てて甲板が上下に大きく揺れていた。

「花里さん、そんなに身を乗り出したら危ないですって!」

沖田はんが後ろから駆け寄ってきておたおたしとる。

「ほんなら沖田はんが腰支えとって? うちもう少し下のほう覗いてみたい。」

「こっ、腰、だっ、ダメです、そんなの!」

「わて、そんなに重いんや? ひどいわぁ沖田はん。」

「全然、ひとつも重くなんてありません!」

顔を真っ赤にして支えるのを断った沖田はんが真剣な顔になって支えるのを引き受けてくれた。近藤はんと土方はんが揶揄うのを横から見とったら沖田はんの扱いかたがよう解るようになった。
支えてもらうと細身なのに腕が硬くてしっかりしとるのが知れてなんやら少しだけこそばゆい。
けれどそちらよりも、強く船体に打ち付けてくる波に心が動いた。

「わくわくやわぁ!」

波に叫んだ声が割れる。「え? なんですか?」と沖田はんが聞き返していた。

藍屋百貨店を開くなら、今ある置屋の場所ではあかん。お店が並ぶ町へ引越しや。と秋斉はんが言うた。枡屋はんと慶喜はんが空いとる店を買うてくれて、置屋にある道具や自分の荷物を運ぶ作業を藍屋総出でしとった。

「旦那はん、もう少しで運び終わりそうやで。」

荷物の確認をしとった秋斉はんに声をかけた。周りに誰も居ないのを確かめて聞きたかったことを訊ねる。

「旦那はん、奏音はんとはどうなったん?」

秋斉はんはふっと息を吐き出すように笑って「堕としてる最中や。」と答える。

「うわぁ、めずらし! 旦那はんが本音言うたわ~」

「そら、奏音はんを狙うんやったら、一番仲ええ花里に嘘ついてもしゃあないやろ、」

「うちは旦那はん推しやねん、勝ってね? 秋斉はん、」

「推し? まさか賭けとるん?」

「菖蒲姐さんは高杉はんに賭けとるの。秋斉はんは押しが弱いからやて。」

「やかまし。誰が奥手や。」

「うちが言うたわけやないもん、文句なら姐さんに言うて。」

「一番は誰なん?」

「枡屋はんやなぁ、なんせ条件がええやろ? 優しいし、色男やし、羽振りがええし、秋斉はんは奏音はんに意地悪で厳しいから、て他の女の子は言うてるんやけど。」

奏音はんは条件で男を選ぶようには思えへんのや。枡屋はんを選ぶとしたら奏音はんはこう言うやろう。「揶揄うと楽しいから。」けどそれなら土方はんや慶喜はんでもいいはずで。奏音はんが他と態度を変えるのは高杉はんと秋斉はんの前やと思う。

「うちは、奏音はんは厳しくされんの好きやと思うんや、だから秋斉はん推しやねん。」

秋斉はんが疑わしげな表情でうちを見やる。なんやら嬉しい。以前はこんな顔、わてらに見せたことなかったんに。

「それにしてもあれや、旦那はん、うち変やねん、」

「どうしたん? 疲れたか? 休む?」

「なんか、こう、胸が変やの、これから船乗って、奏音はんや旦那はんと行ったこともないような遠くに行くやろ? 異人の前で舞も踊らなあかんやろ? 怖いんや、怖いはずやのに、なんや祭りの前みたいな、楽しみやけど、怖い、けど楽しみ、それの繰り返しなんよ、なんなんやろ? これ?」

ずっと前から時々胸がきゅうっとなって、病気ちゃうかなと思っとったけどずっと元気や。なんなんやろ、これ。秋斉はんが微笑む。うちの頭をぽんぽんと撫でた。

「わくわく、しとるんや」

「わくわく?」

「奏音はんが言うてた。そういうのをわくわくする、言うて。」

「わくわく、かぁ、うち今わくわくしてるんや?」

秋斉はんが頬を上気させて笑った。それで気付く。おんなしや。秋斉はんもわくわくしとって、せやから奏音はんに聞いたのやと。

「旦那はん、変わったね?」

「うん?」

「いっつもいっつも優しくてにこにこしとったけど。最近の旦那はんはえっらい楽しそうに笑ろてるから。」

一瞬の無表情のあと秋斉はんの頬がうっすらと赤くなった。うわぁ、照れてはる。初めて見たわ秋斉はんのこんな表情。

「そろそろ行かんと他の子に怒られるで。」

目をそらしてぶっきらぼうに言う秋斉はんにクスクスと笑って、重そうな荷物を運ぼうとしていた露葉ちゃんに駆け寄った。

明日も、明後日も、その先も、毎日わくわくが待っとる。忙しゅうてしゃあないわ。



24.貴方に誓う

シュババっと音を立ててカードが置かれていく。数字とにらめっこしながらとにかく速さを競う。お稽古ごとは苦手やけど、ことトランプなら練習がいくら続いたって嫌やないかも。

「むー。沖田はん、強なってるやんか。」

「ふふふ、練習したんです。奏音さんが言ってましたから。スピードは反射神経と動体視力がものを言うから私には向いている勝負だと。」

船旅はえらく長い。本当は長州討伐の為に造られていたらしい幕府の船を何隻も使って下関砲台を外国船から守る為に向かっとる。奏音はんと秋斉はんは慶喜はんと一緒に別の船に乗っとる。慶喜はんが総大将なんやて、なんや似合わへんなぁ。いまだに馴染めへん。わてらにとっては秋斉はんと仲ええお得意さんやったし。

甲板の上で波を眺め、初めてみるカモメに騒ぎ、鯨の大きさにわぁわぁ言うて昼間は過ごす。夕方寒くなると船室に入ってトランプの練習をする。新撰組以外の武士のみんなにも教えておいてと奏音はんに頼まれたのや。外国船と戦ったあと京に帰る船上で大会を開くから、と。
教えるのもちゃんとやるけど自分の練習もせなあかん。

「沖田はんも土方はんも奏音はんに会うてないのやろ? あれから。」

枡屋はんが新撰組に捕縛されて、土方はんに拷問されて、奏音はんが危険な目にあった時から。新撰組の一部の人らは奏音はんの手伝いをしてたようやけど、沖田はんも土方はんも会いには行ってないはずや。
船室の机の上にトランプをごちゃまぜにしてある。それを指先でくるりくるりと沖田はんが掻き混ぜる。いろいろな心持ちを持て余してるようやった。

「こちらの問題、なんですよね。奏音さんは怒ってないでしょうし、私たちが味方すると申し出たら、きっと喜んでくれるでしょう。」

「せやね。」

「しかし、私は、私たちがしてきたことや、近藤さんのお考えや、土方さんの覚悟、会津公のご判断が間違っていたなんて思いたくないんです。」

俯いてゆっくりと瞬く。長い睫毛がうっすら濡れている。泣きたい気持ちなんやろうか? ずっと?

「奏音さんの味方をするのはいいんですが。長州と相入れるのは会津公への裏切りになるのではと、どうしても思ってしまいますね。」

「薩摩と会津が手ぇ組んで長州を京から追い出したやんか? うちは難しいことようわからんのやけど。」

「ええ。」

「なら薩摩が長州と仲直りしたんなら会津も長州と仲直りしたってええんやないの? 裏切りにはならないのやない?」

「長いあいだこじれると仲直りって難しいものなんですよ。」

「言うてたなぁ、奏音はんも。」

「奏音さんも?」

「みんなで仲良くするにはりせっと? せなあかんて。それまでの恨み、仇をお互いに白紙にして、腹割って話して協定を結ぶ、それが平和に繋がるんやーって話やったかなぁ?」

沖田はんがうちをじっと見つめてふーと長い息を吐いた。

「花里さんは聡明ですよね。」

「えー? なに言うとるん? そんなわけないやない。」

なんやら焦って手をぱたぱたと振る。クスクスと沖田はんが笑った。

「迷いはあります。咎も。けど約束します。奏音さんにも長州の人にも、もう刀を向けません。」

人斬りの天才やと、悪鬼や、悪童や、鬼や、人の心なんて無いと言われとった男が。
無表情で何の慈悲も無く迷いなく人を斬り続けてきた人が。

迷っていると言いながら、刀をふるわないと誓をたてる。

好みやないのやけど。

今もそれは変わらないのやけど。

これは感動のはずや。心臓が騒ぎ出す。さわさわしとる。

真っ直ぐにむけられた視線を外すことが出来んかった。



25.真夜中の出航

真っ暗な波間に沢山の船が並んどる。海は穏やかや。これから外国船と戦いに行くんや、奏音はんたちは。
慌ただしく、それでも密やかにたくさんの武士たちが乗り込んでいく。空気は張り詰めているけれど、表情は暗くない。決意をもって、覚悟をしとる男らの姿やった。
桃乃ちゃんや露葉ちゃんたちと港に見送りにきて奏音はんに髪の毛の入った和紙包みを渡すと奏音はんが笑った。「これ好きな男に贈るものじゃないの?」笑顔から少し表情をひきしめて続ける。

「置いて行くけどごめんね。」

「しゃあないよ、戦場では、わてら足でまといやもの。」

「まぁ、それは俺もなんだけどさ。」

「まだそんな事言ってるの? 奏音くんは通訳と作戦指揮でしょ。」

「指揮は慶喜さんですよ。俺は兵法なんて素人なんですから。」

「まぁわてと慶喜はんが、あんさんらの大事な奏音はんは護りますよって安心しとき。」

奏音はんを挟んで秋斉はんと慶喜はんが笑う。幕府のお偉いさんで、この作戦軍の総大将やと言うんに、慶喜はんは以前とちぃとも変っとらん。相変わらずわてらの前では遊び人の美男子の道楽者気取りで軽い態度や。

「何言うてますのや、おふたりとも。」

「おふたりかて、無事に帰ってきとくれやす。」

「せや。全員、死んだらあきまへん。」

口々に忠告する遊女たちに秋斉はんと慶喜はんは目を丸くすると、うっすら頬を染めて「なんや慣れへんなぁ、こういうの。」「そうだね、照れるから船に逃げようか。」とそそくさと船に向いだした。それを奏音はんが見送ってクスクスと笑う。

「気ぃ付けてな? 奏音はん。」

「うん。先頭は高杉さんに任せたし、しんがりの指揮は土方さんだから心強いよ。大丈夫。」

そう言う奏音はんの背後で先頭の船がギギギと大きな音をたてて沖にせりだしていく。高杉はんたちが乗る船が動き出したのや。

「さて。俺も行かなきゃ。きっと怪我人をたくさん看てもらうことになるから。みんな本部で眠っておいて。作戦が巧く行けば明け方まで働いてもらわなきゃならない。」

「夜働いて、昼寝するんは得意や。前はそういう仕事しててん。」

桃乃ちゃんが言う冗談に、ははは、と奏音はんが笑った。奏音はんが教えてくれたことや。ここぞという正念場こそ笑うのや、笑って、静かに場を見つめて、心を平らに。

長い長い船旅で、わてら遊女は料理と洗濯とトランプ修行の他に、奏音はんに教わった方法で薬草を調合して軟膏を作っとった。切り傷用、打ち身用、火傷用と小瓶に分けて紙を貼って分けてある。大量の材料は枡屋はんが調達してくれたらしい。

手を振って船に走っていく奏音はんを見送ると他の遊女仲間は本部へと戻っていく。「花里はん、戻らへんの?」と問われ、「新撰組も見送ってから戻るわ。」と答えると「わてらは遠慮しときます。」と先に行かれた。屯所に毎日通っとったうちとちごて他のみんなは新撰組がまだ怖いようやった。

最後の船にかかる渡し板の上をトントンと歩いて乗り込んでいく隊士たちが見える。沖田はんと土方はんは最後尾におった。

「おふたかた、気を付けて。」

「花里さん、見送りにいらしてくださったんですか?」

ぱぁっと顔を綻ばせる沖田はんに「阿呆、あいつの見送りのついでだろう。」と土方はんが呆れたように言う。

「しんがりって大変なんでっしゃろ? 奏音はんから聞きましたえ。」

「……兵法に明るく戦術に長けたものに任せるのが普通だな。」

「土方はん兵法詳しい言うてたから、奏音はん、頼りにしとるんやね。」

「奏音さんじゃないんですよ。」

仏頂面でだまりこむ土方はんの代わりに沖田はんが苦笑して続ける。

「高杉晋作さんが、しんがりは土方さんに、って指名してきたんです。」

「……え?」

一番大事な役目。信頼してないと任せられない役目。
それを。
長州藩の高杉はんが、新撰組の土方はんに?

「……長く喧嘩してたから、簡単には相容れないとかたくなになってた己がなんだか小物に見えてしまいますね。」

「高杉はんは変わり者やから。」

「奏音さんも変わり者ですよね。」

「ふふ、せやね。」

少しずつ、少しずつ。いろんな人らが、ばらばらやった人らが。同じ方向をみて、並んで歩き出す。
その光景は、なんて、
なんて言ったらええのかわからんけど、胸が熱くなって泣きそうになるんや、なんでやろう?

なんでやろう? なぁ? 奏音はん。


26.分け隔てなく

室内は人の熱気で蒸し風呂のようになっている。たくさんの人のうめき声と、倒れている人の隙間をばたばたと走り回る足音。

人手はまったく足りてないのに怪我人は次々と運ばれてくる。運び役は畳や土間の上に寝かせて、また別な人間を運ぶ為に走って出ていく。

日本人も異人も関係無く運ばれてきて、日本人の場合、慶喜はんが手配した医者が診る。異人の場合は奏音はんか結城はんが診て症状を聞き取り腕に紐を巻き付けていく。

わてら遊女が世話をするのは白い紐を巻き付けられた軽傷の人らや。軽い火傷や、切り傷、打ち身の人に船で作り置きしといた軟膏を塗ってさらし布を四角く切ったものをあてがい包帯を巻く。包帯の巻き方は奏音はんに教わった。

明け方近くに奏音はんと結城はんと医者の人らがその場に倒れ込むようにして眠った。男衆が運んでいくのを見送って「お疲れさんどした」と頭を下げる。わてら遊女はその場に残り芋粥を怪我人に食べさせとった。

『食べ物まで与えるのか。』

赤茶色い髪をしたあごひげがぐちゃぐちゃしとる異人のおっさんが大きくてぐりぐりした青い瞳をさらに丸くして何かを言うとる。

「のーいんぐりっしゅ」

と英語判らんよ? という意味のことを首を振りながら伝えて粥の入った匙を口元に持っていく。

異人のおっさんが、あうちと言って舌をだした。

「まだ熱い? 奏音はんが異人は熱い食べ物口にせんからってじゅうぶん冷ましたったのに。」

背後から伊藤はんに声をかけられた。

「痛いという意味です。多分口の中が切れているのでしょうね。」

「伊藤はんまだおったん? 疲れてるやろ、寝てなはれ。」

「いいえ。私は通訳しかしてませんから。藍屋の女性のかたがたのほうがずっと働いてます。せめて通訳で残ろうかと。」

『日本は幼子にも労働をさせるのか。』

『嫌味のおつもりか? 我々日本人はあなたたちより見た目が若く見えるだけのこと、彼女は成人している。』

『よくもそんな出まかせを。こんな子どもなのに、可哀想だ。』

伊藤はんが英語でなにやら揉めてはる。なんやろう?

「何を言うとるん?」

「花里さんのことを幼子だと。こんな労働をさせるのは可哀想だと彼は言っています。」

「はぁ? わては17や! じゅう、なな! あ、せや。」

懐から奏音はんが持っとったトランプを出す。枡屋はんがあとから作ってくれたほうやないから異国の数字が書いてあるはず。

拾と七が筆で書いてある二枚を取り出して異人のおっさんに見せた。

「Oh,so crazy…」

「あんたはいくつなんや、おっさん。」

『貴方は何歳ですかと彼女は聞いています。』

『信じられないが、私は彼女と同い年だ。』

『なら貴方がひとつ歳上だ。日本人は産まれた歳を1歳と数えますから彼女は西洋数えだと16歳です。』

『どっちにしても信じられない。』

「彼は花里さんのひとつ歳上です。」

「えぇっ!? 40越えてるかと思たわ!」

『彼女はなんと?』

「ちょっと訳せないですね、ええと」『けっこう歳上だと思ったと。』

伊藤はんがなにやらあせっとる。このおっさん、やない、異人の兄さん怒っとるんやろか?

「何故、日本人だけじゃなく、敵の我々を治療し、食べ物を与えるのか? と彼は聞いています。」

「なに言うとんの。敵やかてあんさん怪我人やろ。怪我人を手当てするんは当たり前やし、腹空いとるもんに飯食わせないなんて下衆なことするわけないやんか。」

何気なく口にした言葉やった。伊藤はんが黙る。異人の兄さんは伊藤はんを見上げる。伊藤はんが訳して伝えると、異人の兄さんは大粒の涙をこぼして、てんくーてんくー言いながら粥をかきこんだ。

「あほ! 口切れてるんやろ、ゆっくり食べぇ!」

『これが日本人です。知らなかったでしょう? まだ侵略して支配したいですか?』

泣きながら異人の兄さんはぶんぶんと首を横に振った。それを見て伊藤はんが笑う。

「奏音殿の言う通りだ。」

「へ?」

「女性も政治に参加させるべきだと。私は常々口にしてました、そのたびにほとんどの人、女性にすら、ありえないと一蹴された。けど奏音殿が言ってました。藍屋の女性たちならその先駆者になれると。」

伊藤はんが微笑む。なんやろう、顔は似てへんのに。どこか奏音はんに似とる。

「女性が学べる学校を私は必ず作ります。」

いつぞやの奏音はんとおんなしことを伊藤はんは言うたのやった。


27.生きている価値

異国の人らの前で舞を踊らなあかん。緊張に震える手で着物の袂をギュッと握った。襖の合間から中庭の砂利で出来た御膳試合用の闘技場で沖田はんと土方はんが真剣勝負をしとるのが見える。

竹刀で奏音はんに稽古してはった時も、素人やけど沖田はんの強さは凄いんやと思とった。真剣やと尚更迫力が違う。目の動かしかた、表情ひとつとってもいつもとは全然ちごてつい見入る。なんて綺麗なんやろかと。

御膳試合のあとにわてらが舞うと秋斉はんが纏った着物の説明をしはってそれを奏音はんが通訳しとった。

その次に会津藩の馬揃えが披露される。帝が惚れ込んで京都守護職は会津藩をおいて他にないと命じられ、薩摩藩が会津藩と手を組もうと打診したきっかけ。号令とともに演舞が始まり、隊列にも馬にすらも乱れがない。

そして空から慶喜はんが降ってくる。飛行機から降りた慶喜はんはなにやら合図をしとった、なんやろう? あの変な動きは。

奏音はんが異国の人らに向かって演説をする。それを伊藤はんが訳す。日本は立派なんや、異国にも負けへん、なめたらあかんよ? っちゅうような内容やった。

けんど凄いのは、立派なんは武士や奏音はんたちだけやないやろか? わてらはあんまり役に立ててないような気ぃする。

作戦決行前は気まずそうにしとった土方はんが奏音はんと笑い合うてるのを見て、良かったなぁ土方はん、と思うのが半分。もう半分は前にも感じたことや。引け目や。

新選組の屯所で垣根の向こうで隊士と笑ろとる奏音はんを見て、わてらは下なんやといじけた。奏音はんも新選組もそんなふうには見ていないと解ったけれど、こんな時に強く思う。
うちも男やったら。それか奏音はんみたいに博識やったら。並んで歩いても引け目を感じずに居られるやろうに。一緒に戦えるやろうに。

港で手当てをした怪我人含め、長崎に向かう商船に乗せて見送る。下関砲台を狙っとった異国の軍艦は居なくなった。奏音はんが締めの挨拶をすると、その場は大騒ぎになって宴の準備が始まる。

「花里はん、奏音はんと休んどき。」

牡丹ちゃんがそう言うのに、

「え? うちも準備するよ。」

「俺も手伝うよ?」

とうちと奏音はんの声が重なる。

「あほ! 奏音はんは休まなあかんやろ!」

「えー? なんで、疲れてるのはみんな同じなのに。」

奏音はんが口を尖らせるのに牡丹ちゃんが苦笑した。

「な? 奏音はんを休ませるには見張り役が必要やろ?」

「頼んだで。」と言ってうちの肩をポンポンと叩いて、トストスと軽い音を立て牡丹ちゃんが台所に向かう。うちは不服を漏らす奏音はんを強引に引っ張って座敷に入らせた。

「お茶入れるさかい、休も? 奏音はん。」

「そこまで疲れてないのになぁ。」

「あてにならん、勉強しだすとすぐ寝るのも食べるのも忘れて、立ちくらみ起こしとったやろ、この医者の不養生!」

「う、」

言葉をつまらす奏音はんをじっと見つめた。

「立派やね、奏音はんは。ほんま凄いわ。」

「え?」

「秋斉はんも慶喜はんも。新撰組も長州の人らも。結城はんも坂本はんも。薩摩藩も会津藩も。立派や。この国を護る為に戦って。凄いなぁ、強いなぁ。うちはただ付いてきただけで、なーんの役にも立ってへん。」

奏音はんが表情を曇らせる。湯呑を奏音はんの前に置くと

「そんなことないよ。薬も作ってくれたし手当ても手伝ってくれた。料理も洗濯もしてくれたじゃない。」

そう優しく諭される。優しいなぁほんまに。

「そんなのは誰でも出来ることや。けど奏音はんは違う。奏音はんのすることは他の人には真似出来へん。奏音はんの代わりは居ないんや。」

「怒るよ?」

低い声で奏音はんが呟く。膝の上で拳を握りしめとった。

「そんなこと、二度と言うな。」



28.代わりは居ない

「役に立つ人しか価値が無いなんて、そんなこと絶対に無い。」

奏音はんの声が震えとる。いつもふざけてるか笑うか熱を込めて語るかやのに。

「花里ちゃんは赤ん坊は役に立たないから代わりがきくってその赤ちゃんの母親に言うの?」

「赤ん坊はもともとなんも出来へんし。それに母親にとっては血の繋がった家族やろ。」

「なら、生まれつき目の見えない人、足が無い人で身寄りも無い人は役に立たないから要らないって言うの?」

じっと見つめられる。奏音はんの目が赤くなっとる。泣いとる? なんで?

「俺の代わりは居ない、じゃない! みんなだ! 誰だって、どんな人にだってその人の代わりは居ない! 居なくなっていい人なんて居ない! 死んでいい人なんて居ない! そんなこと絶対に言うなよ!」

「堪忍。奏音はん。言わへん。二度と言わへん。せやから、泣かんでよ、なんで泣いとるん?」

膝歩きで近寄って奏音はんを抱きしめる。身体が震えてはる。背中をぽんぽんと叩いた。

「12歳のときに。すごく大きい地震があったんだ。地震のあとに津波が来て、近所のおばさんとか学校の先生とかコロッケ屋のおっさんとかみんな波にさらわれて死んだ。同い年の友達も半分以上死んだ。家の下敷きになったり火事で呼吸が出来なくなったり、津波で孤立して食べ物が無くて飢え死にした友達も居た。」

ぎゅうぅと奏音はんがしがみつくようにうちを抱きしめる。痛い、心が痛い。張り裂けそうや。

「俺はバカだから、それまで判らなかった。居なくなるまでわかんなかった。毎日起きて、おはようって言って、朝ごはん食べて、友達と遊んで、笑って、時々喧嘩して、そんで仲直りして、じゃあまたな、明日会おうぜって別れて、両親にただいまって言って夕飯食べて、おやすみって言って眠る。それがどんなに幸せで、どんなに大切で、どんなにかけがえのないものだったのかって、失くしてから初めてわかったんだよ。」

「奏音はん、奏音はん、堪忍、ほんまに、うち、」

「それから7年経っても。俺は忘れてない。これからも忘れない。一生忘れない。あの時に思い知ったこと、誓ったこと。普通でいいんだ。周りの人を大切にする。好きな人の心配をする。みんなと笑う。話す。それだけでいい。役に立つか立たないかじゃない。そんな普通の人々を死なせない、護る。日常を失わせたりしない、俺はそういう大人になる、そう誓った。」

身体を離した奏音はんが腕でグイッと顔を拭って泣き顔をやめた。うちの肩を強く掴んでいつものようにニッと笑う。

「俺が立派なんじゃない、俺が強いんじゃない。花里ちゃんや藍屋のみんな、俺の仲間、京のまちの人達。俺が出会った全ての人の笑顔とか、心配とか、かけてくれる言葉とかが俺を思わせてくれる。護りたい、頑張ろう、この大切な人たちを失くさないって。」

コツンと額をあてて奏音はんが言う。

「最初に会った時から大好きだよ。よく笑って、他人のために怒って、泣いて、いつも元気で。役に立たない人は要らないとか言うなとか怒っといてなんだけど。少なくとも花里ちゃんは俺が頑張れる為には凄く凄く役に立ってる、花里ちゃんが俺を強くしてくれるんだ。」

「もうっ! なんやの! 女の子やのに、うちを口説き落とす気か!」

「ハハハ、今のドキドキした?」

悪戯っぽく笑う奏音はんの胸をバシバシ叩く。「痛い、痛い、けっこう痛いって!」と顔をしかめる奏音はんに泣きながら笑った。

普通でええんや。凄くなくてええのや。毎日、毎日、普通に生きとるだけで、笑うだけで、周りの人を気遣うだけで。
ただそれだけでええ。それだけで周りの人は心が救われとる、うちもそうや、周りの人に救われとる、ただ生きていてくれたらええのや。

もう役に立ってへんのやなんて自分を下に見たりせえへん。懸命に今日も明日もその先も過ごしたらええのや、そう誓った、心の中で奏音はんに。



29.力比べ

あ、間違えた。指、固なっとるなぁ。久しぶりに琴の演奏をしている。だいぶ鈍っとるなぁと思って、間違えてもええかと思いなおす、どうせ誰も聞いてへん。

城の襖を全て開けきって縦に長く大広間にした大宴会が始まった。藍屋の遊女全員で酌にまわり、舞い、歌い、琴を奏でる。

宴の最初は秋斉はんが乾杯の音頭をとって「藍屋の最後のおもてなしどす。楽しんでおくれやす。」と挨拶しはった。三つ指ついて綺麗にこうずを垂れて。

高杉はんが三味線をはじく横で慶喜はんが歌舞伎座の演目を真似しとる。似合うなぁ慶喜はん、しかもお上手や。
奏音はんが久坂はんにつかまっとる、ガシッと肩をつかまれ、何度も暑苦しく誉めちぎられとる。疲れた顔の奏音はんと目が合ってクスクスと笑うと苦笑が返って来た。

「あの、困りますって。」

背後で沖田はんの声が聞こえた。振り向くと沖田はんの前にズラリと長州藩士と薩摩藩士が並んどって何やら沖田はんに訴えとる。え、揉め事? と心配したけど沖田はんの隣に居る土方はんがいつも沖田はんを揶揄う時のようにニヤニヤと笑ろとったので安心した。

「私は弟子なんて取ってないんです。」

「ですが奏音殿は貴公に手習いしたと。」

「どうか我等にもご指導くださらんか。」

なるほど、そんな流れやったか。沖田はん苦手そうやなぁこういうの。

「腕相撲で決めたったらええやない。」

「花里さん!? なに言ってるんですか!」

「新撰組対薩長で腕相撲したらええんとちゃいます? 勝ったほうが相手にひとつ言う事きかせられるんや。」

「そんな勝手に決めないでくださいよ。」

「へぇ? 沖田はん、新撰組が腕相撲で負ける思てんねや?」

「阿呆、そんなわけねぇだろう!」

沖田はんをその気にさす為に言うたことやったのに、もう一人の負けず嫌いに火がついたようや。長州藩と薩摩藩と新撰組で腕相撲の勝ち抜き戦が始まった。
沖田はんが先鋒であっさりと負けた。

「情けない。一勝くらいしたかったんですが。」

「しゃあないやん、あんなごっついのに勝てへんて。腕相撲なんやし。」

「なんか目がきらめいてますね。」

「うち、お相撲も腕相撲も観るの好っきやもん。」

「やっぱりごっつい人が好きですか。」

「うん!」

「うう……」

周りに他の遊女仲間も集まってきてそれぞれ応援をしだす。新撰組にはまだどこか余所余所しかった子らも笑顔で一喜一憂して勝者にはお酌をして腕に手をまわし抱擁しとった。
それを受けて勝負前の武士たちの士気が上がると、土方はんが呆れて「まったく! 異国と戦う時よりやる気出すたぁどういうつもりだ!」と顔をしかめて、周囲がどっと笑った。

「して、その心は?」

「巧い! 参った!」

腕っぷしは強くない文官の武士たちは謎かけやとんちで勝負しとるようや。あっちこっちで力比べしとる、楽しそうに笑って。
誰も死なへん。誰も泣かへん。誰も傷つかへん。

……内戦おきんかったなぁ、奏音はん。ほんまに良かったね。

日常を失くしたくない。そう言って泣いていた奏音はんを思い出して、鼻がすんすんと鳴る。

今日のうちは、おもてなしと、観て楽しむ側、や。

けんど宴会が終わって、京都に戻る船の上ではトランプ勝ち抜き大会が開かれる。
そんときは、うちも力比べに混ざれるんや。

「わくわくする。」

「このまえも、それ言ってましたね。わくわくって何ですか?」

「あんな、わくわくっちゅうのはねー、」

腕相撲から目を離して沖田はんに振りかえる。何から言おう、どんなふうに伝えよかな。

こんなふうに楽しく悩んだことなかってん。言葉が上擦ってうまく説明できへんのに。
そのもどかしさがくすぐったくて嬉しいのや。



30.先を見据える

琴の演奏を桃乃ちゃんに替わってもらってお酌にまわった。奏音はん何処に行ったんやろ、姿が見えへんようやけど。
菖蒲姐さんと牡丹ちゃんと露葉ちゃんが丸く集まって座っとるのが見えた。近寄って「なにしてますのん?」と訊ねると、顔を真っ赤にした菖蒲姐さんが振り返って「うふふふふ」と笑ろとる。え、菖蒲姐さんが泥酔しとる? 珍しい。なんて思ったらもっと珍しいものが待っていた。

秋斉はんが酔い潰れて寝とる。

「うわ、秋斉はん、寝るんや。」

「そりゃ寝るでしょう?」

近くに座った会津武士が不思議な顔で問返す。

「旦那はんが人前で眠るなんて無かったんどす。」

「はぁ、それより、あれ止めなぐっていいんですが?」

独特の訛りで顎で指し示される。最初は嫌いやったこの不躾で偉そうな態度。長い船旅ですっかり慣れた。東北の人はこの話し方が普通なんや。

秋斉はんのおでこに菖蒲姐さんが筆で字を書こうとしとる。菖蒲姐さん楽しそうやなぁ、あんな笑い方初めて見たやも。わらしのようや、普段の色気たっぷりのはんなり笑顔が嘘のようや。

「ああ、かまへんのどす。菖蒲姐さんの仕業やったら秋斉はん怒れへんから。」

そう返しながら会津武士にお酌をしてまわった。あっちでは長州藩と薩摩藩と新撰組が腕相撲を続けてた。離れてても飛んでくる歓声。

「まだ、あれに、混ざるのは無理どすか?」

おそるおそる聞いてみる。会津武士は俯いて黙り込んでしまった。
新撰組は“武士を目指す集団”や。武士らしくあること、武勲をあげることに勤しんでいたから、命令通りに任務を遂行していたのであって、もともと長州を恨んでたわけやない。上からの命令が全員で結託して異国を撃退せよ、に変わったのなら長州と仲違いする理由が無い。
けど会津武士は違う。仲間を何人も長州の刺客に襲われて亡くしとる、会津公の命も狙われとる。過激派の刺客がやったことで、高杉はんたちとは違うのやけど、そんな簡単には受け入れられへんのやろう。

聞き覚えのある都々逸と三味線の奏でが聴こえて、そちらに歩く。きっと高杉はんやと思うたから。
盃と徳利をお盆に乗せて縁側に出た。まあるいお月さんが砂庭を照らしとる。縁側に座って柱に背中を預けて高杉はんが歌ってた。うちに気付いて歌うのをやめる。片眉をあげてニヤリと笑った。

「どうした? 酔い覚ましか?」

「高杉はんにお酌しよ思て。」

「あいにく、酒はやめたんだ。」

「へっ!? なんで、また……」

あんなに周りが止めても浴びるほど飲んでいた酒豪やのに。どんな心変わりやねん。

「奏音が酒を控えて長生きしてくれと言うからな。控えるのは無理だからやめることにした。」

「奏音はんの為?」

「いや。俺の未来の為だ。」

「未来……」

高杉はんが縁側から庭に降りて歩いていく。うちも降りて着いていった。池の前でしゃがみこみ、石を放り投げる。落ちた石が波紋をつくってわてらの影が揺れていた。

「師匠がな。広く異国を見て回って、この国の為に働こうとよく言っていたんだ。俺は上海は行けたがな。欧州は見ていない、メリケンもだ。国が内戦の危機にあり、植民地になるおそれがあったから、そんな夢は叶わぬものだと諦めていた。この国の平安を保つ為に、いつ死んでもいいと、そう思ってたんだ。」

いつ死んでもええ。維新志士の人らが酔ってよく言うてた。それを聞いてた頃は何も思わへんかったんや、奏音はんに会うまでは。

「奏音に英語を習う。俺は異国を見て回る。その為に永く生きたくなったのだ。」

生きたい。やりたいことがある。未来の為に。
みんながそんな風に語れるようになるんやろうか、これから。

「平気やろか? 異国を追い返したら、また内輪で揉めたりせえへんやろか?」

「長州と会津のことを気にしてるのか?」

「へぇ。」

「まぁ、根は深いからな、そう簡単には行かぬだろうが。」

やっぱりそうなんや。長州から見ても、許せへんことあんねや。そう思て俯く。

「お前の信じる奏音は意外にたいしたことがないんだな。」

「へ?」

「俺の奏音は違うぞ。あいつは長州と会津の確執の根深さを知ってる。先を見据えてとうに作戦を練ってるぞ。今回の作戦、あいつはいつ計画したんだと思う? 半年前だぞ。」

妖艶に孤を描いて高杉はんが笑う。

「見てろ。そして驚け。それがあいつへの賛辞だ。ただ信じていればいい。」

「ふふ、まるで自分のことのように言わはるなぁ。」

「まぁ。あいつは俺のものにするからな。」

「それは困ります。うちは秋斉はんに賭けたんやから。」

「お前は賭け事が苦手なんだな。」

ハハハっと高杉はんが笑って、池の鯉がちゃぽんと跳ねた。



31.別れの予感

海と空の合間に緋色の線が引いてある。海に沈んでいくおひさまは、まあるい形を崩して四角になっていく。

「あー! あとちょっとやったのにー!」

「惜しかったねー。」

悔しい、と奏音はんにうったえると、「そういう時は夕陽に向かって叫ぶといいよ。」と言われた。なんそれ、どないやねん。と思たけど、やってみるとなんやら少しだけ心が晴れていくような気もした。おひさまの力やろか。
海は凪いで船はゆっくりと静かに進んでいた。甲板の手摺に肘を乗せて夕陽を眺める奏音はんの横顔は橙色になっとる。うちもおんなし肌色やろか。

京へ戻る船の中でトランプとーなめんとが行われた。ブラックジャック、ポーカー、スピードの三番勝負で先に2勝した方が勝ち進める。うちは秋斉はんと三回戦であたってポーカーは勝ったのやけど、その他で秋斉はんに負けた。1勝ずつで迎えたスピードを制すれば勝ち進むいう状況で、あと一歩及ばなかったのや。

「優勝賞品はこれだったんだけどね。」

奏音はんが袂からわら半紙冊子を取り出す。借りて中を見てみるとトランプの色々な遊び方が書き記してあった。

「……これ、秋斉はん用やろ?」

「んー、まぁ、そうかもね。」

「ひどいなぁ、奏音はん、うちが勝つとは思わなかったん?」

「優勝が花里ちゃんなら、また相撲に連れて行こうかな、と思ってたよ。」

「あー、勝ちたかったー、」

「まぁ、別に勝たなくても、また連れてくけどさ。」

「それは嬉しいけど、賞品で行くいうんが大事なんよ。枡屋はんのおこぼれやのうて自分の力で行ったような気になるやんか。」

「ははっ、なるほど。」

ケタケタと奏音はんが笑う。胸がもやもやする。なんやろう? なんか変な感じがする。奏音はん、ちょっと元気ないんやない?
いつも笑ろとるし、前向きやし、疲れた顔見せへんのやけど。長く一緒に居たせいか、泣きながら語った奏音はんの経験がそう思わせるのか。無理して平気なふりしてるような、そんな気がして。

「京に帰ったらどうするん?」

「ん? 俺は江戸に行くよ。」

「江戸?」

「幕府側を説得してやらなきゃならないことがある。まずは瓦版を作る。今回の功績と、慶喜さんの意向を載せて、民衆を巻き込んで革命を起こす。」

「革命……」

「大丈夫。内戦じゃない。誰も死なせない。」

高杉はんの言うてたことを思い出す。奏音はんはとっくに次のことを考えてるて。ただ見てればええのやて。けんどなんやら。

「奏音はん。それ終わったら異国に帰るん?」

「え?」

「なんや、最後の大仕事みたいに言わはるから。」

見上げる奏音はんの瞳が揺らいだ。

「帰ってまうん?」

そんなん嫌や。ずっと傍におってほしい。

「……家族に会いたいって何度願ったか判らないけど、無理なんだ。俺は家族にも友人にも二度と会えない。」

津波に流されて何人も親しい人を亡くした言うてた。もしかして家族もそうなんやろか。

「最初に高杉さんに会った日に言われたんだ。会えないことを寂しく思うのは愛された証だ。寂しいかもしれないけど、それは哀しくはないだろうって、さ。」

「高杉はんて、いつも横暴な振る舞いやのに、たまに詩的なこと言わはるね。」

「都々逸を自分で作れるんだからソングライターなんだろうしね。」

「そんぐ、らいた?」

「宴の時にさ、言われた。寂しさは少し減ってるか? って。」

視線を外して奏音はんがクスクスと笑う。うちらの前でも、たまーにしか見せへん、女の子の笑い方。

「俺たちはお前の家族に会えない寂しさを少しは埋められているか? って聞かれたんだ。俺、言われるまで忘れてた。そういや俺、寂しかったっけ、ここに、来たばっかりの頃は。

毎日、毎日。花里ちゃんや、置屋のみんな、藍屋さん、慶喜さん、新選組、長州のみんな、たくさんの仲間たち。一緒に過ごしてるうちに、俺、寂しかったこと忘れてたんだ。俺は故郷には戻れない。家族には会えない。異国に帰ったりなんてしないよ、俺が帰るのはここ。」

トントンと奏音はんが足の先で甲板を叩く。

「みんなの傍。それが俺の帰る場所だよ。花里ちゃんたちと離れたいなんて思ったことないって。」

「なら、何処にも行かへん?」

「……ずっと一緒に居たい。」

なぁ、なんで、行かないって言わへんの?
いつも、いつも、きっぱり言い切ってたやんか?
新選組を味方にする、外国を追い返す、枡屋はんは必ず助ける、誰も死なせない、
そんなふうに、ひとから無理やと言われたことを言い切ってたやんか?
ほんで実現したやんか?
なのに、なんで自分のことやのに、何処にも行かへんって言い切らんのや。

嫌な予感がするんや。
奏音はんが遠くに行ってまうような気ぃするんよ。
そんなことないよって笑ってよ。

一緒に生きよう

32.天上人

京に戻ってからは毎日毎日忙しなかった。秋斉はんはいつのまにかけっこうな数の異国の品々を仕入れてきはって、それを商品として並べていかなあかん。
それとあわせて店内の装飾や調度品も異国風情に改装するので大工たちが毎日通いで店内を作り替えていく。
わてらは今まで着とったもんや秋斉はんが仕入れた生地を使って洋装の制服を作っとった。お針子の稽古なんて今までしてなかったし、繕い程度しかやったことあれへん。何回も針を指の腹に刺しては「あいたっ」という子が多いなか桃乃ちゃんだけはすいすいと糸を通していく。

「凄いなぁ、桃乃ちゃん。」

「うち実家は呉服屋やし。」

そういや奏音はんの医者服を縫うて作ったのも桃乃ちゃんやった。好いとるからだけやなかってんな。

寝床につくまえに喉の乾きをおぼえて台所へ向かうと「はぁっ!」という気合いが聞こえてきてビクッと肩を揺らした。「今のなにっ?」と独りごちる。
何かを歌うような声も聞こえだした、秋斉はんの部屋からや。秋斉はん何しとるんやろ? おうたの稽古? お店やることにしたのに?
そう思て部屋にそっと近付く。「天上人を愚弄するならば生かしておけない、斬り捨てる! 覚悟を決められい、奏音!」聞こえてきた言葉にあわくって襖を開ける。

「秋斉はん、奏音はんを斬るってなん!?」

ギョッとした顔でこちらを見る秋斉はんは刀を構えとったけど、その刀は飾り刀やった。奏音はんは部屋におらへん、秋斉はん一人や。

「なにしとるん? 秋斉はん。」

「歌舞伎の稽古や。」

「か、歌舞伎?」

「奏音はんの次の手や。帝の御前で歌舞伎を披露する。」

「なんで秋斉はんが?」

役者にやらせたらええんやないの? と思いながらそういや宴んとき慶喜はんも歌舞伎を披露しとったことを思い出す。高杉はんはずっと三味線を奏でてはった。あれももしかして稽古?

「演目内容が怪しいよってな、役者にやらせるわけにはいかへんのや、覚悟の出来る者やないと。」

覚悟ってなんの覚悟やろう。奏音はんが船で語ってたこと。“民衆を巻き込んで革命を起こす”きな臭いと心配やった。奏音はんは誰も死なせない言うてたけど、まさか。

「謀反と取られかねないいうこと?」

「まぁ、そういうことやな。」

秋斉はんが説明してくれる。奏音はんはだいぶ以前から歌舞伎座の人達に頼んで台本を書いてもらっていたらしい。そのかわり診察料と薬代をまけてはった。
演目内容は偽勅のせいで会津藩と長州藩の確執が深まっていき双方が傷つき倒れていくなか、異国から来た少年、奏音はんが現れる。
奏音はんは二つの藩に語る。帝は天下のことを総て見透せるわけじゃない、偽勅を防ぎ、二つの藩を仲直りさせるには帝が直接民衆に語りかける制度を作るべきだと主張して、双方の藩に嫌われ、殺される。そんな悲劇やった。

「そんなん帝に見せて平気なん?」

背中があわだって身震いした。

「孝明天皇は聡明だからきっと解ってくれる、と奏音はんは言うてた。」

「そんなん判らんやないの!」

「きっと心を痛めてるはずやと言うのや。直接語りかけたいと思うてはる、と。天上人の帝に政(まつりごと)の為に降りてもらうのやて。そんなん出来るんかいな、以前やったらそう言うてた。けど。」

秋斉はんは刀を前にかざし、力強く言い切る。

「異国の船を追い返したんをわてらは一緒に見たやろう、花里。あれやって、みんなが言うてたはずや、そんなん出来るわけがないて。」

飾り刀の先を見つめる秋斉はんの視線の先に海が見えた気がした。秋斉はんが、こんなふうに、力強い眼差しをしたことあったやろうか?
刀身についた血を払うようにシュビッと刀を脇に振り下ろす。なんやらほんまのお武家さんみたいや。
秋斉はんがうちに歩み寄って、細いけど長いふしばった指で髪の毛をくしゃくしゃと掻き回された。なにするん? と不服を言おうとして口を尖らせて見上げると、見たことのないような意地悪い笑顔で言われた。

「俺たちを信じて、待ってろ。誰も死なせないし、必ず成功させてみせるから。」

奏音はんにはよう言われてた言葉。けど秋斉はんがこういうこと、言う、なんて。
顔が熱い。なに? なんなん? これ。

「なんや。花里でもこうなるんか。」

「え? え? なん?」

「京訛りをやめたら奏音はんが顔赤くしたさかい、脈あるかなと、かまかけたのやけど、奏音はんは普段のわての雰囲気と違うから不意打ちなら誰でもそうなる言うてたんや。」

それは奏音はんの誤魔化しやと思うけど。そこ納得してまうんや、押しが弱いなぁ、秋斉はん。

「それとも。花里に、誰ぞ東男で好いとる人でも出来たん?」

いつものように柔らかい笑顔で聞いてくる秋斉はんに「そんなんやないですー!」と頬を膨らませて言い返しながら、ドクドクとうるさい胸の音を聞かれへんように少し秋斉はんから離れたのやった。



33.民の総てを

高らかに響く笛の音色。よぉ、いょっ、という合いの手と呼応して鳴らされる鼓。

観客が屋号を叫ぶ。舞台上では奏音はんが宣言しとった。

「我、夜明けを導く天からの使者なり!」

隣でほんまもんの奏音はんがつぶやく。「うわー、俺、あんなこと絶対言わないのになぁ。」その向う隣に座る枡屋はんが雅に笑ろた。

「ええやないの。脚本ってのは大概、大仰に書かれるもんや。」

「とか言って、天からの使者って教えたの枡屋さんでしょ?」

「わてやなくて藍屋はんや。慶喜様を揶揄う為なんやって。」

「ほんと、藍屋さんは慶喜さん苛めるの好きですよね。」

奏音はんが呆れ顔で息を吐く。枡屋はんがいじけた顔で奏音はんを流しみる。

「よう言わはる。奏音はんかてわてを苛めるの好きなくせして。」

「うん? 苛めないで、好きなのも止めて欲しいですか?」

ニマニマと笑って切り返すと枡屋はんは「なんて卑怯なお人や。」と俯いた。隣でいちゃらこくのやめてくれへんかなぁ。歌舞伎座なんて高価い場所に連れてきてもろたのは感謝しとるけども。

異国の船を追い返したあと、わてらは京に残り新生藍屋百貨店の準備に戻った。奏音はんは慶喜はんと、なんとか歩けるようにはなった枡屋はんと一緒に江戸に旅立った。
奏音はんらが江戸でしていたことは詳細が瓦版に刷られ飛脚によって全国に届けられた。
鎖国は続け、一部だけで貿易は続けられること。その理由は植民地化を防ぐこと。植民地にさせる為に異国によって長州も朝廷も幕府も仲違いさせられ内戦に追い込まれるよう画策されていたこと。
日本は朝廷の下ひとつにまとまるべきで、異人は弾圧するのではなく、親日の異人は取り込み、異国の良いところを学ぶこと。それでも護りは強くして、攻め入られないようにすること。

今までは民衆には知らされることなく、武士と朝廷だけで進められていた政(まつりごと)の詳細がわてらにも解りやすく仮名文字が多めに書かれてあって、それだけやのうて、その政への学者の見解とかが反対意見もあわせて載せてあるのや。
瓦版を読んだ町人や農民が質問をしてもいいらしく瓦版屋宛に文を送ると、その次の瓦版にそれが載って、慶喜はんや勝はんという人や伊藤はんら新体制を作ろうとしてはるお偉いさんがたが答えてくれはる。
今まで、ただ命令だけが下りてきて、それが嫌でも従うしかなくて、反対したら捕らえられて拷問されて。そんなんやったのに。
町人でも、農民でも、漁民でも。男でも女でも。
何でも言うてええ。話し合ってみんなでこの国をよくしていこう、帝のお膝下で。
そういうことがその瓦版には書いてあって。そしてどんなに反対意見を言うても捕らえられへんのや。むしろ江戸に招待されておもてなしされて話し合って、優秀だから新体制に加えます、と発表された学者さんも出はった。

平民を政に加えるなんて、ていう武家の反対は根強くあったけど、伊藤博文はんが連載してはる記事の中で何度も何度も、国民全てが政に参加することの重要さと利点と、異国での状況、植民地化された国の悲惨な末路を訴えていくうちに、少しずつ奏音はんたちに賛同する藩が現れ、薩長と土佐同盟のように条約が結ばれていく。

それが全国に拡まったのを見越して大政奉還が行われた。その場で秋斉はんたちは稽古していた歌舞伎を披露したのや、帝の御前で。
公卿たちがざわめく中、震えながらお沙汰を待っていた。全員、死ぬ覚悟を決めてはった。
けれど御簾(みす)が上がって姿を現した帝は仰ったそうや。異国に惑わされ大切な民を失ったことを哀しく思う。自分に免じて遺恨の残ることもあろうが互いに許し合うことは可能だろうか、という意味のお言葉を会津の殿様と長州の殿様に訊ねたんやって。
二人の殿様は涙を流して頭を下げて、帝の下、仲違いせず、お国の為に働きたいと誓ったそうや。いつも飄々としとる慶喜はんが興奮して語ってはった。凄い、本当に凄い! て。

日本は本当にひとつになったのや。元号は明治に変わってまだ若いけど優秀な新天皇が即位なさって、孝明天皇は朝廷改革に伊藤博文はんと着手なさったらしい。朝廷の古い体質は変革し、良きものは残して、列強に負けへん強い国を作るのやって。
この改革を平民向けに作り直された歌舞伎が全国をまわっとる。

奏音はんの依頼で脚本を書いてくれた歌舞伎座やったから楽屋裏にも通してくれた。「ほんまはわてらが帝の前で演じたかった。死ぬ覚悟ならあったんに。」と話す歌舞伎役者に奏音はんは笑って返す。

「これから色々な分野に天皇杯をたくさん増やしていきますよ、その時まで死なれたら困るんです。」

それから新政府の体制を作る為に忙しくしてた奏音はんに会えることはなかった。秋斉はんが内閣に加わることが決まって、菖蒲姐さんを政治秘書として江戸に連れていくのを見送った、

まさか、

まさか二人が泣きはらして項垂れて帰ってくるなんて思いもせずに。


34.うねり

第一回内閣会議やと江戸に発った秋斉はんと秋斉はんの秘書として付いていった菖蒲姐さんが項垂れて開店当日の藍屋百貨店に帰ってきた。
二人が帰ってきた日を開店にしようと番頭はんが言わはって目出度い門出になるはずやったのに。
藍屋遊郭の頃からの馴染みのお客はんがたから開店祝いのお花が贈られてきとって豪華に飾られた店の入口。わてらはお手製のお揃いの洋装を纏い二人を待っとった。
覇気の無い二人に理由を訊く。菖蒲姐さんは下瞼が赤く腫れ上がっとった。帰路のあいま毎日泣いとったんやろう。秋斉はんでさえ目が赤くなっとる。

菖蒲姐さんが思い出してはらはらと泣き崩れる。姐さんがたが肩を抱いて慰め、秋斉はんが言葉をつまらせながら俯いて理由を話す。

奏音はんは未来から来たのやって。今から150年後の日本から来たのやって。異国で育ったんやなかってん。家族には二度と会えない、故郷には戻れないと寂しそうに笑ろてた。阿呆や、なんで笑ろてんねん。
未来から来たから。
時代を越えて来たから。
どんなに頑張っても二度と帰れへん。そういう意味やったんや。それはどんだけ辛いんよ、奏音はん。なんでそれで笑えるん?

奏音はんは歴史を変えたのやって。本当はこんなふうに日本は一つにはならんくて。枡屋はんも高杉はんも久坂はんら長州藩も、新撰組も会津藩も。みんな戦争や病気で亡くなってたんやって、ほんまは。

それを奏音はんが変えたから。

神さまが奏音はんを消そうとしてるのやって。

奏音はんが居なくなるのやって。異国に帰るのやなくて。この世から消えてまうのやって。

「この先に起こる戦争を防ぎたい言うてな。消えるって判っててもどうしても歴史を変えたいんやと。その為にこれからも動くから協力してほしい言われた。みんな消えない方法はないのか、消えてまで歴史を変える必要無いやろて止めたんやけど。男やと仲間やと認めてくれるなら意地を通させろと言われてん。」

秋斉はんが俯いたまま静かに、静かに、語る。

拳を握り締める。奥歯を噛み締める。
腹が立ってどうしようもない。

よう笑うようになったんに。わてらの前でもいろんな表情見せるようになったんに。

一番悪い癖は以前のまま、ちいとも変っとらんのや、秋斉はんは。

「せやから、奏音はんが消えるいうんに納得したんどすか?」

菖蒲姐さんが首を横にふる。そんなん言うたらあかんていさめるように。

秋斉はんが顔をあげる。

「なんで、いっつも、いっつも! そうやって! 仲間やとか正義やとか、遺志を継ぐとか、夢が叶うならいつ死んでもええだとか! 奏音はんの望みやから優先するやの、仕方ないやの、方法が無いやのて!

なんで泣かへんねん! なんで嫌や言わへんの! どうして居なくなんの受け入れようとすんの! 会えなくなるの嫌や、方法は無いんか奏音はんに何回も聞いた? 聞いてへんやろ!?

どんだけ奏音はんと一緒におったんよ? 言わへんのや、奏音はんは! ほんまは寂しくて寂しくて離れたない思ても、他の人が辛なるて思たら言わへんのや、笑うのや、そういうの傍にいて判っとるやろ!? 水くさくて阿呆なんや、あの子は!

ほんまは消えない方法はちょっとはあるかもしれへんのや、けどそれが確実やなかったら言い出さへんねん、奏音はんは。無理矢理でも聞き出して、泣いて、すがって、離れたない言うて、どんなに可能性少なかったとしたって全部試すのや、みんなで!

奏音はんに会って、みんな変わって、国さえも変わって、なのにいっちばん悪い癖が直ってへん! 大事な人が居なくなるんを、仕方ない、て簡単に諦めんなや!」

叫びながら、ぼたぼたと涙が落ちていく。秋斉はんも泣いてはる。

「うちが聞いてきます。奏音はんに会いにいきます。秋斉はん、江戸に発つの許しとくれやす。」

「奏音はんなら、京に戻ってはる。」

「何処におるん!?」

「それはわからん。やることがあるのや言うて途中で別れてん。」

「探しに行ってもええですか?」

藍屋百貨店開店当日やとわかっとる。大事な日や。我侭なんて置屋に来てから言うたことなかった。けどなりふり構ってられへん。

「わても行きたい。」

桃乃ちゃんが涙をこすってうちを見つめる。

「旦那はん。頼んます、うちも探しに行きたい。」

「駄目や。」

背後で番頭はんがつぶやく。振り返って懇願しようとしたのを手を前に出されて制された。

「ひとりふたりで探したって見つかるわけあるかいな、藍屋全員で探しに行くんや。」

「え?」

「開店が出来ないことの対応はわてが残って一人でやります。秋斉はんも行くんや、奏音はんと一番外回りしてたんやから思い当たる場所多いやろ、留守はわて一人でええ。」

「いや、せやかて、」

秋斉はんが戸惑う。番頭はんは続けて言い切った。

「ここを何処や思てんねん。京都やで? 世話になった人を助ける為に店休んで、それを責める情緒の無い田舎者おるわけないやろ? はよ行きなはれ。」

「あいっ!」

頷いて店を飛び出す。早朝から揃いの洋装を纏った女達が一斉に走り出すのを驚いて眺める京都の人達。見知った顔の馴染みさんが「なんや、藍屋さんの新しい見世物かえ?」と聞くのに、女の子たちが説明して走り去る。「奏音はんが家出したんよ、勝手に異国に帰ろうとしとるんどす。」「お別れも言わんと居なくなろうとしとるから捕まえに行くんどす。」消えるなんて説明出来へんからそういうことにしておく。

すると変化が起きた。

「奏音はん、異国に帰ってまうんやて、お別れも言わんと出てったらしいで。」
「なんや、水くさい。」
「わての腰痛の薬はどないすんねん。」
「えー、将棋の勝負ついてへんよ?」
「医者のおにーちゃん居なくなるん? 凧揚げ約束してたのにー。」
「え!? せっかく頼まれとった、けんびきょう、いうの出来そうやのに!」
「あんた! 仕事行くのやめて探してきて!」
「今日は店じまいや。奏音はんを探しに行くで。」

わてらが説明しながら走り去るあとから、事情を知った京都の町の人達があとを追って家から出てきて走り始める。
事情を知らない人らは「なに!? 火事!?」と驚いて、事情を聞いとる人から奏音はんを探してるのやと聞かされて、ほなわてもと混ざる。

京都の町中に人のうねりが出来て、みんなで奏音はんを探して走り回っとる。

それは空から見たら大きな大きなクジラに見えたかもしれへんかった。



35.想いは重なる

大きな人のうねりの中で、それは人から人へ伝わってきた。「奏音はん、枡屋のお店に居るらしいで。」それを聞いてみんなそちらに向かい出す。ドドドという足音とともに、わてらと京都の町の人らが土間入口に一気に押し寄せて声を揃えて

「奏音はん!」

と呼ぶんを目を丸くして奏音はんは口をあけた。手には薬瓶を持ってはる。薬、作り置きしたかったんやろう、なるべくたくさん。

「は? え? どうしたの!?」

「奏音はん行かんで!」

桃乃ちゃんが叫ぶ。

「消えるなんて嫌や、なんとかならへんの?」

牡丹ちゃんが懇願する。消えるってなに? と京都の町の人らはざわついた。奏音はんは眉根を寄せた。

「どうかな。これをなんとかするのはちょっときついかも。」

そう言って、袖をたくしあげて左腕を見せる。手首から肩までが透けて消えかかっている。事情を知らん人がひっと小さく声をあげた。

「最初は肘の周囲だけだったんだけど。だんだん広がってる。止められないし、どうやったらいいのか判らない。」

「歴史を変えたら消されるいうことは、今までのことも全部無かったことになって元に戻されるいうこと?」

「いや、違うよ。大元の正しい1本があるわけじゃないから戻されるってことはないと思う。ただ、未来が大きく変って俺が生まれることが出来なくなるんだ。」

「それ、おかしない? 生まれへんかったら奏音はんここにも来なかったことになるやんか? そしたら歴史変わらんやろ?」

「みんなが、この時代の人が変えたことになる。この時代にとって異物は俺と翔太だけだから。俺たちが居たことをみんなが忘れるんだ。たぶん、そうなると思う。」

俯き、微かな笑みをたたえて、諦めたように悟ったように奏音はんが語る。ほんまに阿呆やな、奏音はん。

「奏音はんが異物? そんなん誰が決めたん?」
「神様やろ?」
「せやから何処の神様や。神様は八百万(やおよろず)おられるんやで? 川の神様、道の神様、山の神様、狐の神様、」
「ほうやなぁ、時代の神様、なんかな。」
「時代の神様と、人の物忘れの神様って別なんやない?」
「ほんなら物忘れの神様が面倒くさいー! 無理やー! て根ぇあげたら、時代の神様も奏音はん消すのやめるんちゃうか?」
「なんそれ、どうするん?」
「だってここに居る人全員から奏音はん忘れさすのん? 面倒ちゃう?」
「神様やからなぁ。」
「ならもっと増やせばええ。いろんな人らに奏音はんのこと話すんや、わてらで。」

町の人らが口々に話し合う。奏音はんは目をパチパチさせて驚いてはる。
ほんまに阿呆やな、奏音はん。な? 独りより、みんなのほうが、なんとかなるかもしれへんやろ?
そこが秋斉はんたちの悪い癖やねん。武士だけで国を護ろうとして、内輪揉めして。ちぃとも懲りてへんのやもん。
困った時は、みんなで考えればええのや。周りの人らに助けてーって言えばええのや。

「わてら女やった。」

露葉ちゃんが呟く。

「花、わてらが子ぉ産んで、子に奏音はんのこと話すやろ?」

牡丹ちゃんが頷いて続ける。

「うん。その子が、またその子に話して。」

「そしたら150年後にも届くんちゃうか? わてらの気持ち。」

みんなで話す。奏音はんのことを人に伝える方法。忘れさせないように、神様が参ったー! 言うてくれへんかなて。
それは土間の入口に入り切らんかった後ろの列に伝わっていってうねりが大きく揺らぐ。まるでクジラが背びれをグワッと大きくもたげて海間から空に飛んだ、あの船の甲板で見た光景のように。
ザッパーンいう音とともにたくさんの水しぶきが跳ねて、おひさまに照らされる。キラキラと輝いて、綺麗やった、すごく、すごく。

「うわ!?」

奏音はんが叫ぶ。奏音はんの左腕が強く輝いて目がくらみそうや。それでも反らさずに奏音はんを見つめる。嫌や、消さんで! 神様!
光がだんだん弱くなる。奏音はんの影はちゃんとある。大丈夫や、消えてへん。
奏音はんは信じられないいうように自分の左腕をさすってはった。消えてへん。透けてへん。ちゃんと、そこにある。

「うわー!?」

奏音はんが自分の頭を抱えてうずくまった。

「なん!? どうしたん、奏音はん?」

駆け寄って隣にしゃがむ。顔をしたから覗き込む。

「未来の歴史が変わってる。俺の記憶も、翔太の記憶も、二重になってる。ここに来る前の経緯が変わってる。」

「それじゃわからん! わかりやすう言ってや!」

奏音はんが顔をあげた。ポタッと涙を一筋落として笑う。

「みんなに忘れさせんの大変だから消さないことにしたみたいだ、神様。」

ギュッと首に抱きついて飛びつくと奏音はんが笑いながら土間に尻餅をついて倒れた。そこに藍屋の女の子が次々にわてもわてもと抱きついて

「いや! 重い、重い! つぶれるって! 俺が女だって忘れてない!?」

奏音はんが叫んだけどかまってられへん。それを見た町の人らが「わてらの想いに神様、根ぇあげたで!」と口々に後ろに伝えていき、どぉぉぉ! というどよめきが外で聞こえた。

クジラが潮吹いたみたいに。



36.自分の力で

藍屋百貨店で女の子たちがネクタイを次々と首元にあてていく。

「これどない?」

「あ、好きですね、こういうの。」

「あかん。こっちや、こっちのが派手やろ。」

「いえ、派手なのはちょっと……」

「なに言うとるん、美男子なんやから派手なほうがええて!」

「それもそやな、ならそっちにしよ。」

「客に選ぶ権利はないのか、この店は。」

試着されて遊ばれてる沖田はんを壁に寄りかかって見てた土方はんが呆れたように言う。

「ええやないですか。人は自分のことが一番わからないのとちゃいます? 他人さまから見て似合うもんを身に付けたほうがええですって。」

「ふむ、一理あるな。このあいだあんたに選んでもらった仕立ては評判が良かった。」

ニヤリと笑って褒めてくれる。土方はんも変わったなぁ、こういうとこ。少しだけ、素直になったかもしれへん。

あのあと奏音はんは消えないで済むなら、もっともっとやりたいことがあるから言うて、またすぐに江戸に戻ってしまった。
京都に戻ってきたのはそれから半年は経った頃や。

枡屋はんと一緒に藍屋百貨店に来はって、

「金持ちの旦那に金落とさせに来たから。めいっぱい踏んだ食っていいよ。」

と笑った。「なんて酷い扱いや。」と枡屋はんはどこか嬉しそうに苦笑いして、女の子に囲まれてはる。

「意外やったなぁ、奏音はんが枡屋はん選ぶの。」

「ん? でも一番人気だったんでしょ? 配当少なくてごめん。」

「どっちにしろうちは賭け負けたんやけども。賭けた子は条件がええからて理由やったけど、奏音はんはそういうの興味無いやろ?」

「まぁ、政治改革に資金はありがたいけど、それは慶喜さんのほうが出せるからね。」

「なんで枡屋はんなん?」

「秋斉さんには慶喜さんが居るでしょ。土方さんには新撰組が居る。高杉さんには久坂さんたちが居る。若い頃から一緒に過ごした仲間。」

「枡屋はんにはおらへんの?」

「潜伏生活が長いからね。偽の身分でずっと過ごすうちに古い仲間は全員亡くなってる。」

そう、なんや。枡屋はんを遠目にしてつぶやく。ほんまに、あれもこれもと買わされてる。笑ろとるけど、独りで寂しさを抱えてきた人。

「奏音はんと同じやね。」

「同じじゃないよ。俺には翔太が居る。」

「ほうか。奏音はん、ここに飛ばされたん独りやなくて良かったね。」

「うん。枡屋はんには弱音吐いて欲しいし、甘えて欲しいし、ワガママ言わせたいんだ。」

「だからわざと虐めてはるの?」

「いや、それは俺の趣味。」

「趣味かえ!」

「アハハ。花里ちゃんは? 好きな人出来た? 遊郭じゃないから自由に好きになってもいいでしょ? 俺、出来ることならなんでも協力するよ。」

両手で頬を押さえて俯く。言いにくいのや。

「あんな。不相応やと思うんよ。」

「そんなことない。花里ちゃんは可愛いよ、どんな相手だって平気だって。」

「最初はな、ありえへん、て思てたんよ、そういう対象やなかってん。」

「うんうん。」

「でも優しいねん、すごく、すごく、優しいくてな?」

「そうかぁ。」

「けど、歳上すぎるし、結婚してはるし、」

「うん、う……ん?」

「けど、あのごっつい手でな、頭撫でられると幸せな気持ちになんねん。あの平和そうな顔で笑うおっさんが、たまらなく好きやねん。」

「そっちか!」

「そっち?」

「いや、なんでもない。」

「江戸と京都やろ? 無理やろなぁ。」

「あー、それは平気だよ。」

奏音はんがニマリと笑う。

「俺は内閣に入ってないけど、人事権は俺にあるんだ。不正や癒着を無くす為に人事権は独立させたからね。」

そう言って、近藤はんとついでに沖田はんと土方はんを京都支部に配置替えさせてくれたんやけど、奏音はん、それこそ不正ちゃうの?

思い出してクスクスと笑う。土方はんが言う。

「またあいつのこと考えてたのか?」

「へぇ。」

「総司も難儀な奴だな。恋敵が二人とも強過ぎる。だいたいわざわざ思い出さなくても、このあと会うんだろ?」

藍屋百貨店の仕事が終わったら、うちには行くところがある。
伊藤はんが約束してくれたもの。女の子が通える学校。揃いのセーラー服を着て、机を並べて座って、同い年くらいの女の子らと一緒に先生を待つ。

入ってきた先生はニマリと笑って「今日は乳酸菌を作ります。」と、けんびきょう、いうごっつい機械を持ち上げた。

歴史を変えて、誰も死なせなくて、みんな仲良くさせて、学校つくって、そこの先生になる。
何もかも揃え過ぎや、奏音はん。その手持ちカードは強過ぎるやろ、さしずめフォーカードか。

けんど負けへん。

もう憧れるだけはやめたのや。
うちも、もっと、もっと、いろんな事を学んで、自分のやりたいこと、叶えたい望み、作りたい未来を引き込めるような人になる。

ロイヤルストレートフラッシュや。

いつか、出したるんや、自分の力で。

イラスト

イラスト

藍屋百貨店での一幕です。

くるりくるり

くるりくるり

艶ぼ~いシリーズのスピンオフ作品です。シリーズを読み終えたかた向けです。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-18

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 出会い
  2. 変革
  3. 旅立ちと闘い
  4. 一緒に生きよう
  5. イラスト