無原罪のクレア
小石は浜辺 木は森へ 森は岸辺に画します
1444年4月4日 ポルトガル
印刷技術はまだ発展しておらず山羊の皮にインクペンで筆記するのが人間だけではなく妖精たちの世界でも同じく一般的であった。
フェアリー司法省ルドン地方裁判所事務局 文書係窓口
魔導書の写本見習いのクレアは浮遊インクの調合をしながら渡り鴉の郵便配達の到着を待つ。
配達時間は一日二回。
鴉のスウェンは季節風によって到着時間が変る。
城砦の周辺はとても整然として美しいけれども人気が無く、唯とくとくと水路を流れる水流の音しかないこの城下は彼女の出身地とは違い静かすぎて、どこか寂しい街。
――この街の風は寂しい
クレアが石組みをしただけの城砦(裁判所)の大窓から港を望み、植民地へ出航する貿易船の帆はそれなりにたなびいて見えるけれど鴉にとっては逆風で酷かも知れないなと思い巡らしているうちに
突如、港と裁判所を繋ぐウォール街を奔る黒い疾風が窓を抜けて、黒い大きな羽根を広げた鳥が彼女の前に出現した。
そして文書室の空気が震えるほどの大きさで嘶き、話し始める。
「無原罪のクレア、お待ちどう」
「郵便さあ、遅すぎ。しかもどうして私の名前を知ってて?」
「個別に泣虫バンシーからの君宛の手紙も預かってるからね、これも」
郵便鴉のスウェンは旋回して人間の姿に還るとクレアに挨拶、同時に彼が嘴に加えて来たカラフルな封書が床に散らばる。
「午後は全てで14通。フェアリー出生届に死亡届、婚姻・離婚届けと冥婚届けが合わせて6通」
スウェンはその細くて白い指で封筒を拾い集めていく、中で暖色の真紅の信書を選んで彼女の前でひらひらさせ確認する。
「くれぐれも間違えないように。青と白は婚姻離婚、真紅は冥婚希望。覚えてる?」
「冥婚希望が3通も?文書室に入るのは今日が二回目。私、自信無いな」
「じゃあ、教える。真紅の封筒で差出人が書かれていない方は死者が生前投函していた冥婚希望、そしてこっち、差出人の記載があって宛名が書かれていない2通」
金髪の端正な顔立ちの配達人は残りの2枚を人差し指と中指で挟み、ふっと息を吹きかける。すると浮遊インクの効果で紅色の封書は3通とも絹糸で絡み合ってしまっている。
「2通は死者に遺された者が投函した方だよ。酷いなどうも両方とも同一人物に未練があるようでおかしいでしょう」
クレアは封筒を受け取ると室内キャンドルに翳しながら、死者が生前投函している方の封筒を透視していた。
「差出し人は戦士」
「君はそんな事まで判るの」
「だって私たちサビーナ地方のエルフはその能力を請われててここにいるの、戦士はルドンの森の攻防戦で殉職した…」
「ふうん、あの森の湖の空飛ぶピラニアにでも喰われて戦死したのかな。あいつら集団で生きとし生ける者も捕食してしまう怖しい魔族だからね」
「どうなのかなー、さすがにエルフでも亡くなった事由までは読めない。きっと苦しかったでしょうね」
「僕は戦士になるのはお断り!ニンフで良かった。そうそう無原罪のクレアさん。戦士の方の信書は絶対に開けてはいけないよ、死者の花嫁から逃れることは出来ないからね。未練の手紙はラバイに引き継いで、よぉく弔って貰いなよ。これは引き継ぎ事項」
飽きてきたのかスウェンは気怠そうに「かっ、かっ。かっ、かっ」と四回嗤うと、夜鴉の姿に戻り郵便鴉の故郷ドバイの砂塵に紛れて文書室から消えた。
部屋は静まり返っている。
(了)
無原罪のクレア