いつかどこかで────ノスタルジーの物語
この小説はノスタルジーの物語です。最初の1行から最後の1行まで全てがノスタルジーの物語です。過ぎ去った日々の思い出を懐かしむ感情、ノスタルジーというものを如何に文学として表現するか、その一つの実験的試みとも言えるのがこの小説です。この小説は詩で始まり、詩で終わります。この物語の中で8篇の詩が出て来ますが、その全ての詩に大きな意味が込められています。この小説に出て来る詩と物語そのものとの間には関連性というのは全く無く、物語は静かに進行するし、詩の方は物語とは別に読む人を別の空間へ連れて行き、別の夢想の世界へ誘います。全体としてノスタルジーというものを文学として表現している、そういうタイプのちょっと変わった小説です。
正直な所、この小説はある意味マニアックと言うか、ユニーク過ぎる部分があるので読む人によって評価が分かれる事でしょう。この小説に出て来る詩を何も考えずにザーッと読み飛ばしてしまうと、ただの平凡な物語という風になってしまうかもしれません。作者としては出来る限り深く詩の方を鑑賞して頂き、夢想やノスタルジー、ファンタジーや空想といった世界に浸って頂ければ、その相乗効果でこのノスタルジーの物語は完全なノスタルジーの物語になるものと確信しています。
いつかどこかで────ノスタルジーの物語
風と草原が作るあの歌が
僕は好きだった
月の光と湖が成すあの絵が
僕は好きだった
窓の外に降る小さな星の群れ
こんな夜には体より
心を温めてくれる何かが欲しい
遠い記憶の中に生きる思い出
忘れ去られた思い
全てが遠く 全てが幻想で 全てが夢
ノスタルジア
それは気づかなかった寂しさ
僕はほんとに色んな世界を生きてきた
本章 ノスタルジーの物語
一九九三年九月のある土曜日の晩、山口ナオコはラスベガスのダウンタウンにあるGカジノにいた。彼女は九十三年の三月に日系の旅行社の駐在員としてラスベガスに赴任して来た三十歳の女性で、赴任してから暫くは初の海外勤務ということもあり、仕事上の色んな事を覚える事で余裕が全く無く、遊びに行くなんて事は全く出来なかったのだが、五ヶ月めに差し掛かったあたりから少し余裕が出て来たので、休日は適当に遊ぶようになった。ラスベガスという街は二十四時間不眠不休の、あらゆる娯楽の宝庫であり、ありとあらゆるショウビジネスの本場であるから、ナオコは色んなショウを見たり、好きなアーチストのコンサートに行ったりして、休日はとにかく楽しく過ごすようになった。ここ二週間ほどはカジノゲームに興味が行き、職場の先輩に色々教わりながらルーレットやブラックジャックといったゲームを初めは恐る恐るやっていたが、カジノゲームの入門書を本屋で手に入れてからは色んなやり方を試すのがすごく面白くなり、ここ三日ほどは仕事が終わるとすぐカジノに直行して夢中になってゲームをやっていた。
夜の十一時半頃ブラックジャックテーブルでゲームをやっていて、ある場面でナオコがカードを引いた時、左隣りに座っていた中国人らしい男が何やら中国語で叫んだので、ナオコはビクッとした。何かナオコが今ディーラーからカードを引いた事を非難しているような感じだった。
中国人に叫ぶように文句を言われたナオコはどうしていいか分からず、ただ黙っておろおろするしかなかったのだが、右隣に座っていた眼鏡をかけたアジア系と思われるヒゲ男が彼女の代わりに弁明するかのようにその中国人に対して何やら早口の中国語で申し立てた。中国人はそれに対して間髪を容れずワーワーとがなるように申し立てた。中国語で言ってるため、何を言ってるのかナオコには全く分からなかったが、自分が引いたそのカードの引き方に関して議論しているのだろうと思われた。二人ともかなり大きな声なのでまるで喧嘩しているかのように感じられた。
二人は暫くワーワーと言いあっていたのだが、通りかかったピットボス(ディーラーの上司に当たる人)が仲裁に入った。ヒゲ男は流暢なアメリカ英語で、さっきこのお嬢さんが引いたカードの引き方が良くなかったとこの中国人の男がクレームをつけていて、自分は全然気にしていないのだが、この中国人はどうしても納得がいかないみたいなんだと言った。ピットボスはその中国人に対して、どのようにカードを引こうとそれぞれのプレイヤーの自由なので、とにかくそのままゲームを続けるようにお願いしたいと丁寧に申し立てた。中国人の男は納得がいかない様子だったが、しぶしぶ承知した。
結局その回の勝負はディーラーの一人勝ちとなり、そのテーブルのプレイヤー三人全てが負けという結果になった。全員が負けという結果に中国人は激怒し、右手でテーブルをバン!と叩いて席を立ち、文句を言いながら去っていった。ナオコはきまり悪く感じ、ヒゲ男に対し”Thank you for your help but we all have lost. I'm sorry. (助けてくれてありがとう。だけどみんな負けちゃったわね。ごめんなさい。)と言った。それに対しヒゲ男は”That's OK. Where are you from? (それはいいよ。あんたどこの出身だ?)”と返した。
”I'm from japan. (日本です。)”とナオコは答えた。
「何やあんた日本人やったんか」とヒゲ男が突然関西弁で言ったのでナオコは驚愕した。中国語と英語の両方を流暢に話し、話すときのジェスチャーもかなりアメリカ人っぽかったのでてっきり中国系アメリカ人だと思っていたのに突然関西弁が飛び出したのでナオコは驚いたのだ。
「さっきみたいにディーラーのカードが六で、自分のカードが十二なんて時は普通カードを引かんとステイするんがセオリーやから怒っとったんやけどな・・・」
「私初心者なんでまだ基本戦略(ベーシック・ストラテジー)を把握してなくて・・・どうもすいません。」
基本戦略(ベーシック・ストラテジー)というのはディーラーのオープンカードの数と自分に配られたカードの数を見て、更にカードを引くか、引かずにそこでストップするか(ストップする事をステイあるいはスタンドと言う)という事を数学的確率の観点から一つの表にまとめたもので、ブラックジャックというゲームをやる際には出来る限り覚えておいた方がいいとされる必勝の為の基本的セオリーで、確率的に一番勝つ確率が高い戦略を体系化したものである。もちろんその通りやったからといって必ずしも勝てるというわけではないが数学的確率からいえば一番勝てるやり方であるという事である。ブラックジャックをプレーする客は基本的にこの基本戦略に沿ってプレーするのが望ましいとされている。 「いや謝らんでもいいけど、まあああいう風にやったら確率的には負ける可能性が強いって事やから、気をつけた方がいいやろな。次からはベーシックストラテジーを書いた紙を見ながらやったらいいんちゃうかと思うけど。」
「えっ、それって許されてるんですか?」
「うん、大丈夫や。問題ない。」
ヒゲ男はナオコに今日はもうこれ以上プレイしないで暫く後ろで彼のプレイを見てた方がいいんじゃないかと提案した。ナオコはそれに同意しテーブルを立った。ナオコがテーブルを立つのとほぼ同時に通りがかった二人の客がテーブルにつき、計三人のプレイヤーで再びゲームが始められた。
三十分後、ヒゲ男はかなりの大勝ちをしてテーブルを立った。後ろで彼のプレイを見ていたナオコはすごく感心して、「すごいですねえ。今日はほんとにいろいろ参考になりました。どうもありがとうございます。」と言ってその場から去ろうとすると、「ちょっとどっかで話せえへんか?」とヒゲ男が言った。ナオコはちょっと考えた末に同意して、カジノのすぐそばにあるコーヒーショップで話をすることにした。
「あんた観光でベガスに来たんか?」
「いいえ私は仕事でここに来ていて、休みの時なんかにカジノで遊んでるんです。」
「仕事っていうと旅行社とか?」
「ええ、そうです。今年の三月にラスベガス支店のスタッフとして赴任して来て、最近になってカジノで遊ぶようになったんです。」
「ぼくは三日前にベガスに来て、ダウンタウンのQホテルに滞在しながらいろんなカジノでゲームをしてるんやけど、まあ一ヶ月くらいはおろうと思ってる。」
「主にどんなゲームをなさってるんですか?」
「メインはポーカーで、時々気分転換の為にブラックジャックやルーレットとかバカラなんかをやってる。」
「さっきはほんとに見事な腕前でしたけど、もしかしてプロのギャンブラーさんですか?」
「いやとてもとてもプロなんて言えんわ。勝つときは勝つけど、負けるときは思いっきり負けるからなあ。」とヒゲ男は苦笑しながら言った。
ナオコはコーヒーをちょっと口に含んでから目の前にいるちょっと変なルックスのヒゲ男を見つめた。長髪で眼鏡をかけた百七十センチ位の背丈の、鼻の下とアゴにヒゲをたくわえたカジュアルな服装をした関西弁を話すアジア系アメリカ人のような日本人・・・眼鏡の奥の目はすごく綺麗な目をしているなとナオコは思った。
「関西の言葉を話されているようですけど、もしかして大阪の方ですか?」
「そうや、わいは大阪は河内の生まれの、河内のおっさんやでえェェェ── 。」とヒゲ男がかなり誇張した様な感じの関西アクセントで言ったのでナオコは思わず吹き出してしまった。
「おかしいか?普通に話ししてるつもりやったんやけど・・。」
「すいません、普段聞いてるアクセントとかなり違っていたんで・・・・でも方言ていいですね。」
「そんな言い方はないんとちゃうかなあ。まあ東京の人からすれば、方言と言えば方言なんやろうけど。」 ナオコはちょっときまり悪くなって、少し沈黙した後こう言った。「すいません、お名前を聞かせてもらっても宜しいですか?」少しの沈黙の後ヒゲ男は言った。「───── 杉田と言います。」
二人はそれから暫くいろんな話をしたが、二人ともイギリスやアメリカのハードロックが好きだという事が判ってからはかなり話が盛りあがった。
「アメリカはロックの本場やから、これからは色んなバンドのライブが見られて楽しみやな。」
「ええ、そうですね。今のところはそんなに見てませんけど、これからは色んなバンドのライブが見れると思います。」
「ヴァンヘイレンのライブに行ったことあるか?」
「いいえ、無いですけど・・」
「僕は初来日の時に見たことあってな・・・あれは確か一九七八年の夏に・・多分六月やったと思うけど、大阪の厚生年金で見たわ。」
「へえ、ほんとに初期の頃に見たんですね・・」
「いやあほんとに凄かったで・・・特にエディーのギターが・・・。ボーカルも凄かったけど、とにかくバンド全体のエネルギーが半端じゃなかったわ。」
「ヴァンヘイレンと言えば、最初は”Jump”って言う曲が好きだったんですけど、やはりファーストアルバムが凄いですよね。」
「僕が高校三年の時、いや二年の時やったかな、確か一九七八年の二月にアルバムが出て、三月か四月にFMでオンエアされて聞いたんやけどな、ほんとに凄くて衝撃を受けて夢中になって聞いたんを覚えてるわ。高校二年の時にディープパープルのライブアルバムを聞いてハードロックのファンになって以来レッドツェッペリンやクリームとかも聞いてたんやけど、とにかくヴァンヘイレンのギターはすごい衝撃やったわ。」
ハードロックに関して熱く語る杉田を見ながらナオコはふと中学生の頃文通していた相手が手紙に、ディープパープルのライブアルバムを聞いて凄く衝撃を受けてハードロックのファンになったと書いていたのをぼんやりと思い出した──── その文通相手というのは田村伸介──── タムラシンスケという名前だった─────── 。
「ところであんたはベガスに来る前は東京で仕事してたんやな?」
「ええ、大学は東京の大学で英語を専攻してたんですけど、旅行社に就職が決まって七年程東京で仕事をしてからラスベガスに勤務が決まって今ここにいるわけです。」
「生まれたのも東京か?」
「いえ、生まれたのは神奈川の茅ヶ崎で、高校卒業までは茅ヶ崎にいました。」
「大学の時は下宿してたわけ?」
「ええ、そうです。まあ家から通えない事もなかったんですけど、二時間以上かかる所だったからやはり下宿することにしました。」
「僕も専攻は英語やったんやけど、京都の方に近い大阪の枚方ってとこにある私立大学の英語学科に五年程おった。まあ要するに一年余分にな。」杉田は小さく笑いを浮かべて言った。「まあ実際のとこ、大学の時はよう遊んだな。高校の時からロックが好きでドラムをやってたんやけど、大学の時は軽音楽部に入っていろんなバンドで色んな音楽やったわ。」
「私は大学の時は文芸部に入って小説や詩を書いていました。文芸部の中で同人誌というのがあって、そこに詩や小説やメルヘンなんかをいろいろ載せてもらってました。」
「プロの作家になりたいって思ったりした?」
「いや実際の所そんなになりたいって感じじゃなかったんですけど、とにかく文学っていう形で自分の世界を創りたかったっていうところですね。」
「主にどんな感じのものを書いてたん?」
「詩が一番多かったですね・・・。あとは短い小説というか、メルヘンみたいなものをちょくちょく書いてたっていう感じですけど。」
「文芸誌とかに投稿とかはした?」
「ええ何回か小説を投稿して、三年生の時にとある文芸誌で佳作を取る事が出来て、それから何回か短編の小説をその文芸誌に載せてもらうことが出来たんですけど、四年の時にスランプになってしまい書けなくなって掲載の依頼に穴を開けてしまって・・・・それ以来その出版社からは依頼が来なくなってしまったんですけど、まあ私が根性を出して作品を創る努力をしたらよかったんですが・・・。結局就職する道を選んで、就職してからはとにかく毎日仕事が忙しくて創作することから離れてしまい、結局何も書いていないっていう状況なんです。」
「そうか、まあ文芸の世界も厳しいと言えば厳しいから作品を出し続ける情熱を失ってしまったらもうそれで終わりやろな。」
「そうですね、結局私の場合小説家として続けていく為の才能も情熱も無かったという事ですね。」こう言ってからナオコは暫く沈黙した。杉田は腕組みをして何かを考えているような感じだったが暫くしてからちょっとお手洗いに行って来ると言って席を立った。 ナオコは暫くぼーっと空を見つめていたが、何とはなしにバッグの中から手帳を取りだし、十ページ目位に書いてある詩に目をとめた。「ノスタルジア」というタイトルの詩なのだが、それを目で追ううち彼女の思いは中学二年の時に遡っていった─────── 。
─────── 中学二年の時、あれは確か一九七七年十一月九日の水曜日の事であったが、ナオコは学校が終わってから駅前の商店街の中にある本屋に立ち寄った。彼女はとにかく本を読むことが好きで、マンガであろうと小説や雑誌であろうと、とにかく全ての種類の本に興味があるタイプの文学少女と言ったらいいのか、いやマンガも好きだからマンガ少女でもあるのだが、とにかくあらゆる種類の本を読むことが好きな、オタクの女子中学生であった。いつものようにまずマンガの雑誌を何冊かザーっと立ち読みすると、次に彼女は毎月読んでいるPFマガジンという文芸雑誌───── この雑誌はイラスト付きの文芸雑誌なのだが───── を手に取って、”読者からの投稿詩”という所を開いた。それは八ページに渡って読者からの投稿詩が掲載されているコーナーで、文学少女の彼女は毎月チェックしているのだが、色んな人の様々な詩が掲載されている中で、とある詩が彼女の目を引いた──────いや彼女の心を捕らえた────── 。
ノスタルジア
田村伸介
風と草原が作るあの歌が
僕は好きだった
月の光と湖が成すあの絵が
僕は好きだった
窓の外に降る小さな星の群れ
こんな夜には体より
心を暖めてくれる何かが欲しい
遠い記憶の中に生きる思い出
忘れ去られた思い
全てが遠く 全てが幻想で 全てが夢
ノスタルジア
それは気づかなかった寂しさ
僕はほんとに色んな世界を生きてきた
この「ノスタルジア」という詩はほんとにナオコの心に響いた。この詩の持つ世界観が彼女の心の琴線に触れた。詩を読んでこんなに魅惑されたことはなかった。彼女はそのPFマガジンをレジの所に持って行き、購入して家に着いてからもう一度噛みしめるようにその詩を読んでみた。ほんとにこの詩の持つ世界観に彼女は共鳴し、魅惑された。何日かした後彼女はその詩の作者である田村伸介という人に宛てて手紙を書いた────── 。
田村伸介様
前略。私は神奈川に住む中学二年の女子で、山口ナオコと言います。PFマガジン十二月号に載っていた田村さんの「ノスタルジア」という詩にとても感銘を受けてお手紙を書かせて頂きました。
私はとにかく本を読むことが好きで、マンガも好きだし、小説や詩なんかもよく読んでいます。田村さんの詩はほんとに素敵で繊細で哀愁がこもっていると言ったらいいのか、とにかく私の心を捕らえました。今まで詩を読んでこんなに魅惑されたことはありません。こんな事を頼むのはどうかなとは思うんですが、もし良ければ私と文通して頂けないでしょうか?
一九七七年十一月十三日
山口ナオコ
手紙を書いた後ナオコは投稿者の住所が一覧になっているページを開けてみた。田村伸介の住所は大阪府東大阪市XX町X丁目XX-XXと記載があった。───── 大阪の人なんだ──── とナオコは一九七〇年に大阪で万博が開かれた時家族みんなで旅行に行った時の事を思い出した。当時小学一年だったこともあり細かい記憶は無いのだが、とにかく人がいっぱいで長い時間列に並んで待っていたという事は覚えている───── 。
この手紙を出してから十日位過ぎた頃田村伸介から返事の手紙が届いた────
山口ナオコ様:
前略。お手紙読みました。ぼくの詩をこんな風に好意的に評価してくださりどうもありがとうございます。ぼくと文通したいとのことですが、ぼくは今まで誰とも文通したことが無く、ぼくという人間は筆無精で、字も汚いので正直どうかなあと思う部分もありますが、まあこれも何かの縁ですからOKという事にします。あんまり頻繁には書けないというか、たぶん二月に一回ぐらいしか出せないかもしれませんけど、それでいいなら文通するのはOKです。
えーとまず自己紹介からしますね。ぼくは大阪の東大阪市在住の高校二年生で、趣味は山口さんと同じでまず本を読むこと(あらゆる種類の本)、それとロックミュージックを聞く事。主にFMラジオから録音していろんなグループの曲を聴いています。中学の頃はフォークやポップスをラジオとかでちょっと聴くというぐらいだったんですけど、高校に入ってからビートルズに出会い夢中になって色々聴きまくって、今ではほとんど全ての曲を聴いて知ってるというぐらいになりました。「ノスタルジア」という詩は半年ぐらい前にビートルズの”The Long And Winding Road ”を聴いている時、目を閉じて思い浮かべた事、感じた事やインスピレーションを言葉にして書いたもので、タイトルどおりノスタルジアの詩、いろんな物や風景や人の過去の記憶や思い出を懐かしく思うその感情を言葉にしてみた詩です。最後の”僕はほんとにいろんな世界を生きてきた”というところ、十七歳でまだ人生の初めの方だと言ってもいい位なのにこんな事を言うのは実際早すぎるというか、人生の経験が足りないのにと言われるかもしれませんが、時が過ぎてぼくがそれ相応の歳になったらその時に大きな意味を持つようになるかもしれないし、重みを持つ言葉になるかもしれません。
趣味の話に戻りますが、高二になってからドラムを始めました。週に一回ドラム教室に通ってドラムの叩き方を習っています。先生は大阪でバンドをやっててライブハウス等で頻繁にライブをやっている、プロレスラーみたいにがっちりとした体をしている人ですが、性格的には凄くおとなしくて優しい、ほんとにいい人でぼくにとっては兄貴の様な存在です。彼はドラムを教えてくれるだけでなく、ロックについても凄くたくさん教えてくれるし、レコードやテープなんかも頻繁に貸してもらっています。ほんとにぼくにとってはいい兄貴だし、ロックの師匠でもあります。
一週間ぐらい前に同じクラスの友達数人からバンドを一緒にやらないかと誘いを受けてテープをもらい、今毎日練習に明け暮れています。三週間後の日曜日にスタジオで合わせることになっているんですが、曲目はビートルズやローリングストーンズの曲とクリームというバンドの”サンシャイン・ラブ”をやることになっています。クリームというバンドは今まで聴いたことが無かったのですが、ジャンルで言うとブルースロックになるそうです。
”サンシャインラブ”という曲はなかなかいい曲で合わせるのが楽しみです。
最近になってハードロックをよく聴くようになりました。きっかけはFMでディープパープルの特集があり、ライブインジャパンという一九七二年に日本で行われたライブ盤の曲を全曲オンエアしてくれたのでテープに録音して繰り返し何度も聴いてるんですが、これがまたほんとにすごいんです! 特にボーカルのイアン・ギランがすごくて、ハイトーンだけどめちゃくちゃ図太い強力な声で、ものすごいシャウトを聞かせてくれて圧倒されます。このライブを聴いて僕は衝撃を受け、ハードロックというもののファンになりました。ドラムの兄貴からもレッドツェッペリンの二枚目と四枚目のアルバムを借りることが出来たので、これも録音して最近よく聴いています。ディープパープルとはちょっと違うタイプのハードロックと言ったらいいのか、二枚目はほとんどがハードロックの曲で、四枚目に関してはアコースティックな曲や、”天国の階段”みたいなドラマチックな曲もあって、これもほんとにすごい名盤で、毎日圧倒されながら聞いています。”天国の階段”なんかはほんとにすごい名曲で、よくこんなに美しくすごい曲が作れるものだなあと感心というか、感動しながら聴いています。
簡単ですが自己紹介の方はこれぐらいにしておきます。またその時その時で思いついた事、書きたいと思ったことを書いていくことにします。最後に二日前に書いたばかりの詩を下に記しておきます────
残響───波の響き
海は知っている
人間が作った数々の物語を
海は何かを語ろうとする
まどろみを誘うあの波の響きで
ああ あれは遠くに眠る時の調べなのだろうか
私を神秘な気持ちにさせる
あの波の響きは一体何なんだろう───
一九七七年十一月二〇日
田村伸介
「何読んでんの?」
いつのまにか杉田が戻って来て、座りながらナオコに聞いた。
「・・・・ああこれは私が大好きな詩なんですけど──── 。」
「もしよかったら見せて欲しいんやけど。」
「いいですよ。」と言ってナオコは手帳を杉田に手渡した。
杉田はじっとその詩の載っているページを凝視していた。暫くしてから杉田は言った。「・・・・ノスタルジアか・・・確かに懐かしい感じがするなあ・・・。」
「──── その詩は私が中学の時文通していた人が書いた詩で、ある文芸雑誌に掲載されていたんです。その詩を読んでとても素敵で繊細でいいなと思って、その人に手紙を書いて文通をしてもらって暫く文通していたんです。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「まあ今考えてみると、文通した期間というのはかなり短かかったですけど・・・。」
「・・・・・手帳に書き留めるほど気に入ったというわけやな。」
「ええまあそうですけど・・・。」
手帳をナオコに返しながら杉田は言った。「あんたの名刺があったらくれへんか。」
「ああそうですね、まあ航空券の手配とか、ちょっとした観光のミニツアーなんかも色々有りますんでいつでも連絡して下さい。」と言ってナオコは自分の名刺を杉田に手渡した。「・・・・・山口ナオコさんか・・・・。」名刺をじっと見つめながら杉田は言った。
「───── まあ何かあったら電話させてもらうわ。」
杉田と話をしてから一週間程過ぎたある休みの日の午後にナオコは”Strip”と呼ばれる区域──── それはラスベガスの繁華街で巨大なホテルがひしめき合う区域なのだが──── の中間に位置する巨大なMホテルの中のMカジノに足を伸ばした。今まではダウンタウンのカジノしか行った事がなかったのだが、ちょっと気分を変えてもっと大きなカジノに行ってみようと思ったのだ。
巨大なカジノの中を暫くぶらついた後ナオコはとあるブラックジャックテーブルに腰を下ろしてゲームを始めた。二十分位の後ディーラーチェンジとなり、白人の男性ディーラーからアジア系の女性ディーラーに替わった。その女性ディーラーの顔を見てナオコは心の中であっと驚いた。───── 島崎洋子だ!
それはナオコが大好きだった日本のロックバンド、”シルバーフレイム(Silver Flame)”のボーカルの島崎洋子だった。”シルバーフレイム”(銀の炎)というバンドは一九八一年にデビューし、主にライブハウスや小さなホールでライブ活動をしていたバンドで、人気のピークだった一九八三年の末には中野サンプラザや大阪のフェスティバルホールなんかでもコンサートが出来るぐらいにファン層が広がっていったのだが、一九八六年の末に突然島崎洋子が脱退し、それとほぼ同時にバンド自体も解散してしまったという伝説のバンドである。ナオコはこのバンドが出した六枚のアルバム全てを所有しているし、今でも愛聴している。今では全てのアルバムが廃盤となっているため、コアなロックファンにしか知られていないが、そのサウンドは本物で、ナオコはほんとにこのバンドの大ファンであった。
解散してからはリーダーであったギタリスト以外は全く音沙汰が無く、元メンバーたちがどうしているのかは全くわからなかった。リーダーのギタリストは今でも細々とバンドをやってはいるようだが、シルバーフレイムと比べると全くたいしたものが無いといった感じで、ナオコは一回ライブを見たことがあるのだが、迫力という点において全く比べものにならなかった。やはりこれはボーカルの力量の違いから来るのであろうとナオコは考えた。とにかく島崎洋子というボーカリストは特別で、他の追随を許さない唯一無比の、最強のシンガーだとナオコは思っている。
さて、自分が長年憧れ、大ファンだったそのシンガーに、ラスベガスのカジノという全く予期しなかった、いや想像することさえも出来なかった場所で、しかもディーラーと客というあり得ない奇妙なシチュエーションで遭遇したナオコはほんとに戸惑った。
───── とにかく声をかけるべきだ───── そう思ったナオコは表面上は平静を保ちつつ機会をうかがった。二十分位してゲームが一段落し、ディーラーの島崎洋子がカードを器用に手でシャッフルし始めた時ナオコは言った。 「──── すいません、島崎洋子さんですよね。」
島崎洋子はちょっと驚いたような表情を一瞬見せたが、シャッフルしながらこう言った。「・・・・私を知ってるのね─── 。」
「──── 私はシルバーフレイムの大ファンでした。というより島崎洋子さんのファンだと言った方がいいと思います。ほんとに何と言ったらいいのかわかりませんけど、会いたかったです・・・・。」
「アメリカに来て以来私を知ってるって言う人に会ったのはこれが初めてよ。」と島崎洋子は言った。「私を覚えていてくれてほんとに嬉しく思うし、有り難いことだと思うわ。」
「突然解散になったんであの時はほんとに戸惑ったし、すごく残念に思いました。」
「・・・・・そうね、応援してくれたファンの人たちの事を考えるとほんとに申し訳なく思うわね。」島崎洋子はちょっと遠くを見つめるような目で言った。「───あの時はほんとに色々あってね・・・。」
ナオコはちょっと考えた末思い切ってこう言った。「・・・ もしよければ仕事が終わった後お話をさせて頂けないでしょうか?」
「いいわよ。五時に仕事が終わるんで、五時十五分位にホテルの入り口の所で待っててくれる?」
五時十五分きっかりに島崎洋子はホテルの入り口の所に現れた。二人はホテルの近くにあるハンバーガーショップで話をすることにした。
「・・・・こんな風に会えてほんとにうれしいです。こんな事ほんとに想像すらしていませんでした・・・。」
「アメリカに来てから日本の人に会うこと自体滅多になくて、久しぶりに日本語を話すという感じなんだけど、私もファンの人にすごく久しぶりに会えて嬉しく思うわ。」
「私は一九八一年にシルバーフレイムがデビューして以来のファンで、アルバムも全て持ってますし、今でもよく聴かせてもらっています。」
「そう言ってもらえてほんとに有り難いわ。忘れないでいてくれてありがとう。」
「一九八六年の終わりに突然やめられてほんとに驚きましたが、一体何があったんですか?こんな事を訊いていいのかどうかわかりませんけど・・・。」
「・・・・・もう限界だったの・・・・あの時はほんとにいろんな事が重なってもうあれ以上続けられなくなったの・・・・。」島崎洋子は昔を思い起こして遠くを見るような目つきで言った。「・・・・まずバンドのメンバーの間でわだかまりがあって、リーダーの鈴木さんと他のメンバー達の間では音楽以外の話というのが全く無くて、まるで仕事上必要だから仕方なく最低限のコミュニケーションを取ってるっていう感じだった・・・・まあ歳も結構離れていて、一九八六年当時私や他のメンバー達は二十六歳で、鈴木さんは三十三歳・・・まあバンドをやったことが無い人にはちょっと分かりにくいかもしれないけど、バンド内での人間関係っていうのは結構複雑で、一番望ましくて理想的なのはやっぱり音楽以外のオフの時でもいい友達で楽しくやれてるっていう事だと思うけど、実際の所そういう理想的な関係を持つ事が出来てるバンドってそんなに多くないと思う・・・・とにかくシルバーフレイムというバンドに関して言えば、一九八三年に私と鈴木さん以外のメンバーが全員脱退したのは知ってると思うけど、あれは実の所鈴木さんが私以外のメンバーにやめて欲しいと言ってやめてもらったっていう感じだったの。音楽雑誌なんかでは音楽上の意見の相違で脱退したなんて載っていたけど、事実は違うわけ。デビューしてから二年の間はとにかく全国のいろんなライブハウスでライブをしたけど、段々とライブに来る人の数が減っていって、一九八三年の初めにはかなり顕著になって、これは何とかしなければならないと思った鈴木さんは他のメンバーをやめさせるという手を取ったの・・・・これが良かったのか悪かったのか正直私にはわからないけど、鈴木さんはバンドを解散するかメンバーチェンジをするかのどっちかだと言って、私に関しては凄く個性的で力量のあるシンガーだからこのまま残って欲しいと思っているが、他のメンバー達はやめてもらうしかない、そうしなければ生き残ってはいけないって言ったの・・・・私は苦楽を共にしてきたメンバー達と別れるのはつらいし、こんなやり方は間違ってると思うと鈴木さんに言って、とにかくメンバー全員で話し合って結論を出そうということになったの。それでミーティングの時に鈴木さんがストレートに、バンドが生き残るためには私以外のメンバーにやめてもらって新たなメンバーを入れて新たな音楽性を構築するしかない、もし同意してもらえないなら解散という道を選ぶしかないって言ったの。そしたら他のメンバー達は、洋子の事を考えたら自分たちはやめるべきだと思うって言ったの。どういう事なの?って私が訊くと、メンバー達は鈴木さんと私の二人とそれ以外のメンバーとでは音楽的力量が違いすぎると正直思うし、特に洋子のボーカルは非常に強力で、このまま埋もれさせるには惜しすぎる、洋子のボーカルの大ファンでもある自分達としては何があっても島崎洋子というシンガーには生き残って欲しいからやはり自分たちは去るべきだし、音楽的に行き詰まっている今、新たな血を入れていい曲が書ける人を入れるのがバンドにとってはベストなやり方だと思う、だから自分たちはやめるって言ったの・・・・それを聞いて私は涙が止まらなかった・・・・・鈴木さんはただ「すまない・・・・」と言って下を向いて彼も泣いていたわ・・・・。」
「・・・・・鈴木さんと他のメンバー達の付き合いは長かったんですか?」
「・・・・高校の時からの付き合いって事だから、結構長いと言えば長いわね。音楽以外のオフの時も一緒に遊びに行ったりしていた、同じ歳の仲のいい友達だったって事だから私以上に鈴木さんは辛かったと思う・・・・私は一番最後にバンドに加入した七歳年下の女性メンバーで、ある音楽雑誌のメンバー募集のページを見て鈴木さんに電話を入れたんだけど。」
「それはいつの事ですか?」
「一九八一年の一月初めの事で、レコードデビューが決まっていたんだけどボーカルが突然やめたんで、急遽募集という事だったの。」
「それでオーディションに行って加入が決まったというわけなんですね。」
「まあそういう事だけど、初めは女性の方は遠慮して頂きたいって言われたわ。」
「そうなんですか。」
「だけど私はシルバーフレイムの熱烈なファンだったから、食い下がってお願いだから一回私のボーカルを聞いて下さいって必死になって言ったら何とか最後に承諾してくれたの。」
「シルバーフレイムって結成されたのは何年なんですか?」
「一九七一年に結成されたっていう話で、初めは色んな音楽をコピーして楽しんでいたコピーバンドだったらしいわ。一九七六年頃からオリジナルをやるようになって、徐々に活動の場を広げて行ったそうなんだけど、私は一九八〇年の二月に初めて小さなライブハウスでシルバーフレイムを見てすごく気に入って、それから三回ぐらいライブを見たわね・・。毎月どっかのライブハウスでライブをやってたんだけど、八〇年の九月から姿を見かけなくなってどうしたのかなって思ってたら、八一年の一月にボーカル募集という広告が出たのでボーカルが抜けたんだとわかって、同時にすごいチャンスだと思ってトライしてみたわけ。」
「オーディションの時の反応はどうでした?」
「驚いてたわ。こんなに凄いとは思わなかったって。オーディションの課題曲はカルメン・マキ&OZの「私は風」だったんだけど、正直こんな難易度の高い曲をこんなにも完璧に歌うとは思ってもいなかったと・・。実際女性シンガーを起用するっていうのに気がのらなかったのでわざと難しい曲を選んで歌いこなせていないからという口実で断れるだろうと思ってたんだけど、こんな凄い声を聴いてほんとに驚いたし、それと同時にもの凄く感動しているんだと鈴木さんは言ってたわ。」
ナオコは話を聞きながらシルバーフレイムが出したアルバムを総括してみた。デビューアルバムはとにかくかっこいいロックナンバーが充満している名盤だった。島崎洋子のボーカルはとにかくパワフルかつ枯れたフィーリングを持っていて、カルメン・マキやジャニス・ジョプリン、それと隠れた名シンガーであるとナオコが思っている所の、アニメ「さすらいの太陽」の主役の女性歌手の声を担当していた藤山ジュンコ女史なんかを彷彿とさせた。
八十二年に出したセカンドアルバムはデビューアルバムとはかなり違ってバラードやフォークソング風の曲が半分位収録された、ちょっとレイドバックしたしっとりとした感じのアルバムだった。洋子のボーカルは相変わらず素晴らしく、ポップミュージックのアルバムだと思って聴いたならなかなかの物だろうが、ロックアルバムとして聴いたならちょっとパワーが落ちたというか、やわになったという印象を受けた。ナオコはこのアルバムを高く評価しているが、大多数のファンはこのアルバムに対して拒絶反応を示し、それがライブ動員の減少につながったようだ。
83年に出されたサードアルバムは新たに加入したベーシストとドラマー、キーボードプレイヤーの三人の内ドラマー以外の二人がソングライターとしてもの凄く貢献しており、結果としてバラエティーに富んだ素晴らしい楽曲が充満した捨て曲など一曲も無い凄い名盤となった。ナオコは全ての日本のロックバンドのアルバムの中でこれがナンバーワンのアルバムだと思うぐらいこのアルバムが気に入っている。とにかく曲がいい。バラードもあればロックの曲も名曲が目白押しだし、しっとりとしたフォーク調の曲が一曲絶妙な位置に収録されているし、最後の曲は十分弱の大作と言っていいような壮大な曲で、息を飲むような緊張感を持って聞き手を魅了する。
八十四年以降一年に一作の割合でアルバムを出し、八六年の終わりに解散するまでに三枚のアルバムをリリースしているが、その四枚目から六枚目までのアルバムは全て名盤と言っていい出来で、ナオコはどのアルバムもそれぞれ違った意味で気に入っている。この三枚のアルバムはそれぞれ音楽性がかなり違っていて、ボーカルは同じ人だけど、それぞれ違うバンドなんじゃないのかと思うぐらい音楽が別物であった。特に五枚目と六枚目の違いが凄くて、五枚目はファンクとかソウルミュージックの要素が濃いロックという感じで、六枚目は正当派のハードロックであった。だからファンの中にはその音楽性の変化に戸惑った人も少なからずいたようで、賛否両論が巻き起こった。ナオコは幅広いタイプの音楽を聴くタイプの人間だったので、アルバムごとに音楽が別物であるというのに全く抵抗は無く、楽しんで聴いていた。こんな風に何でも出来るバンドというのは凄いと思った。
「それでサードアルバムを作る前にメンバーチェンジがあって、曲が書けるメンバーが新たに二人増えて凄く強力なアルバムが出来ましたよね・・・。」
「そうね、私と同じ歳のメンバーが三人入って、その内の二人がバンドに持って来た曲はほんとに素晴らしい曲で、三枚目のアルバムでは鈴木さんの曲は一曲も入っていなかったんだけど、それは鈴木さんの意向で、自分の曲を入れたらアルバムの雰囲気がかなり変わってしまう、二人の作る楽曲のレベルが凄すぎるから自分の曲は入れない方がいいと主張した為なの。」
「私はとにかくこの三枚目が大好きで、日本のロックアルバムの中でナンバーワンのアルバムだと思っています。」
「そうね、シルバーフレイムの最高傑作はこのアルバムだと私も思うわ。」
「四枚目から六枚目まではそれぞれが全く違う音楽で構成されていて、ファンの間では賛否両論が巻き起こりましたけど、どうしてああいう風にしたんですか?」
「あれに関しては鈴木さんと他のメンバー達が、アルバムごとに音楽性をがらっと変えていくのが面白いだろうと言って、実験的にやったっていう感じだったわね。私はジャンルにこだわらず歌を歌いたいという姿勢だから、楽しんでやっていたけど。」
「鈴木さんと他のメンバー達の間でわだかまりがあったとさっきおっしゃってましたが、それっていつぐらいからそうなったんですか?」
「それは三人が加入した当初からあまりいい雰囲気ではなかったように思うわね・・。鈴木さんは無口で気むずかしくて、時々何を考えているのかわからないっていうような時があったし、三人は三人で、それぞれが変わった人間で、基本的に無口であまり笑わないっていう感じだったし・・。脱退したメンバー達がいた頃はほんとに仲が良くて和気あいあいといった感じだったし、みんなよく笑っていて、バンドの雰囲気としては凄く良かったんだけど・・・。まあ簡単に言うと、音楽の為になら一緒にいるが、それ以外は一緒にいたくないっていう雰囲気があまりにも露骨で・・・・。ライブの時はみんな一つになって凄いものが出来るんだけど、ライブが終わったらお互い無口になって、ほんとにじゃあさよならの一言だけでお互い去っていくっていう感じで・・・・正直鈴木さんと他のメンバー達の間って、まるで仕事でやってるような感覚だったのかなぁとも思ったり、もしかしてお互いになんか嫌ってる部分というのがあったのかなぁとも思ったりするけど、私には分からない。」
「洋子さんはメンバー達とはどうだったんですか?」
「私はメンバー達全員に対して普通に打ち解けて接していたんだけどね・・・鈴木さんは私に対しては普通に接していたと思うけど、他のメンバーに対してはさっき言ったように気むずかしい面を露骨に見せている場面が結構あったように思う・・・他のメンバー達は鈴木さんに対して表面的には丁寧に接していたとは思うけど、なんかぎくしゃくした空気があって、一緒に音楽はやっていきたいが、音楽が終わったら出来るだけ早く別れたいっていうような感じって言ったらいいのかなぁ、まあそんな雰囲気が露骨にあって、ほんとにどうしてこうなんだろうと思ったわ・・・。」
「そういうのってちょっとやりにくいなぁと私も思いますけど、結局バンドって音楽をやる為に人が集まって、その集まった人たちが人間的に合うか合わないかというのは暫く一緒にやってみないと分からないし、場合によっては様々な年齢の人が様々な性格や個性を持った人と一緒にやるって事になるし、そういう場合にうまく行くときもあれば行かない事もあるっていう事ですよね。」
「正にその通りだと思うわ。今から考えると新しいメンバーが入ってよく三年も持ったなあとも思うし・・。結局の所、人間的には合わないが音楽的にはもの凄く合ったからお互い無理矢理自分を納得させて一緒に仕事をすることを選んだという事なのかもしれないわね。」
ナオコは今まで謎であったバンドの内情というものを当事者から直接聞く事が出来て非常に興味深いと思った。そう言えば、一番核心である所の洋子脱退の件に関しては話がまだ途中だったのでナオコはストレートに訊いてみた。「すいません、ちょっと話をまた元に戻してなんですが、洋子さんが辞めた理由というのは一体どういう事があったんでしょう?」
「・・・さっきも言ったように何もかも限界だと思ったの・・とにかく精神的に疲れていたわ・・・そんな時に父が突然亡くなったの・・・・二週間程前に体調を崩して入院してたんだけど、突然体が急変して多臓器不全になってあっけなく死んでしまったの・・・突然死んでしまうなんて思いもしなかった・・・その時私はライブの為に京都にいて、その日はオフだったので昼間一人で京都をぶらついていたんだけど、夕方になってホテルに戻ったら、部屋の電話が鳴って、母が泣きながら父が亡くなったって言って・・・ほんとに私は言葉を失って、ただただ泣くだけだった・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・それが最後だった・・・葬儀を済ませてから鈴木さんに電話を入れて一言辞めますって言って・・それだけだった・・鈴木さんは「・・・そうか・・・」と言って、「ありがとう、今までほんとにありがとう、さみしくなるよ・・・・」というので終わりになったわ。」
島崎洋子が辞めた時音楽雑誌には個人的事情で脱退したとだけしか載っておらず、その一ヶ月後にシルバーフレイム解散という記事が掲載されたが、その理由やいきさつ等は全く載っておらず、バンドは話し合いの末解散するという結論に至ったとだけ書いてあった。
それから二人はそれぞれの個人的な事に関して色々話をしたが、島崎洋子はバンドを辞めた後、新しい生き方を求め八十七年の八月下旬に語学留学という名目でサンフランシスコに渡り、二年が過ぎた頃に知り合った十二歳年上のアメリカ人と半年程の交際の後に結婚した。一九九〇年の三月の事であった。結婚して一年ちょっと過ぎた頃である九一年四月十日、二人の間に女の子が生まれた。ナオミと名付けられたその女の子はほんとに可愛く、とても綺麗な顔立ちをしていた。暫くは幸せな日々が続いたが、不幸な事にある日突然彼女の夫が交通事故に遭い、彼女は未亡人となってしまった。一九九二年の九月の事である。小さな子供を抱えて夫に先立たれた彼女は父が亡くなった時と同じように、いやそれよりももっと深い悲しみの闇に突き落とされた。夫が加入していた車両保険と加害者が加入していた保険の両方の保険金をもらう事は出来たが、夫の生涯収入に当たる程の保険金を貰うことは出来なかった。事故の時の目撃証言や警察の状況検分により相手の責任が重いのは事実だが、夫の側にも三割位は責任があるとの見解が出され、二つの保険を併せて家一軒位は買えるぐらいと言った程度の保険金を得るに留まった。だがこれからの人生はまだ長く続き、厳しい資本主義社会であるアメリカで暮らして行くという事を考えるとこの金額は決して多いとは言えなかった。夫の両親は既に亡くなっており、一人っ子で兄弟がいなかったので、頼れる身内と言えば日本の母と弟だけだった。
彼女は母と弟に電話して色々話をした。二人とも洋子に東京に帰って来る様言ったが、彼女はよく考えた末アメリカに残ることにした。ロックの本場であるアメリカは彼女にとって刺激的で魅力に溢れた国であったし、夫を亡くした悲しみを癒してくれるのはやはりロックミュージックしかなかった。
色々調べて検討した結果彼女はラスベガスに移る事に決めた。ロックを含めたあらゆるエンターテインメントの宝庫であり、二十四時間眠らない華やかで刺激的な街に行ってみたいと思いながらもまだ行った事がなかったし、取りあえず仕事をしなければならないっていうことを考えると、カジノスクールに行ってデイーラーになる為の勉強をしてディーラーの仕事に就くのが一番いいと思ったのだ。
かくして一九九三年の三月下旬、ヨーコ・ハミルトン────これは結婚後の洋子の名前なのだが───はラスベガスに移住し、カジノスクールで六週間程訓練を受けた後就職活動を経て一九九三年六月一日よりラスベガス・ストリップエリアにあるMカジノに勤務する事となった。
「────という事はディーラーの仕事を始めてまだ三ヶ月ちょっとということなんですね。」
「ええ、まあ夜勤とかも多くて結構きつい時もあるけど、楽しく仕事をやらせてもらってるわ。このMカジノはね、お客さんからもらうチップがなかなか良くてね、ほんとにいい収入になってる。」
「アメリカに来てからバンドをやろうとは思わなかったんですか?」
「そりゃ思ったわよ。でも、来たばかりの頃は英語もそんなに言うほど話せなかったし、発音にしたって日本人のなまりがある発音だったら相手にしてくれないから、初めの二年はどうしようもなかったわね。今だったらまあまあのレベルの発音が出来るけど、最初の頃はダメだった。」
「今は小さいお子さんがいるから、バンドをやるのは難しいですよね・・。」
「そうね、難しいわ。まあ子供が大きくなったらまたちょっとやるかもしれないけど。」 ナオコは前に座っている綺麗な顔立ちをした女性を見てほんとに素敵な女性だなと思った。かつてかなりの回数前の方に陣取ってライブを見たが、彼女のファンというのは男性はもちろん、女性のファンというのも凄く多かった。もしかしたら女性のファンの方が多かったかもしれない。とにかくかっこ良くて素敵で歌がうまくて輝いていた───── 。
「・・・何を考えているの?」
「・・・あ、いえただ洋子さんて素敵だなって思って・・・。」
「えっ、何それ?私みたいなおばちゃんにそんな事言うなんて。」
「全然おばちゃんなんかじゃないです。相変わらず綺麗で素敵でかっこ良くて・・・。」
「ナオコさんも可愛くて素敵よ。私なんかよりずっと若々しいし・・。」
「私若く見えるかもしれませんが、そんなに若くありません。もう三十だし・・。」
「いやいや若いわよ。まだまだこれからよ。そのうちいい彼氏が出来るわ。」
ヨーコ・ハミルトンは美しい顔立ちをしているが、言われてみればちょっと老けている様な雰囲気がある。だけど今でも相変わらず綺麗で素敵なかっこいいロッククイーンだとナオコは思った。今日こんな風に会えてしかもかなり深い話が出来た事に対してナオコはほんとに感無量だった。
「・・・あ、もうこんな時間?そろそろ帰らなきゃいけないわ・・。」ヨーコ・ハミルトンが腕時計を見ながら言った。「ナオコさん、もし会社の名刺があったら一枚くれる?」
「あっ、ちょっと待って下さい。」と言ってナオコはバッグから名刺を取り出して、名刺の裏に家の電話番号を書き足して洋子に渡した。「今日はほんとに私なんかの為に時間を割いて下さってありがとう御座いました。ほんとに感謝してます。」
「そんな風にかしこまらなくていいわよ。久しぶりに日本の人と長く話せて私も楽しかったし。」
「ほんとに今日は感激しました。今日の事は永久に忘れないと思います。」
「なんかオーバーな言い方ね。そんな特別な事でもないでしょうに。」
「いえ、私にとってはほんとに特別な事です。」と感極まった様な表情でナオコは言った。「すいませんけど、洋子さんのお家の電話番号教えて頂けないでしょうか?」
「あ、そうね。ちょっと待ってね。」洋子は小さなレシートが財布にあったので、その裏に電話番号を書いてナオコに渡した。「今度は私のお家の方に遊びに来てね。」
「ありがとうございます。 ぜひとも行かせて頂きます。」
また時間のある時に電話してねと言って、洋子は帰って行った。ナオコはその後ろ姿を見つめながら感無量の表情で立っていた───── 。
田村伸介様
前略。お返事ありがとうございます。文通の方OKして頂き、ほんとにうれしいです。
改めて自己紹介させて頂きます。私は現在中学二年の、とにかく本を読むことが好きな女子で、アニメを見る事や音楽を聴く事も大好きです。好きな科目は英語で、これはどうしてかと言うと、中学に入ったばかりの頃に学校がラジオの英語講座を推奨していて、初めは何とはなしに聞いていたという感じだったんですが、しばらく聞いているうちに面白くなり、毎日習慣的に聞いて練習するようになったという事からです。今では聞いて練習するのが面白くて、この四月からはラジオのフランス語講座も併せて聞くようになりました。フランス語の方は英語と比べてかなり複雑で難しいですが、今はとにかく慣れる事が大事だと思って練習しています。
田村さんはかなりロックミュージックが好きなようですが、私は最近友人の影響で、ビートルズを聴き始めました。その友人というのはビートルズの熱狂的なファンで、その友人がビートルズのベスト盤のレコードを二枚貸してくれたので(初期のベストと後期のベスト)、テープに録音して毎日のように聴いています。ほんとに魅力的でいい曲ばかりで、私も大ファンになりました。田村さんはハードロックの方も好きなようですが、私は正直あまりピンと来ません。ラジオでレッドツェッペリンの曲を何曲かかけてたんですがピンと来ませんでした。音楽というのは人それぞれ好みが違うものだと思うので、これは仕方がないことだと思います。
もう一人学校でよく喋っている友人がいるんですが、彼女はベイシティ・ローラーズの大ファンで、私が頼んでもいないのに布教の為だと言ってローラーズの曲をテープに吹き込んでプレゼントしてくれました。聴いた感想としては、ポップで親しみやすいメロディを持った曲が多く、なかなかいいと思います。ビートルズの初期の曲が持っているようなポップな感じといったらいいのか、悪くはないなとは思いました(特に”サタディナイト”とか”ロックンロールラブレター”とかの曲が)。だけどビートルズを聞いた時ほどのインパクトは感じなかったというか、いいことはいいけど神がかった様なすごさはないというか・・・普通のなかなかいいポップソングだとは思うけど、それ以上のものを私は感じませんでした・・・まあ音楽というものは人それぞれ好みが違うだろうし、同じ曲でもある人は傑作だと言い、別の人は大した事がないと言う可能性もあるわけで・・・結局は好みの問題なのかもしれないし、人それぞれ感性が違うんだから音楽の嗜好というものも違ってくるわけで、結構これは難しい問題ですね・・・。
田村さんはドラムをやってるんですね。私は小学生の頃にピアノを三年ほど習っていたので、簡単なピアノ曲なら今でも弾けるとは思いますが、バンドをやりたいとかそういう事はあまり考えたことはありません。だけどやってみたら結構面白いかもとは思います。
手紙の最後に書かれていた田村さんの「残響────波の響き」という詩────これはほんとに私の心に”響き”ました。私の家は茅ケ崎の海岸に近い所にあるので、今までに何回も海を見ているし、波の音も聞いていますが、夕陽に照らされた海で波の響きを聞きながらこの詩を読むとほんとに心に響くと思います。この詩は何かを暗示してるんでしょうが、ほんとに神秘的な魅力を持った詩だと思います。
────── すいません、ちょっと眠たくなってきたんで今日はこの辺で終わりという事にします。(なんか変な終わり方ですいません)
Good luck and お元気で!
一九七七年十一月二十七日
山口ナオコ
山口ナオコ様
前略。返事が遅くなってすいません。僕の方はかなり忙しくしていて、バンドのリハーサルの方、あれから結局二回ほどやりました。正直かなりひどい出来で、ちょっと落ち込んでます。特に一回目は曲をやるたびに誰かが間違えるっていう感じで、ほんとに話になりませんでした。だけどなかなか面白くて楽しんでやれたし、最後の方では間違うたびにみんなで笑いながらやっていました。まあ音楽というのは楽しんでやれればいいんだし、気にしなくてもいいとは思いますが、二回目の練習の時もかなりひどかったので、さすがにこれはちょっとまずいんじゃないかってちょっと落ち込んでいます。僕自身もかなり足を引っ張ってるんじゃないかと思ってまして、ドラムの兄貴も僕の演奏に関してリズムキープが出来ていない、リズムが早くなったり遅くなったりして一定してないのは良くないと言って、メトロノームを使って当分はリズムキープの練習をするように言われました。そういう事があって僕は今毎日兄貴に言われたようにひたすらリズムキープの練習をしています。次のリハーサルの時は何としてもうまくいくようにしないといけないですから。
話は変わって、山口さんは最近ビートルズを聞き始めてかなり気に入っているとの事なのでビートルズの話をします。僕がビートルズを聞き始めたのは高校に入ったばかりの頃にFMラジオでビートルズの特集があって、それを録音して聞いたのが初めです。とにかく個性的で他にはないメロディアスなサウンドに魅惑され夢中になった僕はまず初期のべストと後期のベストの二枚のレコードを買いに行き、毎日夢中になって聴きました。それから今に至るまでに何枚かレコードを買ったり、FMの特集なんかの時に録音したりして、今ではビートルズの曲はほとんど全部知っているという感じになりました。最近はハードロックを聴くことの方が多いですが、今でもビートルズのことを神だと思っています。
ビートルズの数あるアルバムの中で、どのアルバムが最高傑作かという事に関しては色んな意見があるとは思いますが、僕にとってのベストは何といっても一九六九年に出された”アビーロード”です。このアルバムはほんとにすごいアルバムです! ミッシェル・ポルナレフがかつて”サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド”(一九六七年に出たアルバム)が出された時このアルバムに関し、「”サージェント・ペパー”はポピュラーミュージックにおける最高傑作でほんとにすごいアルバムだ、誰も”サージェント・ペパー”を越えられない。」というような発言をしたそうですが、僕の意見としては、”サージェント・ペパー”ももちろんすごくいいアルバムだけど、この”アビーロード”こそが彼らの最高傑作で、誰もこの”アビーロード”を越えられないと思います!(ポルナレフ氏がもしビートルズ解散以降に発言したならどう言うでしょうか?それに関しては何とも言えませんが、確かに”アビーロード”がまだ出ていない一九六七年当時の話ならこの発言もすごく妥当と言えるかもしれません)このアルバムはほんとにポップスの名曲、ロックの名曲が目白押しで、こんなにすごい曲が一つのアルバムに詰まっているのは奇跡に近い事だし、多くの人が彼らを神のように思っているのも同感できます。山口さんはこのアルバムはもう聴かれたでしょうか?まだならぜひとも聴いてほしいアルバムで、ゆっくりとじっくり鑑賞してほしいアルバムです。聴けば聴くほどそのすごさが実感できると思います。
今日はこれぐらいという事にして、最後に一週間ぐらい前に書いた詩を下に記しておきます────
風と鳥と湖と
湖のほとりに僕はいた
ふと見上げると
一羽の鳥が上空を翔て行った
風が吹いている
僕の心も鳥と一緒に空を翔抜けて行く
風と鳥と湖と僕の心が一体となって風景を作っていく
この悲しみがいつまで続くのか
僕にはわからないけど
旅は果てしなく続く
この広い空の下
僕の知らないどこかの街角に
あの人はいるのだろう
もう会うこともないだろうけど
もしも会えたなら
僕はただ許しを乞いたい
時は過ぎ去り季節は巡って
もの思いにふける僕は取り残される
一九七八年一月二十九日
田村伸介
─────────ヨーコ・ハミルトンと話をして帰宅したナオコは夕食を取った後ふと思い出して本棚から一冊のノートと田村伸介から来た手紙を取り出し読んでいたのだった。ノートの方にはナオコが田村に出した手紙の内容が書き記されていて、それはナオコが手紙を書くたびに同じ内容をノートに写し取っていたからだった。一番最後に書いた手紙を除いてナオコが田村に送った手紙の内容が全て写し取られている。田村から来た二通めの手紙を読んだ後にナオコは家でやろうと持ち帰った仕事にまだ手を付けていない事を思い出した。明日までに絶対やっておかなければならない仕事で、ナオコはすっかりその事を忘れていた。ノートと手紙を本棚に戻すとナオコはすぐに仕事に取り掛かった。三時間ぐらいは間違いなく掛かる仕事で、今時計は九時二十分を指しているからどっちにしても十二時を軽く超えてしまう。まいったなあと思いながらナオコはワープロをひたすら打った。眠らない街に住んでいるナオコだが、今はかなり眠たく、ほんとにまいったなあと思った。
(つづく)
翌日の朝ナオコは睡眠不足の目をこすりながらぼんやりと仕事をしていた。仕事の方は結局夜中の一時頃まで掛かり、それからシャワーを浴びて就寝したのが二時過ぎとなってしまったので十分な睡眠が取れなかったのだ。うつらうつらしながらワープロを打っていると先輩の女性社員が、「ナオコさん、電話よ。杉田さんから。」と言ったのでナオコはあわてて受話器を取った。
「ああもしもし、杉田ですけど。」
「ああ杉田さん、この前はどうも。今日はどうなされました?」
「ちょっと訊きたい事があってな。」
「はい、どんな事ですか?」
「あんた色々カジノ行ってるやろうけど、日本人でヨーコっていう名前のディーラー、どっかで見かけた事はないか?」
「ああそれなら知ってます。昨日会って結構長く話をしたんで。」
「島崎洋子っていう名前の人か?」
「ええ、そうです。あのシルバーフレイムの島崎洋子さんなんですよ。ほんと昨日は驚きました。まさかベガスにいたなんて。杉田さんもシルバーフレイムは御存じですよね?」
「もちろん知ってる。」
「私洋子さんの大ファンだったんで昨日は感激して泣きそうでした。昨日の事は一生忘れないだろうと思います。」
「どこにいるんや?」
「えっ?」
「どこのカジノで働いてるんや?」
「ああそれはストリップのMカジノですけど・・・。」
「・・・Mカジノか。わかった。どうもありがとう。」と言って杉田は電話を切った。
「もしもし杉田さん・・・」とナオコはツーツー音を聞きながら言ったが、杉田は時間にして一分にも満たない会話で唐突に電話を切った。一体どうして杉田は島崎洋子の事を訊いたのか。なんか島崎洋子がラスベガスのどこかのカジノにいるという事を知っていて、そのうえでどこにいるんだと尋ねた様な感じだったが、なんでまた知ってたんだろう?バンドを辞めてからどこで何をしてるのか全く消息不明だったのになぜ杉田は知っていたのだろうか?
杉田から電話があった日の翌日の晩の十時頃、ナオコがソファに座ってテレビを見ていると電話が鳴ったので受話器を取るとそれはヨーコ・ハミルトンからの電話だった。
「ああ洋子さん。おとといはどうも有難う御座いました。こんなに早く電話をもらえるなんて思いもしませんでしたが、どうかされました?」
「・・・・ナオコさん次の休みはいつ?」
「ああそれは来週の火曜と水曜ですけど・・・・」
「私の家に来ない?」
「えっ、お家の方にですか?私はいいですけど・・。」
「来週は私水曜が休みの日なんで、出来たら水曜にしてくれたら有り難いんだけど。」 「わかりました。火曜の晩にまた電話してお伺いするようにしますんで。」
「ありがとう。色々話したいことがあるんで、悪いけどお願いするわ。」
翌週の火曜の晩にナオコは電話を入れて洋子の住所を確認し、水曜の午後二時に訪問するという事になった。ナオコは当日車でヨーコ・ハミルトンの家(賃貸マンション)に向かった。到着してマンションの呼び鈴を押すと、洋子と二歳の女の子の手をひいた六十歳ぐらいの女性が出迎えた。優和な顔立ちをしたその女性は洋子の母で、洋子を助けるために今一緒に住んでいるとの事だった。女性の左隣りにいる小さな女の子は茶色の髪の毛の、色白で正にハーフという感じのする美しい顔立ちを持った女の子で、洋子にそっくりな顔をしていた。
「ほんとに可愛いお子さんですね。お名前は確かナオミちゃんでしたよね。洋子さんにそっくりなお顔をされてますね。」
「ええほんとによく似てるわね。今の私にとって一番大切な存在よ。」
「今日はよくいらっしゃいました。狭い家だけどゆっくりしていってね。」洋子の母はそう言うと近くの公園で遊ばせるという事で、子供を連れて出て行った。
ナオコと洋子はリビングルームにあるテーブルを挟んで向かい合って腰を下ろした。
「今日はほんと忙しいところわざわざ来てくれてありがとう。実はね、あれから色々あったのよ。」ヨーコ・ハミルトンはコーヒーを一口飲んで言った。「あの電話をした日の昼間に昔の友達がMカジノに来たの。」
「友達って、どういう友達で?」
「大学に行ってた時の友達で、大学って言っても短大なんだけど、私大阪の枚方にある大学の短期大学部の英語学科に通っていたんだけど、私軽音楽部に入っていて、その時に同じ学年の同期の部員で杉田ノブユキという人がいたの。」
「杉田さんってもしかして髭ぼうぼうのギャンブラーさんの事ですか?」
「そうね、似合わないのに何であんな髭生やしてんのかわかんないけど、とにかく十二年ぶりに突然私の前に姿を現したの。」
「洋子さん短大の時は関西にいらしたんですか?」
「そう、短大は大阪の枚方にあるK短大に行ってたの。高校卒業までは東京の浅草にいたんだけど。」
「あの杉田さんと知り合いだとは思いもしませんでしたけど、もしかして過去に何かあったんですか?」
「・・・・・確かに彼とは色々あったわね・・・実際の所まだ心の整理がついてないんだけど、自分の心の整理を付けるためにもあなたに話を聞いて欲しかったの・・・・。」
ヨーコ・ハミルトンは杉田ノブユキと自分との間にあった事に関して話を始めた。要点をまとめると以下のようになる──────
─────── 事の始まりは一九七九年の四月初旬、大阪の枚方市にあるK大学およびK大の短期大学部の入学式が終わった後、島崎洋子は体育館の二階の隅にある軽音学部の練習場に行ってみた。洋子は高校卒業までは東京の浅草に居住していたのだが、関西、特に京都に魅力を感じていた洋子は関西にある短大に行こうと色々調べた結果京都に近い枚方市にあるK短期大学の英語学部を受験する事を決めて試験を受け、合格したので四月始めに学校から徒歩十分位の所にある学生用アパートに越してきたのだった。中学の時からロックが好きだった洋子は高校に入学後独学でギターや歌を練習し、高二の時に同じ学校の生徒達とバンドを組んだりして卒業間近まで音楽活動をやっていた。ギターの方はそんなにも上達しなかったが、歌の方は一年の時クラスにコーラス部に入っている女の子がいて、その子と仲のいい友達になりお互いの家をしょっちゅう行き来するようになったので、腹式呼吸のやり方や発声練習をその友達から学ぶことが出来、あとは色んな歌手やバンドの歌をたくさん聴いてその唱法や歌いまわしをひたすらコピーして練習した。元々持っていた声そのものが凄く個性的でロックを歌うのに向いていたので、彼女はめきめきと上達していき、卒業間近の時点で本格的なロックボーカリストの風格を持つようになっていた。そんな彼女なので、大学に入ったら軽音学部に入部しようとかなり早くから決めていて、入学式が終わるとすぐに軽音の練習場にやって来たのだった。体育館の二階の隅にあるその練習場はまあまあの広さを持った部屋なのだが、その部屋のそばに行くと何人かの軽音部員が座ってたむろしていたので、洋子は挨拶して入部したいと申し出ると、部長らしき男がパートは何だと尋ねたのでボーカルですと答えると、早速で悪いがちょっとセッションしないかとの事だったので洋子はいいですよと答え、練習場の中へ入った。中に入るとすぐに強烈なタバコの匂いが鼻を貫いた。洋子はタバコの匂いがあまり好きではないので、ちょっとしかめっ面の表情を浮かべた。その表情を目にした部長は「ああちょっとこれはひどい匂いかな。うちはタバコ吸うやつが多いんでこうなってしもたんやけどな。」と関西アクセントで言った。「とりあえず何曲かやってみよか。」部屋の中にはギターアンプやベースアンプ、ボーカルのマイクが数本置かれていて、キーボードやドラムも配置されている。部屋の中には洋子と部長と軽音部員が二人、合計四人で、部長がギター、軽音部員はそれぞれベースとキーボードだった。「あと三十分ぐらいしたら十人ほど来るんやけど、それまではドラムなしでやることにするわ。」と言ってチューニングをしながら何の曲をやろうかと話をしていると突然練習場の部屋のドアを開けて一人の学生が入ってきた。「ああすいません、ここ軽音楽部の部屋ですよね?入部させて欲しいんですけど。」とこの学生も関西アクセントで言った。それに対して部長が「おまえパートは何や?」と訊くとその学生は「ドラムです。」と答えたので部長は「いいとこに来たわ。そこに座って叩いてくれ。」と言った。
このようにして始まったセッションだったが、初めて音を合わせたのにもかかわらず拍子抜けするぐらいスムーズに音が合った。これはやはりそれぞれのプレイヤーの力量が優れていたからである。三十分位経って軽音部員達が十人程部屋の中に入って来たが、部屋の中で繰り広げられているスーパーセッションにみんな度肝を抜かれていた。特に際立っていたのはやはり洋子のボーカルだった。カルメンマキとジャニス・ジョプリンを併せて二で割ったようなその凄まじい声はその場にいた者を全員凍らせるぐらいの凄まじさだった。ものすごい熱気を持ったセッションを部員たちはその凄さに圧倒されて茫然とした表情で見ていた。一番凄まじい熱気を放っていたのは洋子のボーカルだったが、その次にもの凄いエネルギーを放出していたのは入部希望という事で部屋に入って来たドラマーであった。彼はとにかく凄まじいパワーを持ったドラミングを披露していた。パワーも凄かったが同時にかなりのテクニックを持ったドラミングでもあった。汗まみれになりながらもの凄い形相で重戦車のごとくドラムをヒットしていた。この二人以外のプレイヤーはとにかく安定したテクニカルなプレイを披露していた。恐らくこの軽音学部の中でベストのテクニックを持ったプレイヤー達なのだろう。洋子とドラマーが鬼の形相でやっているのとは対照的に全く無表情に黙々と演奏していた。このスーパーセッションで演奏された曲目は、ビートルズの”Get Back "、 ディープパープルの”Burn ”と”You Fool No One ”、レッドツェッペリンの”アキレス最後の戦い”、 ジャニス・ジョプリンの”Move Over ”、最後にカルメンマキ&OZ の”私は風”の計六曲で、”アキレス最後の戦い”を演奏している最中に部員が十人程入って来て、あまりにも熱くて凄い演奏に彼らは度肝を抜かれた。
────── ”私は風”の凄まじい演奏が壮大なエンディングを以って終了した時、部員たちは我に返って盛大な拍手をした。部員たちの拍手が終わる頃部長が「今日はほんとに凄い奴が二人入部してくれる事になったんでみんなに紹介したいと思う。凄まじい声を持ったボーカリストの島崎洋子さん、それと戦争が始まったんかと思うような凄いドラムを叩いてくれた、えーと自分(関西弁で”君”の意味)名前何やったかな?」と言うとそのドラムの男は「杉田ノブユキと言います。」と答えた。部長は「ってことォォォーや。みんなよろしく!」と言って締めくくった。
洋子と杉田が入部した日から一週間が過ぎた。この一週間の間に七人の新入生が軽音学部に入部して来て、合計九名の新入部員となり、九名の内男性が四人、女性が五人だった。男性四人は全員四年制の学生で、女性の方はミンちゃんというニックネームのドラマーとスージーというニックネームのギタリスト以外は皆短大生であった。九名の内男性二人と女性二人は初心者だった。この軽音楽部のモットーはとにかくテクニックなんか関係なしに楽しく音楽をやっていこうという事で、部長が洋子と杉田をセッションに誘った時は実際の所全く期待してなくて、半分ジョークみたいな感じで演奏がこけたら床に倒れようと思って誘ったのだが、予想に反して二人のパフォーマンスが無茶苦茶凄まじかったので部長は(軽音部員二名もだが)ほんとに驚愕した。それでも表情にはその驚愕を全く表すことなしに黙々と演奏したのだが、演奏しながら今年はこんな凄い新入部員が入部してほんとに面白くなりそうだと内心思った。この時の演奏がほんとに相性が良く素晴らしいものだったので、部長はこの五人のメンバーで暫くバンドをやっていく事を提案し、全員が同意したので軽音学部の中に泣く子も黙る必殺のスーパーバンドが誕生することになった。
洋子と杉田はこの様にして出会ったのだが、杉田は高校の時もいくつかバンド活動をしていたが、洋子ほどの凄いシンガーに出会った事がなかったのでこのバンドをやっていくという事に凄くワクワクしていた。高校の時にやっていたバンドはどのバンドもとにかくシンガーが弱かった。レコードではカルメンマキやジャニス・ジョプリンの様な凄い声が聞けるが、現実の世界では(自分の周囲では)凄い声を持ったシンガーがいなかったので洋子の様なもの凄い声を持ったシンガーと一緒にバンドがやれるという事にとにかくワクワクしたし、興奮もした。洋子の方はというと、今まで杉田の様なもの凄いパワーを持ったドラマーにレコード以外では出会った事がなかったので、一緒にバンドがやれるというのは凄くエキサイティングな事だと思ったし、それと同時に”You Fool No One ”の様な難易度の高い曲を軽々と叩いているのを見て、テクニック的にも凄くレベルの高いプレイが出来るドラマーでもあるので尊敬の念を持った。この軽音楽部内のスーパーバンドは”ツバサバンド”と(部長によって)命名され、週に三回位はリハーサルをし、夏休み前に学内コンサートを行った。学内コンサートはツバサバンドだけではなく軽音のバンド全てが出演したのだが、ツバサバンドがトリを飾り、他のバンドは正直ぱっとしなかったがこのツバサバンドだけはレベルが全然違ってそこに居合わせた聴衆の学生達は演奏が終わると割れるような拍手をした。演奏があまりにも素晴らしかったので聴衆はアンコールを求めた。大学の軽音学部のコンサートでアンコールが求められるという事自体極めて稀なのだが、この時聴衆は十回以上アンコールの大合唱をした。バンドはそれに応えて結局十二回アンコールの演奏をした。午後四時半に始まったコンサートはほんとなら七時過ぎに終わるはずだったのだが、結局八時半まで続き、凄い熱気の中終了した。メンバー全員汗まみれになって持てる力を全て出し切ったほんとに渾身のライブパフォーマンスであった。
学内コンサートが終わって大学は夏休みに入り、一九七九年の八月初旬軽音楽部は夏の特別合宿を長野で行った。四泊五日の合宿だが、ほとんどの部員がこの合宿に参加した。
一回生九名の内洋子と杉田は先輩部員とツバサバンドを組んでいたし、初心者の四名はこの四名だけでバンドを組み、先輩部員がヘルプでちょっと手伝ったりアドバイスをしたりしていた。あとの三名はまあまあ楽器が出来るので二回生の先輩二名と一緒にバンドを組んでいた。合宿は始めの三日間はとにかくいろんな練習(バンドとしての練習と個人としての練習)をしたり、先輩部員は後輩の演奏を見ていろんなアドバイスをしたり、楽器のスキルが高い部員は初心者の部員にちょっとしたレッスンの様な事をしたりとか、とにかく各人が音楽的に上達出来るように色々やっていたが、最終日の夜に大きな部屋にみんなが集まって各バンドの演奏発表会が行われる事になっていた。
合宿初日の晩の就寝前に一回生九名が男子部員の就寝部屋に集まり、ビールやソフトドリンクを飲みながら一回生だけのミーティングを行った。始めの二十分ほどは演奏や音楽に関しての話をしていたのだが、話題はいつしか各メンバーの彼氏や彼女の話に移った。九名の内五人は彼氏や彼女がいなかったのだが、杉田ノブユキの彼女の話になった時ある部員がどういう風に知り合ったのかと質問したので杉田は小学校五年と六年の時同じクラスだった同級生で、中学以降学校が別れてずっと会っていなかったのだが、大学が同じになったので久しぶりの再会という事になり、何やかんやあって付き合い始めたと言った。洋子は杉田の彼女と面識があった。杉田の彼女の名前は倉田ミエコと言い、洋子と同じクラスの短大生で、性格的に気が合ったので仲のいい友達になった。彼女は漫画家志望の女の子で、おしゃべりで陽気な性格の浪速っ子だった。何でも小学校三年の時から漫画を描いていて、杉田とは五・六年の時同じクラスになって、杉田も漫画を描くのが好きだったのでお互いにマンガを描いて競っていたとのことである。中学以降は学校が別れてずっと会っていなかったのだが、大学が同じ所になって再会し、五月の末頃意気投合して付き合い始めたとの事だった。
洋子は倉田ミエコとよく話をしていたので、ミエコの方から付き合って欲しいと持ちかけた事を知っていた。話を聞く限りどちらかと言えばミエコの方が熱をあげている様だ。杉田ノブユキはまつ毛の長い、綺麗な目をした美少年と言ってもいいタイプの男で、実際の所かなり女の子の注目を引いている。倉田ミエコは小柄で幼さが残ったぱっと見中学生かなと思うような美少女タイプの女の子だった。洋子は杉田に関しては確かに男前で素敵だとは思うものの、何よりもそのドラマーとしての腕前に敬意を持っていた。洋子は異性と付き合った事はなかったが今までその事で寂しいと思った事は特にない。ずっとロックンロールに恋してきたと言ってもいいのかもしれない。中学の時にラジオでスリーディグリーズの様なソウルミュージックやミッシェル・ポルナレフやアラン・シャンフォーの様なフレンチ・ポップスを聴いたのがそもそもの始まりなのだが、その後ビートルズに出会ってもの凄く夢中になり、それから発展してイギリスやアメリカの色んなロックグループの曲や日本のロックを聴く様になってロックンロールの世界に入った。聴くだけでなく自分で歌ったりギターを弾いたりするようになり、夢中になって音楽に打ち込んできた。だが最近になって杉田の事が事あるごとに頭に浮かぶようになってきた。ツバサバンドの練習が週三回あって、練習が終わるとしばしば洋子は体育館の外にあるベンチに杉田と一緒に坐って缶コーヒーを飲みながらいろんな話をした。始めは演奏の事とか音楽の事が中心だったが、次第にお互いの個人的な事を話すようになっていった。杉田と話をしていてほんとに楽しく感じたし、凄く気が合うなと洋子は感じていた。杉田とはいい友達になれるなと始めの内はそんな風に思っていたがその感情はやがて異性に対するときめきに変わっていった。その事をはっきりと悟ったのは七月の下旬、翌日から夏休みに入るという事でツバサバンドが休み前の最後のリハーサルを行ったのだが、リハーサルが終わって外に出た洋子は杉田にちょっと暑いから喫茶店に入って話でもしない?と誘った。二人は学校のすぐそばにある喫茶店に入ってまず演奏や曲目の事に関してひとしきり話をした後洋子は唐突に「ねえ杉田、ミエコの事どう思ってるの?」と尋ねた。
「えっ、何や突然。倉田の事どう思ってるかって?・・・まあいい友達やと思ってるけどな。かわいいし面白いやつやからまあ好きと言えば好きやけど・・。」
「ミエコの方は杉田の事本気で好きみたいよ。」
「・・・・・まあ人間的には凄く好きやな。あいつの描く漫画も素晴らしいと思うし。」
「女性としてどう思ってるの?」
「・・・・・・・・・・・・・」
杉田は腕組みをしながら暫く沈黙した。暫くの沈黙の後こう言った。「・・・・あいつの事はやっぱりもう結論を出さなあかんのかもな・・。」言った後で杉田は先に帰らせてもらうわと言ってお金を置いて出て行った。
──────あれから約二週間が過ぎて今長野の合宿所にいるのだが、杉田と喫茶店で話をした翌日に洋子は帰京し、約二週間浅草で過ごした後下宿に戻ってこの合宿に参加したのだった。あの日杉田にミエコの事をどう思っているのか尋ねた時洋子は自分が杉田に恋愛感情を抱いているという事を悟った。杉田が帰った後洋子はすごくきまりが悪くなり、こんな事を訊くべきではなかったと後悔した。集合場所の大阪駅で杉田に会った時もきまり悪くて挨拶する事さえ出来なかった。杉田の方も無表情で洋子と視線を合わせようとせず何も言わなかった。結局お互い一言も言葉を交わさずに一日目が終わる様な感じで、夕食前にツバサバンドのリハーサルをやったのだがお互いになんかきまり悪い感じで練習していた。多分部長や他のメンバーもその空気を感じ取っていたのではないかと思われるが何も言わず黙々とそれぞれのパートの演奏に専念していた。
─────杉田の彼女の話が終わるとドラムのミンちゃんの彼氏の先輩部員(ドラマー)の話、それが終わるとベース初心者のノリちゃんの彼氏の先輩部員(ベーシスト)の話に移り、最後にギタリストの村野の彼女の話になった。眼光鋭い顔をしたかなりのイケメンでもある村野は今まで三人の女の子と付き合った事があって、今のガールフレンドは高三の時に知り合ったのだが最近うまく行ってなくて多分近い内に別れる事になるんじゃないかと言った。
洋子はみんなの話を聞いて異性と付き合うというのは結構大変な事が多いんだなあと感じた。ほんとに好きな人と付き合えたらそれはそれで胸がときめくんだろうが、告白されてまあ付き合ってみようかという感じだったら結構面倒な事もあるのかもという感じだった。杉田に対して自分が恋愛感情を抱いていると今は明確に自覚しているが、杉田に対してどう向き合って行くべきか正直わからず、困惑の状況から抜け出せずにいた。
ミーティングが終わって就寝時間となり部員たちのほとんどが床についた。洋子はちょっと外を散歩してから寝ると言って一回生の女子部員の就寝部屋から出て合宿所の外の草原をぶらぶらと歩いて行った。
外は満月の光といくつか点在する電信柱に付いてる電灯の明かり、それとぽつぽつとある民家の明かりだけで、正直かなり暗いと言えば暗い。時刻は夜の十一時をちょっと過ぎた頃だったが、百メートル位歩くと小さな公園があったので洋子が入って行くとベンチに誰かが坐っていた。薄明りに照らされたベンチに坐っていたのは杉田ノブユキだった。
「おお島崎、何やこんな夜中にこんなとこに来て。」
「あんたこそ何で来てるの?」
「いやまあ何か今日は眠れんような感じがしてなあ。」
「そうなの。実は私もそうなの。」洋子は杉田の隣に腰を下ろし、二人は薄明りの中で話を始めた。
「・・・・この前の話の続きやけどな、あれから俺もいろいろ考えたんやけどやっぱり倉田とは付き合いをやめようと思ってる。」
「別れるの?」
「そうや、別れようと思う。」
「・・・・ミエコにはあれから会ったの?」
「いや会ってない。あいつから一回電話があってちょっと話しただけや。今どっかの新人賞に応募するっていう事で一生懸命漫画を描いてるって言うとった。」
「ミエコにはまだ何も言ってないのね。」
「そうやまだ何も言うてないけど合宿が終わったら言おうと思ってる。」
洋子は内心複雑な気持ちだった。仲のいい友達であるミエコが熱を上げている杉田に振られて悲しんだとしたら友人としては凄く胸が痛むことであるが、杉田に恋心を抱いている者としては自分にもチャンスが訪れるかもしれないという事になり、そのギャップに対してどう心の折り合いを付けたらいいのかわからなかった。
「・・・・でもやっぱりもう少しよく考えたほうがいいんじゃないかしら。」洋子は自分の本心ではないかもしれないと自覚しながらもやはり友達という立場にウェイトを置いてこう言ったのだが、内心そのギャップに対し葛藤があった。強い葛藤を感じながらもやはり親しい友人には悲しんで欲しくなかった。
「・・・・あんな可愛い子はなかなかいないと思うし・・。」
「・・・・あいつの事を意識しだしたのはな。」杉田は言った。「あれは小学校五年の時やけど、五年の夏休みの時にな、一九七一年の七月下旬やったと思うけど、東映まんが祭りっていう映画が家の近くにあった東大阪の河内東映っていう映画館で上映されてて、確か仮面ライダーとスペクトルマンとアニメを組み合わせた5本立てやったと思うけど、アニメとか変身ものとか好きやったから一人で見に行ったんやけど、休憩時間に売店の近くで倉田におうてな(会ってな)。」
「東映まんが祭りだったら私もとうさんと一緒に見に行った事あるけど、懐かしいわね・・。小学校から中学にかけて私漫画が大好きでリボンとかマーガレットなんかよく買ったわ。一条ゆかりや弓月ヒカルの漫画とか、土田よしこのつる姫じゃーなんかが大好きだったんだけど。」
「妹がリボンとかマーガレット買って読んどったから、有名な少女漫画やったら結構俺も知ってるけどな。ベルサイユのバラとか一条ゆかりのデザイナーとか、土田よしこのきみどりみどろあおみどろとかつる姫とかな。」
それから暫く二人は漫画に関して色々話をした。二人とも色んなマンガを幅広く読んでいたので話はかなり盛り上がった。話の最後の方で洋子が一九七一年に放送された「さすらいの太陽」というアニメに言及すると杉田は「ああそのアニメって確かタイガーマスクの裏番組でやってたやつやろ。」と言った。「いつやったか妹が横からチャンネル回して今日はこのマンガ見ようって言うたから一回だけ見たことがあったけど、とにかく主人公の女の子の歌がうまかったという印象があるなあ。」
「そうよ。主人公の峰のぞみの声を担当していた藤山ジュンコさんって人、ほんとに歌がうまくて、アニメの中で実際に歌うシーンが結構あったんだけどほんとに素晴らしい歌声で子供心に胸がときめいて毎週見るのがほんとに楽しみだったわ。」
「妹がさすらいの太陽の単行本を買って読んどったんで、俺も読んだけど確かになかなか面白かったな。」
「単行本なら私も買って読んだけど、テレビの方は原作と比べてストーリーとかキャラクターの設定がかなり違ってて、原作のコミックの方はちょっと悲しすぎる終わり方だったわね・・。」
「そうか、まあもし再放送とかあったら見てみたいけど、このさすらいの太陽って今までに再放送された事があったんかなあ?」
「さあどうかしらね。私は見た事がないけど。」
洋子は杉田に、話を戻すけど、その河内東映の売店前でミエコに会ってからどうなったのかその続きを聞かせてと言うと、杉田は言った。「それはな、映画が終わったらちょっと私の家に来てって言われてん。」
「それでミエコの家に行ったわけ?」
「そう、映画が全部終わったんは午後の二時ぐらいで、二人とも自転車で来てたんやけど、自転車に乗って倉田の家まで行ってな、家の中に案内されて彼女の部屋に入ったら一冊のノートを見せられたんや。」
「そのノートに何か書いてあったの?」
「そのノートにはびっしりと鉛筆でマンガが描かれてあって、倉田が言うには持って帰って読んで明日感想を聞かせて欲しいって言うんや。」
「どんなマンガが描いてあったの?」
「それがな、タイトルは「恋犬ラムータの冒険」っていうタイトルで、まあギャグマンガなんやけどこれがひどいマンガで、犬の姿にデフォルメされた俺がいろんな女の子の犬に振られて蹴とばされて肥溜めに落ちて、それでもってな、このラムータっていうのがウンコを常食としていて肥溜めに落ちてから肥溜めの中でチューチューとウンコを吸って食べるというほんま無茶苦茶なマンガやったんや。」
「えっ何それ。無茶苦茶面白いじゃない。」アハハと洋子は思わず笑った。
「ほんでまあ、そのウンコを常食としているラムータっていう犬がお嫁さんを求めて世界をさまよって振られ続けてひどい目にあい、メッタクソにやられてボロボロになるという悲惨なマンガやった。」
「いやあほんと面白そうね。今度ミエコに会ったら見せてもらおうかしら。」
「ほんでな、それをきっかけにして俺と倉田とでお互いマンガを描いて競い合うようになったんやけど、絵に関しての技術的なレベルは倉田の方が遥かに優れていて俺はほんとに敬意を持ってたんや。」 そういう事があって二人は六年になってもお互いにマンガを描いて競い合い、クラスのみんなも面白がって二人のマンガを回し読みしたりしていたのだが、子供の落書きレベルの杉田のマンガと本格的な画風を持った倉田のマンガとでは全く勝負にならなかったと杉田は言った。倉田はギャグマンガだけではなく本格的な少女マンガも描いていたのでクラスメート達はみんな凄いと言って賞賛していた。時が巡って卒業となった時二人はお互い何も言わず自然消滅といった感じで別れ別れになった。小学校と中学校で学区の分け方が違っていた為中学以降別れる事になったのだ。二人ともほんとは別れの挨拶がしたかったのだが何となく照れくさいというような感じでお互い何も言わずにお別れという事になった。ガールフレンドとかそういう関係ではなく純粋にマンガを描くのが好きな同志という関係だったし、子供だったから何となくそういう風になってしまった。
中学に入ってから杉田は全くマンガを描かなくなった。結局の所杉田にとってマンガはただ面白いから描いていただけであり、完全に遊びのレベルだったので飽きが来てしまい描くのをやめてしまったのだ。ミエコの方は中学に入ってからもさらに勢いがついてマンガを描き続けていた。杉田もミエコも時々お互いの事を思い出し、どうしてるのかなあと思った。ガロの歌にある様に何も言わずに別れたのでお互いノスタルジーにかられ、機会があればまた会えたらいいのになあと思っていた。
「・・・・それで大学が一緒になって再会して、お互いにおお懐かしいのう、元気やったか?っていう感じで話が弾んで結局付き合うって事になったわけやけど、今となってはちょっと考え直さなあかんと思ってるんや・・。」そう言うと杉田は暫く沈黙して何かを考えていた。暫しの沈黙の後洋子の方に顔を向け、洋子の目を見つめながら「いや、もう自分の気持ちに嘘はつけんのや。」と杉田は言った。「────島崎のことが好きやから。」──────── 洋子はえっと言って立ち上がった。洋子が立ち上がると同時に杉田も立ち上がり二人はお互いの顔を見つめ合った。洋子は突然好きだと言われて戸惑い言葉を失った。だが同時に、好きだと言われてもの凄く胸がときめき、もの凄く嬉しい感情が洋子の心を満たした。嬉しいと同時にミエコに対してもの凄く申し訳ないとも思った。嬉しいという感情と申し訳ないという感情が同時に、最大限に巻き起こったので洋子は非常に混乱していた。「ごめん、先に帰る。」と言って洋子は小走りにその場を離れ合宿所に戻って行った。小走りに去っていく洋子の姿を杉田はぼうっと見つめていた─── 。
翌日杉田と洋子は顔を合わせてもお互い何も言わずちょっと気まずい感じで二人ともお互い視線を合わせないようにしていた。午後の一時から五時半までのツバサバンドの練習の時も視線を合わさず、一言も言葉を交わさなかったので、さすがに気づかないふりをするわけにもいかんなと思った部長の山田は練習が終わると洋子に声をかけて一緒に外に出た。「なあ洋子ちゃん。」部長が言った。「杉田の事が好きなんか?」
「どうしてそれを────?」
「いやあそれはわかるで。こう見えてもおれは恋愛の専門家やし。」どういう意味で恋愛の専門家と言ったのかはわからないが、ラグビーの選手みたいにがっちりとした体格をした温和な表情の部長は言った。「それで杉田の方は洋子ちゃんの事どう思ってるの?」
洋子は杉田から好きだと告白を受けた事やミエコとの複雑な関係とかの詳しい事情を部長に話して自分は一体どうしたらいいのかわからないと正直な気持ちを打ち明けた。すると部長は「両思いやったらもう結論は出てるで。」と言った。「ちょっと待っててな、杉田を呼んで来るから。」部長は合宿所の中に入って行き三分位してから杉田と一緒に出て来た。部長は洋子と杉田を向かい合わせにして言った。「ええか、両思いやったら答えは一つ。杉田は今の彼女に正直な気持ちを言って、傷つける事になるかもしれんけど別れなあかんと思う。両思いやったら片思いの男や女は身を引かなあかん。それがルールやとおれは思う。ほんとに好きやったら相手の事を考えて身を引くべきや。」
─────という事で、部長の山田が間に入って二人にアドバイスした事がきっかけとなり杉田と洋子は付き合いを始める決心をしたのだが、洋子は部長の言う事は正論ではあるけど果たしてトラブル無しに事が運ぶのだろうかと不安に思った。杉田は合宿が終わったらミエコに会ってはっきりと自分の気持ちを伝えると部長と洋子に言ったが、ミエコの心を傷つける事になるのは避けられないので洋子はほんとに心が苦しかった──── 。
そうこうしてる内に合宿の最終日になって、最終日の夕方に軽音の全てのバンドによる演奏発表会が行われ、軽音部員たちはビールやソフトドリンクを飲みながら大いに盛り上がった。盛大な拍手と歓声を以って発表会は幕を閉じ、軽音学部の合宿は熱い余韻の中終わろうとしていた─── 。
最終日の夜の十一時頃、洋子と杉田は外に出てこの前話をした小さな公園まで出向いてベンチに座り話をした。
「・・・・ミエコにはほんとすまないと思うけど、これは避けては通れない事だわ。」
「そやな、俺もあいつの事は人間的に大好きやからほんとに心苦しいけど言わんわけにはいかん。」
「人のものを奪ったら何年かして今度は自分が奪われる立場になるってよく聞くから正直私不安なんだけど、最後まで私を愛してくれるって約束できる?」
「もちろん約束する。それなりの覚悟はある。」
二人は長い間無言で見つめ合った。洋子にとっては初めての本格的な恋。洋子は初めて経験するこの燃えるような恋の激情に身を委ねたいと思った。
二人はそれから色んな話をし、満月の麗しき光の下で深い陶酔の時間を過ごした。ゆっくりと流れる至福の時間の中、どちらとはなしに二人は口づけを交わし、永遠の夜の夢が二人を包みこんだ──── 。
合宿が終わって杉田はミエコを呼び出し、自分の正直な気持ちをミエコに話した。その日は朝から雨が降っていた。待ち合わせ場所の喫茶店でミエコは黙って話を聞いていたが、最後には涙を浮かべてすすり泣いた。杉田はすまない、ごめんと何度も繰り返した。十分位すすり泣いた後ミエコは立ち上がって杉田に背を向けさよならと言って喫茶店を出て行った。杉田は茫然と空を見つめていたが、十五分位してから立ち上がって会計を済ませ外に出た。外は相変わらずしとしとと雨が降っていた。杉田はこんな雨の日にこんな事を聞いて傷ついたミエコの心情を思いはばかり、ほんとにすまない事をしたと心が痛んだ。だけどこうするしかなかった、ほんとにごめん、すまないと降りしきる雨を見つめながら杉田は心の中で何度も繰り返して言った─── 。
九月の中旬になって夏休みが終わり大学の新学期が始まった。だが倉田ミエコは学校の方に姿を現さなかった。杉田と洋子はどうしたのかなあと心苦しく思っていたのだが新学期が始まってから三日目に杉田の家にミエコからの手紙が郵送されて来た。中を開封してみると次のような一枚だけの短い手紙が入っていた:
親愛なるわたしのラムータへ
あれから暫くは傷心の日々が続いたけど今は落ち着いてまた新しいマンガを毎日描いてるところです。八月の中旬に投稿したマンガに関して九月の始めに編集部の人から電話があって、新人賞の審査はまだかなり先の事なのだが倉田さんのマンガがほんとに素晴らしく、ずば抜けた出来なので十月初めに発行予定の月刊誌に掲載させてもらいたいとの事で、私にとってはもの凄くうれしい知らせが来て私は今もの凄くウキウキした気持ちでマンガ創作に励む毎日です。編集部の人達は私が将来化ける可能性がある有望な新人だと思ってくれていて、積極的に支援したいと有難い申し出をしてくれたので私来月始めに東京へ行く事に決めました。プロのマンガ家になる事が子供の頃からの夢だったからチャンスをつかんだ今私は行かなければならないと思う。私は私の夢を追い、ラムータはラムータの夢であるロックンロールの夢を追ってほしい。いつかまた何年か先、もしかしたら何十年か先にお互い笑いあって再会できる日が来ると信じています。あなたの事は忘れません。
一九七九年九月十七日
倉田ミエコ
杉田はこの手紙を読んで涙を流した。どうして涙が流れるのかそのはっきりした理由が杉田自身にもわからなかった。洋子の心には杉田しかいなかったが、杉田の心には洋子とミエコの二人がいた。どちらかと言えばもちろん洋子の占める割合が圧倒的に多いと言えば多いのだが、この手紙を読んで泣いている今は圧倒的にミエコの姿が大きく心の中のスクリーンに映し出されている。人間の心というのは時に複雑な感情を持つことがあり、今杉田は今の自分にとって洋子とミエコの内一体どちらが大事なのだと泣いている自分に問いかけていた。果たして洋子を選んだという自分の選択がほんとに正しい事だったのかと杉田は悩んだ。洋子を選んだという行為の結果ミエコは去って行った。だが今自分はミエコが去って行ったという事に打ちひしがれている。これは一体どういう事なのだろう?自分はほんとに正しい選択をしたのだろうか?
手紙を受け取った翌日杉田は洋子に、ミエコが漫画家として生きていく為東京に行くという手紙を送って来たと告げた。すると洋子はさっき大学の事務室の近くでミエコに会ったと言った。なんでも大学に退学届けを出しに来たとの事で、ミエコは洋子に今回の事は気にしないでほしい、人間の気持ちというものはどうする事も出来ないしただ受け入れるしかない、自分はこれから自分がほんとうにやりたかった夢の道を歩むのだからこれで良かったのだと思っている、二人が幸せでいてくれる事を祈ってるからと言って去って行ったとの事だった─── 。
それから八ヶ月程過ぎた一九八〇年の五月中旬のある日の午後五時頃、洋子と杉田は先輩部員たちと共に軽音の練習場でツバサバンドのリハーサルをしていた。この大学では三回生が部長を務めるという事になっており(四回生になると就職その他の活動で多忙になる為)、山田は部長の座を降りて新たに三回生のベーシストの中村が部長になっていた。新部長の中村はツバサバンドのベーシストでもある。口数が少ない、もの静かな性格のやせ型で背が高い体形を持った温和な人柄の部長だった。去年の夏合宿が終わってからツバサバンドは山田を中心にしてオリジナルを創り始め、大体ひと月に一曲ぐらいの割合で完成させていき、今では七曲程完成させている。オリジナルナンバーは全て杉田と洋子が二人とも歌っており、洋子がリードボーカルだが曲によっては杉田のパートが多い、杉田のボーカルに比重が置かれている曲もあり、なかなかの出来に仕上がっていた。杉田はドラムだけでなく、ボーカルもなかなかのものだった。彼が歌うようになった経緯は、あるリハーサルの時に洋子が1時間ぐらい遅れて来て、その時時間つぶしに色んなスタンダードナンバーをやるという事で杉田が歌ってみたのだが、これがほんとに決まっていて渋いボーカルを披露してくれたので、それ以来オリジナルは2人とも歌う方針になったのだ。今八曲目の曲に取り組んでおり、この曲が完成したら本格的なデモテープを作ってライブハウスに持ち込んで本格的な活動をする予定でいた。山田は四回生になったが、就職活動は特にしない方針で、卒業したらアルバイトしながら音楽活動を続けるつもりだった。洋子も短大卒業後バンド活動を続けるつもりで、就職活動はしない心積もりだった。洋子と杉田のツインボーカルはほんとに強力で、山田は本格的にライブ活動を広げて行ってこのバンドでプロデビューをしたいと思っていた。この二人のボーカルがある限り無敵だと思った。
その日のリハーサルは午後七時頃終わった。私の下宿でご飯を食べていったらと洋子は杉田に言ったが杉田は今日は用事があると言って足早に帰って行った。
その翌日の午後四時頃練習場に向かうべく体育館のほうに歩いていた洋子の前に同じ学年の部員である村野が近づいて来て関西アクセントで言った。「なあ島崎ちょっと今話いいか?」
村野の話によると最近杉田が他の女の子とデートしているみたいだから気をつけた方がいい、よく考えた方がいいんじゃないかとの事だった。この一ヶ月の間に三回ほど喫茶店で女の子と話をしてるのを見かけた、毎回違う女の子だったと言った。
洋子は杉田から、結構女の子の方から告白されたり手紙をもらったりとかいったアプローチを受けるといった話は聞いていた。杉田はそういう事がある度に自分には付き合っている人がいるから受け入れられないと言ってやんわりと断っているとの事だったが、実際杉田はかなりの美男子で女の子の注目を引くのでそういう事が多い様だった。
洋子は次の日の夕方、ツバサバンドの練習が終わった後杉田にストレートに訊いてみた。すると杉田は「確かに喫茶店に行って話はしたよ。」と言った。「いやな、とにかく初めに無理やって断ってるんやで。だけど断ってもアプローチを続ける子が何人かおってな、その子らは彼女がいようがいまいが関係ない、とにかく一回話をさせてくださいって言うからまあ仕方なしに喫茶店行って話をしたんや。」
洋子は正直本当かなあと思ったが、今のところは信用するしかないと思って冷静を装い、ああそうなのと言った。正直なところ心の中は杉田にべた惚れと言ってもいい位熱烈に杉田の事を想ってるのだが、外見的には冷静を装った。しかし内心は決して穏やかとは言えなかった。
そうこうしてる内にツバサバンドは関西の色んなライブハウスに出演するようになり、最初は一九八〇年七月に京阪電車の枚方駅の近くにあるビーアップというライブハウスに出演し、八十年の十一月になる頃には大阪・京都・神戸にある結構大きな広さを持つライブハウスでライブをするようになった。十二月には週一の割合でライブをやり、大みそかの日には大阪の有名なライブスポットであるBハウスで色んなバンドと一緒にオールナイトライブをやって大いに盛り上がった。
洋子はオールナイトライブが終わった朝、一九八一年の元旦の朝に枚方に帰って荷物をまとめ、新大阪に向かい新幹線に乗って東京に里帰りして浅草で約一週間過ごした後一月八日に枚方に戻った。戻った翌日の一月九日の午後にツバサバンドのリハーサルに行こうと洋子が大学の体育館の方に向かって歩いていると部員の村野が近づいて来て言った。
「島崎、練習が終わったらちょっと電話してくれるか?杉田の事で言うといた方がいい話があるから。」
「話があるなら今ここで言ってよ。一体何?」
「いやここで言うのはちょっと無理や。結構込み入った話やし。」
「込み入った話って一体・・・」
「とにかく後でここに電話してくれ。杉田には言うなよ。」と言って村野は電話番号が書かれた小さな紙片を洋子に手渡した。
洋子はリハーサルをしながら杉田に言おうか言うまいか考えていたが結局杉田には村野が言った件に関し何も言わずにその日は別れた。夜の九時半頃洋子は下宿から村野に電話した。電話に出た村野は「明日の朝枚方のラブキャッスルというホテルの前で入り口を見張ってたら面白いものが見れるで。」と言った。
「一体何が見れるというのよ?」と洋子は少しむっとした感じで言った。ラブキャッスルというのはいわゆるラブホテルである。
「杉田のやつ最近目にあまる事やっとるから教えとこうと思ってな。」と村野は言った。「入り口のとこで見張ってたら杉田が女と一緒に出て来よるやろうから現場を押さえたらどうかと思ってな。」
「えっ!?」と洋子は絶句した。
「三十分ぐらい前に女と一緒に入って行くのを見たんや。ほんとかうそか明日の朝確かめたらええ。朝十一時チェックアウトやそうやから十一時前に行ったらええわ。」そう言うと村野は電話を切った。
洋子は受話器を置くと茫然とした表情で立ちつくした。暫くして気を取り直すと杉田の家に電話した。杉田の母が電話に出て、まだ家に帰っていないと告げた。どこに行ってるか御存じですかと訊くと、あの子は風来坊で何も言わずに帰って来ない事もよくあるんで全くわからないと洋子に言った。洋子は帰ってきたらすぐ電話してくれるようにお伝え下さい、かなり遅くなっても構わないんで、と告げて電話を切ったが、心の中は穏やかではなくかなり混乱していた。洋子は杉田を信じたかったし、いくら何でもそんな事をするはずがないと自分に言い聞かせるかの様につぶやいた。
結局杉田からの電話はなく、洋子は午前十一時前にホテルの入り口前に来ていた。十一時をちょっと過ぎた頃杉田が女の子と一緒に入り口から出て来たので洋子は絶句して思わずその場に膝をついてしまった。頭が混乱していて言葉を発する事が出来ない状態だったので物陰から出てその場をとり押さえる事が出来ず、膝をついて震える体を両手で懸命に押さえようとする事で精一杯だった。涙をボロボロと流しながら洋子は全身を震わせて杉田と女の子が通り過ぎていくのを黙って見ていた。一月の冷たい風が洋子を包み込んで洋子は自分がひどく惨めに思えた。これ以上はもう無理だ、と洋子は思った。
翌日の一九八一年一月十一日の日曜日の午後二時頃、洋子と杉田は学校の近くにある喫茶店で話をしていた。洋子が昨日ホテルから杉田と女の子が一緒に出てくるのを見たの、とストレートに切り出すと杉田はえっと言って一瞬慌てふためいた表情を見せたが、「ああそれはなあ・・・」と言って視線をちょっと横にずらして「何でまたホテルまで来たんや。」と続けた。
「何でまたって事はないでしょう。」洋子は非難するような目つきで杉田を見て言った。「もう言い訳は出来ないわよ。もう終わりね。」
「おいおいちょっと待ってくれよ。ほんまにお前凄い誤解してるわ。」杉田はため息をついて言った。「実はなあ洋子には言うてなかったけど俺あそこのホテルでバイトしてるんや。」
「あんなホテルでバイトしてるの?」
「いやまあ時給が結構いいバイトなんで去年の年末からやってたんや。」
「どうして女の子と一緒に出て来たの?」
「それはなあ、あの女の子が朝の十時半ぐらいにホテルに入って来て俺を呼び出して話がしたいって言うから、仕事終わるまで待ってくれって言うて仕事終わってから一緒に出て来たんや。」
「あの女の子は一体何なの?杉田があそこでバイトしてるのを知ってたわけ?」
「どこで聞いたんかは正直わからんけど、あの女の子は断ってもしつこくアプローチして来る女の子の一人でヒトミっていう名前の子や。」
「名前なんかどうでもいいけど、そもそも追い返さないで一緒に出て行って話をするっという事自体が問題じゃないの?」
「そうやろか。」
「そうやろかじゃないわよ。大きな誤解を招くような事は慎むべきだって思わないの?」
「まあでもこんなに熱心になって来る子を無下に追い返すのもかわいそうかなあとも思うし。」
「いやそれは間違った考えよ。ルール違反だわ。」
「そうかな。」
「何がそうかなよ。それはルール違反なの。わからないと言うならもう別れるしかないわ。」
「なあ島崎、もっと冷静になって考えた方がええで。お前のその考え方は相手を縛ってるっていう事がわからへんか?交際してる相手の考えを縛ったり拘束したりする権利はないと思うけどな。」
「杉田の言ってることが私には理解不能だわ。とにかくもうこれ以上付き合いを続けていく事は出来ないと思う。別れるしかないわ。」
杉田は腕組みをし、顔をやや下向き加減にして暫く考えていた。熟考の後口を開いて言った。「女の子とただ話をしただけやのにルール違反やなんて・・・」それから再度沈黙し、暫くしてから言った。「わかった。別れるしかないみたいやな・・。」
「・・・・わかってくれたならそれでいいわ。これからはただの普通の友達よ。私は私の道を行くし、杉田は杉田の道を行って。」
「・・・・・ほんとにそれでいいんか?俺はほんと残念に思う。」
「いいのよ。それじゃそういう事で。」と言って洋子は自分のコーヒー代をテーブルに置いて出て行った。杉田はぼーっとした様子で洋子が出て行った後の店の扉を見つめていた─── 。
下宿に戻ってから洋子は今までの事を色々振り返って本当にこれで良かったんだろうかと考えを巡らせた。杉田は多分嘘はついてはいないだろうとは思ったが、もてすぎる男性と付き合って色々やきもきするのはうんざりだった。だけど熱烈に恋をした素敵な男性を自分から放棄した様な感じになってしまって戸惑いを感じていたのも確かだった。杉田との色々な思い出を回想している内に洋子は涙が浮かんで来て止まらなくなり、嗚咽して泣いた。暫く大泣きした後洋子はバッドカンパニーのファーストアルバムをターンテーブルに乗せヘッドフォンをして聴いた。洋子がボーカルの師と仰ぐポールロジャースのバンド、バッドカンパニーの一枚目のアルバムはほんとに胸にぐっとくる曲が目白押しの名盤で、洋子が今最も気に入ってるアルバムである。すべての曲を聞き終わってから洋子は外に出て本屋に立ち寄った。いくつかの音楽雑誌をぱらぱらと立ち読みしていたのだが、とある音楽雑誌のバンド便りというページに、シルバーフレイムのボーカルが脱退したので新しいボーカリストを募集しているとの記事が出ていて、連絡先の住所と電話番号が載っていた。シルバーフレイムは東京出身のバンドで全国のライブハウスを回ってライブをしてたのだが、デビューアルバムのレコーディングを前に突然ボーカルが脱退してしまったので急遽新しいボーカルを募集という事だった。洋子はその音楽雑誌をレジに持って行き購入して下宿に帰るとすぐその連絡先に電話してみた。電話に出たのはリーダーの鈴木で、洋子がボーカリストのオーディションを受けさせて欲しいと告げると鈴木は女性の方は御遠慮願いたいと言ったので、洋子はお願いだから一回私のボーカルを聴いて欲しいと食い下がり、自分がシルバーフレイムの大ファンで、いかに自分がこのバンドに入りたいと思っているのかという事を情熱的に語って、男性に負けないレベルのパワフルなボーカルを披露出来る自信があるからとにかくオーディションに参加させて欲しいと必死に食い下がった。あまりに情熱的に押しまくられたので鈴木は根負けし、明日の晩の六時に東京の浅草のスタジオに来れるかと尋ねた。洋子は自分の実家が浅草にあり、今現在は関西の短大に通っているが明日上京してオーディションを受けるのは何も問題はありませんと答え、洋子のオーディション参加が決まった。
一九八一年一月十二日の月曜日の朝洋子は東京に向かう為新大阪から新幹線に乗った。お昼の十二時半ごろに東京駅に到着し、洋子はまず浅草の実家に立ち寄って何時間か過ごした後自宅から自転車で十五分位の所にあるオーディションが行われるスタジオに向かった。午後の五時五十分にスタジオに着くと、オーディションを受けに来たと思われる男性が五名ほどいた。六時になって一人ずつオーディションという事になって、洋子は一番最後に受ける事になった。オーディションに参加する男性五名と女性一名(洋子)は全員スタジオに入り一人ずつオーディションが進められて行った。さすがにシルバーフレイムという本格的なロックバンドのオーディションに来るだけあって男性五名のボーカルはそれぞれがなかなかのレベルを持った悪くないボーカルだった。だけど脱退したボーカルのレベルを持ってると思われるボーカリストは初めの二人だけで、あとの三人はちょっと迫力不足かなと洋子は思った。脱退した前の男性ボーカルが凄い声を持ったボーカルだったのでこれは致し方ないと言えばそうなのだが、新ボーカリストになるのにハードルはもの凄く高い様だった。
男性五人のオーディションが終わって最後に洋子の番という事になった。昨日の電話の時に告げられた課題曲はカルメンマキ&OZの「私は風」で、この曲は洋子にとってはオハコと言ってもいい曲で歌い慣れているので洋子には自信があった。シルバーフレイムのメンバーたちがイントロを演奏し、やがて洋子が歌い始めるとスタジオ内の空気が変わった。オーディションを受けに来た五人もそうだったが、歌が進むにつれてメンバーたちの顔色が変わって行った。スタジオ内にいる全ての人間が何か凄いものに遭遇した時に顔に出す驚愕の表情というか、戦慄を感じている表情と言ったらいいのか、そういう表情を浮かべていて、特にシルバーフレイムのメンバー達は最大限そういった表情を浮かべ、その演奏に熱い熱気を帯びて来ていた。スタジオにいる誰もが凄いよ凄いよと心の中で叫んでいる様な表情をしていた。洋子のボーカルは他のオーディション参加者達と比較して次元が違うと言っていいぐらい凄いものだった。誰もがそれを感じていた。メンバー達は熱くなってノリにのった演奏を繰り広げた。特にギターの鈴木は洋子に負けないぐらいの熱気を持って神がかった演奏を展開していた。
シルバーフレイムの楽器隊が曲の最後で壮大なエンディングを以って演奏を終えた時、周りで見ていた五人のオーディション参加者たちは歓声をあげながら大きな拍手をした。
拍手が鳴りやむ頃リーダーの鈴木が「・・・・いやあほんと凄いよ。俺ほんとに感動したよ。音楽をやっててほんとによかったと思う。正直今回いいボーカルに出会わなかったら音楽をやめようかなと思ってたし・・。ずっと一緒にやってきたボーカルが抜けて俺ほんとに落ちこんでたから。」と今にも感動で泣きそうな顔をして言った。「”私は風”を課題曲にしたのは、この曲は歌の難易度が高いから歌いこなせていないという理由で断れるだろうと思ってたからなんだけど、こんなに凄い歌を聞かせてくれるなんてほんと思ってもみなかった・・。」鈴木はちょっと沈黙してから真っ直ぐに洋子の目を見てこう言った。「あんたのボーカルに惚れたよ。お願いだから一緒にやってくれないか?」
シルバーフレイムに加入することを決めた洋子は翌日の一月十三日(火)に枚方の下宿にとんぼ帰りし、その翌日の一月十四日(水)の午後五時頃ツバサバンドのリーダーの山田と話をした。その日は練習の予定は無かったのだが、山田は大概毎日練習所に顔を出しているので多分いるだろうと思って訪ねていったのだ。洋子は杉田と別れた事とシルバーフレイムのオーディションを受け合格し、正式加入した事を告げた。山田は思ってもいなかった事を突然二つも告げられてえっと驚いた様な様子だったが、心が落ち着くと「そうか・・・・。」と言って暫く腕組みをして沈黙した。暫しの沈黙の後山田は言った。「杉田との事は君らがそう決めたのなら俺には何も言われへん。そんな風になるとは思ってもみなかったけど・・。シルバーフレイムに加入が決まった事に関しては良かったな、おめでとうと言わなあかんなとは思うけど、うちのバンドをやめなあかんというのはほんと残念やわ。」
「急な話でほんとにすまないと思ってます・・。だけど私ほんとにシルバーフレイムのやってる音楽が好きだし、本格的にプロとしてやっていきたいんです。」
「わかってる。もう何も言わんでええ。シルバーフレイムはほんとに成熟した大人のバンドやし、ツバサバンドはまだ始まったばかりでシルバーフレイムと比べたらほんまひよっこやから。」
「テクニック的には皆さんかなりのレベルで、シルバーフレイムの方々に劣るとは全然私思ってませんけど、オリジナルナンバーのレベルに関しては正直シルバーフレイムは凄いと思います。」
「それは俺もそう思ってる。あの人らはほんと完成されてるバンドや。洋子ちゃんにとって最も相応しいバンドはシルバーフレイムやと思う。」
山田は最後に洋子の手を取って、今までほんとにありがとう、洋子ちゃんと一緒にバンドがやれてほんとに楽しかったし、幸せやったわと今にも泣き出しそうな表情で言った。
洋子は私こそ皆さんと一緒にやれて幸せでしたと言い、この様にして洋子は軽音を退部し、ツバサバンドからも去ったのだった。
洋子が去った後ツバサバンドは暫く活動を停止して洋子の後釜となる女性ボーカリストを色んなツテで探し、時々オーディションもしたが洋子のレベルに匹敵するシンガーを見つける事が出来ず、結局一九八一年の三月初めに解散を決めた。解散してからメンバーはそれぞれ色んなバンドからの誘いがあったので、それぞれが別のバンドに加入し新たな音楽活動を始めようとしていた。洋子は二週間に一回リハーサルの為に東京に出向いたし、シルバーフレイムのメンバーの方も月に一回枚方の方に来て、ビジネスホテルや知り合いの家に泊まりながら枚方のスタジオでリハーサルをしたりした。本格的なレコーディングは三月下旬に洋子が短大を卒業し東京に戻ってから行う事になっていた。そうこうしている内にK大学とK短期大学の合同卒業式が一九八一年三月下旬のとある日に行われた。洋子は関西で過ごした二年間に思いをはせて、ほんとに充実した素晴らしい日々だったと思った。杉田とは別れる事になってしまったが、音楽活動に関してはほんとに充実していたし、ほんとに楽しかった───── 。関西で過ごした二年の日々を回想している内に堪らない程の名残惜しさの感情といったものが洋子の中で爆発し、洋子は涙を流した。さようなら私の関西、と洋子は心の中で関西に別れを告げた。リハーサルやレコーディングに関する打合せとかがびっしりと予定されているので卒業式の後洋子は下宿に帰り身支度をして、大家さん立ち合いのもと下宿を引き払った。大きな荷物とか本なんかは既に昨日送ったし、細かいものとかちょっとした家具なんかは四年制に通っている知り合いに譲ったりして下宿はがらんどうの状態になっていた。空っぽの部屋を背に大家さんに有難う御座いましたと言って洋子はスーツケース一つと肩にかける形式のバッグ一つを持ってタクシーに乗り、京阪の枚方駅に向かった。
────── 枚方駅に到着し、タクシーから降りて切符を買い電車に乗ろうと改札に向かって歩き出した洋子の前方二十メートル位の所に何と杉田が立っていた。杉田は無表情でまっすぐ洋子の方を見ていた。洋子は立ち止まってじっと杉田を見つめた。そのまま約二十秒位見つめ合った後洋子は向きを変えて改札口の中に入って行った。五分位して電車が来たので洋子は乗車し、空いていた席に腰掛けた。さっき見たのは現実だったのかそれとも幻影だったのか洋子にはわからなかった───── 。
──────「・・・・それが最後で、それ以来ずっと杉田には会っていなかったんだけど、先週の木曜日の午後一時位に杉田がふらーっとカジノに現れたの。久しぶりだなって言って。私ほんとに茫然としちゃって・・・・。杉田は何時に仕事が終わるんだって訊いて、私が五時よと言うと、話がしたいから終わったら入り口の所まで来てくれと言って去っていったの。それで五時過ぎに入り口の所に行ったら杉田が待ってて、近くにあるバーガーショップに入って話をしたの。それでね、色んな話をしたんだけど、杉田が言うにはね────」─────── 杉田が言った事をまとめると次のようになる:
──── それは一九九三年八月二十一日の土曜日の午後四時頃の事であった。凄く暑い日々が続いていたのだが、この日に限ってはいくらかましな暑さになっていた。杉田は用事で大阪市内に出ていて、その帰りにJR大阪環状線に乗っていたのだがふと思いついて玉造(たまつくり)駅で下車した。なぜ玉造駅で下車しようと思ったのかその明確な理由というものは無かったのであるが、ただ何となく何かに引き寄せられる様な感じで杉田は下車した。下車してからこれまた何かに引き寄せられる様な感じで駅前の商店街に入り、商店街の中の本屋で足を止め本を立ち読みし始めた。
(つづく)
立ち読みを初めて十分位たった頃に一人の女性が本屋に入って来た。杉田が何となくその女性の方に顔を向けるとその女性は杉田を見て「あれれ久しぶりやねえ。」と関西アクセントで言った。「おおスージーか。久しぶりやなあ。」と杉田も言った。その女性は軽音の同じ学年の仲間で、スージーというニックネームを持っていたギタリストの今村恵子だった。軽音にいた当時彼女はカーリーヘアにしていて、それがカーリーヘアをしていた時のスージー・クワトロみたいな感じだったのでスージーというニックネームが付けられた。軽音にいた時はずっとカーリーヘアだったが今は普通のナチュラルな髪で、昔と比べると外見的にはかなり変わっていた。
「杉田君もしかしてこの近くに住んでるの?」
「いや家は東大阪やから近くやないけど・・。」
「何でここまで来たん?」
「それは何となく。」
「何となくこんなとこに来んの?」とスージーは面白がって言った。「私はこの近くに住んでるんやけど、ほんと久しぶりやね。卒業式以来やから十年ぶりやねえ。」
「そうやな、スージーが卒業してから十年ぶりって事になるなあ。」と杉田はほんとに懐かしいなと思いながら言った。スージーは四年制の学生で一九八三年三月に卒業し、杉田は三回生の時に一年留年したのでスージーより卒業が一年遅れて八十四年の三月に卒業した。スージーの卒業式の時に杉田は軽音のバンドの打合せの為学校に来ていて、卒業式終了後スージーが彼女と同じく卒業を迎える男性の軽音部員三名と女性部員でドラマーのミンちゃんと一緒に軽音の部室に来て杉田や軽音部員達と一しきり話をした後みんなで軽く打ち上げをする事になり、学校近くのレストランでスージーとミンちゃんの卒業祝いの打ち上げ会を行った。スージーとはこの打ち上げ会以降会っていなかったので十年ぶりに会うという事になる。二人はちょっと喫茶店で話をしようという事で商店街の中の喫茶店に入った。二人ともレーコー(アイスコーヒー)を注文し、杉田とスージーは楽しそうに話を始めた。
お互いに三十三歳になっていたが杉田は老けた感じが全然せず、二十五歳だと言っても通用しそうな感じであった。外見的にあまり変わっていなかったのでスージーが「杉田君は若く見えるからいいねえ。」と言うと杉田は「いやいい事はないで。若く見えるのはアホやからやし。」と言った。
「私なんか老けてるやろう?こないだ四十歳ですか?って言われてほんとムカついたわ。」
「いや別にそんなに老けてないで。そんな事気にせんでええわ。」
「ところで杉田君は結婚してるん?」とスージーが訊いたので杉田は結婚してたけどいろいろあって去年離婚したんやと言った。スージーはそれを聞いて実は私も2年前に離婚して今は実家に戻って両親と一緒に暮らしてると言った。子供はいないとの事だった。もう男はこりごりや、とスージーはうんざりした表情で言った。杉田には離婚した妻との間に男の子が一人いて、今五歳で親権は妻が取り現在は子供を連れて実家に戻り、両親と一緒に住んでいる。離婚に至った経緯とかその辺の細かい事はお互い言及しなかったし、お互い尋ねもしなかった。
色々話してる内に話題は島崎洋子の事になり、スージーは二ヶ月前に洋子と電話で話したと言った。なんでも久しぶりに連絡を取ってみたくなって、軽音の部員名簿に書かれていた洋子の実家の電話番号に電話してみたところ洋子の弟が出て、洋子はアメリカ人と結婚してアメリカに住んでいたのだが、不幸にも夫が事故で亡くなってしまい、色々あってカジノのディーラーの仕事に就く為サンフランシスコからラスベガスに移り住んだとの事で、ラスベガスの家の電話番号と住所を教えてくれた。スージーがベガスの家に電話すると洋子が出て、十二年以上も会っていなかったかつての仲間から突然電話が来たので驚いていたが、凄く懐かしく話は弾んだ。けれどもアメリカと日本の間の国際電話なので洋子は気をつかって二十分位話した後電話代高くついたら悪いからとりあえず今日はこれぐらいにして洋子の方から手紙を書いて送ると言い電話を切った。それから二週間ぐらいして洋子から手紙が届き、スージーもそれに対して返事の手紙を書いて送った。
「手紙には旦那さんの事故に関する事とかディーラーの仕事の事とかとにかく色々書いてあったけど、杉田君の事に関しては電話の時も手紙の中でも全く触れてなかったわ。」
とスージーは言った。「今ナオミちゃんていう二歳の女の子がいて、日本から子供看てもらう為にお母さんに来てもらったと言う事で、三人で暮らしてるらしいわ。」
杉田は黙ってスージーの話を聞いていたが、一九八六年にシルバーフレイムを辞めてからこれと言った音楽活動を行わず消息不明となっていたので杉田は一体どこで何をしているんだろうとしばしば思っていた。音楽活動をやっていないという事は多分誰かと結婚し
たんじゃないかと推測もしていたが、アメリカ人と結婚したというのはちょっと意外だった。だがアメリカ人の夫が突然事故で亡くなってしまい、今は二歳の小さい子供を抱えて生活の為懸命にディーラーの仕事をしていると聞いて杉田は胸が痛くなった。「・・・杉田君洋子の住所と電話番号教えよか?」とスージーが訊くと杉田は「いやええわ。今さら連絡なんてでけへんし。」と言った。
スージーとの話が終わって東大阪へ帰る道中杉田は洋子との事を思い返し激しい自己嫌悪に陥った。あの時は完全に杉田に非があった。杉田は洋子を裏切る行為をした。ラブホテルから出て来たのはアルバイトしていたからだとか、女の子とは話をしただけだなどと白々しい嘘をついた事に関してはほんとに卑劣な事をしたと杉田は思った。
あの頃杉田は精神的に不安定な状態にあった──────「あの時はな、色んな事で悩んでたし、それに加えて八十年の十二月八日にジョン・レノンが殺されたという俺にとっては無茶苦茶ショッキングな出来事があって俺はほんとに精神的にまいってたんや。」と杉田は洋子に言った。「こんな事を言っても言い訳にしか聞こえへんやろうけど、あの頃俺はまず第一に倉田と洋子の間で気持ちが揺れていて正直自分でもどうしたらいいのかわからんかった・・・倉田が去って行ってから心にぽっかりと穴があいたようになってしまってほんとにどうしたらいいのかわからんかったんや。」杉田は少しの間沈黙した後続けてこう言った。「倉田に別れを告げた事がほんとに正しい事だったのか正直俺にはわからんようになってしまって、毎日のように自問自答を繰り返している時にラジオからジョン・レノンが殺されたっていうニュースが流れて来て俺はほんとに混乱状態になってしまって、そんな時にちょっと魔が差してしまったというか、俺に繰り返しアプローチして来てた女の子の誘いについ乗ってしまったんや・・。」
「・・・・確かに言い訳にしか聞こえないと言えば正にそうだけど、今の私は杉田を非難しようとは思わない。結局物事はなる様になるしかないし、成るべき形になったという事だけだと思うわ。」
「・・・今回ラスベガスに来たのはな、実際の所今俺はギャンブルで喰っていってる身の上なんでギャンブラーの聖地であるラスベガスにはとにかく一回は来なあかんとずっと思ってて、第一の理由としては仕事上の必要性という事やねんけど、ラスベガスに来てから昔の事をいろいろ思い出して今俺はほんとにあの時洋子に対してやった事がほんとに卑劣な事をやったとほんとに恥ずかしい思いで一杯で、元々は会わんつもりやったけどとにかく謝らなあかんと思って色々探して結局旅行社の山口ナオコさんに情報をもらって今日ここに来たわけや。」
「・・・ギャンブルを仕事にしてるって、それいつからしてるの?」
「稼げるようになったのは半年位前からやけど、それまでは勝ったり負けたりの繰り返しで、勝つ時は結構な金額勝ったけど、負ける時はかなり凄い金額負けるっていう様な感じで、当然の事ながらかなりの借金を作ってしまって、それで家族や親戚はもちろん、勤めてた会社の同僚や上司の信用も失ってしまい、会社は辞めざるを得ん様になったし、家も売らなあかん様になって離婚という事になって子供も嫁さんと一緒に実家に帰ってしまいよった・・・まあ自業自得と言えば全くその通りやけど、小さな子供と別れなあかんかった事が一番つらかったな・・・。」
「なんでまたそういう風になってしまったの?」
「・・・きっかけは会社の出張でマカオに言った時カジノにちょっと立ち寄って初めは小さな金額でちょっと遊ぶっていう位やったんやけど、だんだんと嵌って行って次第に金額が上がって行き、気がついた時はかなりの借金を抱えてるという風になって・・・・初めはカジノのギャンブルってそんなに好きじゃなかったんやけど、ある日自転車に乗ってた時車にちょっとぶつかって、ぶつかった事自体はそんなにも衝撃やなかったんやけど、はずみで自転車が転倒して、その時に左肩を強く打って骨折してしまい、一ヶ月位は左腕の上の方は動かす事が出来ないっていう感じで、それからも後遺症が残って結局二年位はドラムが叩けんようになってしまって、その頃は趣味でバンド組んでドラム叩いてたんやけど、この事故の為やめざるを得んようになってしまって、その為休みの時の楽しみというのが無くなってしまい、その空虚を埋めたのがギャンブルやったというわけなんや・・・・・まあこんな事言うても言い訳にしか聞こえないやろうけど、音楽しか楽しみがない様な人間やから突然出来た空虚の感情をどうにも出来ず、出張の多かった仕事やった事も悪い方に作用して、マカオや韓国に行く度にカジノでギャンブルするようになり、やがては休みの日も自分から海外のカジノに行くようになってしまったんや・・・」
洋子は杉田の話を聞きながら今自分が生きているラスベガスに於いてどれだけギャンブル依存に陥ってる人々が多いかという事を考えずにはいられなかった。初めはちょっとした遊びという感じで少ない金額で遊んでいた人々がある時を境に掛け金を大幅に上げ、結果的に無茶苦茶な大金を失って身を滅ぼすと言う様な事をディーラーという仕事をしている関係上頻繁に目にしてきた。カジノで信じられないレベルの、天文学的と言ってもいい位の大金を失って自殺をしたり、家族離散という事になったなんていう話はラスベガスに於いては掃いて捨てる程ある。血走った眼をして湯水の様に無茶苦茶な大金を使うギャンブラー達を毎日の様に目の前で見てきて、この仕事はほんとに因果な商売だと何度思った事だろう。狂った様にギャンブルをする人達を毎日の様に目にするディーラー達は自分では絶対にギャンブルはしないと言う人が多い。数々のギャンブルにまつわる悲劇的な話を見聞きする事が多いからこれは当然その様になるのだろう。いつだったかあるタクシー運転手と話をしてた時に日本にカジノはあるのかと訊かれ、無いと答えるとそのタクシー運転手は「そうか、無いのか。日本人は賢いんだな。」と言った。実際にはパチンコ屋とか競輪、競馬等といったギャンブルがあって、ギャンブル依存に陥る人達が幾らかは存在するが、どちらかと言うとごく少数といった感じなのではないかと洋子は思っていて、ラスベガスと比べたら全く比較にならないだろうと思った。とにかく日本でやれるギャンブルはカジノゲームと比較して勝てる確率というのが極めて低く、ほとんど負けてばかりという風になったら大抵の人はばからしくなってやめてしまうのではないか。まあ中にはやめられないで重い依存症になってしまう人もいるだろうが、やはりそれは少数派だろうと洋子は思った。カジノゲーム、例えばバカラなんかは勝てる確率という事から言えばほぼ二分の一、四捨五入すれば四十九%の確率で勝てる丁半博奕であるが、カジノ初心者は四十九%という高確率で勝てる博奕だと考えるが、長らくこの博奕をやっていると実は五十一%という高確率で負けてしまう博奕であるとやがて気づく事に
なる───。
「・・・稼げるようになったのは半年位前からって事だけど、何のゲームで稼いでるの?」
「メインでやってるのはポーカーで、時々気分転換でブラックジャックやバカラなんかをやる場合もあるって感じやな。」
「今私はディーラーの仕事をやっていて、その仕事をやっている者の視点から言えばギャンブルで喰っていけてるなんて事は奇跡に近いことなんじゃないかという気がするけど、これからもギャンブルで喰っていけるという自信はあるの?」
「自信があるのかと訊かれたら、そんなものは無いというしかないやろな。今ポーカーで何とか喰うていけてるのは、このゲームが確率以外の要素で色々戦略や経験則を生かせる博奕やからと思う。ポーカーや麻雀以外の普通のカジノゲームやったら短期的には勝てる事があるかもしれんが、長期的には必ず負ける様になってるから長くやればやる程ドツボに嵌る事になる事が多いやろな。ポーカーで今喰うていけてるというのもいつまで続くかというのはほんとにわからんし、ただ単に運が良かっただけなのかもしれへんし・・・いつか運が尽きて野垂れ死にする日が来るかもしれんわな・・まあ運が続く限りはやり続けようと思ってるけど、問題は運が尽きた時に果たして博奕をやめる事ができるかどうかという事やけど・・・こういう事を仕事にしてるやつらっていうのは一人の例外も無しに重度のギャンブル中毒にかかってる人間やから、やめなあかんとわかっていても破滅して野垂れ死ぬまでやめられへんと思う。」
「・・・・こんな風に再会するなんて夢にも思わなかった・・・私にとって杉田は尊敬するミュージシャンの一人でもあったから、あなたが今こんな風にギャンブルまみれの生活を送ってるって事が何と言うかある意味残念にも思うわね・・・もう音楽はやらないつもりなの?」
「それはわからん。趣味としてはまたやることがあるかもしれへんけど、何と言うか、今はあまり関心が無いと言うのが正直な所やな・・・とにかく今は出来る限り稼いで別れた子供の為に使いたいと思ってる。」
「それって別れた家族に仕送りをするっていう事?」
「仕送りと言うより借りてるお金を返すようなものかもしれん・・・俺が作った借金は家を売ってもまだ一千万円位足りない感じで、残りの金額は嫁さんと嫁さんの実家の両親が肩代わりしてくれたんやけど・・・・ほんとに凄い迷惑をかけてしまって申し訳ないと思ってる・・・まあこの半年で五百万円程送ったんやけど、稼いだお金は出来る限り送ろうと思ってる。」
「・・・そのお金を受け取って奥さんはどういう反応だったの?」
「五百万送るって言ったら凄く驚いてたわ・・・ギャンブルでそんなに稼いだなんて信じられないって・・。まあ無理もないと思う。普通の人の感覚やったらそう言うやろな。ギャンブルの怖い所は無茶苦茶な金額を賭けてやってたら一週間もせん内にその無茶苦茶な金額がどうって事がない普通の金額になってしまうっていう事やと思う・・・金銭感覚が麻痺してしまうっていうか、無茶苦茶な金額が無茶苦茶な金額だという事がわからなくなってしまうという恐ろしい事がいとも簡単に起こってしまう世界やから・・・まあとにかく俺はある程度稼いだらすぐ子供の所に送ろうと思ってる・・。手元に置いといたら三日後には無くなってるかもしれんし、実際あんまり手元に残さん方が調子よく勝てるって感じになってるから・・・普通は余裕の無い崖っぷちの博奕は勝てないって言われてるのに不思議な感じがするけど、俺の場合はこうやった方が命がけでやれるからいいんやろな。」
「・・・今回はいつまでベガスにいるつもりなの?」
「そうやな、少なくともあと一週間はおると思う・・・今の所まだツキのピークには達してないと感じるから、とにかくこれが潮時やなと感じる時まではおるつもりや。」
「・・・・話は変わるけど、シルバーフレイムのレコードは聴いてくれてたの?」
「もちろん聴いてた。俺もシルバーフレイムのファンの一人やから。アルバムは一応全部持ってるけど、正直な感想を言えば、好きなアルバムもあればあんまり好きじゃないアルバムもある。何と言うか、あまりに幅広い音楽をやっているから、このタイプの曲は好きやけど、あのタイプの曲はあまり好きやないというのがあって、ハードロックもあればソウルミュージックもあるっていう、そういうのが俺に言わせてみればありえへんという感じで、あまりにも突飛すぎると思う。ロックという枠の中に収まるんやったらまだわかるけど、ロックからソウルミュージックまで飛んで行ってしまうのはちょっと理解に苦しむわ。」
「そうね、シルバーフレイムってアルバム毎に音楽性を変えて行ってたから常に賛否両論があったわね。特に五枚目でソウルミュージックのアルバムを出した時なんかはほんとに拒絶反応を示したファンが多かった様で、ブーイングの手紙がいっぱいレコード会社に届いたわ。ライブの動員数にも影響があって、お客さんがかなり減ったので六枚目のアルバムは正統派のハードロックの路線に戻したんだけどお客さんは帰って来なかったわね・・・。それでもって、色々忙しくやってた時に父が突然亡くなってしまって、その時は色んな事でほんとに疲れてた事もあって混乱状態になってしまってもうこれ以上は続けて行けないと思ってバンドを辞めたの。それで暫く何もしないでぼーっと暮らしてたんだけど、ふと思いついてアメリカに留学する事に決めて、留学してから二年ぐらい経ってトニーに出会って付き合うようになり、お互いに運命の相手に出会ったと感じて結婚して今に至るんだけどトニーが突然事故で死んでしまってほんとに目の前が真っ暗になったわ。」
「色々あったんやな・・・ほんとに大変やったな・・」
「・・・子供がいたから何とかやっていけたんだと思う。この子の為に生きなきゃいけないという思いが何とか私をここまで引っ張ってくれたんだと思うわ。」
「その気持ちはわかる気がするな。俺かて小さい子供がおるから。」
「・・・トニーは何と言うか、私の夫であり、それと同時に私の父や兄でもある様な感じの人だった。ほんとにほんとに暖かい愛で私を包んでくれた・・。彼のおかげでほんとに幸せな時を過ごせたと思う。彼がいなくなってほんとに悲しいし寂しいけれど、子供の事を考えたら泣き続けるわけにはいかなかったから無理に自分を奮い立たせてきたわ。私の可愛い天使の為にも頑張って生き続けなきゃいけないと思ってる。」そう言うと洋子は暫く沈黙していたがやがて大粒の涙を流しながら嗚咽し始めた。「・・・・・ごめん、何だか堪らなくなって・・・」下を向いて嗚咽する洋子を見ながら杉田は言った。「いいんや。思い切り泣いたらいい。」──── 暫くしてからこう続けて言った。「・・・・今までかなり無理してきたんやな・・・」嗚咽する洋子を見て杉田は凄く胸が痛んだ。洋子の嗚咽が収まるの待ってから杉田は言った。「・・・何か俺に出来ることはないか?」
「・・・どういう意味?」
「いやつまり生活は大丈夫かっていう事や。」
「大丈夫よ。お陰様でお金には困っていないわ。」
「そうか、もし何かあったらいつでも言ってくれ。俺に出来る事やったら何でもするから。」
「杉田がそんな事を言う必要はないわ。自分の家の事は自分でするから。」杉田がその様な事を言うのが意外だったので洋子は思わず言った。「・・でもありがとう、心配してくれて。」
「・・・俺は洋子に対して凄く卑劣な事をしたから、何かで埋め合わせしないといけないと思ってる。だからおれに出来る事はないかと訊いたんやけど、昔の俺は何と言うかほんとに与える愛というものを知らない男やった・・・今思うに子供が出来て初めて与える愛を知ったと思う。何の見返りも求めない、ただただ与えるだけの愛ってやつを・・・・俺って男は元々子供なんて欲しいと思った事もないし、妹の子供が家に来た時も全く相手にせんと一言も喋らんかった様なそんな男やったんやけど、自分の子供が出来て慣れないながらも毎日子供の守りをして毎日寝顔を見ている内にどうしようもなく子供が可愛くて愛おしいと思う様になった・・・・子供が出来て初めて俺は人を愛するという事がどういう事なのかを知ったんやと思う。子供を愛するというのはほんとに何の見返りも求めない愛で、ただただ愛おしいと思うそんな感情で、子供と一緒におって毎日そういう気持ちに満たされるというのはほんとに幸せな事やと思う。」
「杉田の言う事はよくわかるわ。私も全く同じ気持ちだから。子供の事はほんとに愛おしいし、生まれて来てくれてありがとうって何度も思ったわ。」
「とにかく今ここで俺が昔洋子に対してやった事を謝りたいと思う。俺はほんとに卑劣な事をした・・・今謝ってもどうにもならんやろうけど、とにかく謝りたい。ほんとに全て俺が悪かった。」
「もういいのよ。全て終わった事だから。昔トニーと色々話しをした時に杉田の話をしたら、トニーは全てを許して杉田の幸せを願うべきだと言ったの。決して憎んではいけないと。全てを受け入れて全てを許すべきだと。ほんとの愛というのはそういうものだと彼は言ったわ。そんな彼を私は愛する様になった・・・何と言うか、今考えると私は彼の中に父の影を見たんだと思う。安らぎを与えてくれる暖かい陽の光を彼の中に感じたわ。」
「・・・ほんとにいい人に出会ったんやな・・・亡くなるなんてほんとに悲しい事やと思う。こんな言い方しかでけへんけど、ほんとにそう言うしかない。」
「まあとにかく今は頑張って生きていくしかないわ。大丈夫よ。何とかやって行くから。」 杉田との話が終わって家に戻った洋子は杉田と過ごした短大時代の日々を久しぶりに回想した。洋子にとって初めての恋であり、初めての男性であった杉田との思い出を回想している内洋子は強烈に思いを寄せていたあの頃の感情を思い出し、ノスタルジーに浸った。熱烈に恋したのは間違いない事実であるが、結局の所杉田は自分にとって運命の人ではなかったのだと洋子は思った。あの時杉田と別れたのは運命の必然だと思っている。だから杉田を恨む様な気持ちは全く無かった。全ては必然だったと思っている。杉田と別れたからこそシルバーフレイムに加入する事になったし、トニーに出会う事につながったのだ─────だから今は静かに杉田が平安で幸せな人生を過ごす事が出来る事を祈りたいと思った。だがそんな気持ちとは裏腹に杉田はギャンブラーというまともに死ぬ事が出来ないのではないかと危惧する様な仕事に就いている。杉田らしいと言えば正にそうだが、ほんとに因果な仕事をやっている。そして自分はカジノのディーラーという、これまた因果な仕事をやっている。ギャンブルで破滅する人々がいるからこそ自分はこの仕事で収入を得る事が出来る─────洋子はしばしばこういう風に考え、自分がやっているこの仕事はほんとに因果な仕事だと思う。その他にも考えてみると非常に不思議だとも言える事がある─────縁が切れたと思っていた杉田とこんな風にアメリカという異国で、ディーラーとギャンブラーという形で再会するなんて───人生て何て不思議で気まぐれなんだろうと思う─────今日こんな風に再会した事がこれから先私の人生に影響を与えるのだろうか?────もしかして私の運命を変える事になる?─────多分そんな事にはならないだろうけど人生って時にほんと不思議で気まぐれな事が起こるもんなんだなと洋子は思った。
───────「・・・・という訳でもう会う事は無いだろうと思っていたあの人に会って私は今とても戸惑っているの・・・何と言うかつまり忘れていた感情を思い出したと言うか、過去に置いて来たはずの感情を思い出したから・・・これが単なるノスタルジーなのかそれともそれ以上の感情なのか私にはわからないけど・・。」
「・・何となくわかる様な気がします・・・どう言ったらいいかわかりませんけど、とにかく人生というのは色々あって、時に不思議で気まぐれな事が起きるって事ですね。」
ナオコは洋子と杉田の間にあった話を聞いて非常に興味深い話だと思った。自分が長年憧れ、大ファンだったロック・クイーンの島崎洋子に会えただけでも奇跡に近い事なのに、ナオコはその憧れの人と今親しくなって、その人の極めて個人的な打ち明け話を聞いている────── それだけでも非常に驚くべき事なのにもう一つ驚くべき事があった────────「・・・・あのうそれと、倉田ミエコさんってあの「忍者カスミの物語」の倉田ミエコさんですか?」
「そうよ、今や日本でトップテンに入るマンガ家と言ってもいいあの倉田ミエコよ。」
「・・・・信じられない・・・私倉田さんがデビューした時からの熱狂的なファンで、洋子さんだけでもほんと奇跡なのに倉田さんの事まで出て来るなんてほんと信じられない・・・。」とナオコは感嘆して言った。無理もない────── 彼女は一九七九年十月にデビューして以来じわじわと少女達の間で人気が高まり、デビューしてから五年後の一九八四年には「忍者カスミの物語」がスーパーヒットし、少女達だけでなく少年達から青年、若い女性や中年男女に至るまで幅広い層に受け、テレビアニメも放映され、劇場映画も作られて大ヒットを記録、今やアニメファンの間では神の様な存在になっている”生きる伝説”の漫画家として名を馳せているのだから─────── 初めの五年は少女漫画を描いていたのだが、一九八四年の一月にとある著名な少年漫画誌で女忍者カスミの波乱とロマンに満ちた一生を描いた「忍者カスミの物語」の連載が始まると少しずつ熱狂の輪が広がり、八十四年の年末になる頃には押しも押されぬ神レベルのスーパーヒットとなっていた────── 彼女の凄い所はギャグ漫画とストーリー漫画の両方が描ける所で、しかも少女漫画と少年漫画の両方をこなしている。どの分野に於いても個性的で一流のレベルの漫画を描き続けている、ほんとに神レベルの漫画家なのだ。───────「・・・・それで、倉田さんが東京に行ってからはお会いになった事はあるんですか?」
「いや無いわ、一度も。」と洋子は答えた。「・・・杉田が会ったかどうかはわからないけど、何も言ってなかったから多分会ってないんだと思う──── まあとにかくミエコがあんなにも成功を収める事が出来てほんとに嬉しく思ってるし、これからも頑張って欲しいわね・・。」
────────── ヨーコ・ハミルトンとの話を終えて家に帰った時、時刻は晩の九時を少し超えていた──────── 洋子と色々お互いの事を話した後、洋子の母やナオミちゃんと一緒によもやま話をしながら楽しく食事をしてナオコは帰宅したのだった。帰宅後すぐにシャワーを浴びてリビングでゆったりとテレビを見ていたナオコはふと思い出して自分と田村伸介が文通してた時の手紙をこの前の続きから読もうと本棚から取り出し、テレビを消して読み始めた。
田村伸介様
FROM:山口ナオコ DATE: 一九七八年二月五日
お元気ですか。二月に入って本格的に寒くなって来ました。こちらの方では雪が降ったり最低気温が零下を下回る事が多くてとにかく寒いです。田村さんの所はどうでしょう?お互い風邪をひかない様気を付けないといけませんね。
───という事で田村さんのお勧めに従って友達に「アビーロード」を貸してもらい、テープに録音してここ数日毎日聴いています。聴いた感想を言うと、ほんとに凄いです!A面はロックの名曲とポップスの名曲が入り混じって凄くいいですし、B面は何と言っても一曲目の”Here Comes The Sun ”がいい曲でほんと気に入ってます!二曲目の”Because ”に関しては、こんな曲が創れるなんてほんと驚いたし、三人のボーカルハーモニーとクラシカルな抒情性が胸を締め付けて、とにかく凄いとしか言いようがありません。三曲目から終わりにかけては色んな曲がメドレー形式で演奏されていますが、”Golden Slumbers”から" Carry That Weight " にかけての流れは凄く感動的で胸が熱くなりました。
レコードを貸してくれた友人は小学校五年の時からビートルズを聴いている熱狂的なビートルズファンなんですが、彼女の話によるとこの「アビーロード」は聴けば聴くほど新しい発見があるとの事です。正直私は" I Want You " の様なヘビーな曲はあまりピンと来ないんですが、彼女が言うにはこういう曲は長いこと聴いている内にじわじわとその良さがわかって来るとの事で、まあその内わかるわと言ってました。
ビートルズの曲に関してはベスト盤に入ってる曲はとにかく全て素晴らしい曲で、ほぼ毎日聴いていますし、最近は特に”Michelle " と”Girl ”が気に入ってます。何と言うかこの二曲はほんと胸を締め付ける様な美しいメロディーを持っていますね。
話は変わって田村さんの「風と鳥と湖と」という詩、ほんとに胸に来るものがありました。私のこの胸の、心の中の琴線に触れました。───読んだ後で余韻が残る、ほんとに素晴らしい抒情詩だと思います。今まで色んな詩を読んで来ましたが、田村さんの詩には田村さん独特の世界があって、非常に抒情的で繊細で、希望とかそういった光に満ちた何かがある様に感じます。素晴らしくてステキでとてもいい────正直な感想です。ほんとに素晴らしいと思います──。
話はまた変わって、一週間前の日曜日に近所の古本屋で永島慎二の「漫画家残酷物語(第三巻)」という本を見つけ、手に取って立ち読みしてみて面白そうだったので購入して家でじっくり読んでみました。この単行本には全部で六つの話が収められているのですが、漫画家の人達の様々な青春群像といったものが描かれていて、漫画家の世界を舞台にした淡くて哀しい、哀愁のこもった青春の物語、といった感じです。この漫画は何と言うか、漫画と言うより、漫画という表現形式を使った小説なんじゃないかと思います。時は一九六二年から六十四年を舞台としていて、淡い青春の哀しみといったものが全編に散りばめられた一大青春叙事詩かつ一大青春抒情詩、といった感じです。特に第一話の「三度目のさよなら」っという話が凄く小説的な物語で印象に残りました。購入した時その古本屋には三巻しか無かったのですが、凄く感銘を受けたので機会を見つけて他の巻も探して購入しようと思っています。田村さんにもぜひ機会があったら読んで頂きたいと思う、何と言うか私のお勧めの本です。
私は今、週四回ラジオの講座でフランス語を勉強しています。前に書いた様に私は語学を勉強すると言うか、練習するのが好きなので全く苦にはならないのですが、フランス語の文法の複雑さにはちょっと驚きます。英語と比べて少なくとも五倍は複雑で難しいんじゃないかなと思います。名詞には男性名詞と女性名詞の区別があってそれぞれに付く冠詞も形が違ってくるし、動詞に至っては人称変化と言うのがあって、英語だと基本的に三人称単数にsが付くだけですが、フランス語では各人称で形が変化してかなり複雑で、しかもフランス語には英語には無い接続法って言う動詞の活用体系があって、もういい加減にしてって言いたくなりますね。多分フランス語を勉強する人はほとんどがそういう思いになるんじゃないかと思いますが、これはもうとにかく何回も練習して覚えていくしかないです。気長に焦らずにとにかく続けていく事、それに尽きますね。
文法の他に発音の難しさ、というものもあります。フランス語の発音って英語には無い発音の難しさがあって、フランス人の様な発音ってなかなか出来ません。これもとにかく練習するしかないと思います。とにかく気長に練習するしかないですね。
という事で、今日はここまでとさせて頂きます。お体に気を付けてバンドの方もがんばって下さい。それではGOOD LUCK AND GOOD - BY !!
山口ナオコ様
前略。暖かくなってきましたね。返事遅くなってすいません。言い訳になりますが、とにかく色々忙しくて手紙を書くのが遅れました。どうかお許し下さいます様お願い申しあげます。
でもってあれからバンドの練習を結局三回ほどやりました。通算五回って事になるんですが、かなり合う様になって来ました。でもボーカルに関してはかなりレベルが低くて苦戦してます。バンドはギターが三人とベースとドラムという五人編成で、ギターの三人が曲によってリードボーカルを分け合っていて、リードボーカルを担当する者はギターを弾かずにボーカルに専念するという形でやってるんですが、かなり苦戦しています。
この間ドラムの兄貴のバンドのリハーサルをメンバー全員で見学に行ったんですが、さすがに色んなライブハウスに出ているセミプロのバンドだけあって凄い演奏でした。楽器の演奏テクニックもボーカルも全て一流の完璧な演奏を聞かせてくれてほんと凄かったです。それでもってリハーサルの最後の方でリードボーカルの方が親切にも僕ら全員に発声の基本を教えてくれて、腹式呼吸のコツとかその他発声の基本的な事を丁寧にコーチしてくれたんですが、ギターの三人は自分らが如何にいい加減に発声していたかわかったと言ってました。ほんとにボーカルの方には感謝感激雨あられっていう感じですが、おかげで進歩の為の足がかりが得られたと思います。僕もこれがきっかけになって歌に興味を持つようになり、最近はテープに合わせて色んな歌を練習してるんですが、ビートルズの曲が特に歌っていて楽しいですね。まあドラムをやりながらリードボーカルというのはなかなか難しいし、体力的にもハードなので、バンドの中でボーカルを取る事はあまり無いでしょうが、歌の練習は楽しいのでこれからも続けて行きたいと思っています。
話は変わって、ラジオ講座でフランス語を勉強されているとの事ですが、実は僕もラジオやテレビ講座で中国語を勉強しています。山口さんと同じく中学二年の春から始めました。元々中一の時からラジオの英語講座を聴いていて僕も語学の勉強というか、練習するのが好きなので前から興味を持っていた中国語の勉強を始めました。今年で四年目になるんですが、中国語に関しての感想を言うと、中国語はとにかく発音が難しいですね。中国語は声調言語で、つまり音の高い低いというのを正確に区別して発音しないと通じない言語です。例えば同じマーという発音の言葉でも音の高さによって意味が違ってきて、ある高さだとお母さん、それとは違ったある高さだと馬、またある高さだと罵るという意味になるという様な感じの非常に厄介な言葉で、初めの一年間はほんとに苦労しました。まあ言ってみれば、一つの文章を覚えるという事は一つの歌を正確な音程で覚えるというのと同じ、といった感じでしょうか。だからとにかく何回も何回も繰り返して発音練習というか、音程を覚える練習をするのが重要になって来ます。言わば歌を覚える様に音程に注意して言葉を覚えなきゃいけないという事です。
発音はかなり習得に時間がかかりますが、文法に関してはかなり単純な気がします。ある意味英語よりも単純で、例えば英語や日本語と違って形の上での”過去形”というのがありません。過去の事を表す時は昨日とか去年とかいう言葉を一緒にくっ付けて区別するか、前後関係や文脈でわかる時はそういう言葉無しでもOKです。つまり私は知らないと言う時と私は知らなかったと言う時が同じ「我不知道(ウォ・プ・チータオ)」になるという訳です。完了を表す時は動詞の後ろに”了”という言葉を付けて”~した、~という事になった”と言う意味で使ったり、完了形の形で”~した”という意味で使う、つまり過去形の様な感じで使う事もあるんですが、とにかく明確な形としての”過去形”というものがありません。中国語の文法は単純だからこそ何か漠然としていてよくわからない、あやふやな感じがして難しいとも言えますね。でもまあフランス語やドイツ語なんかと違って動詞の変化を覚えなくていいというのは楽と言えば楽かもしれません。だけど語彙の豊富さ、という点ではもの凄く豊富で、何しろ漢字の本場の国の言葉なので覚えなきゃいけない言葉が沢山ある事は間違いなく、語彙は無限にある、と言った感じだとも言えます。まあとにかく外国語というのはどれを取っても難しい、ということですね。
また話は変わって、永島慎二の「漫画家残酷物語」に関してですが、実は僕も一年位前に近所の古本屋で一巻から三巻まで見つけて全て購入済みで、隅々まで何回も丹念に読みました。で、その感想を言いますと、これは日本の漫画の中ではかなり異色の漫画ですが、凄い傑作であり名作だと思います。全編に漂う哀愁と抒情、時にはペーソスといったフィーリングが胸に迫る名作です。僕も、これは山口さんが言われる様に漫画という表現形式を使った小説だと思います。特に第一巻の第一話である「嘔吐」というエピソードが胸を締め付けました。”売れる”漫画ではなく、本当の意味での芸術的な漫画を追及する事を選んだ主人公に待っていた運命というのがほんとに残酷な運命で、この漫画の結末はあまりにも悲しすぎて胸を締め付けます。ただ、もしかしたら自分が選んだ道が決して間違ってはいなかったのだと知って最後に主人公は満足して逝ったのかもしれません・・・・・これ以上は言わないでおきます。出来るだけ早い時期に山口さんが一巻と二巻を手に入れられてじっくり読んでくださる事を切に希望します────。
最後にいつもの様に僕が書いた詩を下に記します───
さまよう船
目を閉じて
想像して欲しい
今、出航する時だから
さまよう船に乗って
神秘の川を渡り
幻想の海に出よう
目的地の無い旅に
今僕達は出る
答えの無い問いに
今僕達は答えを出す
夢の中の人が言う
あなたは充分にやったわ
もう苦しまなくていいのよ
さあ一緒に旅立ちましょう
ここでは時は永遠に続く
何も恐れる必要は無いし
ただ風の吹くままに
光の方向に進めばいい
これが私たちの出した答えなら
信じるままに行くだけ
見知らぬ町の
見知らぬ風景を僕たちは夢見る
幼子の歌が
心に平安をもたらす時
預言者の言葉は意味を持つ
さあ今旅立とう
さまよう船に乗り
光の方向に向かって
真夜中の太陽を探しに行こう
世界は元々永遠の平安と安らぎの世界だった
それに気づいたなら
新たな世界を創る為に旅出とう
僕達のさまよう船は
今日もまた幻想の海の上を漂う
明日は一体どういう世界が広がっていて
どんな神秘に出会うのか僕にはわからないが
きっとより良い世界が広がっているのだろう
だから今旅立とう
新しい神秘を求めて
より良い明日を探しに行こう
一九七八年四月二日
田村伸介
田村伸介様
FROM:山口ナオコ DATE: 一九七八年四月十五日
待ち望んでいた春がようやくやって来ました。四月になって新しい学年が始まり、私も中学三年になったんですが、中三になると受験とかもあって幾らか大変と言えば大変です。
でもまあがんばってやって行こうと思っています。
でもって、最近私はアルセーヌ・ルパンに凝っていて、学校の図書室にある「怪盗ルパン全集」を夢中になって読んでいます。田村さんはアルセーヌ・ルパンを読んだ事がおありですか?ルパン三世じゃなくて、元祖であるアルセーヌ・ルパン(一世)の方です。元々テレビのルパン三世が好きだったので、もしかして面白いかなと思って読んでみたんですが、これがほんと面白くてやめられなくなりました。学校の図書館にあるのは南洋一郎という人が小学生や中学生向きに読みやすく書き直した(らしい)ルパンシリーズなんですが、ほんと面白くて読む手が止まらない感じです。今まで読破したのは、「怪盗紳士」、「怪盗対名探偵」、「奇巖城」、「魔女とルパン」の四冊で、今は「8・1・3の謎」を夢中になって興奮しながら(笑い)読んでます。このアルセーヌ・ルパンというのは冒険小説と推理小説の両方の要素がある、ほんとに何が起こるかわからない要素満載の波瀾万丈の物語で、読んでいてほんとに痛快です。で、私の友達で推理小説をたくさん読んでいる友達がいるんですが、彼女の話によると世界的にはルパンよりもシャーロック・ホームズの方がよく知られているそうで、日本においてはアニメのルパン三世やこのルパン全集があるおかげでアルセーヌ・ルパンというのは結構人気があってよく知られていますが、世界的な観点で言えば、フランスや日本を除いては圧倒的にシャーロック・ホームズの方が知名度が高いとの事です。私は実を言うとついこの間までホームズを読んだ事がなくて、ルパンシリーズにホームズがよく出て来るので最近になって読み始めたんですが、コナン・ドイルの小説に出て来るホームズとルパンシリーズに出て来るホームズとでは、えって思うぐらいキャラクターが違う気がします。特に「奇巖城」に出て来るホームズって凄く冷酷な刑事さんっていう様な感じのキャラクターで、まるで悪役なんじゃないかという様な感じさえするぐらいで、「奇巖城」を読んだ後でホームズの短編集を読んだ時はあまりにキャラクターが違いすぎるのでもの凄い違和感というか、変な感じがしました。ルパンシリーズに出て来るホームズってなんかいいとこがあまり無く、ルパンの方が3枚ぐらい上だって感じに描かれているので、ホームズの熱狂的ファンの方が読んだら抗議したくなるかもしれませんね──。
話は変わって、来月の五月十日(水)から十二日(金)にかけて修学旅行で京都に行く事になっていて、久しぶりに関西に行くので楽しみにしています。前に行ったのは大阪で万博があった一九七〇年で、夏休みの時、確か八月の終わり頃だったと思いますが、家族三人で行きました。当時小学一年でしたが、とにかく人がいっぱいで、暑い中長い時間行列に並んだなあって事は覚えています。小さかったので正直あまり面白いとかそんな印象は残ってませんが、父と母はなかなか興味深かったと言ってます。長い時間並んでアメリカ館やソ連館に入って結構興味深いものを見たと言ってますが、私はとにかく疲れてしんどかったなあという記憶しかありません。まあとにかく万博なんてものは大人になってから見た方が面白いんだろうなとは思います。私が一生を終えるまでにまた日本で万博が行われる事があるかどうかはわかりませんが、もしあったら今度はじっくりと見物したいものだなと思います。まああるかどうかはわかりませんが・・。
─────── 田村さんの「さまよう船」という詩、ぱっと読んだだけでは分かったようで分からないという感じの詩ですが、心を無にして瞑想し、この世の中の事や人間がこの世に生まれて来て波瀾万丈な人生を過ごし、、やがていつかはこの世を去ってあの世に旅立つという事を心の眼で見つめればこの詩が語る抒情的かつ叙事的な意味が見えて来る様な気がします。とてもスピリチュアルで深い意味が込められている、神秘的なフィーリングに満ちた詩で深い感銘を受けました。いつか何かのきっかけで全ての意味がわかる時が来る、そういった感じの詩ですね───。
またまた話は変わって、「漫画家残酷物語」の話ですが、田村さんは既に全て持ってらしたんですね。一巻と二巻、私も凄く読みたいと思ってるので色々探してみて出来るだけ早く手に入れるつもりです。近くの本屋を三軒ほど見て回ったんですが、置いてなかったので近いうちにとなりの町まで遠征して探してみようと思ってます──。
という事で、今日はこれぐらいにしておきます。バンドの方がんばって下さい。それではまた。GOOD-BY AND GOOD LUCK !!
山口ナオコ様
前略。今回はまずアルセーヌ・ルパンとシャーロック・ホームズについて書こうと思います。僕が初めてシャーロック・ホームズを知ったのは中一の時で、推理小説が好きな友達に勧められて「シャーロック・ホームズの冒険」という短編集を読んでみたんですが、これが非常に面白かったので他の短編集も色々読むようになり、たちまちの内に熱狂的なホームズファンになりました。とにかく訳のわからない事件を次々とその超人的な推理力で解決していくのが面白くてもの凄くはまりました。中二の終わり頃には短編に関しては全て読みつくした、というぐらい読みました。それでもって、長編の方も「緋色の研究」と「四つの署名」、「恐怖の谷」と読破していったんですが、どちらかと言えば短編集の方が僕は好きですね。ホームズの推理能力の凄さも確かにこの物語を魅力的にしている大きな要素だとは思いますが、僕はこの物語を人間という不可解で不思議な存在を推理によって解明していった一連の物語だという風に捉えています。つまり推理小説というより人間解明小説、といった感じでしょうか。本当に人間の内面というのはなかなか解明が難しい、謎が多い部分だと言えると思います──。
ほんでもってアルセーヌ・ルパンの方ですが、僕は中三になって初めてルパンシリーズを読み始めたんですが、確かに山口さんが手紙で書いておられる様に、物語自体は凄く面白いと思います。「奇巖城」や「8・1・3の謎」を読んだ時は僕も非常に興奮しながら読んだものですが、ルパンの物語におけるホームズの扱いに関しては非常に違和感を覚えます。特に「奇巖城」におけるホームズのキャラクターに関してはあんまりなんじゃないかと思うぐらいで、物語の最後の方でルパンを撃ち殺そうとホームズはピストルを放つんですが、それがルパンをかばおうとしたルパンの恋人の胸に当たり、その恋人は絶命してしまうという展開になって、これを読んで僕はそれはないだろう、あんまりだと思いました!───事あるごとに思い出すぐらいで、今でも強く思ってます。熱狂的なホームズファンだったら誰でもそう思うでしょう。まあトラウマとまで言ってしまったらさすがに言い過ぎでしょうが、この展開はちょっとあんまり過ぎると思います───。
それはともかく、アルセーヌ・ルパンの物語自体は波瀾万丈でスリルに満ちた冒険小説であり、良く出来た推理小説でもあるので僕も好きなのですが、ホームズの扱いに関してだけは違和感を覚えます──。
ルパンの物語にはシャーロック・ホームズが出て来るのがまあまあありますが、コナン・ドイルのホームズストーリーにルパンが出て来たことは一度もありません。これはひとえにドイルがルパンを無視したからにほかありません(と僕は個人的に思います)。と言うか、何とも思っていなかったのかな?、とも思います。ルパンの初期の物語にホームズが”出演”した事に関し、ドイルが作者のモーリス・ルブランにホームズを出さないでくれ、とクレームを出したのでルブランが仕方なくホームズの名前をエルロック・ショルメス(Herlock Sholmes)と名前を変え、友人のワトソン博士をウィルソン(Wilson)と変えたのは有名な話ですが、ルパンシリーズにおいてワトソンはホームズの友人と言うより、ホームズの助手という設定になっていて、しかも助手と言うよりも”部下(と言うより下僕?)”と言った方が適切な感じで描かれていますので、これに対しても僕は違和感を覚えました──。
とは言え、僕はドイルの小説にルパンが出て来ない事に関してはほんと残念な事だと思いますね。出したらきっと凄く面白い話になったんじゃないかと思うので──。もし僕がドイルだったら絶対出すんですけどね───。
話は変わって、四月になって僕も高三になり、山口さんと同じ様に受験の事を真剣に考えなければならないのですが、国公立は完全にあきらめているのでとにかくどこかの私大に入れればいいと思ってます。まあアルバイトはずっとやっていかなきゃならないでしょうが、とにかくバンド活動を続けていきたい、今考えているのはそれだけです。僕は英語とか中国語なんかの語学が好きなので、英語専攻という事でいくつか受けてみようと思ってますが、出来るだけ家から通える所に決めたいなと思います──。
最近よく聴いているのがレインボーの「虹を翔ける覇者」とバッド・カンパニーのファーストアルバムで、この二枚はほんとに素晴らしい音楽が満載で毎日飽きずに繰り返して聴いています。ちょっと解説すると、レインボーというのはディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモアがディープ・パープル脱退後自分をリーダーとして結成したバンドで、「虹を翔ける覇者」はセカンド・アルバムなんですが、これがほんとに凄いんです!とにかく最初から最後までキラーチューン満載で、ハードロックが好きな人なら絶対に聴かねばならない必殺のバイブル的なアルバムです!あまりに凄すぎて手が震え、汗がどばどばばーっと飛び散る、どう形容したらいいのかわかりませんが、とにかく凄いアルバムです!このアルバムを点数で評価するとしたら百点満点で百五十点!という感じで、ほんとにもう神のレベルの傑作です!ハードロックを聴いてきてよかった、なぜならこんなにも凄いアルバムに巡り会えたのだから、と言いたくなる様な世紀の名盤で、全てのロックファンにお勧めしたいアルバムです───!
バッドカンパニーのファーストアルバムに関して言うと、これはとにかくポール・ロジャースの歌が素晴らしい!こんなにも胸にぐっと来る歌を歌える人というのはそんなにいないと思います。アルバム全体に渡ってポール・ロジャースの素晴らしい歌唱が堪能できますが、特に二曲目の”Rock Steady " から五曲目の”Bad Company ”までが圧巻で、ほんとにほんとに”魂の歌唱”の真髄を聞く事ができます。曲としてはロックの曲もあればバラード調の曲もあり、バラエティーに富んだ内容となっていますが、このアルバムも全てのロックファンにお勧めできる世紀の名盤です!機会があればぜひともお聴き下さる事をお勧めします────。
という事で、今日はこれぐらいにしておきます。最後に僕が去年の六月に書いた詩を下に記します──
雨の向こうに
雨
全てを流す雨が降る
雨
時間だけが過ぎて行く
雨
あなたが私を置き去りにしたあの日から
ずっと雨が降っている
雨の向こうにあるのは
希望
それとも絶望
雨の向こうにある虹の橋に向かって
私は歩き続ける
陽の光が差す方向に向かって
私は希望を探し続ける
いつになったら
この雨の世界から抜け出す事が出来るのだろう
私は待っている
陽の光の下
虹の橋が昇って行くのを
私は待っている
あなたがこんな私を
この世界から解放してくれる事を
一九七八年四月二十三日
田村伸介
(つづく)
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年五月十四日
お元気ですか。これを書いてる今は五月十四日の日曜日の午後一時八分、お昼を食べ終わって自分の部屋に戻って手紙を書いています。カセットで音楽を鳴らしながら書いてるんですが、今何の音楽を聴いているか当てられるでしょうか?十秒ほど時間を差し上げますのでお答えください──────ファイナルアンサー?────── 正解はイタリアのイ・プー(I Pooh)というグループの「パルシファル(Parsifal )」というアルバムを録音したテープなのです。多分当てられなかったのではないかと推測致しますが、実は近所に住む幼なじみのお兄さんが春休みの間にイタリア旅行に行って、ローマのレコード店で人気のあるグループを教えてくれと言ったら、そりゃあ何と言ってもイ・プーだよって答えが返って来て、お勧めのアルバムは?と訊くと、「パルシファル」だよと言ったのでこの「パルシファル」というLPを購入したんだそうです。でもって、日本に帰って来てからじっくり聴いてみると凄く良かったのでナオちゃんにも聴かせてあげるよって言ってLPを貸してくれたんでテープに録音してじっくり聴いてみるとこれがほんとに素晴らしいんです!───抒情的で哀愁のあるしっとりとしたサウンドと言ったらいいのか、ロックとフォークミュージックの両方の要素があるサウンドですが、そのイタリア語で歌われている楽曲というのがこれまた凄く良くて、正に心に染み入る音、といった感じです。イ・プーの音楽をどう形容したらいいのか、言葉ではなかなか形容が難しいんですが、とにかく抒情と哀愁満載の音楽で、ビートルズのサウンドとはまたちょっと違うし、日本のフォークの様な音でもない、何と言うか独特のサウンドでじわじわと心に染み入る音楽です。これはほんと実際に聴いて頂かないとわからないと思いますが、とにかく素晴らしくて今私が最も気に入ってる音楽です。イ・プーのアルバムが日本でも売られているのかどうかはわかりませんが、もし機会があったらぜひとも聴くことをお勧めしたい世紀の名盤です──!
話は変わって、前の手紙でも書いた様に五月十日(水)から十二日(金)にかけて修学旅行で京都に行って来ました。その感想を言いますと、ほんとすごかった!───運がいいと言うか、三日とも五月晴れで風もないムシ暑い日が続き、楽しかったけど大いにバテちゃいました。クラスの人で何人か倒れた人もいましたが、私はタフな方なのでまあまあ平気でした。色々な寺や観光地を回りましたが、一番良かったのは二条城ですね。二条城と言えば大政奉還の舞台として有名ですが、とにかく広くて壮大で、美しい庭園に加えて印象的な屏風画がたくさんあり、ほんとに見ごたえがありました──。
バスや新幹線に乗って外の風景を見たり、友達と色々ぺちゃくちゃしゃべったりするのは楽しいんですが、暑い中あちこち歩き回っていたので最終日の晩茅ケ崎に帰って来た時にはもうくったくたで家に着くなりバタンキューっとなりました。まあとにかくいい思い出にはなったと思います──。
またまた話は変わって、田村さんの「雨の向こうに」という詩、私の解釈では女の人の立場に立って報われない愛に関しての心象的風景を描いたものなんじゃないかと思っているんですが、田村さんはどういう意図でこの詩を創られたのでしょう?────まあ詩というものは読む人の数だけ様々な解釈の仕方があるんだろうとは思いますが、田村さんの詩はいつも私に新しい視点、新しい世界観を与えてくれてとても興味深くかつ魅力的です。他のどの詩人の詩を読んでも田村さんの様な詩というものはなく、ほんとに田村さん独自のカラーがあり、オリジナリティーがあると思います。いつか田村さんが自分の詩集を出される事をほんとに切望します──。
という事で今日はこれぐらいにしておこうと思います。お体に気を付けて元気にお過ごし下さい。GOOD-BY AND GOOD LUCK !
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年七月十六日
お元気ですか。雨の季節が終わって暑い日々が続いていますが、お体の方は大丈夫でしょうか?本来なら田村さんの返事が来てから手紙を書くべきなんですが、ちょっと書きたくなったんで先に書かせて頂きました。別に返事を催促してるわけではありませんので、どうか気になさらない様にお願い致します。色々お忙しいのは重々承知しておりますのでどうか気になさらずさらっと流して下さいね。
昨日の十五日の土曜日とその前の土曜日(七月八日)、二週連続で母と一緒に映画を見に行って来ました。昨日見たのは赤木圭一郎主演の「霧笛が俺を呼んでいる」と「紅の拳銃」という映画で、先週の土曜に見たのは石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」と「赤いハンカチ」という映画です。これらの映画、田村さんは見た事がおありでしょうか?私は全く見た事がなかったんですが、なんでも母が若い時に日活の映画が大好きでよく見に行ってたとかで、特にトニー(赤木圭一郎)の大ファンだったそうです。トニーの主演した映画はほとんど見たそうで、今回なぜか県内のとある映画館で昔の日活映画特集という事でリバイバル上映があったので、あんたもおいでとなかばむりやり連れていかれました。うちの母はかなりミーハーで、トニー以外にも石原裕次郎とかザ・タイガースの沢田研二とかが大好きだったそうです。母は六十年代後半にグループサウンズのコンサートによく行ってたそうで、父の話だと子供の世話を自分に押し付けてザ・タイガースやザ・テンプターズ、ゴールデンカップスとかオックスなんかのコンサートをよく見に行ってたそうです。ビートルズもかなり好きだと言ってまして、その点ではかなり話が合います。なんか六十年代のポップスが全体的に好きだそうです。
映画の話に戻りますと、見た感想は一言で言うとなかなか面白かったです。ご参考までに各映画の感想を下に記します:
霧笛が俺を呼んでいる・・・トニーって実際かなり男前でかっこいいですね。吉永小百合さんも出演されててちょっとびっくりしました。この当時たぶん中学生ぐらいかな?ほんとに可憐な少女って感じでステキだなと思いました。
紅の拳銃・・・ピストルをバンバン撃ち合うシーンが結構ある無国籍映画って感じですが、主演の女性がまた美しい人で(たしか笹森礼子さんという名前の人)、恋愛映画的な部分も少しあって胸がちょっとキュンとするかも。トニーの魅力炸裂の映画。
嵐を呼ぶ男・・・なかなか面白い映画でした。石原裕次郎さんも凄くかっこいい俳優だと思います。北原美枝さんも凄くステキ。このお二人の魅力炸裂の映画。
赤いハンカチ・・・裕次郎さんの哀愁味ある演技が光る、哀愁のこもった映画。浅丘ルリ子さんも凄くきれいな女性ですね。裕次郎さんの歌が心に響く、ファンタジーの映画。
ということで、私にとっては久しぶりの映画鑑賞だったんですが、なかなか良かったです。ちなみにこの前見たのは小学四年の時の夏休みに東映まんがまつりがあった時で、確かマジンガーZ対デビルマンを初めとした6本立てだったと思いますが、私は男の子達と違ってあんまり変身ものって好きじゃなかったのでそんなに面白いとは思わなかったと記憶しています。まあアニメやドラマとかに関してはまた別の手紙でお話していこうと思いますので今日はこのくらいで終わりたいと思います。もうすぐ夏休みですが、お互い受験を控えているのであんまり遊んでばかりもいられませんね。お互いがんばって乗り切って行きましょう。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年九月十七日
お元気ですか。九月の中旬になってやっといくらか涼しくなって来ました。これから私が好きな秋の季節がやって来ます。読書の秋でもありますね。私はとにかく本を読むのが好きなのでマンガでも小説でも色々読んでいるんですが、今日は少女マンガで私に深い印象を残したものをいくつか挙げていきたいと思います:
その一・・・一条ゆかりの「デザイナー」
このマンガはほんと凄いマンガです。トップモデルだった主人公亜実が交通事故に遭い、足が少し不自由になったためモデルの道をあきらめデザイナーとして再起をはかる、という感じの物語なんですが、とにかくはらはらする展開の連続で、最後まで夢中になって読み続けずにはいられない作品です。愛と憎しみと復讐の物語なんですが、とにかくありえへん展開が続く、凄く面白い作品です。ある意味これこそ少女マンガの王道と言える様なマンガで、美男美女がぎりぎりの愛と憎しみの闘争をする、後世に永遠に残るであろう名作です。
その二・・・「サインはV!」(原作 神保史郎 作画 望月あきら)
このマンガもなかなか凄まじいマンガです。いわゆるスポ根マンガと言われるものの一つですが、この作品もはらはらする展開の連続で読み続けずにはいられません。「いなづま落とし」や「魔のX攻撃」などの超人的なプレーが出て来てスリル満点な展開になって来る事には興奮させられますが、ジュン・サンダースの置かれた境遇や、彼女が命がけでバレーに取り組み、最後には亡くなってしまうという悲しい展開には号泣しました。テレビでもコミックでもジュンが亡くなってしまうシーンでは号泣してしまいます。ほんとに読む人の胸を熱くする名作マンガで、後世に永遠に残り、語り継がれると思います。
その三・・・土田よしこの「つる姫じゃー!」
女性のギャグマンガ家として有名な土田よしこさんですが、この「つる姫じゃー!」こそ彼女の最高傑作だと思います。とにかく面白くておかしくて笑い死にしてしまう必殺のギャグマンガの王様、いやお姫様です!
以上簡単に深い印象を残してくれたマンガを三つだけ挙げましたが、もちろんこれ以外にも色々あります。上に挙げたのはあくまで私が気に入ってるマンガですから賛否両論色々あるでしょう。小説やマンガ、音楽といったものは鑑賞する人の数だけ色々な意見があると思います。だけどこの三つのマンガがかなり多くの人の支持を得ているのは間違いのない事実ですから、後世に残って語り継がれるであろう永遠の名作であることは確かだと思います──。
テレビのアニメに関して言うと私は「ライディーン」とか「海のトリトン」、「ルパン三世」なんかは割と好きです。前者二つはどちらかと言うとキャラクターがいいようですが、ルパン三世に関してはストーリーが最高!(特に最初のシリーズ)────クールで時に哀愁に満ちたキャラクターも魅力的です。その他のアニメで言うと、なんと言っても「宇宙戦艦ヤマト」が最高で、最初のシリーズはほんと神レベルの素晴らしさだと思っているんですが、この夏に公開された「さらばヤマト」に関しては結末があまりにも悲しすぎてあんまりなんじゃないかと思ってます。だってみんな死んじゃうんだもん。古代くんも真田さんも佐渡先生もみんな・・。せっかく公開初日(8月5日)に朝早くから並んで見に行ったのにそれはそれはあんまりやないか、と大阪弁で叫びたくなるぐらいほんとに嫌です──。
話は変わって、九月九日と十日に学校で文化祭があったんですが、その文化祭でロックバンドの演奏というのもあって、ビートルズのコピーバンドとキッスのコピーバンドが出ました。その感想を言うと、総じてまあまあかなという感じで、下手ではないけどそんなにうまくもない、という感じでした。まあ中学生のバンドですからプロとは比べ物にならないでしょうが、安定した演奏テクニックではありました。やはり英語の歌ということもあり、そのへんでどうしても越えられない壁というのがあるのかなとも感じました。英語のノリと日本語のノリって全然違いますものね。日本語には日本語の良さというものがあるとは思いますが、ロックミュージックという事になるとやはり英語の方が合ってるかもとは思います。まあボーカルの人の力量というのも大いに関係しますけど── 。
ということで、今日はこれくらいで終わりという事にします。お体に気をつけてバンドと勉強の方がんばって下さい。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
─────────── ここでナオコが田村に出した手紙の記録は終わっている。実は一九七八年の十一月初めに最後の手紙を出しているのだが、それに関してはなぜかいつもの様に書き移していない。どういう経緯で書き移さなかったのかナオコは思い出す事が出来ないのだが、多分もう返事が来る事はないだろうと思ってなんか力が抜けたのだろう──── 何となく書き残さなかったという感じだったんだと思う────一九七八年四月二十三日付けの手紙を以って田村からの手紙は途絶えた。その理由は全く想像も付かないが、きっと何かがあったんだろう。そう思うしかないが、突発的な事故とかでなければいいんだけどとナオコは思った───。
一九七八年の十月九日の月曜日、学校が終わってからナオコは駅前の商店街の中にある本屋に立ち寄った。いつもの様にまずマンガの本をザーッと立ち読みし、次にPFマガジンを手に取って”読者からの投稿詩”という所を開いた。するとそこに田村伸介の詩が載っていた。「れんげ畑」という詩だった──── 。
れんげ畑
田村伸介
今年もまた春が来て
れんげが一面に咲いている
このれんげ畑はあの時と変わらないけど
僕たちはあまりにも変わってしまった
もう一緒に歩く事はないけれど
このれんげ畑は変わらない
いつかまたもしもこのれんげ畑に来る事があったなら
せめて思い出してほしい
かつて僕たちがここにいて
一緒に空を見上げた事を
真っ青な空
一面に広がるれんげ畑
澄んだ瞳を持った2人の子どもは
れんげを摘んでいた
たとえ全てが変わっても
このれんげ畑は変わらない
僕たちはあまりにも変わってしまった
だけどこのれんげ畑だけは変わらない
きっと来年も
その次の年も
そしてまたその次の年も
一面にれんげ畑が広がっていることだろう
そう
れんげ畑は変わらない───
───4月23日付けの手紙以来手紙が途絶えていた田村だったがPFマガジンには投稿していた───
───これで2回目の掲載という事になるのだが、十月初めに発売の雑誌に掲載という事は三ヶ月位前に出したのだろうと推測され、だとすれば七月初め位に投稿したものと思われる。一体田村伸介に何が起こったのか?或いは何も起こってないのかもしれないが、ナオコは田村が実際の所元気でいて雑誌に投稿しているという事実に少し安心した様な心持ちになった。少なくとも突発的な事故とかはなかったと思われる。手紙が途絶えているという事に関してはとても残念に思うが、ナオコが今最も心酔している詩人の作品を今この日本に於いて最も沢山鑑賞する事が出来ているのが他の誰でもない自分であるという事実をナオコはほんとに幸運な事かつ光栄な事だと思った。だからほんとに短い間だったが手紙を交換出来た事に心の底から感謝したい気持ちになっていた── 。
ナオコはPFマガジンをレジに持っていって購入し、家に帰ってから再びじっくりと読んでみた。この「れんげ畑」という詩はおそらく幼なじみと何らかの事情で別れる事になった男性がれんげ畑の風景を見て感じた事をノスタルジーを交えて書いているのだろうと思われるが、男と女の立場を変えてみればなんか今のナオコの心情に重なる部分があって激しく胸を締め付けられる思いだった。実際ナオコはこの詩を何回か繰り返し読んでいる内に激しく泣いてしまった。というのは最近ナオコは失恋してしまい、その相手というのが近所に住んでる四歳年上の幼なじみのお兄さんで、春休みにイタリアに旅行して買って来たイ・プーのLPをナオコに貸してくれた、あのお兄さんだった。ナオコは小さい時からずっとそのお兄さんが大好きでずっと憧れて慕っていた。彼は大学の一年生で、なかなかカッコいいルックスを持った好青年であった。最近同じ学年の彼女が出来、家の方にもしばしば来ていたのでナオコも何回か会った事がある。かなりの美人で愛想も良く、彼女はナオコを見てあなたかわいいわね、と言って微笑んだ。それでもってお兄さんはナオコの事を幼なじみで妹みたいな存在だと彼女に紹介した。それがナオコに対する彼の正直な気持ちなのだが、ナオコはその幼なじみのお兄さんに真剣に恋をしていた。彼女の事が好きなの?とナオコがお兄さんに訊くとお兄さんは「好きだよ。真剣に恋してる。」と言った。ナオコは平静を装ったが家に帰るとわんわんと号泣した。お兄さんが真剣に恋をしている以上ナオコには何も出来ない。お兄さんがうまく行く様に、幸せになれる様に祈るしかないのだが、お兄さんが自分から離れて行ってしまうのは寂しいし悲しい。初恋というのは成就する事がとても少ないとよく聞くが、ほんとにそうだと思うし、あの頃はほんとに純情で純真だったと三十歳になった今新ためて思う。あれから何回か恋愛を経験したがどれもうまく行かなかった。何が悪かったのだろう?私が悪かったのか、それとも相手が悪かったのか、或いは両方とも悪かったのかもしれない。結局の所縁が無かったという事だけなのかもしれない。運命の人なんてほんとに存在するのだろうか?永遠の愛なんてほんとにあるのだろうか?ナオコは過去にあった事を色々思い出し、しばし空想に耽った───── 。
翌日の九月三十日(木)の午後三時頃、一人の男性がナオコの勤める旅行社にふらーっと入って来た。小ぎれいに散髪してさわやかな感じのハンサムな美男子で、入るなり「山口ナオコさんはいらっしゃいますか?」と関西アクセントで言った。ナオコが顔をあげて、「私ですけど、どちら様・・」と言いかけるとナオコはすぐに気づいてこう言った。「あれ、もしかして杉田さん?」
ナオコは驚愕した。会社にやって来たのは長い髪をきれいに散髪し、髭も全てそり落としてほんとに小ぎれいで洗練されたシティボーイ風に変身した杉田だった。眼鏡もかけていなかった。ほんとにこの前会った時とはえらい違いだ。杉田さんてこんなに男前だったのとナオコは心の中で驚愕の言葉を発せずにはいられなかった。ぼさぼさであんまり手入れもしていない様な長髪に髭ぼうぼうで黒縁の眼鏡をかけていたあのルックスとは正に天と地の差がある様な感じで、ほんとこんなにもステキな男性だったなんて思いもしなかった──。そう言えば母が好きだった赤木圭一郎にちょっと似てるかも、とナオコは思った。
「実はな、ちょっと飛行機の切符都合してもらおうと思ってな・・」と杉田は言った。「来週の木曜か金曜ぐらいに日本への直行便あるか?」
ナオコは来週の飛行スケジュールを確認してみた。来週は木曜日に成田行きの直行便があり、現在まだ空きがある事が確認できた。「来週の木曜日、十月七日の午後五時出発の便なら空きがあって予約は取れますけど、午後十一時十分発のソウル経由大阪伊丹空港行きの方が二百ドル位値段が安くなってますけど、どちらがよろしいですか?」とナオコが訊くと杉田は「・・そやな今回は成田行きの直行便の方がええわ」と言った。ナオコが具体的な料金を告げると杉田は財布からドルの現金を抜き取ってその料金ちょうどの金額を机の上に置いた。「これちょうどの金額や。チケット発行お願いするわ。」十五分後すべての処理を終えてチケットを受け取った杉田は、「なあ今日の晩一緒にご飯食べへんか?日本から友達が来てて一緒に食事することになってるんやけど、山口さんもけえへんか(来ないか)?」
「いいですよ。何時にどこへ行ったらいいですか?」
「七時にダウンタウンのGホテルの二階にある日本食レストランに来てくれ。今日は大勝ちしたからおごるわ。」
「それはどうもありがとう御座います。楽しみにしてます。」とナオコはかわいく微笑んで言った──。
六時五十五分位に約束の場所へ行くと杉田は既に来ていて、二人は連れだって中に入った。
「あのなあ、友達の事やねんけどなあ、実はまだギャンブルやっとって先に食べといてくれという事や。」と杉田は言った。「下手したらけえへんかもしれんなあ。」
「そうですか。それは仕方ないですね・・。まあとにかく何か食べましょう。」とナオコは言ってメニューを眺めた。アメリカで本格的な日本食となるとかなり高い。思ってたより値段が張るけどほんとにいいのかしらとナオコは思った。じっとメニューを見ているナオコを見て杉田は「遠慮せんと何でも頼みや。」と言った。「どうせあぶく銭や。ギャンブルでスルより食事に使った方が何倍も価値があるわ。それにどんなに喰ってもたかが知れてる。ギャンブルでスル金額と比べたらほんとにちょっとした小さい金額やから。」 食事で使う金額というのはせいぜい何百ドルというぐらいだろうが、ギャンブルでスってしまう金額というのは時に何万ドル、いや何百万ドルになる場合もある─────くわばらくわばら、ほんとに恐ろしい世界である──── 。
久しぶりに本格的な日本料理を色々と堪能出来てナオコは凄く嬉しかった。それに加えて嬉しいのは非常にハンサムな男と久しぶりにデートの様な感じの事が出来た事だった。実際の所ナオコは胸キュンになっていて、食べたり飲んだりしながら杉田と楽しく笑いながら会話をしていた。異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんと久しぶりだった。酒の力もあってナオコはいつもとは違い饒舌になって、九時が過ぎる頃にはちょっと悪酔いして酔っ払いおじさんの様に杉田に対してくだを巻く様になってしまった。そのくだの巻き方がかなりひどくなって来たのでさすがに杉田もいたたまれなくなり、「おいお前ちょっと飲み過ぎとちゃうか。女の子がおっさんみたいにくだ巻いとったら話にならんで。」とナオコをたしなめるとナオコは、「何言ってんのよ杉ちゃん、私ワイルドでしょう?」と泥酔しながら言った。それを見た杉田はだめだこりゃ、と思った──── 。
──────── どれぐらい時間が過ぎたのだろう?朝方の五時位にナオコはベッドの上で目覚めた。なんで私こんな所で寝てるの?薄暗い部屋を見渡したところホテルの客室みたいで、部屋の中にはベッドが二つあり、その一つにナオコが横たわっている。いったいいつの間にこんなとこに来たのだろう?ほんとわけがわからない・・・自分が置かれている状況がつかめず困惑していると部屋のドアが開き、一人の女性が入って来た。「ああ気がついたんやね。」とその女性は関西アクセントで言った。「もう酔いは醒めた?」
「・・・ここはどこで、あなたは誰ですか?」とナオコは尋ねた。
「ここは私が泊ってる部屋で、私は杉田ノブユキの友人です。」
「どうして私はここにいるんですか?」
「あんたがひどく酔っぱらってたんで、杉田が私に面倒を見てくれとこの部屋に連れて来てな、それでベッドに寝かしつけたという訳や。」と女性は関西アクセントで言った。「どうや、もしかして二日酔いになってるか?」
「そうですね、ちょっと頭が痛いですね。」
「まあとにかく私には遠慮せんでいいからゆっくりしたらええわ。」
「会社があるんでそういう訳にはいきません。あと1時間程休んだら帰ります。」
「そうか、わかった。好きにしい。」
「すいません、お名前は何と?」
「───倉田ミエコと言います。」
──────── ほんとに驚きだった!まさかあの倉田ミエコがベガスに来ていたとは!────ナオコはいっぺんに酔いが醒めてしまった。ナオコは自分がデビューして以来の熱狂的ファンである事をミエコに告げ、お会いできて感激だし、もの凄く光栄に思うと彼女に言った。彼女の話によれば、久しぶりの休暇で一週間前にベガスに遊びに来たのだが、偶然杉田に出くわし、何でもその時杉田はギャンブルで全財産をすってしまい公園で野宿していたそうだ。杉田から助けてくれと懇願されたミエコは呆れながらも彼を助けてスポンサーとなり、杉田はミエコからの資金援助により何とか挽回を図ることが出来たとの事だった。
「まさかこんな所でラムータに会うとは思いもせんかったわ。実際十年以上も会ってなかった訳やけど・・・一九七九年の八月に別れて以来の事になるから結局十四年ぶりって事になるんやけど・・。」と倉田ミエコは言った。「公園の隅の方でホームレスが何人か段ボール敷いて寝とってな、ほんでもって”おーい、くらたー!”って叫ぶ声が聞こえたんでその叫んだ人を見たんやけど、初めは誰かほんまわからんかったわ─── 何しろバサバサの、アトムみたいになった長髪に髭ぼうぼうで、黒縁の眼鏡かけてたから・・・ほんま実際最悪のルックスやんか、わかる?想像できる?─────うーん、わかるかなあ、わからねえだろうなあ───。」ミエコは東京での生活が結構長いのであるが、さすが関西人、どっかでギャグを入れてしまうという本能というか習性を持っていた──── 。「あまりにも汚い恰好しとったから、うちが泊ってる部屋まで連れてってまずお風呂に入れて、それからきれいに散髪させたんや。まあきれいに散髪してそれなりの服着せたらすごくいい男なんやけどな・・。」確かにすごくステキでいい男だとナオコも思った。いったい何でまたあんな風にわざと変なルックスをしていたのであろうか?杉田ノブユキという人物はどうもよくわからない部分がある・・・。────「だけどまさかギャンブルで生計立ててるなんて思いもせえへんかったわ。私の知ってるラムータはロックンロールに命をかけてるダイハードな男のはずやったし・・・。会わない間に何があったのか知らんけど、まさかラスベガスでこんな風に再会するなんてなあ・・。」
「島崎洋子さんが今ラスベガスに住んでいらっしゃる事は御存じですか?」
「それはラムータから聞いたわ。アメリカの人と結婚して、小さな子供がおるのに旦那さんが亡くなってしまったって事でえらい苦労してるみたいやな。」
「杉田さんと久しぶりに会ってどうですか?こんな事訊いていいのかわかりませんけど・・。」
「そやな、何と言うかまず初めはびっくりしたな。まさかラスベガスで会うなんて想像すらしなかったし・・。会うなりいきなり助けてくれって言われて目が点になったけど、いつか会える日が来るといいなと思ってた人に会えたわけで、そういう意味ではほんとに嬉しく思うし、ある意味すごくワクワクしてる様な所があるな・・。」そう言いながらほんとに嬉しそうに目を輝かせているミエコを見てナオコはちょっと複雑な気持ちになった。この偉大な漫画家は今でも杉田に思いを寄せているみたいだな、とナオコは思った。もちろん思いを寄せていたとしても何も悪い事は無いし、不都合な事は何も無いはずなのだが、どうして私はこんな気持ちになってるのだろう?・・・これは一体どういう事なのだろう?───なんかちょっと納得が行かない様な、いやそういう事ではないかもしれない、これはもしかして──────?
ナオコが黙りこくっているとミエコはちょっと不思議そうな顔をしてどうしたの?と尋ねた。ナオコは慌てて、いえ何でもありませんと言いながら右手を左右に振って、少しの間を置いて「すいません、私もう帰りますんで・・。」と言った。
「えっ、もう帰るん?」突然ナオコが帰ると言ったのでミエコはちょっと驚いて言った。それに対してナオコは「すいません、やっぱりちょっと早めに帰った方がいいと思いますんで失礼します。これ私の名刺なんで、また何かありましたらお電話下さい。」と言って自分の名刺をミエコに手渡した。ミエコは名刺を見てから「あんたの家の電話番号も書いといてくれる?」と言って名刺をナオコに返したのでナオコは手早く電話番号を書いて再びミエコに手渡した。「という事で今日はこれで失礼します。」と言ってからナオコはちょっと思い出したように「・・ところでこのホテルはどこのホテルでしたっけ?」とミエコに尋ねたのでミエコはこう言った。「ここはG ホテルの十階で、昨日は一階のカジノでギャンブルやっててちょっと疲れたから少しだけ休むつもりでこの部屋に帰って来たんやけど、休んでる時に杉田があんたをここに連れて来て休ませてあげてくれと言ったんでベッドに寝かせたんや。だけどあんた昨日はほんとにえらい酔ってたな。あんたみたいに可愛い女の子が酔っぱらってあんな風にくだを巻いたらちょっと引いてしまうって感じやったけど、いつもあんな風に飲んでるんか?」
「いや普段はほとんど飲まないんですけど、昨日はちょっと調子に乗ってしまって・・・。」ナオコは自分が醜態をさらしてしまった事を知ってほんとに恥ずかしくて穴の中に潜り込みたい心境になった。普段はあまり酒なんて飲まないのだが昨日は気分が高揚してつい調子に乗って飲んでしまった。久しぶりに胸キュンとなる男性が現れて、その人と楽しく話をしながら会食が出来て凄くいい気分になってしまったから・・・。
「まあとにかく今度からは気い付けや。また電話させてもらうから、気い付けて帰るんやで。」
「ありがとうございます。それじゃ失礼します。」と言ってナオコは部屋を出てエレベーターで1階まで下りてホテルの駐車場に向かい、止めてあった自分の車に乗って家に帰ってちょっと休んでから会社に出勤した───── 。
一九九三年十月六日の水曜日の午後四時過ぎ、ナオコが旅行社で仕事をしていると電話が鳴ったので受話器を取るとそれは倉田ミエコからの電話だった─── 。
「どや、体の方は大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です。この前はほんとに御迷惑おかけしてすいませんでした。」
「明日どっかで一緒に食事せえへんか?いろいろ話もしたいし・・。」
「いいですよ。明日私休みなんで何時でもOKですけど、何時がいいですか?」
「それやったらお昼の十二時にGホテルの一階のロビーに来てくれるか?」
「わかりました。私も先生とはいろいろお話したいので楽しみにしてます。」
ずっと大ファンで憧れていた偉大なマンガ家と食事しながらじっくり話が出来るなんてほんと凄い事だし、感激で頭が爆発しそうだとナオコは思った。仕事が終わってからナオコはちょっと思い立ってダウンタウンから車で十五分位のサハラアヴェニューにあるPSカジノに立ち寄った。このカジノは掛け金のレートがかなり低い庶民的なカジノで、どちらかと言うと地元の人々がギャンブルしに来るカジノなのだが、最近はプローモーションの為にかなりお得な感じのポイントサービスをやっていて、ちょっとゲームをやっただけでも隣接の色々なレストランで食事が無料になるのでかなり地元の人で賑わっていた。ナオコはまずブラックジャックを一時間位やってみた。今日は面白い位順調に勝つ事が出来て、二百ドルの元金が十倍の二千ドルに膨れ上がった。勢いに乗ったナオコが次にバカラテーブルでやってみるとこれまた面白い位勝ち進んで二千ドルが二万二千ドルにまで増えてしまった。これはほんとヤバいくらいツイてると思ったナオコはまずその二万二千ドルのチップを換金所で現金に換えてから、PSカジノで一番レートの高いバカラテーブルであるミニマム(最低賭け金)百ドルのテーブルに行って、二万二千の内一万ドルだけをカジノチップに換えて、初めに百ドル張って負けたので次に二百ドル張ったらそれも負けたのでその次に四百ドルという具合に、いわゆる倍賭けの方法で張ってみた。この倍賭けの方法は別名マーチンゲール法とも呼ばれる、初心者が必勝法だと勘違いする所のかなり危険な賭け方なのだが、負けが続けば短い時間の間にもの凄い大金を失ってしまう可能性がある。この賭け方をするギャンブラーはよっぽど巨額の資金を持つ者か、そうでなければ倍賭けの怖さを知らない愚か者である。玄人なら、いやある程度カジノギャンブルの経験がある人間なら絶対に使わない手法である。ところがたまたまツキにツキまくって熱くなってしまったナオコは制御心を失い、倍賭けを続けて行って負け続け、二十分も経たない内に一万ドルをスッてしまった。負けて頭がカーっとなったナオコが残りの一万二千ドルをチップに換えようとバッグの中の財布に手を伸ばそうとしたまさにその時、「ちょっと待て!」と言う声が聞こえるのと同時に後ろにいた男がナオコの右手を取ってナオコを無理やり立たせてこっちへ来いといわんばかりに手を引っ張ってカジノの外へ強制的に連れ出した。ナオコは思わず「杉田さん、何をするんですか。」とその男に向かって叫んだ。ナオコはかなり立腹していて、いつもとは違い鬼の様な形相をして杉田を睨んだ。杉田は後ろでナオコがゲームをするのをずっと見ていた様だったが、ナオコはその事に全く気づかずにいて、急に邪魔をされたので非常に気分を害していた。
「まあとにかく落ち着いてくれ。」と杉田は言った。「無理やり引っ張って来て悪かったけど、これぐらいせえへんとあかん状況やったから。」
ナオコは何を言っているのか理解できなかったので「どういう事ですか?」と言った。
「いやな、要するに今日はもう運が尽きたから帰った方がいいと思うから連れ出したんや。」
「えっ、もしかして私の事ずっと見てたんですか?」
「うん、まあそうやな。すごく順調に勝ってたから今日は凄いなあと思って見てたんやけど、あの百ドルミニマムのテーブルであんなどぶに金を捨てるような張り方するのを見てたらさすがに止めんわけにはいかんかった。あれは典型的な負け博奕の見本で、あのまま続けとったら今持ってるお金、最後の一ドルまでスッてしまうっていうのが見え見えやったから無理にここまで引っ張って来たんや。ああいう状況に陥ったら即座に席を立って帰れっていうのがセオリーやねんけど、実際に潔く帰れる人間なんてほとんどおらへん。大概の場合頭に血が昇って負けを取り返そうとガンガン賭けて結局全てを失う事になってしまう。そういう例を今まで何回も見て来たし、俺自身も何回かそういう事になって再起不能になりかけた事が結構あったから、人の事をどうこう言う資格なんて無いやろけど、友達とか知り合いがそういう状況になるのを見た時は出来るだけ助ける様にしてるんや。まあ大概の場合は人の事に口出しすな、やるかやらんかは俺が決める事やって言われる事が多いんやけど、そう言ってギャンブルを続けた人間で勝ったやつなんて一人もおらへん。みんながみんな全員無茶苦茶に負けて奈落の底に落ちて、大概の場合何ヶ月かして最後には再起不能のレベルにまで行きよった・・。だから俺が言いたいのは、とにかくお金が引いて来たらそこでギャンブルはやめろ、ツキの波というのは実際に存在するし、一旦負けの大波に飲み込まれたらそこから逃れる事はでけへんからとにかくその場から離れて一目散に逃げろ、という事や。まあそうは言うてもそれがもの凄く難しい事やって事はわかる。一人でいる時は絶対でけへんと思う。だから知り合いがそういう状況に陥ったら出来るだけ助ける様にしてるんや。どうや、わかってくれたか?」
「・・・・・・」ナオコは何も言えず黙って杉田の目を見た。大きくてまつ毛の長いつぶらな瞳が優しい光を伴ってナオコの目を見ていた。この人はほんとに綺麗な目をしている、ほんとに素敵な人だなとナオコは思った。同時に長い間忘れていた異性に対する甘美なときめきをナオコは感じた。この人に対してこんな感情を持っていいんだろうか?これはもしかして恋をしてるときめきなのだろうか?異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんとに久しぶりだ。だけど洋子さんや倉田先生とのいきさつを知っている者としては素直にこの感情に身を委ねる事は出来ないんじゃないかとナオコは複雑な気持ちになった。もしもこの人と恋に落ちたら・・・・ナオコはビートルズのIf I fell の歌詞を思い出しながら、もしもこの人と恋人関係になったならどういう風になるだろうかと夢想した。だが実際の所そういう事は起こらないだろうなと直ぐに思い直した。この人は多分私の事なんか何とも思っていない、只の知り合いでしかないだろう・・・・結局の所そういう結論に至らざるを得ない。それにこの人が誠実な人なのかどうかという事に関しては、今まで聞いてきた話や今に至るまでの彼の経歴を見る限りかなりクエスチョンマークが付く。まあギャンブルにのめり込んで離婚に至った事なんかは人間なんだから失敗する事もあると言えば正にそうだし、過去に過ちを犯したとしても今どういう心構えでこれからどう生きて行こうとしているのかの方が大事だとも思う。だから実際の所は付き合ってみないとわからない事なのだろう。だけど彼とそういう関係になる事は多分ないだろうし、今は胸キュンになっているけど明日彼が帰国してしばらく会わなければこの気持ちもやがて跡形もなく消えて行く事になるんじゃないかとも思う。だから深入りせずにこのまま気持ちが消えて行くのを静かに見つめているのがいいのだろう・・・・・ナオコはこの様に考えながら暫く沈黙していたがやがて口を開いて「・・ええわかりました。どうもありがとう御座います。」と言った。それに対して杉田は「わかってくれたんやったら嬉しいわ。どうや、これから一緒に何か食べに行かへんか?中華なんかどないや?」と言った。
「ええいいですよ。私ポイントがかなりたまってるんで、私のポイントで一緒に食事出来ると思いますんでそこのチャイニーズレストランに行きませんか?なかなかいい味で評判のレストランなんできっと気にいって頂けると思います。」
意気投合した二人はカジノに隣接するチャイニーズレストランに入って行った─── 。
「・・・・という事でやな、カジノギャンブルで大事なんはツキの波が今どういう状態にあるかという事を常に考えながらベットする金額を微妙に調整して行く事や。」───── 食事をしながら杉田は今までに自分が経験してきた色々なギャンブルに関する体験や逸話を面白おかしく饒舌に語っていた────「ブラックジャックやバカラなんかはほんと経験則の博奕やからな、こういう時にはこういう風にした方がいいというのが色々あるんやけど、その経験則っていうのは時として言葉で表現できない場合があって、要するに何かこれは匂うぞっというか、大勝ちのモードに入ってるんとちゃうかという場合もあるし、反対に大負けのモードに入ったんちゃうかという場合もある。そういういわゆる第六感というのが実はギャンブルに於いてはかなり重要で、確率論なんというのは実際の所参考にはなるけどあんまり役に立つもんやないんや。ルーレットで十回以上黒が続いたり、バカラでバンカーが十回以上続いたりっていう、いわゆるツラっていう現象は実際の所よく起こるっていう事から考えても確率なんてものは実際あまり役に立てへん──。」
ナオコは杉田の話を聞きながら今日退勤前に上司から突然告げられた事を思い出していた。何でも洋子がラスベガスに赴任するまでずっと勤めていた東京の渋谷支店の社員が二人急に辞める事になり、一ヶ月後にいなくなるので急な話で申し訳ないのだが今月の末(十月末)に渋谷支店の方に戻って欲しいとの事だった。三月に来て以来こちらの仕事にも慣れて来てこれから色々楽しくなってきそうだなと感じて来てた矢先だけにナオコはかなり戸惑った。上司の話では最近海外に行く人が増えて業務の方がもの凄く忙しくなって来ていて、そんな時に二人もやめるとなったらかなりピンチになるのでベテラン社員であるナオコに急遽戻って欲しいとの事で、とりあえず一年位勤務してもらって後任の人材が確保出来たらまた海外勤務をしてもらう事になるだろうとの事だった。どこの国に行ってもらうかは未定だが、多分フランスのパリかアメリカのどこかの都市のいずれかになるだろうと上司は言い、ナオコは長年憧れて来たフランスになったらいいのになと思った。けれども東京に帰ったらせっかく知り合いになれたヨーコ・ハミルトンや杉田に会う機会が無くなり、自然と疎遠になってしまうだろうなと思い到り、それに関しては残念だなと痛切に思った。ベガスにいれば年に何回かは杉田がやって来て会う機会があるだろうが、東京に戻ったら恐らくもうそういう機会はないだろう。そうなったら凄く寂しいし、もの凄く名残惜しい事だ。ナオコは杉田に「実は急に東京に戻らなきゃいけない事になったんです。」と話を切り出した。「渋谷支店のスタッフが二人急に辞める事になったので。」
杉田はそれを聞いて「・・そうか、それはちょっと寂しい事やな。」と名残惜しそうな表情を浮かべながら言った。「年に何回かはベガスに来るからまた会えるやろなとは思ってたんやけど、そうなったらちょっと当分会う事はないかもしれんな。まあ俺の主戦場はマカオで、時々は韓国のカジノにも行くからもし暇があったらどっちでも来てくれたらまた会えるかもしれんけど。」
「・・・仕事が忙しいんでなかなか行けないとは思いますが、また会えたらいいですね・・。」ナオコも名残惜しそうな表情を浮かべ暫く沈黙した。暫しの沈黙の後ナオコは言った。「話は変わりますが、杉田さんは大阪は東大阪市の出身ですよね?」
「そうやけど、それが何か?」
「前にも言った事があると思うんですが、私中学の時に東大阪市在住の人と文通してた事があって、その人は私より三つ年上の高校生だったんですが、多分杉田さんと同じ位の年だと思うんですけど杉田さんは今お幾つですか?」
「三十三や。昭和三十五年の六月生まれで。」
「そうですか。じゃ一緒の歳なんですね。なんか杉田さんと話してるとその人の事を思い出すというか、なんか重なっちゃうんですよね。名前が全然違うのに、同じ東大阪の人だから。」
「その人の名前は何て言うんやった?」
「タムラシンスケって言うんです。杉田ノブユキとタムラシンスケってほんとに全く違う名前なのに杉田さんと話してるとなぜかその人の事を想い出してしまうんです。」
「前にその人が雑誌に発表した詩というのを見せてもらったけど、かなりその詩が気に入ってるんやな。」
「そうですね。その人は手紙の最後に必ず詩を書いてくれて、どの詩も全て素晴らしくて気に入っているんです。その人とは結局一年位しか文通できなかったんですが、私が最も敬愛する詩人というのがそのタムラシンスケさんなんです。田村さんの手紙全てとその田村さんの詩が掲載されてるPFマガジンっていう雑誌2冊、具体的に言うと一九七七年の十二月号と七十八年の十一月号の二冊なんですけど、ベガスに越して来る時に持って来たぐらい気に入っているんです。」
「えらい気に入ってる様やけど、結局途中で文通を打ち切られたんやろう?気分を害したりとかはなかったんか?」
「それは全然なかったですね。まあ何らかの事情があったんだろうとは思ってるんですが・・。」そう言いながらナオコはちょっと杉田の言い方に疑問を持った。”途中で文通を打ち切られたんやろう?”という言い方、事実は正にその通りなのだが、ストレートにそう決めつけられるものなのだろうか?その辺の詳しい事をナオコは何も言ってないのに、杉田の置かれた立場に於いてそんなにもストレートに決めつけられるものなのであろうか?ナオコは思わず「・・あのう杉田さん、どうしてそんなに決めつけるように途中で文通を打ち切られたんやろうって言えるんですか?私その辺の詳しい事何も言ってないのに・・・。」と言うと杉田は「・・・ああそれはな、まあ要するにホームズやったらこういう風にストレートに言うやろなあという事で、つまり論理的に推理してみればそんなにも敬愛している相手に対して山口さんの方から文通を打ち切るなんて事は考えられないという所から来てるわけや。あくまでも論理的な推理をしてみればそうなるという事や。」
「・・・そういう事ですか。わかりました。まあそう言われてみればそうですよね。」
とナオコは言った。ホームズ流に推理してみればそうなると言った杉田の表情は無表情、いわゆるポーカーフェイスであった。ポーカーフェイス、しかし何でまたこういう状況でそんな無表情で言うのだろう?ナオコは論理的には納得したが、杉田のポーカーフェイスには違和感を覚えた。この人は何でまたこんな無表情で言うのだろう。普通に感情を顔に出して言ってもいいのにと思うのだが何でまた・・・・?
気を取り直してナオコは続けて言った────「それでまあ、その人の詩が掲載されたPFマガジンって雑誌なんですが、杉田さんは読んだ事がありますか?」
「何回か本屋でパラパラと見たことはあるけど、読者からの投稿詩を多く掲載している雑誌やな?」
「そうなんですけど、その雑誌は私が高三の時に廃刊になってしまって、確か一九八一年の十一月だったと記憶してるんですが、結局その人の詩が掲載されたのは二回だけで、文通がストップしてからもずっともしかして載ってないか毎月チェックしてたんですけど、結局二度と載る事はなく終わってしまいました・・。」
「・・・えらい気に入ってたんやな。一体その人の詩のどこが良かったんや?」
「そうですね、何と言うかきっとその人の心象風景と私の心象風景って凄く似ていると思うんです。きっとその人は私と同じように基本的に夢の中で生きている様な人と言ったらいいのか、そんな感じだと思うんです。つまり魂の奥底に持っているものが同じ人、ソウルメイトと言ってもいいのかもしれませんけど、表現したいと思っているものが同じ方向性を向いているソウルメイトなんじゃないかと思っているんです。だから初めてあの詩を本屋で目にした時あんなにも心に響いたんだと思うんです。」
「・・分かった様で分からん言い方やな・・・。」
「これを他の人に分かってもらうのは凄く難しい事だと思いますが、とにかく中二のあの時にあの詩に出会った事が私の精神や思想に与えた影響というのは凄く大きくて、私が短い間でしたけど作家になったというのも実際田村伸介さんの影響でそうなったと言ってもいいぐらいで、結局あの人が書くような詩を書きたい、あの人だったらこういう小説を書くんじゃないかという感じであの人に憧れて書いたといった感じだったんです。」
「その田村さんの詩が書いてあるあの手帳、今手元にある?」
「ええ、ありますけど。」
「すまんけどもう一度見せてもらえるか?」
ナオコが手帳を杉田に手渡すと杉田は言った。「・・この前見た時は”ノスタルジア”っていう詩だけやったのにえらい増えてるな。あれからまた継ぎ足して書いたんか?」
「ええ、田村さんが手紙に書いてくれた詩は全て書きましたし、PFマガジンに掲載された二回目の投稿詩の”れんげ畑”も写して書きました。それと一番最後の「晩秋に」という詩なんですが、実はそれ、私が書いた詩で、PFマガジンの最終号に掲載された詩なんです。だから田村さんの詩が六篇、私の詩が一篇という事になるんですが、私の詩はともかく、田村さんの詩はほんとに素晴らしいと思ってます。」
PFマガジンの最終号、即ち一九八一年の十一月七日発売の八一年度版十二月号に掲載されたナオコの詩は以下の様な詩であった────
晩秋に
限りなく白に近いグレイの雲が
薄く高く空に張り付いている
ぼやけた白い陽の光が
ふわりふわりと舞い降りて来る
そら寒い風が心地よく体を通り抜け
伸び過ぎた僕の前髪を軽く持ち上げる
葉を落とした梢が鮮やかに空に映えて
哀しげな色合いを見せてくれる分
溶け込んでしまえそうな透明なものが
漂っている事を僕は感じる事ができる
僕の視線は何を探しているのだろう
消えてしまった何か
消えようとする何か
何もかもが遠くなってしまった気がして
風の来る方向に手を差し伸べてみる
鏡に映った僕はきっとやるせないうつろな目をしているね
滅入ってしまう気分の中で またそんな自分が好きだから
よけい滅入る僕がため息をついている
杉田は無表情な顔で暫く黙読していたが、やがてその無表情なポーカーフェイスでナオコに向かって言った。「・・・・なかなかいい詩やと思う。特に一番最後の詩が。」
「えっ、そうなんですか?わたしの詩が?・・・」
自分の詩が特にいいと言われてナオコはちょっと意外に思ったし、驚きもした。ナオコ自身は田村の詩の方が遥かに素晴らしいと思っているので杉田のその発言はとても意外なものとして響いたのだ。その発言を受けてナオコは「・・・杉田さんは詩を読んだり書いたりはなさらないんですか?」と杉田に訊いた。
「・・そやな、今まで色々バンドやって来たからオリジナルをやるバンドにいた時ちょっと作詞とかやった事はあるけどな。」
「そうですか、それならこの田村さんの詩がいかに凄いかおわかり頂けますよね。作詞と言えば、私村下孝蔵さんの歌詞が凄く繊細で素敵だなと思ってるんですが、杉田さんは村下孝蔵さんの曲は聴かれた事あります?」
「あるよ。ロックを聴くやつは普通フォークとかニューミュージックってあまり聴かんかもしれんけど、実際のとこ僕も半年ぐらい前まではそうやったんやけど、ある時ラジオで村下孝蔵の特集があって何気無く聞いてみたらこれはそこらへんにいる普通のフォークシンガーの類とは全然違うレベルの曲を歌ってるなと強く感じてな、すぐにCDショップに行って彼のCD を買ったんや。実際の所彼の歌は素晴らしいと思う。曲もいいし、何よりも歌詞が繊細で素敵で素晴らしい。ソングライターとしてはポール・マッカートニーやポール・サイモンなんかに匹敵するぐらい凄いソングライターやと思う。今の所そこまで高くは評価されていないけど、彼の歌を聴いてて思うのは、日本語の響きや美しさを最大限に生かした様な感じで曲作りがなされていて、日本人に生まれてよかった、なぜならこんなにも美しい詩とメロディーの結晶を我々日本人は直接味わう事が出来るから、と思わせられる程のレベルで、実際のとこほんとに素晴らしい歌と詩やと思う。普段はあまりこの手のしっとりとした音楽は聴かないんやけど、彼の音楽だけは別や。彼はほんと、神レベルのシンガーソングライターやと思う。」
杉田の口からこんなにも村下孝蔵氏を賞賛する様な言葉が出て来るとは思いもしなかったのでナオコは正直ちょっと驚いていた。杉田の言葉に対してナオコは「杉田さんがそんなにも村下孝蔵さんの事を評価なさっていたなんてちょっと意外でした。私も杉田さんと全く同じ様に思っていて、彼の歌と詩はほんとに繊細で素敵で素晴らしいと思います。それと私は思うんですが、田村伸介さんの詩を村下さんの歌を聴きながら読むとほんとに胸に来ると言うか、ほんとに合うんです。感性がぴったり合うと言うか、抒情性がさらに増すと言ったらいいのか、とにかく合うんです、いやむしろこう言ったらいいのかな、つまり感動が増幅されるんです。」と言った。それに対して杉田は「そうか、そう言われたらそうかもな。」と言った。
「・・・話は変わりますが、この前五百万円程別れた奥さんの所へ送金したそうですけど、ほんと私の様な素人にはただただ凄いなあとしか言いようがありませんが、そんな風に大金を稼ぐレベルまでに到達するには凄く苦労なさったんでしょうね。」
「確かに苦労したと言えばかなり苦労したけど、それよりも何と言ったらいいのか、結局ギャンブルで喰って行こうと考える事自体正気の沙汰やないと言うか、頭がおかしい人間じゃなければ成し遂げられない事やと思う。実際儲けられる様なレベルに達するまでに凄い借金を作って嫁さんとその実家にかなりの迷惑をかけてしまったし、その事に関してはほんと申し訳ない事をしたと思う。家を売らなあかん様になって、まあまあの値段で売ったんやけど、それでもまだかなり借金が残って、それを結局嫁さんの両親が肩代わりしてくれたんやけど、その時両親にお詫びに言った時に俺はギャンブルはやめないと言ったんや。あの時土下座して今後一切ギャンブルはやらずに一生懸命働いてこの埋め合わせはすると言えば離婚せんで済んだやろうけど、あろうことか俺はギャンブルは絶対にやめないと嫁さんの両親に言ったんや。嫁さんの両親はかなりの資産家で、いくつかホテルを経営してたりして俺に仕事を手伝って欲しかったみたいやなんけど、その両親のせっかくの温情を踏みにじる様な事を俺は言ってしまった訳で、当然両親はもの凄く激怒して、おまえは頭がおかしいとおとうさんに怒鳴りつけられて結局離婚するしかないっていう風になってしまったわけやねんけど、とにかくギャンブルを極めるという事は普通の人には理解できない、途轍もなく不条理で狂気に満ちた事やから、こんな生き方は絶対選ばない方がいいと言わざるを得んな。ギャンブルに振り回されて制御を失って奈落の底に落ちて行った人間をほんと今までに何人も見て来たし、全員が全員悲惨な最後を迎えよったから、ほんとギャンブルはほどほどにと言うしかないんやけど、ほどほどにギャンブルをするって事は実際なかなか難しい事で、結局全くやらないか、さもなくば行くとこまで行くかのどっちかになる場合が多いな。まあ俺みたいな人間が言うのは説得力無いけど、ギャンブルはせん方がええという事やな。」
「・・私みたいな人間はやはりやらない方がいいんでしょうね?」
「そやな、今日みたいな事を繰り返しとったらいずれ奈落の底に落ちる事は間違いない感じやな。かなり気を付けた方がいいタイプの代表やと思う。」
「そういう意味では今月末に帰国が決まったのはちょうど良かったのかもしれませんね。」
「人の事をどうこう言う資格は俺には無いやろうけど、そう言ってもいいかもな。」
杉田はそう言うとグラスに残っていたビールを一気に飲み干して暫く沈黙した。ナオコも同じように残っていたソフトドリンクのコーラを飲み干し(ナオコは今回酒類は頼まなかった)、空を見つめながら暫く沈黙した。ナオコが腕時計に目をやると時刻は夜の十一時をちょっと過ぎていた。杉田がそろそろ出よかと言ったのでナオコは”Check, please !(会計をお願いします)”とウエイターに告げ、ナオコのカジノポイントを使って清算し、ウエイターへのチップをテーブルに置いて外に出た。
カジノの外に出ると杉田は短い間やったけど、色々ありがとう、また時間があったらマカオや韓国のカジノに来てくれとナオコに言った。ナオコはこれでお別れだと思うとほんとにほんとに名残惜しかったし、胸が少し痛んだ。恋しい人を見つめる様な眼差しを杉田に向けながらナオコは「東京に帰ったらまたかなり忙しくなるんで正直マカオや韓国まで行けるかどうかわからないんですけど、また会える日が来るんでしょうか?」と言った。
杉田はナオコの目をまっすぐ見つめながら言った: ─────────────────────────────────────────────「また会えるよ。」────────────────────────
────── 彼はこの時関西アクセントではなく、標準語のアクセントで言ったのだ!─────────
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────「いつかどこかで。」
(つづく)
終章 いつかどこかで
「・・・・そうか、昨日杉田に会ったんか・・。」
翌日の正午、即ち一九九三年十月七日の木曜日の正午、約束の場所であるGホテルの一階ロビーで落ち合ったナオコと倉田ミエコはそのまま二階の日本食レストランへ向かった。このレストランは一週間前杉田と一緒に食事したあのレストランである。二人とも日本食が食べたかったので一瞬の即断でこのレストランに決まった。日本人の調理師が常時調理を受け持っているこの本格的な日本食レストラン、値段はかなり張るが味の方はほんとに最高レベルで、ナオコはほんとにここが気に入っている。テーブルに就いてメニューを見ながら色々と注文し、ウエイトレスのアジア系アメリカ人が去った後すぐにナオコは昨日杉田に会った事をミエコに告げたのだった。ミエコはちょっと何かを考えるかの様に沈黙した後こう言った───「あいつ、ちょっと変わったやつやろう?」
「・・変わってると言えばちょっと変わってますが、なかなか素敵な男性だと思います。」
「確かにいい男やけどな、あんな男には惚れん方がええわ。」
「・・え?」突然惚れん方がええわと言われてナオコは戸惑った。もしかして私の心を見透かして言っているのだろうか?今まで倉田先生に対してそれらしい事をほのめかした事は一度も無いのに・・・・いやそんな筈はない、きっと私の思い過ごしだと思いながら黙り込んで困惑した様子を見せているナオコに対してミエコは続けて言った。「あいつの為を思って身を引いたのに結局洋子を裏切る様な事をしよったし、とにかく女に関してだらしない奴なのは間違いないわ。ほんとあんな奴には惚れたらあかんわ。」そう言いながらミエコはフーっとため息をついた。どうやらあんな男には惚れない方がいいと言ったのはミエコがミエコ自身に対して、自分自身に言い聞かせるという意味合いで言ったみたいであった。
「・・・実はな、昨日の晩に洋子と会ったんや。」唐突に倉田ミエコは言った。「久しぶりに会ってみたくなって、昨日あんたに電話してから洋子が仕事してるカジノにタクシー飛ばして会いに行ったんや。」
「そうなんですか。」
「それでもって洋子の仕事が終わってから一時間位話をしたんやけどな、それで色々話をしてどうして杉田と別れるに到ったかというのを詳しく聞いたんやけど、ほんとむかついたわ。よりによってそんな分かれ方するなんて、私がどんな思いして身を引いたのかあいつはわかってないんちゃうかと思った。」
「それに関しては杉田さんの中で倉田先生と洋子さんの二人に対しての複雑な思いと言うか、葛藤があったと聞いてるんですが・・。」
「洋子もそれを言うとったわ。どっちにしろもう終わった事やし、杉田と別れたからこそシルバーフレイムに加入する事が出来たし、アメリカ人の旦那に会う事も出来たって事になるから今はもう全く気にしていないし、全然憎んでもいないって言うてたわ。結局そういう運命だったんだと思うって。ただ久しぶりにかつて愛した男に再会して正直とまどいもあるって事も言うてた・・。これがどういう意味かナオコちゃんわかるか?」
「・・・・・・」ナオコはどう答えていいか分からず困惑した表情を浮かべた。洋子さんの立場に立ってみれば、恐らくこういった気持ちだろうというのは感覚的には分かるが、それを今こういう事なんじゃないですかと口に出して言うのはどうだろうか。そんな事を本人ではない者が口に出して言うべきではないと思ったし、だから今私はそれに関して何も言う事は出来ない・・・・困惑した表情を浮かべ黙り込むナオコに対して倉田ミエコはこう言った。「・・どうやら昔の感情がまた蘇えって来たみたいやな、洋子は。」
「・・・・・・」困惑し、何も言えなくて黙り込んでいるナオコは心の中で”何て事!”と叫ばずにはいられなかった。叫ばずにはいられないその理由というのは結局自分を含めた女性三人全てが一人の男をめぐって気持ちをやきもきさせているという事実であった。ナオコがもし杉田の事を全く何とも思っていなければミエコと洋子の間の二人の問題という事で、外から眺めていればいいだけの話になるのだが、ナオコ自身が熱烈に恋をしているのであれば何もせずじっと眺めているだけなんて事は出来ない。何とかしなければならない。何かをしなければならない。ミエコが今言った発言がきっかけになってナオコはもう自分の気持ちを無理に隠して封印すべきではないと悟った。だけど今更何が出来るのだろう?杉田は今日の夕方の便で日本に帰国する。飛行機に乗る前に気持ちを伝えておくべきなのか?今更そんな事をして何になる?自分の事を何とも思っていない人に対してそんな事をしても意味がないんじゃないのか?さっきまで何も言わずに時が過ぎて自分の気持ちが薄れて行くのを静かに見守って行こうと思っていたのに、洋子さんと倉田先生が二人とも彼に思いを寄せている事を知ってじっとしてはいられない思いになっている自分がナオコにはとても不思議だったし、そんな自分にいらついてもいた。どうしたらいいのか実際の所わからなかった─── 。
「・・・洋子にとって亡くなった旦那さんは何と言うか、要するに父親みたいな存在やったみたいやな。自分を暖かい光で包んでくれる太陽みたいな存在だったと言うとったし・・・。旦那さんの事も深く愛してたのは間違いないけど、旦那さんが亡くなって心がどうしようもなく寂しい時にかつて深く愛した男が現れて、そりゃ昔の思いがまた蘇えりもするわな・・・。」倉田ミエコはため息をつきながら言った。「それでな、杉田に洋子の事はどうするつもりやってストレートに訊いたらな、今は洋子と男女の関係になるなんて事は全く考えていないって言いよった。ただラスベガスに来たら必ず訪ねてちゃんと生活出来てるか見て、助けが必要な時はいつでも助けるつもりやと言うとった。今は誰とも男女の関係になる事は考えていないとの事で、その理由というのが今はヒロちゃんのパパでいる事を優先したいからやって事や。」
「・・ヒロちゃんて杉田さんのお子さんの名前ですか?」
「そうや、今5歳のかわいい盛りの子供でヒロユキと言う名前の子やねんけど、奥さんと離婚になったのは仕方ない事やけど、子供と別れ別れになったのはほんとにつらいって言うとった。とにかく今はヒロちゃんのパパでいるって事が最優先やから、当分恋愛はするつもりはないって事や。そんでもってな、私の事はどう思ってんのや?って訊いてみたらな、ミエコにはほんとに感謝してる、これからもいい友達でいたいし、もし出来たらこれからもスポンサーになって欲しいって。」そう言いながらミエコはアハハと笑った。そんなミエコに対してナオコは「・・・今でも杉田さんの事はお思いになっていらっしゃるんですか?」とストレートに尋ねた。それに対してミエコは「悲しい事やけど、それは否定でけへんわ。ほんとにアホやな・・。」と言った。「何の保証も無いギャンブル野郎のスポンサーになるなんて事、アホやなかったらでけへんわ。」そう言いながら顔に哀愁の表情を見せた。この偉大な漫画の大家は杉田にぞっこんな様だった。ナオコは杉田が今は誰とも恋愛関係になるつもりはないと言ったのを知って何とも言えない複雑な気持ちになった。今の所は誰とも恋人にならないとは言っているが、人間の気持ちなんてものはいつ何時変わるかもしれない。結局の所杉田次第という事になるのだろうが、一体どういう事になるのだろうか────?
「・・・・もうこんな話はやめよう。寿司とか来たし、食べよか。」テーブルの上に半分ぐらい料理が揃ったのでミエコは言った。「なかなかおいしそうやな。何回か食べたけど、ほんとにここの料理は最高やわ。」
二人は食事をしながら、色んな話をした。ナオコはまずミエコの作品について思いつく限り色々挙げてその作品について色々な質問をするとミエコはそれに対してほとんど即答といっていいスピードで答えていった。ナオコはこないだまでただの一ファンに過ぎなかった自分が今こんなにも間近にこの漫画界の偉大な神に接しているという事実がただただ信じられなかった。ほんとに幸運だと思ったし、色々漫画の裏話も聞けてとても興味深く、ほんとに幸運すぎて感無量の思いであった。ラスベガスという所は時としてこういうマジックを生み出すことがあるんだなと、ラスベガスの神様に(そういう神がいるのかどうかはわからないが)感謝したい気持ちで一杯であった─── 。
話をしている内に時間が経ち、時計の針が午後二時半を指す頃ナオコがふと思いついて「・・・倉田先生は杉田さんの実家に行かれた事があるんですか?」と尋ねるとミエコはこう答えた────「あるで。付き合ってた時に何回か行ったわ。お母さんにもおうた(会った)事があるし、住所も覚えてる。東大阪市XX町X丁目XX-XXや。」
──────────えっ!!!???とナオコはもの凄い表情で驚愕した。「その住所は間違いないんですか?絶対に東大阪市XX町X丁目XX-XXなんですか?」と驚きで目をむいた表情でミエコに尋ねるとミエコは「うん、間違いないで。確かに東大阪市XX町X丁目XX-XXや。」と言った。
ナオコは驚愕の表情のままこう言った────「その住所は私が中学の時に文通していた田村シンスケさんという人の住所と全く同じなんですが、絶対間違いないんですか?」
「・・・・そのシンスケさんという人、漢字ではどう書くの?」
「にんべんに申すという字、つまり伸びるっていう字、要するに南伸介さんの伸介なんですけど。」
「ああそれはな、伸介という字を書いてノブユキと読むんや。要するに田村シンスケという名前やなくて、田村ノブユキなんや。文通してた時それは言うてなかったんか?」
「・・・はいそれは全く手紙の中では触れられてませんでした。だけど、名字が違うというのはどういう訳なんです?」
「それはな、実は杉田、高校三年の時に両親が離婚してな、それでお母さんが親権を取って名字の方もお母さんの元々の姓やった杉田に変えたんや。だから離婚する前はあいつ、田村ノブユキっていう名前やったんや。漢字では田村伸介って書くけど、田村ノブユキって読むわけで、杉田もこんなややこしい名前付けんといて欲しかったなあとよく言うとった・・。誰もノブユキなんて読んでくれる人はおらへん、いつもシンスケ、シンスケって言われるから自分の名前を言う時毎回説明せなあかんのがとても面倒くさくて煩わしいってよく言うとったわ。何でもおとうさんがどっかの神社の人に頼んで付けてもろうたらしいねんけど、何で伸介がノブユキなんて変な読み方になるんか全くわからんし、とにかくめんどくさいから困るわって言うてた──。」
──────────ああ何てこと!!!こんな事があっていいの!?あの人が田村伸介さんだったなんて・・・・!ナオコは非常に混乱していた。今思い返してみればナオコが違和感を感じたあの杉田のポーカーフェイス、あれはきっと自分の心の動きをナオコに悟られまいと杉田が無意識に防衛反応で見せたものなのだろう。杉田は職業柄自分の心の動きを見せない様に頻繁にポーカーフェイスをするから、誰かに自分の心の動きを見せてはいけないと感じたら本能的に無意識にポーカーフェイスになる。だからあの時あんな表情になったのだろう。だけど結果的にナオコは違和感を感じたから、ポーカーフェイスも時と場合によっては逆効果になる事があるという事だ。それにしてもこんな事があるなんて想像もしなかったのでナオコは非常に混乱していた。あまりにも混乱していたので放心状態になっていた。そんなナオコに対してミエコは続けて言った。「・・・・だけど杉田がナオコちゃんと文通してたなんてちょっとびっくりしたな。あいつ、そんな事一言も言うてなかったし、世間てほんと狭いんやな。」ナオコはそれに対して何も言葉を返せず黙りこくったまま茫然とした表情をしていたのでミエコは「あんたも凄く驚いたみたいやな。まあ無理もないか。中学時代に文通してた人とラスベガスで知らん内に会ってたなんて確かに驚きやもんな。まあ名前が知らん内に変わってたし、伸介をノブユキと読むというのも知らんかった訳やから、ほんとに驚いたと思う。そう言えばさっき話してた私が小学校の時描いた「恋犬ラムータの冒険」やけど、小学校の時は田村っていう名前やったからそのタムラを逆読みしてラムタ、それをちょっと伸ばしてラムータっていう所からこのタイトルになったんや。」と言った。ナオコはラムータという名前の由来に関して深く考えた事が無かったので、そうだったのか、何でもっと早く気づかなかったのだろうと思った。言われてみれば非常に単純で簡単な事だ。簡単すぎるから却って気づかなかったのだろう。ナオコが「洋子さんも杉田さんの名前の事は御存じだったんですか?」と訊くとミエコは「もちろん知ってる。短大に行ってた時洋子にその事を教えたんは私やから。」と答えた。
「洋子さんはラムータの漫画を見た事はあるんですか?」
「いやそれはないわ。」
「洋子さんはラムータの名前の由来は御存じなんですか?」
「それはわかるんちゃうか。ラムータっていうのは杉田すなわち田村をモデルにして犬の姿にデフォルメして描いた漫画やし、ラムータってタムラを逆にして読んでるってちょっと考えたらわかると思うけどな。」
──────ああ何て事だろう!洋子さんから杉田の話を聞いた時ナオコはラムータという名前に関して何でラムータっていう名前なんだろうとちょっと思ったのだが、その事を洋子に訊いてみる事はしなかった。ちょっと疑問に思ったが大した問題だと思わなかったので何も訊かなかったのだが、もしもあの時その事を尋ねたならきっと洋子はその名前の由来について説明してくれた事だろう。そしてもしあの時杉田のかつての名前が田村だと知ったらナオコは間違いなく自分の文通していた相手の事を洋子に言ってその名前に関して確認しただろうし、そうなれば伸介という名前は実はノブユキと読むという事がわかって、結果としてもっと早く杉田ノブユキが実は田村伸介であった事が判明した事だろう。早く判明したからといって今のこの現実が大きく変わるなんて事はないだろうが、少なくとも長年憧れ慕って来た自分のソウルメイトと言ってもいい偉大な詩人と直に再会出来たという事実にもの凄く感激していた事であろう。だけど今となってはもう・・・・あ、そんな事はない、今ならまだ間に合う!────ナオコが自分の腕時計を見ると午後の二時三十八分を指していた。今ならまだ間に合うはずだ。急いで空港へ行かなくては!────ナオコは慌てた様子で「先生、すいませんけど今すぐ行かなきゃいけないんです。突然ですけど失礼させて下さい。」と言ったのでミエコは驚いて「え?どこへ行くの?」と訊いた。
「今すぐ空港へ行かなければならないんです。早く行かないと間に合わない・・」と言いながらナオコは涙ぐんでいた。急に感極まって涙が溢れたのだ。ナオコはもう自分の気持ちを押さえる事は出来なかった。今すぐ空港へ行って自分の気持ちを伝えなければ!───その思いで一杯であった──。
「・・・空港って、もしかして杉田に会うんか?それにあんた何で泣いてんの?」事情を知らないミエコが不思議そうに尋ねるとナオコは「今詳しく説明してる時間は無いんです。すいませんけど失礼させて下さい。」と言った。ミエコは茫然とナオコの顔を見つめていたがやがてこう言った。「・・わかった。ここはもういいから早く行き。何か深い事情があるみたいやけど、また電話するからな。」
慌ただしくミエコの元を離れたナオコは急いで駐車場に向かった。とにかく大急ぎで空港へ行かねばならないのだが、何分位で行けるだろうか?普通に考えればこのダウンタウンのGホテルから空港までは大体三十分位はかかると思われる。とにかく出来るだけ飛ばして行くしかない。だけどもし渋滞とかあったらどうしよう?ナオコは色々考えた末に自分の車ではなくタクシーで行く事に決めた。ここの運転手は渋滞の無い裏道とかを熟知してるだろうからタクシーで行く方が絶対早いに決まってる。とにかく急ごう。
午後二時四十三分、ナオコはホテルの玄関口に停まっているタクシーに飛び乗ると運転手に「空港へ行って下さい。国際線の方でお願いします。とにかく急いでるので最大限早く行って下さい。チップは三倍払います。」と言った。五十歳位だろうと思われる髭を生やした運転手は「かなり飛ばすけど大丈夫か?」と尋ねた。ナオコは問題ない、とにかくスピードを上げて急いで行って欲しい、速ければ速いほどいいと運転手に伝えると運転手は”All right. Hold on ! (オッケー、しっかり掴まっとけよ!)”と言ってもの凄いスピードで裏道を飛ばして行った。ナオコは後部座席でシートベルトをしていたが、ほんとにもの凄いスピードだったのでかなり揺れて正直恐怖を感じた。この運転手はかなりのベテランらしく運転のテクニックは抜群であった。あまりに速いので、まるで新幹線に乗ってるんじゃないかと錯覚する程だった。目まぐるしく窓の外の風景が流れて行くのを見つめている内にタクシーは空港の国際線乗り場に到着した。時刻を見ると午後二時五十五分を指していた。何と所要時間十二分!!普通に考えて三十分位はかかるであろう距離を何と十二分という短時間で着いたのでナオコは驚いたし、凄いなとも思った。タクシー代と相場の三倍に相当するチップを運転手に渡すと彼は満面の笑みを浮かべ、”Thank you. Good luck ! (ありがとう、幸運を祈るよ!)”と言って去って行き、ナオコは駆け足で杉田の乗る便の航空会社カウンターへと急いだ。カウンターに着いた時、時刻は二時五十七分だった。出発は午後五時ちょうどなので、二時間と三分前に着いたという事になる。普通に考えれば杉田はまだチェックインしていないだろう。ナオコはチェックインカウンターの近くで杉田が来るのを待つことにした──。
────待って一時間ちょっとが過ぎた午後四時になっても杉田は現れなかった。ナオコは杉田がもしかしてかなり早めに空港に来て、ナオコが到着するかなり前にもう搭乗手続きを終えて中に入って行ったのかもしれないと思った。出来ればカウンターの人に杉田がチェックインしたかどうか訊きたかったが、そんな個人情報を教えてくれるわけもないし、ナオコは所在なく空を見つめながら昨日の晩別れ際に杉田が言った最後の言葉を思い出していた──────「また会えるよ」──────「いつかどこかで」─────。今思えば間違いなく杉田は気づいていた─────杉田と初めて話をしたあの日、コーヒーショップで田村伸介の詩を杉田に見せた時杉田はナオコが学生時代に文通していたあの子であると間違いなく気づいていたに違いない。それと杉田が最後に標準語のアクセントで言ったあの言葉、昨日は忘れていたが、あの言葉は自分が最後に書いた手紙の内容に関連する事柄であり、あの手紙を読んでる者でなければあんなセリフは出て来ない。標準語で言ったという事に関してもそれは彼独特のユーモアなのだろう。ほんとにあの人は・・・・。ナオコは杉田の顔を思い浮かべながら微笑んだ────いいんだ、今日会えなかったら杉田の家まで直接行こう・・・日本に帰ったらすぐにでも大阪に行って杉田の家まで直接押しかけようとナオコは思った。まああっちこっち行ってる人だから会える確率は低いけど、少なくとも手紙は置いていけるだろうし、もう自分の気持ちを押さえつけて隠すことは出来ない。どういう結果になろうと自分の気持ちははっきりと伝えよう。そうだ、そうするしかないとナオコは心を決めた。心を決めるととても晴れやかな気持ちになった。さらに一時間が過ぎて時計が午後五時を指し示す頃、やはり杉田は姿を現さず、ナオコは小さな微笑みを浮かべながらラスベガスの空港を去って行った───。
───────場所は変わってここは日本の大阪、時は一九九三年十月二十日の水曜日の午後一時頃、杉田ノブユキは東大阪の実家の二階にある自分の部屋で昔ナオコから送られて来た手紙を読み返していた。彼は昨日(十月十九日)の晩に香港から戻ったばかりだった。なぜ香港からなのか?その辺の事情を説明すると、実は杉田は十月七日の日に日本行きの飛行機に搭乗しなかったのだ。七日の当日になって急に気が変わり、マカオに行ってちょっと稼いでから日本に戻る事に決めた。杉田は正午前にホテルのフロントに行ってもう一日延泊したいと告げてから直ぐにタクシーで空港まで行き、まず元々の日本行きの航空券をキャンセルして、翌日(十月八日)の香港行きの航空券を新たに購入した。キャンセルした航空券は当日キャンセルだった為半分ぐらいしか返金されなかったし、香港行きのチケットもかなり割高な感じだったが杉田は全く気にせず、またマカオで稼げばいいと思った。チケットを購入するとタクシーでポーカー大会が行われているストリップ区内のMGカジノに向かい、大会に参加して結局二位(準優勝)となりまあまあの賞金を受け取った。賞金を受け取るとダウンタウンのQホテルに帰り、その晩はQホテルのミニシアターでプレスリーのそっくりさんショーが行われていたのでふらっと中に入って見てみるとこれがまた凄く良くて、久しぶりに興奮を覚えた。とにかく歌がうまく、ルックスもエルビスにかなり似ていてショーは無茶苦茶盛り上がっていた。百人ぐらいの観客でやっている小規模なショーなのだがやはりベガスのショーはレベルが高く、ほんとに最高のパフォーマンスであった。杉田は周りの観客と一緒に乗りに乗ってほんとに興奮し、大満足の表情で会場を後にした。
杉田の泊っているQホテルはミエコが泊っているGホテルからかなり近い所にあるのだが、結局顔を合わせる事はなかった。翌日杉田は香港行きの飛行機に搭乗し、香港に着いた翌日フェリーでマカオに向かってマカオには結局一週間程滞在した。マカオでもかなりのお金を稼ぐ事が出来、大満足の結果に顔をほころばせながら香港に帰り、香港でちょっと遊んでから日本への帰国の途についた。それが昨日、即ち十月十九日の事で、東大阪の実家に着くと杉田は疲れが凄くたまっていたので二階に着くとベッドにバタンキューっとなりそのまま寝てしまった。
杉田は離婚後実家に戻り、母親と二人で暮らしていた。妹は九年前に結婚して大阪市内に住んでいる。杉田がギャンブルにのめり込んでいる事に関しては、母親はもちろん凄く心配し、ずっとがみがみと叱責し続けていたが、杉田がカジノで大金を稼ぐ様になり実際にその稼いだ現金を目にしてからはもう何も言わなくなった。ギャンブルで大金を稼げるなんてほんと信じられない事だとは思っているが、とりあえずは様子を見ようという所みたいだ。
ナオコは十月の末に帰国する事が決まっていて、今日は十月の二十日、当然の事ながらナオコはまだ杉田の家に来ていない。帰国したら四日程有給休暇がもらえる事になっているのでその間に訪ねて来る事は間違いないだろうが、もちろん杉田はその事を知らないし、自分が田村伸介である事がばれていることも知らない。初めてナオコと話をしたあの日、ナオコの手帳に自分の詩が書かれているのを目にするまで杉田は気づいていなかった。手帳の上に書かれた「ノスタルジア」の詩を目にして初めてこの女の子が昔文通していたあの女の子である事がわかった。当然の事ながら杉田はかなり驚いたのだが、職業柄表情を隠す事に長けているのでそんな事はおくびにも出さなかった。
文通を杉田の方から突然一方的に打ち切った事に関してはほんとに礼儀に欠けていたと思っている。正直な所を言えば、あの頃杉田は色んな事で精神的に抑圧されていてかなりまいっていたという事は確かだが、文通を続けられない事もなかった。ほんとに正直な所を言えば、ナオコと違って(ナオコはほんとに字が綺麗で達筆だった)杉田は悪筆で字を書くスピードも遅い。気軽にパーッと手紙を書いてぱっと送るなんて事が出来ない人間だったので、まず下書きをザーッと書いて、色々考えて手直ししてそれから違う紙に清書して郵送する、という感じだった。杉田にとって内容のある事を手紙にして送るという作業は結構手間のかかる事だったので、ある時めんどくさくなり長い間書かずにいたら時間がかなり経っていた、という感じに近い事であった。ナオコとの文通はナオコの方から文通して欲しいと言って来た事であり、実際の所杉田はそれまで誰かと文通するなんて事は想像もしなかった事なので最初はほんと戸惑った。めんどくさいと言えば面倒だが、これも何かの縁、とにかく一回やってみようじゃないかという感じでやっていた。あの頃もしワープロがあって字がパッパッと打てればもっと長く文通していたかもしれない。悪筆で気軽に手紙をパッパッと書く事が出来なかったのは確かであるが、結果的に何も言わず一方的に文通を打ち切ったのだからやはり自分はほんと礼を失していたと思う。もし謝る機会があれば謝罪したい。これから先もし自分が田村伸介である事をナオコが知る様な事があればその時はほんと真摯に謝罪したいと思う。以上が事の真相であり、杉田の正直な気持ちであった。
ベガスに行くちょっと前、杉田が凄く久しぶりにクローゼットの整理をしていると小さな紙袋にナオコから来た手紙がまとめて入っているのが見つかり、初めから順番に全て読んでみた。読みながら高校時代の色んな事を思い出し、杉田は懐かしさに浸った。杉田が詩を書いていたのはひとえに高校時代、悩みの多い時でもあり色々心理的に抑圧されていたので、その抑圧から少しの間でも離れていたい、現実を忘れたい、といった思いからであった。高校時代、ロックに浸り、現実から離れてファンタジーやノスタルジー、空想の世界や甘美な夢の世界の中に一時的に入ってもの思いにふけようというそういった思いから詩作を始めるようになった。その内の一作である「ノスタルジア」がPFマガジンに掲載され、それを読んだ山口ナオコが手紙をくれた。それで短い間だったが文通し、手紙を交換した。大学に入ってからは、オリジナルをやるバンドにいる時にちょっと作詞をしたのを除けば杉田は一切詩作をしていない。これはひとえに詩作をしたいという思いがなぜか杉田の心から消えてしまったからなのだが、その理由は杉田にもよくわからない。ただ単に興味を失ったからかもしれないし、高校時代と比べて抑圧されてるという思いが少なくなったからなのかもしれない──。
さて十月二十日のこの日、杉田はもう一度ナオコから来た手紙を初めから全て順番に読んでいた。読んでいる内にやがて一番最後の手紙という事になったのだが、この手紙にはナオコの自作の詩が書かれてあった。「いつかどこかで」というタイトルの詩で、これはナオコが想いを寄せていた男性に宛てて書いた詩であるとの事なのだが、なかなか胸にぐっと来る詩であった。この女の子は高校時代の自分と同じように夢想に耽ることが好きで、繊細な気持ちを精一杯詩の中に投影する事が出来る、自分にとってソウルメイトだと言ってもいい様な存在だと杉田も思った。感性がよく似ているのだと思う。杉田はナオコの「いつかどこかで」を読みながら失われた時へのノスタルジーに浸った。ナオコから来た一番最後の手紙は以下の様に書かれてあった───
田村伸介様
FROM : 山口ナオコ DATE : 一九七八年十一月四日
お元気ですか?最近は温度もぐっと下がって来て、街の街路樹を見たら晩秋に入ったんだなと実感する事が多い哀愁に満ち溢れた時期ですが、私は感傷的になりやすいこの時期が何とも言えず好きです。相変わらず色々な本を読んで夢想に耽っている毎日ですが、街の図書館でアラン・フルニエの「ル・グラン・モーヌ(Le Grand Meaulnes、モーヌの大将)」という本を見つけ、かねてからこの小説が幻想的なフィーリングに満ち溢れた青春小説だと聞いていたので読んでみたんですが、ほんとにこの小説は幻想的でノスタルジーに満ち溢れた少年期を回顧する”ノスタルジー小説”と言ってもいいような魅力的な小説です。杉田さんは読んだ事がおありでしょうか?三島由紀夫さんのエッセイではこの小説は少年時代の思い出を懐かしむ人の為の小説で、少年期に読んだら少年が少年時代の思い出を懐かしむ小説を読むという事になり、面白いと思う事はないだろうという様な事を書かれていましたが、私の感想としてはかなり夢想に満ち溢れた、ノスタルジックで静かな感動を呼ぶ幻想的な青春小説で、なかなか面白く読めました。大人になってからもう一度読んでみたらまた違った発見があるかもしれないし、違った感想を持つかもしれませんが、今度読む時はフランス語の原文で読んでみたいと思います(とは言ってもフランス語って無茶苦茶難しいので、何年後の事になるのか今は想像出来ませんけど)。
・・・・・話は変わって、こんな事を言うのはほんと心苦しいんですけど、最近田村さんから手紙が来ません。ごめんなさい、催促してる訳じゃないんですけど四月二十三日付けの手紙以来来ていないので私だけこんな風に一方的に送り続けるという事はすべきではないと考えます。ですから今後田村さんから手紙が来なければ私の方からはもう手紙は書きません。ほんとに凄く寂しい事だし、残念にも思いますが今までほんとにありがとうございました。短い間でしたが田村さんと手紙を交換し、色々な事を語り合い、田村さんの繊細で素敵な素晴らしい詩を世界中で私だけが読む事が出来た事は私の人生にとって凄く光栄な事であり、特権であり、素晴らしい体験でした。月並みな言葉を並べて恐縮に思いますが、これは私の率直な感想です。どうかお体に気を付けてバンドの方も頑張って下さい。お互い受験とかもあってかなり大変な時期ですが、がんばって乗り切って行きましょう。
また話は変わって、この間(一ヶ月ぐらい前)本屋に行った時PFマガジンに田村さんの「れんげ畑」が載っているのを目にして買って帰り、じっくりと読ませて頂きました。田村さんの世界満開の、抒情と何とも言えない哀しみが漂う優れた抒情詩だと思いますが、何回か読んでいる内に私、泣いてしまいました。実は私最近失恋したんです。相手は前に手紙でも書いた事があるイ・プーのLPを貸してくれた近所に住む四つ年上の幼なじみのお兄さんで、私はずっと大好きで慕っていたんですが、そのお兄さんに彼女が出来て、お兄さんはその彼女の事が真剣に好きなので私は何も出来ず、ただ泣くことしか出来ませんでした。今はかなり落ち着いて今日、そのお兄さんに対する想いを一つの詩にしてみました。もう一気に言葉が溢れ出てかなり短時間の内に出来た詩ですが、最後に締めくくりとしてここに記したいと思います。田村さんの詩と比べたらほんとに足元にも及ばないようなレベルの詩ですが、これは私の魂の叫びと熱い想いを詩にしたものです。この詩の中に出て来る、”さよならは言わない、なぜならいつかどこかできっとまたあなたに会えると信じているから”という言葉はお兄さんだけではなく、田村さんに対する言葉でもあります。という事でさよならは言いません。いつかどこかでまた会える日が来ると信じています───。
百万の星々に匹敵する感謝を込めて
山口ナオコ
いつかどこかで
私の上には真っ青な空
私の前にはまっすぐな白い道
太陽は常に私のそばにある
たとえあなたが私の世界から去って行っても
私は泣かない
いつかどこかで
また会える日が来ると信じているから
これは永遠の別れではなく
暫く別々の世界で生きていくだけ
また会える日が必ず来る
そして私は忘れない
あの日十四歳の私の胸を焦がした
あなたの優しい微笑み
あなたの優しい眼差しと言葉を
雨の降る街角で 或いは雪が降る小道で
私はあなたの優しい甘美な声を思い出す
真夜中に流す孤独の涙の中で
私はあなたの温もりを探す
さよならは言わない
いつかどこかで
きっとまた会えると信じているから
あなたと一緒に過ごした楽しい時を
ずっと忘れずに
これからはあなたが幸せでいる事を
ずっと祈っていようと思う
ありがとう
あなたが私の為にしてくれた事全てに感謝して
これからは新しい生き方を探すつもり
だから時々は私の事を思い出して欲しい
かつて故郷にあなたに憧れた少女がいた事を
忘れないで欲しいの
私の上には真っ青な空
私の前にはまっすぐな白い道
太陽は常に私のそばにある
今私は新しい物の見方を探してる
空に昇る七色の虹の様に
希望の象徴となる物を探している
さよならは言わない
なぜならいつかどこかで
きっとまたあなたに会えると信じているから
いつかどこかできっとまた
あなたの笑顔を見る事が出来る日が来ると信じているから
時が過ぎて全てが遠い過去になったなら
きっとあなたも私も懐かしく思い出すだろう
あの麗しく美しい秋の日々
1978年の秋—————
( 完 )
いつかどこかで────ノスタルジーの物語