無名の歌
ぼくが翻訳した、エミリ・ディキンソンの詩を集めました。ときどき、増えます。訪れてくれるとうれしいです。
エミリ、ぼくはあなたの"詩"と、あなたの"詩人"が好きなのです。
【エミリ・ディキンソン詩集】
[I’m Nobody! Who are you...]
わたしは無名のひと! あなたは誰?
あなたもまた──無名のひと?── 一緒かしら?
それならわたしたち 無名の歌で林立できるかも!
まさかこのこといいふらさないわよね?──おわかり!
憂いことね──名をもつひとになるなんて──なんてこと!
なんてかまびすしいの──蛙みたいだわ──
自分の名ばかりがなり立てて──六月の間ずっとよ──
讃えてくれる沼地にむかってね!
[A word is dead...]
ことばは去ってしまう
くちびるから洩れたそのときに、
と ひとびとは云った。
わたしはくちをひらく、
けだしその日 黎明が射す、
ことばが、めざめる。
[That Such have died enable Us...]
かのようなひとがかのように死にえたことは
わたしたちをさらなる静謐な死へとそそがせる──
かのようなひとがかのように生きてあったことは、
不死の創を証しそれをうつしよにそよがせる。
[Safe in their Alabaster Chambers]
雪花石膏の寝室 白光の清み洩れるあかるみにひそむという安息──
黎明 そが安息が揺りうごかされることはない──
真昼 そが安息が揺りうごかされることはない──
寝台に横臥わるは 復活の俟希みに追従う方々──
繻子の燦り赫む垂木──屋根に閉ざされるは、かの鉱石盤!
仰ぎなさい──星霜は大いなる流曳き往く──三日月線を伝い──
世界は 嫋やかに揺すり抱き起こす、その円舞の線を──
すれば渺渺たる天空──無数の光波舞踊らせ、そが流の裡を泳いでゆく──
数多の冠──一条一条を曳いて落下──総督等──わが栄冠を明け渡す──
重力に従属う滴りは 音の不在した光──雫涙の墜落点は、かの氷晶盤──
[To fight aloud,is very brave...]
雄叫び昇る戦い、それはとっても勇ましい──
されどわたしは識るの、さらに勇敢な戦いとはね、
胸中で不可視の突撃をしつづける、
悲哀の騎兵隊のそれであると──
たとい凱歌うたっても、国民は一瞥すら投げないわ──
たとい斃れて了っても──どなただって注意を払わない──
無名の戦士の死に清まれ往く眸、なべての国は眺めない、
愛国者への敬愛をもって、注意深く想うこともない──
わたしたちは信じる、白羽根装飾に額縁される
そんな淋しい人々のため、聖き天使たちは往くのだ、と──
しろき光折重なる羽並を揃え、無辜の天使は行進、行進──
「雪の衣装」を背に負って、ね。
[I died for Beauty - but was scarce...]
わたしは ”美”に侍るがために死んだのでした──けれども、
墓の裡の沈静に慕い寄ることは時々くらいでありました、
或る時 “真”へ身投するために死んだひと、横臥されておりました、
隣の ひきとどめられたがゆえの流れの籠る一部屋に──
かれ やわらかげな聲でいぶかります、「如何して失墜したの?」
「”美”に服従し、届かぬそれと刺しちがうため」 わたしはこたえた──
「ぼくは──天の宿す”真”を掴むため──でも双の影は唯一の月の落すもの──
同胞だ おなじ一族といってもいいね、ぼくたち」 そうかれは云った──
さすれば或る一夜、双方の「そのひと」と出逢ったのです、兄妹として──
そして わたしたちは切りはなされた箱ごしに語り合うのでした──
その時まで 苔が わたしたちの唇へ肉の滅亡へ蝕むように降りそそぎ──
肉を蔽い身を鎖すまで──不可能の不滅へ磔するが如く われらの名前を。
[The Heart has many Doors...]
ひとみなに睡る御心にはたくさんの扉がある
わたしにしえるのはノックだけ──
甘やかにしてやさしい「おいで」の御声がしまいかと
注意ぶかく耳を澄ませつつ──
たとい拒絶されてもわが身を憐みはしまい、
わたしには糧であるのだ
果てもない何処かにあられる
至高の御方の存在が──
[If I shouln’t be alive...]
もし わたしが生きてあることを静止したならば
駒鳥の飛来するそのとき、
明け渡してくださるかしら 赤いスカーフな洒落者の子に、
麺麭屑みたいな わたしの御大切なものを。
もし わたしがありがとうを伝えられなくっても、
はやばやと睡りへ硬化して往ったとしても、
あなたは知っていらっしゃるでしょう、わたしのお伝えしたい気持を、
冷然硬質へ締まり往くわが唇 其処にうたわれるそれを!
[I like a look of Agony…]
わたしは好き 断末魔に攣られた表情が、
何故って それは真実の貌だとわかるから──
ひとは死の痙攣に圧し揺るがされるふりなぞできっこない、
あるいは亦、それに身を裂くいたみも装えない──
そが眸にはつ霧がこごる──薄ら氷の降りるそれは死──
みせかけのそれなんて現れたりしないでしょう、
匿名平凡の苦悩としての珠のかずかずを結いつらねられた、
そが額に浮ぶ 珠玉の水珠文様を。
無名の歌
あなたは無名のひと、あなたは名もなきひと、あなたは何者でもないひと、あなたは匿名のひと、あなたは無名の匿名の領域を歌うひと、ああ、あなたは平凡きわまりないましろのアネモネの花畑を歌う稀有なほどに平凡なひと──ぼくは誰?