沈める黒死舘

  1 線路と死貌 ──エドガア・ポオ風の物語──


 わたしは幼少の頃より、冷然硬質な孤独をかかえこんでいた。
 それ故に冷たく硬い水晶、重たく被さった蒼穹の瞼、夜空に燦々と照る死者を反映した星々、わたしに冷酷な美しい少女たちを偏愛していたのだが、殊に愛していたのは「死」という観念であって、それはまさに玲瓏な水晶さながらと想われた、青みがかって透き徹ったそれの曳く蠱惑めいた翳に、頬を擦りつけたいほどに焦がれていたのだった。わたしは「幸福の王子」のツバメのように死んでみたかった。「ナイチンゲールと赤いばら」の小鳥のように身を投げてみたかった。然し、わたしにはオスカア・ワイルドの寓話の如き硬き死なぞは実現できまいという、うじうじとした自分への信頼のなさによって陰鬱な気持にもなり、自分は醜くしぶとく何もできやしない生を全うするであろうと何故かしら信じ込んでいたのだった。こんな意識はわたしの劣等感の種となったのだけれども、劣等感というのはともすれば執着であるからして、その影響もあり日常の風景の様々に死の反芻風景を刹那せつな感覚するようになったのもこの頃であり、むろんこんな感受性は独りぼっちで淋しがりやのわたしを更に孤独にしたようである。
 たとえば花々の散るのはわたしには豪奢なる血飛沫に金が鏤められているかのようであり、夕陽は海という死の核に半ば沈み込む溺死の最中の風景であって海と空にべったりと垂れる橙は荘厳にして古く褪せた血を撒き散らしているようにもみえた。中学に入って三島由紀夫の小説を読みかれが同様の比喩をつかっていることに驚いた記憶があるけれども、わたしはこれに無根拠な自信をえたことすらある。
 殊にわたしが死のオマージュを感受したのは線路上に走る列車の過ぎ去る風景であり、列車が眼前を奔り抜けた刹那わたしはいまわたしの死の可能性が去って了ったというような感慨をえていた、毎度毎度列車が通りすぎる瞬間にわが身を突き落としていたのだから、そんな想像をするのも無理はないだろう。こういった人身事故なる名称の出来事は度々起こり、多くのひとびとは「またか」というような多すぎるといいたげな感想を漏らすのをよく聞くけれども、わたしには何故たいていの人間が線路へ身投しないのかむしろふしぎに想うのである。毎日数百人が身投したとしても、わたしにはそんなものだとしか想えない。
 神経の問題だと推定されるが、わたしはだんだんと線路のうえに染みのような死体を幻視するようになった、それははじめ犬のような形状をしていて、小学生で初めて詩作に挑戦した時道路で横臥す野良犬の死骸への羨望・憧憬を歌ったのだけれども、従ってわたしのなかで何かしらの原因があり無惨な死と犬が結びついていると推定されるであろう、然し、何らかの段階を経てその染みは人間の貌へと変容し、誰かに似ている気がするがいまいち身元不明な三十かもう少し下くらいの男の顔になったのだ。
 それは引き攣り惨たらしくやつれている断末魔に際した顔付であり、或いはその表情で固まった死貌である。幾分己に閉ざされたように内省的な印象の目元は有しているようであるが眼付じたいは荒廃したように乾いた暗みが籠り、口許は恐怖に叫んでいるようにぐわと拡がっていて、全体が絵の具を引掻いてズタと破いたように下方へ肉を曳き垂らしていた。いわばフランシス・ベイコンの絵画に酷似した描写であるがそれに気付いたのはその十年も経ったのち、前述した三島が書いていたように幼少期というのは後年かれを執着させるモティーフが既に名称不明なメニューとして悉くが開示されており、後々になって名前が解って往くというのが往々にしてあるのかもしれない。それにしても名前が解って往くというのは不幸なことであり、もし詩なんぞをやりたいのなら、子供は社会的人間らしくなった後それを剥ぎ落して堕落し詩人へもどるのだというような経緯があるようにも想われる。が、わたしはどうも自分も社会的人間らしくなったという感覚をえた試しがなく、これをだってわたしの淋しさの原因の一つであるように想う。

  *

 わたしは十七歳で酷く神経を壊したのだが、その瘦せ衰えた腹に黒い染みができているのを発見したのだった。それは始め小さくささやかなものにすぎなかったので気にはしなかったけれども、ようようのっぺりと脚を伸ばし四方へ脹れるように、恰も浸食して往くように拡がり遂には腹全体を黒々と蟠るようになった、わたしはこれがコンプレックスで体育をすべて休みもうと企みはじめ、全部は達成できなかったが当然体育教師達から不信を向けられた、己の醜さを信じるが故に少女たちと碌にお話もできないようになり、他様々のわけもあって高校を中退した。
 染みはまるでわたし自身の陰鬱・異常性・暗みを腹に集中して籠らせているようであり、その腹が汗をかく姿は泥々と内より染みる魂の悪臭が垂れ流されているような、世にも気味わるいものとしてわたしの眼に映った。わたしが切腹に憧れを感じるようになったのはこの頃だが、然し未だエロスと結びつかなかったそれはわが醜さ・暗さへの罰と制裁に過ぎなかったのだった。わたしはわたしの内臓の蠢きを怖れきらっていて、所有者の死にたい気持を尻目にかってに生きようとする腸はらわたに代表される肉体のうごきが気持わるくて気持ちわるくて仕方がなく、そこに染みがべったりと内から染みているのが何かを暗示しているようで頗る不快、いまにも腹を引き裂いてぐしゃぐしゃに内部を掻きまわしたいという欲望をもつようになったのだった。然し臆病で人一倍痛みによわいわたしにそんなことできやしない。わたしは唯々腹と腹の裡に隠れる自己を憎しみ、他者に隠そうと四苦八苦ときに赤面或いは逆上、然るに心の何処かでは、その領域を愛していたようにすら想われる。
 曰く切腹の意欲というのは確かに自罰と自己嫌悪があるようで、それがないとあんな異常な自罰行為できるようにも想えない。武家を誇る家系の長男であるわたしは武士道教育の残滓のような教育を受けたために、ありのままの「我」への否定的な感情が腹を切らせうるというのはある程度は解るつもりだ、しかし切腹という行為にはなにか大切な大切な自尊心をわが手で撫でる行為にも似た幼児じみた愛着乃至オナニズムをわたしなんぞは感じて了う。腹を切り命を棄てることで誇りなるものを守護し先人と連なる空へ翔ばそうという意欲があるのかもしれないが、そんな観念的な想念は妄念そのもののように当時想っていた。
 染みはようよう拡がりある時を境に面積を大きくするのが止まり、やや安堵したが今度は精細な陰翳のようなものを形づくるようになった、まさしく魂を驚嘆と戦慄にぞっと揺り動かすことであるが、果ては以前線路で幻視していたかの恐怖に引き攣り口をひらく男の顔に酷似してきたのである。わたしはそれをみとめた刹那断末魔さながらの叫びをあげつづけ壁中を殴りつけ叩き割り、ベッドで息絶え絶えに身悶えし幾たびも獣の声で吠え、衝動的に自殺して了おうとし睡眠薬を大量に飲んでぐったりと横たわったがやがて吐瀉物まみれで発見されて救急車に乗せられ胃の洗浄、そして閉鎖病棟へと搬送され硬質な音立てて鍵をかけられた。

  *

 わたしには精神的な疾患よりもよっぽど腹の染みのほうを気にかかっていたから、医師に幾度もいくども腹の染みを消したいと相談したが、「メラニンの過剰分泌でしょう」というばかり、全体をみせれば息をのんでさっと目を背けたくせして、「まあ、今時オカルトなんて科学に全否定されてますから。顔にみえるのもたまたまでしょう」といった。わたしは腹が立ったがその際に腹の染みがうにょうにょと波うつのを見、死が戯れにニヤニヤしながらその不気味さを見せつけているよう、余りの気持悪さにはや泣きそうな心情であった。
 わたしは二十一歳だった。青春らしいものを殆ど経験しておらず、二回恋人はできたが腹の染みをみせたくないためにセックスを拒みつづけていた。それが原因ではなくおそらくやわたしの性格・思想の問題なのだろう、恋人とは四か月もつづいたことがなかった。わたしはみずからが拒んでいるのも亦原因の一つにも関わらず童貞であることを人一倍コンプレックスに想っていて、もし腹と腹の内が綺麗になればどんなに素敵な恋人ができて、たとえ自己開示してもわたしそのものをすべてそのままで愛してくれて、幸福と愛に裏づけられた映画のように素敵なセックスができるだろうという妄想に耽っていた。恋愛観において、幾分潔癖なところが当時あったように想う。
 自殺未遂から蘇って以来、わたしは死をみすえて生きることにした、これは本のなかに書かれてあることを信じるならば一種殊勝な態度である筈であった。わたしは背に「雪の衣装」を背負うのだという観念的なことをかんがえはじめ、それはエミリ・ディキンソンの”snow costume”から拝借したのだけれども、ゆったりとした白いシャツをこのんで羽織るようになり、しかし腹の染みが透けるのが怖くてこわくて仕方がないのでインナーに黒いカットソーを着込んだ。わたしにはまっしろにして清楚な静謐な死とわたしのくろぐろとしたグロテスクが脂の漏れたような染みの死貌の矛盾にはらわたが挟まれているのが如何にも後ろめたく、そうであるのにひとと話していて「好青年だね」「爽やかだね」という褒め言葉を受けるためその言葉に暴言よりも傷ついていた。殊にわたしを傷つけたのは「優しいね」という言葉であって、聴いた瞬間この醜い腹をびらびら傷口さながらに見せてやろうというような激情に駆られるのが常であった。
 然り。少年期殆ど独りぼっちだったわたしは十五歳くらいで社会に適合する為形式的なコミュニケーションを独学し、二十くらいで漸く恰もふつうの人間らしく振舞えるようになったのだが、自意識の内部では「人間のコスプレ」をしているというような思春期めいた意識が離れず、一見会話はできると想うがわたしの内心では違和感亦違和感、何故こういう状況でこういうと会話がスムーズに進むのだろうと解らないままに頭に知識として叩き込んだコミュニケーションの定石を臨機応変に駆使し、先刻と近未来の会話の流れを理論的に推理しその場に最適な言葉を呈する、そんなやり方はその場その場で与える印象は悪くない程度の評価をわたしに与えるのであるがそれが頗る後ろめたい、やはりというべきか、殆どの人間はやがてわたしから離れてゆくのであるがわたしにはそれが息がくるしくなるほどに切ない反面、心の一領域ではもうあんな苦しい想いをして話さなくていい、グロテスクの露呈への恐怖を感じなくていいと安堵をするのである。腹の内をみせられないという慣用句があるがわたしの場合まさに腹をみせたくない、然し距離が近づくとわたしがイヤな暗みを抱えた人間であることが露呈して往くのでたいていのひとは縁を切る、いわゆる根が病んでいる人間であるのがわたしであるのかもしれず、それはこの文章でも間接的に伝わりえるかもしれない。

  *

 わたしは二十九になり、三年勤めた会社を辞めた。以前の職場も四年で辞めていた。今回の辞職は、女性社会特有の雰囲気のなかで人間のふり、気遣いできるふりをするのに疲弊したというのが当時の一身上の都合というかみずからへの言訳であったが、ほんとうに、人間の集団性というのがわたしには辛いのだと想う。会社に籍を置いていた頃一度また入院したが退院して暫くすれば帰り路いまにも線路に飛び降りそうになる日々に戻って、命の為にも一か月くらいはゆっくり休もうと想ったりもしたのだ。両親は各々優しいところがあるのでかれ等もそのほうがいいと賛成してくれ、わたしは無職生活をしてみたがそれはそれで辛いという贅沢さ、つまりは淋しいのだ、胸が張り裂けそうなくらいに。わたしはさらに顔付がやつれ眼元は荒んでどんよりと目は据わり、働いていない期間の予定は一か月のつもりが二か月亦三か月と引き延ばされた、体調がよくなれば就職活動を始めるつもりだったが調子も情緒不安定もどんどん悪くなっていった。
 然し良いこともあって腹の染みはだんだんに薄くなり、ほとんど見えなくなってきたのである、唯大口の部分が薄い灰色に残ったのみであったのだ。まだひとに見せられるレベルであり、やはり社会不適合なわたしが社会で無理をして適合しようとするからストレスにより染みができたのだろうが、家で休んだことでそれが緩和され、リラックスできているために染みがなくなったのだというような果して医学的なのかオカルト的なのか、てんで判らぬ奇妙な考えで自分を納得させていた、むりにも納得させないと、こんなオカルトめいた現象の不可解を不可解のままでみつめることが怖かったのである。然しわたしは働いていた時のほうがまだ平常な情緒であったのは確かであり、こいつどこまでもおかしな解釈である。
 わたしは病み衰え食事も喉を通らず、とげとげとささくれだったような情緒は自己を破壊してやりたい気持でいっぱいにさせ、躰が重たくベッドから出られずトイレもペットボトルにする時期も頻繁、と想えば時々ではあるが妙なほどに元気いっぱい、異様な笑顔で死のう死のうと独りでぶつぶつ呟いたり、正気ではなかった。栄養不足が大きな原因だろう、本来美容好きであったわたしの髪と肌ははらはらと崩壊するようにくずれ汚くなって往った、それをはじめ憂いていたがやがてどうでもよくなり、死ばかりを想い泣き臥すのが数週間つづくようになった、その際わたしは墜落直前の特攻隊さながらに「お母さん、お母さん」と小声で連呼していた。わたしはマザコンであるかもしれないけれども、死に際に「お母さん」と呼ぶのは母のいる青年ならよくあることではないだろうか。わたしが自殺しなかったのはまさに母を悲しませないためであって、こう想わせてくれる母親をもったのは幸福なことである。そうであるのにわたしはみずからが幸福であると一切合切想えず、それに後ろめたさばかり想い、こんなにも生きるのが巧くいかず社会参加すら脱落ばかりの人生が申し訳なくて、病的な情緒で迷惑ばかりかけていることで自責亦自責、これこそ非常に神経によろしくない自卑の念と自己否定であったが、もはやわたしはそういった想念に完全に支配されていたようだ。
 わたしは悪い仲間に入った。いわゆる暴走族の連中であって、皆子供の頃から衣食住が満たされていたら絶対にならないであろう荒んだ顔付をしていて痛ましかった。全員に不良になった事情があり、然しわたしは事情があるからかれ等の所業が許されるのか否か判断がつかなかったし、わたしはわたし自身を全くもって許してなぞいなかった。わたしは自分を赦したことなんか一瞬だって記憶にない。わたしのいない空間に魂を漂わせるのが唯一の安息であって、わたしの憩いのオアシスは空に浮ぶわが墓のみであった。
 そのグループは全員が十代であったのでわたしは十近く年上であったが、俺は不幸だという意識がわたしたちを結びつけたのだろうか、数少ない嘗ての友人とは全員連絡がとれなくなり、最早わたしを受け容れてくれるのはかれ等だけだと信じ込んでいたので、わたしは愉しくもないのに看板を打ち壊す行為を愉しんでいるふりをし、全くもって面白いと想えないジョークに腹を膨らませゲラゲラと笑い、殴りたいという欲望が全くない中で一度敵対グループの相手をボコボコに殴りつけた、ある種会社や学校と心理的にはそう変わりはなかった。殴りとばしている間わたしには冷然に鼓動する心臓くらいしか描写するものはなく、わたしは少年期映画や小説ですぐ同情に涙を流すところだけが自分の好きなところであったのだが、それは条件次第で消え失せるということを識り尽くした。戦争映画で人殺しをして往く裡に狂暴に狂っていく人間のかなしさを追体験した。わたしはもはや更に人間でなくなった、人間の条件を一つだって満たしてやしない。わたしはわが肉体と魂ががらんどうにスポンと抜けて死の噴く吐息が轟々と吹き抜けるような乾き切った心情であって、何がなんであろうとどうでもいいのだというような虚無の呻き声だけが、わたしから発せられる臭い息であった。

  *

 いつもの通り盗んだバイクに飛び乗ったがきょうは仲間との会合はない、唯破れかぶれな暴走がしたかっただけであり、わたしはなるべくひとを轢かないよう山道を選んだのだが、その時も「お母さん」と幾度もいくども呟きいまにも泣きくずれそうな切なさであった。わたしは母親を喜ばせるために母の勧めた「九州大学医学部」をめざしていたことを久々に想いだし、運動部の体質に幾ら合わせようとしても矯正されなかったわたしの不適合性、不整列性や、進学校の特進クラス特有の妙な選民意識のひしめく在るだけで叫びだしたくなるような疎外感、それを想起したがそれ等を乗り越え母の希望通り医者になっていれば、そうすれば母と良好な関係を築け仲睦まじく暮らせ淋しい気持もいまよりなかったろうと妄想し、現状の現実を視、はや自己をズタズタに傷つけ滅ぼしてやりたいというような激情に苛まれた。
 バイクを急発進させた。むろん無免許であり情緒は不安定の極、亦どぎつく劇しく炎ゆるような情動であったから色々なところにぶつかりそうになったが寸前で回転し事なきをえるのを繰り返す、然しいつ事故を起こすかわからない危険な運転に変わりはない。「死ぬのは俺だけにせねば」と暴走はひとけのないタイミングでするという妙な道徳が屑の形骸のように残っている自己を「貴様の本心にそんな優しさはないだろう」と嗤い眺める、確実にやっていることは殺人寸前といっても誤りにはならない、泣きじゃくり泣きじゃくりしてもはやどうしようもなく、涙で視界はぼやける。救われることすら望めず、どこかで拒みすらし、絶望に躰をうずめるしかうごき方をみいだせぬ、自画像に失望しズタズタにナイフを突き立て切り裂くような毎日、わたしにはわたしが何を求めているかも解りえず、自棄になっていたのだ。
 やがて山道に入るとむっと臭気を放つ風が立った、黒々とした砂のような、然し臭いからして自然界の砂でなく明らかに有害な化学物質のような無数の粒が顔に吹きかかる、なにか山で事件が起こっていたと想像されるがわたしにはそれを知ることはできない、何故といい視界を覆われたわたしはそのままにゴミ溜めに棄てられ横向きに寄っかかっていた硬き鉄の突起に、腹と背をグサと一気に貫かれたのだから。わたしはその時識った、黒き死と白き死は貫かれ徹ることで矛盾なぞ霧消して、一途に真直ぐとした線を曳きえるということを。そういうものでしかなかった、わたしは死の間際にわが想念に失望した。
 わたしは腹を貫かれガンと鉄の塊に頭を打ち付けた、頭蓋骨の砕ける音、意識を喪うまでに数秒かかり鉄の面を眺めるより他なかったが、わたしには死ぬ瞬間よりも何よりもその時間が怖ろしかった。
 というのは鉄の塊に鏡のように映る苦痛に歪む顔付、顔中からダラダラと垂れるドス黒い砂の交じる黒々とした血潮、断末魔の絶叫に大口をあけ真黒で虫歯により夥しく欠けた歯を剥き出しにするわたしの顔は、まさしく線路上で幻視した死貌の翳であったから、亦腹に染みとし蟠り一度は消えたと想っていた男の顔そのものであったから。いわばわたしは、閉ざされて凶暴な筆致のままにドローイングしつづけた自画像に遂に重層一致し、ズタと轢き殺されたのだった。



   2 無垢と信頼


 とつぜん襤褸のライダースを羽織るつかれた鴉さながらの男が飛来して、箴言めく希みを憂いげに呻くのも無精な書出しであるけれども、ぼく、愛すると信じるは、どうか同義語シノニムであれとかんがえている者である。
 というよりもこの言説、ぼくは泣きながら抱きすくめているとみなしてもらっても好いくらい。いわばそう信じたい、つまりは愛したいのだ。ぼくはこの積年の宿願、そして青春の嵐のようないたみが乱雑に仕舞い込まれた信念めく悲願をすら、ほんとうには信じていないのかもしれない、いわく虚数、そんなものなのかもしれない。しかし虚数はある、たしかにあるのだ。そいつ、たしかに実在としては睡っている、されど不在として、めくるめく光と音楽で以て、われらが魂こころの裡にめざめている筈なのである。
 ほんとうにたいせつなことは目にみえない、こんなにも無垢イノセンスな言葉を泣きながら抱くようにして信じつづけ、はや、三十を目前としているのがこのぼくだ。
 ともすれば軽蔑をされるようなこと、敢えていってみせようか──ぼくは、人間の深いこころの領域を、全的に信頼したいのである。愛し、跪き、そが可憐と卑俗に宿る美に、熱い涙をながしていたいのがぼくなのである。然り、まるで性善説。あたかも人間の無垢なこころ、信頼にあたいすると。しかし、そうであってほしい、どうかそうであってほしいのだ。どこまでも希いにすぎぬそれ、然り、ぼくは愛と信仰に憧れる、ひとを愛してもみたいと独り唸ってもいる、破れかぶれのニヒリストにすぎないのだった。
 我、はや二十八。我と友になりし者、わが齢と比すべくんば、あまりに若し。
 ぼくはこの俗悪美キッチュをねらう文体に苦心したささやかな小説で、ひとのこころの無垢なる領域の深みへどうか侵入せんとつとめ、なべての人間に睡るかの淡く幽かな光を呼応し照らし合せ、あわよくば、きみと友になろうという下心をもっている、淋しい詩を書くひとである。

  *

 かのアルチュール・ランボオは、斯く歌ったのだった(青津拙訳)。

  嗚 季節往き、城かがよう、
  無疵な魂が何処にある?

 無垢の美を信じすぎる少年少女たちよ、オトナからの忠告だ。
 無疵な魂なぞあるまい。瑕を負いつづけても純潔を守護せんと不可視の闘いをしつづける、魂の視線の注意ぶかい透明さがあるのみだ。無垢とは、むしろ瑕だらけの美のことである。
 ぼく、眸が透き徹ったひとが好きである。清楚、とは、とてもいえまい。これにはなにか優美な、しかもやわらかにととのった乙女の薫りがする。いわば、佳い香水の曳くもの。清楚なる言葉には、なにか、はや所帯じみた勘定を感じられるのだ、いわば、人工の白光にあてられたそれ。そんな美を疑うものではぼくないけれども、そいつ、演技的なそれであって、はや浄らかなそれではあるまい。
 賢く貞操を守るより、はやばやと劇しい愛の焔に肉体の純潔を投げこみ、滅茶苦茶にいのちを迸らせた生活をするほうが、人間はどんなに純粋であるだろうか。純粋無垢なものは、いつも不合理に、奇々怪々にうごくものだ。
 然り。ほんとうに清らかで楚々たるひとはくるしいものだ、切ないものだ。真紅の花と鮮血の薫り、どぎつくも音楽と立ち昇るものだ。雪山さながら険しい貌をしているものだ。かれ等ふだん、死に際の鶴の如く哀れげできゃしゃな雰囲気であるかもしれない、しかし、ふっとうすかわを脱ぎひそやかな静謐な佇まいを身にあらわせば、泣きじゃくって抱き着きたくもさせるような、淋しいほどに澄みきった眸を青薔薇と剥きあらわすよう。
 切ないことであるが、秩序に染まりたくても染まれない人間が、この世にはたしかにいるようである。べつの提案をするほかはあるまい。うす汚れ瑕だらけの硝子から、ほうっと光ためいきするような美。打ち棄てられても抱くよりほかのない、ささやかにして惨めきわまる善。我向かわん、美と善の落す翳のかさなる処。其処に陰翳されしは、もしや青みがかる彫刻、愛の様式か? 真に清楚な人間、どうしても報われづらいもので、若し社会的そしてプライドの意味でこころから報われて了えば、そが美はや霧消して了うようにもうたがわれる。
 そんなら報われないからこそいいのだ、僕の詩は読まれないからこそある種純粋なのだ、と、せいいっぱい意気込んでみたところで、淋しいこころ、冷たい風となって神経きんと打ち据えるのみ。
 ふたたび、注釈をしながら、おなじことを謳おう。
 眸が澄みきり、硝子質のあやうさが碓氷さながらはりつめている、虚空の群青を照らしてさえいる淋しいひとが、ぼくは好きだ。
 嘗て、そんなうら若き年少の友がいたのである。
 かれ、名を雪彦といった。こいつ仮名ではない。さながら吹雪舞うましろの情景で斃れる悲劇さえ兆すような、古風にして少年らしい名、字面の彫刻にましろの無垢が隅々まで陰翳されているような、エリック・サティのそれの如き幽玄で果敢なげな音楽、それが名付のせつなから夭折をかぜと煽るような、そんな名を所有していたのだった。
「きみは二十歳にはなれなさそうだね、」
 デリカシーの不在したぼく、そうかれにいうと、
「そんなことないよ。俺みたいにずぶとい人間こそ生き抜いて、老醜をさらすにちがいないよ」
「そんな華奢な線でよくいえるね」
「体型を揶揄するのはやめてよ。気にしてるんだ」
「ちがうよ。きみの歌の話だよ」
 そう小馬鹿にした態度をとりながら、かれの石膏さながらのざらついた蒼白の頬、その内から毀れるようにあやうい翳うつろわすひかり、銀の月照らしすべてを拒むようなきんと硝子質の眸、そんな硬質で冷たい印象に反して、無防備に若葉をさらすように豊かな黒髪かみの陶然とさせるやわっこい艶に、なにか憐憫めく不潔な同情に操縦され、涙、ふるふるとあふれてきたのだった。ぼくはそれを手で隠したが、ちらと一瞥を投げてみとったかれの貌に沈みはじめた憂いが、その身振、意味のないものであったことを説明したのだった。
 かれは、二十歳にはなれないであろう。
 同情の涙。ぼくはそれをしてはならぬと当時かんがえていた、たしかに、かんがえてはいたのだ。しかし、どうやらぼく、かれを好きになりすぎていたようだった。

  *

 ぼく等ふたりで、近所の薔薇園をしばしば散歩したのだった。
 ぼくはいまでもかの風景画を想起しえるのだ、あまりに豊かにすぎる美に耐えかね毀れ落ちるような薔薇の花々、木々の翳り等にわだかまるどこか鬱屈とした暗みを帯びた庭園全体の雰囲気、土や落葉のモチーフに陰翳された細部には、夏の夜の豪奢の如き死と腐爛がよどみ籠っているようで、それ等たしかに、頽廃デカダンス絵画と呼ぶに相応しいものなのだった。はらはらと巨きなゆびさきに摘み棄てられるようにして無為にこぼれる、豪奢なる、紅い花弁めいた滅びの連続。巨大なものに摘み棄てられたい、手折られてもみたいという、在りし日のぼくの悲願。デカダンスとグラマラス、どうやら、永遠の友であるらしい。
 そんな豊かにすぎる滅亡のくろぐろと淀んだ紅いろの風景を、その日もぼく、ましろのアネモネさながらのきゃしゃな少年とならび、死の兆の翳曳きながら往きすぎていたのだった。
 其処にはいつも、無数の蜘蛛の巣が張りつめられていたのだった、ぼく等それを、疎んじたりはしなかった。
「詩を書いているぼくたちはね、」
 と、年下の友につぶやく。
「この蜘蛛とおなじことをしているんだ。たといきらわれても、秩序の隅に追いやられても、まあ、ぼくのようにドロップアウトしてしまっても、いや、きみにも高校を中退することをすすめるわけではないけれど、日陰者としてひたむきにわが領域を紡いで、唯背後から天のしろい光が射すことを俟ちつづけているんだ。いつやしろい涙の光が降ってきて、ぼく等の歌を壮麗に照らし、そうして、魂を一途に淪落させることができるかもしれない。あるいはできないかもしれない」
 かれは暫く黙ってぼくの話を聴いていた。
「…俺はね、」
 と雪彦、すこし経ってから、かわいたしろい砂のような声でいう、石膏の頬から毀れおちるような、さらさらとまっしろな声でいう。
「夜にひとり此処を散歩していた時、視たことがあるんだ。
 靄のような暗闇につつまれて、人工の爛れたオレンジの街灯に背後から射され、ぞっと蠱惑めいたデカダンな様相を呈している、まるで死に誘うかのような印象を示す、ふるい蜘蛛の巣の姿を。ねえ亮くん、あれはみてはいけないものだね、ほつれて古色蒼然な國が、ちりちりと燃ゆるように頽廃の火を反映して、まるで人工楽園のようだったね。
 かっと閃くように芸術の絶頂をかがやかせたのち、そが儘に蜘蛛は堕ちて了ったんだろうね。なぜって主人、既に不在だったんだから」
「どちらの光が射すか、ぼく等にはえらぶことはできるのだろうか」
「そりゃ、神さまの國に往こうとして、きづくと悪魔の國にわが身在り、其処から脱獄すらできなくなることだってあるさ。何故って其処、地獄の風景が張りつめているんだから」
「そうだね、地獄には地獄固有の美があるね」
「俺のいる処は地獄なのだろうか」
「一面的な話にすぎないけれど、」
 とぼくは前置して、
「ランボオいわく、きみが地獄だと想うのなら、地獄だよ」
 かれの傲然なものいい、衒うようなことばづかい、それ等とそのかよわき神経的な美貌とのミスマッチが、むしろうら若き年齢のある種のひとにしかない色香を散らせるようなのだった。雪彦はしろいシャツやセーターがよく似合ったけれども、それはたしかに楚々たる夭折を連想させたのだけれども、ぼくの趣味をいわせていただくならば、なにかギャップを狙い、黒いライダースを着せたくなる雰囲気があったのだった。
 いかついダブルライダースが似合うのは、むしろ、死際の鶴のように果敢なげなひとなのだ。シド・ヴィシャス。かれは無意味に美しく、不合理に愛らしいひとであった。

  *

 無個性な音楽のような、詩を書きたい。
 いわば自己省察、わが肉掻き分けて、逐一凝視しあかるめて、内奥に睡る水晶の落す淋しいひかり、在るかも判らぬ、ぼく等全人類にひとしくあるこころの匿名の領域にまで潜り──血まみれの掌に、ぼくまるで自己陶酔──ぼくはぜったいてきに孤独だが、そいつなべてのひととおなじそれであり、ひとは不連続の淋しさによりひとしきひかりで連続しえるのだと、実感をしてみたいのだった。こいつ「存在の一義性」なる概念と関連するのか否か、ぼくにはまだ解らないのだけれども。
 それできるもの、やはり音楽であるように想うのだ。ぼくは音楽という表現方法に嫉妬をする。はや古風にすぎるものとなった表現形式をもつ、象徴詩という芸術。ほんらい言葉であらわせないポエジーを、そうであるこそ言葉の箱にむりじいに容れ、靄さながらの曖昧性とともにそれ浮びあがらせるという矛盾の表現、それになにか、ぼく不信感さえもっているのだった。そう。ぼくは文学を愛せていない、つまりは、どうにも信じられないのだ。嗚バッハ。近代化以前の宗教芸術には、古代の詠み人しらずの歌にも似た、いわく無個性、だれにだって睡るような、しかしだれにだって書くのがむずかしい、匿名の美なるものを呈しているよう。ぼくは其処まで、墜落したい。
 ぼく、こんなうねりうねったきれぎれの文体に、はや後ろめたささえあるのだけれども、しかしいつや、素朴で単純な線にドローイングされ、官能のそれよりさらに深い領域をやさしくたたくように純朴な音楽ひびかせるような、されど天降らすしろいひかり反映する、単調な陰翳を有す壮麗な詩を書いてみたいのだった。ボオドレールはたしかにぼくの愛する詩人であるけれども、かれ、歪み捻じ曲がった魂のみせた地獄の風景の美、それこそが芸術であるという誤解を与えたようにも想う。
 総括し、反駁しよう。歪んでなくったって、アートはできる。
 そして雪彦の書いた詩、かれ地獄に在ったにもかかわらず──いやもしや、それを介したからこそ──どことなしに、そんな無個性な雰囲気をたたえていたのだった、ひとはそれを「個性がない」だったり、「あまりに語彙がすくない」、そんな言葉を投げたのだけれども、まさにそれこそがぼくがかれの詩を愛するゆえんであって、しかし、たしかに読者を惹きつける才能というもの、欠けていたのかもしれぬ。対話相手へ与える印象効果、それを意識するには、かれ余りに不器用にすぎた。かれ結局報われずに、十七でみずから命を絶ったのだから。芸術家として報われないから死んだのではない、それは識っているけれども、ぼくはかれに、どうか生きていてほしかった。生きていてほしかった。

  *

 無垢。
 そうであった。嗚、そうであったようだ。
「ねえ、亮くん。俺はね、ひとの悪意が怖い。視えない悪意が怖い」
「ぼくはそれを克服できず、二十六まで生きてしまった。大丈夫だよ」
「亮くんが二十六まで生き抜けたのは、なんの「大丈夫」の保障にもならないよ」
 かれ、こんなデリカシーに欠けた発言ばかり、しかし淋しくなるほどに悪意が欠けていて、正直と素直が世間で美徳とされていることに、ぼくは欺瞞を感じる。社会で立派なひとは、ほどよく嘘つきだ。バランスのいい、善い人間不信だ。それでいいのだ、しかし、どうしてもそうはなれないひとがいるのだ。
「亮くん、俺はね、詩を書いてはいるけれど、報われたくないんだ。社会に評価されたくないんだ。自分がえらい詩人なんだって想いたくないんだ。エミリ・ディキンソンのように死にたい」
「どうして?」
「報われている芸術家の自尊心は不潔だからだ、たかが作品が認められたからって自分自身がえらいんだって想ってるプライドが、キライでキライでたまらないからだ。そうならない高潔な詩人だっているさ。ヘルマン・ヘッセなんかそんな気がする。でもね、俺のような劣等感の塊は、ちょっと雑誌にでも載ればそう想うに決まってるんだ。他人の評価だって不潔だ、周りが評価するから、自分にも見識があるって思われたいという虚栄心で評価してるに過ぎないんだ。ああ、俺だってそうなんだよ。ゴミ箱に誰も知らない中也の詩をみつけたとして、俺がそれに感動しえるかは判らないんだ」
「ああ、そういう風に考える時期が多くの人間にあるよ。自尊心と他者の評価、あとは虚栄心みたいなものを、信じられないんだ」
「俺はそういう風にしか考えられない。自尊心は不潔だ、自尊心がズタズタになってでも、だれからも評価されなくても、如何なる虚栄心が満たされなくても書く、俺はそんな芸術家でありたいし、それでも書きたいものしか書きたくないんだ」
「ねえ、君、それだって虚栄心ではないのか」
「え?」
「ひとに評価されないからえらいという、裏返しの虚栄心だ。ひとに評価されないものを評価されなくても書くから価値があるという価値を信じている虚栄心だ。ひとと比較した自尊心がズタズタに壊れているからひとよりもえらいという虚栄心だ。虚栄心なんてものはね、もってないと生きていけないと思うよ。自己を全否定した人間は、生きていく意欲も拠り所も失いんだ。果てはきっと自殺だよ。
 君は無垢だ。きっと。ひとに評価されなくても、自尊心がズタズタでも、それでも残る人間の価値というのを、人間性の光というものを、信じているんだ。それは素敵なことだよ。ぼくだってそいつを信じてもいるよ。けれどもその人間の性に、きっと虚栄心っていうのは引き剥がせないんだと、いまだに考える」
 ぼくはかれを傷つけた、ぼくはその痛みを想像し背を折り曲げるような心地でありながら、心のどこかでそれを愉しんでいるような気がした。ぼくは自分へ復讐するような気持だったのかもしれない。わが残酷さ。なによりぼくは、かれの気持の殆どが解るような気がするのだ。
「虚栄心を強化すればいい、育めばいい。僕はこう考えているよ、「犬死したいという虚栄心」を追究しよう、と」
 茫然とした眸をしていた。はきちがえていた。はきちがえていたのだ。雪彦は、ぼくが考えていたよりももっと、脆かったのだった。或いは、すこしの批判でくずおれるような状態にまで追いつめられていたのだ。それに、注意ぶかく思慮を重ねて伝えなければいけなかったのだ。何故ってぼくの考えだって正しいのかも判らない、哲学をやっているわけでもない、ああ哲学をやっていたって、苦しんでいるひとにアドバイスするのは難しいことだろう。
「俺はなにを信じているんだろう?」
 と雪彦はいった。薔薇が、代わりに殉じるような身振りで、頭を頸から切りはなし、それ、血の残像を曳きながらはらはらと地へ墜ちて往った。
「おそらく、」
 とぼくはいった。
「性善説。その信頼が疵を負って、その信仰が揺らいで、苦しんでいる」
 ぼくは激情に従いかれを抱き締める、しなやかな折紙のようなうすい躰を。まるで抱きごたえのない、生気を失った霞のような心を。
「死なないで。死なないで雪彦。君が信じているものをね、君が信じたいもの、愛したいものをね、屹度雪彦は信じていい、愛していいに決まっているんだ。何故って人性へのあたたかい眼差しがあるじゃないか。人間を信じようとして瑕を負いながらうごく君は可憐だよ、美しい、だから君はその自分自身をどうか肯定するんだ。
 君は君でいていいんだ。自分が信じ愛するものを人生を掛けて立証するために、君が闘いたい闘いを闘いつづけてもいい。純愛。ないとは、いいきれない。ぼくはそう想う」
「僕は、」
 雪彦は無理をして「俺」という一人称をつかっていたのだろう、それは環境が要求した粗野なポーズともいうべくものであるが、それをだってかれなりの格闘であったことだろう。粗野なふりをし、わが身に激痛を与える感じたものを感じていないふりをし、笑いたくないものを笑ったことだってあるのかもしれない。そのあとの自責は肉を裂くような苦しみをかれに負わせただろう。かれを追いつめるすべてが、おそらくや、殆どのひとには理解できないだろう。「君は幸福だ」、まるで侮辱するような意欲でかれへその言葉を投げたひと、かずしれないであろう。「僕は不幸だ」ということすらできない世間は、切ない。
 ぼくは恐るおそるこう言ってみる。ぼくたちは絶対的に秩序に染まれない種族、呪われた種族、カインの末裔であると。
「僕は、もう、僕を裏切っているんだ。僕の自我は二枚に剥がれてね、一方が喋って、もう一方の泥にまみれた悪臭ただよう醜い僕を奥に秘めて、でもね、ほんとうの僕は秘めているほうで、それをちょっとだけ亮くんにさらしちゃったんだ。もうね、本当の憧れや嫌悪は、悪臭のほうの自我にしこたま全部投げいれちゃって、そっちへはもはやまるっと悉くを嫌悪だ、でも僕は人間を信じたくて、」
「そうだ」
 僕は泣き喚きながら、殴るように言葉を放つ。死んで欲しくない。ただ、そのエゴイズムで撲るように。
「この期に及んでも君は人間を信じようとしている、そこだ、そこだ。その領域が、その領域がぼくには信頼にあたいするよ。ぼくは君をその一言で信頼し、信用し、誤解しないで欲しいが愛せもする。だから君も、その領域だけでも自分を信じるんだ。素敵なんだって自信をもつんだ」
「ありがとう」
 綺麗に精緻にととのった、白粉のふっと光に浮んだような笑顔でかれは言い、つよいぼくの抱擁を丁寧に撥ねのけ、「もう大丈夫だよ」とふたたび笑いかけた。しろい、しろい砂が後方へ曳くような、そんないまにも風ではらりと剥がれる如くかろやかな笑みであった。
「一人で帰るよ。亮くんの言葉を噛み締めるね。さようなら」
 ぼくは悟った、しかし、ここで無理にひきとめる権利を、自分自身に認めることができなかったのだった。

  *

 雪彦は死んだ、自宅のマンションから投身したのだった。
 遺書はなく、詩は全て燃やされていて、唯、投身した際中原中也の詩集を抱き締めていた形跡があったという情報が、ぼくの心を複雑に折った。
 中原、中也。
 かれ自身を、生き抜いたひと。三十で、アルコホルと疲弊と格闘により肉が先行し果てた詩人。自死を撰んだかれの憧れがここに発見されえるというのは、安易な感想であろうか。
 ぼくはデータとしてみせてくれたかれの詩を編集し、印刷して綺麗にファイリングしたが、いうなればそれをしかできなかった。勝手に僕が自費出版なんてしてはならないだろう。かれはネットに載せもしなかった。ただ、ひとに見せて、褒めたらにこにこ笑って喜んで、貶されたら、見てる方が顔をくしゃと泣きだしちまうような悲しい顔をするのだった。素直であった、愛らしい少年だった。何故かれのようなひとがここまで追いつめられたのだろう。ぼくには納得がいかず、しかし、とどめを刺したのはぼくの撲るような言葉の押し付けであったことであろう──こいつぼくの傲慢であろうか?
 いくらかれの詩編が整然と並んでも、かれが死んだという現実に整理はつかない、自殺の決着をつけたのはおそらくぼくなのだ。しかし、むしろ整然とした、丁寧なうごきによる死であったという感慨もまた、ぼくにあるものなのだった。
 人間を深みの領域を信頼しつづけていたが故のその上に宿る悪意等への不信にくるしみ、愛していたが故の憎悪にさいなまれ、ある種ひとを信頼したまま懐疑に身を投げたかのような、そんな印象がかれの死にはあった。魂の衝動に出発する矛盾の火のような人生は、まるでそれそのものがサンボリズムの詩のようであるというと、買いかぶりすぎだろうか。

  *

 人間の思想に、感情に、完全な聖域はないのではないか。
 これ、ぼくの疑っていることである。懐疑主義はなにをも獲得できぬと識るけれども、すべて、たかの知れたものにしかぼくには想われぬ。たとい愛であっても、絶対信仰に値する感情なぞ、ありやしないのではないか。ニヒリストは哲学にもならぬものを凝視しているくせして、宗教家どうように、虚空を、相対主義を信仰し、虚無に跪いている。おなじものではないのか。人間はなにか虚ろな翳を抱きすくめ、なにかに跪いている。なにに跪くかをえらぶ自由がある。ぼくは花に跪く、硝子性の花、理不尽と虚無と非情を反映した冷たく硬き、血の薫たっぷりと含む花畑、ああぼくよ、壮麗な花にわが身を捧げよ。されば、生き、切れ。
 生きるというのは翳曳くように虚ろなことだ、そこでよりよき生の形を求め命を迸らせるのは、無意味に美しいことだ。それゆえにぼく、殉死した思想家・芸術家よりも、ひっしで生活をする庶民、かれらの美を褒めたたえるものだ。リアリテがある。心と行為と現象を繋ぐ、一途な光があるかもしれない。生きることを、生きるということ。
 雪彦はもしや、その美を嫌がっていたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。なにか自己を無へ化し、極端に美しい存在へ、跳躍したかったのかもしれない。それは、嘗ての十七歳のぼくがそうであったからというだけの推測にすぎないけれど。おそらくや、人間の深みを信じようとしながらも、みずからの底の領域に、劣等感をもっていたのだ。カインの末裔であるというのにくわえ、至極平凡に孤独だったのだ。かれはその孤独の平凡さを凝視すればよかったのかもしれない。
 無垢。無垢の自殺は罪なりや?
 信じたいものを信じるために、闘いたい闘いを闘ってもいい。この闘いへの同意を阻むものが、世間のなかにやはりある。あるけれども然し、そちら側を闘ってもいいのだと、ぼくなんかは想うのだ。そこにより善きものを求めるあたたかい良心があるなら、万事いいではないか。
 藤村操。おおいなる悲観なぞ、楽観へ転化するものでなく、苦しみたい苦しみを苦しめるおおいなる歓びへ化学変化するほうが素敵だって、ぼく想うよ。
 人間は、たしかに雪彦が伝えたように、ひとに見捨てられ、評価をされず、自尊心だって毀れた、虚無の地獄の泥沼からだって、ぬっと立ち上がることができるのだと信ずる、さながら蓮の花のように。ぼくはこの命を、うごきの意欲を、信仰したい。自尊心の無尽蔵に──者がルサンチマンのようなものでしぶとく優越の感情をえる俗悪な心のうごき、泥棒を聖化するジュネのような魔術、そんなものひっくるめて──どんな状況にあっても自尊心を育めるという人間の卑俗な命の昇らんとする足音を、貴きものと信ずる。無機のような世界観であっても、かぎりなく有機とうごける人間を信じたいのだ。無機を溶かす、孤独を溶かすということ。
 然り無垢とは、それだけで価値のあるものとして信頼できるものである筈がない。
 無垢とは、そこより迸る力に躰を犠牲にし、疵負い闘って磨き剥いて往く、ズタズタのグルーヴ音楽めいたうごきの不断に、光が宿るのだ。この光の歌が一途に徹れば、そこに、詩が生れる。
 雪彦は、詩を書いた。充分だった。よく、生きた。そう想う。ぼくはかれの生死すべてそれでいいのだと抱きすくめ、はや此方側へは来るなと苦肉込めて吐き捨て、何故死んだと憎しみ、哀切な追懐に泣き喚き、そして、雪彦に詩を書かせた純粋な深みの領域のほかすべてを、疑る。ぼくの無垢はどうやら失われているようで、信頼の回復へのうごきがぼくのそれであるよう、ぼくは、狂気と懐疑に出発した執筆を、無垢と信頼という正気へ還すために、書く。生き抜く。



  3 後ろ髪曳くように


 杯は倒れて了った、きんと硝子音がした。
 カーテンは閉め切られ、狭苦しい部屋は仄暗い。男は独りきりである。なみなみと注がれていた水は、まるで背を向けるように後ろめたげでありながら、のびのびと忍び這うようにして机に拡がった。床に垂れる水音は淋しげで、冷たく、硬質であった。安芸津はそれ、滴らせるままにした。横臥す杯に投げる視線は虚ろであった。
 かれもまた、水のような自己を自覚していたのだった、はや、器はうしなわれていたのである。以前はそいつ、あるいはあったかもしれぬ、もはや、よく覚えていないけれども。されど、生き切る──かの月照る蒼白の積雪にそそがれる、「わたし」の純化された真紅の鮮血、死の円が生の弧を孕み蒼銀の雷鳴と迸る命の祈りの歌、いわく、美しき死のときまでは!
 然り。生の能力なくして、その価値なぞ関心すらなく、その意味さえ知らぬとふてぶてしくも吐き捨てて──無精な口調に反し、顔付はいまにもくしゃと泣きだしそうであったけれども──しかし、唯その意欲、唯その意欲だけがある! 生き、切る。生き、切る。嗚。
 存在。生きるということを考えて、まずもって先行して在るもの。そのチェックリストさえ満たしているならば、生きうる意欲、元来何であろうと個の自由である。撰びとるうごきは自在である。その自由自在、まるで翔べない翼を重たく垂らす巨鳥のそれにも似ているよう──たとい天へ飛び立つことができなくとも、翼を無為に徒にばたつかせるのは自由であり、勇壮に地を蹴り焦がれる天蓋へ跳び昇って、宿命に撥ねられてだらしなくも土に横たわるのもまた自由、その、どうであっても大して変わりやせぬ創意工夫、はや無限の可能性を宿す。ここに果して、人間の生きざまの偉大性ありや?
 ひとはこんなカランと乾いた音をしか立てぬニヒリズム、思想なぞという高尚なものではないというけれど、それ端然りともいえるものだ、こいつ、単なる情緒的気分、そがやつれ切った世界観は、瞼の裏側の問題でしかない。内的なそれだ。地獄とは、眸にしか宿らぬ。朝陽が熔かし洗いながすなぞ、往々にしてある。
 生き、切る。されば、美しく死ぬ。
 そのためにかれが決意したのは、外界へ働きかける行為ではなくして、なぜか完璧な身形なのであった。かれはいまにも往き場なく崩れ、朦朧と漂わんとする自己を、あろうことか身形を整えることによって、その形状に自己を這入りこませ、どうにか形式づけようとしていたのだった。ひとびとはかれを単なる着道楽と見たけれども、嗚然り。着道楽なら、まだ、好かった。おびただしい出費と乏しい収入により、家計は火の車であった。親へ仕送りを頼みこむのは頻繁であった。
 かれがこうまでして求めていたもの、それは生の形式と絶対的なものからの命令なのであった。かれは巨大な観念にがしと誘拐されることを希む、「我わたし」ばかりつよくておのれなき、脆弱きわまる男なのであった。自己実現、それなぞかれには高級すぎて、読解さえ不能である。かれは自己実現やら自己肯定感なぞという言説の散れる文章をみれば、途端に失語症になる。
 いわばかれ、生の方法論の衣装だけを先払いし、生き様の証明によってそれを生に還元することから逃げ続けている愚か極まる人間で、然り、ボオドレールおじさんのような偉大なるロクデナシと比するならば、ダンディの風上にも置けぬ鼻持ちならない卑しき男なのであった。
 卑しい──この、もの悲しくかよわき風さながらの、愛すべき響きよ。そいつ、恭しくも自己へ贈呈せざるをえぬのは、かれをして砂に轢かれるような乾いた笑いをひきおこす。
 インターホンが鳴った、かれは自分の家にそれがあったことを久々に想い起こした。来客なぞ、いつぶりであろう。重い腰を上げ、扉へ向かう。未知のできごとへの期待に、こころはほんのりと浮かれていた。しかし、たいしたことは起こりまいという自己防衛だけは忘れない、安芸津は、そんな男であった。徹頭、徹尾、そうであった。
 扉を開ける。知らないひとである。来客の顔は俯き気味で、癖のつよい前髪のためよく見えない。小柄な安芸津より、さらにやや背が低い。体つきは華奢である。どうやら、少年のようだ。かれは顔を下へ向けたまま、教師に疎んじられる陰気な生徒がよくするように、瞼だけをぱっくり剥いて上目遣いになり、憂鬱にうねり垂れた黒髪のすきまから、外界すべてが敵であるかのような不遜な眼つきを見せつけて、此方を睨みつけた。白くほそい指先は、力なく垂れさがっている。若干、猫背である。
 男は見つめかえされた刹那驚きに打たれた、というのもかれの顔立ちが、あまりにも美しかったからである。
 元来、安芸津には同性愛の気があり、しかもその愛の多くが、うら若き紅顔の少年達へ向けられていたのだった。通学中の男子学生の集団を見れば、無意識に好みを探すため、視線はかれらの顔の間を泳いだ。どことなく憂いを帯びた美貌の、線のほそい、周囲への軽蔑にしばしば眼をほそめる倨傲な少年、かれ等をとりわけ好いていた。そんな好みの好男子を見つけた時には嬉々として、その少年をこころで抱擁し、じたばたしながら嫌がられる妄想によって、路上で花のように顔をほころばせた。
「どなた…ですか?」
 安芸津、はや二十六であった。自分よりはるか年下の学生に対して敬語を使ってしまう、自分の卑屈さに嫌気が差す。しかし美貌の少年に敬語を使うというシチュエーションに、なにか快いものがあったのも事実であった。
「名前なんかどうだっていいだろう」
 声変わりを済ませたばかりの、暗みのエロスにふっと掠れるような、ひとときばかりの一種可憐な声である。豊かな紅色を誇示する柘榴の薫が、ひとの官能の琴線にいつもひっかかるように、艶やかなざらつきと濡れたような照りかえしのともなう、醒め切ってサディスティックな響きが、安芸津の感じやすい領域をつよく打つのだった。その声質、如何にも「否ノンの冷たい響き似つかわしい、硬くきらめく反映、めざめるが如く散るのだった。
 銀と群青。かれの声の印象、それであった。背景に柘榴の深紅な暗みが籠っていたが、ほうっと薫るのはその色彩の音楽であった。群青色の夜空、銀に鏤められた湖のおもて、ほうっと沈む硬き月影の蒼白。…
「あなたに詩を見せに来たんだ。部屋に入らせて」
 なんと無礼な少年であろう。しかし男がそれを拒む理由はなかった、なぜといい、かれはこんなにも美しく、冷たく、しかも傍若無人であるから。冷酷そうな眼をした少年の強引さに、かれは夢みるような心地であった。
「まあ入ってください、僕の名前は安芸津です、いや、標識に書かれてあるか。それともわざわざ会いに来てくれたのだから、知ってくれているのかな。僕のような人間をどこで知ったのか解りませんが、詩を見せる相手に僕が選ばれたのは光栄だ。いや、僕は少年時代から象徴詩が好きでね、たとえば…」
「初対面から無駄なことは喋らなくていい。そして必要以上に自分を卑下するのもやめたまえ、むしろ貴様のねじくれた傲慢さがぱっくりと割れてうらっかえしに晒されるぞ。穢いものをみせるな」
「あ、は、はい…」
 男はかれの尊大さが与える快楽に、肌が粟立った。
 少年を部屋に入れている間、この美少年、嘗ては第一級の詩篇「酔いどれ船」を携えて、シャルルヴィルからパリのヴェルレエヌの元に参着した、大詩人アルチュール・ランボオではないかと錯覚した。これはちょっと愉しい想像だった。が、すぐに冷水に覚まされたようにしておのれに否定された。なぜといい安芸津はヴェルレエヌと違い、一行とて佳い詩が書けぬからである。
 ワンルームのアパートメント。床には埃ばかりか散らばった悪書がレントゲンに映る病原菌のように蔓延しひろがって、しかしかれ曰くかれの心臓、磨かれた洋服箪笥は第一級品なのであった。値引きをくりかえしくりかえし購入したそれ、19世紀末のアンティークであった。服そのものにもきちんと毎日ブラシをかけ、洗濯の方法にはだれよりも煩く、嗚、実に無為。無為である。然り。実に無為きわまる行為、しかしその無為性にこそ、かれが渾身をかけるゆえんがあるのだった。かれは人生を無為へ投げこんで、台無しにしてやりたかったのだ──これは本性に裏返せば、それだけ命の声というものを大切に抱き締めているのだ、なぞという鼻持ちならぬ本音を聴いてくれる者は不在であった。
「汚いな」
 少年はそう吐き捨てた。不良のような口調と反して、その眉のひそめかたはどこか高貴であった。嫌悪と軽蔑に細められた眼に、ぞくぞくと鳥肌が立つ心地。この眼差しをみずからへ向けてくれたなら、俺はどんなに悦ぶだろうか…。
「すいません、僕には掃除の習慣がないのです。お話があるのでしたら、いまからカフェにでも…」
「カフェは嫌いだ。未成年は煙草が吸えない」
 カフェじゃないなら吸える、そうとしか聞こえないのである。
 かれはポケットからくしゃくしゃのゴールデン・バットを取り出した。野卑なタッチで描かれた蝙蝠を彩る緑いろのパッケージは、かれの不良な話し方に、如何にも似つかわしかった。男はすべて下心から中古で購入し修理代を払ってまでして獲得したデュポンのライターを取り、火をつけて少年に差し出した。
「…君はなにをしているんだ?」
 驚いたように目を大きくし、その顔、実に好かった。おもわず頬、ゆるんだ。気味わるげな視線で男を一瞥、すれば少年、黙って自分で火をつけ、うまそうに有害なる紫煙を吸い込んだ。
 バットのチープな薫りは、甚だ強烈であった。男は洋服箪笥を買って好かったとこころから思った。なによりも大切な洋服にこんなにおいがつくなぞ、たまったものではない。が、いま身につけている、中古で購入したドレスシャツの着色だけが心配であった。かれ、ドレスシャツは純白と決めているのだ。自分で煙草を吸う際、かれはきちんとヴィンテージのスモーキング・ジャケットを着る。そしてベランダへ行く。隣人に怒鳴り散らされ、怯えてくしゃと泣きだしかねぬ顔をし、さっと火を消す。そそくさと部屋へ逃げ込む。数十分後、さきほどの恐怖も忘れ颯爽と煙草を掴みベランダへ出る、そういう習慣であった。男はとりあえずそれを着用することにした。
「…変な上着だな」
「古いので」
「ふうん」
 少年の関心なさげな態度は、氷にも似た不感症を連想させる。かれの立ち振る舞いは、どこか美しくも素っ気ない鉱石のようである。その拒絶の態度には、なにか人間味のない、無機的な感じがあるのだ。
 かれの硬いこころを燃やすもの、いったいそれはなんであろう?
 沈黙。かおりのきつい煙が昇って、部屋を灰いろに霞ませているのみである。
 会話がないのが気まずいので、男は適当に喋ることにした。
「…尊敬している現代詩人は?」
「いない」
 低い声で吐き捨てる。瞼を重く垂らし、滝に貫かれたような切れ長の眼を斜めから示している。黒々と長い睫に縁どられていた。その一条いちじょうが、流麗な曲線を曳いて、深い憂愁の影を落としていた。灯の影響であろうか、奥にある瞳は洞窟に照る月影さながらの青を反映していて、それは遥かから射すようにし硬く光っていた。
 その流し目の美麗な感じは、ぞっとする程に過剰であった、グラマラスな暗み、そういう蠱惑であった。
「自分以外の生きた人間は尊敬しない」
 尊大である。しかも孤独だ。世界のなかで自分だけが色が違うという矜持、これこそ孤独な少年とくゆうの不遜さ、そして卑しさである筈である。それを大人になっても持ちつづけるのは、身を折るほどに苦しい筈である。かれらの感覚では、自己は世界に含まれていないのだから。安芸津、いわくそれであった。自卑の念に、かれの指先はふるえはじめるのだった。
 然るに少年、かれ立っている。屹立している。そのようすはいかにも清々しい。安芸津はいまにも額を床にこすりつけたいきもちであった。そしてこの美少年のほそく白い腕にがしと身をつかまれ、かれの思うがままとなり、どこか遥かへ導かれたい思いであった。遥かへ、というのはおそらく、月へ。
「…ところで、」
 と安芸津はきりだした。
「詩というのは? なにも持ってきていらっしゃらないようですが」
 少年は手ぶらなのである。空手空拳。そうであった。
「詩は歌うものだ、」
 と、ごもっともなことをのたまう。
「紙などいらぬ」
 して、かれは立ち上がった。
 せつな、その陰鬱にうねり額へ落つる黒髪は、アポロン神のかがやかしい月桂冠となった。豊かな髪の光沢は、われらを惹きつけ然し拒絶する石のひかりであった。蒼白の肌は月光を浴び硝子の反響さながら青みがかるまっさらな雪景色をおもわせ、その澄んだ情景のなかで、月そのものにも似た瞳の青の際立ちは甚だしく、そしてその全体としての印象は、われらを酔わすバアボンの薫りのように芳醇な酩酊を立ちあらわしていた。しかもその絵画には、悲劇的な死が兆してい、それ、かれの眼差しの暗さからくるものであろうか、それとも、かれの肌の病的な白さによるものであろうか。安芸津はかれの姿を見ただけで、まるで阿片でもやったように頭がくらくらとしたのだった。
 安芸津いわく、現代において青がもっとも神経的な美しさを放つのは、真白の情景に置いたときなのである。茶いろの情景に置いたとき、青は忽然と健全さを帯び、病的にして静謐な印象はみるも無残に失われる。そこにはただ、素朴な自然と、あたたかにして親しみやすい肉体美があるのみである。アズーロ・エ・マローネ。イタリアンなラテン男の、色っぽい体臭をふりまくような色彩は、かれの愛するところではない。
 されど青、くすんだ橙いろのキャンパスに置いた際、その印象はもはや美の滅び往く直前期のそれなのである。それこそ、絶世の色彩。頬のこけ、瞼はやや閉ざされ、ピアニストさながらの指先を両頬へあてたような、さながら哀しみに暮れる青年のデッサンのような印象がある。しかしその時代、もはや去っちまったのだった。世紀末の夕陽、はや沈んで了っているのだ。
 すなわち、雪化粧の照りかえす硬き月光の青こそが、真にこの時代にふさわしい、神秘の色彩と結論されるのである。神秘性を喚起する色彩こそが、かれのよわよわしい神経を刺すのであり、乱雑にもまがう精緻にして烈しい指づかいで鍵盤を掻き鳴らした如く、そのやつれた感受性をどっと動揺させるのだ。
 おお、かれが偏愛する唯一無二の花──かのネモフィラよ。どうか、健全なる土のうえに咲くことなかれ。冷たくも硬き陰翳うつろわす大理石、きみはそんな処で、ひっそりと斃れているのがふさわしい。
 少年は、歌った。
 かれの謳いあげたもの、ただ喪失であった、もはや亡き、或いは在ったかも定かではない、ある特異な美であった。架空の美の翳、唯そうであったのかもしれなかった。
 美しい少年は謳った、純粋な愛を、擲つような奉仕を、滅私の情熱を、素直きわまる犠牲を、もの狂おしい悲哀を、芸術に殉じ身を投げた死骸の発する花束のようにグラマラスな薫りを、肉欲無きただ透明ながらす細工のような恋愛を、そのこわれ易いものに内包する、運命に定められた純然たる悲劇を、もはやそれらの喪失した地上を嘆く、真白き空の涙を。
 …きづくと、かれの姿はようよう肉体性をうしなって往き、透きとおった蜃気楼のように変貌して往って、ただ眼にはみえない、みがかれぬいた魂、それの表出させた詩性ポエジイだけが煙のように空へ昇って、おもわす安芸津が手をのばした刹那、立ち昇る煙さえ、その悉くが雲散霧消したのだった。跡には、はやなにもなかった。かれはそれを不思議にもおもわなかったのだった。
 ふと床に目を投げると、悲しいほどに精緻にととのった、真紅の薔薇がころがっていたのだった。それは安芸津のあしもとへ投げ棄てられた、命の焔の残骸であった。かれにはそれが遠かった。然り。遥かとおかった。それを手に取って、大切な詩集に栞として挟んだ。惡の華。かれの、あらゆる人生より愛読している特別な詩集に。ふたたび開かれたとき、真紅の薔薇は、はやなかった。かれの落胆は甚だしかった。

  *

 薔薇を喪った夜から、男は少年に、恋した。
 この恋、そいつにはしかし、ある種の既視感がともなっていたのだった。かれはいわば、初恋の相手に、ふたたび焦がれはじめたといっていいのだった。というよりもかの美は、つねづねかれの視界のすみを蔽う病のようなものではなかったか? その美、ふだんに不埒なものを孕んでいるようであった。くわえてそれは、男をさらなる孤独者へと、技術の卓越しているが故にある種粗雑なテーラーリングで仕立て上げるのだった。かれはその美につねづね自己を糾弾された。生の背後には、つねに巨大な後ろめたさがあった。自己を批判し判決を与える眼ができあがり、それはかれがどんな妄想をしても、どんな遊びをしてもそれに浸ったり、信じたり、愉しんだりするこころを奪ったのだった。いわばかれの在った処、つねに自意識という名の裁判所であった。常に鏡のまえに立っていた、白銀花の蛇の眸の光照るそれ。
 安芸津は仏語もできないのに、ジェラール・ネルヴァルの『黒点』の原詩を印刷し、銀と紺青の彫刻が美しく絡み合った額縁を購入して、それに印刷したものを差しこみ、部屋に飾った。額縁の値段は高くつき、かれは実家に電話して、ふだんの無精なそれと異なる甘えたような口調で送金を要求した。かれはその行為への、背後の眼による批判をむりに押しのけた、「どうしようもない」、ないし「とるにたらない」が、かれの肉体の声のすべてであった。ナイ。ナイ。ナイ。かれの吐く息、ニヒルの暗みをしか発見されえなかった。

  *

 ひさしく現れなかった少年が訪問した。
 男はかれをおもいきり突き飛ばした、その紅の頬へ、幾たびも平手打ちをくわえた。雨のように、少年の華奢な躰へ暴力を降らせたのだった。これは逆恨みだ、と少年の静かな目、めいっぱい責め立てていた。弱く醜いのはお前だと、その無言と無抵抗で示していた。無抵抗こそが少年の拒絶であり、不在というかたちをとった全的な暴力でもあった。理想に向かえないのは貴様だと、その無抵抗の表層が詩的に、ともすれば論理的にかれに教えていた。かれの詩と論理は、おしなべて表層にあらわれていたのだ。そしてかれの無言の攻撃のなべてが、いうなれば男の被害妄想からに過ぎないのだった。否、この少年の美そのものが、或いはこの少年そのものが、安芸津の妄想であったか? 少年はただ、美的に示されているにすぎないのだ。して猫のように奔放に跳ねまわり、あるいは悠々と姿態を横たわらせているのみなのだった。そいつ、時折男の膝に座ってやることがあるが、そのたびに安芸津、「いったいこいつは美であろうか」と訝り、すればそ奴、瞬く間に膝から跳躍して了って、そこにいつまでも留まることがないのだった。留まらず跳ねて去るから、男は美を無我夢中に欲する。そうであるかもしれぬ。その自己本位で気まま、ともすれば残虐な態度が、かれには如何にも蠱惑的だった。それに勝手に惹かれているのは安芸津なのだった、そうであるが故に、男のこぶしの力は憎悪につよまった。
 かれが卑しき暴力をくわえるごとに、少年の美しさはさらに磨かれ、喪失の地平線、遥かへ往って了い、その輪郭線は茫洋な追憶に融けて往って、ただその硬く鋭い照りかえしだけが、男に迫った。胸塞ぐ、それでいて烈しき情念を掻き立てる、燦爛たる照りかえし。それは乳白色の星々の海が彼方で凍てついているような、きんと冷たい真珠いろであった。その美の凄まじさに、おもわずかれは手をとめた。そして四つん這いに倒れ込み、砂金でも探すように掌をよろよろと地に這わせた。傷ついた蛾が地を這うそれのほうが、まだ美しい描写が可能であろう。そこには一途な、生活者の努力があるからである。されどいまここにあるのは惨めさの極みであり、おぞましい現状にほかならなかった。安芸津にはそれが、イヤでイヤで仕様がなかった。自己と現実の真実を認めることが、できなかった。かれはもはや惨めさをしゃぶりつくして、苦みのなかの甘みを味わうよりほかはないのだった。
 もし人生がよろこびとくるしみにぱっくりと分けられ、後者がうわまわった人生に意味がないのなら──まちがいなく俺は、死ぬよりほかはないのだ。されば、苦しみを歓びへ化学変化させなければいけない。くるしみたい苦しみをくるしみえる歓び。生きるのが痛いのは幸いである──コジツケのようにそう想いもしなければ。
「貴様のせいだ、」
 男は叫んだ。
「貴様のせいで俺は現世のあらゆるものに不信と軽蔑の感情をもってしまったのだ。それらの感情のともなった、なにもできない癖に斜に構えた、惨めな劣等者の投げる視線ほど卑しいものはない。」
「解っているじゃないか。けれど自分が劣等者であるという意識から逃れられない人間は、果たして貴様の理想へ向かえるのか?」
 真赤な唇が、ようやく唾液の糸を獅子の目覚めさながらゆったりと引きひらかれた。
 かれの唇は、忽然とグロテスクな色を帯びていたのだった。充血した両生類の皮膚のようなそれは饒舌となり、安芸津の卑しさをつまびらかに批判しだした、美少年の姿はさっと掻き消えていた。ただなまなましく赤い艶をはなつグロテスクな花さながらの唇が、汚らしい床に咲いているのだった。美貌の人間の赤い唇は、ただそれのみをきりとられると、造形美という名の全体性を失い、ぞっとする程悪趣味なエロティシズムをはなひらかせることがある。われわれが美と呼んでいるものがときに露悪的な表現を強いられるのは、これ故ではなかろうか。美の切断された切口が謳われる際、その詩はさながら傷口へのフェチシズムの説明に堕してしまうよう。
「あくせく卑小な人間として生きることを厭い、理想に捧げる高貴な死を希むことは、未成年の特権だ。世界から疎外されているという感覚も、むろんそれに含まれる。貴様は自己本位なんだ。そして自己本位こそ貴様の焦がれる美と対極にあるものじゃないか。貴様が美しく死にたいのは、ただ逃げて死ぬことが虚構の美によって覆い隠され、おのれに自殺の権利を与えられると錯覚しているからだろう。それのどこが奉仕だ。自己に捧げた自殺のどこが美しい?」
「ああそうだ。その通りだ。解っている、解っている! 俺は理想に向かえていない。俺はただ魂の衝動にのみ耳をかたむけ、それに従いたい、死せるときにはその魂が肉から脱獄し、煙のように空へ昇ることを夢みる。肉体から疎外された魂の衝動だけが人間の肉体に奉仕をさせると、俺は信ずる。俺はただ魂の衝動しそらへ打ち上げる鮮やかな閃光を欲する。命の歌。それだ」
 出血した蛭のような花びらは、ふっと嗤った。その吐息、むっと豪奢であった。グラマラスな花々に埋もれ、煌びやかな装飾をして、それらに倦みきった瞳を憂いに沈ませる、堕落した快楽児たちによる、金粉のひといきれ…。
「まあ飲みに行こう、」
 と、いつのまにか立ち昇っていた美少年が素っ気ない口調で提案した。男がそれを断る理由はなかった。なんといってもかれは生活が寂しかったし、ずっと独りでいるのが苦しかったし、たとい素っ気ない態度であろうと、甘やかされそれにあまんじて育った安芸津は、ひとに優しくされることがなによりも好きだったから。

  *

 狭苦しいバーである。塵が舞っている。店員の愛想は悪い。他の客の柄は悪い。臆病な安芸津にはそれがおそろしい。されど、価格が安い。
 安芸津はそこで、明らかに浮いている。着ているものだけは立派だからである。磨き抜かれたドレスシューズは月のように光っている。室内でもジャケットを脱がないのは、かれの自己へ課した制約である、誰をも、安芸津本人をしても認め褒めることのないルールである。かれはその種の疎外については、一瞬誇りに思った。そしてその直後、その滑稽さをだれよりも意識した。他者に与える印象効果の意識による一喜一憂は甚だしかった。安芸津とダンディズムとの距離、まるで無限であった。着用している衣服の権威と、自己の卑しさに乖離を感じた。それは学生時代、教室に含まれることで感じていた圧迫感に似ていた。急に、ネットで中古を購入しサイズを直させた某イタリアメイドのジャケットを脱いで引き千切り、その権威を引き裂きたくなる衝動に駆られた。
 少年の顔を眺めた。なんの関心もなさそうに、安芸津を見つめかえした。かれの意識は沈静した。美しいという気持は、情緒に好く効く。ウィスキーを口に含む。ひさびさの酒である。喉奥を焼く感覚がここちよかった。
「耳にしただけだが、震災中の忘れられない挿話があるんだ、」
 と安芸津は上機嫌で語りだした。
「地震が起こり、瓦礫に閉じこめられた母と赤子がいたらしい。助けが来ない。そこはほんの少しの陽が射しているばかりだった。ふたりは飢えている。先に死ぬのは、赤子のほうに違いなかろう。母はそこで、ある行動をとったんだ。なんだかわかるか?」
「知ったものか」
 安芸津はつぎからつぎへ酒を口にしながら、かれの返答に満足そうにしてつづけた。
「母は近くにあったがらすの破片をとり、みずからの腕の肉を引き裂いて、赤子に血を飲ませて栄養を与えたんだ。ああなんという美しい挿話だろう。君、流血のともなう犠牲こそ、もっとも美しいと思わないかね」
「貴様はそう思うんだな」
「しかしだ。俺はその挿話の結末が、気にいらないわけではないが、ほんの少し改竄をくわえたくなるんだな。その後、ふたりは生き延び、双方とも助かったんだ。そうだ、母は、死んでいないのだ。非道だとは思うが、俺は彼女だけが死んで、赤子だけが生き延びたほうが、美しい話になったと思うね。血を流し、犠牲のために命を投げた死体、そこから立ち昇る魂、これこそ詩に歌うに相応しいと思わないかね」
「貴様は、」
 と、侮り以外なんの感情もくみとれぬ眼差しで言った。
「母親に、死んで欲しかったんだな」
 安芸津は黙り込んだ。いつまでも言葉を発さなかった。考えているうちに、やがて頭に血がのぼった。少年を打つために腕を跳ねあげた。かれはすこぶる気が弱かった、言いたいことをふだん何も言えなかった、とくに職場では、障害者枠の身に卑屈な意識をもっていたために、一切の反論さえしなかった。しかしアルコールが入ると、刹那的な烈しい怒りに身を任せてしまう、弱く甘えた気質を有していた。
 放物線をえがいた拳は、少年の躰からやや外れた。拳は杯にあたった。隣の客のほうへ吹き飛ばされた。屈強な肉体をもつ男の、タンクトップが濡れた。男は立ち上がった。安芸津は平謝りをした。要求されていないのに土下座をした。なにか、快い感覚があった。自分自身のない自分が、なにかに追い従うことが、卑しくも頭を下げることが、かれには快楽だったのだ。結局のところ、安芸津にはなにかを実現したいという欲求がないのだった。あるのは肉体に属する欲望だけで、なにかを為したいという欲求がないのだ。かれ、ただ生きていたくなかった。それがために、生き切ることを過剰に自分に課していた。そのために本を読んだ、服を着た、詩を書いた、そう、詩を書いていた、書いていたのだ! かれは報われないのに詩を書く自分を、ほんのちょっぴり可憐に想っていたが、そのすべてがまるっと無為である。然り。無為である。かれは生が早く終わりを告げることを希んでいた。かれが生きているのは、義務の観念によってであった。生き切ることが義務であることくらい、安芸津の愚かさをもってしても、知っていたのだ。くわえて、どうせかれに自殺なぞできやしなかった。もしその危機に襲われたら、かれは重い躰を引きずって実家に戻り、ふたたび入院でもして、女か美男の看護師に甘えるのであろう。…
 安芸津は男へ外に連れ出され、三度殴られた。その悲鳴は嬌声にも似ていたが、しかし、愛嬌も媚態もあるわけがなかった。まったくもって、ばかげていた。少年はまたどこかへ消えていた。

  *

 ふたたび、少年が安芸津を訪問した。安芸津、かれの姿をみとめた瞬間、狂ったようにまくしたてはじめた。
「いいか、よく聴け。俺の憧れは、もはや亡いんだ。喪われているんだ。死んだ観念に憧れる、これが何を意味するか解るか? 貴様なら解るだろう、なぜならば貴様は、俺の憧憬の影に過ぎないからだ。憧れの残り香、後ろ髪ひかれるような未練によって、悔恨と悲しみばかりを謳いあげる、現代に出現した世紀末の使者ともいえるような、俺を惹きつけズタズタに引きずりまわし、俺に自己嫌悪と後ろめたさばかりを与える、あたかも霊のようなものであるからだ。
 貴様の態度は、デカダンのようなものは、この時代には無為だ。なぜといい現世はけっして日暮れ時なぞではなく、われらを狂わす斜陽のあたる橙いろの時代なぞではなく、憧れのやや残る時代の移行期なぞではなく、もはや憧れが追憶のなかにしかない、すでにそれが地平線へ沈み切って了った、新しい時代であるからだ。斜にかまえて世間を眺め、滅茶苦茶な生活をし、肉体をいじめぬき、退廃的なアートを収集し、ああ、それがなんだ。現代のデ・ゼッサント、かれが何をできるか? 現代において、わが憧れを体現せんとする者は、もっと泥臭く、おぞましい惨めさを引き受けるべきだ。生きることを生きる、こんな当たり前の惨めな苦労を背に負うべきなんだ。デカダンスが好きだという人間は多いであろう、しかし十九世紀末のフランスとは、もはや時代も、そもそも国も、違うのだ。いまデカダンスは世紀の末期にない、もう終わって了ったのだ。俺は現代のこの国において、デカダンス、デカダンと愛着をもって呟く輩は大嫌いだ!
 わが幻は、ゼッサントの偏愛した、追憶に褪せた花弁の色のような、あるいは夕日の燦きにも似た、あたかも古色蒼然たる詩を連ねられた古紙のそれともいえるような、狂気を滲ませた橙いろではない。真白だ。死装束のそれのような、あるいは花嫁衣裳のそれにも似た、神経を打ち、きんといたましい硝子音をひびかせるような、そんなさむざむしい真冬の風景画だ。もはや光は、遥かから硬く照り返すだけだ。しかしそんな色だからこそ、月光の青は最上に際だつのではないか? すでに亡き、横臥す純白に射す月光こそが、神秘に濡らされ青みのかかる幻想の風景こそが、まさに詩に謳うにふさわしいものではないか?
 ああどうか、詩はただ謳うものであれ!
 しかしだ、そのわが憧れ、風景画、それにはな、肉体が無いんだ。だって亡いんだからな。幻としてしか現れることがないんだからな。脈打ち、鼓動し、息づき、生の意欲の張り巡らせ、そんななまなましい肉体性が、いっさい欠けているんだ。そこには死者の魂のほかは何もない、単なる幻の美世界、俺はその様子に安堵していた、なぜというに、肉体のない憧れは、俺に変化を、なんの努力も要求しないからだ。到達不能な幻想に心おきなく憧れられるからだ。達成できない理想世界というものは、ことごとく気力を失わせ、かつ快い自己無価値感に、おのれを堕とすだけだ。
 憧れには、肉体がなければならぬ。もし亡いならば、それを与えなければならぬ。自分の意思で、その選択肢を選びとらなければならぬ。俺は用意された杯が現れるのを待ってはならない。朦朧たる腐った液体である自己を、どうにかこうにか、自分で凝固させねばならぬ。
 しかし俺にはひとつの確信がある、自己肯定・自己実現は良きことである、だが、それ以外にも、たとい現代であろうと、生・死のありかたはある筈だと。
 俺は、もはや亡い観念から、どうしても離れられないのだ。つねづねそのことばかり考えているのだ。こいつは俺の躰にまとわりついて、美しい無音の歌ばかりを聴かせやがる、無音とはつまりは無辜、innocenceだ」
「魂とは、肉体に拒絶する何かである」
「そうだ、その二元論に、俺は固執している。魂、それはないかもしれぬ、否きっとないであろう、しかしその存在を信じざるをえぬ。俺はどうしようもなく、それを信じ込んで了っている。俺は虚数的存在としてそれを在ると仮定し、信じ、愛し、抱き竦めるよ。
 肉体、ともすれば怪物となるのだ、欲望を内包しているからだ、俺はそれを実感した。かつて、俺は醜い獣であった。俺は自分の肉体の形状にも、おのれの肉欲にも失望した。俺には、犯罪者の血が流れている。ともすれば、ひとさえ殺しかねぬ。その醜さを普遍的な人間論に持っていく気はない。しかし、そうであるならば、俺は、それに反抗しなければならない。俺の反逆は、つねに俺自身の肉へ為されねばならない。そうでもしないと、どこへ転ぶか解らない。俺が自己の内部で信じられるのは、魂だけだ。存在さえもしないであろう、やはり虚数めく観念的存在だけだ。だがそれを、信じざるをえぬのだ。
 しかしだな、たとい双方を分離して考えようと、肉体はけっして、軽蔑してはいけないのだ。憎悪も然りだ。その態度は処世術だ。双方の馴れ合いだ」
「俺をどうする?」
「殺してやる。これは俺の、長引きすぎた思春期との決別だ。俺は肉体と魂、その双方の馴れ合いの結果、ただ肉体の不在したプラトニックラブを為したかった、いや為す気もなかった、ただの童貞主義の潔癖症だった。
 貴様には、死者の影だけがあって、肉体がない。貴様じたいが、俺がつくりあげた、実現不能な幻影だった。貴様に憧れるのは快かった、貴様を愛するのは気楽だった、なぜといい、無いのだからな」
 少年の瞳、もはやがらんどうである。蒼白の肌は淡い点描へとうつりかわり、背景と一体化し融けこんでいる。如何なる点へも、焦点が合わぬ。憂鬱にうねる黒髪は幽遠なる象徴画の一要素に過ぎず、まとう衣服は悉くが虚無へ投げこまれた煌びやかな修辞であって、その細い体躯、蜃気楼のように幽かに昇っているのみである。
 安芸津は、青年期のかれをつねづね悩ませていた血の気多き獣性のままに、ばらのそれにも似た悲劇の薫り高い、殉教した反逆の美少年へ銃口を向け、引き金を引いた。して、みずからの精液を、かの死骸の美しい顔へ、エロによる冒涜でなく、あたかも祈祷の塩まきのような心情で、厳粛なる身振で降り注いだ。
 ただかれには、理想に殉うために美しく死ぬのではなく、それがために惨めに卑小に生き切る、義務があったのだ。かれが求めていたのは殉教ではなかった、けっしてそれではなかった、殉教により充たされた自尊心の状態、かれの求めるものの対極にあった。かれは焦がれていた、自尊心がからからに乾いてでもなお撥ね上がる、愛に点火され燃ゆる魂の上げる、鮮やかな閃光を。否、それすらも、愛の翳にすぎぬのに。
 安芸津の根本的主題は、つぎのものであったようだ。愛と信仰、そして死。すなわち──不在というかたちをとる、世界に満ちるすべて。宇宙の暗闇が孕む、久遠の火。


  黒舘沈名義。
  性描写・暴力描写・表現が過激なため、とくに注意喚起

  4 美少年と殉教


 恰も冷然硬質な壁から背徳の滴りおちるような、打ち棄てられた人間を囲う牢獄めいた石張の密室である。
 其処はどぎつい深紅の淫靡がトロリ水音と照るような印象、恰も後ろめたい熱帯雨林の籠る湿潤な雰囲気が張りつめているようなのだった。
 湿り潤う、鼻腔をすべらかにみたす甘やかなroseの香気が漂っていた、それは嗜虐を被ったために乱れている、ウェーブのかかりふっくらと豊かな黒髪から立昇っているようなのだった。
 囚われの美少年。
 その、果実がまっさらに剥かれたようにしろくほそい手首、それはいたましい様子できつい銀に燦る靭い革紐に繋がれてい、しなやかに華奢な線をひくうら若き肢体には、さながらに夜空めく群青色のガウンを羽織らされている。少年は、古びた鉄のベッドにくくりつけられている状態なのだった。傍らにはプロのサディストを称する中年の男、かれ、少年が実際に受ける肉体的損傷に対してさらに凄惨な印象をパフォーマンスとして観衆に魅せる、サディズム的ショーのプロフェッショナル、また悲愴無惨なる悲鳴や鞭の音色を、観衆の官能の深みへ快楽音楽として抉りこむアーティストでもあるというのが自称であった。男は鞭を幾たびも少年へ振りおろし、ピシャと凄惨な肉と暴力の交じる甘美な音を迸らせて観衆を酔わす、そのたびに少年、なにか嬌声めいて聞えるかわゆらしい悲鳴をあげていて、びくびくとちいさく締まった尻を跳ねさせる。しばしば背をのたうたせ、男に暴行されるがままとなっているのだった。
 ステージから二メートルほど離れたところには数脚の椅子があり、そこははや、真剣なそれとみまちがうほどに無我夢中な注視する眼差し、陵辱の現場を眺める、惨たらしく濁った液の溜り吐きだしたくなるような残酷な欲望を抑えられぬ男たちで満席である。
 客の一人である倉元は、その綺麗な少年の、恰もdiamondの硬さの匂うような肌を注視していた。
 陶器さながらに照る、硬質な乳白色の肌はいかにも若きそれ、恰も赤々とした灯を撥ねるような象牙の燦りを表面に遊泳させたそれは世にも肌理こまかい様相である。そのナイーヴな硬さを呪い穿ち砕くように打たれた印──紅(くれない)の凄惨な傷痕が、まるで完全にすぎるかれの美貌の、魅惑的なアクセントとしての役割を果たしているようなのだった。それはかれがうごきのたうつたび、宝石の波紋様さながらに陰翳として這うように見え、その翳、いたみに躰をくねらせるたび靡らなしなり方で翳うつろわせ、魅惑の腰はクイと波打ち男たちに欲情の火をともす。
 その悲痛きわまる情景を傍観者として眺める悦び、まるでぞっと甘い憐憫の薫りで倉元のふかい官能を舐めるようでもあるのだった。かれはこれまでの少年の肉体的ないたみを想い、事情不可解だが如何にも不幸な境遇なのであろうと想像し、どんな人生をおくれば斯く状況に往き着くのだろうと同情の愉悦に満たされた。美少年の潤みの豊かな切れながの眼から、つ、とさみしげな印象で涙が頬を伝った、その殉教めいた絵画の立ち昇る象徴的情景、それにかれふるえるような憐み・圧し揺るがされるような感動をもよおした、して、かれの神経はそのいたましい共感的な想像にまるでわななくよう。
 倉元はしかし、そんな感覚をむしろ愉しむ性癖なのだった。憐れみと美的感動の交叉する点は、恰も至上の快楽をそこから滴らせるよう。かれの欲望の暗みの泥沼から、おどろおどろしく射し昇る炎の湧き、かれじしんへもいたみと刺して交叉するような悦楽、同苦しながらそれを愉しむというある種高度にして最低劣な悦楽、そいつははや、シャーデンフロイデという幾分ペダンチックな趣きのある言葉をむりじいにつかうよりほかはあるまいが、然し、それともやや異なるともいえるだろう。この、残酷な、ある種自罰にも転じえるような、情緒をいたみにふるわす、暗い歓び。
 黒猫。
 そんな名で、少年はよばれていたのだった。本名はなんというのだろう、かれの美貌に所有欲をもよおしたために、倉元は詮索したい気持になりもしたのだけれども、しかしかれの立場を想うと、果たして戸籍が在るのかさえもさだかではないのだった。何故ってこんな社会的立場が、行政に許されることなどあってはならないから。黒猫というのはいわば源氏名であるように推定される、しかし、かれの在る状況は水商売のそれというよりむしろ捕虜、或いは監禁された性奴隷、乃至見世物の美しい獣のそれにも似ているようなのだった。
 しかしながら、かれ打たれ瑕負うごとに、高貴な雰囲気が香気と曳くような佇まいを立ち現すよう。倉元は、そのみずからよりも劣位に沈むが故に優位に昇るような高貴性を、呪い砕きたいような感情である。黒猫へ降る暴力の銀の弧を曳く雨の情景、手を下しているのが自分ではないという状況、傷を負い手折られた花さながらに項垂れて往く美少年の肉体的状態、これらのうながす感覚は心身にやみつきの激情をかれの肉に駆り立たせ、いま、倉元の情緒は夢みるような高揚に打ち震えていたのだった。
 やがて極度の疲弊のために、少年は力なく横たわった、「立ち上がれや奴隷が!」と男は野太い声で叫ぶ、牢獄の陰鬱な暗みのなかで、真紅の花々に装飾されたかれのまっしろな裸体は、無辜の白い薄明さながらにみえた。刹那幻惑される、おどろおどろしいましろの宗教的絵画の印象。それは恰も殉教のおそろしい美と歓びをめざめさせるよう。倉元がそれをみすえたとき、みずからの性的嗜好の卑しさと、暴力に濡れ罪の張る眸の濁りに呆然とする。かれは此処を退館するたびに、こまかく穢れを拭い落すように手を洗う卑怯者。はや、この場所へは来ることはやめよう──そう毎度決意するのだけれども、またこの場所を訪れてしまうのが、倉元の弱い性情をかれの自我へと突きつける。

  *

『殉教』
 倉元が、その肌粟立たせる名の性風俗俱楽部の存在を知ったのは、仕事帰りに訪れた風俗街のビルで、怪しげな看板を発見したことがきっかけなのだった。
 かれは二十七歳、まだ若き情欲をもてあますであろう年齢、それは時と場合によれば、暴力的なそれをだって産みだすこともあるかもしれない。ひりつきささくれだったような状態の神経は、時にかれをぞっとする程残酷にするのだった。かれはゲイではなく、いわくバイ・セクシュアルだった。ただ、どちらかといえば女には甘えたがり、じぶんよりも若く美しい男をなぶってみたいという、欲情の質の違いがあるのだった。
 かれは娼婦としか寝たことがなかった、ゆきずりのワンナイトラブ、そんなものはかれには無縁だった。むしろ、そんなひととき限りの関係はロマンチックにすら想えるほど、女性との縁に乏しかった。直接的ないいかたをするならば、かれはセックスに飢えていたのだった。淋しさにひりつく意識がくるおしく、息も喘ぐようで、どうにか普段社会で被っている仮面を剥ぎとって、ありのままの肉体の深淵から染みるすべらかな体液を潤滑液とし、魂の恥部を結び合わせ、そのまま他者と融解しどっと果てへ投げだされてみたかったのだった。いずこへ、というのはおそらく、空無へ。
 しかしかれには、娼婦というけっして断じて自分を求めていない女性と寝ることに、殆ど快楽をえることができない。
 かれの劣等感は、女性を誘うことをいつもためらわせる。女性のこころを刺激しない、魅力なき男。臆病者。卑怯者。そうであった。
 かれ、意を決して重厚な扉を開ける、受付には誰もいない。ベルを鳴らす。しばらく人が姿を現さないので、かれは壁に書かれてある注意書きを読んだ。

 当店は、美少年をいたぶるSMプレイの様子を観覧できる施設となっております。すぐ目の前でハードな陵辱が行われる様子を、どうぞ座って、何もせず、ご覧ください。「椅子から立ち上がる」「暴行・暴言」「盗撮」など、違法行為が発覚した場合、相応の対価を強制的にお支払いいただきます。

 やがて男が現れた、かれスタッフのようである。
「初めてのお客さんですかね。内容は、いま見られている注意書きの通りです。ご参加されますか?」と訊かれた。
「はい」
「三万八千円になります」
 かなり高価だと想ったが、なかなか実際にみることはできないだろうという好奇心もあって、あっさり払ってしまう。
「こちらです」
 奥にある部屋の扉まで連れていかれた。扉を開けながら、ややドスの効いた声で男は話し始めた。
「お客様は絶対に手を出さないでくださいよ。たまにいるんですよね、興奮して立ち上がり、暴力にくわわろうとするお客がね。うちの嗜虐者はSMのプロですもんで、ちゃんとした訓練を受けているんです。うちの商品はいうなれば、アングラ業界の文化記念物みたいなものですから、残さないといけないんですもんで、たとえば修復のむずかしいほどの怪我をお客様が与えてみる、そしたらわたくしどもも、相応の対応をしますんでね」
 白いシャツに、グレーのベストを着た肥った男である。髪型は艶っぽいオールバック、強い外国製煙草の薫。堅気ではなさそうなスタッフがそう忠告すると、倉元はヤニの香りのついたジャケットを脱ぎながら、黙って頷き男が指さした椅子に座った。横をみれば、十人に満たないほどの暗い顔をした男達が座っていた。目の前は濃紺のカーテンに覆われ、向こう側はみえない。
 暫く立って、前述した嗜虐のプロフェッショナルが現れる。実に特徴のない容貌の大人しそうな男だが、まるで眸になにも映っていないかのような、穴が穿たれているといっても信じてしまいそうな、奇妙にがらんどうの眼をしている。
 かれは何もいわず、カーテンを開け放った。
 倉元は息をのみ、食欲にも似た欲情に息をのんだ、唾液の粘るようなクチャとした音がした。
 それというのは、どうみても十四歳くらいの、驚きに打たれるほどの冷然硬質な美貌を有した黒髪の少年が、鉄製のベッドで鎖に縛られていたのである。一瞥だけで背徳の悦びがこみあがり、かれは舌で唇を舐めた。倉元は、想わず舐めまわすような視線で美少年の躰の彼方此方を眺めはじめた。
 黒髪は赤々と照る淫靡な灯をこばむような漆黒である、灯の光は辷るようにしてつやをうつろわせながら、ベッドの鉄組へ無為に流れ、項垂れる血のように滴り落ちて往く。やや癖のつよい前髪はなまめかしくめもとにかかり、うなじのあたりは清潔な印象で丁寧に刈り込まれている。睡たげな猫のようにもの憂げできれながの眼には月のように硬い光りがやどり、それは中年男と眼が合う刹那きっと恐怖に円くみひらかれるのだけれども、平常のそれは学校帰りの少年達を観察する倉元が時々見付ける、あらゆるものを蔑む不遜な少年の印象なのだった。無垢であるが故の高潔、そう名付けもできるようなそれ。
 …そのショーを見終えたのちのどっとのしかかる疲れ、高揚を補うような自責、自責の確認作業、かれの卑しき習性の一つ。

  *

 月に一度、倉元は倶楽部に通った、この日の為に、やりたくもない仕事をやった。
「倉元さん」
 黒猫ほどとはいえずしても、どことなく冷たい雰囲気の美しさのある年上の社員が、非正規雇用のかれに話しかける。
「この書類やっといて」
「はい、わかりました」
 甘やかに媚びるような、社会不適合なかれの過剰適応がみいだされる声質に、倉元自身が嫌悪を感じる。
 彼女はふだん柔かい口調で話すが、孤立し陰鬱な雰囲気を醸すかれに対しては、最低限の会話で終わらせ、取り澄ましたような態度が終始である。かれにはそれがむしろ蠱惑的であった。
「あのひと、なに考えているか解らなくて怖いよね」
「ちょっと不気味」
 彼女が同僚とそう話しているのを聞いて、「ぼくのことだ」と被害妄想、しかし、ほかにそういった印象の人間は社内にいないので、大方かれの噂であると推定できるであるだろう。
 ふるえる情緒、わが身への憐憫、愛されないがゆえの誰かからに愛を受けるに値するのではないかという切情、世界から切り離された自己への凝視は、何故かしら遥かうえから為され、わが身を砕いてしまいたい心地、然し、どこかそれが心地よい。「ぼくなんて」、という意識に停滞するのは取り残され寝そべるような気楽さがある。
 気づくと勃起していた。かれは家に帰って、彼女に恋薬を過剰に飲ませて自分に惚れさせ、狂うように求められる妄想で陰茎をしごき射精した、白濁の液には血のようなにおいがあった。かれはせめて肉から剥いだような射精をしてみたいとかんがえた。
 恰もティッシュから毀れた精液のように、かれは躰を項垂れさせ、みずからの躰の魅力のなさに泣き、ただ、淋しいという理由だけで、それが生涯つづくであろうという確信的予測のために、消えて了いたいと想った。
 殉教。
 嘗て、かれは殆ど損得勘定でこれを欲望していたのだった。

  *

 かれは金もないのにひき寄せられるように倶楽部を訪れ、まるでかれを俟っていたかのように鍵があけっぱなしになっていたのをみてとった。あきらかに反社会勢力が関係している店という危機感がいまのかれにはない、倉元は扉を開け、闊歩するようにズカズカと黒猫の部屋に向かい、ふっとあのオールバックの男が顔をみせたが、かれに関心すらなさそうに奥へ引っ込む。おそらくや、倉元のような客に慣れているのだろう、否、この倶楽部の存在意義とは、現在の倉元を破滅に陥れることにあるのかもしれない。
 おおきな音を立てて扉を開ける。
 黒猫。
 綺麗な目元を、微睡むようにほそめていたかれは、倉元の侵入に微笑する。
 倉元は、かれに、跪いた。そして、かれへ呪詛を投げつけた。ぼくなんてどうにでもなれ、そんな自暴自棄が、そのときのかれの肉を満たしていたようだった。
「黒猫」
 呻くように、視線を床に注ぎながら話しはじめる。
「きみはほとんど美のようだね。けっして膝の上にとどまらず、掴めたと想うと霞さながら掌から融けて往き、どうしようもない蠱惑を湛え、ともすればひとを破滅もさせる、もっとも怖ろしいことにはね、おおくの場合、きみのような美は道徳と一致しないんだ。美と悪の配合、きみのつややかな黒い眸と髪は、その悪酒の乱痴気騒ぎにもみちびくようだね。エロティックなんだ。きみに殉うことはね、空で死者と連続するような妄念を引き起こすんだよ、ある種の淋しがり屋には、ぞっと蠱惑めいた印象を与えるんだよ。されどそれは妄想だ。人間はね、死んだら終わりなんだ。魂なぞ無い。知っているんだよ。魂、唯物論を支持するぼくは、こいつを虚数として信仰しているんだ。
 告白しよう。ぼくはきみを縛りたいんじゃない。暴行したいんじゃない。ぼくはただ、きみの美しさを呪っているんだ。黒猫。ぼくにとってはね、貴様なぞ存在しないほうがいいんだ。いくども殺そうとしたよ、愛の運動エネルギーにはね、憎しみのそれをだって同量含んでいるんだよ。されどきみへの恋にも似た感情が、いや恋なんて透明なことばを使うのはよそう、執着だ、執着がね、きみをどうしても殺しきれないんだ。
 坂口安吾がね、好きなものは、呪うかころすか争うかしなければいけない、そう書いたんだ。ぼくはこいつ、どこまでも正しいと思うね。ぼくはかつて無償の愛に焦がれていた、それをね、ころしたんだ。絞殺。されどぼくはただ、この期におよんでもきみをうじうじ呪っていたんだよ。
 ようやく本心が視えてきたんだ。本心。胡散臭いことばだね。ぼくにはそんなものはないとおもっているよ。あるいは無数にあるんじゃないか。しかしあえてこいつを使おう、ぼくの本心はね、きみという美を、呪うことでも、ころすことでも、獲得するために争うことでもない。ぼくはきみに、殺されたいんだ。愛するひとに殺されたい、非常に平凡な欲望であると思わないかい。この醜悪なぼくという肉体を、きみという美にがんじがらめになることを希むんだ。引き裂かれたいんだ。ぼくはね、ぼくなんていらないんだよ。ぼくは自分のことばかり考えすぎているんだ。自画像に轢死しそうだ。貴様はまるで神経的に澄んだ青空のようだよ。きんと冷たい硝子の反響が響きわたるようだ。歯の治療さながら、ぼくの神経をひりひりひりひりわななかせるんだ。きみを視るといたいんだよ。美というものにはその存在じたいが「我」を忘却させ無我へ引き伴れる筈なのに、きみは在ればぼくにどこまでも「我」の存在を突きつける。とすると、きみは美ではないのかもしれない。或いはぼくの眸に張る地獄がきみを美とみまがわせているのかもしれない。地獄の花。若しやそうであるか?
 無ければいいのに。きみなんか。ぼくはきみという青空にね、あるいは風景画に、わが身を磔にしてしまいたい、そしてズタズタに空から降る神鳥に喰われ罰を受けたいんだ、そのときぼくが身はどっと赦されるであろう、そしてぼくからついにぼくが剥奪され、空の反映に侍らせられたいんだ。妄念。そうだね。そうなんだ。もう一度訊こう、こんな欲望の、なにが善く美しい? 殉教なんて嘘じゃないか。自己犠牲なんて悪じゃないか。
 黒猫。さあ、はやく、ぼくを殺しておくれ。ぼくの絶対的な孤独と罪悪の意識を噛み締め舌でしゃぶりながら、その失念のなかで息絶えたいんだ。ぼくには、ぼくなんていらない」
 杯から毀れ落ちた水が、ぞっと狂乱するように燦き立つように、黒猫の眸が真蒼に燃えあがり、あたりは黎明の底のようにましろへどっと変色して、刹那、硝子と肉の綾織る不協にしてpsychedelicな響きが轢き散らされ、跡には鼻のひん曲がるような悪臭のほか、なにひとつだって残らなかった。

沈める黒死舘

沈める黒死舘

【短編小説集】 【フランス発禁小説へのオマージュ】 1 線路と死貌 ──エドガア・ポオ風の物語── 2 無垢と信頼 3 後ろ髪曳くように 4 美少年と殉教

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2024-04-02

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