俗悪美詩集
ヤクザ者
盃を掲げよ、
死際の鶴が最期の生命を引き絞り、
頸をしならせ蒼穹を呪い睨むがように、
杯には虚空が煙とくゆる、空無を痛みと呑み下せ。
盃を交わそう、
兄弟の契りだ、天涯孤独の果ての領域で、
隣人の契りだ、天蓋疎外の果ての領域で、
杯には虚空が煙とくゆる、空無を痛みと呑み下せ。
盃を棄てよ、
つぎつぎに所有せるものを抛れ、
ありとある愛着を剥ぎ落し削ぎ落せ、
杯には虚空が煙とくゆる、此処に宿るは我等が神だ。
盃に視線を向けるな、
後ろ髪引かれ乍ら既にして棄てたものは脳裏で描け、
貴様は路の真中歩けぬヤクザ者、身の程を知れ、
杯には虚空が毀れて洩れる、俺達の宿命がその泡沫。
蜘蛛の銀飛沫
悲哀に重たく 銀の瞼降ろす
荘厳な 遥かなる硬き天空が、
余りの切情に、亀裂から涙落し、
わが肉 ぞっと神経へ染むがように、
俟ちびと 一途に俟ちつづける蜘蛛、
片恋の恋人の不在 わが巣で不断に耐え、
死の時が来て、腹に溜め膨らませた涙を、
滅びながら 絞るが如く銀に飛沫かせるのであった、
その銀の体液 さながら聖き光の清むいきれ、
神経さらす雪景色に かのシモーヌの毀こぼした
一条の 鮮血の詩性ポエジーに、照りかえしが似るよう、
銀の蜘蛛の淋しさに わがそれ重ねる、
賤しき詩人の僕なれば 君が涙の飛沫、
爪に塗ろうか、されば歌 引掻いてもみせようか。
亡き王女のソナタ
──エドガー・ポオへの愛着の詩
かの一音… はや亡き貴女のましろく繊細なゆびさきで、
さながら銀の雨粒、澄む青玻璃にたんと落ちるがように響くのなら、
ぼくが心は夢の追憶へと、かの喪失の日へおのずと連れこまれるのに、
淡いゆびさき ぼくが夢想ゆめに翳と揺れるばかり、音楽は鼓膜、揺らさない。
その音楽は銀の月夜に まさか霧のように青く霞んでいたかしら?
あるいは夜の群青 冷然と貫くしろき雷いかづちであったであろうかしら?
いずれもまたわからぬこと、ぼくが識るのはその一音さえ鳴れば、
聖なる光を浴びる幼き日々 聖歌を想起するということ、ほかはない。
ああ あれは少年期のぼく等、無垢という名の神経の糸を弾く、
涙と涙の綾織る、まっさらな 清むいたみではなかったろうか?
あお紫に病むぼくが頬、いたみを純粋に感受したそれ、もはやない。
それは不連続の閉ざされた淋しさ、真紅の薔薇の流血による連続の幻、
死と憐憫とに飾られた絵画に四方を覆われた、暗い城の一室の啜泣、
其処で鳴りぼくを生き抜かせた、汝が姫の一音を聴くのは、またとない。
やつれた瞼
清廉な 銀の飛沫の水音よ… 硬き涙音燦らせて
──それは天浮ぶ熾天使の、冷然な眸の如くでした──
蒼穹 さながら重たく垂れ込む青玻璃のタイルの天井が、
一刹那に質量を喪う さればわたしの背に蔽い被さる──
わたし 其をやつれた瞼を透かして視た、
わたし 其をやつれた瞼を透かして聴いた、
一刹那に折りたたまれる悉くは空無であり、ましろ、
果て織られ、重装し飛翔びあがって、揺蕩うは天の衣装よ。
わたし 其をやつれた瞼を透かして視た、
わたし 其をやつれた瞼を透かして聴いた、
わたしには音楽が光であり、光が音楽であるのだから。
そが死のフーガ──生を賛美する光のモティーフ、
幾たびもくりかえされる筆致の、重奏構造の建築、
重たく被さった瞼は一条の光にひらかれる──沈みえれば。
あわれ蛾
うすっぺらい翅を傷つかせた
灰いろのあわれげな蛾が、
手さぐり 手さぐりする
ひざまずいた男の病んだ腕のように
冷たい土を這い、おろおろと動いて、
探し物の不在に、身をふるわせる。
その惨めったらしい姿よ。不幸面した滑稽な蛾よ。
あわれげな蛾はなにかをさがしている、
おそらくや無いものを求めている、
それがなにかはそ奴にもわからない、
飛ぶちからを失った翅は重荷にすぎぬ、
そもそも飛べたかも定かでない。
ただそ奴 あわれげな蛾は、
欲のままに生きる孤独が、淋しいのだ、
燃ゆる魂のあげる、鮮やかな閃光を視てみたいのだ。
うすっぺらい翅を傷つかせた
灰いろのあわれげな蛾が、
冷たい土を這い、おろおろと動いて、
探し物のないことに、身をふるわせる。
日陰の醜い蛾よ、ついに死を赦されるまで、
くるしみたい苦しみを、かってにくるしめよ。
真白の花が花弁をふるわせ、けらけら嗤っている。
詩人
僕は、詩人だ──
そうしわがれ声で呻かれた最後のさいごの切情を、
自負するよりほかのない僕の張り裂ける胸を、
解ってくれなぞ、つゆさえ想わぬ!
詩人なぞという職業はなく、
詩人なぞという生業もなく、それの個性なんぞ笑っちまうさ、
詩作なぞという技術はなく、職務はなく、貢献もない、
唯 歌うよりほかなき失墜の人種がそれ──墜落点を置け。
ところでそんな 淪落の歌い人たちであれども、
わが詩篇に高空或いは沈む湖の憩いを感じてもらいだとか、
生の歩行をたすける言葉の杖を渡したいだとか──
詩人とは何処までも人間であると想われ、切なくもなるのだった、
「僕は詩人だ」と自己へ説得してみても、如何なる意味なぞあるまい。
詩人とは、無垢の歌を水晶零す光のためいきを毀す人間、
唯いのちのままに心揺りうごかされちいさく叫ぶ──あ…
さすれば美という観念に吹っ飛ばされちまう、ましろに吹き散る果敢なさで!
2
して、詩人よ、心して聴いておくれ──
悪書を蔑んではいけない、より果敢なくも生きるためには!
涙より貴いものは…
涙より貴いものはないのです 涙より貴いものはありません、
清む涙の きんと光る青の照りかえしより佳いものはないのです、
それが流れ 頬を つ、と伝う朝暮の沓音よりいいものはありません、
苦痛に明け暮れ幾夜を欠片の落葉と剥ぎ落す 砕けた音楽がそれなのです。
その砕ける音 はらり、と揺れるような貴女の笑いの瞼です、
頬伝う、つめたさに澄みきった消えいる沓音は貴女の笑い声です、
まっしろに剥がれた星一つなき真夜中の群青の光は喜ぶ貴女の眸です、
おおいなるくるしみに剥がれた貴女の砂漠の眸です まるで歓びの光です。
下へ昇る涙よりいやしいものはないのです、
毀れるままに垂落ちる 酒噴零れるにすぎません、
くるしみ圧しだし頬埋め 涙に洗ってはいけないのです。
上へ沈む涙よりとうといものはないのです、
高空みすえ砂を曳き 希断ち爪立て墜ちるのです、
肌硬く剥ぎ 内へ湛え水晶へ侍る湖の涙がそれなのです。
*
嗚 涙の純化は失意の底溜るさらりと砂と照るあなたの笑みでありました、
嗚 とどめられた涙の清むは笑みであり、天沈む死は黎明の花嫁衣裳です。
宿酔の朝
しろい陽 ぐれーっしゅに煙る
うつろう陰翳の壁のような相対的風景で
まっしろに剥かれた死のかおが、
視界いっぱい 無数でぷかぷか浮んでる。
頭上には裂かれ かききえそうな、
幾千の天使たちが歌ってる、きえいる声で。
わたしは脈打つ肉体の浮ばす病める想念、
どうにか 幾重の理路にたどらせようとする。
さながら みずからの酒に黝い肌
愛撫するがように す、とゆびつたわせ、
どうにか 幾重の光辷る理路にたどらせる。
されどこの翳ふかき 眸の方に宿る地獄で、
わたし 水晶の硬き光線を曳く歌をうたい、
せつな 地獄すら瞳から剥ぎとらねば不可ない。
甥っ子よ
甥っ子よ
おまえは詩なんかを読んではいけない
おまえはやわらかな雨音の光がこぼれる
六月に産れた わたしは君の誕生を祝福する
おまえが文学なぞという毒気のつよい
病める劇薬を欲する みずから徒な苦痛に身を投じる
淋しくおのが意欲で疵だらけにした魂から昇る
詩という一途なる歌を祈るがように投げはなち
幾ら翼をはためかせても 切情をしか昇らぬ黒鳥(ブラックバード)
おまえはそんな病人にはなるな 幸福になっておくれ
甥っ子よ
おまえは詩なんかを読んではいけない
おまえはわたしの幼少期と同様に
家族の愛情をそそがれ あたたかい家庭にある
わたしはその幸福を感受する能力がおそらくやない
淋しさと不幸の妄念に引き裂かれる幾夜を
催眠剤と呷る文学というアドルムを希んではいけない
そう 生は如何なる人間にとって苦しく苦いけれども
然しきみは 六月の淡い光の掌にしずかに睡っておくれ
おまえは乗り越えておくれ 青春のいたみを 淋しさを
甥っ子よ
おまえは詩なんかを読んではいけない
おまえは前をみすえ 上を昇り おのが幸福をひとの為に蒔く
勝手をいうが そんな 幸せなひとになっておくれ
間違っても詩なんかを書き殴ってはいけない 憧れと痛みのままに
*
されどおまえが どうしても
どうしても詩という断末魔の劇薬を必要とすれば
苦痛と孤独に咽ぶ幾夜を くずおれ跳躍し
生き抜かせる催眠剤が要るのなら わたしに似て了ったのなら──
わたしの穿たれた胸においで よわくしなる腕で
おまえをがっしりと血のかよう力で抱き締めるから
わたしに愛され わたしを生き抜かせた詩を朗読するから
わたしはおまえのおまえを信じえる わたしにはそう歌えるから
ズタズタ
おれ、は 詩人 だ、Da 駄々 ァ…
か、べ コココ こす り、つけるはあた、まダ、
知 血 ヲ、地にズタ、ズ タ に、爪 擦り 磨り、
うが、つ ワ ふかみ ズ、タ ズタ、裂け て ェ
ガ ガ 我 ガ ギ グ 義 ゲエ
下呂 呂 律、ロ レツ ド 吃レ 漏れ ド、De 賤民 ドド
ドッドド ドドウ、ド 怒洞 弩 躁 キュウウウ…
蒼、穹 ソウ 蒼穹! O! お、レ は、詩人 ダ ダ、DADADADA……
肉の花
お前は肉だ、
犬死した詩人よ お前はただ肉だ、
肉でしかないものだ、犬死した詩人よ、
お前は肉だ、肉の他なんでもない欠片の一つ一つがお前の全部だ、
そいつは地の深みで散った、ズタと頭が血と曳かれ、
四肢 バラバラに砕け迸り 解体した言葉の如く砕け、
そいつは深みのふかみで毀れた、お前は肉片だ、肉片がすべてだ、
犬死詩人よ、お前はいま手足もげ腐った蛸のように死んでいる。
お前は肉だ、肉片だ、死んだ物質だ、
そうではあるが 君よ、お前の肉は一領域光と投槍に抛ったように、
お前は何よりも憎み穢し愛し信じ壊し抱いた 青空に──
お前を幾たびも突き放した 硬質冷然な神殿・青空に──
其処にべったりと翳が張るように咲いてる お前の肉が、
肉の花 肉の花… 花に供物と抛られた腐れ肉、そいつ肉の花お前だ。
黒と赤
官能打つ通奏低音と 閑しずかに湖の心中と沈められる 穿たれた黒の空間、
沈鬱な花 はらはらと墜ち呑むが如く、其処にめざめるは絶世の絵画よ、
腰の不連続な焔 夢想と閃かす舞台に溶け、深淵に糸曳けば肉の底毀え、
*
ふと眼まなこ打つ刺激に華みひらけば、めいっぱいに真紅の風景拡がり、
どぎつく毒と這入りこむは 沈む淋しさの連続と迸る絶頂の音楽よ、
紅き薔薇の花弁はな剥かれた如き眸に映るは 紅に染まった戦慄く肌で、
*
されば風景は肉に染む詩歌さながらに 漆黒へと乱暴に剥きなおされて、
欲掻きまわしありとある色混濁し 如何なる芸術も憂鬱清ますことなく、
乱雑と焦燥と欲心の儘に、濁りうねった灰の翳およぐ海の躰横臥わって、
*
幻惑音楽の圧潰す狂った眼差に 砕け剥き曝された内奥に鮮血の滲み、
畳み込まれるように波と押し寄せる 躁がしく鍵盤叩くピアノソナタ、
その湧きあがる赤き悪酒の酩酊の儘に、血奔った歌の幾夜へと跳べ。
ぼくは齢をとった
少年の 甘やかな夢想のうえに、
ましろき水音の花束が降った 月の織重なる行進で。
仰ぐ純潔な頬に 花の柔かい切先が落ちてきた…
跡には白き灰が残光している 夢の頬は双掌に包まれている──
*
背を折りまげ 躰をごつごつ膨らせた中年男が
そがこぢんまりな水溜の夢想を ビルの如き腹の翳に蔽い
嘗ての薄明のしろき落葉を拭った、嗤う現実の傷穴が晒された、
かれは一個の神経と変容する──清む光は神経で、神経に番う。
*
純粋さを求めるなら、現実を、塗るな。
その本性まで、傷みながら、剥け。──ぼくは齢をとって了った。
櫻の花が散りました
櫻の花が 散りました
櫻の花が 散りましたねえ
それも 昔のことでございます
はや 今宵は秋の月夜でございます
櫻の花が 散りました
櫻の花が 散りましたねえ
翳うつろわす 硝子の破片と剥がれ落ち
内奥から むしろ壮麗な花が立ち昇るよう
櫻の樹の花の不在は
内奥から むしろ壮麗な花が立ち昇るよう
穿たれた地下より さかしまの満開が胸ひらかれる
櫻の花が 散りました
櫻の花が 散りましたねえ
今宵さかしまの湖の中 陰翳の桜が満開です
噛み煙草
幾たびも、苦みと苦痛を噛み潰し、
頭をクラクラとさすいたみに酔うがように
私は片恋の現実を 歯で砕く、押し潰す、
吐きだした浮遊する煙は ふしぎにしんとしている。
かのひとのオマージュはとおくで耀いている、
ましろい霞で ほうっと姿が浮んで消え、星と散り、
はや逢うことなきひと、オレンジの香気のみが漂ってくる、
幻 私の切情と綾織り棚引いて、刹那の空に、久遠を一瞬間照らす。
転調──私は悲哀の騎兵隊に衝き動かされました、
不穏な 渦巻く、黒いサイケデリックな宗教音楽がいたします、
めくるめく淋しさの空白に わが身音なく突き落されたのです…
されば私は、片恋という生涯の呪い、
不在の現実を 理想の不在を、慈しみながら噛み砕く、
私は淋しさに死にたい想いをするから──そいつを生の意味にした。
柘榴の鮮血
真の清楚なる光とは、射された人工の白光に聖性の反映をたすけられ、さながら白鳥のただよう楚々たるしずかな佇まいのような、ほうっと淡き肌をすべらす澄明なそれではないのである。
それむしろ、月照り群青の暗み帯びる湖の、狂騒になみうち多重に織られる翳に身投げして、銀と蒼の夜天から切先鋭き稲妻の如き射す月光、燦爛と乱反射の血の肉の刃を踊らせる、暗みに溺れるほどに古風にして新鮮な紅(くれない)の飛沫と鏤められる、いたましくも劇しき狂気の火花の翳に秘められるよう。
詩の光とは、天の降らす涙陰翳させる陶然な彫刻(レリーフ)であり、詩の音楽とは、銀の血迸らせ肉体うごかす韻と律動の体液の衝動であって──果して聖性、血と綾織り肉駆けるか?
然り。清楚とは闘いである、そのほかである筈もない。
その貌付はきよらかで愛らしい乙女のそれでなく、瑕を負う象牙の閃かす照りかえしの悲壮な美だ、その芳香はどこまでも血の薫り、あるいは血潮降らす焔の音楽のそれであり、眸ばかりが楚々たる花で──淋しいほどに澄んだそれ──いわく、硬質なる水晶の守護のために争う可憐な戦士のそれである。彼女が微笑、やわらかで優美であるのは、どこまでも果てしがなく淋しいことだ。
それ恰も、暗みの倫理に縛られ柘榴石の鱗耀かし月へ昇らんと身を撥ねらせ硬き水音散らす姿には、むしろ清冽な体液の迸りを連想させるよう。柘榴の蠱惑に毒あてられて、豊かな色彩の散る火花のうちにわが身を捧げ置き、韻と律動の舞踏(ダンス)をわが身に強いる司令はかの澄んだ魂、されど時に詩人、優しさという脆くもやわらかい平凡なる美徳があり、それはしばしば芸術の悪徳との相克との火花を散らし、あるいはそれ、芸術というものそのものであるか。
詩人の魂、それやはり地獄の火に在るのかもしれぬ、しかし、その涼しき眼差、吹雪舞う城の如く厳しく即ち浄らかだ──万事よし。
いま、めいっぱいに裸体を曝けだした積雪の神経のうえに、一条の柘榴の鮮血がつと落される、紅の鱗いちまい又いちまいと剥がれ、はらはらと椿の首墜つるように落葉し、かの神経的雪化粧、紅く染めて了う。ちかとどぎつい色彩千々に乱れ、臆病に操作され眼を瞑る僕等、眼窩に張りつめられた柘榴の飛沫とめくるめく幻惑に打たれる。
転落自殺
僕は生きてあることの苦痛に耐えかねると、まるで夢をみるような心地で、わが身を天から突き落としてもみるのだった、さながら魂の根へ墜落するがように、魂のふるさとに還るような気持で、地へ叩きつけられる夢想に耽ることをこのむのだった。
先日夢にみたのは、女性を抱いてともに墜落するそれで、堕落の歓びともいうべく幸福がめくるめくように脳裏で弾け散った、地へ還るてまえでそれ終わって、次なる風景はふたりで生活するそれ──僕、この期に及んでもこんなことを希んでいるのだと、うっすらと微笑した。
*
きょう歌ったのは、ひとの欲心は転落に焦がれるときに、愛するものを抱いて墜ちて往くのを夢みるのではという仮説であり、ぼくはわが睡る水晶──いわく魂の淋しさというものを切情こめて抱きすくめ、その底辺へと墜落し、あらゆるもの等を抛り棄て、それは過ぎ往くように脇を奔るであろう、不穏な足音を立て僕は駆け降りるのだ、こいつ、僕の希みである。否。希望だ。
わが希望は救いがないということ、虚ろな希望を抛り棄てついに不在の状態へ還らせられるということ、僕の淋しさを癒すのは淋しさの根の衝動だけ、淋しさに埋れ縋れるごとに、淋しさはわが魂を絡めとり蔓と深くふかく抉り手繰りよせてくれて、瑕にズタズタに摩耗され、ついに純粋な、無名の歌へと連れ去ってくれるというそれである。
其処には幾たびも夢みた真白のアネモネの花畑がひろがってい、僕そこで、澄む匿名の歌を古代人等と立並びて歌うであろう、されば孤独の林立に、陰翳の一片と侍らせられるであろう。
叫び。救われたく、ない。
ブラックバード
私の魂の病める華奢な枝先に
翼をもった、愛らしい「希望」が留まりました──
まっくろに澄み、めざめるような小鳥です、
なべてを抱き虚空を照らす、またと顕れぬ小鳥です。
その子、淋しげな短調で歌います、
銀と群青の夜空に満ち満ちるような、いいえ、
夜空のそれと おんなじ淋しさを歌うのです、
時々 それ背負うがように、星々蒼く照りかえすのです。
交じることをやめた その色彩は、
歌えば歌うほどに 黒は清み、一切を抛らんとし、
ただ 無き処へ飛び翔っては、幾度も墜落するのです。
ひとはそれを「絶望」の色だといいます──
されど嘗ての地獄で視かけた かの小鳥、
私には希望と映った──「犬死」と名づけられたそれをです。
切先なき刃
わたしは わたしの最も脆く 柔らかい、
最もか弱い領域のわたしで──現実へ、刃向かう。
わたしは 弱いよわい 砕けやすいわたしの部分を
最も硬く冷たく、靭(つよ)い神殿へ──光の凶器と、音楽で投げ放つ。
わたし 遥か頭上の銀に赫う 虚の絶対の城みすえ、
わたし 眼前の燦爛な照りかえしの 冷然非情な世界へ、
弱く 柔らかく 脆く とくと水音立て頽れるような
「わたし」を眼球抜く如く抉りとり──最上の弱さを晒し、牙を剥く。
わたし 敗北をみすえ 敗北を期し 敗北へ焦がれ、
されどそれ わたしの生の文脈により、墜落という美へ──
落つる椿の首 失墜する幻想 シオマネキの降る腕 犬死詩人──
そんなものへ、わたしを剥く。青く あおく彗星を曳き棚引いて、
赫々たる銀の城 刹那、久遠の火と青々と炎えあがる、して、消ゆる
切先なき凶器──故郷へ落葉し葉群へふわと侍り 不在とし永遠を照らす。
聖の歌(ひじりのうた)
雨音絶えぬ風景 ノイジーな灰色に乾いた砂漠の僻地、
幾重の亀裂から降るは雨でなく、揺れる巨きな聖き指先、
花を摘まんと砂伝う指、忘れられている愛探す、翳りの薫ただよわせ。
銀の草花の翳には 壮麗な燦りを背に負う 無数の甲虫がひしめく。
嘘をつけない悪徳有す甲虫が独り 真実のみをいきれと吐いて、
背を淋しく罅割れさせて、愛の陰翳を地図と脚に巻いて秘め、
淋しいほどに清んだ歌を毀す、嘘をつける蟲等は彼女を蹴る、
幾星霜の疵に磨かれた甲は荒み、如何にもいたましい様相を呈す。
彼女はやがて口を噤んだ、真実と美と善を翳と身振し、
理不尽に圧し潰されながら、腹の下の脚を奇怪にうごかし、
やがて劇しき雨降る気候へ変わり、甲虫等は幸福を求め飛び立った、
雨はやがて刃となり、彼女の罅割れた背を腹まで稲妻と貫く、
不幸を撰んだ甲虫は裏返り、痛みを源に描かれた、創の聖・愛を露す、
聖の指がそれ掬う──双の愛結われ、降りる久遠が火と閉ざす。
悲しみに棄てられて
私は私の悲しみにさえ棄てられて、
投槍に、一切を抛ることを決意するのだった、
私は私の淋しさにさえ突き放されて、
独りきり、孤独を青薔薇へ剥こうともするのだった、
私は私の焦がれる死にさえ死に絶えられて、
唯蜘蛛のように、それ清ませんと俟っているのだった、
私の私の追憶にさえ忘却させられて、
後ろ髪引かれ、宴をわが夢に描いてもいるのだった、
私は私の自己憐憫にだけ憐れまれて、
然し、それをすら呑み切れぬ。してはならぬ。
淋しさに突き放された 淋しい私が、
藻さながらに、うでを翳と揺らめかせている。…
頽廃生活
わたしのつかれやつれた顔が──
水中さながらの閉じる空気におびただしくも浮んでる、
泡沫のそれ 灰に霧がかり罅われて、
ふっと上向けば──銀の夜天へ吹っ飛ばされちまいました。
はや、幾日眠っていないであろうか──
鏡があるので そいつにわたしの病んだ顔を映せば、
引っこ抜かれたように逃げる猫 死んだ蜘蛛が転げてて、
それ鏡でなく──夜とわたしの境界線であった。
ぎい ふあ ふぃ どぅるるる …
嘗ての頽廃生活、地獄の底の蠱惑の音楽追懐される││
女神よ──わたしは、真剣に堕ちていましたか?
ぎい ふあ ふぃ どぅるるる …
わたしは其処で花視たのです、地獄に咲く花視たのです、
空はわたしの死顔でいっぱい、はや真白の花畑さながらです。
秋の庭園
ものしずかな その男は
秋の季節に咲く花だけを栽培する
こぢんまりとささやかな庭園をもっていた。
かれ 最愛のひとを愛するように大切に庭園を整え、
ひたむきに水を遣り 虫を指でそっと払い、
秋 炎ゆるように花々が庭を彩ったけれど、
窓辺からそっと覗きこむように男はそれ見遣り、
片恋に胸をどぎまぎさせる少年のようなはにかみの微笑、
そのほかの季節は しんと緑が鎮まっているような印象で、
むしろ男は 春夏冬のほうに働き者であった。
*
男は八月の陽ざかりに死んで、
その骸 庭園の緑にうずもれるように横たわっていた、
愛を享けた花は男の死際を覗くことすらできず、
緑はしんと艶を光らせるばかりで、
太陽は無関心に 冷たい爬虫類の美しい眸を投げた。
*
庭園は九月に花ざかりを迎えた、
花々は男の不在でむしろ映えるように炎えていた、
独り暮らしの男の箪笥から大量の詩編が発見され、
家主に庭の土の中へ埋められた、
花は一斉に萎れ砂が毀れるようにさらさらと墜ち、
陽の目を二度とみない詩へ わが身を供物と身投して、
詩の熔けた土との境界線 ほうっと光に喪わせたのだった。
*
誰もいなくなった しんとしずかな緑の庭園は
いまもどこかにあって 月夜は銀に照るらしい。
雨だれの歌
そのピアノ弾きは、何時でもいつでもおなじ音楽を弾いていたのだった、雨粒の光るような、木洩れ陽の音楽が木々のあいだを辷るような、まっしろの真空にほの青く照る水晶の耀きがきんと投げられたような、恰も自然の元より孕むしずかなうるわしい息のように奇麗な音楽を、かれは何時でもいつでも演奏していたのだった。
ひとはそれに時々聴き耽り、屡々騒音だと揶揄し、苦情だってむろんきていたのだった、なんていったってピアノ弾きは働いていなかったから、アパートメントの一室で絶えず音楽を響かせていたのは畢竟迷惑であったことだろう。
「だれが作ったんだい?」
と唯一友人らしい隣人が訊けば、
「かのひとが歌った、かのひとが歌ったんだ。ぼくはそれを聴いた、ぼくはそれを忘れない為に毎日毎日弾いているんだ。そのひとの息を想い起こすということだけが、ぼくの愛であると信じているから」
やがて戦争の火がその国に訪れた、かれの弾くエキゾチックな音楽は敵国の民族性を想像させると云って演奏を禁止されたが、ピアノ弾きは窓のそとを見はからいこっそりと演奏をする。やがて演奏にうんざりしていた隣の一軒家の男に通報されて、ピアノは没収された。かれは泣くように死にぎわに息を洩らすように時々それを歌い、引き攣ったようにこつぜんとやめて咽び泣く。以前より元気を失って、こころ優しく珍しくかれをきらわなかった隣人はそのようすを憐れんだ。
*
一面焼け野原であった。かれ等の町は空襲で吹き飛んで、ひとびとの残骸と荒野だけがひろがっていた。みんな死んだ。隣人も死んだ。かの音楽はしかし其処で響いていた、空があおあおとした胸を膨らませいきれを零すように歌っているように、其処で何時までもいつまでも響いていた。まるで燕が涙を流しながらひとびとの淋しい死骸にキスしてまわるように、町のあらゆるところを飛びまわって、果ては空へ舞い昇って消えた。それはこの町の終焉の火を水音に霧消させたように淋しい風景であった。
ピアノ弾きは瓦礫に挟まれ、頭蓋骨を砕き血を流して死んでいた。
ぼくだけのアイダホ
ぼくはかの宵のかの空に天使等をみた気がするのだが、
それがわが酩酊に因るものであったのか、
わが疲弊のみせた幻にすぎないのであったか、
はやどうにもぼくには判断することができないのだった。
天使等は円舞し真白い翼をひらりひらりとさせていた、
ぼくの眼のとおくとおくで耀いたのち消えたのだが、
それは或いはわが目の裏に映った虚像でしかないのだと想う、
されどぼくはみた心地がするのだ、幾夜を浮ぶ真白の天使等を。
されどぼくは酩酊していたし疲弊に窶れもしていた、
煙草の輪のように幻影がぷかぷかと浮んでもむりはなかった、
むりはなかった、彼れは亡き幻だと云ってもいいのだけれど、
されどぼくはやはりみたのだ、
幾夜幾夜を過ぎるまっしろな天使等の憩いを!
かの宵の空には天使があった、はやそれを見ることは叶わない。…
*
そういえばかの時、ぼくは泣きながら笑っておりましたね、
そんなら暗みの笑みの裡に流れた涙が、それであったのかもしれぬ。
エドガー・ポオのように
かの酔いどれの犬死詩人、エドガー・ポオよ、
僕は貴方に憧れておりました、かのかそけき幽玄な地獄の美、
微細な魔空間を抉り拡げた、巨大な小詩人の貴方、
貴方が遺した余りに偉大な作品に比して、まるで死様は惨め、
僕は貴方を模してみずからの終点を「犬死」に置き、
酒を飲み、煙草を吸い、挙句の果ては黒猫の男さながら暴言をしちまい、
不断の自責は赦しにはならぬ、乱痴気騒ぎの如く詩を書き散らし、
報われること諦め──然し、佳い詩は書けず仕舞いでありました。
いわく──天才に、なりたかったのです、
いわく──それ不能なら破滅をし、夭折を、したかったのです。
然しながら僕は二十九となりました、はや嘗ての自負は毀れてしまいました。
さればこれより僕、真面目に、正直に文学と向き合い、
報われずとも、認められずとも、おのが主題を追究し、
すれば、貴方の如き努力家になろうと想うのです──犬死を終点に置いて。
咲かない花
そこは夢の湖のように霞んで浮ぶお花畑であって、
かずかずの名花が各々の美を示していたのでありましたが、
ひっそりと暗がりに背をひねる植物があり、
花咲くまえに、わが身のうちへそれ蕾と秘めていたのでありました。
けっきょくその植物は花を咲かせることができず、
ただ一途に幾夜の月へ、淋しさに翳るお顔をさらしもして、
されど花の美を外部へ放られなかったことを悔いるわけでもなく、
ひたむきに生涯を全うし、それ固有の葉の艶を投げだしていたのでした。
さて、植物に愛されたお月様はその夜霧から顔をだし、
萎れ果てたその植物へも、立派な花々どうようにひとしく、
青みのかかる銀の光 うるおい濡らすように降りそそぎました。
植物ははやいのちはなかったのでありましたが、
かつての蕾に秘められた光、花の美の可能性が、
それもまた花だと褒められ、ぴかぴかと光り歓ぶのでした
俗悪美詩集