俗悪美詩集
1俟つ賤民
1 蜘蛛の銀飛沫
悲哀に重たく 銀の瞼降ろす
荘厳な 遥かなる硬き天空が、
余りの切情に、亀裂から涙落し、
わが肉 ぞっと神経へ染むがように、
俟ちびと 一途に俟ちつづける蜘蛛、
片恋の恋人の不在 わが巣で不断に耐え、
死の時が来て、腹に溜め膨らませた涙を、
滅びながら 絞るが如く銀に飛沫かせるのであった、
その銀の体液 さながら聖き光の清むいきれ、
神経さらす雪景色に かのシモーヌの毀こぼした
一条の 鮮血の詩性ポエジーに、照りかえしが似るよう、
銀の蜘蛛の淋しさに わがそれ重ねる、
賤しき詩人の僕なれば 君が涙の飛沫、
爪に塗ろうか、されば歌 引掻いてもみせようか。
2 亡き王女のソナタ
──エドガー・ポオへの愛着の詩
かの一音… はや亡き貴女のましろく繊細なゆびさきで、
さながら銀の雨粒、澄む青玻璃にたんと落ちるがように響くのなら、
ぼくが心は夢の追憶へと、かの喪失の日へおのずと連れこまれるのに、
淡いゆびさき ぼくが夢想ゆめに翳と揺れるばかり、音楽は鼓膜、揺らさない。
その音楽は銀の月夜に まさか霧のように青く霞んでいたかしら?
あるいは夜の群青 冷然と貫くしろき雷いかづちであったであろうかしら?
いずれもまたわからぬこと、ぼくが識るのはその一音さえ鳴れば、
聖なる光を浴びる幼き日々 聖歌を想起するということ、ほかはない。
ああ あれは少年期のぼく等、無垢という名の神経の糸を弾く、
涙と涙の綾織る、まっさらな 清むいたみではなかったろうか?
あお紫に病むぼくが頬、いたみを純粋に感受したそれ、もはやない。
それは不連続の閉ざされた淋しさ、真紅の薔薇の流血による連続の幻、
死と憐憫とに飾られた絵画に四方を覆われた、暗い城の一室の啜泣、
其処で鳴りぼくを生き抜かせた、汝が姫の一音を聴くのは、またとない。
2.肉体賛歌
3 黒と赤
官能打つ通奏低音と 閑しずかに湖の心中と沈められる 穿たれた黒の空間、
沈鬱な花 はらはらと墜ち呑むが如く、其処にめざめるは絶世の絵画よ、
腰の不連続な焔 夢想と閃かす舞台に溶け、深淵に糸曳けば肉の底毀え、
*
ふと眼まなこ打つ刺激に華みひらけば、めいっぱいに真紅の風景拡がり、
どぎつく毒と這入りこむは 沈む淋しさの連続と迸る絶頂の音楽よ、
紅き薔薇の花弁はな剥かれた如き眸に映るは 紅に染まった戦慄く肌で、
*
されば風景は肉に染む詩歌さながらに 漆黒へと乱暴に剥きなおされて、
欲掻きまわしありとある色混濁し 如何なる芸術も憂鬱清ますことなく、
乱雑と焦燥と欲心の儘に、濁りうねった灰の翳およぐ海の躰横臥わって、
*
幻惑音楽の圧潰す狂った眼差に 砕け剥き曝された内奥に鮮血の滲み、
畳み込まれるように波と押し寄せる 躁がしく鍵盤叩くピアノソナタ、
その湧きあがる赤き悪酒の酩酊の儘に、血奔った歌の幾夜へと跳べ。
3.低く、賤しく、誇り貴く、されば報われてはならぬ。
4 悲しみに棄てられて
私は私の悲しみにさえ棄てられて、
投槍に、一切を抛ることを決意するのだった、
私は私の淋しさにさえ突き放されて、
独りきり、孤独を青薔薇へ剥こうともするのだった、
私は私の焦がれる死にさえ死に絶えられて、
唯蜘蛛のように、それ清ませんと俟っているのだった、
私の私の追憶にさえ忘却させられて、
後ろ髪引かれ、宴をわが夢に描いてもいるのだった、
私は私の自己憐憫にだけ憐れまれて、
然し、それをすら呑み切れぬ。してはならぬ。
淋しさに突き放された 淋しい私が、
藻さながらに、うでを翳と揺らめかせている。…
5 咲かない花
そこは夢の湖のように霞んで浮ぶお花畑であって、
かずかずの名花が各々の美を示していたのでありましたが、
ひっそりと暗がりに背をひねる植物があり、
花咲くまえに、わが身のうちへそれ蕾と秘めていたのでありました。
けっきょくその植物は花を咲かせることができず、
ただ一途に幾夜の月へ、淋しさに翳るお顔をさらしもして、
されど花の美を外部へ放られなかったことを悔いるわけでもなく、
ひたむきに生涯を全うし、それ固有の葉の艶を投げだしていたのでした。
さて、植物に愛されたお月様はその夜霧から顔をだし、
萎れ果てたその植物へも、立派な花々どうようにひとしく、
青みのかかる銀の光 うるおい濡らすように降りそそぎました。
植物ははやいのちはなかったのでありましたが、
かつての蕾に秘められた光、花の美の可能性が、
それもまた花だと褒められ、ぴかぴかと光り歓ぶのでした
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