ナンセンスな恋愛なんてナンセンス
ライトな読み口のもの、童話を集めています。個人的に「気品」が気に入っています。善い人間って描くのが難しいので。
真夜中の英雄
真昼の英雄、黄金いろの太陽が沈んでしまって、夜の帳降り、きんと銀と群青張りつめ街ぜんたいが溺れるような真夜中になって、ようやく、そのあおじろく憂いを帯びて燦る姿を「美しい」とたたえられる月は、果たして、昼間どんな気持で空に浮んでいるのだろうか?
わたしをみつけて。
ほうっと世界をいっぱいにし金にとろける光の海のなかで、幽かに、そして仄かにしろくひかるわたしをみつけて。
そう、哀願しているのだろうか。
*
ぼくのクラスには、詩人がいる。
冨原まひる。
クラスではぼく同様にめだたない、どことなく周囲と孤立した、おとなしい印象の少女である。とりわけ成績がいいわけでもなく──ふしぎと、国語がとくいというわけでもない──、教室では不愛想かつ消極的きわまる性格、こう書くのは気が引けるけれども、ぱっと花やぐような容姿に恵まれているわけでもない。
ペンネームは冨永眞昼。本名からがらっと変えたそれでなく、ほとんどかたちや音を残しているのは、だれかに気づいて欲しいから、そう想うのはぼくの邪推だろうか。
詩人、といって詩を書けば詩人というかんがえ方もある──しかし、彼女はたしかに詩人であった、というのも、冨原は詩の賞に入選していて、ついこのあいだ、処女詩集を出版したばかりなのである。
古参ぶるつもりはないけれど、彼女が詩を書いているのをぼくが知ったのは、まだ彼女が詩の雑誌の読者欄に投稿している頃からで、きっかけは地方で開催された、「ポエトリーリーディング」という詩の朗読イベントであった。
その時、ぼくだって自作の詩を携えていたのだ、けっきょく、ぼくじしんは詩人になれもしないまま詩作からはなれ、こんなふうに、彼女との追憶を小説風に書いているという始末なのだけれども。
時は暁、夕暮の落陽が、街をほうっと赤く照らす頃だった。
この黄昏の時刻、真昼と真夜中は茫洋な境界線のなかに融けこんで、なにか妖しげなものが立ち現れそうな予感を兆すのだった。くわえて、まだ高校生のぼくには陽の傾いた時刻の都市部というものははや異次元であり、しかもそのイベントは、すこし怪しげな場所へはいったところにある路地の裏にあった。なにか悪い遊びをしているかのような感覚が、ぼくの心をなみうちおしよせる不安とともに愉しませていたのだった。
『本日、ポエトリーリーディング開催』
そんな看板をみて、ぼくは期待にむねをふくらませた。
ぼくは「祈り」と題した、シモーヌ・ヴェイユの思想の解釈を象徴詩風の表現で綴り、信仰と無償の愛を賛美した、いわゆる、思春期にごくごくみられやすい憧憬と西洋かぶれの趣味まるだしの詩、そいつを携え、かけてもらう音楽はキース・ジャレットの 「Prayer」に決めていたのだった。微笑ましい。いま追懐すると、そんな自己愛的な感慨で、むねがいっぱいになる。
ところでぼく、扉をまえにきゅうに酷評されるのが恐ろしくなり、そこで脚がふるえはじめていたのだった。あらゆる観客から投げこまれる悪口を躰中で受けつづける、ステージ上でライトに照らされた自分の小さなちいさな姿を想うと、ぼくは自意識の悶えに、がたがたと歯さえふるえはじめた。
立ちすくむぼくを尻目に、すっと滑らかに扉を開け、バーのなかへはいった少女がいた。うちの制服を着ていた。
「冨原さん」
おもわずぼく、彼女に声をかけてしまったのだった。
冨原はぼくのほうをちらと見て、けっして丁寧とはいえない無表情の会釈でこたえた。そしてすっと視線をまえへもどし、そのまま中へすたすたと歩いていった。
よし、ぼくも。
ぼくはない勇気をすべて支払う気持で、入口をくぐったのだった。
がなり立てるサイケデリックな電子音楽が、ぼくの躰のいたるところを打った、荒く削がれた音の断片が鮮やかな光の刃と射すような、鋭利で攻撃的な音楽だった。むっと薫るような狂熱的な高揚の雰囲気が、ぼくの顔をわっと熱くする。ぼくをふだん苛んでいる疎外感、そいつは肉をつき破り魂まで浸食してくるようなその熱気に霧消してしまい、世界と一体化したような気分になった。なにか、バンドハウスに入り浸る孤独な少年少女の気持が解った気になった。
仄暗い店内はどぎつい真紅と毒々しい紫を基調にデザインされ、赤々と燦る灯がその場いったいを異様な雰囲気に染め上げていた。夜の街。そんな感じがした。ふだんマジメな学生をやっているぼくには、ドラッグをやる場所にさえ見えた。ほんとうに、未成年が入っていいのだろうか?
ぼくは案内された椅子に座り、始まりを告げる司会をぼんやりと眺めながら、冨原の姿をちらちらと確認していた。
詩を書いているんだ、そんな、なにか気恥ずかしさでつながった連帯感のようなものが、はじめて彼女へ親しみを感じさせたのだった。ぼくは詩を書いていることを、恥ずかしいことだと認識していた。知られたくなかった、できれば、死後大詩人となってから世間に知られたかったのだった。冨原はどうだろうか。ちらとふたたび彼女を一瞥する。毅然とした顔。冨原のやや薄口な、東洋人らしい印象のしろい顔立ちは、この異様なライトのしたで妙なほどに色っぽく、クールにみえた。
「冨永眞昼さん、ステージの上におあがりください」
冨原まひるはトップバッターだった、名前が似ていたし、彼女はそれを聞いてすぐに立ち上がったので、冨永眞昼が彼女であると解った。ぼくは興味津々で──しかしほんとうにあの冨原がいい詩を書けるんだろうかというイヤな侮りも含みつつ、そのこころのうごきを善くないとうじうじ自責しつつ──その様子をみまもった。
モーツァルト、レクイエム。涙の日。
しんとサイケな空間を沈鬱なましろにしずみこませる宗教音楽が響きはじめて、冨原はこつぜんとなにかにとり憑かれたような神秘のいろを表情に交えさせ、豊饒なレトリックと優美な音楽性、神秘の幽遠な表現を言葉にのせて、ぼくらの魂へ激しく叩き込まれる悲しみを謳いあげた。
それは周囲を光のようにたっぷりと満たし、あるいはうららかな声とともに水のようにせせらぎを薫らせて、その朗読の数分間、ひとびとの眼は彼女の詩に圧倒された感慨に、彼女の姿へ釘付けになっていたのだった。
…朗読を終えると、おびただしい拍手のなかでぼくは静かに立ち上がり、その場を逃げるようにして扉から出たのだった。うらがえった劣等感、そいつが、ぼくの背を刺すようにキリキリといたませた。
*
端的にいうと、ぼくは冨原のあとに、詩を発表する勇気をもたなかったのだった。
*
「冨原さん」
次の日、ぼくは図書室で偶然みかけた冨原に話しかけていた、学校でみる冨原は、天才詩人の風格なんて一切なくて、ただ大人しくて地味な一生徒にすぎず、ぼくはそれに、いくらかの寛ぎの気持さえ感じたのだった。だからきがるに話しかけられたのだ。
スクールカーストを憎んでいるくせして、リベラルな見方を志向はしているくせして、けっきょくそんな学校秩序だけの関係性に一喜一憂、しかも安堵してしまう自分が、肌があわだつほどに気持がわるかった。
ところで、こんな自己嫌悪とは、いつも他人行儀なものである。
「なに?」
すずしげな一重瞼をやや上げて、ぼくのほうを見る。せつな、ぼくはなんだか彼女の雰囲気がこつぜんとかわいらしくみえてきて──そう想ったのは初めてだった──なんだかどぎまぎしてしまった。ふたりきりで話すのが、初めてだったからだろうか。
「昨日の詩、すごかったね。ぼく、感動しちゃったよ。詩、書いてるんだね。ぼくもじつは書いているんだ」
「そう? ありがとう」
あいもかわらず素っ気ない態度、ぼくはなんだかその氷の城のような態度を、輝かしく想った。そっけない態度をとられているみずからへ向けられる自己憐憫の焔が、幻として彼女の顔を赤々と照らし、かのバーでみたときとどうようのクールな色気を立ち昇らせるようだった。
ちらと冨原の肩をみる。華奢だった。腕のそれどうよう、雪のようにまっしろな色をしているのであるのだろうと想像し、そのやわらかい雪山の優美なる傾斜をみてみたいと熱望した。その、しろい仄かな光のようななだらかな線をすべるように、ぼくのゆびを這わせてみたい。
ふと、冨原は眉をけげんにしかめさせた。そう。女性は、こういう視線に敏感な筈である。罪悪感、そして嫌われるかもしれないという不安に、ぼくの感情はさっと凍って、躰が硬くなった。
「秋津くん、すぐ帰っちゃったね。朗読するひとのところに座ってたのに。なんで?」
「あ、えっと」
「うん」
「なんか、急に恥ずかしくなって」
「へえ」
冨原はそして、吐き棄てるようにこういったのだった。
「くだらない」
ぼくは泣きそうな感情が躰に出るのをぐっと抑えつつ、黙ってその場を去った。
*
ぼくは家に帰って泣きじゃくった、自分が憐れで、あわれでたまらなかった。
正直にいおう、ぼくは彼女を、以前みくだしていた。自分だってなにもできないくせして、勉強もスポーツもできず教室に友人が一人もいない冨原のことを軽蔑していたのだった。それはぼくにいくども後ろめたい感慨をもたらしたけれども、彼女にわるい気持にもなったけれども、そんな尺度で侮ってはダメだ、それはぼくをくるしめる価値基準とおなじものであるし、こうやってブーメランとして刺さることもあるのだと知っているのに、どうにも抜け出せない感覚なのだった。水平線上の比較意識。そんなものかもしれない。
ぼくは口惜しくて、けれども冨原のことをかわいいとも想いはじめていて、かのクールな侮蔑の態度が夢みるように美しくも想われて、そのまま彼女のことをなよやかな夢想でけがしてしまおうかという衝動にも駆られたけれど、なにか思春期らしい倫理めいたものが、ぼくの右手をとめさせたのだった。
肉体の愛をにくみ、精神の愛に憧れる。十七歳。そんな時期でもあった。
*
ぼくはある詩の雑誌を購読しだした、冨原の詩が、よく載っていたからだった。過去の分まで漁った。ぼくはいくぶんストーカーだった──いやちがう、「ファン」であった。そう、おもいたい。
ぼくだって投稿してみた、佳作にも載らなかった。才能。この二文字が呪いのように、ぼくの背にべったりとはりついた。そしてどうも、こういうことに悩むのは才能のない人間の特徴であるらしかった。
冨永眞昼の詩は、硝子の城のように純潔で硬質、有機的な感情を撥ねかえすような冷たさに満ちていて、それはさながら、天を蔽う金属製の荘厳な瞼のようだった。それへいくども打ち上げる青い火花の意志のようなものだった。それは彼女とぼくの関係性にも似ているようなのだった。
ああ冨原。冨原まひる。ぼくを突き放す、硬く冷たい冨原まひる。
ぼくは気付いたら彼女のことばかりかんがえるようになり、冨原の幻影の硬さ・冷たさを夢想のうちで磨くようにして彼女の姿を想って、家にいると、彼女の詩を幾度もいくども読み、詩そのものに撥ねられるという意識から飛来する、どっと打ち寄せる自己憐憫に酔い痴れていたのだった。
いかにも冨原は、「ぼくをけっして愛さない」という位置にいるように想われた、そしてその位置関係こそが、ぼくの恋を燃え上がらせる役目を果たすのだった。
*
詩人になって、二十歳で死ぬのが夢だった。
怪物級のナルシストが夢想するような、誇大妄想そのものであるように想われた。
ぼくが初めて詩を読んだ──あるいは詩にこころをうごかされた──のは小学校四年生の時、そいつは、かの中原中也の詩集であった。
地球が二つに割れればいい、
と、あれから六年が経っても、ぼくを感動へみちびいたかの一節をくちずさめる。
そして片方は洋行すればいい、
すれば私はもう片方に腰掛けて
青空をばかり──
この世でもっともダメな疎外者であるじぶんだけが、いまにも滅びんとする地球の片割れで、青空ばかりを眺める。そんな無為な、家庭・学校秩序のアウトサイダーとしての最後の淋しい誇りのようなものを想像し、そいつに共鳴していたのだった。中也の意図とは、ちがうかもしれないけれども。
中学に入って、萩原朔太郎や大手拓次、フランス象徴詩を知って読み耽り、むろん周囲にボオドレールを読んでいるひとはひとりもいなくて──おそらくやその筈で──外れものとしての知的なプライドばかりがふとったぼくは、やがて高校に入り、思想家・シモーヌ・ヴェイユに出逢う。学校鞄の奥に「重力と恩寵」を押しこめて、辛いときは授業中でさえも、こっそりとひらいて涙をにじませた。愛読書、あるいは心の拠り所。そんなものがくるしい思春期に存在したのは、ある種幸福なことであった。
そしてぼくの読書の往き着いたところ、それが、冨永眞昼の詩なのだった、そしてこの邂逅は、「ぼくは詩人にはなれない」というゲンジツを突き付けたようにもおもわれた。
*
授業中もちらちらと冨原の顔ばかりみていた、彼女、たいてい空をみあげていた。
授業が終わって、ぼくは「くだらない」と断じられて以来のファン・アプローチをおこなったのだった、あれからはや、数か月が経っていた。
「冨原さん」
「なに?」
今回は、読んでいる本から顔を上げもしない、目線も、そのままであった。
あきらかに社会秩序に向いていないその態度に、ぼくは「詩人」を感じた。クールだとおもった。そう、ぼくはしばしば思春期の少年にみられやすい感覚、いわゆる、アウトローへの憧れがあったのだった。
「あの、」
面倒そうに、眸だけをうごかしてぼくを一瞥する。流し目のような表情に、ぼくの胸はどぎまぎした。いま、世界中でもっとも美しいひとは冨原まひるだった、こいつはぼくの世界では、まちがいのないことであった。
「処女詩集出版、おめでとう」
「ありがとう」
そういって、本を鞄に仕舞って席を立った。
ぼくだけが。
と、彼女の背中をみながら想った。
彼女のほんとうの美しさを、知っているんだ。
そんな感慨は夢みるような優越感と、身をよじるような切なさをぼくに与えるのだった、なぜ切なくなるかといって、ぼくはその美しさに、いつも拒まれているのだから。
しかしすくなくとも、彼女の詩の美しさを知っているのは、このクラスでぼくだけの筈であった。
「待って」
冨原はたちどまった、ゆっくりと振り向き、ぼくのほうをみる。冷たい眼をしている。
ぼくは、貴女のことが好きで。
ぼくは、声にならない叫びをあげた。
貴女の書く詩が好きで、貴女に心から憧れていて、貴女のように詩を書きたい、貴女のようになりたい、貴女と一致さえしたい、そう想っていて、でもそうはなれなくて、逆恨み、そうだ、いくども貴女を淫らで暴力的な夢想でけがそうとしたけれど、よわいぼくはそれすらもできなくて、ただ貴女が月のように輝かしくて、音楽のようにぼくを幸福にも不幸にもして、貴女に撥ねかえされるたびにぼくの恋の焔は燃えあがって、けれどもほんとうは、貴女に愛してほしくて、貴女に受け容れてもらいたくて。
「冨原さんは…」
気づくと、内心の叫びとは異なることを、ぼくはくちばしっていたのだった。
「真夜中の英雄だ。昼間はしずかで、しんとひかえめにしているけれど、じつは詩の天才で、詩壇では絶大な評価をされていて、あー、なにをいっているのだろう、ぼくは。えっと、冨原さんは、ひとに評価されたいとか想うの? クラスメイトに好かれたくないの? ぼくはみくだされるのが怖い、けれどもみくだされるのが好きで、嫌われるよりは好かれたいし、えっと、その、水平線上の、そういう他者との関係性というか…」
「わたしね、あなたのように、水平線上のざわめきなんて気にも掛けていないの」
と、風になびく沈鬱で重厚なドレスのような低い声で、冨原まひるはいったのだった。
くろぐろと燦り、みずからの奥行さえ呑みこんだ、オニキスのような色香、その冷然とした蠱惑に、ぞっと情欲の火がぼくに灯った。
彼女、こうつづけたのだった。
「わたしはただ詩を書きたいという衝動に従っているだけで、認められなくても書き続けるのだとおもうし、というか気づいたら書いているし、そして、わたしが見ているのは水平じゃない。垂直なの。わたしはわたしの歌が青い光となって、銀の月へまっすぐに射すこと、それだけを願っているの」
吠えよ
十二歳で考えた物語、当時の僕はそれを小説として完結させることができず、二十くらいで書きあげることができた。それを二十五くらいですこし書き足したものがこの小説です。
十二歳当時講談社がやっていた、ヤングアダルト小説(思春期向けのライトな青春小説)のつもりです。
渋谷南といえば、一部の夢みがちな少女たちからの評価をのぞけば、この中学校のものわらいの種、あるいは嫌われ者として有名な人物で、それはたとえば団地住まいであったり、きょくたんに勉強ができないことであったり、友達がいないから体育の時間でバスケなんかしている時ただ突っ立っている、そんなシルエットの夕陽の射すようなもの悲しさであったり、スクールカースト的なポジションをわきまえないやたらな喧嘩っぱやさであったり、挙げれば理由はたくさんあると思うのだけれども、なかでもかれが嘲笑の的となっていた最大のわけは、放課後、商店街の片隅で古びたギターをかき鳴らし、自作の歌をうたっていたことなのではとぼくにはうたがわれるのだった。
というのも、まずギターとボーカルの音が、素人のぼくからしてもなんだか調和していない、ジミ・ヘンドリックスのPirple Hazeよろしく、ひずんだ不協和音がクールに響くんなら素敵だとおもうけれど。推測するに、あきらかに勉強量が足りていないのだ。思春期の情動をえがいたような歌詞はよしとしよう、そんな名曲だってあるさ、ぼくなんかは、そんなものだって好きだ。かれらには南とちがって、才能があるけれど。ところがかれのそれの場合、文法からしておかしい。「てにをは」からやり直せと指摘してやりたい。
とはいえ、南の放課後の過ごし方が学校中に話題にされ笑われていた原因は、かれの作品のクオリティにではなく、そのあざとい自意識の希薄さと、そんな行動への真摯な態度にあったのだとはおもうけれど。
*
そんな南の歌を不覚にも最後まで聴きいってしまった日、あれはたしか、十四歳の夏の終わり頃だった。九月、残暑はまだきびしかった。
夕暮、その時ぼくは部活を終え──何部であるかなんてどうだっていいだろう──友人たちと別れ、ひとり通学路である商店街を歩いていたのだった。
夕陽が綺麗だったのをおぼえている、空がさながら燃えているみたいだった。商店街を突っ切る小川はがらすを散らすようにきらきらと陽を反映して、ぼくはここちよい運動疲れのままに、いくぶん上機嫌で帰路についている途中、ある、吠えるように空へ昇るような歌が、鼓膜をはげしくつんざいたのを自覚したのだった。
それはこんな歌詞を繰り返すだけの歌だった。メロディだって繰り返しだった。
「そして、俺はここで生きている。そして、俺はここで歌ってる」
なんて月並な歌詞だろう、この世におなじようなニュアンスの詞は、果たしてどれだけあるだろうか。そんな、ぼくらしい冷笑の感想はおのずと生まれてきたけれど、ぼくはなぜかしらその歌に、おもわず足が立ち止まるくらいの印象を受け、それはなんでだったのだろう、ぼくの愛する狼というけものが遠吠えする理由、それは、「ここで生きていることを示すため」、そんなネットで知った情報に、エモーショナルな心情を引き起こされたことをふと想いだしたからなのだろうか。
歌が終わった、すると南はぼくに飛びつくように接近し、腰のギターをがたがたと揺らしながら、こう話しかけてきたのだった。
「秋津くんじゃん! 初めて俺の歌を最後まで聴いてくれたひとがいたと思ったら、クラスメイトだなんて、嬉しいなあ。ねえ秋津くん! 秋津くんは音楽好き? 好きなアーティストは?」
ぴょんぴょん跳びはねている。満面の笑みを浮かべ、ぼくという人間の心との垣根なんて存在も知らないとでも言いはなちそうなくらいの、あまりに近すぎる距離である。
そう、こいつは、基本的にひと懐っこく、いわゆる天真爛漫で、ぼくもうすうす勘づいていたけれど、デリカシーのなさと好戦的な態度さえのぞけば、カースト上の軽蔑くらいは仕方がないと思うけれど──とは、ぼくは思っていないけれど──べつに、学校中から嫌われなくったっていいやつなのだ。
なぜかれが嫌われているか、それはぼくからいわせれば、嫌われているからだ。中学校なんて、そんなところさ。
「シド・バレット」
「へえ! どんなひと?」
「ぴょんぴょん跳びはねる君みたいなひと」
かれが家でWIKIを検索して、かれの生涯を調べ、そいつを自分の未来に重ねませんように。そしてシドの発狂後の隠居生活が、じつはそれなりに幸福で楽しいものでありましたように。
「俺みたいなひと? 照れるなあ。CDある? 貸してよ!」
なんてうっとうしい奴なのだろう、ぼくらは、けっして友達じゃないんだ。一クラスメイトにすぎない。そしてシドのCDは希少なのだ、お前みたいに乱暴な人間に、すこしだって手渡せるわけがないだろう。
「どっちかの家で聴くだけならいいけど。とりあえず触るなよ」
「え! いいの?」
「ちょっと待ってて、ここで。家から持ってくる」
ぼくは、なぜ場合によってはかれなんかと友達になってしまうような提案をしているのだろうと、自分の感情を不審がっていたのだった。ぼくはそれを、シドの楽曲の素晴らしさを布教するためであると自分に信じさせた。いや、信じさせようとした。
「お前の家で聞こう。それでいい?」
「うん!」
南を家にいれると、おそらく母親からの善なる忠告を受けるだろうと、ぼくは予想したのである。かれの悪評はもちろん、親たちにまで行き渡っていたのだった。
*
「…なにこれ」
「Octopas。代表曲だよ」
「変な曲。…あれ、なんかずっと聴いてると癖になるね。天才っぽい」
そうだろう、そうだろう。
ぼくはとっくの昔にシドと自分に境界線を引けていなかったから、自分が褒められた気分で内心にんまりし、かれの知らない音楽を知っている優越感を存分にたのしみ、なんて可愛いやつなんだろうと南の無知を慈しみ、そしてそんな自分を悟らせないよう、クールな表情をきどっていたのだった。
「なんでにやにやしてるの?」
「してない」
撤回。可愛くなかった。ムカつくやつだった。
「秋津くんって、クールな感じするけれど、じつはロマンチストだよね。そういうところ好きだなあ」
「は?」
ぼくはぼうっと顔が燃えあがったのを感じた。誤解しないで欲しい、こいつはあくまで、羞恥によるものだ。思春期の少年少女にとって、自分の隠したいところを見透かされるというのは、ひじょうに心ぐるしいものなのである。
「ちょっとギター触りたくなった、あ」
ぼくのゆびと、南の、まるで少女のようにほそくしろいゆびさきが触れた。その瞬間、ゆびさきから、甘く、ぴりりとした電流がはしったのだった。それはぼくの心を切なくした。
「ごめんね、俺、ひととの距離がとれなくて、柔らかいものどうしが、いつもぶつかっちゃう」
比喩だろうか、なかなか巧みだ。
「コドモみたいだよね、渋谷って」
「え?」
「そういうところ、べつに、素敵だと思う」
「…へへ」
南の頬も、赤く染まった。
しばらくふたりで音楽を聴いていて──南はThe Clash、なかでもジョー・ストラマーファンだった、最高の趣味だ──ふとかれは、「もうすぐお父さん帰ってくるから」、と、うしろめたげな様子でぼくに伝え、ぼくらは玄関まで向かった。
それにしても、なにもないワンルームだった。ギターとコンポ、いくつかのCDがあっただけ。
「また来てね!」
「…考えとく」
家を出ると、父親らしきひととすれ違った、挨拶をすると、かれはぼくを無視した。しばらく経って、ぼくは背中で、怒鳴り声となにかが打たれる音を聞いた。
*
それからぼくらは、たびたびふたりで遊ぶようになった。
商店街の片隅で、歌う南の横で、電信柱に隠れつつひとびとに背を向けてボードレールを読むことだってあった。ぼくはまるでジム・モリソンだったのだ。
ところで誤解しないで欲しいことがある、かれとゆびさきが触れた瞬間、甘美なる電流がはしったという表現をしたけれど、ぼくはけっして、南に恋をしているわけではないんだ。それはちがう。あの刹那にはしった感情、あれの正体は、きっと淋しさだ。ゆびさきが触れても、けっしてぼくらの魂は融け合うことがないんだという、一種普遍的な淋しさ、切なさのはずなんだ。
たとえば以前作家が書いていたのだけれども、電車の窓から眺める風情のいい町並み、そいつを見たとき、みょうに淋しい気持になったことはないだろうか。あれは、みょうに惹かれてしまう庶民の美しい生活、とおくにあるひとびとの生活というもの、そいつと自分は不連続で、まだ他人同士なのだという、どうしようもない切ない感情が正体のはずなんだ。
そもそもぼくには、好きなひとが、すでにいたのである。
*
告白しよう、ぼくは、荻原百子の横顔が好きだ、その、ぼくとは無関係なものをひたむきに見つめる、真摯な横顔が好きだ。その百合のように反った上唇が好きだ、聡明そうなしろい額が好きだ、そしてなによりも、渋谷南を見つめる、一途で愁(さみ)しい眸が好きなのだ。
そう、南は、ぼくなんかとちがって、それなりにモテるのだ。ぼくは好きなひとに恋されている渋谷南という人物に、なんとなしに好意をもちながらも──こいつは認めよう──やはりにくしみのような、逆恨みのような感情だってもっていたのだった。
そのときもぼくは、彼女の横顔を見つめていたのだった。ぼくは南と仲良くしはじめて以来、教室で孤立しがちだったから、それは随分と永い時間になった。けれどもぼくは、また友人グループに入り直したいだなんて思っていやしない、なぜって、あんなに可憐な奴を軽蔑し嫌い、そいつと仲良くする人間をだって排除しようとするクラスメイトたちのほうがF××Kなんだ、なんて、コドモっぽいにくしみがぼくにあったから。
しかしそもそもぼくの南への友情にだって、おおきな軽蔑が混じっているはずなのだった。なぜって、ぼくはかれの不幸、そしてよわさを慈しむように、かれという人間へ、同情という感情を投げこんでいたのだから。
ぼくは荻原百子への好意をさとらせないよう、いったん机に突っ伏して、寝たふりをした。
…骨と骨の打ち合う音が響いた。
ぼくは顔を上げた、南が、ぼくが以前所属していたグループのリーダー格の男を、拳で殴ったのだった。
「どうしたんだよ」
ぼくはかれに近づき、南のほうへ話しかけた。
「こいつが、俺の家と、お母さんのことを」
かれの母親は、南が小さい頃に家を出て行っていた。父親は働いていなく、生活保護でふたりは暮らしていて、しばしば父はかれのことを殴っていた。
ぼくは冷たい眼を元友人へ投げ、けれどもなんだか怖くなって、すぐに眼を逸らしたのだった。
「秋津、お前だって、最近評判悪くなってるよ。ちょっと勉強ができるからって、周囲を見下してるってな」
ぼくはふたたびかれを見ることができず、南の肩を抱いて、教室を出て行った。
*
校庭の木の陰。南は小柄できゃしゃな躰をまるまらせ、その柔らかい心を覆うようなポーズをし、いつまでも泣きじゃくっていた。ぼくからすれば、かれはまるでかよわい小動物だった、かれの不幸とよわさが、かなしく、切なく、かれの躰のふるえにぼくの神経だってふるえるようで、そしてなによりも、そんな南のことがいとおしいのだった。
ぼくはかれの躰を抱いた、南は抵抗をしなかった。かれはもはやぼくのものだった。
「お母さんに会いたい、お母さんに会いに行きたい」
お前の母親は、と、ぼくは冷たい心でかんがえる。お前を棄てて、家を出て行ったんだぞ。けれどもそんなこと言えやしない、ぼくは基本的に臆病で、そして狡いのだ。勇気がないのだ。
「どこにいるか知ってるの?」とぼくは訊く。
「分かんない。でも…県出身なことは知ってる。会いに行きたい、会いに行きたい」
同情するんじゃない、ぼくは自分にいいきかせた。半端な同情、闘いのともなわない施しは、きっとぼくの心を卑しくし、そしてひとに役立つことだってできないんだ。
「会いに行こう」
「え?」
眼をまるくして、南は顔を上げる。
「ふたりで会いに行こう。お母さんを探す旅に出よう」
「学校は?」
「そんなのとるにたらないよ。ぼくだって、こんな町には、嫌気が差していたところだ」
ぼくらは指切りをして約束した、かれのゆびさきの、ほうっと浮ぶような体温は、ぼくにはいつもいとしくて、切なかった。生きているということはいとおしく、痛くて、そして切なかった。
こんなかんがえ方は、おそらく、ぼくの自己憐憫を、人類ぜんたいへ投影しているにすぎないのだけれども。
*
こんな提案はぼくのエゴにすぎなかった。こんな中途半端なヤサシサが、くるしんでいる人間をもっとも傷つけることだってあるはずなんだ。
けれども、そんならぼくは、かれへなにをしてやればよかった? この泣きじゃくる小動物のような親友に、なにを与えればよかったんだ?
優しくなりたい、ほんとうの意味で、ぼくは、つよく優しくなりたい。
ぼくはその夜、一晩をかけて、愛読しているグレート・ギャツビーを再読した。主人公のような注意ぶかい思慮をえたい、そう想った。そして、南はどこか、ジェイ・ギャツビーに似ているようだった。南も、だれかに恋をしているのだろうか? 緑の光りを求めているだろうか? ぼくはほんのすこし妬きながら、そんなことをかんがえていた。
*
「お待たせ」
かれは手ぶらで待ち合わせ場所で待っていた。かれはいつもなにも持っていなかった、いうなれば、手をぶらぶらさせながら生きていた。
ぼくは自転車で来ていた、バッグにはパンと、財布と、そして疎外者の誇りとだけがあった。
「後ろに乗りなよ」
「うん!」
かれのうすい躰が、ぼくの背中にはりつく。そのあたたかさが、いとおしい。
空はまっさらな青で、セカイという背中をあたたかく覆いかぶさっていて、吹きつける風は心地よく、鳥たちは陽気に歌い、そんな風景のなかで、ぼくらはこの町から、ワガママ勝手な衝動のままに逃げだしているのだった。そんな罪の意識はぼくのお腹の調子をわるくするけれど、かれの上機嫌な顔を見ると、これで好かったのだという感慨がぼくを満たす。
三時間くらい進んで、公園があったのでぼくらは休憩することにした。
「水飲み場があるよ」
「ほんとだ! 飲むのむー!」
飛ぶようにかれはそこへ向かったのだった。
「おい、ぼくが漕いでるんだから、すこしは遠慮というものを…」
蛇口をひねり、したたり落ちる水に口をあてた。
南の、桜の実さながらの、ぷっくりとちいさな唇が、きらきらと光りを散らせる水に濡れ、煌々と、なまめかしく照っている。しろい陽があたり、かれの少女のように繊細な線の横顔、がらすさながら澄んだ眸、くたっと着古した、けれどかれが着るとみょうに清潔に見える白いTシャツ、ぼろぼろのブルーデニム、そんな古いアメリカ映画の粗野な若者そのもののような風貌を、いたましいくらいに透きとおらせる。イノセンス、そんな幻の、果敢ない言葉を想いだす。
ぼくはかれの手をとった、指をからませ、ふしぎそうにぼくを見つめるかれの唇をそっと覆い、まるで小鳥がとっておきの果実をついばむように、その瑞々しく赤い実を、いくども唇でいとしげにはさんだ。
南はいっさいの抵抗をしなかった。まるでぼくがこんなふうにするのを待っていたみたいだった、こいつはぼくの、自己本位な解釈にすぎないけれど。けれどもやがて、南もそのきゃしゃな躰をぼくにそっと押しつけた。ぼくらは無我夢中でキスをした。逃避の果ての後ろめたい接吻、そいつは、透明なしろい陽光によってきっとゆるされた。
失いたくない。
この、可哀相なかれのことを、けっして失いたくない。
「どうして泣いてるの?」
南がぼくに訊く。
「泣いてない、」
ぼくは後ろめたげに眼を逸らしこたえた。
「水が眼にはいって、痛かったんだ」
ぼくはぼくの涙が、けっしてかれのために流されたそれではなく、自分のためのそれであると解っていたのだった。
*
真夜中になった。ぼくらは森で躰をやすめることにした。夏ももう終わりであった、夜はすこし寒かった。
「上着もってくればよかった」
添い寝しながら南がそう言ったので、ぼくは自分のパーカーを脱ぎ、ふたりでつかえるように掛布団にした。
「へへ。ありがと。こんなに優しくしてくれるの秋津くんが初めて」
「亮って呼べよ。友達なんだから」
友達がキスなんてするだろうか? いや、西洋ならするだろう、しかしぼくのキスは、あきらかに、燃ゆるような情欲によるものだった。
ところでぼくは、優しいという言葉にいつも傷つくのだ、自分の優しさの根底にある卑しさ、臆病さ、無精さを知っているからである。けれどもかれの、「秋津くんが初めて」という言葉には、いくぶんの所有欲をくすぐられたのだった。ぼくの恋は──ああ認めよう、ぼくはとっくにかれに恋をしている、だってぼくは南とずっと一緒にいたいのだ──こんなふうな、不潔なエゴにすぎないのだった。無償でひとを愛してみたい、いまだにそんなことを欲望する、そんな齢。十四歳だった。
「焚火したいね、亮」と、かれはバカなことを提案する。
「警察来るよ」
ぼくらは寝転がり、夜空を眺めながらくだらない話をした。
「そっか。でもなんか燃やしたい」
「魂を燃やしたまえ」
「もう燃えてるよ。燃え尽きそうなくらい」
「燃え尽きるのは二十七まで待てよ。ジミヘンみたいにギターを燃やして、その魂を追悼するんだ」
「嫌だよ、あれ不法のゴミ捨て場を探して偶然見つけたんだよ? そんな幸運のギターを手放すなんてできない。ギターっていくらくらいなのかな。一万円?」
「知らない。楽器できない」
「亮はバンドしたいと思わないの?」
「詩人になる予定だから。で、二十歳で死ぬんだ」
「へえ! 書いてるの? 読ませてよ」
「今度持ってくるよ。南はなんになりたいの? やっぱりパンクロッカー?」
「まずは生存が第一かな。パンクロッカーなんてなれなくていいけど、パンクには生きたい。おまえらに含まれてたまるかっていう反骨精神はもちつづけていたい。裸で生きたい」
月が綺麗な夜だった。まるでぼくらをきんと突き放すセカイのように、冷たく硬く、銀に燦いていて、しかし僕の横には、今宵、渋谷南の姿があったのだった。ぼくはかれの手をとって、ふたたび南の唇を覆った。
「俺のこと好きなの?」
お姫様みたいなことを訊く南だった。
「好きだよ。決まってるだろ」
「どこが好き?」
こいつに睡っていた少女性というものを発見した気になった、けれども、はやそんなところだっていとおしかった。
「自分に正直なところ。他人にそうかは知らない。まあ、欠点だけどね」
そのときざわつく音が聞こえた、ぼくはすぐに警戒し、ぼんやりとしている南にうごくなと言って、伏せたまま周囲をうかがった。
「君たち!」
警察だった。
「野宿しているひとがいるって通報があったら、まだ少年じゃないか。名前は。学校名は」
ぼくは無視を決めこんだ、視線を下に逃げさせて。南はじっと、かれらを睨みつけていた。
けれどもなんの力もない十四歳の反体制なんて、なんの意味ももちえない。ぼくらはすぐさま自転車もろともあの町へと連れ戻され、ぼくは父と母から二度ずつ殴られて、南と遊ぶことを禁止された。
理解のない親だ、ぼくがこんな行動をしたのは、けっして南からの影響なんかじゃない。ぼくのもちつづけていた疎外感による、衝動的な暴走がこれであったのに。
*
それからも南とはよく遊びつづけた。部活もやめた、かれとの時間をもっとつくりたかったからだ。成績も下がった、けれども当時のぼくには、そんなこととるにたらなかった。荻原百子への恋、そんなものだって、もはや遠くの空で耀く追憶の星のようにしか思えなかった。
ぼくはかれに恋している、いや、愛しているんだと信じ込んだ。かれだってぼくを愛しているだろう、そうにちがいないんだ。かれのためにぼくはうごけるのだ、こんな自意識は、ぼくに歪んだ優しさをひきおこすこともあり、しばしばぼくらは衝突した。けれども、けっきょくぼくらは次の日になれば、仲良く商店街に座り込み、かれは歌い、ぼくは世間に背を向けて詩を読むのだった。そして暗くなると、物陰で後ろめたいキスをした。
「亮も自作の詩の朗読とかしたら?」
そう提案されたけれど、ぼくの臆病な自意識はそれをするほどの勇気をもたなかった。ぼくはこうかんがえていた、南には、その踏み込む勇気と、自分の信じること、あるいは疑いを、世界へ問いかけ働きかけようとするつよさがあるのだと。なんの鎧も覆わずに、裸の肉体を傷つけさせてでも歌いつづける、生に対する態度があるのだと。
ぼくはもはやかれを軽蔑なんてしていなかった、その愚かさが、滑稽さが、いかにもリアルで、愛くるしかった。南は可憐だった、この可憐さに気が付きもせず排除するクラスメイトたちは、ぼくなんかにいわせれば善人の仮面を被り、そいつを自分の素顔だと信じ込んでいる悪人だった。
ぼくだけが、きっと、南のことを愛していた。一途に、そして烈しく。
*
教室に入ると、荻原百子が泣いていた。
ぼくはざわつく胸をおさえ、そっと荻原百子のほうをうかがっていた。
「百子可愛いもん。ぜったいまたいい男現れるって。新しい彼氏なんてすぐだよ」
「無理。私にはあのひと以上のひとはいないもん」
「今はそう思うだろうけどさあ」
嫌な予感がした。ぼくの心臓は調和を乱し、ばくばくと不吉な音を立てていた。
「渋谷くんよりいい男が、きっと…」
ぼくはすたと立ちあがって南のほうへ向かい、机に突っ伏して寝ていたかれの頭を乱暴にもちあげ、激情のまま、つよく殴った。
*
こうして、ぼくはぼくの恋が、徹頭徹尾自己本位な欲望にすぎなかったということを知ったのだった。
*
そして、俺はここで生きている。そして、俺はここで歌ってる。
淋しがりやの書く詞だ。ぼくはそうおもう。
あの事件の真相は、荻原百子へ片想いするぼくの醜い嫉妬だという噂が立ったらしいけれども、しかし、そんなことはとるにたらないはずだ。
ぼくの南への恋心は、南がぼくのキスをうけいれながらも荻原百子と交際しつづけ、それを隠していたことでは消えやしなかった。けれどもかれは、それ以来ぼくを徹底的に避けるようになり──ぼくがいえたことじゃないけれど、かれはやはり堂々としていないところがあった──ぼくらの関係は霧消してしまって、はや他人どうしのようになってしまった。失った友達はもどらない、ぼくは仕方がないのでひとり勉強に力を入れ、進学校に進んだ。南は定時制に入った。けれどもすぐに辞めたらしい。それ以来会ったことはない、音沙汰もない。中学を卒業してもしばらくまではくるしかった、まだかれが好きだったのだ。けれども、そんな感情はいつかなくなってしまうんだ。ぼくはいくぶん、楽にはなった。
ぼくの足を立ち止まらせた、「吠えよ」という名の──ぼくがギンズバーグの詩集から借りてタイトルをつけたのだけれど──歌をくちずさむたび、ぼくの心を、傷のように刻む事実がある。あるいはこいつは、ぼくの信じたい願いにすぎないのかもしれない。
それは、生きるということは淋しくて、いたくて、無意味でもあり、そのなかでも生き抜こうする人間はきっと憐れで、どこか愛くるしく、その姿により、ぼくらは可憐な花畑として林立しているということだ。
詩人とおおかみ
あるしろい朝、さらさらと聖(きよ)いひかりのこぼれるころでございます。
かさかさと草花のこすれる音を立てて、いっぴきおおかみの”月”が森で目をさましますと、かれ、隣でしげるやわらかいかたばみに埋もれ睡っている、ひとりの人間のあかちゃんを発見するのでありました。というのも、朝のきよらかな陽の光が、そこを射し照らしていたのでありました。
「どこから落ちてきたのだろう?」
”月”は、ふしぎそうに空をながめてつぶやきました。
「うれしいな。かわいいな。ぼくは、ずっとひとりぼっちだったもの。朝陽をあびて、この子の若葉のようにつややかな頬のうえで、きらきらと光が踊ってる。まるで、はやすぎた落ち葉みたい。そうだ、この子を、“落ち葉”と名づけよう。」
”月”は、あかちゃんを”落ち葉”と名づけ──しかしおおかみのする発音ですから、ふつうの人間には、「ヴヴ…」としかきこえないでしょう──、たいせつに、たいせつにそだてることにしました。
“月”はえものをとると、いくら狩りでくたくたにつかれていたとしても、肉をさずけてくれた魂に「ありがとう」をいい、夕陽の美しさのまえで祈り、そうして、“落ち葉”の待つところへむかうのでした。帰りつくと、まだかたい肉を口にふくんでやわらかくし、“落ち葉”にあたえました。それをさせる心はそぼくで、命そのものがほんらいもっている、“いつくしみ”ともいえるそれでありました。
”月”はこのおこないによって、なにか”りえき”をえたいわけではありません。ただ、そうしたいから、自然と、正直なきもちで、そうしているのでありました。
真夜中になり、森が澄んだ暗闇におおわれると、“月”は、空の月にむかい吠えるのでした。いっぴきおおかみの“月”は、以前、淋しさを感じることもおおく、「ぼくはここにいるよ」、そう、いるかもわからない仲間たちに呼びかけていたのでした。しかし、いま、“月”のそばには、“落ち葉”がいるのです。“月”はいとしげに“落ち葉”の頬をなめ、“落ち葉”もまた、そのあたたかい舌と心をよろこびました。ふたりの体のよろこびは、ふたりの心のよろこびでありました。
やがて、”落ち葉”は四つの手足をつかって、走ることができるようになりました。”月”とおなじようにうごくことができること、それをなによりもよろこびました。ふたりは、よくかけっこをしました。汗だくになるまで走り、じゃれ合い、体をなめ合い、やさしく撫で合って、頬ずりし、空はどこまでも透明で、森は風のままに緑をゆらし、ふたりの魂は、たしかに、この大自然と、聖なる空と、「一身」でありました。天の降らすきよらかな光、それを浴びてきらきらと照りかがやく森、そして”月”と”落ち葉”の魂は、おたがいに呼びかけ合い、そして、照らし合っているようでありました。
ふたりはしばしば、朝に昇る太陽を、ならんで眺めました。“月”と“落ち葉”は、ともに空の美しさを知っていました。人間ほどにはたくさんの言葉をもたないために、想いを伝えるとき、複雑なものをわかちあうのはむずかしかったけれど、しかし、おなじ空を美しいと思う、その深い心、おそらくや、“魂”というところで、ふたりはつながっていました。風と光と、緑たちの調和のなかに、ふたりの魂は、しずかにくわわっているようでありました。
*
“落ち葉”はやがて人間に発見され、社会に連れもどされてしまいました。
友達をうしなった”月”は悲しみ、しかし、淋しく月へ吠えるほかないのでありました。
*
“落ち葉”は、“はかせ”のところで暮らし、毎日、実験台にさせられました。“落ち葉”は、そのとき少年といえるくらいの年齢でありましたが、自分の育った雄大な大自然から、こつぜんと殺風景な実験室に落ちてきたのような気持ちでありました。周囲の風景を、はじめて見るものとして、めずらしげに、ふしぎげに眺めるのでした。
言葉を覚えさせられたかれは、ひとびとの言っている「意味」を理解できるようになりましたが、その奥の「心」は、さっぱり解りませんでした。どうも、人間という生き物は、言っていることと、思っていることが、ちがうようなのです。なんてふしぎな世界なのだろうと、”落ち葉”は思いました。かれは、”月”との想い出を大切にするために、この「違和感」のようなものを、ずっともっていようと思いました。
そして夜、ふしぎなほどにやわらかく、しかもいい香りのするベッドによこたわり、“月”の姿を、頭で想い浮かべました。ざくざくと硬い毛なみ、あたたかく湿った舌、静かに澄みきったひとみ、凛(りん)としたたたずまい、狩りのときの雄大なうごきを、想いました。淋しく、枕を濡らしました。また会いたい。また会いたい。そう、切なく願いながら。
自分を愛してくれる“月”をうしなった“落ち葉”は、“はかせ”から愛されようとしました。かわいらしく、鳴いてもみたのです。頭のいい“はかせ”は、かれが、愛情に飢えていることに気がつき、研究のため、“落ち葉”を愛しているふりをしました。そして、もっと“落ち葉”が勉強をすることが、さらに愛されることにつながるのだと、教えました。“落ち葉”は、かれに愛されるために、ひっしで勉強をしました。
”落ち葉”が、たどたどしい発音で、
「なぜ人間は嘘をつくのですか?」
ときくと、
「それは大人になったら分かる」
と返されました。
「なぜ人間は表では優しくふるまうのに、裏ではひとの悪口をいったり、蹴落としたりするのですか」
ときくと、
「それも、大人になったら分かるんだ」
としずかに“はかせ”は答えました。
「きみは純粋だ。つまり、まだ現実を知らないんだ」
「現実というのは、」
と、“落ち葉”はかなしい目をして、声をふりしぼりました。
「空が美しく、森はきびしくもやさしく、命はひとしく貴く、光はどこまでも潔く、すべては身一点で、愛し合うものどうしで抱き合うことは幸せで、そういうものではありませんか。
戦争で、不幸にくるしむひとびとが傷つけ合うのは、いきもの本来の姿ではないのでありませんか。ぼくだって、ただたのしみのために殺しをする動物を森で見たことがありますが、かれ、しばらく穴に閉じこめられていて、おそらく、その魂をゆがませていたのです」
「純粋というのは、たしかに美しくもあるけれど」
と、名残惜しそうな、かなしい目をしていいました。
「そのままじゃ、生き抜くことすらできないんだよ」
「そうであるならば、」
と、“落ち葉”は涙をながしながらいいました。
「ずっと、森にいたかった」
“はかせ”は、なにもいうことができませんでした。なぜといい、はかせには、まだ、やさしいこころが、淡い光として残っているようでありましたから。
*
“落ち葉”は、有名人でした。みんな、かれのことをめずらしげにながめ、その表情、“落ち葉”の初めて見るものでありました。そのとき“落ち葉”、人間の裏表のちがいに恐怖を感じていましたから、不安げに、「この表情の奥には、どんな心がかくされているんだろう」とうたがっていたのでした。するとだんだん、その表情が、イヤなものに見えてきました。かれは、人間の世界のなにかを、学んだのでした。つまりその表情は、“軽蔑”という心にかたちづくられ、卑しいものへの好奇心によって、かれに刺さっているのでありました。
”落ち葉”は、そんな目で見られることに、疲れてきました。
「えらくなって、見返してやる」
言葉をたくさん覚えたかれ、そう決意するのでした。えらくなって、資産をえて、そうしたら全財産で”月”のいる森を買いとって、人間の世界とさよならし、また、ふたりで暮らすのだ。
“落ち葉”は、努力をしました。自分とおなじ努力をしないひとを、軽蔑しました。ふしぎなことに、それはよろこびとなって、しかも、努力の力になりました。ときに、上に昇るため、ひとを利用し、だまし、蹴落としました。自分は向上しているという、よろこびがありました。だんだん、かれの感覚は麻痺していき、自分より成績の低い人間を罵ったり、ひとを傷つけても、平気になってしまいました。
これは、もしや、まちがった努力であったのかもしれません。社会でながらく成功しているとみなされているひとびとは、きっと、こんな気持では努力していないことでしょう。もしそういうひとがいたら、もしかすると、おなじように蹴落とされてしまうかもしれません。
”落ち葉”は、えらくなりました。会社を、いくつかもっていました。ひとびとから、「逆境に負けない成功者」と、尊敬をされました。仕事が楽しく、もはや、森に帰りたいだなんて、思っていやしません。
しかし、やはり“月”が懐かしく、また、立派になった自分を見て、頑張りを褒めてもらいたいと、“月”のいる森へ、車で向かったのでした。
立派なスーツに、素敵なネクタイ。自信もみなぎり、いまの自分は、ひさしぶりの友達との再会にふさわしい身形だと想っていました。
木々の間に、おおかみの姿が見えました。“月”でした。かれは運転手に、車をとめるよう言い、力づよく扉をひらいて、銀のおおかみのまえに、姿をあらわしました。
“月”は、“落ち葉”を見た瞬間、かれの雰囲気がこわくて、はしり去ったのでありました。
*
“落ち葉”は自分が、目にはみえないなにかを、“月”にとって大切ななにかを失ってしまったことに気がついて、ぼうぜんとしました。
*
“落ち葉”は、たくさんあったお金をなげうち、まず、ふるさとの森を買いとりました。つぎに、自然を守るちいさな団体を立ち上げ、行動し、資金のために工場で汗をながし、そして、自分のような捨て子のために、こっそりとお金を寄付しました。こんな行為によって、自分のことをえらいと想わないように、気をつけました。
自負というものは、比較による攻撃的な自尊心ではなく、自分の想う善いもののために努力をし、たとえひとから認められなくても、しぜんに、すこしずつ、雪のように降りつもってくれればいい。そんなふうに、かれ想っていたのです。
また、こんな自分の行いによって、どこか遠くで、誰かが傷つき、悲しんでいないか、注意ぶかく、注意ぶかくかんがえつづけました。かなしいことに、それは、ゼロにはできないのでありました。
“言葉”や“知性”というものを手にしてしまった“落ち葉”は、“月”とともに暮らしていた頃の自分にははや戻れないけれど、それらを、優しさのためにつかおうと想ったのでありました。しかしこういう生き方は、けっきょくのところ優しくないひとをみくだす生き方になりかねないものでもあって、かれは、そのズレにくるしみました、くるしみぬきました。くるしみぬくことが、そんな努力をうながす油ともなり、また、場合によってはサビの原因ともなりました。しかし、善い生き方を求めてくるしみぬいてでも生きることそのものに、かれは、生きる意味をよこたわらせました。
かれの友達のほとんどは、“落ち葉”が「自然を壊さないで」と、自分たちの仕事のじゃまをするために、かれを追い出してしまいました。「負け犬のキレイゴト」「偽善者」「弱者の理論」、そう、罵られました。それをいわれても、”落ち葉”は、ずっと石ころのように黙りこんでいました。
かれは、孤独になりました。しかし、正直でありました。自分に正直にうごき、他者と正直に言葉を交わしておりました。つまり、「魂」がふたたび自然にくわわり、しろい光を浴び一身であったために、じつは、孤独ではありませんでした。
ただ、“月”のいないことを、淋しく想いつづけました。
”落ち葉”は、きずつきころがっていた「魂」の声をひきだし、耳を澄ませて、それに従っていたのでありました。「スピリチュアル」、そうまるで悪口のようにいうひともありましたが、しかし、だんだんかれに注目するひとさえいなくなってきました。かれが立ち上げた団体からも、ひとり、またひとりと去って往き、まるで艶かな若葉が一掃され、ふるびた落葉だけが残される冬の風景のように、やがて、”落ち葉”だけが残されました。ひとりきりで浴びる冬の風はつめたく、厳しく、しかし、それゆえに心地よいものでした。
(この物語では、それをくわしく書くことはできないのですが、“落ち葉”はふたたび魂と出逢うために、地獄を見たのでありました。そこに咲いていたいちりんの花、その風景を見るためだけに、死ぬほどにのたうちまわったのでありました。これは、べつのお話で語りましょう)
”落ち葉”は、自分の奥深くにある地獄の風景を見たために、ひとを傷つけるために傷つけるひとだって、盗みや殺人、詐欺をするひとだって、魂をゆがめうる、見えない事情があるために、そのひとそのものを軽蔑してはいけないのだと考えはじめました。そして、だからこそ、場合によってはそうなりかねない自分たちは、とくに、不幸で弱いひとびとは、自分じしんと闘わなければならないのだと考えたのでありました。
頬はこけ、身形はみすぼらしく、ひとにはきらわれ、みくだされて、しかしその眸は、かの朝、“月”が落ち葉を発見したときにかれに射していた光のように、澄んでおりました。“落ち葉”は──ああ、いま、この名前がまた似合うようになりました──“月”へ、会いに行きました。
*
月の姿はありません。
森のリスがいうには、老いた“月”はついこの間、おとろえた体力につけこまれ、ハンターに銃で撃たれ死んでしまったのでありました。
*
“落ち葉”は泣きました、いつまでも、いつまでも泣きつづけていました。やがてこどものように、ついにはおおかみのこどものような声で泣きじゃくるのでした。
かれは、詩を書くことにしました。なぜといい、いま、かれの言葉は、「言葉」に染まっていなかったからであります。純粋な魂の感動とおなじ色、まっさらな、「言葉」になるまえの原初的な言葉をもっていたからであります。
“落ち葉”の書いた詩は、みとめられませんでした。芸術の才能、たしかにそれには、欠けておりました。「無個性」「平凡」、そんな感想ばかり投げられ、しかしそれ等、じつは世にもまれな誉め言葉でもあるはずなのでありました。
*
“落ち葉”は、“月”と見たかの空を、詩に表現しようとしました。それによって、“月”と自分との絆、いいえ、すべてのいきものを林立させるいのちの声を、歌おうとしました。
すでに病におかされておりました、“落ち葉”の病める透明ないのち、紙にしたたり、まるでのりうつるようで、かれ更に痩せていき、ひとしずく、ひとしずくの血をそそぐようなペンのうごき、うすれてゆくきゃしゃな炎を全身全霊で揺れうごかすようにかれは自分を奮い立たせ、かれの魂、詩との境目が、薄霧のようにだんだんぼんやりとあいまいになっていく、ようやく完成にちかづいたかとおもうと、懐かしき、”月”の姿が霞のように立ちあらわれて、”落ち葉”はどんなによろこんだことでしょう、会いたかった、かれは友達に会いたかったのです、ふるさと、かれのふるさとは、いま紙のうえにそびえ立ち──いいえ、紙の下の湖にさかさまに沈みきらきらとしている、そうして、無我夢中で太陽の光を謳い、空の青さのかぎりなさを謳い、やがて親友の姿、はっきりと輪郭をもって迫ってきて、
「やっと会えたね、“落ち葉”」
「うれしいな。“月”、ぼく、君が大好きなんだ。抱き合おうよ、ぎゅってしよう」
「もうすこし待っててね。ぼくも、“落ち葉”が大好きだよ。“落ち葉”、がんばったね。すごくがんばったね。誰にもみえないところで、誰からも褒めてもらえないところで、でも、すごくがんばってきたんだね。もう、しずかにぼくと睡れるからね。そこで抱き合おう、またあの日々のように。おなじ森の薫りのなかで、神さまのしろい光が射すところで、あたたかくやわらかい草花のうえで、また、あの喪われた日々とおなじように……」
*
“落ち葉”は路上にころがり、しずかに、ひっそりと死んでおりました。
アネモネ少女
まっしろなアネモネ、この花、小粒のはなびらは円みを帯びて、つつましげにやや反りかえり、愛らしく、楚々たる優美な花である。
けれどもこの、かわいらしい花には、どこかさみしげな、果敢ないふんいきがあって、背後には澄みきったかげがあるようで、恋にやぶれ砂浜に打ちあげられた、亡き少女の遺す透きとおった愛情、投げ棄てられた海辺の悲恋、そんなものが、この純白の花から、ふっと風に薫ることがあるのである。
少女の名は佳子といって、金平糖がなにより好きであり、日に五粒はきちんと食べる、それが砂糖の星々との約束、その一番の親友は、家庭の事情に悩みくるしんでいて、佳子はたびたびかのじょの相談にのり、自分の身のようにくるしく聴いて、家に帰ると、しばしばベッドへたおれこみ、親友を想い、涙するのであった。
泣きじゃくる澄子の話を聴いているとき、佳子はよく、かのじょの頭をよしよしとなでた。澄子のほそくやわっこい、さらさらの髪は、ゆびさきにからまず、すっとすべるようで、佳子の、親友をたいせつに想う心情に反し、そっけないほど、指から抜けていくのである。
そんなとき佳子は、人間のさみしさというものをかんがえた。どんなにひとをたいせつに想っても、なにかしてあげたくても、理解したくても、ひとの心と心はぜったいに不連続であって、けっして融けあい解りあうことはないのだという、そんな深いさみしさに駆られるのだった。
佳子が、澄子の話を聴くのは勿論くるしく、しかも悩んでいるのはだれよりもたいせつな澄子であって、むきだしの神経が無防備に傷ついていき、だんだんすりへっていくような、そんな苦痛を終始感じていた。
…澄子の話が終わった。佳子はバッグから、だいすきな金平糖を取りだした、そして友人に中身が見えないように、三つ、指でそっとつまんで、澄子へ手渡した。
「だいじょうぶ?」
泣きはらした目で、澄子は訊く。
「五つ残ってる? 佳子、毎日五つ食べるのが、金平糖との約束なんでしょう」
「ちょうど五つだけ残ってるよ」
と佳子はこたえた。
そうして、頬をねじるようにして、笑ってみせた。それは寂しい、はらはらとした音を立てて、いまにもくずれ落ちるかのような、そんな、こわれやすい笑みであった。
「そっか」
澄子も、ちからなくほほ笑む。
「今日はありがとう。帰ろう」
佳子のしろく、ちいさな掌をにぎる。ようやく佳子は、ほんのちょっとだけ、嬉しい気持になる。ひとの体温、それは、とってもいいものだ。
小川は、澄んだ砂が掌からこぼれて往くような、そっけない、さらさらとした水音を立てていた。夕暮、畔はすでにほの暗い、紅いひかりが射し、路のわきの花々だけが、燃ゆるように照りかがやく、そんな情景のなかを、セーラー服を着た少女がふたり、手を繋いであるいている。さみしい後ろ姿、双の黒髪が、艶をうつろわせながら、名残おしそうに揺れている。
そんな秋の風景画に、佳子はひとつだけ、かなしい嘘を隠していた。
私だって、甘えてみたい。
家に帰り、部屋へ入る、着替えもせずにベッドへ倒れこんで、もの憂い眼をして白い花瓶をみつめる、花は先週枯れたのだ、そうして、ふと、そのように思ったのだった。
生きている、それがなんだか、痛かった。しかしほかのひとから見たら幸福で、環境にも恵まれているはず、まわりの支えもあって、進学校にも無事受かった、佳子はそれらの恩恵をきちんと受けとめ、感謝もしていた。私は幸福な顔をしなければいけない、いや、まちがいなく幸福なんだ。しかし日々が痛い、くるしい、どこが痛いかといって、おそらく神経が、それが、裂かれるように痛い。
甘える相手、くるしいときに泣きつくことのできるひと、佳子には、そんなひとがいなかった。確かに親に、生活費は出してもらっていた、バイトもしなくて好かった、住む家もあった、甘えているといえるかもしれなかった。勉学に励むこと、それが佳子の役割であるかもしれなかった。
甘えたい、はや高校二年生になった私にとって、それは果たして、ワガママなのだろうか。
佳子は、横たわらせた身を、ややひねって起こし、とおくを見すえるような眼をして、ただひとりのことを想い起こした。
翌日の学校。
佳子は教室の喧騒がにがて、席につくと、それだけでぐったりしてしまう。
「おはよう」
「おはよう」
友達からの挨拶、控えめな微笑みと返事。
扉がひらいた。
縦にやたら大きいかれは、背をまるめるようにして、なんだか忍び寄るように、教室へはいってきた。席に着くまで、誰にも話しかけない、座り込むと、しずかに教科書を、引出しに収納しはじめる。
ほとんど日に焼けていない、毛ぶかい指の、不器用なうごきのひとつひとつが、佳子の心臓を、甘いいたみを曳きながら打つ、かれのうごきは、いつもじれったい。もっとスムーズにできないものか、そんなふうに思うことだってある。けれどもその、たどたどしいうごきが愛しくて、でもやっぱりじれったくて、私がするよ、なんてお節介をいいたくなって、そんなこといえるはずもなくて、だって私たち、友達でもなんでもない、だからずっと、かれのことを盗み見ていたいと思う。私、毛ぶかいひとを好きになるなんて、思わなかった。
鈴木宏之。
それが、かれの名前だった。
宏之くん。
こっそりそう呟いてみると、群青いろの夜空に照る、遥かな星々が、くちのなかで弾け煌めくような、そんな夢みる気持になる。「幾星霜」、これは年月を指す言葉だけれど、私たちの距離、そして私の憧れをも含む、水晶のように燦めく透明な詩なのだ、くちのなかで砕ける言葉、とおい星々、いわばかれは、私の六つめの金平糖。
けれども、かれの名を呟くと、そんな甘美で、せつない感情のなかに、ちょっぴり後ろめたい気持も交じるのである、大人に隠れて悪戯をする、ちいさいこどものそれのような。
かれは、隣にいる、積極性のある女の子に話しかけられていた。ちょっと困ったように、眉毛を下げている。なんて愛らしい表情をするんだろう、星のように無数にある、どこまでも、どこまでも見つかるようにおもわれる、かれの好きなところのひとつである、なぜってそれは、盗み見るたびふえつづけるから。
私にもいつか、その顔を向けてほしい、そして、ワガママだけれど、私もいっぱい、あなたを困らせてみたい。そうして、ふたりきりの空間で、私の目の前で、だんだん、別の表情へとうつりかわらせて。プラネタリウムさながらに、私の瞳、それだけに、あなたの星空を照り映えさせて。みんなの知らないあなたの顔、それを、私にだけ見せてほしいのだ。
すこし内気な感じのする喋り方で、かのじょと話しはじめていた。
かれはバスケ部のエースで、長身で切れ長の眼をもつ、顎はがっしり、そんな、やや威圧感のある印象に反して、温和で、ほわっと柔らかい性格をしており、そのギャップもあるのか、けっこう、モテるのだ。
次好きになるひとは、ぜったいにモテないひとを選ぼう、そう佳子は、決意していた。だって、片想いの相手がモテるのは、なんだか、胸がくるしい。
けれども佳子は、宏之が、この女の子のことを好きじゃないことを知っている。宏之くんの好きなひと、ほら、またあの子をちらと見た。バレバレなのだ。
澄子が、佳子の、複雑な感情を秘めた視線の存在に気がついて、それでも、その深刻な瞳の正体に気づかない様子、満面の笑みで、佳子へ手を振る。澄子はいつも、仕草・表情がかわいい。
こんな無邪気な、屈託のない、甘えん坊っぽいところを、かれは好きなのだろうか。あなたのタイプ、どうやら私と、真逆のようですね。佳子は、幾たびも胸に浮かんだこのかんがえに、ちょっぴり、落ち込んだ。
佳子がかれを好きになったのは、授業中、ふとかれの横顔が、眼にはいったときからだった。
スポーツマンらしい、頬の肉のそぎおとされた、精悍な横顔、けれどもどこか、切ない、届かない光りをひたむきに見つめるような、そんな純情な眼をしていて、その透明な視線の先を追ってみると、そこにわが親友、澄子がいたのだった。
いうなれば、佳子は、恋をした瞬間、失恋をしたのである。
けれども佳子は、そんなものだと思っていた。男の子に好かれることはあった、告白もされたことがある。でも、好きなひとと結ばれたことはなかった、恋って、そんなものだと思っていた。
かのじょはむかしから、横顔がキレイなひとが好きである。
それは顔のつくりの話ではなかった。少女は、自分をうっとりと見つめる正面の顔よりも、自分じゃないものを見つめている、一途になにかに憧れ、そこに向かおうとしている、真剣な横顔を盗み見るのが好きなのだった。そんな横顔は、この世でもっとも可憐なものの一つだとおもっていた。しかしこのタイプは、もしかすると、佳子を幸せにはしないかもしれなかった。
なにかをがんばっているひとが好きだった、そのひたむきな横顔がいとしかった。
宏之が、ひとり残って、スリーポイントシュートの練習をしているのを見たことがある。ひっしだった。美しいとさえ、おもった。
ふだん蒼白で、むしろ無気力に沈んでいるような印象さえある頬は、燃ゆるように上気し、汗ばんで、ボールをにぎるたび、かれの腕の筋肉はかたく引き締まる、学ランだとひょろっと見えるのに、タンクトップを着ると、あんなに武骨な腕をしているなんて知らなかった、ゴールをきっと睨みつけ、幾度も、幾度もボールをそこへ投げこむ。汗が散る、きらきらと、とおく光りを反映する。
あんなに教室では、不器用なうごきをするのに、シュートしているときのかれは、まるで鷹が砂を立たせ、豪然と翔び立つかのような、そんな、流麗で力づよいモーションで、ボールを放ちつづけている。
気づくと、泣いていた。なんの涙なのか、よく解らなかった。ただ、かれは美しく、そう、美しく存在していて、澄子やバスケットボールとちがい、自分はそれと、なんの関係もないのだと、そう実感していたのだった。いやだ、これは自己憐憫だろうか。
手を伸ばしても届かない、きんと硬く燦く、遥かな群青いろの星空に、かれの姿を、そこで初めて重ね合わせた。だいすきな星空を、こんなに胸くるおしく想ったのは、初めてだった。
佳子は、はや、かれを見ているだけで好いような気がした。結ばれなくても、好いような気がした。ただ、かれに、美しいままでいて欲しかった、それだけのワガママを、許してほしかった。宏之と澄子、そしてかれとゴールの間に、自分は、不必要であるように思った。これ以上を希むと、罰が与えられるような気さえした。
「私ね、」
と澄子が話しはじめた。
小川の畔。鳥が歌い、さらさらとした水音、日は暮れかけ、きょうもまたふたりきり、すこしでもゆびさきで空を掻けば、またたくまに裂かれてしまいそうな、そんな、ふたりだけの特別な時間が、がらす細工のように、周囲にそっとはりつめている。
まっしろなアネモネ。
いつのころからか、花壇には、そのみょうに寂しげにみえる、可憐な花が咲いていた。本来アネモネは、春に咲く花である、けれども最近、品種改良によって、秋咲きのものがふえてきたのだ。
「好きなひとできたよ」
佳子は、にっこりと笑った。
澄子のつらい日常が、すこしでも恋で彩られるなら、それでややでもくるしみが減るのなら、それはかのじょにも、喜ばしいことだった。
「だれ? 教えて」
「秘密にしてね? だいすきな佳子にしかいわないから」
「うんうん」
澄子は、いつもこんなことを言って、佳子を喜ばせてくれる。甘えるのが、巧いのだとおもう。最近は、くるしんでいる様子のときがおおいけれど、本来の性格は、天真爛漫で、素直で、とにかく、大好きな親友なのである。こんなに愛らしい友達がいて、少女は、しばしば幸せを感じる。
秘密の恋バナは、幾つになっても楽しいものだ、若干高校生にして、そんなことをかんがえる。だいすきな佳子にしかいわない、この特別な感じ、おもわず頬が、紅潮するくらいに嬉しい。
「あのね、」
「わあ、ドキドキ」
「実は…、」
風が立った。花々がよそよそしく揺れた。水面がざわつくようにゆらめき、波紋が立つ。
「…鈴木くん。ちょっと地味だけど、そういうところも含めて、かっこいい」
とつぜん、佳子の胸は、細い針で一突きされ、全身の調和が乱されたかのような、そんな不穏な感じをおぼえた。喉がざらつき、息がくるしくなった。
真白のアネモネが、その愛らしい姿を、無防備に、めいっぱいさらしている。それへふりそそぐようにして、他人行儀な夕日が、赤々とした光りを射していた。
両想いに、なったんだ。
胸がくるしかった。見ているだけで好いと、それだけで好いと、そう思っていたはずなのに、いざかれの想いが、知らずに澄子のそれと繋がっていることを知ると、はなはだしいショックで、頭を打たれたようなここちがした。
私は最低なことをしてしまった。
佳子は自分を責めたてた、なぜって、宏之が澄子を想っていることを、かのじょは親友に教えなかったのだった。澄子の幸福に繋がる、あわい繊細な糸を、ぴんと陰に引き寄せて、自分の都合のために、暗闇に隠してしまったのだった。
あんなにも、澄子のくるしみが減ればと希っていたはずなのに、私は、いざ自分に都合の悪いことが起きると、卑怯にも、自己本位な選択肢をえらんでしまったのだ。自分が嫌で、嫌で、頭をぐしゃぐしゃとかきまわし、ベッドに倒れこんで、さめざめと泣きふす、けれども自分が、いったいどうしたいのか、いやそうじゃない、どうするべきなのか、どうしなければいけないのか、分からない、どうしよう、枕に抱き着き、ずっと思い悩んでいた。
「鈴木くんね、澄子のこと好きだよ」
次の日、教室で、澄子にそう告げた。誰にも聞こえないような、ちいさな声で。
つくり笑いをしていた、が、脚に、ちからが、はいらなかった。宏之と澄子に結ばれた糸の、秘められたその存在を、澄子に教えることで、自分はけっきょく、自分と宏之が恋人どうしになることを、心のどこかでは、期待していたことが分かったのだった。その可能性が、みずからによって踏みつぶされ、霧消して初めて生まれる苦しみを、知ったのだった。
「え、嘘」
「嘘じゃない。鈴木くん、いつも澄子のこと見てる」
「佳子が嘘をつく子じゃないことは、知ってるけど…」
このまえの嘘。佳子はそれを、墓場まで持っていこうとおもった、澄子のいだく、私の正直さへの期待に、応えなければいけないから。
「いつから見てたの?」
「結構前だよ。五月くらいから」
五月。かのじょが宏之に、恋しはじめた季節。
日付まで、そのときの天気まではっきりとおぼえている自分が、ばかみたいに思えた。
「五月って、クラス替えしてすぐじゃん。私の内面とか、解ったうえで好きになったのかな」
そんなことをいいながらも、澄子の頬は、わかりやすくゆるんでいる。ひじょうにかわいい。
ふと、ここまで期待させといて、宏之が澄子を好きだということが、実は勘違いだったらどうしようと不安になった。
「いや、まだ解んなくて、私の主観なんだけど」
いそいで補足する。そしてつづける。
「でも澄子は、表情や振る舞いに、天真爛漫で素直なところがもれでてるし、そういうので好きになったんじゃないかな。勿論、顔もかわいいけれど」
「えー、嬉しい。佳子からいわれると特に嬉しい!」
満面の笑み。いまにも跳びあがりそうに喜んでいる。あ、実際にかるくジャンプしはじめた、次は、踊りはじめるんじゃないだろうか。
なんとなく想っていることがあった。
澄子は、素直すぎるのではないか。
だから、ひとの好意的な言葉を、そのままに信じる、全身全霊で、歓喜をあらわす。佳子からすれば、そこが澄子の魅力であるのだけれど、その代わり、ひとの悪意を、真正面からうけとめてしまうところがあるようにおもう。外からの刺激に、無防備なのだ。
その性格は、ぜんぜん澄子の悪いところでも、なんでもないと思う。愛らしいところだ。大好きなところだ。しかしその美点が、澄子をくるしめているようにも推測され、佳子を、どうしようもなくくるしい気持にさせる。
澄子にはすこしデリカシーに欠けるところもあって、中学時代、それを理由にいじめに合っていたらしく、手首に、幾すじか傷がある。佳子は内心、そのいじめっ子たちをにくんでいた。そういうところだって、愛らしいではないか。
けれども佳子は、ひとの心の機微に鈍感な澄子のことを、ときおり、嫌におもってしまうことがある。たとえば、いらだっているとき。私はこんなに、ひとの気持にふりまわされてしまうのに、なんだか羨ましいなと、すこし、ひがんでしまうこともある。
大事な親友のことを、そんなふうにおもってしまう自分が、佳子はだいきらいであった。繊細さをてらう、弱さを誇る、そして、その誇りのなかに閉じこもって、そうじゃないひとに逆恨みをする、そんなことはしたくなかった。自分の弱さ、それには抵抗していたかった。
「澄子、告白してみたら? いけると思うけどな」
「うーん」
澄子はかんがえこむ。
「ほんとうに私のことが好きなら、向こうから告白してほしいなあ」
それはそうかもしれない。佳子だって、好きなひとから告白されることに、憧れがある。
「なんで告白しないんだろう。自信ないのかな」
「あんなにかっこいいのに」
「わかる」
私のほうが。
私のほうが、きっと、宏之くんのかっこいいところを沢山知っている。だって私は、もう半年好きなんだから。
そんな発想がうまれる自分が、嫌だった。
「だよね、かっこいいよね。教室ではちょっと気怠そうにしてるけど、バスケしてるときの一生懸命なギャップに惹かれて、気になりはじめたんだ。見た目はほっそりした熊さんみたいだけど、性格は小動物感があって、喋り方が優しくて、もう、とにかく、ほんとうに好き」
知っている。
あなたが知っている、かれのいいところは、全部、私も知っている。
私はほかにも、机から落とした文房具を拾うときの、冬眠から覚めたばかりのようにのそのそしたうごき、それの妙な愛らしさ、教室では、表情筋のとぼしそうなぎこちない笑顔を見せるのに、他クラスのバスケ部の仲間といるときは、大口をあけて笑うところ、授業中、先生がジョークを飛ばしたとき、ひきつったかとおもわせる、一瞬のにやっとした笑い方、それがほんのり薫らせる大人っぽい色気、そんなところだって、私は知っているのだ。…
「澄子が宏之くんのこと好きって、噂をひろげたらどうかな」
「いいかも!」
そこで怪訝な顔をする。
「え、なんで佳子、宏之くんって、下の名前で呼んだの? 仲良かったっけ」
「あ」
冷汗がでた、とりつくろわなければ。
「ほら、綾ちゃんたちのグループあるじゃん。綾ちゃんたち、鈴木くんのこと、宏之くん宏之くんって、こっそり呼んでるんだよね。鈴木くん、澄子のことばかり見てるなあって気づいてから、別の意味で鈴木くんのことを意識するようになって、だから綾ちゃんたちがそう呼んでるのが耳に入るようになっちゃって、すこしうつっちゃったかも。話したことないよ、鈴木くんと」
みょうに早口になった。
綾ちゃんたちの話はほんとうで、いつも、その呼び方に嫉妬し、そして、そう呼びたくなる気持に、共感していたのだった。奪られたらどうしよう、そんな不安とともに、内心、「私たちは同胞だ」という連帯感をもっていた。
「そっか」
安堵の笑みを浮かべている。佳子の口調の変化に、気づかない様子だった。
「よかったあ。佳子がライバルなんて、私嫌だからね」
「綾ちゃんたちがライバルかもしれないね」
「モテるらしいからなあ、鈴木くん」
私のことを、正直だと思わせてごめんなさい、そう内心、謝っていた。
「私、」
と佳子は言った。
「澄子が鈴木くんを好きって、噂ながしとくね」
佳子はそれを、実行した。
その行為のモチベーションに、自分のほんとうの感情は、見つからなかった。澄子を傷つけないため、傷ついたかのじょをどうしても見たくないため、そして、「親友のために行動できる人間になりたい」、そんな、やや潔癖な理想の実現のため、そんなモチベージョンで、それを行っているような気がしていた。
佳子は、道徳に、厳密すぎるところがあった。「こうでなくちゃいけない」、それを、やぶることができなかった。ひとの痛みを想像しすぎてしまうから、そして、悪いことをする自分に耐えられないから、ひとを傷つけたり、蹴落としたり、そんなことができないのだった。しばしば、自分をおしころしていた。はや、自分の性格に、心が轢かれてしまいそうだった。
付き合わないで。
私の恋人になるのが不可能なら、私があなたに届かないのなら、せめて、誰の恋人にもならないで。
誰のものでもない、美しい宏之くんのままでいて。とおくとおく耀く、青と銀にまたたく硬い星空のままでいて。
私の、こんな気持を許して。
澄子と宏之は、交際をはじめた。宏之が、ようやく告白したのだった、かれは、ほんとうにじれったい。澄子は、きゅうに幸せそうな顔でいることが増えた。恋ってすごいんだな、と佳子はおもった。
「家庭はどう?」
と訊くと、
「変わらずかな」
あっけらかんとする。
「家に帰ったら一気にテンション下がるけど、学校に来たら、宏之がいるから。家にいても、宏之からライン来たら一気に元気になる。返信来なかったら下がっちゃうかなー」
宏之。
私は独り言でだって、そう呼べたことない。
宏之は、澄子のことを大切にしてくれているようで、それは澄子の話からも想像できるのだけれど、だから、佳子は、ふたつの意味で安心していたのだった。澄子がしあわせであること、そして、宏之の美しさへの信頼をもちつづけられたこと。宏之がじつは酷い人間なんだとしたら、佳子は、それに耐えられないかもしれない。
しかし、佳子のこころには、なんだかぽっかりと、穴が空いているような気がしていた。それはもしかすると、けっこうまえから、どうしようもない空白として、存在していたかもしれなかった。
放課後、佳子はベランダに出て、じっと、空を眺めていた。
果てのないくらい青かった、がらすのように澄んでいた。ゆびさきで、まるで鍵盤にするようにそっと叩いてみると、きんと硬質な音を、世界いっぱいに響かせそうなくらいに。佳子にはその硬さがさみしかった、この空のなかに落ちて往き、反引力に従って、ぐんぐん天へ吸い込まれ、そうして、空と身一点に融けこみたかった。そうすれば、私のさみしさなんて霧消してしまうとまでおもった。
「…鈴木くん!」
気づくと、宏之が隣にいた、佳子の心臓は跳びあがった。
「あの、澄子と付き合ってるんだよね、おめでとう」
「ありがとう」
照れたように微笑み、その精悍な顔は、きゅうにクマさんのようにやさしくなる。この表情を、澄子に、ほかのだれよりもみせているのだろうとおもった。ちょっと妬いた。
「なんか、俺が澄子のこと好きだって、周囲にバレていたらしくって、そんな素振り見せてないつもりなのに、おかしいな」
そう言って、はにかんでいる。
このひとはなにを言っているのだろう、と佳子はおもった。バレバレではないか。男のひとのこういうところ、可愛らしいなとおもった。
「いま幸せ?」
と、佳子は訊いた。
「幸せだよ」
宏之は、満面の笑みになった。満点の星空を想い起こした。
流れながれる天の川で、ふたりを番わせたささやかな小舟、七夕はもうとっくにすぎたけれど、自分は、そんな存在になれただろうか。
「そっか」
喉でひしめく感情を秘めて、佳子は、せいいっぱい笑ってみせた。
「澄子はだいすきな友達なんだからね。大事にしてね。お幸せに」
佳子は、いま自分が、複雑な感情ながらも、彼らの幸せを喜べる人間であることを、生きづらいながらも、その心の余裕をもてることを、周囲、とくに、たくさんの幸福をくれたふたり、宏之と澄子に、こころから感謝した。すると、心の穴が、ほんのすこし埋まったような気もしたのだった。
アネモネさながら可憐な少女の、もうすこしワガママになってもいい、慎ましい女生徒の、手摺をつかむゆびさきは、まだ、ふるえていたけれど。
一度きりの永遠
由梨と修二は幼稚園からの幼馴染、ふたりはしばしば小川の傍で、花を摘んで遊んでいたのだった。
団地住まい、くわえて学校社会で重視されるような取り柄をこれといってもたない修二と、成績優秀、家柄の上品な由梨との関係にいじわるな声を投げるクラスメイトはたしかに多くいたのだけれど、しかし由梨は、修二の生き物に対する優しさ、あらゆる命への慈しみのこころを尊重していて、やや自分の世界に籠りがちなところはあったけれど、ゆっくりと言葉をえらびながら相手を傷つけない言葉を差しだす性格にもまた、友人としての好感をもっていたのだった。
ふたりの雰囲気には、けっしてあまやかな恋愛のそれはない。たとえば美しい花を差しだすせつな、ほんのすこし双のゆびさきが触れたとしても、その現象はまるで風が睫をふっと揺らしたくらいの自然さをしか薫らせないのであって、その後は何事もなかったかのようにつぎのうごきへとうつりかわる。ふたりがそういう関係性であったのは互いが小学生だったからというのもあったかもしれないけれど、由梨は修二に友人以上の気持をもたなかったし、修二だっておそらくそうにちがいないだろうと彼女はかんがえていたのだった。
「修くんはね、」
と由梨は訊いたことがある。まっしろなアネモネがやや風に身を折り揺れていて、まるでふたりのお話に耳を澄ませているかのよう。
「将来、何になりたいの?」
「僕はね、」
とはにかみながらいう。
「詩人になりたい。誰にもいわないで。由梨ちゃんにしかいわないから」
「うん、いわない」
「約束だよ?」
「もちろん」
「由梨ちゃんはなにになりたい?」
「私はね」
修二が、ひたむきな視線を彼女にそそいでいる。かれの眼差しは、いつも真剣にみえすぎる。それがかれに、同級生たちから軽蔑の目をなげられるわけの一つでもあるようなのだった。
「永遠に。永遠になりたい。歴史に名を遺したいとかじゃなくて、わたしが存在したって証が何処か、天でもいいから、残ってほしい」
「うん、うん」
「笑わないの?」
「こういう時に詩人ってこたえる人間は、そういう真剣でロマンチックな言葉を笑わないんだよ」
「詩人って、素敵なひとたちだね」
「そうだよ。一度きりの人生を、詩みたいな殆どのひとに縁がないものに使ってしまって、ときにひとりぼっちで不幸に飛びこんで、まるで人生を台無しにしちゃうんだ。淋しさだけを抱き締めているひとたちなんだ。変わってる、ほんとうにおかしい、でも、素敵なひとたちだよ」
「そうだよね、一度きりだもんね、」
由梨はとおくを眺めて、しらじらとした陰翳をたなびかせる曇天が、ふっと美しくみえた瞬間をたのしむ。
「一度きり。人生は、一度きりなんだ。軽いね。まるで空に舞い上がる花びらみたいに軽い。だからわたし、永遠に憧れるんだと、想う」
*
由梨は中学から有名私立に入り、ふたりは会うことがすくなくなった。
大学病院で医師として勤務する父の影響で、由梨は医者をめざすことにし、時々修二に誘われても勉強を理由に断るようになった。勉強をしていると、窓の下から公立中学の少年達、近所の自転車で遊びまわっている元同級生たちがみえて、なんだかかれらがバカみたいにみえてきた。修二ときたら、噂によると高校から友達がひとりもいなくなっていて(元々少なかったのだけれども)、いつも教室で本を読むか、図書室にいるらしい。もう、会う理由は見つからないのだった。
由梨、はや水平線のうえにあるのか、あるいは不在なのかまったくもって曖昧な「永遠」だなんて、ぜんぜん信じていなかった。自分のことをだって信じていなく、ただ実績で周囲からの期待にこたえ現実の理不尽を撥ねかえすことが、「わたしは人生を生きているのだ」ということを、自他へ示すように想っていた。
いまをみすえ、現実に立ち、前をまえを歩いていた。
由梨は、そういう生き方をしていたのだった。
*
第一志望の医学部には落ちたけれど、地元国立の医学部に合格し、医大生となった由梨は、地元から大学に通うようになった。修二がなにをしているのか解らなかったけれど、高校を中退したことだけは知っていた。しかしかれが現在どうであるかなんて、殆ど考えもしていなかったのだった。
彼女の通う医学部には教養課程があって、すこしのあいだ詩の講義をとらざるをえないことになっていた。そこで久々に、修二のことを想いだした。
効率主義である由梨は、まずネットで詩の論文を読んでみて、現代の詩のシーンの風潮のおおまかな概要をつかんだところで、やや悪趣味な好奇心もあって、「ネット詩」なるものを検索してみた。「夜空文庫」というサイトを覗いてみる。
瀬戸修二。
偶然に見付かった、懐かしい名前。ネット詩人として本名を出しているのだとしたら、なんだか、こっちが気恥ずかしい気持にもなる。本名でやっているのか、べつの人間のペンネームなのか、あるいは同姓同名の別人か、気になってクリックをすると、プロフィール画面へととんだ。
僕は僕の言葉を、永遠という風景へまっさらに翔ばしてしまいたい、その翳をさかしまの城として、観念の深みのふかみに宿る湖に沈め磔にしてみたいのだ。
自分で書いたのであろうそんなキャッチコピー(?)があって、幾つかの詩が載っていた。そのなかにあった一つは花を摘む少年少女の詩、また永遠に焦がれる少女の眸の美しさのべつの詩もあって、はやかれとの記憶が朧げである由梨をして、それがみずからとの追憶を糧に書いていると解らせてしまったのだった。
こんなに執着されてたんだ。いくぶん、いやかなりの怖さもあったけれど、ほんのすこしの嬉しさもある。なぜって、彼女はべつに修二のことがキライになったわけではないからだ。
そして、一つめの「花を摘むふたり」という詩のあとがきにあるこの言葉に、由梨、どうしようもない切情が込みあがるのと、なにか奥でしんと籠るような冷め果てた自分の心情を自覚し、このギャップは果してなんなのかしらと想うのだった。
「僕には幼稚園以来片想いしているひとがいます。もう、あらゆる意味で僕とは遠いところにいってしまった女性です。
文学には、「永遠の女性」という概念があります。僕はささやかな活動をしている無名のネット詩人ですが、彼女を、僕の文学の「永遠の女性」にしようと、ひそかに企んでいるのです」
由梨は、黙ってPCを閉じた。閉じ際、プロフィールにメールアドレスが載ってあるのは見え、「感想くれたらうれしいです」という言葉をみてとった。ここで、かれはいま非情なほどの苦痛に満ちた孤独にあるのではないかという疑いが、不穏な翼の翳がさっとよぎるようにして脳裏にはしった。独り善がり。閉鎖的。気持ち悪い。そう感じてしまった。
当事者にとり一途の価値とは、おおくの場合、いうまでもなく関係性のなかに宿る。
*
なんらかの気持──憐憫、幼馴染の現状への気がかりな感情、好奇心、否なんともいえまい──そんな不可解な感情にあやつられて、由梨は次の朝メールを送っていた。
「はじめまして。私は十八の女で、大学生です。
瀬戸さんの詩を読みました。そのなかにある「花を摘むふたり」という詩、すごく純粋にそのひとのことを想っているんだなというのがつたわってきて、素敵な詩だと思いました。一途なんですね。瀬戸さんは、大学生ですか?」
大学に行ける経済状況ではないと推測できるけれど、いま、なにをして生活をしているのかが知りたくなっていた。
夜に返信が来た。
「メールありがとうございます!
わあ、はじめて感想メールが来たので驚いて動揺していて、でも、すっごく嬉しい気持です! ほんとうに、ほんとうに素敵な女の子だったんです。自分でも執着しすぎてて引いちゃいます。あなたは、詩は好きですか?
僕は工場で、ネジを延々とつくっています。憧れの思想家がそういう仕事をしていたので、まねっこです。大学に行けたら、仏文科がよかったな。あなたはなにを勉強されていますか?
ほんとうに、連絡ありがとうございます。嬉しくて、うれしくて、ちょっぴり泣いちゃいました」
なんだか、小学生時代の修二の声で再生できた。ピュアなのだろうか。そのままなのだろうか。なんといえばいいのだろう。大人になれない男。そんな感じがした。
気づくと返信していた。
「返信ありがとうございます。
そんなに喜んでいただいて嬉しいです。素敵なひとだったんですね。どんな性格でしたか?
詩は、あまり読みません。でも、瀬戸さんの詩は好きです。
憧れの人と同じ仕事をするって素敵ですね。私も、医師である父に憧れて、医学部に入りました」
送信。マウントをとった覚えはないが、医学部というと勝手にそう認定される風潮がある。さて、かれはどう出るだろうか。
次の日の夜に返信が来た。
「優しいひとでした。努力家でした。ロマンチックでもあって、つよくやさしい女性でした。純粋でもありました。
医学部すごいですね。憧れのひとをみすえて実際に達成のむずかしい証を残したという、その努力と実績を尊敬します」
美化。それだった。男のひとの、かなしくも愚かな性情。そう想った。
優しくなんかない。わたしは、現在あなたの文章を冷然な眼で眺めている。強くなんかなんかない。無理をしているだけだ。ロマンチックだなんて、大人への誉め言葉なんかじゃない。純粋なんかじゃない。唯、こどもだっただけだ。もし幼児性のロマンティシズムを純粋というのだとしたら、わたし、とっくの昔にそれを踏越えている。そうかんがえた由梨、はやメールをするのをやめようと想った。
*
二か月後に修二の詩の更新を確認すると、あの日から新しい文章は投稿されていなかった。
「由梨」
と母に呼ばれ、
「なに?」
と苛立たしげにかえすと、
「修二くん、工場の事故で亡くなったらしいよ」
という言葉を放たれた。
しばらく呆然とした由梨、涙を流すことはなかったのだが、なにか憐れみのような感情に操作され、恋をされた女としての義務を果たすように「花を摘むふたり」をコピペしPDFにしたが、数日も経てばそのことを忘れ、時々修二の死を想いだすことはあったが、新しい恋人ができてからはそれすらなくなった。
*
(中略)
ぼくは信じてもいるのだ、愛と信頼とは同義語であると!
それをすら信じ抜くことができないのなら、
その余りをすら信じることはできまい なにもかも!
風に吹かれ天空へ侍る花の風景に ぼくは永遠をみつけるのだ
永遠──永遠とは信じつづけるということ 祈り
永遠──永遠とは不断に信頼を積みあげる意志だ、
ひとの営みはくりかえされた ひとの愛は円舞する
風に吹かれ天空へ侍る花の風景を ぼくは愛し信頼するのだ
──「永遠の歌」 瀬戸修二
*
新しい恋人からの愛情は由梨をくるしめた、かれの人間不信は恋人への侮辱と支配に現れて、それはきっとかれの自己への不信に由来していたのだった。
彼女をだってみずからをなにも信頼していないし、医大生で成績優秀、そして努力家だという条件を満たさないとわが身を愛せもしない。永遠なぞという言葉は読解すらできず、ただ、くるしい刹那せつなを生活に圧しこめてぐいぐいと前へ押しだして、疲弊の顔をすら隠しつづける日々、彼女は憩いを求めて、いな、幼少期の気楽な、あたたかみに満ちた追憶に縋るようになった。その思い出を抱き締めると、砂の光のようにはらはらと毀れおちて、腕にはなにも残らないような心地。かの日々は、はや無かった。
由梨は藁をも縋る気持で修二の詩を読もうとした、それを媒介として、かの日々に浸ろうと想ったのだ。「夜空文庫」と検索する。
サイトはなかった。はや閉鎖されてしまったのだ。
SNSで「瀬戸修二」と検索すると十もないくらいで詩を紹介されていたが、かれの文章じたいは殆どない。
彼女は「花を摘むふたり」をPDFにしていたことを想い起こし、それをひらく。その詩の最後の文章を読む。
ぼくは彼女の魂の美しさを信じることができたから、
ぼくはぼくの一領域を抱き締めることができる、
其処はましろのアネモネの花畑、人々は深みの花で林立しえる
彼女の「あなた」は美しかった、小河の傍らの赤誠は水音に寄せる。
*
小河のそばで、少年少女が花を摘んでいる
あなたに花を手渡されて、ふっと ゆびとゆびとが触れたとき、
ぼくは、あなたの深みの美しさを信じえたのだ、
それは素朴な心が綺麗なゆびへ透るような光 あなたの優しさが好きでした
*
由梨はPDFにし保存していた唯一篇を印刷し、データを削除した。コンピュータ内のゴミ箱を空にした。もう、彼女のみることのできるかれの詩はこれが唯一であった。
彼女はどうしようもない、あるいは「良心」としかいいようのない不合理な感情に操作されて、その紙片を、かの小河の傍に埋めようと想ったのだ。優しいひと気取りみたい。そう自分を嗤った彼女、「優しいひとでした」、そんな、あまりに無垢にすぎる、まるで由梨の善なるこころを、こころの根っこから信頼しているような犬死詩人の言葉を想いだし、「わたしはそんなんじゃない、美化してほしくない」という現在も鳴る訝りを不協な音楽とたたみこむようにこころの内へ内へと圧しつけ、それと相反するようにわきあがるどっと熱くもかなしい感情、「わたしは、他者に信頼されていたんだ」という切情、彼女に涙をながさせた。ひさびさの涙であった。かれのそれはいうまでもなく愚かで、不合理で、ほとんどまちがっているといってもいい信頼であったが、由梨はその信頼を、美しいと想った。唯、無意味に美しいとだけ想った。美しいだけ。美しいだけであった。しかしこの美は、まるで彼女に我欲をわすれさせるようにして空無にただよわせる。ふしぎな現象だった。
この信頼に佇みつづけるという、逆行ともいえぬ反逆ともいえぬ、現実の嵐の裡で足を其処にひたしつづけるという無為なうごきこそが、まるで眼をつよい意志にとぢ行為しないという悲痛なうごきこそが、かれの詩人としての仕事ではなかったかしらと訝りもした。
かれの書いたように、愛と信頼がもし同意語であるのなら、それは厳然としてまちがっているのだ、優しい大人に囲まれ性善説をうたがわぬ子供のそれなのだ。しかしただしい信頼なんて、ましてやただしい愛なんて、いったいこの世にあるかしら。
俗悪美。ああ。それだけが、ひとの生きるうごきの美であろうか。
由梨は家を出る。ゆっくりと、しかし、ひたむきに歩む。脳裏にはみたことすらない、淋しさを噛みしめ噛みしめ詩をつづる、かの犬死した詩人のイメージが漂う。
こつぜんと背後で音が鳴る。由梨の在る方向へトラックが揺れ横転寸前となったのだ、せつな、由梨は手にもっていた紙片がその方向のさらに向こう側へ飛びあがった紙を追ったために、すれすれのところで事故を避けられた。しかしその紙片を彼女がつかむことはできなかったのだった、それ壁に打たれ、ずたと疵を負い、まるでふしぎなことには、撥ねかえり風に抵抗し奔るように逆側へ舞い、おおきな音を立て形勢を立てなおす大型車の下へ、呑まれるようにひきよせられていったのだった。
…かれの詩篇はトラックに轢死され、悲痛なる無音を音楽させた、あまりにかろやかにすぎるひとの生というもの、鮮やかに閃かすようにちかと光って砕け風と舞い上がり、花のようなかるさで天空とおなじ色彩を散らし刹那と霧消えた。たしかに、たしかにこの滅亡と不在の風景の磔の刹那は、永遠のようにもみまがった。
何故ってひとは、このさみしい俗悪美の歌を刹那張る風景として、くりかえし、くりかえし営んできたのだから。
ロゼ
十八歳の悠一が某国へ旅に出ようと意欲したのは、重たく垂れ込む靄のような倦怠・憂鬱に、ひねもす悩まされていたことに由来しているのだった。
それ等の解決策を考えていたところ、不意に高校時代に読んだポール・ニザンの「アデン・アラビア」を想い起こして、かれにニザンの反骨・闘いの意志なんか一切なかったのだけれども、どうやら悠一その作品に着想をえたらしく、「海外を旅する」という非日常にまるで救いを求めたようなのだった。
数多の国々からその国を選んだのは、先ずもってみずからに降りかかるかもしれない危険性が他の国よりも更につよいからであった、またニザンの行ったアラビア地帯のように赤道にかなり近く、そして金があまりかからないからであった。
というのも調べたところでは、その赤道辺りにある経済的な発展のとぼしい某国はすこぶる治安のわるいところであるらしく、毎日のように紛争でひとが数十人死んでいたり、強盗は頻繁、また旅行者を殺し金を奪うなどの犯罪が横行しているらしかったのだ。
いわば死と隣り合わせの国といえるようなところがそこであって、悠一が旅先にその国を選んだのは、日本では経験できないであろう死が身近にあるという環境を実感することで、何か気持が変わるのではと期待していたというのがあったのだ。くわえて、そこで死ぬんなら死んでもいい、日本で自殺をえらぶよりも自然現象に近いし迷惑がすくないだろうという自棄やけな気持だってあったのだった。
かれは「アデン・アラビア」をだらだらと読み飛ばしながら、大学へろくに登校せずにのらりくらりと気楽なアルバイトで最低賃金を積み上げ、二十数万程度ができたところで飛行機のチケットを購った。たしかにそこは物価の安い国ではあったのだけれども、一泊や二泊ではない海外旅行で二十数万では殆ど金銭的にギリギリの旅しかできないに決まっており、しかし漠然と死にたい気持をかかえ平穏な生活に退屈を感じている自分には、むしろそういった危機感が必要なのだとかんがえていたのだった。
*
某国の空港にたどり着くと、陶器のように艶のある浅黒い肌をひからせたひとびとを見、それ恰もエキゾチックな美のようなものをかれに感じさせたのだけれども、その輝きは太陽の光の当たり方によるものでもあるということに後々気がついたのだった。湿度の低さや緯度の問題だろうか、カンと金属的な音を立て地上を撥ねるように硬質で乾いた陽光はどこか酷薄な印象、日本のそれしか知らないかれには珍しいものとして映った。が、それはなにか悠一の情緒的なものに快い作用を与えるようなのだった。ここは僕にとっていい国かもしれない、そう想った。
空港のある都心はそれほどに治安はわるくないようであった、日本でたとえれば地方のちいさな都市程度には発展しており、石張の道路に落葉のようにかろやかな陽がはらりと落ちる、そんなオマージュに満ちたしずかな風景のなかで、日本人の感覚には幾分大きめに聞える話し声が、硬い風景の流れるなかで火さながらに閃きはじけるようであった。ダンスをこのむひとが多い国だときいたが、なるほどこの国の言葉の発音は跳ねまわり踊るようで、異国のダンス音楽のように響くために耳に清々しい。意味は全くわからないが語感が非常に聞いていて心地よく、まるで水気のすくない明るさで喜びに跳ぶような天真爛漫なひとびとが住む国という印象、かれには来る前の銃声や戦車の立てる音の絶えない悲惨な戦争の火が濁流する国というイメージに合わないと想い、検索結果が正確なものとらえきれていないんじゃないかと訝しく想った。いや、きっとすこし離れたら戦火が轟々と噴いていて、ひとびとの惨たらしい泣き声が底から唸るように響いているのだろう。
ホテルにチェックインする。部屋に案内され、扉をあける。けっして高級な印象ではない、簡素である、しかし居心地の好さそうな悪くない内装で、原色と原色を絶妙に混ぜたようなふしぎな色がめずらしいセンスで効果的に配置されていて、どことなく異国調を感じさせるそんな色遣い、それはかれの海外旅行の気分を引きあげる。楽しい旅になってしまうかもしれないという予測に苦笑いをしたが、しかしそれは柔らかい緊張感が解されたような気持によるものであった。
地図とパスポートと財布だけをもって、散歩に出てみた。
石張の歩行通路は灰色で、自然のものであるためにそれの曳く線は歪であるがどこか単調で眼に涼しい印象、歩くたび、かれの履いていたスニーカーではカツカツとまではいかないが無機物をそっと叩く時とくゆうの心を落ち着かせるひんやりと硬い音がする。悠一の来たのは秋であるが、真夏は灼熱の陽が射し冬でも熱いところであるらしい、そのために、すこしでも涼しげな気分を味あわせようとして発達した粋な意欲による文化なのかもしれない。
街並を歩いていて発見したことであるが、やはり東京などの日本の都心のビルのような建築物はあまり発見されず、せいぜいが二、三階建てである。太陽はまるで濁りのない空に浮んでいるようで、空を仰げば、石張に落ちるかろやかさに比して傲然な熱をまっさらに射しているよう、むろんそれを真直ぐにみすえることなどできやしなかった。太陽の光が清んでいるというのはまさにこういうことをいうのだろうと思って、カミュの「異邦人」にえがかれていた陽の毀れる砂のようにニヒルな情景を、何故かしら爽やかな気持で想い起こす。
上ばかりを眺めていたために、目の前で同い年くらいの若い女性に笑いかけられているのに気がつかなかった。
「Hallo.」
と恐るおそる声をかけたが英語が通じないのか、女性はにこにこと子供のような顔をするばかり、日本なら薄気味悪さと反社会勢力の存在さえ感じさせる状況であるが、この国にはみしらぬひとにも楽しげに話しかけるひとが多いのかもしれない。想えば散歩中、道で会ったひと同士が明るく大きな声で話しだすのをよく目にしていた、悠一は果して全員が知り合いなのかどうか、それとも初対面でもすぐに仲良くなれる国民性なのだろうかと、既に色々と考えを巡らせていたのだった。
彼女はにこやかな表情でかれの顔を一瞥し、したしげに腕をとった。
その女性は南国らしい異国的美貌をもっているといえようか、乾いたつよい太陽の熱で褐色へきよらかに洗われたように照り返しのまぶしい肌、ふっくらと紅色に染まった果実のような唇、切れ長の線に曳かれた潤いのおおい眼は、ふっと伏目になりくろぐろと睫を降垂おりたらせば、幾分月のような憂いを帯びるように翳る、しかしみひらかれれば眸の湖から月影がまっさらに浮び撥ねるようにきらきらと耀きはじめる。しなやかに手足の伸び溌溂とうごく躰を、ひらひらと風に揺れる薄衣の深紅なワンピースで包んでおり、この国らしい綺麗な女性はこういう印象なのだろうという感じをかれは受けていた。
然り、あまり女性慣れしていない悠一をどぎまぎさせるような状況である、しかし、「男と女なんておなじ人間だわ」と想っているとしかみなせない自然な明るさ、親しさでかれにまた笑顔をみせ、ある飲食店らしき建物を指さす。
一緒に行こうということだろうか。これは日本でいう、逆ナンというやつなのか。
かれはやや期待しながらも「ただ友達になりたいだけだ、いやもしや詐欺かもしれないから気を引き締めろ」と保険でいいきかせ、彼女に誘われるがままに店に入った。のちに調べて解ったことであるが、そこで沢山売っていたのはその国の名物・主食的なものであり、小麦粉でできた餅のような麺麭のような関西の粉もののような粘り気のつよい炭水化物系の薄い生地に、野菜と香辛料の効いた肉などを挟んだ食べ物、たとえればサンドウィッチ、もう少し近いのをあげればイタリアのパニーニのような食べ物。
女性は「これとこれ」と指さしリズミカルな発音と身振で店員へなにかを伝え、かれにも「選びなさい」と目のうごきで示す。どこまで辛いのか知らないのでそこまで辛くなさそうで肉の入ったものを二つ指さして、「Please」と英語で伝える。すると彼女はかれに眩しさと切なさを感じさせるくらいの、あまりにピュアな音韻の弾け方を立てる発音で何かをいって澄んだ笑い声を立てた。二人並んで、会計のところに立つ。
女性はそこではじめて媚びるような顔でかれを眺め、腕をまったくうごかさず、そもそも彼女は華奢な生地のワンピースを着ているだけでバッグすらもっていない、「そういうことか」とやや落胆しながらも、デートすら数回しかしたことのない自分には貴重で胸を高揚させる体験ができたと納得させ、というか隣で笑ってくれる女性が数分でもいてくれた経験だけで充分すぎるほど喜んでいたので、実に好い気分のなか彼女の分も会計したのだった。夢をみせた幸福の代価は日本円にして四十円程度。この出来事は殆ど女性に愛されないタイプといっていいくらいの悠一に、ほくほくと得をした気分にさせるのみなのだった。
店に飲食スペースはあったが彼女はすぐに店を出て食べ始めていた、かれも胸を高鳴らせたままに横で袋をひらく。こんな女性は報酬さええられれば、すぐに笑いながら手を振って、ワンピースの裾のひらひらとしたはためきのようにかろやかに、果敢なげに、まるで風に伴れられるように駆けていなくなるのだろうと保険込みで想っていたら、あろうことかその女性、ずっと悠一の隣にいつづけて、ご機嫌な表情で愛らしく口をもぐもぐさせている、その間中ちらちらとかれを見、眼が合うとにっこりする。その可憐さは悠一の心臓を甘やかに鋭く打つようだ。いったいに女性に好かれない日本人男性のなかには女性らしい本音と建前がいまいち理解できない人間が多く、いわゆる「察する」という能力が発達していないひとが多いというのがあるようで、悠一のようにその典型的なタイプの男は、こういう素直で天真爛漫でどことなく子供っぽい女性に憩いと好感をもちやすいというのが往々ではないだろうか。
悠一は頬を紅くさせながら、読めない裏を推測しようと、脳裏で邪しまな考えを巡らせる。いわゆる邪推というのがかれの悪癖であり、もはや趣味嗜好ともいえるのだった。
この女性、果して、こんな振舞を天然でやっているのだろうか。この喜びに跳ねるような表情や仕草は、素直な心情のままなのであろうか。たとえばフィリピンパブの女性なぞはそう苦労せずとも天真爛漫で人懐こい接客で裏表の社会に疲れた日本人男性を虜にさせるらしいけれども、なかには悪いことをかんがえる女性だっているだろう。しかしこの国はもしやそういうお国柄なのだろうか。背後にギャングなぞがいたらたまったものではないが、しかしこの女性の表情というのはまるで素直である。かれの心のどこかに、彼女はほんとうに無邪気で自分と親しくなりたいだけなのだというのを信じたい気持があり、その期待の糸をすこしばかり欲望のままのばしてみれば、もし異国のロマンスというものが起こればもっと素敵だというような、愚かきわまりない切情さえあったのである。
全身を陽にキラキラと輝かせている女性は、またかれの眼をみつめた。吸い込まれるような眸、この眸のうつろう陰翳に侍りたいとすら想わせる湖の眸。悠一はまるで放心したような心地である。
「ロゼ」
陽光を反映しさらさらとパウダリーに光る水を想わせる声で、彼女はいう。その声が立ち昇らせる香気、まるでどこか色香の昇るような柑橘系の瑞々しいそれであり、やはりといおうか、空気に波うたせる色彩は弾けるような南国のオレンジであって、時々波のように寄せ帯びる薄闇のような不穏なグレーを交らせることはあったのだけれども、それはおそらくこの国で暮らす民であるがゆえの、不幸で貧しい生活に由来しているのだろうと悠一はかんがえていた。
「ロゼ」
今度は自分の胸に手を置いて、おなじ言葉をくりかえす。再三いうが、独特の発音が跳ねるこの国の言語は、けだしひとの躰と魂を舞踊らせる異国の音楽である。
おそらく、ロゼというのは彼女の名前だろう。悠一も胸に手を置き、
「ユウイチ」
とゆっくり自己紹介すると、なぜかケラケラと笑いはじめる。文脈でいうと名前の響きがおかしかったから笑ったのかもしれないが、たとえそうであってもまったく嫌な気持のしないくらいに、悠一はこの女性に好感をもっていた。しかも、名前を教えてくれたのが嬉しくてにこにこしてしまっている自分の感情と、ロゼのそれがおなじであるために笑ったのかもしれないという都合のいい明るさの射す期待の心情がそこにあったのであり、その明るさはかの日本であんなにも暗みの籠っていた空白をたっぷりと満たしたのだった。はや憂鬱と倦怠なんて、どこかに往ってしまっている。たぶん、日本の独り暮らしの部屋に置いてきたのだろう、日本の湿度の籠る整理された秩序で、どこかに粘って絡まり翳をうろつかせているのだろう。
「ユヴィッジ?」
そう離れてはいない。「発音はただしい?」とでもいうように、ほんのりと笑みを浮かべ首をかしげる。一心不乱に褒めて差しあげたくなる可愛らしさに、胸が締めつけられる想い。が、ちがう。悠一は元来言葉を大切にするタイプであった。しかし、わが母国語を話す外国人の拙い発音というのは、おそらくや殆ど世界共通で愛らしさを感じさせるのであろう。いわずもがな悠一はそのときふやけたようなだらしのない顔であって、ゆるみきった口角をにまにまとさせていたのである。
「ユ、ウ、イ、チ」
「ユ、ウィ、チ」
こくんと頷いてしまっていた。だいたい合っている。そう想った。
しかしその後ロゼがかれの名を連呼して気づいたことであるが、おそらくこの国の発音の仕方では、頭にユという言葉がつくとほとんど次の言葉に吸収され、かすれて消えるように音がなくなるのだろう。くわえて「ウィ」という発音がないのか或いは苦手であるようで、どうしても「ヴィ」と濁りがちなのであろう。
「ヴィッチ! ヴィッチ!」
とまるで原型を見失った呼び方、それにすぐ変わったが悠一のことである、女性に名前を幾度も呼ばれるという非日常的な高揚は、「なんて可愛いんだろう」と悠一に想わせるばかり、「B×××」に響きがそっくりなのが気になり周囲の目が気がかりだったが、「まあいいや」、と呼ばれるたびに顔をニマニマさせていたのだった。
*
ロゼはそのあと手を振って悠一の元を去った。
部屋に戻り、ベッドに横臥し、悠一はリズミカルに跳ねるオレンジの香気が頭から離れない甘やかないたみにくるしみ、ロゼという名前から音楽させる薔薇の薫が清潔な褐色の肌から匂う幻影的な感覚に身を折って、かの天衣無縫な音楽に柑橘の果実の印象を飛沫かせたような笑い声がまるで幻聴するように耳をわななかせた、かれの頬は炎ゆるように染まり、千切れた希望に剥がれるようにふるえていたのだった。
恋、を、したのだろう。
かれにはこの国の言語が話せないどころか理解すらできず、幾分使いこなせる英語はロゼには伝わらないのである。すれば「君が好きだ」というこの深みより轟々と炎ゆり昇るような気持をお伝えすることすらできず、しかしかれには恋をするにはあまりに早すぎるという愚かなみずからへの自責に耐えがたい想いをしたのだった。
晩の食事。香辛料の効くちいさく切られた肉、それはふしぎな味をした葉に包まれ、ロゼと食した生地はそのままで出されてある。かれはマナーなぞは知らないが部屋で食べるために一人きりであるのをいいことに、大事そうな手振で肉と葉を生地でつつみ、食した。そしてロゼの追懐をなつかしみ、また会いたいと悲願し──そこで外から銃撃の音が響いた。
臆病な悠一はカーテンをさっと閉めたが、ロゼが撃たれたのではという不安にさいなまれそっと隙間から外をみる。人相の荒んだ男たちが左右に分かれ、銃を撃ち合っている様子が眼に入った。これだ。こういうところに来ようと想い、僕はこの国を選んだのだ。かれはカーテンを丁寧に閉めなおして男達──ギャングであろうか──から全くみえないように注意を払い、ベッドに身をなげだすようにし寝そべって、かの柑橘の肌を想起し、そのどうしようもなくエロティックな印象の妄想に後ろめたさばかりをおぼえていた。そのとき銃声は、時々なる鋭い鐘のようにしか聞こえなかった、しかしそれはやがて茫洋と霞むように現実味を喪失していき、悠一はわが妄念に閉鎖されてうずくまっていたのだった。
*
朝、まさに片恋の女性と食べた料理が出て、悠一は従業員に英語で「これの名はなんですか」と訊くと、「パ、ヴティ」とぴょんと飛び跳ねるような音韻、「ヴ」の発音にこの国とくゆうの音を感じ、かれはなんだかうっとりとした気分で「ありがとう、教えてくれて」と伝えた。
昼前に外に散歩に出た、昨夜の事件が嘘のように乾いて明るみの充溢したような石張と緑の木々の風景、ただ灰色の歩道に赤褐色で翳るような血の跡が、どことなしに遠くの追憶のような情景としてかれに昨夜の鋭い銃声を想い起こさせる。どうやらかれには現実を生きているという実感を喪いかけているらしい。ロゼという人間から受ける印象をだって、かれにとり現実味のない、いうなれば光と音楽と薫を理想的に投影しきらきらと反映しているような女性のように感覚しているのではと悠一には訝られていた。
「ヴィッチ!」
押し黙った現在からふっと昔のロマンスが香気と漂ってきたような感覚におそわれる、それは路を歩いていて嘗ての片恋のひとがつけていた香水が匂うのを感じ頭をぐらぐらと動揺されるのにも似た、心おし揺がせる音楽である。
ふりむく、放心し脱力したような顔付に、柔かくなった口元を、期待の微温湯にふやかせたようにして。
ロゼ。オレンジの薔薇。甘美な柑橘の艶。音韻と火花と散らす、撥ねるような熱を放つ褐色の肌。濃ゆい薫をなげ放つ夜に燦爛ときらめく月めいた眸。美しい音韻に豊かな褐色の薫と陽に輝く異国美を折りたたまれた、豊饒なる火のような音楽。
ロ、ゼ。おそらく” L ”の優美にして幽遠な母音、それをふっと薔薇とともに落すような”O”の子音曳く掠れた音楽、さながら流麗な光の彗星の曳いた後髪の薫のような”ロゥ”、その瑞々しいオレンジの音楽の往き着いた、閃きせきとめられた領域で、低められていた腰付がゆるやかに跳ねるように橙の色を散らすような「ゼ」、「ロゥ」の甘美な響きが「ゼ」に到着するのは、まるでふっととばされて壮麗な異国絵画のひろがるところに立たせたよう。「ロゥ」の伸びやかな色の豊かな花の薫に惹かれた旅人は、そのふしぎな香気をたどり流れるように石張をあるく、すると「ゼ」の音楽の往き着く張りつめられた絵画のゆきどまりに、結ばれぬ恋の予知を感受する。すればその音楽に印象される褐色の美しいひとの投影、はや遠のいて絵画のようにとおく張られ、その炎ゆる乾いた熱の風に吹かれながら、硬い酷薄さに清む空へ往ってしまう。…
「ヴィッチ!」
「ロゼ!」
悠一は笑顔いっぱいで手を振り歓迎を表明する、ロゼもまた裾の揺れるような優艶な仕草で手を振る。
ロゼは悠一の腕をとり──鋭く刺す内奥から恋の熱が炎えあがり、その喜びにかれの全身がまるでおののく──ゆびさきを或る方向へ指す。悠一は呆けた貌で頷く。
ロゼの歩行は、みょうに速い。まるで生き急いでいるかのような印象、それはいつ死ぬかわからない環境に由来しているのかもしれないと想うと、憐みと、彼女に死んで欲しくない、どうか幸福になってほしいという悲願に身を折るように気持になる。
やがて街からやや離れ、草花のおおいところに連れていかれ、気付くとふたりは、かれには名前も知らない異国の花々の豊穣に咲き誇った花畑にたどり着いたのだった。
すこし中を歩き──ロゼはなるべく植物を踏まないように気をつけながら歩く、かれもそれを模しながら、「このひとはやはり優しいんだ」と感動していた──ちいさなバッグを花のように揺らす。今日はバッグがある。ということはピクニックだろうか。
空を投影し、おのおのの色彩を鮮明に示していたような花々は、なにか引かれた線すらも明瞭な印象、南国らしい花に躰を埋める、隣にはかれに恋された天衣無縫な女性。こんなにもロマンチックな状況を、悠一は経験したことがない。
二人は土に座り込む。きゃっきゃ、と日本らしいオノマトペを使おうか迷わせる子供の喜び跳ねるような愛らしい声を立てながら、花にそっとゆびをすべらし、かれをちらちらとみて、そのたびに弾けるような笑顔をみせる。このまま手をにぎってキスをしたいという邪な欲望を感じたが、しかしロゼのかれへの感情なんて解りっこないし、悠一は彼女を大切にしたいという、愚かではあるが良心的ではないともいいきれない自制の心に欲望を縛り、身をかためていた。
するとあろうことかロゼが、かれの胸に手をのせる。雷鳴のような期待の心情、どぎつく昇る。
せつなだった、硬質な銀の銃声が一発響いたのだった。
彼女はくしゃと恐怖に顔をゆがませて、悠一に抱きよる。かれはここで抱き締めることは恋する男の義務だとばかりにロゼをつよく抱き締め──しかしあまりの恐怖に喜びを感じる余裕はなかった──ふたりは躰を低め土に身を埋め、悠一は日本語で小声で「大丈夫、大丈夫」と声をかける。「ライジョヴ?」とロゼはくりかえす。悠一はもう声を出しちゃダメだと自分の口を抑える仕草をとり、しかし励ますために毅然とした顔で頷く。…それ以降、銃の音はしなかった。
数十分経って、悠一は確認をしようとロゼの手をにぎったまますこしだけ立ち、周囲にだれもいないことをみとめた。そして笑顔で頷いた。いつまでもいつまでも彼女を抱き締めていたかった、とかれは想った。ロゼがいるなら、ここでいつまでも暮らしかった、隣にずっといてほしかった。そう想っていた。
ロゼは安堵した顔をした。初めて見る安心にゆるんだ顔も、いとおしかった。
ロゼはしゃがみなおし、考え込むような顔でしばらく悠一の顔や花々やバッグに視線を逡巡させていたが、にっこりとかれに笑みを向けた後、バッグから赤みのつよいオレンジの飲み物の入ったペットボトルを二つとりだした。
片方を渡し、ロゼは自分の方をぐびぐびと飲んで──緊張で口が乾いていたのだろうか──喉を鳴らして飲みこむと悠一へにっこりした。
悠一も飲む。オレンジジュースに近い。変わった味だが美味しい、むしろ酸味がつよい天然の果実の甘さ、この国の果物だろうか。日本にはない味わいが、かれにはうれしぃ。完全に、悠一は海外旅行とロマンスをたのしんでいる。
ロゼは寝そべった。そして、すこし離れた隣を指す。え、と驚きながらも悠一は自分の胸を指す。ロゼは笑顔いっぱいな顔でうんうんと二度も頷く。
恐るおそる、といった様子でロゼから三十センチほど話された土に寝そべると、夢みた幸福の実現にはや泣いてしまいそうな気持、しかし、あろうことかロゼはもうすこしかれへ躰を寄せ、そっと手を握ったのである。心臓が早鐘を打った。ロゼは無防備にも眼を瞑る。先程の銃声があまりに気がかりだったが、しかし悠一も昨夜はロゼの幻想でいっぱいでよく眠れなかったし、緊張の反動からくる眠気におそわれて、五分も経てばぐっすりと眠りについていた。
ふっと微睡へ引きだされたようにぼんやりと眼を覚ます。躰が重く、気付かないうちに全く違った環境に疲弊していたことに気づく。隣の愛しいひとをみると、彼女はじっと悠一をみつめていた。
奇妙な表情をしていた。緊張に硬直したような顔付、瞼を降垂らし暗みを射すような眼差、しかし瞳孔をいっぱいにみひらかれている。そんな目でかれをじっと凝視していたようだが、かれと眼が合った瞬間、元の明るい笑顔に戻る。ああ。ほんとうに、可愛らしい笑顔だ。素直なのだ、このひとは。先刻の顔は、寝惚眼だからそうみえたのかもしれないと朧げに感じる。というのも、あんなにも鮮やかで線のはっきりして蠱惑を投げ放つようだった花々は、いま点描画さながらに鮮明さは熔け線は霧消したようだったのだから。どうであってもかれにとってこの女性がいとおしいことには変わりなく、おのずと喉から昇った言葉は、かれの正直な、淋しく徹るような、つい洩らされたほんとうの言葉に他ならないのだった。
「I love you.」
ロゼは、眼をふっと訝しげそうな猫のようにみひらかせた、おそらくや、響きが珍しかったようなご様子だ。
ふっと洩れた言葉が彼女には解らない英語で助かったと想った、しかし、生れてはじめて好きなひとに「君が好きだ」と伝えられたことに満足をし、そのまま重たい眠気のままに眼を閉じた。
眠りに沈むせつな、かなしげな顔をして脱力したようなロゼが、翳のように見えたような気がした。…
ロゼはホテルまで送ってくれた。そして、かれが寝ている間に書いてくれたのだろう、あるお手紙を渡してくれた。ロマンスめく出来事にかれの心は浮きだった。彼女は近くにいたホテルマンに何かをいい、ホテルマンが英語で翻訳してくれた。和訳をすると次の意味である。
「母国に戻ったら、読んでほしい。もう、この国にこれ以上いないほうがいい」
*
その後、二度とロゼは現れなかった
*
かれはロゼに逢いたいというだけの理由で数日街を散歩していたが目にすることはできず、ロゼからの忠告を今更だが守ろうと飛行機のチケットを購入し、計五泊の旅を終えた。
家にたどり着く。手紙をひらこうとする間、「街中でみたかの国の文字はさっぱり読めなかったので、翻訳サイトを使って読むのにどれくらいかかるだろうか」と考えていながら中の紙をひらく。
英語だった。想えば、昔その国は英語圏の国の植民地であった。
かれに先ず想起されたのは、「I love you.」と伝えたときのロゼの表情だった。見方を変えれば、驚いたような顔であったかもしれない。伝わったのだ。かれはそれだけで嬉しさに踊りだしたくなった、たとえ結ばれなくても、もう会えなくても、それだけでかれの淋しい心を、はや喪われたロマンスの美しさで光と満たした。
が、その内容はかれを愕然とさせ、読み終わると先ず恐怖にふるえ、のちにどっとのしかかるのは、かの国に在りつづけるロゼへの憐み、不安、そしてどうしようもない切なさが全部であった。
「Yvich(ユウイチのことだろう)こんにちは。あなたが無事日本へ戻れたことを祈っています。
英語が解らないふりをしてごめんなさい。でも、わたしはそうするしかなかったの。
わたしは、あなたを殺して、金を奪うためにちかづきました。日本人は、お金持ちです。花畑に行ったのは、眠らせて殺すためです。でも、あなたはいつも親切で、わたしに”I love you.”と伝えてくれて、あなたを殺すことができなくなってしまいました。わたしは辛い。この生活から逃げだしたい。あなたと一緒に死にたかった。
どうか、お元気で」
わなわなと震えた、男らしい弱さと脆さの噴出すような幼児じみた声で、わんわんと嗚咽した。くるしく、せつなく、いまにもロゼを抱き締めたくなった、しかしロゼは、いまもあのいつ死ぬかも判らない環境で、染めたくもない罪に染まり生きていかざるをえないのだとおもった。恋愛感情によるものでもあったけれど、ロゼが犯してきたであろう罪もどうしようもない事情によるものであるとしか想えなかった。それはけっして、ロゼの心の美しさをけがしやしないと想った。かれには植物を踏まないロゼの心の優しさをいまでも信じていたのだ、自分を好いてくれる男を殺せなかったという感情に、良心をみていたのだ。
かれは、ロゼも自分が好きなのかもしれないと想ってしまった、これはかれらしい愚かな錯覚ともいえるが、しかし異なる言語同士の感覚の違いによるロゼの書き方にも原因があるかもしれない。否、ほんとうにロゼが悠一を愛していたと、その可能性だってなきにしもあらずである。
あなたと一緒に死にたかった。
好きなひとにこう伝えられること、これほどに究極のロマンスが、果してこの世にあろうか? その愚かきわまる期待は、かれに切情を昇らせ、あるどこか犯罪者めいた決心をさせたのだった。
ロゼを日本に連れていき、一緒に暮らそう。
*
あんなにも怠け者だったかれは一か月で某国の言語がある程度聞き取れるようになり、簡単な文章なら読めるようになり、ある程度なら書けるようになり、なによりも日常会話くらいはなんとか話せるようになった。英語は理解しもらすまいと復習をくりかえした。時給は高いが負担のおおい肉体労働で金を稼ぎ、一か月半後には某国の空港を踏みしめていた。
懐かしい石張り、酷薄な陽を撥ね、火のような言葉が散らされる。ひとびとの明るい話し声の内容がききとれる、しかしその明るい口調に反して、その内容は悲惨であった。惨たらしかった。どこの地域で紛争があり友達が死んだ、また銃撃事件だ、警察なんていてもいなくても変わらない、俺の娘は警官に強姦されたが訴えても取り合ってくれない。悠一はなぜこんなに明るい口調で話すのだろうと想ったが、しかしそう強く撥ね返すように発音しなければ、この現実に耐えることはできないのかもしれないと悲く想い、歩いているだけで涙がとまらなかった。
街にたどり着いた。
立ちんぼのように歩道の隅に立つ。ロゼが来るかもしれないし、似たような生業の若い女性から話しかけられるかもしれない。一時間経ってこなかったら、まるでストーカーそのものであるが──否、既にしてそうであった──街のひとびとに、ロゼのことを聞こうと想っていた。
自分でもこの行為の愚かさ、不気味さを自覚していた、何をやっているんだと呆れ果てるような感情もあったが、ロゼも自分をおそらく好きなのだという期待が、かれの身を炎えあがらせるように衝き動かしていた。
とん、と肩を叩かれる。振り向いた。
若く、綺麗な女性だった。手を振り、笑顔をみせる。同じ手口だ。
悠一は黙って、この国の札束を手にもつ。この国では、数か月は食うものに困らないレベルだ。女性は驚いた顔をする。もじもじと欲しがりげな表情。悠一はこの国の言語で、条件を出した。
「情報をくれたら金を渡します。あなたの手口は知っている。ロゼという名の女性は、いまここにいますか」
口許を締めるように閉じた彼女、しばらく考え込むような顔でちらちらと周囲を見たが、意を決した様子で──ごくりと喉を鳴らしたところに、こんなに離れた国にあっても、やはり同じ人間なんだという感慨をもった──話し始めた。
「ロゼという名前を使っていた女性は、死にました」
放心した。その後顔は苦痛と切なさにぐにゃりと捻じ曲がり、躰から力が抜け落ち、膝がくずおれた。
「あのひとの旦那は働いていなくて、彼女だけがご存知の方法で収入をつくっていましたが、政府の軍隊の襲撃に巻き込まれ、家ごと吹っ飛ばされました。ある時から彼女は旅行者を騙すことをやめ、果物屋で働いていて、収入をつくれないと旦那からしょっちゅう殴られていましたが耐えてお金を渡しつづけました。彼女は旦那がずっと好きなんだと私にいってくれたことがあります」
悠一はその場にうずくまり、涙さえ流れぬ理不尽の現実に打ちのめされた心地、札束は石張にぱたりと落ち、女性はそれを拾ってさっと走っていった。かれは石張の歩道を眺めるよりほかはなかった。
…沈鬱に押し黙る硬質な石張に、他人行儀に一瞥するような太陽の光が、灼熱に炎えて剥がれる落葉のように墜落して重なり往き、カンと金属質な印象で撥ねられ、霧と弾けとぶ。つぎからつぎへと砂が毀れるように射す陽光、石張はそれを背で撥ねかえすしかないどうしようもなさを背に耐えさせながら、唯其処にありつづける。
理不尽。それには乾いた、硬い、どうしようもなく張りつめた失意の諦念があった。陽を照りかえすだけの、まっさらにあかるく、かろやかに火を消えさせる失望があった。押し黙り照らすよりほかのない現実には、憂鬱或いは倦怠なぞという甘ったるい名辞をつけられぬ。
失念。
失念。嗚、失念。失念を背に負い、干乾びた諦念を背広とし蔽うという生き方。死の矢に貫かれ血飛沫あげても不在に弾けるのみであるかのような、石膏の壁のような失意の念。
もしやロゼは──「ロゼ」はきっと偽名であろうが──花のように真紅なワンピースを躰に蔽わせて、生きるためにかたちづくった淋しいコケトリーを漂わせる顔を、花のような前のめりで男たちに示しつづけ、かなしい天衣無縫を虚空へ照らしひらひらさせるような大笑いを立てていた。しかしもしやその背には、砕け果てた灰褐色の、死装束にもみまがうしろい砂の衣装を張らせていたのだろうか。…
*
悠一は日本に帰り、意味のない音の羅列ばかりが脳裏で鳴りつづけることで言語思考を乱され、その乾いて失望させるくらいな明るさをもった特異なリズムに、散乱そして緊縛されたような矛盾の状態にがんじがらめになった。やがて医師から失語症の一種と診断されたが、かれにはそんな診断信じられない。名辞以前だ。この言語的状態は名辞以前だと、医師にここだけはと考え込まれた難解な熟語をくりかえした。
かれはまったくもって意味と内容の欠けた、言語構成、文法を砕くようにズタズタなグルーヴの詩を書きはじめた。脳裏で跳び撥ねる音楽のままにキーボードを叩き、やがてかれはみずからが歌うに相応しい主題というものを獲得したようだ。郷愁、追懐、恋慕、そして喪失を。それ等を円として孕んでいたのはまさしくかの失念であり、それはまるで死だけを産み落とすような全体であって、しかし、唯一人の女性が、唯ひとつの生々しいあたたかさをもった「生」の月翳が浮び上がるようであった。その観念は淋しく跳ねるオレンジの香気を、舞踊るように立ち昇らせるのだった。
「ロゼ」。
かのひとの心が欲しいというエゴのままに編まれた詩集に、恋した女性の名をつけるという、歴史上女に愛されず片恋の相手を美化する愚かきわまる男たちが犯しつづけた淋しく切ない罪に、わが手をドブドブと突込み濡らしていた。
のちに無為に為されたのは、かれが背負うにはあまりにかろやかないたみを伴う失念を、まるで補うような自責・自嘲・自覚のプライド・恥の情念。かれには、或いはプロアマ含め日本で文学なぞをやる人間の多くには、宿命として、まるで甘ったるく粘る湿度が必要なようであった。
僕のジュリエット
1
ユキヒコは、アキヒトのことを時々、「僕のジュリエット」と呼んだ。
「なら君は、僕のロミオだね」
とアキヒトが返すと、
「そうだよ」
そう恥ずかしげもなく、ユキヒコは頷くのだった。
仄めかされた恋愛の雰囲気を、単なる友人どうしのそれらしく冗談めかせる為のニュアンスの作為はもちろん、微笑の合図さえもふたりの関係は必要としないのだった。
かれ等は恋人どうしではなくて、寄宿舎の傍の薔薇園をいかにもただの親友らしく散歩したり、寮の相部屋でビル・エヴァンスのUNDERCURRENTをひとつのイヤホンで聴いたり、言葉数すくない会話を夜もすがら愉しみ相手の吐息に酔ってみたり、雨の夜ふと双の指がふれあった刹那たがいにそれを離さないでいたり、そんなふうにしてうら若き一季節をいっしょに過ごしていたのだった。
つまりふたりの関係はあくまで友人のそれに過ぎず、しかしそれはもっとも甘美な関係だったのかもしれなかった。
「僕は女性役なの?」
と気になっていたことを、アキヒトがある日訊いてみると、
「そういうわけじゃないよ」
とユキヒコは答える。
雨音のたえない日曜の午後だった。なんとなしにけだるかった。
きょうも空は真白に蔽われていて、透きとおったさみしいしずくはアスファルトの鍵盤へ墜落し、白く光る飛沫と硬質な短調をあたりいったいへ散らしまわっていた。
ふたりはとりわけ似ているわけではなかったが、いうなれば雨音に耳を澄ませすぎてしまう気質が、双方の共通点なのだった。この相似はふたりを少年らしいあまやかな感傷へ連れていき、おたがいが相手の耳を自分よりすぐれた美しいものだとして尊敬しあっていた。
かれ等は自分たちだけが、空の透明な涙を識っているものだと信じ込んでいた。
「じゃあなんでユキヒコがロミオなのさ」
アキヒトが訊くと、
「僕のほうが、」
と花のような唇をひらく。
オーディオの選局が切り替わった。
モーツァルト。レクイエム、涙の日。
雨音にすと編み込まれる、白の翳うつろう面紗に秘められた、かの向こうがわから降りそそぐ天上の金属音。それ等の織りなす、ぞっとさむけをもよおす死装束の真白なたなびき。…
かれ等は暫く、時が過ぎるままにする。
ユキヒコの瞼の肉はみょうにうすく、あらゆる光から眼を護るに適さない。ユキヒコは一種の過敏症で瞼をかゆがり腫らしてしまって、きょうその美貌をややそこなわせている。かれには瞳をおおう瞼がうとましいのだ。
かれの瞼はおもたげに垂れ、あたかも微睡んでいるかのよう。
ユキヒコは猫のように睡たげなまなざしで世界へ視線をなげ、ときに猫のようにきゃしゃな躰を世界から跳躍させる。…誤って墜落するのはいつだろうか?
くろぐろとした睫毛が落とす翳の下には、月のような瞳がきんと硬く燦いている。アキヒトにはいつも、それが遠いのだった。
…音楽が終わった。
古いオーディオは引き攣ったような音を立て、沈黙した。
「…僕のほうが、」
とふたたび言いなおす。
「君よりも早く死ねるからね」
「古風なカップルみたいなことをいうね」
「しかも死ぬのは君の腕のなかだ」
「なら僕は損じゃないか、とり残される側だ」
と笑ってみると、かれの蒼白の頬に身をよじるような思いをし、その石膏のように粉っぽい仏頂面に神経刺すような真冬の風景画をみて、アキヒトの躰はふるふると顫え、とめどなく涙が落ちてくるのだった。
*
ユキヒコは死に、アキヒトは残った。
純潔にみえるのは、いつも死者の追憶のほうだ。
*
卒業にともない長い寮生活を終え、アキヒトは東京の大学に通うため独り暮らしの部屋を借りた。
しんと静かな台所で、かれは空白を腕に抱きながら、「僕のロミオはどこへ行ったんだい」とつぶやいた。
2
死者は昇り、はや地上から喪われた。
遥か彼方の地で、喪失したもの等は、それへの供物としてきんと硬くひかっていた。
銀の月燦り、白を基調とし風になびく衣のように象牙色・真珠色へと陰影をうつろわせる天空がひろがり、吹雪舞い、音さえ立たぬ、白雪ふりつもる底のつめたさ、ときおりちらと姿をみせ霧消する狼の影、そのしずかな風景画は全体が青みがかっており、あらゆる輪郭線はかき消え茫洋な夢に融けていて、アキヒトはその幻影が、目も眩むばかりに烈しき感覚を喚び起すのを識った。
*
東京の大学はかれには退屈だった。重くのしかかる倦怠はかれを色っぽい眼差しのゆったりとした美青年へプロデュースをし、かの喪失が与えた空白はかれをあたかも知的で陰影ぶかい悩める男にみせかけたのだった。
これ等は近代の欧羅巴において、ともすれば賛美められがちな悪徳であったはずである。
ある少女たちは、アキヒトのことを蔭のある美男だと噂していた。
あんなさみしげな男にウェルテルを演じてほしいと、独文科の女学生はしごくまじめに語りあった。あのメランコリックな横顔はレイモン・ラディゲの生まれかわりの証拠であると、仏文科の女学生は「私そんなの信じてないわ」というような調子で囁きあった。そして英文科の沈鬱な女学生はかれこそロミオにふさわしいと、熱っぽく意図しない皮肉をとばすのだった。
つまりかれの雰囲気には悲劇の蔭きざす暗さがあったのであり、それが文学にかぶれたうら若き少女等になにかしら甘美なものを夢みせたのかもしれなかった。
*
かれははじめ仏文科にいた。象徴詩を研究しようとおもっていた。
が、大学で詩や小説、戯曲を勉強する自分にすぐさま幻滅したので、二年で宗教学科へ転科した。浮世ばなれし孤独なかれの雰囲気は、いかにも神秘の希求にふさわしいそれだと噂するものもあった。しかし宗教学にもすぐにあき果てた。かれはなんにもつづかなかった。なんにも為たくなかった。やがてファンたちもアキヒトの怠惰に幻滅し、熱は徐々に冷めて往った。そしてファンなるものは誰もいなくなった。
男子学生のなかで、もはや詩人になりそうだといまだに期待をかけるものもいた。しかしかれはなんにも書く気はなかった。なんにも成る気はなかった。そもそもあらゆる期待がかれには鬱陶しかった。他者の期待は自分を思うがままにコントロールしようとする自己本位な感情であると感じ、それに反感をもっていた。
かれにはあらゆる意欲が欠けていたのだった。
学校は休みがち、煙草の量は増えてゆく、食事も面倒なので不健全に痩せていく、いまここの精神状態から逃げだすためだけに、酒・ジャズ・サイケデリックロックを浴びるように享ける。「神経のせいだ」、フランソワーズ・サガンの小説の台詞を模し、みずからへいいわけする。かれの躰は悪徳のシャワーにうす汚れていった。堕落した自分に酔うあさましさを自覚しながら、その酩酊をよしとしていた。
いつの時代の青年にも往々みられる、倦怠、尊大な幻想、ほどほどの堕落。それ等が大学一年生のアキヒトの特徴なのだった。
かれはただ死こそ高貴であるという観念に引きずられていた。
ある種の死に美をみいだす、それはときに恐ろしい感覚を与えることがあるのである。生が、死に含まれるのだ。生のそれを、弧をえがく点の運動とし、やがて生誕と死が結びつく連想をして、その壮麗な円を死と見做すようになるのである。その円が月さながら凄まじい燦きを放つとき、彼等は、美しくない生を拒むようになる。生きている自分は醜いと僻むのである。そのように生きるくらいなら、はやばやと美しい死を遂げ、ただ自尊心を極まで回復したくなるのだ。
彼は、生きていたく、なかったのだ。
3
その日アキヒトはかれには珍しく映画を観た。
『マイ・プライベート・アイダホ』。
かれはいやしき共感をもってその名画をこころから愉しんだ。リヴァー・フェニックス演じるマイクはいかにも憐みを享けるべき純粋な美青年であって、とびきり可愛らしかった。観終わると満足げにベッドに倒れこみ、好きなシーンを脳裏で描きかれ等のイノセンスを気ままに弄った。存分に憐憫をそそぎこみわが心の動きに酔いしれた。
かれ等の不幸は手折られた花のそれのように可憐だった。
しかしかれにはひとつ解らないことがあったのだった。なぜマイクは自分を棄てた母親に逢おうとしたのだろう? いったいそれがなんになるだろう? みずからの誕生の根源と邂逅したいのであれば、かれは墓場にわが身を横臥え、土のように睡眠すればそれで好かった筈だ。
*
外に出た。雨が降っていた、無関心にはしり去るような音を立てて。
それがいったいなんだ? とかれは心でひとりごちた。これは心中の会話における口癖だった。会話の相手はいつもユキヒコだった、あるいはかれはユキヒコに酷似していた。アキヒトはいつのまにか夭折した親友の幻影を甦らせ脳裏で再構築していて、大学で話相手もいなかったのでたえずかれに話しかけていたのだった。
『きょうも雨だね』
『雨の音は好きだよ』
『僕もそうだ』
『都に雨の降るごとく、』とユキヒコは、ヴェルレエヌの詩句を口ずさむ。
こういうところが、アキヒトは好きだ。
『わが心にも涙降る』
『それがなんだっていうんだ?』
(笑い合う)
…アキヒトは一人歩きながら含み笑いをした。その笑いには自己への嘲笑が混じっていた。なぜといいこの突き放すような口癖は、かれの生の処世術を集約しているようにおもわれたから。
かれは虚無主義のポーズを取りながら、内心怯え斜にかまえた様子で世間と握手をし、一見全てを突き放しているようで実質妥協という、もっとも安全な友好関係をそれ等と結んでいたのだった。それでいて、生活上の義務の悉くはかれに軽蔑されていたのだった。かれはもっとも傷つきにくい生き方をしている強かな男だった。
*
かれは留年し、ふたたび転科した。二度めの二年では演劇学を勉強することにした。むろんそれもまたかれには退屈だった、というより、退屈だとかれはおもいたいのだった。講義の時間は気ままに脳裏でユキヒコの幻影を想い描き、時間を潰した。勉学に励む学生をさめた眼付で見遣った。実利的なことを熱っぽく議論する学生たちはかれのおもうままな軽蔑の対象だった。学生運動なんてその最たるものだった。かれはそれ等が現れたとき、無関心そうな顔の奥でむしろ嬉々とするのだった。
かれじしん、そういったところがみずからの欠点であることくらいは自覚していた。が、どうにもアキヒトは自己に生きづらさを与える、魂に睡るイノセンスを棄て切れないでいるのだった。
無垢で傷つきやすい自己を清らかでピュアなものとして、かれはそれを心のどこかで劇しく愛していたのである。ユキヒコの夭折は、僕等に共通する繊細な純潔性は、生存には向かないという事実を証明したのだとかれは認識していた。それはいかにも甘美で、ぽっと陶酔させるような感覚である。
そんなイノセンスは幻ではないか、その不安こそかれを現実の痛みへひきもどし、しかるべき苦痛をくるしませることを助けたのだった。そのせつなだけ、かれはきちんと学校へ通う気になった。
魂の無垢性は、醜い自己・きたならしい現実への嫌悪を生むであろう。すると穢れから免れているもう一方の自己、つまりイノセントな自己の存在を確認させるようにかれにはおもわれた。
だが、そんな清らかな魂が真に自己に秘められているかの厳密な判断は、かれにいつも留保され、それの為の精確な分析の予定はいつも先延ばしされたのだった。
かれはデカダンをうわべだけなぞり、価値や有用性という言葉を誰よりも侮りながら、むしろ誰よりも信仰していたのだった。かれはただある種の死にそれ等の究極を見た。そのほかを虚空の闇へ投げ棄てた、ただなげやりな無精さによって。
その頃、アキヒトへひそかに想いを寄せる奇矯な少女がいた。アミという学生で、留年したアキヒトの同級、かれの一つ年下だった。
彼女はアキヒトに反し、リアリストだった。たとい文学上のそれであっても、反逆とは市民のより善い便利な生活の為に為されるものだと信じていた。絶望は、観念的な悩みばかりにいそしむ青年の処世的態度に過ぎないと軽蔑していた。しかしそんなリアリズムが、かれの退廃的な生活態度に、なんらかの意味があるのではないかと推測させたのかもしれなかった。かれのデカダンスは、じつは能動的な反逆の為のそれではないかしらと彼女は忖度した。こういった錯覚は、アミがさまざまな意味でかれの遠いところにいるからこそ産み落とされたものかもしれない。
アミは自分がなぜアキヒトを好きなのか、よく理解していなかった。
ただ時折だけみせる無邪気そうな笑顔をアキヒトの本質であるとみなしていたという、あまりにも素朴な感覚によるのかもしれなかった。その笑顔をみたときの胸がきゅっと締め付けられる感じ、この感覚が嘘であるとはどうにもおもわれなかった。面倒そうな、か弱い青年。この先入観を覆すものは後になっても何もなかったけれど、どうにもこの炎えあがる恋は、せめて告白せずにはいられないくらい、つよい感情なのだった。
*
勇気をだして、アミはかれを呼びだした。
「好きです。付き合ってくれませんか」、ストレートにそう伝えた。
アキヒトはなぜかふだんどおり憂鬱な顔をしたままだった。
感情がアミにはいまいち読みとれなかった。私に愛されるというのが、そこまで憂鬱なのだろうか。しかし嫌ではなかった、かれは跳びあがるほど喜んでいたのだった。前述したアキヒトの個性から解るとおり、かれはむしろ自己愛がつよすぎるくらいなのだから。
このかもしだされた憂鬱な雰囲気は、かれの意図した印象効果であったのだった。かれは呼びだされた時から、次の行動を企画していたのだ。
「どうしてそんな顔するの?」
アミがおそるおそる訊くと、
「僕はね、」
といまかいまかと待ち望んでいた語りをはじめる。真剣な面持ちだ。瞳は暗鬱に翳り、視線は負い目があるように逸らされている。
「罪を犯しているんだ」
急に懺悔がはじまった。アミは唖然とした。
それは次のような話だった。
4
ユキヒコの死を手助けしたのは、アキヒトだったのである。夏の終わり、元来病弱だったユキヒコは、心身ともに衰弱していたのだった。とても自力では自殺できないくらいに。
「何によって死ぬつもりなの?」
と訊くと、
「迷惑を最小限にしたいな」
都合のいいことを、ユキヒコは言う。
「どうしても死ぬつもりなんだね?」
「生きる意味なんてないよ。苦しいだけさ。僕が生きることは僕以外にも悪だよ」
「…そうであるなら、」
とアキヒトは、震える声で言った。
「僕が、自殺を助けるよ」
「それはありがたい。ただ、捕まらないように気をつけてくれ」
ふっとため息をつく。
「生きていれば幸せになれるなんて、」
ユキヒコは言い放った。
「まったくの嘘だ。天上の嗚咽、地上の悲惨に四六時中耳をかたむけていれば、僕等には幸福になる資格なんてないと自覚する筈なんだ。幸せは、おめでたい人間の特権だ」
*
ユキヒコは森で死ぬことにした。
いい考えだね、とアキヒトは言った。それは単に、森で友人の自殺を見とどけることに感傷的なものを想起したからに過ぎなかった。かれは自殺を扶助することの重大さをいまいち解っていないのだった。
かれの大切にする世界はユキヒコと共にある生活のなかにしかなかった。そのなかで享受する芸術・かれとの対話のほかの教師をなにひとつ持たなかった。学校、かれ等にとってそこはとるにたらなかった。その認識はかれ等を不幸にし、被害妄想的に疎外者へ追いやった。
*
孤立と不幸に酔い痴れていた。うら若き美少年等は、憂鬱な森のおくふかくで横臥わり、身をよせあっている。静かだ。たがいの心臓の音がきこえるくらいに。もしユキヒコの鎖骨をゆびさきでなぞれば、すと肌の擦りあう音が森いっぱいに響きわたるだろうか。
鬱蒼としげる木々は、彫刻された額縁さながら。陽は木々の隙間から幽かに射しこむ。橙いろに照らされた情景は仄暗い。風が吹く。葉がかさかさと不穏な音を立てる。真白のアネモネのような自殺未遂者と、後ろめたげな眼をした自殺扶助者の関係性が、おそらくやこの絵画の主なるモチーフなのだった。
寮でいっしょになってはや二年過ぎ、漸く真にふたりきりになれた気分だ。ユキヒコは何十錠もの睡眠薬を飲んでいる。その錠剤のしろさはアキヒトにみょうな恐怖をあたえたが、無心なようすでユキヒコはそれを口にした。
自殺扶助者は未遂者が歩けなくなったらおぶって、発見されにくい深いところまで導いたのだった。いうなればかれがしたのは、それくらいだった。列車なんて一人で使えるに決まっていた。アキヒトは親友の自殺の支援よりも、自分が疑われないアリバイを作るほうに必死になっていた。ばかみたいだ、かれにもそうおもわれた。かれはユキヒコの死に加担したという罪悪を、欲望として秘かに背負いたかっただけなのかもしれなかった。
アキヒトはユキヒコの、きゃしゃなしろい手にふれた。指紋が付かないよう、純白のレザーの手袋で。
ユキヒコはそれを拒まなかった。
「朦朧としてきたよ」
睡たげな声でいう。あたかも陽だまりで微睡む猫だ。深刻な雰囲気がない。
アキヒコは言うべき言葉をずっとかんがえている。言いたい観念はただひとつ、しかしどう話すかを頭の中でこねくりまわしている。
「お別れだね」
ちからなく未遂者は囁いた。
「ねえ、」
アキヒトは、すこしばかりの勇気をふりしぼった。
かれは眼を閉ざしている。すでに殆どうごかない。その、水晶さながらぞっとするほど美しい蒼白の顔に、アキヒトは囁いた。
「…僕は、君が好きだ」
言い終えたが、返事はない。
ユキヒコは既に死んでいた。
死のむっと薫る蒼褪めた唇に、かれは接吻しようとした。が、唾液の付着が不安でそれをすることができないのだった。
かれはその場からしずかに離れた。
アキヒトはユキヒコに恋していた、そしてユキヒコは自分に恋してはいないことをアキヒトは知っていた。
…
5
事の顛末を語り終えたとき、かれは涙をながしていた。自分は、自殺扶助の罪に問われる可能性がたかいだろう。だから自信をもって君の好意に応えることができないんだ。青年が泣きながら罪を告白する様はじつに涙をさそうもので、それはおおくのひとびとの憐憫をもよおす情景であったかもしれない。
しかしアミは、かれを憐れんだりしなかった。なにか冷め果てたような気持で、終始自己憐憫しながら語られたアキヒトの自殺扶助の話を聴いていたのだった。
「そんなの、」
と女学生はかわいた声で言った。
「黙ってればいいだけじゃない。随分前だし、たいして悪いことしてないよ。だってその友達は死にたかったんでしょう?」
「そうだけど…」
アミはかれの煮え切らない態度に、苛立ってきた。
そもそも彼女は、アキヒトの罪悪の有無なんか訊いていなかった。ただ好意を伝え、私たちが恋人関係になれるかどうか、それを訊いた筈だった。訊かれてもない過去の罪を告白し、反応を窺うということは、一般的な考えでいうと、かれは自己を肯定されたがっており、救われることを希んでいるのだろう。
が、それだけでなく、かれに懺悔をさせたその意欲すべてが、あまりにも閉鎖的なエゴイズムではないかと、アミには感じられたのだった。誰かにいいたくて堪らなかった自慢話を聴かされるのを強いられたような心地さえしたのだ。
「そう、了解しました」
アミは事務的な調子でいう。
「じゃあ、貴方がその過去を乗り越えるまで、私は何もしません」
アキヒトは愕きに打たれた。かれは、アミは自分に泣きついて、私が貴方を支えるわと言ってもいいくらいに想定していたのだ。
淡白なアミの反応に、アキヒトは拍子抜けした。
「じゃあね」
アミは去った。愚かな男は呆然と立ちすくんだ。
*
やがてアキヒトは、線路に身を投げ死んだ。ジュリエットがロミオの死につづくのは、やや時差があったのだった。しかしそれだけであった。かれは着実に、すこぶる丁寧に自殺をなし遂げた。教授や学生たちはかれの繊細さを想い、憂いた。そう、いかにも孤独で生きづらそうな青年だった。悲劇であった。
しかしアミはそうは考えなかった。
かなしんでも仕様がないものを哀しめるのが、あたかも撰ばれし繊細さの証拠であると認識し、ありもしない罪を嬉々とみずから希んで背負い、見栄に操られわざわざ聴き手に女を選んで懺悔したがり、くるしむ必然のない苦痛にこのんで悶え、遂に自殺したアキヒトのことが、彼女のようにドライなリアリストには、もはや滑稽にさえおもわれたのだった。
アミからすれば、かれに発見されるのはイノセンスなんかでなく虚栄とエゴイズム、そして病的な臆病さであった。くわえて、自力で生きる気が一切ないようにおもわれた。
かれのような男は、弱さまでみずからの感傷的な虚栄を満たす為にもちい、それのみではあき足らず、架空の罪まで構築し、わが虚栄に捧げ、二十歳を超えても尚、リアリズムより自己憐憫を優先させてしまうのね。
もし男であるかぎり感傷的な虚栄からは逃れられないのであれば、権力や経済力を得るにいたるまでの涙ぐましい苦労を語らせる、やや退屈にかたむきがちな成功者の虚栄のほうが、よっぽどアミにはこのましい。なぜって獲得したものだから。
彼等が志向したようなある種の悲劇ごのみ、それは疎外感を有す自己を正当でピュアなものだとかんがえたがる心情が、その幻想の引き起こす欲望を満たす究極の形のラストを感受し、それを美しいと認識すること、そしてそれを美しいと認識し得る自己を愛することによって、自己憐憫と結びついた一種の自己肯定をしたいという心の動きが欲する趣味であるというかんがえをアミは持っていた。それはまごうことなく、自分にも在るものであった。女はそれを突き放していた。
弱さこそ人間の性質において、最も無個性なものである、女はそうかんがえていたのだった。私の弱さと、アキヒトのそれはそっくりだ。その弱さを慈しむことは、ときにそうでない人間を憎み軽蔑する孤独な傲慢さへ彼等を導き、その心の動きによって、さらに生きるのが苦しくなるようにおもう。弱さ、アミいわくそれは権力だとかそういうものではない、理想・欲望の実現を諦め閉じこもることをさせるそれのことだ、そこから脱したいというのは、生物の自然な運動であるように女にはおもわれていた。
わが弱さに抵抗することを止めた人間は、心のどこかに欺瞞がカラクリのように施されているのではないか。
べつに、彼女は強さ・弱さに優劣を見ない、生きづらい人間が劣っているなんてそんなことはないとかんがえている、ときに逃げても好い、ただ、「本当にそう生きたいの?」と訝っているのである。女は死んだ男たちよりよっぽどニヒリストだった。
アミは、生きづらさを抱える、いわば社会秩序と折り合いのわるい人間が、生き抜く為に試行錯誤して独自の秩序を構築し、それへの貞節の為にわが弱さに抵抗する過程、そこにこそその人間固有の美しさが生まれるというふうにかんがえていた。それがアミの人間の趣味であった。
彼女からすれば、この終わりはもはや喜劇のそれにふさわしいとまでおもわれた。女は、喉元をふっと昇る乾いた笑いに、からからと身をふるわせた。
水光のたほれ
わたしの伯父の話をしようとおもう。
伯父は母の兄であり、わたしの祖父母の住む家にずっと住んでいたのだった。いわゆる実家暮らしという身分がかれのそれであって、働いてはいたようだがしばしば体調を崩して家に籠り、また働きはじめるかそのまま辞職と転職をくりかえしていたという。かなしい病を患い17歳から通院していたようで、わたしはこれ等の話を高校生になって知った。それというのも母は兄である伯父のことをあまり語りたがらなく、父もまた義兄であるかれのことを語ることがほとんどなかったから。
なんとなしにタブーとされ、容貌すら記憶になかった伯父のイメージから幼少期だったわたしが受けとったのは、ヴェールに包まれた秘密の中年妖精、後ろめたさと綾織られたミステリアスな存在というそれであったが、実際にかれときちんと話したのは、わたしが小学校に入って数学年を経てからである。
伯父はわたしが赤ちゃんのとき時々くらいは顔を覗きにきていたらしい、そして淋しそうな顔でほほ笑み、お話しようともせずに部屋に戻っていたそうだ。むろんわたしはかれに見つめられたその時の記憶などなかった。
かれと初めて話した時の話。
母の実家に行き、内気ではあったが時々大胆な行為によく驚かれる少女だったわたしは、皆が買い物かなにかで家を空けていたので伯父の部屋の扉をとんとんと叩いたのだ。
ややあって扉がひらき、淋しげにくすぶったような眼の男が現れてわたしを見た。その眸は怪訝そうでもなく、わたしに対する嫌悪も感じられない。うん? と首をかしげる。柔かい真顔であった。その表情でかれは自分を嫌ってはいないのだとわたしは想い喜んで、当時このんでいた女児向けお菓子付玩具のセボンスターのネックレスを首元から掲げて、にっこりと笑ってみた。
はらり、と葉が落ちるような印象の音楽に似ていた、かれの浮べたかよわい自然な笑みがそれであった。偽装り笑いをするのが苦手な、淋しくよわい種族のするそれであった。
「かわいいね、似合ってるよ」
声もまた、かよわい風のようであった、すなわち頬にあたるぶんには心地よいのだが、とどめたり、吹きとばしかえすのは容易であろう、そう想像される話し方。おそらくや弱気で舐められやすいタイプだろうというのが当時わたしの受けた印象であったが、いま想えば、その感覚にまちがいはなかっただろうとおもう。
その表情と言葉は当時のわたしには優しそうに映ったし、退屈と淋しさをもてあましていたわたしに「遊ぼう」といわしめたのも無理はなかった。わたしは内気ではあったが本来ひと懐っこい性格をしており、ひとに相手にされるのが嬉しい年ごろ。かれのふしぎなほどに若くみえる顔が──三十であったが、大学生といっても通用しそうで、いま写真をみるとあどけない雰囲気がはや不穏なほどだ──母に似ているのもまた、わたしがかれに懐いた理由のひとつである。
「いまね、お留守番してるの。もうすぐママたちが帰ってくるんだよ」
「この部屋は煙草くさいから、庭にいこう」
たしかにけむたい部屋で、なにかが焼けた癖のある香りがしていた。変わった煙草の香りであった。本がおびただしく、整理されていないのでまるでごった返していた。本棚には二列だったり三列だったりしてひどく乱雑に並べられ、その上にも適当に置いて重なっている始末、ベッドの下には溢れかえる本たちがはみ出してつまずいてしまいそうであった。机は本のタワーでいっぱい。壁には何枚かの暗みのある絵や写真がかかり、わたしの写真も一枚あってすこし嬉しかった。
わたしたちは庭園に行き、伯父からさまざまな花の名前を教えてもらった。
「この植物はなんていうの?」
「これはね、アネモネ」
うつむいて、暗みのある声で柔らかくいう。声は低いが、憐れなほどに細く、いわゆるもっともききとりづらいぼそぼそとした声質である。だが、女性への印象はそれほどにわるくない話し方であったように想う。
「これは春に咲くんだよ」
と、まだ花のないアネモネを説明してくれる。
「春になったら、また見に来るといいよ」
そういってやつれた顔をわたしに向け、淋しげにふっと笑みを浮べる。わたしと話すのがあたかも後ろめたいとでも想っているような、此方の顔色をうかがうおどおどとした身振り、それに反して、おのれに閉ざされたように内省的で暗い表情。わたしは残酷にもかれはあらゆる意味で弱い人間なのだと裁いたが、しかしかれのことがきらいという感情はなく、どちらかといえば好感をもっていた。わたしは遊んでもらっているというよりも、淋しそうな年上の男と遊んであげているという気分でいるのだった。
季節は十一月、夕方になると重たいコートかダウンを羽織らないと寒い時期である。
「おじさん、四葉のクローバーを探したい」
そういうと此方を向く伯父の顔はどこかほころんでいるようだった、きみょうなほどに若くみえる顔が、少年のようにきらきらとした。まるで暗みの奥に澄む眸が、めいっぱいの星空のように群青色に照ったかのよう。
「いいね、そういうことをやってみたいと、ずっとおもってたよ」
わたしたちが這ってクローバーを探していると皆が帰ってきて、
「圭子、何をしているの?」
と母にきかれ、
「おじちゃんと四葉のクローバーを探しているの!」
といっぱいの笑みで叫んだ。
「戻りなさい」
いつも酔って大騒ぎをし、わたしを溺愛している祖父が、しんと冷たい声でいう。
「ぼくも、部屋に戻るよ」
伯父はそういって、二階の部屋に戻った。
*
帰り道、伯父と何を話したかを母に訊かれ、お花の話と答えると、
「あんまり、話しかけちゃダメだよ。事情があるひとだから」
と注意をされた。かれがいつも自分を除け者として団欒から距離をとっていて、いつも後ろめたい目をしているのを、想いだした。
「どうして? ママのお兄ちゃんでしょう」
「どうしてもだよ」
「圭子、パパと遊ぼう」
「パパはお花に詳しくないじゃん」
「一緒に図鑑を読もう」
「わたしは花が好きなんじゃなくて、おじさんと花を見るのが好きなの」
パパは悲しい顔をした。やさしい顔を、くしゃりとこわす。素朴なやさしさと大人びた義務の観念を両立させてしまったくるしい生き方が、表情にしばしば出るひとである。
「兄に似るのかな、」
と母がひとりごとのように低い声でささやき、
「なんでもない」
と、いいなおした。
わたしはその後ろめたいふんいきに、躰をかたくしていた。大人の醸す不穏な空気に抗ってはいけない、わたしはそれをまなんでいる年齢であった。
*
それからたびたび祖父母の家に行き、こっそりと二階の部屋に行っては、伯父から「戻って」と柔らかい声で一階へ行くことを促された。恋人へかける声のような話し方の伯父のそれに、わたしはすこしだけコケティッシュな悪戯っこのような感情をもっていた。そういう感情もあって、しばしば扉をそっと叩くことをくりかえしていたのだった。
毎年わたしの誕生日とクリスマスには、三人全員のニット帽や、Tシャツが届いた。わたしたちはそれを身につけたが、誰がくれたのかははぐらかされる。ひっそりとベランダに行き段ボールをみると、母の旧姓の下に、「亮平」という男性の名前。いまとなっては伯父のフルネームであると確信をもてるが、当時からこれは伯父からもらったものだと信じ、嬉しさにとびはねる心地なのだった。
話せないなら、と、いちどお手紙を書いてみた。文面はほとんど覚えていないが、「わたしが色々な楽しいところを教えてあげる」というような、上から目線な内容であったことをおぼえている。かれはきっと、それを知らないのだろう。だからあんな憐れな雰囲気をしているのだ。
わたしはかれのことを、守ってあげなければという意識に駆られていた。それはけっして好きな男に対するそれではなく、たとえば疵を負った動物や、生存力のよわいちいさな生物へのそれであった。かわゆらしい、そんな気持はたしかにあったけれども。されどわたしが伯父へなんらかのいたわりの気持を向けていたこと、それは真実であったと、わたしは想う。
*
しばらく返事はない、と思っていたら荷物が届いて、中身はかわいらしく小さな花の図鑑、そして愛情と優しさを謳った幾つかの童話の短編集、それはささやかなわたしへの愛情だと感じた。お手紙の返事はなかった。二冊の本だけが入っていた。いま想えばこれはかれの被害者意識による礼儀であった。
もはや春であった。
わたしたちはそれからしばらくして、また母の実家へと向った。
わたしは親と祖父母の目を盗んで伯父の部屋の戸を叩いたが、返事はない。こっそり扉を開くと雑多に本が重ねられた部屋のなかに伯父は不在、わたしは走って庭へ行った。かれはきっと、花を愛でているにちがいない。わたしはなんだかかれのことを愛おしく想っていたが、やはり、そこには軽蔑があった。かよわいが少しばかりの優しさと重たすぎる少年っぽさが残るかれを守ってあげるために、話しかけてあげねばというやや傲慢ではあるがあながち良心ではないともいいきれぬ感情があり、わたしは、母の伯父に対する冷たさを酷いものだと想いこんでいたのだ。
わたしはいまとなっては親の感じ方がまっとうで、人間らしい欠点はあるけれど母も父も年相応の立派な美徳をもち、いわゆる、大人の良識的な思い遣りのある人間だと気づいているが、そのときのわたしはまるで大人の狡さとちょっとした悪意の隠し方を怖ろしく想っていたのだった。そのなかで伯父のよわさと淋しさはまるでわたしたちの年頃のそれ等を守護しているようであり、そんな浮世ばなれした中年のやつれた妖精のような伯父を大切にしなければいけないというような自己本位な感情が、当時のわたしにあったのである。まるでわたしはイノセンスという観念をかれの淋しげな眸に託していたのだけれど、はや十八となったわたしはその観念の投影が誤りであったと知っている。それが幼さのみせた幻想だったと知っている。かれ特有の狡さ、悪意、惨めきわまりない弱さをのちに母から聞いて、わたしは以前とはべつの軽蔑心をかれに対してもっている。
しかしかのような弱さを三十になってももちつづけていたというのはどことなしにロマンがあったと感じるのもまた、ひとのサガであるように想う。柔かい領域を硬き背骨に締めたような心意気がもしやあったのかもしれないし、しかしそれもまたわたしの淋しい願望の投影であったのかもしれない。わたしは高校生の時かれのような印象の翳りのある男と恋愛をしたのだが、すぐに見切りをつけた。かよわい風のような男は、女を、けっして幸福にしない。それは、ただ、吹きつけるのみである。恋愛の幸福とはともに手を結び幸福或いは不幸へ互いに引き往かれるものであり、かのような男たちは独りでおのが真空に足を浸すのみ。女に、なにも与えやしない。のみならず与えられることを拒み、怖れ、与え合いふたりで前へ進む戦いから逃げ、しかし、隣にはいてほしいという甘えだけを示す。真空に足を置いている、苦痛をいたんでいる、それだけが、かれ等の自恃なのだから。だが、やはりそこには詩人めくロマンチシズムがあったのではと、たしかに、はや強くなって了ったわたしたちに感じさせることがある。
伯父はようやく咲いたアネモネの花畑にやや小柄な躰を埋めていたのだった、それはふしぎな情景であって、というのも伯父の皮膚はあたかも点描のようにかすかで淡い空気のように化しており、緑の風景との調和がまるで過剰、そのなかで、まっしろの花々のほうがむしろどぎついほどに鮮明にみえていたのである。その揺らめく鮮明な白はやはり死の風景をわたしに連想させたのであり、わたしの視界は一刹那それがゆびをのばして両目を蔽うようにまっしろへ剥がれた、想わずわたしは、かれのことを小さく叫ぶように呼んでいた。
「おじちゃん」
伯父は此方を向いた、だらりと垂れた瞼からふっと洩れたような眸の光をわたしへ射し、はじめてわたしに偽装られた笑いをむけた。青年のように青々しい領域に佇んでいる顔が、こつぜんと三十の老化により引き攣ったような、何歳とも知れない、不気味な笑み。かれの作り笑いはいかにもいびつで、あわれげであった。
わたしはどっと斃れこむように風景へ溶けこんで往く、伯父の水の光のような躰をみた、こつぜんと風景がまっさらに剥かれてかれの肉体は雲散霧消したような気がしたが、むろんそれは幻想であったに相違ない。わたしはそれを見る迄まるでかれを抱き締めたいような愛情をもっていたのだが、それをみとめたせつなにかれとは関わってはいけないのだと確信をした、それは女のもつ、したたかな直感であったのかもしれぬ。
わたしはその日のその後の記憶が全くない。伯父へのある種特殊な感情もいまとなってはとおく現在のわたしとは切り離されたそれであり、やはりというべきか、母のいった言葉が正しいものであったと殆ど確信をしている。
*
伯父はその数日後に、事故で死んだ。
気品
──いいえ、結構です。
はや老人の私は、妻とともにこの沈むタイタニック号に残ることにいたします、どうか身分にかかわらず、まだ未来のあるわかき良心を優先してボートにおのせください。私が貴族の階級で男だから優先されるなんてことを、私じしんは一切望んでおりません。ええ、そこの女性の方、私の代わりに、この席にどうぞ。私は病に倒れた妻の俟つ部屋に戻ります。この船はいまにも沈没しかかっておりますから、さあ、お早く。貴女にも愛している方々がいらっしゃる、そして貴女を愛している方々がいらっしゃるでしょう、さあボートにおのりなさい、貴女には愛している方々がいらっしゃる。
貴女はこころ遣いをありがとうと私におっしゃってくださる、私こそ、私こそその心あるお言葉を感謝いたしましょう。私は妻の俟つ部屋へ還ることにいたします、さながらにうるわしい私たちの恋の追憶がこもれ陽と射すように私たち夫婦は死にめざめ、手を握り、老いて刻まれ削がれた妻の美しい躰を抱いて、されば永遠の恋人の接吻に微睡むように瞼を降ろす、そして御天の荘厳な瞼をしゃんと銀に衣ずれする如くに私たちは死を迎えることでしょう、私たちは老いて衰えた力をふりしぼり、しなるようなうでで愛するひとを抱き締めることでしょう。
ええ、お気になさらず、貴女には愛している方がいらっしゃる、私にも、幸運なことに私にも、愛している妻がいるのですよ。おなじこと。おなじことですよ。
最期に、老人の言葉を貴女に残してもよろしいですか、ええ、私は何者でもありませんが、ただ貴族という血に生れついた男であるために優先して逃げることを望まれ、そして、ほんとうの気品というものを守護するために妻と此の船に残る、そんな何でもない無名の老人の言葉を、最後に聴いてくださいますか。
躰は使うためにあり、心は愛するためにあるのです。
*
──フリージア。恐れないで。ぼくは此処にいる。ぼくは此処にいる。ぼくは傍にいて、君をちからいっぱい抱き締めている、生きて血のかよう腕で、君をせいいっぱいに抱いている。いろいろなことがあった、フリージア、いろいろなことがあったね。私はお前を愛しえていたのかいまでもかんがえつづけているが、しかしフリージア、君を愛していたと断言することだってできるのだよ。
躰がふるえているね。ぼくもだよ。君を抱くことで救われているのはぼくにほかならないのだ。幾つになっても、死ぬのは怖いものだ。君だけじゃない、そこは安心しておくれ。
ぼくはわが貞節を守護するために君とともに海の深みで真珠さながらに睡ることをえらんだが、ほんのすこし、逃げてしまおうかというかんがえがぼくの脳裏にはしったのもまた事実なんだ。そのちいさなピンを撥ねかえしたのは君がぼくに与えてくれた愛であり、ぼく等が積みあげた信頼とそれへの信頼だ。その愛と信頼が死の暗みという永遠に解け、そして深みへ沈み往く、そしてぼく等の生命が還るという、それだけのことだ。おそれないで、ぼくはいま君を抱き締めているのだから。
シーツを被ろう、まっしろなシーツだね、灯のきえた部屋で、シーツの清らかな陰翳が月の光をまるで辷らせているようだね。このシーツを被る君はさながら花嫁衣裳を着ているようにみえるよ、あの頃を想いだす、君の美しさはあれから磨かれた、生きてきた、生きて傷負いぼくらは歌った。そのシーツに包まれた君はけだし美しいよ、ああフリージア! フリージア! フリージア! …
水嵩がベッドを殆ど超えてしまいそうだ、しかし互いにふるえがおさまってきたね。ぼく等の心臓はまるで調和している、君は僕を愛してくれたね、なによりも、ぼくのことを信じてくれたね、君がぼくが戻ることを要求したわけではないけれど、ぼくは君とともに死ななければいけないと考えるぼくのぼくに対する信頼に、こたえなければいけなかった。愛は問題ではない。愛し抜くという貞節の守護だけが問題なんだ。さあ、シーツを深く被ろう、頭まで被ってしまおう、もう、互いの顔しかみえないだろう? もっと近くへおいで、君を、靭くつよく抱き締めるから。キスを享けてください。いいかい? 眼を閉じて。…
もう一度、いま、結婚しよう。死をみすえぼくと旅立とうとする君の勇気は、けだし花嫁の優美だ。フリージア、ぼくの名前を呼んで。ぼくの名前を呼んで。最期にぼくを、君と愛し合った君にとって特別な存在として引きあげておくれ。
…フリージア。愛しているよ。
ナンセンスな恋愛なんてナンセンス