犬死論
うら若き病める詩性の喪失を憂う
レイモン・ラディゲの如き二十歳で夭折した小説家、かれいうなれば永遠の少年として僕等の想念の裡に残ってもいるけれど、たとえばゲエテの如き老年の冬を迎えた詩人にも亦、少年の時代があったというのは至極当然のことである。
然し、その当然の事実にどことなく意外な印象を受けるのも亦人間の性であろうか、かの懐柔温和な表情をしているも深い格闘と努力と知性の彫刻され陰翳された大老詩人の容貌を、まるで生れた時からそんな顔であったというような甚だおかしい錯覚におちいっているのも、亦けっして珍しいことではないように想う。
想えば詩人の多くは短命である、それは詩の世界なぞというともすれば不幸の観念の湖へなりえる徒な魂と言葉の戦場へ身投したのだから、その宿命ははや業といえるそれであるかもしれない、だが、なかには長命とはいえずともアルチュール・ランボオのように詩と絶縁し強く生きたものもある。あるいはエミリ・ディキンソンのそれのように、生前詩を書いていたことすら知られなかった閉じ籠り人の、ひっそりと部屋の抽斗に仕舞われた甚だ傑れた詩編だってある。従って、いまだ何処か古い家の押入なぞに埋れている素晴らしいそれだってあるであろうし、或いは最早、灰と消えてしまったそれ等だってあることであろう。僕はこの夢想を何処までも慈しみ、まるで不在を抱くように、切断され僕等と結ばれなかった芸術があったという現実を切なく抱き締める。
僕、青津なんかには、次の想いに冷たい泡沫の果敢なさをみすえるような切情が込みあげるのだけれども、多くひとが詩を書くのは十代の時分であり、そのわけ、おそらくやうら若きが故に秩序と乖離し病んで了った魂の、どぎつく或いは静謐に炎ゆり迸る衝動のぶつけるところが無くうろうろと腕を降り捜して、結局詩という表現形式で現実・日常の言語なき自分自身の言葉を叩き込むほかなかったからであり、病める少年少女こそ多くそんな行為をしえるのは、未だ、かれ等の言葉が秩序のそれに染まっていないから、かれ等の魂が含まれていないからというような──まるで青春を美化するような妄念だけれども──そんな感慨を、僕いまだに所有し続けているのである。そして、たいていの詩を書く少年少女は病める時期をのりこえ小鹿を撃ち殺し社会的にも精神的にも大人になって、勇気をもって世間に踏み込んでおのずと詩を棄てて、現実と日常を、現実・日常の言語で生きて往くのだろうか。
僕のように三十前にして相も変わらず詩を書き殴る連中はまるで取り残されているようなものだ、詩書きとは秩序におけるどうしようもない遅刻魔、社会の不適合者だって少なくないように想う、徒な荒波にふるえる脚を沈めガタガタと其処で耐え、時間ばかりが疲弊した貌へ吹付け後方へ後方へ曳き流れるばかりの状況にあるのが、たとえば僕という「我犬死詩人」と無惨をひらきなおり大言壮語するロクデナシであって、わが同胞達の唯一無二の杖、それこそが文学というインチキな幻影な毀れやすい玩具な、然し、大切な大切な柔らかく靭いしろものでもあるのだった。
うら若き、詩を書くひとよ。
奔く、はやく詩なんか棄てちまえ。生きるのをもうすこし楽にするためにうごき、赦されたという実感の寝台に睡り、楽になった分を良識的に努力して、前をみすえて生きるのだ。僕だって、そうしようとしていたよ。
然し、しかしどうしても君に、呪われた幾夜を翔ばせ断末魔を連続させる劇薬、或いは渇くような淋しさを滔々と微睡にみちびく催眠剤を必要とするのなら──その、文学という君の哀れげな杖を棄てること勿れ。嗚どうせ、君なんかには棄てられもしないだろう。その御大切な杖を愛するが故に投げ棄てることなぞできやせず、泣きじゃくりながらそれを抱き死を眼窩に視ながら睡るのが君の生活であるのなら、苦肉の裡でおのずと歌が喉を突き昇るのなら、君は歌え。叫べ。啜り泣け。香気の溜息を吐息せよ。
されば、君の詩を、僕に読ませておくれ。
書く。生きるように。或いは死んで、わが身を追悼するように、死の翳を風景とし幻と反芻させ磔にするように。して、歌うように生き、既に書いたように、死ぬ。才能なぞ勘定にいれぬ、それでも尚書いているのなら、君は、もう詩人である筈だよ。
犬死論
1 犬死の風景
滅びの美学、なぞという、難解きわまるロマン的思想を語る者ではないけれども、「犬死」なる曖昧模糊とした概念、そいつを語ることをぼくは数年来目論んできた。犬死。この、生誕を起点とし死へ弧をえがくであろう点の運動の終点を、「犬死」という惨たらしいかたちで終わらせる生き方、乃至死に方。ぼくはこれを論じるという目標にあたって敗北すること必至であるが、しかし、それは犬死と全くもっておなじ結末であるに相違ないだろう。何故といい犬死とは、敗北と失墜を宿命とするけだし無惨な死をいうからだ。
扨て、ぼくと犬死という風景との邂逅、そいつはきっと、幼少期のぼくを咽び泣かせ、少年期のぼくを狂わせ、青年期のぼくをズタズタにしていただいたかのオスカー・ワイルドの童話、「幸福の王子」にあったことだろう。虚栄の欲、人間にとって肉の属すそれともみまがう輝かしい宝石群・金属片を、魂から肉がひきはなされるようにして剥がし落し、果ては棄てられる薄汚い像へと堕落して往く幸福の王子の風景。王子に憧れ、さながら天から降る神の愛を魂が照らし合わせた為に、おなじような光を鏡と発して死んでいったかのようにみせて滅びた、地へ墜落したツバメの死骸の風景。これ等、みごとなまでにぼくの脳裏をはなれないのである。
ぼくはこれを、一時期は「自己犠牲」や「殉死」という高貴な言葉をつかって見ていたのだった、しかし、そんな旧日本めく貴族趣味を棄ててみれば、こんな死に方、ある種の「犬死」である。自己の欲心実現の努力の放棄だ。若しや魂のみ歓びはしたかもしれぬ、しかし、殆ど生きる喜びからの逃走だ。獲得の逆をゆく放擲のうごきだ。もしや自己を無へ帰するまであらゆるものを剥がし落す、切なくも淋しき狂気的努力だ。無我に走るエゴの一つだ。ただツバメには、王子への恋があった、「御大切」、若しや愛すらあった、そうと読めはしないだろうか。
粗筋は割愛する。
こいつはぼくの考えでは、王子は基督の象徴であって、ツバメは信仰者のそれなのである。基督の教えに感動し信仰心をもった人間は、天の光への憧れを介し、無償の愛に似たものを発せられる。然り無償の愛とはいいきれまい、しかし、「無償の愛ではないとはいい切れない」、そういうものを。ワイルドはこんな悲壮な観念を、この寓話で謳いあげているのではないか。手を知に突っ込み泥に汚れるがようにおのが才能に穢れにけがれた天才ワイルドの、秘められていた無垢なる悲願がこの作品にこもっているように想われる。ぼくはこの解釈をけっして信じているわけではないし、しかし、信仰心は無償の愛めくうごきに導きはしないと嗤うものでもない。疑る。ぼくの基本的態度とは、それである。そして、最期のさいごに空の美しさを信じられれば、万事においてそれでいい。
*
犬死の歴史を遡ればキリがないだろう、それは地球上初の生命に起源を辿れるに決まっていて──子孫を残したという意味ではあたらないだろうか──すくなくとも歴史に名を刻んだ先人を遥かに超える無為な命が犬死を迎え、果てをいえば、きっと地球はいつや犬死し、宇宙も亦爆発・消滅の宿命を待つために犬死することだろう。犬死とは、報われない無駄な死に方のことである。宇宙すらも犬死するといっては身も蓋もない、しかし、そこまで話を巨大にしてしまえば、あらゆる生命は犬死の宿命を待つようにしかおもわれぬ。子孫を作った。社会に貢献するものを残した。歴史に残った。だからなんだ、永遠なぞ、それの保証された遺される貢献なぞ、絶対的な価値なぞ、この世にはないのだ。いつや、あらゆる価値は断ち切られる。人間は徒なる努力をし、霧消の宿命の愛を与え、受け、幻の光を抱き、消える。それを繰り返す。先人が足場をつくり、現代人がそれを踏みしめ、或いは壊し、その卑俗なうごきを繰り返す。それ故に生というかたちは卑小であるというほかははく、亦俗悪な光で壮麗に耀き立つともいえるのだけれども。これを、ぼくいわく「生のkitsch」という。
さればここで、犬死の範囲をもうすこし限定する必要があるだろう。あらゆる生は犬死を迎える、なぜといいどうせ人間は死んでしまい無と果て、なにか仕事を遺したとしても宇宙は爆発し果てるから、といっては、わが憧れの死を語るまでもない。なんの努力をしなくとも死を待ってそれを迎えれば、それが犬死ということにしかなるまい。くわえて、すべては犬死を迎える宿命にあるというニヒリズムは所詮情緒的気分のようなものであって、「気付けばその虚空で深みは終わり(そして其処より黎明が射し浮ぶ)」というようなものではないのか。ここでは、語るにあたいせぬ。
されば、犬死とはなにか。
ざっくりといえば、いわく、努力してきた生を刹那で無駄にする、当人にとって甲斐のない、報われない死に方のことである。青々とした虚しい光に照らされるような、後方へ曳くもの何等なく、跡には無惨な骸のほかなき死に方のことである。
ここでは、能動的な犬死と已むにやまれぬそれの双方に共通するものをいっており、後述でそれ等を分析する予定であるけれども、先ずはここでそう書いておきたい。
死に方に、自尊心の意味での報酬、社会的な意味での生産性などあってはならない。死後の未来性など期待してはならない。それまでの生を感謝され、当人が喜んではならない。できることならその骸は、鼻をつまんで通りすぎてゆくひとびとの一瞥が辷るような無惨な姿で横臥わっているべきだ。見棄てられ路上で果てる犬の如く、無為に死ななければならぬ。最期のせつなに、社会的な結びつきを悉く破棄せねばならぬ。
能動的なそれにおいて理想をいうならば──虚栄の肉を剥ぎ落し、魂という水晶を青薔薇へ剥き、砕け燦爛と反映を上げる破片を鮮血ともなわせ雪景色に突き刺すように、あるいはまだみぬ友へきがるに抛るように──ここに未来への期待がありえるという矛盾があるからして、それは限界まで虚栄を剥いだ悲願であらねばならぬ──死ななければならぬ。
しかし、矛盾することをいうが、「憧れを求める者」には、虚栄というものを肉から剥ぎ落すことはおそらくやできぬ。価値を信じることによって自己を信じえるというのは、一種の虚栄ともいえるからである。従って、犬死を求める者は、犬死したいという虚栄を追究し、せめて付着するものを削ぎ、この世でももっとも勁つよいもの、「純粋さ」へ磨きぬくほかはないとぼくは考える。
告白しておこう。青津の犬死への願望の出発点、これはなにかを呪っていたことに発していたのだ。現在でも尚、人間が生きているということに伴う、心の在り方における当たり前の義務を、放棄したい気持がある。たしかに、外部の秩序が与える言語に思考のシステムが含まれることを、ぼくは断固拒んでいる。もしや生誕を呪い、現実を呪い、理不尽なる現実の神殿に、当てつけさながら、現実の理不尽という神殿へわが死骸を思いきり抛りたかったのかもしれぬ──いや、いま想えば、嘗てはそうだったのだった。ここに、犬死願望の内包する肉欲が発見されうる。しかも現実への恨み晴らしという、非常な醜さ・不潔さを有すそれが。秩序に含まれるくらいなら、滅茶苦茶に思考しうごいて秩序の与える生き方・言語を駄々そのものとして撥ねとばし、逆行していこうといううごきであるといえようか。
ここを剥ぎ落すのが、当然、犬死に必要な手続だ。
然り。犬死の歴史はまるで呪詛に塗りつぶされているのかもしれず、しかし、ぼくはここで、そうではない犬死をどうにか語りたいのだ。
わが憧憬、かの思想家、貴女は、果たして。
たとえこの身が泥のかたまりとなり果てても、
なにひとつ穢さずにいたい。
──シモーヌ・ヴェイユ「カイエ」より
*
ぼくは犬死という概念に、ある一つの確信をもっているのかもしれない。
犬死とは、あらゆる生のluxuryを抛ったために沈み昇り残る、ある種もっともluxuryな死のことである。
折角生れてきたのだ、一度きりの人生だ、幸福になるため、価値あるものを獲得し、他者への与える幸福とすりあわせながら自らの欲心を実現する為に争えば、もしやそうなれるかもしれぬ。すればひとを愛し、愛されるかもしれぬ。社会的な価値に結ばれたみずからの価値が保証された形で、ひとの役にたちえる。感謝され、他者からの評価もえられうる。献身と献身を結ぶ弧のうごきの折重なる人間社会の線描とはやはり尊いもので、ぼくは、それの与える言語に思考システムを内包させない生き方を肯定しているだけ、けっして社会構造を否定する者ではない。
折角生きることができるのに、生に付随しえる良きものの獲得ではなく放棄と剥ぎ落すうごきに邁進し、通説的な幸福なんぞから逆行し、軽蔑さえせず──ぼくの考えではそれをするならば犬死にあたらぬ、それはデカダンだ──或る貞節を抱き、ありとある潤んだ期待をはらはらと払い落して往き、乾き往き、限りなく無にちかづいた途上で、果てるということ。刹那を永遠に連ねようとし、永遠を刹那に磔にしようとする、受けた恩恵を台無しにし当人の生きたい生を生き苦しみたい苦しみを苦しむというけだし我儘な生を生き、最期に死にたい死を死にえるかもしれないという、この、真暗な希望に満ちたluxuryな終着点。
嗚、貞節。それをのみ、抛っては、ならぬ。
永遠とは、空無の暗みであるとぼくは考えるけれども、それは所詮、推測であるにすぎぬ。その幻に、身を賭けるのが犬死だ。
これが犬死詩人のゆかねばならぬ路であり、淪落の音楽によって摺り堕ちて往く際に下方へ曳かれ落ちる爪痕、わが乾いた期待の投影され死で分断される生の未来性である。余りに観念的、そうとしてしか語りえぬそれであるから論じること如何にも不可能──ぼくはいつもタイトルから言訳を置いて逃げる──わが身には実現可能かすら、あるいは「果してそんな死がありえるのか」すら、ぼくには判らぬ。生を享けたにもかかわらず人生をほとんど台無し、ただ自分の本心に従った淋しき無為な銀の迸りのうごきに、砕けた泥の身をほうっと委ねる。青空に浮ぶ墓だけに、真暗闇の魂を置き、肉の領域を徒なる嵐に引き裂かせる。然り。ぼくはまだ犬死に至りえる生を達成する途上、模索の段階にまだある、とんでもない生き方の悲痛なる果て、それが犬死なのである。
2 犬死詩人とデカダン
嗚。デカダン。
歴史には、或いは現代にも、そんな人種がいるらしい。デカダンとは、犬死詩人にどこか似ている。秩序の与える言語への訝り、社会構造の促す方向からの逆行、破滅への志向という点においてである。デカダンという概念は、「デカダンス」が芸術の作風なぞを指すことが多いのに対し、芸術家の「生活態度」の一つをいうとぼくは解釈している。ざっくりといえば、頽廃的で、破滅的なそれをいうことが多い。たとえばジェラール・ネルヴァルなぞは「ネルヴァルの生涯と文学」という評伝を信じるのなら、晩年は殊にデカダンらしい生き方をし、犬死といえないこともない最期を迎えたであろう。認められず、発狂すらし、ボオドレールいわく「仏蘭西でもっとも穢れた場所」をわざわざ選んで、首を吊った。貴族帽を被ってぶら下っていたが引き落ちるときに吹っ飛ぶ筈の状態であったらしい、果してかれはそれを最後まで誇り帽子じしんが踏ん張りその状況を守護したのか──ぼくはそんな説信じちゃいない──、吹きとばされたそれを誰かがのせたのか、或いはただの悪戯か、いまいち不明であるようだ。後述するが犬死にも何か自恃のようなものが残りえるので、どちらであってもぼくはかれの死を「犬死的といえなくもない死」という言い方に位置付けたい。
犬死詩人とデカダンというのは、やはり重なる領域を有す。御想像のとおり、若しこんな人間が増えたなら、秩序がまわらないのではないだろうか。ぼくはここに、むしろ札束を塔からばらまいたり、遊びに身を投じ火のような快楽に燃え破産したり、そういった、どうしようもないロクデナシな生き方との親和性を見るのである。従って、犬死はやはりluxuryな要素を有す。
一章で、ざっくりと犬死の風景乃至音楽を、ぼくは語ってきた、そして二章において、デカダンという問題を提起した。これ以降は、書きながら追究しなけれなならぬ。犬死詩人とデカダンは似ているが、屹度、デカダンの相貌を明るめることで、差異を追究することで、もう少し犬死の輪郭がみえてくるであろう。犬死とは何か、それを識りたいという意欲に、ぼくは従う。これが、堕落した生活に沈んだ故に肉の深みから昇る、ほんとうの意欲であると、ぼくは信じていたいから。この、深みの心に従うのが、犬死へ導くと考えているのだから。
堕落論。
嗚。そんな作品が、あったようだ。いうまでもなく「犬死論」というタイトルは、これのオマージュである。坂口安吾、かれはぼくをロクデナシにさせる勇気をくれた。ぼくは摺り堕ち乍ら翔べない翼の筋力を鍛え、いつや不合理へ(超自然、神秘へ)トリップしたいという共通点に置いて、坂口とヴェイユを並べる者だ。
*
デカダンには色々な形があるが、ぼくに馴染み深い二つをとりだしてみよう、勝手に名前をつけることを許していただきたい。「象徴派的デカダン」と、「戦後無頼派的デカダン」である。ここを分けうる鍵は、不羈・仮面・好戦性なぞであろう。
*
前者はおそらく十九世紀仏蘭西発祥の生活態度であり、近代性に否を叩きつけ、中世欧羅巴、古代希臘、ペルシャなぞの近代文明的ではない時代性の表現・作風・思想へ憧れに従い恰も逆行、まるで社会との不適合を誇りにし、逃げるように荒んだ幻想世界へ埋没し、現実を唾棄するようにそれに背を向け、芸術と放蕩とクスリに溺れた。生産性なぞ糞くらえ、こんな社会に貢献してたまるものかとでもいいたげに働かず趣味的な芸術愛好に耽ることを誇り、「趣味に生きる我等、貴族的ディレッタント也」といいたげな不遜さ、多くは借金亦借金、体調が悪くなってくること当然の生活であるから蒼白のこけた頬や痩せ細った躰、やつれた表情、憂いげな目元が容貌としてできあがってくる。その姿に不健全なる美をみいだし(この美意識は世紀末的で、亦ゴシックカルチャーにも影響を与えているだろう)、またやつれた感受性をつよく打つやつれた地獄の美を志向する。やつれた感受性は、やつれた美を愛するようにぼくは想う。求めていたのはかく破滅させうる悪書や悪酒、どこまでも主観的美意識を描いた、結局はロマン派的ともいえる不健全な頽廃芸術、そして男を破滅させる魔性の女、蠱惑的なファム・ファタルである──この女性像に果してリアリティがあるのが、ぼくには疑問であるけれども。
興味をもたれた方は、ユイスマンスの「さかしま」を読んで、デ・ゼッサントの生き方、考え方を注視してほしい。あれは典型的である、というかあれの真似事をして体調を壊した芸術家が十九世紀末にはとくに夥しいはずだ。いまになっても美大等で時々発見されるらしい。
飽くまでぼくの考えであるが、その態度をした芸術家を例とあげると、程度や種類には相違あれど、仏蘭西のシャルル・ボオドレール、ヴィリエ・リラダン、ポール・ヴェルレエヌ、二十までのアルチュール・ランボオ、英吉利のオスカー・ワイルドなぞである。日本にはいないように想う、というか「詩とデカダンス」という唐木順三の著作にあったが、文化の土壌がちがう為に日本人がやるのはナンセンスであるように考える。大手拓二はボオドレールに多大な影響を受けているが、余りにも詩檀と無関係、詩によって世間と接する機会がなく、どことなしに犬死詩人らしい雰囲気がある。マラルメは態度でいうと高踏派的な印象があり、総合知識人のイメージのヴァレリーにはそういう生活態度を感じたことがない。ラフォルグは余りに慎ましすぎる。最もデカダンらしいといえるのはやはりヴェルレエヌではないだろうか。
強いていうならだが、かなり発露の仕方や生活はちがうけれども──本人は青白い世紀末を嫌っていた──日本でいうと、三島由紀夫がすこし共通点をもっている。憧憬へのうごきといおうか、残酷な冷然硬質へのやつれた美的感受性といおうか、作風のデカダンスの立ち込める香気というか、そういうものがどことなく似ている。実際、少年期の愛読書の一つに、齋藤磯雄翻訳のリラダンの短編をあげている。
*
後者で一般に有名なのは太宰治、戦後、日本の昭和に沸き起こり外れた領域で蟠った、無頼派という一種文学的ギャング集団ともいえるひとびとが為した態度に代表される。
世間に背を向けて現実逃避し、理想・わが抱く美を求めつづけた象徴派的デカダンに対し、無頼派という輩はどこまでも人懐っこい。
いわば他者や社会と関わりたくてかかわりたくて仕方がないタイプ、それ故に、非常な好戦性を有していたようだ。さまざまな作家、特に当時権威だった作家たちに牙を剥き(志賀直哉と無頼派はたしかに相性がわるかっただろう)、時代へ喧嘩をうりつづけ、社会の上層、そしてオトナ(石川淳のエッセイよりこの言い方を拝借)を疑い、批判し、アンチテーゼを叩きつけ、人性の根の領域から、人間・社会・歴史を、根っこから疑った。すべてのひとに付属した「人性」といういまだ在るか判らぬものを心から信頼──如何にも、これはシモーヌ・ヴェイユのいう「魂」、カミュのいう「人間性」にちかいであろう──「人間は、みな、同じものだ」と虚無の息吐くように謳った。
象徴派的デカダンたちはそのディレッタンティズムゆえに貴族趣味なところがあり、大衆を下にみて嘲ったが、無頼派はリベラルではある印象、むしろ庶民に与する立場である。織田作之助の「夫婦善哉」、坂口安吾の「白痴」にある、私欲のままに行動する下層で生きる人間の、薄汚くも人性に正直な弧の絡まり合う生活環境は、たとえば三島由紀夫の「音楽」のラスト付近に出てくる町に酷似しているが、三島が冷たい筆致で町と町のひとびとを軽蔑するように書いていたのに反し、無頼のふたりは愛情をもって描いている印象があった。かれ等は、人に付属する素朴なサガを、信頼していたようにやはり想う。
しかしクスリ、酒、放蕩、恰も子供の衝動の儘のようにワガママな行動。ひとに飢えたかれ等は女性と狂ったように遊びまくり、やはり、頽廃的な生活を送った。「これが人間だ」、そうしわがれ声で呻くように。
太宰治は重い心の問題を抱えクスリに溺れて愛人と自殺、明らかにヒロポンの打ち方の度が過ぎている織田作之助も夭折(戦後にははや亡くなっていたが、ここにいれるよりほかあるまい生き方であった)、田中英光はその迸る暴力と抑圧の性欲の匂いの濃ゆい滅茶苦茶私小説に矛盾しない生き方をし太宰の墓の前で腕を切りまくって自殺。ヒロポンを打って三日四晩書き殴って致死量のアドルムを飲み入院で済んだ坂口は例外的に四十九まで生き抜いた、「舌がもつれる」という、芸術家の死の刹那の言葉にしては平凡な、幾分か滑稽な、ある種かれらしい肉体質の情報報告を遺して倒れ殆ど即死、これは躰の頑強さがとびぬけていたからであるように想う。
かれ等のおおくはどこか愛着の問題を抱えていたように感じられ、精神的に余りに不安定な作家が多い。鬼のような自己批判・自己省察によって血まみれの手より掻きだされた人性追求の言葉たち、さながら、「人間なんてこんなものだ」と小説や生活で世間へ投げだしたような破滅的なうごきがしばしばみられたが、ここには、或るひとたちにとっての光があった。救われないという救いがあった。生きることを生きる勇気を、かれ等の文学は与えた。
かれ等の文学は愛に飢えた社会不適合者から愛好されている印象で、ぼくは作品だけでなく、無頼派の作家たちも無頼派の愛読者の多くも人間として好きなひとが多い。「無頼派」はほかにもいるが、「戦後無頼派的デカダン」としてぼくがしっくりくるのは太宰治、坂口安吾、織田作之助、田中英光。無頼派とみなされている作家で一冊も読んでいないひともいることはここで書いておかねばなるまい。無頼派扱いはされていないが、かれ等と交流があった詩人中原中也もそうかもしれない、朔太郎も指摘していたように、すくなくともデカダンといえることは間違いがあるまい。甘ったれたアンニュイデカダンのような少年的態度だったが、如何にも好戦的で酒浸りのボロボロな生活であった。中也がヴェルレエヌとランボオにもっとも強い影響を受けていたことは、双方の一領域がやはり重なりえて、結びつきえるのではないかと考えさせる。
*
象徴派的デカダンは、いわば仮面を美しく装飾し、重ねづけし、魂の歪みの個性を誇る、うす暗い気取り屋である。その作品は病気が謳われた美文調に装う文学ともいえ、病める眸によって視覚した地獄の美、或いは其処で鳴る病的な音楽をまるで象徴派的表現構造に磔にした。高踏派に影響を受けていることもあり、古色蒼然な表現・様式をこのんだ。
翻って戦後無頼派的デカダンという連中、虚栄や縛られた言語を削ぎ落した裸を晒し全我で生きようとし、素朴な魂の価値を信じ愛した知的原始人、敢えて日本の伝統的な文章から離れた卑俗な言葉をつかった。生真面目に、生真面目に、「人間とは何か」という主題と格闘した。
双方のおおくの作家に、破滅へ突き進む狂信的な異教徒的信念とエネルギーがみいだされる、その力は、肉体に付属した欲心の深みに宿るように想う。
70年代パンクが主張した、「自分に正直であれ」という言葉がある。これはデカダンとは何かを解く鍵でもあるかもしれない、だが、ぼくはそう纏める気はない。意味のひろく包容力のある言葉は苦手である。
シモーヌ・ヴェイユならば、これ等のうごきをさせるものを「低劣な動機」というのではないだろうかと推測されるが、亦彼女が書いたように、そういうエネルギーは強力で、殆ど死ぬまで無尽蔵である時がある──残念ながら、デカダンの首領であるヴェルレエヌは力尽きたけれども。
しかし、敢えて謳おう。かれ等のデカダン生活は、破滅は、けだし天晴であった。
*
わがデカダン観については結構書いたつもりだが、もう少し付き合ってほしい。犬死とデカダンを整理するうえで、デカダンとは何かを再び考えなければならないのである。
デカダンの意味とは、獲得なのである。
逆向きの獲得のうごきに裏づけられている生き方、それがデカダンなのである。
象徴派的デカダンは近代からの逆さま、神秘と幻想へのうごきがある。それが病的な美意識に描かれていることに、「古いタイプの俺たちは近代に在る、それが俺たちを病的にした」というような時代性が宿った。
従って、象徴派的表現に影響を受けるのは構わない筈だが(というよりも象徴派は現代アートのはしりであるから、影響を受けないのがむずかしい)、令和に在る日本人にはその時代性と対応した作風がかならずや必要であり、そこにボオドレールとランボオの主張したモダニテという言葉の意味が重要になる。たとえば世紀末とは爛れたオレンジと蒼褪めたブルーの色彩を有すが、現代だと、ぼくは象牙色にうつろい真白と蒼と銀の風景に真紅が一条刺すような神秘イメージを抱いているため、その色彩を象徴させている。
戦後無頼派的デカダンは旧日本からの逆さまで、個の欲心追求のうごきであるだろう。
この点で、放擲のうごきを自己に課す犬死詩人との、明らかな相違がみられるのである。
例を「さかしま」からとるが、かれは先ず経済力と貴族の称号があり、棄てたのは世俗的生活と健康な体調くらい、夥しいアートを収集し、ひとを軽蔑し、陥れ(失敗したが)、金銭を費やして娼婦と寝て、自尊心はようよう昇り、大好きな夢と幻想に憩いをえる。消耗してゆくのは金と健康であった。
デカダンには、デカダンのプライドがあるのである──犬死詩人には、自恃のみがある。後述。
象徴派的デカダンにおいては、デカダンだから偉いのだという裏返しの虚栄、軽蔑や暴言を光栄とみなすプライドがある。この自恃は大きく、そして無数にあるのである。無数にあるというよりは、つぎつぎと獲得してゆくのである。ボオドレール先生の御尊顔をみてほしい、随分に倨傲な顔をしている。荒んだ眼元がかれらしいが、その落ち窪んだ眼がきっとこちらを睨みつけていて、サディストらしい冷酷な雰囲気もあり、いわゆる偉そうである。服装は完璧、大仮面家、大美意識家、自己韜晦の専門家であるかれ、さすがのファッションセンスである。ぼくはむしろこういうみずからを高貴と確信する倨傲さに頗るクールな印象を受けるが、これはけっして犬死詩人の顔ではない。
無頼派は、たとえば坂口は「売れたい、いい生活がしたい、モテたい」というような野心を自然な感情としてとらえ、それに蓋をするな、うじうじそれのない生活を呪うな、それの獲得のために争えと肉体質な言葉を語り、「人生はつくるものだ」、と上へ上で積みあげるイメージの勇壮な人生観をもっていた。ぼくはこの考えをじつは犬死という概念に包含してみたいのだが、坂口のメッセージそのままの意味だと、きっと含みえない。深い野心を達成するためにほかの欲望を叩きのめすストイックな男であったが、基本的には戦い獲得する強い人間であった。対談で「恋人は何人もいる」とさらり豪語していたのが、ぼくには新鮮であった。
それでは、犬死のうごきとはなにか。
再三いうように、剥ぎ落し、抛るそれである。核を、疵に磨くそれである。
犬死をめざすから俺は偉いだとか、売れないから才能があるんだとか、そういう意識を先ず剥ぐ、いたみによって。自己省察、注視、理不尽に跳びこんでズタズタにわが身を傷つけることによって。人生はかれにもつくるものだが、上へ積みあげるのではなく、湖に王国を月影として逆さまで沈めてゆくのである。理不尽というのは必ずしも人間社会でなくてもいい、森でも海でも、エミリ・ディキンソンのように部屋でもいい。欲望を叩きすえられ肉欲が消耗してある種奴隷化した、しかし真の主人と繋がりえる貞節のみを守護したために、現実を仮の主人としてしか従属していない憧れに腕を振る人間が、理不尽に後頭部をぐいと押さえつけられながらも唯一つの憧れをみすえ、昇るうごきで摺り堕ちてゆく、剥がれ、剥がれ、人間の核である魂、睡る水晶が漸く光をためいきし、歌う。犬死とは、その刹那に、果てにある。それが永遠を照らすのではないという危険な感受性に賭ける愚か者、そいつを、犬死詩人という。
何を獲得したか?──何も獲得しやしない。
或いは無垢と信頼へ、還ることができたのみだ。
犬死とデカダンスは重なる領域があるのみで、全くもって別のものである。
*
甲斐なき努力の美しさ、我は、その美に惹かれた。
──太宰治「逆光」
3 犬死詩人列伝
犬死という報われぬ死によって包含された生き方をかんがえるうえでぼくが問題にせねばならないのは、中年以降殆ど実家から出なかったという伝えのあるアメリカの詩人、かのエミリ・ディキンソンであろう。
彼女の詩は死後抽斗から発見され、家族ですら彼女が詩を書いていることを知らなかった。ぼくの日常会話でせいいっぱいの拙い英語力であってもある程度は読めるくらいの平易な言葉のなかにほうっと光る神へのひたむきな憧れ、素朴にして壮麗な、あるいは限りなく単純で少ない線に引かれた舞踏の脚の曳く後光のような比喩表現、秘められたユーモアの愛らしい個性なぞをぼくなんかは愛読していて、薄さもあって出掛けるときに携える本のなかでも彼女の岩波文庫の詩集は頻繁にもつほうであるけれども、彼女ほどに慎ましく、抑制亦抑制の生き方をした詩人もそうはいまい。たしかに死後アメリカ文学・基督教世界における大詩人となりはやエミリの詩は古典となっているのだけれども、然し、一度プロの詩人にみてもらい余り褒めてもらえず──恥ずかしくなったのか、或いはちがう理由なのかは解らないが──その後数回はなにかに投稿し載ったものの、書いては抽斗に仕舞うをくりかえし出版の意思を示さなかったのにもかかわらず、傑れた詩を書き残したことは人間にはまるで稀有なことであり、犬死詩人を自称するぼくをして多大な励みを与えるのである。佳い作品を書きたい。佳い作品を書きたい。これは、わたしが絶対に抛れぬ欲心である。エミリのような詩人の作品がまだ何処かに睡っているかもしれないというのはロマンチックだが、既にして燃やされているのならば殊更に美しい。
エドガー・アラン・ポオという詩人がいる。推理小説をはじめて書いたことで知られるが実質文学におけるありとあるジャンルで卓越した幽玄きわまる個性的な作品を遺したかれ──前述の象徴派に多大な影響を与え、崇拝された──愛する妻を喪った悲しみ、作品が売れず経済的にくるしい状況等に耐えられなかったのか、アルコールと阿片に溺れ路上で斃れた。儘に病院へ担がれて死んだ。然り。路上に斃れるとはまさに犬死的で、けだし無残な野良犬の死に方である。ぼくはこの死に方に荘厳な風景をつよい暗示として視るのであるが、しかし、かれは若い頃に作家としてデビューをし一時期はある程度流行もした、作品を書き上げれば載せてくれる出版社もあり、批評家から酷評されていたがつまり相手にされていたということ、みずからが編集長となって雑誌に載せるという機会にも恵まれていた。しかしみずからによって抛ったのではないがあらゆるものが剥ぎ落されていきむごたらしい死へ往きついて了ったかれの生を、そこまで破滅へ突き進まざるをえなかった狂気を、ぼくは尊敬する。かれは最期に、おそらくやすべてを剥奪された。傑れた作品は、数十年歴史に睡った。これは前述の已むにやまれぬ犬死であるが、たしかに、犬死的とはいえるだろう。
翻ってエミリは流行どころか出版すらしていない、自費であっても、である。
エミリに「自分は世に出る才能はない」という意識のようなものがあったのかは解らない。だが、孤独な生活に矛盾するような形で、その内奥に「何かと結びつきたい」「愛されたい」というひそやかな悲願があったのは詩を読めば想像できる。それを、折る。断つ。抑制し、目をとぢる。そして、一つのそれとの結びを、さいごまで俟つ。犬死とは空と連続するという妄念を連想させる死に方であり、ご褒美を最後にとっておくタイプの人間の志向であるかもしれない。
それをすら期待せず死を迎えうるというのは不羈の絶望に立った稀有な詩人の為せること、死に方は不明だが中世詩人且近代ニヒリストなフランソワ・ヴィヨンがそういう印象である。泉の傍らで喉が渇いて死んでやるという歌は、けだし勇壮である。
犬死詩人とは、けっして、ニヒリストではない。あやうく、原初にとどまりやつれた四肢で野原を彷徨う、幼稚なロマンチストである。
こどもが綺麗な石ころを、大切なひとに渡すようなきがるさで、星空に詩を残す。ぼくはそのイメージへ届こうと、この星空文庫に詩を載せつづけている。この期に及んでも、わが詩編に淋しさを癒される概念的な意味での少年少女がいたらいいなと思ってしまうのは、さみしい人間のサガであろうか。
4 積雪に斃れる無垢を歌う
生きようとする人間は、ましてや憧れを求める人間は、むろん、すべてを抛ることなぞできやしない。犬死を志す詩人には、むしろ貞節が、絶対的に守護しなければならぬ我と「わたし」との約束が、必ず必要になるのだ。さもなくば、砕ける。
ここに、ぼくは犬死を成立しえる上で、絶対に勘定にいれなければならぬ条件を提示する。
犬死とは──少年的で、少女的である。
ここだけは、譲れぬ。
王子に恋した燕、青年を愛したナイチンゲールを、少年的・少女的でないと誰がいえようか? それを守護していないと嘲うひとにぼくは与しない。それを磨きさえし清楚を疵に剥いて清ませ、清らかな空と射しちがえてもいいという清らかな死への憧れを、あなただけはどうか笑わないでおくれ。
犬死とは、けだし清楚な生き方の結末だ。積雪に一条の水音がしたたる、しにぎわの鶴の幽かな叫びさながらの音楽と光に終わる一種の劇だ。染まることを拒みつづけ、むきだしの神経をいためる「少年性」に佇み、不在の「少女性」へと争い、無垢へ剥き、睡る水晶はまっさらな光を毀す、それが、まっさらに剥かれた空より射す光と結ばれる、或いは刺しちがえる。して、死ぬ。
*
少年とは、佇むひとである。
その激痛を与える閉ざされた領域にうずくまって閉ざされることをえらび、躰をうごかさず、そこで肉から突き出るような怒りにふるえ、憂いにいたみ、憧れつづける。そこに、「少年性」がある。
*
少女とは、争うひとである。
けっして手にできぬ「少女性」を求め疵を負ううごきに、少女の聖性が血と綾織り、肉を駆ける。いたまなければ、それは月影として浮ぶことができず、しかも、それはむろん影にすぎず、それを投影させる月は、無い。彼女の夢想の裡で、しずかに悲痛に磨かれるのみだ。
*
つまり少年性というものは、時々はみられうる。少女性をもつ程には苦しくなく、亦一時期は通過することが少なくないであろう。幾らかの少女も、この領域をとおりすぎる。ぼくの周囲には、何故か、けっこういた。サリンジャーやフィッツジェラルドの著作に、それが淋しく切なく歌いあげられている。夭折したロックスターなぞは、その領域から出られずに肉が果てたといえるかもしれぬ。
だが、少女性というものをみたことが、ぼくには殆どない。
それはともすれば残酷な行為をしえて、幻想風景のなかに薔薇さながらの血潮を浴びて笑う、無垢のそれとして表象されることがある。夜空が墜落したような群青の硝子の風景で、魔法少女のコスチュームを着て鏡へ鉈を突き刺して、水音のように澄んだ声で泣き喚くようなあやうさがある。
少女性をえがいた文学に、危険な悪書ではないものを、ぼくは知らない。ゴシックやホラーや幻想小説の形式をおおくとっている。おおく血と硝子と御伽噺の香水の薫がする。唯一のハッピーエンドは少女が大人になったもので、つまりは少女性の崩壊こそが幸せな路、たとえば倉橋由美子の「聖少女」はハッピーな終末で、非情にもぼくは落胆したくらいだ。
青津亮は、少女性をいだき闘いつづけて、生き抜いた先をみたいのだ。それを、書きたい。歌いたい。
少女性も少年性も病的なものだが、より危いのは少女性ではないだろうか。少女性と現実との対決は、余りにもくるしい。そこに、独特の病める美が表象する。病的に透明、果敢なげに尖鋭。炎えあがる不在、月に腕ふる無為な血と肉、それと綾織る青き聖性の幻。壮麗な硝子に創負う魂の鮮血の、豪奢な素材を夥しく放り入れ燃えあがらせた故に世にも透明な香水の薫。高潔なぞではない。低潔の美。そういうものが。
犬死は双方を結ぶものであるが、むずかしいのは少女的なうごきをしつづけられるかということで、三十男のぼくは、いまどううごけばいいのかわからなくなってきている。
*
三島由紀夫は少年期伊東静雄を敬愛していたが、詩を携えて訪れるとけなされて帰らされて了った。それ以来伊東をきらっていたようだが、「わがひとに与ふる哀歌」と「春の雪」の結末の酷似、まっさらな積雪に斃れる少年の清楚な印象の死、かれ等おなじ憧れを抱いていたのだという感慨を、ぼくは感じとる。積雪に斃れるというのは、けだし美しい犬死だ。
聴いてください。
清楚は、無疵をいうんじゃない。瑕負うに伴い、磨くものだ。
語ってきた「少年」「少女」は、通常の少年と少女とは概念が異なる。ぼくは前述の少年少女を「概念少年」「概念少女」という名をつけている。何故といいこれ等の概念は年齢の問題ではない、魂の問題であるから。たとえば中学の教室を眺めてみて、殆どそういう人間は発見されないだろう。淋しいことに、おおくが外れ者で、外れ者でなくても、不可視の痛みを抱えている。
少年性・少女性を守護し、無垢へ剥がし落しつづけるという生き方は、大方精神をやつれさせる、躰は病む。荒んだ眼元の奥の眸が、さながら淋しいくらいに澄んでいるよう。そんな容貌ができあがることが、多いだろう。友人にいるのだ、そういう詩人が。
かれ等、彼女等は死とスレスレの領域に片足で爪先立ちであって、ふらりと揺れて自死をえらぶことも少なくはない。魂はズタズタに疵ついているから、ふっと刹那の美へ身投しえるだろう。美という観念は、「我」をせつなで投げだすことがあるのだから。
かれらの少年性・少女性は蝶のように綺麗で果敢なげ、大人の手から逃げつづける美のような観念だが、じつは、八本脚の異端者なる種族がなかにはいるのかもしれない。
若しやこういったひとびとは、少年性・少女性と決別したくないかた佇み争うのではないのかもしれない──そういう風にしか生きられないひとが、いるのかもしれない。
5 絶筆詩
シモーヌ・ヴェイユの死亡診断書より。
「栄養失調と肺結核による心筋層の衰弱から生じた心臓衰弱。患者は精神錯乱をきたして食事を拒否、自ら生命を絶った。」
硝子盤
僕には現実が、精緻な装飾の施された、表面を冷めたく燦らせる硝子盤のように見えることがあった。そいつには、秩序という名の複雑怪奇なカラクリが張り巡り、しかしそれは虚無と、逆さに振っても落ちるものなき身も蓋もない真実、そいつとどうにも重なって仕様がないのだった。
それ等の重なる姿、重層象徴、それに僕は奇妙に惹かれていたのだった。その硝子盤は確かに、僕等を産み落した母なる海を内包していた、僕のそれは空翔ぶ鷗の片恋だ、そして、その内部には有機がうごめき、運動する数多の尊き命を宿している。されどその有機的な海、その原始的な象徴は、ニヒリズムに蔽われることによって、忽然と無機的な光りを帯びるのである。それは男を惑わし破滅させる、残酷きわまる「運命の女」の瞳のそれにも似るように思う。かの非情な現実、理不尽のふるさと、これはどうも、いま無機物のそれのような、父なる陽を照りかえし、冷然と取り澄ます硝子盤と思われて仕方がないのだった。
僕は、かつてはそれを傲然と眺め、されどいまとなっては慄いて、ただ身を竦めるのだ。奴隷根性・自己憐憫、僕はこんな自分を憎んでいた。この硝子盤、その硬質性で以て、きんとわが身を撥ねかえし、すれば茫洋たる母、海のおもてを僕は眺め遣る。波うち踊る海の表層、それは確かに、硝子盤さながらの、鋭く徹るように壮麗な煌きを有してはいないか? それはけっして僕等の弱さを忖度しない、されどそれが理不尽であればある程に、その燦きはさらなる美しさを帯びはしないか?
僕は全くの落伍者だった、されどそこに、デカダンめいた矜りなんぞなかった。僕は単純に、秩序の網から落ちこぼれた社会的弱者なのだった。幾度も為された過去の責任追及は、どうにかなった部分へ集中し自責を叩き込むよりほかはないという結論に、毎度帰り着くのだった。二十六歳。ようやく一般企業で、障害者雇用として働かせてもらえていた。こんな経歴でも働かせてもらえるのは有難いことだと思い、度々の抑うつ状態に抵抗しながら、ただ目の前の仕事をこなし続けていた。仕事上の夢はなかった。無職になりたくないだけだった。ただ目の前の仕事と将来への不安、そして夜な夜なの、なんの収穫もない読書と執筆だけがあった。僕は仕事を終え家に帰ると、すぐさま睡眠薬を二錠飲んでぶっ倒れるように眠り、0時頃に起き上がるとカフェインを摂って、夜明けまで机に向かう生活をしていた。文章を読んでくれる唯一の人間がいた、しかしある時から彼はいなくなった。
かつてはその社会的立場に、身悶えするような劣等の意識があった、僕を誰よりも軽蔑していたのは僕なのだった。生き抜く気さえ揺らぐ程の劇しい意欲で、現在の自己の立場、そしてわが人格を否定していた。早く矯正しろと、絶えず自己の人格へ要求した。矯正、こんな言い方がまさに僕の意識に相応しかった。人格に対し「矯正」という言葉を用いるのが、当時の僕の病であったように思う。
その自己否定に神経が耐えられなくなってきた、それで、僕はしたたかにも、思春期以来自己に意識的に睡らせていた薄っぺらいニヒリズムを呼び起し、更には「人間はみな同じものだ」と思い込むことによって、みずからを救おうとしたのだった。然り、僕はもっとも卑怯なニヒリストだった。蛇のような周到さで、人格における優劣の価値基準からすり抜けるように逃避し、それでもなお生き抜こうとしたのである。社会的価値、それを人格のそれと切りはなしたのだ。これは負け犬めいた、しかも反社会的な考え方なのかもしれない、だが他者に主張さえしなければ、それで好い筈だった。僕はしかしこれに自信なんてなかった。
どっとのしかかる重たい憂鬱と、蝿のように脳裏で飛び廻る希死念慮への抵抗に疲れ果て、そのなかで、僕はニヒリズムの影響で、生きる意味の一切を見失ったのだった。虚無によって、脳裏からはロマン派文学に与えられた人間賛美の夢想的武装が剥ぎ落され、枷が外れたように自殺への願望がそれへ打ち寄せ、ニコチンさながら脳内をガンと打ち据える、そして、みるみるうちにそいつに蔽われた。然り、ニヒリズムとは、本来そうなる危険性をもつであろう、僕はただの莫迦だった。
されど生き切ることを、自殺をしないことを、奇妙なくらいの律義さで自己に命じていたのだった。僕は昔から、自己による命令に服すことに悦びをおぼえる。「自殺しては不可ない」、これは昔から、唯一に抱き締めていた道徳観念といってもいいのだった。
というのも、僕は嗅ぎとっていたのかもしれない、僕は生きたいから、むしろ理想的に滅茶苦茶に生きたいからこそ、その反動で死にたいのだと。ワガママな理想に届かないことへの自責、わが身はそれから逃避したいのではないか。こういう種類の自殺願望をもつ人間は、自殺をしないほうが、本当は彼にとって好ましいと考えていた。苦しくても、理想を目指し生き抜こうとしたほうが面白い生き方になると思っていた。ある種の人間には、くるしみたい苦しみをくるしむ悦びがあるのだと考え、それを少しだけ実感していたところだった。深い欲望、それは理想への渇望でもいい、それに従い、その実現のために、現実・自己の弱さと争うこと。僕はこの生き方によって、自らが生き抜けると期待した。この期に及んでも、楽観的なところがあった。
僕はわが無気力が憎かった、滅茶苦茶に生きてみたかった。現在と闘いたかった。そのなかで、燃ゆるような鮮やかな閃光を発したかった。
唯一の友人が、自殺したのだった。僕なんかより、よっぽどニヒリストの人間だった。
僕は彼から、坂口安吾を教えてもらった。僕はこの矛盾を生涯抱えることになるであろう、「不良少年とキリスト」を、死ぬまで慟哭なしでは読めないことであろう。
彼の死を知ったのは、彼と連絡を取れなくなって、一年以上経ってのことだった。聞いた話によると、彼の意向により両親は自殺の事実を周囲に隠していたらしく、いったいいつ頃にどう自殺したのかも僕には知れないのだった。
彼は一端の反出生主義者だった。単なる感情的なそれでなしに、この思想への信念をもつ余人の例にもれず、というのは当事者ではない僕の浅薄な主観なのだけれど、彼もまた異様な思慮深さ、繊細な注意力、なにより論理で以て生と死の問題を突き詰めんとする、ある種破滅的な意欲をもっているように思われた。この追究の意欲は、おそらく生活上の欠点であった、即ち生きる上で、良識的な生活そして幸福をも損なわせる、殆ど悪徳に近い、どうしようもない負の意欲であるように僕は思っていた。
彼は頭脳明晰だったが──然り、数学と仏語のできる彼の知性は明晰という言葉がまさに相応しかった──その微に入り細を穿ち、筋道を通って理を重ねる優れた思考力を、この破滅的な論理に託して、かの悲観的な結論に捧げたようにも思われた。これをさせたような意欲は、たとい自らの生活上の幸福を損なわせると頭では解っていようと、どうしようもなく自己を操縦させて了う、根深い欲望であるように思う。幸福へのそれをうわまわる、観念的な何かを追究することへの意欲が、ある種の人間にはあるように思う。それを殺すことだって、彼等を屍のようにするかもしれない。
強調しておきたい。彼はこの思想によって死んだのではない。なぜといい彼等が否定するのは生誕であって、生存ではないからだ。
僕のそれに反して、彼には肉体の芯に刻まれた死への欲求が強いのだろうと昔から感じていた。死にたいから死にたいのだろうと考えていた。そうならば自殺しても好い、そのように僕は断じることはできない。が、そういった人達がもし自ら死を選んだとして、その行為を否定する自信に充ちた言葉を、僕はなにひとつ持てないのである。否、何度も言うように、僕はそもそも自分の考えに自信なんてないのだ。誰にも見せない文章を書くことにだって、人知れず怯えているくらいなのだ。
硝子盤は、かの自死を、その残虐きわまる優しい包容力によって、他の悉くと同様に肯定し、そして冷然と、その死骸をおもてに反映させるのみであろう。然り、ニヒリズムには海のような、あるいは娼婦さながらの慈愛があるのである。
僕にはしかし、彼の自殺が、なにか美しいとも思われたのだった。
それは殉死の美化ではなかった。美しきイノセンスの敗北ともいうべく、かよわきものの滅びの美化でもなかった。そもそも行為に対するそれではなかった。
僕は、彼が死んだという非情な現実そのものが、そのどうしようもない理不尽な事実じたいが、吹雪舞い銀の月照る真白の城さながらに、美しいと思われたのだった。現実、それはいつもいつも、あまりに冷酷なものではないか? 不感無覚ではないか?
然り、僕は彼に、死んで欲しくなかったのだ。唯一の友人を、喪いたくなかったのだ。
無償の愛なんて信じていない奴だった。しかしむしろどうしようもなく優しいところがあった。努力家だった。しかし自分の弱さ・怠惰をいつも責め立てていた。自分が与える迷惑を気に掛けていた。しかしこんなに慎ましい人間もそうはいなかった。人を軽蔑しなかった。換言すれば、こいつは劣等だと突き放すことがなかった。いつも注意深く、人の不可視の苦しみや事情を忖度していた。思慮深くて、攻撃的な言葉を使う前に、深く深く考え込むタイプだった。リベラルな思想を持っていた。どうしても悪人になれないところがあった。
これ等の美徳が、むしろ彼自身を苦しめていたと考えることだって容易だった。
素敵な奴だったのだ、友人も多く、僕なんかと違って人に好かれていた。彼の受ける好意や尊敬を想い、いやしくも孤独な僕は彼に嫉妬した。喪いたくなかった。死ぬ前に、どうか死なないでと泣きつきたかった、それがある人には脅迫めいて聞こえることもあると知っていた、されどただ死なないでと、彼が身を抱いて泣き叫びつづけたかった。ただわがエゴから、叩き込むように生きることを要求したかった。それすらも僕はできなかった。彼はどこか遠くで、独り死を選んだのだった。僕の手も言葉も、その一切が届かなかった。
ある種の不幸な人間と違い、心身を憩ませる機会は取れたのではないかと思われた。とすると、おそらく「人生は生きるに値しない」と、彼は結論づけたのではないか。
衝動に駆られ、刹那のそれのみに従った自死だと僕には思えなかったのだ。彼は不可視の心中で、狂うようにしてある主題と格闘したのだと考えている、然り、その主題を追求する手続きを全身全霊で経てから死ぬ、そんな誠実な男だと僕は思っている、即ち、「果して自殺は許されるか」というそれを。
そして彼は、おそらく「自殺していい」と結論したのだ。彼の選択を、僕ははや否定したくない、ここにわが信念はない、それが僕とは別個に存在する、彼という人間の、わが格闘の末に得た結論なのであろう、僕はそれを尊重していたいのだ。
しかし僕は死んで欲しくなかったのだ、ある種のワガママだ、ただ生き抜いて欲しかったのだ。彼が生き抜くことは彼にとって苦しみなのであろう、それを他人が強制するのはエゴだとさえ思う、もしやすると、彼の死が与える苦しみに耐える義務が僕にあるとさえ言えるかもしれない、しかし僕は、どうしても彼を喪いたくなかったのだ。だが僕の願いは届かなかったのだ。いつ自殺したかさえも解らないのだ。
彼に対してではない、彼が死んだという「それ」、彼が死へ追い詰められるまで苦しんでていたという「それ」、彼が死んでも僕は生の側に残ったままだという「それ」、それ等を含んだ、この「現実」に対し、どうしようもない反発心を覚えた。理不尽だった。非情だった。現実、それはどうにもならぬ、硝子盤さながらであるとやはり思われた。
この非情の硝子盤は、冒頭で述べたように、冷然と僕を眺めまわし、ぞっと肌粟立つような鋭く透きとおった視線で、僕という人間を軽蔑さながら突き放した。
されど僕は、この非情の冷たい燦きこそ、果して愛するにあたいするのではと訝ったのだった。なぜといい、この冷たく硬い硝子盤、こいつが、ぞっとするほど美しいからであった。さながら水晶の透徹した青い瞳であった。はや神秘の涙音と硝子の反響の綾織る壮麗な絵画であった。無神論者どうようになった僕は、あたかもかつて神を愛したように、それに焦がれたのだった。
かの現実。
それが、はや美しかった。すればそれを、僕は愛した。
僕は幾度も抱き締めんとした、彼の幻影をではない、「彼が生きていて欲しかった」という希いを胸に抱いて、「彼がもはや無いという現実」を抱き締めんとした。毎度冷めたい、きんと氷れる硝子の反響でもって撥ねかえされた。はや立ち竦むよりほかはないのだった。
然り。理不尽を理不尽であるがゆえに、冷たきを冷たきであるがゆえに、虚無と姿の重なった非情なる現実、僕はそいつへ、遂に宗教へのそれのような愛を持ったのだった。冷めたい残酷な恐怖に美を視るのは、いわば僕の趣味であった、そしてここで、初めて現実へ抵抗する気力が湧いたのだった。硝子盤、その絶対的な冷めたい硬質性に対し、「貴様この野郎」と、肉食獣さながらの、粗野で凶暴なエネルギーが沸き上がったのだった。
それはおそらく、親を泣きつくほどに愛するがゆえにグレて了った不良少年さながらの、クソガキ染みた心情であった。僕はかんがえる、心に高貴なんて在るものか、これは心理の意味において、たいしたものである筈がなかった。社会秩序との折り合いという意味において、やはり低劣であった。幼稚であった。しかしその分、根深く、ある種の根源的な暴力衝動にも由来した、あたかも堕落の重力に従うような、甚だしく強い感情なのではないだろうか。僕は自らが、家系的に凶暴な血を引いていることを想い起こした、僕はこの血の気の多い体質こそ、カラクリの歯車の一つとして利用せねばならぬと考えた。
現実への抵抗の意欲、これはつねづね僕の欲していたものなのだ。なぜといい、この反逆の意欲が不在すると、僕という人間はすぐさま破れかぶれになり、理不尽に対して奴隷さながら屈従し、やがては自己憐憫に浸って、消極的な弱さのなかに閉じこもって了うから。これだけは全力で避けていたが、ともすれば強い人間を逆恨みするようにもなるから。僕はそれを拒みたいのだ。そう生きていると、それこそ死んで了いたいという意識に蔽われるのだ。
僕はしかも二十六になっても身の程を知ることを拒む、空白なぞ満たされなくていい、知れば大人らしく利他的になれるかもしれない、ひとにも好かれるかもしれない、また友人ができるかもしれない、精神的な成熟だ、しかしありのままの現実・自己を認めないワガママで幼稚な生き方を、僕は選ぶ。なぜといい、その生き方は人格者になるよりも、僕には面白いと予測されるから。そう思えるということは、僕が怪物のようなエゴイストであることを説明しているようにも思われる。
なぜ虚無の非情の現実を、硝子盤の無機的な燦きへ変貌させたことによって愛せるといい、それはかねてより僕が偏愛していた水晶の光り、「死」の蠱惑にも似ていたからでもある。フロイトの例を借りるまでもない、僕にとって、有機への嫌悪は生きることへの拒絶感で、無機物の有する蠱惑は昔から死のそれを意味していた。僕はしたたかだ、狡い、誰かのように夭折にふさわしい繊細な慎ましさなぞない、生き抜く為に、自己へ歪で粗野なカラクリを施したのだ。これは殆ど、生き切る為のコジツケなのである。わが体質との相性を考えた上での処世術なのである。
僕は信念を持つことを恐れていた、それはともすれば排他的な思考へ導いて他者を傷つけ、しかも僕を更なる孤独者へ仕立て上げるから。然り、僕の根源的な病は、臆病であったのだ。
しかし一個の信念を、僕はようやく獲得したように思った。いや獲得ではない、石橋を叩いて渡るような、わが念入りにして臆病な批判の鞭のなかで、いまこの観念だけが、信ずるに値すると見做され、残ったといったほうが正確なのだった。
人間らしい可憐な美は、焦がれる道徳観念・美的観念の為に、現実のなかで自らの弱さと抵抗する過程にある。くわえて、その為にわが秩序を構築し、それへの貞節の為、現実と自己へ抵抗する姿にも、それは発見され得る。
そこに在るのはやはり他への愛ではない、しかし一種の、自己犠牲である筈である。観念の為に、わが弱さを打ち据えるのだから。
他者との比較によって得る自尊心を膨れ上げさせたくない、その為に、僕はこの心の運動の継続による自負のみを許し──愛する中也よ、それぞ矜持ではありませんか──それのみを、少しずつ積み上げようと考えた。生活上では、自尊心はこころの励みとなるように思う。それがないと、経験上であるが、ひたすら破れかぶれに、そして無気力に堕するように思う。
最後に友人を批判しよう。敢えて死者に唾を吐きかけよう。僕の考えでは、自殺こそ人間らしい可憐さの対極にあるのだ。賢すぎるのだ。「苦労するまでもない」と気づいてしまった賢人のゴウリテキな行為なのだ。愛すべき愚かさがないのだ。それゆえに、僕はこの行為を否定する言葉をここまで持てなかったけれど、それをぜったいに、愛せはしない。
僕は生きる人間の可憐さを信じる。たとい無意味な生であろうと、いや無意味だからこそ、それを燃え上がらせることで、生に美が立ち昇るのだと思う。
蜘蛛の死に際して
その時わたしは幾人かの友人を失った、原因はわたしじしんの至らない精神の水準と不安定な情緒のせいであった。酒を浴びるように飲んでいた時期でもあった。暴言を吐いた、「死にそうだ」と脅迫をした。本音は大方「助けてくれ、甘えさせてくれ」というものであり、それの満たされぬ反動がわたしの言動であっただろう。わたしは素直に言葉を射してそれに誠実にこたえてくれる友人の悉くを失って、せめてもと酒を殆ど飲まない決意をした。ときたまはすこし飲んだ。しかしアルコホルの作用はわたしじしんの水準をあかるめただけであるというのは確かである筈、そのためにわたしは自卑の念にのたうちまわる想いをした。日に数十度は小声で謝っていたが、その謝罪は自己への赦しを乞うていただけに相違ない。みずからを眺めて自画像にナイフを刺し傷つけに傷つけた。それはわたしに傷つけられた嘗ての友人たちへの思慮を容易にうわまわる意欲であった。
相も変わらずわたしは部屋で本を読み、詩を書いた。散文を書いた。
ディレッタントというと幾分きこえはいいけれど、要はわたしの文学的努力は社会的なものと結びつかないものであったということである、わたしが「我犬死詩人也」と自負したのも確かこの頃であったが、しかしその事情の一つに「能がないゆえに詩人として立てないことを自覚したから」というものがあったこと、それを告白しておかなければなるまい。坂口安吾の「我落伍者也」という勇壮な覚悟のされた自負とは似ても似つかぬそれ、まるで責任の欠け、投槍で自虐的なさかしまの誇大妄想、わたしはヤケにもなっていて、兎にも角にも文学を抱き締めていたいというのが唯一のほんとうの気持であった。わたしはこれと決めたことを何もかも抛ってきただらしのない人間だが、どうにも文学だけは抛れぬ種族に生れついたようである。わたしは文学に結ぶ貞節をしかもちえぬ。
わたしは身を捩るような孤独に孕まれていた、実家暮らしであるが両親はわたしのような人間に殆ど耐性がないといおうか、話しはするけれどもお互いの生活信条がいまいち理解できない。当時は家事をあまりやっていなかったくせして殆ど部屋に一人暮らしのような気持でいたのであり、会社では孤立とまではいかないが居心地のわるさに背がつねにわなないているような心地、これは人間の集団に在ればわたしのどこかの器官がしてしまう肉体的反応のようなものである。わたしにはわたしの社会不適合性に理解をしてくれる数すくない友人がいたのだが、かれ(彼女)等をつぎつぎと喪失したのである。それはわたしの問題故であり、くわえて向こうにはわたしと絶縁する権利があるためにわが身が耐えねばならない痛みに相違なかった。ひとと巧く交際できないくせに極度の淋しがりやであるわたしはそれに耐えられない想いであった。孤独をこのむ人間ぎらいと思われがちなわたしだが(たしかに基本的には独りでいたい)実はひとが恋しくてたまらない、初対面のひとはよっぽど表情が怖くないかぎりは先ず「少し好き」から入り(わたしは一対一のコミュニケーションにはそれほど抵抗がない)、そのひとと話す時間が嫌いだと感じればただそのひとに興味が失せるだけ、話して「もう少し好き」となるのが大方のパターン、しかしそれが上昇し向うもそれなりに答えてくれそうになり「このひとと友人になれそう」だと思うと、途端にかれ等を失うのが怖くなる。まだそれ程に仲良くなれていないうちからそんなことを想うのはどこか病的である。
そんな状況であったわたしには、一つの楽しみがあった。
わたしの部屋に、一匹の蜘蛛が棲みついていたのである。わたしはそいつを眺める時間が好きであった。
大きな蜘蛛はなにやら異様で荘厳なグロテスクさがあるので余りみたくないけれども、ちいさな蜘蛛をわたしはむしろこのんでいる。一人行動というのには親近感がある。幽かなうごきで慎ましくうごく生き方にも好感があり、亦新鮮な蜘蛛の巣に後光が射すように黎明の刺した際のまっさらな煌きは世にも美しい、昨夜の雨のしずくに濡れ燦々としていれば尚更に美しい。かような詩を書いてみたいといまだって想うほどである。
その蜘蛛はおそらく巣をつくらない種、なにを食べているのか知らないがわたしが食べ散らかした屑でも食しているならそれでいい、わたしは自分と似た友人と同居しているような感覚であって、乾いた眸でそいつを呆然と眺めるとどこか落ち着いた気持になり、その時荒んだ眼元に幾分かは柔かい笑い皺をつくっていたことだろう。わたしは蜘蛛に淋しさを癒されていた。そのくらいには深い孤独に心臓を掴まれ刺されていた。
しかし蜘蛛は短命なのかわたしの吐きだしたニコチンに毒されたのか食料に困ったのか判らないが、数日経つとそいつ、骸になって干からびたように床にころがっていたのだった。肉が乾ききり骨に付着した灰の皮だけが残り、骨すら抜け落ちたようなむごたらしい印象であり、みるも無残でわびしい情景であった。ほんとうの犬死というのはこういう死に方をいうのであろう、わたしはこの風景に張られ吊られたような物質だけをみた。光を喪ったそれをみた。淋しい風景だがなにかと結びつきたいというような湿る意欲すら感じられない、ただ突き放すような硝子の如き風景をみた。わたしの想ったのはただ淋しいということであり、その後二時間ほど亦友人を失ったという想いにさめざめと泣き臥したのだった。
わたしの涙にはいつも甘ったるいとろみが粘っている、それが、後ろめたくもあるのだ。
*
わたしがこのエッセイで伝えたいことはなにもない。この文章が文学だとも想わないし、わたしの文章に一つでも文学といえるものがあるのかということも判らない、関心もない。わたしには文学とは何たるやという定義への関心が殆どないが、抑々がわたしは文学にメッセージなんていらないと考えている。
病状報告書。
或いは、それの自己治療失敗の経緯を綴った、手術報告書。
おそらくや、それを投げだしたものがわたしの散文である。
わたしの詩はいわば声にならぬ叫びの表象であるような気もするし、しかし、自分の文章とは何たるやというのもよく解らない。わたしは、書き殴っている。
わたしはこの病状報告の散文の歩行でこっそりと脇道に逸れ、ふっと歌ってみただけなのだ。蜘蛛の死の印象をまえにした、ヤニの香りに毒されたわが悲痛なためいきを。
正道の小説 ──坂口安吾文学論──
わたしには「純文学小説とはなんぞや」という難問に、明確な信念を込めてこたえることはできない、するすると糸を引くように口からそれらしい理論を引き出せる人間のそれに、わたしはむしろ疑いをもつであろう。もっとドモれ。ドモれ。ともいいたくなる。然るに「小説の正道とは」という問いをもしみずからに突きつけるのならば、何故かしら亮とした言葉が思い浮ぶのもふしぎである。
正道の小説。
わたしはとりわけ文学はアウトサイダーの所有物という考えではない、坂口安吾は純文学を病人のオモチャだといい、読み物を健康人のオモチャだといったが、社会に適合し且たいして病んでいない人間(しかしわたしには現代の秩序で生きていれば何らかのかたちで病んでいるのではと想われる)が読み心を揺さぶらせる文学が、わたしのような病人共に佳いと思われず、その独占欲から「それは文学ではない」と吐き捨てられるいわれはあるまい。
わたしは人間追究の散文や病的な芸術をとりわけ偏愛しているからそういう例を出すには余りに勉強不足だが、安吾のきらった志賀直哉だと「和解」なんぞがそういう印象。高校の時に読んだ「生れいずる悩み」は芸道の険しさをえがいているものだが、感動しつつもなんだか普通の小説の感じがした。これ等の文章に、異常人のアウトサイドな凄味はないように想う。やや例が少ないので、映画が話題になった「レ・ミゼラブル」とか、「シラノ・ド・ベルジュラック」とか、そういうのも入れてみようか(シラノは然し自己犠牲の発露の仕方が頗る古いので、はや平成・令和だと完全に外れているか)。
現代小説だと、むしろそういうもののほうが多いのではないか。わたしはそれ等もふつうに好きだ。いわゆる、多くのひとに好いと思われ、十万部程度以上売れる純文学である。
わたしは最も散文作家で影響を受けた坂口安吾の主張に、反対しているつもりなのだ。
*
良識への反逆、時代への超越或いは逆行、不在した観念的なものへの身を滅ぼすほどの熱情、社会不適合などうしようもなくアンスリウムと脹れた衝動の打ち据えるサンドバッグの疵痕、たしかにそういった文学は多いのだけれど、それ等たしかに、知的なプライドの肥るも社会で巧くいかず、世間で違和感を抱える人間(たとえばわたしだ)にある種の自尊心、佳い影響ならば勇気や生の方法論の素材となるけれども、わたしは外れた人間の外れた言葉による異常にして才煌く小説が純文学的であるとは思わないし、またそれが正道の小説の条件とは見なさない。たとえ外れ者の文学であっても、読者にとって読んで終わりなら、かれにとりまさにオモチャだ。行為・実践の素材となる文学をわたしは愛し、実際に行為し実践した作家をわたしは愛する。
むしろわたしにとっての文学の正道を構成づける要素は、大衆に聞えのいい、不変の平凡ともいえそうな、面白みも癖も全くない、しかも、明るく健全なものかもしれない。
良心によって書かれ、悪を悪としてみつめ、善をみすえているもの。
これが「小説の正道」ではないかと、不才・無教養ながらも、わたしはブンとなげだしてみせる。
これさえ満たしていれば、どんなに残酷と暴力とエロスに満ちていようと、どんなに人間の悪を抉りえぐり純化させた眸で真正面からみすえ作者本人が滅びようとも(カポーティの最後の仕事を、わたしは大尊敬する)、どんなに前衛的・実験的な手法を使っていようとも、ありとある世間的なものに劇しい罵詈雑言を吐いていようと、正道だ。
それ故にジャン・ジュネの如き詩人は法的悪・道徳的悪を美と高貴へ化学変化させ善を押しやっているから邪道ではある、然しわたしはそれ故にこそかれの文学をこのむのであり、むろん小説は邪道であってもいいものだ。文学であるのだから。芸術であるのだから。
小説に正道、邪道があるなんて時代はたしかに終わっているし、わたしにもそんなものがあるとは想えない、然し、もし文学をやるのなら、みずからの文学において(限定して)「わが正道」を追究し、文学の道を狭くせまく削ぎ落していって、終点で光と音楽の閃光と突き刺し砕くものなのではないか。なにを砕く? それは各々の書き手の個性が決定するであろう。自分にとっての正道を考えるという作業は、書く人間にとって、時代を関与せず必要な手続であるとわたしは考える。ジュネの正道が、わたしの邪道であるだけかも知れぬ。所詮、そういうものだ。
善とは各々が抱くべきであり、他者のそれが自分のそれと異なろうと尊重し、受け容れはしなくてよいが手前で受けとめるというのがいまの時代性で、わたしもまたそうでありたいとうごいている者である。然し、絶対的なそれだってあると仮定して注意ぶかく生き失墜しつづけるといううごきも亦好いものだと感じる。わたしはそういう生き方が好きだし我を賭けてしてみたいとも想っているのだ。小説中で、各々の善をみすえ、悪を突き詰め、より善くあろうと月へむかい歩行して、登場人物或いは物語或いは構成をうごかす。こんな性格の人間がこういう影響を環境から受けてこの状況に立てば、こう考え感じおそらくやこううごくであろうと注意ぶかく思慮を重ね、こうだと決めて展開を決定する。そこに善を欲するうごきがみられるものであり、然し、そもそも小説そのものをうごかす原動力がそういうものであってほしいのだ。
先ずかれの善がある。或いは悪がある。そして書く。書いて、書いて、書きまくる。して、相対的に理論して善悪の貌を追究する。善はさらに明るめられ、そのシルエットがぼんやりと映されるかもしれぬ。世界の。社会の(これはやはり時代特有の病を見抜く社会的な小説になりやすいため、幾分レトロなものとして残りがちだ)。或いは、自己の。より潜れば、人間の。
あらゆる小説はどうしようもなく私小説であるからして、小説上にみられる人間の悪はすべて自己批判・内省戦争によって発見されたわが罪である必要があり、それを何処までもどこまでも凝視し抉り恐るおそるメスでひらき怪物に覗きこまれながら外気とべつの現象で科学実験し、それはまるで外科医がわが身を手術し、治すのではなく病気を子細に研究しているような努力である。病が酷くなったり拗らせたり別の深刻なそれに変容するのも、けっして少なくはない現象だ。この点でまさしくレイモン・ラディゲ、コンスタン、ドストエフスキー等の強すぎる自意識による自己解剖心理小説がわたしの正道をまっすぐに徹っていたことが解る、そして貴方だ。坂口安吾。貴方こそ日本を代表する、自己解剖手術報告書の達人であった。この点において、貴方はまさに鬼であった。
太宰や久坂葉子も自己解剖は卓越している、然し、どこか自分個人的な感情の領域では自分に都合のいい解釈が散見されるように想う。自分或いはわが眸に映る自画像を大切に想う気持がつよかったんだろうか。それはむろん否定されてはならないが(というか自己欺瞞は全くないとたいてい自殺しちゃうんじゃないか、かれ等は自殺したのでここで書くと話が錯綜するけれど)、然し、文学をやるという作業は神経をズタズタに轢き殺してしまうもので、やはり破滅を宿命づけられる仕事に傑れたものが多いように想う。太宰も久坂も小説が卓越して傑れているのは、これと別の尺度によってすれば語れるだろう(かれ等はたとえば人間・女というさがに自己批判を通じて専門家となっているところが凄まじい、安吾いわく「人間通」というそれだ)。
わたしはかなり自罰的な行為による破滅的な仕事を誉め語ったが、もっと魂の筋力のこもっていない、読み物としてさらりとしている小説にも正道は見つかり、そして傑作もたくさんあると考えている。才ある者の力の抜けた作品は、それはそれで佳いものである。然し、それはきっと良心によって書かれている。
良心。小説家のそれではない、「小説の良心」である。つまりはそれ、小説家の良心でもある。どんなに悪に染まった自己を鬼のように追究しようと、どんなにたいした悩みでないのに莫迦のように自己批判してようと、たとい全員悪い奴であろうと、良心は、小説の良心は、きっと観念として善を投影する、うっすらとした月影として浮ぶ。わたしはここに、書くのも読むのも読解も疲弊する文学なるものに一条だけ宿る、人間らしい憩いを感じる。作者と読者に共通する、格闘の果ての一握の作物の光をみる。
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既に書いたが、正道の文学とは、善をみすえる。そして、小説をうごかす。右往左往しガタガタと揺れ退行し気付くと悪の城にあるときもあるが(だいたいそうではないか)、根の衝動は善をみすえており、其方へ往こうとしている。小説が、である。
善への希求とはある種「他より善でありたい」という優越感への欲望であるように想い、おおく道徳が低劣だとみなされた人間へ軽蔑等を向けるためにわたしはたいして評価をしないのだが、然し、「より善くありたい」という善の努力がけっきょくは他の欲望と並んでもおかしくないものであるという人間の人間らしい卑俗な宿命を、慈しむ者だ。可憐を見いだすものだ。だから美しいのだ、とすら想う。
善の自分を尊敬してほしくないのだ。それはそうでないひとびとへ暴力を必ずや振るうから。唯、善を尊敬してほしい。月へ憧れるように。
たかが人間が、善くあろうとする。より善き生き方・社会を求めて、一握の良心を握り、書き、綴り、悶え、考え、批判亦批判、これと想って人間や感情や思想を褒めれば前言撤回、なにが善いのだと捜し狂ったように書き殴り、これだこれだと独り善がりに喝采泣きじゃくり、それインチキだと気づき泣き喚いて、自分なんかには書けない領域にさめざめと泣き臥し、それでも書く、むしろ斯くして書く、さればだれか、何処かのだれかの為になればいいと切なる祈りを込めて、投げだすように言葉を抛る──だから好いのだ、正道の小説は。
*
小説とは、二行で書けばいいことを引き延ばしているだけだ。そうもいわれる。実に、しばしば。然り。そうだ。そうとも、いえよう。
然し、だからなんだっていうんだ?
小説の価値とは、モチーフのエッセンス、メッセージ性の命題化になぞにあるわけがない。あるわけがない。あるならば、誰が小説を書くんだ。わざわざ登場人物の性格を設定し、かれ等をうごかし綾なす人間関係を描写し、人物の心理や感情の変化をとらえ描写し、人物としてかれが変わって往く様子を出来事と絡めながらうごかし、そこまで頑張る理由が、わたしにはみいだせない。
小説のうごき、登場人物のうごき、物語のうごき、うごきだ。うごきなんだ。多重のそれ、綾織り或いはズタズタに解れ破けうごめくそれ、終点へ向かう幾重のうごきの過程。
たとえば坂口の小説は観念的で読みにくくズタズタなそれ、結論でいえばむしろ無惨な或いは懐疑のみ示し空無と虚無へ投げだしたような、実にじつに無責任(しかし作品の悪影響に責任をとらないと書きつづけられない誠実な人間が、文学なんてやれるのだろうか。文学とは、ある種人生を苦しみに導き一種悪性なものにするものではないか)、一種全我の火花散る偉大なる失敗作というべく、イノチの籠った惨たらしい仕事が少なくない。かれは仮の絶対を設定しわが善へ向い理詰めで行為するうごきの過程を描いているのだ。書き終えるまで、どんな終点に往き着くか解らないタイプの執筆をしていたのだ。それだからかれの小説は陰惨な結末が多い、失墜を宿命づけられているからだ。坂口の小説は、うごきの文学だ。城をみすえる永遠の過程だ。観念的な余りに観念的な生の方法論を極めて現実的なやり方で対峙・対応して、実践的・実験的に理詰めとうごきと作者の実際の行為で追究、その生のうごき・思考のうごきをリアリティ込めて書き殴り書き殴り、まるで自己を投げ放つようにして験しているのだ。坂口の仕事は前述したように強い自意識によって書かれた自己解剖の小説だが、然し、どこかかれ自分のこと何も大切に想っていないかのような、自己を空無へ投げ飛ばすような、きんと撥ねかえし横臥す自己を冷然と執拗に病状経過を眺めまわすような態度があり、読者も亦「我」がブンと柔道のやり方でがらんどうへ投げ飛ばれたような感覚を獲得しえる。
坂口が評論ばかり読まれ「評論のほうがいいよね」としばしばいわれるのは、その過程でえた結論めく箴言を鏤められているために読み物として解りやすいからであるとわたしなんかには疑われる。何処までもMade in Japanの西洋剣をブンブン振りまわし切先が花と降らせたかれの評論、その飛び散る欺瞞を見抜いた真実の破片が、ひとびとにとってすかっと爽快な気持にさせるのも亦理由であるように想う。むろんかれの作品は多くアッパー系ドラッグであるから元気にはなる、前向きになるというような効能もあるが、然し小説に潜り潜り自己を沈めて一途に堕ちてかれの生を実感するならば、かれの文学がどんなに気合のこもる破滅的なそれであるかが解るだろう、ごくごく普通にビビって逃げ出してたくもなるであろう。わたしは現役でびびりながら地下水に足先を浸しヒイと悲鳴を上げている者だ。
いやいや。坂口さん。大丈夫。小説の方が、もっともっといいよ(安吾、存命中から評論の方がいいといわれることを気にしていたらしい)。
わたしは、坂口安吾は小説家でしかなかったと想う。かれの小説は、絶世の正道の小説だ。小説の純粋な領域を他の芸術では出来ぬ方法論で透した、人間にしかできない生き方を人間らしく純化した路を通らせた、然り「書く」と「生きる」はかれにとりシノニムであった、まさに書くように生き、生きるように書き、昇る筋力を鍛えあげながらズリ堕ちて往った。
小説のうごきを自己の生のように辿り追体験することで、懐疑・共感・非共感・好き嫌いの感情がワンワンと起こりえる、そして、時々で起こることであるけれども、作者の抱く深みと読者のそれが寄せ波の翳のように重なった時、それが、胸が張り裂けるように切なる激情を引き起こす。世界が違って見えてくる。生き方が変わる。肉が剥かれ、或いは、新たな装飾を衣装するのも亦素敵だ。小説を書き、小説を読む。たかが人間同士による人間くさい営みにすぎないが、然し、人間同士にしか絶対に起きえない感動がある。
わたしはわたしにとっての正道が前述のものであるだけで、そのほかの考え方の人間の正道も尊重していたい。しかし試しにではあるが、どうか次の言葉に、あなた自身の正道を代入して読んでくれないだろうか。そして、あなた自身にめざめ或いは睡る、ほんとうの意欲がこれにより見つかれば、わたしは、なによりもうれしい。
小説のうごきは、人間のうごきだ。従って、あなたにとって正道な小説のうごきとは、あなたが正道だと感じる人間の生き方のそれである。
*
蛇足。
わたしは小説を読むような暇人がつまりは好きなんだ。実利的・生産的な努力は社会を回す上で必要・善なるものであるから大切ではありその努力も亦尊いもの、然し、それだけで終わらず無駄を愉しみ努力するひとびとが趣味的に好きだ。小説を読むという行為はたしかに遊びであり、小説は玩具であるかもしれず、それを使い全我を掛けてどう転ぶかも判らぬ人生を全力で遊ぶのが文学を愛するいとしきひとびとの生き方なのかもしれない。その徒なる遊びに涙し喜び心を揺り動かされたひとたちは、他者の気持を想像できないと知るからこそ注意ぶかく思慮するという素敵な心のうごきがあるひとが多いし、話も面白いし、なにか小説読みには魅力的な欠点を素敵に伸ばしたような好い癖を感じることが多いように想う。小説を読むのが好きなら是非読みつづけてほしいし、「大人が読むものではない」というような言説突き飛ばしてほしい。
小説を読むという営みは愛すべき遊びで、全力で生きる予行研究だ。小説を書くとはある種読者を遊ばせるということであり従って小説に娯楽性を込めるのは何も文学というものを汚しやしない、高尚ぶる文学青年はここを排除したがるが、然し全力で無我夢中に泥遊びをするように小説的に生きられたら、とってもロマンチックじゃないですか。一度きりの人生である。敢えて平凡な比喩をつかえるのがわたしなんかには嬉しくてたまらないのだが、ロマネスクな生き方の主人公は、他でもないあなたなんだ。
身も蓋もなくこのエッセイの根本をひっくり返すことをいうが、生き方に全く正道なんてない。小説にも一切合切ない。人間の正道なんてあるわけもない(そういう考えは危ない)。然し小説読みの多くには、その人間固有のロマネスクな憧れというものがある。趣味的でキラキラとしたそれがある。わたしはわたしのそれに正道という胡散臭い言葉を使ったのだけれども、然し、要はそういうことを言っただけだ。
小説は仏蘭西語でロマンという。それは人間の、ラテン語でいう憧憬へのうごきの物語ということではないか。くるしいうごきだ。切ない心・信念をもちつづけよう、もちたいという悲願が宿る。幾夜も幾夜も手放し諦めようとしたかもしれぬ。所詮、小説を読みロマネスクを信じることは、徒なナンセンスな遊びかもしれぬ。然し、それにより負う瑕こそ人間の生を耀かせ、傷を負ってでもうごくことに、人間のなかの人間らしい清んだ領域が一途にうごくように想う。うごく。さながら小説のように。ここで、人間の営みとしての文学に、余りに人間らしいが故に人間固有の領域を徹すが如く「純」粋だという意味において、芸術という真剣な遊びを散文の物語だけで表現しうごかすという他の芸術にはできない「純」粋な路を通るという意味において、もしや「純」粋といいえる"roman"が宿る。
嗚。純文学。
得体のしれない言葉かもしれないけれど、然し、悪い言葉ではない。間違ってはいない。文学なんかを信じるが故にそう名付けて了わせる無垢な感受性が、青春の風と光が、わたしなんかには愛しく想われてならないのだ。
その批評は恋文であった ──ボオドレールについてのメモ──
シャルル・ボオドレール、という、わたしが好きな詩人がいる。
かれ第一に詩作が得意であり、第二に得意なのは悪口であった。
かれは自分が適合できない仏蘭西という国へ口汚い侮辱を幾度もいくども投げつけ、禁止性のつよい国家に反逆するように背徳的な詩を歌い見事発禁処分という光栄なる冠を受けとった。
かれの残した批評にも亦、その卓越した悪口(批判=否定ではないので、敢えて悪口と書いておく)がみられうる。天より恵まれ我に磨かれぬいた豊かな言語感覚、本質を見抜く洞察力、否定に傾きがちなストイシズム、そして傑れた比喩表現等の鋭い才覚を総動員させ、色々な芸術作品、或いは芸術家そのものを、現代の感覚でいうと、完全に罵っている。元来かれの作家人生は美術批評からはじまっていることもあって、その批判精神は磨きぬかれていたようだ。
仕事の質の伴った反骨精神に尖りにとがったかれ、「我を理想に縛り冷然たる孤高を志向するダンディ」として頗るサマになっているとは感じる。というか生き方じたいもカッコいいなあとは想っている。(眼元が荒みすぎているが)長身痩躯の美男子で、借金を繰り返し服を購いつづけて獲得したファッションセンスは抜群、自己本位でサディストな性格ですらサマになっている、他者の評価にオドオドするどころか軽蔑され嫌われるのを光栄として強靭な背骨を伸ばしてすくと立ち、されど実は孤独を抱えこんでいたがそれを磨いて卓越した芸術を残し、亦芸術家としての生を生活すべてに貫かせたところなんかもクールである。わたし自身は、悪口なんてキライだしいうのも苦手だから共感はないのだけれども、しかし、やはり好きな詩人であることには変わりない。
かれ元より人間ができていないほうで、言動は幼稚きわまりない感じ、悪ガキがそのまま成長し「我、天才」というプライドをもった反社会的な芸術家というのが色々な研究書・評伝を読んだ感想、短くまとめれば社会良識に沿い努力することから逆走し堕ちつづけみずから淪落へ沈んだ、十九世紀を代表するデカダン詩人の始祖である。吉田健一や齋藤磯雄なぞは「かれこそが健全、かれ以外が不健全」「あの時代が不健康であるからボオドレールだけが健康で」と偏った憧れをもってボオドレールを論じているが、わたしはかれと一度だって会いたくない。怖い。
かれの傍迷惑な幼稚さを語るなら、たとえば齋藤磯雄の訳した何とかいう作家の書いた評伝に書かれてあったこんなエピソードがある。
友人を訪問する際のこと、ボオドレールは友を愕かせようと髪の毛を緑に染めて訪れたが(この時点で発想がクソガキである)、友人はおじさんの悪趣味な嗜好を知り魂胆を見抜いていたので、敢えてそれに触れない。「ところで君、僕の頭をどう想う? 変わっているだろ?」と苛々して自分からいうと(わたしもこういう派手好みな挑発性があるので気持凄く解るけれども、それを披歴し嫌がらせをすることの卑しさ・莫迦らしさも理解しているつもりだ)、友人は「いんや、巴里じゃ珍しくもないよ」と冷然な返し、田舎生れなのもあったかもしれぬ、かれブチ切れて机かなにかを思いきり蹴っ飛ばし、プンプン怒りながら帰ったらしい。
そんなエピソードの多い人間なので、わたしはかれに可愛らしさもなにも感じたことがない。
傑れた仕事であるけれども、批評文にみられるかれの冷然な洞察、冷笑的な風刺めくユーモア、亦悪いのはわが身への自己否定を他者へ投げつけるような人格非難である、実に愛のない批判的態度がかれのそれだ。
されど一つだけ、全くもって批評になっていない、否定どころか批判精神だって欠けている、批評としてヘタでドモりにドモった、抱き締めたいほどに愛らしい批評文を見つけたことがある。
それはかれの敬愛していた(しすぎてわが身と同一視していた)エドガー・アラン・ポオ論というべく批評文であり、かの大批判家・ボオドレール、ポオを論じるにあたっては唯々作品を「凄いんだよ! 凄いんだよ!」と褒めちぎり、英雄へ憧れる少年のような調子で「それ等がどう佳いのか」を論じることすら覚束ない、かれの作品を翻訳していることを青年のそれのような微笑ましい口調で自慢し、まるで「エドガア・ポオ! 天才天才ワッショイワッショイ」と高く掲げてまつりあげ、作家本人の悲劇的な生涯を美談として涙ぐましく語って、人格を賛嘆するだけでは飽き足らず容姿まで絶賛、然り、完全に単なる恋文ラブレターであった。
わたしはここに初めてかれのかわゆらしいところを見て(わたしは文学者フェチなところがあって、何故といいかれ等抑々が生き辛い人間に産まれていそうなのに、人生をみずから理想と仕事に限定させ更に生きることを苦しくさせる、人間くさくて愛らしい社会不適合者が多いから)、「何だ、ボオドレールだって人間らしい愛らしさ溌溂じゃんか」、と自己韜晦ダンディを志向したかれが鬱陶しがるにちがいない感想をもったが、かれがポオを語るにあたってはそう論じるほかなかったのもむりはない。かれ自身とかれのポオへの憧憬・愛着は0距離どころから魂にまで食い入り重なっていたので、そういうものを論じることは元よりできないものだ。客観的に細部を把握することなぞできやない。
抑々が批判的に論じたいという意欲も湧かないのが憧憬・愛着の心の本音であるようで、たとえばこれと同じことを語った或る哲学者も(というよりも、その方の文章がわたしの朧げにしかえられなかったこういう感覚を明快に文章化してくれ、それに勇気づけられたことがここで不才なわたしをして語る自信をえさしめている)、三島由紀夫は美というものを殆ど論じていないと指摘している。わたしは父親に「三島由紀夫なんて読むな」としばしば怒鳴られ禁止されていたので、欲しいものすべて我慢して全集を購い父を呪うように小説は始めから終わり近くまで、評論も殆ど読んだのだけれども(ちなみに小説は豊穣の海の途中で放り投げた)、確かにかれ美なるものを詩的に観念的に謳うように語るだけ、法学部卒のかの論理家・三島由紀夫をしてわが美学論というものを書かしめた意欲はなかったのかもしれない。
わたしはかれのろくでもない性格に何故かしら共感がある、ボオドレールも亦、(かれの幼少期に亡くなった父を思慕しながら)干渉・強制ばかりする義父を呪い反抗していたようだ。ボオドレールとかれの詩編にはわたし12歳以来愛着があるし、週に幾たびかは夢中で読み耽る生活を三十を直前としたいまでも続けている。告白するがわたしは、かつて「我、ボードレリヤン」と気取り月の手取数万程度にして「スニーカーなんて沓じゃない」とわたしなんかと友人関係を結んでくれる数少ない心のひろい友人たちへのたまって、ドレスシューズしか履かない時期があった。服飾文化に詳しい方は解るであろうが真夏でもジャケットを脱がない為に(ちなみに真夏でもジャケットを脱がないのは近代英吉利の紳士の文化で、当時英国の真夏は14度すら超えず30度超え程度で湿度の高い日本でするのは躰に悪すぎる)、汗疹だらけになっていたがそれを佳としていた。かれのように演技的な人格を披歴する自己韜晦的ダンディになりたかったのだ。
そんなわたしであるから「ボオドレール読むな」と誰かにいわれた日には、髪を真赤に逆立てて「惡の華」「巴里の憂鬱」を携えて家宅侵入し、淑やかに強引に贈呈致しましょうか。
然りボオドレールもわたしもただのひねくれ小僧であり、自己否定を他者否定に転じて「自分に同苦しろ」ととんでもない意欲で暴言を吐く人格破綻者、根っから病んでいる見栄坊、それ等を鏡で眺める大自意識家(わたしに限ってはそれを自責亦自責するオドオドした性格であるためうじうじ色々な書物を実践して治そうしたが、すればするほど心捻じ曲がっていった、そんなわたしの実践に対応した心の推移をモデルにしたのが青津の小説だ、読んでいただけませんか?)、元より天邪鬼の幼稚なエゴイストであった。
わたしの大々々好きな詩人である萩原朔太郎は「ふらんすへ行きたしと思へども」から始まる詩を書いたが、わたしは仏蘭西に行きたいと想ったことはなくm行ったとしてもボオドレールの墓参りくらいしかしたいことがない。であるから好きではあるんだろう、この文章も亦、ボオドレール論には全然なっていない。しかしわたしはそこまでかれを愛していないようであったようだ、何故といい論じられていないのは抑々不才ゆえ文学論なんて書けないことに由来しているし、この文章では結構、ボオドレール先生の悪口を書いてしまったから。これは批評にもならず恋文にもならない、ただのメモである。
犬死論