概念-少女小説集 Ⅰ
Ⅰ、Ⅱ...とを重ねる途上で死にます。
狂言誘拐者からの手紙
兄さん。
これ迄いちどとして貴男をこうよんだことはなかったけれども、いま初めてわたしは貴男を兄さんと慕うのです。兄さん。わたしは、好い妹ではありませんでした、いな悪い妹でありました。こんなわたしを赦してくださるかしら、いいえ赦してはくださらぬでしょう、然るにわたしは、貴男をとつぜんに兄さんだなんてよぶのです。けれども断じてわたしは兄さんに甘えたいというのではないのよ、信じてくださるかしら。
わたしは兄さんのことを慕わなかったとお思いでしょうね、ひがみ屋の貴男ならば、ほんの一寸恨んでさえいらっしゃるかもしれません、でもそんなのは兄さんの認識の誤謬よ、わたしは兄さんを愛していました、ほかのどの女よりも愛していました。と云って、兄さんと恋愛したいだなんておもってやしないわ、兄さんが余り女に好かれなかったことを、からかってみただけなの。あら、眉をそむけないでくださる? せっかくのチャームポイントが台無し、兄さんは素敵よ、妹の私からみればね。
冬の夜、高層マンションの屋上で、いくたびわたしはくるしいもの思いに耽ったことでしょう。十六の時分、わたしは妻子あるひとと愛し合っていた、それはいまではまぼろしの如くにおもわれるけれども、あの刹那刹那はわたしのむねに、いたみを伴なう閃光を曳き残しているの。あの甘くおもおもしい感情、かの沈鬱な花々、ひとときしか咲くことを赦されぬ薔薇、たといそれがきえうせてしまったとしても、それはけむりのように高く昇り、そうして、黄昏に融かれてしまうのです。あの一瞬は永遠だった、彼もそうおもっていてくださっていたら、うれしいのだけれども。
然るにわたしは、ある晩にべつの男の愛撫をうけてしまった、いいえ非難しないでください、わかってる、わかってる、おのが醜さを、わたしはこれでもかという程に自覚している、わたしは醜い、愛の奴隷だ、さながら愛するために生まれて、愛されるために苦しんで、愛するために死ぬような。私は獣、それで好い。
そうして、真冬の夜の空気はつめたかったのだけれども、冷えた空で吸う煙草はおいしいわね、低温で燃やすのが、煙草を美味にするひけつよ、けれどもわたしの胸は燃えさかっているがゆえに、この恋の味ほど苦いものなんてないのです。なんでも、適切と云うものがあります、それがものごとを愉しむ方法です、わたしはそれを識りません、だれからも教わっておりません、いまどき英才教育だなんておかしいわ、そうお思いになりません? そんなもの、わたしになんにも教えなかった。兄さんはおもわないかしら、強いものね。
兄さん。
告白いたします、わたしには性癖というものがあるの、変なことを考えていらしてなくって? ちがいます、そういう話じゃないわ、わたしは絶望に身を撚ると、高いところからおのが身をつきおとして、地に打たれる夢想に耽るのよ、いくどもいくども、わたしは飛び降りるの。落ちるわが身は空を切って、したから吹きつける風がここちよい、そして地に打たれて砕け、わたしの肉体は、とるに足らぬ物質へと還元されるの。それはなんという悦びでしょう、なんと鮮烈な瞬間でしょう、これも永遠なのね、この瞬間も永久に吸われるの、わたしは変態よ、異常性癖者。
兄さん。私は、だれかに誘拐されたいのです。なにか力づよい腕にがしと抱かれ、そうして、なにか美しいところに運びこまれたいのです、この痛みばかり充ちた世界で、私はおのが脚であるくのが怖いのです、これは横暴な希みなのかしら。
十七の夏、私は事件を起こしました。
狂言誘拐。
この、もはや有りふれてしまった事件をおこしてしまったこと、迷惑なことはわかっているわ、然るにわたしはそれをおこした、なにか烈しくいたましいものがわたしにそれを引き起こさせた、それがなにかというのを、ほかでもない、あなたに説明したいのです。
それというのも、わたしはあの妻子あるひとと別のかたを愛してしまい、みずからの恋をもてあまして、その余りの巨大な情念をもちきれなくて、そうして、どうしたら好いかわからなくなって、けれども観念は、わたしを誘拐なんかしてくれなくて、いつものように醜いわたしのことなんか無視をして、そうして、わたしはついにおのが身を意志でもって誘拐することにしたのです。
わたしは醜いひと、罪ぶかき魔女、そのひとは十六の冬にわが身を愛したかたではありません、別のひと、そのひとは三十をこえたばかりで、特別に美男ではないわ、腕もなんだかみょうに毛深くて、お酒ばかりのんでいるひと。でも彼ってとてもかわいいわ、優しいひと。
そうして、恋人からの愛はわたしをくるしめて、もういやになって、わたしは、そのかたに抱かれました。
もうどうすれば好いのかもわからない、自分がどうしたかったかもわからない、どこかへ行きたい、もっと美しい場所へ行きたい、ここは生き辛い、だれかわたしを強引に連れ去ってほしい、でも彼はそんなことしてくださらないわ、なぜといって優しいから。 これ、皮肉です。
わたしはある場所へ行きました。家族へ、あんなにも嫌悪していた、憎悪さえしていたあの家へ手紙をおくり、真夏の都会は夜でも暑い、手がふるえる、独りきりだ、これからどうしよう、そんななかで、そのひとに邂逅したの。
兄さん。
つぎにしるす、拙い詩のような手紙のなかみを、兄さんは信じてくださるかしら。信じてくださらなくても好いわ、けれどわたしはこれを書く、なにかがわたしに、それを強いるから。
彼は夢のような美青年で、しかしなにか沈鬱なものがその顔を翳らせ、そのいたましい色香は、わたしに欲求をかんじさせました。
「あなたはだれ?」
「僕は万有引力さ。君を誘拐しに来たんだ」
そしてわたしは彼に抱かれた、もとめられて抱かれるものの悦び、兄さんにこれがわかるかしら。気がつくと、わたしの肉体は空を切り、下からは強烈な風が吹きつけ、みるみるうちに地は接近し、そのなかで、かれのうつくしい顔は、あんなにもわたしがきらっていた波にも似ていて、それでもわたしは、彼に身をゆだねて、そうして、わたしは、最後の瞬間に、かれの本当の名前を見出したの。それは「死」でした。…
兄さん。
そろそろ終わりにするわね。貴男はわたしを責め立てるでしょう、私の醜さ、異常性癖、けれどもやはりこれだけは、言うつもりはありませんでした、けれどわたしの手をなにかが動かすの、あんなにもわが唇はかたくなにつぐんでいたのに、ああ、これだけは言わせてください、わたしは兄さんを、愛していた、こころから、こころから貴男を、愛していました。貴男からのキスを、ひたいでいいから享けたかった、いちどでいいから貴男に抱擁されたかった、然るに貴男はわたしに目もくれなくて、わたしを軽蔑して、ああいくたびわたしは、ベッドで嗚咽をもらしたことでしょう、わたしが誘拐されたかったのは貴男、ただ貴男だけ。わたしは兄さんだけを愛していた、なのに貴男はわたしにつめたい目ばかりをむけ、わたしをなにかとるに足らぬもののようにあつかい、そうして、わたしはこの事件におこすに至ったのよ。
兄さん。
いまでも、胸にのこるかのあこがれが、たびたびわたしに、眩暈を感じさせます。貴男はひどいひと、悪そのもの、ひとを傷つけてばかりのわるい男。
兄さん。
こんな醜い妹でごめんなさい。この手紙はもしかすると、逆恨みの手紙なのかもしれない、ああこんな自分がいや、壊したい、いっそ壊してしまいたい。
兄さん。
もしこんなわたしを赦してくださるのなら、ああそんなことはないでしょう、決してないでしょう、でももし赦してくださるのならば、いちどで好いから、この弱いからだを、やさしく抱きしめてほしい。それはなんという悦びなのでしょう、想像することさえもできないのだけれども 。
兄さん。
わたしは、貴男のことを、まだ愛しています。
貴方のように生きられなかった、妹より
2 後ろめたい少女たち
1 唯子
しばしば春子は私の肩に頭をそっともたれかけた。頬にはらはらと薫りのいい黒髪が落ちてきた。躰はきゃしゃでちいさかった。わなわなとふるえながら肌をよせてきた。そんなときいつも私は彼女のうすい肩をおそるおそる抱くのだった。私はいま自分が春子にいだいている感情は慈しみであろうかあるいは憐れみであろうかとかんがえた。私は自分の感情を信用することができないためにいつもそれを不審がるのだった。
「やっぱり、」
と春子は囁いた。
「女友達が一番だね」
「また別れたの?」
私はほんのすこしの期待をこめて訊いた。
「うん。あんな男、こっちから願い下げだよ」
そのときふっと心に浮かんだよろこびを私はにくんだ。私は他人の、しかも大切な女友達の不幸をよろこぶ人間でありたくなかった。しかし私の感情は私の意思との疎通なくうまれるようにおもわれた。しかも私には「どうせまた男ができたら私から離れていって了う」という気力をうしなわせるような拗ねまであるのだった。
「どうして別れたの?」
「ねえ、聞いて。あいつね、三度めのデートのときに…」
私は自分が話をひろげたのにもかかわらず三割くらいはそれを聞き流していた。どうせ話したいだけなのだろうと軽視していた。もう何度めであろうと内心脱力しながら、しかしこの愛情に飢えた弱くしたたかな友達が愛しかった。
男ができるたびに私との連絡を一方的に絶ち、別れるたびにまた現れて私に慰めをもとめる彼女にたいし、私はつねづね愛情と軽蔑のいりまじった複雑な感情をいだいていた。私はたとえ不器用だといわれようと春子のようには生きたくなかった。しっかりしろよとこの女に言いたかった。しかし春子がこの弱さをうしなってしまえば私に頼ることもなくなるだろうと思うと、この弱さをずっともっていて欲しいという嫌な考えが浮かばざるをえないのだった。この愛嬌そのものがモテコーデに包まれたような女から私はどうしても離れることができないのである。とすると、相手に依存しているのは実は私のほうかもしれなかった。
「…なの! ねえどう思う?」
たわいもない愚痴が終わった。世間で実にしばしば耳にするような内容の感想はいま私にゆだねられていた。
「そんな男、別れて正解だよ。春子には、もっといい男いるよ」
「そうかなあ? 唯子がそう言ってくれるなら、もっといい男探してみようかな」
想定していた答えそのままだった。既視感をおぼえるといったほうが適当だろうか。何度おなじ会話をさせる気だろう。いつまでおなじ生き方をつづける気だろう。男から受けた傷を新しい男で癒そうとするのはやめたらどう? 独りで生きる覚悟をして、精神的に自立してから恋愛したら? そんな喉まで出かかった言葉を私は口にすることができない。その実口にする気もない。それは春子に嫌われたくないからである。こんな猫みたいな気まぐれな女はいちど私をきらえば二度と私に頼ることはせずまた別の友達に身をよせるのではないかと予想したからである。そもそも私に他人を批判する資格があるだろうか。
彼女の純白のワンピースはわたあめのようにやわらかで、ロココ芸術の甘美なる軽薄さにも似たものがただよう。袖さきからは手入れされた白い指先がほんのすこし覗いている。その指をきちんとおりまげて袖をつかんでいるのはいかにもけなげな印象である。いわゆる、萌え袖と呼ばれるやつだ。きっと私を誘惑したいのではなくもはやその仕草が習慣となっているのだろう。フレアしたスカートの裾からは折れちゃいそうに細く白い脚がのび、その先には垢ぬけすぎない可憐なヒールシューズが履かれている。春子が私を見た。猫のように大きくそれでいて微睡んでいるかのようなかたちの眼が私を見つめかえした。吸いこまれそうな瞳だった。透明な湖のみなものようにうるんでいた。無垢で、あたかも「可愛いと思われたい」という感情単体しか存在していないかのような。その子供らしい感情が私には愛しかった。それが錯覚であると知っているのにもかかわらず。
春子には、女友達がすくない。それも春子に相応のことだろうと思う。しかし彼女の女友達の乏しさは私に「ほんとうに頼れるひとは私だけではないか」という期待を起こさせる。彼女に接近する男はみな下心をもっているのではないかと私はうたがっている。そんな男をよせつける雰囲気がまちがいなく春子にはあるのだから。それが彼女の恋愛が永続きしないひとつの原因ではないだろうか。私はそれを、教えてあげる気はない。
「ねえ、」
と私は春子の眼から意識的に視線をはずして言った(そうせざるをえなかったのだ)。
「これから彼氏と会う約束なの。言ったでしょ? そろそろバス停に行かなきゃ」
「えー、」
と春子は腕にしがみついた。白いワンピースのなかにある腕のか細さが愛おしく、にくらしかった。
「やだ。春と一緒にいよう?」
くやしいことだけれども、こういった態度はたしかに私をしても可愛いとおもわせるのだ。しかしこの態度を男たちにも向けているのだろうという意識が私をいらだたせるのだった。こんなにも彼女を愛しく思っているのにもかかわらず、その腕をひきはがすことができたのはこの意識があったからである。
「約束してるから」
「次はいつ会える?」
たとえ約束をしようと、この女は男ができれば連絡もなしに待ち合わせに来ないような人間なのだ。そして再び現れた日にはそれをなかったことのようにして振舞い、愛嬌によってそれを許すことを強いるのだ。許す私も私なのだろう。しかしお生憎さま、私はきちんと、貴女を軽蔑している。
「またラインするから。じゃあね」
待ち合せより早くついていた。そのカフェは居心地がわるかった。椅子が硬い。周囲の客は騒がしい。私は声が大きい人は苦手だ。遠くの席のコップが倒れた。ばたばたとスタッフの走る足音。身丈は167センチあるのにもかかわらず、私は周囲と乖離したちいさなちいさな自己を意識した。そもそも私はべつに彼氏が来るのを楽しみに待っているわけではなかった。なんなら早く家に帰ってフランス詩でも読みたかった。
「お待たせ」
彼があらわれた。顔は別として、非のうちどころのない服装と髪型。カッコつけるべきところはきちんとカッコつけている。トレンドもほどよく加味している。しかしキメすぎていない印象である。ネイビーのニットジャケットに、ナチュラルな印象の白いシャツ。シャツからタンクトップの色が透けていないのは流石といっていいだろう。九割の女子が九十点前後をつけるだろう、そんな服装。私は彼の服装をどうこう批判するつもりはない。しかし彼の言葉の薄っぺらさを感じるたびにこのある種完璧な身なりに腹が立つ。
交際して三か月、私はまだ彼になんの愛の贈り物もあたえていなかった。やがて彼は私に冷たくするようになった。愛の贈り物をすることをしない恋人にたいし、男はまず不安を感じるようになり、やがて憎しみをもつようになるらしい。私は男女とも数人ずつ交際したことがあるのでそれなりの統計・比較ができるつもりだ。肉体的にうけいれられることで男たちは愛を実感するのだろうか。なにか私と決定的に恋愛観が乖離している気がする。まず私の恋愛観をうけいれてくれたら、そのあとで肉体関係を私から求めるようになるかもしれないのに。私は信頼の上でないと躰をゆだねる気にはなれない。まあ、私が世間とずれているのだろう。脱力、脱力。脱力は、私たちの処世術である。何事も本気でとっていたら、私たちは世界に轢き殺されてしまうだろう。
彼とのお喋りはちっとも愉しくなかった。なぜこんな男と交際しているのだろうといぶかりさえした。そしてそんな酷いことを考える自分を嫌悪した。話している間いま春子はなにをしているだろうとよくかんがえていた。またあたらしい男友達と遊んでいるのだろうか。いったい私と男友達どちらと遊ぶほうが春子は好きなのだろうか。そもそもが別物かもしれないけれど。
「ねえ、聞いてる?」
私はわれにかえり彼の顔を見た。
「ごめん、考え事してた」
彼は不満を顔にあらわしてこう言った。
「そろそろ、じゃない?」
私はけがれのない清楚な少女を演出しようとしてそれがわからないふりをした。これはほとんど自動的に私の肉体がおこなった演技であった。そんな自分のあざとさに負い目を感じたが、しかしこれは女ならみんなやっていることだと自分にいいきかせた。実際これはたいていの場合正しいことだと思うし、そもそもこうすれば男は悦ぶからしているのだし、種類がちがうものであれば男だってやっているに違いない。いったいどこのだれが自分自身として生きているだろう?
「えっちだよ」
「ああ…」
私はまよっている態度をとった。それによってつくりあげた隙間時間に思考を逡巡させた。どうしよう。あたえようか、あたえまいか。しかしあるとき私は考えることをやめたのだった。そして勢いによってこう伝えたのだった。
「いいよ」
私はいま唇からもれた言葉がなにか信じられないような気分だった。これは私の言葉であろうかといぶかった。しかし後からこの言葉にいたるまでの心理の筋道を予測することはできた。私たちにはこの能力をしか神からあたえられていないのではないだろうか? それはあまりにも不完全な能力であるけれども。
すなわち私は考えてばかりいたらそれが堂々巡りとなるだけでやがて彼に愛想をつかされるだろうということはわかっていたのである。私には彼が必要であった、べつに彼でなくてもいいのだけれども、それは女であってもいいのだけれども、私には恋人が必要なのだ。なぜといい、私は孤独で弱いから。私は彼がべつにきらいではなかったし、たびたびそれを感じるとはいえふだんは肉体に拒絶感があったわけではなかった。そして人間関係とは与え合う関係であると私は思っているし、いつも私にいろいろしてくれる彼は他でもない私の躰を求めているのだ。私に愛されているという実感をもちたいのだ。彼はいま不安なのであろう。とすれば、私は彼の不安に貢献すべきなのだろう。ならば寝てやるのが道理だろうといささかの彼への同情をこめて思ったのだ。
しかしこの心理描写を信じるのはやめていただきたい。自己認識こそあてにならないものである。私さえも信用できない私のみずからへの心理描写を、いったい誰であれば信じるに足るだろうか? そして断じてこのような心理が女性一般にみられるものとみなすのはやめてほしい。私は女を描写したのではない。私はあくまで自画像を描いているのだ。
こんなふうに自分を分析してみようと、それがたとえ的を得ていようと、私のまえに厳然としてある事実がある。それはいつも私の生きる気力をうしなわせる。
たとえ自分の汚さ・醜さを把握しようと、それでも唯子は唯子でありつづけるじゃないか。
私のつたない心理分析は、積み上がる敗北をしか残さない。
私は彼と、寝た。
その行為のなかに特筆すべきエピソードや感情はなにもなかったけれども。二十歳の美しくもないが魅力のあるふりをしている専門学生が、平凡な年上の大学生と寝た、ただそれだけである。なにか書くことがあるとすれば、それは事後のなにとも知れない後ろめたさである。
処女でなければならないというのは男たちの欲望の投影に過ぎない。女への貞操の強制はすべて宗教的概念を用いなければ成り立たないため(だとおもっている)、宗教の不在したこの国でそれを説く男はただおのれの欲望を叫んでいるだけである。犬が吠えるのと同じことだ。とるに足らない。
そうであるのに、私はプラトニックな愛の欠けた行為に及んだあと、どうしようもない後ろめたさに苛まれるのである。
私はつねづね後ろめたさを感じていた。生きているという事実の背後にはいつもそれがあった。いわば私は反省ばかりしていてそのたびに自分を批判し攻撃していたのだ。小学校の頃から教師は「自分を顧みて反省しろ」といっていたけれど、そんなことを言うから私はこうなったのだと醜い考えさえ浮かんだ。私は自分のこころのなかにある自分のイメージにふりまわされていた。それは気分によって美しくなったり醜くなったり、その映像はいつも私を一喜一憂させた。私は自分が自分であることに疲れていた。しばしば朝おきると春子になっていたという妄想で遊んでいた。自分のイメージに不安をおぼえる、そんなとき私は自撮りをした。私はそれによって自分が美しいことを確認し、それを自分に示して美しい自己イメージをとりもどそうとするのだ。映りがわるいものは見て見ぬふりをし、奇麗に映ったものだけを自分とみなしこっそりフォルダに保存した。私の顔はこの映りのいい自撮りフォルダのなかにしかなかった。しかし春子よりも美しくないという厳然たる事実は私をいつも落ち込ませたのだった。
春子に飲みに誘われてうきうきしながら行くと男が三人いた。聞いていなかった。私にはいちおう彼氏がいるのだ。なぜこういう配慮ができないのだろうとはらわたがにえくりかえる思いだったが気づくと私の表情筋は愛想のいい微笑をかたちづくっていた。もっと素直に生きられないものかとつい思ったが得意技の脱力で対応した。
男たちは折にふれて私の肌に指を置いた。嫌悪。セクハラだと思ったが私は空気を壊したくないのと男たちの逆上が怖いのでやんわりと笑っていた。なぜ男はあきらかに女よりも力が強いのにもかかわらず、それをがっしりとした大きな肉体でしめしているのにかかわらず、こういったことを配慮しないのだろう。私は女の権利どうこうにはそれほど関心はないが、女のなにかに侵食しようとするのならまず自分の恐怖性を払しょくさせ女を安心させてほしい。私は男が怖いのだ。男に突っかかれる女に私は憧れる。殴り返されたらどうなるだろうと考えないのだろうか。
私は自分の臆病さが大嫌いだった。私はよく「サバサバしている」と女友達ならびに春子から評されるが、なぜ自己のイメージと他者のイメージはこんなにもズレているのだろうと思っていた。きっと私の顔も、秘密のフォルダと他人が見ている顔はまったく違うものなのだろう。私は一度でも他人になって私と話せば、きっと唯子として生きていくことはできなくなるだろうと思う。きっと私の内面は私の表情を醜く見せるにちがいないだろう。…
春子を横目で見る。可憐だった。私はその瞬間春子が大嫌いになり、その感情がわきあがる自分のことはさらに大嫌いになった。
私の肌に触れるくせに、男たちは春子のことばかり構っていた。なにか春子が幸福の王女であるかのように褒めたたえていた。こいつらは春子がどんな人間かわかっているのだろうか。私はいまにも立ち上がって春子との嫌な思い出を発表しようという衝動にかられたが幸い私の臆病さがそれをさせなかった。
「唯子ちゃんってさ、」
と前髪がいい感じにくねくねしている男が話しかけていた。
「春子ちゃんほど可愛くないけど、なんとなく男ウケよさそうだよね。モテるでしょ?」
「えー、モテないよ。モテたいよ」
「嘘だあ」
…惨めだった。私は女としての魅力を他人と比較されるのが大嫌いなのだ。それが男からであれば猶更だ。なぜ嫌というほど自分でしている苦痛なことを他人にもされなければならないのか。しかも比較対象が春子だなんて。私が下に決まっているだろう。下? 上? なぜこんな軽薄な男たちの評価に私は憂鬱を感じているのだろう。どうでもいいではないか。しかしどうでもいいとは思えなかった。
「…ねえ」
春子に小声で話しかけた。
彼女はにっこりとほほ笑んだ。この場の疎外感にさいなまれていた私はちょっとその可憐さに撃ち抜かれそうだった。
「…帰ってもいい?」
「えー、帰っちゃうの?」
春子は私に帰ってほしくないのだろう。それは私が好きだからではなくもしかすると自分より下の人間を横におきたいからかもしれないが、それでも春子に必要とされているのはなんだか嬉しい。
「いいよ」
私はあぜんとした。
「ねえー、唯子帰るって」
「え? 帰っちゃうの?」
「ライン教えてよ」
「今度また飲もう」
いまにも泣きじゃくりたくなるような感情をおさえた。帰ったら絶対泣いてやろうと決意した。泣き終わったら彼氏に電話しよう。すくなくとも彼氏は、私が好きなのだ。
「ラインは春子に訊いて。じゃあね」
店を出る。すると三人のなかで最も容姿にめぐまれていない男が追ってくる。彼氏がいるからと断る。
「なんだよ、」
と吐き捨てられる。
「なら来るなよ」
私は決意を破った。泣きながら走って帰ったのだ。そのなかで「三人で一番容姿がわるい」だなんて思ってごめんねと誰にともなく謝っていたのだった。
走っているあいだ私は真夜中の街灯の白い灯に照らされ影をなげる石ころを見た。私も、私の存在をこんな風に思いたいと思った。ただ外界の一部として存在するもの。それ以上もそれ以下もないもの。私はこの世界に在る、なぜこれだけでいけないのだろう。私はなにをしたでもないのに、いつもなにかに許しを乞うているのだ。
彼氏は電話に出なかった。
私はベッドに崩れ落ちてあの子の名前をしずかに叫んだ。声はかすれてほとんど言葉にならなかった。春子という名の響きは、私の喉にはあまりにも素直で、可憐すぎた。
私は春子に別れを告げることした。だって私には彼氏がいるのだ。下心をもって春子に会うなんてしてはならない。そもそも私は春子みたいには絶対に生きたくないのだし、彼女から変な影響だって受けたくない。春子を拒絶するのは私の義務であろう。こうは書いたけれど実質の理由は春子のことを忘れないかぎりは自分が苦しいだろうと考えたからである。私は醜い、エゴイスト。
電話をかける。発信音。胸が高鳴る。春子の少し高めで透明感のある声を想像している。
「唯子? どうしたの?」
「あのね、」
なんて可愛い話し方なのだろうと思う。私の話し方はなんてたどたどしく調子っぱずれに響くのだろうと思う。
「明日、駅前に来てほしいの。話があるから」
駅前で待っていた。また早くつきすぎた。私の悪い癖。待たされるのはいつも私。それを許してしまうから春子のような友人がつけあがるのだろう。私だってたまには怒ってみたい。けれども怒っているときの動物じみた自分を思うとそれができない。
待ち合わせ時間を過ぎた。春子の平常運転である。彼女は平均で一時間遅刻するから、二、三時間は許容範囲である。
…やがて私の影は長くなった。空は赤くなった。待機している私をつねづねさいなんでいた懸念はおそらく現実のものであるようだった。
春子、男ができたんだ。
その場にしゃがみこんだ。両手で冷たい頬をおおった。躰はふるえはじめた。周りの人間はみんな私と乖離していた。私の苦しみなんて誰も知りもしなかった。私はいつも疎外者だった。それでも好かった。もっと春子から大事にされるならそれでも好かった。誰もから軽視され嫌われようと、あの子から愛されるならそれで好かった。私はついに泣きじゃくりはじめた。ひとびとは色彩の醜い私を一瞥さえもせずに通り過ぎていった。
だれか私を肯定してください。生きていても好いと太鼓判をおしてください。私は私を批判するのに疲れちゃいました。もう動けません。こころのカロリーは0です。私のぶよぶよと余剰に膨れ上がった脳にはさまった、思考にいやおうなしに介入してくる黒いゴミを取り除いてください。私は綺麗なものが好きです。汚いものが嫌いです。こんな汚れのたまり肥りすぎた赤黒い肉片のような頭のなかは大嫌いです。私には思想はありません、そんなものはありません、私にあるのは嫌悪です、届かぬものへの憧れです。けれども嫌悪と憧れは、すべての哲学にもまさる強いものではないかしら。というよりも、個人の哲学は、かれらの嫌悪と憧れに追従するのではないかしら。
そんな甘ったれたことを思いながら、いつまでも春子を待ち続ける。彼女は私を忘れているんじゃないだろうか。いつか私のことを思い出して、猫のように気だるそうにそして愛らしく私の前に現れるんじゃないだろうか。「まだ待ってたんだ」そう言って微笑んでくれるんじゃないだろうか。
別れを告げるなんて目的は忘れて了っていた。ただ春子のすがたを見て、いちどでも肩にそっと頭をのせてくれたら。また会いたい。春子、春子。なんど言っても声がかすれる。私は春子とは色彩が違う。流暢に名を呼ぶことさえもゆるされない。春子といると、孤独が深まる。美しい印象画に一点だけ醜い黒々とした傷跡があるような、そんな風に自分を思う。春子、こい焦がれるひと、可愛いひと、なにも考えていない愚かなひと、快活なひと、欲望に忠実で、しかもそのようすが清々しいひと。
私は春子みたいに、可憐に生きてみたい。
2 春子
私は嘘つきだから、私の唇はいつも私を裏切るから、書いているときだけ、本心に近づく。けれども私は、言葉じたいを信用することができなくなってきた。けれども、私はこの紙に、決して伝えることのできない本心を書きつけようと思っている。書き終わったら、燃やしてしまおうと思っている。
私が唯子に恋しているのは、彼女は私にそっくりで、まるで私の分身のように弱いひとで、けれども私とちがい、可憐であるから。
唯子は弱い、そして、その振る舞いは泥臭い。というのも、彼女は虚勢を張った道化のひと、何重もの線に輪郭を線描された、詩のように悲しいピエロ、自分の弱さを覆い隠して、あたかも強いふりをして、まるで盲目であるのに目が見えているふりをしているかのような、視力のない目をかっとみひらいて、内心苦しみにもだえているかのような、そんなひと。けれども私は思うのだ、虚勢を張るのがダメなことなら、私たちはどうやって強さへ向かえばいいだろう。唯子と春子に共通する弱さなど、なんら特異なことではない。
私は、他人の感情が、怖くて怖くてたまらないのだ。私のぶりっ子の原因は臆病だ。臆病なのにひとに気にいられたがる、そのための処世術だ。なぜ感情を解りあうことなんてできっこないのに、ひとはひとと交流しなければならないのか。ひとと交流しないと、寂しくて寂しくてたまらなくなるのか。私たちは不連続な存在である。心と心をつなげるなんて、不可能である。私は特に、女が怖い。男のひとは、私に下心をもって近づくから、楽である。だって他人の欲望は、あるていど論理的に把握ができるし、男のひとって、慣れてしまえば、扱いが楽。どうせ私と男に、信頼関係なんて皆無であるし、それは私の人格が負っている責任であるかもしれないけれど、しょせん、私たちはうつろいやすい欲望だけでつながっているんだから、あとぐされもない。けれども寂しさを、処理することくらいはできる。そう、私はエゴイスト、しかし私だって、ときどきくらいは、躰を与えているのだ。
私が唯子と出会ったのは、あれは、高校に入ってすぐでした。春でした。かの追憶には色彩はなく、陰影のほかありません、桜が散っていました。鳥が歌っていました。ひとびとの顔は喜びに充ち、風はここちよく、そして私はそのなかで、初対面の方ににっこりとほほ笑みながら、その愛らしさを十分に自覚しながら、死ばかりを想っていました。
すなわち、私たちは同じクラスだったのだ。私の唯子への第一印象、寂しそうなひと。にっこりと笑っていても、なんだか目の奥に引け目があるひと。ああ、あのひとは私とおなじ後ろめたさを持っているんだ、私はそう気がついた。だから近づいた。みなさん、メンヘラにはお気をつけください。彼女たちの嗅覚を、舐めちゃ駄目ですよ。ちなみに私、メンヘラという言葉、だいっきらい。
「その髪留め可愛いね」
と、私は唯子に話しかけた。唯子はショートカットで、色も当時黒かったから、ソフトボール部って感じの雰囲気。だから、逆に女の子らしい部分を褒めてみたのだ。
「え、そうかな」
唯子は頬を赤らめた。私はその可愛らしさにぽーっとなった。
「ありがとう。あなたは、顔がすごく可愛い。芸能人?」
それは知っていた。褒め方からして不器用。視線はきょろきょろ。どこかお姉さんな雰囲気。私は、高校三年間、ずっとこの子の隣にいようと決意した。
「可愛くないよー。でも可愛いひとからいわれると嬉しい!」
私は口をひらくたびに、自分の言葉ががらんどうであるという意識にさいなまれる。
「え、私は可愛くないけれど…」
唯子は、たぶん自己評価が可愛いと可愛くないを行ったり来たりしているタイプだろう。ならば私が、唯子の可愛さをたくさん伝えてあげねば。
「んーん。とっても可愛いよ。春の名前は小川春子だよ。春子って呼んでね」
「春子っていいよね、」
と、だいぶ仲良くなってから、唯子にいわれたことがある。次に放たれた言葉を、私は一生忘れないだろう。一生恨むだろう。この言葉ゆえに、私は生涯唯子に愛憎なかばの感情をいだき、そして、私たちの関係性に安堵するだろう。
「春子って、なにも考えてなさそう。悩みがなさそう。そういうところ可愛いよね」
ああ、私は。クラスで一番仲が良くて、世界で一番大好きなひとに、こんなにも理解されていないんだ。私はあなたと一緒だよ。しかも私とあなたの共通する弱さは、多かれ少なかれ、たいていのひとが持っているんだよ。そんなこと言えるはずもなかった。唯子は、自分の弱さに選民意識を持っているひとだったから。そんなことを言うと、彼女は怒るかもしれない。それが、怖かった。
私はこれからも演じつづけようと思った。唯子が言う、なにも考えていない、バカで可愛らしい女の子を演技しつづけようと思った。それはなぜ? 唯子が、そういう私を求めているから。そういう私を、彼女は好きだということに、気がついたから。私は知っていたのだ、唯子が、私に恋しているということを。
けれどもそれは、私になんの喜びもあたえない。もしあなたが女優だったとして、あるいは俳優だったとして、「あの映画の役であなたに恋をしました」といわれ、いったいあなたは嬉しいだろうか? 役はあくまで、役である。私ではないのだ。
なんで、喜びもないのに、私は偽りの私で唯子に好かれようとしたのだろう。それはたぶん、私の自己犠牲フェチというか、それは全然自己犠牲でも何でもないんだけど、いわば、可哀想な自分萌えともいうべく私の気質が、そういういたましい状況へ自分を持って行ったのだと思っている。
私のそれを考えるうえで、やはり幼少期の自分を想い起こす必要があるだろう。幼少期、私には友達がいなかった。強いて言うなら、だんごむしが友達。かれらは私が手で壁をつくると、迷いもせずに右か左に行く。どちらか決まっていた記憶があるけれど、どちらかは忘れた。私はついに両手で丸をつくり、かれらを牢獄へ収容した。かれらはよたよたと行き来したあと、みな丸くなった。なんだか、みじめったらしい生き物。かれらは卑怯で、根性がなくて、可愛かった。
家ではいつも、本を読んだ。それのせいか、勉強だけはできた。それにくわえ、私は容姿にすぐれていた。美しかった。おとなしく、暗くて、勉強ができるために教師から気にいられ、しかも美少女であった私は、むろんいじめの標的となった。
私は殴られている間、自分はだんごむしであると妄想していた。あるいは革命で殺されるお姫様であると想像した。なんだか楽しかった。虐待を受けている自分ほど、奇麗なものはないだろう。私は本気で、そう思う。私は頬を棒で打たれる。嬌声にも似た声をあげて、美しい私は倒れ込む。いまの私は、きっと、とってもセクシー。姿態を丸まらせる。土に横たわる私は、この世でもっとも悲愴で、いたましいだろう。私のいまの眼差しは、まるで殺される王女が、卑劣な憲兵を見上げるときのそれのようだろう。憲兵は、その美しさにはっとなり、さらなる嗜虐を無我夢中でくわえるにちがいない。そのいたましい頬の傷は、私の美貌にさらなるアクセントをくわえるだろう。私は、いじめられている自己に、欲情した。この性癖は、後年、私を極端に多い性経験に導いたように思う。たいてい相手はひどい男で、ほとんど暴力とみまがうほどの行為で、周りはみんな、「もっと自分を大事にしなよ。自分を愛しなよ」と言っていたけれど、私は逆に、可哀想な自分を愛しすぎているから、こうなったのだと思う。
初めて友達ができたのは、中学に入ってから。みんな、ガラが悪かった。不良の男って、可愛いひとが多い。私はそのなかで、初めてひととのコミュニケーションを学んだ。私は頭がいいから、すぐにそれは巧みになって、暗い自分を覆い隠し、明るくふるまうすべを学習した。バカなふりをしたほうが愛されるということに気がついた。巧いことやれば、可愛いと思われてさえいれば、ある程度の傍若無人さは魅力になるということに気づき、そう振舞うことにした。だって、そっちのほうが、多少のワガママが許される、たしかにこの傍若無人さが許容されるのは、若くて可愛いうちだけだと知っていたけれど、私はそもそも、二十歳くらいで死ぬ予定だったので、問題ないのである。
そうして、試験はわざと手を抜いて、頭が悪いふりをして、だから県内屈指の進学校に受かった時、友達からすごく嫌味をいわれたけど、もはやこのひとたちと交際する気はなかったので、連絡先を全員消すことで対応した。すっきりした。人間関係が清算される瞬間って、爽快。私の後ろめたい過去が、すべて消えた気がする。私はそのたびに新たな自分をつくろうとし、毎度失敗して、嫌になって、また同じことを繰り返す。そうして、あのひとの元にだけ、帰ってくる。こころで泣きながらごめんねと謝り、表では適当で傍若無人なふるまいをし、そうして、私が実はすごくひとに気を遣っているということを、誰も知らない。
昔、飯島愛ってタレントがいたけれど、彼女の可愛らしい横柄さ、必至で気を遣いながらの失礼極まりない態度に、私はおのれを見出し、彼女の悲惨な死に方に、ああ、やっぱりそうだよね、と、共感した。私、飯島愛となら、解りあえると思う。太宰治は、嫌。私は、アンチ・太宰です。私は誰よりもかれの悩みを理解しているから、かれの言葉を手ばなしに肯定できない、しかし否定さえも、やっぱりしたくないのです。かれの勧めた生き方と、かれ自身の生き方は、まるで矛盾しているように、私には思えるのです。
古代ギリシャのひとびとは、ある種の後ろめたさをもっていなかったらしい。らしいというのは、私にはその状態が一切想像できず、ただいろいろな本にそう書かれてあったからにすぎないから。私はそれに憧れる、ただ現在が苦しいがゆえに。
彼らは造形美の専門家であったが、それは心の中、自我なんて信じていなかったからで、ただ外へ表出するものを美しくすることに渾身していた。最も大事にしていたのは表面、つまり形式だった。心中が醜い、汚いなんて後ろめたさがなかった。それは彼らが、反省をしなかったということでは、決してないけれど。彼らにとって、自分が存在するということは、道にしろじろとした石版が土に影をなげているのと、おなじことであった。ただそこに在る、それだけで好かったのだ。
大理石のように、美しくなりたい。欲情さえもひきおこさないほどに、完全で冷たい裸体を持ちたい。純粋な魂は、そこにこそ宿るようにおもわれる。
純粋な魂、それは、愛するひとに、澄んだ気持ちで愛を注ぐであろう。奉仕、私は二十歳になっても、この観念に憧れるのだ。それはこの時代にあっては、かならずや悲劇を導くであろう。純愛は、いつも、むっと死の薫りがする。道端に投棄された、あまりにも豊かにすぎる美に耐えかねて、悲しいほどに精緻に整ってしまった、いちりんの真紅のばらのように。
高校二年生の時に、私はある男と恋人関係にあった。いいえ、私は唯子に恋しつづけていても、ほとんど彼氏を切らさなかったのだけれども、わざわざ彼の話をするのは、彼が、ある種忘れられない男であるから。酷い女だと思うでしょう、そうです、私は酷い女です。どうぞ軽蔑してください。しかし私は、心は唯子に向かっていても、他の男に、胸が高鳴るのだ。頬が、赤く染まるのだ。私のういういしい赤面、これは私の、本心である。頬の紅潮は、嘘をつかない。私だって、ときおりくらいは、正直になりたい。私は本心のままに言葉を放ったり、行動をすることに、幸福を感じる。だから大好きな唯子を、褒めるのが好き。私はわが頬の、かわいらしい赤いろに、正直でありつづけたい。でも、唯子の肌に、うっすらと浮かぶ蒼いろ、くすんだ頬の色は、もっと好き。
彼は、三十代だった。美男でもなんでもなくて、腕がみょうに毛深くて、デリカシーがなくて、でもとても、かわいらしいひとでした。臆病なひとでした。だんごむし、私は内心そう思っていました。おなかも少し、出ていたし、フォルムだって、ちょっと似ていた。
彼は口癖のように私に問いかけました、「僕を愛してくれている? 僕といっしょに死んでくれるくらいに」
ああ、私は、あなたを、愛してなんかいない。
あなたは、私の頬の紅潮に、奉仕するためにあるのだ。あなたの愛は、私の頬にひざまずき、私の病んだ頬を真紅に染めるために、犠牲となるのだ。自分では奉仕をしたいと願っておいて、それをするにはあまりにも弱くて、しかも他者に、恋愛感情を利用して、奉仕を強要する。私は、そんな人間だ。しかし彼だって、好きな人といられるのだから、いい思いはしている。
美しく生まれなければよかった、と、ときおり思う。そうすれば、独りで歩く決意が、できたかもしれないから。
私が彼の問いに、どう答えていたかは、秘密。すべてをさらけだしてしまうのは、エレガントじゃないから。
そして、最近、彼とふたたび邂逅したのだ。
「奥さんとお子さんは元気?」と訊くと、
「いまその話はしたくないな、」と言う。
彼はまた私と恋愛したいのだな、と気づく。自分の肉体が、私の意思と関係なく、男に、魅惑を売っている。男の視線は、露骨である。それに慣れてしまったのは、いったい、いつの頃だったろう。ところで私は、前の彼氏と、別れたばかり。
交際を、その日のうちに決めた。彼と接吻しているとき、唯子のことを、思った。後ろめたい気持ちでいっぱいになったが、私はもはや、自分に絶望していたから、私の人生なんてこの程度だと諦めていたから、キスの最中は、それほどに苦しみはなかった。けれど、私は、本当は、唯子のために…、これ以上は、書けない。
そして、彼と寝て、自分の人生について考えて、不安でいっぱいになって、寂しくて、苦しくて、私は唯子に会いに行って、そして、ひさびさに、唯子の肩に、頭をもたれかけたのだ。唯子は私を好きなのに、私はこんな状態で、唯子に、甘えている。躰が、震えた。こんな生き方をしている私が、それでもなお唯子に甘えているという事実が、後ろめたくて、自分を壊してしまいたくて、けれども、唯子の肩は、愛しいひとの肩は、あたたかくて、私にそれに幸福を感じる資格はなくて、本当は、いまにも抱き着いて、愛しいさくらの実をおもわず唇に挟んで、衝動のままに慈しみもみくちゃにするような、烈しく奇麗な接吻がしたくて、けれども、私は、唯子に躰を寄せているとき、自分の、あらゆる意味で汚れた肉体ばかり、意識していたのだった。
人間はみな弱さを持っている、そうであるならば、私は、虚勢を張ることこそが、強さであると思うのだ。覆い隠した弱さを、叩いて、叩いて、強いふりをして、一途に他者のために踏ん張って、死に物狂いで強さへむかって、虚勢を張って、そんな道化を演じているのが、その意欲をもちつづけられるひとが、強いと思うのだ。それが、「可憐」ということだ。私たちは、人間に共通する弱さを憐れむことによって、ひとに「可憐」を見出すのだ。
唯子は、たまにそんなひとである。
彼女のそれを説明するうえで、ひとつの挿話を思い出し、紙に書きつけようと思っている。それはきっと失敗し、私はこれまでのように、紙を放り投げて、また遊び人の世界へ戻るであろう。いや、これだけは、これだけは書く。私にだって、美を表現してみたいという、意欲がある。
唯子の両目が、見えなくなったことがあったのだ。高校時代。原因は、ストレスであるらしいけれども、ストレスで声が出せなくなったり、耳が聞こえなくなったのは耳にしたことがあるが、目が見えなくなるとは、珍しい。
教室で、私はそれを知って、
「ずっと見えないの?」
と訊くと、
「時と場合によるかな。ふだんは、見えにくいって感じ」
と、重くたれさがった瞼をしめしながら、言う。
「私の可愛い顔見える?」
と、あえて冗談のように言ったが、
「この期におよんでも、そんなこと言うんだ」
と、唯子、苦笑い。私は、会話のあとの習慣、「さっきの会話反省会」にいそしむ。どうでもいいひととのそれのあとでは、しないのだが。
「春子の顔は…、」
と、唯子は、すごく、すごく申し訳なさそうな顔で、
「はっきり見えるよ。うっとうしいくらい、可愛い顔がはっきり見える」
と言った唯子の視線は、私のいるところから、九十度は、離れていた。
なんで嘘をついたのだろう。しかも完全犯罪とは程遠い、不器用な嘘を。私は唯子を、はじめ憎んだ。自分の不誠実を棚にあげて、唯子の嘘を、内心でなじった。唯子だけは、彼女が辛いとき、私に嘘をついては、いけなかった。唯子は私に、頼らなければならなかった。私に泣きついて、愚痴を言って、涙をながしながら苦しみを吐き出して、けれども、そんな私のきもちは、唯子への優しさのためではなく、私のため。
帰ってから、「心因性視覚障害」について調べて、唯子のきもちに、気がついた。この病気は、ストレスや、緊張の対象に、もっとも強く反応し、見えづらくさせるらしい。唯子が、私をストレスだと思っていたのかは、決めつけてはいけないから、わからない。けれども、唯子は、私に負担をかけないように、嘘をついたのだ。私は、自分の不甲斐なさと、情けなさに、泣けてきた。
つぎの日、学校へ行くと、唯子が、独りでぽつんと、教室という圧迫された空間に、さみしげな白い羽がふわとうかんでいるように、座っていた。目を、閉じていた。オディロン・ルドンの絵画のように。美しい。私は心から、そうおもった。目を閉じた唯子の、その静けさ、外界との遮断、その瞑想しているような表情、それは、祈るひとの手のかたちの、祈りが淡い澄んだ空気となって、空高く昇り、天上の砂に沈んでいくような、そんな美しさにも似ていた。
唯子が、ボールペンを、落とした。私はそれを拾おうとした。このくらいの善意には、私みたいな人間であっても、べつに、下心はなかった。けれども、
「取らなくていいよ、」
と唯子は言い、埃の積もる床に、傷ついた蛾のように這いつくばって、うろうろと腕を幽霊のように漂わせ、ああその惨めったらしい姿の、なんと美しいことだろう。生活者の美。一途でひたむきな、生活と自立への愛。私はそれを見て、こころが傷ついた。後年たびたびそれを想い出し、苦しみに身を折った。その傷は、いまでも、私の神経を這い、折に触れて、私を苦しませるのだ。
くだらない男子が、不格好な唯子の悪口を言い、そして私は、彼に言い返さなければ、勇気をもって、彼に注意をしなければ、そう思っていたが、私は、つくづく臆病だった。
「言い返せなくて、ごめんね」
と後で言ったところ、
「そんなこと春子にしてほしいなんて思ってないよ」
という言葉が、一番、辛かった。
私は、勇気を、期待されていないのだ。私はただ道化と、かわい子ぶりっ子と、天真爛漫で傍若無人な、本当の私とは似ても似つかぬキャラクターを、求められている。けれども、知ってほしい。私は誰よりも、この大嫌いなキャラクターを演じぬいたと。義務を、必死の思いでこなしつづけたと。
私は自分の役が大嫌いで、ほんとうは、無垢なほどにやさしいひとになりたくて、純粋な魂にあこがれていて、肉体が憎くて、エゴも性欲も、食欲でさえも腹ただしくて、気味が悪くて、人間の有機性、どろどろと内部でおこなわれる生きるための細胞の運動がこわくてこわくて、なんで私は生きていたくないのに、勝手に私の有機性は生きようとしているのだろう。こんなことになるのなら、肉をもって、産まれてきたくなかった。美しくて硬い、人形になりたかった。痛みさえも拒絶する、無機物になりたかった。
私にだって、ほんとうは、こんなふうに生きたいという理想があるのだ、しかしそれは、あまりにも私には高級で、もう、私はそれに向かうには遅すぎて、純粋な魂、それのさせる美しい奉仕、そんなのは、もう、いい。私は、庶民的な美、生活者の一途な態度、それがときおりきらと反映させる献身のひかり、これに、いま憧れる。けれども私は、それに、届かない。届こうとする、意欲も、もはやない。生きる意欲が、ない。私の自殺願望、これに、思想など、ない。あるのはあらゆるものへの嫌悪、憧れに届かない自分への失望、そして、そもそも私には、生きたいという欲求が、ないのだ。生きていたく、ないのだ。ただ在るだけで、苦しいのだ。
恋人から、メールを拝受いたしました。私は彼の要求を、うけたまわりました。こころでは唯子に恋い焦がれ、唯子に憧れ、けれども、私は、好きでもない男と一緒になり、唯子を、唯子への恋を、裏切ることにいたします。ひさびさの、唯子からの「話がある」という電話、私は必至の形相で、命からがら(これは皮肉である)、逃避いたします。きっと、いいお話ではないのでしょう。唯子の声の、トーンで解る。私は裏切る、せめてもの救いは、唯子が、私の恋を、知らないことだけでございます。
人間は、逃げなければそれで好いのだ。逃げても、また立ち上がればそれで好いのだ。そう思ってはいるのだけれど、私はすべてから、唯子から、逃げつづけてしまう。唯子といると、私は辛いのだ。なにか唯子のひかりが、私を責めたてているように感じるのだ。後ろめたいのだ。
私は唯子を、憎んでいる。逆恨みである。このただ苦しみのままに書き散らした文章、唯子へ送ってしまおうか。唯子に、私の恋と、憧れと、届かないからこその苦しみを、知らせてしまおうか。唯子は身をよじって苦しむだろう、そして、私と両想いだったことに、ほんのすこしの喜びと、それを伝えたのちに死を選んだ私に、痛ましさと、軽蔑を感じるだろう。復讐、そうだ、これは、可憐な美への復讐だ。私は唯子に、罪悪感を与えたいのだ。罪悪感を与えること、これは、恋人どうしになるよりも強烈で、永遠で、むっと薫る椿のように甘美だ。紅いろの椿の花びら、血のように落つる、さみしく、はらはらと落つる。唯子よ、とわに私のことを、忘れることなかれ。本当の私を、偽りの私に恋した貴女に、突きつけてやる。私は貴女を憎み、そして愛した。そもそも私ははじめから、誰にも見せないと書いておきながら、唯子へ向けて、ペンを走らせてはいなかっただろうか。唯子にだけ、唯子にだけは、私の気持ちをわかってほしいと、思っていなかっただろうか。私は死の間際まで、唯子に甘えるつもりなのだ。
春が美しく朗らかでなければいけないだなんて、いったい、誰が決めたの? 私は黄いろい薔薇、淋しい一輪の黄いろの薔薇。不吉な花言葉に定められ、春らしく、明るく愛らしくなければいけないというポーズを強いられた、淋しい花。コケトリーに美しい顔をなげだすだけ。私は、女を利用し、女を侮辱する生き方をしていたのだ。
さようなら。私は娼婦、既婚者の愛人、けれども娼婦の、なにが悪い。自分の躰を犠牲にして、ひとに奉仕することのなにが罪だ。
されど私、奉仕をしない娼婦、自分のためだけに躰を差しだす愛人。
私はいちどでいいから、貴女のように、可憐に生きてみたかった。
3 睡る水晶
星空文庫
星空文庫
睡る水晶
青津亮
25~26くらい。
1
十七歳、そのとき私は、みずからの片想いにそっとてのひらをおき、精緻なゆびづかいでおそるおそるとりあつかって、死へとかたむきかねぬあやうさのなか、あたかも科学実験のようにして精確にゆびをはこばせ、その感情から不純なものをとりのぞき、それを純潔なものにしようとして、あわよくば、魂に睡る美しい鉱石のようなそれにしようと、苦心していたのだった。
わが恋が叶わず、かのひとにわが身がとどかぬならば、せめてわが感情をただしく奇麗なものとし、ありとあるみにくいものをきんと撥ねかえす、つめたく硬質で、壮麗に屹立する水晶のような魂を、つくりあげようとしていたのだった。
私はそのために、けっして、報われてはならないのだった。私は私の恋を、美しいかたちで天へ昇らせるために、深い森のなかへ、わが感情をなげ棄てねばならないのだった。私は私の片想いを、王子のために身を投げ泡となった人魚姫の、空へほうっと浮かんだ純粋な魂のようにするために、死ぬる覚悟で磨かなければならないのだった。
こんな、あまりにも観念的な心の作為は、おそらくや、肉欲に潔癖な少年少女にごくごくみられやすい、自己陶酔のともなう、破滅的なそれであったろう。良識的なおとなたちは、私の内面努力を一笑にふすであろう。
しかし私は、この心の操作に身も心もいっぱいいっぱいにさせていて、わが感情が果して、美しいものであるかみにくいものであるか、それこそが私の生死をも左右する、もっとも重大なことがらであったのだ。
高校二年生、わが恋の相手、かのひとは、私の高校の数学教師であった。
かれはメタルフレームの眼鏡をかけ、けっしてよれたジャージなんか身につけず、いつも清潔な、濃紺のスーツを着ていた。トラウザーは折り目ただしく、ネクタイの趣味はシックだった。三十七歳、私よりも二十も年上で、それは私の年齢よりもおおきな数字だった。ただかれが独身なこと、それだけが救いであったのは、私の自己本位な感情によるものである。
先生。
この物語では、かれのことを、先生とよぶことにしよう。この物語で、私が先生と呼ぶのは、かれだけ。
先生。この響きよりも甘く沈鬱な音楽を、さまざまなニュアンスを重ねられたこころ揺さぶる詩を、私はほかに知らないのである。
先生。こい焦がれるひと。とどかないひと。私の恋をうけいれず、そしてぜったいに、それができないひと。きらと輝る眼鏡。その奥にある、感情のよみとりにくいほそい眼。硬く論理的な口調から、ときおり春のこもれ陽のように照りかえすやさしい感情。チョークを巧みにあやつる、流麗な手つき。自分が書いた数式に「美しい」とはしゃぐ、少年のようなかわいらしさ。
先生。私は壁にむかい、かの言葉を、ものかげにかくれ後ろめたいことをする、子供のような高揚のなかで、そっと、舌のうえで響かせてみることがある。
「sen」の発音は、くるしい。産まれたての小鳥が、身をふるわせるように喉からしぼりだされた「se」の音は、「n」の、喉をふさぐような響きにとざされ、くちのなかで、熱をもったまま籠ってしまう。それはものくるおしく、もどかしい感情を、私にもたらす。
その後、幸運なことに、「sei」と、水の落ちるような、あるいは空がまっさらな青をひろがらせるような、そんなきよらかな音を発することを、私はゆるされる。
私は罪ぶかい、なぜといい、このさわやかな「sei」を発音するとき、まるで夜空を曳く星がかすかに燦り、またたくまにきえて往くように、私のかなわぬ幸福の夢を、奥ゆきのない群青色の空に、うっすらと、かさねてしまうのだから。
私はふだん、媚を売るような女ではないのに、「先生」と呼ぶときだけ、どこか、コケティッシュだ。そして私は、それに罪の意識をもっていたのである。
私は奇麗じゃないから、むしろ、ちいさいころから男の子たちに容姿をからかわれてきたほうだから、「可愛い」なんていわれたこともないから、その反動で、水晶や白いアネモネ、夜空をかがよう星々などの、美しいものをこのむようになったとおもっていたのだけれども、先生はちっとも、美しくなんかなかった。タイプでも、なかった。
けれども恋は、どうしようもない、いいしれない愛しさをうむから、その制御しきれぬ愛しさは、かれの濃紺のスーツ、そしてかれの筋肉のとぼしい細い躰にまでくいいって、かれの容姿も、大好きになってしまったのだろう。
授業中。私は先生を、じっと、みつめている。そのまなざしはひたむきであり、それでいて、こっそり悪戯に耽るこどもの、無我夢中な眼にあるような、たえず背後で後ろめたい感情のひびきわたる、かの快楽がまじっている。それがあるために、私はこの行為に、さらに夢中になる。それはしばしば、私にノートを取らせることや、そもそも授業の内容を聴くことを、忘れさせる。
されど私は、数学が得意だということになっていた。理系クラスを選択する女子は、男子とくらべ、どこの学校もややすくなめであろう。
ときおり、「女の子なのに、数学ができてかっこいいね」という、みずからの性にたいし、やや自虐的な誉めことばを、女友達からいただくことがあった。
しかし、私の数学の成績がほんのすこし良かったのは、ただ先生に好かれたいから、そればかり勉強していたためであり、そのためにほかの教科をおざなりにしていて、実際のところ、べつに得意でもないし、好悪の話をさせてもらえば、ちょっときらいなくらいだった。しかし私は、みずからへ、「私は数学がきらいである」という命題を提示することを、それをゆるすことを、禁じていたのだった。かれの教える教科をきらうことを、私はけっして、してはならなかったのである。ところが、かれからの好意をえようと努力する私自身のことを、私はとても、きらっているのであった。
かれが、ある男の子をあて、解答を発表することをもとめた。男の子は、正答することができなかった。その言い方から、なんとなく、ほかのことを考えていたのだろうと忖度された。それは私も、おなじであるけれども。
「ダメだよ、ちゃんと集中しないと。また当てるから、次はきちんと解答しろよ」
ちょっぴり厳しいその口調には、「相手に負担をあたえたくないために、厳しくしたくない」という感情と、「教師として、生徒のために厳しくしなければ」という感情との交差・葛藤がみいだされ、それが、冷たく厳しいけれど、いくぶん義務めいている、いわばみずからの言動にたいし、どこか他人行儀な言いかたをさせているのだろうと、私は推測した。かれは心のなかで、生徒を傷つけたことによる苦痛に、涙をながしているのだろう。それを心に、秘めているにちがいない。
私のなかで、涙を秘めているかれが、教壇のうえで、もの悲しいひかりを浴びながら、それを天上の砂のように、さらさらと、こぼれるように反映させながら、しろく、しろく聖化されていった。
私はなんだかどぎまぎしてしまい、自分の思いこみのはげしさにうんざりもし、けれども私の肉体は、叱られたかれにたいし、ちょっぴり嫉妬を起こしているのだった。(私は肉体ということばを使ったが、これはけっして性欲の話ではないことを、ここに念押ししておく)
2
私は私の感情を、純化させねばならなかった。
ありとあらゆる欲望を、エゴイズムを、それを私じしんが躰をもって産み落とされるまえの状態へ、つまり無に帰することはできずとも、「肉体」という概念の箱に投げ入れ、それを価値がないもの、不潔なものとして否定し、ただ「魂」を崇拝し、磨きぬき、それによって、死にものぐるいで「肉体」に反逆して、ただ純粋な魂の衝動に、したがわねばならないのだった。わが肉体を、その水晶の感情に、したがわせねばならないのだった。
淡い色彩のひろがる、あらゆる輪郭線のとけこんだ、点描画のようなまっさらな砂浜で、私は待っていたのだ。学生らしい、みじめな体育ずわりで、海と空との境界線をじっとながめながら、かの水晶の、真白に透きとおった、それでいて複雑きわまる純潔な感情が、私の内部にその姿を立ち昇らせ、わが身がかの境界線へ、ついに纜を解かんことを。
私はそのために、先生からの愛をえようとする、いっさいのあざとい行為を、みずからに禁じはじめたのだった。ふたたび、「肉体」と「魂」の仕分けを、まえよりも厳密におこなったのである。
私にゆるされている感情は、だんだん削ぎ落とされて、ミニマルに痩せていった。かれからのなんらかの好意をえるために、数学の勉強をすることをも、私はようやく、みずからへ徹底的に禁じはじめた。私は、学生の本分は勉強であるがために、それをみずからへ、義務の観念によるものだと考えさせていたが、それこそが肉体的な欲望との馴れ合いであり、そもそも義務の観念でなしに、魂の衝動、すなわちわが美意識を音楽によって打ちすえる、美的な衝動のみを、私じしんへ求めていたはずであった。
私はとりあえず、もっとも勉強したくない教科を、すなわち、きらいな教師の教科を、いやいや、そして必至で努力しはじめた。これはいうまでもなく、わが魂を発現させるための、ある種の無益なレッスンであった。
しかしその禁止の行為には、恋のアプローチが失敗することによって、自分が傷つきたくないというおそれが混入しているはずであり、それは私の心の作為と結びつき、ほくそ笑みながら、手をにぎりあっているはずであった。そして、自分を悲劇のヒロインにおもいたがる、とくに私のような人間に見られやすい、もっともいやしいエゴイズムのひとつさえも、そこにみいだされたのだった。
私はそれらをたえず批判し、みずからを攻撃した。やすみなく批判の鞭をくわえれば、やがて欲望の声は息をひそめ、それに反抗しつづけてさえいれば、やがては睡る魂の感情が、そのがらす質の姿を、さながら不穏な雲間に姿をあらわした月が、湖上に月影をうつすように、ほうっと浮かびあがらせることであろう。そんな幻想が、私にあった。それを紙にだけでも、創作のなかにだけでも反映させようとして、私はいつも、夢のように美しい詩を書いた。だれにも見せず、どうせ世間でみとめられないとわかっていても、それでも無益に詩を書く自分を、いじらしく、可憐におもっていた。
されど、「わが感情を純化させる」という、いやおうなしに悲劇へ導かれることが決定している、このさみしい希みこそが、それこそが欲望であり、エゴイズムではなかっただろうか? なぜといい、それの施行のための努力には、かならずやわが生活の義務をそこなわせ、他者に迷惑をあたえることがともなうであろうし、これの究極のかたちを、すなわち自己犠牲の透明な死を、みずから望むことには、なにか恐ろしいエゴイズムが隠されているように、私には思われるからである。みずから希んでなす殉死、いったいこれの、どこに透明性があるであろうか? 殉死とは、そこに自己の欲求の一切がなく、やむにやまれぬ外の事情に殉って、はじめて成り立つものではないだろうか?
私は単なる、「不幸好み」の、他者への迷惑をかえりみぬ、かわいそうな自分だけを愛する、もっともいやしい女ではなかっただろうか? 私の先生への愛に、ドルジェル伯爵夫人にみいだされるような、美しく素朴で、それでいて複雑怪奇な感情は、果して、すこしでも混入しているのであろうか?
私はこの、みずからの肉体へのたえまない批判によって、肉体に操作されるあらゆる行為への嫌悪によって、つねに「生の後ろめたさ」とでもいうべき感覚をえて、それは私を、生きていることの罪悪感へと駆って、もしやするとそれが、死によってその苦しみを終わらせたいという、単なる逃避への欲望をあたえた、あるいは元来あったそれを、ますますつよめたのではなかっただろうか?
このように考えると、私の魂への希求には、肉体の欲望以外のものは、いっさい発見されないように、おもわれるのであった。私はただ魂の存在を、みずからのうちにたしかめたかったのである。
私はこれを支持していたのだ、「魂とは、肉欲に反抗するなにものかである」。しかしある肉欲に反抗するなにものかの感情だって、ともすればある肉欲とあざとく手をにぎりあっていて、しかもそれは肉欲に反抗するべつの肉欲そのものであって、双方は生活の処世術によって、妥協しあい、なんらかの欲望を、誤魔化しあっているのではないだろうか? 誤魔化し、虚飾、きらいだ、きらいだ。みにくい余剰物、過剰にして悪趣味な衣装、精神に付着した贅肉である。
私は、だれしもがもっている嫌悪と憧れの種類が、やや宗教的にかたむいていることをのぞけば、ほかの少年少女と、なんらかわりはないはずであった。そう、私の肉体が欲望をうったえることを、私はとめることはできない、それはいやおうなしに躰から発せられるであろう。されどそれを、みずからの行為をさだめる記号にしてはならない。くわえて私は、けっして、みにくい感情を美辞麗句で偽装し、それがあたかも美徳であるとみなして、自己へそれをゆるすようなことを、しないと決意していたのである。たとい、それを許すほうが楽であろうと。
あらゆる少女にとって、嫌悪とは、いかなる哲学にもまさるはずだ。されど嫌悪こそ、肉体に属すものの代表ではないだろうか? ともすればひとの思想は、おのおのの嫌悪と憧れに、追従しがちではないだろうか? …
私は、こころの底では、おそらくや、魂なんてないのだと、思っている。それを虚数のような、「人間の性(さが)」をどうにか把握するために、ないものをあると仮定してつくりあげた、虚しい、かわいた風の吹きわたる、がらんどうの概念であるように、ときおり、いや、つねひごろ感じている。しかしその存在を、私は、信じざるをえない。信じる義務みたいなものがあるから、信仰しているのだ。なぜといい、魂の衝動による美しい行為が、目も眩むばかりに美しすぎるから。私の躰には枷がつながれ、その真冬のかわいた聖地で睡っている、美しく高貴な観念に、その吹雪と喪失の遥かで硬い幻影に、どうしようもなく、引きずられてしまっているから。
十七歳。殉教者のそれのような死を、むかえたかった。
数学の成績は、だんだん下がっていった。もともと能力がたかくないうえに、努力を放棄したのだから、当然である。しかし私は、「先生の気を惹くために」勉強をするという自分を、もはやすこしでも、ゆるすことができなくなっていた。
いっさいの欲望を、肉体に属するけがらわしいものを、私は憎んだ。性欲も、虚栄心も、食欲でさえも、私には気味がわるかった。有機性。なにかを食べているときの人間の姿に、私は獲物をとらえ肉をひきさく虫けらのような、ぞっと血の気のひく、なまなましさをみた。
贅肉は、私の肉に余剰にはみ出た、可視化した欲望そのもののようにおもわれ、私は厳密な食事管理をおこなうようになった。あばらが、浮き出るほどには痩せた。私は私の肉体のうちで、骨だけには愛着をもっている。それはある種の半永遠性を有した、ほとんど無機的な、白く硬いものだからである。しかしそれでも、乳房は、やや残った。私にはそれが、男へ媚びるために肥大化した、セックスアピールの球体のようにおもわれ、「私は女の肉体をもっています」と、ぶらぶら動物的に揺らしながら、周囲へ示すもののようにおもわれ、いまにもナイフでそぎ落したいくらいの、嫌悪をもった。
身だしなみを気にかけることなんか、私じしんにゆるされるはずもないから、私の髪はいつもばさばさで、ひとつにくくっただけだった。私の容姿は、わが意志、いやちがう、これこそが、美徳じみたことばによる偽装だ、それはなによりも強いわが感情、わが嫌悪によって、不健康で汚ならしいそれへと、落ちこんでいった。
されど私は、美しくなりたかった。その美の純潔性、完全性ゆえに、だれをも欲情させることのない、硬い氷のような美貌をもちたかった。大理石のような、あるいは睡る水晶どうようの、透きとおった裸体。硬質な人形のような無機質性。無機物は美しい、なぜといいあらゆる有機性、すなわち、なまなましい細胞のうごめく肉体性を拒否する、残酷な冷たさがあるから。夜空には完全な美、すなわち銀に燦めく月が、死者の骸を反映した燐光によって、いのちを供物とし燃やしつくした青みのかかる音楽によって、涙をふりそそがせながら、私たちをかなしんでいるはずである。…
しかし実際の私は、不健全にやせ細った、栄養不足で肌のきめの粗い、身形のなっていない、ひとりの不器量な女にすぎなかった。私の肉体では、血はどくどくと流れ、私の意思に反して、こんな劣悪な健康状態のなかで、わが細胞は、ひっしに生き抜こうとしていた。私にはそれが、いかにも気持ち悪かった。生きてあるだけで、苦しかった。わが全細胞の呼吸は、みにくい傷口が鯉のようにくぱくぱと口を開け、ものほしそうに、欲望の餌を食らいたがっているようなイメージをあたえた。息をするだけで、嫌悪に、全身が総毛立つことさえあった。
私はようやく気がついた、すでに私は先生と、肉体が霧消しているために清潔な、死者の硬く冷たい観念のみをしか、人間を愛せなくなっていたのである。
私はどこにいてもみずからのみにくさを意識したが、それはあらゆる意味での、いやしい肉体にたいするひけめからだった。私は、ただ廊下を歩いているだけでも、骨ばったみにくい脚が周囲に合わせたがる臆病さによって前に出て、病人のそれのような腕をものほしげに揺らし、怠惰に操作され力なく瞼を垂らし、欲に視線をぎょろつかせ、そしてそれを覆い隠すために、すなわちある種の虚栄心によって床ばかりをみつめる、私じしんの肉体を、天井、壁、あらゆるところにある目から観察し、軽蔑し、肌があわだつほど嫌悪していた。平気で制服のズボンの裾をまくり、すね毛を露わにしている男子たちの神経が、私には理解できなかった。
3
先生に、呼びだされた。
なぜ担任でもない、一教科の担当の教師が、私を呼ぶのだろう。しかし私に、ある期待があったのも事実であった。それはむろん、私の小心な怖れによって可能性を否定され、またその心理は私じしんによって、娼婦のコケトリーだと批判された。たとえ娼婦であろうと、このコケトリーだけはもってはならないと、当時私はかんがえていた。
されど私は娼婦とは、もっとも崇高な仕事を為しえる職業であるとおもう、ただみずからの肌があらゆる悦楽を撥ねかえし、ただ他者のためにのみ悦んでいるふりをし、そして肉体の悦びを、自己を犠牲にして、男たちにあたえるのならば。たとい賃金をえていようと、そこには偽りの悦びに秘められた涙、そしてひとしずくの真の奉仕があるように、私にはおもわれる。
現在、扉の前。
先生。先生に、会える。初めて個室で、かれとふたりきりで話せるのだ。結局のところ、私は廊下を歩いているとき、わかりやすく浮き立っていた。そのあとに、みずからへの攻撃によってふたたび落胆し、そうした一喜一憂をくりかえしていた。
扉に、手をかけた。ノブをもつ手が、ふるえていた。この手のふるえ、これを操作しているのは、欲望だろうか、魂の衝動だろうか。魂の衝動であるはずはなかった。肉体の衝動かどうかも、正直、よくわからなかった。私にわかるのは、それが、恋の衝動であるということだけだった。恋がおしなべて肉欲か、性欲の別名か、あるいはプラトニックラブを含むか、それを愛へ変貌させる義務があるのか、そんなこと、いったい人間に把握することなどできるのだろうか? それはおのおのが抱けば好いだけの、絶対的なものなんてない、個人の思想にすぎないのではないだろうか?
扉をひらいた。先生が、神妙な顔ですわっていた。窓から陽が射して、眼鏡がひかった。私の顔をみると、やさしく、微笑みかけてくれた。陽の照りかえしが、レンズの領域から去(い)ってしまっても、ほそめられた目のなかでは、黒目がみえない。心臓が、早鐘を打った。
「…か。まあ座って」
「は、はい」
私は椅子にすわった。
「最近体調悪そうだけど、どうかしたのか」
「いや…」
私のこえは低く、しかも銅でも叩いたかのように、太く、ふるえていた。もっと可愛いこえを偽装(つく)れば好かった、私は素直に、そうおもっていた。私は、自分のこえがきらいだ。その可愛くもなんともない、女の子らしくないこえは、どんなところにいても調子っぱずれで、教室で、私が話したあとのしんとした空気、肌を刺すような居心地のわるさ、それが、とくにきらいだ。
「先生、」
と、おもわず私は、淡いひかりの射す部屋で、塵がしろい陽を反映しながらはらはらと舞う密室で、そっと、かすかなこえで、かれを呼んでいた。
せつな、そのこえのあまりの可憐さに、私じしんがおどろかされたのだった。私は、好きなひとをまえにして、そのひとを呼ぶとき、こんなにも奇麗なこえがでるのか。これは、こっそり壁に「先生」と呼びつづける、かの後ろめたいレッスンのたまものであろうか。
私の太く低いこえは、わが恋の感情と調和し、地味な灰いろの布地が風になびき、ふりそそぐ陽光がはっとする耀きへうつりかわらせるように、あたかも、大人びた色香のある、美しい和音となって、私の喉から、きよらかな鳥のように飛び立ったのである。これはいったい悪いことなのだろうか、そう私はいぶかった。
ふだんこんなこえをだせば、これこそ娼婦のコケトリーだと、みずからを攻撃するにちがいないのに、私は、先生といると、なにかおかしい。しかしそのおかしささえも、私は慈しんでしまうのである。だめだ、先生とふたりきりでいると、私は、自己と闘うことができない。ただ同じ空間にいる幸福に、それだけでしかないのに、それに黄金いろのしあわせをみて、みずからのみにくさも忘れ、酔ってしまう。
「…先、生」
ふたたび、なんらかの感情に操縦されて、くぎりをつけて、呼んでいた。
「先」と「生」のあいだに、一瞬間おくと、なにか、その余白に、わが感情が秘められているようで、それによって、余白に埋没し消えいるような私のこえは、死せるまぎわの鶴の歌のように、身を折るほどにせつなげにきこえて、この空白の抒情詩、音楽性の破綻による感情表現、これに、先生は、気づきはしないだろうか。私の恋に、気づいてはくれないだろうか。
気づいてください。私の恋と、憧れと、とどかないからこその苦しみを、眼鏡の奥の澄んだ瞳よ、すべて、どうかみとおしてください。すれば黙って、素朴にして透明な愛情のままに、そっと、私の肩を抱いてはくれませんか。なんの下心も、性欲も、虚栄さえも不在した、純粋な愛情にあやつられ、自然な感情のままになされた、やさしき抱擁。これさえこの世に在るならば、私のいやしい悩みなど、ことごとくが霧消してしまうのです。…
そして、「先生」と二度呼んで、ようやく、みずからによってかってに形状をきめつけられ、みにくいとなじられ、否定されつづけ、傷だらけになっていた、それでも、木のようにすくと立っていたわが本心が、眼前で、忽然と、壮麗でもなんでもない、しかし陰気でもない、いわば素朴な絵画のような姿でしめされて、私の胸は、その線描・色彩のあまりの単純さをみて、おどろきに打たれたのだった。
『私は、先生と、ずっと一緒にいたかった』
ただ、それだけなのだ。
恋、それは、この感情であると、私はおもう。そのあまりの、恋するひとへの感情は、恋ではない、さまざまな感情で、それは性欲でもいい、愛しさでもいい、同情でもいい、殺されてしまいたい、そんなものでもいい、そんな、別のものであって、それらが、かそけき恋の糸と綾織られ、それはあたかも、はかない絹であって、それは真夜中、青い月の光だけを、さらさらと、おもてをこぼれるようにうつして、それは外の風になびいて、ときにひきちぎられそうにもなって、されど優雅に、さみしく舞踏っているのである。
恋とは、けっして、性欲の別名ではない。それは、そんなことをいう、あなたの恋でしょう? 恋の感情とは、単純きわまりない、べつに、とうときそれでもないだろう、善いも悪いもないだろう、されど素朴であわれな、幻のこの感情を指すはずである。
けれどもそれ、「ずっと一緒にいること」、それが私にできなくて、できないならと自暴自棄にもなって、それが、私の欲望への嫌悪、みずからの肉体性への潔癖、そして、魂の衝動、いいえ、もっと別なことばをつかわなければならぬ、私は、「プラトニックラブ」にいまだに憧れていて、それを、なんらかの欲望を充たすいっさいのリターンがない、すなわち愛するひとのために命を投げる行為だけに、かつては、その純粋な姿をみていて、それが、ただの自殺願望とも結びついて、かれのために自己を犠牲にするならば、自殺しても好いという、はなはだ自己本位な理屈にもゆがんでしまって、それは自殺願望を充たすリターンそのものであって、そうだ、恋するひとのために死にたいという希いは、むしろ純粋なエゴイズムだ、それはみずから、希んで為すものではないのだ。
けれども私の本心は、ただかれと、一緒になりたかっただけなのだ。それだけなのだ。できることならば、それはあらゆる意味で実現不能だけれども、プラトニックラブを、かれと与え合いたかったのだ。
私の感情をとりわけて、ひとつひとつ注視して、それらが肉体の感情であるか、魂の感情であるか、逐一分析し、仕分けをし、一方を責め立てることは、人生において、そんなにも重大な思考であろうか。必要だろうか。私は先生と一緒になりたい、ただ、それだけだ。ああ、いまの私はおかしい、おかしい。
「私は、みにくいんです」
気づくと、私の眼からは涙があふれ、しかし私の虚栄心は、私の本心をおおい隠して、いまの考えから離れて、ただ最近の悩みを、吐露させていたのだった。
「私はきたないんです。ぜんぶ自分のことばっかりなんです。自分のために生きているんです。エゴしかないんです。」
「みんな若いうちは、自分のことでせいいっぱいだよ」と、先生が優しくいった。
ほそい眼が、微笑によって、さらにほそくなった。その肉の動きが、いかにも私には愛しかった。肉体が憎くとも、先生の肉体は、特別だったのである。
抱きしめてください、と、私はつよく、おもった。他のだれでもなく私だから、特別な私だけを抱きしめる、もはや、そうじゃなくて、よいのです。
ほかの生徒とおなじで好いから、特別な存在になんてなれなくて好いから、ただ私の苦しい躰を、つつんでください。私には、その一瞬が、永遠なんです。その一瞬が、空に、煙のようにたかく昇るんです。すれば私は、その美しい時間を追憶するだけで、かの空を見遣るだけで、これからの、先生のいない時間を、耐えることができるのです。その一瞬に、相思相愛の保証など、もはや、いらないのです。
けれども先生は、すこしだけ手をだし、私の肩にそっとふれようとして、しかし途中でそれを、すっと、ひっこませたのだった。
どうして。
私はすこしいらだったが、おもえば、こういうところを、ずっと、私は好きだったのである。慰めるために、肩に触れたい。けれども異性の生徒に、触れてはいけない。先生の義務の観念には、他者への愛情と、仕事の誠実さとの、葛藤があった。いつも自分の気持ちよりも、思い遣り、そして教師としての務めを優先させ、なにをするにも、愛情と誠実のあいだで、もだえくるしんでいた。そんなひとだった。
「先生には個がない」と、なじるひともいた。それはそうかもしれない。先生は、仕事はできるけれど、ちょっと弱い。けれども私は、たといかれがほんのすこし弱くとも、それよりも美しいとおもえるものを、もはや、現世にはみつけられない。愛情によって他者のために心で流し、理性によって胸に秘められた、みえない涙。手のひらに汲まれた、透きとおった青い海。そのあまりのあらゆる美は、もはや月への供物となって、ただぞっとするほどに青く、燦爛と、もえあがっているようにおもわれる。私の手の、とどかないところで。
「若いひとは、自分がみにくい、汚いと悩むものだけれど、多くの場合、自分がおもっているほどそうではないんだよ。君はみにくくも、汚くもないよ。ただ、いっぱいいっぱいなんだよ。いまはそうおもってしまっても、大人になったらわかる」
「私が生きているのは、」と私はいった。
「いまなんです。大人のいまじゃないんです。十七歳の、いまなんです」
先生は、黙りこんだ。十代の相手はむずかしい、そうおもっているのであろうか。先生はこんなにも私たちを優先させるのに、私は、自分のことばかりいって、先生を、困らせている。自分が恥ずかしくて、また、めそめそと泣けてきた。
「…そうだよね、そうだよね」
と、男らしくないことばで、私を肯定してくれる。私の涙に合わせて、言動を、ころっと変えてしまう。こういうところが、徹底されていないから、弱いのだとおもう。こういうところも、私は、愛しいとおもう。かわいいとさえ、おもう。好きな男の弱さを、かわいいとおもってしまったら、もう、終わりかもしれない。
「どうして、私の話を聞いてくれるんですか。先生は、担任ではないでしょう」
沈黙。どうしてこんな、嫌ないいかたをしたのだろう。心では、感謝のきもちでいっぱいなのに。私は自分に、腹が立った。
「…先生な、」とかれは切り出した。
「まだ、だれにもいっていないんだけど、」
…息が、とまった。
私の胸は、ある期待にはり裂けそうになった。ばくばくと、心臓が鳴った。恥を、ああ、恥と書いてしまう自分があわれだ、しかし自己憐憫は不可(いけ)ない、私はみずからにそれを禁じているはずだ、そうだ、恥を、告白しよう。
私は待ったのだ、かれからの、愛の言葉を。
が、次の言葉は、わが心臓をずたずたに破り、私をどん底へ落ちこませた。血の花が、はらはらと落ちた。視界はまっしろになった。私はふだんの習慣のままに、屋上からわが身を投げ棄て、そのとき私は、みずからのばらばらになり、コンクリートの地にはりつき物質へ回帰した死骸さえも、眼窩で視たのだった。
「もうすぐ、結婚するんだ。婿にはいるから、退職するんだ」
私は椅子からとびあがり、「失礼します」もいわず、どこか遠くへ、ここではない遠いところへ、死にものぐるいで走りだした。
4
先生が結婚する。先生がほかのひとに奪(と)られる。なぜ私はこれを、いままで懸念しなかったのだろう。たしかに先生は、ちょっぴり気が弱いし、それほど格好よくもないけれど、清潔感があるし、職業は聖職の教師だし、仕事はできるし、なによりも、かなしいほどにやさしいひとだ。なぜ先生のように素敵なひとが、結婚できないものだと決めつけていたのだろう。私はばかだ、ばかにちがいない。しかも先生は、この学校から去ってしまうのだ、いやそのほうが好いのか、ほかのひとのお婿になった先生と、毎日顔を合わせなくて済む。いやだめだ、だめなんだ。
結婚を、阻止したい。
その考えが浮かんだとき、私はみずからの欲望のみにくさに、さっと血の気がひき、頬に爪をたて、憎悪のままに肉を引き裂いた。獣のような、くるしい息がもれた。しゃがみこんだ。呆然と、ゆびさきをながめていた。伸びすぎた爪の間には、黒い垢と、真赤な血がたまっていた。頬からはあたたかいものが、つとながれていた。床に、ぽたぽたと落ちた。もっと破壊してしまえばいい、もっと壊してしまえばいい、私は自分を、ころしてしまいたい。私はその場にうずくまり、汚い髪をぐしゃぐしゃとかきまわし、おもいきりひっぱりながら、廊下の隅で泣きじゃくった。きもち悪い、きもち悪い。自分がきもち悪い。もしやすると、私の神経は、病んでいるのだろうか?
私はただ死にたかった、いな生きていたくなかった、そして消えたかった。それはもの心ついた頃より私の胸に棲みついていた、いつもものほしげな眼でにたにたと嗤いながら私を仰いでいる、毛の深いおびただしい脚をわが心臓にくいこませている、肉体の魔物のようなものだった。いかなる思想も信念もない、詩にもならぬ、どうにもならぬ、墜落の衝動のようなものであった。
もし自殺を決意したならば、私はきっと飛び降り自殺をえらびとるとおもう。裸足と縁がすべる始まりの音、風を切る小気味好い墜落の旋律、肉が地を叩く壮大なラスト、わが死骸をながめまわす、事後のしずかな沈黙…。
それら音楽的要素は、私の深いところにある官能が喚びかける陰鬱なグルーヴと、いかにも調和するはずだから。
私は、肉体とはなにかを把握しなければならない。肉欲の全貌をみなければならない。精緻なゆびさきで恋にふれ、科学実験のように精確に、魂を純粋なかたちで抽出する、そんな詩のような観念的行為、むりだ、むりだ。美辞麗句もはなはだしい。
私は、わが肉体を乱暴にかきまわして、ぐちゃぐちゃにそれをかきわけて、奥へ奥へと潜って、その底に眼を遣って、そこにあるものを、光を、あるいはなんらかのものを、みいださなければならない。あらゆる肉体は私の乱雑なゆびにかきわけられ、視界のよこをすぎ往くだろう、私は飛び降り自殺さながらに、自己の底へ底へと墜落するだろう。そこには、なにもないかもしれない。あるいはそこにあるのは、恐ろしい欲望そのものであるかもしれない。深淵の獣性、ああ、おそろしい。けれどそうでもしなければ、魂の姿なんて、みえるはずもないのではないか。ないなら、ないでいいのだ。そこに在るのが空無なら、絶望すればいいだけなのだ。私はそれの存在を、確認しなければならぬ。
そういった、ある種自暴自棄なかんがえに操作されて、私は無料の出会い系アプリ、表向きはチャットアプリであったのだが、そこに登録して、セックスの相手を求めるむねの文章を書いた。必要だとおもって、「ブスです」と自己紹介したとき、私は、おもわず顔を覆いたくなるような悲しみに駆られた。
みにくい、汚い、まだよかった。
ブス。
この、無駄な音を廃し、ただ不器量な女に無価値だと、たった二文字でレッテルをつける、本来言葉が必要とするあらゆる誠実さに欠けた(私には、これがもっとも辛かった)、おざなりな響きを有する、暴力的なことば。これを、みずからの手によって自己に烙印づける、胸かきむしるような、くるしさ。私は、ひとの顔にブスといっては、いけないとおもう。
おびただしい男たちが、無機質な活字の向こう側でもえあがる性欲の群れが、似たりよったりな文面で連絡してきた。みんな、はやばやと写真を要求してきた。性の対象になる容姿なのかどうかを、確認したいのだろう。文面ではないのだ、確認作業をさせるその意欲が、その意欲を覆い隠して要求するかれらの虚飾の態度が、きもち悪くて、きもち悪くて、肌があわだった。
写真を要求しないひとを選ぼう、そうおもった。別に、そういった男が誠実だとはおもえない、しょせんは出会い系アプリで、セックスの相手をさがすような男だ。写真を要求しない男は、節操のない性欲をもっているか、待ち合わせで「無理」な女が現れたら、声をかけずにどこかへ消えるにちがいない。とはおもっていたが、なんだか、こういう場面で写真を要求されるということに、私は烈しい嫌悪をもったから、そういう選択の仕方をしたのである。いうまでもないことであるが、私の嫌悪に、論理性などない。
十数人もの男と、チャットのやりとりを数十分つづけていると、ようやく、いっこうに写真を要求しない男が、ひとりだけのこった。私のような女を想定した、こなれた遊び人の、テクニックだろうか。トップ画像は男本人の写真のようで、明るい茶髪の三十代だった。私は、肉体の悦びをみずからが感じられるはずがないとおもっていたし、そもそも目的からして、悦ぶためではないのだから、容姿なんてどうでも好いはずだった。体臭がきついのは嫌だとおもったが、むしろそちらのほうが、肉体性をよりつよく、暴力的に感じられるかもしれなかった。私は他者の肉体によって、わが肉体を害させたかった。
待ち合わせをし、次の日の朝、私は学校をやすんで、都心の駅でまっていた。
身だしなみはいつもどおり、ただお風呂にはいり、髪をくくっただけである。トリートメントなど、家にない。眉毛はくろぐろと盛んである。爪は切った、あの日の自傷行為をおもいだすからだ。傷はだいぶ、癒えているけれども。服装は適当に、もっているものから選んだ。母親が購ってきたものだ。ダサいのか、ダサくないのか、それさえも私には判らない。安っぽい生地のスカートから伸びる、鶏(とり)のそれのようにガリガリの脚は、ずっとふるえていた。怖くて、怖くて、なんども帰ろうとした。しかしここで処女を失おうと、逃げ帰ろうと、私の人生なんてなんの価値もないはずだし、そもそも「こう生きたい」という欲求が、いま私にはなにもないのだから、そもそも、かつてあったかも定かではないのだから、どう生きようと、なにをしようと、なにを喪おうと、同じことだった。
すこし遅刻して、男は現れた。不誠実さに、すこし苛立った。私は、平気で遅刻してくる人間の神経を、理解できない。若作りをした服装。全然かっこよくもないし、しかし、いかにも拒絶感をもよおす容姿なわけでもなかった。すこしほっとしたが、実際このひとに抱かれることを想像すると、嫌悪に、わっと鳥肌が立った。その生理的反応に、理由はちがえど、ふたたび安堵した。
「化粧してないの?」
私は黙ってうなずいた。不満なのだろうか。かれの表情からは、なんの感情もよめなかった。おそらく私の容貌に、落胆しているのだろう。
「ほんとうに女子高生?」
「…はい」
「そっか」
どんな感情による確認であろうか。「ブスだけど、ジェイケー・ブランドがあるならいいか」と、自分を納得させたのだろうか。私はかれを心から軽蔑し、平気で邪推することをみずからにゆるしていた。
男はそっと、私の手をとった。
私はおどろいた、そのせつな私の肉体は、なんの拒絶感も起こさなかったのである。ただやわらかく、なまあたたかいものが触れただけだった。私には不感症の気があるのだろうか?
…先生だったら。先生の手が触れたとしたら、私はどう感じるのだろうか。先生の手。きっと、かれの書く数式のように冷たいとおもう。冷たさの奥に、太陽のようなあたたかさがあるとおもう。そこまで潜っていきたいとおもう。きっとかれの手つきには、いやらしさなんてなにもなくて、素朴なゆびづかいで、そっと愛情ぶかく、けれどもためらいがちに、にぎるちからをつよめるのだとおもう。
…私は男にばれないようにして、瞼をぬぐった。
「カフェにでも行く?」
「ホテルに」
むだな時間を、過ごしたくなかった。
男は苦笑いをした。そして、みだらな笑みを浮かべてこういった。
「そんなに、したいんだぁ」
鳥肌が立った。のばされた語尾。ねっとりとした口調による、無神経な発言。むろん、私はそれを無視した。出会い系で女を探すような男だ、女性のあつかいなど知らないにちがいない、とかれをせいいっぱい軽蔑しながら。
ただ軽蔑が、男が約束どおり待ち合わせに現れたことへの、ゆいいつの復讐であった。…
…男と寝た最中のことに関して、特筆すべきことはなにもない。「なにもない」という事実を報告することだけが、このシーンの描写における私の義務であろう。私は行為のさなか、あらゆる肉体の悦びから疎外されていて、しかもあらゆる嫌悪は息をひそめ、いまかいまかと待機していたのだが、それは待ちくたびれた結果、ついに穀つぶしのまま、寝たきりで労働時間を終えたのである。
特筆すべき私の感情は、すべて事後にあった。しかしそれさえもが、短文による報告で事をえる。(あるいはその余りを、私じしんが書きたくないのか?)。
処女を喪ったことによって、直後私の内面で起きたことは、ただふたつである。自尊心のさらなる損傷。後ろめたさの肥大化。以上だ。
こんなものか。そんなふうに、セックスのことをおもった。後悔さえも、それほどになかった。起きる、歯磨きをする、学校へ行く、寝る。面倒ではあるが、日々のルーティーンとしてこなせるほかの様々な生活上の義務と、とくに変わりはなかった。
自分は堕落したのだ、という意識はあった。デカダン。そんなふうにも、自分をおもった。その発想の浅薄さに、うんざりとした。
私はとりあえず習慣化した義務によって、堕落した自己に酔うあらゆる感情を攻撃しておいた。それにも強敵は存在せず、一突きで死に絶えるようなよわよわしい観念のみだった。私に残ったのはただ倦怠であった。しかし倦怠こそが、自己の堕落への酩酊、あるいは本来必要な堕落の自覚への麻痺作用のために私の肉体が欲した、処世的な投薬治療だったのかもしれなかった。
肉体とはなにか。愛も欲望も不在したセックスは、なにひとつそれを私に教えなかった。
往々にして恋がそうであるように、私は先生に、私の理想の姿を重ねていたのだった。先生にとどかないというのは、すなわち私がわが理想にとどかないということと、おなじ意味なのだった。
私は、無垢なほどにやさしいひとになりたかった。悲しい奉仕を、ほんのすこしの下心もなしに、捧げられるひとになりたかった。純粋に信じられるひとに、なりたかった。恋するひとのためにいのちを投棄げた、ナイチンゲールの小鳥のようになりたかった。
ゲーテはこういったのだ、「ただ虚飾の衣装をぬぎさえすれば、人間とはどんなに崇高な生物であろう」。私の教養・知性は、これを信じるにも、否定するにもあたわない。ただ、この命題が真であるならば、どんなに好いだろうと希うばかりである。虚飾の衣装を脱いだ人間が、おそろしいエゴの怪物でないことを、私は切望する。
先生はべつに、無垢なほどに優しいひとでは、ない。きちんと人間らしい忖度をしたうえでの、思い遣りがある。されどひとの心に共感だけして、慈しみだけもって、あざとい忖度をしない人間というのは、いったい存在可能であろうか? 結局のところ、他者の痛みへの共感とは主観にすぎないために、その純粋な共感によるやさしさは、ワイルドやアンデルセンの童話の登場人物はべつとして、すなわち現実的にいうと、社会のなかで自己本位なものにすぎないのではないだろうか? 真のアガペーは、神への愛のために民衆を惨殺した、狂気的な大悪党のなかにこそ発見できるのではないだろうか? 無垢なほどにやさしいひとになりたい、これこそ若者にみられやすい、自己本位な欲求ではないだろうか? きれいな心。きれいな躰。まっさらな美しさを有したい。心も躰も、まっしろに無垢になりたい。私のこの願望こそが、くろぐろとしたエゴイズムの反動、あるいはそれそのものではないだろうか?
私のそれに反して、先生の優しさには、リアリティがあった。いわば社会人のそれだった。義務と愛情との交差・葛藤。本心・欲望を覆い隠して、義務と他者のために尽くす態度。自分が、ない。そうそしるひともいる。
しかし、私はこう信じていたのだ、自己の欲望よりも、奉仕を欲する自己の声にしたがう、自己の意志だってあるはずだと。そもそもこの時代において、奉仕を求める自己の生き方こそ、時代との乖離に悩むそれであるはずで、それを無理強いに自分じしんの手によって選択する生き方にこそ、みずからの強靭な意志が必要であると。
されど奉仕を強制する、旧日本的なもの、だいきらいだ、だいきらいだ。なにに奉仕するかは、自分じしんで決定すべきなのだ。
意志である。それを施行する勇気である。私は頭がよくないから、陰鬱な知性よりも、わかりやすくて明るい意志と勇気を賛美する。知性を、意志に追従させたいとおもう。奉仕をえらびとり、涙と血をながす意志こそが、人間の感情のうちで、もっとも美しいとおもう。そして私はそれに、とどいていないのである。…
されど、先生が意志のひとであるか、私にはわからないはずである。ひとの心は、みえない。それが、悲しい。
私は夢みる、めくるめく愛の幻想を。疎外され孤独にひりつく心と心を結びあわせて、深いところまで潜りあって、魂と魂を、官能たたく音楽のなか、やわらかに融けあわせて、双方の熱いものが一体化して…。
私はいつもいぶかってしまう、魂の孤独をほぐす愛の幻想を語るとき、なぜ私の表現は、いくぶんエロティックになってしまうのかと。
5
私はあれ以来、何度かいろいろな男と関係をもった。私に恋人はいない。つまり私のセックスに、不誠実性はない。誠実であるならば、どんなに躰が汚れても好いとおもうようになった。そして、そもそも私には、セックスをしたら汚れるというような、意識がなかった。それは男たちの欲望を投影した声にすぎぬとおもう。かれらはただ、自分が処女に跨り、みずからの性欲と征服欲を満たしたいだけであるとおもう。処女が減るのが、かれらはくやしいのである。
私は肉体を追及するため、肉体の不在した純粋な奉仕をみいだすため、性風俗店で働くことにした。
私の肉欲への潔癖のはては、皮肉なことに、娼婦の世界であったのだった。
性風俗店で働くことで変わったのは、まず身だしなみであった。
私はこれまで、自己の虚栄のためにお洒落をすることを拒絶していたのであり、他者を悦ばせるために奇麗になることを、否定していたのではないのである。ただ他者に捧ぐお洒落、これこそが、歩くたびに足裏に激痛が奔るにもかかわらず、王子のために踊った人魚姫とどうようの、かの美学があるはずである。恋人のために履く、歩きづらく、しかも痛みを与えるハイヒール、私には長くまっすぐにみえるようになった脚よりも、その態度こそ美しいようにおもわれる。
愛する人のよろこびのため、奇麗なヒールを履く女、いたみを秘めて、にっこり微笑む彼女らは、みんな、美しい人魚姫。
私は得た給与の一部をもちいて化粧品を購い、肌を白くきめこまやかにし、美しく化粧し、高級シャンプーとトリートメントを購入して、艶やかで男性ウケの好い、まっすぐにさらさらな黒髪を獲得した。出勤前に振るコロンも手にいれ、給与のその余りを、全額ホームレスに与えた。
私はその寄付によって、あらゆる喜び・充実感を得てはならなかった。なぜといい、たといみずからの感情のみに起こるものであろうと、リターンのある奉仕は、もはや奉仕ではないから。私は石でも蹴り飛ばすようにして、出勤後、毎度数万円をかれらに与えた。「マリア様」と、かれらは私を呼んだ。私はその呼び名を失笑し、そんなことをする自己を嗤わなければならなかった。私は自己肯定を拒んだ。
なつかしき、面接の挿話が想い起こされる。
私は価格帯の相場も、さまざまなジャンルの店があるのもまったく知らずに、とりあえず検索の一番上に出た店に電話したのだが、面接官は私の顔と躰をまじまじとながめたあと、こう言ったのだ。
「君、うちの子たちと比べて、そんなに可愛くないからさぁ、」
同年代の少年たちよりは、ひかえめな指摘である。慣れているといいたい、しかし慣れることができない。今回ばかりは事情も事情で、仕方がないとおもうけれども、男たちは、いつも私たちの美しさを、他の女と比較する。あたかも私たちが、淫らな肉をもった物質であるかのように。人格の、軽視である。私だって男どうしを比較して、軽蔑することがある。しかしそのとき私は、かれらの人格、あるいはあるとすればの話だが、魂を審美しているつもりだ。
「もう少し価格帯が下のところを紹介するから。経験もないしね」
私は男の視線に身を固くし、閉じられた脚を、さらにぎゅっと締める。私は外にいるとき、いつも下腹部のあたりに、肉体のうちでもっとも肉体的なものがあることを、意識しているようにおもわれる。無意識に、それを守護しようとするのである。身をかがむときも、胸元が見えないように、脊髄反射的に、手でそれを隠す。
その様子が扇情的であるという、あまりにも無知な男たちに性感覚に、ぞっとする。
「…でも、」
私は衝動に駆られ、それに反駁した。
いまおもえば奇異なことであるが、私は調べもせずに、価格帯と被虐性は比例するものだと、そのときかんがえており、高い店であればあるほど、暴力的な性サービスを強要されるものだと、思い込んでいたのだ。価格帯があるという知識もはじめなく、検索の一番上を適当にえらんだのに、いまになってそこに拘るだなんて、あいもかわらず、私はものぐさである。
「私、女子高生です」
「今の時代さあ、」
面接官はいらだちはじめる。
「ジェイケー雇ってるなんて、謳えるわけないでしょ。うちのグループは裏の世界の者がやってるわけじゃないし、街中の路面店ばかりなんだから」
「…ごめんなさい」
そしてそのまま、そのグループの格安店を紹介された。
面接官は終始にやついている、いけ好かない中年男性だった。髪はばさばさ、肌はがさがさだった、当時の私がおもうのもなんであるが、何故そのふけの吹く脂ぎった髪で、毛穴に黒いものの溜まった汚い肌で、気味の悪いにやけ垂れ流しで、ひとまえにでられるのかが、いっさい理解できなかった。
私は容姿の美醜を説いているのではない、あくまで可視化された、かれのふだんの習性のことをいっているのである。裏側にあるもの、それが、無理である。
「女子高生なんだね、フン、フン。お店では絶対言わないでね。同僚にもだよ」
「はい」
「NGなサービスある? アナル舐めたくないとか、キスは嫌とか」
「殺される以外なら、なんでも」
殺されるサービスは、先生限定の裏メニューに取っておこうと思い、自分のかわいらしい発想に、おもわず顔がほころんだ。くだらない。直後にそう、自己へ指摘しなおしたけれども。そもそも先生が、風俗店なんて利用するわけがない。
男は一瞬目をみひらいたが、すぐにやけ顔にもどった。
「根性あるねえ。まあうちは暴力とか暴言とか禁止だし、それが起こったらボタンを押せばいいよ。怖いひと来るから。あ、暴力団じゃないよ? うちはちゃんとした企業だから」
ふたりから念を押されると、逆に怪しげであるが、そんなこと、とるにたらないとおもっていたから、話半分に聞きながした。
「今日から働けますか」
「急かさないでよぉ」
全世界のおじさんに告ぐ。語尾を伸ばしたまうことなかれ。我ら少女は、それに殺意さえいだく。…先生だったら、ぜったい可愛いけれども。
「まずは研修で、一度教えながらプレイするからね。技術次第では、今日から入れるよ」
「相手はだれですか?」
「え?」
とわざとらしく訊きかえす。
「私だよ」
にんまりと笑う。私はかれを、きっと睨みつけた。
6
そして私は、かれと、寝た。
私はただ義務に徹し、わがうらわかき肌はあらゆる悦びをしりぞけ、それでいながら、めくるめく淫乱な女を、私へ演技させた。そのとき私は、もっとも猥褻で、しかしもっとも貞淑な女であったのだった。私は淫猥の虚勢をはった。淫乱の仮面をかぶり、されど素顔では、あらゆる肉欲を拒絶し、貞操をまもり切った道化者であった。私の魂は、もしあると仮定すればの話であるが、いぜんとして清潔であった。
横臥わるわが裸体は、さながら一篇の詩であり、あたかも、あでやかに波うつ不感症の海であった。
ねがわくば、ただわが身に、魂の発現せんことを。
私はわが裸体が、いまにも透きとおって、空へ霧消することを希った。
その後、私はその日のうちに二人の客を相手にし、しっかりと射精させ、帰りに男性スタッフにすすめてもらったシャンプーとトリートメント、化粧品だけを購って、残りを浮浪者たちにばらまいた。
「お風呂入ってくださいね」
そう言って、にっこり笑ってみせた。私は美しく惨めなかれらにたいして、聖女のようにやさしい態度であった。私は皮肉をいっているのである、かれらにたいしてではない、みずからの卑しさにたいして。
されど本心から、私もいつか、かれらのようになりたいとおもった。社会的な価値基準、あらゆる虚ろなしがらみを脱ぎさって、自分じしんが消え、空っぽになって、ただそこに埋没したいとおもった。
魂。
それでもなお残った、かすかな光があるならば、それこそが、かの睡る水晶ではないか?
産まれもったものに恵まれていないとはいえ、髪や肌に気を遣って、放課後の労働のためにアイプチをし、ひかえめな化粧をして登校するようになったため、やや奇麗になった私は、ある同級生の少年から呼びだされ、「付き合ってください」と、告白を受けた。
生まれて、初めてだった。やはり容姿なのか。ちっとも嬉しくなかった。くわえて私に、男性から好意を受けるに足る美点が、一つでもあるようにはおもえなかった。
「どこが好きなの?」
と訊くと、
「なんか、翳のある感じが色っぽいし、最近すげえ可愛くなったし、清楚で、いつも一人でいるけど、なんだか俺が支えてあげたくなるんだ」
「清楚?」
憎悪に、顔をゆがめた。おもわず衝動のままにまくしたてた。
「あばずれビッチですけど、なにか? 見た目で判断しないで。ただ黒髪でスカート丈が長くおとなしい女に、『清楚』という透きとおった言葉をもちいないでください。言葉は厳密につかってください。清楚な人間なんていません。人間はあらゆる意味でみんな汚いです。あらゆる感情は不純です。それで好いんです。汚濁にまみれ、けがらわしい肉体をもった生物が、だからこそみずから泥へ潜りこみ、真善美を求める、だからこそ人間は美しいんです」
少年は、ふだん教室でひとことも喋らない私の、感情的な雄弁に、驚きに打たれていた。
「支えてあげたいってなに? 私が支えられないと生きていけない弱い女だとおもってるの? それはあなたの願望であり、傲慢さでしょう。私にはいつ独り暮らししてもいいくらいの、収入があります。あなたにそれが、ありますか。翳がある? 病んでる弱いひとが好きなの? その感情、気持ち悪い。弱くて病んでるのはあなたでしょう。格下に尊大な態度で奉仕したがり、その優越感がないと生きていけない。そのくせ、どうせセックスを要求するんでしょう。リターンがないと、『あんなに優しくしてあげたのに』って、怒り狂うんでしょう。あなたみたいな男、いや人間、だいっきらい」
…かれは顔を真っ赤にして、なにかを言いかけたが、黙りこみ、その場から走り去った。
すっきりした、そのあとに気持ち悪くなった。
私はふだんだれにも自分の考えをいわないから、それを外に出してみると、羞恥と焦燥にもだえ、みずからにしめされたそれの青くささにぞっとし、いまの発言をとりけしたくて、とりけしたくて、居たたまれなくて、息ができなくなって、いまにもわあっと叫びだしたくなった。
格下とみなしたものへの尊大なホウシ、それをしないと生きていけない、浮世離れした殉教へのそれを除き、いっさいの夢がない、自己の人生をみずからによって選択できない、決定できない、選択肢が自我の黒板に掲示されていない、みちびいてくれる友人もいないゆえに、どこの教室へ行けば好いかわからない、ただ生きていたくない、はやく終わらせたい、だから他者の欲望に身を委ねて、希まない苦しいことに身を突き落として、他者の肉欲に四肢を緊縛させて、それさながら、宗教の戒め、あらゆるわが憎たらしき欲望から解放された気分になって、しかも性的なエクスタシーをえていないだけで、心のどこかでは、それを存分に悦んでいる。
それは、私だ。
私にとって、性風俗の職場とは怪しげな教会にほかならず、私は肉欲に悩める男たちの下半身を癒す、いんちき聖女の一人であったのだ。
されど、真の意味での聖人、ほとんどがみな、幸福そうではないか。むしろ世俗のしがらみ・わが肉欲にまみれ悩む、卑しき俗人の私よりも、なにかから解放されているようで、気楽そうではないか。自己がなくてもゆるされて、戒めにみずからを委ねて、権威のある様式に四肢を縛って、肉欲に操作されなくなった気分になって、おもい悩まなくなって、自分はこれで好いんだと肯定できて、それはそれは仕合せでありましょう。
されど私は、そうはなりたくない。いったいそこに、聖なるものは果してあるか?
私にとっては、聖人のそれよりも、人格破綻者で甘ったれ、他者への迷惑をほとんど顧みぬ、世間からは逃げ続け、軽蔑すべき、かの田中英光の、爪たてられ鮮血の垂れた言葉のほうが、よっぽど好ましい。
わがいだく真白の美は、骸の糧を吸いとり、壮絶な美しさを炎やさせる、真冬の廃墟さながらに、いまにも逃避したくなるほど戦慄の奔る、おそろしいものであるはずだ。幸福そうにやさしくほほ笑み、教訓を説く宗教家、私はかれらを、ぜったいに信じない。私の宗教心、それを、他者にはぜったいに侵させない。どこの教団にもはいるものか。私の神は、私がいだくのだ。
十七歳、私はつぎのように考えていた、焦がれるものが不在して、どうしようもなく希求して、無いのに在ると信じこみ、それに永遠さえみたら、それが、そのひとの神であると。
先生が、学校から去った。
挨拶のとき、私はそれの日にち・時間を知らず、ワンナイトの一泊出張を終えたばかりで遅刻をしていて、学校にいなかった。
放課後、橙いろの夕日射す、かの教室へ足を運び、先生が座っていた椅子、そうでないかもしれないのに、それに躰をもたれて、脚にしがみつき、さめざめと泣き臥した。金属の脚、それはひややかだった。世界と、どうように。
窓にきりとられた、空を仰いだ。天はうすい膜を張っていて、向こう側が、神々のすまうところが、かの魂の昇る場所が、いつもとどうよう、視覚できなかった。なにを打ち上げようと、詩、音楽、絵画…、それらすべてを、膜はきんとがらす音を立て、ことごとくを撥ねかえす。
「地上に、コンドーム付けてるみたい」
あきらかに、職業によって感覚が変貌(かわ)ってしまった、みずからのその発想に、ちからなき笑いがのどもとを込みあげてきて、その笑いは、みずからへの軽蔑を孕んでいて、それが与える苦痛への麻痺作用のために、おのずから産み落とされた自己憐憫は、甘い蜜のような粘着性で、その感情をねっとりとおおっていて、私にはそれが後ろめたいのだ、そして、はらはらと、涙が流れるままにしながら、永続せぬ蜜の効果がせつな切れた際の、ヒキツリのような自己への嗤い、私はそれら肉体を操作さす、物質的感情に、わが全肉体を委ねた。
それを拒む義務が、私にはあったのに。
とまらない、泣き笑いが、とまらない。
空よ、どうか、かのむこうがわを、私に見せてはくれませんか。
聴こえない、音楽が、聴こえない。
熱き吐息をもらす、愛するひとの唇さながらに、ついに真白の空われて、かの歌を、神秘と地上を交差さす、涙の音楽をふりそそがせ、それをわが胸いっぱいに、ひびかせてはくれませんか。
7
職場の近くの公園。ふらりと、私はそこへ現れた。
真白なワンピースを着て、風になびく裾はきえいるようにほのかにひかって、白い肌はさながら陽との境界線なく、黒髪だけがはっきり艶やか、紅い椿の薫りが、むっと濃い。
この日のために購った、男好きのするワンピース。化粧には、自信がついた。アイプチなんか、後ろめたさを感じるまでもない。不器量な女の、偽装った美。社会的な人間が、みんな、していることだ。
私は歩く、目的は明瞭だ、だんだん、饐えたような、泥のまじるような、生ける肉のにおいが接近してくる。私はそれを、なんともおもわない。とるにたらない。生物に、元来そなわるにおいである。
燦き立つのは、はや地上になき、彼方でひかる、硬き月光照りかえす、かの真冬の聖地のみ。
「こんにちは」
尊大に、私は微笑んだ。美しく惨めな、ホームレスたちへ。
水商売。微笑みに、巧みになる。
先生が、校内の喫煙所で、煙草をとりだすのを見ると、私は遠くからポケットに手を入れ、おのずからライターをさぐってしまう。先に火をつけなきゃ、そんな意識に、自然と、苦もなく駆られる。これは、特殊な職業であるがゆえの、かなしい性なのであろうか。私には、それが美しいともおもわれる。美の背後には、いつも、かなしみの翳りがあるようにおもわれるから。
「ああマリア様…」
「今日も奇麗です」
お世辞。私は奇麗といわれても、嬉しくないタイプである。「なにが欲しい?」と身構えるだけである。
私は林の奥をゆびさした。そして、ワンピースのボタンを、ひとつ、そっとゆびではずして、にっこりと、かれらへ微笑みかけた。
そして私は、希んでかれらに犯された。「いま私がしていることに、果して奉仕の衝動は混入していようか」と、自己に問いつづけながら。
自分で希望したこともあり、私は裏のSM風俗へ転勤になった。
「堕ちたね」
と、同僚は、くちぐちにいった。
それは娼婦としてはたらく彼女らじしんが、他者から投げられ、そしてみずからを苦しませている、他者の生き方・職業には本来いってはならない、呪わしい暴言であるはずだった。
自己を傷つけた、他者からの悪の言葉を気にかけてしまうと、いつのまにか、その悪の命題を帰結させた悪の論理が、私たちに構築されてしまい、すればどうようの発想が、おのずから私たちの脳髄から産み落とされるようになって、私たちは、その悪にみずからが汚された復讐のため、みずからを傷つけたそれとおなじ悪の言葉を、他者へ投げつけるようになる。悪は、連鎖する。純潔を守りぬくには、ただ拒絶のほかはない。気にかけてはならない。悪への軽蔑をも、拒まなければならない。
されど私は、その「堕ちた」という響きに、くろぐろとした洞窟の奥に這入りこんで、すきまから射す海上の月光が、岩壁を青く照り返させるそれのような、そこで発見した、半永遠性を有す、古代は「融けない氷」とされていた、真白の氷晶石のそれを幻視したような、ぞっと肌のあわだつ、翳りのある蠱惑をみた。
睡る、水晶。
それは、もしやすると、底の底に墜落したところに、微睡んでいるのではないか。
8
堕ち、切る。されば、生き、切る。
消えてしまいたい、欲望を断ち切って、憎悪すべき自己を破壊しつくして、ただ肉体を脱ぎつくして、肉体でない、美しいひかりのみを発して、空へ消えてしまいたい。あらゆる理性から、社会が要請するしがらみから、解放され陶酔してしまいたい。
私の自己無化への意欲、これは自己犠牲から、もっとも離れたところにあるはずである。なぜといい、その意欲によって私が凝視めているのは、いつも自己なのだから。私は、自分ばかり見つめている。利他的な人間の、逆なのである。
愛とは、対象を慈しみ、理解しようとし、そして、役立とうとする、貴き感情であると思う。私には、自己へのそれのほか、いっさいの愛がない。だから平気で、男性を、人間を、きたならしい言葉で、罵倒できる。それは次のことを意味している、私には、いっさいがないのだ。私のこころには、善も、美も、あらゆるものがないのだ。私が夢みていたもの、ことごとくがないのだ。
私の縋った、ロマン派めいた人間賛美、まさに、夢のようにとおく感じる。
殉死。様式美の話ではなく、個人の心理の話において、それは果して、ほんとうに貴いものだろうか。様式美に、疎外されたプライドをきわみまでを昇らせたいだとか、そもそも消えてしまいたいだとか、そういう欲望が蔽い隠されているだけではないのか。
心に、高貴なんて、あるだろうか。
新しい職場、私は待機室でまっていた。すぐに呼ばれた。
扉をひらく。
先生だった。
あわてる顔、毅然としたそれをとりつくろおうとする態度、眼は合わない、私はずっと、かれを呆然と見ている、もう私たち、教師と生徒の関係じゃないのに、ようやく先生、おそるおそる、怒れる教師の顔をのぞきこむ罪をなした少年のように、私をそっと、ながめやる。私はその一連を、ただみていた。男の人の心理って、なんでこんなに解りやすいんだろうと、やや軽蔑しながら。女の人の心理、私だってよく、解らない。優美って、ずるいってことじゃないかしら。
先生は、他人行儀な雰囲気で、私の肩に手をかけた。
「若いね」
かれは私が私であることに、気づかないふりをすることにしたらしかった。
卑怯だ、臆病だ、なぜこんなひとが、誤魔化すひとが、聖職にあるのだろう。ひとから、承認されているのだろう。尊敬さえ、されているのだろう。社会から落っこちている私は、ひとから承認されない私は、こんなにも自己の卑しさと、無益に闘っているのに。なんだ、この意味の解らないひがみは。私のなかの世間が、そう指摘する。
ボードレールの「悪の華」、「アベルとカイン」の詩、カインであるという選民意識、私からすれば、おめでたい。この詩人は、才能があったではないか。凄まじい詩を、書けているではないか。詩集、売れたではないか。ほとんどのカインは、呪われた者は、私のように、これといって、なんの才能もないのだ。特殊な才能を得て、実績をあげたカインは、たしかに、ようやく世間に承認されるであろう。私たちには、その道だけが残されているように、おもえていたときもあったのだ。私が、ちょっと詩的な文章を書けるのはそれゆえだ、「どうせ詩人になれないのに、詩を書く自分がいじらしい」、これは自己欺瞞だ、詩人に、なりたかったのだ。しかも賞が、ほしかった。そうしたら、地元国立の医大に行けなくても、お母さんに褒めてもらえると、おもったのだ。
私は、不登校の娼婦の、地下生活者の立場からかれに嫉妬し、しかし私の躰は、それでもかれの手に、どぎまぎしていたのです。肌に記憶させるように、その手のあたたかさを、一瞬でも意識をはずさず、刻もうとしていたのです。先生、先生、だいすきなひと、愛しているひと、どうしようもなく、愛してほしかったひと、ずっと、一緒にいたかったひと。
こんなところで、私たち再会するなんて、かんがえられるかぎり、サイテーの再会ですね。
でも好いんです、それで好いのです。ここから、ここから恋人どうしになれたら、ずっと一緒にいることができたなら。
私はいつもありのままの自己を、現実を、人間を拒んでいる、そのことごとくを、認めたくないのである。
ほんとうは、人間が大好きなのに、焦がれているのに、だって私、仏文学が好きなんだよ、「仏文学が好き」、「お洒落!」、なにも解ってないな、仏文ってお洒落かなあ、サガンやコクトー、アポリネールはそうかもね、でもね、私の説はね、だれも聴いてくれないけどね、フランス人は、人間性にふかくもぐり、明晰性によってそれを追求してしまう態度がつよくて、その反動として、装飾のお洒落が流行したの、つまりおおくの仏文の態度は、いわばお洒落の逆再生、ああ私は、世界を、抱きしめたいほどに求めてしまうのに、皆のいうとおりには生きられず、ごめんなさい、ごめんなさい、私の癖、頭のなかで謝ること、ぜんぶ自分のためだけど、自己陶酔、ああお母さん、お母さんの希むように生きられなくてごめんなさい、地元の国立医学部になんて、行きたくもなかったんです、なまじ成績が良かったから、お母さんを期待させてしまいましたね、ごめんなさい、ああこれ、あてつけの混じる、しかもひとを軽蔑してしまう自分、「大衆」という言葉をつかってしまう自分、ああにくい、貴様に「大衆」なんて言葉をつかう資格はないのだ、中原中也でもあるまいに、ああ私、この期におよんでも優劣ばかり、卑屈は尊大のうらがえし、自己否定につかう知識だけ、私、もはや教養人、仏心理小説、レイモン・ラディゲなんてかっこつけて、ただ自己否定の材料にしかなってないくせに、なんて後ろめたいジャンルだろう、ところでラディゲってイケメンだよね、ただし横顔にかぎる、私、文学者にそんなことおもってしまう自分がすごく嫌、「お前ほんとは自分のこと好きだろ、自分のことばっかり考えて」、あのですね、愛には4つあるんです、めんどくさいので、ウィキペディアで調べてください、あなたの「好き」と、私の「好き」の、定義がちがうだけですよ、ああ、もう私、こんなふうにひとを軽蔑したくない、傷つける自分を責めるのに疲れた、でも私、人間ってつねに差別してなにかを峻別してるとおもうんだ、ああうるさい、私、私へのツッコミうるさい、精神病のひとの文章って、「私」が多用されるみたいですね、ネットニュースでみましたよ、私、ずっとまえから知ってた、私知ってた私、いつも後ろめたい、ひとを憎悪したくない、軽蔑したくない、奇麗になりたい、まっしろになりたい、無機質になりたい、陶器さながら、硬く硬く凝固したい、私は自分を、ころしてしまいたいのです。
そう、私は、わが憧れが利他の極みであるにもかかわらず、ひといちばいワガママなのだ。わが殉教への憧れ、こんなもの、自己嫌悪の反動、単なる自己愛的なコジツケなのだ。
自分じしん、私にそんなものいりません、空っぽになっても構いません、むしろそれを希むのです、なぜって私は醜いのです、エゴが憎い、欲望が汚い、私は化け物だ、怪物だ、なにもかもを捧げたい、殉じてしまいたい、極端に美しい存在に跳躍したい、観念に昇華されたい、そう、それ永遠、すれば私はこの世から、壮麗に光って貴くたかく、ついに霧消してしまいたい。
私のこの願望、全て、自尊心に捧げているだけではないのか。
忽然と、かれの手が振り降ろされた。
痛み。殴られた箇所が、じんじんと疼いた。私は床にころげ落ちて、先生を、見上げた。動物の、眼をしていた。くちもとが、にやついていた。私のなかの、美化された先生像が瓦解して、しかしそれでも、先生は先生で、ああ、いまおもえばそういうひとなのは解るな、とおもって、なんだか納得をして、ただ、被虐されるがままになった。
雨のように、幾度も、暴力がふりかかる。
先生、ちゃんと、力をセーブできていますか。私、明日も学校なんです、保健室登校ですけれども。行けるかどうか、わかりませんけれども。痣、残っちゃいますよ。
私は気がついた。私の陰部は、人生ではじめて、濡れていたのだった。私はそれのわけを、ふかく知っている気がした。私の、自己憐憫ばかりの人生をかえりみれば、なにが苦しかったか、なにが嬉しかったかを考えれば、そうとしかならないだろうということが、逆算してわかったのだった。
もはや、殴られるごとに、私の思考は、躰は、異様な高揚だけをのこして、融けていく。
「殺してください」
と、陶然と、ながれでる葡萄酒のように、がらすの躰を横臥えて、わが裸体、睡る水晶さながら、そして、幸福に酩酊し、夢みるこえで、そっと、先生のみみもとへ囁いた。
「え?」
と、訊きかえした。かれの手首が、かすかにうごいた。
先生の眼が、ふっと、青い月のようにつめたく、燦々とした。
「殺してください。私には、この期におよんでも、みずからに、エゴイズムの他の感情を発見することができません。けれどももはや、私はあらゆる欲望をかなえてしまい、それと同時に、ことごとくを喪ってしまったのです。そう、一切を。殺してください、殺してください。どうか、愛する先生の手で、私の、真白に立ち昇る霜のように朦朧たる頸を絞めて、私を、どうか殺めてください。
私の憧れはただひとつでした。
アガペー。
私は、ひとを、無償で、愛してみたかったのです」
4 娼婦O
Oが、娼婦の世界に身を置いたのは、いうなれば、ひとの欲望への潔癖がすぎたからだった。
十八の頃、少女は、無垢なくらいに優しいひとになりたかった、悲しい奉仕、それをほんのすこしの下心もなしに捧げるひとになりたかった。エゴが、どうしても後ろめたかった。無償の愛、それこそOには美しかったのだ。
そんな当時のOにとって、みずからが得る快楽なくして、男たちを悦ばせることに身を砕き、かれらの情欲に躰をゆだねながらも、その肉体はあらゆる悦楽を撥ねかえす、そんな、むしろ清廉潔白なイメージがこの仕事にあったのだった。それは少女の感覚では、みずからの理想、いわゆる、奉仕の姿にちかいようにおもった。
が、その意欲で働いていたのも、はや昔のことであった。他の仕事と、大差はなかった。
二十六歳。だんだん艶を失っていく髪が、必要に迫られ少し濃くなった化粧が、目元にやや帯びる陰影が、なんだか侘びしかった。うら若き美への哀惜、それもたしかにあるけれど、けっしてそれだけにかぎる話ではなかった。女性の美しさ、男性もそうであるけれど、それは、それぞれの年齢に収穫できる果実があるように、女にはおもわれるから。
しかし女は、いまを生きていたかったのだった、その一瞬一瞬の生を、抱きしめていたかったのだ。だが、薄明さながらの現在の一時一時は、つぎつぎとわが掌で喪われて往き、刹那刹那のわが体温、蛍のそれのように淡い光り、それは地平線の向こうへ流れ去って、やがては黄昏に沈んで往く、そんな、ほうっと果敢ない喪失の情景の連続が、女には淋しかったのだ。
女はみずからに、無償の愛を待ち望むのをとっくにやめた、自分の心に期待をするのが、虚しくなったのだった。みずからに美を求めるその態度は、たいてい自分への落胆や苛だちをもたらした、そして、自分のことを恨むようにもなった。それに、はや疲れた。しかしどうにも、愛することへの憧れは消えることがないのだった。
女は、少女時代からの憧れと、はや成熟し老いへむかっていく自分の肉体が、砂の曳くような淋しい音を立てて、乖離して往くような感覚をおぼえていた。
*
きょうの客は、予約して来店した中年の男だった。
「洋子ちゃん、きょうも可愛いね」
彼女を指名した男は、源氏名でOのことを呼びながらいった。
お世辞。
Oはそう考えた、女には、みずからの容貌の美しさに、ほとんどうごかしようもない認識があった。その認識は、この職業をつづけたなかでなんとなしに得てしまった、ある種哀しいものなのであった。
彼女のそれでは、自分はそれほど美しくもなく、アイテープと研究をかさねた化粧、念入りに手入れされた肌と黒髪ありきの、そこそこの魅力をもっているにすぎないのだった。
男は好いサービスを望んでいる、それゆえに、安易にもまず容姿を誉め、機嫌を良くしようとしているのだろう、そう憎々しげに、心情をおしはかった。
愛してもいない男に躰をひらく、海にでもなった気分だ。
生命の故郷として、なにもかもをどうとうに抱く、理不尽な慈愛。Oは客には不感である、けれど演技によって、彼女の肌は海のおもてさながら波うち、男の情欲は、まるで寄せ波が逆行するように、海の裸体へ打ち寄せる。…
不意に男が倒れかかった、もの憂い瞳でOを見つめ、そっと唇を重ねる。
…男はOから、躰を離した。
「…好かったよ」
かれは煙草へ手をのばす、Oは、部屋にいつも置いてある客用のライターをとり、慣れた手付で火をつけた。
水商売らしいこなれた気遣い、これはむろんかれの為ではなかった、自分の為でしかなかった。気遣いできる人間だと思われたいという虚栄心、そうじゃないと思われることへの臆病な焦燥、そして結局は、こういった行為がリピートに繋がり、店長から褒めてもらうことができるからなのだった。空白を満たしてほしかった、Oには、こんな心のうごきがあった。
女らしい気遣い、その「らしい」というのは、かれらの願望の投影にすぎないけれども、それに満足げな表情をし、男は煙を吐きだした。この後も仕事があるOに、香りが付くことへの配慮がない。たしかに部屋での喫煙はゆるされている、しかしそれを発想してもいいはずだ、Oにはそう思われた。
女は男を軽蔑した、かれはエゴイストだ、しかしその後に、自らの軽蔑心への自責と、どっと後ろめたい気持に蔽われ、こうみずからへ問いかけるのだった。
かれのエゴイズムと私のそれ、果して、双方のなにが違うだろう?
*
幼い頃から生きづらかった、それを誇るのも、タフなひとに逆恨みするのも嫌だった。他人の心の機微にやや敏感なだけで、自分のことを繊細だなんて、あんまりおもえなかった。
けれどこのままでは生き抜けない、それにようやく気がついた。その生きづらさは、自意識過剰というものに由来しているようにおもった。しかしこの悪癖、すぐに治るものではないようにおもわれた。
そこで、Oはある生き方を、みずからへ提案したのであった。
それは、「他者に愛情や理解を期待しない」というそれであった。
Oは折に触れて、それを意識することにした。するとだんだん、わっと叫びだしたくなるような妄想的な羞恥、神経を轢くような臆病な焦燥、他人の態度に見えない裏側の心情への恐怖、そんなものから、ある程度は解放された。すこしだけ、生きやすくなった。
が、この転換によって、Oはそれらの痛みを殺した代わりに、べつの痛みに蔽われるようになったのだった。
*
その青年は、上司との付き合いで、初めて風俗店を訪れたといっていた。
客のそういった言葉は、とても信用に足るものではないのだけれど、たしかにかれは、どこか純情な印象で、あまり遊んでいるタイプには見えなかった。ひとが良さそうだった。
行為を終えると、
「こういうお店にも、洋子さんのように素敵なひとがいるんですね」
といった。誉め言葉のつもりだろうか。
こんな、職業差別そのものの言葉で、私が喜ぶとでもおもっているのか。Oは冷めた気持で、それを聞きながした。
「洋子さん、なんだか雰囲気も、性格も好きだなあ。趣味とかあるんですか」
いったい貴方が、私の性格の何を知っているのだろう。
女は詩や小説を好んでいた、とくに、久坂葉子が好きであった。洋子という源氏名も、みずから希み、彼女のそれからとったのだった。しかし、そういった趣味は、あまり客好きのするものではないらしい。
Oはこういうとき、旅行と答えることにしていた。訊かれるたびに、女は、一度だって行ったことのない地名を上げ、ネットで調べた知識と、ただの想像による、いくぶん愚かで、可愛らしい印象の感想を披露していた。
仮面が喋る、このくらいで、丁度よかった。
「恋人はいらっしゃるんですか」
このようなプライベートに関する詰問は、Oの嫌うところであった。本名を訊くひとも多かった、本当のことなんていうわけない、うんざりだった。彼氏がいたとして、どうして私が正直に答えるとおもうのだろう。
女はこの仕事を、ある種の夢の中の出来事だと認識している。プライベートだけが現実で、労働の時間を幻の時間として、双方を切りはなしているのだ。
部屋が仄暗い、それを夢である証拠、一つの条件としてかんがえていた。この理由もあって、彼女は部屋の電灯を最大にされるのが嫌であった。現実と幻、それらが灯の光りでもって繋がって、自己欺瞞が明るめられるような気がした。
たとえ善いひとそうな客がいたとしても、かれらはみな、夢のなかで邂逅した、魅力的な幻であるというふうに認識しており、その幻影が、自らの現実へなんらかの影響を働きかけてくることに、女には、はなはだしい拒絶感があるのであった。
これらの処世術によって、Oは、なるたけ仕事で傷つかないようになった。
二十代もはや後半、店では二十三といっているけれど、生き抜く為に、だんだん強かに、少女時代の私からいわせれば、卑俗な人間になっていく。
しかし、私が傷つきにくくなるということは、労働に力が入ることにも繋がるし、客にとっても最善であるはずだ。嘘も方便、客もそれで喜んでいる、私たちは、ひろい意味において、男性を喜ばせるのが仕事。自分にいいきかせるように、これを頭で、呪文のようにくりかえした。本当は、客にも自分にも、嘘なんてつきたくなかったから。
「いませんよ。この仕事をしている間は、恋人をつくらないと決めています」
そういって微笑んだ、恋人がいないことは嘘ではなかった。数か月前に、別れたのだ。
別れ際、「風俗嬢風情が」と吐き棄てられたこと、それをOは、どうにも忘れることができなかった。かれのなかで、私たちは対等ではなかったのだと、そこで解って了った。
この言葉は、いまでも彼女の内部に這う神経に睡っていて、そこになんらかの刺激が流れてくるたびに、わっと甦り、叫びだしたくなるような心持にさせる、この記憶は、いくども、いくども女を傷つけた。はや、愛されることさえ、怖くなった。
「また来ていいですか」
男は尋ねる、いったい、この業界のどこにそれを直接拒む娼婦がいるだろう、いや、少しはいるかもしれないけれど。けれども、本当に嫌だったら、後でスタッフに、NGに入れてもらえば済む話なのだ。
「勿論。嬉しいです。また来てくださいね」
そういって、かれと唇を重ねる。
無感覚のキス、それはほとんど、痛みに酷似している。
女は、まだ、キスだけでも、恋人とだけしたかった。そんなロマンチシズムくらいは、もちつづけたかった。痛みを感じるたび、変に安心するところがあった。そんな自分を、ほんのすこしだけ、可憐におもっていた。
*
誠二と名乗るその青年は、その後もOの元をたびたび訪れた、週に一度、いや二度来ることさえあった。それっぽく、はっきりしない好意を伝えられつづけた。
経済的に大丈夫なのだろうか、女はすこし心配したが、しかし自分が、「もう来ちゃダメよ」などと、やや古めかしい美辞麗句を吐くことに、肌があわだつような虚栄を感じ、こんな自意識過剰はなかなか治るものではない、とりあえずは、かれのアプローチを避わしつつ、他の客とどうように接した。
客からの求愛、それは昔から、彼女には負担でしかなかった。まずもってOは、店で男好きのするキャラクターを演じていた、それは他の、たいていの娼婦もやっているはずであった。
接客中の自分しか知らない相手に愛されること、それは女優が、「あの役で貴女に恋をしました」といわれたときの、拍子抜けするような無感動をひき起こすのである、なぜってその「私」は、けっして「私」ではないから。
臆病ではっきりしない求愛、かれはきっと、私に期待しているのであろう、そのように、Oには推測された。なにを? 愛情、そして理解を。
他者に、みずからが欲する感情を期待し態度に出す、それは人間として当然の欲望によるものかもしれないが、なんて迷惑で、傲慢で、怠惰なことであろうと女には思われた。
みずからの心にある理想、それを不連続な、けっして自分の心と交わることのない他者の心に勝手に投影して、ワガママに希んで、そして、勿論全員ではないけれど、その行為が報われなかったとき、かれらは掌ひるがえして、私たちに逆恨みをもすることがある。「風俗嬢の癖に」、それを客にいわれたのは、数年もこの仕事をつづけていれば、一度や二度ではないのである。
娼婦を下に見る風潮、それはOにとって、はや気に掛けるにあたらない、そのように、頭ではおもえていた。女は、すでに述べたように、職業へのそれにかぎらず、他者に、理解を期待するのを諦めていたから。
他人に期待しない、ただ、そっちのほうが、気楽だった。しかし、胸の底にじんと染みいる、鉛のように重たい淋しさ、それがつねに巣食うようになった。かつての空白のようなそれとは、愛されたい、愛されたい、そんな、渇望のような孤独感とは、ちがうものであった。むしろ、愛されてもたかが知れている、自分はどうしようもなく、なにをしても独りなのだ、そんな意識がつよまった。
Oがかれの求愛のなにを嫌うかといって、それは他者へ期待の態度を発する、それじたいにたいしてである。そういった要求は、学生時代の自分のように、他者の期待にこたえることで、それで褒めてもらうことで空白を満たしていたような、そんな臆病で淋しがりやの人間を、神経を裂くようにくるしめることがあるからである。
人間は、他者の期待にこたえられなくても、生きていて好いに決まっている、そのように、女はいまかんがえていた。
*
仕事を紹介すると、青年は提案したのだった。貴女の為に、とかれはいった。女はその言葉が、大嫌いであった。
それは女にとって聖域であった、遥かから硬く照りかえす、月さながら青みがかる聖地の言葉なのであった。
しかし転職、これに興味はあった。
Oは、もうこの仕事をしたくなかった。想えば、本当にやりたいとおもっていたのは、十代の頃だけの話であった。
やりたい仕事なら、娼婦でもなんでもやって好いと思うし、それを他人がどうこう否定するのを女は毛嫌いする、貧困に悩む女性たちに、売りたくない躰を売らせる世の中であるならば、それは憂わしいけれど。けれど女は、正直な気持から、もう娼婦をしたくなかったのだ。
娼婦、私たちはむしろ、努力への意欲が清潔で、自らの全身全霊のみを頼るがゆえに、サービスに一途な心の在りかたを持ちがちであるとおもうけれど。
Oは、青年と、連絡先を交換することにした。
*
かれは仕事を紹介してくれた、面接で、経歴の質問にはざっくり水商売だとこたえ、履歴書に記入したのは、飲み屋も経営するXグループに、アルバイトで入社というものだけ、とくにそれ以上、質問もされなかった。無事、内定はいただけた。女は、穏便に店をやめられた。
「僕の家に来てくれませんか」
かれからLINEで誘われた、女は、それを断ってはならないようにおもった。お礼くらいは、しなければいけないだろう。
かれの家はよく片づけられていた、いい匂いの配慮もあった。心遣いのある、想像どおりのもてなしだった。
Oはかれに、人柄への好感はもっていたのだった、肉体的な拒絶感も、それほどにはなかった。善いひとそうだった。時と場合がちがえば、これから愛情を育んでいくことも可能なはずだった。しかし、次の恋人は、どうしても前職を知らないひとでなければいけなかった。隠し遂せねばならなかった。
次の仕事で、ある程度キャリアを積んだら、Oは、かれの目の届かないところへ、ふたたび転職をするつもりであった。
「あかりさん、」
とかれは呼んだ。
女の名は、「あかり」ではなかった。
履歴書に書いた本当の名を、男は知らなかった。もしかれがOに執着心を持ったなら、本名くらい、後から調べれば容易に解るだろう、しかしその時、かれへの女の本心にもきっと気づくだろう。
恨まれるのはたしかに怖かった、青年の、温和で、ひとの良さそうな印象にすべてがゆだねられていた。これはOの甘さであるかもしれなかった、まだ、他人の善意を信じ、期待してしまうところがあった。
「就職おめでとうございます」
「ありがとうございます。誠二さんのおかげです」
この言葉は、本心であった。
「あかりさん、」
と青年は女の肩をつかんだ。
「僕は貴女が好きです。付き合ってもらえませんか」
案の定だった、はっきりと告白をされたのは、これが初めてである。
「ありがとう」
そして、負い目のあるように視線を逸らし、後ろめたげな眼をした。
これは女の狙った、かれを怒らせない為の印象効果であった。内心、Oは恐怖で、ふるえていたのだった。
「でも私、しばらく恋人はいらないの。誠二さんのことはとっても好き、でもそれは人間として。仕事を紹介してくれたのも感謝してる、けれど、それには応えられません。ごめんなさい」
なんて勝手ないいぐさ。女は、自分のあまりに自己本位ないいかたに、ぞっとしたのだった。彼女の臆病な心ゆえに、酷い女らしい印象を、ちょっとだけ強調しようと、前日から、一言一句かんがえ、吟味し、暗記してきた言葉であるのだけれど。
だが、こちらに気持がないのも事実なのである、ただ、自分は、恩を受けとってしまったのだ。それは、返さなければいけないだろう。
Oは、失恋し傷ついた男の、蒼ざめた頬へ、そっと手をあてた。そして、いくどもかれと交わしたように、しずかに唇を重ね、優美なるさまで、誘うように艶やかなうごきをし、そうして、「せめてお礼だけさせてね」、と、耳元で囁いた。
女性が優美に見えるとき、それはもしやすると、様式美に、本心が蔽い隠されているときではないだろうか。優美は、高貴に似ている。
女は、かれに、抱かれた。
この行為が正しいことなのかどうか、彼女にはそれが判らなかった。
それをさせたのは、たしかに、かつての理想、他者に捧げようとする感情なのだった、狂気じみたそれの操縦した、劇しい、燃ゆるような情事がそこにあった。
しかしそこに、一切の愛はなかった。情欲もなかった。罪滅ぼしのそれにも似た焦燥、借金を返済しようとする心のうごきのみがあった。女の心は終始氷りついていた、冷然と、情事に耽るわが肉体のうごきをさえも、見すくめていた。
*
女は男の家から出た、かれの連絡先をブロックした。LINEのアカウントを削除した。スマートフォンを溝に浸し、一滴の憎悪もなしにつよく踏みつけ、機械を壊した。明日、新しいスマホを買いに行こうとおもった。
ごめんなさい、ごめんなさい。
そう心中で謝っていた、それがすべて、自己満足であると自覚しながら。
私はまだ、臆病なのです、現実と、かの幻を繋ぐ、真実の光りが怖いのです。はや、誰かと愛し合うことさえ、肌があわだつほど恐怖してしまうのです。
私のもっとも深刻な病、それは自意識過剰ではなくて、内気な臆病さではないかしら。
けれどOは、ほんとうは、誰かと愛し合いたかった、心と心は融け合えないと識っても、誰かに理解され、誰かを理解したかった。
ひとに愛情や理解を期待しない、その生きかたは、けっして弱さの克服なんかではなかった。女は識っていた、みずからのそれは、どうにか自分が生き抜く為に選びとられた、切ない、憐れな、カラクリめいた処世術にすぎないと。
5 聖ビッチ
わたしはだれとだって性交渉をすることができる、されどだれとだって愛の交合をすることができない。
わたしの躰はかれらの肉欲・肉体の浸食を希むままにうけいれる、そしてわたしの魂はそのことごとくをきんと撥ねかえすのである。わが裸体は肉欲の不在ゆえにかなしいほどに透きとおり、その奥に秘められた淋しくも澄んでいる硬質な憧れを蔽いかくす。それはあるいは少女性のようなもの。幻ともうたがわれるイノセンス、驕りたかぶる淋しさ、そんなもの。
わたしはただ、この不連続で淋しい躰を林立する花々の群に埋れさせたいのだ──「人間は、みな同じものだ」、そう想い淋しさを埋めたいだけのわたし──、孤独にうがたれ喘ぐように疎外にむせぶ空白を満たしてほしい、ねがわくば、魂をかのひとと連続させたい、そして繋がったままに果てへと連れ込まれてみたい。されどかのひと、センセイは、わたしを愛してなどくれないのだった。すれば仮の男のそれで、代替せざるをえないのである。
魂を連続させたい、そんな夢のようなことを想いながら、わたしは仮面を被りその純粋さ──そんなものあるのかもわからないだけれど──、そして疎外状況を、むしろ守護しようとする。
美と善の落す翳のかさなる処、そこに彫刻された蠱惑めいた陰翳、愛の様式。ちらちらとかがよう城。そこへ往ってみたい。まるで愛のようにうごいてみたい。わたしには判らない、果たしてどう生きるのなら、善く美しいのだろう?
ゆきずりのセックスに躰をくろぐろと染まらせていたくせして──それを穢いだなんてわたしはいっさい想っていないけれど──、まるで、純化された愛のそれのようにうごいてみたかったのだった。純白に浄化された魂を跳ねあがらせ、ついに空へ昇ってみたかったのだった。
*
わたしのセフレの平均年齢は二十七歳、そろそろ出世、結婚を意識する年齢、されどかれらはみな、わたしの躰を愛撫しながら、くちぐちにこういうのだった。
「ずっと、このままでいたいな」
わたしはそれをきくたびにかれらをさげすむ、クズである、わたしだって、おなじ穴のむじなにすぎないのだけれども。軽蔑、この心のうごきは、いつもじぶんに後ろめたい。
現実逃避。リフジンにたいし奴隷根性でもって抵抗をあきらめて、被害者意識による自己憐憫で自尊心を誤魔化しごまかし、奴隷化された不幸なお姫様きどりで可哀相なじぶんをどこまでも愛している、そんな女がわたしであるのだった。
人間が変わろうとするのなら、まずもって容赦のない自己批判が必要なのだ。リアルにちかい自画像をドローイングしなければいけない。けれど自己否定、それで終わるのがいつものわたし。はやこれでいいじゃん、そんなのっぺりとした、薄明さながらの虚無がある。
のらくらと大学に行って──あるいは行かずに寝て過ごして──、遊び代を稼ぐため、男に酒を飲ませるバイトを気が向いたときだけやっている。怠惰に引きずられ、もっとも俗悪な意欲でえたうすっぺらいニヒリズムが、わたしにある。
すべて、それでいい。
この言葉に「あなたを愛している」というルビを付け、それを投げこまれてみたいある種のひとびと、いくらなんでも、甘えすぎである。そしてそれがわたし。みずからの悪徳を知っているという注釈の狡さ、自意識過剰によるもの、その俗悪さだって、わたしは識っているのである。
わたしが識らないもの、それ、果たしてなに?
まずもって勇気のうごきである。そして有機のうごきである。
わたしの世界、それには、生活に爛れたセックスが満ちみちているにもかかわらず、はや肉体性がないのだった。世界とわたしは切りはなされていた、まるで疎外者きどり、現実味だってない、じぶんをまるで他人のように想っている、だから他人事のような文章でじぶんの醜さを書ける、じぶんをいっさい信頼できない、男に抱かれていてもどこか他人行儀、自己嫌悪の心のうごきだってそれなのである、快楽もないのに艶々となまめかしくうごくわが躰を、まるで亡霊として、うえから冷然と見すくめているよう。
わたしには、わが意欲を現実世界に働きかけ、有機的に融けこみリフジンと争う勇気がないのだ。野心。それさえないのだ。どこかへそれを、置いてきたのかもしれない。
*
きょう会うセフレくん、かれにだって、野心がない。
というよりも、わたしのセフレは、ふしぎとそんな野蛮な意欲を押しこめて、どこかリフジンへの抵抗を──ちなみにリフジンって片仮名にしているのは、わたしたちが理不尽だと感じるのは、甘ったれていないひとにとって当然のことにすぎないから──諦めているようなひとばかりなのだった。あるいはわたしがそういうひとをえらんできたのかもしれない、いや、きっとそうだ。なぜってかれらは、わたしを後ろめたい気分にさせないから。すくなくとも、会って躰を重ねているあいだだけは。
性欲という、肉体に付属されているそれ代表ともいわれがちな欲望に従い──ああうたがわしい──、あるいは引きずられ、社会秩序的に悪徳の関係をまだ十八のわたしと結んでいるくせして、かれらはさながら、神経さえ通っているはずのゆびさきを、枯れた植物のそれのように無気力に垂らしている、されどあわよくばわたしの深部へ這い入れようと、ケモノじみたふるえをうちにみなぎらせているはずなのである──されど人間だって、もしやケモノじゃないかしら──。
わたしはそんな憐れなかれらを、尊大な気持で、かわいいとさえ思う。わたしは男性を愛玩することで、かのひとに、復讐を果たそうとしているのではないか。わたしたち家族を棄て愛人と一緒になり、ある芸術畑で優れた人間となって、差別的な自尊心をふとらせた父親のことを、わたしは不潔きわまる男だとにくんでいるのだ。不良な男であった。
野心と勇気がないということ、これはけっして、わるいことではない。されど強くなるということはある種悪人になるということ、野蛮な意欲をもって現実に踏み込み、世界の形状を変えようとする、全我を掛けた勇気をもつということ。格闘の姿がある。自立している。そういう男がモテるのは当然であると、わたしにはおもわれる。わたしにだって、野蛮なものにちからづよく浸食され、果ては身を委ねたいという深い願いがある。そのために本を読んでいるふしもある。わたしはセクシーで危険な色男さながらの書物に、果てはぐいと誘拐されたいのである。良書より、危険な悪書に、わたしは魅かれる。
やはりわたしには、どこか着付を受身で待っていたい、そんなお姫様気質があるのだと想う。
「あかりちゃん、いらっしゃい。入って入って」
「お邪魔しまーす」
わたしの声は、淋しいくらいに澄んでいる。いったいだれに似たのだろう。
ところでわたしの名前は「あかり」ではない、この文章で、わたしは本名を明かす気はないのである。ビッチ。そう呼んでくれれば、よい。破れかぶれに、わたしはそう吐き棄てる。
仮面の欺瞞を透かす真実の明りへのおそれ、虚構の自分と調和し真実の自分を夢と切りはなさせる必要条件としての淫靡な灯への焦がれ、このふたつに掛けた偽名が、これなのである。
くわえて、「あかり」って名前はわりとかわいい、気にいっている。少女っぽくて、清楚である。わたしの入念に手入された、楚々たる黒髪ロングにも似つかわしい。男好きもすると思う。繋がったまま「あかり」と呼ぶと萌える、そうもいわれる。わたしは呼ばれるたびに、こう想うのだけれども。
あかりって誰? そもそも、わたしは誰?
わたしはセフレをアプリで探しているから、プライベートの自分とセックスをする自分を、ほぼ完全に切りはなすことができる。学校名なんていうわけがない、男たちはなぜか答えるとおもっていて、しばしば訊かれるのだけれど。偽名、これは不誠実なものではない、ネット・リテラシーである。安全に、危険なことをできる時代なのである。ところでわたしとおなじことを、やってはいけない。
ああ、それにしても、と、わたしは思う。わたしがいえたことじゃないけれど、表札の付いた家に呼ぶなんて、なんて愚かなのだろう。かれらは、わたしたちの愛らしくやさしい演技を、かいかぶりすぎなのだ。男の希むままにうごける女にこそ、おそろしい悪意が秘められているのかもしれないのに。それは男だってどうようであるとおもう、相手を傷つけるたぐいの異性癖のわるいひとは、たいてい異性の要求するような魅力的な人格のふりをするのが巧く、そんな演じられた振舞は、きっと秘められた心とほとんど一致しないはずだ。そもそも素で異性の欲するような男女なんて、もしやいないんじゃないかとうたがわれる。
恋愛に期待をしすぎる人間は、果ては異性を憎むようになったりもする。男なんて、あるいは女なんて、どうせたかが知れている。このくらいが、じぶんを守れるようにおもう。わたしのすでに大人びた、他者への期待の放棄、それはただ、傷からじぶんを守るため。
わたしはだから、敢えてモテなさそうで、どことなく不幸の香る、まあ清潔感はあるかな、くらいのひとをセフレにえらんでいる。いわゆる、女性をドキドキさせるのが、まだ拙いひとたち。けれどもそれだって、──いや、キリがないのでやめておこう。恋愛の高揚効果、蒼く沈む頬を花さながらに染めあげるそれ、そんなものを、好きでもないひととやりとりしようと努力するのはもはやとっくに飽きてしまったし、はや、与えるだけでせいいっぱい。つぎにそれを体験するのなら、センセイが相手じゃないと、嫌。
「健くん髪形変えた? マッシュ似合う」
「そうかな。ありがと」
まずはよろこばせる、良好な関係を保つために。
わたしはかれの家に入った、かれがわたしの手をとり、その感触で、情欲のぐあいを匂いのように予測できるのだった。
かれの部屋、わりに乱雑。わたしはとりあえずベッドに座り、「なんか飲みたいな」、と甘えてみた。かれがキッチンへ行くと、いまの言いかたのイントネーションが可愛かったかの自己批評をして、時間を潰した。
…
ぼーっとしていると、あるいは心の鏡に映ったゆらめく自画像を眺め、把握不能であるみずからの心のうごきを解読しようとしていると、気付いたらわたしの下腹部にアレが這入っていて、すべらかにうごいている。わたしの性体験は、だいたいがこんな感じである。
情事に及ぶまでのストーリー、これを書けないのだから、わたしのこれは恋愛小説でもなんでもない。ポルノにもならないだろう。情痴と淋しさを書き殴った拙い散文、それにすぎない。されど「情痴作家」、いつかそうよばれてみたい。うらがえしの自尊心。
「気持ちいい? ねえあかり、気持ちいい?」
ああ。そんなわけがない。ただ薄い膜の張った躰が重なっているだけ。それはコンドームのみの話ではないのだった。
わたしはかれのことをセンセイと想おうとして、天井ばかりをながめ、愛らしい情婦とおなじうごきをして、わたしの不在した情事に置かれたわが身に献身を感じ、それでなんとなく淋しさが癒え、心が落ち着くだけなのである。
わたしの裸体ははや透明なのだ、海である、海のように生誕の出発点としての躰をひらき、それの虚無な慈愛のようにすべてを享けいれて、男の腰は、まるで寄せ波が逆行し砕けるように、おなじうごきをくりかえしている。果ては死を迎えるようにかれを虚空に呑みこんで、そうして、そのうごきはまたくりかえされる。
「うん、気持ちいいよ」
リップ・サービス、ほとんど義務めいたそれ。
「好きっていって。嘘でいいから」
そんなことをいわれる。
わたしはかれを軽蔑し、その期待のこもった自己本位な要求にいらだち、そしてその凶暴な感情のままに、まるで復讐をするような意欲、乱れた息遣いで──それはむしろ言葉を淫らに響かせる──、そっと、こう囁いたのだった。
「健くん、好き、だよ。愛、して、るよ」
好きでもないひととのセックスでなにかが穢れる、そんな意識は初めからない、されどこの時ばかりは、みずからの唇が、どっと欺瞞で穢された気がするのだった。
赦して。わたしは、まだ、愛に夢をみている。
好きっていって。暴力である。いわなければ、雰囲気を壊してしまうことをわたしは知っている、そしてわたしはそれに従ってしまうほどに、ひととの対立がどうしてもこわいのである。こんなとき、わたしにできる復讐は軽蔑くらいしかないのである、そいつの正体、果てはじぶんの心臓へ否定として突き刺さる、魂の貴賤の比較意識である。
霊肉二元論による鞭の自責。人間の心の貴賤の比較による自他への軽蔑、そして、最後の審判でなしに自己本位に為される、他者の魂への裁判。はや、虚無の海へなげ棄ててやりたい。
*
帰り路はいつも後ろめたい、果たしてわたしは、なにを満たそうとしているのだろう。
うたがわしい答え。心の空白。魂の不連続性の意識のうがつ、いっとき満ちてはさっと引いてゆく、浪のように迫られ往く淋しさの穴。
まるで壊れたヴァイオリンを乱雑なゆびのうごきで弾き散らすように、神経の糸をぞっと乱しひりひりとそこなわせる淋しいいたみが、わたしの躰をつねにさいなんでいる。疎外の淋しさは不可視のいたみ、しかも、そいつは恥でもある。知られたくないのだ。はや陰部に属する。隠さねばいけない陰部を繋がらせることで淋しさが癒えるのは、真のじぶんを蔽いかくしているという仮面、そして世界から疎外されているという意識の生むこの淋しいという感情と、ひとと連続し果てへ往きたいという情欲は、なんらかの糸で結ばれているからだとわたしには想われる。
それどころか、わたしのほとんどの、いやすべての行為・感情は、淋しい情欲を起点にしているのではと想えることまでもある。社会的な営みだってそうなのだ。わたしは引きこもりになるタフさがない、だれかと繋がっていたい、なにかに献身していたいというような脆さがある。書くことだって、情欲による。秘密の陰部をさらけ放って、言葉と交合し、殺意にもまがう慈しみで自画像を書き殴って、しかも、それをひとに読んでもらおうとする。公開自慰行為、どころではない。あろうことか、それにより他者に共感してほしい、深い心はみんないっしょだと実感させてほしい、ふかく秘められたところで、わたしは他者と繋がりたいのだ。わたしの絶えず孔のうがたれ、風の吹きこむような情欲を満たしてもらうため、そんな意欲で、わたしは書きつづけている。
センセイはいまなにをしているのだろう。高校時代の数学教師。結婚して婿に入り、その家業を継ぐために辞職したひと。ともすれば自己犠牲へもむかいがちな、こっちがせつなくなるくらいにやさしいひと。センセイ。
破れかぶれに放蕩をし、たいしてよろこびもないのに男と遊ぶわたしに秘められた、おそらくや一条の、澄んだ、陽のしたたらせる透き徹った光りのしずくにも似た感情、あるいは、しろい木洩れ日の逆光、それが、わたしのセンセイへの片想いなのだった。ここに魂があるのだ、澄んだ水晶が睡っているのだ、さながら、死の燦きのように硬く蠱惑めいて。わたしはそう信じたかった、されどそう信じることさえもできなかったのだ。
魂。わたしにはそれが、虚数のように想われる。人間の不合理な愛の行為を心理的に逆算し証明する上で無いものを在ると仮定したもの、そんな幻の観念のようにうたがわれるのである。
けれども在ったらいいな、純粋なそれのままにうごいてみたいな──わたしには理性がわずらわしいのだ──、そう、わたしは希ってしまう。なぜって、愛のままに操作される不合理な躰のうごきが、わたしの眼には、はや真白の積雪に散るグラマラスな真紅の花びらさながら、けざやかに、そして神殿めいて壮麗に映るから。そこに魂を埋めてみたい、オスカー・ワイルドのそれ、当然うまれえる感情ではないのか。意志に叩きすえられた魂が火花を散らし跳ね舞踏して、ついに善へ純化し美とかさなって昇華される、そんな、愛の幻想即興曲。垂流しの美酒の酔い痴れる、ヴェールさながらの薫りたかい天の川。ラピスラズリの光りの塵の如く硬く照る、かなたの死者の魂たち。
そう純愛、それは、むっと死を薫らせるよう。路端になげ棄てられ、さみしいほどに精緻に整ってしまった、いちりんの真紅の薔薇さながらに。
いつやわたし、そらから降るしろいゆびさきに、わが身を薙げ棄てられてみたいのだ、巨大なものに手折られてみたいという、根ぶかい欲心が、わたしにある。
わたしは淋しい躰をビッチな生活の深みへ墜ちて往かせ、その疎外された魂を、聖なるものへ昇らせてみたかった。上と下。善と悪。美と醜。合理と不合理。どちらへの欲望もわたしにあるのだ。『重力と恩寵』、『悪の華』、コントラストが異なるだけで、どちらも、おなじ種の蠱惑をもっているようにおもわれる。まるで白と黒が、色彩学的におなじであるのにも似て。
重たく後ろめたい肉体なんか脱ぎ棄てて昇ってやりたい、さながら死者の星の煌きのように、とおく純潔でありたい。
こんな願望は、むしろうすぎたない疎外者としての自己愛に出発した、あるいは鏡ばかり眺めさせるつよすぎる自己愛の反動の、潔癖な欲望にすぎないようにもうたがわれる。永遠性への欲心。みずからの肉体を罰し滅ぼして、空で死者と連続したい、どうにもならない淋しさをかかえた疎外者がしばしば想う、妄念にすぎないのではないのか。人間は、死んだら終わり。そうである。
愛の殉死への憧れ。理詰めで自己否定し醜悪な自画像ばっかり眺めているから、それに疲れ果てちゃって、不合理な衝動のままに自己を破壊して、美へ昇華させ霧消させることにより、果てはまるっと肯定してあげたくなるんじゃないだろうか。
殉死、これはあるひとたちにとってじつは、損得勘定的に、コスト・パフォーマンスが好いのである。みずから希むのは、愛でも不合理でもなんでもない。
わたしはそれへの憧れを、あるとき、絞め殺してやった。告白しよう、どうせ結ばれないのなら、わたしは、センセイのために、死んでみたかった。だれにも知られず、深遠の森のなかで、ひっそりと血をながしながら。さながら、赤い薔薇を生成するために命を投げた、ナイチンゲールの小鳥のように。他者への純粋な愛に殉うことを、すべて自尊心に捧げるためだけに、わたしは欲望したのだった。
されど生き抜こう、そう思ったのだ。
*
猫。わたしはそれを愛している、なかでも優美にして、うごくたびに漆黒のエロティシズムの陰翳をうつろわせる黒猫は、いかにもわたしのうっとうしい偏愛を受けるにあたいする。艶をもつのである。わたしはたとえば衣服でも、柄より、織をこのむ。無地だけれども、光りを照りかえし翳うつろわす優雅なおもての波うちのほうが、わたしには美しい。
わたしはいつや、黒猫のような少年を愛してみたい。ぷいって拒絶されたあと──自己憐憫家にとって、拒まれるというのは身もだえするような悦びをひき起こす──、ほとんど壊すような気持でいとおしい華奢な背中にしがみついてやりたい。黒のタートルネックのニットを細身で着て、整った顔がましろの月のように沈鬱に映る、孤独を抱え、暗い眸をしたエレガントな美少年。むっと死のエロスを薫らせるハイゲージの黒がむしろかれを清楚にみせる、そのくらいに綺麗で、雪のようにしろい肌の、果敢なげな美貌の男の子。そんなひとを、寵愛してみたい。支配したい。穢してやりたい。果てはわたしが、××してあげる。
学校帰り、そんな黒猫が、わたしの脚にすり寄ってきたのだった。残念ながらひとのそれではなかったのだけれど、しかし、うるわしい美少年にはちがいないのだった。
ちいさくよわいものを慈しみ献身しようとする心のうごきは、ひとの気分、あるいは自画像をさえも、淡いタッチでほうっとやさしくさせるよう。
つまり、みずからを含めた人類を憐憫しまるっと肯定して慈しむ人間は、その尊大さ、うらにある卑屈さを狡くも蔽いかくしつつ、菩薩さながらのやさしい微笑を唇にたたえている。さながら聖女のそれ。人類愛、そんなものをいまにも説きはじめそうな。
わたしは、そっちへは向かいたくない。じぶんをまるっとゆるしたくない、そうしたら、誰がわたしを誠実に批判できるであろう。かれらを信じたくもない。なぜってうさんくさいのだ。人間はみな憐れだ、真実ではあるけれど、身も蓋もない、麻薬中毒者めいた息遣いがある。それに縋ってはいけない、そうおもう。花や星の比喩をよくつかう人種だ。男であるならば、もしや、心がよわっている女性にモテたがっている。ケモノめいたつよさで、女性から愛される自信がないのだろう。臆病な欺瞞、やさしさの仮面、それらのむっと香らせる、不潔きわまる魂。キライである。
しかしいずこへ往けば善いのか、わたしにはまるで判らない。信念をもつのも怖いのだ。信念はひとを偏らせ、他者を傷つけ、対立へも導き、あるいはそれを避けるため、さらなる厚い仮面を必要とする。きらわれたくない、これ以上、淋しくなりたくない。できることなら、わたしは生涯決めつける手前の複雑さのうちで佇んでいたい、そこで、あらゆるものをうたがいつづけていたい。それに耐えていたい。
欺瞞がキライ。自己欺瞞はもっと嫌。じぶんを美化なんてぜったいしたくない。わたしは正直な感情のままに現実と対峙したい、これ、甘えた気持。自分に正直に生きたいだなんて、虫唾がはしる。そう、わたしは幼稚なエゴイスト。されどそのためにじぶんの心のうごきを凝視して、批判の鞭を打ち、感情の化学変化を施して、心のまなざしを美と善へむかわせて、自己を操縦していたい。いつや地上を蔽うましろの積雪に、純化された真紅の鮮血を、「わたし」の不在したわたしじしんを、ひとしずくだけ注いでみたい。とくと溶けあう、双の肉体。
わたしとは不連続な、美と善への欲望。そう、あらゆるかれはわたしを愛さない。さればじぶんに正直に、善くうごき、美を、きっとみすえていたい。
されどわたしは、全体主義にかぶれた孤独な少年たちがしばしば想うように、純粋な感情でなにかに尽くしたいだなんて、いま、いっさい想えない。そんなこと、できるのだろうか。わたしの抱くそれらの話にすぎないが、美と善という観念とは、肉体的に交合し産み落とすことはできないように想われる。かれと融けあい一致することは、不能なのではないか。ともすれば背徳。美と悪の配合した狂気。わたしから脱獄しはや垂れ流され、悪酒アブサンの酩酊のままになされた、他者への慈しみ・道徳をも踏みにじる、乱痴気騒ぎの愛のうごき。血肉湧き踊らせるワーグナー、『トリスタンとイゾルテ』。怖ろしい。
わたしは愛という、慈しみの殺意のようにうたがわれる真紅の感情を、美と善の落す翳のかさなる領域でどうにか包み、美をみすえ善くうごくことをまず法則として、それへの尊敬と限定のなかでなにかを愛したい。菫色した、沈鬱に照るアメジストの感情。されどそれにだって、きっと悪が孕むのだ。すれば注意ぶかく、注意ぶかく自己批判・自己操縦していきたい。
湖を覗きこみ誇大妄想するナルキッソスのそれのようなうごきで、美と善に交合の情欲をもよおす人間はキライなのだ。永遠の片想い、なぜそれじゃダメなのか。報われない自己への憐憫、それを、わたしは突き放していたい、まるでわたしをけっして愛さない、かれのように。
猫が、にゃあと鳴いた。わたしもにゃあと、言ってみた。とたんに恥ずかしさで身もだえ。周囲を、恐るおそるうかがった。だれもいないから安堵をして、かれを抱きあげてみた。ぐしゃりと潰したくなるほどにかわいい。こんな愛情、わたしのそれにはおそらく、美と善がない。醜く悪いわたしなんてズタズタに破壊してやりたい、そして感情を再構築して、美と善の落す翳と影絵さながらかさなる衝動、それを産み落としてみたい。ああ。机上の空論。
わたしはやがてかれを慈しむのに飽きてきて──だって甘えて、にゃあというだけである、つまらない──、家へ向かいはじめた。するとそいつは、あろうことかてくてくと追ってくるのだった。え。かわいい。ふたたび、このどうしようもない巨大な感情が浮ぶ。わたしはかれを無視するのを酷におもい、抱きあげて約束のホテルへと歩きはじめてしまった。
わたしの推測にすぎないが、いい齢をして、こんな少女らしいどうにもならない感情がつよすぎると、やや大人の社会秩序と、相性がわるくなってゆくのではないだろうか。水商売のアルバイトで、厳しい社会に傷つき辞めていく、どこかガーリーな感受性の愛すべき同僚たちを見ていて、それによってわたしだって傷ついてしまう、そんな他者との境界線が引けていない自分の心のうごきを凝視していて、そんなことを想ったのだった。
ちいさくて愛らしく、依存を必要とするかよわいものを愛しすぎてしまう感受性は、つよく自立したものへ向かわねばならないこの厳しい秩序のなかで、どうしても、傷ついてしまう宿命にあるように想う。じぶんのことをそんなふうに想っていれば、なおさらではないのか。
なぜそう推定しえるといって、そんな甘ったれた心のうごきは、わたしのなかに、むしろつよくあるものだから。よわいままでいたい、若く綺麗なままがいい、かわいがられ、いつまでも他者に生を委ねていたい。けれどもつよく、やさしくなりたい。いいかえると、善く躰をうごかし、現実と争えるようになりたい。これだって、いのちの正直な声ではないだろうか。そしてこの声に従うのは、わたしを世界のなかで生き抜かせるようにおもう。生き抜く際に大切なのは、社会秩序の通念による自己否定ではない──それは神経によくない──、じぶんに向いたやりかたで、現実との折合いをかんがえ、行為と身振り、思考に工夫を施すことであると、わたしはおもう。まるっと人格を否定しても、意味はない。
善く生き抜こうとじぶんや現実に抵抗しくるしむのは、それじたいも善のうごきとかさなる。そうかもしれない。俗悪美。わたしにはむしろそれが美しい。なまなましいのだ。可憐である。わたしの働くガールズバーのある、飲み屋街・風俗街のうす汚れたグレーッシュなビルの一群、情欲を煽るような、チープでどぎつい色彩の看板。美しい。ここに、ひっしで生き抜こうとする、リアルで卑俗ないのちが宿るよう。わたしは、リフジンな現実の裡でみずから負う善への有機的なうごきにだって、いや、むしろひとにはそれだけに、聖なるものが宿りえるのではといまうたがっている。むろん、虚数として。自負。みかえりは、これだけでいい。
聖なるもの。無機物のそれへの憧れなんてどうしようもない。たどりつけない。死んだら終わり、むしろ、そうであって欲しいくらい。
わたしが死んだら、わたしのことなんてみんな忘れて欲しい、そうじゃないと、恥の感情でどこまでも身もだえ、そもそも、産まれなかったことにしてほしいくらい。宇宙、はやく爆発しないかな。ねえ、ここ共感して。「わかる」っていって。わたしのことを理解して。心と心を溶けあわすなんて、不可能だって識っているけれども。すれば私のこと、どうか愛してください。なんだこいつ、キライだ。虫唾がはしる。
現実にとびこんで、みずからの意欲をそれにはたらきかけ、うごきつづけ匂いのつよい体液をながす有機の勇気にこそ、霊性の光りが宿るように、わたしには想われる。いや、想いたいだけ。唯物論者の、虚数としての霊魂信仰。
みずからへの提案、前言撤回上等。疎外感があるのなら、わたしはセフレと性交渉するんじゃなくて、セカイと愛の交合をすればいいのだ。わたしと切りはなされた硝子盤さながらのセカイに、肉体性を与えるのだ。まずもって、リフジンを理不尽ゆえに愛するのだ。飛び込み、脱ぎ棄て、闘い、強化された自我から正直にエゴを働きかけ、対象と擦りあわせながら、献身との一致をめざす。ああセックス。どこまでもセックス。ビッチ。そうである。セカイと愛の交合、わたしにはきっと、それができる。なぜって、残酷で冷たく突き放すものは、わたしにはなによりも美しいから。さながら吹雪舞う城のまえに佇む、雪女の青き眸である。現実って、神殿のように冷たくて、美しくないですか。むしろ穢したくて、反抗したくて、にくたらしくて、なんだかそそります。わたしはヨブ? 自惚れるな。
わたしはたとえば自殺という硬質な行為がいま好きではない、事情はあったとおもうけれど、わたしとは考え方や感受性がちがうんだから、否定や軽蔑をしてはいけないとおもうけれど、いまのわたしがもししたとしたら、合理的な賢人のする行為だと思う。わたしは可憐な愚かさが好きなのだ、風車と闘うくらいの不合理な天衣無縫がいとしいのだ。しかし、いまにも自殺へ傾きそうなあやうさを、わたしはもっている。死の硬さ、冷たさ、いたみさえも拒絶した大理石の人形のそれのような色香に、戦慄にも似た蠱惑を感じる。淋しいだけで死ねるのは、兎じゃなくて、人間です。だからこそ、わたしはまずそれに抵抗し、そして生き抜きたい。わたしはもしやすると、肉体的な生理と道徳法則を照らし合わせ道徳をじぶんで構築し、それに従い生きたいのかもしれない。どうしても、じぶんをおし殺したくないワガママ女。そうである。
よわいままでいて、リフジンから逃げて、野蛮な意欲をおしころし、自己憐憫でじぶんを納得させている固くささくれだったかつてのわたしの心の状態は、どこかに、あざといカラクリが施されていたようにうたがわれる。ほんとうにそんな風に、生きたかったのだろうか。そうしたいのなら、それでも好いとおもう。されどわたし、カラクリはきらいなのだ。生粋のぶりっこのように正直でありたい。仮面を脱ぐまえに、「わたしはじぶんに嘘がつけないの」という自己欺瞞を破壊してやりたい。
わたしは、聖女には、ならない。戒めに四肢を緊縛され、エゴから解放された気になって、安心立命のような幻想に悦ぶ女にだけはなりたくない。
淋しさを癒すだけのセックスはこれっきりにしよう、そうかんがえた夕暮、黒猫を連れ予定していたホテルへ行くと、待っていたのはセンセイであった。
*
かれは初めうろたえていた、しかしわたしが呆然とばかみたいに突っ立っていたからか、毅然とした態度をとりもどし、「初めまして。可愛いね」と、お世辞をいったのだった。卑怯な態度。こんなひとだったんだ、おどろきに打たれた。わたし、卑俗なひとは好きだけれど、卑怯なひとってキライ。元生徒、それに気付かないふりをすることに決めたらしかった。
わたしは猫を放した。黒猫はセンセイがあまり好きではないのか、さっとどこかへ往ってしまった。動物って、正直。そして鋭い。そうでありたい。
「すごい若いね、何年生だっけ」
記憶にございませんか。あなたが去年学校を辞めた年にあなたの担当していた三学年で在席、つまりは、今年度大学一年生であります。
「一年生でーす」
みとめよう。わたしはかわいこぶりっこである──ファッションスタイルは典型的地雷系、いつや爆発いたします──。しかももっとも狡猾なそれ、きらわれない程度の、ほどほどの猫かぶりである。卑怯とは、いわく、わたしのこと。
「女優の××に似てるね。ドキドキするな」
わたしのなかのセンセイ像は瓦解した。しかしよくみると眼鏡の奥にある眸は理知的で、身のこなしは教師のときのまま、センセイは、センセイではあった。心臓が音を立てていた、身を折りそうなくらいに、劇しく。
奥さんとは、別れたのだろうか。別れたから、こういうことをしているんじゃないか。そうであるならば、出逢い方は最低だけれども、わたしたち、付き合えるんじゃないか。そんなせつない希いが昇ってきた、わたしは傷つかないために、はやばやとそれを絞殺した。
感情の絞殺、とくいである。呪文はこれ、「とるにたらない」。硝子瓶の倒れる、からんと乾いた音である。注意。要所でしか、つかってはいけない。大切にしたいものが、洩れて了うから。
ほどよくニヒリスト、その釣合をとっていたい。
「結婚してるんですか?」
「ふふ、してるよ」
ですよね、とおもった。
こんなことがひき起こすいたみは、やや遅れてからやってくる。
「わるいひと」
変な感じ。どうせお互い、正体を解っているのに。
わたしたちはホテルに這入り、扉を閉め、淫靡なる紅い灯をつけた、ある種の緊張が神経をはしる、演技者としてのそれ。おそらくや、わたしの肌は光りをかすめるのではなく、まるで匂いのように食い入らせ、その心と調和させることができる。そうわたし、さながら娼婦。なにがわるい。
するとかれはこういうのだった。
「無理強いはしないんだけどさ、」
愛らしく首をかしげて、つづきを待った。
「頸、締めてもいいかな」
センセイだったら。そう想って、わたしは頷いた。
「ありがとう」
そう言って微笑む。そのままつよく、おし倒された。
まだ服を剥がれてもいない、そうであるのに、かれはわたしに蔽いかぶさり、しろくほそい頸を、おやゆびでつよく圧しはじめた。くるしい。わたしは痙攣を上げた、されどそのわななきは、悦びのそれでもあったのだった。ごめんなさい。おのずからこう囁いていた。これを欲していたのだ。わたしはそうおもった。ここから産まれてきたのだ、そんな気さえした。
わたしはしばしば頭のなかで謝っている、親に、世間に、そして世界に。ときに頭を、狂ったようにどこかへ打ちつけながら。後ろめたい。生きているだけで、後ろめたい。わたしのこんな謝罪なんて、すべて自己満足。そう。わたしは、ただ、赦されたいのだ。暴力によって。おそろしく強靭で、残虐なものによって。なにか、在りもしない罪をのぞんで背負いたがるようなところが、わたしにはあるのかもしれない。不幸面。そうである。不幸な顔をしていたい。幸福に、拒絶感がある。わたしみたいな醜悪な人間がそうなっては、いけないような気がする。幸福に、嫌悪さえあるのだ。不幸に埋没したいのだ。不幸のさなかでうごいている自分しか、愛せないのだ。不幸ほど可憐なものはない。まるで不幸だけが、わたしを赦すよう。
倫理的に生きるということ。条件付きでしか自己を愛せず、肯定できないということ。わたしは、それでよかった。そう、生きるということは、たしかに、喜びよりもくるしみのほうが多い。ならば、くるしみを喜びに転化すればいい、そう想っていたのだった。
されどわたしはわたしがきらった、かの聖人きどりの人類愛者といっしょなのだ。そっくりである。花や星、なにより月、むしろ大好き。不幸への憐憫によってしか、わたしは他者をも愛せない。セフレたちは不幸である、なぜって報われていない、ああ、わたしの決めつけだ。注意力、注意力──ところでわたしは、かれらを果たして愛しているであろうか? 愛ってなんだ。愛ってなんだ。センセイもどうせ不幸、なぜってアプリで、暴行のあいてをさがしているのだ。かつては、かれの自己犠牲的な、じぶんをおし殺し学校や生徒に献身するやさしさに、内心の不幸と、秘められたやさしい涙を連想していたのだった。
人間は、じぶんを愛するようにしかひとを愛せない。そうもいわれる。愛するひとは、みずからの分身であるらしい。
つまりわたしは、よくいわれているように、ひとを愛したいのなら、大切に慈しみたいのなら、みずからの愛し方をこそ、自己操縦しなければいけなかったのではないか。
ひとを愛したい、純粋じゃなくていい、それははや狂気。わたしは、善くひとを愛したい。美と善の落す翳の重なる領域で、ひとを、愛したい。やさしくなりたい。なにより、やさしくなりたい。行為を抑制し、注意ぶかく、注意ぶかく思慮をかさねて生きていきたい。そのうえでじゃないと、つよくなりたくない。不倫まがいのことをしておいて、あろうことか、ひとを踏みつけることにいちいちわなないてしまう、それがわたし。泣き声の幻聴。わたしのせいで、とおくで飢えているひとびとの存在が後ろめたい、こんな神経を、美化しちゃダメ。ぜったいダメだよ、わたし。繊細さを衒い差別を差別で復讐するなんて、やっていることはおなじだからね。そもそもわたし、じぶんのいたみに敏感で、他者のいたみに鈍感な気がするの。強くなりたくない。しかしつよくなりたい。わたしはつよく、やさしくなりたい。平凡な道徳。じぶんのことを平凡だと想うと、わたしはなにより嬉しい。可憐な生活者の林立する花畑に、わが淋しい躰をうずめたい。かつては、海なる虚無を抱きすくめ、義母の愛に溺れ、すべてそれでいいよ、そういわれてみたかった。わがニヒリズム、もっとも俗悪な意欲でえた救いにすぎぬ。わたしは、甘えているのだ。
されどわたし、この期に及んでも、まるで愛するように戦いたいの。ひとを、愛したいんです。ひとを、愛したいんです。人間。にくたらしくて、にくたらしくて、すこぶる愛らしい。可憐だ。無意味に美しい。だって生きている。わたしはかれらに背を向けることなぞできやしない、なぜって、どうしようもなく淋しがりやだから。ひとへの執着。劇しく、はげしくにくむほどに、人間が好きなのだ。大好きで大好きでたまらない、憧れの、可憐きわまる魔法少女のような献身のうごきで、現実と争いたいのだ。魔法少女とは、いわく、青春の孤独のことである。セカイに含まれていないというそれ。それをみずから背に負い、他者を愛し他者に献身すること、それをいうのである。無頼派。魔法少女のおじさんである。オトナになんか、なってやしない。わたしは、好きだ。
ああ。わたしは、つぎのことを希む。そして、このわが深い欲望により、さまざまな他者たちと、さながら花々に埋れるようにして、わが身が「大衆」というものの裡に埋没することを希う。
わたしは、じぶんに正直に、他者に献身したい。
この一致。賤民のダンディズム。それだって、在る。
整理したことはあるけれど、やっぱり、美と善の区別が、わたしにはいまいちつかない。おなじ月として、立ち昇るのだ。
かれの暴力はだんだんエスカレート。平手打ち。髪を引かれる。腹を殴られる。わたしの頭、だんだんと朦朧。服を脱がすそぶりもない。暴力をふるいたい、だけであった。勃起しているかもさだかではない。
わたしのあらゆる欲望は、かれの暴力という戒めにより禁止・緊縛され、ついに、たえず為されていたエゴイズムへの自責から解放されたよう。かれから降りそそぐいたみの罰により、わが罪は雪降るようにましろへとぬりかえられて、いま、完全無欠な被害者となることにより、わたしは、ことごとくの後ろめたい肉体を、空無へ投げだされるようにしてがらんどうへと吹き飛ばされ、あらゆる罪、どっと赦されたのだった。さながらわたしから、「わたし」が剥奪されたよう。その果ては空無。はや空無であった。
項垂れたわたしの唇にただようのは微笑であった、いわば、安心立命ともいえるような感情に、うらづけられているよう。幸福。そうであった。不幸のきわみの、さなかであるから。
そう。わたしは、いま、聖女であったのだ。
「殺してください」
陶然と、ながれでる葡萄酒のように、がらすの躰を横臥えて、わが裸体、睡る水晶さながら、そして、幸福に酩酊し、夢みるこえで、そっと、センセイのみみもとへ囁いた。
「え?」
と訊きかえされた、かれの手首が、幽かにうごいた。
センセイの眼が、ふっと、青い月のようにつめたく、燦々とした。…
*
せつな、わたしの肉体のうちから、青空さながらのきんと澄んだ凶暴性ともいえるものがめざめ、すればかれをつよく突きとばし、燃ゆるようなにくしみをもってきっと睨みつけると、かたわらの電灯をもち、火のように劇しい殺意のまま、脳天を破るようにぶん殴った。それはある種純化されたわたし、真紅の鮮血の迸りであったかもしれない。判らない。
セイトウボウエイ、セイトウボウエイ。
ふっと洩れ往く、猫の鳴らす喉のような、満たされた、ニヒルを帯びる群青色の、暗みを帯びるうすらわらい。ぞっと燦る月が、わたしの俗悪きわまる冷然なすがたを、せつなだけ、きんとメタリックに照らし往く。
ビッチで、かまわぬ。
たとい、いくたび倒れても、わたしは、ぜったい、手折られぬ。
概念-少女小説集 Ⅰ