ユリアイ

ユリアイ

 百合(女の子同士の)恋愛小説ですが、そこまで深いものではないので、さらっと読めると思います。
 短編小説になっています。

ユリアイ

さっきまで触れていたわたしの唇が、ものすごい熱をもっていた。
 薄暗い部屋の中、相手の顔は見えない。
 けれど、胸がドキドキと波打つのがわかる。それに合わせて身体が震える。心臓は破れそうなくらいに痛い。今すぐにでも、心臓を取り出したくなる。
 キスをした。
 そう頭で理解できたのは、離れてからすぐのことだった。
 なんて事をしてしまったんだろうという後悔と、何処かから湧き上がる好奇心。

「ぁ、あの――」

 わたしがのどを絞って声を出そうとした時だった。

「何してんの!? 気持ち悪い!!」

 相手はすぐに立ち上がって、わたしを突き飛ばした。
 途端にわたしはよろけて、倒れるように座り込んだ。

「あたしたち、女だろ?!」

 窓から顔をのぞかせた月が、わたしたちを照らした。
 雪のような白い肌に、赤い絵の具を塗ったように、親友のメグミは頬を赤くしていた。いますぐにでも吐いてしまうといった具合に、口を手で抑えている。

「出てって」

 はっきりと静かにメグミがつぶやいた。

「ねぇ、あの」

 このまま帰っちゃいけない。わたしの本能が、わたし自身を動かしていた。

「帰って!! もう来ないで!!」

 小さい子が駄々をこねるように、メグミは金切り声をあげた。
 わたしはそっと立ち上がって、ドアの方へと歩いた。異常なくらい頭は冷静だった。
 それもそうか。あんなこと、したんだもんね。
 油断すると涙が溢れてしまう気がして、必死に堪える。
 ドアノブに手をかけたところで、わたしはゆっくりと後ろを振り返った。
 さっきまで親友を見ていた彼女の目が、虚ろなわたしを捉えていた。怯えるように震えながら、何かを見捨てるような目だった。
 
 それが、わたしの愛していた人が、夢の中で最期にくれた表情だった。

             *

 きっかけは冬のある日のことだった。
 大学三年生わたしは、東京で一人暮らしをしていた。
 実家からの仕送りがほとんど期待できない状態で、やむを得ずわたしは近所のコンビニでバイトをしていた。
 いつものように午後のバイトから帰ると、ポストに一通の手紙が届いていた。
 差出人を見て、わたしは部屋に転がりこむようにして入った。テーブルに置いていたハサミで、封を切った。
――『時雨メグミ』。
 小学生の時からの幼なじみで、高校生の時までずっと一緒だった、わたしの親友。
 メグミの手紙は、とてもきれいな字で、「ムギへ」から始まっていた。

『ムギへ
 久しぶりだね。元気だった?
 東京はどうですか。寒くない? 札幌は相変わらず寒いよ(笑)
 きっと都会人になったムギは驚くだろうねぇ。
 
 前置きが長くなりそうだから、単刀直入に言うね。
 あたしね、彼氏と別れたんだ。ほら、中学の時に紹介したじゃん? なんかねぇ、
 好きな人が出来たんだってさ。クリスマス前日になって振られちゃったよ(笑)
 ひどいよねぇ。そんな時期に振られたら、もうわかりたくないことがわかっちゃう
 んだからさ。
 
 こんなことくらいメールでって思ったんだけど、ムギは前からメールとか嫌いだって言ってたじゃない? だから、手紙にしました。あたしだってこんなの苦手なんだよ(笑)

 久しぶりに会えないかな。大学の友達とも話してるんだけど、どうしても落ちつか
 なくってさ。電話だと、たぶん話せなくなるし。
 もうそろそろ大学も冬休みだよね? たぶんどこの大学も二週間くらいしかないと
 思うんだけど、どう? 短いよねぇ、冬休み。
 だからさ、春休みに札幌戻ってこない? たまには親に顔見せろとか言われてるん
 でしょ? どうせ(笑) あたしにも顔見せなさい(笑)
 
 もし、帰って来るときは知らせてください。お返事お待ちしております。
                                 時雨メグミ』
 
 読み終えた途端、取り憑いていた何かが、体を離れた気がした。
 と同時に、コートを脱いでないことに気づいた。手紙を置いて、ぼんやりとしながら晩御飯の準備をしようと、エプロンを巻いた。
 札幌かぁ。そういえば、帰ってないなぁ。
 思えば、大学生になってからずっと、実家に帰ってなかった。
 入学したての頃はよく親から電話がかかってきた。
「いつ帰ってくるの? 今日? 明日?」
 お母さんの不安そうな声が、毎日、電話越しに伝ってきて、わたしをうんざりさせた。
 夏休み中に帰ろうと思っていたのだけれど、けっきょくバイトが忙しくてそれどころじゃなかった。せっかく東京に住んでいるのだから、服でもなんでも、好きなものをいっぱい買いたいと思って、夏休み中にたくさん稼いでおこうと思ったのだ。
 それが吉だったか、凶だったか、今度はお父さんが毎日のように電話をしてきた。

「お前、彼氏できたのか?! 別れるまで帰ってくるな!」

 さすがにこれには呆れてしまった。その翌日から、わたしはお父さんからの電話に一切出ることはなかった。けれど、さすがにかわいそうだったから、一度だけかけたけど。
 ケトルに火をかけたところで、わたしは再び、メグミからの手紙を手に取った。
 水色の便箋に、小さなカモメが描かれている。
 見つめているだけで、もうすでに札幌に戻っているような気分がして、不思議だった。

『春休みに札幌に戻ってこない?』
 
 すでに札幌に戻りかけていた気持ちが、その一言で、小さなアパートの一室へと呼び戻されてしまった。

『彼氏と別れたんだ』

 もしかしたらわたしは、この時点で気持ちを決めてしまったのかもしれない。
 わたしは、メグミが好きだった。
 友達としてじゃなく、親友としてじゃなく。
 一人の人間として、愛していた。
 でも言ってしまえば壊れてしまう関係だとわかっていた。
 叶わない恋だとわかっていた。
 それでも、チャンスがあるなら、どんなことでもいいから飛びつきたいと願っていた。
 もしかしたら、いまがその時かもしれない。
 わたしはパソコンを起こして、インターネットを開いた。

『飛行機 チケット』

 その途端、ケトルが「ピーッ!」と鳴いた。
 クリスマスの終わった、バイト終わりの夕方だった。

             *

 春休みは、すぐだった。
 電車降りてすぐに、冷え固まった空気が全身を包んだ。
 約二年ぶりの札幌の空気。息を吐くと白く凍って溶けてしまう。
 メグミは北口の改札前に立っていた。
 わたしが気づくより先に、メグミはこちらに大きく手を振っていた。

「久しぶり~!! 元気だった?」

 大人っぽい容姿にギャップを感じる甘い声。中に小さい女の子でも入ってるんじゃないかと疑ってしまう。

「うん、元気だったよ」

 なんの変哲もない会話。けれど、今すぐにでも抱きついてしまいたかった。
 メグミは何にも変わっていなかった。
 栗色の長い髪がハーフアップで整えられている。リボンベルトのついたボルドーのフレアコートに、ブラックのロングブーツ。
 大きな瞳がチャームポイントのメグミは美人で、モデルさんのようだった。

「あんま変わってないねぇ。都会人なんだし、メイクとかバリバリ変わってると思ってたわ」

「それすごい偏見だよ。見た目は札幌とそんな変わらないって」

「そうなの? 渋谷女子とか、ギャルいっぱい居る気がしたけど」

「うーん、そうなのかなぁ・・・ ・・・」

「いや、あんた住んでるんでしょー? あ、どうせアキバにしか行ってないんでしょ?」

「うっ、バレたか・・・ ・・・」

 そこで「ぷっ」とメグミが吹き出す。わたしも釣られて笑ってしまう。
 メールも電話も、ほとんどしてなかったのに、こうして話してみると何の壁も感じなかった。
 メグミは明るく振舞っているけれど、たぶん落ち込んでいるんだと思う。いつもメグミは自分の弱みを見せようとしない。でも、わざわざ手紙を送ってくるくらいだから、相当まいっているのだろうなと思う。

「それじゃあ、えっと、どうする? とりあえず荷物降ろさないと、だよね?」

「うん、まず家に帰ろうかな」

「わかった。ヨドバシに車停めてあるから、行こっ」

 足元に置いた荷物を、何も言わずにメグミが持ち上げる。何気ない気配り。やっぱりメグミは変わってない。
 メグミと大学のことを話しながら、わたしは抑えきれない気持ちを隠していた。
 言うつもりはなかった。
 言ってしまって、壊れるのが恐かったから。
 きっと彼女は拒絶する。そうしたら、もう会えなくなる。
 メグミを傷つけることと同じくらい、メグミに会えなくなるのは嫌だった。
 だからわたしは、メグミといる間、この時間を大切にしていようと思った。
 車のエンジンをかけて、思い出したようにメグミが言った。

「そういえば、何日くらいるの?」

「えっと、一週間かな。あんまり長居すると帰りにくくなっちゃうし」

「そっか、だったらあんまり遊べないね」

「ううん、メグミの都合がいいなら・・・ ・・・」

「ふふ。やっと呼んでくれたねぇ。
 いいよ。あたしずっと暇だから。というか、ムギのために空けといたようなもんだし」

 メグミは、甘くて白い砂糖のように、やんわりと微笑んだ。

『ムギのため』

 胸がドキッとするような一言と愛しい笑顔。
 いつまでも変わらない親友が、わたしにくれる宝物。

「じゃあ、行きますか!」

 メグミの声に合わせて、車が走り出す。わたしの気持ちも、走り出す。
 きっと、大丈夫。心配することは何もない。
 言い表せない不安と期待で、めまいを起こしそうになる自分に、何度も言い聞かせる。
 一週間が過ぎて帰っても、また変わらない関係でいられる。
 そう思って、とにかく「いま」を楽しもう。
 
 メグミが信号待ちをしている間に、「カーラジつけていい?」と訊いてきたので、すぐに「いいよ」と返事した。
「あたしこれ好きなんだ」とかけた曲は、『寒い夜だから・・・』 TRFだった。
 歌を聴きながら、わたしはぼんやりと外の風景を眺めていた。
 視界全体が真っ白で、白銀の世界。それでも足りないといった具合で、雪が降り続けていた。
 そうしている内に、わたしは眠ってしまった。
               *
 小学五年生の時、わたしは友達がほとんどいなかった。
 いつも学校に分厚い本を持って行って、一人で過ごしていた。
 そんなわたしを見かねて、先生が色々と手を施してくれたけれど、油を注ぐように、わたしは孤立していった。
 当時、校内では『モーニング娘。』が流行っていた。流行の歌をまったく聴かないわたしですら、その存在感は大きかった。
 誕生日の翌日、学校から帰ったわたしは、玄関にかばんを投げ出して、買い物に出かけた。目的はモー娘。のニューシングル。タイトルは忘れたけれど、今でも実家にあると思う。
 わたしの家では誕生日にプレゼントじゃなく、お金を渡される。お年玉以外に大きなお金をもらえるのはこの時だけで、お金の大切さを知るためという親の考えによるものだった。
 でもわたしはただプレゼントを選ぶのが、めんどうだったからだと思うんだけど。
 
 近所のCDショップに入ってすぐに、他のCDにはない虹のような輝きを放つ宝物が、鎮座していた。
 あと一枚しかない。
『いざ、鎌倉』とでも言わんばかりに、小さな胸に大きな希望を抱いて、CDを手に取ろうとした時だった。
 わたしのではない小さな手が、左のほうから「ニュッ」と伸びてきた。
『あっ』
 お互い同時に、同じ声が出た。
 そして鏡のように互いの顔を見て、CDへと視線が移る。
 そんなことを二、三回くりかえして、ようやく口を開いたのは、見えない鏡の向こうの女の子だった。

「・・・ ・・・これ、どうぞ」

 おずおずと、虹色に輝く(わたしの目にはそう映っていた)CDを差し出してきた。
 わたしは人見知りだったのが災いして、すぐに答えられなかった。
 顔を真っ赤にしながら、欲しい気持ちと緊張して強張る体を、必死に抑えながら、「いえ、あの、どうぞ・・・ ・・・」と突き返す。

 そうしてまた、同じ事を繰り返すかと思ったが、さすがに彼女も気づいたようで、「じゃあ」と、返したCDを元の場所に戻した。

「じつはあたし、もう持ってるんだ。だから、譲ってあげる」

 だったらどうして買おうとしてたの、と訊こうとしてやめた。
 彼女は嘘をついている。ふだん鈍感なわたしでも、それがわかった。
 もしわたしまで嘘をついてこれをわたしたら、彼女の厚意をムダにしてしまう。

「あ、ありがとう」

 小さくて聞こえなかったかもしれない。それでも、いまのわたしが出せる精一杯の声で、そうつぶやいた。彼女は瞳に涙を浮かべながら、コクリと頷いた。
 やっぱり、あげたほうがよかったのかな・・・ ・・・。
 少し後悔しながら、レジに向かうと、なぜか彼女もついてきた。
 後ろからものすごく熱い視線を感じて、居心地が悪かった。
 店員さんはわたしと、その後ろの彼女を交互に見て、「ムギちゃん、どうしたの?」
と訝しげに訊いた。
 店員さんは近所の知り合いのおじさんで、登校する時によく挨拶していた。いつもニコニコしている優しいおじさんだった。
 わたしが事情を説明すると、おじさんはいつも以上にニッコリと微笑んで、「それならもう一枚あるよ」と優しく言った。
 その時、わたしも彼女も、おじさんが神様に見えていたと思う。
 わたしの持っていたCDに負けないほどの後光が、おじさんの寂しい頭を輝かせていた。光り輝く頭は、光の円を描いて、神様というより天使のようにも感じられた。
 無事、CDを買ったわたしたちは、お店を出てすぐに『ありがとう』と口にした。なにが「ありがとう」なのか、よくわからなかったけれど、自然と口から出ていたのだ。
 もちろん、CDを出してくれたおじさんにも、ちゃんとお礼を言った。

「モー娘。 好きなんだね」
 
 天気が雨から晴れに変わった彼女が、恥ずかしそうに言った。

「・・・ ・・・うん」

 見えない鏡で映されたかのように、わたしも恥ずかしげに呟く。

「あたし、時雨メグミ。えっと、・・・ ・・・ムギちゃんだっけ?」

 彼女は「ムギってどういう字だろう」といった表情で、名前をたずねる。

「うん。・・・ ・・・メグミちゃん」

 なぜ、わたしは初対面の彼女とこんな話をしたのか。今でもよくわからない。
 ただ何となく、わたしたちの間には「モーニング娘。」を媒体にして、つながりを感じていた。
 だから、たぶん理由はなかった。
 お互いがどこの学校に通っているかもわからなかったけれど。
 それでも、初めてわたしは「友達」になりたいと感じた子だった。
 メグミには、そう感じさせるフシギな魅力があった。

 その翌日に、メグミが同じ学校だということを知った。
 わたしたちはすぐにお互いを見て、当然のように「モーニング娘。」のことを話し始めた。
 メグミを意識し始めたのは、この時だった。

              *

 ぼんやりと目を覚ますと、カーステレオの音楽が耳に入ってきた。
 『真夜中のナイチンゲール』 竹内まりや だった。

「お姫様のお目覚めですかな?」
 
ハンドルにもたれながら、メグミが笑う。

「着いたの?」

 お姫様は、わたしじゃなくてメグミだよ、と返す。

「ん、さっきおばさんが来て、『起きるまで寝かしてやって』って。
 さすがお母さん。娘のことをちゃんとわかっていらっしゃる」

 メグミはカーステレオの音楽を止めて、シートベルトを外した。

「ムギ、飛行機とか慣れてないから疲れてるだろうから、ってさ。
 毛布まで持ってきてくれたんだよ」

 そう言って、くいっと顔を動かして、わたしを指す。
 見ると、コートの上に、薄い毛布がかかっていた。リビングで眠ってしまった時に、お母さんがよくかけてくれた毛布だった。

「寝起きできついかもだけど、そろそろ降りない? 
 あんまエンジンかけてるともったいないし」

 メグミは申し訳なさそうに言う。
 わたしは「ごめんね」と一言謝り、車を降りる。
 眩しい夕日が、目にささる。ぐぐーっと伸びをして、深呼吸する。

「北海道、っだね・・・ ・・・」

 わたしはぼそりと呟いた。
 約二年ぶりの実家も、やっぱり何も変わっていなかった。

「ただいま」

 そう呟いて、わたしは荷物をトランクから降ろした。まだ冷たい空気に慣れていない体が、すぐに悲鳴をあげる。

「さ~ぶ~い~」
 
 電気マッサージ機のようにブルブル震えながら、ボストンバックを持つ。
 メグミも「ふふ、やっぱりね」と言いながら、カバンを持ってくれる。

「ただいまー」

 チャイムを鳴らさずに、家に入るとすぐにお母さんが飛んできた。

「あらあらあら。やっと起きたの」

 変わらない母の優しい声。少し泣きそうになるのを堪える。

「おばさま、おジャマします」

 メグミが軽い敬礼のようなポーズをとって、靴を脱ぎ始める。

「ごめんね、メグミちゃん。ムギが迷惑かけて」

「いえいえ、とんでもないです。あの子の寝顔けっこうカワイイですし」

 メグミはまるで自分の家に帰ってきたかのように、お母さんと話し始める。
 メグミの「カワイイ」という言葉にドキッとしながらも、会話の中に入れないわたしは途方にくれていた。
 おかしいな。ここ、わたしの家だよね・・・ ・・・?

 晩御飯を片付けていると、お父さんが帰ってきた。
 ドタドタと猛獣のように廊下を駆け抜ける音がして、勢いよくドアが開く。

「ムギー!!」

 開口一番、お父さんはそう叫んだ。
 そして目に入った愛らしい娘の顔を確認して、抱きついた。
 メグミに。

「おい、コラ」
 
 お父さんの奇行に呆れる私。メグミはただただ笑っていた。

「お、実の娘にしては、胸が大きいな・・・ ・・・」

 わたしが手を下すよりも早く、そばで皿を洗っていた母の顔をした鬼が、ひ弱な人間に雷を落とした。

「さすが、ムギのお母さん。怒ると怖いね・・・ ・・・」

「うん・・・ ・・・」

 でも、わたしもメグミに会った時は、同じことしたいって思ったっけ。

 相変わらずな人たち。二年経っても、何にも変わっていないことに安心する。
 けれど、メグミに対する変わらない気持ちは、わたしを不安にさせる。
 苦笑しながら、お母さんとお父さんのいつもの光景を見ているメグミを、そっと見つめながら、わたしは胸が締めつけられる想いでいた。
 伝えたい。出来ることなら、一緒になりたい。
 でも、壊れてしまう気がして、どうしても前に進めない。
 わたしは心の中で溜め息をついた。
                *
 
 それからずっと、わたしは何をするにもメグミと一緒だった。
 札幌に買い物をしに行ったり、近郊の町をドライブしたり。
 一日一日があっという間に過ぎていった。
 
 札幌に帰ってきて、六日目の夜だった。
 予てから希望していた、メグミの部屋で外泊することになった。
 ドキドキしながら部屋に入ると、いかにも女の子らしい、甘い匂いがした。
 ベースが白でまとまった部屋全体を見回して、わたしは「吐血したら、目立つだろうな」なんてことを冗談で言った。

「ちょっと、大丈夫?」

 軽い冗談を、メグミは少し本気にしたようだった。
 ここ最近、ずっと遊びっぱなしで、少し具合が悪くなっていたからだ。
 けれど、そのせいで吐血なんかするわけない。

「冗談だよ。だいじょうぶ」

 メグミの心配する表情が、とても可愛らしくて、お父さんじゃないけれど、いまにでも抱きつきたくなる。

「部屋、寒くない? 寒かったら言って。ストーブ点けるから」

「うん、ありがとう」

 コートを脱いで、すぐそばにあったクッションに座る。ふんわりとした感触に、甘い匂い。吐血どころでは済まない気がしてきた。
 メグミはコンビニで買ってきたレジ袋から、お菓子をテーブルに広げて、「お茶いれてくるね」と残し、台所へ向かった。
 わたしはなんだか落ち着かなくて、立ったり座ったりをくりかえした。
 まるでスクワットのように何度もやっていると、メグミがお盆に二つのマグカップと、湯飲みを持ってきた。
「ごめん。うち、マグカップしか入れられるものなくってさ」
 
 ダイヤの模様が上と下に横一列に並んでいるというシンプルなデザインに、中央には冠を被ったカエルがドヤ顔をしている。
 そういえば、メグミってカエルが好きなんだっけ。

「昔さ、近所にカエルがいっぱいいてさ。よく捕まえて、膨らませてたんだよ」

「え?! 膨らませてた?!」

 可愛らしい顔からは想像のつかない恐ろしいことをさらっと言うから、わたしは耳を疑った。
 メグミはマグカップをテーブルに置いて、「冗談。そんなことしてないって」と笑う。

「覚えてない? ムギがカエル捕まえてきたこと」

 メグミは一口チョコを開けて、口に入れる。

「カエル? そんなことあったっけ」

「あったよ。ほら、中学の時に――」

 そう言いかけて、メグミは口を閉じた。
 わたしはすぐに気づいた。元彼のことを思い出したんだ。
 話題を変えようと、色んなことを考えようとするけれど、何も浮かばない。暖かかったはずの空気が、一気に氷点下まで下がったように感じた。

「彼氏、さ」

 メグミはぼそりと呟いた。手に持っているチョコレートが、何だか寂しく見えた。

「じつは、こないだ電話きたんだ。より戻さないか、って」

 なぜか、わたしは驚かなかった。
 もう、言わないと決めていたからかもしれない。
 覚悟が、出来ていたからかもしれない。

「まあ、当然だけど、すぐ電話切ったんだ。
 いま思えば、どうして出たのかもよくわかんないんだけど。なんか、出ないといけない気がしてさ。
 こないだ、ムギを見て安心したんだ。あぁ、やっと知ってる人に会えたって」

 メグミはわたしに微笑んだ。瞳には涙が浮かんでいた。まるで小学生のあの日に戻ってきたようだった。

「大学の友達って、どこかよそよそしくてさ。どこ行ってもそんなもん、なんだろうけどさ。
 ムギに久々に会って、一気に気持ちが楽になったんだ。彼氏のこととか、大学のこととか、そんなこと、もうどうでもよくなってた。
 だから、ムギには言わないでおこうって思ったんだ。何も言わないで、このまま過ごそうって。けっきょく話しちゃったけど」

 カエルのマグカップに、さっきまでたっていた湯気が消えていた。ぬるくなっているかもしれない。
 何も言えないわたしは、冷たい手を暖めようと、マグカップに手を伸ばした。
 その時だった。

「あっ」

 わたしの手に、メグミの手が重なった。白い雪のような肌。細く長い指は、折れてしまいそうなくらいに繊細に見えた。

「ねぇ、ムギ。あたしさ、ムギが親友で良かったよ。今でもすごく感謝してる。
ムギが居なかったら、あたし、生きてなかったかもしれない」

  何も知らずに、メグミの言葉をここだけ聴いたら、きっと「重たい」と人は思うだろう。
 けれどわたしは、重ねられた手が、震えてしまうのを抑えるので精一杯だった。
 言わないと決めた。わたしのメグミに対する気持ち。
 想いが溢れてしまいそうで、恐くなる。
 言った後にくるのは、軽蔑だ。
 何度イメージしたかわからない。想像の中で何回、軽蔑されたか覚えてない。
 そうしたらもう、メグミに会えなくなる。
 それでも、わたしは――

「メグミ、あのね」

 そう言いかけたところで、部屋が真っ暗になった。

「あれ、停電? ちょっと待って、懐中電灯がこの辺に・・・ ・・・」

  暗闇の中で、ガサガサという音がする。
 鼓動が早くなる。胸が裂けそうなくらい痛い。
 顔が熱い。全身の熱が、顔に集中している気がする。

「わたし、メグミが、好き」

 パッと、小さな光が窓から入る。
 告白して、気持ちがすっと落ちていくのがわかった。それと同時に、月の光だとわかった。
 部屋全体が青白い光に包まれる。それでも薄暗い部屋の中で、メグミの顔は見えない。

「え、いま、なんて言ったの」

 メグミは信じられないといった声で、聞き返した。けれどすぐに「あ、親友として、だよね」と自分に納得のいく答えを導いた。

「照れるなー。あたしも好きだよ。親友として」

 メグミはいつもの明るい調子で言った。
 
「違うの」

 けれどわたしは、どうしても止められなかった。頭は異常なくらい冷静なのに、心の中では台風やら何やらが起きているようだった。

「友達とか、親友とかじゃなくて。そのまんまの意味で」

 メグミはしばらく黙っていた。次に口を開くまで、とても長い時間が流れた気がした。
 先に切り出したのは、わたしだった。

「中学生の時、メグミに彼氏が出来たって聞いて、嬉しかった。だって、メグミすごく嬉しそうな顔してたし。毎日彼氏のこと話してるメグミ、楽しそうだったから」

 涙が溢れそうになる。だめだ、わたしは流しちゃいけない。

「でもね、ホントは寂しかった。彼氏が出来てからのメグミ、わたしと居る時より楽しそうだったから。
 だから、別れたって聞いて、もしかしたらなんて考えた。ひどいよね。親友が傷ついてる時に。そういう人間だって事くらい、わかってると思うけどさ」

 声がかすれて、上手く出せない。それでも続ける。

「最初は、好きだなんて思わなかった。だって女同士だし。そんなのおかしいって。でも、メグミのこと考えてる内に、気づいたんだ。好きなんだって」

 言い終えて、突然わたしは吐き気がした。吐血でなくてよかった。
 いや、良くないか。
 メグミは何も言わずに、ただじっと座り込んでいた。そうしてお互いに何も言わずに居る状態が、また続いた。
 今度沈黙を破ったのは、メグミだった。

「ごめん」

 それだけ呟いた。
 でも、それだけで、すべてが崩れていく気がした。ぽっかりと穴があいて、落ちていく気がした。しっかりと立っているはずなのに、今わたしは何処にいるんだろうと考えてしまった。

「ごめん」

 メグミは同じトーンでくりかえした。
 わたしは、もう聞きたくないと耳をふさごうとした。
 けれどメグミは、「聞いて」と話し始めた。
「ムギの気持ち、知ってたよ・・・ ・・・ごめんね。そんな想いさせて。
 あたしね、気づいてた。ムギがそういう風に見てくれてるって」

 今わたしは夢を見ているんだろうか。もしかして、疲れて眠ってしまったことに気づいていないんだろうか。
 次第にわたしは、これは夢なんだと思い始めた。
 だって、おかしいよ、そんなの。気づいてた、なんて。
 気づいてたら、どうして、友達で居てくれたの。
 気持ち悪くないの? 気持ち悪いでしょ、こんなの。

「知ってたから、彼氏つくったんだ。半分は遠まわしに、ムギにあきらめてもらおうと思って。半分は、ムギに振り向いてほしくて」

  メグミは何を言っているんだろう。全部、嘘なんだ。きっと。
 そうだ、そうに違いない。だって、そうじゃないと、おかしい。
 これは、夢なんだ。

「でもね、付き合ってる内に、本気で好きになってた。彼氏のこと。
 こう言ったら、ううん、もう怒ってると思うけど、あたしもね、ムギが好きだったんだ。でも、ムギと同じ。女同士でそんなの変だって、思ってた。
 だから、さっき、半分はムギにあきらめてもらおうなんて言ったけど、どっちかっていうとあたし自身が、あきらめるつもりだった。
 でも、やっぱりムギのこと忘れられなかった。
 彼氏も、そういうのわかってたんじゃないかな。別れる頃は特に、お互いどこかよそよそしくなって。二人で会うことも、少なくなってたんだ」

「嘘、でしょ」

 自然と口から、そんな言葉が出てきた。
 何も考えられなかった。違う。何も考えたくなかったんだ。
 どこかで嬉しいと感じていた。でも、やっぱり、そんなに簡単に割り切れるものじゃない。

「そうやって、気遣って、嘘ついてるんでしょ。いいよ、そういうの。
 ごめんね、気持ち悪くてさ」

「嘘じゃない」

「嘘でしょ」

 お互いに譲らなかった。いや、譲れなかった。
 答えは一つで決まっていて、それはあのCDのように二人ともが、それぞれに持たなくたっていいものだった。むしろ、共有するものだ。
 それでも、わたしたちは、あの時のように、くりかえしていた。

 途中で、さすがに無駄だとわかって、どちらから言うでもなく、やめた。
 そうして、ぼんやりとしていると、メグミが言った。

「電気、つかないね」

「復旧に時間かかってるんじゃないかな。この辺、特に遅い地域だし」

「ねぇ」

「うん?」

「キス、しない?」

 メグミがすっと立ち上がった。
 チャームポイントの大きな瞳が、月の光で輝いていた。肩まで伸びた栗色の髪に小さな星が輝く。胸を撫でるようにして、髪が流れていく。白いブラウスに、白と青が入ったタータンチェックのスカート。
 お人形さんのようにきれいだった。でもメグミは、お人形さんじゃない。
 肩が震えていた。きっと、恐いんだ。
 わたしも同じだった。見えない鏡がお互いを映していた。
 相手は女の子だ。わたしと同じ、女の子だ。
 男子にするのも、きっと恐いと思う。同じような反応をしてしまうかもしれない。
 でも、同性だとしても、それは変わらない。

 わたしたちは自然と、唇を重ねていた。
 メグミの息遣いが伝わってきた。体中から汗が噴き出している気がして、汗臭い臭いがするんじゃないかと不安になる。
 それでも、わたしたちは何度も、唇を重ねた。
 もう、おかしいとは、思わなかった。

              *

「今度は、いつ帰ってくるの?」
 
 駅の改札口で、メグミがわたしに尋ねる。
 わたしは「うーん」と、口に手を当てて、考える仕草をする。

「たぶん、卒業旅行する時、かなぁ」

「それって、つまり、一緒に行くってこと?」

「え、嫌?」

「そんなわけないじゃん。嬉しくて、つい」

 メグミは照れ笑いをして、誤魔化す。
 本当に、嫌なわけじゃないんだよね。うぅ、ちょっと心配になってきたかも。

「またね、ムギ。楽しかったよ」

「うん、バイバイ。またね、メグミ」

  親友に別れを告げ、少し遠くでわたしたちを見ていた両親に手を振る。
 改札を通って、ふたたび後ろを振り返る。
 そこには何度も夢の中で見た、冷たい顔ではなく、親友として、恋人として、暖かい目で、わたしを見つめる、たった一人の最愛の人だった。
 きっと、大丈夫。
 何があっても、わたしたちなら、大丈夫。
 後ろ髪を引かれながら、わたしはホームに向かって歩き始めた。

             *

 部屋に着いてすぐに、わたしはメグミに電話をかけた。
 けれど、なぜかメグミは出なかった。
 時計を見る。22時30分。うーん、寝てるのかな。
 わたしは携帯をテーブルに置いた。重たい荷物を片付けていると一通の手紙が、入っていた。
 差出人は――『時雨メグミ』
 封を切ろうとしたところで、携帯が「ブーッ、ブーッ」と震えた。着信は、手紙の差出人からだった。
 そっか、なんか仕掛けてたんだな。メグミめ、引っかからないよ、そんなの。

「メグミ? なに、この手紙。どうせ何か、」

 そう言いかけたところで、重なるように声がした。

「・・・ ・・・ムギちゃん?」

 メグミの声じゃなかった。少し考えて、それがメグミのおばさんだとわかった。

「あの、メグミは?」

 すごく間抜けな声だったと思う。でも、それはそうだ。だって、めぐみからの着信だったんだから。

「落ち着いて、落ち着いて、聞いてね」
 
 おばさんにこそ、ぴったりなんじゃないかと思う言葉をくりかえす。

「メグミね、さっき、事故に遭ったの」

 時が、止まった気がした。
 持っていた手紙を、自然と落としていたことにも気づかなかった。

「・・・ ・・・事故?」

 その後、おばさんが何か言っていたような気がした。
 けれど、わたしには何も聞こえなかった。

              *
『ムギへ
 実はこの手紙、もう五枚目です。何回書いても、うまくまとまらないんだもん。
 ムギから「好き」って言われて、正直びっくりしました。同じこと思ってたんだなって。前々から思ってたけど、あたしたちってどっかしら似てるよね。
 この手紙を見てる頃には、ムギも落ち着いてるかな。もし、気づかないでそのままになったら、すっごく恥ずかしいなぁ。この手紙。
 きっと、面と向かって言えないから、手紙に書くね。
 ムギ、好きだよ。
 あたしね、ムギに出会えてよかった。いまでもムギのこと親友だと思ってる。でもね、それ以上に大切にしたいって思ってる。こんなことゼッタイ恥ずかしくて言えないよ。
 ムギ、ありがとう。
 私のこと、好きになってくれて。
 あなたに出会えて、あなたを好きになったあたしは、とても幸せです。
 それじゃあ、電話来るの待ってるね。
                          時雨メグミ』

ユリアイ

 お疲れ様でした。五年ぶりに書いた小説なので、リハビリのつもりで書きました。

 しばらくは書く予定はありませんが、また書きたくなったら書こうと思います。

ユリアイ

大学二年生のある日、一通の手紙が届いていた。 それは親友のメグミからだった。 『札幌戻ってこない?』 その一言に誘われて、わたしは二年ぶりに地元に帰る。 わたしの親友、わたしが愛した人に会うために。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-17

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