なりきれない

朝起きて、まず確認するのは、君からのLINEの通知だ。

おはよう、とメッセージが届いている。君は僕より一時間も早く起きていたようだった。
おはよう、と僕も返す。スタンプを添えて。

人生は、毎日は、はっきり言えば、辛い。

生きることなど、楽しくない。

僕は自称進学校に通う平凡な高校二年生だ。もうすぐ高校三年生になる。僕は成績は上の下くらいで、交友関係も広く、かわいい彼女もいて、そこだけ切り取ったら順風満帆に聞こえる。だけど、正直言えばキャパオーバーなんだ。友達には「え、全然勉強とかしてないよ」とすました顔をしておきながら、心はとっくのとうに息切れを起こしていた。でも、良い大学に入って、将来ちゃんとした大人になりたかった。自分は周りのやつよりも出来るヤツなんだ、と、自分に洗脳をかけたいんだ。そんなマジックにかかるために今日も僕は何時間も勉強をする。やっても意味のない勉強を。

そんなとち狂った生活に一筋の光を差し込んでくれたのは、君だった。君は綺麗なストレートヘアを持っていて、たまに僕に向けてくれる笑顔が天使のように美しかった。僕は君の肩を抱いて、新宿の街を歩けるだけで幸せだ。金も時間もない高校生の僕にとって、新宿という街はわけがわからず、何回行っても全然慣れない。入ったことない店ばっかだし、道はスマホの案内が無いと分からない。でも、そんなちんぷんかんぷんな街の中でも、君といればパラダイスだ。他愛のない話をして、一緒に笑って、そんな君の笑顔を守りたいと思える。君との予定がカレンダーにひとつあるだけで、僕の人生は最高だった。君がいるから。君が僕の彼女でいてくれたから。それだけだった。

今日は君との大切な予定の日だった。お互い受験生で、遊んでいる余裕なんてないはずなのに、2人の時間だけはどうしても手放せなかった。もちろん、僕たちも学校で少し話したりはするさ。だけど、学校という場所はどうも鬱屈としていて、君の感触がありとあらゆる雑音でかき消されてしまうみたいだった。だから、月に一回だけ、と約束して、僕たちは遊びに行く。
今日は、君が以前おいしそうだと話していた新宿のカフェに行く。本当は僕が一日のデートプランを考えて、君が思いつきもしないような素晴らしい予定で埋め尽くしたかったんだけど、彼女が「今回は私のわがまま聞いて」と上目遣いで言ってきたもんだから負けてしまった。どちらにせよ、君の笑顔が見られるなら構わないのだが。

僕は新宿行きの電車に乗る前に、駅ビルに立ち寄って、君へのおみやげを買いに行く。君はチョコレートが好きなんだ。だから、地下一階に立ち寄って、かわいいチョコの詰め合わせを見に行く。「あ、ラッピングお願いします」と言って、千円札を置く。この時間が幸せだった。そのあとは普通に電車に乗って、十分前くらいには待ち合わせ場所についていた。そしたら君はもうすでに待ち合わせ場所に居て、僕を見つけるなりびっくりしてた。

「私もいまちょうどついたの」君はそう告げる。

「そうなんだ。僕もいまちょうど来たところだよ」と、僕もはにかむ。

お互いが十分前に到着していた、という事実。二人とも口には出さないけど、僕たちを繋げている奇跡みたいななにかがあることを、たぶん分かっていたんだろう。

やっぱり新宿の街は入り組んでいて、どう進んでいいのか分からないので、あきらめてスマホの地図アプリを開く。僕は君の手を握って、君が人ごみに流されてどこか行ってしまわない様気を付ける。君はなんだかんだ抜けているところがあって、目を離したすきに素っ頓狂なことをしていたりするから、僕は君の手を離さない。

「今日ちょっと暑いよね」と、君は言う。

「そうだね」と僕は返した。確かに今日は暑い。

「あのね、今日ね、あったかかったから新しく買った春服着てきてみたの。どう?」
君は照れながら僕の方を見てくる。答えなんて分かりきっているじゃないか。

「かわいいよ」よ言う。「本当にかわいい。本当に白が似合うね」

君はもっと顔を赤くする。ありがとう、とちっちゃな声が返ってきた。
春の風が吹く新宿の街並みの中で、僕たちは他愛のない話をする。学校がどうだとか、春休み明けの模試がどうだとか。君と僕の第一志望は違ったけれど、大学に入ってもずっと別れないという謎の自信だけはあったんだ。加えて、東京の大学なんて結局全部近いところにあるんだから、格別心配する必要もなかった。
そんな進路の話をしながら、僕は君の手を強く握って、交差点を曲がる。曲がった先には君が言ってたカフェの名前の看板が立ててあった。

「着いたね。入ろうか」と告げて、僕たちは階段を上がる。新宿のカフェってなんでこうして階段を上がったり下がったりした先にあるんだろう。狭い階段の先、僕たちはカフェのドアを開けて、定員のお姉さんに「いらっしゃいませ~」と出迎えられる。さすが新宿、席はカップルとか女の子のグループとかでほとんど埋まっていた。だけどラッキーなことに、窓際の二人用の席がちょうど空いていて、僕たちはそこに腰掛けることにした。

「ここから見える新宿の景色は綺麗だね」と、窓を見つめて君は言う。
君がなにかを綺麗だというとき、それを綺麗だという君の感性が僕は好きだった。君の美しい瞳に、何が映っているんだろう。それを考えるのが好きだった。

「そうだね」、と、僕はどこか淡泊な返事をしてしまう。僕が本当に興味があるのは君で、景色とかどうでもよかったから。

「新宿って、私好きなの。結構うるさくて、人も多いけどさ、なんかなんでもある感じがして。タワーレコードとか、めっちゃ広くて色んなCDが置いてあるじゃん。そんな感じで、何でもある感じがする」

「確かに新宿にはなんでもある」と、僕は同意する。「僕も新宿は好きだよ。君との思い出が沢山あるから」
そう告げると、君はちょっと照れた感じで笑ってくれる。
「メニュー見よっか」と、君は照れ隠しするかのように提案した。

窓際に立てかけてあったメニューを取って、僕たちは熟考し、定員さんに注文した。君が頼んだのはパンケーキで、僕もそれにつられてパンケーキを頼んだ。
10分後、君はパンケーキが来るなり目をキラキラさせて、写真を数枚撮ってた。クラスの他の女子とかと違って、何枚も画角を変えて撮ったりしない君が好きだった。君はたぶん、記憶を写真として残せるだけで十分なんだろうなあ、と僕は思う。インスタ映えとか、気にしてないんだろうな。そういうおしとやかさというか、謙虚さが好きだ。

「ん~~これめっちゃおいしい!」と、君は喜ぶ。来た甲斐があったってもんだ。
僕は幸せ者だ、と思う。どんなに毎日の勉強が憂鬱だって、先生の授業が死ぬほど退屈だって、そんなの、君と過ごせる時間があれば関係ない。関係ないんだ。

僕は君の目を見る。あのね、と僕は話を切り出して、今日ちょっとお土産買ってきたからさ、よかったら食べてよ、と言う。
「チョコ好きでしょ?勉強疲れたと思うから。はい」と、君にさっき駅ビルで買ってきたチョコを渡す。
「えっ、いいの?」と君は驚く。「ごめん私なんも準備してなかった・・・。でもめっちゃ嬉しい。ありがとう!」と、君はにっこり微笑んでくれる。
「今度私もなにかお土産あげるね!楽しみにしててよ!」と言い、君は意気込む。
「君の好きなものは把握済みです!」とどや顔してくる君も、なにもかもが愛おしかった。愛らしかった。君を愛していた、そう、僕は、君を愛していた・・・。

瞬間、君の顔はどろどろに溶けていって、周囲のテーブルや椅子もがったんごっとんと音を立てながら壊れていった。音は不協和音と化す。空にはUFOが出てきたりして、何かよくわからない言葉をしゃべっている。支離滅裂だ。君はUFOが出した謎の閃光に連れ去られていってしまう。
「まって!まって!私、まだ、あなたに伝えてないことがあるのに」、と君は泣きながら空の上へ上へと行ってしまう。僕は必死に手を伸ばすが、手が届かない。君は遠くへ行ってしまった。
そして僕は服を脱いでいた。裸になっていた。そこらへんの建物全部が炎に包まれる中、僕は全裸でライオンから逃げている。あれ?あれ・・・これ・・・

「あ」

暗転。私はベッドで横になっていた。

「なんだ、夢か」

私はベッドから起きてアラームを止めに行った。自分の声の高さで気付く。これは現実で、さっきのは夢で、私は男ではなくて、かわいい彼女も居ないことを。

またこんな夢か。私が男になる夢。私が一生叶えられない夢。
洗面所に行って、洗顔して、髪を整えて、制服のスカートを履く。なぜか今日はスカートのプリーツが一層生々しく感じられた。こんなの本当は履きたくない、とこっそり思う。
私だって本当は男になって、かわいい彼女を連れて、新宿を歩きたかった。かわいい彼女にチョコを買ってみたかった。かわいい彼女と家でデートしたかった。

でも、私はなりきれなかった。男に。私は男になりきれない。

なりきれない

なりきれない

  • 小説
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更新日
登録日
2024-04-01

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