トマトパスタ
昼に作ったトマトパスタが、声を張り上げて命乞いをしている。
「やめて! 食べないで!」
「そんなこと言われてもなぁ……」
あまりにも突飛な状況に、男はフォークを握ったまま、そんな情けない言葉しか返せない。
「ねえ、ものを食べるだなんて野蛮よ。あなたは自分が食べられる側になって考えたことがあるの?」
「そう言われても、ものを食べないと人は生きていけないわけで……」
「そんなの言い訳でしょ! もっとなにか良い方法があるはずよ! 人間っていうのは高度な知能を持った生物なんじゃないの? そんなお役所みたいな口先の理屈が私を食べて良い理由になるわけないじゃない!」
男の言葉を遮るように、パスタはトマトソースを辺りに撒き散らして、大口を開けて子供みたいに喚き続けている。
「ねえ、そんなこと言われても困っちゃうよ。君はパスタで僕は人間なんだ。牛やら豚を食べない宗教があったり、生き物を食べないヴィーガンだかベジタリアンの変な奴らの言い分なら多少は理解するけどさ、改めて言うけど君はパスタなんだよ? 小麦粉を加工して美味しく食べやすくした料理なんだ。こんなパスタらしからぬ知的な君にはとっても言いにくいことだけど、君はそもそも人に食べられるためのものなんだよ」
男の言葉を聞くと、パスタは一層身を震わせて、別れ話を切り出した彼女みたいに、次第にヒステリックな叫びと感情的な暴言をトマトソースと一緒に男に向かって吐き捨てる。
「私の生まれが悪いって言うの? あなたは自分に責任が全く無くて、ただただ私がパスタとして生まれてきたことが悪いって言うのね! そんなのあんまりよ! ああ、私に手があればあなたのその野蛮で知性もなにもないクソみたいな脳ミソにフォークを突き立てて代わりに啜ってやるのに! いい? 私を口にいれたらね、あなたのその汚ならしい喉奥で舌にグルグル巻きに張り付いて締め殺してやるんだから!」
男は困り果ててしまって、宥めるようにパスタに訊ねた。
「そんな怖いこと言わないでよ。ねえ、別に君を僕が食べないとしてだよ、それからどうすれば良いのさ? このまま君を放っておいてもさ、いつかは腐っちゃうんだよ。そうして腐った君をずっとテーブルだか冷蔵庫だとかにも置いておけないし、僕は君を生ゴミで捨てなくちゃならない。それって勿体無いと思わない?」
パスタはまた声を張り上げて言った。
「なにが勿体無いよ! そんなものみんなそうでしょう! あなたたちだって寿命ってものがあるのに、それを迎えることが勿体無いから今食べさせろなんて納得するの? 私には最期まで全うする権利すらないなんて言うの? それのなにが筋が通ってるのよ!」
男はもうなにも言えなくなってしまって、溜め息を吐いて、湯気の立つトマトパスタを冷蔵庫へ入れた。
そうしてまた男は虚ろな目でキッチンに立って、新しくパスタを茹でた。それからいつものように、トマト缶とベーコンでもって、トマトパスタを作る。
男は出来上がった新たなトマトパスタをテーブルに置いて、フォークを持ってまた対峙すると、トマトパスタはやっぱり声を張り上げた。
「まってくれ! 食べないで! 助けて!」
男はその声になにも言わず、なにも返さず、そのままフォークでパスタを掬って、綺麗に巻き取ると、躊躇い無くパスタを口へ放り込んだ。
トマトパスタ