鬼と世界の半分

ヤグラバチという遊びが得意な、心の広い少年テル。鬼の王様の亡霊と約束して塚を壊すことになったが、そこには天狗のお面をかぶった塚の番人がいた。テルはその番人リツと仲良くなるが……。

鬼の王様の亡霊と約束してしまった少年が、世界の秘密を知る物語。

 数年前ほど前から、サンミヤ国の子供達には、『ヤグラバチ』という遊びがはやっていた。ツカサトという村の子らも例にもれない。木製のつやつやと磨かれた、人差し指程の大きさのバチを、ヤグラの形に組んでいく。
 十歳のテルは、この遊びがとてつもなく上手かった。彼が毛虫の様な眉を穏やかに下げて、訳ないやと言う様にくみ上げたバチは、神がかったバランスで、何段組んでもびくともしない。誰と対戦しても負けることが無いのだ。
 バチには二種類あって、凹凸の付き方が違う。それを上手にしっかり組み合わせるのがコツなのだ。テルのやや垂れた大きな目は、その微妙な噛み加減をいつも見極める。そして知っていることを周りに惜しみなく教える。村の子供らは、テルを尊敬の眼差しで見つめるのだ。

 今年は例年にない大豊作。倉という倉には米俵が山と積み上げられ、すっきりと刈り取られた田んぼには、清々と風が吹き渡っている。何時もは憎らしいスズメが、落ちたもみを求め、ちゅんちゅん跳ねるのも可愛らしい。
 秋祭りの準備を急ぐ村は、大人も子供も踊るように歩いている。奉納される剣舞の、笛や太鼓の練習の音が、夕餉の煮炊きの匂いに交じって、テルの家まで響いて来る。テルは妹と弟にバチの組み方を教えながら、垂れた目をうっとりと細めて、それを聞いていた。

 そんな祭りの前日の十二夜の晩、月が山並みに姿を消し、闇がツカサトの村を飲み込むと、紫のむかむかする匂いの煙が、テルの家の窓をすり抜けた。そして妹と弟の右側でぐっすり眠っているテルの枕元で、ぼんやりと人の形を取り始めた。
 「テル……、テル……、テルよ……」
 誰かが遠雷の様なおどろおどしい声で何度も読んだ。
 「マサか? 怖い夢でも見たのか? 」
 テルは夢半分で目を開いた。
 紫の毛の塊のようなお化けがそこにうずくまっていた。振り乱した長い髪の間からのぞくのは、紅い白目に金色の瞳。テルはギャッと叫び声をあげそうになった。そいつは慌てて、枯れ枝の様な手でテルの口を塞いだ。その時月明かりに、そいつの頭の上に、一尺ばかりもある漆黒の角が、二本にょっきり生えているのが見えた。それに引っかかる様に、緑に錆びた銅の王冠が載っかっている。
 その化け物は、まるで地の底から虫が湧いて来るかのような声で言った。
「わしは鬼の王、グタリじゃ。テル、そなたの様な子供を探しておった。ああ奇跡の子、救いの子よ! 」
グタリは感激して、紅い白目からねっとりと青い涙を流した。
鬼が、自分を食べるつもりが無いと分かったテルは、もうすっかりと落ち着いていた。
「俺のような子供って何? 」
テルはグタリの前に正座した。
「わしと同じ、鬼のみで出来た子供のことじゃ。お前たちは何も知らぬであろうな。かつてこの地は鬼の楽園じゃった。溢れかえる程の鬼が、鬼の法律で、鬼の王のわしをいただいて、平和に暮らしておった。そこに天狗の軍勢が攻め入って来たのじゃ。鬼は必死に抵抗したが、鉄を持った天狗たちは鬼の国を滅ぼして、自らの国の一部としたのじゃ。
それからのことは話すのもつらい。鬼の子供に天狗の法を教え、言葉すら根絶やしにしてしまったのじゃ……。ああ、悔しゅうて悔しゅうて、死しても眠れぬ……」
うっうっうっ、と声を殺して、グタリはすすり泣いた。相変わらず訳が分からないテルだが、可哀想に思ってこう言ってしまった。
「そう泣くなよ。オレに出来る事ならしてやるよ」
グタリは金の目をグリンと剥いた。苦悶の表情を浮かべた死人の様な顔で、テルの手をがしっと握る。
「それでこそ純粋な鬼の子じゃ。我ら鬼の未来はテル、そちの肩にかかっておる」
テルのおおらかな毛虫の眉は、苦笑いにくしゃりと歪んだ。
「いや、オレはどう見ても人間だろう」
「いいや鬼じゃ。長い長い年月に、鬼も天狗もすっかり交じり合い、見た目は同じ人間となったのじゃ。だがお前は、体を構成するすべての要素が、鬼のみで出来ている。テルよ、お前だけにはわしの声が聞こえる。千年万年積もった恨みを晴らす術を、お前だけが持っている。この村はずれに塚が一つあるじゃろう。その塚はな、黄泉の国へとつながっておる。我ら鬼の祖々の霊力が封じ込められておるのじゃ。それを壊してくれ、テルよ! 」
「あそこは近づくのが禁じられているよ。それに、化け物が出るって噂だ」
「そんなものは天狗の決めごとじゃ!鬼が守るいわれの無いものじゃ! 」
グタリの絶叫に、床や壁がパリンと鳴った。
「良いな、テル、明日から始まる秋祭りの四晩のうちに、塚を壊せ。月の光が塚に当たる間、あの世とこの世の道がつながる。月影の中、鬼の霊力がよみがえるのじゃ。テルよ、分かったな」
グタリはそう言い残すと半透明になった。もじゃもじゃの毛は形を失い、もわりとした気体になる。
「待っているぞテル、待っているぞ……」
グタリはたちまちのうちに紫の煙となって、窓の外の月明かりに妖しく消えた。後にはただ酒の腐ったような臭いが漂っている。
「あああ、可哀想だからって、安請け合いするんじゃなかった。面倒なことになっちまった」

次の日、空は泉の水の様に澄み渡り、ずっと高い所に、綿を薄く引き伸ばしたような雲が切れ切れに浮かんでいる。爽やかな秋祭りの朝だ。宮司さんがぴかぴかの狩衣を着て、吊るし太鼓を鳴らしながら、嬉しく祝詞を唱えて家々を回る。テルはその声で目を覚ました。
奉納される相撲の土煙に、テルは友達と一緒に歓声を上げた。湯気を立てる餅菓子や、父親が捕らえた山の肉のご馳走も、お腹いっぱい食べた。
だが、頭の片隅にはグタリとの約束がある。
「約束しちまったもんはしょうがないな」
テルは夜を待った。

宵闇に、剣舞がにぎにぎしく奉納される。剣を振り、扇を振り、きつく巻かれたわらじで大地を踏みしめる。その足音が祖霊を鎮め、悪いものから人々を護ってくれるのだ。
テルは観客の輪からはぐれて、村はずれに向かった。夜の空気は乾いて澄み渡り、冴え冴えとした十三の月が、優しくテルを見守っている。鳴いている虫のもの寂しさに、冬の声も間近と知る。ホーッ、ホーッ、ホーッ、と梟の鳴く声。死人が出歩くとか、化け物が出るとか、怖い噂ばかりある塚の周りは、昼間でも誰も寄り付かない。だがテルは、その光景の美しさに見とれた。
驚くほど沢山のリンドウが生えている。しゃっきり背筋を伸ばし、誇り高く上を見上げている。ほの白い月と提灯の灯りに照らされた花は、つやつやきらきらと輝いていた。
「持って帰れば母ちゃんが喜ぶな」
テル一輪のリンドウを摘み取った。
やがてテルは塚の前へとたどり着いた。青灰色の石が積み上げられ、しめ縄が一本巻かれているだけの粗末な塚。積石は恐れられた年月に、黒っぽい苔に覆われている。
「とりあえず、これを崩せばお役御免だな。」
テルは右の足をぬっと伸ばした。
ビュン!突如近くの杉の枝がしなり、何かが曲線を描いてテルの前に飛んできた。
「お前、塚を壊しに来たんだな! 」
白い水干の袖が揺れる。それは背格好からするとテルと同じぐらいの子供だった。茄子紺の袴を穿き、高い一本歯の下駄で奇跡の様に着地する。だがその顔を見た時、テルはぎょっとした。真っ赤な肌は赤漆の様にてらてらしている。見る者を威圧するかのような鋭い眼光、冗談のように長く膨らんだ鼻の……、
「天狗だ! 」
そう叫んだ直後、テルは赤面した。それはよく見ればただのお面だった。
「そうだ、俺は天狗だ。この塚の番人の純粋な天狗。」
そいつは涼やかな声色で言って胸を反らした。声の感じからしてテルと変わらない年ごろの子供だ。
「お前、どこの子だ?名前は? 」
相手がお面を被った子供と分かってしまえば、怖がっているテルではない。
「だからオレは番人なんだ。塚を壊すものを誅する番人。」
その子供は、あくまで暢気なテルに、澄んだ声を苛々と張り上げた。だがその後で、こそっと付け足しをするのだった。
「オレの名前はリツ……」
テルは毛虫の様な眉をにっこりと緩めた。
「オレはテルだ。なあリツ、オレ、グタリとかいう毛もじゃの鬼と、これを壊す約束しちまったんだよ。何とか見逃してくれないかなあ」
リツと名乗った子供は、偉そうに腕組みをした。鼻を鳴らしながらしばらく考えた後、こう宣言した。
「それならばオレと勝負しろ。相撲でオレに勝てれば好きにさせてやる」
袴からのぞくリツの足は細く色が白い。腕も首も華奢で、テルの毛深い手足とは比べ物にならない。テルは頷いた。
「分かったよ」

月が傾きかける頃、テルは草むらに転がって、諦めの言葉をつぶやいていた。
「くっそー、勝てねえな……」
何度勝負しても同じだ。リツの細い体は、猫の子でも弾き飛ばす様に、テルの重たい体を、投げ飛ばし地べたに転がす。
(勝てそうだと思ったんだけどな……)
テルは寝っ転がって目の上にリンドウを見た。それは何だかリツの立ち姿と似ていた。
「天狗の全ての祖霊が、オレに加護を与えているんだ。純粋な鬼のお前に勝てるわけがない」
嬉々としてリツが言う。テルは何だか悔しくなった。この塚を壊して鬼の霊力が解放されれば、自分もリツのように強くなれるのだろうか?
「明日の晩も来いよ」
リツが言った。
「祭りが終わるまで勝負に応じてやる」

その晩、テルの夢の中にグタリが現れた。柳の揺れる賑やかな辻を、首輪につながれたグタリが引っ立てられて行く。グタリの背には、針山の様に矢が突き刺さったまま。手枷足枷を引きずり、のそり、のそりと這うように歩く。両脇に立ち並ぶ天狗の顔をした群衆が、石を雨の様に浴びせて、あからさまな罵りの言葉を投げつける。血の涙を流すグタリの目は、テルをギョロッと見た。
「早く、早く、塚を壊せ、早く、早く……」

その次の晩も、テルはリツに勝つことが出来なかった。リツの細い体は、見た目からは想像できない程、どっしりと力があった。まるで本物の力士と組み合っている様だ。
がむしゃらにぶち当たると、リツの髪や首筋から、汗と入り混じった林檎の様な匂いが漂った。テルは何だか妖しい気分になるのだった。
諦めて寝っ転がった時、束の間村の方から剣舞の歓声が、風に途切れ途切れに届いていきた。太鼓をたたく音、笛の旋律、それに混じって、大地を踏みしめる響きまでもが、ここにも伝わってきた様な気がした。
「テル、お前はいいなあ。あんなに沢山の人たちに囲まれて、当たり前のように毎日相撲が取れる」
リツがぽつりと言いだした。今まで「鬼」の様にテルを転がし続けたのと、同じ子供に思えない。気の弱い言葉にテルは呆れた。
「お前も村に来りゃいいじゃん。友達紹介してやるよ」
「いや、オレにはお役目がある。片時たりともここを離れてはいけないのだ。天狗の天下が永遠に続く様に、オレは塚が出来た千年前からここに居るんだ」
リツはテルの傍らに座り込んで、面の顎を載せた手を組んだ。
「千年前?お前歳は? 」
「忘れた。オレの時間は止まっているんだ」
リツの声は秋の乾いた夜気に、哀しく響いた。
「なあお前、明日も来いよな。せめて後二日、勝負をしてくれ」
「分かった……」
テルにはもう、リツに勝ってやろうという気は、残っていなかった。

その晩もグタリは夢に現れた。広い河原のような場所で、薪がうず高く積まれ、炎がごうごう青い鉄の釜をなめる。その中で、断ち切られたグタリの首がぐつぐつと煮えている。辺りには美味しそうな匂いが立ち込めて、夢ながらテルは吐き気を覚えた。油の浮いた湯の中で、グタリは溶けかけた口で繰り返す。
「早く、早く、解放せよ、待っているぞテル、待っているぞ……」

だが次の晩、テルは栗の入った餅を持って塚の前に行った。ひとしきり相撲を取った後、リツに餅を勧めた。
「オレの母ちゃんが作ったんだ。喰え。美味いぞ」
リツはうろたえた様に声を細めた。
「人前でこの面を外すことは許されん」
テルは毛虫の様な眉を人懐っこく八の字にした。
「じゃあ、オレが帰ってから喰え」
面の奥でリツが息を飲んで震えた。
「なあリツ」
テルはこの二日間、ずっと思っていたことを問いかけた。
「この塚が壊れた方が、お前も自由になれるんじゃないかな? 」
「確かにな。自由にはなれる。だけど、純粋な天狗である俺は、この塚からあふれ出した鬼の恨みに、黄泉へと引きずり込まれてしまうだろうな……」
リツは面の奥から満月を見上げた。つやつや光る、張り子の目や鼻は、まるで涙にぬれている様だった。
「オレはお前に勝つわけにはいかないな」
テルは言った。
「なあテル、『ヤグラバチ』がしてみたい」
リツが突然言い出した。
「ヤグラバチ? お前、相撲が好きなんじゃなかったのか? 」
「好きだが、別の遊びもしてみたい。お前が得意な方で、特別に勝負してやる」
テルはげじげじの眉毛を、胸騒ぎにけば立てて、リツの面の奥底をのぞこうとした。

その晩も、グタリは夢に現れた。スープが出来る程煮込まれた首は、河原で夏の陽射を浴び腐り始めた。ドロドロに溶け、蛆が湧き、カラスにその眼をついばまれ、片方の目は虚ろに落ち窪んでいる。ボロリと飛び出た左の目玉から血の涙を流して、グタリの口は尚もテルを急き立てる。
「何をしておるのじゃ、テル。全ての天狗は敵じゃ! あの小童も、皆全てお前の敵じゃ! 」

秋祭りの最後の晩、テルはヤグラバチの道具を一そろい持って、塚へと出かけた。リツは仁王立ちになって待っていた。
提灯を置き、嫋嫋たる十六夜の光を浴びて、テルとリツは遊びに興じた。
「ああっ、また崩れた。へっこんだ方ばかりでは上手く行かないな。出っ張った方だけでも。二種類あって初めて成り立つ。その場その場で一番噛み合う様に、よくよく考えて当てはめる。それがコツなのだな。それにしても、テルは器用だ」
テルは黙って、二重の目を優しく細めていた。
その晩、リツはいつになく饒舌で、上機嫌だった。テルも何時しか夕べ感じた不安も忘れ、リツとの対戦を楽しんだ。

「リツ、オレはもうそろそろ帰るよ。母ちゃんが心配するといけない。大丈夫だ、祭りが終わっても、また相撲を取りに来てやるよ」
テルは低くかすれ始めた声を優しく響かせた。リツは黙って塚の前に立っている。
がしっ、突然リツの一本歯の下駄が、塚の石を崩し始めた。
「あっ、お前、何してるんだ! 」
テルは慌てて止めに入った。リツはひゅうひゅうと乱れる笛の音の様に、声を暴れさせた。
「こんな塚、もういらない! 鬼を押さえつけて何になる、その上に立ってびくびくしながら生きるくらいなら、こんなもの作った偉い奴の為に自由になれないのなら、こんな塚なんか、このオレが壊してやる! 」
リツは涙声になっていた。それでもその腕力の凄まじい事、止めに入ったテルを、左の手先だけで木の葉の様に払いのける。
あっと言う間に塚は無残にも崩れてしまった。千年の怒りと悲しみを吐き出したリツは、肩で息をしている。
塚のあった土の割れ目から、光が漏れだした。それは瞬く間に、奔流の様になる。真っ赤な鉄を打つ、鍛冶の炎を思わせる輝き。熱く、力強く、神々しく二人の目を焼く。
あっと言う間に、リツの細い体は光に引きずり込まれた。慌てて引き戻そうとするテルもろとも、そろってその輝きに飲み込まれてしまうのだった。

その光の渦の中、体半分が紫色の煙と化したグタリが、地の果てから響いてくるような叫び声をあげて飛び込んできた。
「さあ、ついにやった、塚の封印が破れた! 我が鬼の民たちよ、決起せよ、立ち上がり、天狗の治世をひっくり返すのじゃ! 」
 その声のおぞましさに、リツが自分の腕をつかんでいる輝の手にしがみついた。しかし、ぎゅっと目をつぶったテルが、恐る恐る瞼を開いてみると、光の中に広がっていたのは、神主が説く黄泉とも、グタリの言葉から想像したのとも、全く異なる光景だった。
「リツ、見てみろ、これはまるでヤグラバチだ。」
面の奥でリツが目を開いた。ほうっと息を吐いて浅く息を飲む。
青鬼をしっかりと支えているのは、小柄な天狗の青年。酒飲みらしい恰幅の赤鬼と、馬鹿でかい天狗が肩を組み合い、その上に立つ黄色い鬼の女は、天狗の子供をあやしている。。お互い混じり合い、噛み合い支え合い、数えきれない螺旋形の段を作っている。その様子は、まるで壮大なヤグラバチだ。
下の方は霞がかって臨むことは出来ない。見上げれば、巨大な光を載せた盆を、皆もっこりと力こぶを作って支えている。
テルもリツも、呆気に取られてそれを見た。どの鬼も天狗もにこやかで、大きな市中の喧騒を聞くように、話し声笑い声に満ちている。
それを見たグタリは悲痛な叫び声をあげた。
「何故じゃ、何故おぬしらは天狗などと慣れ合っておるのじゃ! 今こそ決起する時ではないのか! 」
だが、ヤグラバチのように天狗と組み合った鬼たちは、憐れむような笑みを浮かべた。
「過去の亡霊だ」
「決起じゃ、決起、立ち上がるのじゃ! 」
だがそう言いながらも、グタリの体は金色の光を浴びたところから溶け出した。
「おお、おお、偉大なる王のわしが、臣民全てに背かれてしまった……。鬼の誇りはどうした、千年募った恨みはどうした……」
グタリは最後っ屁のような臭いを残して、跡形もなく消えた。悲しげな声の響きだけが、こだまするように長く残っていた。
「鬼と天狗の童が来たぞ」
一人の赤鬼が屈強な手で、落ちていくテルとリツをつまみ上げる。
「とうとうあの塚の封印を破ったか。ドドンさん、やったようです」
カラスの様に艶ある羽根で、赤鬼の毛深い脚を支えている、一きわ立派な鼻を持った天狗は、嬉しそうに髭を撫でた。
「ここってどこなの?みんな何してるの? 」
テルの何時も眠たげな眼は、まん丸く見開かれている。リツも面の奥でぽかんとしている様だ。
「ここは黄泉の国だ。鬼と天狗の祖霊が暮らす国」
ドドンの声は、夏の夕立にガラガラと響く、雷鳴の様に豪快で、あけっぴろげだった。
「鬼と天狗って、けんかをしていたんじゃなかったの? 」
テルの問いに、ドドンはからりと微笑んだ。
「遠い昔、我々が生きていた頃は、そういう時代もあったかもしれん。だが、祖霊となったからには、我々は皆等しく現世を支えなければならないのだ。あの盆の上に、お前たちがいま生きている現世が載かっているのだよ。鬼も天狗も無く、大きい者、小さい者、細い者、太い者、皆支え合い、補い合い、組み合わさって現世を支えている。それが、祖霊である我々の役目だ。あの鬼の王様は、恨みのゆえにここへたどり着くことが出来なかった」
「グタリはどうなったの? 」
「恨みの灰汁が消えれば、我ら祖霊のひとかけらとなって、現世を支える力となるだろう。もっとも、あんまり大して力はないがね」
テルの大きな目は、聞いているうちにゆったりと輝いていった。
「じゃあ、ここの鬼達は、リツを恨んで祟ったりしないんだな。鬼と天狗は仲良しなんだな」
テルを右手に、リツを左手につまんで、赤鬼がにっこりと言った。
「もちろんだ」
「我々の悩みは、塚があるために、鬼の霊力が封じられて、世界の半分が脆くなってしまっていたことだった。よくぞあの塚を壊してくれた。礼を言うぞ」
ドドンはそう言うと、鼻を膨らましてかかかと笑った。テルの頬にも自然と笑みが浮かぶ。
「良かったなリツ。お前は結果正しかったんだ。もうお役目から自由になったんだから、その窮屈な面なんか外しちまえよ」
リツはもじもじと手を揉んだ後、耳の後ろに手を回して結び目を解いた。
桜色の柔らかな頬が現れた。流れる淡い眉の下に、笹の葉の様な涼しい眼が輝いている。小さな唇は、紅梅の花弁の様に、丸くふっくら膨らんでいた。
「えっ、リツ、お前もしかして女だったのか! 」
おろおろとテルが言う。
「そうだが、何かまずかったか? 」
テルは相撲で何度も組み合った時の感触と、林檎の様な香りを思い出して、耳まで真っ赤になるのだった。


長い冬が終わり、山の雪も大分解け始めた。雪解け水が谷間を伝って、里まで届く。そのせせらぎの歌の嬉しさに、木々の葉が緑色に目覚める。体の奥底の魂が騒ぎ出す季節。テルの村では田植えの準備が近づいて来ている。
「テル、リツのとこへ行こうぜ。オレは稽古つけてもらおう」
村の子の、マツやタカ達が連れ立って、塚があった方へと駆けていく。
「おう、行ってろ。オレもすぐ行く」
そう言ってテルは、ヤグラバチの道具を一式袋に入れて持った。
あれから、黄泉の国から帰って来ても、世界は何も変わらない様に見える。何時も通り冬が来て、春になった。
サンミヤ国の王様にもお役人にも、目新しい噂は聞こえてこない。グタリの夢も見なくなった。
変わったことはと言えば、リツが村の皆に迎えられたことだけだ。子供達はリツと遊び、大人たちは食べ物をおすそ分けする。
(あのことは、オレの外に気付いている奴いるのかなあ……)
テルはもじもじと鼻を動かした。相撲で組み合った時知った。水干の下のリツの胸が、つぼみのように膨らみ始めている。
行く手には、もうすっかり踏み荒らされて無残な姿になった、塚の跡が見えてくる。その前に腕組みをして、仁王立ちのリツが、白い頬を嬉しげに火照らせてテルを呼ぶ。
「テル、遅いぞ」
人柄良く微笑んで、テルは駆け出す。
真正面にそびえるお山からは、日にぬるめられた緑の風が吹いて来る。鷲の形に残った雪は、忙しい季節の到来を知らせ、春も盛りの光を眩しく反射する。葉桜から名残の花弁が舞い飛んでいる。
「リツ、たまにはヤグラバチをしようぜ」

                 了

鬼と世界の半分

お読みいただきありがとうございました。まだまだ不足のある文章ではありますが、日々精進してゆきます。

鬼と世界の半分

小さな村に住む少年たちの、ささやかな冒険物語。中世の東北をイメージしています。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

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