【TL】イレイサーを山折り
高校時代→成人/片想い系寡黙陰気クール美男子/スポーツマン系日焼け陽カレシ/その他未定。
1
毎度毎度、ウザいってさ。鬱陶しいって。
渦織(かおり)は目の前で扇形に並ぶ女子たちと対峙していた。何を言われているのか、言葉としての理解はできたが、あまりにも脈絡がなかった。
毎日注意してくるの、ウザいって吉城寺(きちじょうじ)くんが言ってた。
相手も、渦織が訳の分かっていないのを嗅ぎ取ったらしい。誰が言われていたのかを知り、そこでやっと彼女は理解した。
彼女は学級委員の任に就いていた。押しに弱く、断ることの苦手な性質は見抜かれやすかったのだろう。クラス担任に頼み込まれ、頷くほかなくなっていた。そして彼女はあまりにも担任教師にとって都合のいい手駒足駒であった。つまり、渦織はクラスの鼻摘み者の相手をしなければならなくなった。クラスの鼻摘み者、それが吉城寺(きちじょうじ)奏(かなで)である。
毎日"ウザ"い。それは奏当人にとっても真っ当な所感であろうことは渦織にも理解できた。言語化され、明言されたショックは否めないけれど。
渡り廊下を歩いていると、カラスアゲハが飛んでいくのが見えた。青々とした草木に紛れていったように見えて、その姿は捉えられてしまう。美しいあまりに。アゲハチョウよりも色数は少ないくせ、何か目を惹く魅力がある。渦織もそう感じている一人だったのかもしれない。脇見をしていた。
ざりり……と小さな石を踏み締める音が耳に届き、彼女は振り返る。背の高く、ひょろりと線の細い男子が佇んでいる。真っ黒な髪に、校則違反の長い前髪。二度見を禁じ得ない美貌は冷淡げだ。
「持つ」
ぶっきらぼうに青白い手が伸びてきた。渦織は微苦笑した。会いたくないといえば会いたくない相手であった。厳しい言葉を人伝てに聞かされたばかりだ。だが、彼にとっては、その発言を忘れてしまうほど取るに足らないことだったのだと思えなくもなかった。だが思えない。何故ならば、このように手伝う素振りなど今まで一度もなかったからだ。つまり、「持つ」と言った裏には何かしら意味がある。それは善意ではない。
「すぐそこだし、大丈夫」
「いい。持つ」
半ば引っ手繰るように、吉城寺奏は渦織が運んでいた学級日誌を奪い取っていった。半分ほど持っていくのかと思ったがすべてであった。渦織のクラスでは金曜日に学級日誌を提出し、月曜日に返還している。教師との交換日記のようなものだった。実際、日記と変わらないようなことを書く者もいれば、勉強した時間などを書いたりしている者、イラストなどでクイズをしている者もいた。
沈黙が苦痛である。人伝ての言葉は聞かなかったことにした。
「吉城寺くんは、どんなこと書くの?」
しかし訊ねてから、こういうところが"ウザい"なのだと気付いた。渦織は何でもない、無視して構わない事柄だとばかりに吉城寺奏から顔を背けた。
「晶野(しょうの)」
また、"ウザい"と言われてしまうのだろう。放っておいてほしい、一人にしてくれ、うるさい、とは言われたことがある。"ウザい"とも言われたことがあるかもしれないが、しかし人伝てに聞くと、同じ言葉に別の意図や、そこに隠されたさらに強烈な拒否を読み取らずにはいられない。
「そ、その、ごめんね。答えなくてへーき! 関係ないのに、変なこと訊いちゃってごめんなさい。わたしちょっと、保健室に用があるから。運んでくれてありがとうね」
進行方向に保健室へと繋がる曲がり角がある。彼女は捲し立てた。面と向かって、改めて、真摯な態度によって言われたならば落涙してしまうかもしれない。彼女は逃げたのだ。言いたいことも言わせないまま、ただ日誌を運ばせたのである。
保健室には同学年だということは知っているが、クラスも名前も知らない男子が上半身を裸にして診察台に座っていた。
「あ、ちょうどいいところに! ねぇ、一生のお願い。背中に湿布貼ってほしいんだけどさ」
人の顔を見た途端に目の前みで飛んできて、合掌し、ぺこぺこと頭を下げる。どこか軟派な感じのする、スポーツマンといったふうな印象だ。肌も髪も日焼けしている。運動部らしい。
「わ、分かった……」
人見知りしないのだろう。断られることを恐れもしない。彼女は少し羨ましく感じた。
人懐こいその男子は、べっちょりとした搗きたての餅みたいに捻れた湿布を剥がして直そうとしている。
「ここ?」
肩をつんと指で触る。日に焼けずとも元々浅黒いらしい。どこか幼い皮膚感で、瑞々しい。渡された湿布はあちこち拉(ひし)げて歪んでいる。
「そこそこ! その辺り! 助かる。ありがとう。一生忘れない!」
大袈裟な表現が憎めない。次会ったときには、顔も忘れてしまうというのに。
渦織は自身の影の薄さ、地味さをよく心得ていた。そして人の慌ただしさ、忘れっぽさも。吉城寺奏も忘れていたのかもしれない。嫌がったことすらも。
その年の球技大会で、渦織はドッヂボールに半ば強制的に出場させられたが、彼女のクラスのC組は初戦敗退で、あとは勝ち残っている混合テニスか、男子ミニ野球か、男子バレーボールの応援であった。彼女は混合テニスを外へ観に行っていたが、2回戦敗退。野球は盛り上がっていたがルールをよく分かっていたなかったためにバレーボールの応援へ向かった。友人の二鷹(にたか)藤子(とうこ)がバレーボール部で別コートの審判をやっているのもあった。
C組に対抗するのはA組であった。渦織がギャラリー席に入ったとき、ちょうど吉城寺奏が跳び上がってボールを叩き落としているところだった。黄色い声が上がる。目の前に広がった女子たちがはしゃぐ。C組の女子ではなかった。
普段は孤独を好んで一人でいる吉城寺奏は、裾で顔の汗を拭いながらチームのメンバーの拳に拳を当てている。そういう気の乗り方は彼のなかにもあるらしかった。
吉城寺奏がちらとギャラリーを見上げる。また、目の前に広がる女子たちが浮き足立つ。吉城寺奏は確かに美形であった。成績優秀で、声も甘く澄んでいる。だが性格が好いとは、渦織には思えなかった。協調性がない。冷淡で薄情だ。しかしそれがさらに彼の美貌の価値を高くしているのかもしれない。
吉城寺奏が、ギャラリーを指で差す。そしてまた騒ぎが起こる。リーダー格の垢抜けた可愛らしい女子が反応をした。あたしだ。だってこの前コクったもん。えっ、わたし?。 あちこちで同じような声が飛ぶ。そしてそのほうへ、陰険な眼差しが向く。熾烈な戦いがあるらしかった。渦織は怖くなって、ギャラリーを返っていった。女子同士で仲が悪いのを見るのは気分が悪い。
外へ出て、ルールも分からないミニ野球を観戦することにした。C組の何人かがすでに団子を作って応援している。
C組での目玉は男子バレーボールであったが、対戦相手のクラスではミニ野球がそうであったらしい。応援の人数が倍以上違っていた。1人、アイドルやいじられ役みたいに目立つ姿があった。彼が4番らしい。
『次の一打はマジで、キミのために打つから!』
相手が野球選手とは限らないが、何となく渦織も一度は言われてみたい台詞が聞こえる。応援に来ていた女子の1人に言っている。渦織の知っている顔であった。保健室で湿布を貼った人物である。だが本人は忘れているのだろう。渦織もまた、ただ湿布を貼っただけである。恩着せがましく思うつもりもない。
『ホームラン打ったら付き合ってね!』
甘酸っぱさが羨ましい。だが渦織は、そういう青春ドラマの主役に立てないことを知っていた。引っ込み思案であった。怒られるのを恐れ、融通の利かないところがあることも自覚していたし、校則をきっちり守っていた。化粧もせず、髪を加工することもなく、スカートの丈は膝に合わせ、キャミソールとサマーベストを着用しブラジャーを透かす隙はない。学級委員ではあるけれど、リーダシップはなかった。クラスのイニシアチブは瀟洒(しょうしゃ)でコケティッシュ、要領もよく気の強い可憐な女子がとっている。
他人の出来事を羨み、直後に自身に置き換え、卑屈になる。没入感など得られない。立場が違い過ぎてはそうなるものなのだ。ただこの場を独占するトップスターにそにように言われた女子を祝福するのみであった。
どこかで変わりたいのかもしれない。甘酸っぱい青春を味わってみたかった。だがそういう性質ではなかったのだ。イニシアチブをとる陽気で外交的、強靭な上位者が存在する以上、そこにはピラミッドの構図があるのだ。
応援の人数で大きな差があった。それがプレイに影響するのかは定かではない。渦織は大声をあげた。喉を擦り切らして、選手の名前を呼んだ。甘酸っぱい青春は得られないのだろう。そうするための努力と気概を惜しんだ。恐れてもいた。だが汗臭く泥臭い青春というものならば、今味わっているではないか。
結局、C組は負けた。だがあの小憎らしいほど選手にしても監督にしても応援団にしても優秀な4番はわざわざC組の応援席まで駆けてきた。ナイスゲーム、と言って去っていく。点差は開いていた。嫌味だったのか、否か。野球とはそういうものなのだろうか。
2日にかけて続いた球技大会は閉会式に教師や体育委員、審判によって学年から男女3名ずつの合計9人からMVPが選ばれる。2年生男子からはE組から1人と、C組から吉城寺奏と、B組からミニ野球の4番が選ばれた。このMVPとは実質、優勝した部門の特に目立った生徒が選ばれるのであった。男子バレーボールで優勝したC組から吉城寺奏が、ミニ野球で優勝したB組の男子が選ばれたことに不思議はない。E組もまたサッカーで優勝していたし、選出された生徒もサッカーに出ていた。
だが渦織はその場にはいなかった。
『晶野』
体育館に集まったとき、吉城寺奏に声をかけられて彼女は振り返った。
『何? どうしたの、吉城寺くん』
暑かろうにすっぽりと長袖のジャージを着ている。肌を晒すのが嫌いらしい。
『優勝トロフィーを一緒に獲りに行ってほしい』
だが渦織は、眉を顰めた。
『なんでわたし?』
吉城寺奏に対する疑心は払拭されていなかった。"ウザい"と人伝てに言われてから、彼女の接し方はぎこちない。発した本人は忘れているようだけれど。
『なんでって………じゃあ、学級委員だから』
『総合優勝じゃないんだし……小金井(おがねい)くんと獲りに行きなよ。一緒に頑張ってたんだし……』
何故、初戦敗退した女子ドッヂボールに出た自分が男子バレーボールの優勝トロフィーを受け取りに行くのか。彼女には理解できない。水を差している。共に闘ったチームメイトを蔑ろにしている。簒奪に等しい行為だ。学級委員であるがゆえに出ることを許されるとしたならば、それは総合優勝のときであろう。それでも、優勝に貢献した生徒が出るべきだ。
『話はつけてきた。だって俺は、晶野の、―……』
『ごめん、わたしちょっと、喉痛くて……』
恥をかかせる気なのだ。嫌悪を集中させようというのだ。すべては"ウザい"ために。吉城寺奏は邪悪なのだ。
喉が痛いのは本当だった。体育館から少し離れているが、教室に戻って飴を取りに行きたかった。
『他の子に頼んだら。それこそやっぱり小金井(おがねい)くんに……あ、豊田(とよだ)先生。吉城寺くんが……』
渦織は傍を通りかかったクラス担任を呼び止めた。
体育館に戻ってきたときには、賞状とトロフィーを持って帰ってきた吉城寺奏はクラスメイトに囲まれていた。彼は賞状もトロフィーも周りの人に渡して渦織のもとへやって来る。彼女は思わず後退った。
「喉は?」
「え?」
「痛いって、言っていたから……」
嘘ではあるまいな。嘘を吐いたのではないな。それは圧であった。
「も、もう大丈夫……」
レモンキャンディが喉を潤す。そして痛いと答えたところで、吉城寺奏はどうする気なのだろう。
「そうか。少しだけでも、来てくれて嬉しかった。そろそろ返事が―……」
ただでさえぼそぼそと喋る吉城寺奏の言葉は聞き取りづらいというのに、響きやすい体育館に加え、非常に騒々しかった。そこにクラスメイトの女子が賞状を持って現れ、会話を遮る。大した用でもなかろう。渦織は彼の傍を離れた。
体育館を出ると、すぐ近くにある部室棟の水飲み場の陰に座り込む姿が見えた。ミニ野球の4番だ。目が合ってしまう。すぐさま逸らされるわけでもなかったところに、彼女の甘さが出てしまう。
「4番さん、お疲れ様」
彼の人懐こさなら、この急な声掛けも赦されそうな気がした。それにまったく今が初対面ではないのだ。相手は忘れているようだけれども。
「そっちも、応援おっつ。バレーボール勝ったんでしょ。おめっとさん」
「野球のほうも……」
MVPの1人がここで何をしているのだろう。急に言葉を止めた渦織に、相手は微苦笑を浮かべた。
「フられちゃってさ。黒歴史だわ、ホント。余計なこと言うんじゃなかった」
詳しく訊かずとも、彼女はある程度の経緯を聞いていた。つまりそのまま、大口を叩いたはいいが失恋したのだ。
「そっちも、こんなときにこんなところに来て、失恋?」
「違うけれど……でもなんか憧れちゃったな。女子なら人生に一度は言われてみたかったと思うよ。なんか、甘酸っぱい青春の思い出って感じだったもの」
「そっちも応援、頑張ってたじゃん。そちらさんに言ってやればよかった」
「ええ……?」
「少し前にさ、保健室で湿布貼ってくれてたの覚えてる? 忘れちゃった? だとしたらオレめっちゃ変なヤツじゃん。そういうことがあったんだケド……思い出して!」
吉城寺奏の陰湿な画策に沈んでいた気分が切り替わる。
「覚えてるよ。むしろ忘れられちゃってると思ってた」
「そんなニワトリみたいに……名前なんていうの?この前聞きそびれちゃって。クラスはばっちり覚えたよ。C組でしょ。オレ、萩窪(はぎくぼ)霰(あられ)。3月3日生まれ。魚座。水泳はちょっとだけ得意」
「雛あられだから?」
「おっと……そちらさん、もしかして賢いな?」
「3月3日生まれって言ったから」
不思議な雰囲気の男子であった。超自然的で神秘的なのではない。むしろ俗っぽさにまみれている。しかし懐に入り込むのが上手い。
「わたしは晶野。晶野渦織」
「渦織ちゃんって呼んでいいの? セクハラ?」
「萩窪くんのキャラなら、ギリギリセーフ」
「なんそれ」
萩窪霰はけらけら笑った。白い歯が印象的だった。
吉城寺を呼んで来いと担任の先生から言われ、探し出すのは学級委員の渦織の仕事であった。今日はどこに行ってしまったのだろう。場所は限られていた。吉城寺奏はその陰気な雰囲気そのままに、日向が嫌いで薄暗いところが好きなのだ。2月。肌寒いというのに、日向を避ける。
「吉城寺くん」
彼は社会科準備室に忍び込んでいた。日向は嫌いでも窓辺が好きらしい。制服が汚れるのも厭わず、埃だらかの床に腰を下ろして、白く光る北向きの窓を眺めていたようだ。
「先生が探してるよ」
吉城寺奏の手には茶色の板が握られていた。それに目をやった途端、差し出される。板状のチョコレートである。
「やる」
「え、い、要らないです……」
2月が始まって2週間。今日はバレンタインデーであったが、女子が男子にくれるか、女子同士でやりとりするものであろう。つまりこの男が渡してきたものは、人からもらったものである。チョコレートを渡すにしても、素気無い女子もいたものだ。照れ隠しかもしれない。
「誰かから貰ったもの、あんまり簡単に人にあげるの、良くな……要らないことってあるもんね。苦手なものとか」
余計なことを言った。彼女はすぐに自覚し、軌道修正する。
「チョコ嫌いな人にはツラいよね……」
余計な部分をすべて掻き消すように、彼女は忖度した。"ウザイ"とはもう言われたくない。
「板チョコなら他の人にあげられるし便利だよね。朝ごはんにもできるしさ」
じとりと湿っぽい双眸が、前髪の奥で渦織を見澄ましている。吉城寺奏のこの沈黙が、彼女は怖かった。苦手だった。冷嘲を感じる。頭の良い吉城寺奏には、愚かなことを言っているように映るのだろう。
「ごめんなさい、うるさくて……」
「それは俺から。朝買った。バレンタインだし……」
「そ、そうなんだ……」
板チョコレートを差し出したまま、吉城寺奏は動かない。渦織は息が詰まった。酸素濃度を一気に下げられたような心地である。
「もらってほしい」
「だ、大丈夫……」
「もらってくれ」
「でも、どうして……?」
わずかにチョコレートが下がる。蝋面みたいな質感の頬に微かな動きがあった。
「………っもらってほしいから、以外にない」
吉城寺奏は立ち上がると、受け取られないチョコレートを渦織のジャケットのポケットに突き入れた。
学年が上がるのと同時に、クラス替えがあった。それはつまり学級委員の解任とともに、吉城寺奏との接点がなくなることも意味する。渦織は美化委員になり、定期的に花壇に水をくれるだけの仕事へ変わった。
ホースを伸ばして、花に水をやる。
「晶野」
吉城寺奏のことなど忘れていた。5月の暖かくなってきたころだった。顔を横に向けると案の定、あの男子が立っている。
「お、おはよう……」
彼は無視して、隣に立ちはじめた。
「1年」
「え?」
「もうすぐ1年経つ」
「何から?」
見上げてしまった。冷ややかな眼差しで見下ろされている。見下されているのだ。
「どうして返事をくれなかった」
「何の」
確信的なことは何も言わないつもりらしい。
「好きって言った」
吉城寺奏が怖い。会話が通じていない。気が狂(ふ)れている。3年になって、関わりを絶てるのではなかったのか。
「な、何を?」
寡黙な薄い唇が異様な波打ち方をした。そして小さな嘆息が聞こえた。
「…………好きって言った。付き合ってほしいと……」
「言われて………ないよ」
やはり頭がおかしいのではないか。ただでさえ不気味なのだ。話も通じないとなれば、余計に気味が悪い。
「言ってない」
「吉城寺くん、怖い……さっきから何を言ってるの?」
「書いた。手紙に……受け取らなかったのか」
「受け取らなかったのか、って………どうやって出したの? 郵便?」
思い違いをしている。記憶違いを。そのような郵便物は届いていないし、吉城寺奏が住所を知るはずはない。個人情報が漏れているとでもいうのだろうか。
「………っ」
「身に覚え、なくて………っていうか多分、もらってないから……返事のしようもない、よ……?」
人が人に落胆する様を目の当たりにした。当事者であるにもかかわらず、他人事のように。形の良い眉が引き攣り、目が揺らぐ。
吉城寺奏は、渦織の肩を突き飛ばすように撥ねた。華奢な体躯の彼女は容易に後ろへよろめいた。
「嫌いだ、晶野なんか」
他者からの拒絶の言葉は、どのような間柄であっても多かれ少なかれ響くものだった。渦織は困惑しながら去っていく姿を凝らす。
花からしょぼしょぼ水が垂れていく。朝から不愉快だ。彼女は自身の落ち度を探してみた。だが手紙など受け取っていない。手紙とはなんだ。いつ手元に来るはずのものだったのか。覚えていない。知らない。そのようなものは存在すらしなかった。理不尽である。そして好かれていたらしいが、それが発覚した途端に嫌われた。彼女はどうすればいいのか分からなくなった。
「おは」
視界の端に塊が映り込む。萩窪霰が自転車で通りかかる。表校舎がわずかに日差しを遮って、不思議な薄明るさを作っている。青みを帯びた逆光のなかで、白い歯がやはり映える。
「おはよ、萩窪くん」
一瞬で渦織は表情を引き締めた。
「何かあったん?」
萩窪霰とは前年の球技大会から名を知り合い、すれ違えば挨拶をし合う程度の仲になっていた。そのために、彼が年柄年中へらへらしているのは知っていた。それが今、しかつめらしい顔をしている。
「何もないよ」
「そ? 腹痛そうだった」
渦織は首を振る。頭を傾げ、案じる眼差しに、一瞬締め上げられた心が締め上げられ過ぎて、しかしそれは温かいために、汁を滲み出しかねない。
「なんでもないよ。でも気にかけてくれてありがとね」
彼女は意味もなく、ありきたりな面構えとしかいいようのない、世辞ならばかっこいいとかろうじて言えるのかも知れない、しかし印象的なほど醜怪でもなく、特別感動するほど美醜のどちらに属すこともない平々凡々な顔を見つめてしまった。時間を忘れた。己の行動も認識していなかった。
「か~おりちゃん?」
反対側へ、こてんと首が傾く。あざとい。
「ごめんなさい、引き留めちゃって。じゃあね」
この年の球技大会では、渦織はバレーボールに参加したが3年B組は初戦敗退である。B組はどこも振るわなかった。ミニ野球が2回戦敗退、卓球とバドミントンが勝ち抜いているのみだった。だが卓球の行われている場所は狭かったし、バドミントンの会場もそう多く人は入れなかった。渦織はA組とC組の男子バスケットボールをギャラリーから見下ろした。昨年のMVP獲得者対決であった。A組の吉城寺奏とC組の萩窪霰が張り合っている。背丈では吉城寺のほうが高かった。だが俊敏さは微妙な差で萩窪が上回っているか。
【TL】イレイサーを山折り