『安井仲治 僕の大切な写真』展



 報道記者といった一部の者を除き、誰もがアマチュア写真家として活動していた大正期から、日本が太平洋戦争に突入する戦前の激動期を迎えて腎不全で亡くなるまでの間に関西を中心に活動していた安井仲治は関西の名門、「浪華写真倶楽部」での作品の発表などを通じて他のアマチュア写真家に多大な影響を与えた。
 その内実について現在、東京ステーションギャラリーで開催中の『安井仲治 僕の大切な写真』展では生前にプリントされ、戦災を免れた約140点に及ぶ写真作品(ヴィンテージプリント)の他に同じく現在も残されているネガ又は印画紙に原寸大で焼き付けたコンタクトプリントを調査し、新たに印刷した約60点の作品(モダンプリント)を通じて知ることができる。
 展示構成は安井仲治が写真家として抱いた技術的関心を彼が生きた時代の変遷と共に追える形になっており、ピグメント印画の豊かな味わいを堪能できる作品群から始まって「或る船員の像」に対して行われた大胆なトリミング、あるいは猿廻しという大道芸自体ではなく、それを眺める人々を撮影することで社会という観念的存在から滴り落ちる濃厚な果汁を掬い取った「眺める人々」に認められる慧眼の内幕といった興味深い項目をまじまじと検分できる面白さに満ちていた。
 他にも独逸国際移動写真展に影響を受けた頃の新興写真の表現や半静物、またはシュルレアリスムの文脈なしにはその表現の良さを知れない抽象的なイメージ表現の作品群も多くあって、その熱き探究心と衰え知らずの構図の巧さに舌を巻き、安井仲治という存在抜きに写真表現の現在は一語も語れないと深く納得する内容となっていた。写真に関して素人な筆者であってもそうだったのだから、普段カメラを手にする人であるならそれ以上の感動に涙が止まらないのでないかと冗談抜きに思える程だ。
 個人的に特に関心を持ったのは1936年撮影の、筆者の記憶違いでなければ女優を撮った一枚だという「女」という写真作品に添えられていた写真家の言葉。記憶の中にあるその発言の趣旨を記せば以下の通りになる。曰く、
「女優を撮るのは得意ではない。彼女たちは既に自分のイメージを作っていて、写真家が見出せるような余地を持たない。多人数で撮影するなら尚の事そうなってしまう。だからといって、一対一で撮影に臨めばこちらが先に照れてしまうんだ。やっぱり苦手だよ。」
 それまでに散々安井仲治という写真家の腕前を拝見していた一人として、随分と弱気に見える発言をするなぁと思い、どれどれと意地悪い気持ちで作品を観れば何の事はない、爽やかな夏の日差しを受けて、元気いっぱいに弾けた飛沫を身に纏う素敵な女性が一人、笑顔を浮かべて今も色褪せない動的な印象を残してしっかりと表現されていた。
 これのどこに苦手意識を抱いたというのだ?とんでもない作品表現になっているじゃないか!と我ながら不合理だと反省せざるを得ない怒りをその場で覚えつつ、その一枚に夢中になって、何度も戻って鑑賞し直したのだが安井仲治という写真家を「イメージを創る表現者」という風に素人発想で捉えてみると成程、先の「女」という一枚は確かに現実を超えてはいない。写真という機械で捉えた瞬間美に止まると理解することができる。政治デモの様子を捉えた「旗」や殺処分の運命を感じさせる「犬」といったリアリズムと評される写真群もそうだった。これらの写真表現の裏にあるのは社会的な意味であって、人間存在の根底に訴えかけるようなパワーがない。そう思うと、筆者自身は非常に苦手とするシュルレアリスムに近しい安井の写真作品が実に生き生きと見えてくる。展示会場の場では足早に過ぎた終盤のコーナーが写真家、安井忠治の真骨頂だったのだなと記憶の中で何度も反芻してしまう。「女」という一枚を真ん中に置いて見えてくる安井忠治が目指した高み、雲をも掴み取って形にしようとする美の真髄を強く意識してしまうのだ。
 同じように振り返ると戦時中に疎開した先で写し取った一枚、「月」に漲るものにも心を奪われる。花鳥風月について松尾芭蕉が言及した言葉を引用しつつも、安井なりの解釈を施した内容にある激情。時制の波に揉まれても人はその心にある全てを事象に込めることができるという趣旨の思いは、相変わらず巧みな構図で切り取られた月夜の晩の景色となって私たちの目に映り、時間と歴史の両輪が残す長い轍を超えてくる。その身体で構築された世界の中にあって、私たち人がどうしても殺せない心の動きはかくも雄弁に意味を語り、その合間に流れる無意味な調べに酔いしれる。そのどちらも疎かにしたくないのなら手段を手に取り、実行すべきだ。
 実直な表現者として安井仲治が踏み締めてきた偉大なる実践の道を思うと自然と眼差しは遠くなり、すぐにでもこの手を動かさざるを得ない。内燃機関と化した自分の心臓に耳を澄ませて、走り出したくなるのも必然なのだ。
 技術を究めて「人」を思い、世界の元で考えた写真家、安井仲治。その偉業を是非、東京ステーションギャラリーで目にして欲しい。

『安井仲治 僕の大切な写真』展

『安井仲治 僕の大切な写真』展

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-08

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