「死」の香り

 建物に入った途端、建物を満たしている匂いが、久しぶりに嗅ぐ匂いだと思った。この匂いは、葬式で嗅ぐ、あの匂いだった。この香りをかぐと、「死」という文字が僕の頭に浮かび上がる。「死」の香りだ。小さいときに葬式でこの匂いを嗅いで以来、この匂いの記憶が脳に焼き付いている。この匂いは、悲しみだとか、寂しさだとか、そういった人の感情を運んでいるように思える。一体、この匂いはなんの香りなのだろう。
 エレベーターで地下一階に行くと、そこは線香の香りに満ちていた。線香の香りは、死よりも「別れ」を僕に思わせる。悲しさと同時に、優しさを感じる。ここには僕の祖母の骨が埋まっている。僕は金色に輝く、美しい装飾に囲まれた仏像に行き、線香を立て、リンを鳴らした。リンの、重く、悲しい音は、世界を満たすように響き渡る。音は、丸を描くように揺れる。そうして少しずつ、この世界の隅々に染み込んでゆく。そんな中で僕は合掌し、祖母に語り掛けた。

「僕は、こんなに大きくなりました」

 リンの音は徐々に姿を消してゆく。ゆっくりと、消えてゆく。音の波が、儚く消えた。もう、音はない。リンの音が鳴っているときは、音が鳴っているのに、静かだ。
 僕はエレベーターに向かう中で、「死」とはなんだろうかと考えた。生物が、避けることができない、「死」。いつか、大切な誰かが、何かが、死んでゆく。「死」を迎えたとたん、なにもできなくなった「物」が、そこにある。もうそれは、誰かではない。一体、「死」とは、なんなんだ。

「死」の香り

「死」の香り

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-07

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