ドラゴン・ハーフ
プロローグ
ドラゴンの最初の出現は1999年の7月。
50m級の火竜がワシントンDCを蹂躙し、合衆国の首都は壊滅した。
ドラゴン災禍は世界中に及び、あっという間に人類を空前の危機に追いやった。
ドラゴンはどこにでも現れて破壊の限りをつくし、すさまじいスピードで成長し、人間に感染した。
ドラゴンに感染した人間はドラゴンになる。
人類の火器では歯が立たない頑丈さに加え、かすり傷でも致命傷になるのが、ドラゴンを最悪の災厄たらしめる所以だった。
ドラゴンの最初の出現から12年後、2011年。
14歳のデイビットは5つ年下の妹と共に、テキサスの親戚のところに疎開していた。
どこにでも現れるドラゴンから逃げることが可能なのか、当時から疑問視されてはいたものの、ドラゴンに工業地帯を破壊されたためインフラの復旧もままならず、殺伐としたワシントンにいるよりは、夏休みの間だけでものんびり過ごさせてやりたいという両親の意向だった。
実際二人が身を寄せた牧場は平和そのものだった。ドラゴンの話題が出るのは、牧場主である伯父がドラゴン災禍による物価の上昇に文句を言うときくらいで、甥姪かわいさで甘やかされた二人は、1日中、ドラゴンのことも忘れて牧場で遊び倒した。
だがそんな日々も長くは続かなかった。
デイビットがドラゴンの襲来を察したのは、牛にお気に入りの髪飾りを食べられて泣いてしまい、納屋に閉じこもった妹をなだめているその時だった。
小型の3m級ではありえない、それだけで納屋が倒壊してしまいそうな咆哮。
びっくりして泣き止んだヴィヴィアンを抱え、納屋にしまわれていたトラクターの下に押し込んだ次の瞬間、尾の一振りで納屋は吹き飛んだ。まるで藁で作った子豚の家のように。
腹を空かせたオオカミは、レンガの家に敗北し、鍋で煮られて倒された。だが現実は童話のようにはいかない。たとえ核を用いても、50m級のドラゴンを破壊したという実例はなかった。
尾がトラクターに当たらなかったのが不幸中の幸いだった。50m級のドラゴンの一撃は、オモチャのようにヴィヴィアンごとトラクターを転げ飛ばしただろう。
その視線にとらわれ、動くことも叫ぶこともできないデイビットたちを見下ろしていたのは、漆黒のドラゴンだった。
黒光りする鉱物をつなぎ合わせて作ったような外見。目は底光りする赤色で、知能があるのか、人間をどう思っているのかも、うかがえない。
まとめサイトでも見たことのない新種だったが、50m級の出現は、必ず都市の壊滅に結びついていた。
ヒューストンは滅びるだろう。12年前、ワシントンが滅ぼされたように。
だがもしこのブラック・ドラゴンが8キロ先のヒューストンにこのまま向かってくれれば、自分たちは助かる。デイビットは妹を背にかばいながらそんな算段をした。
伯父の家にはハリケーン対策の地下シェルターがあった。ヴィヴィアンを連れてなんとかそこまで逃げ切れれば――。
その時、空気を切り裂く轟音とともに、戦闘機が飛来し、ドラゴンを攻撃した。だが最新鋭のミサイルはドラゴンの体に傷一つつけることもできず、爆風だけをむなしくまき散らす。
しかし非力な攻撃も、ドラゴンを怒らせるには十分だった。
怒りに満ちた咆哮をあげて、漆黒のドラゴンは小うるさい戦闘機をハエでも払うかのように、尻尾でたたき落とす。
「ヴィヴィ、逃げるよ……!」
あまりの恐怖で泣き叫ぶこともできずにいた9歳の妹をトラクターの下から引っ張り出すと、デイビットはそのままヴィヴィアンを抱えて母屋まで全速力で走った。
戦闘機をたたき落としたドラゴンの尻尾が、勢い余ってデイビットたちに迫る。とっさに妹を突き飛ばして庇い、デイビット自身は地面に伏せた。背中を、堅いドラゴンの尾がかすめていったのがわかった。
ヴィヴィアンが泣き叫ぶ。
ドラゴンにやられた傷から、徐々にデイビットの体に黒い鉱物に似た鱗が広がっていく。
ドラゴン化だ。
背中から広がった変貌は、あっという間にデイビットを飲み込んでいき、視界に映る自分の手すら、醜いかぎ爪に替わって行く。
「ヴィヴィ、逃げろ……っ」
罰が当たったのだと思った。
都市を襲いに行ってくれれば、助かるなんて考えたから。
だから死ぬのは仕方ないと思えた。だがこのままドラゴン化してしまえば、きっとヴィヴィアンを襲ってしまうだろう。
デイビットは妹を追い払おうとしたが、泣きじゃくって彼女は兄にしがみつく。
意識が朦朧としてきた。
それは柔らかな布団にくるまった時の眠気にも似た、抗いがたいものだったが、デイビットは必死で抵抗した。
(ドラゴンになんかなるもんか……!)
ヴィヴィアンの泣き声が自分をとどめてくれる気がした。ドラゴンになんかなったら、彼女はもっと泣いてしまう。
ドラゴンに感染しながら、ドラゴンにならない方法がひとつだけあった。
それが半竜化。
幸運にもデイビットは生き延び、ブラック・ドラゴンはヒューストンを壊滅させて姿を消した。
そして翌年。ドラゴンに対するもっとも有用な兵器として、ドラグナーの実戦投入が始まった。
第一章 ドラゴン・ハント 1
2016年5月。ニューヨーク、マンハッタン。
「42番街まで突破された! ドラゴンは依然ウォール街を北上中! 3m級が確認できる限り5匹!」
「パインストリートより北はまだ避難が完了していない! ドラグナーが来るまで最終防衛ラインは死守しろ!」
「22番街の感染者2名、ドラゴン化を確認! トリニティ教会方面へ直走! トリニティ教会には数名の逃げ遅れがいるとの情報あり!」
「食い止めろ! 教会へは人員を派遣する!」
「ドラグナーはまだか!」
錯そうする無線の情報は、まるで地獄を実況しているようだった。
避難が完了し、ひと気のないビル群の間を、3m級のドラゴンが時速50kmの速さで疾走する。
もっとも出現の多い3m級のドラゴンは、白亜紀の恐竜、ディノニクスに似ている。
二足歩行で長い尾をもち、性格は凶暴で獰猛。目に付くものをとりあえず襲いつくし、土やコンクリートを食べて成長する。
ドラゴンは生き物ではなかった。もっとも端的に言って、金属生命を模した兵器。人間を襲っても消化する器官さえない。
ドラゴンがどこから何のためにやってくるのかは不明だが、その弱点は徐々に解明されつつあった。
「トリニティ教会方面へ向かう2匹を確認! 電気銃で足止めを試みます、撃て!」
ウォール街に建ち並ぶビル群の屋上から狙いを定め、州兵は対ドラゴン用に開発された、とびきり電圧の高い電気銃を撃った。
ワイヤー針を必要としない電源内蔵型の弾丸は見事ドラゴンに命中し、悲鳴を上げて怪物は倒れる。
ドラゴンの皮膚は固く、衝撃にも熱にも強いが、精密機械なので電気に弱い。しかし完全に行動不能にできるほどの電圧を俊敏に動き回るドラゴンに加えることはできず、現行の電気銃ではせいぜい20~30秒の足止めが精いっぱいだった。
しびれから回復したドラゴンは起き上がり、怒り狂って州兵のいるビルに突進した。幸い垂直なビルの壁を登ることはできず、樹上に逃げた獲物に吠え立てる犬のようになる。
かすり傷でさえ感染につながるドラゴンを相手にするときは、とにかく距離をとることが大切だった。
ドラゴンの脳とも呼べる演算処理装置は額から三日月形に透けて見える角に集中している。ドラゴンの皮膚は固いが、最大の弱点であるホーンだけは通常のライフルで撃ちぬくことができる。
手のひらサイズの弱点も、上方に向かって頭を向けていれば狙うのはたやすかった。
「――一匹破壊。停止を確認しました」
地面に転がったドラゴンを見て、もう一匹は逆上した。ドラゴンに感情があるのかは不明だが、少なくともそれを見ていた人間たちにはそう見えた。
一瞬の動揺が命取りになるのがドラゴン・ハントだ。スナイパーは残ったドラゴンのホーンを狙ったが、わずかに速くドラゴンは動き、弾はそれた。
「ダメだ、ビルの中に入った!」
「まさか上ってくる気か!?」
州兵たちはとっさに屋上につながる唯一の階段を振り返ったが、すぐに思い直した。
小回りの利く3m級といえど、人間用の階段は狭すぎる。途中で身動きが取れなくなるのがオチだろう。
姿の見えない不気味な怪物の行動に緊張が走る。
ドラゴンが何を始めたのかはすぐにわかった。
ビルが地震でもないのに揺れ始めたのだ。
「柱を食ってるな。ビルを壊す気か?」
「念のため隣のビルに移ろう。ハシゴがあったな?」
「――いや、ムダだ」
身を乗り出してドラゴンが消えた地上を見ていたひとりがつぶやいた。
直後、空につんざくほどの咆哮がとどろき、ビルを内部から破壊してドラゴンが出てきた。
20m級に成長したドラゴンは、その特徴として背に皮膜を生やし、飛行を可能にする。
「退避、退避、退避!!」
細い胴体が三倍に膨らむほど空気を吸い込み、戦場において有利となる上方を奪取したドラゴンは、散弾のようにコンクリート片を吐き出した。
石の散弾は人間の体など紙くずのようにちぎった。
動く者がいなくなると、20m級のドラゴンは勝利の咆哮を上げ、トリニテイ教会へ向けて再び飛び立った。
ドラゴン・ハント 2
「……いい知らせと悪い知らせだ」
トリニティ教会に派遣された州兵は二人。いずれもまだ若い、10代から20代の青年だった。
「いい知らせから」
避難中に親からはぐれ、教会に隠れていた子供たちを、若いほうの州兵、ターナーは気遣った。
「こっちに向かっていた2匹のドラゴンの内、一匹が倒された」
年上の州兵、パーシヴァルは普段のおちゃらけた態度をひそめて、しごく真面目な顔で言う。
緊張と恐怖でこわばっていた幼い姉弟の表情がほんの少し和らいだ。
だがパーシヴァルの様子から、悪い知らせがその嬉しいニュースを塗りつぶしてしまうものだとターナーは察した。
できれば子供たちには聞かせたくない類のものだと。
「悪いニュースは? 渋滞で補給部隊が遅れそうだとか?」
慣れないジョークを飛ばすと、意図を察してぎこちなくパーシヴァルも笑った。
「そんなところだ。飯にありつけるまでもうしばらくかかるな」
「ぼくがまんできるよ!」
恐怖を打ち消すように大きな声で叫んだ弟を、姉である少女がたしなめる。
今度は自然に笑いながら、パーシヴァルは少年の頭を乱暴になでた。
「そうかそうか、偉いな。じゃあ炊き出しがカレーだったら、オレに半分くれるか?」
「えー、それはダメだよぅ」
「カレーうまいもんなぁ。よし、最後まで泣かずにいられたら、おかわりできるように係りの人に頼んでやるからな。がんばれるか?」
「ぼくできるよ!」
「よしよし、お姉ちゃんは?」
「で、できます!」
「二人ともいい子だ。兄ちゃんたちが守ってやるから、隅っこのほうでじっとしてるんだぞ」
聞き分けよく子供たちはうなずき、礼拝堂の隅で互いをかばい合うようにして座り込んだ。
無線を受け取り、入り口近くで外を警戒していたターナーは、戻ってきたパーシヴァルに尋ねる。
「本当の悪いニュースは?」
「無線で言ってねぇか?」
「一部隊がやられて、20m級がこっちに向かって来ていることくらいですかね」
「それだよ、まさしく。気絶したいくらい悪いニュースだろ」
3m級ならともかく、比翼を獲得した20m級のホーンを破壊することは格段に難しい。
「ガキ共を移すか? 今ならまだ、ドラゴンが来る前に地下のある建物に――」
「リスクは大きいと思いますよ。移動中にドラゴンに見つかったらアウトだ。周りは墓地で、遮蔽物も少ない。上空のドラゴンからは丸見えになります」
「ここで指くわえて、ドラゴンが『こんにちは、お邪魔します』ってやって来るのを待つしかないってか?」
自分で言っていて嫌になったのか、パーシヴァルは顔をしかめた。
ブリーチを繰り返して痛んだ髪に、誠実さに欠けるたれ目がちな瞳が特徴の三枚目。普通に立っていても不思議と軽薄な印象がある男で、よく言えば社交的、悪く言えば不真面目な雰囲気がある。
「逆ですよ。20m級に成長したなら、むしろ地面をトコトコ歩いて、入り口から入ってくる危険性は減ったわけです」
パーシヴァルとは対照的に、まだ十代の若い州兵は真面目さと誠実さを感じさせる、黒髪と黒い瞳の持ち主だった。
ターナーのドラゴンに関する知識はパーシヴァルも認めているようで、一考してうなる。
「ドラグナーが来るまで、おとなしくしてたほうが賢明か」
「後半は同感ですけど前半には反対ですね。多忙なドラグナーを待っていても仕方がない。20m級は俺が倒します」
パーシヴァルは絶句した。こいつは頭がおかしいのかと本気で疑った。
冷静に振る舞っているが、この後輩は実はドラゴンへの恐怖で頭がおかしくなっているに違いない。
「どうやって……?」
「鐘楼からホーンを狙撃します。ここに向かっているなら20m級でもなんとか狙いはつけられるでしょう」
「ものすごく狙撃がうまい奴に、とびきりの幸運が味方についてたらな。おまえじゃ無理だろ。幸運はともかく、射撃がヘタすぎる」
きわめて真面目に、ターナーはパーシヴァルの忠告を聞こえなかったことにした。
無言で鐘楼に続く階段へ向かおうとする。
「待て待て待て、先輩の言うことは聞いとけ。何ならおまえの分もカレーのおかわりを頼んでもいい。現実を受け入れろ、おまえの射撃の腕は壊滅的だ。なんでそんなにヘタクソなのか不思議なくらいだ。やるならオレがやるから、おまえはここでガキ共の面倒見てろ」
ターナーが勇気ある先輩をたたえる前に、子供たちの声にならない悲鳴が上がった。
二人は反射的に祭壇の上――大きなステンドグラスを見上げ、状況を理解して子供たちに飛びついた。
ステンドグラスに映った影――20m級ドラゴンは次の瞬間にはガラスを破って礼拝堂に飛び込んできた。
飛び散ったガラスが雨のように人間たちに降りかかる。
「向こうから来てくれましたよ」
「喜べってか! そんなドMに見えるかオレが! だいたい空飛ぶドラゴンは地上には目もくれないんじゃなかったのか!!」
子供たちをガラスからかばった兵士たちは嘆いた。
「きらきら綺麗なガラスも考え物ですね」
「カラスかよ! ガキ共連れて、外に逃げろ!」
「了解」
身をひるがえすと、パーシヴァルはありったけの弾薬をドラゴンに浴びせかけた。
ターナーは子供たち二人をうながし、外へつながる扉へ一目散に向かう。
20m級のドラゴンには通常の火器はほとんど通用しない。せいぜい注意を引くのが精一杯だ。
「これでも食ってろ!」
手榴弾をドラゴンの口の中に放り込んで、パーシヴァルも脱兎ごとく逃げ出した。それこそ子供たちを置き去りにするくらいの全力疾走で。
「急げ急げ急げ急げ!!」
子供のスピードに合わせてられないので小さいほう(弟)を荷物のように抱え上げて外まで全力で走った。
後輩に大きいほう(姉)を押し付けてしまったことに気づいたが、あいつのほうが身長はあるし、力もあるし、大丈夫だろうと思い込むことにする。
案の定、平気な顔して姉のほうをおんぶしながら追ってきた。それどころかあっさりと追いつかれる。先輩としての威厳が装備として圧倒的に不足してる気がする。
「どこに向かってるんですか!?」
「さあ、ドラゴンのいないとこだよ!」
偉人たちの小さいな墓地を走り抜けて、とりあえず近くのビルを目標に据えた。後ろからドラゴンの咆哮が追いかけてきてちびりそうなくらい怖い。
とにかく早くビルに滑り込もうと思っていたら、後ろから強い力で引き倒されて、抱えていた子供ごと地面に転がった。
「なにす――」
跳ね起きると同時に、20m級ドラゴンがその鋭利な爪でターナーをひっかけた。
いつの間にか姉のほうはパーシヴァルと同じように少し離れた地面に転がっている。
近づいてくるドラゴンに気づき、とっさに彼はおぶっていた子供を放り出して、パーシヴァルの襟首をつかみ、ぶん投げたのだ。――自分を犠牲にして。
「おいバカ、何考えてんだよ!?」
最悪の結末がパーシヴァルの頭をかすめた。
ドラゴン化――。ターナーはドラゴンの爪で胸から肩までをざっくりと切り裂かれていた。相当出血もしており、感染はもう避けられない。
この場合、パーシヴァルの義務は速やかにターナーの脳を破壊することだった。
ドラゴンを制御する演算装置は人間の脳をベースに形成される。傷口から感染したドラゴン・セルが宿主を乗っ取り、生体部品として大部分を流用することでドラゴン化は完了するからだ。
脳さえ破壊してしまえばとりあえず感染してもドラゴン化は防げる。
(落ち着け。感染してもみんながドラゴン化するわけじゃない。たまに運よくドラゴン・セルが脳を乗っ取り損ねて生き延びる奴だっている。そいつらがドラグナーになるんだから)
「……なにぼーっとしてるんですか。早く逃げてください。ドラゴンがまた戻ってきますよ」
ハンドガンを握りしめて葛藤しているパーシヴァルに、地面に倒れこんだターナーは辛辣だった。
「おまえ意識あるのかよ! いや、そのまま頑張れ! 寝るな!」
「俺のことはいいですから――」
最悪のタイミングでドラゴンは戻ってきた。
それも20m級が二匹。前後で挟まれ、もはやパーシヴァルはターナーのドラゴン化を気にしている場合ではなくなった。
さすがにこれは死亡確定だと覚悟した時――何かよくわからない緑色の塊が、ドラゴンにぶつかった。
ちょうど投石器で投擲されたような感じで、ぶつかったドラゴンは空中で大きくよろめく。
くるりと回って体勢を立て直したその塊は、パーシヴァルたちがいるところへ落ちてきて、慌てて彼らがどいたスペースに着地すると、怒鳴った。
「うろちょろしないで、邪魔よ!」
それはかろうじて人型をしていた。原型がなんとなくわかる、という程度には。
彼女がまとっていたのは翡翠色の甲冑だった。よく見るとそれは鱗でできており、資料でしか見たことのない、50m級のドラゴンの外見をほうふつとさせる。
鎧は継ぎ目がなく、彼女自身と一体化していて、排気筒のようなあちこちの管から、絶えず空気を吸い込み、吐き出していた。
「あんた……ドラグナー?」
「見ればわかるでしょ。それより早く子供たち連れて移動しなさい。邪魔だから」
ドラグナーはそっけなかった。年齢は20中頃。銀髪の髪を伸ばしたなかなかの美女だった。鱗がなければナンパしたい。
「シャロン・ストレイズ……」
人名らしき単語に、ちらりと彼女は地面に倒れたターナーを見やった。
「……その傷、ドラゴンにやられたの?」
「俺らをかばったんだ」
ターナーの代わりにパーシヴァルが答える。
「軍人ならいつでも脳を破壊できるように銃をちゃんと向けときなさい。10分持ちこたえられたら望みはあるわ。いいドラグナーになれるわよ」
喋りながら、ドラグナーは20m級ドラゴンが吐き出した石の散弾を、手の平にあいた排気口から吐き出した空気で弾き飛ばした。
同様に足からコンクリートを割るほどの圧縮空気を撃ちだし、一気に飛び上がるとドラゴンに肉薄する。肘からの排気で加速させた拳で、額のホーンを貫き、落ちる巨体を蹴ってもう一匹に飛びつく。
「子供たちをビルの中に。まれに、死んだドラゴンからも感染することがありますから」
「あ、ああ……」
ひどい傷なのにターナーは自力で起き上がって移動した。傷を心配するパーシヴァルに、「念のため俺の血には触らないほうがいいですよ」と忠告する冷静っぷりだ。
ハンドガンを握りしめつつ、パーシヴァルは困惑した。
「おまえ本当に感染してんの?」
そういえば、という感じでターナーは言い切った。
「俺はドラゴン化しませんよ」
「はあ?」
避難して安全が確保されたこともあってパーシヴァルはつい頓狂な声を上げた。
「なにそのうらやましい体」
「いや、ちょっと事情があって」
「……あのドラグナーの姉ちゃんも知り合い?」
「知らないんですか?」
まさか大統領? ターナーの驚きようはそんな感じだった。
「シャロン・ストレイズ。風竜のドラグナーで、D.E.O.のエースですよ」
D.E.O.は竜殲滅機関 略称だ。対ドラゴンのために結成された、世界機関。
「……つまり?」
「最強のドラグナーと言っていいでしょうね。コリン・マイルズと並んで、世界で一番有名なドラグナーだと思いますよ」
「誰そのコリンって」
「シャロンのキーパー。ドラグナーはドラゴン化率を管理するキーパーと二人で一組じゃないですか。今も多分、近くにいると思いますけど」
どのへんかな、とターナーは完全に興味本位であちこち見回している。
当たり前のように話す知識はまったく一般的ではないとパーシヴァルは言いたかったが、本人の言うとおりドラゴン化の兆候がまったくないのでとりあえず黙っておくことにした。せっかくのところ水を差すのは気が引ける。
ドラグナー・シャロンは2匹の20m級をすでに破壊し終わり、こちらをちらりと一瞥すると、小さな3m級の掃討に向かった。
子供二人と、ケガはしているがドラゴン化の兆候もなくピンピンしている後輩がひとり。どうやら、生き延びられたようだった。
第二章 ドラグナー 1
ドラグナーの実戦投入が始まったのは2012年。たった4年前だ。しかし今では、もっとも有効な対ドラゴン兵器として期待されている。
1999年の出現以来、ドラゴン討伐は世界の悲願だった。
ドラゴンは現れる場所を選ばず、時を選ばず、どこからともなく現れては、人を町を、国を、手当たり次第に襲いつくす。この17年間で世界の人口は20%減少し、ドラゴン問題を解決しなければ人類滅亡も秒読みだった。
ドラグナーはもともと、ドラゴン感染者の治療実験で副産物的に生み出されたものだった。
ドラゴン研究は大きく分けて、ドラゴンを倒すこと、ドラゴン化を防ぐこと、ドラゴン化した人間を治すことをそれぞれ軸にしている。
三つ目における最大の患者がドラゴン感染者――ドラゴンに感染してもドラゴン化を免れた、稀有な罹患者たちだった。
ドラゴン化は、ドラゴンの最小単位であるドラゴン・セルが、傷口を介して人間に感染することで発症する。ドラゴン・セルと名付けられたこのナノマシンは、感染の段階では自己増殖機能を発揮せず、ウィルスのように宿主の代謝系を利用して爆発的に増加、使えるパーツを使い倒して脳を核とした司令塔、ホーンを完成させると、あらゆるものを捕食して分解し、身体強化と増量のために自己増殖するようになる。
ドラゴン感染者は、手遅れになるまえに免疫系がドラゴン・セルに対応し、生き延びた者たちだった。
ただしドラゴン・セルを駆逐するには至らず、彼らは必然的に持続感染者となる。ドラゴン・セルは免疫系に邪魔されようと、常に増殖に努めようとするので、体の一部がドラゴン化したり、暴走に悩まされることになる。
そこで人工のホーンを患者に埋め込み、ドラゴン・セルをコントロールしようと試みたのが「ドラグナー理論」だった。
完治ではなく、ドラゴン・セルとの共存を前提にした、人とドラゴンの安定した融合化。その中で、人工ホーンを使ってドラゴン化率を操り、ドラゴンに負けない兵士を作るという構想が生まれ、成功した。
それが今のドラグナーに続いている。
ドラゴンに傷を負わされたターナーは、一般の病院ではなく、D.E.O.の関連施設に送られた。本人はツバでもつけとけば治ると最初はかたくなに言い張ったが、周りの大騒ぎにげんなりして今はおとなしく車に乗っている。
そして『ドラゴン化したらどうするんですか。責任取ってください』というよくわからない理屈で、要はドラゴン化したときに速やかに殺せるよう、頭に銃を突き付けといてくれと、パーシヴァルも同じ車に乗せられていた。
自分はドラゴン化しないとは、もう彼は言い張らなかった。
ただ憂鬱そうに、D.E.O.のNY本部に向かっている。
ドラゴンの研究機関は世界各国にあるが、D.E.O.が発足したのはドラゴンの最初の出現から時間が経った後だった。はじめ、ドラゴン災禍は一過性のものにすぎず、ワシントンに現れた一匹を倒せば終わるだろうと考えられていたのだ。
しかし最初の出現以来、海を越えて、山を越えて、砂漠を越えて、あらゆる都市にドラゴンは現れるようになり、自分には関係がないと思っていた国々も、慌てて対策に乗り出したというのが実情である。
その後、ようやくドラゴンは世界共通の敵であると認識され、個々のドラゴン研究所で情報を独占しないよう、D.E.O.を発足させて、すべての調査・研究機関はこれに加盟、情報を共有するようになった。
統括機関はあるが、権限はあまり持たず、縦の命令系統は持たない。しかしNYの研究所が「ドラグナー理論」を最初に提唱・成功させたため、今ではD.E.O.の中でも世界的な権威として知られ、合衆国の中では、本部と呼ばれる地位を築くに至っている。
もともと合衆国ではドラゴン研究所はすべて軍属だった。研究所から生まれたドラグナーも、その経緯と兵器としての活用性の高さから、軍が一括して管理している。
いわば兵器生産拠点でもあるので、テロの標的としても狙われやすく、警備は厳重で、パーシヴァルも入念なボディチェックを受けた。
「いや……けが人をいちいちボディチェックしてどうすんの?」
中に通されたものの、釈然とせずにパーシヴァルはぼやいた。
「死にそうな感染者ならもちろん急患としてすぐに処置室に運びますよ」
当のけが人は自分で歩いているし、裂かれた衣服と出血の跡がなければケガをしていることさえ確かに忘れそうだ。
「つーかおまえ、痛くないの?」
「もう痛くないです。できればこのまま帰りたいんですが」
「なんで?」
「……ちょっと見つかると面倒な人が」
処置室に通され、医者が来たが、かなり困惑顔だった。
「それで今日はどうしたんですか、ターナーさん。定期検査には早いですが」
「ケガをしたんで行けと言われたんですが、もう治りました。お手数かけてすみません」
「いや治るわけねぇだろ。ドラゴンにやられたのに」
一応診ておくかという様子で医者は上着を脱ぐように言ったが、確かにそこに傷は見当たらなかった。
「はあ!? おまえ服に血のり仕込んでたのか!?」
「いや、ケガはしてましたよ。もう治っただけで」
「ふざけ――」
怒鳴りつけるのを遮って、勢いよくドアを開け、乱入者が入ってきた。
銀髪のロングヘアーの美人。よく見るとドラグナーのシャロンだった。鱗がないので誰かと思った。
彼女はターナーの最後のシャツをはぎ取り、上半身を裸にさせる。
「すげぇ。最近の痴漢ってこんなに大胆なのか」
あっけにとられて思わずつぶやくと、パーシヴァルは睨まれた。アマゾネスのように怖い。
「やっぱり! おかしいと思ったわ、あんたデイビット・ターナーね!? この世で一人の重竜感染者!」
話が見えずにパーシヴァルは困惑した。
「俺の後輩がなんだって?」
「だからドラグナーよ! 重竜のホーン解析が成功したって話は聞いてないのに……そもそも安定化してるなら、なんで州兵なんかやってるのよ!」
話は見えなかったがひとつだけパーシヴァルにも理解できた。
シャロンが服をむしりとったことで、うなじの後ろに逆さ三日月状の機械が埋め込まれているのが見えたのだ。彼女がそれで確信を得たように、それが話に聞くドラグナーの人工ホーンなのだろう。
つまり初めから、デイビット・ターナーは感染していたのだ。
「ちょっと待て、じゃあおまえもこっちのお姉さんみたいに変身できたわけ?」
何のために無意味な重火器振り回してドラゴン相手に戦っていたのやら。そんな真似ができたならもっと早く助けてほしかったところだ。
だが憮然とデイビットは否定した。
「それができれば苦労しませんよ」
「……実戦投入できるドラグナーをひとり作り上げるのはかなりの労力なんだ。最大のネックは種別ごとにまったく進捗率の違う、ホーン解析。まして重竜の出現は2011年に一度だけで、破壊もできずに消えたからサンプルもない。おまけに1都市を壊滅させておきながら、ドラゴン感染者はひとりだけ――まあ、ヒューストンにグランドキャニオンを作るような50m級に接触して生き延びるほうがどうかしてるけど。……こんな条件でそいつをドラグナーにできたらそいつは宇宙人だよ」
「……あんた誰?」
妙に偉そうな黒髪のティーンエイジャーは、腕組みしてドアに寄りかかっていた。ものすごく頭はよさそうだが、たいていの人間をバカにしてそうで、協調性のかけらも感じられない。あと伸びた前髪がかなりうっとうしい。
「コリン・マイルズ。あたしのキーパーよ」
ざっくりとシャロンが説明する。どうやら本人には自己紹介する気もないらしい。
「ドラゴン研究者としてもお噂はかねがね。お会いできて光栄です」
自分より年下の偉ぶった少年にも、デイビットはにこにこと笑いかけた。この後輩もなかなか得体が知れなくて怖い。
丁寧な態度は逆にバカにされていると思ったようで、顔をしかめて、コリンはデイビットを上から下まで値踏みした。
「こっちも浮気は聞いてるよ、重竜の感染者。試作ホーンの調整中に暴走して、どういうわけか安定しちゃった奇跡のドラグナーだってね」
「そんな噂になってるとは。俺の功績はなにひとつないので照れますね」
「……安定はしたけど原理はまったくの不明。人工ホーンはうんともすんとも言わず、かといって外せば暴走確実でうかつに手が付けられない。当然ドラグナーにもなれるわけがない」
「ドラゴン化はしないし、DC《ドラゴン・セル》のおかげで傷の治りは早いし、むしろいいとこだらけで困りますよね。申し訳ないからこうして、州兵になんかなってみたんですが」
ヘラヘラと笑うデイビットが、コリンはかなり気に食わないらしい。なんとなく気持ちはわかるが。
だがデイビット自身には、どこにコリンが腹を立てているのか、もっとよく理解できるらしい。
「もし、俺の身に何が起きたのか解明し、ドラゴンと戦えるようにできるなら、いくらでもモルモットにして構いませんよ」
デイビットはどうやら真剣だった。ドMらしい。
それはさておき、まだ解明されていない難病患者が、ある日奇跡としか言いようのない回復を遂げて完治したら、関係者は喜ぶよりもこうして気味悪がるものなのだろうか。まして同じ病に苦しんでいる人間が大勢いるなら、わけのわからない奇跡で治ってしまった当人も、気が重いのかもしれない。
「……やめとくよ。どうせあの女が散々いじくりまわしたんだろ」
「まあ、ひととおりは」
「それに僕は、じゃじゃ馬ひとりで手一杯だから」
とうのじゃじゃ馬・シャロンは、険しい表情で廊下のほうを睨みつけている。そして唐突に発言した。
「くさい」
デイビットとコリンが同時にパーシヴァルを見た。失礼な連中だ。
「まだ加齢臭に悩まされる年じゃない」
「いや口臭かもしれませんし」
「腋臭や足の臭いってこともある」
「嫌な女の臭いがするわ。もう! コリンがあんな女の話題を出したせいよ」
心底いやそうにシャロンは窓に向かい、換気するのかと思いきや、そのまま身を乗り出した。
「いや、二階だろここ」
都合よく大樹の枝が伸びていて乗り移れるとか、そういう状況にはない。
「シャロン、ドラゴン化はほいほいできるようなものじゃないよ。記録も残るし、実践と訓練以外で起動したら、あとあと面倒――」
「じゃあコリンはドアから出ていくといいわ。あの女と鉢合わせなんてあたしはまっぴら!」
「……同感だ」
手のひらサイズの液晶型機械を取り出すと、コリンは音声認識で人工ホーンの制御装置を操作した。
「キーパー認証。脚部限定、ドラゴン・セル起動。ドラゴン化率:10%以下」
シャロンの足から、あの翡翠色の鱗が飛び出す。一度その戦闘体形を見ているとはいえ、人間の異形化というものは、目の当たりにするとぎょっとするものがあった。
「悪いけど、失礼するわ。……なんか結局何しに来たんだっけ? ま、仲間の顔が見れてよかったわ。人工ホーンの制御がうまくいく日がくるといいわね。あなたがドラグナー仲間だったら、心強いもの」
苦笑してディビットは手を振っている。
小柄なキーパーの体を抱きかかえると、シャロンは躊躇なく窓から飛び降りた。
そしてほぼ同じタイミングで、それまで黙っていた医者さえもがこそこそと逃げ出す。
「……何が来襲するって?」
ようやくその存在を思い出したとばかりに、「あ」とデイビットは間の抜けた顔をする。
「先輩……ここにいると巻き込まれるかもしれません」
「はい?」
何か外が騒がしくなったな、と思った瞬間、ドアを破壊する勢いで女王が怒鳴り込んできた。
「デイビット・ターナーぁ!! 私に黙ってずいぶん勝手な真似をしてくれたみたいね!?」
最近の女ってみんなこうなのだろうか。年下の可愛いタイプが好きなパーシヴァルは現実に打ちのめされそうだった。
二十歳そこそこの娘が、白衣にヒールの高いボンテージブーツを履いて、首輪をつけられた小柄な少年を鎖で引っ張ってきたらドラゴンが現れなくても世界はだいぶ末期だと思う。
「おまえご主人様はもうちょっと選べよ……」
「断じてそういう関係じゃありません」
「2、3回体をいじくり回すだけじゃ足りなかった? DCキャリアが何を考えて州兵なんかやり始めたのよ」
ん? 怒らないから言ってごらん? 女王は微笑んで尋問したが、目は笑ってなかった。目が脱走を企てたモルモットを見るそれだ。
「日常生活に問題はないと言われたので」
「筋肉バカにもわかるように端的に言うと、入隊して人間の分際でドラゴン退治に参加することをフツーは日常生活とは言わないのよ」
「すみません、以後気を付けます」
にっこり笑ってデイビットは謝罪した。
短い付き合いだがパーシヴァルもようやくこの後輩の性格を理解し始めていた。とりあえず笑顔でごり押しが基本スタイルの強情石頭だ。態度は慇懃でも謝意はゼロだろう。
その瞬間、女王の顔から貼り付けた笑顔すら消えた。
彼女は白衣のポケットから小型の拳銃を取り出すと、ためらいもなくデイビットを撃つ。それも何発も。
「おい! あんた何考えてんだ!?」
「人間は黙ってなさい」
乱暴に鎖を引かれ、一言も口を利かずに引きずられるままだった少年が、女を取り押さえようとしたパーシヴァルを拘束した。
小柄で細い少年なのに、軍で鍛えているパーシヴァルが全力で抗ってもびくともしない。
「……リカには逆らわないほうがいい。生き物はみんな自分のモルモットだと思ってるから」
忠告するするように少年はパーシヴァルの耳元でささやいた。
「ふざけんな! 何様のつもりだよ!? こんなことしてただで済むと思ってんのか!?」
「思ってるわよ。私はドラグナーを一から作り上げた超天才。人工ホーンの基礎理論も、ドラゴン・セルの治療転用実験成功も、ドラグナーの実戦投入も、みんな私の功績。ドラゴン災禍が続く限り、誰が私を罰せられるというの?」
いかれてる。完全にマッド・サイエンティストだ。
「勘弁してもらえませんか、リカ。ドラゴン・セルのおかげで治りが早いとはいえ、ドラグナーだって撃たれれば痛いし、何より血で汚れるじゃないですか」
撃たれて倒れたくせに、起き上がってまだヘラヘラ笑うこの後輩もそうとう頭がおかしかった。おまえらみんな気が違ってやがると叫びたい。
治癒が始まったばかりの傷口を踏みつけて、自称超天才はせせら笑った。
「甘ったれたこと言ってるんじゃないわ。痛覚の切り方は教えたはずよ。撃たれた時、とっさに人工ホーンをかばったわね? 拳銃程度じゃそれでいいでしょうが、20m級以上のドラゴン・ブレスなら? ――多少頑丈なあんたの体でも紙切れ同前、人工ホーンにちょっとでも傷がつけば暴走してドラゴン化、被害はさらに拡大。あんたのやってることは偽善だわ」
デイビットは反論しなかった。マッドサイエンティストのドラゴン研究者・リカは畳み掛ける。
「ドラゴン・セルは安定してるのに、ドラグナーとして仲間と一緒に戦えないのが悔しい? ドラゴン被害は続くのに、感染してもドラゴン化しない自分が何もしないなんて卑怯だと思った? それとも自分みたいなドラゴン被害者をもう出したくないっていう正義感? くっだらないわ、あんたはしょせん、要経過観察のモルモットにすぎないの。その体を刻みまくって調べても、どうしてドラゴン・セルが安定化したのかはわからなかった。とりあえずこれ以上は調べようもないから家に帰したけど、貴重なサンプルに自己満足で勝手に死なれちゃ困るのよ」
「……人は死にますよ、リカ。ドラグナーも、感染者も。きょうび、ドラゴンはどこに現れるかわからず、いつ感染してドラゴン化してもおかしくない。平和な日常なんて、初めてドラゴンが出現したあの日から世界のどこにもないのに、戦わなくてどうするんですか? 俺の安定化は奇跡だったと何度も言われました。時には妬まれることもあったけど、あなたにさえ理由のわからないこの恩恵を、俺は誰にも分け与えられない。ならせめて、できることをしたいんです」
あきれ果てるくらいの大馬鹿だった。そんなきれいごとで世界は変わったりしない。現にデイビットはドラゴンの一匹も倒せず、せいぜい身代わりにやられて痛い思いをして、ドラグナー・シャロンが来るまでの時間稼ぎさえおぼつかなかった。
だがなぜか、家族を亡くした時のことを思い出して久しぶりに胸が痛んだ。
舌打ちしてリカも距離を取り、心底忌々しげに吐き捨てる。
「あんたのやり口は陰険そのものだわ。そのきれいな顔で希望をはいてりゃなんでも誤魔化せると思ってるんじゃないわよ」
「顔は単なる母譲りです」
死ねばいいのにこいつ。二目と見られないくらい、ひどい形相にドラゴン化してしまえばいい。
「黙れ、イケメン(罵り言葉になってない)。あんた安定化に何か心当たりがあるでしょう」
「妹が差し入れてくれたお菓子ですかね、やっぱり。こっそり食べちゃったんですが」
「あんまり私を舐めんじゃないわよ。またバラバラに解剖されたいの?」
苦笑しながらデイビットは無抵抗でいる。ドMの性癖はノーマルには理解しがたい。
リカの顔は怒りで引きつっていた。むしろマッドサイエンティストの気持ちのほうがよくわかるなんて、心情的には複雑だ。
「……そう、じゃあ、とりあえずまだ半分弾が残ってるから、耐久テストしてみる?」
本当にリボルバーの撃鉄を起こしたので、いい加減頭に来て、パーシヴァルは少年の力が緩んだすきに腕を振りほどき、リカの胸ぐらをつかみあげた。
「ドラグナーを物扱いするな。人をなんだと思ってんだ」
「……あなた誰?」
ようやくその存在に気づいたとばかりにリカは怪訝そうにパーシヴァルを見る。
「いまさらそこか。ただの人間だよ。あんたや、そこに転がってる後輩と同じ」
なるほど彼女は天才で、常任には理解できない難しい謎を解明し、時代を作り上げる稀有な存在なのだとしても。
「思い上がんなよ、人間はモルモットじゃない。どんなに差別されようが、疎まれようが、厭われようが、人間は本来みんな平等なんだ」
当たり前のことを力説するほど恥ずかしいこともなかった。赤面しながら言い切るのがやっとだ。ましてパーシヴァルは自分を善人だとは思っていないし、そういうきれいごとが1999年の7月以来、余計に通用しなくなっているのも理解している。
だが、未来も才能も功績もあるリカには忘れてほしくなかった。これから人の世を守り、時代を作っているのはドラグナーだからだ。そのドラグナーを作る立場のリカがそれを無視してしまったら、ただでさえひどい世界の先に、希望なんてひとつも持てなくなる。
東洋の科学者はまだ若く、幼ささえ残していた。神秘的な黒い瞳にはパーシヴァルが及びもつかないほどの知性が宿り、とてもきれいな肌をしている。
彼女がリードを離さないドラグナーの少年に至ってはまだ15前後。痩せて小柄な、見るからに痛々しい体つきで、見た目のインパクトに慣れると、ただただ物悲しくなった。ドラゴン災禍はこんなにもいろんな物を歪ませて、そしてこれからもその道を突き進み続けるしかないのだから。
リカは笑った。それはあざけりではなく憐みだった。
「じゃあ、ドラグナーも人殺しね?」
「え……」
戸惑うパーシヴァルにドラゴン科学者は静かに続ける。
「ドラゴン化した人間を破壊している時点でそうでしょう? ドラゴンに人の自我が残っていないとどうして言えるの? 誰も証明していないのに」
パーシヴァルにつかみあげられた襟を直して、リカは淡々と言う。
「ドラゴンを破壊する兵士を殺人罪に問えるのか? 答えはNoよ。ドラゴンに人権は認められない。そしてドラゴンの定義は、ドラゴン・セルを持ち、破壊行為を行うもの。この中にはドラグナーもドラゴン感染者も含まれるわ」
ぞっとするほど場違いにリカは微笑んだ。
「法が彼らを人間と認めない。……でもあなたみたいなたわごとを吐く人は嫌いじゃないわ。昔、研究チームにもいたのよ。その人はドラグナーや感染者を人として扱うために、被験者に負荷のかかる臨床を制限しようとして反ドラゴニストに殺されたけど」
パーシヴァルは気おされていた。これを狂気と呼ぶなら、もはやドラゴンの研究の世界はどっぷり頭まで浸かっているのだろう。
そんな中でドラグナーは生まれ、対ドラゴン技術は研磨され、そしてこれからも成長し続けなければならない。
「きれいごと吐くにも命がけの時代よ。それでもさっきのたわごとをまだ吐く勇気はある?」
銃口を向けられ、パーシヴァルは完全にびびっていた。
リカは頭がおかしいわけじゃない。だから言っているのだ。現実を知りもせずにくだらない正義感で偉そうなことを言うなと。
謝るべきなのだろうか。だが――。
「俺は間違ったことは言ってない」
これはただの意地だ。
先の見えないこんな時代だからこそ、きれいごとを失ってはいけない気がするという、それだけの理由でやせ我慢しているにすぎなかった。
「ご立派ね。なら親しい人間がドラゴン化したときに殺す覚悟はある?」
「リカ、ちょっと待ってください!」
デイビットの制止など聞かずにリカはパーシヴァルに発砲した。土手っ腹に2発。ハンマーで思い切りボディブローを食らったような衝撃だった。
「リカ! 人間なんだぞ……っ」
残りも撃ち尽くそうとした主人の前に身をていして、ドラグナーの少年はパーシヴァルをかばった。
「てめぇ……」
せっかくドラゴンから生き延びたのにこんな目に合うとは。
撃った当人はドラグナーだろうと人間だろうと平然としていた。
「暴発よ」
「リカ! いい加減にしてください、何考えてるんですか……っ」
同じように撃たれたデイビットは起き上がって彼女を拘束した。
とてもじゃないが撃たれて数分で立てるようになるなど、パーシヴァルには不可能だ。
「ごめんね。返事を聞いてられる程、この業界は余裕ないのよ。たわごと吐いた責任、命がけで返してもらうわ」
ようやくパーシヴァルは理解した。ドラグナーも逃げ出すわけだ。
(この女、ドラゴンよりおっかねぇ……)
幸い止めを刺される様子もなく、騒ぎになって人が集まってくる気配がしたので、パーシヴァルは何もかも嫌になって失神した。
ドラゴン・ハーフ